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2014年09月27日(土)
Penguin Cafe 来日公演 2014

Penguin Cafe 来日公演 2014@めぐろパーシモンホール 大ホール

「タイタニックが沈む迄演奏を続けた楽団は、海でペンギンに生まれ変わりペンギンカフェを結成した。やがて彼らは陸に上がり、再び船に乗り込み、今日ここで演奏をしている。彼らと同じ船に乗り合わせた聴衆は、目の前の危機的現実からしばし離れ、演奏に聴き入る。」

と言うのは、二年前の来日公演を観て浮かんだ妄想だ。二度目の来日公演は千人以上のキャパのコンサートホールで開催された。バルコニー席から観るステージは遠い。「二代目です、よろしくね」と言ったお互いドキドキおずおずな感じも、インディー招聘(つっても前回もプランクトンでしたが)なアットホームな空気も薄れた。それでもアーサーはステージに走って出てくるし、カフェに集まったひとたちは同じ船に乗っているようだった。

「誰もが暴力的になり、戦争が起こる。人々は狂い出し、苦しんでいる。私はペンギン・カフェのオーナー。みんないらっしゃい。」

サイモンの夢はますます現実的になる。と言うより、ずっとそうだったのだろう。楽団が不在の間、そういった場は十数年失われていた。アーサーが新しい仲間と屋号を引き継いだ楽団は、やってきたひとたちを再び分け隔てなく迎え、演奏を聴かせてくれる。最新作『THE RED BOOK』(ユングのサウンドトラック!)からのナンバーを中心に、サイモン時代の楽曲も、コーネリアスのカヴァーも織り込んだ(アーサーが「小山田くんいる?」とか言っていた)セットリスト。ステージ奥のスクリーンには、演奏するメンバーだけでなく、エミリー・ヤングが描いた数々のペンギンアートが映し出される。ペンギンダンサーズも登場し、演奏とともに聴衆を楽しませてくれる。

アーサーはピアノをメインに、クアトロ、ウクレレ、ハルモニウムと、楽曲ごとにパートを替え、ステージをニコニコと駆けまわる。それは他のメンバーも同様で、ダレンやデスも上手に行ったり下手に行ったり。パーカッションブースではピーターとキャスがうろうろ。ニールは今回も欠席でした。余談ですが来日前のアーティスト画像ではロン毛だったオリが坊主になってて、「あれ、メンバーに入れ替わりあった?」と動揺してしまった(笑)。

ペンギンダンサーズは男女ペア、木野彩子さんと小田直哉さん。山田せつ子さんによる振付を、最初はペンギンマスクを抱えて、そして被って踊る。ステージ中央に出てきたり、ステージ後方の左右にあるカフェスペース(椅子、テーブル、パラソルが置いてある)に座ったりとユーモラスな演出。岩切明香さんによる、ペンギンイメージの黒の衣装(下はサルエルパンツ)も素敵だった。振付があるとはいえダンサーのホームはにじみ出るもので、大駱駝艦のメンバーである小田さんの踊りはむっちゃ大駱駝艦。特に下半身の安定感。あの高速千鳥足とか、ああ、大駱駝艦! とニヤニヤした。それもあってか? 会場には麿さんの姿も。テンガロンハットに革ジャケット、ちょー迫力あって格好よかった。

ちなみにこの日はキャスの誕生日。メンバー紹介のとき、アーサーがキャスをとばしたので客席も本人も「えっなんで?」となっていたら、ケーキを持ったスタッフが登場。笑いとともに皆でハッピーバーステー♪、そして拍手。ひといきでロウソクの火を吹き消したキャス、照れたようにニッコリ。ホールは広くなり、バンドに貫禄も出てきたけれど、こういったひとなつっこさは変わらないものだった。終始にこやかに本編は終了。

アンコールの一曲目は、アーサーのピアノソロ「Harry Piers」。山田さんがすらりと登場、客席から静かなどよめきが起こる。サイモンに捧げられたこの楽曲をひとりで演奏するアーサー、そして山田さんのダンス。まさにトリビュートなひととき。会場がしんとした空気に包まれる。そして「Music For A Found Harmonium」。イントロと同時に歓声があがった。

アーサーはヴェニューを気に入っていたよう。時折足首からのぞく靴下は赤。ネクタイ、ベストも似合っていて、パワーエリートのビジネスマンに見えなくもない。いいとこの子って感じ。親父とは違う道を歩むんだ! とケンブリッジで学んでいたけど、やっぱり家業を継ごう! とゴールドスミスに入りなおして修行を始め、遂に念願のお店開いた子みたいね〜と言う話で帰り道盛り上がった(笑)。半分妄想だけど、半分は本当。

泣いたり笑ったり忙しかった。また来てくれて有難う。

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・セットリスト
01. Telephone & Rubber Band
02. Catania
03. Bluejay
04. Swing The Cat
05. Solaris(w/Penguin Dancers)
06. 1420(w/Penguin Dancers)
07. Nothing Really Blue(w/Penguin Dancers)
08. Landau(w/Penguin Dancers)
09. Giles Farnaby's Dream
---INTERVAL---
10. Southern Jukebox Music
11. Odeon
12. Radio Bemba
13. And Yet...(w/Penguin Dancers)
14. Paul' s Dance
15. Birdwatching At Inner Forest(Cornelius' cover)
16. Perpetuum Mobile
17. In The Back Of A Taxi
18. Beanfields(w/Penguin Dancers)
19. Black Hibiscus
---ENCORE---
20. Harry Piers(Arther's Solo, w/山田せつ子)
21. Music For A Found Harmonium(w/Penguin Dancers)

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おまけ。アーサーのお母さまでありサイモンのパートナーであり、ペンギンカフェオーケストラのイメージを印象づける数々のアートを手掛けたエミリー・ヤング。現在は彫刻家として活躍されているそうです。
・Emily Young Sculpture

・ペンギン・カフェ 来日公演|Penguin Cafe|PLANKTON プランクトン



2014年09月26日(金)
『Liebesträume(リーベストロイメ)〜愛のオブジェ〜』

横町慶子×白井剛 Live Performance『Liebesträume(リーベストロイメ)〜愛のオブジェ〜』@black A

初日。繊細で緊密、そして親密。素晴らしかった。

ゆっくりと登場する、白いドレス姿の彼女。やはりゆったりと登場する、上下黒の服を着た彼。静かに椅子に座り、視線を合わせないまま右手を絡み合わせるふたり。ドライヴに出掛けるふたり。テーブルを挟んで煙草の箱を滑らせ、煙草の火でキスをするふたり。彼女は煙草の煙にむせ、その煙を彼に吹きかけ、そして息を吹きかける。息を吹きかけられる度、彼は身体を揺らがせる。彼女は長い髪をほどき、背中合わせの彼の顔に覆いかぶせる。彼女は彼を誘惑しているようにも見えて、実のところそれは彼の夢想であるようにも映る。彼は彼女を手に入れようとする。彼は左手薬指に通したチェーン付きの鍵を、彼女の眼前に差し出してみせる。

映像のなかの白馬と黒馬は優雅に歩を進める。彼と彼女の心のなかを表すような、あるいはふたりを衝き動かす装置のような、テキストが壁面に映し出される。時折彼女は大きな姿見で自分を見る。何かを確かめるように、鏡の向こうを覗き込むように。

声を発するのは彼女だけ。歌声、笑い声、詩の朗読。彼の“声”は、ウクレレの演奏と息づかいだけ。彼女は彼から日記(愛の言葉を綴った詩集でもある)を奪いとり、自分の日記に触れることを拒む。彼女の腕は彼の腕をからかうように逃げまわり、彼女は笑い乍ら彼の言葉を読む。ふとした拍子に動かなくなる彼女を、彼は抱き上げ運んでいく。やがて彼は、彼女をテーブルの上に横たえる。彼女の脚に、腰に、頬にキスをする。抱きしめる。天井からのカメラは、重なるふたりを壁面に映し出す。やがて彼女の身体から離れた彼は狂乱のソロを踊る。彼女は横たわったまま、顔だけを動かして彼の激情をじっと見る。

彼に持ち運ばれるように抱えられる彼女は人形のようでもある。まさにオブジェのようにも見える。透き通るような白い肌、汗が滲まない肌、強い瞳の光。もともとビスクドールのような彼女の美しさにやがて鼓動や血脈が宿り、その妖しさに思わず息を呑む。少女にも、老婆にも、魔女にも見える表情に、ただただ魅了される。彼女の身体に彼がぴたりとコンタクトする。彼女の動かない部分をサポートする狙いもあるが、その密度はセクシュアルな男女であり、同時にバディでもあった。煙草のもらい火のシーンは、バディ同士の信頼と緊張を際立たせた。ふたりの姿に圧倒される。

カーテンを揺らす凪のような彼。自身をも壊してしまいそうな風を起こす彼。端正な顔立ちの、わずかな変化で困惑を表現する彼。初めて観た白井さんは、とても魅力的なダンサーだった。コミカルなドライヴのシーンは彼の「青年」の部分が垣間見えたようで、唯一ホッとするひとときだった。
(追記20141004:ギャー、な〜んかひっかかって過去の日記を調べてみたら、白井さんのソロを13年前に観ていた! 失礼しました…つくづく自分の記憶が信用出来ない。信用出来ないから書いて残すようにしているんですがトホホ
・レニ・バッソ×珍しいキノコ舞踏団×発条ト『ソロ・アンソロジー』@スフィアメックス

サイン波のような繊細な音を扱った音響(SKANK/スカンク)、繊細な動きを捉えた照明(岡野昌代)、鮮やかな無彩色とも言いたくなる美術(原田愛)。全てがダンサーふたりの空間を繊細に包み込んでいた。壁面に映し出される島田雅彦のテキストも印象的だった(映像はNibrollの高橋啓祐)。

細野晴臣の音楽(リスト「愛の夢」第3番のさまざまなヴァリエーション)が、ふたりのダンサーに優しく寄り添う。最後のアレンジ、ふと聴こえてきた馴染みのある低音。細野さんの鼻歌だ。続いてハミング。はっとした、声が聴けるとは思っていなかった。横町さんへの贈りもののようだった。カーテンコールで横町さんが、謝辞に代えるように精一杯腕を伸ばした。その先には細野さんがいた。

終演後、退場時に横町さんによるごあいさつが配布された。会場外で読み入り、帰路に就く。

black Aには初めて行きました。普段はカフェ営業をしているらしい、雰囲気のあるスペース。コンクリート打ちっぱなしの空間は、こういったパフォーマンスによく似合う。ベニサンピットがなくなってからめっきり行くことが減った両国〜森下だけど、変わらず気持ちのよいところでした。水が近い。ひとけのない道を選んで、舞台の余韻を噛み締め乍ら帰りました。

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・横町慶子 Official Facebook
・『Liebesträume (リーベストロイメ)〜愛のオブジェ〜』 横町慶子、復帰第3弾は、ダンサー白井剛との共演。音楽は細野晴臣。 | dacapo (ダカーポ) the web-magazine
・横町慶子×白井剛 Live Performance『Liebesträume〜愛のオブジェ〜』横町慶子 初日前コメント - 2014年9月 - シアターガイド



2014年09月21日(日)
『背信』

葛河思潮社『背信』@東京芸術劇場 シアターイースト

思えば初めて『ダム・ウェイター』以外のハロルド・ピンター作品を観た。葛河思潮社、初の海外戯曲です。

誰かが嘘をついている。あるいは皆が嘘をついている。誰の言うことが本当なのか、それらは語られた言葉を頼りにするしかない。しかし、その言葉を司る記憶が既に改竄されている。飲み下される酒、酒、酒。

記憶がいちばん曖昧なのはジェリーなのだが、彼の言うことにいちばん嘘がないように思える。ひとを欺いていないと思い込んでいる無邪気さともとれるし、エマとロバートの強い主張に、付和雷同してしまいがちな性格のためだともとれる。こどもの父親は誰なのかはエマだけが知っている(かも知れない)が、それは彼女がそう思い込もうとしているからかも知れない。ロバートは浮気をしていると告白したようだが、それは彼のつくり話かも知れない。そしてジェリーの妻は本当に「知らない」のか。ハートリーとエマの関係は果たして言われた限りのものか。放たれた言葉のなかから、登場人物も観客も、自分が信じたいものを探す。結局信じたものは自分だけのものだし、疑いも同じだ。それぞれの真実が出来上がる。

時間が逆行すると言う構成だが、全ての場面がそうなる訳ではなく、あることが判明してからいくつかの場面は時間通りに進む。戯曲にはその複数の場面でひと区切り、との指定があるのかも知れないが、舞台上では間に転換が含まれるので、些か混乱が生じる。その辺りは演者の表情や仕草で収拾がつくようになっている。テーブルやベッド、椅子等ほぼ全てのセットがあらかじめ舞台上に置かれており、エマとロバートの家、エマとジェリーの部屋、ロバートとジェリーが会うパブやレストランと言った場面転換はそれらの移動で表現される。ニュートンのゆりかご(五玉振り子/カチカチボールのあれね)、砂時計等の小道具も印象的に使われている。照明も丁寧なガイドだ。演劇的効果の主張が強い。

ちょっとした言い違いや前後の入れ替えで、その場面における言葉の意味が全く変わったものになってしまう。またそれが憶えにくそうな短いセンテンスの連続だったりする。演者は大変だっただろうなと思うものの、これ迄『浮標』『冒した者』と言った難物戯曲を上演してきた葛河思潮社常連の役者たちだったので、一種の信頼感はありました。そういったテクニカルな面に加え、皆さん声にも仕草にも色気がある。刺激的な95分でした。

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よだん。ピンターと言えば哲司さんで『ダム・ウェイター』観てみたいんだよー。そんでまあ関係ないが、哲司さんは以前『動物園物語』のときもジェリーだったなーなんて思いました。ほろり

よだん2。パンフにプレヴュー後のインタヴューが掲載されているんだけど、KAATではパンフ販売されなかったの? それとも一日で編集DTP印刷して初日には販売したのかな。気になる……。そしてこれのゴーチ/伊藤さんの挨拶にモヤ〜としています。以前から思っていたことだけどー。直接会えるひとには話します(笑)

よだん3。KAATと言えば今作に度々名前が出てくるイェイツ。彼が日本の能に影響を受けて書いた『鷹の井戸』の舞台衣装が、現在ヨコハマトリエンナーレに出品されています
・Simon STARLING サイモン・スターリング | アーティスト | ヨコハマトリエンナーレ2014
・浅田彰 | ヨコハマトリエンナーレ2014 | REALKYOTO



2014年09月19日(金)
『サバイブ!』

自転車キンクリートSTORE『サバイブ!』@SPACE雑遊

前回公演『ボクのおばさん』では自転キン演劇部名義でしたが、自転車キンクリートSTOREに戻っていました。規模や制作方針は同じように感じたので(むしろ前回より今回の方が宣伝展開等が狭く遅く、老婆心乍ら「勿体ない…」とハラハラしていた)どう区別をつけているのかな…とヘンなところが気になるも、非常にクオリティの高い作品だったので「部活動」と言うのは…となったのかなと思いました。質の高い舞台と言うのは前回公演も同様。やっている側にも手応えがあるのではないか。

前回に引き続き、作・演出はサスペンデッズの早船聡さん。鈴木裕美さんがtwitterで「ガラスの動物園」の変奏曲と評していたが、成程確かに『ガラスの動物園』だった。『ボクのおばさん』にもあったモチーフだ。

そこには演者と作者が細部迄とことんやりあったのではないかなと感じる「じてキンの芝居」があった。自分が思う「じてキンの芝居」とは、「問題は複雑で深刻、そんなに甘くない」「でも自分の人生は絶対に他人のものではなく自分のもの」「どこかに解決策はある筈。なくてもお互いが憎しみ合わずに生き延びる方法がある筈」と言う思いを見せてくれるところだ。これは脚本が飯島早苗さんでなくても、演出が裕美さんでなくてもにじみ出る「劇団力」なのだな、と思った。劇団名義の公演はもう随分打っていない(そして今後劇団公演があるとも思えない)のにも関わらず、だ。

「毒親」「アダルトチルドレン」「共依存」「ダブルバインド母娘」と名付けられている関係についての話だ。じてキンはそれらに名前をつけることで安心せず、分類することで片付けることはしない。互いを敵と見做すのではなく、「捨てる」「殺す」ことなく、お互いを自立させる道を探る。しかしストーリー上ひとりの命が犠牲(と言ってもいいだろう)になる。衝撃的な、「酷い」とも思える展開だが、イージーな作劇ではない。この母娘が離れるためにはそれだけのエネルギーが必要だったのだと納得出来た。それ程この問題は根深い。あのまま関係が続いていたら、娘が母親を殺してしまう展開になってもなんら不思議はない。故意でも過失でも、ちょっとした心の動きでひとは簡単に死んでしまうものだ。そうさせなかった、そこがじてキンでもあり、早船さんの「優しさ」なのだろうとも思った。

「キャリアウーマンにはなれなかった」とコンプレックスを持っているが、休日に会社から電話がかかってくるくらいには頼りにされている主人公。葬儀の翌日に旅立つ息子のひとこと、それを聴く主人公の母親。嫌っていた知人の悲しみと、それを凌駕するおおらかさに衝かれる思いの母親。ちょっとしたことを丁寧に描く脚本、演出にも優しさを感じた。

母、娘、孫の三世代の対比とバランス、彼らを見守る周囲のひとたち。演者は流石に皆巧い。「女性だけによる徹底した集団創作=青い鳥方式」を生み出した青い鳥の天光眞弓さんと、「躍進するお嬢さん芸」と自ら称したじてキンの歌川椎子さんがそれぞれ歳を重ね、それぞれの立場から向き合うキャスティングは、単なる演技だけでは片付けられない重みと、それぞれの世代ならではの軽やかさがあった。歌川さんが以前インタヴューで語った「ラッキーの世代」と言う言葉を思い出した。久松信美さんは当て書きとしか思えない優柔不断で強い人物。そうだったわー私久松さんみたいな人間になりたかったんだわー、じてキン作品の久松さん観る度に思ってたわ。菊地さんにも通じるところがある…これはこれで壮絶にたいへんなのよ、矛盾してるのよ(笑)。

母親に反発し、自分はそうならないと育てた娘を結局同じように追いつめる次女役の弘中麻紀さん、母親とおともだちになっていくかも知れない女性を演じた松坂早苗さん。そして親との関係に苦しみ、巣立とうと前を向く世代の仲井真徹さん、大村沙亜子さん。いい座組でした。

自分のことを振り返る。母親が今も生きていたらどうだろう? 自分と母親はこの芝居の登場人物のような関係ではなかった。しかし母親には信仰があり、それは幼い頃の自分にとって矛盾そのものだった。信仰には強さもあり弱さもあった。社会的に許されないこともあった。彼女のあの歳に、自分は同じ考えを持てただろうか? 同じように強い選択が出来ただろうか? そんな思いは常にある。数年で受け取ったものは、共感も拒絶も含め、今でも自分の生き方の指針になっている。あと五年で母親の年齢を追い越す歳になるが、そのときホッとするような気すらしている。

よだん。帰りの新宿駅でAPAホテルのおっきな看板見てもうニヤニヤがとまりませんでしたよね…こういう細部も旨いわー。坂本遼さんの舞台美術も丁寧でとてもよかった。



2014年09月14日(日)
『風の吹く夢』

THE SHAMPOO HAT『風の吹く夢』@ザ・スズナリ

冷蔵庫を手に入れるために、男たちは旅をする。シャンプーハット流儀の、たった半日の町内ロードプレイ。食堂、車内、元妻の家、廃棄場のような空き地、部下の家、スナック、同僚の家、そして再び元妻の家。登場人物たちの光と影が映し出される。それぞれ問題を抱え、悩みを抱え、幸せを抱えている。繰り返しの毎日には、一陣の風が吹いている。

美しい言葉が語られる。モノローグのようでいて、語り手の前には聴き手がいる。それはダイアローグなのだ。言葉が返ってこなかったとしても、語り手は聴き手の反応を待っている。何かが返ってくるのを待っている。やがて聴き手は美しい言葉に耽溺することなく、「宗教の勧誘ですか?」と警戒心を含んだ反応を返す。スピリチュアルで、宗教的な言葉の美しさを知っている。その美しさを否定することなく、自分はそれに溺れることは出来ないと返す。無言とともにかたまる顔、身体、その間。相手は、言葉をちゃんと聴いている。

近作の『葛城事件』『殺風景』から、赤堀雅秋は陰惨なものを書く作家と言うイメージは強くなったかも知れないが、最後の最後に光を残す作風がまた戻って来た。ほっとする反面、その光は諦観によるものか希望によるものか? と立ちすくむ。『アメリカ』『雨が来る』が好きで、近作はもうキツい、と思っていたひとは観に行ってみるといいと思う。

一周まわって帰ってきたとも言えるが、元の場所に戻ってきたのではないし、元の場所にはもう戻らないだろう。『その夜の侍』『立川ドライブ』『沼袋十人斬り』が書かれたからこその今、と感じた。この三作品が、個人的には赤堀さんの大きな転機だと思っている。一場で時間が飛ばず、徹底的な具象の美術と膨大な対話により、その「リアルな」場所に不在の人物を浮かび上がらせ、「リアルに」いる人物たちの心中を無言のうちに描く。観ている限りでは『津田沼』迄はそうだった。

劇作家としての赤堀さんは、実はかなりの手練と言うか技巧派だと思っている。細心を払い選ばれた美しい言葉。ふとしたタイミングで挿入される単語の意味が後に明かされる、さりげない構成。説明を説明と気付かせない対話。そしてなにより、言葉を駆使しているのに、言葉にしていない部分の情景や心情を描写するのがとても巧い。劇団公演の場合は、脚本を書いた本人が演出も施すので、ある種のシリーズのようなものが出来る。

その巧さは手癖になる怖さがあるが、技巧を越えて衝き動かされるものを描こうとしたのが『その夜の侍』だったと思う。劇作家としての赤堀さんが、演出家としての赤堀さんに新境地を拓かせた。どうしてもこの物語を書かねばならない、この物語にはこれ迄の演出手法が使えない。抽象的な美術と転換が導入された。主人公は部屋を出て、町を彷徨い、切望していた対話へと辿り着く。「移動」が生まれる。

続いての公演は、実在の事件を題材にした『立川ドライブ』。加害者、被害者の心理を偏執的な迄に追い潜るラインは『砂町の王』『葛城事件』、『殺風景』へと続いた。演出は抽象と具象、転換の多少が混在している。『立川ドライブ』と『砂町の王』の間に『沼袋十人斬り』。落語、歌舞伎とロードムービーならぬロードプレイが生まれる。股旅ものと言ってもいいかも知れない。具体的な装置はほぼなくなり、転換手法が駆使される。

『砂町の王』と『沼袋十人斬り』の間にあった『葡萄』(個人的にとても好きな作品で、再演してほしいとずっと思っている)には、(旅の果てに)帰ってきたやっかい者とそれを迎える者たちの衝突、やっかい者がやっかい者たる所以を知らないよそ者との交感が描かれた。一度は別れたものの、繋がりを断てずグズグズになった関係と、そこへ新しい風を吹き込む「当時」を知らない者。

こうやってみると必ず前後作との繋がりがある。勿論独立して観ても構わない作品ばかりだが、それでもこの劇作家の作品は続けて観ていきたいと思わせる。次はどんな新しいことがあるのか、次は旧作のどんなところが姿を変えて生き返るのか。

当日パンフレットにいつも記載されている次回公演のお知らせはなかった。「次回」はいつも、一年近く先のことだったりした。ひとまず劇場をおさえるのをやめたのだろう。『公演の挨拶』に、「もしかしたらこれが劇団の最後の公演かもしれない」と赤堀さんは書いていた。思わせぶりな言葉だ。それを読んでから本編を観たので、出演者全員にプレゼントのような、はなむけのような台詞があるように思えた。劇団員も客演もバランスよく成り立つ出来映えで、そのうえで劇団員の新しい面も見ることが出来た。今回出演していない、そして降板した劇団員もいる。休んでみるのか、そのまま終わるか。こちらはただただ待つばかりだ。

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よだん。ダブルアンコールだったんだけど、スズナリって楽屋が離れなのかな?随分時間経って赤堀さんが出て来たんだけど、続いて誰も出て来なくておろっとしてて、そこで初めて素の赤堀さんだったのでホッとした。照れているようないい笑顔だった

よだん(じゃない)。なんか赤堀さんのことばっか書いてますが演者が皆さん素晴らしかったんです! 気のいい役の野中さん久々に観た、やだ素敵! 児玉さんダメ人間なのにふとしたことですんごい格好いい人物がもー本人の資質なのか演技なのか判らなくて素晴らしい! 日比さんはもう天使、なんていい子なの! 滝沢さん大トリの存在感、持ってかれた! のびのびした遠藤さんを観られて嬉しかった! 駒木根さん初めて観た方ですがすごい存在感でビビッた! 勢古さん一場だけの出演だったけど何あの子の行く末すごく気になる……。
黒沢さんは『南部高速道路』のとき赤堀さんが「黒沢あすかに啖呵切られて傷つく」とか言ってたの思い出してニヤニヤした。赤堀さん罵られたかったのね…いいもの観られた(ほろり←?)。成志さん、『はたらくおとこ』をちょっと思い出した。一歩ひいてるようでいて、何かを背負ってる感じ。男前。
そして銀粉蝶さん、今作のタイトルが含まれたあの台詞を彼女の声で、詠うような語りで聴くことが出来てよかった。



2014年09月13日(土)
『火のようにさみしい姉がいて』

シス・カンパニー『火のようにさみしい姉がいて』@シアターコクーン

清水邦夫が木冬社のために書いた作品を、蜷川幸雄が演出する。かねてより蜷川さんは「清水の戯曲でも木冬社作品にはいつも苛立ちがある。でも自分が演出することはないと思う」と言っていたが、今回「プロデューサーにけしかけられた(笑)」とのこと。観客としては北村さんに感謝するばかり。

近年の蜷川さんは、若手とのコラボレーションを積極的に行う反面、もう亡くなったり新作が書けなくなっている同世代の劇作家たちの作品を上演することに意識的だ。公演の企画が立ったのはその前なのだろうが、今年に入って今作の初演で妻、再演で中ノ郷の女を演じた松本典子(清水さんの伴侶でもある)と、再演で男を演じた蟹江敬三が立て続けに亡くなっている。蜷川さんの心中は察するに余りあるが、生き残りがこれらの作品を未来へ伝えていくのだと言う使命感のようなものもあるのかも知れない。新しい演出や役者を得て再演が繰り返される作品は幸福だ。「巨匠」「御大」「昭和」と言った揶揄などに構っている時間はない。

『オセロー』をモチーフに、茫洋とした望郷と幻想、舞台上の役では飽き足らず自身をも演じる俳優。ふいにそこから顔をのぞかせる真実と悲劇。日常に潜む詩情、敗残の苦渋と言った特徴はあるものの、清水作品のなかでは結構異色なものだと思われる。不条理、土俗ホラーの様相すらある。イアーゴは誰だ? と言うミステリとしても読める。蜷川さんの視覚化はかなりのガイドになっている。助けられた感じすらある(それは毎度のことではあるが)。

シアターコクーンの奥行きある舞台を贅沢に使っている。本筋が演じられる演技エリアはとても狭い。ちょっとした拍子で役者は舞台から転げ落ちてしまうのではないだろうか(実際小道具のいくつかが零れ落ちてきた)と思うくらい、客席との境目ギリギリ迄の数メートルと言ったところだ。その上その演技エリアには緻密な具象装置がひしめいている。この「奥行きを封じる」手法は『欲望という名の電車』からの印象が強い(『真情あふるる軽薄さ 2001』のときは、あの設定にも関わらず奥行きが“あった”のだ)。逃げ場のない閉塞した人間関係が、より切迫したものに映る。しかし今回の舞台は、現実に生きる登場人物たちが存在することを許されない場所がレイヤーとして存在する。

マジックミラーで仕切られた舞台の奥に拡がるのは暗闇。楽屋と合わせ鏡になるような理髪店の暗闇で、中ノ郷の女が仕事に励む。しんしんと降る雪の夜、毒消し売りの女性たちが通り過ぎ、新発田サーカスが現れ消えていく。暗闇にいるものたちには死の影が濃い。同じように理髪店と合わせ鏡になった楽屋では、裏方を務めていた劇団の青年がオセローとなり、若い肉体と精気を漲らせる。そのとき理髪店では、かつてオセローを演じた男が瀕死の状態となっている。暗闇の場所が逆転しつつあることが示される。幕が開き、鏡の向こう側に気付いたときのインパクト、その暗闇の魅惑的なこと。美術の中越司、照明の服部基の面目躍如。作家、演出家、出演者は勿論だが、こういうスタッフワークが観たくてニナカンを観にきているのだ(今回の制作はシスだが、座組はニナカンと言ってもいいものだと思う)。前田文子の衣装も素晴らしい。宮沢りえのまとうコート、ワンピースの色彩とシルエットの美しさ!

俳優と言う生業そのものにもシビアな作品。それを演じる演者はやはりシビア。しかし彼らは軽やかで、シビアのなかのユーモアを見逃すことはしない。大竹しのぶの「ハハハハハ」と言う笑い声と裏腹に目が笑ってない顔は伊藤潤二のマンガを連想する程で、そのおっかなさに震え上がると同時に笑いがこみ上げたし、それを受ける段田安則が巧い巧い。同時に段田さんは匂い立つような色気をも発している。宮沢さんは、献身的な妻から演じることのプライドを噴出させる俳優と言う、複雑な変化を辛抱強く演じている。三人の緊迫感溢れるやりとりが見事。記憶しにくいのか発声しにくいのか、珍しく三人とも噛んだり台詞に詰まる場面が多かったのが気になるが(こんな彼ら、すごく珍しいと思う)、それを追いやるくらいの演技合戦を見せてくれた。演じることは苦しいが、それを軽く凌駕する快楽があるものなのだ。そう言っているようだった。三人は官能的ですらあった。

三人を取り巻く「故郷の人々」はつかみ所がないのに存在感が強烈で、その誰もが印象に残る。山崎一は性別も年齢も曖昧模糊となる、故郷の幻想そのもののような役を巧みに演じる。市川夏江、立石涼子、新橋耐子の三婆、西尾まりは故郷に留まり歳を重ねるひとたちの時間を体現。そして中山祐一朗と平岳大は上越の妖精のようでしたよ…片や帰国子女、片や高校〜大学をアメリカで過ごし英語ベラベラな子なのに(笑)何故ハナタラシが似合う、何故どてらが似合う。ゴールドの面々は毒消し売りの婆だけでなくサーカスのダンサーも務める活躍ぶり。ネクスト内田健司はワンシーンだけの出演乍らも目を惹く。満島真之介はひとり「故郷」とは無縁の人物。気のいい若者とオセローの野望の両面を、若者の肉体の美しさとともに見せてくれた。

観客の年齢層は広かった。どちらかと言うと高めか。清水さんや蜷川さんと同世代であろう方も多かった。この手の作品がこの規模の劇場で上演されること、それが満席になっていることは心強い。上質な舞台を提供してくれると信用出来るシス・カンパニー、作品選びの姿勢と制作の手腕に敬意を。

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よだん。戦中戦後のどさくさに紛れて性別を偽る(演じる)人物が『火のようにさみしい姉がいて』にも『cocoon』にも出てくるのでハッとした。藤田くん、蜷川さんと何かやってほしいな。時間はそう沢山あるもんじゃない

よだん2。こないだのゴールドシアター公演を観たときにも思ったが、ゴールドの皆さんの身体能力な……。私が彼女たちの年齢になったとき、ラインダンスが出来るだろうか? 今だって怪しいよ! 身体のメンテだいじ! と思いましたいやマジで



2014年09月09日(火)
坂東彌十郎 坂東新悟 親子会『やごの会』

坂東彌十郎 坂東新悟 親子会『やごの会』@日本橋公会堂

満を持しての自主公演! 父子とお弟子さん三人、一門総出です。めっちゃよかった…はー……。番組も考え抜かれたのだろうなあ。この記事によると「まず『関の扉(と)』ありきでいつか新悟とやってみたいなと思っていた。『壺坂』は祖父の十三代目守田勘弥の写真資料が出てきたので」とのことで、十三世守田勘弥所縁の演目から選んだようですが、彌十郎さんと新悟くんふたりの歌、舞、伎が堪能出来るものばかりでした。出ずっぱりのおふたりをガッツリ観られるこの幸せ!

■『鶴亀』長唄囃子連中
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帝=彌七
鶴=彌風
亀=彌紋
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唄=鳥羽屋三右衛門、芳村伊千四郎、芳村翔太郎
三味線=杵屋栄十郎、松永忠史朗、杵屋五英治
笛=鳳聲喜三雄
小鼓=望月太左吉
小鼓=田中傳左衛門
大鼓=福原鶴十郎
太鼓=住田長十郎
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御祝儀物で華々しく幕開けです。この時点で囃子方がガッツリついていておおっとなる。自主公演って音楽はテープ(今だとデータか)だったりするものらしいですが、これは本格的にやるのだなとこちらも身が引き締まる思い。今回六列目のドブ席(久々!)で舞台がすごく近かったのですが、演者の目線の動き迄ハッキリ見える。お三方の緊張の程が窺えました。

■『壺坂霊験記』一幕
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座頭沢市=彌十郎
女房お里=新悟
観世音=日下部大智(子役)
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浄瑠璃=竹本六太夫
三味線=豊澤長一郎、鶴澤公彦
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前回観たのは三津五郎さんと福助さんだった。福助さん、復帰出来ますようにと思う。
温厚な沢市、しっかりもので情に厚いお里。弱気になる沢市を励ます場面、谷へと落ちた沢市を見付けてぐらりとよろめく場面。新悟くんの堂々とした立ち振る舞い、そして自在な台詞まわし! 通して思ったことだが新悟くんホント肝が太いわ。ふたりとも大柄なので夫婦のつりあいもよく、絵になる。
そして終盤、目が開いた沢市が初めてお里の顔を見る場面。こんなに笑うとは思わなかった…そして心がほわりと暖かくなった。彌十郎さんの人柄が滲む、柔和でかわいらしい沢市だった。父子が演じる仲睦まじい夫婦、堪能しました。
子役ちゃんもかわいかったよ。そしてふと思ったが、あの観世音の頭の飾りは電飾な訳だが、電気のない時代ってどうやってたのかしら。そしていつから電飾使うようになったのかしら。

■『積恋雪甘関扉』下の巻 常磐津連中
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関守関兵衛実は大伴黒主=彌十郎
傾城墨染実は小町桜の精=新悟
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浄瑠璃=常磐津兼太夫、常磐津菊美太夫、常磐津千寿太夫
三味線=常磐津文字兵衛、岸澤式松、岸澤式明
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花道で彌十郎さんが身を翻すと衣裳の裾が顔にぶつかりそう、なくらい近い。当然動くと風が起こり、頬に当たる。お香が薫き染められているのかほのかによい匂いがしました。着物の美しい細工がよく見えたのも嬉しかったな。
何度も言うがおふたりとも大柄なので、ダイナミックな立ちまわりと舞が素晴らしく舞台映えする。衣裳に着られないし、おどりも大きい。鶴の舞ですね。そのうえ大伴黒主なんて斧振りまわすもんだからもー、すごい迫力です。
本衣裳での引抜、所謂「ぶっ返り」も観られました。関兵衛が大伴黒主へと姿を変える際隈取りも変わるのですが、斧で顔を隠してご自分で描くんですね。斧のなかに鏡が仕込んであるのだろうか、ヘンな話だがちゃんと描けていることに驚いたりして。
雲の美術がすんごいかわいかった(この記事の△諭法小道具扱いと言うだけある!(?)ゴロゴロって感じの模様もかわいい。

浄瑠璃ものが二作だった訳だけど、生身の人間が役に身体を貸すと言うことが、ふたりを観ることですごくクリアになった。もともとは人形浄瑠璃が主の義太夫狂言。父子で夫婦を演じたり、誘惑し誘惑され廓遊びに興じる男と女を演じたり。役者と言うものの不思議をしみじみと噛み締める。義太夫節によって互いの心情は語られ、その浄瑠璃は物語る。「夫の死骸!」とか唸られるとひいっとなりますよね……竹本六太夫さん、圧倒的でした。何度も汗を拭いてらした。目元も拭っておられたが、あれだけ力入れて謡えば涙も出るだろうなあ。

前述したとおり、囃子方も衣裳も装置もガッツリ揃えてきており、全く手を抜いていない自主公演。twitterに書かれた感想でも散見されましたが、演者の素晴らしさと言い、ホントそのまま本公演にかけられるのでは…? と言うクオリティでした。ロビーは平成中村座のお茶子さんたちが取り仕切り、プログラムも完売しておりました。よかった。そうそう、物販には彌十郎さん撮影のスイス写真ポストカードセットもありましたよ。

カーテンコール、深く一礼して戻ろうとする新悟くんを呼び止めた彌十郎さん。握手を求め、両手でふわりと新悟くんの手を包みました。わき起こる拍手。千穐楽だったこともありしみじみした…いいものを観た……。上演に際しての諸注意等、場内アナウンスもおふたりでされていたのですが、幕が降りたあと彌十郎さんの「本日はご来場頂き、本当に有難うございました」と言う声が響き、帰途につこうとしていた観客たちから再び拍手が起こりました。たいへんな興行だろうけど恒例にしてほしいなあ。またの機会を楽しみに待っております。

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・おまけ
そういえば秀太郎さんが今回の会のことを彌十郎・新悟親子のリサイタルって書いてたのにニヤニヤしましたよ…(リサイタル→ジャイアンと連想してしまう)



2014年09月06日(土)
『攻殻機動隊 ARISE border:4「Ghost Stands Alone」』

『攻殻機動隊 ARISE border:4「Ghost Stands Alone」』@新宿バルト9 シアター9

やー初日に行ってしまいましたよ。舞台挨拶付きの前の回だったけど、ほぼ満席でした。シリーズ最後の話と言うこともあるが個人的にはいちばんグッとくる内容だったー。『オズの魔法使い』がモチーフの一部だったってのがまた…ブリキの木こり、案山子、ライオンときて魔法使いは草薙でーそうだよウィザードだもんね。で、海に行きたかったんだよねーネットの海に! 海が見たいとか言うともうその先はー! 先はー! うわああああん(例:『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』)。

エマとブリンダジュニアが、webにゴースト(記憶でもある)だけを逃がしてでもなんとか生き残ろうとしたってところがもうね…この行為を「生き残る」と言えるってところが……なんかねー『Lost Memory Theatre』観たあとってこともあり涙出ちゃった。この出来事があったから、草薙はその後ああいう選択をしたのだろうなあと思えてね。ほろり。

思えば今回のシリーズって英題がもう『GHOST IN THE SHELL』で、9課設立の前日譚ではあれど、最終的には押尾監督版に繋がっていくと考えられるんですよね一応。TVシリーズ版の要素も勿論盛り込んでありますし、ARISEシリーズが始まったときは他シリーズとは別ものの物語だ、とことわりがあった憶えもありますが(草薙が生まれたときから全身義体なのは何故かって記憶がもう違ったりしたし)、今回「何故素子が最終的にああいう選択をしたのかと言うことに繋がるように…」って記事もあったし。

で、今作は『GHOST IN THE SHELL』をはじめとした各シリーズへのオマージュが満載だったんです。光学迷彩が出てきたときにはうわうわうわってなりましたし、草薙が「そう囁くのよ、私のゴーストが」つったときはもうキターーーーー!!!!! って感じでしたよ。「ひっ」とか声出そうになった(笑)。エマが調査されるときの画角も人形使いのそれだったし(なんか顔立ちも似ていたわ…目とか)、ハッチ開けるときの草薙の腕がメキメキってなるとこもなー。あれ衝撃だったもんな……。

衝撃と言えば、今回クリスマス前後のお話だったんですが、ひとまず事件が解決したあとメンバーがそれぞれのクリスマスを過ごすシーンが衝撃だった…ぼ、ボーマが、チキンを焼いて…こたつにはイシカワサイトーパズが待ってて……みかんとか食べてて……………。もう「!!!」となるやら「???」となるやらですごい狼狽したわ。border:3ではやたら食べるシーンを強調していたけど、こういうメンバーの日常がぽんと挿入されると楽しいやらおろっとするやらで大変です、面白くて。「スタンドアローン」って台詞が出てきたところや、最後の草薙とバトーがクルーザーにいるシーンはTVシリーズへのオマージュですね。バトーが仮想空間で脱がされて(笑)その後草薙に一発で叩きのめされる流れとか、コミカルなシーンのテンポもよかった。そして荒巻さんがちょ〜格好よかった! 終盤の台詞は事件の発端(border:1)にも、9課設立にも、草薙の心情を動かす要因にも関わってくる。冲方さん粋! と思った。

そしてエンドロール後スクリーンに浮き出た文字、『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL 新劇場版 2015年公開』。あ、なんかそんな気がしてた…会場がちょっとどよっとなりました。いやーどんな内容になるのか、そしてスタッフ陣はどうなるのか? 楽しみです。

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■おまけ
先日(8/9)池袋の西武ギャラリーで開催された『攻殻機動隊 大原画展』にも行ってきたんでした。士郎正宗の原作連載開始から25周年と言うことで、その原作、映画版二作(『GHOST IN THE SHELL』『イノセンス』)、TVシリーズ三作(『S.A.C.』『S.A.C. 2nd GIG』『S.A.C. SSS』)にARISE四作の原画が網羅出来ると言うとても貴重な機会。
それぞれの絵の違いは勿論だけど、チームで作ってるんだなあと言うのがしみじみ見られて面白かった。原画の余白が連絡帳みたいになってて、先輩から後輩へ「ここはこう描いといた方が他の動きの予測がつきやすいから次回からはこうして」ってアドバイスが書いてあったり、あと多くのひとがチェックするから検印が入ってるんだけど、押井さんの検印がいぬのハンコなの〜! ぎゃわうい!
それにしても『GHOST IN THE SHELL』の背景原画はすごかった…目に入った途端ホントに鳥肌がたった。九龍城砦な。十年前に消滅した風景。

・カオス過ぎ!!実在した今はなき伝説「東洋の魔窟・九龍城砦」 | PHOTO HACK

『イノセンス』のいぬガブリエルの等身大フィギュアやタチコマロジコマの等身大ビニール人形(? 空気入れて膨らませてるぽかった)展示もあり、グッズや関連書籍も充実してました。いや〜観られてよかった