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2013年02月24日(日)
『2013年・蒼白の少年少女たちによる「オイディプス王」』

さいたまネクスト・シアター『2013年・蒼白の少年少女たちによる「オイディプス王」』@彩の国さいたま芸術劇場 インサイド・シアター

いやー、凄くよかった……。『ハムレット』(一回目二回目)は昨年観た舞台のベストワンでしたがこれも相当です。もうネクストシアターはリピートを念頭においてチケットとった方がいいかな。今回はスケジュールが混み合ってて初見が千秋楽だったんだよー!しかも「オイディプス役とクレオン役を川口覚と小久保寿人のシャッフルで稽古してます。さあどうなるでしょー」みたくレポートされてたところ、開幕直前になって「ダブルキャストでいきます」とアナウンスされてのたうちまわったね。両ヴァージョン観たかったよよよよよ。

第四回公演にして初の客演なし。過去の本公演『真田風雲録』『美しきものの伝説』『ハムレット』は過剰な装置や仕掛けで役者たちにハッパをかけていたが、今回のセットはテーバイの風景を描いたバックドロップのみの裸舞台。衣裳もシンプル。思えばネクストシアターには、蜷川スタジオ、ヤングニナガワカンパニーと言ったこれ迄の若手集団とは違うハードルが課されていた。古典作品を真っ向からぶつける。口語表現ではない台詞を乗りこなし観客の耳に届ける、無意識の域に迄持っていった所作を観客の目に届ける。これが効果をあげている。そして人間が抗えない存在=神が存在するギリシャ悲劇を成立させるには、役者の熱量が必要だ。どうしても変えられない運命に立ち向かう。斜に構えている余裕はなく、あらゆる感情をさらけ出す。

コロスは身体ひとつに背負った三味線を慟哭とともにかき鳴らす。「私たちは若いのです」と言う台詞が痛切に響く。舞台を持て余さない程の力を役者たちは身に着けている。カオスに満ちた光景、これはアガる!

観た回はオイディプス=小久保くん、クレオン=川口くん。小久保くんは『ハムレット』のホレイシオ役でのクレヴァーな台詞まわし、それと相反するキレのよい身のこなしが印象的で、一気に認識した役者さん。次のザ・ファクトリー2『火刑』では繊細な感情が一挙に崩壊する激しさに驚かされたものでした。民衆にウガーと火を噴くようなエモいオイディプスをどうやるのかな…と楽しみにしていたのですがこれがよかった!全身の力を声に載せているような迫力で、決して通りがよくはなく若干ハスキーな声(でもこのひとの声好きだなあ)が、台詞の意味を伴いスパンと頭に届きます。と言うか、頭にねじ込まれる感じすらした。上半身裸の装束だったので、台詞を発する度に肩甲骨が大きく動くさまがよく見え、声が視覚を伴っているかのようでした。また綺麗な身体つきなんですよね。マッチョではない、無駄なくついた筋肉が、薄い皮膚の下にあると感じさせる。バレエダンサーのよう。しかもちょー運動量多い(笑)舞台をコの字型に囲む客席の階段を駆け上る、駆け下りる、クレオンをはったおす、ティレシアスをふんづかまえる、イオカステをしがみつくように抱きしめる。栗原直樹さんの名前がスタッフクレジットにあったので、アクション指導は栗原さんだったのかな。身体のキレも存分に発揮、ホントこのひと動きが美しい。あとキスシーンも綺麗。いやーいいわーこのひと。『盲導犬』への出演も決まっているので楽しみだ!

クレオン川口くんは基本抑えの演技、しかしオイディプスと対立するときの姿勢に鋭さを感じさせます。小久保くんとのやりとりが多いので、ハムレットとホレイシオの関係性を、逆の立場になって見ているよう。家族でもあり、友人でもあり、理解者でもある。盲となったオイディプスへの毅然とした振る舞いがまたよくて、彼からこどもたちを引き離すときの残酷なシーンにも、やむを得ないが上の優しさを感じることが出来ました。いやーしかしこうなるとやっぱオイディプス=川口くん、クレオン=小久保くんのヴァージョンも観たかったわ…どんなだったんだろううわーん。

コリントスからの使者役、松田慎也さんは受けの芝居がどんどん巧くなるなあ。ユーモアを交えたキャラクターで、しっかり笑いもとっていた。ネクストから役者を志したとは思えん…長身だし、もともと姿がいいひとなので中央に立つ芝居でも惹き付けられるし、コロスやってるときにも目が行ってしまいます。そして巧いと言えば手打隆盛さん。こちらはネクストに入る前から舞台経験豊富だった方で、ネクストの老け役を一気に請け負っている印象です(笑)。ふたりとも既にニナカンのプロデュース公演に出演しているし、これからもその機会が増えていくのでしょう。土井睦月子さんも同様で、今回の宣美にあるよう男ットコ前な美形でもあり、母、妻と言った役をセクシュアルな色気を漂わせつつ演じられる貴重な女優さん。てかこれ迄ハムレットのガートルード、今回のイオカステと禁忌の愛に身を投じる役が多いので(『話してくれ、雨のように…』でもワケあり女性役だったしね)、逆に現代の若者の姿としての彼女を観てみたいと言う欲求も沸きました。

蜷川さんがいらしてました。この公演の稽古中に入院、それについての報告と挨拶が客席に配布されていました。演出補は井上尊晶さん。こういうことはこれ迄にもあったし、これからもある。蜷川さんがやりたいこと、形にしたいことをスタッフや役者たちが汲み取る作業も多くなる。それがどのくらい伝えられるかを観ていくことにもなる。退院されてひとまずよかった、おだいじに。まだまだ蜷川さんの作品、沢山観たいのです。客席から蜷川さんを見付けた吉田鋼太郎さんが、ほっとした笑顔を向けて挨拶していたのが印象的でした。四月の『ヘンリー四世』に鋼太郎さんは出演されます。稽古が始まるのももうすぐなのでしょう。

その鋼太郎さん、カーテンコールでスタンディングオベーション(そうスタオベありましてん、予定調和じゃないやつ)。気付いた出演者の顔にぱあっと花が咲く、小さく手を振る。そういえばネクストシアターの千秋楽観たのって初めてだったなあ。キリキリと切磋琢磨しているのだろうな、と思わせられる舞台上の彼らからは想像もつかないかわいらしさ。小久保くんも今度はあなたが前に出なさいよ、みたく他の役者さんを前に押しやったりしてて、それがペンギンのおしくらまんじゅうみたいで微笑ましかったわー。そんな普通の若者である彼らの姿を垣間見られたことになんだかジンときました。

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その他。

・思えば『オイディプス王』で涙したのは初めてだったよ!物語をすっと心にしみ込ませてくれた演者の力もあろうが、何かしら、歳かしら。こどもの泣き声に一緒にえーんとなったよ!

・つうか両目抉って血ーだらだらのおとーさんてショック過ぎる。おかーさん首吊って死ぬし…てかそういうとこもこれ迄はあんま印象に残ってなかったわ…(ホンのヴァージョンが違うものなのかも知れないが。私が過去観たのはソフォクレス作、山形治江訳で、今回はホーフマンスタール脚本、小塩節、前野光弘訳。あ、あと山の手事情社の翻案で観ているのを今更思い出した。それ言ったらZAZOUS THEATERの『Thirst』も翻案だが)それこそイオカステの最後はギリシャ悲劇の常で「報告」されるだけなのだけど、その台詞がいちいち刺さってなあ……
(追記:『埼玉アーツシアター通信 No.43』にホンと訳のヴァージョンについて詳しく書いてあった!→PDF版P6-7

・終演後。
「酷い話だよねー」
「ほんっと酷いね!くるぶしに穴開けてひもで繋いでとかもう酷過ぎ!オイディプス可哀相!おとーさんもおかーさんも、育てのおとーさんもおかーさんも羊飼いも可哀相!」
「そもそもさあ、オイディプスを殺そうと考えなきゃよかったんじゃん?神さまは試したんだよきっと!」
「……!(ソノ発想ハナカッタワ)」
「そんな神託あってもこどもを見捨てたりしません!て言ったら神さま『よおしおまえたちの愛は本物!幸せに暮らせ!国も繁栄!』とか言ったんじゃね?」
「……そ、そうかも………神さま気まぐれだよね………」
「ギリシャのひとたち神さま信じ過ぎ!(そんな身も蓋もないことを)」
「あーなんでこうギリシャ悲劇とかシェイクスピアとか、神さまが出てくれば解決とかもー!腹立つ!オイディプス可哀相!(ループ)」
古典劇の理不尽さを現実に結び付けて世間話のように話せる楽しさ

・あ、あとね『セルロイド レストラン』に繋がるような台詞があってわあーと思った。楽観的に生きることについて。人生の対処法て2500年前から変わらないのねー

・80〜90年代の蜷川さんとこには宇野イサムさんと言う作家がいて、このひとの作品はどれも好きだったなー。『待つ』シリーズや『春』のなかの、ちょっと不思議=SF?な短編の数々。ネクストシアターは若手のスタッフも育てているようですが、作家は在籍させないのかな。古典劇での表現が身体に馴染んできたら、現代劇作家の作品上演もあったりするかなあ

・カフェペペロネ、本日はチキンマカロニグラタンをいただきましたー。具がごろごろー!おいしかったー!強風で埼京線が遅れて焦った。いつもはペペロネでごはん食べたあと館内を散歩するんだけどその時間がなくなり、パネル展を観られなかった(泣)



2013年02月23日(土)
『ホロヴィッツとの会話〼』

『ホロヴィッツとの会話〼』@PARCO劇場

オープニングの映像や宣材でタイトルの後についていた「〼」がかわいかったのでこっちでもつけちゃう。しみじみよかった〜。いいホンを巧い役者が乗りこなしたときのドライヴ感!

歴史上よく知られている人物と、その人物の陰で忠実に働いた人物の間にはどんな言葉が交わされたのか?当事者しか知り得ないあんなこと、こんなこと。会話によって浮かび上がる不在の人物。その姿、その人生。史実から想像力を膨らませ描かれたある一日を、観客にもおすそわけ。三谷さんが得意とする作劇法ですね。

天才ならではの感覚の鋭さがハッタリではないことを示し(水のこともそうだし、近所でピアノを練習している子の特徴を言い当てるくだり、性別以外はドンピシャに違いないよね)、あ〜このヘンクツっぷりはホンモノならではだな〜と思わせられるホロヴィッツ。実際彼にとって、音楽以外の生活は妥協だらけ、本人の言葉を借りれば「私が我慢すればいい」ことだらけで、生きにくいことこの上ないのでしょう。そうやって一所懸命生きている姿が垣間見られて憎めない。妻ワンダはそんな扱いにくい夫をたしなめ、律し、おだてて叱る。どんなにダンナに毒づいても、その言葉の裏には「このダンナにこれだけ向き合えるのは私だけだ」と言う確固とした誇りを持っている。周囲はそんなふたりに気を遣い、ときにはハンマーで殴りたくなりつつも、敬意と愛情を持って接していく。

このホロヴィッツ夫婦を演じる段田さんと高泉さんがもー、もー。ぴーとさんの「ハブ対マングース」と言う表現に大ウケしたんですが、ホントすごかったわー。高泉さん、音楽活動もあるし、ご本人のポリシーか、特殊過ぎて(誉めてる)キャスティングが難しいのか判らないけど(いや両方だろう)なかなか客演で観る機会がない気がするのね。ご本人主宰以外の公演で観たのって多分『エレファント・バニッシュ』以来だし…これからどんどんいろんなところで観たいなあ。誰か!演出家の方!お願いしますよ!って、それは高泉さんが決めることだが。

和久井映見さんは普段聴いている声とは全く違う発声で一瞬戸惑ったのだけど、舞台として、翻訳ものとしての声と了解出来てからはとても魅力的な耳馴染みになりました。また舞台で観たい!そして渡辺謙さん。妻やマエストロへの受け答えで兄のようになったり、父のようになったり。信頼出来るパートナーでもある相手との関係性を浮かび上がらせ、終盤のモノローグでその人物像が育まれた過程を見せる。この告白のくだりはちょっとだけとってつけた感が否めなかったのですが、そう感じさせない渡辺さんの「聴かせる力」は素晴らしかったです。

偉業と名声の裏で、当事者たちの心にそっとしまわれた悲しい出来事、当事者にだけしか理解し得ない幸福なやりとり。心がじわりと温かくなる終幕を噛み締めつつ、足取り軽く劇場を後にしました。



2013年02月20日(水)
『ゼロ・ダーク・サーティ』

『ゼロ・ダーク・サーティ』@TOHOシネマズ渋谷 スクリーン2

『ハート・ロッカー』がアカデミー賞を受賞したときの、キャスリン・ビグロー監督のスピーチを憶えている。



(ジェレミーとガッシと漢らしいハグするとこがいー!“三人のギャングたち”の喜びようにもジーンとくる)

日々命懸けの仕事に従事する、世界中の女性たちと男性たち。そんな彼らへの敬意に満ちたスピーチだった。ジャーナリスト出身の脚本家マーク・ボールと組んだ『ハート・ロッカー』では地雷撤去に従事する男性たちを描いた。同じコンビによる今作では、ビン・ラディンを追う女性たち、そして男性たちを描く。

乱れた走査線から始まるオープニングはパーフェクトピッチブラックな画面。本国上映では、勿論字幕もない。聴こえてくるのは9.11、ワールドトレードセンターにいるひとたちの通話記録。一瞬これが映画だと言うことを忘れ、当時のことがまざまざと思い出される。あれからたった十年なのか、もう十年なのか。絶妙な導入。

ビン・ラディン殺害に到る迄の経緯と作戦実行の様子が緊密に描かれます。爆発も銃撃戦もあるのに静かに感じた。途中音楽が邪魔に感じたくらいでした(アレクサンドル・デスプラすまん…ちなみにこのひと『アルゴ』の音楽も担当しています)。CIA局員の日常がちらちらと入るバランスもいい。最初はリフレッシュにと外食に出掛けることが出来る、本部での勤務時にはメイクもしている。任務が進むにつれ、後輩からの食事の誘いも断るようになる。前半多かった喫煙者がどんどん減っていく辺りにもこの十年の流れを感じました。CIA局内にもイスラム教徒がいることを示すシーンも印象的。

邸宅にDEVGRUが突入した瞬間、基地で作戦を見守るマヤが一瞬見上げる時計にその時間が表示される。0:30(ZERO DARK THIRTY)。ここからの三十数分はほぼ実際の時間経過だそうだ。男は心臓と頭に銃弾を撃ち込み確実に殺す、抵抗した女も殺す。抵抗しない女と子供は傷付けずひとところに集める。潜伏先にあったHDD、ファイルを回収し、証拠となるヘリを爆破し、あっと言う間に現場を去る。プロの仕事に舌を巻きつつ、“そういうプロ”がいることに改めて言葉を失う。

ハイスクールでのリクルートでCIAに入局、社会人として最初に与えられた仕事は「ビン・ラディンを探し出せ」。マヤはこの十年間、ひたすらこの仕事に打ち込む。同僚に「ともだちはいるの?」と訊かれた彼女は答えに詰まる。その同僚は自爆テロにより殺害される。マヤは監視チームのリーダーに「友人たちのために、私が決着を付ける」と言う。“友人”と呼べるようになった人物は既にいないのだ。チームを率いるようになり、男性同僚から「この指揮権を守り抜け」と声を掛けられ(この台詞にはシビれた!)、初対面時彼女に重きを置かなかった長官からは「適任だったんだな」と言われるようになる。高卒ルーキーのがむしゃら奮闘記でもあるが、その濃密さは想像を絶するものだ。作戦終了後の達成感はとてつもないものであっただろうが、そこに爽快感はなく、ひたすら苦さが残る。「どこへ行くんだ?」と声を掛けられた彼女の涙は、解放感からくるものか、虚脱感からくるものか。ジェシカ・チャステインの無表情はときに冷徹、ときにエモーショナル。

主人公マヤのモデルとなったCIA諜報員はその後昇格もせず、報償も与えられていないと言うニュースが最近話題になった。同シーズンの公開、CIAの活動を追った作品と言うことで比較されることも多いだろうが、『アルゴ』の主人公トニーも数十年功績を伏せられていた。ひと知れず業務を成功に導き、ただひたすらに、自分に課せられた任務を全うする責任感と情熱を持ち続ける人物たちをビグロー監督は撮る。そこに政治的見解はなく、ボールの緻密な取材から得られた状況をひたすら撮る。拷問があった事実を描くがそれの是非は問わない。諜報員たちの精神的疲弊は描くがその説明はしない。逡巡の表情も作戦の前には一瞬で通り過ぎてしまう、しかししっかりと捉え、余計な深追いはしない。終始緊張感に満ちた158分、非常に見応えがありました。

ビン・ラディンが殺害されたのは東日本大震災から二ヶ月弱のことで、正直それ程印象に残っていない。ああ、そうなのか…それ以上の感想を持てなかった。あのとき何があったのか。そこに到る迄、どんなひとたちが関わりどんな話し合いが持たれたのか。ビン・ラディンが死んだことによって、何が好転しただろう。数年後あるいは十数年後、あの邸宅に残された子供たちはどうするだろう。このテキストを思い出した。サリンジャーは2010年に亡くなった。

・空中キャンプ『私たちまだ死んでない』

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■ところで
字幕、CIA長官の台詞だけがべらんめえ調だったんですが何故だ…実際そういう喋り口調だったのだろうか、そこんとこ英語堪能なひとに教えてほしい(笑)



2013年02月16日(土)
地球三兄弟ツアー2013『ここほれ三兄弟』

地球三兄弟ツアー2013『ここほれ三兄弟』@Zepp DiverCity TOKYO

あっはっは楽しかった。基本桜井さんをいじる会。普段はYO-KINGだけがいじるところ、そこに民生も加わる訳で、もうこてんぱんです。しかしYO-KINGと桜井さんのやりとりが長くなると「そこ!真心!」と毒づきつつ会話に入って来ようとする民生かわいい…って、ちゃんと名前あるんですよねアースにオーシャンにスカデスカイでしたっけ(微妙に違う)。

アルバム一枚なので持ち曲少なく、なのでカヴァーありコント(コント言うな)ありのゆるゆる楽しいひとときでした。民生がドラム叩いたりベース弾いたりYO-KINGがベース弾いたり。桜井さんがジミヘンだったりジェフ・ベックだったり。サポート奥野さんはレピッシュで培った(笑)サックス迄披露、しかもソロ吹いた。無茶しよる!ドキドキした!SAKEROCK伊藤くんのドラムも場を締めててよかったわー、MCがぐだぐだになってくるとカウント入れて次の曲いっちゃうの。

それにしても台本あるんかいと思う程の段取りとやりとりでした。ドリフが根っこにある世代(笑)。裏方さんとの連係プレーも素晴らしく、桜井さんのともだちのテディベアが〜からの流れで「そんなこと言ったら!今頃裏でスタッフさんが大慌てでテディベア探しに行ってるよ!」なんて言ってたらホントに出てきましたからね。ダイバーシティのおもちゃ売り場に探しに行ったんでしょう。てかZeppがダイバーシティにあってよかったね…ご近所のZeppだったらヴィーナスフォートに探しに行ってたんだろな(笑)「優秀なスタッフがいて有難い」と言ってたけどホントだね!しかしそれに対する民生のクールな物言いがまた傑作で、ファンシーなものに対する冷たさが半端ないわ素敵だわ。その後全員分ぬいぐるみが用意されたのだが、民生のぬいぐるみの扱いがまた冷酷で最高でした(笑)。

あーあとシールド抜けておろおろする桜井さん見て、昔スペシャの番組で桜井さんがアベくんにカッティング習ってつっかかってああん!てなってたの思い出した(笑)。

ゆるい…ほんとゆるい……フロアもニコニコ(ニヤニヤ?)ゆるっと楽しむ…筈が、序盤も序盤で近くのひとが倒れて運ばれていきました、ひぃ。満杯だったうえに場内暑かったもんね……。年齢層も幅広くお子さんづれもいて、三人のキャリアの長さに感じ入ったり。歳とってえらくなるとこういう道楽が許されて、しかもそれで客呼べちゃうんだね〜なんて話しておりました。いやこれ嫌味じゃなくて。ジミヘンにビートルズ、お互いが唄うお互いの持ち曲。「あの頃の俺はがんばってた!いい仕事してた!」なんて自分で言えるくらいの財産があるっていいなあ。

こういうふうにのんびり音楽を楽しんで、それがリスナーの楽しみにも繋がる。そりゃいろいろ大変なこともあるだろうけど、そういうのをちょっとの間横に置いておけるひとときを過ごせる。いいなあ。うーん、彼らのファンが羨ましい。

こっからきみのわるいことを書きますので苦手なひとはスルーしてくださいなー。ここ日記だから!ツイッタとかにはうっかり書かないようにしてるから!こういうとこTLって用心するわー。

こういうことを思うのは、やっぱり自分がレピッシュやブンブン(のようなバンド)にドップリだったりするからですね。何をして「のような」かは、いろいろややこしくなるので割愛。察して!まああとなんだ…川島さんのこともそうだけど、某所で井上雄彦の『リアル』の主人公・清春が中野くんに似てるって話が出てて、あーやっぱそう思ってるひといるんだなーなんて思ってて。つうか連載始まった当初からしんこさんとかも顔から性格から似てる!って言ってたもんね。今になってそのシンクロニシティに愕然としてしまっている。どうしてブンブンと言うバンドがああなのか、それを理由にするのはお門違いかも知れないけど、根拠にはなっているだろう。そしてそれを指摘されるのを、バンドはよしとしないだろう。だから今迄通りに聴いていくだけなのだけど。しらゆきとか妖怪とか茶化し乍ら。

……うーん、しかしまあ、背景と方向性に違いはあれど、ポジティヴなのは一緒なんだ。北風と太陽みたいなものですかね。と、結局は羨んでしまう自分の資質に還ってくると言うもともこもない結果に。羨んでも仕方ないのは知ってる。



2013年02月10日(日)
『教授 ―流行歌の時代を、独自の価値観で生きた歌好きの免疫学教授、そして、観念的な恋愛に己を捧げた助手。』

『教授 ―流行歌の時代を、独自の価値観で生きた歌好きの免疫学教授、そして、観念的な恋愛に己を捧げた助手。』@シアターコクーン

この長いサブタイトル、当初は「流行歌の時代とある教授の人生」となっていました。チケットはこちらの表記。アフタートークでも中村中さんはこちらのタイトルを仰っていました。そしてパンフレットを読むと「戯曲に明確な終わりが書かれていな」く、エンディングは稽古の過程から最終的に決定される、とある。個人的には当初の副題に所謂“余白”を感じました。勿論テキスト自体の短さもありますが、決定稿の副題に具体的な説明が加わった分、登場人物に対するこちらの想像力に迷いが生じました。幕切れ、教授とルミの未来を心から祝福しつつも違和感を感じた。決定される前、稽古場ではどんなエンディングが、どのくらいのパターン演じられたのだろう。

まあこれは個人的に、ルミに対して思うところが多かったからで、そこにひっかかるひとがどのくらいいるかは私には判りません。こどもを産み育てる年齢的なリミット。1960〜70年代と言う時代。ルミが教授と過ごした十二年は長いか短いか。観念的な恋愛は十二年で終わりを告げたと言うことか?ルミ、よかったねえと思うと同時に、それでは教授は?教授の献身とは?と言う思いに、石を呑み込んだような気持ちになったのです。観念的な恋愛に、時間と言う壁が立ち塞がる。

勿論作り手側にそういった意図はなく、「こどもがほしい」と口にしたルミの願いは幸せに繋がるものだとしてこのエンディングになったのでしょう。しかし、男性はロマンティストで女性はリアリストとしてしか生きられないのか?と思ってしまった。現実に教授が折れたように感じた。「罪悪感」にまみれ、「殺される価値もない」と凍っていた教授の心が、ルミの強い思いに融かされていった、ともとれます。しかしそうなると、教授の「哲学」は罪悪感に起因した「自分を納得させるもの」としてしか機能していなかったことになってしまうのではないだろうか。

……いや、それでもいいのです。愛にはいろんな形がある。哲学、信念もそう。何をして成就したか、判断出来るものでもない。ただ、こどもがどうこう、と言う話がなければここ迄ひっかからなかったと思う。こどもが装置みたいに思えたところがつらかったです。とは言うものの、子は鎹って言葉もありますし、ものは言いよう。現実はそんなものかも知れないですね。「死ぬときくらいひとりでいたい」と言っていた(『TWELVE VIEWS』参照)スズカツさんがこういう話を書くようになったんだなあ、と感慨深くもありました。ま、これもものは言いようで、死ぬときひとりじゃない人間なんていないのです。

とぶつぶつ書いてますが、そこ以外はかなり好きな作品ですヨ!教授とウエハラのやりとり、教授の同僚たちとのやりとりの活きの良さにはすっかり引き込まれてしまったし、上條恒彦さんの歌声(これ、すごい贅沢!場が変わっての第一声と言う構成も巧い)には魅了されました。そうそう、ウーマンリブが赤旗に繋がるとこはウケた。お兄ちゃん典型的…ここ笑うところかと思ったんですが、誰も笑わなかったわ……。「寄生させてください」なんてギョッとするような台詞を吐き、一歩間違えればちょー押しが強く気味の悪い女性像になってしまうルミを、田中麗奈さんは明るさの奥に寂しさを滲ませる姿として見せていて健気だった。あの子見てると教授いい加減応えたれよと思うわね…ウエハラの気持ちがわかるわ!

中村さんの生演奏と唄も素敵で。衣裳が黒でピアノも黒だから、照明あたってないときでも白い手が浮かび上がって見えて、劇中歌だけでなく劇伴の演奏に入るタイミングも見えて面白かった。教授が愛した歌謡曲、ひとびとの暮らしに寄り添っていた歌謡曲。ああ、それそれ!と「誰もが知っている」歌の行方を、今探しているようにも思えてしみじみ。

あとあのオープニング!『セカンド・ハンド』を思い出したわー。照明の色味含めとても美しかったです。

話逸れるが椎名さんの教授像、ちょっと『BLACK OUT』を思い出してほわーとなったりしました。原案『1999年のゲーム・キッズ』が昨年『2013年のゲーム・キッズ』として復活、再び注目を集めていることもあり(関連記事web版の第一話。ちょービビる)。ああこのドラマすごく好きだったなあ、出演者も好きなひとばかりで。DVD化されてないんだよね…観たい!今ものすごく観たい!!!

五分の休憩を挟み、終演後と言うか第二部『昭和歌謡クロニクル』がスタート。中村中さんをホステスに、日替わりでゲストを迎え昭和歌謡についてのトークと共演の歌が聴けるものです。この日のゲストは山崎ハコさん。ダンガリーシャツにベルボトムのジーンズ姿で現れ、おお、当時のまま?(リアルタイムでは知りませんで…)と思ったら「プログラムに合わせてベルボトムを探し出してきた(笑)」とのこと。「織江の唄」を披露してくださいました。『青春の門』完結してないって知らなかった……。

またもや話逸れますが、山崎ハコさんのことですごい憶えてることがあって、80年代、NHK教育で『YOU』って番組をやっていたんですよ。好きでよく観てて。ある日のテーマが暗い音楽で、アンケート結果が一位YMO、二位中島みゆきだったかな。そこで司会の糸井重里が「いやでもこういうアンケートで一位になってれば暗くないでしょ、本当に暗いのは十位くらいだよ」と言って、その十位が山崎ハコさんだったんですよ…スタジオ中が笑いに包まれていました。そのことが強烈に記憶に残っていて、未だに山崎さん見るとこれを思い出す(笑)。

終演後行った呑み屋で興行についての真面目〜な話をしました。パンフレットをひろげていたら従業員?バイト?のお嬢さんに「行かれたんですか!?私来週行くんです!」と話し掛けられた。聞いてみれば初日開けてから公演のことを知ったとのこと。「チケットまだあってよかったです!でも…キャストもいいし、中村中さんも出るのに、なんで話題になってないんですか?」と質問されたよ…返す言葉がなかったわ……。そこでまた考え込んでしまって、またもや興行、制作、宣伝についてのシリアスな話をしましたよ。良質な作品と企画の向かうところ、ターゲットにする観客層、そしてその客層に知らせるためにどの媒体を使うか。難しい問題だと思いました。



2013年02月07日(木)
My Bloody Valentine JAPAN TOUR 2013

My Bloody Valentine JAPAN TOUR 2013@STUDIO COAST

観るのは2008年のフジ以来、単独では初でございます。先月末にケヴィンがもうすぐ新譜出すよ〜とコメント、ピーターとおおかみノリでああはいはいそうですか、なんて全然本気にしてなかったらホントに出て逆にうろたえましたよね……。小野島大氏のFBで話題になってましたが(つけられたコメントが非常に興味深い内容なのでFBご覧になれる方は是非。こちらです)、これマスタリングしてないかも?とも言われていて、今回のツアーに合わせるため急いで出したのかとも思いました(笑)。それは冗談としても、先日のデヴィッド・ボウイの件といい、リークされる前にリリース出来ると言うのはアーティスト側からしてもストレスが溜まらずいい状況だと思います。まず配信、追ってCD等のパッケージもの、と言う流れの間に、各フォーマットに合った音を提供する準備が出来る、と言う意味でも。

と言う訳でライヴ当日です。先に行われた大阪公演では耳栓が配布されたと知り、ウケる反面ビビる。まあその、音量、音圧だけだったら他にもデカいバンドはありますが、「耳がやられた、どうしてくれる!」ってお客が出てきたときのための予防線ではあるんだろうな。SMASHさんご配慮おつかれさまです……。ちなみにこの日の耳栓は緑色。日によって色が違ったそうです。

セットリストはこちら。毎回ほぼ同じではありますが、新譜からの「New You」と、「Honey Power」がレアですね。

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01. I Only Said
02. When You Sleep
03. New You
04. You Never Should
05. Honey Power
06. Cigarette In Your Bed
07. Come In Alone
08. Only Shallow
09. Thorn
10. Nothing Much To Lose
11. To Here Knows When
12. Slow
13. Soon
14. Feed Me With Your Kiss
15. You Made Me Realise

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しかしその「New You」がよかったんだよー!二回やりなおして、三回目でやっと通せたけど(笑)ケヴィンが「これまだ五回しか演奏したことないから〜、これで六回目」(回数おぼろ)なんて言い訳してました。「がんばれー」なんて声もとび、和みつつもはらはらして観る。ようやく軌道に乗るとあっと言う間にどっぷりマイブラサウンド、ギターとビリンダの声で構成されるリフに邪念が全部飛ぶ。あれは夢のような時間だったなあ。

全体的に『Loveless』からの曲はまろやか、『Isn't Anything』の曲はシャープに聴こえました。てか『Isn't Anything』のナンバーライヴ栄えするわー、リズム隊がめちゃ際立つ。「You Never Should」なんてすっごい格好よかったよ。とは言え『Loveless』の音は茫洋としたサウンドが魅力でもあるので、同じ空間で『Isn't Anything』とそれ以降の曲を演奏するにはPA的にも難しさがあるのだろうな。いた位置がよかったのかベースの音もしっかり聴こえ、ヴォーカルも思ったよりは埋もれず聴こえました。ドラム周りはアクリル板で遮断してあり、通常これってドラムの音から他のプレイヤーを守るためのものだけど、マイブラに限っては逆で、ノイズからコルムを守るためだろうなあと思った。ドラムがフォグバウンド状態になったらどうにもなりませんからね……。

予想より音が大きくなかった+意図的に(この歳になると我が身がかわいいので用心する)スピーカー直撃を避ける位置に立っていたので、あ、これならなんとか…と耳栓するタイミングを逃してしまったんだけど、やっぱり「You Made Me Realise」はすごかった。音でむせると言う体験を初めてしました。胸と喉をドカドカドカドカ…と連打されてる感じで咳がとまらなくなった……もう轟音ジェットバス、この広い野原いっぱい咲く爆音。どなたか言ってたけど音圧マッサージでダイエット出来そうでした(しかしその後、でもずっと演奏してるケヴィンは痩せないね…と気付き考えを改める)。うわこっれやばいわ、どうしよう!?と思ったんだけど、いやここ迄来たらもう全部耳栓なしで聴きたいわ、とだんだん我慢大会の様相に。中盤シンバル連打が入ってからの展開にはシビれた、耳栓なしで聴いてよかった!と思った。コルムがもー苦しそうで苦しそうで、ちょっと心配になりましたけどね…(苦笑)2chで「『もう無理!限界!アカンて!年齢考えて!』って表情」とか書かれててウケた……。いやもうおつかれさまです……。

しかし耳はともかく、途中から歯が痛くなったのには流石にビビりました。キーンて痛さじゃなくて、なんか詰めものズレた?みたいな痛さで。翌日にはおさまったけどこれは怖かったわ……。この日のノイズピット(このパートをそう言うって今回初めて知った。そもそもファンの間でホロコーストセクションと呼ばれていたところ、それはちょっと…せめてこう呼んでくれないかなとメンバーが名付けた?そう。ビットかピットか意見分かれてますが、言葉の意味からしてピットが正しいと思われます)は18分だったそうですが、高音の際立ちやハウリングがなかったことに助けられ、なんとか最後迄耳が保った感じです。そうそう、ピットから曲にどうやって戻ってるの?と言う疑問が多分解けた。照明で知らせてたように見えた、戻る寸前チカチカって。収束のスピードがすごいので(徐々にって感じではない)全員が瞬時に了解しないとぐだぐだになるよなあと思っていたのです。なるほどー。

なんかノイズのことばっか書いてしまったが、やっぱり曲そのものとあの包み込まれるようなサウンド、そして心を揺らされるせつないコード展開に魅入られているのです。孤高の存在。

それにしてもデビーの演奏スタイルがオットコマエすぎてだんだんベースウルフに見えてきたよね…コルムはおじちゃんじゃなくておばちゃんみたいにたおやかになっており、ビリンダは美魔女で、ケヴィンは(黙)そして後日どるさんと、もうこうなったらあとはライドしかないんじゃないの、ライド再結成して来日とかあるんじゃないの、と話しました。



2013年02月03日(日)
『ザ・タウン』

『ザ・タウン』@早稲田松竹

念願叶ってのスクリーン鑑賞!『アルゴ』が公開されたとき、よしこれでベンアフ作品二本立てが出来るぞ、早稲田松竹辺りで…『ゴーン・ベイビー・ゴーン』は日本では劇場公開なかったから、これと組み合わせてもいいよねえなんて思っていたのでした。いやーん嬉しい、早稲田松竹ありがとー!

GGもPGAもSAGもDGAも獲得、現在賞レース快進撃中の『アルゴ』。日本でも改めて注目が集まっているようで、異例の規模でのリバイバル上映も決定(て言うか最初の公開館数が少な過ぎたんだよ……)。その影響もあったか、立ち見も出る盛況でした。気になるのは、本国では悪者イランに一泡吹かせたった!アメリカ万歳!みたいな風潮で盛り上がっているような感じがするとこで、そこは注意深く一歩退いて描いていると感心していただけに、ちょっと心配ではあります。

とりあえず今回は『ザ・タウン』のみを観ることに。上映順は『アルゴ』→『ザ・タウン』。『ザ・タウン』から入る場合既に『アルゴ』から観ているお客さんがいる訳で、その時点でどのくらい席が空いているか判らない。早稲田松竹さんのツイートを参考に、早めに出掛けて整理券をもらうことにしました。早稲田松竹で整理券もらったの初めてだ…あのーこれ、作品自体の注目度もあるけど、ここんとこのジェレミー・レナー人気も影響してると思う……。『ザ・タウン』をスクリーンで初めて観るひと、結構多かったんじゃないかな。まんまと私もそうですが。いやしかしジェレミーのおかげでこんなに入れ込んでしまう映画がまた一本増えたよ。オールタイムベストに入る勢いです。『ザ・タウン』をDVD鑑賞したときの感想はこちらにちらりと書いたのですが、スクリーンで観て感じたことなど含め改めて感想を。ネタバレしてます。

DVDでは劇場公開ヴァージョン→エクステンデッドヴァージョンの順で観ましたが、個人的には劇場公開版の方が断然好きです。説明のさじ加減が丁度いい。エクステンデッド版は、コメンタリーで監督が「ここは説明が過ぎると思ったのでカットした」と言っている箇所が結構ありました。確かに、副支店長を見舞うクレアに付いていったダグが罪悪感を感じるシーンや、現金輸送車襲撃後のダグたちと鉢合わせした警官が彼らを見てみぬふりした理由、ダグがクリスタを侮辱するような言葉をジェムに投げかけるシーンは、補足として観る分にはいいと思いましたが、本編に残っていたら冗長に感じたと思います。「役者も熱演しているし、そんな彼らの出番を減らすのはつらい。自分も好きなシーンだし」と言いつつ、何より公開されたときの時間の長さや話運びのテンポを重視して、これらのシーンをカットしたところに監督の冷静な判断、作品への献身を感じました。

かくして説明のない部分―余白に想像力を掻き立てられる。母親を捜す幼いダグを、真実を知るあの花屋や“タウン”の大人たちは黙って見ていたのか。「揃いも揃って親父にそっくりだな」と言う花屋の言葉から連想される、代々受け継がれるタウンの仕事の根深さ。そしてバッグに入っていたオレンジ。クレアはあの地へ向かうだろうか? 今迄決してその線を越えなかった殺人をもダグは犯してしまった。彼はあの後捕まるだろう、そのときクレアはどうするだろう……。“I'll see you again, this side or the other.”人生はやりなおせるか、消せない罪をどう背負っていくか。『ゴーン・ベイビー・ゴーン』にも『アルゴ』にも、アフレック監督作品には、人生の苦さと登場人物への優しい視線がある。

随所に挿入されるタウンの街並―あの空撮を大画面で観られてよかった。団地がぎゅうぎゅうに、狭い路地に建てられている。どうしてあんなにカーチェイスがつんのめるかが解る。これはTVの画面だと実感しづらい。タウンに暮らすどんなひとびとにも、夜がきて、朝がくる。これも優しい視線。いぬの吠える声が左後方から聴こえてきてうわっとなったり(ヘッドフォンではいぬの声にすら気付いてなかった。結構大きな音で何度も聴いてたのに!)、映画館の環境で鑑賞しないと気付かないことってあるもんですね。そしてこの作品、サントラが素晴らしくいいんですよ!すっかり愛聴盤なのですが、それを映画館の環境で聴けたことも嬉しかったです。あとこれは『アルゴ』でも思ったけど、見知らぬ他人と一緒にハラハラしたり笑ったりほろりとしたり出来ることな…見終わったら席を立ち、それぞれの家に帰っていく。そんなちょっとあったかい気持ちと寂しい気持ちを、アフレック監督作品は思い出させてくれるのです。

そうそうそして、『アルゴ』との二本立てだと、あの終盤のメモのシーンにあ゛ーーー!!!!となりますね!うわーこれ気付いてなかったわ、ダグがフローリー捜査官に残したメモには“GO FUCK YOUSELF”と書かれているのです。『アルゴ』の合い言葉は“Argo, Fuck Youself”だったじゃないか。“Go Fuck Youself”は決して珍しい言い回しじゃないし、アフレックは『アルゴ』の脚本は書いていないので偶然だろうけど、それにしても誰がうまいこと言えと。うわーん楽しかった、早稲田松竹ありがとー!

さてジェレミー。DVD観たあと結構レヴューとか読んでまわったら、ジェムがおホモだちよろしくダグをひきとめる!(この言い方もどうなのか)とか書かれていてえ、それ意識してなかった…と思い、そのへん改めて注意して観たら、まあ…確かに……。と言うかダグはもっとジェムにかまったれよ…あなたのためにひと殺してんのよ!「頼んでない」けど!あとダグが「フロリダで会おう」つってんのに「帰りを待ってる」とか、何その出征するダンナの帰還を待つ奥さまみたいなけなげなスタンス……かわいいそうすぎる。いや、ともだち思いで故郷思いのいいDQNだよね……。でもさーダグもジェムと距離を置こうとしてる割にはクレアの車壊した連中を襲撃するときジェムを誘ったり、酷いわ。ジェムは都合のいい女かYo!それでついてっちゃうジェムもどうYo!

それはともかく、これのジェレミーはホントいいです。繊細な目の表情が素晴らしい、クレアと話してるときのくるくる動く目!ダグに酷いこと言われたときの目!フローリーに声掛けられて振り向く迄の目!ジェレミーの目に魅力を感じているひとは必見です。ああこれが映画でよかった、この目が!あの目が!映像として残っている!あと『ハート・ロッカー』のとき「ジェレミーは歩き方に特徴があり過ぎて、顔が隠れる防護服を着ているシーンでもスタントが使えなかった(だから全部自分でやった)」って何かで読んだけど確かにすごい特徴ある。警官の変装して球場を出て歩いていく後ろ姿、すごい印象に残る。それにしてもフローリーに声掛けられる→振り向きざまに銃乱射→袋のねずみ→隠れる→弾撃ち尽くす→ジュース飲む→“I surrender!”とか言いつつ弾入ってない銃を構えて飛び出す…これある意味自殺だよね……せつなく素晴らしいシーンでした。

その他(まだあるか)

・クリス・クーパーの存在感が素晴らしい
・ピート・ポスルスウェイトの存在感が以下同文
・ピートさん、遺作『Killing Bono』は日本で公開されなかったので『ザ・タウン』が日本で観られた最後の作品だったんだよね……名演でした
・あと花屋にいたもうひとりのおっちゃんの存在感が以下同文。この方は役者さんではなく、実際の“タウン”の住人だそうです。タトゥーもほんもの
・他にも実際のタウンの住人(元服役者含)が出ているシーンが沢山あり、彼らの意見を参考にしたシーンも多くあるとのこと

・ベンアフ、あんまりエモい芝居しないひとだけど、お父さんにお母さんのこと訊いて躱されたときの泣きそうな表情がすごくよかったなー。6歳のこどもに戻ってた
・ジェムに「しゃぶるか!?」て言われた後映るダグのポカーン顔もいい。ここにこれを入れるかと言う

・ひとつだけ難を言うなら、女優さんを綺麗に撮ってください(笑)でも芝居を忘れさせる程にと言う意味で、クリスタ(実際のブレイク・ライヴリーすごい別嬪さんよ!)の肌の荒れ具合や法令線、クレアのそばかすはチャームになっていたなあ
・と言えば、レベッカ・ホールの、いろんな思いを滲ませた笑顔は素敵だったなー
・彼女たち女優と、フローリーを演じたジョン・ハム、ディノを演じたタイタス・ウェリヴァーらはこの作品が初見だったのだけど、素晴らしい役者さんたちを教えてくれてベンアフありがとーと言う思いです

・エンドロールの曲、Ray Lamontagne「Jolene」もすごくよかったなー。歌詞がまたこの作品にぴったりなので、リンクを張っておきます→RAY LAMONTAGNE LYRICS - Jolene

・いちばん好きなシーンは、目隠しされたクレアが海辺を歩くふたつのシーン。オープニングに使われたシーンではクレアのトラウマとして、ダグと初めて結ばれたときに入るシーンではそのトラウマの緩解と、そうなったことへの戸惑いとして。そのあとにまたつらいことがあるんだけどね…人生はそんなことの繰り返しだからこそ、癒しの一瞬は忘れ難いものになる