2005年03月30日(水) |
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展 / 中宮寺国宝菩薩半跏像 |
◇ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展 昨年からわくわくしながら待ち続けた「ラ・トゥール展」。 全世界で40点ほどしか残っていないという、ラ・トゥールの作品のうち半分が西洋美術館に集結しているという凄い展覧会だ。他に「ラ・トゥールの失われた原作に基づく模作」や版画で構成されている。 目玉となる有名な絵とその周辺の絵でお茶を濁した展覧会とは一線を画する展覧会。 西洋美術館がラ・トゥールの“聖トマス”を購入したから実現できた事なのだろうけれど、実現させてしまった心意気とその力に感嘆感激感謝。 とりあえず、一番感激したものの感想などから。
“荒野の洗礼者聖ヨハネ” ラ・トゥールは、光と闇、特に炎に照らし出される人物描写に長けた画家だ。それなのに、この展覧会で最も打たれてしまったのは、炎抜きの、このヨハネだった。 イエスに洗礼を施した後、天下の馬鹿娘サロメのせいで斬首される前、荒野で修行をしていた時期の姿だ。 ラクダの皮衣をまとい、杖代わりの葦の十字架にもたれ、子羊に草をはませるヨハネを静かに包み込むのは朝日か夕日か。どちらを意図して描いたのか私には知る由もないが、それぞれどちらの情景を想像してもしっくりする。はっきりとした光源はないものの、柔らかに照らし出される背中と肩からの陰影の美しさに脳が痺れる。 様々な作家によるヨハネの絵があるが(いかつい感じが多い)、これほど無垢な美しさにあふれたヨハネは他にいるのだろうか。
“聖ペテロの悔悟(聖ペテロの涙)” 最後の晩餐の席でイエスがペテロに「あなたは今夜、鶏が鳴く前に三度私を知らないと言うだろう」と予言。ペテロはこれを否定するものの、いざイエスが捕らえられると予言通りにイエスのことを否認してしまう。予言通りになったことに気づいたペテロは号泣したという場面だ。“気づき”“悔やみ”“悟る”が全て表現されている表情が、私の感情にダイレクトに入り込み、私もまた泣けてしまうのだった。 足下に置かれたランタンからの光がペテロの足を照らし衣を美しく透き通らせているのはラ・トゥールらしい。 また、鶏が鳴くは夜明け、ペテロの前面を照らす柔らかな朝の光がまた美しい。
実はこの絵の他に“聖ペテロの否認”の場面の絵も展示されている。ラ・トゥールの工房作というが、こちらの出来は残念ながらあまり良くない気がする。がストーリーを持って一度に見られるのは幸せ。
光と陰がはっきりしたバロック絵画の、しかも主題を聖書からとったものにどうしても惹かれてしまう性分だけれど、聖書の主題以外の素晴らしい絵も多数あり。何度か足を運ぶつもりなので、できたらその時に続きを書く。
(国立西洋美術館)
◇中宮寺国宝菩薩半跏像
東洋美術における「考える像」で有名な、思惟半跏のこの像は、飛鳥時代の彫刻の最高傑作であると同時に、わが国美術史上、あるいは東洋上代芸術を語る場合にも欠かすことの出来ない地位を占める仏像であります。また国際美術史学者間では、この像のお顔の優しさを評して、数少い「古典的微笑」(アルカイックスマイル)の典型として評価され、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作モナリザと並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれています。 ・・というのは、中宮寺のホームページからの引用。 たおやかでやさしげな肢体と表情の美しさに見とれる。
折しも国立博物館では庭園解放中。 桜の季節にはちょっとばかり早く、寂しい散歩だった。(・・って、桜の季節も終わった現在、何と季節のずれた書き込みをしているのだろうー)
(国立博物館)
2005年03月29日(火) |
「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還/SEE」 |
◆ ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還/ スペシャル・エクステンデッド・エディション [ニュージーランド・アメリカ/2003年/203+50分] 監督:ピーター・ジャクソン
王の帰還50分追加映像入り映画館上映。
銀座方面から来ると、上映館の東劇でゴラムがお出迎えしてくれる。 ←・・・あ・・ありがと・・・。
「ロード・オブ・ザ・リング」大好き人間としては、もちろんSEEのDVDは予約、発売日に待ちかねたとばかり見てはいたものの、大スクリーンで見るチャンスは逃すまい!なのだ。
確かに、全体の流れからして通常上映の際にはカットしてしかるべきという部分もあるが、50分の追加で、より世界が拡がる。 しかし! メリーとエオメルの数々の見せ場シーンのカットには、“理不尽”という言葉が浮かんでしまう。
とにかく、この作品と同時代に巡り合わせた僥倖にただひたすら感謝感謝。
(東劇)
2005年03月27日(日) |
オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」 |
◇コジ・ファン・トゥッテ
作曲:モーツァルト 演出:コルネリア・レプシュレーガー 美術:ダヴィデ・ピッツィゴーニ 指揮:ダン・エッティンガー 東京交響楽団
話は無茶無茶な2組のカップルの交換話。最後に元のさやにおさまっても、そ・・そうはいかないんぢゃぁないでしょうかぁぁ・・と呟きたくなるような寓話である。 しかし、それがモーツァルトの極上の音楽で奏でられると妙な説得力を持ち、愚かな男と女の本質を描いた傑作のように思えてくる。 演出が良かったせいもある。 演出家コルネリア・レプシュレーガーは女性である。普遍的な男と女を描きつつも、女性か、はたまたゲイでないと出せないような細やかな演出にかなりの満足を覚える。 モーツァルトの音楽は本当に美しい。 重唱の美しさは脳内麻薬放出度高し。 姉役のヴェロニク・ジャンスは好みの理知的な声。
フィオルディリージ:ヴェロニク・ジャンス ドラベッラ : ナンシー・ファビオラ・エッレラ デスピーナ : 中嶋 彰子 フェルランド: グレゴリー・トゥレイ グリエルモ : ルドルフ・ローゼン ドン・アルフォンソ:ベルント・ヴァイクル
(新国立劇場オペラ劇場)
2005年03月24日(木) |
「バッド・エデュケーション」 |
◆ バッド・エデュケーション Bad Education [スペイン/2004年/105分] 監督・脚本:ペドロ・アルモドバル 出演:ガエル・ガルシア・ベルナル、フェレ・マルティネス
アルモドバル節爆裂。 「オール・アボウト・マイ・マザー」「トーク・トゥ・ハー」で一気に女性映画の巨匠扱いされている姿を見るにつけ、何かおかしいなぁーと思っていたが、本来の姿に戻った感あり。
映画の冒頭、二人の男が再会した時代をキーステーションにして、過去が語られる。 その過去は、脚本を通して語られ、それぞれの記憶を通して語られ、脚本を映画化したものとして語られ、元神父の話として語られ、それらが絡み合って全体像が浮かび上がってくる。 入れ子多重使いは、凝った構成というより、いかがわしさ胡散臭さが漂う。 基本的に主要人物全て男性のホモセクシュアル話であるので、構成のいかがわしさに加え映像のいかがわしさもさすがアルモドバル、頭抜けて素敵である。 可愛いガエルちんの女装や多々あるサービスショットも楽しい。 が、白眉は元神父の姿だ。老いて老醜をさらしながらも愛を乞うことをやめられない、えげつない姿は、不快を越えてある種の感動を与えてくれる。 この映画は、なにやらアルモドバルの半自伝らしいが、ゲイの映画監督に投影した姿はもちろん、この元神父の姿も遠からざる自分の姿として自虐的に描いているのではないかとも思えてしまう。
(3/24 at 九段会館)
2005年03月23日(水) |
「コーラス」「エイプリルの七面鳥」「ブリジット〜」印象のみ |
3月に見た映画がたまってしまった。 見てからかなり時間が経ってしまっているので印象のみ。
◆コーラス Les Choristes [フランス/2004年/97分] 監督・脚本:クリストフ・バラティエ 製作:ジャック・ペラン 合唱:サン・マルク少年少女合唱団 出演:ジェラール・ジュニョ(バティニョールおぢさん)、ジャン=バティスト・モニエ
冒頭、ジャック・ペランが母親の葬儀で田舎に帰り、彼の子供時代の回想が始まる・・というところで思わず「またもニュー・シネマ・パラダイスやりますかいっ(こっちは母親じゃないけど)」と詰め寄りたくなったが流す。 素直でしみじみ良い映画のお手本系だが、かなり甘くぬるい。 が、ジャン=バティスト・モニエ少年のボーイ・ソプラノに、スクリーンの向こうに引きずり込まれそうになる。 あぁ、美し。 少年の一時期の声を永遠に留めおくため、カストラートを作り出した昔の権力者の気持ちも分からなくもない・・などと外道の発想が脳裏をよぎったりする。いかんいかん。
(3/10 at 日仏学院エスパスイマージュ 4/9よりシネスイッチ銀座他ロードショー)
◆ エイプリルの七面鳥 Pieces of April [アメリカ/2003年/80分] 監督・脚本:ピーター・ヘッジズ 出演:ケイティ・ホームズ、パトリシア・クラークソン、オリヴァー・プラット
2度目の鑑賞。 20歳の小娘にこの映画を見せるのは、正しい親の姿だ。ふっ。 (「バッド・エデュケーション」も共に見に行ってしまった親なのだが・・。) 最初に見た時も、少々涙で画面がぼやけてしまったけれど、はらはらしつつのスリリングな展開が緊張感を持たせてくれていた。 が、ストーリーを知った上で見るともうだめ! この上なくいい奴だった恋人を見ただけで泣けてくる。 エイプリルの健気さを見ただけで泣けてくる。 ママを・・・以下略。 映画を見る幸せに感謝。
(3/22 at ギンレイホール)
◆ ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月 Bridget Jones: The Edge of Reason [アメリカ/2004年/107分] 監督:ビーバン・キドロン 出演:レニー・ゼルヴィガー、ヒュー・グラント、コリン・ファース
これほど退屈であきれ果てる映画を見たのは久しぶりで、それはそれですごい。 たとえ幸せな恋をしているただ中の人が見ても共感は出来ないだろう。 共感できる人がいるとしたら、この映画でのブリジットと同類だけか。 前のブリジットが面白かったので、つい見てしまった私が愚か者か。 記憶消去。ぷしゅ。
(3/23 at TOHOシネマズ市川)
2005年03月21日(月) |
東響+藤原真理 東フィル+古澤巌 |
−都民芸術フェスティバル−2005 1月から3月まで様々な分野で上演されていた都民芸術フェスティバル。 今年で37回目を迎えるという長い歴史を持っている。 オーケストラ分野では在京8楽団の演奏がかなりリーズナブルなお値段で聴くことができるという美味しさ。 チケットを買ったもののどうしても行けなくなった日もあったが、今月はこの2楽団を聴いてきた。
◇東京交響楽団 指揮:大友直人 チェロ:藤原真理 スメタナ:連作交響詩「我が祖国」より”モルダウ” ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 ドヴォルザーク:交響曲第8番 ト短調
最初、どうしようと思った。 「モルダウ」の出だしのフルートがキモチ悪い。その後の弦も汚い・・感じだ。 そして次は大好きなドヴォルザークのチェロ。藤原真理はつつがなく演奏。 1曲目でどうしよーと思ったフルートだけれど、ここではチェロとの絡みがとても良かった。「モルダウ」の出だしの2台のフルートのうち片方の責任だったんだと思い当たる。 休憩後、3曲目のドヴォルザーク8番は、これが前半と同じオケなの?ってほど、力強く魅力に溢れココロ惹かれる演奏だった。 指揮者の大友直人は遠目かっこいい。
(3/17 at 東京芸術劇場)
◇東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン ヴァイオリン:古澤巌 R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」 チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調「運命」
1曲目シュトラウス「ドン・ファン」は初めて聴く曲だったが、すっかり好きになる。 というのも演奏が良かったからか。 2曲目のチャイコフスキーのバイオリンはつまらないものになってしまった。 古澤巌は、第1楽章どーしよーってほどオケとのテンポが合わなくて・・というか、だだをこねている感じで、キモチ悪く聴くのが辛い。指揮者もバイオリンに合わせようと必死。が、第2楽章から何とか持ち直したのはこのオランダ人指揮者の功績。
(3/21 at 東京芸術劇場)
1週間ほど実家へ帰ってきた。 昨年の10月にオープンした金沢21世紀美術館へ行くのも今回の大きな楽しみだった。
とにかく気に入ってしまって、1週間の滞在中、3度も足を運んでしまった。
話題の建物は、昨年のベネチア・ビエンナーレの国際建築賞で金獅子賞を獲った妹島和世+西沢立衛=SANAAが制作。 透明なガラスで囲まれた円形平屋建て。中も外も美しい。
展示されているのは、今、この時のモダンアート最前線。 ほぼ半分が無料ゾーン・半分が有料ゾーン。 有料ゾーンでは、ジャンクで出来た脳内ネットワークのただ中でゆうるりと時間の流れるゲルタ・シュタイナー&ユルグ・レンツリンガーの“ブレインフォレスト”、自分の中と外の感覚に不安を覚えるオラファー・エリアソン“反視的状況”、病んだ精神の解放を感じさせるできやよいの作品群(草間弥生をちょい想起)、レアンドロ・エルリッヒ“スイミング・プール” などなど他にも興味深く面白い作品ばかり揃っている。
しかし、一番気に入ってしまったのは、ジェームズ・タレルの“ブルー・プラネット・スカイ”別名タレルの部屋。 コンクリートで囲まれた部屋の天井が四角く切り取られ、実際のナマ空が見えるようになっている。四方の壁に音が吸い込まれ、しんとしたたたずまいの中で見る屋内の切り取られた空は、屋外とは全く違う表情をしている。 私が最初に訪れた時は、霧雨が部屋に漂っていた。四角い空に流れる雲は速く、まぁ、とにかく、体調絶不調の中、雨のにおいと共にその状況に何故か打たれてしまったのだった。 その後、青空に輝く光が射し込み、その光が動いていく様を眺め、また別の日には夕闇迫る薄暗い空間の上に浮かぶ青い空を見上げぼんやりなどしていたわけだ。 この“タレルの部屋”は、無料ゾーンに置かれていて(永久展示らしい)、市民はいつだって立ち寄れるのだ。ある意味この美術館の最大の功績かもしれない。 実は私の母校は今は移転してしまったけれど、この美術館のすぐそばにあったのだ。 あの時これがあったらなぁなどと思うのは愚かなことだけれど、もしそうなら“タレルの部屋”にはきっと毎日学校帰りに来てたぞ・・などと思う。
この“タレルの部屋”無料ゾーン設置の精神にも現れているように、この美術館は、地域と共に生きて行くぞ!の決意がそこここに感じられる。 まだオープンしたばかりで早計かもしれないが、特筆すべきは本当に市民に受け入れられている(ように見える)という点かもしれない。 いつ行っても通りかかって見ても、いい具合に混んでいるし、美術館の図書館にあんなにいつも人がいる状態って見たこと無い。 ちょっと誇らしいキモチになってしまったのだった。 その後、ぼやっと金沢発のブログやなんかを見ているうちに、戻りたくなってきてしまった。金沢はいいところだ〜♪
さてさて、ジェームズ・タレルがすっかり好きになってしまって調べてみたら、日本で他に二箇所で見られるようだ。 その中でも光の館には倒れそう。タレルの作った家に泊まれるのだ。切り取った空を眺めながら眠れるのかもしれない。 また話題の直島の地中美術館にも是非行きたい!
うちの“タレルの部屋” 天窓のガラスを取れば“タレルの部屋”ぢゃん! いや・・そんな。
◆ カナリア [日本/年2004/132分]
監督・脚本:塩田明彦 出演:石田法嗣 、谷村美月、西島秀俊、 りょう 、つぐみ、甲田益也子
面白く見ていたものの、途中でふっと時間の無駄したかな・・などと考え始めた私だったが、ラストでココロの底からぶっ飛んでしまった!! 映画は最後まで見ないと本当に分からない! これは、極端に言えば子どもの論理に沿ったアナーキーな傑作だ!
見てから少し経ってしまったので詳細はだいぶ忘れてしまったものの、いまだに残っているエッセンスでの、ちと極端な感想。
ーネタバレー
中心軸に、さらわれた(と思っている)妹の救出の旅に出かけるお兄ちゃん光一のアドベンチャーが語られる。 まず、光一が廃校の中で見つけたアイテムは、旅に必要なスニーカー・武器となるドライバー。 そして頼りになる旅の仲間として由希が加わる。 旅の途中必要となるのは、お金と目的地までの足。 りょうとつぐみのレズビアンカップルがその役を仰せつかる。 霧の中を彷徨うようなドライブシーンは幻想的で旅のリアリティとは無縁である。 極端に端折られた道行きの末たどり着いた東京。 ここらからは、かつてカルト教団で光一の教育係だった伊沢との偶然の出会いを通じ、教団とは違う形の疑似家族を体験。 向かう先は、妹朝子を拉致した悪のラスボス(と光一が思っている)おじいちゃんち。 光一の12年の人生の中で体験してきたのは、自己矛盾に満ちた大人の論理で引き裂かれ続けた事がほとんどだ。 カルトの中でも外でも親でも他人でも指針となるべきものとは無縁の半生。 彼の半身でもある由希も同様。 そんな彼らに彼らなりの論理が形作られていくのは自然なことである。 そんな論理に基づいた彼らの想定する悪の象徴じいちゃんとの対決は必然。 しかし、じいちゃんにはじいちゃんの論理がまたある。 光一の髪が一瞬にして変わったのは、クリアの証か。 ラスト、子ども3人で歩いていく姿のなんとアナーキーでかっこいいことか! 高揚感と共に心からの喝采を送る! それに被さる音楽もまた素晴らしい。
しかし、この映画は、そんな子どもの論理をゆっくりあぶり出し描きながらも、大人の論理もきちんと描いている事により、より奥行きのあるものとなった。 既存の価値観によってカルトや大人を声高に糾弾することなく、彼らの置かれた立場や状況からの行動や発言を自然なものとして、並列で描ける監督は素敵だ。
私は、この塩田監督の「月光の囁き」が気に入って以来、邦画なのに珍しく塩田作品を見続けているのだが、唯一「どこまでもいこう」が未見だ。 未見ながら「どこまでもいこう」がこの「カナリア」に一番近いのではないかと思われる。 これは是非、見なければと思う。
塩田監督と作品の中でも特に「どこまでもいこう」が大好きな友人は、 “平坦な戦場を生きのびることの厳しさを、きっと塩田監督は知っているのだなーと思う”などと述べていて、思わず感激してしまった私なのであった。
しかし、映画の冒頭で保護施設を脱走した光一がかぶっていたのは教団の帽子。それを脱ぎ捨てるシーンがあるが、そこが分からない。なぜ保護施設で帽子を?脱走の時まで。
(3/8 at TOKYO FM ホール)
2005年03月07日(月) |
「ロング・エンゲージメント」「春夏秋冬そして春」 |
◆ 春夏秋冬そして春 [韓国・ドイツ/2003年/102分] 監督:キム・ギドク
湖にぽっかり浮かぶお堂は、仙人が住むという蓬莱島を連想したが、かなりなまぐさい。 霞を食って生きる仙人のごとく生活感のない暮らしぶりだが、ナマの肉体感覚だけはいやというほどあり。 ひとりの人間の一生を追っているようで、実は監督の考える普遍的な人間を描く。 無垢な時代“春”に犯した罪から始まり、全編を貫く罪と罰。 それがラスト、苦心して彼らの世界を見守る山の頂に置いた菩薩の半跏思惟像(@他者を救おうと瞑想中)によって、見守られ救われ・・る? 雰囲気や語り口の巧みさで、一見深遠な哲学を語っているようだが、しつこさが好みではなく、かなり俗悪チックに感じる私は根性曲がり。
次回作の「サマリア」。 タイトルからして聖書に出てくる“サマリア人”を下敷きにした映画だと思われ、ちょっと惹かれていたのだが、やめておくべきか。
(3/7 at ギンレイホール)
◆ロング・エンゲージメント A Very long Engagement [フランス/2004年/134分] 監督:ジャン=ピエール・ジュネ 原作:セバスチャン・ジャプリゾ『長い日曜日』 出演:オドレイ・トトゥ、ギャスパー・ウリエル、 ドミニク・ピノン、ジャン・クロード・ドレフュス
一世を風靡した前作「アメリ」だけに、“「アメリ」と「アメリ」の監督が再びコンビを組んだ〜〜”云々という惹句。 「アメリ」の監督という固有名詞ではない言葉で表現されるジュネ監督。切ない・・・。 ただ、この「ロング・エンゲージメント」を見る限りそれも致し方ないかと。切ない・・。
私は、ジュネ&キャロの共同監督時代の「デリカテッセン」「ロスト・チルドレン」が異常に好きなのだ。 キャロが抜け、キャロが担当していたと思われるダークなおとぎ話的世界が薄れてしまったけれど、それが「アメリ」には吉と出た。 しかし、「ロング〜」は中途半端だ。 映像はいつもながら素晴らしい。
もう映画はすっかり忘れて、あと余談だけ。 私は若い頃狂ったようにミステリを読んでいたのだが、この映画の原作者セバスチャン・ジャプリゾ作品はその頃読んだ。2〜30年前か・・・。 この映画の原作本は知らなかったが、『シンデレラの罠』『寝台車の殺人者』という当時の代表作は、いかにもフランスミステリらしい本格推理ともハードボイルドとも違う感触に溢れていた気がする。 最近昔の本の整理をする用があってこれらを引っぱり出してきたのだが、『シンデレラの罠』が凄い。 “私はその事件で探偵です。また証人です。また被害者です。その上犯人なのです。いったい私は何者でしょう?” などという扉の言葉に改めて気づき、ひっくり返る。まるっきり忘れてた!
そう、「アダプテーション」で、脚本家チャーリー・カウフマンの弟、ドナルドが書いたというハリウッドテイスト満載の脚本が、確か犯人と被害者と探偵が同一だった。 今思い出しても可笑しくてしょうがないが、このネタはセバスチャン・ジャプリゾからだったのか? 余談の余談だが、その年のアカデミー賞脚本賞のノミネートでは、チャーりー&ドナルドの2役を演じたニコラス・ケイジの写真が「アダプテーション」の脚本家として出ていたのを思い出す。これまた凄く受けてしまったのだった! でも今年の授賞式では本物のチャーリー・カウフマンが登場、受賞。 あな、めでたしめでたし。
とりあえず、「ロング・エンゲージメント」の功績として、「シンデレラの罠」を読み返す。
(3/8 at 厚生年金ホール 3/12よりロードショー)
2005年03月06日(日) |
「ライトニング・イン・ア・ボトル〜ラジオシティ・ミュージックホール奇蹟の夜〜」 |
◆ ライトニング・イン・ア・ボトル 〜ラジオシティ・ミュージックホール 奇蹟の夜〜 Lightning in a Bottle [アメリカ/2004年/109分] 監督:アントワン・フークア 製作総指揮:マーティン・スコセッシ
ザ・ブルーズムーヴィー・プロジェクトの映画の数々、吉祥寺は遠いし・・・などと思っているうちに全て見逃してしまったワタクシ。 レコードからCDへの過渡期、少々あった私のブルースのレコードは結局買い直さなかった。せいぜいマディ・ウォーターズくらいだ。 ブルースは好きなのだが、私の中では結局そんなもんだったのかもしれないなぁ・・・などと思いながら向かった会場。
映画が始まったとたん、脳味噌スパーク。脳内麻薬爆裂。 あぁ、やっぱり好きだ。キモチいい〜。 ボトルネック・ギター、ブルース・ハープ、大好きだ〜♪
新旧織り交ぜた50人に及ぶミュージシャンの5時間にわたるライブは、それぞれの1曲が短く、結局駆け足のブルースの歴史・足跡チェイス大会になってしまうという側面はあるものの、ライブがとにかく素晴らしく堪能の幸せな時間だった。
曲目はかなりスタンダードで有名なものが多く、皆が楽しめる設定。 もう、いちいち取り上げていてはきりがないのだが、特に面白かったのが、ジョン・リー・フッカーの「ブーン・ブーン」! まず在りし日のジョン・リー・フッカーの映像が流される。 私的には初めて見る動く姿だ。 でその後、その曲をパブリック・エネミーのチャック・D(知らず)が「ノー・ブーン・ブーン」と思いっきり変えたヒップホップの反戦歌として歌うのだ。 心底格好良く、ひっくり返って喜びたかった私だけれど、椅子にちゃんと座っていました。 いや、うちで見たら叫ぶよ。
この映画の製作総指揮はマーティン・スコセッシだが、スコセッシの音楽ドキュメンタリーといえば、「ラスト・ワルツ」。 これに勝る音楽ドキュメントはないと思っていたけれど、この「ライトニング〜」肉薄。
突然思い出したが、日本でもウエストロード・ブルースバンドは断然格好良かったぞ。
たまらんたまらんの購入リストなるもの作成せねば。 アンジェリーク・キジョーは必!
結局見なかった「ザ・ブルースムーヴィー・プロジェクト」。 やっぱりコンプリートDVDボックス買うぞ!と思ったのに、あっという間に売り切れ。 アマゾンで定価27,930がユーズドで60,000→現在44,900だ。 ううむ・・・。 「ピーター・グリーナウェイ」のボックスとどちらが・・・。
(3/4 at イマジン・スタジオ 3/19よりシネマラズにてロードショー)
メモ ■アンジェリーク・キジョー「ゼリエ」 ■メイヴィス・ステイプルズ(ステイプル・シンガーズのリード) ■デビッド・ハニーボーイ・エドワーズ ■ケヴ・モ ■ジェイムス・ブラッド・ウルマー&アリソン・クラウス ■インディア.アりー(ストレンジ・フルーツがしみる) ■オデッタ ■ナタりー・コール「セントルイス・ブルース」 ■ラリー・ジョンソン ■バディ・ガイ「First Time I Met The Bluse」「Can't Satistied」「Red House」「Voodoo Child」現役ギタリスト超格好いい ■ルース・ブラウン(ママ=ルース・ブラウン貫禄の格好良さ) ■メイシー・グレイ(ソウル畑「Hound Dog」) ■クラレンス・ゲイトマウス・ブラウン「Okie Dokie Stomp」 ■キム・ウィルソン(素晴らしきブルース・ハープ) ■姐御ボニー・レイット ■ジョン・フォガティ(CCR!) ■スティーヴン・タイラー&ジョン・ペリー!! ■ザ・ネヴィル・ブラザーズ ■シュミーカ・コープランド(ジョン・コープランドの娘「I Pity the Fool」最高!) ■ロバート・クレイ(「I Pity the Fool」渋格好すぎるギター) ■デヴィッド・ヨハンセン ■ソロモン・バーク(ゴッド・ファーザーなみの存在感) ■ヴァーノン・リード ■チャックD ■大トリB.B.キング
2005年03月05日(土) |
「レオポルド・ブルームへの手紙」「猟人日記」 |
◆ レオポルド・ブルームへの手紙 Leo [イギリス・アメリカ/2002年/103分] 監督:メヒディ・ノロウジアン 脚本:アミール・タジェディン、マッシー・タジェディン 出演:ジョセフ・ファインズ、エリザベス・シュー、デニス・ホッパー、サム・シェパード、デボラ・カーラ・アンガー、メアリー・スチュアート・マスターソン、ジャスティン・チャンバース
興味はあるものの、“いつか読むぞ脳内リスト”に入ったままの本というのは、皆結構あると思う。「ユリシーズ」に関してはほとんどの日本人がそうなのではないか?もちろん私もである。この映画は「ユリシーズ」を下書きにしてあるという。
とは言っても「ユリシーズ」を知らなくとも充分楽しめるこの映画、かなり面白く、いつの間にか泣いている自分に気がつく。
なのに、この映画の直後に「エターナル・サンシャイン」を見てしまい、この映画が完全に吹っ飛んでしまったのだった・・・。
そうそうたる役者陣が皆素晴らしく、特にエリザベス・シューはいつ見ても外れ無しの巧者。
・・この映画の入り組んだ深層部分を思い出しつつ、自分の中で再構築する気力が今無い。 ギンレイホールあたりでもう一度上映しないだろうか・・。
本当に良い映画だったと思う。
(3/1 at シャンテ・シネ)
◆ 猟人日記 Young Adam [2003/イギリス・フランス年/98分] 監督・脚本:デヴィッド・マッケンジー 原作:アレグザンダー・トロッキ 音楽:デヴィッド・バーン 出演:ユアン・マクレガー、ティルダ・スウィントン、ピータ−・ミュラン、エミリー・モーティマー
ツルゲーネフの「猟人日記」の翻案かなと思っていたら、アレグザンダー・トロッキというビートニク世代作家の小説「Young Adam」が原作だそうだ。
女の死体発見から始まるこの映画は、陰鬱な空気と汗と体臭でねっとり重たい湿度が感じられる。 重たい空気と現在と過去が交錯する構成はかなり好み。 が、小説の方が面白そうだ。
ティルダ・スウィントン、大好き。
(3/4 at シアター・イメージフォーラム)
◇ 踊るサテュロス 国立博物館 表慶館
1998年、イタリア南部シチリア島沖、水深480mの海底から一体のブロンズ像が引き揚げられた。両手、右足そして尻尾を失ったこの像は、酒に酔い有頂天に舞い踊るサテュロスを表現したもの。4年にわたる修復を経て、二千余年の永い眠りから目覚めた『踊るサテュロス』。 サテュロスは、ギリシャ・ローマ神話に登場する「森の精」で、葡萄酒と享楽の神デュオニソス(バッカス)の従者とされる。 この像は、現在、ギリシャ古典彫刻の大傑作としてイタリアの宝とも称される。
サテュロスが展示してあるのは国立博物館の表慶館というところ。 初めて入ったのだが、建物自体が感動の美しさだ。 J・コンドルの弟子で迎賓館も手がけたという片山東熊の作。 国の重要文化財に指定されているという。 このサテュロス像のためにこの建物が建築されたのか、はたまた短期間とはいえこの建物に鎮座するためにサテュロスが海の底の永い眠りから覚めたのか!などと激しく誤解したくなる程ぴたりとはまった空間だ。
両手・片足が失われていても、いや・・だからこそより溢れるのか躍動感。体のねじれ・筋肉の動き・髪のたなびき・バランス感のたまらぬ美しさ。
サテュロス像が発見された海域からはいまだ金属反応があるという。 他に何人もいるデュオニソスの従者達が発見される可能性もあるようだ。 森の中、酒を飲み踊る従者達がたき火に照らし出され、森の木に長く短く伸び怪しくうごめく陰が映し出される。 そんな像達をも見てみたい。
同じく国立博物館で開催中の唐招提寺展は凄い人出だった。 私も行きたいのだが、とりあえず先に終わってしまうサテュロスを優先してしまった。・・・と思っていたら、こちらの方が早く終わってしまうのかっ!無念。 あぁっ、でも中宮寺の菩薩は是非見に行く。 あぁぁっ、私が渾身の思いで一番見たい“ラ・トゥール”が始まる!ぜいっぜぃ。 その他、この春は見たい展覧会・美術展が多すぎて大変〜♪
とりあえず、サテュロスは3/13まで。その後、愛知万博で展示される。
(3/3)
◆ セルラー Cellular [アメリカ/2004年/95分] 監督:デヴィッド・R・エリス 原案:ラリー・コーエン 脚本:クリス・モーガン 出演:キム・ベイシンガー、クリス・エヴァンス、 J・ステイサム、W・H・メイシー
始まって間もなく、余計な小細工もなくその犯罪は始まり、息もつかさずぐいぐいと押しまくり、途中でベタな香り入りの笑いで和ませ、最後まで一気に見せてくれたこの映画、あぁ、楽しかった!
監督は、とにかく映画が大好きで大好きでそれのココロが伝わってくる感じがする。 自分が楽しいものを独りよがりにならず作りつつ、観客としても楽しんでいるようだ。 ずっとそのココロを持ち続ける人であってほしいー。
原案のラリー・コーエンは「フォーン・ブース」の脚本家だそうだ。 過去約40年間B級映画畑を生き抜いて来た人のようだ。 すべての生活の場で新しいアイディアを考えているのだろうか。 ここでも携帯電話における様々なバリエーションを見せてくれる。 (「フォーン・ブース」のラストのまとめが嫌い。「セルラー」の方が面白い)
震えながらも最善の道を考えようとするキム・ベイシンガーが素敵かつ大人の色気素敵。 アナログ電話のメカニズムを承知の上の行動は格好いい。 (世間の常識なのだろうか?私は全く存ぜずたまげてしまった。) また、生物教師、人体構造熟知・渾身の静脈ひと切りの巻も、おぉっと感嘆符付きでたまげてしまった。
巻き込まれの気のいいあんちゃんを演じたクリス・エヴァンスが、キュート。 きっと見てる人みなツッコミ入れつつ、応援していたのではないだろうか? その時点で映画は大成功なのだ。
久々に見たジェイソン・ステイサム、有無を言わせぬ悪役道まっしぐらで、こわ素敵。
メイシーさんのへなちょこ警官・職業人の原点に立ち返るの巻も素敵。 倒した金魚鉢の金魚を救うシーンをきちんと入れるところは、良い映画のお手本。 メイシーさんの警官役は「殺人課」以来かしらん?
ラストで、共に戦いながら、それまで声でしか知らなかった戦友との対面にもしびれる。 最初の切れの良い「ダイ・ハード」を思い起こしたりする。
(3/2 at TOHOシネマズ市川)
2005年03月02日(水) |
「エターナル・サンシャイン」 |
◆ エターナル・サンシャイン Eternal Sunshine of the Spotless Mind [アメリカ/2004年/107分] 監督:ミシェル・ゴンドリー 脚本:チャーリー・カウフマン 出演:ケイト・ウィンスレット、ジム・キャリー、 キルスティン・ダンスト、マーク・ラファロ、 トム・ウィルキンソン、イライジャ・ウッド
今までのチャーリー・カウフマンの作品は、面白いのだが策に溺れるきらいがあり、私としては設定に手をたたいても後半ひいてしまう事多し。&ミシェル・ゴンドリーはいや!
ところが、この「エターナル・サンシャイン」最初から最後まで感嘆しきり、感激しきり。 今までの、作り手のどこか冷めている目線の感じられるものではなく、思いもかけず、暖かくチャーミングで繊細なラブストーリーだったのだ。 あろうことか、後半泣きっぱなし・・ありえない〜〜>でもホント←病気。 時間が交錯する構成も、ケイトの髪の色を変えるという大サービスがあるので、非常に分かり易くなっている。
ケイト・ウィンスレットが素晴らしい。 「乙女の祈り」以来ずっと彼女は何を演じても素晴らしい〜。 うちから輝いて隠しようのない生き生きとした躍動感と、逆にうちに向かう深いまなざしとの間で振れる幅がただごとではなくイヤミではなく魅力的なのだ。
今まで、演技は巧くても一度たりとも良いと思ったことのないジム・キャリーも、ここでは陰影に富んだ繊細さが素晴らしかった。いや、後半もっと押さえてほしかったけど。
キルスティン・ダンストやトム・ウィルキンソンらの脇の話は、物語に厚みと幅を加え成功していると思う。
イマジネーション部分に関して、「ネバーランド」のように美しけれど全編にデジャヴ感がつきまとうものではなく、私は「エターナル〜」のこういう新鮮な世界が見たかったのだ。 今までどの映画でも見たことのないものなのに、どこか懐かしい感のあるもの。 見た人でないと分からないが「私(ケイト・ウィンスレット)のいない世界へ」で、突然の雨!もうここで私はココロが打ち震えてしまうのだ。 顔無しは「マトリックス」を連想する人がいるかもしれないが発想の質が違う。
あと、ひと月くらいしたら再度見るつもり。 断然、この映画を支持しちゃいますが、今回は新鮮さで感動したのかもしれないという不安もある。
(3/1 at 九段会館 3/19よりロードショー)
2005年03月01日(火) |
「タッチ・オブ・スパイス」 |
◆ タッチ・オブ・スパイス A Touch of Spice
[ギリシア/2003年/107分] 監督・脚本:タソス・ブルメティス
冒頭、宇宙の星ぼしの間をゆうらりと赤いパラソルが浮遊する映像から始まる。 (そのちょっとベタなイメージに、漠とした不安がよぎる。) 「ガストロノミー(gastronomy=美食学)にはアストロノミー(astronomy=天文学)が潜んでいる」というナレーションが入り、思わず“おぉぉ〜っ”とひれ伏したくなる。
主人公は天体物理学の教授。 彼には料理の才能が備わっており、幼い日から腕と感覚を磨いてきた。 政治的な理由で、トルコとギリシアの間で翻弄された主人公一家。 これは、彼らのアイデンティティを食を巡る小宇宙になぞらえた佳作だ。
食と歴史を巡るこの映画は、ギリシア映画史上最大のヒット作になったという。 ラスト近くで気づいたのだが、この映画は「ニュー・シネマ・パラダイス」と似た構成で描かれている。 国民感情の底に共通してある感覚を提示、ユーモアで包み、苦しみを笑い飛ばし、ノスタルジックに描き出すという、人々の感情を鷲掴みにする要因も共通している。
映画の冒頭部分は、その映画を的確に語っている場合が多い。 この映画で、漠とした不安を抱いたその冒頭の映像は、やはりこの映画を語っていた。 私には少し温かったようだ。
(at ル・シネマ)
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