初日 最新 目次 MAIL HOME


I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
kai
MAIL
HOME

2016年01月31日(日)
『私の愛、私の花嫁』

『私の愛、私の花嫁』@シネマート新宿 スクリーン1

原題は『나의 사랑 나의 신부(私の愛 私の花嫁)』、英題は『My Love My Bride』。本国では2014年に公開され、日本での上映はもうないかな〜と思った頃に劇場公開となりました。スクリーンで観られた〜しかも大きい方で〜(シネマート新宿のスクリーン2は視聴覚室規模。それがうらぶれててよいときもあるが)、やー、有難いことです。

普段は観ないであろうジャンルの作品なんですが(笑)チェックしていたのはチョ・ジョンソクが主演だから。『観相師』『王の涙』で壮絶な人生を演じた役者さんです。観た順番が前後したので、『建築学概論』を観たときには「ふつうの子(つってもまあ、妖精みたいなポジションだったが)を演じてるのをやっと観られた! この子にも穏やかな人生があった!」と涙ぐんだ(心象)ものです。いやーもうたいへんだったんだもの、歴史大作で自責の念に駆られて喉を掻っ切ったり暗殺者に育て上げられた天涯孤独な身の上だったりとかさ……。

今回は現代劇のラブコメ。新婚さんがちいさな幸せをつみかさね、同じくつみかさなったすれちがいの上に爆発した不和を乗り越え、絆を深めていくほろにがよい話でした。オムニバス形式で、夫と妻がそれぞれ出会う人物との交流を通し、長い人生をともにくらす伴侶について考えさせられる。どちらにも長所があり短所がある。どちらも家の外…仕事先や友人たちとのつきあいで楽しい思いをしたり悔しい思いをしたりする、そして家に帰ってくる。話したくないこともある、でも話さなければ伝わらない。逆に言葉を交わさなくとも伝わることはある。

映画やドラマのよいところでもありますが、打ち明けられなかった悩みの原因を、当人の知らぬところで相手が知る出来事が必ず起こります。それを都合がいい、といじわるな目線で見る気持ちにならないのは、そういうこともあるかも、というさじ加減が絶妙だから。そして夫も妻も、周囲のひとびとに助けられて成長していく。結婚によって諦めていた、あるいは中断していた夢を少しずつ実現していく。夫が尊敬する詩人と偶然出会い交流を深めていくのも、妻が仕事先の生意気な生徒からちいさな一歩を踏み出すきっかけを受け取るのも、本人たちの素直さを反映するエピソードが随所にちりばめられているので嫌味にならない。脚本家と監督の優しさが伝わるなあ。いやーホント、現実もそうあってほしいよね……(おのれを振り返る)。

しかしこの映画が甘いだけで終わらないのは、コミュニケーションを怠った代償を払うことになるところ。それは今後の長い人生、何度も起こるであろうと暗示があるところ。受験を前にした十代の女の子、残りの人生を静かに過ごす老人。過去と未来から、夫と妻は現在を見つめる。

台詞のやりとりも、画面の切り替わりの編集もテンポがよい。新婚時代何度も繰り返されるズボン脱ぎ(ももひき履いてたりしてるとこが寒い地域を連想させていいね!)のシーンもよかったなあ。ウケたウケた。モノローグというか心の声も程よく、説明過多にはならない。だいじなシーンは役者の表情をしっかり見せ、観客が心情を感じとれるようになっている。主演のふたりがとにかくかわいらしく、根はいいヤツってのが伝わります。周りが助けてあげたくなる、そして相談に乗りたくなる。このひとたちには笑顔でいてほしい、と。

妻役のシン・ミナって『甘い人生』のファムファタルだった子か! 役柄のせいかもしれないが、このときはまだぽやーんとした印象でした。今は顔立ちがしっかりしてきたというか、意志の強さを感じさせる表情が印象に残りました。そんな子が弱って泣いたりするとねえ、もうショックで。ジョンソク(役ですよ、役)気付けよ! おめー自分勝手すぎるだろー! と味方したくなりますね。で、夫役のジョンソクくん。この子(と言いたくなる)は静止画より動画が断然よい……動きが綺麗なんですよ。クローズアップや編集が出来ない舞台出身だからなのか、全身を見られる意識があるように思う。しかしそれとは別に、動きから表情からまー愛嬌がありますわ。ごはん食べ乍ら詩人の話を聞いている斜め後ろから撮ってるショットで、もぐもぐ動くほっぺたの愛らしいこと。チャームだわー。そういえば劇中このMoMAの傘使ってた。お気に入りなのか、もはや私物なのか。私の傘もこれなんで嬉しかったわー。ベタなペアルックにもつい微笑んでしまう、本当にかわいらしい夫婦でした。そうそう、女優さんの方のファン・ジョンミンも出ていましたよ。

登場人物が、身近にいる友人のように思えてくる。愛すべき良作でした。

-----

・輝国山人の韓国映画 私の愛,私の花嫁
作品紹介、データベース等。いつもお世話になっております

・映画『私の愛、私の花嫁』公式サイト
日本の公式サイト



2016年01月30日(土)
『客 손님』

『客 손님』@La Keyaki

『From the Sea』のソ・ヒョンソク新作。前作同様、観客は演者とほぼ一対一で作品に参加する。観客は演者の演技、質問に応じて動く。よって作品は皆違うものになる。今回はIAFT参加作品としての上演で、30分弱の短編。自分に起こったことを書く。

twitterで公演を知り、webで申し込み。この経過も面白かった。ある日突然、見知らぬアカウントからフォローされていたので辿ってみると公演告知のアカウントだったというわけ。いやはや、12月の慌ただしい時期だったので、フォローされなかったら公演のことを知らないままだったかも。気付いたのチケット発売当日でしたし! 有難うや有難や。

当日が近付くにつれ会場が発表され、地図や受付方法等がメールで届くようになる。リマインドも何度か。実券が手元にないので定期的に届くお知らせに安心感も得る。全てがPCやモバイルのなか、という実感のなさは、この公演には似合っている。終わったら記憶だけが残る。会場となるLa Keyaki(ラ・ケヤキ)サラヴァ東京に何度か行っている縁で知ってはいたが、実際に足を向けるのは初めて。前日またもや雪になるかもという予報。遠足みたいに中止や延期になることってあるんだろうか。いやでも今回は屋内だし…と思いつつ、まめにメールやサイトをチェックしてしまう。

雪は降らず当日に。それでも早めに家を出る。何しろ自慢になる程の方向音痴、しかし普段うろうろしているエリアの近くだったので無事到着。丁度参加を終えたらしい女性が出てくるのが見えた。受付時間にはまだ早い、周辺を見てみるか。ラ・ケヤキだけでなく、古い家屋が沢山ある。よく通っている大通りからちょっと入ったところに、こんな静かな場所があったとは……と、しばらく散歩。

受付時間になったので戻る。門扉は閉じている。ベルは鳴らさず入ってくださいとある。ひとの気配が全くない(ようにとにかく静かだった)。上演会場だと認識してはいても、何しろ見てくれはまったくのひとんち。黙って勝手に入るのはやはり気がひける。そおっと入ってちいさな声でこんにちはーと言うと、スタッフの方が出てきてくれた。まず靴を預ける。peatixで用意されたQRコードは使わず、口頭で氏名を確認。こういうところ、公演を観にきたというより家に招待されたような気分になってもう楽しい。荷物を預け、クレヨンと紙で自分の似顔絵を描き、ヘッドフォンを装着。声に耳を傾ける。捨ててしまったこども。それは捨てられたり忘れられた自分かもしれないし、自分が捨てたり忘れた何かかもしれない。観客の自分はこの家に招かれた客でもある。そんなことを想起させるナレーション。その後聴こえてきた指示に従い、ヘッドフォンを外して部屋を移動。

訪れた部屋は受付を入れると五つだったか。こども(らしき人物)と対面し、二階の暗闇につれていかれ、寝室で自分(の似顔絵を顔に張った人物)と出会い、名前を呼ばれるまま階下へと降り、がらんとした和室(こういう場って自然と正座になりますね)でこどもと、手鏡の中の自分と向き合う。これが意外と怖くてですね……恐怖体験をさせる、という意図ではないことは伝わるのだが、それでも怖い。家具や調度品が軋む音(自然発生のものもあるけど、意図的に鳴らされるものは確かにあった)、風に吹かれるカーテンの向こう側に現れる黒髪のこども、そこから聴こえる途切れ途切れの言葉。この日は映画『残穢』の公開日で、前日迄やたらとCMを目にしていたこともあり「これ、そういうのじゃないよね? そういうのじゃないのよね?!」としばらく混乱する。

恐怖感は暗闇の部屋がピークだったのだが、ここで鳴らされたいくつかの音にすごく救われたというか、そこからリラックス出来た。アニメの登場人物がずっこけるときに使われるような効果音。想像されるものが一気に拡がった。そうだった、こどもの話だ。自分か他人か、こどものことを考えるんだった。ここからは自然と展開に身を委ねることが出来た。

この手のつれまわし演劇(なんだっけホントはサイトスペシフィックアートって言うんですっけ)は、ひとを信じることが基盤になるので、そこを越えられないと恐怖や猜疑心しか残らなかったりする。だいたい怖いじゃないですか、知らないとこ行って知らないひとと会ってって。しかも一対一、密室だったりすると。『客』にも『From the sea』にも、相手や設定を信じるための入口や装置があった。しかしそこから没入出来るか、というのはまた別の話。今回は時間が短いということもあり、ナレーションやこどもの問いかけにじっくり応える余裕がなかったのは確か。

それでも最後、こどもが消え、障子が開き、視界に庭が拡がった瞬間の気持ちは忘れがたい。大木とそれに片方だけ繋がれた古びたブランコ。あのブランコで遊んでいただろうこどもはどこに行ったのだろう、この家屋の住人はどこにいったのだろう。上質な短編小説を読んだような余韻は他ではなかなか得られないものだった。

さて、ここからが面白い体験。恐らく他のひとには起こらなかったことだ。強調しておきますが、これクレームじゃないですからね! ある意味ラッキーだと思いましたし、それを楽しむことも出来ました。

和室と庭の間にある廊下には、かわいらしいバッグが置いてあった。近付いてみると、チラシが二枚と、あいさつが書かれたメモもある。あ、終演なんですね。えーと、どうやって帰ればいいのかな? 濡れ縁には靴も並べておいてある。このバッグ…おみやげかな?(ちがう)さっきのこども、確かちいさなバッグ肩にかけてたよな。それかな?(ここで相手をよく見ていたつもりでも実際には細部を見落としているなあと気付く)靴もあの子の……いやいや、屋内だったから靴下のままじゃなかったか。この靴を履いて庭に出ろってことか? しかし私の足のサイズは24.5cm、この靴絶対入らない(目視では22cmくらい)……数分廊下と和室をうろうろし、どうにもこうにも訳がわからなくなったので受付に戻る。既に次のお客さんが到着していたようで、スタッフさんが慌ててやってくる。バッグと靴を見せ「これ、どうすればいいんですか?」と訊くと、控室から私の靴とバッグを出してきてくれた。あっ成程、ホントはあそこに自分の荷物と靴が置いてあって、そのまま帰る設定だったのか! 作品のバグを見付けたような気持ちになった。

上演時間は20分、開演は30分毎となっていたので観客同士が鉢合わせすることはない。しかし好評につき追加公演も出たそうなので、オペレーションとしてはギリギリだったのだろう。遅刻する客がいただろうし、似顔絵を描く時間が長くなってしまうひともいたかもしれないし、部屋間をゆっくり移動するひともいただろう。ここで急かしてしまっては、作品として成り立たない。そしてその性質上、参加した誰ひとりとして「私は正しく時間を守り、完璧に動きました」とは言い切れない。正解はないのだ。だからこそ、公演が最後の一回迄無事に終えられるよう、作品に参加し協力する意識が必要だ。そんなこと知ったこっちゃないというひともいるだろうが、本来演劇というは、演者と観客の協力によって成立するものではないか。

誰もが目にすることの出来るwebでの公演告知は、悪意ある観客(もはや観客とも呼べない者)が紛れ込む可能性もある。マナーは性善説、ルールは性悪説からと言われるように、情報の拡散速度はマナーが浸透する迄の時間をやすやすと追い越してしまう。よってルールを設けることになる。何故そうするのか、と考えないで済むようになってしまう。

念のため書いておきますが、見知らぬどなたかのバッグは開けませんでしたし靴も履きませんでしたよ。これはひととしてのマナーだなー。……とはいうものの、帰り道自分のバッグから何か紛失してないか確認してしまった。勿論なにごともなかったです。そうなんだよ、私はこの作品を上演したひとたちと参加したひとたち、皆を信じたい。このご時世甘すぎる、バカだと言われようと。

今回遭遇したハプニングから、改めてソ・ヒョンソク作品は「ひとを信じる」ことが重要な要素なのだなあと思った。コンサート会場がテロの脅威にさらされるような現在にあって、これは弱点になるかもしれない。しかしその弱点こそを愛おしいとも思ってしまう。考えてみれば観客よりもスタッフ、演者の方が怖いのではないだろうか。最低限のルールのもと、受け手側のマナーを信じきる作品を上演する。どう反応するか全くわからない客を、幕切れ迄つれていかねばならない。その労力はひしと感じたし(特に隠れて家具をみしみしいわせたり風を吹かせたり霧をつくったスタッフには、職人が寝てる間に木靴を作ってくれるこびとを彷彿させた……)、その仕事ぶりにも感服した。日程にしても公演数にしても、今回くらいの規模が限界なのではないだろうか。需要と供給のバランスの難しさを思う。

思えば『From the sea』も、本来は異性と設定されていたパートナーが同性だったし、ソ・ヒョンソク作品ではイレギュラーな体験をする縁があるようだ(笑)。次回も楽しみにしています。

-----

その他。

・「客」- Togetterまとめ
『From the sea』もそうだったけど、積極的に感想を読んだり書いたりするひとが多いように思う。他のひとはどうだったか、気になりますもんね

・「自画像」ではなく「似顔絵」と指示されたのは、自画像だと全身描くひとがいるかもしれないからかなあ。全身描いたらお面つくれないもんね(笑)

・今回演者は全員女性だったようです。女性の観客はあのこどもを自分のこども時代として見ることも出来るが、男性の場合は選択肢がひとつ減るかも?
・そこで思い出したこと。『From the sea』はパートナーが異性であることが前提としてあったそう(※1を参照)だけど、このとき受け手側が同性愛者だった場合どうなるのだろう、ということ
・上演側の「信じていること」、ここにもヒントがあるかもしれない。そしてこれも弱点かもしれないな
・しかし、観客はそうした上演側の想定外を楽しむことも出来るのだ。これは常に心に留めておきたい



2016年01月28日(木)
『夫婦』

ハイバイ『夫婦』@東京芸術劇場 シアターイースト

ハイバイ界隈では有名、あの夫婦の話です。というか、岩井秀人の両親の話です。ハイバイの代表作『て』に登場した、あの父親。

赤裸々派とでもいおうか、岩井さんは自分のことを書く。自分の家族のことを書く。彼の雑誌連載やtwitterを定期的に読んでいると、そこに書かれたことが舞台に載っていることに気付くことがある。ああ、これはあのとき書いていたことだな、作品に吸収したな。出演者のマネジャーがすっごい無礼だったエピソード、あの公演のときツイートしてたなあ、てことはあの事務所かなあ、とかね(笑)。そのうち「岩井さん」や「岩井さんち」を知っているような気分にさせられる。そうそう、お葬式は教会だったね。おばあちゃんが亡くなったときもそうだったもんね。「おまえはこいつに何をしてやってんだよ」と父に問われた母の答え、あれが岩井さんに果たした役割を知っている。爆笑し乍ら胸がつまる。

しかしこれらが全て本当のことだと信じきることは危険でもある。岩井さんは作家だからだ。本当だから面白い、ではないのだ。

たとえば『て』や『ヒッキー』シリーズには登場する末っ子が、今回はいない。あれ? 岩井家って四人きょうだいじゃなかったっけ? それとも末っ子に深刻な話はやめておこう、という暗黙の了解の末、ハブにされた=今回のストーリーには登場しないのだろうか? ちいさい末っ子に親の余命は言いづらい。可哀相だし黙っておこう。いやいや、末っ子ももういい大人だろう。しかし? そんなことを考えたのは、かつての自分がそうだったからだ。岩井家の父親の病歴がウチの母親と重なっていたことも混乱の原因になった。結核やってて肺ガンで。あと三年で自分は母が死んだ年齢になる。そこ迄いけたらあとは余生だ、のんびりしよう。いやいやおまえいつものんびりしてるだろう。そんなこと迄考えた。

こんなふうに、つい自分のことに紐付けてしまう。自分の家族について考えざるを得なくなる。観たことが全て自分に跳ね返ってくる。ここに、作家としての岩井さんのキモがあるように思う。家族を、他者を、生死を認識する作業。

ハイハイからバイバイ迄とはよく言ったものだ。岩井さんの作品にはいつも死(「て」に敬意を示して?「し」とでも呼ぼうか)が存在している。それは登場人物だけではなく、観ているこちらにもやってくる。いつのまにか、隣に死が座っている。『て』で母親が見る光景。肩を組んで「リバーサイドホテル」を熱唱する家族。有り得ない光景、熱望した光景。今作にそんな場面はあっただろうか? 病が判ってからの父親の言動が変わったこと。これが母親と次男が見た白昼夢だったら?

先述の無礼マネジャーの電話を切ったあとの捨て台詞「いつか絶対どっかに書いてやっかんな!!!」(爆笑。演じた菅原永二、岩井さん再現度素晴らしかった。乗り移ったかと思った)に再び思い出す。岩井さんが描く家族に、書くことに、柳美里のそれを連想するのだ。書いてやる、作品にしてやる。おまえが俺に対してやったことを。だいきらいだ、殺してやりたい、死んでしまえ。わたしは絶対に許さない。書いて、晒して、笑ってやる。そこに人間の滑稽さを見出し、哀切を見出す。笑いにしないでやってられるか。という叫びのようにも感じる。

今回はそれに受容が加わった。いや、それはもともとあったのだろう。作品の性質により露になったと言うべきか。父親の存在を認める、といったほうがいいかもしれない。ここが柳さんとの違いかな、とも思う(どちらがいいわるいの話ではない)。きょうだいたちは「(いつか)寝てる間に(父親を殺そう)」を合い言葉に日々を耐える。妻は夫に「家を担いで出て行け」と言う。そこ迄憎んだ相手は、社会的には立派な人物だった。彼のそういった面を認めるべきだろうか。妻はその功績を自身の身体で確かめ、次男(=岩井さん)はこうして作品にした。

死んでしまったから仕方がない、あいつがいなかったら俺は生まれなかったことになるし。認めるしかない。俺(というより、彼と数十年をともにした母親だろうか)の人生を肯定したい。しかし葛藤は消えない。だから岩井秀人は舞台上で三人の人物(岩井秀人役、小岩井秀人役、岩井秀人本人)となり、作家として複眼的に父親とその家族を見ようと試みたのではないか。取材を進めてみればそれなりに楽しい時間もあったようだ。結婚迄の不器用な交流、新聞紙で顔を撫でるとこどもが寝る(このシーン好き)発見、そんなエピソードが今後もたくさん出てくるだろう。認識の作業はこれからもずっと続くのだと思う。

こんなふうに言えるのは、こちらが第三者だからだろう。では、自分はどうだ? そう思わせる。これが岩井作品の特色でもあり凄みでもあると思う。認識する作業に参加しようぜ。「人の『死』と、それにまつわる風景が、もっと開かれたものになったらいいな、と。」当日配布のパンフレットの言葉が、心に残った。

ディテールの細やかさは毎回見事。棺桶のグレード、弔辞と言った現場では笑えない葬式あるあるが楽しい(そう、楽しいのだ)。ハイバイブランドの雑な女装、そのオールマイティぶりに改めて感心。滑稽にも哀愁にもなる。母親を演じた山内圭哉のスキンヘッドがああいった形で役に立つとは…登場時は「スキンヘッド(辮髪あり)の男性がヅラを被って母親を演じる」笑いとして、後半は抗がん剤の副作用を示すものとして。瞬時に死が身近に迫り、冷水を頭から被せられた気持ちになる。山内さんのスネのスミがスカートの裾から見える度、「夫にどんなに暴力ふるわれてもおかあさん強いもんねスミ入ってるもんね!」なんて思ったりもした。このワンクッションには随分救われた。予想外に山内さんのお腹がぷよぷよしてたのにはショックを受けたが、いやいや、役作りかもしれん(笑)。

父親役の猪俣俊明、姉役の鄭亜美、兄役の平原テツのなりきりぶりには舌をまく。勿論ほんものの岩井家を知るはずもないのだが、「そうとしか見えない」。田村健太郎演じる小岩井のそっくりっぷりには笑った。最前列だったんだけど、それ程近くで見ても似ていた。岩井さんが箱庭に置いていく岩井家のひとびと。家族を認識する作業が今後作品になるかはわからない。でも、なるなら観ていきたい。



2016年01月27日(水)
Joanna Newsom Japan Tour 2016

Joanna Newsom Japan Tour 2016@キリスト品川教会 グローリアチャペル

うええええん素晴らしかった〜! 前回の来日は日程の都合上UNITのみの参加だったので、こういったホールで彼女のライヴを観るのは初めてです。念願叶った。教会に入るだけでなんだか静かな気持ちになりますよ…殺伐とした仕事のあとで、ささくれだっていた気分がおさまった……。開演前の諸注意もなく、時間になったらすうっと照明が暗くなって始まった。なのに携帯とか全く鳴らなかった。あたりまえのことの筈だけど、近頃こういうのってなかなかない。無神論者であろうとも敬虔な気持ちになる、という場所の効果もあったように思います。

五人編成、メンバーはこちら。ジョアンナを筆頭に全員がマルチプレイヤー。ジョアンナはピアノもキーボードも弾き、ミラバイとヴェロニクはヴァイオリン(ジョアンナが紹介のときに言っていたけどヴィオラもやってたかな?)もコーラスも担当、キーボードはヴェロニク以外全員が演奏。ライアンはギターもバンジョーもマンドリンも。あとカリンバとかも使っていたかな。曲によってメンバーがステージをあちこち移動、カウントはとらず、最初に音を出すひとがコンダクターという感じ。この阿吽の呼吸も絶品でした。

音響はアコースティックとエレクトリック、オンマイクとオフマイクのバランスがうまくとれない場面もあってちょっと大変そうでしたが、中盤には収まってたかな。出処が謎のハウリングが何度か起こり、これは最後迄解決されなかったので残念。メンバー皆が「わたし? おれ?」てな感じで何度もキョロキョロしてたのはかわいらしく映ったけどストレスだったのではないかな。二日目は改善されてるといいー。

女性陣は皆ムームーみたいなカラフルなワンピースでかわいい。ジョアンナはキャミワンピみたいなノースリーブで、暖房が入ってはいるけど天井が高く抜けている会場だし、寒くないのかな? と思う。しかし演奏が進むにつれ、それは無用な心配だと気付く。というのも、グランドハープの演奏は本当に力仕事というか、たいへんな重労働なのだというのがまざまざと感じられたから。前回のUNITは満員のスタンディングで、演奏する姿が殆ど(というか全く)見えなかったのです。今回落ち着いてじっくり演奏を見られたんだけどこれは…どこに力を入れどこで抜くか、それをコントロールするための筋力はどこに必要か、といった技術をしっかりつけておかないとあっというまに腱鞘炎になるだろうな。いや、手、腕だけでなく肩や背中、腰…全身に気を配り、ケアしていないとこれはたいへんだ。というのが素人目に見てもありありと解るのです。

しかも彼女の場合、弾き語りのスタイルなのでずうっと弾きっぱなし。そして一曲が長い。楽曲や歌声の美しさに聴き惚れ乍らも、その強靭な演奏が持続することに驚嘆しきり。そしてその姿はあくまでも軽やかなのです。いやもう、本当にすごい。アスリート、という印象はやはり変わらないままでした。翌日こんなツイートを見つける。「(ツアーは)すっごく楽しい。だって練習しなくてもいいから。家にいるときは練習と作曲で1日が終わる。それを何十年も続けてる」。ハードワークの賜物だよなあ……ひたすら聴き入り、拍手をおくる。

新譜ではますますケイト・ブッシュみたいになってきたなあ…と思っていた歌声ですが、ライヴで実際聴いてみると結構違う印象。はっとしたのは、ロングピッグスというかクリスピン・ハントの声にすごく通じるものがある! 喉の奥から出すような/喉を締めるような発声、高音の丸み、語尾の唄いまわし。途中で気付いて声あげそうになったよね……クリスピンの唄い方好きなひとは合点がいくのではないかしら。誰か両方聴いてるひと知らせてー! やークリスピン、今では隠居状態だから飢えてるんですよね…マイペースでもいいから作品は発表し続けてほしい〜。

閑話休題。そんなこんなで聴けば聴く程心がほぐれ、うっとりとした気分になりつつもピンとはりつめたような演奏に気がひきしまる。という相反しているようなライヴでした。登場したときや曲が終わるごとに、そしてチューニングタイムにも拍手がわくような雰囲気のなか、その都度てへっというように肩をすくめてちいさな声でthank you、とかドモアリガト、というジョアンナに骨抜きです。最後の曲ですって言ったときいやだー終わらないデー! とわんわん泣きたくなったくらいです。まじで。いやほんと、終わっちゃうときはさびしくてじわ〜と涙が出ましたよう。なごりおしい〜。アンコールではステージを控えめに照らしていたちいさな電球仕様の照明に彩りが加えられ、そんなさりげない演出も胸に迫るものでした。ダブルアンコールの拍手が長く続いていましたがそのままおひらき、高揚した表情で出ていく観客たち。とてもとても、特別な一夜。

それにしても、この手のアーティストをインディーベースで招聘するのってたいへんだと思うのね…グランドハープの運搬費を考えるだけでもびびるし(菊地成孔がしょっちゅう言ってるのが刷り込み)。前回呼んでくれたコントラリードは今では開店休業状態なので、Sweet Dreamsさんには感謝ばかりです。呼んでくれて本当に有難う〜! スタッフさんたちもとても感じのいい方ばかりでした! オリジナルチケットとか、そういう気配りも嬉しい限り。物販コーナー(P-VINEのスタッフさんかな?)もとても感じのよい対応でした。

-----

セットリスト(setlist.fm

01. Bridges and Balloons
02. Anecdotes
03. Soft as Chalk
04. Divers
05. Emily
06. Waltz of the 101st Lightborne
07. Have One on Me
08. Peach, Plum, Pear
09. Goose Eggs
10. Sapokanikan
11. Leaving the City
12. Cosmia
13. Time, As a Symptom
encore:
14. Baby Birch
15. Good Intentions Paving Co.

(大阪はこうだったらしい。結構違うな〜東京も二日目は変わるかも。ああ両日行きたかった!)

-----

・【ライブレポ】ジョアンナ・ニューサム|L-TIKE HMV NEWS
28日のレポート。27日のライヴ写真も載ってます

・take me to the airport
アートワークを手がけた山口洋佑さんの作品はこちら。フライヤーだいじにとっとくんだ〜

・[FEATURE] ジョアンナのヴィジョン〜Joanna Newsomの5年間 | Monchicon!
ジョアンナを積極的に日本で紹介してくださっているモンチコンさんの記事。読み応えあります

・Sapokanikan


・Divers


ポール・トーマス・アンダーソンがディレクションを手掛けたMVもおいときましょ。『インヒアレント・ヴァイス』の縁ですね。ううう、何度観ても「Sapokanikan」のラストシーンは涙ぐみそうになる〜



2016年01月23日(土)
『書く女』

二兎社『書く女』@世田谷パブリックシアター

永井愛が描く樋口一葉、10年ぶりの再演。初演は逃しています。10年前に書かれた作品であり乍ら現在が投影され、一葉の没後120年であり乍ら状況はさほど変わっていないようにも映る。しかし同じことが繰り返されているようで、ほんの少しずつでも、何かは変わる。そう感じさせる、そう信じたくなる、光のような作品。

作家になると決意した一葉が半井桃水を訪ねる開幕から、桃水と別れ、死の影がしのびよる晩年なおも書き続ける終幕迄。一葉は迷いに迷い、苦しみに苦しむ。それは創作という行為に因るものに限らない。若くして戸主となったこと、家庭の貧窮、そして何より女性であること。しかし彼女は120年前の明治時代に、女性で、もの書きで、成功を収める。発表する作品は次々と話題になり、表札が何度も盗まれるほどの人気を得る。では、それにも関わらず彼女の暮らす環境が好転しなかったのは何故だろう。彼女が女性だったからか? もの書きという、評価と対価に隔たりのある職業のためか? どちらも今とそう変わりがない。

もの書きは食いつめた者が選ぶもので、本名を名乗ることなんてとんでもない、という職業。女性というだけで珍しがられ、作品の深層へ迫る読者がいないという歯痒さ。差別的なこのふたつの偏見を、一葉は5年足らずで更新していく。社会をちくりと刺す志を持つ同志が現れ、性別を超えたところで作品を読みとく批評家が現れる。日々の状況はかなり過酷。しかしそこには軽やかさがあり、笑えるやりとりがある。「楽しい」という一葉の言葉が印象に残る。彼女の24年の人生を彩る「楽しい」ひとときは、現代を生きるひとたちとなんら変わらないものだ。

士族の誇りを捨てきれず、金がないのに見栄を張り、貧乏を嘆き娘をののしり、時流と大衆に流され戦争を賞賛する母。その母と姉との間に板挟みの妹。慈悲心溢れる信仰者ゆえ慣習を守り通す友人、詮索と噂が大好きな友人。女で母で働き手、その多様さ柔軟さと同様自身の芯が揺らぐ作家の先達。しかし一葉はどの人物も否定しない。母と友人菊子はその否定されない理由が多少弱い(特に菊子は、噂を流した原因が一葉の才能への嫉妬か桃水への恋心からなる邪見か理解しづらい)が、その不可解さこそが人間くささ=魅力として、一葉の書く行為の肥やしとなっている。自分とは違うが、という解釈で、一葉は彼らに感謝を述べる。

その感謝は最後、桃水との対話に現れる。小説の師であり、「厭う恋」の相手である桃水。一葉を弟子として迎え、小説家としてひとりだち出来るよう道を開き、男女の仲やコネがらみと世間に邪推されないようにと心をくだく。ジャーナリストとして高い評価を得、釜山の友人たちを大切にし、母国と隣国が友好的に歩んでいけないものかと悩む。仕事場に訪ねてきた一葉におしるこをふるまい、弟妹の子を養子に迎えかわいがり、人形を愛でる一面も。非の打ちどころなど見付からないような人物だ。それなのに一葉は桃水自身の言葉ではなく、悪い噂の方を信じる。ふたりが逢うときはいつも雨で、ときには雪にすらなる。おおよそ暗示的でもあり、ドラマ性すら孕む。一葉が作家たる所以を示すようなエピソードだ。桃水にはただ、ただ作家としての才能だけがなかった。しかし彼の存在は、作家・一葉の礎となった。桃水との「楽しい」ひととき。彼が作る小豆20粒ほどの透けたおしるこのおいしさ、「30分、20分、いや、15分」と彼女をひきとめる言葉。劇中くりかえし放たれる台詞だ。彼との日々を一葉が思い出す終盤のシーンには涙が出た。舞台には大きな階段。彼女の人生の苦難と、成長を示すかのような印象的な装置だった。

一葉を演じる黒木華が本当に素晴らしかった。登場してほどなくやぶにらみ、その人物イメージを決定づける。舞台で表現するには地味な動作である書くという行為と、作家が他人に見せたくないであろう(ブラックボックスともいえる)文章を絞り出す最中の様子を鮮烈に見せる。遊女について書くときの、筆を煙管に見立ててとるポーズに息を呑んだ。これから書く登場人物が降りてきた錯覚を起こす。暗闇の舞台にひとすじのピンスポット、そのなかで背中をまるめ、ひたすら書く彼女。「書く女」一葉の孤独が迫ってくるかのようだった。25歳でもはや手練の域だが、思えば一葉は24歳で亡くなったのだ。桃水を演じた平岳大は艶のある人物像。包容力あふれるおおらかさとフェミニンと。あーこりゃもてるわ(笑)。一葉の恋の相手は彼でなくてはならなかった、と思わせられる説得力。木野花演じる母親はムカムカするくらい時代の女、なのにあの愛嬌には参る。愛嬌といえば「すね者」一葉の理解者である斎藤緑雨役、古河耕史もいやみが憎めない人物像。

一葉に「楽しい」時間を運んできた橋本淳(平田禿木)、山崎彬(馬場孤蝶)、兼崎健太郎(川上眉山)のトリオもいいコンビネーション。一葉とともに時代、社会、そして人生を見せていく朝倉あき(樋口くに)、清水葉月(い夏=伊東夏子)、森岡光(野々宮菊子)、早瀬英里奈(半井幸子)、長尾純子(田辺龍子)は女性の悩みと喜び、弱さと強さを示してくれた。誰もが欠かせない。

劇中曲と演奏は林正樹(だったのよ〜!)。効果音を表現する即興的な演奏も。穏やかに作品に寄り添い、なおかつ心に残るメロディの数々。パンフレットで「演劇の音楽を作曲も演奏も全て任せてもらえるのは今回の『書く女』が初めて」と仰ってたけど、初演にはピアノ演奏はなかったのかな。

最後の台詞、「さあ、次は何を書こうか」。希望に満ちた言葉だ。そう間をおかず彼女が人生を終えることを知っている120年後の観客は、今も彼女の作品が読み継がれていることも知っている。ふたつの時代を俯瞰出来る。こんな「楽しい」ことってあるだろうか。この物語を世に出した作家、舞台に載せたスタッフ、ここに立つ出演者、そして樋口一葉に心からの拍手をおくった。雪が降るかもしれないという日に観られたことも、素敵な思い出。

-----

その他。

・asahi.com|樋口一葉と半井桃水―東京・平河町

・プログラム、永井さんの対談相手が本谷有希子。タイムリ〜
・一葉の脳内でさまざまなひとの言葉がぐるぐるするシーン、桃水の「野山に行こう♪ 寄席に行こう♪」の描写がカラフルメリィの「俺には良心がないのか!」を彷彿する演出でブルブルした…天使と悪魔が出て来て同意見だったってシーンね
・いや〜それにしても平さんはなんでこう、すっごい理知的に見えるときとアホの子に見えるときとあるのだろう……好き! 上記の台詞も「♪」が見えるようだったわよ

・ところでSePT、1Fロビーのカフェがmixture(下北沢のパン屋さん。好き)になってたのね! いつも開演ギリギリ着で休憩時間はトイレに並ぶから知らなかったよ。雪を用心して早めに着いた今回初めて気付いた……次回は利用したい!



2016年01月16日(土)
『元禄港歌―千年の恋の森―』

『元禄港歌―千年の恋の森―』@シアターコクーン

蜷川幸雄と秋元松代のタッグは、頻繁に上演されていたときはまだ小僧だったので逃したままだった。昨年の『NINAGAWA マクベス』もそうだが、蜷川さんが大劇場の空間をインパクトと美で埋め尽くしていた頃の演出をこうしてまた観られることは嬉しい。遅れてきた観客を、列車に飛び乗らせてくれたという感謝すらある。

つらいストーリーで、一刀両断すれば猿弥さん(の役)がそんなことしなければよう……というものだ。個人的には苦手な話でもある。しかし、秋元×蜷川はさまざまな角度から光をあて、登場人物の隠された、やりきれない思いを浮かび上がらせる。大衆が街を行き交う、その賑やかで生命力に溢れる光景の美しさ。瞽女たちの歌。溌剌とした娘の声、夫を許せない妻の声、はなればなれになった家族が再び手をとりあう姿。大きな犠牲を伴った末の安らぎの影には、打ち捨てられたひとびとがいる。弔われることを許されなかった人間がいる。懸命に生きているからこそ、その歩みには傷が生まれる。誰にも気付かれず消えていく、その傷や思いを丁寧に掬いあげる。

この作品には、ひと知れず忘れられていく傷を見つめるまなざしがある。あなたを見ている、それに気付いているという存在は、ひとびとを弔い続ける作業でもある。そんな存在があると思えることはどこかで救いになる。情念深い物語にあって、気っ風のよい啖呵、決め台詞のキレは、悲劇にカラリとした道理を持ち込む。

敢えて予備知識を入れていかなかったのだが、驚いたと同時に嬉しかったのはこの物語のモチーフに「葛の葉」が用いられていたこと。『亀博』で観た、齋藤芳弘氏による写真がとても印象に残っていたのだ。妖艶で美しい、そして悲しみをたたえた狐の化身だ。亀治郎さんが猿之助を襲名したとき、彼の演じる葛の葉は当分観られることがないだろうと、その上演を逃したことを悔いたものだった。思わぬ形で機会が訪れた。猿之助さんを筆頭とする歌舞伎組と、現代劇≒時代劇として演じる面々の混在は、雑種の力強さがある。不思議なことに、女形と女優が向き合い言葉を交わしても違和感がない。白狐が宙を舞い、はかなさとあっけなさの象徴である椿は絶えずこぼれ、照明がその美しさをより際立てる。スタッフには故人も名を連ねている。彼岸と此岸を行き来しているようにすら感じる。長い暗転のなかに、もうここにはいないひとたちの姿を探す。

個人的には段田さんの演技に引き込まれました。歳下である猿弥さんと猿之助さんの息子役、自分でも笑っちゃうと仰っていましたが、同時に「これが芝居の醍醐味」でもあると言っていた。確かにそのとおり! プログラムで当人たちが絶賛していた(笑)宮沢さんと段田さんのラブシーンも情熱的で素晴らしかったです。猿弥さんと新橋耐子のコンビもよかった。大石さんをはじめとするニナカンメンバーもよい仕事っぷり。

これを書いているのは22日。蜷川さんの体調が思わしくなく、『蜷の綿』の公演延期が発表された。前日、さい芸の年間スケジュールが届いた。2017年の『近松心中物語』とともに、『ハムレット』9演目が発表されている。恐らく新しい演出になるだろう。過去の成果を確認する作業と、新しい挑戦と。意欲は衰えない。やることはまだまだ沢山ある。なんとか、なんとか。



2016年01月15日(金)
『マクベス〜The tragedy of Mr. and Mrs. Macbeth』

wits『マクベス〜The tragedy of Mr. and Mrs. Macbeth』@両国シアターΧ

公演期間短いのが勿体ない! は〜『マクベス』でこんなに笑うとは。チョウソンハ×池田有希子のユニットwitsによる夫婦漫才仕様です。成河ではなくチョウソンハの名義を使ったところ、春からミュージカルの大作が続々控える彼の原点を振り返る機会にもなったのかな。

とは言うものの、キャリアの初期にこの舞台を成立させることは難しかったかもしれない。ソンハくんが十年ぶりに現場にひっぱりだしたという西悟志さんによる演出は、発想力とそれを具現化するアイディアが満載。そしてそれは、演者の実力なしではとても難しいものでもありました。アイディアとスキル。その両方が揃うといかに強力なものが出来るかと言う…ハイテンション必須、しかし勢いだけでは観客は飽きてしまう。コロンブスの卵のようなことで、その発想は、実際目にするとありふれたもののように映る。実行するにはある種の勇気が必要だ。その勇気は、プレイヤーの実力を信じてこそのもの。

外枠、導入は夫婦漫才。比喩ではなく。裸舞台に素の照明、舞台にあるのは一本のスタンドマイク。そしてギター。これも漫談的な使い方。演芸を通してシェイクスピアの悲劇を見せる。『インディ・ジョーンズ』のテーマ(「Raider's March」)にのって客席通路から現れたソンハくんと池田さんのふたりは、どこからどこ迄がアドリブなのだろうと思ってしまうような自然な話術で観客に話しかけ、『マクベス』の大筋を説明する。説明のなかに台詞が混ざりだし、次第に観客を劇世界へと招き入れる……ありふれた言葉だが、この「招き入れられた」感覚が、演者の魔法にかけられたようだったのだ。

以前演劇ライターの徳永京子さんが青柳いづみさんを評して「観客に催眠術をかける」と書いていたのだが、その喩えがよく解ったといおうか。ラジオのチューニングのような感覚だった。波長を合わせられたというか…チャネリングに代表されるオカルト的なあやしさだが、古代演劇は治療(セラピー)に使われていた、という話を知っていれば納得も出来る。実際芝居にはそういう力があるのだろう。だから使い方によって宗教にもなる。そんなことを思い乍ら観た。『マクベス』には魔女が登場し、その言葉によってマクベス夫妻は道を踏み外す。彼らは魔女たちの演技、台詞に波長が合ってしまったのだろう、と思わせられる解釈。

ふたりは男女の性を問わず、入れ替わり立ち替わり登場人物たちを演じる。その際、池田さんは演者の性のままで演じる。たとえば彼女がダンカンを演じる際、台詞は女性の言葉遣いだ。それはそのまま魔女の言葉と地続きになる。それにしてもふたりの絶妙なかけあい、このリズム感。ボケもツッコミも、長年連れそった間柄のようなコンビネーション。これが数日の稽古で仕上げられるものなのか……役者=超人、という言葉を思い出す。漫才師を演じるなら漫才が出来るのはあたりまえ、あるいはそう見せられるのがあたりまえ。場面のジャンプ、ループといった構成とともにとにかくリズムがいい。ゴネるマルカムからマクダフ夫人とそのこどもたちの逃避行へと移り変わる場面は視界そのものが変わったような錯覚を受けた。ソンハくんの弾き語りで唄われた山崎まさよしの「One more time, One more chance」も、こうやって聴いてみると納得な歌詞。クライマックスに再び流れた「Raider's March」とともに、いくらでも現在に照らし合わせることが出来るシェイクスピア作品の妙味を楽しみました。

久し振りにソンハくんのハイテンションストレートプレイを堪能出来たのも楽しかった。あのテンションで「おかしいだろ、なんでこれで森が動くってことになるんだよ!」とか「帝王切開ってそりゃないだろ!」て言われると胸がすきますね(笑)。と言えば今回、「女の腹から生まれた」「股から生まれた」と数パターンの訳に分けられていたけど、股からと言われればまあ…成程なと思ったり。それでも無理やりだがな……流石の「出たよ、シェイクスピアお得意のダブルスタンダード!」ですな。このハイテンションをときにずっこけさせる、のらりくらりのマイペース池田さんはあの声とともにアメーバのような変容ぶり。イタコのようにも見えました。いやーかわいいやらこわいやら。そして事前には発表されていなかった(確か)キャスト、地獄の門番役の佐藤友さんがすごく面白かった。「ごのよのながをぉおお〜ウアアアア」で場を掌握しましたね(笑)。

シアターX、久し振りに行きました。ロビーに置かれたチラシのセレクトから雰囲気から、好きな劇場。両国も以前の勤務先があるところなので馴染み深く、吉良邸跡を見て帰りました。



2016年01月11日(月)
韓国旅行あれこれ

ひきつづき。元画像(動画もあるでよ)はtumblrに置いてるので、まとめて大きな画面で見たい方はこちらをどうぞー。

・その3
『オケピ』以外の韓国ミュージカル、演劇ネタ
・その4
街で見掛けたファン・ジョンミン、イ・ジョンジェ。カン・ドンウォンもおるでよ
・その5
たべたものなど。いちばん韓国の食事らしいタッハンマリを撮っていないという……
・その6
映画館のジョンミンさん、遊んでくれたねこ
・その7
普通に観光もしたんですよという
・その8
映画や演劇のチラシ類

・動画その1
・動画その2
・動画その3

-----

こっちにはそのなかから特に印象に残ったものを載せときます。

・大学路周辺




演劇のメッカ、大学路。韓国にこんなに興味を持つ前から芝居好きとしては気になっていた場所でした。『大学路で売春してバラバラ殺人にあった女子高生、まだ大学路にいる』って映画で知ったのが最初かな。三月から、ここの弘益大大学路アートセンターで『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』がニューメイクアップヴァージョンとして上演されるとのことで、ポスターやキャスト別フライヤーは出ていないかな、と足を運んでみました。
大学路に入るといたるところに演劇のポスターが張られていました。『ヘドウィグ〜』はまだポスター一種でしたが、日本では鈴木裕美演出、森田剛主演で上演された『夜中に犬に起こった奇妙な事件』や、ナショナル・シアター・ライブのベネディクト・カンバーバッチ『ハムレット』、トム・ヒドルストン『コリオレイナス』のポスター等いろいろ観られてウキウキしましたよ。夜行ったので(と言うか道に迷っているうちにすっかり日が暮れた…)画面が暗い

・『オケピ』以外の演劇/ミュージカルチラシ

井上ひさし『木の上の軍隊』もやってるようです。『笑の大学』はすっかり定着していて、キャストも多彩

・映画のチラシ


A4だったりレターサイズだったり。あっちではもう『ヘイトフルエイト』公開してた! いいなー!

・街なかのジョンミンさんあれこれ



地下鉄のホームやらお店やら。普通に観光しててもザクザク遭遇、本国でどんだけスターかよくわかった……。そうtwitterに書いたら「さすがSWトップを阻んだだけあってジバニャンばりに見かけるんですね(^-^)」とリプライ貰って大ウケ。そうか、ジョンミンさんはジバニャンだったんだ!
---
参考:
・『ヒマラヤ』、『スター・ウォーズ7』を制してボックスオフィス1位
・『妖怪ウォッチ』が『スター・ウォーズ』を上回り1位に!
---
一枚目はもうすぐ公開の『検事外伝』予告編。『オケピ』のラップバスにも遭遇しました。ふいうちだったのでぎゃーと声をあげたが撮影は間に合わなかったのであった

・たべもの



一泊目は芝居が終わったのが22時過ぎだったので、夜ご飯はコンビニで。映画で観てずっと気になってた韓国版ヤクルトあった〜! 味はヤクルトとマミーとビックルの真ん中どりという感じ。隣のチョコレートドリンクはパッケージにひとめ惚れして。
それにしてもカフェがすごく多い。駅から宿の間に何軒あったか…スタバやコーヒービーン&ティーリーフと言ったチェーンから独立系まであるわあるわ。ベーカリーカフェも多かったな。日本からはなくなったダンキンドーナツもあって、嬉しくなっておやつで食べた。ダンキン好きなんだよ〜。
フルーツ系のアイスもいろいろあった。外は寒いけど、室内はどこも暖房きいてるのでおいしくいただけました。泊まったゲストハウス(Big John's Place)もオンドルで、「おお、これが……」と早速裸足になってみたり(笑)。あれよ、気分は暖炉のある家でハーゲンダッツ食べてる柴咲コウですよ。
二枚目の画像はイニスフリーチェジュハウス(三清洞)のカフェ。左のすだちのケーキがすっごいおいしかった! また行きたい食べたい〜。
ゆっくり夜ご飯を外で食べられたのは二泊目のみ。ガイドブックをたよりに行った筈が…どうやら違う店に入っていたらしい。カタコトの英語と韓国語でタッハンマリにうどんを追加してたらふく食べました〜おいしかったあったまった! 夢中だったので写真撮ってません(笑)そういえばこのお店、やりとりは韓国語と英語のみで最初に「Where are you from?」と訊かれて「じゃぱーん」と言ったら「座敷OK?」と。胡座や正座ってやっぱり西洋育ちには厳しいんだな…だから日本人は低いスクラムが組めてだな……(ラグビー脳)

-----

その他印象に残ったこと。

・今回利用した空港は羽田−金浦−羽田。いや羽田発着すごい楽…気楽に早朝出発出来る……
・次回は仁川空港に乗り付け『新しき世界』ごっこがしたいです(笑)

・滞在中ずっと天気もよく、予想していたよりは暖かく。気温自体は低いんだけど、風がなかったので体感は随分違いました。冬好きには快適そのもの
・クリスマスの飾り付けがまだあちこちに残ってたので年末気分
・噂には聞いていたが、ホントに坂が多かった。き、筋肉痛……
『ベテラン』を観たあとだったので、街で黒塗りの車や、おつきを従えた金持ちそうなひとを見る度「財閥?」「財閥?」と言うのがはやった

『오케피(オケピ)』本編のとこにも書きましたが、英語で質問し、日本語で答えられ、韓国語でお礼をいうカオスが何度か。挨拶と有難うございますおいしいですごちそうさまだけはしっかり憶えていったがまだまだだ…思ったより日本語が通じることに驚いたけどそこに甘えてはいかん、こっちも韓国語勉強せなと思いました!

楽しい旅でした、また行きたいな。一緒に行ってくれて宿や飛行機の手配もしてくれたマリス師、どうも有難う!



2016年01月10日(日)
『오케피(オケピ)』あれこれ

こちらでは本編以外のことを。元画像はtumblrに置いてるので、まとめて大きな画面で見たい方はこちらをどうぞー。補正等しておりませんが。
・その1
・その2

-----

・LGアートセンター

となりの看板はマシュー・ボーンの『SLEEPING BEAUTY』

・入口付近


何故か同じポスターが2〜3枚重ねて貼られていた。盗難されてもいいようにだろうか

・ロビー





開場前から入れたので、ひとがいない今のうちに…と撮った。開場していないので照明がついておらず、よって全部画面が暗い(笑)
前に立ったり間に座って記念撮影するための仕様になっていたけど、自意識過剰で自撮り出来なかったわ……ジョンミンさんの横に座るとか、それがたとえパネルであろうとも卒倒するしな

・物販



パンフレットの他にトートバッグ、サーモボトル、カレンダーやポーチ等がありました。おまけでポケットティッシュもついてきた

・チケット

インターパークで予約していたチケットをカウンターで受け取り。予約内容が書かれたメールを見せると、封筒に入ったものをすぐに出してくれました

・チラシ

他のお芝居のチラシもそうだったんだけど、PP加工してあったり、凝ってるものが多い。街なかでも、地下鉄ホームや電車内、ラッピングバスといったあらゆるところでミュージカルの広告を見かけました。『オケピ』バスが目の前を通り過ぎたときはギャーとか言いましたよね……(撮影しようとあたふたしてる間に行ってしまった)。文化としてミュージカルと映画が根付いているという印象を受けました

次の頁ではLGアートセンター以外に行ったところなど。



2016年01月09日(土)
『오케피(オケピ)』

『오케피(オケピ)』@LGアートセンター

2016年観劇始めはなんと韓国公演です、この腰の重いのがよう出掛けたな……。三谷幸喜の『オケピ!』が、韓国のプロダクションで上演中なのです。会場のLGアートセンターは三階構造でキャパ1100、日本で『オケピ!』が上演された青山劇場は1200ですからだいたい同じくらいの規模ですね。ほぼ埋まってました、日本人客もちらほら。ダブルキャストで、観劇日のキャストはこちら。



(クリックすると拡大します)


そもそも今回渡韓して迄この作品を観ようと思ったのは、『新しき世界』をきっかけに惚れ込んだ役者であるファン・ジョンミンさんが演出を手掛け、コンダクター役で出演もするから。ジョンミンさんは韓国版『笑の大学』初演に劇作家役で出演しており、パートナーであるキム・ミヘさんとともに『オケピ!』に惚れ込んで韓国での上演実現に奔走したひとでもあります。制作はそのジョンミンさんとミヘさんが立ち上げた会社、SEM Company。ミヘさんは今作のプロデューサーを務めています。上演迄五年かかったとのこと。基本当て書きのため戯曲の出版はしない(『オケピ!』は白水社からの出版が慣例となっている岸田戯曲賞受賞作品のため、重版はしないという条件で出版された)、当然改変などもってのほかという、作品の扱いにとても厳しい三谷さん。かなりの交渉、準備が必要だったと思われます。今回の上演は戯曲が存在せずDVD化はされた2003年版が基になっていたようですから、上演台本のチェック等細かいところ迄詰めたのではないでしょうか。

さて内容と観客の反応ですが……とてもよかった! 開幕直後、日本と韓国両方のミュージカル/演劇に詳しい知人(在韓邦人)が「グランドミュージカルが主流である韓国の観客に、このノリがどう受け入れられるか…」と言っており、実際一幕目は困惑の雰囲気がありました。ミュージシャンそれぞれのテーマが順に唄われ、最後にはタペストリーのようにひとつの曲へと編み込まれていく序盤のハイライト「彼らはそれぞれの問題を抱えて演奏する」でも反応はほほお、といった程度で拍手も普通。しかしこれは日本で『オケピ!』が初演されたときもそうだった。これはストレートプレイ・ミュージカルコメディだ、と観客が了解する迄が肝です。

幕開けから台詞、台詞、台詞。「いつから唄い始めるんだと思ってるでしょう?」なんてコンダクターが観客に語りかける場面もある。初演の戯曲には「この芝居、ミュージカルにしては唄が少なすぎないかな。台詞ばっかり」なんてオーボエが観客に語りかける場面もある。
(追記:初演の戯曲を読みなおしてみたら、上記のコンダクターの台詞はありませんでした、失礼しました! しかし真田広之にこう語りかけられた憶えはあるんですよね…今となっては自分の記憶が信用出来ない。そして今回の上演では韓国語のリスニングが出来ていないので(…)この台詞があったか定かではありませんが、該当の場面で観客は笑っていたので、おそらく同じような台詞があったのだと推測します。もしなかったら失礼しました! 趣旨としては、歌が少ないミュージカルであるというのを伝えるための台詞がある、という例としてのものです)
演者が根気よく、徐々に観客を惹きつけていく。印象としてはまずトランペットの言動から笑いが増えはじめ、サックスの八面六臂の活躍にドッとわく。二幕目にはもうすっかり演者のペース、手拍子が起こり、歓声が飛ぶ。この頃には台詞の応酬場面もドカドカウケてました。客いじりの場面ではやんややんやの喝采が。自分がいじられなくてよかったとこっそりホッとした…だって言葉が解らない! どぎまぎしてたらこのいい流れを切ってしまう!

そう、当方言葉が解らない訳です。戯曲を頭に入れていったもののそれは初演のものだし、細かいニュアンスは理解出来ていない。それでもとても楽しめたし、韓国の観客のポジティヴな反応がとても嬉しかった。上演中にオーケストラピットを出て行ったメンバーがチムジルバンに行って、ヤンモリ被って戻って来る場面があったり(笑)と、韓国ならではの設定もありました。「ポジティブ・シンキングマン」の韓国語題が「하염없이 긍정맨(とめどなく肯定マン)」となっており、サビはケンチャナなんとか〜と聴こえたので、「だいじょうぶだいじょうぶ」てなちょう前向きな歌詞になってるんだろうな、と想像するのも楽しかった。

演出でまず驚かされたのは、舞台構造が二層になっており従来のオーケストラピットが上に位置していたこと。開幕直後、そのオーケストラピットの紹介らしきアナウンスとともに入場してきたミュージシャンたちが手を振り、観客が拍手で応えたこと。このときジョンミンさんも登場して場を盛り上げていたこと。この幕開けを観たとき、ジョンミンさんがこの作品を上演したかった理由が判ったような気がしました。『オケピ!』は、ショウマストゴーオンという舞台人の矜持を通して登場人物が成長する物語。舞台の裏方、スタッフへの敬意が溢れる作品であると同時に、観客を楽しませる、という思いが詰まった作品。そして彼が演じたコンダクターは、個性の強いメンバー…共演者たちの魅力を引き立てまとめ、自分が影になることも厭わないという役柄。舞台の上から指図され、ピットのなかではトラブル続き。周囲に振りまわされ、右往左往していても、ステージを無事終えられるよう、バンドの先頭に立つ。やれやれと苦笑し乍らも、どこかでそれを楽しんでいるかのよう……ファン・ジョンミンという演劇人の、舞台への思いを改めて知り、胸を熱くした次第です。

それにしてもこのオープニング含め、全方位に目配りが利いたその演出/スタッフワークにも唸った。舞台機構の使い方も絶妙。ステージ上の盆は円柱になっており、その上にオケピがある。場面によって、ソロを唄う演者は円柱から降りて前に出てくる。そのとき盆がまわり、ピットをミュージシャンの背中越しに見ることになる。譜面用ライトのちいさな光はこんなに美しいのだ、と気付く。舞台裏のまた裏、ミュージシャン側からしか見えない世界も見せてくれるこの構造。群像劇で今誰に注意を向ければいいか等、ピンスポットによる誘導もさりげなく丁寧です。いやはや参った。

出演者はジョンミンさん以外知らないひとばかりだったのですが、どのひともよかった〜。皆さん歌にパンチのあること! ハープ役のリナさんは日本初演・松たか子の唄いまわしに再演・天海祐希の立ち姿を持ち合わせていた。いやーホント、センテンスの語尾がお松のグルーヴ! わっとなったわ……。個人的に大好きなナンバーを唄うオーボエ役のソ・ボムソクさん、パーカッション役のチョン・ウクジンさん、どちらも素敵。そしてトランペットな! キム・ジェボムさん、ニヒルでよかった。トレンチコートの裾をいちいちバッ! と翻すアクションもいい。そしてそんな彼らが唄っているとき、満面の笑顔で、そして彼のファンならピンとくるであろう、あの独特の動きでリズムをとり踊っているジョンミンさんのかわいらしいこと。そうそう、ジョンミンさんのナンバー第一声には鳥肌たちましたね。あの歌声だ! あの歌声を生で聴けている! と思って。はー素晴らしかった。

服部隆之による楽曲も堪能、改めていい曲揃いだなと。このプロダクションで日本公演があればいいのに、このキャストレコーディングでサウンドトラック出ればいいのに(日本のすら出てないけどな…告知出たのに延期〜中止になったんだよね……)と思いつつ劇場をあとにしましたよ。観ることが出来て本当によかったです。

あっそうそう、舞い上がっていたのか帽子を劇場内に忘れてしまったのです。終演後に気付き慌てて戻ったんですが、どう韓国語で言えばいいのか判らない。やばい…とりあえず英語で……と劇場スタッフの方に「あいろすとにっときゃっぷいんしあたー」と言ったら「ああ、帽子! こちらですか?」と日本語で答えられ持ってきてくれました……。おもいっきし「かむさはむにだー!」て言いましたよ。有難うございましたー!

-----

その他。

・ジョンミンさんやっぱプロポーションいいわ…舞台映えする。礼装似合うわ
・ピアノ役のひとりが『ベテラン』の財閥会長役だった方(ソン・ヨンチャン。せんだみつおに似ている)だった。観た日には出演されなかったんですがどんなふうに唄うんだったのかすっごい気になる…あの腹黒財閥会長が……

・公演レヴュー|甘くほろ苦い人生の味...「オケピ」|NAVER
Google日本語訳

・音楽監督/指揮のキム・ムンジョンインタヴュー「音楽監督は旋律を舞台化する人です」|hankooki.com
Google日本語訳
キム・ムンジョンさん、韓国ミュージカル界でかなりの実力派のようです

・『オケピ』パンフの三谷さんコメント


(クリックすると拡大します)


観にいらっしゃる予定のよう。今回の演出(装置)では、オケピから観ることは難しいのではないか(笑)

・『ミュージカル「オケピ!」観劇して感激』|ゆうきの韓国スケッチブログ
韓国在住の方のブログ。感想が素敵だったのでリンク張らせて頂きます。開演前のアナウンス、こんなこと言ってたのか〜(笑)あちこちから笑いが起こってたんです。言葉が解らない自分はひたすらキョロキョロしていた。そうそう、開演前とカーテンコールは撮影可だったのでした

・2003年日本版の感想はこちら。初演の頃はまだ感想日記を始めてなかったんだなあとしみじみ振り返る

本編以外のあれこれについては次の頁で。