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2017年08月27日(日)
八月納涼歌舞伎 第三部『野田版 桜の森の満開の下』

八月納涼歌舞伎 第三部『野田版 桜の森の満開の下』@歌舞伎座

桜が咲き乱れているのに真夏の夜の夢を見たかのよう。目をあげるとそこに夜長姫はいない。鬼もいない。心に鬼をすまわせる男がひとり、そして彼もまた消えてしまう。今は空も荒れ気味だ、真夏に桜が咲くのも乙だろう。

『桜〜』というと、思い出すのは空間のことだ。吊られる早寝姫に日本青年館の天井高を実感し、駆けていく耳男に新国立中劇場の奥行きを感じる。歌舞伎座は、横長の舞台を桜で埋め尽くした。舞台の外は暗い。空はひとの手に届かない。「いやあ、まいった、まいったなあ」という台詞が今迄と違う意味あいで感じられたことがおそろしく、この作品が遂に歌舞伎で上演されたことに感慨を覚える。本当に美しく、恐ろしい作品。

昨年から観劇のモチベーションがおちているのは自分でも気づいていて、その理由は蜷川幸雄の逝去だという自覚がある。「記録・継承が課題で、誰がどんな形で上演していたかすら、時とともに散逸し、歴史の中に埋もれてしまう」演劇作品を承継するため、遺族はニナガワカンパニーを設立した。時間のかかることだ、成果はまだ見えない。あの演出家がつくりだしたものをどう継承していけばいいのか、誰もが模索し続けている。

演出家がまだ現役であること、そして劇作家でもあることから比べられはしないが、野田秀樹の『桜〜』はひとつの道を見出したように思った。演劇作品の継承には、とにかく役者の身体が必要だ。中村勘九郎と中村七之助という役者がそれをうけもった。歌舞伎は継承の芸術、そのために所作がある。型がある。『桜〜』は肉体と型というふたつの要素を手に入れた。そして歌舞伎座という容れものと、七五調に書き改められた台詞を得て、歌舞伎として引き継がれた。観客は継承するものを待っている。作品というもの、それを体現するもの、そのなかにすまう鬼を見たいと思っている。「いやあ、まいった、まいったなあ」と思い乍ら。

歌舞伎という芸能の強さを観た思い。次を考える。野田さんがいつの日か、勘九郎さんが、七之助さんが。それでもこの作品は引き継がれるのではないか。そして、あらゆる演劇作品がそうなるにはどうしたらいいのだろう? 歌舞伎にしても、その一代でしか観られないものがあることは理解している。それでも、あらゆる役者の肉体で語られることを前提(といってもいい)とする歌舞伎の力に感謝する。

どうにもこうにもこの日しか行けなかったのでリピート出来なかったのがくやしいが、千穐楽を観られたのはうれしかったな……終わったばかりなのにせっかちだけど、いつの日かの再演を待っています。

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その他。

・この作品の通奏低音ともいえるプッチーニの歌劇『ジャンニ・スキッキ』「私のお父さん」。思えば映画『異人たちとの夏』でも使われていた。異人と一緒にはいられない、ひとりで去り、ひとりでいかねばならない。耳男と夜長姫の別れに、原田と桂を思わず重ねる。映画の公開は1988年、『贋作・桜の森の満開の下』の初演は1989年。何故今になって思い出したのだろう。夏に観たからだろうか

・もう“贋作”として上演されることはないのだろうか?

・「狭き門より入れ」って台詞があったんだなあ。すっかり忘れていた。そうか、あの門は…ともなる

・事前に知っていたからという贔屓目もあるかもしれないが、冒頭、暗転の暗闇から聴こえてくるあの「音」は、観客を作品世界へと誘うのにうってつけだった。歌舞伎からスクエアプッシャー迄PAを愛しPAに愛された男、zAkさんいい仕事

・あとすごい本編と関係ないんだけど、前日にフキコシソロアクトでロボコップ演芸観たんですよ。猿弥さんがウィーンガシャンッってやりだしたときはすごいうろたえました。まさか二日連続で…ロボを……



2017年08月26日(土)
フキコシ・ソロ・アクト・ライブ『  夜  』

フキコシ・ソロ・アクト・ライブ『  夜  』- la nuit - 〜俳優、吹越満の演芸 終わりの始まりを飾るシリーズ、1〜@東京グローブ座

『スペシャル』以来、なんと8年ぶりだそうです。人生の終焉へと向かう意味での夜。しかし夜は長く、そう自覚してから生きていく時間も長い。でも、夜っていいもんですね。と気づかされもする。

シティボーイズの“ファイナル Part.1”もそうだったが(思えばこれもグローブ座だったな)、身体表現の側面が強い芸人(吹越さんは役者でもあるが、ソロアクトについては芸人としての文脈で書きます)の舞台を長く観続けることは、その「衰え」の足跡を辿ることでもある。彼らがいつ迄舞台に立ち続けるかと、いつ終わるともしれぬ「終わり」「ファイナル」へと足を運ぶ。体力が落ちる。筋力が落ち、その「力強さ」だけでなく、体を動かす「速度」も変わる。それがかつての感覚を覚えている頭と一致しなくなってくる。ものをとり落とす、息があがる、脳に酸素がいかなくなって呂律がまわらなくなる。それをも笑いの要素にとり込んで見せる。しかしあまりにも弱っていると笑えないので、笑える表現になるような身体を最低限でも維持する。さて、それからどうしよう?

吹越さんは、観客を自室に招待してくれた。吹越さんの頭の中、吹越さんがひとり夜をすごす部屋へ。

夜。吹越さんが部屋でひとり、ネタを考える。アイディアをひとり、形にしては失敗する。成功して喜ぶ。あまりのくだらなさに我に返る。新しいネタ、かつてのあのネタ、このネタを披露していく。夜、ひとりで考えたネタは昼、稽古場でさまざまなひとたちの協力によって具体化される。映像とのシンクロ、照明と音とのタイミング、ひたすら精度をあげる作業。そしてまた夜(マチネもあるが)、ようやくステージで披露される。その夜はひとりではなく、スタッフと観客とともにすごす。そしてまたひとりの部屋に帰る。部屋と舞台のいったりきたり。今回はその「部屋」をも舞台に持ち込む。以前の公演では、ときどきカーテンコールでボツネタ供養のコーナーが設けられた。今回はそれを、「ひとりの部屋で思いついたはいいが、あまりにもくだらなくてふくらませることがなかったネタ」として本編にもってきた。ボツネタといっても、他のひとには思いつかないようなアイディアばかりが並ぶので、観るのはとても楽しい。吹越さんの部屋は吹越さんの脳内でもある。恥ずかしくて見せられないようなアイディアを生むところを、観客に見せてくれたのだ。

ご本人いうところの「ズドーンと落ちてる」体力を、どう見せているか観る。かつてのネタが繰り返されるとき、どこが変わっているか観る。ネタの精度は変わらない。上半身は以前より鍛えているようにすら見えるし(上腕にあそこ迄筋肉ついていたっけ?)、見た目の印象は変わらない。しかし演じているとき、演じ終えたあとの様子が違う。顔貌には深く皺が刻まれ、以前より汗をかいているように思う。その色気を観る。下ネタがガクッと減ったのは何故だろう。そんなことを考え乍らクスクス笑い、ニヤニヤ笑い、声を出して笑う。アイディアに毎回驚かされ、それを形に出来る身体をもアイディアに満ちていることに驚かされる。

吹越さんのネタ(アイディア)は、ライセンス制にしてさまざまなひと、身体の表現として観てみたいと思わせられることがある。しかしあのユーモアと、清廉さと、下ネタの気味のわるさ(笑)にこんな美しいものが潜んでいたのかと気づかされる驚きは、きっと吹越さんの身体からしか生まれないものだろう。一代限りの芸、について考えさせられる。

終わりの始まりはまだまだ長い。この時間がまだまだ続きますよう、またの機会がありますように。

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・カーテンコールのネタは日替わりなんでしょうか。この日はダブルアンコールで、一度目はロボコップ演芸(!)、二度目のときには「なんですか」「いやね、ひとにきてもらえるとうれしくなっちゃってね、やっちゃうんですよ……」なんてブツブツいい乍らもひとつネタを披露してくれました

・本日も最前ド真ん中でして、また客いじりされて失敗したら(『スペシャル』の頁参照)どうしようという緊張感がありましたがふられないでホッとした……



2017年08月20日(日)
『SUMMER SONIC 2017』2日目

『SUMMER SONIC 2017』2日目

今年は日曜日のみ参加。観たものはマリンばかりでしたが合間に幕張に行っておやつ食べたり展示を観たりとのんびりすごした。というか、そうしないともたない。例年より涼しかったので助かった。てか今回ソニマニ〜サマソニ一日目〜ホステス〜サマソニ二日目と皆勤したひといるんでしょうかね……ペース配分難しそう。

土曜日の早朝、ソニマニのフロアを出たときにロビーにあったチェスター・ベニントン追悼パネルに初めて気づき、胸を衝かれるような思いをした。Linkin Parkはサマソニの常連だった。チェスターはスコット・ウェイランドが去ったあとのStone Temple Pilotsのヴォーカルとして、LOUD PARKにも来てくれた。クリス・コーネルの葬儀で「Hallelujah」を唄ったのも、クリスのこどもたちの後見人をひきうけたのもチェスターだった。実現しなかったが、クリスはAUDIOSLAVEでサマソニに出るプランもあった。ふたりに対して何故、という思いは消えない。今でも彼らについて語る言葉を持たない。

フーファイは、クリスへの思いを語らずに見せてくれた。

■ROYAL BLOOD(MARINE STAGE)
やーやっと観られた! もはや堂々としたスタジアム対応ぶりでした。すごいな……ライヴだとむちゃ骨太でなおかつ柔軟ですね。マイクは途中からイヤモニ外しちゃって、観客の反応を見乍ら展開変えてたみたい。音はベースとドラムのみなので基本自分が動けばベンが合わせてくれる(あるいはその逆)という信頼感もあるのでしょう。ふたりのコンビネーション素晴らしかったなー。てかベンのキャラおもろい。翌週の地上波TVにも出演して好き放題やってました。おもろい。次は単独で観たいよー日本でもブレイクするといい!

■BABYMETAL(MARINE STAGE)
なんだかんだでフジも入れると三回目。かわいく歌がうまくダンスもキレキレ。あとやっぱバックバンドが笑っちゃうくらい巧いです。フードコート横のちっちゃなステージからスタートして遂にマリンに! というサマソニ出演史もよかったねえと…なんというか、ファンのひとたちの気遣いがすごいというか、ベビメタのファンは素晴らしい、それはベビメタのメンバーが素晴らしいからだと周知してもらいたいという使命感が強いように感じました。スタンドから観るサークルとWoDは壮観でした。

■FOO FIGHTERS(MARINE STAGE)
前日大阪から伝わってきていたテイラー・ホーキンスのドラムセットを探す。バスドラヘッドにクリスの写真が使われているというのだ。果たしてクリスがそこにいた。2005年に立ったかもしれないマリンスタジアムに、フーファイがつれてきてくれた。
ヴォーカルのうしろに位置するので、スクリーンにデイヴ・グロールが映ると必ず目に入る。「My Hero」も「Time Like These」も「Best of You」もいつもと違って聴こえる。何故このシーンにはこんなことばかり起こるのだろう? うっすら気づいてはいるが、その原因については話したくない。デイヴは話さない。ただ、自分がやるべきことをひきうけ、音楽を通して表現する。背負うものが年々大きくなっていくようにも思うが、それを躱さずリスナーと思いをシェアするという形で(テイラーの提案でもあるだろうが)見せてくれる。
自分でも驚いたが、この日テイラーとデイヴがパートを入れ替わる迄、デイヴがドラマーだったことをすっかり忘れていた。こんなときがくるとは。それだけ時間が経ったということもあるが、デイヴがバンドのフロントマンとしての姿を見せ続けてくれた結果なのだろうとも思う。
タイムテーブルが発表になったとき、出演時間の短さに唖然としたが、それすらもネタにするユーモア。持ち時間に対応したセットリストと、フェスという場でしか実現出来ないアイディア。おなじみテイラーヴォーカルの「Under Pressure」から、同日MOUNTAIN STAGEに出演していた(そしてフーファイのステージを舞台袖で観ていたのだろう)リック・アストリーを招き入れ「Never Gonna Give You Up」を披露するという超サプライズをぶっこんできた。しかもイントロが「Smells Like Teen Spirit」アレンジ。あのギター、あのドラム、鳥肌たったよ……。ここにもときの流れ。NIRVANAの楽曲をあっけらかんと演奏出来るようになった。デイヴがあのバンドのドラマーだったことを知らない観客もいるだろう。
それにしても最後の花火のタイミングがちと早すぎたような(「Everlong」の終盤に被りまくり)。思わず時計を見てしまった。あ、予定時間オーバーしちゃったんだなーと思って……時間ですよ〜これ以上延長出来ませんよ〜のお知らせのようだった(笑)。打ち上げ現場にあと何分待って! とか連絡が出来ない環境なのでしょうかね。あるいは近所から苦情が出るから21時以降に花火を打ち上げるの禁止とか。予定時間をオーバーして電源から落とされるフーファイに、新たな展開が生まれました(笑)。

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セットリスト(setlist.fm
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01. All My Life
02. Learn to Fly
03. The Pretender
04. My Hero
05. Big Me
06. Run
07. Rope
08. Walk
09. Times Like These
10. Under Pressure (Queen cover) (Dave on drums and Taylor on vocals)
11. Never Gonna Give You Up (Rick Astley cover) (with Rick Astley) (In the style of "Smells Like Teen Spirit")
12. Best of You
13. Everlong
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その他。

・フー・ファイターズ、因縁の反同性愛団体を攻撃「口を慎め」|HuffPost
翌日twitterに流れてきてああそうだった! と思い出した。彼らにはこういう縁があった

・ごはんとおやつ
ソニマニ:東京肉そば、牛切りおとし串焼き、レモンクレソンアイスティー
サマソニ:まぐろユッケ丼
どれもうまかったー。あとはペットボトルのお茶やらを飲んでばかり。サマソニのために凍らせておいたソルティライチのパックを家に忘れてくるていたらくでしたが、それだけ涼しかったってことでもありますね

・風呂はいいな!
ソニマニ明けに24時間営業のレディースサウナへ。家に帰っても暑いしあんまり眠れなさそうなので思いついたのですが、これよかったわ ー。お風呂にサウナ、マッサージも受けられて仮眠もとれる。MIOさんに以前教えてもらったとこですが、そのときは外国人のお客が殆どだった。今回は若いお嬢さんが沢山いた。夏休みだし、深夜バスで遊びにきた子たちがきているのかも知れないな。
おばあちゃんたちもいて「あなたたちこれから遊びにいくの? 元気ねえ」なんて話してて、なんだかひと昔前の銭湯のような雰囲気もあって楽しかったです



2017年08月19日(土)
『SONICMANIA 2017』その2

『SONICMANIA 2017』@幕張メッセ

■SHOBALEADER ONE(SPACE RAINBOW)

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Strobe Nazard:Key
Squarepusher:B
Company Laser:Drs
Arg Nution:G
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本日の本命。四月の単独からこんなに早くまた観られるなんて! うれしー! この日のステージは、真鍋大度率いるRhizomatiks Researchがヴィジュアルを担当することもアナウンスされていた。後方から全景を眺めるのもいいなと迷ったが、今回はやはりベースをガッツリ観たい、とスクエアプッシャーサイド(下手側)二列目で待機。

日英スタッフ入り乱れ、テキパキと機材を配置していく。なぜかバンド同様ローブを着たひとも幾人か。ステージ上で撮影するのかな、それ用の黒衣? なんて思いつつセッティングを見ていると、トムさん出てきはりました。しっかりローブ着込んでお面もつけてます。しかも何度も出たり入ったり、指示を出したりラップトップの画面を見たり。何度目かにはベースも抱えてきて、ずっと弾き乍ら話をしていた。ウォームアップの様子迄見られてラッキーと思うと同時に、セッティングのときからお面つけてるんだね…拘りなの…暑くないの……と観客半笑いで見守るの図。別に歓声も騒ぎも起こらず、「いるよ」「いるやん」とこそこそ声がひろがり、静かにスマホで撮影するという奇妙な光景。

それにしたって何度も出てくるなあ。そして雑然としすぎやないかあの配線……と思っていると、「0:20スタートになりまーす」とスタッフが走り乍らお知らせしてまわってる。20分も遅れるの? どうしたの? といささか不安になっていると、周りがスクリーンを指差してザワザワしだした。


(あんたたち、ですわね。皆素晴らしかったよー)
(そしてやらかした航空会社に「どうも(英語ではThank youだった)」とかいうあたり、イギリス人っぽいわー)

な、何それ……。日本語と英語のメッセージが交互に映り、リアムから移動してきたひとも増えたフロアは異様な雰囲気に。どうなる? 20分遅れで済むの? なんて思っていたら0:13くらいには始まった。はええな、大丈夫かよ。いや大丈夫も何もであった。トークボックスがセッティングされていたのにもかかわらず「Megazine」をやらなかったのでセットリストに変更はあったのかもしれないが、アナウンスがなければトラブルがあったなんて観客は全く気づかなかったであろうステージだった。この夏のベストアクト。「弘法筆を選ばず」というツイートをぼちぼち見かけたけど、けだし名言。

表情によるコミュニケーションを拒否するコンセプトなので、主にトムの運指をまじまじと見る。あっお面つけてる! と時々我に返るんですが、あまりにも演奏が凄まじいと音しか残らないというか、見てくれがーとかの要素が意識の外にいっちゃいますね。それこそがバンドの求めていることかもしれないが。とはいうものの我に返ったときはわー腕毛ほわほわーとかローブ着てても結局は弾きづらいんで腕まくっちゃうところ(というかローブを半袖仕様にしてるのか)が愛嬌だよね、かわいいかよとか思っておりました。前方なのでスクリーンは見づらい。レーザーさんがアップになったので目を移すと、あの手数で叩き乍らもときどきお面の位置をなおすという余裕もある。あなた腕何本あるのよ。二本ですよ。しかし何度もなおすなあ、さぞ邪魔なんだろうなあ、お面のサイズ合ってないのかなあなんて苦笑する。それがあながちシャレになってなかったことがのちに判明する。

四月のときからアレンジもかわってきていて、柔軟性がより加わりインプロ部分も増えている。「E8 Boogie」あたりからやべーやべーよとなってきて、終盤の「Delta-V」と「Anstromm Feck 4」ではもうなんじゃこのインプロ合戦という様相で歓声がわくわ爆笑が起こるわでフロアもカオス状態です。最初は人力再現すごーいとかニコニコ聴いてんだけど、だんだんそれどころじゃなくなってくる。もはや再現ではない。人間(いや地球外生命体だけど)VSマシンの闘いというか、人間(ちきゅうが以下略)がどこ迄マシンに近づけるか、あるいはマシンにどこ迄魂(、という言葉を使うなら)が込められるかの実験だ。

BPMが一定じゃないところにもろグルーヴが宿る。ドラマーが装着しているイヤフォンはモニター用で、クリック聴いてないと思うんだ……というか、あれだけ一曲のなかで減速/加速が激しく、その緩急をも聴かせる楽曲でクリック聴くのも意味がなかろう。そして地球外生命体とはいえ演奏者の指は計10本だから、リフにムラというか若干の強弱やズレが生じるのだがそこ! そこだよ! そこにグルーヴが生まれる! 「Tetra-Sync」のギターリフはたいへんそうですね(あれスクエアプッシャーのソロんときはベースで弾いてるよね)。Keyが片手の運指だけでは無理のある長いフレーズを左右1〜2本の指を交互に使って高速に弾きたおした場面では、あーそうやればいいんだ! とフロアがドッと湧く。それにしても、あんなにどよめきと笑い声が入りまじるフロアもなかなかない……。楽曲の多彩なポテンシャルが、プレイヤーのスキルによりこうも姿を現すものか。



張りたい動画いっくらでもあるんだけど厳選してひとつだけ(あげてくれたひと感謝!)、これがいちばんインプロから戻ってくる展開がわかりやすいかなと。

そうそうインプロといえば、「Tetra-Sync」のアウトロにベースで挟みこまれたのは、春から何度も聴いていたあのフレーズだった。2015年、「Iambic 9 Poetry」のイントロで演奏されていた第一楽章。曲名がわからない(あるのだろうか?)ので勝手に名前つけて申し訳ない……泣いてもうたよ。

(20171023追記:動画ひとつだけっつってたけどこれ追加しとこう…その都度探すのめんどくさいという自分用)



火事場のなんとやらかフロアの熱を受けてか、プレイヤーの挙動もどんどん激しくなってくる。フロアを煽ったりガッツポーズしたり。に、にんげんくさい。まあそこはね、まずトムがそういうひとですからね。地球外生命体も人間のいいとこをとりいれていくといい(笑)。「Journey to Reedham」のときのお面の光がとってもかわいかった。彼らの気持ちを表しているかのようにキラキラしていた。カラフルでハッピー。「僕のたった一つ望むのは、僕の音楽が誰かのどんよりした一日をカラフルにすること、悲しい一日を愉快にすること。それだけなんだ」という言葉を思い出す。あれから十三年、彼は今どう思っているのだろう。

トムがときどきスタッフ呼んでたり、曲ごとにタオルで腕拭いてたり、機材をのぞきこんで調整し乍ら弾いていたりしてハラハラはしたものの終わってみれば機材トラブルもなんのその。皆さんやりきった! という充実感かホッとしたか、何度もおじぎをしたり手をふったりして帰っていかれました。ナザードさん万歳してた。やー、なんかお面ついてるのにメンバー皆笑っていたように見えたよ。心眼だいじ。そしてトムの投げキッス(したらしい)を見逃した。ガーン。

スクエアプッシャーにとってはプロジェクトのひとつ、という感じだろうしソロの方でもいろいろやりたいことは多いだろうけど、万全の状態でもう一度単独公演を観たいものです。しっかしこの日のライヴは素晴らしかった、最高だった。やりきってくれて有難う!

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セットリスト(setlist.fm
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00. Intro
(20170914追記:そういえばこのopの曲って「MIDI Sans Frontières」だったわ)
01. Coopers World
02. Hello Meow
03. Iambic 5 Poetry
04. Squarepusher Theme
05. E8 Boogie
06. Tensor in Green
07. Delta-V
08. Anstromm Feck 4
09. Tetra-Sync
10. A Journey to Reedham (7am Mix)
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Note: played on borrowed equipment, since the airline sent the band's to Beijing
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その後。

#shobaleaderone

daitomanabeさん(@daitomanabe)がシェアした投稿 -



ライゾマ真鍋さんのインスタ。これ何だろうと思ってたんだけど。



まじかよ。機材全部ってことはお面とかそういう一式全部だよね……おそらく楽器も。ライゾマのクルーも加わって楽屋で機材組み立ててたってことか。お面のサイズが合ってないというのはあながち冗談になってなかった。そしてトムが本番前にベース抱えてたのは、少しでも楽器を手になじませておきたかったんだろうな。

といえば、四月の単独のときベースにオートチューナーついてるとかドラムはツーバスにツーハットとか言われてたので確認したかったけどそれどころじゃなくなって忘れてた。ツーバスは見えたけど。



痺れる現場……。一回きりのライヴはホントいきもの、鉄火場だわ。電気のあとくらいにフロアで真鍋さんご一行を見かけて、おつかれさまでしたありがとうございましたと心のなかで手を合わせました。

・Zak Norman - VJ London
ディレクター。セッティング時いろいろ指示出してたあのひとかな? スクエアプッシャーのあれやこれやもやってる方のようです。

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その他。

・SHOBALEADER ONE | サマソニ2017 TOKYO LIVE REPORT
クリマン公式のフォトレポート。

・Squarepusher率いる地球外生命体設定バンドShobaleader One、航空会社の不手際で機材が北京に置いてけぼりという人間くさいトラブルに巻き込まれソニマニ急遽特別セットに変更 : アーメン速報
こんなまとめがつくられていた(笑)。

・つのがいです #095【TV Bros.にて掲載中《夜のとばりのショバリーダーワン》】
手塚るみ子さんがスクエアプッシャーのファンという縁から実現した企画。ぎゃーいいもの見たー。ブロス本誌の手塚さんとつのがいさんによる対談も面白かった。トム『火の鳥』読んだそうだけど感想を知りたい。



直接のコラボは初めてですね。改めてビートインクさん有難うですよ!

(20170826追記)
・Shobalerder One|Facebook

24日に更新されてた。“Many, many thanks to all those that came to the show. Fantastic night.”だって。上にも張った動画のツイートも載せてるし。いやほんとこの動画いいよね……。
SNSには積極的じゃない彼(ら)がこう書いてくれてるの、うれしくなってしまったよ。またきてねー!



2017年08月18日(金)
『SONICMANIA 2017』その1

『SONICMANIA 2017』@幕張メッセ

PANDAS、Shobaleader One、電気グルーヴ少し、Orbital少し。JUSTICEやリアムも観たかったよ、今年のソニマニ盛り沢山すぎじゃよ〜。入場時近くにいたひとが「ヘッドライナー級のアーティストは本フェスだけとか住み分けしないとチケ代あがる一方だし、被って結局観られないのが増えるんだよ。ソニマニは料金を一万円以下に抑えるべきだ」と熱弁しており心のなかで頷いた。

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■PANDAS(SPACE RAINBOW)

オールだしのんびり出発しようと思っていた計画がパーになったのは彼らの出演が決まったからです。21:30スタート、一応新人ですのでOA扱い(本編開演は22:00〜)。慌ただしく到着したら最前に行けてしまったのでそのまま居座ってセッティングから見る。先週のRSR(エゾ)でのデビューライヴから編成が変わって2シンセ/2ドラム。

上手側にいたのですが、目の前のドラムがおそらくBOBOさんのセットだと予想。となるとその近くにある方のシンセがTKかな? と思いつつ下手側のドラムを見る。あーあれ、Yokoさんのだ。エゾのときは東京にいたけど今日は参加するんだな。ということはこのバンドというかユニットとしての方向性はまだ定まっていない感じだろうか。始まったばかりだし、いろいろアイディアがありそうだ。しかしドラム、シンセ、シンセ、ドラムという左右対称の配置が非常に洗練されたデザインで、ライヴのヴィジュアルとしてはこれが完成形でもいいような美しさ。中野くんにはベースも弾いてほしいが……まあそれはおいおい。

シンセのセッティングはMacBook+α+マイク。アナログシンセみたいなものがあるYokoさん側の方(下手)が中野くんかなーと思う。隣にいた子たちが自分同様ブンブン好き、凛として時雨やTKのことをよく知らないようで、「TKさんってどれくらいの身長なの? セッティングが低い方が中野さんだと思うんだけどTKさんもちっちゃいのかな?」なんて話していて吹きそうになった。そうかそういう見分け方もあるか。

果たして出てきたTKさんは華奢で小柄な方で、中野くんと並んでもそんなにかわらなかったのであった。衣装もパンダなツートーン、髪型も似ていて、並んでいると双子のよう。こういうところも、デザインに意識的だなと思う。衣装があるということは、既にチームとしてスタッフもそれなりに投入されているということで、今後どう動いていくのかな。

エゾでは一曲とのことでしたが今回は三曲。演奏や楽曲は、中野リスナーからすると馴染み深い音色やリズムが満載で嬉しくなる。TKさんのヴォーカルはハイトーンが綺麗でクセも強く、唄いまわしやセクシュアルな歌詞、ナルシスティックなステージアクションが格好いい。あのてらいのなさはフロントマンだわー、というか、ここで敢えて名前を出してしまうが、川島さんてほんっとフロントマンとしては特異な存在だったというか、不思議な奥ゆかしさがありましたよね。比べるわけではないけれど、中野くんのとなりにいるひとが川島さんじゃないというのは初めて見たものでうろたえたりしみじみする。中野くんは演奏しつつコーラスも担当、手拍子を煽る挙動もあっておお、と思う。お互い自分とこのドラマーつれてきたよ、というような図もかわいらしく感じる。中野くんちょくちょくYokoさん見てブレイクのタイミングはかってましたね。

ドラムのセッティングはどちらも非常にシンプル。バスドラ、スネア、フロアタムとハイハット、シンバル二種だったかな。そもそもおふたりともつめこまないタイプのドラマーですが、新鮮だったのはどちらにもサンプリングパッドとおそらくiPadを装備していたこと。BOBOさんのセッティングってとてもアナログでフィジカルなイメージがあったので驚いた。iPadはおそらく楽譜表示用。自分のいた位置からして音のバランスはあまりよくなく、上手スピーカーとBOBOさんの生音が直撃、よってYokoさんの音があまり聴こえず残念。今度は音のバランスがいい環境で聴きたい。というか音源も出してほしい。

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■電気グルーヴ(SONIC WAVE)

ショバで燃え尽きておやつなんぞ食べてぼんやりしてから出かける。「N.O.」のちょい前から聴いてウェーイと踊る。『未知との遭遇』のあの音階をループさせたエンディング格好よかったなー。久々だったので三人目のメンバーがわからず誰だっけとかいう。agraphくんだったとのこと。


これを見逃したのは痛恨。しまった……。

■ORBITAL(CRYSTAL MOUNTAIN)
フロアに座ってのんびり聴く、ウェーイ八つ墓村健在〜。目当てだった「Chime」がこない、今はやってないのか…と待っていると、中盤以降映像含めてなかなかハードな展開を見せてきて(これがまたえらい格好いいのだが)今はそういうモードじゃないのかも…バルセロナでテロがあったばかりだし……と思う。そしたらベリンダ・カーライルの大ネタ「Heaven is a Place on Earth」をブッコんできてキエーとかなる。世界はハードだけど、音楽にハッピーは必要だよ! と思わず涙ぐむ。


「Chime」はアンコールでやってくれました。ハッピー。

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Shobaleader Oneについては長くなるので別頁にアップします。



2017年08月13日(日)
八月納涼歌舞伎 第二部

八月納涼歌舞伎 第二部@歌舞伎座

『修禅寺物語』、『東海道中膝栗毛 歌舞伎座捕物帖』。いやー歌舞伎座久々、春先ここの近所の仕事してたんでお昼は歌舞伎茶屋のカレーうどんばっか食べてたけど劇場には入れず(笑)やっと観劇ですよ。ハレだわー、あがるわー。

初世坂東好太郎三十七回忌、二世坂東吉弥十三回忌の追善狂言『修禅寺物語』。三年前に観たときは夜叉王=中車、桂=笑三郎、楓=春猿でした。今回はお父上と兄上の追善ということで、夜叉王=彌十郎、楓=新悟がしかとつとめておりました。桂は猿之助。おお、猿之助さんが桂を演じると、彼女の頑固さが出世欲にも家を思ってというふうにも見えるな。臨終の顔を父親に向ける姿も凛々しさと禍々しさに満ちている。それを取り憑かれたように描きとる夜叉王、。彌十郎さん、業師の趣。エモと型のせめぎあいにもなる芝居はぞっとする幕切れ、夏にはいい演目かも。

笑った笑ったパンクな『東海道中膝栗毛 歌舞伎座捕物帖(こびきちょうなぞときばなし)』。これ、夏恒例にすればいいじゃない。と三部制の納涼歌舞伎にまっさらの新作ふたつぶっこまれた場合の舞台裏のたいへんさを知らない観客は呑気なこといいます。いやたいへんだよね…染五郎さんとか朝から晩迄でずっぱりだしね……でも面白かった……夏のおまつりにぴったりの演目なのでシリーズ化してほしい。YJKTが事件を解決! ハラハラドキドキ歌舞伎座殺人事件! 宙乗りでやってきて宙乗りで去っていく、次はあなたの住む街へ?

杉原邦生構成というのも個人的見所だったのですが、いやーよく出来てるなあ。劇中劇で『義経千本桜 四の切』がとりあげられ、役者たちのせめぎあい、興行の難しさ、舞台機構を謎解きの材として扱う。バックステージものとしても楽しめ、継承されてゆく作品への思いが昇華されている。巳之助くんの狐忠信初めて観たんでほろりときた(そして思えば巳之助くんの静御前も初めて観た・笑)。こどもたちにとってはあこがれの狐忠信と静御前という役は、若手〜中堅の役者たちにとって「いつまでもやっていられない」役へと変化していく。役を譲るか、固執し続けるか。その限定感は興行の危機により無効となり、役者と裏方の力によって無効になる。観客はいつか観てみたいと思っていた役を、いつか再び観てみたいと思うようになり、それが叶った暁には好き勝手に喜び嘆く。

第三部『野田版 桜の森の満開の下』のことを思う。日程の都合で観られるのは千秋楽のみなのだ。楽しみでもあり、怖くもあり。折しもこれに出ていた勘九郎さんと七之助さん、大詰を前にでもう行かなきゃといいだして、「桜の森に行かなくちゃなんないから」と帰っていかれました。ウケてました。こういうとこニクいですねー。中車さんがカマキリ仕様だったり土下座芸(芸か?)を披露したり、時流? を取り込んでて楽しい。

そして金太郎くんと團子くんコンビの見目麗しいこと。てか團子くん久しぶりに観たんだけどおおお幼児が少年になっている。そしてもう台詞まわしがこどものそれではない。ひとの成長というものは〜と目が遠くなりました。タメを利かせた「(狐忠信をいつの日か)やってみたい、」と台詞、とても感じ入りました。作品が受け継がれるには役者の肉体がいる。観客の目がいる、語り伝える言葉がいる。観客はそうした新世代が現れるのを待っている。その日がくるのを待ち続ける。

その日の観客の反応により二通りの展開がある“マルチエンディング歌舞伎”もみどころのひとつ。KTさんが拍手を募り決定、この日はB展開でしたー。拍手の数は同じくらいに感じたんだけど、猿之助さんがBか、Bだねと誘導したように感じて(笑)いつもBなのか? とか疑いつつ帰って検索してみたら見つかるのはAが多かった。レアだったか? 訝しんでごめんなさい。AとBそれぞれの取り調べ後ひと悶着あって、共通のエンディングに合流するのでしょうが楽しかったなー。

しっかしあの幕開きやら照明の色味やら(あの黄色!)ミラーボールの使い方やら、すごいKUNIOさん色あったと思うんですが構成からどこらへん迄演出にかんだんでしょうかね。今年は自分とこの公演があるから演出助手での参加はしていなかったようだけど気になる。

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・お盆休みで電車も街も空いてる。この日のチケットをとったときから「観劇前にニューキャッスルでカライライス食べよう〜」と楽しみにしてたんだけど、イヤな予感がして行く前調べたらやはりお盆休みだった。ガーンとなる。どうするかねえと銀座についてうろっとしていたら、日曜定休の煉瓦亭が開いている! お盆にともなう変則営業で、来週から休みに入るらしい。並ばず入れて元祖オムライスが食べられた。いやーラッキー、ニューキャッスルはまたの機会に〜

・観劇後はもう今日しか行けないしと急いで上野動物園へ。『真夏の夜の動物園』関連商品としてマヌルネコの限定グッズが販売されていたのです。扇子とクリアファイルが目当てだったんですが、この日の午前中で売り切れたとのことでガックリ。しかしホンモノのマヌルは相変わらずかわいかった。ああマヌルはかわいい、本当にかわいい



2017年08月12日(土)
『プレイヤー』

『プレイヤー』@シアターコクーン

前川知大作品を長塚圭史演出で。オカルト、ホラー、スピリチュアル。ギリギリな線を綱渡り。再生装置としてのプレイヤー、役者をさす言葉としてのプレイヤー。演劇のしくみ、役者の利用例として観ることもでき、非常に気持ちわるく面白い仕上がり。

長塚くんの資質が顕著だったように思う。前川さんや、前日書いたように岩井秀人が演出したらどうなるかなーと思う。同時に戯曲の多様性、読み解きについても考える。そして所謂「感じやすく」「見える」資質を持つ観客がこれを観たらどう思うかなと思う。

高橋努演じる人物を、目に見える事実で屈服させたといってもいい流れになっていたところに、もうひと声ほしかった。「感じやすく」「見える」ひとたちだけの了解になってしまうようで惜しい。この作品のもととなったイキウメヴァージョンは観ていないが、前川さんが演出した場合、もう少し展開があったのではないかという思いが拭えない。未完成の戯曲を現場で組み立てていくという設定も、演者、観客に解釈を委ねるのではなく責任を転嫁しているように感じてしまうのも惜しい。演出家が想像力を盾にしているようにすら感じてしまう。

自分は「感じやすくなく」「見えない」が、勘がいいという意味では鼻が利く。だからこそ宗教とスピにはとても手厳しい姿勢をとる。自分の「欲」を「徳」という言葉に置き換えるひとに対しても同様だ。物語のなかで明かされるひとつの計画については、彼らの行為は顕示欲にすぎないというスタンスでいる。そんな自分は登場人物たちが「何を信じようとしているか」「信じ込もうとすることでいかに無私の状態になるか」に興味が向く。舞台上の情景は、演出家の影響下にある演者たち、という図式として映った。面白くもあり、気持ちわるくもあるということはその部分。カンパニーはひとつの共同体なのだ。

妄想はふくらみ、阿佐ヶ谷スパイダースの未来についてもいろいろ考えた。信じているものが信仰となり、それが個人の枠を超えてコミュニティになる。そのとき何が起こるか。言霊を信じているので具体的なことは書かない。楽しみでもあり、怖くもある。

藤原竜也の声色含むものいいが、緊迫した舞台のよい緩衝材となっていた。仲村トオルはすっかりイキウメの世界の住人。前川作品の独特な言葉の運びを流暢に話し、聴き手に理解を促す声。イキウメン安井順平が演出助手という役まわりだったことには助けられた。台詞にも出てきた「スイッチ」を操作する役まわりともいえる。彼のおかげで我にかえる場面も多かった。ほぼ裸舞台に移動可能ないくつかの装置、パイプ椅子という簡素なセットをシアターコクーンの広さで通したところにも演出家の主張が見えた。結果、コクーンで上演された長塚作品ではいちばんひっかかりを覚えず観られた。



2017年08月11日(金)
『ハイバイ、もよおす』

ハイバイ『ハイバイ、もよおす』@KAAT 神奈川芸術劇場 大スタジオ

公演案内のフライヤーには『ハイバイの裏メニュー、傑作中編4本一挙放出!!』とありましたが、当日来てみれば三本立てになっておりました。「4本で2時間30分くらい」と予告されていたので、この枠におさめるため「一人芝居」はカットされたのかもしれません。しかし岩井秀人が担当した前説やブリッジ部分をひとり芝居のパートと考えると面白いものがありました。出演に岩井さんはクレジットされているし、テキ屋な衣装もバッチリ決まってたし(金のチェーン、金の腕時計と徹底していた・笑)。

『RPG演劇のニセモノ』、つづいて『大衆演劇のニセモノ』。演劇を疑ってかかる、岩井さんをはじめとするハイバイの面々が嬉々としてニセモノを演じます。翌日に『プレイヤー』を観たのですが、これを岩井さんが演出したらどうなるかなーなんてことも後日考えました。何かを信じること、演じることをとにかく一度疑ってみる。意地悪な視線でもあるし、批評眼にもなる。一歩間違えば嘲笑になるそれを、「いやいや、これおかしくない?」という暴走への抑止力としてみせる。とはいっても結局それは抑止にはならず、暴走の果てが悲しくおかしいものになる。

実際ものごとを信じる、いや信じ込む力というのは恐ろしいもので、それは確かに演劇を観るにあたっての想像力と紙一重。それらを喚起する一種集団催眠のような力は使い方によって宗教にもなる。観る側の資質もあるが、演出家の提示方法によるところも大きい。娯楽として消費するか、自身の糧にするか、それが依存になるか。『大衆演劇のニセモノ』をそれはそれは恐ろしい目つきで(この目な。ご本人のコメント「シカーノ岩井、目の下デルトロ」には笑った)見つめ、ノートに何か書いていた岩井さん。ダメだし用のメモをとっていたのかもしれないが、敢えてそれを客席から見えるところでやっているところにも「演出家の演技」を感じて、この目はある種の安心になるなと思ったりもしました。

最後に上演されたのは『ゴッチン娘』。後藤剛範の肉体を逆手にとり、社会的/生物学的に与えられた役割に苦しむ人物を描き出す。切実なシーンに笑い乍ら思わず涙。ハイバイの笑いはいつも苦しい。同時に「そうだ、こういう見立てで笑うことも出来るのだ」という道にも気づかせてくれる。『山月記』な展開にドキドキしつつ、ゴッチンの人生に思いを馳せました。

といろいろと考えはするのですが、実際観ているときはとても楽しいというのもハイバイの魅力。RPG演劇では田村健太郎のキレッキレの身のこなしに見とれ、大衆演劇では上田遥のこどもっぷりに歓喜。あの格好なんていうんだっけ、こども作務衣みたいなの。あれが似合うのなんのでな…かわいくてな……声も大好き! 見得を切る平原テツと黒田大輔(痩せたよねー…健康ならよい)に向けられるスマホ(隣のひとはマジのいいカメラで撮りまくっていた)の「カシャカシャカシャ」という連写音がまた笑いを呼び、芝居の途中で役者名をコールする場内アナウンスに笑ったあと成程と思う。初めて出会う未知の世界をこう見つめ、そして「どう?」と提示する岩井さん、やっぱり怖いです(笑顔で)。

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・『ハイバイ、もよおす』 - Togetterまとめ
本家のマナーにならい、大衆演劇パートは撮影推奨でした。場面集としても楽しめます。見返してニヤニヤしてます

・It's a family affair. ハイバイ・岩井秀人と写真家・植本一子。家族の理想のカタチはあるのか? | feature | HOUYHNHNM
面白かった対談。植本さんはECDのパートナーでもあり、その著作は確かにハイバイと通じるものがある。実のところハイバイで上演してみてほしいと思ったりもするし、ではサンプル松井周が上演したらどうなるだろう? と思ったりもする。こわいこわい



2017年08月05日(土)
『鳥の名前』

『鳥の名前』@ザ・スズナリ

名前も知らない鳥たちが、ちいさな木にとまって報告会をしている。今日こんなことがあった、こんなひとに会った、こんな目に遭った。彼らは危険を知らせるカナリヤか、それとも。

ダイアローグをモノローグとして見せる手法、その言葉のつらなりの美しさ。上下の移動で示す場面と時間の経過。赤堀雅秋の作劇と演出が、少しずつ変化している。進化とも感じる。経験したものごとを吸収し、反映させる。その変化によって、作家の描きたいことはより鋭く、澄み、瑞々しく見えてくる。流されていくひと、うしろめたさを抱えるひとの傍にいる。「しょうがない人」たちのつなわたり、どこ迄行けるか。ちいさな光をひろい集める。注意深く灰汁を残し、えぐみの旨さとして差し出す。

言葉の端々に潜む不穏な空気。家賃収入で呑気に暮らしているらしい彼は、何故カード破産しているのか。元力士の彼は、本当のところどうして廃業したのか。地下アイドルの本意はどこにあったのか。そんななか、ずるずる八年同棲を続けている相手に女が語る将来には確信にも似た強さがあり、呆けた父親と暮らす男には実直な優しさがある。人生の岐路でつい流されてしまうひとや、やわらかな気質ゆえについ黙ってしまうひとたちを、正しいひとたちは甘えだといったり、弱さだといったりして責めるのだろう。その正しさに日々晒される苦しさを、赤堀さんはひたすら見つめる。そして書く。社会のあたりまえや正義に溺れそうになり、壊れてしまうギリギリの線はどこなのか。それでも踏みとどまる人間の在り方は、弱さなのか、強さなのか。

ついかけてしまう優しい言葉が仇になる。いい返せない逡巡が罪になる。糾弾されたらひとたまりもない、その一瞬前を描く。パンク修理をする彼とできあがりを待つ彼女のやりとりは、互いへの思いやりに満ちている。飲食、カラオケ、缶コーヒー。一触即発の場で投げ込まれる脱力シーンに、過酷な現実との接点を置く。

このホンの繊細なニュアンスを表現することは容易ではない。映像を主な活動の場とする役者たちはその表現に長けていて、スズナリの距離感はそんな芝居に向いている。あてがきであろう役を、演者が楽しんで演じているようにも見える。作家から自分はこう見られているのか、じゃあ自分に潜在的にあるのだろうその資質を引き出して拡大してみよう。新井浩文のひとたらしっぷりと、修羅場における凪いだ身がまえ。皮膚一枚下に潜むすごみ。実は連想したのは菊地成孔。村岡希美の声によるものがたりは、現実を侵食する催眠効果がある。こちらも連想したのが菊地成孔、こええなおい。井端珠里がとても印象に残った。甲斐性のない男を責める図式になりがちなやりとりを、声のトーンと間合いで多層的なものにする。ふたりが過ごした長い時間を観客に想像させる。

鳥に名前はない。人間が名前をつけるのだ。ものに名前がつくとひとは安心する。同時に息苦しさを抱え込む。窒息しそうな世界に生きるひとびとを活写する劇作家は、名前にかわる言葉を探し続ける。

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・そうそう、赤堀さんは不器用にあたふたするおっちゃんおばちゃんの恋心を描かせると絶品なので(『葡萄』とか好きで好きで)、今回それを観られてうれしかったです。かわいいいやらしさ

・選曲からイメージされたのかもしれないけど、ところどころジム・ジャームッシュ作品を思い出すようなシーンがあった。喫煙シーンの沈黙とか。そういえばジャームッシュには『パーマネント・バケーション』という映画がある。六畳間のジャームッシュ