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2012年12月29日(土) ■
『007 スカイフォール』『Wonder Land〜暮れの元気なご挨拶、TOKYO No.1 SOUL SET〜』
『007 スカイフォール』@TOHOシネマズ六本木 スクリーン3 レイフ・ファインズとハビエル・バルデムと言う大好きな役者さんがふたり出ているので、観る前からおなかいっぱいと言うか期待値あがりすぎて挙動がおかしくなる程だったんですが、いーやー面白かった!ええと本編とあんまり関係ないことばかり書くような気がしてますしバリッとネタバレしますので取り扱い注意です。 今回先に観てきたみぃさんとリネさんが「何も言えない…特にレイフに関しては事前情報入れないで観た方がいい」と、twitterの方でネタバレしないでくれたのですね。何ですのん…と思いつつ、観に行く時間がなかなかつくれずあああ早く観たいヨー!と本編に関係ないネタ(新Qの衣裳はプリティグリーンだとかボンドの衣裳はトムフォードだとか軍艦島が出てくるとか)ばっかり仕入れていたのですが(笑)、ようやく観に行って腰が抜けました。め ち ゃ め ち ゃ び っ く り し た れ、れ、レイフが、次のM。 ネタバレしないでくれてめちゃめちゃ感謝です……ラストシーンではうへぇあとか変な声出た。役名マロリーってそういうことだったのかー!ハリーポッターに続いてのシリーズもの、と言うことは今後私は007を見続けることに…って、今後もで、出ますよね?こんな劇的な形で四代目Mに就任したんだもの、次作で違うひとが演じてたらガクッとなるわ。しかし複雑な気分ではある…レイフが新Mってのは嬉しいけどジュディが退場してしまうとは。Mがボンドの腕のなかで目を閉じたときもまだ信じられなくて、シーンが変わったら松葉杖をついたMが出てくるわよね、なんて願っていたんだけど、イヴの口から「遺言」って言葉が出て……うわあああん。 そうそう、ギリのギリ迄Mが死んだなんて信じられなかったので、後任のことなんて考えられなかったのですよ。ボンドがオフィスに入った頃ようやく「あれ、MI6が存続になってるってことは……」と我に返った。まんまと驚かされました……。わあ〜レイフ意地悪な役なの?Mをいじめないで!キャー久々にスーツよおお、そうそうサスペンダーよねやっぱり、ヘビ顔特殊メイクとかスキンヘッドの戦国武将とかの役で観ることが続いてたので正統派ダンディないでたちが嬉しいわ、あーやっぱりいい声だわあ、台詞がすう〜っと耳に入ってくるわあ(と言いつつ字幕を必死で追う)、審議会ではちょっといいひとだったわ、しかも撃たれたわ、キャー手負いのレイフ大好物よお、あらっ責任は自分がとるってことでQに指示出したわ素敵だわ、えーなんなのこの人物読めない!なんて呑気に観ている場合ではなかった。 そうなるとマロリーを見る目も変わってくる訳で、最初のMとのやりあいも、彼女を更迭ではなく引退と言う形で守ろうとしたのじゃないかしらとか思ってしまうのですよ。腹に一物ありそうだけど、現場者の存在意義に誇りを感じているのは確かだし、複雑そうな人物。今後のシリーズで彼の素性が徐々に明らかになっていくといいなーと言う楽しみが今から出来てしまいました。気の長い話です。 はあはあはあ、レイフのことだけでこんなに書いている。ここでようやく本編についての話になりますが、今回って新旧交代と言うテーマがありつつ、母と娘(…娘?いや息子でもいいけど)の関係についてがストーリーの根底にあったように思いました。身寄りのないこどもたちとその母親となる人物。愛されるこどもと愛を得られなかったこども。どちらも一度は母に切り捨てられる。母のもとへ戻らなかったシルヴァは復讐の鬼に生まれ変わり、戻ったボンドはレザレクションが趣味だと言う。今回事前情報を入れないようにしていたものの、重要な小道具となったブルドッグの置物についてはついtwitterに流れてきたのを読んでしまったのですが、これは事前に知ることが出来てよかった (楠野さんありがとー!)。MI6本部が爆破された際に破損していたこのブルドッグ、ボンドが受け取ったときは修繕されていた。Mの遺言は、何度でも復活して主人=国を守れと言う意味を持つのでしょう。シルヴァはブルドッグにはなれなかったんだな……。怪物のような人物造形だったにも関わらず寂しさのようなものがちらちら見えたシルヴァ、彼がMと対面して「こんなに小柄だったのか」と言ったシーンはとてもせつなかった。Mも彼の本名をちゃんと憶えていたしね。 で、そんな魅力的な悪役を演じたハビエルがもーすんばらしかったです。悪役なのに肩入れしたくなる…たっぷり待たせてくれて、やっと登場したときの存在感!ここの長回し演出がまた利いてて!金髪もだんだん違和感なくなってきて、スカイフォールでの戦闘時にはもう格好いいとすら思えましたよ……。あとどーでもいいことですがハビエルって以前鼻骨折してて、左右の鼻の穴の形が結構違うんですよね。これをあおりで撮ると、シルヴァが受けた壮絶な拷問と自殺しようと使用したシアン化水素の影響のように見えちゃうとこがまたよかった。 アデルの唄う「スカイフォール」に乗せたオープニングタイトルをはじめ、ユニオンジャックに包まれた棺の列、上海の夜景に浮かぶ格闘のシルエット、スコットランドの広大な風景等映像美も素晴らしかった。このあたりわあサム・メンデス!て感じでしたがアクションシーンもすっごい迫力でテンポもよく、メンデス監督ってアクション演出もお手のものだったんだ…とちょっとビックリしました。屋敷を要塞に仕立てて敵を待つ、と言う構図は西部劇のようなクラシックさを漂わせつつ、戦闘が始まってみればボカーンドカーンが派手で派手でもうおまつりか!あ、五十周年だもんね!みたいなエンタテイメントなハレっぷり。で、普段のオープニングテーマを“50th Anniversary”の文字に続くエンドロールの最初に持って来るって構成もニクい!ハラハラドキドキ、デザインも素晴らしい143分でした。 ちなみにエンドロールにもクレジットされていた軍艦島ですが、デッドシティのモデルとして重要な資料になったと言うことだそうで、実際の撮影はセットで行われたそうです(長崎新聞『「007」に軍艦島が登場』 )。いつかダニエルもハビエルも軍艦島を見にくるといい……。 **************** 『Wonder Land〜暮れの元気なご挨拶、TOKYO No.1 SOUL SET〜』@LIQUIDROOM ebisu 毎年恒例ソウルセットのリキッド。 奇妙礼太郎トラベルスイング楽団は初見。楽しかった!ちょっとキヨシローさん思い出した。neco眠るは二年前のこのイヴェント以来で、ドラマーくんが脱退後どうしてたのかなと思っていたらそのまま二年休んでいたとのこと。新メンバーを迎えて今年活動再開したそうで、森くんがまた呼んでもらえて嬉しいと言ってました。op後しばらくベースレスで演奏が続いたので、え、ドラムだけじゃなくあのベースの子もやめちゃったの…と不安になっていたら出てきて、例のパフォーマンスを変わらず披露してくれました。オモロい。 しかし何がすごかったってクボタタケシのDJがすごすぎた。文で説明しても伝わらないのは判っているがおぼえがきとして書いておくと、コード、リフ、BPMで各曲を繋いでいくと言うDJの基本をクボタくんの脳内ライブラリにジャックインするとこんなにことになるんだってのをまっざまざに見せつけられたと言うか…雑食も雑食、洋邦ポップスと歌謡曲、ジャズ、オールドスクールを繋ぐ共通言語を読み解くのはひとりの人間の頭脳。ある曲のリフが次の曲のリフに繋がっていくとき、そこにあるのはルーツなのかパクリなのかオマージュなのか?各バンドのセッティング間に30分くらいずつかな、二回やってくれたのですが、一度目終わったとき「もう一度回すよな、続きが聴きたい!このテーマで次もやるよね!?」と猛烈に思いました。で、次のセッティングでもこの流れでやってくれた。こんだけポップスを前面に出してきたクボタくんのDJは初めて聴いたのですが…いやあ、これはすごかったな……「いかれたBaby」は粋な計らい、涙。 ソウルセットのライヴは盤石の強烈っぷりなんですが、今回爆音の上バックトラックまるっと差し替えてる曲があった!新曲かと思った…ヒロシくんやりよる。あとトシミくんの歌が年々強くなってる。大切にしているものや歌を届ける対象が明確になっているのかな。声量や、喉そのものも強くなったように思います。今年はソロ活動も随分やっていたものね。 今回トーイくんと「Innocent Love」やったんですが、これがもうすごくよくて。「さ、皆さんにご挨拶しなさい」と言われてぺこりと頭を下げたトーイくん。SDPやかせきくんと一緒に、ではなくて、トーイくんがひとりゲストで呼ばれた共演。やっぱりトシミくんと声が似ていて、その声で絶品のハモり。父子って…とも思いましたし、トシミくんが今年やった個展『ソバカス』のこととか、お弁当のこととかいろいろ思い返した。新宿リキッドで「Jr.」を聴いたときの祝祭感は今でも強烈に頭に焼き付いている記憶で、それはトーイくんの誕生をフロアの皆が喜び、彼がこの世界にやってきたことを無条件で肯定し、祝福するものだった。その後ソウルセットのライヴの度にフロアで見掛けたり、ステージ上のおとうさんを呼ぶ声を聴いてにっこりしてきたひとは多いだろう。そんな彼が今ではステージに立っている。 ビッケが「はい、年末恒例ですよー。タイトル通り元気にしてる?生きてる?って毎年確認しあってあ〜生きてたね〜じゃあまた来年ね〜って帰っていくイヴェントですからね」と言ってましたけど、そういう面が年々強くなりつつも、やっぱりそれだけじゃないんだな。長く聴いてて観ていると、喜びと悲しみの共通言語が増えていく。 突発FA?のヘルクライムに関してはノーコメントあっはっは。デビッケ・シルヴィアンさんを観られる機会はまたあるのだろうか(笑)。
2012年12月22日(土) ■
『祈りと怪物〜ウィルヴィルの三姉妹〜』KERAバージョン
『祈りと怪物〜ウィルヴィルの三姉妹〜』KERAバージョン@シアターコクーン 演出対決、まずはケラさんヴァージョンから。 4時間10分オッケーオッケー、あとは観る側と劇場のコンディション次第かと。例えばこれをスズナリで、とかだったらもう無理です、私は。CBGK!でも無理だ、腰が肩がもたん=集中力がもたん。劇場のコンディションと言うのは、席の位置にもよるかも知れませんが、三幕目すごく暖房が効いてきて暑くて暑くて、のぼせそうになったのですよ…4時間半になってたら集中力切れてたと思う。 とは言うものの、実際スズナリで上演すると言うことだったら、そこは考慮されたと思います。劇作家としてのケラさんは上演時間の長さについて文句言うな、物語にはこんだけ必要なんじゃとよく言っておられますが、演出家としてのケラさんもいるわけですし。二回休憩の三幕と言う構成、通路を使った芝居、火薬を使う派手なドンパチ等にはコクーンで上演するからこそ、と言う演出家としてのサービス精神。冒頭のギリシャ悲劇に言及する群唱、コロス、伝令の登場、予言者としてのカッサンドラや両目を失うオイディプスと言ったモチーフが散見されたところには、この後蜷川さんが演出すると言うところを意識したと思われる作家としてのサービス精神を感じました。作家、演出家、そして興行のバランス。皆が納得いく形のギリギリと言ったところを模索しつつ、なおかつ書きたいものを書く作業の難しさを垣間見たようにも思います。 とは言うものの観客がそんなとこ迄気にしてどうするってのもある訳で。作品自体の面白さは変わりません。ある町の災厄―人災とも言える―を、途中から途中迄観測する。街の姿を通して住人たちの人生を俯瞰する、ただ見ていると言う神の視点。滅びの予感は自殺する鳥たちに顕著で、人々の祈りは怪物に姿を変え還ってくる。芝居にも絡むパスカルズの音楽も相まって、大人のおとぎ話と言う側面が強く感じられました。それが恐ろしいと言う意味でも。ケラさんが仰っていた『三人姉妹』『カラマーゾフの兄弟』のモチーフも組み込まれ、ロシアかぶれ中(しつこい)には楽しい空気。 興味深かったのは舞台美術が二層になっていたような…ってこれ見間違いだったら話にならんのですが、リピートする余裕がないので話半分で読んで頂ければ……。ケラさん本人がパンフで仰ってる「どうやって転換するの?」ってとこが可視化してるところがあったように思います。つまり、空間が分割されている。このシーンの上手が教会なら、下手にあるのは墓地の筈だが、違うものがある。こうしておかないと次のシーンに転換が間に合わないと言う必要があってのことかも知れませんが、観ている分には問題がない。『百年の秘密』でもありましたよね。こちらの場合は、年代からすると確実に死んでいる人物が登場し、自分が知る筈のないこと=自分の死後の出来事をも語る、と言うものでした。空間や時間の歪みを作品世界として自在に扱えると言うのは、演劇ならではの面白さだなと思いました。 役者陣は、えっ蜷川さんじゃなくてこっちなの、と言う出演者もぽつぽついてそこがまた面白い。公園くんがよかったなー。神職を離れていく迷いの多い青年。恋愛にも友情にも、富にも権力にも没頭出来ない。小出くんの揺れもよかった、心優しくか弱い青年だけど、状況によってゾッとする程の残酷さを見せる。白痴パキオテは、笑いをとる面とそれが切なさに転ずる面両方を表現しなければならない難しい役所ですが、大倉くんホントこういうの強い。倫理観、罪の意識がズレている三姉妹は、そういう世界に生まれ育っているからこその品の良さを併せ持たねばなりませんが、久世さん、緒川さん、安倍さんは納得の娘たち。銃を撃ちまくるシーン、怖くてよかったなあ。 わるい成志さんもよかった…ああいう下衆な役、このひとがやるとホンットにくらしい(ほめてる)。なんだろうなああのいやらしさ(ほめてる)。ところで私が観た回、成志さんが出て来た途端客席から笑いが出たんですが何故…特に何もおかしな言動してなかったのに。どうして! あ、あとほんもののうさぎがかわいかったです。 欲望は純粋な祈りになる。祈りは怪物へと姿を変える。さて、蜷川さん版はどうなるかな、楽しみです。
2012年12月21日(金) ■
『レ・ミゼラブル』
『レ・ミゼラブル』@新宿ピカデリー スクリーン2 原作は大昔にこども向けの世界文学集みたいなので『ああ無情』を読んだ程度、ミュージカルは日本人キャストで二十年程前に観た(バルジャン=滝田栄、ジャベール=村井国夫、エポニーヌ=島田歌穂)くらいの知識です。でですね、ミュージカルの演出がちょっとトラウマになってまして……。 ジャベールがセーヌ川に身を投げるシーン、舞台版では「身を投げる」アクションの演出が、ジャベール役の村井さんがバンザーイと言うポーズをとる→周囲のセット―記憶が確かならば、川縁にある設定のベンチと街灯―がワイアーに吊られてびょーんと上にあがっていく、と言うものだったのです。これを「あっ、川に飛び込んだんだ」と認識するのに時間がかかったんですね。と同時に涙もひっこんだと言う…コミカルに見えてしまったのです……。舞台演出の限界、と同時におのれの想像力の限界を感じたものでした。来年から新演出になるそうなので、この辺りどうなるのかしら。 なので、「映画ならあのシーンが実写で観られる!」と言うのが個人的にはいちばん楽しみにしていたシーンでした。しかもジャベールを演じるのがラッセル・クロウと言う…わーいひいきひいき。ヒュー・ジャックマンのミュージカル俳優としての実力は折り紙付きですし、予告編で聴いたアン・ハサウェイの歌声にも期待が高まるばかり。勢いづいて初日に観に行ってきました。 長大な原作を2時間半ちょいにまとめてあるので展開は早い。時間の長さは全く感じませんでした。映画ならではの、歌い手の表情がクローズアップで観られたのがまず嬉しかった。繊細なニュアンスが伝わる!バルジャンの瞳に浮かんだ涙が、零れ落ちる前に粒となって睫毛に載っているところ迄見える!ファンテーヌ臨終のシーンも、アップになったとき襟元にちいさな血のシミがいくつもついていて、具体的な説明がなくともどんな病か察しがつくようになっている。あとジャベールが市長となったバルジャンに挨拶に来るシーン、高揚したこどもみたいな表情でかわいかった。そうそうひいきもあるけど、ラッセルってこういう細かい表情がすごくいい…ちいさなガブローシュの亡骸に自分の勲章をそっと載せる(これラッセルのアイディアだったそうですね。グッときたー)ときの表情も、死者への悼み、自分の信念の揺らぎ、と言った複雑なニュアンスが感じられて素晴らしかった。 鳥瞰シーンが多かったのも映像ならでは。バルジャンが生まれ変わる決意をし、破り捨てた釈放状が山頂に舞い上がるシーンとか、ジャベールが天へ誓う「星よ」と天へ悔いる「ジャベールの自殺」の対比とか。同じ高所を歩いているのに、天界への思いが180度違って見える。ラストシーンの壮大なバリケードを上空から見下ろせたことも、観客が自力で見ることの出来ないところ迄連れていってくれる感じがしてよかった。若干ジャンプカットが多いと言うか編集がめまぐるしくて、ん?ん?と思うところはありますが、それは序盤だけかな。物語に引き込まれると全く気にならなくなりました。 歌がライヴ録音と言うのも目玉で、演者の息づかいが近くに感じられます。シーン毎に空気感と言うか空間が感じられるようにも思いました。屋外と屋内で、音が拡散/反射する違いと言うか。「ファンティーヌの死」は、ブレスの合間にひゅうひゅうと弱々しい息が漏れる音迄聴こえて、彼女に死が近付いている気配がより感じられました。ヒューもアンも素晴らしい歌声。ラッセルは外見とちょっとギャップがある甘い声なとこもいいですね(微笑)。声を張らず、人物の心情に寄り添い、囁くような、祈るような小さな声で唄える、と言うところも舞台版とは違うところです。勿論舞台版では歌の迫力を堪能出来る良さがあります。そうそうアンサンブルですげー巧いひとがいたな…はっとする程。バリケード前で「市民は来ないぞ〜」て唄う鎮圧隊の隊長。調べてみたらミュージカルに多数出演しているハドリー・フレイザーと言う方でした。舞台版のレミゼではマリウス、ジャベールを演じたそうです。 そしてセットの規模とリアルな描写。現実のバリケードがしょぼくて、えっ地味…と思ったのですが、考えてみれば実際はこんなものだったのでしょうね。学生たちの非力さを象徴するものとして虚しさ満点。そしてこれがラストシーンに効いてきます。天界でのバリケードはとても巨大で、ドアを開けてくれなかった民衆が集い、笑顔で旗を振る。彼らの理想を可視化した素晴らしいシーンでした。娼婦街や泥(糞尿)だらけの下水道をはじめとする当時のフランスの街並の汚さ、ゴミくずみたいに殺された学生たちの遺体が目開けっ放しで並べられているシーンにも可視化の底力を感じました。かわいいガブローシュが目開けっ放しで死んでるのがもうね……。ヒューとアンの、昔のデニーロばりの役作りもすごかったです。オープングの囚人、ヒューだとしばらく気付かなかったくらい。おじいちゃんにこんな過酷な労働を…酷い……とか思ってたくらい(笑)。と言えばリアルおじいちゃん(と迄はいかないにしても、精神的にはもうおじいちゃんだよね…)になったバルジャンがコゼットのもとを去るとき、馬車に荷物を揚げられなくなってふううとなってたとこは泣いた……。 全編宗教的な側面が強く、結局生きてる間は試練ばっかりなのよね死後の世界でしか幸せになれないのよねみたいな感じで(自殺したジャベールは天界には行けないってとこもね…彼の迷いこそが人間の魅力だと個人的には思うので。ラッセルが演じてるから(笑)ってだけでなくジャベールには肩入れするわ)観ていてつらいところは多いです。バルジャンは神に許されて、ジャベールは神に罰せられる。神にもいろいろな顔がある。と言えば、バルジャンがマストを担ぎ上げたり、下敷きになった老人を助けるため荷台を肩に抱え上げるシーンはキリストの受難を象徴したもののようにも感じられました。 さて前述のジャベールの最期ですが、っまーこれでもかと言う実写(+CG)で見せてくれました。あの高さ!あの水の勢い!しかもザバーンじゃなくて縁石に激突した後流れに呑まれると言う見せ場になっておりました。舞台版のトラウマを二十年越しで払拭出来た……。 それにしても拷問かと思う程泣かされた。終盤は嗚咽が漏れそうになり声が出ないようにこらえるのに必死で、字幕どころか画面もあやふやに…そうだった、これものっそい泣かされるんだった(またトラウマ)。そんな訳で実はラストシーンの細かいところが見えていない。コゼットが喪服着せてもらってたとか帰ってwebで感想見てまわって知った。バリケードにいたと言うエポニーヌも見逃している…かんじんなところを!えええ〜手放さずだいじにしていた燭台があったとこはちゃんと見たんだけど……確認の意味も含めてリピートしたいよ〜!でもリピートしてもまた泣いて見落とすような気がする。
2012年12月16日(日) ■
『ア・ラ・カルト 2 〜役者と音楽家のいるレストラン〜』
『ア・ラ・カルト 2 〜役者と音楽家のいるレストラン〜』@青山円形劇場 今年もやってまいりました。イケテツさんがゲストの回を観ました。マチネだったのでドリンクサービスにはありつけず。 リズムが導入。opの演出が変わっててこれがまたよくて!各コーナーもかなりよいです、その他もろもろすっかり定着してきた趣で、新しいレストランのオーナー、ギャルソンたち、ハコバンのメンバーに会えるのが楽しみな、新しいシーズンがやってきたとより実感するステージになっていました。近所のシェ・松尾とも提携(笑)フライヤーを持って行くとシャンパンをサービスしてくれるそうですよ。お芝居はいろんな方のお力によって成り立っております、と言うのはずっと変わらないところ。 それにしても。勿論前シリーズのメンバーを懐かしく思う気持ちはありますが、個人的には3年でよくぞここ迄…と言うのが正直な感想です。新しくなったショートストーリー、音楽。演者と観客がともに重ねた年数を経て、新しいことを始める、新しいことを受け入れると言うのはたいへんなこと。出演者とスタッフの尽力にただただ感謝するばかりです。そして新しい観客もいる。隣席はお母さんに連れられてきたちいさな女の子でした。楽しそうに観てて、特にイケテツさんに結構反応してた(笑)。 だからこそ、このシェ・松尾がライバル?の「青山の裏通りにある、地味〜な」レストランがこの劇場で続いてほしい。円形存続の署名を集めている方がいらっしゃいました。『ア・ラ・カルト』って多分円形でいちばん歴史のあるシリーズなので、どうなるか気になってるひとも多いと思う。ここで続いてほしい。簡単に「決まったことだから、仕方ない。新しいところを探そう」と言う気持ちにはなれないな……。舞台機構的にも他にはないスペースですしね。今回のステージはまさに完全円形、バンドメンバーが客席周辺に点在する配置。クリスと竹中さんが真後ろの席だったので、ピッキングの生音を間近に聴けました。 イケテツさんは大船観音、ふとっちゃった広末涼子、ごはんが好きでたまらないと言う自作の歌(曲は何かのカヴァーなんだろうか…)アドリブ部分ではこれが限界です昇太さんにはかなわない、昇太さんの方が面白かった、とぼやきまくり、ショウタイムでは縁起物ですよ〜とステージ周囲を走り回りフリンジを観客にくぐらせる。ふとっちゃった自虐ネタを随分使ってらっしゃいましたが、いや、そんな気にする程ふとってないと…思うよ……てか前が細すぎたんだよ。 と言えば、高泉さんのように五十代になってもノースリーブ着られるって格好いいよなあ。これは矢野さんのステージを観る度に思うことでもあるが。目標にしたいとこです(笑)。 そうそう、ちらっと『主に泣いてます』ネタもあったよ!拍手がわっと湧きました。あれは高泉さんの魅力が全開で観られる貴重なドラマでしたよね。昨年の『ア・ラ・カルト』で、高泉さんが篠井さんと話していたこと を思い出した。TVでも、出来るのだ。キャスティングした方に感謝。
2012年12月15日(土) ■
『ポリグラフ 嘘発見器』
東京芸術劇場リニューアル記念 iii×三−1『ポリグラフ 嘘発見器』@東京芸術劇場 シアターイースト 芸劇リニューアル企画、3人芝居3本シリーズの第一弾。いっや面白かった…緊張感溢れるスリリングな105分。心理サスペンスとしての緊張感、演者が何をするか読めない緊張感、舞台がどう変容するのか?と言う緊張感。チームフキコシ(今回吹越さんが『ポリグラフズ』と命名しておりました)キレッキレです。フキコシソロアクトのセンス、スキルがこういった形で結実するか…いや、なんて言うんでしょう、チームフキコシなら期待通り…いやなんだろうこれも違うな……なんて言えばいいかなー。 普段このチームはこれらのセンス、スキル、探求魂を笑いと下ネタに全部ぶっこんでる訳ですよ。それらがシリアスな舞台に活用されるとこうなるんだ!と言う驚きと喜び?「すごいっしょ!?すごいっしょ!?」と言いふらしたくもなりますね(おまえの手柄じゃねーんだよ@愛がなくても喰ってゆけます。)。と言う訳で今回これを観て「高尚なアートだわー」と思ったひとはソロアクトを観に来て「下品なアートだわー」と思えばいいじゃない。高尚も下品もアートです。格好いいぜ。 カナダ・ケベック州出身であるロベール・ルパージュの作品『Le Polygraphe』。カナダの公用語は英語と仏語。冒頭、日本とフランスの血が流れる太田緑ロランスさんが仏語と日本語をまじえ上演中の諸注意をアナウンス。しかしところどころ、おかしなことを言っている(笑)。この形式で上演するのか…?と思っていると吹越さんと森山開次さんが登場、吹越さん曰く「こうやって聴いてると、なんだかフランス語がわかるような気がしてきますよね」などと面白いことをボソボソ話す。「勿論フランス語で上演するつもりでしたが、やめてくれと言われたので僕と森山さんはホッとしました。ね、森山さん」。緊張した面持ちだった森山さんの表情がちょっと和み、こちらもリラックス。「では、はじめます」、地続きで作品世界へ連れ込まれます。 話逸れるがこの辺り、『ヒッキー・ソトニデテミターノ』に吹越さんが出演したときあー吹越さんてハイバイのこういうとこにも通じるもんがあったわーと思いました。今回映像もムーチョ村松さんだったしな。以下ネタバレあります。 殺人事件が起こり、第一発見者の青年が嘘発見器にかけられます。クロかシロかの結果は青年には知らされません。事件は迷宮入り、しかし青年は自分がずっと疑われているのではないかと言う不安を拭いきれず、次第に変調を来していきます。彼の隣人であり友人でもある女優は、その事件をもとにした映画の主役に抜擢されます。撮影の帰り、駅で飛び込みに遭遇してしまった彼女はパニックになり、男性に助けられます。彼は青年を嘘発見器にかけた人物。男女三人の、愛、セックス、疑念が交錯します。 ストーリーのおおまかな流れはこんな感じ。しかし元のホンからかなり構成を変えたようです。時系列と地域を交錯させ、映像と演者の肉体でそれらを把握させる。東ドイツの壁を越え、ケベックの城壁周辺でデート。レストランで食事のテーブルにつき、自宅のテーブルでコカインを鼻から吸う。絡まった謎が少しずつほどかれていく。映像が映し出されるのは、白い壁面、演者の白い肌。舞台においての映像の使い方って、日本ではケラさんと吹越さんが群を抜いているように思う。 そしてその映像や小道具の見立てには、まず演者の身体ありき。太田さんがバスローブをはらりと落とした幕開けのインパクトは、次はどうくる?この身体の見立てはこれだけでは終わらないだろうな、と考えるスペースを頭の隅に作ります。実際それは森山さんと吹越さんにも起こり、演者の身体を意識させ続けて舞台は進みます。 吹越さんがソロアクト以外の演出をするのは初めて。つまり他人を演出するのは初めてだったそうですが、今回の作品は件の映像や小道具の見立て、と言った段取り的な舞台構成の認識を一致させるだけではなく、演者同士が精神的にも身体的にも密なコミュニケーションをとっていないと成立しないものだったように思います。プランを提案した吹越さん、初の他人演出で果敢なチャレンジ。受けた森山さんと太田さんも格好いい。出来上がったシーンの美しさと言ったら!これは是非実際に目にしてほしいです。舞台で観てほしい。吹越さんの作品は体感と言う言葉がよく似合う。 しかし『THE BEE』のときにもひっそり思ったが、身体が露になると東洋人と西洋の血が入っているひとの腰の位置の高さ、脚の長さの違いにはいろいろと考えさせられました…吹越さんも森山さんもプロポーションいいんですが!太田さんの脚の長さが!見とれてしまう程の美しさで!いやでも出演者三人とも、美しい身体だなとしみじみ。 あと森山さんがこれだけ台詞を使うのを観たのは初めてでした。いい声の方ですねー。やっぱり声も身体の器官。そうそう、音響も音楽(鈴木羊さん)も毎度乍ら冴え冴えでした。サントラ出るそうで、楽しみ。 舞台は常に緊張感に満ちていましたが、クスリと笑えるところもありました。『ケベック・シティの観光案内』とか、あとどのシーンだったか、どシリアスなシーンに演歌ぶっこんできてたでしょう?真顔で茶目っ気、吹越さんの好きなところ。前述しましたが、ソロアクトではエグい下ネタが多いけれど、それらを今回のように恋愛における右往左往に置き換えると思わず納得してしまう部分もあり、切っても切れないふたつの繋がりが浮かび上がって面白い。 しかしこうなってくるとルパージュの演出したものはどんなものなのか気になりますね…彼も自ら舞台に立つパフォーマーですし、映像の魔術師と呼ばれる演出家です。ルパージュは芸劇での公演経験もあるし、フキコシ版とルパージュ版同時上演なんていつか実現すればいいなとも思いました。 ちなみに記憶が間違っていなければ、吹越さんのソロアクト初のビデオリリースは1992年、『吹越満 ライブ イン フランス 腹切りカフェ』。ドーヴィル映画祭に招かれたときのパフォーマンスが収録されています。「なんで呼ばれたかわかんないんですけど…僕の芸風、フランスっぽいとよく言われるんですよね」と当時話してました。二十年後、フランスとこうやって繋がるとはなあ。いい話。今度は『ポリグラフ』をフランスに持っていければいいのに! その他。 ・東側諸国についてやマトリョーシカが出てきて、ロシアかぶれ中としてはニヤニヤした ・着いてみれば最前列センター。間近で観られたのは嬉しかったけど、全景をひきで観てみたい!リピートしたい…… **************** 極東最前線/巡業2012『ゼロ番地から彼方の空まで』@Shibuya O-EAST ううう、年の瀬に聴けてよがっだー! 今回三人全員MCがあると言うある意味貴重な…それほど言っておかなくてはならぬ!と言う思いがあったんでしょうね。歌にも演奏にも、そんな切実さ。終演後、外の冷たい風も心地いい。荒野に針路を取るのだ、夜明けを待つのだ。
2012年12月14日(金) ■
『ハーベスト ―神が田園を創り、ひとが町をつくった― ハリソン家、百年の物語』
『ハーベスト ―神が田園を創り、ひとが町をつくった― ハリソン家、百年の物語』@世田谷パブリックシアター わーこういうの大好きです。ヨークシャーに暮らすある家族の、百年(厳密に言えば90年)の物語。1914年から2005年、ふたつの戦争をくぐり抜け、いろんなものを失い、いろんなものを手にする。失ったものは数限りない。だいじに育てた馬、自分の両脚、家族の命。しかし彼らは「心の中で歌をうたいながら」苦難を越え続ける。ときに幸せ、ときに不幸せ。それが日常、それが人生。 二幕七場、休憩込みで三時間の作品ですが全然長く感じませんでした。三時間で90年間の出来事を描くのだもの、のんびりしている時間はありません。社会情勢、経済状況、さまざまな時代背景を映し乍ら、それに翻弄され、それに抗い、危機一髪な場面に幾度も遭いつつ、家族は力を合わせ、ときにはケンカして生きていく。勿論90年を3時間ですから、描かれないことも山のようにある。その余白がまたいいのです。戦場、弟あるいは夫の死。秘めた恋愛、病、不妊。顔を出さない家族たち、跡継ぎ、働き手の不在。これらに直面したとき、登場人物たちは何を考え、どう苦しんで悲しんだのか。凪のような光景の底には、数々の嵐の爪痕がある。 両脚を失ったからとずっと独り身を通したウィリアム。こどもを求めるアルバートとモーディの焦燥。パート先の制服にローラが固執するのは、それがかわいらしく洗練された服だからと言うだけでなく、外の世界の職場を象徴するものだったからかも知れない。登場人物にはさまざまな傷がある。この傷を、言葉を使わず表現する役者たちの佇まいに心を打たれました。 レイフ・ファインズの『太陽の雫』 とか好きなひとは気に入ると思いますー。『太陽の雫』はワイン調合、『ハーベスト』は養豚。『太陽の雫』は一族三世代の男たちをファインズひとりで演じ分けましたが、『ハーベスト』はウィリアムと言うひとりの男性の19歳から109歳迄を渡辺徹さんが演じ続けます。『太陽の雫』は死んでも死んでもレイフ・ファインズ、『ハーベスト』は生きちゃって生きちゃって渡辺徹(笑)。あとどちらも女性たちが強い…って、これはデフォか(笑)。激情七瀬なつみさん、のびやかな小島聖さん素敵だったー。平“おいしい、おいしい。何これ” 岳大さんはアホな子な弟だったんだけど、その愚かな行為の数々は家族を思うあまり、自分を認めてもらいたい一心でのことだったのでかわいそうだったよ…。 複数の人物を演じる出演者もいます。ドイツ人捕虜として来たヨークシャーでローラと恋に落ち、ウィリアムを助けて養豚に励むこととなるステファンを演じた佐藤アツヒロくんは、年齢の重ねを落ち着きと言う形でじわっと見せてくれました。後半の抑えた演技、よかったなあ。その後アツヒロくんは、コソ泥として入り込んだハリソン家で家業を継ぐこととなるブルーを演じる。養豚を始める前のハリソン家の母親を演じた田根楽子さんは、その81年後、養豚場の環境審査をする獣医として再登場し、経営許可証を出せないと宣告する。この役柄のリンク、ニクい!戯曲指定なのかなあ、気になる。 あと廃墟に弱いので、7場、2005年のハリソン家の様子が舞台上に浮かび上がった途端に涙ぐんだ。そこで泣かんでいい(そのあとひと展開あったしな…それがまたグッとくる展開なんだー)。ゴールドシアターの『聖地』 もそうだったけど、主を失った住居が、家からただの建造物となって朽ちていく様子、と言うのは独特の魅力がある。堀尾幸男さんの美術すごくよかったー。SePTの天井の高さを活かした、ゴッツい石造りのハリソン家、キッチンにあるゴッツいテーブル。時代が変わるにつれ調度品も変わっていく。ガスレンジが入り、電話がひかれ、PCが置かれる。ハリソン家の百年を見守っていた家のその姿。 農夫には天使がついてる。いたずらもののその天使にちょっかいを出され乍ら、彼らは生きていく。心の中で歌をうたいながら。 ----- よだん。 養豚にちなんで、物販にベーコンやハム、ソーセージの詰め合わせセットが。うわあんすごく気になったのに持ち合わせがなくて買えなかったヨー!どうなのおいしいの、改めて物販だけ買いに行ったらダメですか……。
2012年12月13日(木) ■
『LYNX Live Dub』Vol.3『HYMNS』
『LYNX Live Dub』Vol.3『HYMNS』@SARAVAH Tokyo 配役はオガワ(画家)=山岸門人、クロエ(無職)=中村まこと、ナナシ(画商)=ヨシダ朝、ムメイ(友人)=永島克。上演台本はこちらからダウンロード出来ます 。 前日に引き続き、シンクロニシティについて考えることになった。それは思い込みであったり、誇大妄想であったりもするが、「偶然って面白いものだなあ」と言うスタンスで、それを積極的に楽しんでみよう。興味のない方は読み飛ばしてくださいねー。具体的な感想は下の方におぼえがきで書いております。 ----- 現地時間では既に0時を過ぎていたので同じ日と言うことになるだろう、NYのMSGで開催されたハリケーン・サンディのチャリティライヴ『12-12-12: A Concert For Sandy Relief』で、ポール・マッカートニーがデイヴ・グロール、クリス・ノヴォゼリックと「Cut Me Some Slack」を演奏した。パット・スメアも参加している。つまり、ニルヴァーナのメンバーとポールが共演したことになる。 Paul McCartney & Nirvana 12.12.12. Sandy Relief Concert HDVIDEO 左利きの男がセンターで唄う。背後にはデイヴが構え、左右にはクリスとパット。ライヴストリーミングも行われており、web上はNirvana reunion!と大騒ぎになっていた。興奮とは違う、落胆した訳でもない。ただ、生きているとこんなことが起こるのを目撃することが出来るのだなあ、と胸が熱くなる瞬間があった。生きていたら今年45歳のカートは今でも27歳で、目の前のちいさな画面に映っているデイヴやクリスはあれから18年後の姿だ。ジョンが40歳で亡くなってからのポールも、32年後のサー・ポールだ。 その夜、サラヴァではフロアのセンターに左利きの男が座っていた。「三十迄に死んでくれたら」。彼はカートか、それともポールか。 ----- 以下おぼえがき。 ・ライヴダブってタイトルがいちばんしっくりきたなー今回。楽しい音響 ・スピーカーに対して正面向いてない席の位置だったんで初っ端右耳がガーンと(笑)いやあ、待ってたぜ!話逸れるがやっぱナヴァ郎のギター最高だわ…どんなに失敗作と言われよーが個人的には『One Hot Minute』がRHCPでいちばん好きなアルバムだわよ〜 ・ついでにオタク的なことを言うと、オガワとクロエが銃買いに行こう云々のシーンの後にかかる曲はデビシルの「The Boy with the Gun(銃を持った少年)」です。だいすきー、これが入ってるアルバム『Secrets of the Beehive』も大好きー ・とまあこういうこと書き出すときっとすずかつさんはうぜーとかキモいとか思うんだろうからついったーにはもう書かないんだ…もういいんだ……(泣) ・第三舞台のファンのひとたちは知ってる曲を教え合って音源編集したりして、いいな…(隣の芝生) ・シーンの出番を終えた役者陣は、奥にはけたり、あるいは店内に散っていく。ダイアログを終えたまこつさんは、中央のスペースから離れてひっそり店の隅にいる。オガワとナナシの会話が始まる。バーでふたりの話を聴いていたクロエがトラブルを起こす、と言う流れにぴったり ・銃殺される登場人物を、照明をフェードダウンすると言う表現で「消す」演出もすごくよかった!吉田さんが消えるシーン、正面から見える位置だったのです。鳥肌たったよ ・その他「ないものを見せる」→「そこに在ると観客に想像させる」手引きが絶妙でよかったなー。スズカツさんと、彼が組むスタッフ(照明の倉本さんであったり、音響の井上さんであったり)の仕事は心眼が磨かれますね ・銃の引き金をひくシーン、指パッチンでやってたのが格好よかった ・話逸れるがロシアンルーレット。ふふ、ロシア……(現在ロシアかぶれなのでこんなとこに迄ニヤニヤする) ・いんやそれにしてもまこつさんガラわるくて素敵だったわー。ホントに競馬場にいそう(偏見)既に呑んでの本番だったんじゃないか(偏見) ・円形での公演は小松さんが演じたこの役、かなりイメージが変わって面白かった!まこつさんが演じるとこうなるんだー!と言う…ヴィジュアルにしても、声のトーンにしても ・そうそうまず「声が違う!」と思ったんだ。あたりまえのことなのに ・小松さんの、そしてまこつさんの「相棒にはできない」。ほんとにいいシーン ・門人くんのオガワもよかった。揺れる感じが。白のワイシャツと黒のサルエルパンツが似合ってた、両方の色を持っている。熱演でした ・最後の方、多分泣いてたと思うのね。でも涙は落とさず(多分。注視してたけど見えなかった)ひたすら鼻をすすってた。こどもが泣きじゃくってるみたいだった。その移入に心を揺さぶられた ・それにしてもいい子だよね…(いい役者さんと言う意味でも)スズカツさんのことだいすきなのね……これからもスズカツさんの作品に沢山出てほしいな ・永島さんの携帯がスマホだった。初演のときは違ったな、もはやそれはガラケーと呼ばれるものだ。時間が経つのは早いものだ ・なんてことを思ったのは、『きのう何食べた?』の最新刊(7巻)でシロさんがスマホを使っており、「あっ6巻では普通の携帯だったのに買い替えたな」と思ったからであった(笑) ・その携帯を使うアドリブのシーン、「円形じゃないって!」「ドンキを左だよ!」とトバしてくれた永島さん面白いー ・と言えば、このシリーズ過去2回はアドリブ入れる余地がなかったかもな。今回フリーな部分がちょこちょこあり、音響以外の人力ダイヴダブな局面もあって楽しかったんですよムフー ・「勝つまでやめない」と言う台詞後暗転すると、脳内でジョンの「Happy Xmas」が聴こえてくる『ソカ』と言う病 ・『ソカ』も12月の公演でしたからね。ほろり ・そしてなんと言っても今回ヨシダさんが出ている訳ですし。そうなんですよヨシダさんがスズカツさんと…15年振りだったとか。『セカンド・ハンド』以来か ・久し振りに観たヨシダさん、見掛けも声も殆ど変わらねど、透明感が増した感じがしたなあ。濾過された感じ ・今のヨシダさんの声で、スズカツさんが書いた言葉が聴けるなんてね。ほら、長生きしてるとこういうことがあるよ ・またいつか、ね ・あ、あとどうでもいい話として、スズカツさんがadidasではなくNIKEのジャージを着ていた ・そして間近で見られたんだが、手が綺麗でビックリした ・ええ、ええ、こういうこと書くからキモいんですねすみません ----- 終演後のスズカツさんのご挨拶によると、このシリーズ来年6本やるそうです。あっはっは笑いがとまらないね。 ・旧作、新作、未発表作。リーディングをどんどん発展させたい ・ウェアハウス(!)。ミュージシャンも呼んで動物園物語を換骨奪胎? ・ヴォイス。PENGUIN HOUSEでやったやつ みたいなの。すみませんその18人の中にいましたよ… だったかな?3セクションに分けるとのことで、まずははやくも来月15日。リクエストがあったので『セルロイド レストラン』を…とのこと。ギャー!翌日のスズカツさんのツイート によると、キャストは伊藤ヨタロウ、中村まこと、千葉雅子!他、とのこと。ちょ、まこつさんとチバ(あああちばと打つとカタカナで一発変換される病)もとい千葉さん!あの!ふたりを!!この!!!ふたりが!!!!ちょ、め・ちゃ・め・ちゃ楽しみ!!!!!
2012年12月12日(水) ■
『生きちゃってどうすんだ』、DCPRG
カンフルと言うかドープと言うか。年末進行と言う名の竜宮城を出て、300歳くらい歳とった気分と清々しい気持ちが混ぜこぜになった状態でいきなり観るにはかなり強烈な二本。昼から下北沢へ出掛ける途中、号外がまかれる光景を目にした直後、と言うのも…ご本人が意図しないこと迄召喚してしまった感じで……流石にゾッとしましたわ。 とは言え、こういうことはままある。 **************** 大人計画『生きちゃってどうすんだ』@ザ・スズナリ まああれだ、モチーフであってテーマではない、現在を見詰める劇作家はそれらをつかまえる確率も高い、と言うことから決して珍しいことではないけれど、当日に観るとギョッとするよと言う話ですね。それにしたって号外の両面。演劇にカナリア的な要素はあるものだし、それにいちいち意味を見出してしまう見方もちょっと自分でもあかんなあとは思うものの、流石に当日だとなんとも……。言葉の端々にはっとし、ラストシーンを凝視する。 しかしあのラストシーンは格好よかった、絵的にも(笑)。登場人物がどんな姿をしていようと、あの走る姿は美しい。このシーン、天久聖一さんの絵心も冴えてた。シビれた。 「死んじまえ」でなく「生きちまえ」が呪いの言葉として有効な世の中。いや、それはずっとそうなのだ。生きてる方がしんどい。rest in peaceとはよく言ったものだ、どちらが安息を得られるかと言ったら?自明のことだ。ひとは生きていることこそが喜びだと思おうとする。そうだろうか?…松尾さんは、ずっとそれを描いてきていたし、世の中の隠されている感情に対して目を閉じることはしないのだろう。暗い穴を見詰め続ける。見付けたものは引きずり出す。それは笑いとともにある。やっぱり新しい命がやってくるとほっこりしたり、命が消えようとするとそれを少しでも先に延ばそうと手を掴んでしまう。その繊細な、でもやっかいな心の動きを、松尾さんは丁寧に掬っていく。 こまごまとした小ネタも松尾さんの真骨頂と言う感じですごくよかったな。しにんちゅにいちばんウケた…シャイニングも好きー。あと「美しい姉たち」の名前が後の家系図(このヴィジュアルがまた、件の人物が起こした事件の相関図を思い起こさせる訳ですよ)で判明するのですが、あ、あの三人か、そうか。と言う。そこが別に言及されないとこもまたいい(笑)。 劇団の面々が映像出演、なんと新井亜樹さん迄!ひ、さ、び、さ!!!嬉しかった。『ウェルカム・ニッポン』を観られなかったので、個人的にはこれが今年の大人計画本公演。いいもの観られた、観られてよかった。 **************** DCPRG YAON 2012 追加公演@新宿BLAZE ゲストにSIMI LAB、大谷能生。 いろいろ考えることてんこもりの濃い内容だったが、一晩寝て思い出すのは「プレイヤーもオーディエンスも皆大儀見元、大儀見元で検索するとどんなことも解る」と、菊地さんのあれは素肌ジャケットですか?と言う……。かなり好みのパターンなジャケットだったんですが、下にシャツ、着てましたか?長渕、長渕なのか。 DCPRGのライヴの日には社会情勢になんらかの動きがある、と言うのは昔からの定説でしたが、本日もミサイルが飛びまして。前にもテポドン飛んだ日とか、いろいろありましたよね。しかし今回それに対しての言及はなく、ニコ動で配信されていたからと言うこともあるかも知れないが、この辺り今期のDCPRGのセットリストから「Hard Core Peace」が消えたことと同様、象徴的なことのように思っている。メランコリーが、薄い被膜のように場を覆っている。それが哀愁としての色気にもなるのだが。 とは言っても演奏面はどんどん傭兵が傭兵らしくなっていき、となると同時にああやっぱり戦争が起こるのだな、とも思う訳です。よく出来た構造だな。さてこの妄想はどこ迄続くか。 「Circle/Line」のアウトロが大儀見元(本体)と田中ちゃんと千住くんの絡みになっていたり、久々「Catch22」アウトロで千住くんのソロが聴けたり、ラップが噛んでくるとアリガスへの負荷が増すのだなあと思ったり、類家くんのソロをここにぶっこんでくるか!と思ったり。田中ちゃんが相当いろいろ変えてきてるなと思ったけれど、それは単に今回田中ちゃんがよく見えるところにいて、リズムのガイドとしていたからかも知れない。ああ、観ているときはいちいち憶えているよう意識していたのに、大儀見元で全部とんでしまったな(笑)。あと研太さんのダンスがかわいかったです。 あ、そうそう研太さんから思い出した!「Duran」導入、アミリ・バラカの声を左手に収めんとCDJを操る菊地さんと、それに瞬時に応えていく田中ちゃんの絡みがすごくよかったんだ。リズム感覚のリテラシーが一致しているふたりのスリリングな応酬。 BLAZEいいとこでした。見やすいし、音もよかった。10年前『殺し屋1』を観た新宿ジョイシネマ 跡に出来たライヴハウスです。こんな形で再び来ることになるとはなあ。そしてこの場所、菊地さんファンにはよく知られている?(『歌舞伎町のミッドナイト・フットボール』参照)ホテルケントの跡地でもあるのです(現在はホテルウィングになっている)。この辺りも言及しなかったあたり、いろいろ思うところがあります。歌舞伎町も当時とは随分変わった。 しかし彼はこう書く。「先の事は本当に解らない。ので素晴らしい」「よしんば、結果として先に悪い事が待っていたとしても。だ、先が解らない事は人類の唯一の希望であり、喜びである」。 **************** うーん、いいハシゴだった。
2012年12月09日(日) ■
矢野顕子『さとがえるコンサート2012 〜清水ミチコとともに〜』
矢野顕子『さとがえるコンサート2012 〜清水ミチコとともに〜』@NHKホール 今年はなんとみっちゃんとのさとがえる。数年前、何の番組だったか矢野さんのドキュメンタリーで、ピアノを練習するやのさんを初めて間近で見たみっちゃんが感激のあまり涙ぐんでいた場面を観たことがあったけど、今ではご本人曰く「すっかりねえ、もう図々しくタメ口ですよ」。やのさんの懐の深さは勿論のこと、その懐に飛び込んで暴れられるみっちゃんもすごい訳で。 いや正味な話、面白いを通り越しておっかねーと思う程だった。「ストーカー」と言うだけあるわ、二階席からだとどっちが唄って弾いてるか判らなくなるときもある程でした(しかし実際のところ、二階席からの方がふたりの手許や口許を見下ろすことが出来るので、一階前方のステージを見上げる形になる席よりは見分けがつきやすかったと思う)。序盤は上手のピアノ(定位置)でやのさんがソロを数曲、その後下手のピアノに移り、定位置をみっちゃんに譲ると言う粋な展開だったのですが、ふたりで「丘を越えて」を演奏し始めたとき、あまりにも似ているので客席が笑いとともにどよめきました。唄いだしてまた笑い声、そしてさざめき。これは共演中何度も起こりました。 声はしばらくすると区別がついてくるんですが、ピアノ…と言うかあのリズム感を完コピしているのにもはや畏怖。いやもともと似てるなすごいなとは思っていましたが、こうやってご本人と一緒にやることで、その凄まじさを再認識させられました。今回ガッツリ共演、と言うよりみっちゃんを大フィーチャリングしたような構成で、やのさんのみのコーナーが少なく感じられ、そこはあーしまった完全ソロのチケットも確保しておけばよかったと思いはしましたが、この企画でしかないものをたっぷり聴かせてもらえてとても楽しかったです。みっちゃんも「今回は鮨は鮨でも珍味のお鮨をね。えっ、これカニカマだったの!?みたいな」。やのさんもそれを受けて「そうよお、ウニとかトロとかは金出しゃ食べられるのよ、でもこのカニカマはここにしかないわよ」。いやホントそうでしたわ。 終始笑いに溢れた場でしたが、端々にみっちゃんのやのさんへの深く濃い愛情と芸への真摯な姿勢を感じることが出来ました。やのさんのピアノについて「絵を描くときって、最初は12色、次に24色って技術が身に付くごとに選択肢も増えていくものなんだけど、やのさんのピアノは…墨一色、水墨画のようで、それもささっと描いているような感じ。それなのに、どうにも真似することが難しい。私40年ピアノ(やのさんの曲)弾いてんですよ、それなのに」とぽつりと漏らしていたのが印象的でした(記憶で書いているのでニュアンスはちょっと違うかも)。 今回特別にモノマネコーナーがあり、事前にwebで募ったリクエストを紹介し乍らふたりでおしゃべり。大ウケのものからなんでそれなんと言う数々のリクエストをみっちゃんが読み上げます。「ザッケローニ監督の通訳」て、それどっちにやってもらいたかったのん……。ケイト・ブッシュの名が出たときはわっと歓声があがりました。個人的にはやのさんとケイト、似ているとは思っていなくて、知ったのもやのさんからなのですが、ご本人曰く「これねえ、イギリスでもアメリカでも、取材のときにほんっと何度も訊かれるの、意識してるでしょって。でもねほんっとに違うの、実はちゃんと聴いたこともなくて…聴いてみても音楽性が違うと思うし……でも今回やるって決めたので改めてちゃんと聴いてみたの」。それに応えてみっちゃん「それなのにモノマネやってくれる矢野さんてひとがいいですね」(笑)。そんなみっちゃんには「キーを下げれば田中眞紀子でイケると思います」とのことでキャロル・キングのリクエスト。リクエストしたひとの発想がすごい(笑)。と言う訳でケイトの「Wuthering Heights」、キャロルの「You've Got a Friend」を。いやあ、鳥肌もんだった。 ふたりで「卒業写真」もやりました。やのさん=荒井由実、みっちゃん=今の松任谷由実のアンコール3回目の声で(笑)。本編最後は「相合傘」から「いもむしごろごろ」!この!ピアノを!!完コピ!!!「いもむしごろごろ」なんて私アホ程聴いてますが、ん、違うよとひっかかるところがどこにもない!!!!なんかもー瞳孔が開きそうでしたよ、喰い入るようにふたりの手許を見詰めてしまった……。そしてアンコールが圧巻、「ラーメンたべたい」のソロ後、やのさんがピアノを弾き始め、続いて登場したみっちゃんが何十人と言う有名人のものまねで、このコンサートへの「祝辞」を披露。そこから薔薇と言う言葉をキーに「Rose Garden」へ雪崩れ込み!大歓声と割れんばかりの拍手が起こりました。おわー今思い出しただけで鳥肌たったわ。オーラスは「ひとつだけ」、みっちゃんがキヨシローの声色で唄いはじめ、またどよめきが。こんな形で聴けるとは。素敵な素敵なプレゼント。 外に出ると冷たい北風。でもホールから出てきたひとはほっこりした笑顔でいっぱいでした。 その他。 ・二台のグランドピアノだけが置かれたステージ。ピアノとプレイヤーを半円にぐるりと囲む16機の照明と、白い背景に映し出される光が色鮮やかにステージを染める。実体のない、照明だけの舞台美術が素晴らしかった ・やのさん、「ごはんができたよ」の“八百屋のみいちゃんにも お医者さんちのアッコちゃんにも”の部分を“八百屋のみっちゃんにも”と唄い替えていたように聴こえたけど気のせいかな。にっこり ・みっちゃんが初めてやのさんのレコードを買ったとき、注文を聴き間違えられたのか和田アキ子のレコードが届いた ・みっちゃん「やのさんのアルバムを、聴く、なんてもんじゃない、吸う」「吸って、コピーして、ん、どうだっけ?また、吸う、のくりかえし」 ・(やもり「風のブランコ」のときに)みっちゃん「森山さんの唄い方は歌詞を伝えようと言う意志が感じられる」やのさん「あー、確かに私は考えてないわ、そこ」 ・「恋のフーガ」と「老人と子供のポルカ」のマッシュアップもすごかった。やのさんが“おいかけて おいかけて”って唄ったらみっちゃんが“やめてけれ やめてけれ”って応えるの(大笑) ・やのさんの綾戸智絵も聴けた(笑・しゃべり口調のみ) ・この季節に聴く「クリームシチュー」「ラーメンたべたい」は沁みるわ〜 ・「変わるし」の歌詞に再び感じ入る。変わっていくもの、戻ってこないものに“楽しい時をありがとう どうもありがとう”。“笑って見送る” ・ハラカミくんの誕生日の前日に、「ばらの花」を聴けて嬉しかった
2012年12月08日(土) ■
『ボクのおばさん』『TOPDOG/UNDERDOG』
自転キン演劇部『ボクのおばさん』@SPACE雑遊 瀧川さん曰く「平均年齢40代の部活動」。じてキン所属の役者さんが立ち上げた「演劇部」の旗揚げ公演です。 じてキンによるじてキンらしいお芝居って、他にありそうでないもので、裕美さんや飯島さんの外部(もはや外部とわざわざ言うのも違和感があるな)での活動でも観られないものだったりする。“じてキンの公演”が観たいなあと時折ふと思い、うずうずする。思えばじてキンって、劇団公演からプロデュース公演(自転車キンクリーツカンパニー)への移行も緩やかで、その後個人の活動がそれぞれ忙しくなっていき(それには役者の活動を休む、やめる、と言う要素も含まれるだろう)、気付けば何年も公演をうたなくなっていた。その変化があまりにも自然で、そこがまたこの集団らしいとも思っていた。 オリジナルのホンで、書き下ろし。自分よりちょっとお姉さん世代の彼女たちが直面するものごとは、これから自分が経験するであろうことでもある。そういう身近なテーマを、面白悲しく見せてくれる。今回の作・演出はサスペンデッズの早船聡さんで、彼の作品は初見でしたが、その“じてキンらしさ”がしっかり踏襲されたもので嬉しくなりました。チラシの言葉 にミスリードされていた部分があり、こちらが勝手に予想していたストーリーが違う局面へと転がっていくことに「おお?おお?」と思いつつひきこまれる。途中「ガラスの動物園」と言う言葉が出てきてハッとする。あー、そうだ!しかしそれだけでは終わらない。そして見終わったあとチラシの言葉に戻ると、ああ成程、と腑に落ちる。うまいなこれ……熟練の仕事だ。書く側も、演じる側も。 台詞のテンポがすごくいい。登場人物同士の距離感を瞬時に把握させる、ときにはずかずかと踏み込み、ときには見えない壁を張るさりげない言葉の配置がすごく巧い。そしてそれを口にする役者陣がいい。そうそう、こういう日常会話がめちゃくちゃ絶妙なんだ、じてキンの役者さん。 歌川さんの人間力はますますパワーアップ。明るさも、その裏にある隠し続けてきた悲哀も、全てを抱えこむ生命力も。それらを表現するおばちゃん力が、人物そのものの魅力に繋がる。藤本さんもくたびれた大人が似合うようになり、それが役柄通りの「職人」としての姿を映し出す。とは言うものの、相変わらず美形であった。と言うか相変わらずかわいいですね…見掛けの歳はとらないわねこのひと…アンチエイジングの秘訣を教えてほしいわ!瀧川さんは昨年のびわ湖商業スワンボート部 で初めて観たのですがツッコミが絶妙でした。赤ペン瀧川先生として有名?な彼ですが、じてキンとしては比較的新顔?ですよね。しかしプロフィールを調べてみると、過去『散歩する侵略者』にも出演してたりするのねー。松坂さんの蜂のように刺すズバリの物言い、格好よかった。シャツをインにする生活感も絶妙(笑)。そして岡田さんが最後に着てきたミッキーマウスのトレーナーがインパクトありすぎて、それが似合う岡田さんがまた素晴らしかったです…(笑)。客演のおふたりもよかった。 じてキンの役者さんは皆色気があるなあ。人間的な魅力に艶がある。 家族のしがらみ、それぞれの過去、旅立ち。だいたいにおいて男たちが情けなく、そんな彼らの尻を女たちがたたく。そして男が決意する。しかしそこでまた転んじゃったりする。最後はそれでも笑って終わる。観て良かったな、と毎回必ず思う安定感。活動、継続していってもらいたいです。 ちなみに朝の部に行きました。割安だと言う理由以前にこの日時しか行けなかったので選んだのだが、11時開演にも関わらず満席。そうねー歳とると朝早くても比較的平気になるよね、お互い歳とったねえとなんてニヤニヤしたりもした。こういうのって悪くない。午前中の新宿って、結構気持ちいいですぜ。稽古場日記はこちら 。あー、こういうテイストもじてキンだ。うれしい。 -----SPACE雑遊 やっと行けたー。広さ、天井の低さ、地下に降りていく雰囲気と地上とのギャップといい、かなり好みのハコ。池林房のすぐ近くです。 **************** 『TOPDOG/UNDERDOG』@シアタートラム 男ふたり(兄弟)の会話劇。含みがある台詞が満載で、登場人物の行動やラストの解釈が分かれそうだなあ。それだけに後味ほろ苦く、シスカンパニーの年末公演って昨年の『その妹』でもしんみりしたなあなんて思い出したりしました。 台詞量がとにかく多く、それをスピードあるマシンガン口調で攻める。冒頭のスリーカードの台詞から引き込まれる。才能があるけれどその才能で生きていくことを躊躇っている兄、異分野に才能があるけれど兄の分野に憧れてやまない弟。まっとうな生き方って何だろう? 兄と弟の名前と、その由来が明かされる流れでストーリーの結末がある意味読める。実のところ自分はリンカーンを暗殺した犯人の名を知らなかったのですが、その説明がなくとも会話の流れでちゃんと予想がつくようになっています。日本ではそれ程周知でない(いや単に私が知らなかっただけですねハイ)とも言える情報も、こうやってシンプルな言葉で合点がいくように出来るのだなあと感心。 そして、その結末を予感し乍ら観客はその経緯を追っていきます。兄や弟の心情を探り乍ら。会話のなかに出てくる人物たち…兄弟の両親、兄の元妻、弟の恋人に思いを馳せ乍ら。信じる、と言う力の素晴らしさと恐ろしさをひしひしと感じ乍ら。 正攻法の演出と美術、役者の魅力が堪能出来ます。それにしても堤さんてアホの子をやるとホントにアホの子に見えるなあ…なんて小学生みたいな感想を持ちました。でも今回の弟は、そのアホっぷりに悲しい程の愚かさが滲み出ていてやるせなかったな。このアホの子め……。千葉さんは会話だけでなく独白(モノローグと言うよりホントのひとりごと)部分がこれまた見事でした。 シスの『人形の家』を観に行ったとき勘三郎さんが来ていたなあ、ニコニコしていたなあなんて思い出した。