2005年04月29日(金) |
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン |
◇ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン
東京国際フォーラムで4/29-5/1の3日間、150もの演奏会が開かれるという驚くべき企画。日本での第一回は「ベートーヴェンと仲間たち」というテーマで、ベートーヴェンの交響曲、弦楽四重奏曲、ピアノ曲をはじめとする主要作品の多くが一挙演奏される。
3日間で国際フォーラム内の6会場で150本以上・・というあまりにも凄い数の演奏会。 どれをどう選んで良いのか分からず、とりあえず友人の選んだ4本の演奏会の前売りのみゲット。 あとは当日券で大丈夫さ、へらへらというスタンスで臨んだが、凄いことになっていた。 完売している演奏会多数の大盛況のお祭りだった。
普段から国際フォーラムの中庭には屋台村が出来ているが、当日はテーブル・椅子が所狭しと設置され、大型スクリーンでは本国の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」演奏会のフィルムが上映されている。 我々も演奏会の合間にワインを飲みお腹もちょっと満たし、また次の演奏会へと向かう。 これが楽しい楽しい!すっかり浮かれてしまったのだった。 来年は、モーツァルトがテーマだそうだ。 5月の連休はこれからこのお祭りで決まりだ。
一本の演奏会は、皆1時間以内で、値段は1500円〜3000円。 安くたってレベルは低くない!
◆「ピアノ交響曲第5番・皇帝」 ニコラ・アンゲリッシュ(p) ◆「ミサ・ソレムニス」 演奏:コンチェルト・ケルン 合唱:RIAS室内合唱団/カペラ・アムステルダム ◆「ノットゥルノ ニ単調」 「弦楽三重奏曲第5番ハ単調」 オーギュスタン・デュメイ(vl) ジェラール・コセ(va) 堤剛(vc) ◆「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」 レジス・パスキエ(vl) 指揮:大友直人
初日に聴いて感激した「ミサ・ソレムニス」を最終日にもう一度・・と思ったときには既に売り切れてしまっていた哀しさよ。
2005年04月27日(水) |
「恍惚」+ 弦楽のためのアダージォ |
◆ 恍惚 Nathalie [フランス/2003年/105分] 監督:アンヌ・フォンテーヌ 音楽:マイケル・ナイマン 出演:ファニー・アルダン、エマニュエル・ベアール、ジェラール・ドパルデュー
俗に堕ちそうな話を、下世話にならず知的にまとめた感あり。
(at ギンレイホール)
◇弦楽のためのアダージョ
企画構成:海野義雄
コレルリ:サラバンド、ジーグとバディネリ ヴィヴァルディ:4つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲 バッハ:G線上のアリア モーツァルト:セレナータ・ノットゥルナ
サン=サーンス:白鳥 パガニーニ:ヴァイオリンとギターのためのカンタービレ(ギター荘村清志) マーラー:アダージェット マスカニーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲
アルビノーニ:弦楽とオルガンのためのアダージョ チャイコフスキー:弦楽セレナード
(at サントリーホール)
2005年04月25日(月) |
「山中常磐」「レモニー・スニケット〜」 |
◆ 山中常磐 [日本/2004年/100分] 監督:羽田澄子 絵巻:岩佐又兵衛
昨年のフィルメックスで上映された時、岩佐又兵衛好きの小娘が見て“これはオススメだ〜”と言っていたので、岩波ホールで一週間限定上映、見落とすことなく行ってきた。
この映画は、江戸時代の絵師・岩佐又兵衛作の絵巻物「山中常磐」全12巻をそのままフィルムに収めたドキュメンタリーだ。 浄瑠璃語りの詞はそのままに、しかし今では曲が分からないので新たに作曲された浄瑠璃が全編に流される。
これがアメイジング!てな心躍る面白さなんである。 話は、後の義経=牛若丸が奥州藤原家に身を寄せている時、母=常磐御前が我が子会いたさに旅に出るも、その途中で盗賊に襲われ殺されてしまう。 その後、牛若が母の仇をとり、懇ろに供養するというもの。
涙さそう母子ものであり、復讐たんであり活劇である。 しかも血が飛び首が飛び胴切り唐竹割のスプラッター、かつなまめかしくエロチック。 ロードムービー的要素もあり。 全く不得手な分野なのだが、挿入されている浄瑠璃が素晴らしい。 く〜っ!格好いいぜっ!しびれたぜぇっ!
娯楽的要素爆盛りなのに、美術館のガラスケースの中でしか見られなかったものをフィルム化した功績は大きい。 しかも凄いことに、実物の絵巻だと登場人物が10〜15センチのところ、映画ではスクリーンいっぱいに拡がるのだ。 どアップあり引きありのカメラワークで物語が進む。 アップもまた魅力的な又兵衛の絵なのである。 この絵師・岩佐又兵衛もまた、牛若と同じような育ちをした非常に興味深い人物だ。
ただ、場面転換部分で挿入されるご当地風景フィルムは、少々つまらない映像なのだった。 とはいうものの、羽田監督にはこの先、第二第三の「山中常磐」をお作りいただきたい!と無責任ながら切に願うのだった。
(岩波ホール)
◆ レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語 Lemony Snicket's A Series of Unfortunate Events [アメリカ/2005年/109分]
エンディングロールの切り絵影絵と、エンドクレジットで、ジュード・ロウの名前を見つけたことがいちばんのおもいでです。
(厚生年金会館)
2005年04月22日(金) |
「ザ・インタプリター」+2005 DOLL FESTA IN GINZA |
◆ザ・インタプリター [アメリカ/2005年/118分] 監督:シドニー・ポラック 脚本:スティーヴン・ザイリアン 出演:ニコール・キッドマン、ショーン・ペン、キャサリン・キーナー、イヴァン・アタル
シドニー・ポラックの真っすぐな社会派ドラマだ。 不自然な説明的セリフなど無いので、人間関係や状況を把握するまで少し時間がかかる。 が、否が応でも疑惑を膨らませられつつも無駄なく導いてくれるので、もつれることはないが、最後まで気が抜けない。 ばらまかれた思惑や事実が交錯しつつ、一本の線となり浮かび上がってくる過程は、たまらぬ緊張感とともに脳がしびれる。 また、サスペンスとは別に、登場人物達の背負うものの奥深さが、映画をいっそう厚みのあるものにしている。
以下ネタバレ含む ニコール・キッドマン演じるシルビアとショーン・ペン演じるFBIのケラーが最初に会った時、シルビアの言葉に対して「・・・イエス、マム」と答えるケラー。 それに反応してシルビアが「カウボーイみたいね」という会話が、結構印象的だった。 カウボーイはボーイスカウトほどナイーブな世間知らずではないけれど、時代遅れの正義の人・・くらいの意味合いがあるのかな?(今時「イエス、マム」は死後なのか) ケラーは確かに誠実なカウボーイだった。 しかし、ホントのカウボーイ(カウパーソン?)はシルビアだったのだと思う。 言葉の力と誠実さで国連の力を信じたいと願うシルビア。 またラスト近くで明らかになる彼女の過去の信条。信じた理想が裏切られても、なおかつその理想とその指導者の心根を信じたいシルビアの思いと行動は、時代遅れかもしれないが、まさにひとり荒野を行くカウボーイなのだった。 おぉ、これは性善説を説いた理想の結末か・・・と思いきや、やはりアメリカはアメリカ。 個人の理想(と、国連の理想)は、現実の前でままならぬのか。 この映画に出てくるアフリカの国は、架空のものだと思うが、ルワンダでありザイールであり、現在(とそのちょっと過去)のアフリカの幾つかの国々を併せた姿なのだろう。
えっと、ショーン・ペンがダスティン・ホフマン化している!・・・という印象あり。 あんど、ニコちゃんとの立った状態でのツーショットは無し。 身長差ありすぎ?
(4/22 at よみうりホール)
◇2005 DOLL FESTA IN GINZA 「ザ・インタプリター」に先立ち、友人が出展しているお人形展に出かける。 地下〜1階の広い会場に、複数の人形作家達がそれぞれのコーナーで独自の世界を展開している様は圧巻だ。 それぞれの作品には、それぞれの作家さんの写真と経歴などが書かれたものが貼ってあるのだが、見ているうちにふと気づいた。 人形の顔と作家さんの顔、酷似の傾向強し! 友人に聞いてみたところ、あがいてもあがいてもそうなるそうで、興味深い。
(at シンワアートミュージアム)
2005年04月20日(水) |
「コーヒー&シガレッツ」「真夜中の弥次さん喜多さん」 |
◆コーヒー&シガレッツ Coffee and Cigarettes [アメリカ/2003年/97分] 監督・脚本:ジム・ジャームシュ 出演:トム・ウェイツ、イギー・ポップ 「変な出会い」「双子」「カリフォルニアのどこかで」「それは命取り」「ルネ」 「いとこ同士」「ジャック、メグにテスラコイルを見せる」「幻覚」「シャンパン」
私がスモーカーだった頃、だべりながらさんざんコーヒーとタバコを消費した時の身体感覚がよみがえる。 もはや泥水としか感じられないのにまた次の一杯をいれてしまうコーヒー、口の中ががらがらと不快なのに吸い続けるタバコ・・・病気だったかも。 その思いがよみがえり少々苦しくなるも、映画は、まったりと楽しむ。
(at シネセゾン渋谷)
◆ 真夜中の弥次さん喜多さん [日本/2005年/124分] 監督・脚本:宮藤官九郎 原作:しりあがり寿 出演:長瀬智也、中村七之介、安部サダヲ、大森南朋、皆川猿時、古田新太、荒川良々、ARATA、麻生久美子
クドカンは天才かもしれない・・・。などと呟いてみる。 「トニー滝谷」「カナリア」と今年になって、かなり気に入った邦画が続いたが、これが本命かも! 感想は、そのうちゆうるりと。 というか、間違いなくもう一度見に行くのでその時にでも。
(at TOHOシネマズ市川)
2005年04月19日(火) |
「バタフライ・エフェクト」「ウィンブルドン」 |
◆バタフライ・エフェクト The Butterfly Effect [アメリカ/2004年/114分] 監督・脚本:エリック・ブレス 出演:アシュトン・カチャー、エイミー・スマート、エリック・ストルツ
あの時ああしていたら今頃どうなっていただろう。・・・などということは誰でも考えたことがあるに違いない。 この映画は、過去を変えられる能力を持ってしまった主人公エヴァンが“あの時ああしていたら”を、一途に実現。 運命がその都度姿を変えながらループする“彼女を救え大作戦”ドラマだ。 ループを繰り返した果ての着地点は悪くない。 しかし、悲壮感を伴っていながら、結構どたばたしていた印象。
主人公エヴァンや彼女・その兄・友人の基本設定がちゃんとしているので、枝分かれ後の彼らが受け入れやすい。 エリック・ストルツ演ずる父親の暴力の指向先によって兄妹の育ち方が変わってくる事など、興味深く美味しい!と思う。
しかし、パラレルワールドでいじくり回された主要人物以外の人生はどうなったの?というツッコミは置いときたい。 ・・とは思うが、気になってしょうがないのは、あの刑務所で同室だった信仰心の篤いヒスパニック男。 エヴァンに騙された後どうなったのだろうか?
幼い頃からエヴァンの記憶が飛んでしまっているのは、辛い記憶を無きものにしたいから無くなったのではなく、結局ループした未来が別れているために記憶のメカニズムが齟齬をきたさないために空白にしてしまったということなのだろうか。 見てからすでに一月、記憶が飛んでいる〜。
アシュトン・カッチャー、綺麗なお顔なのに華無し。
SF小説「ふりだしに戻る」「リプレイ」などを思い出したが、この映画の切り口はわりと新鮮に映った。
(4/19 at 九段会館)
◆ ウィンブルドン Winbledon [イギリス・フランス/2004年/99分] 監督:リチャード・ロンクレイン 出演:ポール・ベタニー、キルスティン・ダンスト、サム・ニール、バーナード・ヒル
お話は、シンプルでお気楽なロマコメ+スポーツもののお手本。
ポール・ベタニー素敵。ご贔屓筋。 骨格・筋肉の付き方、腱の形など完璧。肩・背筋の美しさにしびれる。 ただ、今回雨に打たれてしまい、哀しく薄い髪の毛が白日の下に晒されてしまった・・。 ぺたりと髪が貼りついてしまった頭は、ぎょろりとした目と共にゴラムの姿が二重写しになってしまう。 元祖コートの暴れん坊&判定にクレーム野郎のマッケンローと、クリス・エバートが解説者として出ていて楽しい。
(4/15 at 新宿明治安田生命ホール)
◆海を飛ぶ夢 The Sea Inside [スペイン/2004年/125分]
監督・脚本・音楽:アレハンドロ・アメナバール 出演:ハビエル・バルデム、ベレン・ルエダ
アメナバール監督は、今回、真っ直ぐな球を放ってきたなと思いながら見ていた。 この人は、生きながら死ぬこと、生きるための死・・など、死と生について深くとらわれている人のようだ。 「オープン・ユア・アイズ」は、生に対する絶望=生きながらの死、ではない方法を選んだ男の話だった。 「アザーズ」では、生と死を対等なものとして描いていたように思うし、 タイトなサスペンスだったと記憶しているデビュー作「テシス」は、すでに記憶が曖昧なのだが、やはり死にとらわれた姿を描いていなかったか? 「海を飛ぶ夢」では、それらを一歩進めた現段階での回答というか途中報告になるのかもしれない。
確かな意志を持ちながら、全て人の手を借りなければ生きられない“生きながらの死”に絶望し、尊厳死を選ぶ主人公。 病気のため意志や感情すら薄れてしまう“生きながらの死”に怯え苦しむも、それを受け入れることとなる女弁護士。 この二人のラストの対比は“死”についての解釈に結論を出さず、より深い余韻を残す。 同時に、ラストで弁護士が眺める海の景色で、さかのぼること前半の海辺でのイマジネーションシーンが浮かぶ。 願わくば、現実の死を実現した彼と、肉体以外の死にある彼女が、こことは違う世界の海辺で幸せに戯れていて欲しいと思うのは、我ながらセンチメンタル。 決して遠い未来のことではないと思う私の願望か。(本日とっても鬱モードのワタクシ)
その美しい海辺のイマジネーションのシーンは、体を動かせないはずの主人公が、ベッドから起き出し助走をつけて窓から飛び立ち滑空しながら海岸に至る。 そこには同志であり密かなる思い人でもある弁護士が散歩している。そこに降り立った彼は彼女を・・というシーン。 この一連のシークエンス以外は、全て、あくまで理性的に描かれ、余計な感傷を煽る部分は極力排除されている。 だからこそ、はかなくも美しいイマジネーションの部分は効果的に胸にしみとおる。 ここでのハビエル・バルデム、息づかいや鼓動まで聞こえてきそうだ。 少年の輝きを放っている姿は神聖でもある。
ところで、唐突ながら、ここで思い起こしたのは「ショーシャンクの空に」だ。 無実の罪で服役中のティム・ロビンスが、刑務所の放送室を占拠して、モーツァルトの「フィガロの結婚」のアリアを刑務所じゅうに大音量で流す。 それを聞いた作業中のモーガン・フリーマンの「これが何の歌かは知らない。よほど美しい内容の歌なのだろう・・・短い間だったが皆が自由な気分を味わった」というモノローグ。 そして、その罰で懲罰房に入れられたティム・ロビンスが戻った後、「モーツァルトを聴いていたから懲罰房は地獄じゃなかった。」「頭の中で聞いていた。音楽は決して人から奪えないのさ。」と言う一連のシーン。
海辺に飛ぶ主人公ハビエル・バルデムが、その時聞いていたのは、プッチーニの「トゥーランドット」からのアリア“誰も寝てはならぬ”。 豊かな音楽は、心をどこかへ彷徨わせて飛ばせてくれるのだ。 もちろん、誰にも奪われることなく、だ。 心からそう思う。
デリケートかつ的確に描かれた、家族のそれぞれが苦悩する姿もまた胸を打つ。
(4/13 at イイノホール)
2005年04月12日(火) |
「ベルリン、僕らの革命」「コンスタンティン」 |
◆ ベルリン、僕らの革命 The Edukators [ドイツ・オーストリア/2004年/126分] 監督・脚本:ハンス・ワインガルトナー 出演:ダニエル・ブリュール(グッバイ・レーニン)、ジュリア・ジェンチ、 スタイプ・エルツェッグ、ブルクハルト・クラウスナー
青臭い理想を追う若者たちとその三角関係の部分には多少つらいものがあるが、後半、成りゆきで誘拐することになるおぢさん登場から面白くなる。 そのおぢさんも以前若い頃は筋金入りの理想論者で今より青臭い時代を生き抜いて来て・・いわゆる転向後、成功した弁護士なのだ。 このおぢさんが次第に余裕と過ぎし日の郷愁漂う共感をもって若者たちに接するようになる過程が面白い。役者ブルクハルト・クラウスナーがとても良く、映画に深みを与えている。 ラストの皮肉さも良。
(4/7 at ヤマハホール)
◆ コンスタンティン Constantine [アメリカ/2004年/121分] 監督:フランシス・ローレンス 出演:キアヌ・リーブス、レイチェル・ワイズ、ティルダ・スウィントン、ピーター・ストーメア、ギャビン・ロズデイル(バルタザール)
とりあえず、私は「ハート・ブルー」で初めてキアヌを見て以来、ずっとファンである。 太っている時も短足が発覚した時もセリフ回しがイモっぽくてもとりあえず見続けてきた。
最初のエクソシストシーンにて 吸いかけのタバコをひょいと置いて、残りが燃え尽きる前に悪魔払いの片を付けようと思っていたはずが、思ったより時間がかかり、残りのタバコが吸えなかった。 (う〜シチュエーションはすこぶるクール!)・・その時のキアヌの表情と演技がぁぁ・・・イモイモイモ〜っ!!!・・・である。 あぁ、ここで私はすっかり“この映画、やりっ!”と微笑むのであった。 肺を病むほどのスモーカーなのに、タバコの吸い方がなっていなーい! ライターの付け方もなっていなーい! ハードボイルドチックな減らず口は、子どもが粋がってしゃべっているようだっ! ・・で、綺麗なお顔と相まってとってもチャーミング。 えっと。もうそれだけでこの映画はOKなのだけれど、何か?
おぉそうだ、ガブリエルを演じたティルダ・スウィントンは、先月見た「猟人日記」や「素肌の涙」などでの生活臭漂う疲れた女もいいけれど、やはり彼女はこれだ! 時空を越え性別も越えて生きていく「オルランド」での姿を彷彿とさせるも、それより余裕を持って楽しんでいる感じ。いいなぁ。
登場人物のキャラが皆立っていて素晴らしい。 特に身内トリオ、おデブの神父・武器調達男・バットマンのロビン的私的タクシー運転手坊や、が良い。むりやり続編に登場熱烈希望。(ネタバレっぽいが、エンドロールの後の坊やの事を考え合わせると、続編に登場してもおかしくないのでは?) あと、バルタザールが超クールで好み。
・・と、面倒なので話には触れずにおく。 しかし“神は細部に宿る”なのだ(はぁ?)。 ディテールへのこだわりは全体に及び構築されていくのだ。 かなり面白く、しつこく言うけど続編熱烈歓迎。
(4/12 at 厚生年金会館)
2005年04月11日(月) |
オペラ「フィガロの結婚」 |
フィガロの結婚 作曲:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 指揮:平井秀明 演出:アンドレアス・ホモキ 管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
2003年に初演されて好評だったという「フィガロの結婚」の再演。 抽象的でモダンな演出は面白いが、何故か乗れず。 とりあえず、歌い手の方々にあまり魅力を感じることができなかったのが大きい。 すでに忘却の彼方。 初演の時の方が良かったのだろう。 スザンナ役の松原有奈は、同じ役を別プロジェクトで見た時の方が印象に残っている。
アルマヴィーヴァ伯爵:ヴォルフガング・ブレンデル 伯爵夫人:エミリー・マギー フィガロ:マウリツィオ・ムラーロ スザンナ:松原有奈 ケルビーノ:ミシェル・ブリート マルチェッリーナ:竹本節子 バルトロ:妻屋秀和
(4/11 at 新国立劇場オペラ劇場)
◆ 阿修羅城の瞳 [日本/2005年/119分] 監督:滝田洋二郎 原作:中島かずき 音楽:管野よう子 お歌:スティング 出演:市川染五郎、宮沢りえ、樋口可南子、渡部篤郎、 小日向文世、内藤剛志
劇団☆新感線の舞台の映画化だ。 私は2000年の、染五郎+富田靖子+古田新太バージョンで見ている。 新感線初めての新橋演舞場での公演で、花道も効果的に使われた楽しい舞台だった。 とてつもないほら話を、新感線おなじみとんでもな歌謡ショウ挿入大サービスで盛り上げつつ、べたギャグで笑わせつつ、ラストの大団円まで勢いをぐんぐん増しながら向かう舞台版「阿修羅城の瞳」をどうやって映画で処理するのか、へらへら無責任に楽しみにしていた。
映画は、染五郎のケレン味たっぷりの色気を感じてほら話を楽しめればOK、好みに合わなかった人にとっては辛い2時間になったのではないだろうか。 私にとっては楽しい2時間だった。 染五郎、確かに当たり役だ。ひたすらチャーミング。 無謀ながら、できるものなら大向こうをかけてみたい気分になったりする。
ストーリーは時系列で進み、分かり易くなっていた。 しかし、華のある主役二人以外はちんまりまとまり過ぎて、おおぼら話に振り回されてしまった印象。 渡部篤郎は線が細すぎ。舞台版と比べるのは愚かなことだけれど、何度も古田新太の豪快かつ骨太な邪空だったらどんなに良かっただろうと夢想してしまう。しかし、古田新太ではスクリーンのアップに耐えられなかっただろうことは言うまでもない・・。
へらへら楽しく見ていた私だけれど、ラストの阿修羅城だけはいただけない。 観客の想像に任せる部分の多い舞台と違い、何もかも見せなければいけない映画化に当たって“さかしま”の城の造形は難しかっただろう。 城への導入にエッシャー的ねじれを取り入れたのは良しとするも、その後はアイディアが浮かばず放り投げてしまったかのような印象。 制作時間が足りなかったのかもしれないなぁ。
(4/5 at よみうりホール)
2005年04月04日(月) |
騎馬オペラ ジンガロ「ルンタ」4/3 |
現在ヨーロッパで最高の人気を誇っているフランスのパフォーマンス集団ジンガロは、馬を使った曲馬芸に、世界の音楽を用い、オペラともサーカスとも演劇ともつかぬ不思議な世界を紡ぎだす。
東京都現代美術館に隣接する木場公園に特設された、建物内ステージ。 入るなり、照明は既に落とされており、お香が焚きこめられた会場にチベット密教の坊さんたちの声明が低く流れ、すでに異空間が出現している。 ぐるっと階段状の席に囲まれた中央は草原のパオを模したと思われる布製ドームに覆われている。そのドームの周りを、チベットの衣装を着けたジンガロメンバーがチベット聖地巡礼の様式で、遅々とした歩みで這いずり立ち上がりの繰り返しで進んでいく。 ここで「あぁぁ〜しまったぁぁぁ〜〜!」と、後悔の念がわきあがる。 こりゃ、チベット密教の儀式やら何やらかんやら最低限の情報を仕入れておくべきだった・・・と悟ったときはすでに遅し。ドームがするすると持ち上がり演技開始するも、厳かに進んでいく馬と人との動きの意味がほとんど分からない・・。 が、歩み、疾走する馬は美しい。 完璧とも思える人と馬との信頼関係も美しい。 衣装も美しい。 布製ドームへの光の当て方で透視させたり遮ったりの演出や、淡い光と陰の演出も美しい。 後半の、草原の牧童的派手な演技とのコントラストも良い。
また、チベット僧侶の声明と演奏をナマで聴けたのも思いがけない喜び。 映画で言うなら「クンドゥン」「セブン・イヤーズ・イン・チベット」などでちとポピュラーになったか、長ーいアルプスホルンのようなチベットホルンのぼぉぉぉぉ〜〜っつという地響き音から軽いシンバルのじゃんじゃんじゃんが入って、金管(チャルメラ?)が入り、打楽器が入り、ホーミーの唸り声や倍音みたいな読経が入る。 心底かっこいいと思う。 しかし、のべつ聴いていると脳内にアルファー波が発生、場内の薄暗さと静かな儀式風演技とも相まって気持ちの良い状態に。これが宗教的陶酔の境地か・・>違う。
開場までの間、少々外で待たされたのだが、そこで一緒に行った友人が庵野秀明監督と安野モヨコ夫人を発見。 数年前、パルコ劇場で庵野監督を目撃したことがあるのだけれど、その時とは別人のごときスマートな風貌に激変していてびっくり。 友人によると、モヨコさんとの結婚でオタク風貌を劇的に改善変身させられたらしい。 以前のオタク的無精ひげではなくおしゃれ手入れされたひげと相まって、ちょっと遠目でも近くでも素敵だったぞ。 かの日はポロのセーターをご着用。 やっぱり、ジンガロということで馬つながりでの選択だったのかな。
(4/3 木場公園特設ステージ)
2005年04月03日(日) |
「トニー滝谷」「永遠のハバナ」 |
◆トニー滝谷 [日本/2004年/75分]
監督・脚本:市川準 原作:村上春樹 音楽:坂本龍一 撮影:広川泰士 出演:イッセー尾形、宮沢りえ、 西島秀俊(ナレーション)
村上春樹は特に好きではなかったが、デビュー作から「ノルウェイの森」まで長短編、ほぼリアルタイムで読んできた。あまり良い読者ではないものの、そのエッセンスだけは受け取っているかもと思う。 で、この市川準監督映画は初めて観たが、こんなに村上春樹ワールドを具現化しちまうとは!・・だ。よく言われる現実からの浮遊感・喪失感・孤独感を内包したさらりとした空白の多いイメージの文章が、そのまま映像になった感あり。 冒頭、エピソードごとに長廻しのワンカットを繋げていくあたり、日本古来の絵巻物の手法を取り入れたのか、その美意識が素敵。
ずっと孤独と共にありながらそれと気づかず、愛を失って初めてその孤独という存在を実感する男を演じたイッセー尾形が素晴らしく好みだ。 彼のたたずまいもさることながら、ビジュアル的に後ろ姿、背筋が相当好み。大学生姿はつらかったけど。 彼の映画は「ヤンヤン夏の思い出」@エドワード・ヤンしか見ていないが、やはり静謐で端正なたたずまいが印象に残る。 イッセー尾形といえば、今年のベルリン映画祭で上映されたというソクーロフの「太陽」。 昭和天皇・人間ヒロヒトを演じる彼が楽しみで楽しみで観たくてしょうがないのだが、はたして日本で上映されるのだろうか? それにしても、いいなぁ〜、イッセー尾形。
また、宮沢りえが素晴らしいのは言うに及ばず、西島秀俊のナレーションも良いなぁ〜。
(4/3 at ユーロスペース)
◆ 永遠のハバナ Suite Habana [キューバ・スペイン/2003年/84分] 監督:フェルナンド・ペレス
キューバのハバナに住む市井の人々の一日を追ったセミドキュメンタリー。 愛さずにはいられない映画だ〜♪
ナレーションやセリフを一切排除し、一部音楽が使われているが、聞こえてくるのはほとんどが街の音・メインとなる12人の登場人物の生活の音。 語り口は淡々としていて派手さとは無縁だが、退屈さとも無縁。 映像と音は軽やかなリズムに溢れ、テンポよくそれぞれの生活が綴られる。
ダウン症の少年、昼は家業を手伝いながらもバレエダンサーを夢見る少年、病院勤務の青年の夜はドラッグクイーン、ピエロのバイト(ボランティア?)の医師、街角のピーナッツ売りの老女・・等々、それぞれの昼と夜とが描き出される。
ここで描かれるハバナは、お気楽な側面から見た一部の姿ではあるかもしれないけれども、名もない彼らひとりひとりによって形成されるハバナという都市のひとつの真実の姿だ。
言葉も話せないのに、発作的にハバナに移住したくなってしまう。
(4/3 at ユーロスペース)
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