表身頃のココロ
ぼちぼちと。今さらながら。

2005年10月28日(金) バルケンホール / やなぎみわ /イサム・ノグチ 他 10月の展覧会

シュテファン・バルケンホール「木の彫刻とレリーフ」


バルケンホールの像は、大きく荒削りなノミ跡もはっきりとした像に着色されている。それが一本の大きな木から台座ごと彫り出されているのにびっくり。
一枚の板を彫った絵彫刻(?)も興味深い。
ごくごく普通の格好と表情の男女がたたずむ像が多く、それはそれでとても面白いのだが、印象に残ったのは、会場の奥まった場所に、ある種祭壇のように作られた“ピエタ”像だ。
他の像はすべて彩色され顔や衣装などきれいに塗り分けられているのに、ここでは黒一色(茶だったかな)で塗りつぶされているのだ。
ピエタ像の後ろの壁には“愛し合うカップル”というシルクスクリーン作品が展示されていて、他とはかなり違うテイストの空間。この辺に強く惹かれる。
展示室の終わり近くに展示してある2点のブロンズ像に新鮮な驚きがあった。木を彫るノミの跡が大きくはっきりしていたように、ブロンズでも同じように大きな手の跡が見て取れる。しかし、木の鋭角な跡と違ってとても柔らかな感覚で私はこちらの方が好きかもしれない。

(10/21 東京オペラシティアートギャラリー)


やなぎみわ「無垢な老女と無慈悲な少女の信じられない物語」


少女は無垢、老女は無慈悲という世の常識を逆手に取ったタイトルで描かれるは、“寓話”シリーズと“砂女(テント女?)”シリーズ。
“寓話”シリーズはグリムやアンデルセンなどの童話の一場面を切り取り、少女に老女の仮面を被せ、やなぎみわ流の解釈を施した一連の写真群。
本質は残酷で意地悪な童話の世界が圧倒的に迫り来る感じ。
女性ならほとんどがすんなりと入り込める世界だと思う。
また、ガルシア=マルケスの短編“エンディラ”に題材を求めた“砂女”(でいいのかな?)シリーズは、インスタレーション・写真・ビデオで表現され、私の中で立体的に像が結ばれ、ちょっと忘れられないものになってしまった。
結構好みだ。

(10/22 原美術館)


「ジグマー・ポルケ展ー不思議の国のアリス」


初めて名を聞くジグマー・ポルケ。
ヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞を獲るなどドイツ・アート界の巨匠のみならず、今や世界で最も注目される画家の1人であるポルケ、日本の美術館初の個展だそうだ。
表題のシリーズ、“メネラオスの夢”シリーズ(ポストカードを買ってしまった)など結構気に入ってしまった。
先日読んでいた雑誌のジグマー・ポルケのインタビューが可笑い。
曰く“私の展覧会は日本におけるドイツ年の一環とされていますが、私はドイツのいかなる公的機関の助成も受けていません。彼らは全く協力的で無かったけれど、オープニングでは自分の手柄のように振る舞うでしょうがそれは真実ではない。”と。どうやらやんちゃなアーティストらしい(笑)。

(10/25 上野の森美術館)


イサム・ノグチ展

以前「イサム・ノグチ-宿命の越境者上・下」著ドゥス昌代という本を読んで、すっかりプチイサム・ノグチファンになっていた私。
読み物としても相当に面白かったが、内容を忘れ去る前に思わぬ所で作品の理解に一役買ってくれた感じでちょっとうれしい。
展覧会は、初期から晩年まで駆け足ながら順序よく作品が展示してある。
ブランクーシに師事していた頃の作品から、彼が生涯をかけてこだわったプレイランドがついに実現した北海道のモエレ沼公園まで(模型などで)展示してあり、ちょっと感激。
エナジー・ヴォイドはさすがの迫力。
そういえば、前に住んでいた家にはイサム・ノグチのあかりのバッタもんを使っていたんだった。

(10/4 東京都現代美術館)


中島宏展 −現代を生きる青磁−
散歩ついでに立ち寄った松濤美術館。
たまたまその時の企画展がこれ。
青磁に限らず焼き物に疎い私であるが、やさしい色合いや肢体、繊細なひび、現代作家の青磁の美しさに心からうっとりしてしまった。
(10/12 渋谷区立松濤美術館)


杉本博司展
今年見た展覧会の中で、ピカイチの面白さ!
素晴らしいので、備忘録として詳細を残しておきたい。
後でちゃんと・・。できるかな。
(10/28 森美術館)



2005年10月27日(木) 東京国際「シレンティウム」「笞の痕」「リトル・エルサレム」

東京国際映画祭 コンペティション
「シレンティウム」

監督:ウォルフガング・ムルンベルガー
[ドイツ/2004年/116分]


東京国際映画祭、今年は全く見る気が起きず、完全パスしようと思っていたのだけれど、この作品だけが何故かひっかかっる。結局今年はこれ1本だけ行ってみた。
何となく私は「ユマニテ」や「ジーザスの日々」のブルノ・デュモン作品のようなものを連想していたようだ。
見てすぐこの一枚の写真にだまされたと気づいた・・。
いや、だまされたもなにも、私が悪いんだけど。
そうよね、まんま重い十字架を背負う主人公の絵など隠喩もへったくれも無いじゃない。
宗教がらみのおどろおどろは単なる味付け的「クリムゾン・リバー」系の軽めミステリでありました。
ただ、バディムービーとしては上出来。相棒がチャーミング。
(10/28 TOHOシネマズ六本木)

東京国際映画祭 女性映画祭
「笞の痕」

監督:マグダレーナ・ピェコシュ
[ポーランド/2004年91分]
父親の体罰を受けながら育ったために心にも傷跡をきざまれ、人を拒んで生きている青年に、ひとつの出会いが奇跡のような愛をもたらす。−紹介文より

少年時代の不安と反発、長じてからも不安から脱することが出来ず苦しむ主人公の姿が真摯に描かれている。また、父親の姿もきちんと描かれ、これ以上はないというほどきちんとまとまったラストが胸を打つ。
が、うまくまとまりすぎて、ちょっと魅力が薄れたか。
主人公が大人になってからの役者の演技が大きくて、見ていて何度か逃げ出したくなった。終了後の話によると舞台俳優だそうだ・・どうりで。
(10/27 ウィメンズプラザ)

「リトル・エルサレム」
監督:カリン・アルブー
[フランス/2005年/94分]
“リトル・東京”とか“リトル・イタリー”などと同じように、パリの中の“リトル・エルサレム”というユダヤ人街が舞台だ。
ユダヤ人の少女がムスリムの少年に恋をして、宗教と家族と因習の中で思い悩む姿がこれまた真摯に描かれていた。
が、見ているときは悪くはなかったが、少女のまれにみる可愛さ美しさ以外、何も印象に残っていない私。このテーマの映画はもうやめよう・・・。
(10/27 ウィメンズプラザ)



2005年10月21日(金) サカリ・オラモ×フィンランド響/小澤×マーカス・ロバーツトリオ×N響

サカリ・オラモ フィンランド放送交響楽団

ラトルの抜けた後のバーミンガム市響の音楽監督オラモ。
何だかとても気になる若手指揮者なんである。
古巣のフィンランド放送響を率いての来日だ。
さすがにシベリウスはお家芸よお任せ!ってな感じで美しい響きを聴かせてくれる。
悲愴は、特に木管が美しくてしびれるも金管がひいき目に見てもちょとつらい。
もたっとした所もあったけど全体的にいい感じ。
さてさてここは北欧美人そろい!
またパーカッションのお兄さんは俳優と見まごうばかりの美しさ。
このオケは目にも美しい。・・って私は何をみているのでしょう・・。

シベリウス:交響詩フィンランディア
チャイコフスキー:交響曲悲愴

(10/21 オペラシティコンサートホール)


NHK音楽祭 小澤征爾×マーカス・ロバーツトリオ×N響
子どものためのプログラム
最初は全く気にもとめていなかった演奏会だったが、ある時演目がガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」でマーカス・ロバーツがジャズピアニストと知って、これは!と、チケットを取った。
ジャズバージョンの「ラプソディ・イン・ブルー」には若い頃から思い入れがある。
演奏会間近になって曲目変更があり、ちと残念だが曲調は大差ない。
それよりマーカス・ロバーツひとり参加の予定がトリオで参加に変わったのが大きい。
オーケストラとピアノの協奏曲は、たとえ演奏者がジャズピアニストであっても大きく逸脱することはない。が、ピアノトリオとの協奏曲はかなりスリリングで面白いものになっていた。ガーシュインの曲だからこそ違和感無く出来たことなのだろう。
既に小澤とマーカス・ロバーツトリオは何度も演奏を重ねているらしい。

とにかく楽しかった!
子どもも多かったけど皆おりこうさん。

ベートーヴェン:交響曲5番
ガーシュイン:ピアノ協奏曲ヘ調
千住明:日本交響詩

(10/24 NHKホール)



2005年10月19日(水) 「愛をつづる詩」「ブラザーズ・グリム」他、印象のみ

「愛をつづる詩」Yes
[2004年/100分]
監督・脚本・音楽:サリー・ポッター  
ジョアン・アレン、サイモン・アブカリアン、サム・ニール

サリー・ポッターの選ぶ女優は共通だ。
ティルダ・スウィントン、ケイト・ブランシェット、そしてこのジョアン・アレン。
手足がすらりと伸びて余計な贅肉を持たない美しい肢体、成熟した女の匂い。
(次はクリスティン・スコット・トーマスあたりが来るか?)
サリー・ポッター監督のセルフイメージに重なる女優を起用しているようだ。

サリー・ポッター映画は、アーティスティックな香り漂わせながら、女性のための女性のツボを心得た、かなりベタな永遠の乙女系という認識。
この映画も大人の性愛を描きつつ、本質はかなり乙女チック。

原題は「Yes」。
国籍・宗教を越えた愛の肯定、人間の肯定を伝えたかったのだろうか。
しかし、ツメがかなり甘く、ちょっと半端な印象が残ってしまった。


「アワーミュージック」Notre Musique
[2004年/80分]
監督:ジャン=リュック・ゴダール

私にはゴダール映画を語る教養と言葉がないのっす。
悲しい。


「ブラザーズ・グリム」 The Brothers Grimm
[2005年/117分]
監督:テリー・ギリアム
マット・デイモン、ヒース・レジャー、ジョナサン・プライス、ピーター・ストーメア 

敬愛するテリー・ギリアムさん江
とにかく、完成して良かった良かった。
とにかく、何を作っても必ず見るからね〜♪
とにかく、一生ついて行くからね〜♪


「コープス・ブライド」Tim Burton's Corpse Bride
[2005年/77分]
監督:ティム・バートン

「大人になったからって、大人になれるわけじゃないんだからね!」(by「1980」@ケラ)
という人生の真理があるなか、
ティム・バートン、大人になったね、と心から思う。
          ↑「チャーリーとチョコレート工場」の方がその気持ち強し



2005年10月14日(金) 「ダーウィンの悪夢」上映会

山形ドキュメンタリー映画祭で見て、結構ショックを受けてしまったこの映画。二度目・・しかも間をおかずに見るのはちとつらいと思いつつも東京の上映会では監督のトークがあるというので出かけた。
ヤマガタでの感想は→こちら

● 映画『ダーウィンの悪夢』上映会+討論
  −グローバル化と奈落の夢−
日時:2005.10.14(金) 
会場:東京外国語大学研究講義棟2F226教室
16:45-   イントロダクション
17:00-18:55 映画『Darwin's Nightmare』上映
19:05-20:00 討論 H.Sauper(監督)
西谷 修(東京外国語大学) 中山智香子(同)

中程度の階段教室に立ち見が出るほどの盛況ぶり。
ヤマガタで賞を獲ったこともあるが、以前から話題になっていただけのことはある。

ダーウィンのいう適者生存とか自然淘汰は何となく覚えている程度の私だが、ヴィクトリア湖の生態系を滅茶苦茶にしながら増殖するナイルバーチと、人間の生態系を滅茶苦茶にしながら席巻する資本主義とをひっかけているタイトルは見事だと思う。
またこの日のサブタイトル「グローバル化と奈落の夢」も言い得て妙だ。
ナイルバーチは補食魚ゆえにヴィクトリア湖の他の魚を食い尽くす日も近く、現在共食いの段階まで来ているという。
資本主義もまたグローバル化の御旗の下、弱者を食いつぶし増殖を続けいつかは己を食い尽くしてしまうのか・・。
しかし、ナイルバーチは生きるために食らうし、人間も悪意で動いているわけではない。
まさに出口無しの悪夢だ。

途上国の貧困・飢餓・ストリートチルドレン・売春・HIVなどは、今や我々にとって決して目新しいものではなく、ともすれば「あ・・またか」などという気分になることも多い。
しかし、知識として“知っていること”と、認識をして“理解すること”の間には大きな隔たりがある。
監督は、“理解”のための映画作りについて、現実のリプロダクションとして作品を提示しているという。
が、記録としてのドキュメンタリーに徹するとリアリティを失うおそれがある。
そこに主観のフィルタを通し、ポエティック(というのは感情の流れに沿うという事だと理解する)に構成する事を意識しているという。はい、ダイレクトに来ました・・。

また撮影裏話として、映画の制作費用の少なくない部分を、現地の警察や役人への所謂賄賂として使ったという。撮影の許可を取るためにいちいち裏金が必要になったり、ネイティヴの女性へのインタビューがポルノ映画と勘違いされて留置所へ入れられたり、相当の苦労があったようだ。それでも西洋人ということで裏金で済んだが、これが現地人だと命がなかったかもしれないという。

終わりに、会場に来ていたタンザニアからの留学生の「これが現実の姿だ。この映画に感謝します!」という言葉が響いた。

次の映画は、中国の帝国主義についてだそうだ。
過去の歴史において、アフリカを搾取したものが世界を制するという図式があるそうだ。
・・そういえば植民地化して資源をかっさらったヨーロッパ・現在のアメリカ・・。
・・そういえばナイジェリアが中国から軍用機を購入したというニュースが新聞に出ていた。中国はTシャツ・プラスティックなどの工場や工事と引き替えにダイヤモンドなどの権利を得てるという。不気味な中国。ちょとこわい。

ビターズ・エンドとNHKがこの映画の権利を買ったそうだ。
来年の夏の公開が予定されているという。その前にNHKでの放送があるかもしれない。是非とも多くの人に見てもらいたいと思う。



2005年10月13日(木) 「シン・シティ」

私はアメコミの世界はまるで分からないが、かつてハードボイルド小説を読みふけっていた身としては、この映画、楽しくて楽しくて〜♪〜大満足〜♪。
ハードボイルドにモノローグは不可欠。しかしそのカッコつけモノローグは、大真面目にやりすぎてすべると悲惨な結果をまねくおそれ多し。が、この映画ではマンガチック(・・ってマンガなんですけど)なオーバーさとのコラボでセーフ。

見てからだいぶ経ってしまったので印象のみ。

スタイリッシュに色処理された血は、ショッキングさをやわらげる。
より多くの人に見せるためのお勉強をしたのかロドリゲス。
「スパイ・キッズ」も無駄じゃなかった。

ブルース・ウィルスの退役間近の警官が狭心症という設定、ぐっと来て笑える。
アル中探偵アル中ガンマンが大好きだった私。
病院のベッドに横たわるブルース・ウィリスに向かって、彼に助けられた少女ナンシーが「今コーデリアという名前の女探偵の小説を読んでいるの」と言っていたコーデリアという探偵は、P・D・ジェイムズの「女には向かない職業」の探偵コーデリア・グレイのことだ。
うら若い身空で健気に頑張り、たくましく成長する姿はジェシカ・アルバ(キュ〜〜ト!)演ずる大人になったナンシーに激しくだぶる。

ミッキー・ローク演ずるマーヴは、よく言われているようだが、私も大鹿マロイを連想していた。「さらば愛しき女よ」@チャンドラー。

デル・トロさまのパートも抱腹絶倒。
イライジャも最高。そうやってホビットのイメージを払拭していくのは賢い事だと思う。
キャスト大満足。
いやぁ、えぐいところも多いけれど、ツボを押されっぱなしな感じ。


Sin City
[2005年/124分]
監督:ロバート・ロドリゲス
出演: ブルース・ウィリス、ミッキー・ローク、クライヴ・オーウェン、
ジェシカ・アルバ、ベニチオ・デル・トロ、イライジャ・ウッド、
ブリタニー・マーフィ、デヴォン青木、ジョシュ・ハートネット、
ロザリオ・ドーソン、マイケル・クラーク・ダンカン、ニック・スタール、
マイケル・マドセン、ジェイミー・キング、ルトガー・ハウアー



2005年10月12日(水) 「ドア・イン・ザ・フロア」と“未亡人の一年”

アーヴィング原作映画は、1に「ガープの世界、2に「ホテル・ニューハンプシャー」、3、4がなくて5、6もなくて「サイモン・バーチ」と「サイダーハウス〜」・・と思っている。
が、この「ドア・イン・ザ・フロア」は、他のアーヴィング原作映画とは別の地平に位置しているような印象を受ける。というのは、原作「未亡人の一年」の約1/3のみを映画化したことに起因しているとも言えるのだが、これでもかっ!てほど展開する悲喜劇は陰を潜め、ひとつの終末に向かって繊細に登場人物の心情をたどっていく演出に終始しているのだ。
上手にまとまった優等生的「サイダーハウス・ルール」(アーヴィングが脚本を担当して気に入っているというが)なんかより、ずっとずっと好きだ。

映画は、若くして事故死した兄弟の写真を家中の壁にかけ、いわば死者と共に暮らしている機能不全家族のひと夏が描かれる。
死んだ息子を巡る思いに支配された母親。悲劇に逃避姿勢かつ快楽主義者の父親。兄たちの死後生まれた4歳のルースは、そんな中で鋭敏な神経をもつ聡明な少女として育っていく。生まれたときから家の一部として存在する兄達の写真は、彼女の精神の拠り所になっているようだ(それは母からの感応に違いないが)。
壊れかけた家族の中に、表向きは父親である作家のアシスタント・実は閉塞した世界を打ち壊す最後のひと押しの道具として雇われた少年が加わり、話が転がり出す。


私はジェフ・ブリッジスが大好きなのだが、ここでも本当に良い良い良い!!二重あごにたぷたぷのお腹をかかえた中年男ブリッジスだが、やはり素敵だ!無造作に大胆に振る舞っているように見えて、奥底にある繊細な心の演技にため息が漏れる。また、素敵に歳を重ねてきているキム・ベイシンガーの弱さと強さを併せ持つたたずまいもまた素晴らしく、この二人の表現者あってこそ成立した映画といえるかもしれない。

実は、この映画が原作の1/3部分の映画化と知ったのは、映画を見てから数日後の事。
あの聡明なまなざしの4歳の少女ルースのその後が気になってしょうがない。
もちろん読み始めた。打ちのめされた。
アーヴィング作品を何となく映画で見て知ったような気になっていた。
その愚かな間違い心は即、叩きつぶした。
この作家の凄さを実感した。
上巻は何度か中断しつつ読んでいたが、下巻は一気にラストまでやめられない。
ちょっとの中断中も読了後もしばらく小説世界が頭から離れなかった。
物語に浸る喜びに打ち震えた・・こんな気分は去年の「犬は勘定に入れません」以来だ。

映画に描かれた部分の後は、一気に30数年後に飛ぶ。
ルースも34歳だ。成人しても両親と死んだ兄たちの呪縛から逃れられない彼女も作家だ。劇中劇ならぬ小説中小説とでもいうのか、彼らの内面を良くあらわす重要な役割を果たす小説達はまたアーヴィングの小説作法やらも披露しているようである。
残酷な滑稽さというか、滑稽な残酷さテイスト爆裂で思いもよらぬ方向に話が展開され、そしてラスト。
最後の一行に息が止まった。そして涙がどぉっと流れ落ちた。声も洩れたかもしれない。
至福の瞬間だった。こういうことがあるから読書はやめられない。

「ガープの世界」ではガープのママ=グレン・クローズがお話の精神的支柱となっていた気がするが、ここではルースのママ=キム・ベイシンガーだ。
話の中で長い間登場することがなくても、目に見えない存在を感じさせてくれる。
30年後、同じキャストで続編の映画が見たい。
・・というか、30年後の同じ役のキム・ベイシンガーが見たいだけなんだけど・・。
成長したルースは何故かジョディ・フォスターが浮かんでしょうがなかった。

監督・脚本:トッド・ウィリアムズ
ジェフ・ブリッジス、キム・ベイシンガー、
ジョン・フォスター、ミミ・ロジャース、エル・ファニング



2005年10月11日(火) 山形国際ドキュメンタリー映画祭(その3)

ヤマガタ滞在ラストの日

「静かな空間」About a Farm
 [フィンランド/54分]メルヴィ・ユッコネン
フィンランドで小規模な農場を営むが閉鎖せざるを得なくなる監督の両親・高校生の妹の病気などを綴りながら、家族の姿を真摯に描いたセルフ・ドキュメンタリー。

「ルート181」Route 181 -Fragments of a Journer in Palestine-Israel
 [ベルギー仏英独/270分]ミシェル・クレフィ、エイアル・シヴァン
ルート181という道路をドライブしながらのロードムーヴィーかと思いきや、さにあらず。
第二次世界大戦後、パレスチナをアラブ国家とユダヤ国家に分割した“国連決議181条”に定められた分割線に沿った道路を、ふたりの監督が勝手に“ルート181”と命名。
その道路を南側から北上、ドライブしつつ出会った人にインタビューし続けるという映画。

ふたりの監督はそれぞれユダヤ人とパレスチナ人だ。
そのうちユダヤ人の監督が、ドキュメンタリー好きなら覚えもめでたいアイヒマン裁判を扱った「スペシャリスト:自覚なき殺戮謝」の監督。
パレスチナ人の監督もカンヌ他で受賞経験のある人だ。
これが面白くないわけがなく、4時間半という長丁場があっという間だった。
(途中休憩あり)

ふたりの監督は、インタビューする相手の懐に飛び込み、奥底に潜む意識を引き出す誘導が巧みなのだろう。
そこには、ユダヤ人・パレスチナ人それぞれの肉声があった。
とはいうものの、インタビューは圧倒的にユダヤ人が多い。望む地に住めるから
ユダヤ人とひとくちに言っても、右寄りから左寄りまでさまざま。
「南京虐殺はなかった!」と言う脳の梗塞した日本のおっさんと同じように「アラブ人は勝手に出ていった」などと信じ込むユダヤのおっさん。イスラエル建国の夢を抱いて移住してきたものの、空虚な現実に沈むおばさん。
イスラエル軍の強制退去や虐殺の生き残り目撃者の老人。
拷問で失明したものの意気盛んなパレスチナ人女性。
などなどもっともっと多くの興味深いインタビューと共に、カメラは、現在双方を分離する壁の建設現場や、平和団体のデモなどを映し出す。
また、あまりにも危険なので国際法で禁止されているという有刺鉄線(トゲの部分が鋭いナイフのようになっている)の製造現場も凄い。戦争や捕虜収容所で使用が禁じられているのに、パレスチナ人居住区の仕切にはOKという。まるでおもちゃを売るような口調の営業マン。
かつて第二次世界大戦で受けた苦しみと同じ事を、戦後パレスチナ人に向けているイスラエルというユダヤ人の国の姿を浮かび上がらせる。
アメリカ・ひいては世界中のユダヤ人という後ろ盾の力は強大だ。
何度か日本のアジアに対する態度とユダヤ人の姿が二重写しになったりする。現実を都合のいい風に解釈・都合のいい声だけを聞いて暮らせれば楽に生きられるしなぁ。 
あぁ、つくづく私って何て言葉足らずなんでしょう。


〜結果〜
○ロバート&フランシス・フラハティ賞(大賞)
 『水没の前に』
○山形市長賞(最優秀賞)
 『ルート181』
○審査員特別賞 ◇コミュニティシネマ賞
 『ダーウィンの悪夢』
○優秀賞
 『海岸地』 『静かな空間』



2005年10月10日(月) 山形国際ドキュメンタリー映画祭(その2)

ドキュメンタリー映画祭二日目

「海岸地」Foreland
  [オランダ/70分]アルベルト・エリンフス、オウジェニー・ヤンセン

オランダのライン川沿いの村を7年間写し続けた記録。
川の水位が上がり下がりする繰り返しの年月中に、開発などにより確実に変化していく様を、美しい映像で綴る。
ナレーションや音楽を入れず、厳選された音のみで展開される鋭敏ながら暖かい印象。

「メランコリア3つの部屋」The 3 Room of Melancholia
  [フィンランド独デンマークスウェーデン/106分】ピルヨ・ホンカサロ

チェチェン紛争を巡り、それぞれの立場における幼い子どもたちの姿を追う。
・ロシアの士官学校の訓練や寄宿舎の子どもたち
・荒れ果てたチェチェンに暮らす子たち
・難民キャンプにおける子どもたち
この3つのパートから成り立つ。
廃墟となったチェチェンに住む子や難民キャンプの子らはもちろん辛い生活を強いられているのだが、ロシアの士官学校の子どもたちは恵まれているかというとさにあらず。貧しさのために志願する子がほとんどなのだ。
取り上げられるのは皆10〜12才の子どもたち。
時折この年代の素顔をのぞかせる愛らしい子らが、環境によって教育され憎しみや差別を植え付けられていく姿が痛ましい。それぞれのパートのラストに流れる音楽が私には耳障りに感じられたのが残念。

「ジャスティス」Justice
[蘭ブラジル/100分]マリア・ラモス

ブラジル、リオ・デ・ジャ・ネイロの裁判所や刑務所を舞台に、それぞれのケースにカメラが向けられる。
ロバート・ワイズマンのドキュメンタリーを手本とする(?)影響された(?)フィルムは、ワイズマンのアメリカとは違ってブラジル人の国民性とか司法制度とかを写しだしていて興味深いかも・・と思いながら、これはもう見飽きた気分に襲われる。
そういえば前にイランの女性裁判所のドキュメンタリーも見たなぁと思い出しつつ、途中でごめんなさい、会場を後にする。


 空いた時間、市内散策。
 やっぱり山形は良い街だぁ!
 中心地にある木の実町という地名にあこがれる。
 私は“山形市木の実町”に住んでいます、と言ってみたい。


「リハーサル」Rehearsals
  [スウェーデン/96分]ミハウ・レシチロフスキー

実際の3人の受刑者が、商業演劇に出演することになる。
演出家が実際に刑務所に赴きリハーサルを続ける。台本は多分あって無いようなもの。
それぞれの生育歴・信条(ネオナチだったりする)を語り、討論を重ねるのだが、それが舞台そのものとなるのだ。
・リハーサル風景
・各人のつぶやき告白証言
・本番の舞台
それぞれを入れ混ぜながら映画は進行する。
いかにもスウェーデン!といった感じである。3人の囚人は皆それぞれ若く美しい。
面白く見ていたのだが、次の「水没の前に」がどうしても見たい!上映劇場への移動時間もあり、終わり近く泣く泣く途中退場。先の映画に引き続きごめんなさい・・だ。

《後記》私が席を立った後、この映画が凄い展開を見せるという事を、ずいぶん後で知った。ショック!でもこの場合致し方ないと納得するしかない。

「水没の前に」Before the Flood
  [中国/143分]李一凡、イェン・ユィ

6〜7年前に「沈む街」という中国映画を見て以来、三峡ダム建設は少しばかりの関心事となっている。2009年完成すると世界最大のダムになるという。
現代を舞台にした中国映画ではそこここにその話題が取り入れられていて、中国人の関心の程が伺える。
この映画は、歴史的古都である四川省の奉節(フォンジェ)という町にカメラを向け、徐々に水位が上がり捨てられ壊されゆく町の様子を縦糸に、移転せざるを得ない住人の姿を横糸に綴られていく。
中でも印象的だったのは、ひなびた旅館を営んでいる老人の姿だ。日本人から見ると異常に自己主張の激しい中国人の中にあって、柔らかな物腰と常におしゃれを忘れずダンディ、しかもハンサム。終盤の舞いからすると若い頃は舞台に立っていたのかもしれない。その老人の旅館は違法建築のため、何度役所にかけあっても移転補償金が出ない。途方に暮れつつ移転先を探す日々。それでも生きていかなければならない。この老人のみならず切り捨てられた人は膨大な数にのぼる。
そんな各人の事情を描きながら、逞しいパワーも感じさせてくれる。
ダイナミックかつ繊細に綴られたこの映画に魅せられてしまった。

終わって外を歩いていたら、突然このふたりの監督に遭遇。思わず「謝謝!Good Movie」と、訳の分からぬ言葉を発しつつ思いっ切りの笑顔が自然に出ていた私。監督たちも、心からのとびきりいい笑顔で応えてくれたのだった。何だか「日中友好日中友好」などという言葉が頭の中でこだました(単純)。・・てな気分でホテルに帰った二日目なのだった。



2005年10月09日(日) 山形国際ドキュメンタリー映画祭(その1)

2年に一度開催されるこの映画祭、私は3度目の参加。
何本も見ていると、中には睡魔に襲われる作品も出てくるのだが、今年に限ってはそれがまるでなく見た映画全て興味深く、寝るヒマ無し。
今回は、1本を除いてすべてコンペ作品を見た。
もっと時間があればコンペ以外も見られたのだが残念。
それにしても、世の中、知らないことだらけだ・・といつも思う・・。

「ファイナル・ソリューション」Final Solution
[インド/149分]ラケッシュ・シャルマ

早朝に東京を出発してまだ頭が働かない状態で見たこの映画、しょっぱなから、ずしーん。
インドにおけるヒンドゥーとイスラムの対立を捉える。
2002年、インド西部の地方でおこったイスラム教徒虐殺事件を証言を交えて検証。
ヒンドゥ原理主義者(でいいのか?)が民衆を煽り立て憎しみへと向かわせる。
これはナチスはもちろんスーダンだとかルワンダだとかイスラエルだとか…いやになるくらい世界各地で繰り返されている構図と同じだ。
その事実をふまえつつ、映画の後半では虐殺のあった州で行われた選挙に焦点が絞られる。
遠い遠いファイナル・ソリューション(最終的解決)への道を探る。
ティーチインで
この映画は、当時、当然ながら上映許可はおりなかった。が、その後ヒンドゥ右派の政権が失脚すると上映可となる。監督は即この映画を大量にダビングしてビデオやDVDで無料配布する。そのための予算は最初から組み入れていたそうだ。で、見た人は最低でもそれぞれ5本はダビングして周囲に配って欲しいとお願いしているという。著作権はいらないという。ひとりでも多くの人に事実を知ってもらいたいというこの心意気!ぐぉっと感激。


「ダーウィンの悪夢」Darwin's Nightmare
[オーストリア仏ベルギー/107分]フーベルト・ザウパー

これには、今までに無いほど打ちのめされてしまった。
この日知り合った人と映画が始まるまでいろいろとおしゃべりをしていたのだが、終わってからの私、動揺のあまりまるで通常の会話が出来ず。失礼なことをしてしまった。(彼女とは次の日ばったり出会って非礼をわびたけど)

舞台はアフリカのタンザニアのビクトリア湖。
40年程前に誰かが放流したナイル・バーチという巨大補食魚から始まる。
生態系を壊しながらも一大産業となるナイル・バーチにからむビジネス。
が、富を得るのは一部の人間と外国の企業。
地元では貧困・飢餓・それに付き物のストリートチルドレンの発生・売春・HIVの蔓延・そして武器輸送疑惑。
ここでも世界中で見られる構図そのものが繰り広げられている。
魚を石油とか果物穀物とか鉱物とかに置き換えると全く同じ事が起こっていることに今さらながら気づき愕然とする。
・・これら内包する沢山の問題を、巧みに織り交ぜながら提示していく構成が素晴らしい。
また、武器調達疑惑という大きな問題も、映画の前半からその芽を微妙に繰り返し入れ込み誘導している手腕はかなりのものだ。
この日はティーチイン無しの上映のみ。監督の来る日には私はもう山形にいないよ〜。
あぁぁ、監督の話が聞きたい〜。
    →東京での上映会

「アンコールの人々」The People of Angkor
[フランス/90分]リティー・パニュ

4年前の山形でこの監督の「さすらう者たちの地」を見た時、睡魔に襲われた記憶が…。
なのでちょっと不安を覚えつつ見た。
アンコール・ワットの遺跡周辺で生きる人々を描きつつ、その後ろの長い歴史を美しい映像で描き出していく。
多分カメラの位置とかセリフとかも計算され尽くされているようで、これドキュメンタリーなの?という人がいそうだ。いや充分にドキュメンタリーだと思う。
過去の全てを飲み込んでゆうるりと時の流れるこの映画、ハードなハードな「ダーウィンの悪夢」の後、丁度よかったように思う。


「ミュージック・クパーナ」Musica Cubana
[ドイツ/90分]監督:ヘルマン・クラル プロデューサー:ヴィム・ヴェンダース

ヴェンダースからキューバの若手ミュージシャンの映画を撮らないかと言われて撮った映画だそうである。いわば「ブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブ」若手版だ。
6年前にやはり山形でこの監督の「不在の心象」というセルフ・ポートレートっぽい映画を見ているが、どえらく傾向が違っているのでびっくり。

話は、キューバのピオ・レイバという大御所シンガーが、陽気なタクシー運転手をマネージャーにし、才能溢れる若手をそれぞれスカウトしバンドを作り、最終的にワールド・ツアーに出るというもの。
話は単純ながら音楽が楽しい。それぞれのバンドはキューバのソンやルンバやらヒップホップやらが入り乱れて最高に楽しい。

で、最終目的のワールド・ツアー先は東京なのだ!いきなり首都高やら渋谷が写されてびっくり。そして“東京キネマ倶楽部”というクラブで実際に行われたライブ映像が流れる。
映画前半は普通の面白さなのだが、後半の東京でのパートはまれにみる程のライブ映像かもしれない。凄い!面白い!舞台と客席が一体となるとはこういうことなのか。バンドのメンバーも観客も心から音楽を楽しんで楽しんで愛しているのが伝わってくる。
この映画は、何と来年の3月に公開が決まっているそうだ。


てなわけで、ハードな映画から始まり、途中ほっこり癒され、最後には心から楽しい気分で一日を終えることができたのだ。
今年山形に来るにあたって、へこむ出来事があり、やめようかとも思っていたのだけれど、来て本当によかったと心から思ったのだった。


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