表身頃のココロ
ぼちぼちと。今さらながら。

2004年11月30日(火) シルヴィ・ギエム コンテンポラリーを踊る

◆シルヴィ・ギエム コンテンポラリーを踊る
         五反田ゆうぽうと簡易保険ホール

振付:ラッセル・マリファント
「トーション」マイケル・ナン+ウィリアム・トレヴィット
「TWO」シルヴィ・ギエム(ソロ)
「ブロークン・フォール」ギエム+ナン+トレヴィット

ギエムのソロ「TWO」。
闇の中、たったひとつのダウンライトに浮かび上がるギエム、その最初の腕のひと動きからしびれる。
どの瞬間を切り取っても完璧なのだ。
立ち位置ほとんど変えず、緩急交えて踊るこのパートに息も忘れる・・とはオーバーながら、久々に脳が痺れる感覚を味わう。
この踊り、果たして他に踊れる人がいるのだろうか?

後半の「ブロークン・フォール」は、大きな動きの無かった前半の「トーション」「TWO」とは一変、三人で舞台を移動しつつ踊る。
三人が組んずほぐれつ、ねじれ、交差し、ギエムを放り投げキャッチし、それが(飛ぶとき以外)ほとんど重力を感じさせない程、なめらかな動きなのだ。
軽やかに動いているものの、相当の筋力がないとこれほど完璧には踊れない超難度モノだと思う。
う〜〜む・・。凄いと思いつつ「そういえば、ギエムってバレエの前は体操の選手だったんだよなぁ」などと思い出してしまう。
私は見ていて体操の床運動やフィギュアスケートのペア競技を連想していたが、連れ(バレエ通)は中国雑伎団を思い出したそうだ。超技巧だが心を打つ芸術性・・のようなものが感じられず・・目指したもが違うのだろうが、ちょっぴり退屈してしまった。
ギエムが最近一番気に入っているというラッセル・マリファントの振付。
「TWO」で脳が痺れたと言いつつ、この振付師はあまり好みでは無いかもしれない。



2004年11月29日(月) 「ベルヴィル・ランデブー」

◆ ベルヴィル・ランデブー
Les Triplettes de Belleville

[フランス・ベルギー・カナダ/2002年/80分]
監督・脚本:シルヴァン・ショメ



フレンチ・アニメである。
フレンチ・アニメと聞くと、「ファンタスティック・プラネット」「時の支配者」など素晴らしきルネ・ラルーの世界を思い出す人もいるだろう。
フランスのセンスの良さを受け継ぎながら、昨年度のアカデミーアニメーション部門と歌曲賞にノミネートされた本作は、より幅広い層に受け入れられそうなアニメだ。

映画は、白黒テレビの映像で始まる。
ジャンゴ・ラインハルトやフレッド・アステアやグレン・グールド(猫背でうめきながら弾いていたので多分そうかと思う)の時代、(この映画の後に登場する)歌い踊るベルヴィルの三姉妹も同じくテレビ出演していて人気を博していたようだ。
ストーリーは、これらのテレビを見ているおばあちゃんと孫から始まる。
セリフが無く映像のみで簡潔に過不足無く説明する手際とセンスの良さは、本当に気持ちがいい。

その後、小さな男の子だった孫が成人し、ツール・ド・フランスに出場するあたりから話の本筋がスタートする。レースの最中に孫誘拐→孫救出に疾走するおばあちゃん。
孫を追ううち、ベルヴィルという街に到着する。
この街、ツール・ド・フランスの中間ゴール地点のマルセイユから船で航海した末に到着した大都会である。
この船のチェイスが脱力するほどナンセンスで凄い!大型汽船を足こぎボートで追うのだ!
着いた街は、ちらとイタリア語らしき看板が目についたが、架空の都市のようである。
この街の裏社会を牛耳るマフィアらしき組織に誘拐されたわけだ。

このベルヴィルまでたどり着いたはいいが、お金も頼る所も孫の手がかりもなく途方に暮れるおばあちゃん。
そこへ登場、救いの手をさしのべるのが、今はもう年老いているが冒頭テレビで歌っていた三姉妹なのである。
三姉妹は彼女らが住むスラムのおんぼろアパートにおばあちゃんを招き入れる。
ここでふと時計を見上げると(会場のヤクルトホールはスクリーンというか舞台の上方にデジタル時計があるのだ)始まって40分、きっかり折り返し地点だった。
起・承と来て、転の部分で、きちんと半分、あぁ気持ちがいい。


この三姉妹の住むアパート、外は荒れ果てているが室内は質素ながらも居心地よく整えられている。
壁にはジャック・タチの「ぼくの伯父さんの休暇」のポスターが貼ってあり、るつ、大いに喜ぶ!

老三姉妹は過去の栄光の力でショーに出演しているが、おばあちゃんも一緒にステージに立つ部分はこの映画の白眉か。冒頭から再三繰り返されるこの「ベルヴィル・ランデブゥゥゥー〜♪」のメロディは頭から離れませぬ。
昨年度のアカデミー賞授賞式で、冷蔵庫や掃除機で歌い踊っていたシーンがよみがえる。

とにかく、三姉妹と協力して孫救出という本来のストーリーより、ディテー
ルの楽しさ・センスの良さ・小気味よいギャグですっかり気に入ってしまった映画だった。



2004年11月28日(日) フィルメックスその6「ドラキュラ乙女の日記より」

◆ ドラキュラ乙女の日記より
Dracula-Pages from a Virgin's Diary
[カナダ/2002年/75分]

監督:ガイ・マディン
出演:チャン・ウェイチャン、
ロイヤル・ウィニペグバレエ団


とっても好きなものほど、何も書けないという私。
・・といっているうちに忘却の彼方へ。



「ドラキュラ乙女の日記より」の前にフィルメックス2004の授賞式が執り行われる。
最優秀作品賞は「トロピカル・マラディ」。
・・・そうですか。
・・才能の先物買い・・・フィルメックスらしいといえばらしい・・・。
観客賞と審査員特別賞は、バフマン・ゴバディ監督の「Turtles Can Fly」。
前々作「酔っぱらった馬の時間」が結構気に入っていて、これは見たかったのだが、どうしても予定と合わずに断念していたのだった。
一時、イラン映画はもう見ない!などと言っていた時期があったのだが、「酔っぱらった馬の時間」で、ちょっと考えを変更。今回も「終わらない物語」を見る気になったのはこの監督のおかげだ。
今回見逃したが「Turtles Can Fly」は一般公開が決まっているようでホッとする。



2004年11月27日(土) フィルメックスその5「プロミスト・ランド」+ガイマディン

げっ!5日も通っているのか・・。

◆ プロミスト・ランド
Promised Land
[イスラエル/2004年/90分]

監督・脚本:アモス・ギタイ
出演:ハンナ・シグラ、アンヌ・パルロー、
ロザムンド・パイク


今やフィルメックスのおなじみさんとも言うべきアモス・ギタイ作品。
今回は特別招待作品としての参加だ。

今回は実際に存在するという人身売買ネットワークがテーマ。
手持ちカメラのドキュメンタリータッチで人身売買ネットワークの現実を提供しながら、ある程度節度ある表現だったと思う。
やはり力のあるカメラは非常に魅力的だ。

ベドウィンの案内で、砂漠を越え国境を越えアラビア文字の地域を越え、最後にたどり着いたのがイスラエルの「プロミスト・ランド(約束の地)」という安ホテルというのは、大いなる皮肉だ。
かつてモーセが民を率いてエジプトを脱出、長年にわたる彷徨の末に“約束の地”イスラエルに到着したルートとは全く逆になる。
現代のエクソダスは、希望から絶望へなのか。

映画は美しい砂漠の光景から始まる。
砂漠を越え人身売買組織へ女達を受け渡し終えた時、ベドウィンの民が無事仕事を終えた感謝をアッラーの神に捧げるのが可笑しい。
その中継地点で待ち受ける人身売買組織要員は、到着した女ひとりひとりを競りにかけていく。それを仕切るのが、アンヌ・パルロー。いわゆる遣り手婆だ。
女達は買い手ごとにそれぞれの地へ分散されていく。カメラはアンヌ・パルローのルートを追う。東欧と思しき国からそれぞれの事情で身を売る女達は最初はちょっとした旅行気分だ。が、すぐに人としてではなくモノとして扱われる現実に直面する。次第に感情の麻痺が始まる女達。
その中で生身の感情を持ち続ける女にフォーカスが移っていく。たまたま出会った売春宿見学の女(ロザムンド・パイクが美しい〜)との交流あたりからトーンが変わり第二の物語が転がり出すが、ちょっと甘さを感じてしまうのは私だけか。

映画の安ホテル=プロミスト・ランドは、車の自爆テロと思しき爆発で壊滅状態になり、ちょっとした希望で終わる。イスラエルの未来も希望で終わって欲しいものだ・・などとたやすく言うのは対岸の火事的発想で書いてちょっと恥じてしまった。


トークショー
世界で一番奇妙な映画〜ガイ・マディンの魅力に迫る


今年のフィルメックスでガイ・マディン監督を始めて知り、そのあまりの面白さ・魅力に転げ回りたい衝動に駆られている。
 →事前上映会の感想
ちょっと傾向は違うが、フランソワ・オゾンを「ホーム・ドラマ」で初めて見て、その後「海を見る」「サマー・ドレス」でショックを受けて魅了された時の感覚に似ている。
しかし、オゾン監督はその後、違う角度からの作品を作り洗練を遂げ現在に至っているが、ガイ・マディン監督は絶対に彼独自の世界観を変えないと思う。いや、絶対はありえないけど。

さて、現れた監督はごく普通の節度ある大人のように見える。
1956年生まれの48歳。表面的には丸くなる時期かもしれない。

淡々とQ &A が進む。

次回作は、イザベラ・ロッセリーニ主演の短編だそうだ。
彼女の父、ロベルト・ロッセリーニ監督の生誕100年祭(2006年)に寄せて、娘のイザベラが父に送る手紙・・という形だそう。イザベラ嬢、よほどマディン監督が気に入ったようだ。

また、ハリウッドからリメイクのオファーを受けているそうである。作品名は明らかに出来ないけれど、ヒントは1976年制作。登場人物はグレッグとペニー(あれ?ペギーだっけ??)だそうだ。IMDBのキャラクター検索でざっと見てみたが分からない・・・名前は私の記憶障害のため違っているのかも。
・・とにかく。これを受けることになったら、今までの手法は捨てることになるかもしれない。が、結局うまくいかずにやめることになるだろうと謙遜。実現したら楽しそう。サイト名



2004年11月25日(木) フィルメックス番外「森と湖のまつり」@フィルムセンター

◆ 森と湖のまつり
[日本/1958年/113分]

監督:内田吐夢
脚本:植草圭之助
出演:高倉健、香川京子、
三國連太郎、中原ひとみ


フィルメックス内田吐夢監督特集上映のこの作品は小娘※の“おつきあい”だった。
が、やはり力のある作品には引き込まれる。

北海道を舞台に、アイヌのアイデンティティを巡る、社会派ドラマという位置づけになるのだろう。
かつてのアイヌはアボリジニと似た苦難の日々をくぐってきたのだなと実感。

  ※その小娘(20歳)は、現在市川雷蔵特集上映に授業もさぼって燃えている。(200412/3記)



2004年11月24日(水) フィルメックスその4「臆病者はひざまずく」+ 短編2本

◆ 臆病者はひざまずく〜あるいは青い手
Cowards Bend the Knee
[カナダ/2003年/60分]
◆Sissy-Boy Slap-Party
[2004年/7分]
◆Sombra Dolorosa
[2004年/7分]

監督:ガイ・マディン

あと1作品未見の現在、今のところ私にはこれが一番面白かった。
後日じっくり書きたい。



2004年11月23日(火) フィルメックスその3 ウド・キアートーク + コンペ2本

◆終わらない物語
Story Undone
[イラン/2004年/83分]
監督:ハッサン・イェクタバナー

イランからそれぞれの事情で国境脱出を図る一行に同行取材を試みるドキュメンタリークルーの顛末を描く。
話の転がり方が非常に面白く、わくわくさせられ笑わされ考えさせられる。



★ ウド・キアー氏を囲んで ★ トークイベント

次の映画の前に何か食べて来ようと出たところ、11Fスクエァで「ウド・キアー氏を囲んでートークイベント」開催の文字。
即、入室する。

終始上機嫌のウド・キアー氏。
まずは、自分のモノローグから始めて後で質問にしようか、と提案。
彼の話の面白いこと!
司会のジェイムズ・リプトン氏抜き「アクターズ・スタジオ〜自らを語る」シリーズのよう。
まずは第二次大戦中、生まれたケルンの病院での驚くべき話から。
生後間もなく彼の生まれた病院に空爆があり沢山の母子が亡くなったが、彼と彼の母親は運良く壁際に位置して助かった。母親は片手で彼を抱き、片手で瓦礫を掘って進んだそうだ。おぉ、選ばれた子よ〜♪

ファスビンダー監督とは、まだお互い映画の道に進むなど考えもしていなかったティーンエイジャーの頃、地元ケルンの街のパブで飲み仲間だったそう。
後に監督となった彼と偶然会った時は良い再会ではなかった(後の質問コーナーで、それは彼が高慢な奴になっていたからという答え)が、その後、また友情を取り戻し、以後、俳優として出ていないものもスタッフとして参加し全作に関わって来たとのこと。

トリアー監督とは、ロカルノ映画祭でトリアーの「エレメント・オブ・クライム」を見て感激。後にセッティングしてもらって会うことになった。現れたトリアーは、一見こざっぱりとした青年だったが、開口一番「映画祭なんて大嫌いだ・・・それより、ここに来る途中で見た道で転んだおばあさんの方が意義がある」とぼそぼそっと陰気な口調で話したとか♪

ポール・モリセイ監督とは、飛行機の席が偶然隣り合わせ「仕事は?」「俳優」「そちらは?」「監督」てな具合で始まったそう。
「処女の生き血(アンディ・ウォーホルのドラキュラ)」の時は監督から10日(5日だったか・・?)で10キロ体重を落とせと言われて、全く食べ物を口にしなかった。おかげで体重は落ちたけれど、体が弱りきり、本番では車椅子に座ったままなってしまったなど。
最近、アメリカの超有名カルトホラー雑誌「ファンゴリア」で過去のドラキュラ役の人気投票で一位に輝いたと嬉しそうに語っていた。ほんに何とチャーミング〜♪

以上は楽しいトークのほんの一部分にすぎず、予定時間を超えても本人から延長の提案でまだまだ続き・・・・このまま居続けて次の映画をパスしようかなとも思ったが、後ろ髪を引かれつつ途中退席。
あの後、どんな光景が繰り広げられたのだろうかぁぁぁぁ〜。



◆ トロピカル・ラマディ
Tropical Malady
[タイ/2004年/118分]
監督:アビチャッポン・ウィーラセタクン

空腹のまま挑んだこの映画、修行させてもらった。
前半と後半、まるで違うテイストの映画だ。
前半はきらきら輝くのほほんと幸福な時のつれづれなるままの描写。
後半は、ジャングルの中を虎に姿を変えた目に見えぬ精霊を追い、導かれるまま進む兵士を延々と描写。
実は虎に姿を変えられた精霊は元呪術師。変身の後、人の記憶を食べて生きている。どうやら前半のきらめく時は後半の兵士の記憶・・・らしい。
・・・空腹と展開のない画面に眠気をこらえつつ、修行の約2時間。疲れ果てた。
映像は美しい。前半の同性愛的恋人達も可愛かった。



2004年11月22日(月) フィルメックスその2「世界で一番悲しい音楽」

◆「世界で一番悲しい音楽」
The Saddist Music In the World
 [カナダ/2003年/99分]
監督:ガイ・マディン
脚本:カズオ・イシグロ(「日の名残り」)
出演:イザベラ・ロッセリーニ、
マリア・デ・メディロス、
マーク・マッキニー


世界で一番悲しい音楽の一等賞を競うコンテストが開催されるのである!ひぇ〜。
何たってイザベラ・ロッセリーニである。彼女の役柄は、両足切断という憂き目にあっているが、コンテストの主催者である金持ちオレサマ実業家。後半では、中にビールを満たしたガラスの義足をつけて踊るのだ。義足の中の炭酸の泡もシャンパンのように美しく、新しい足で踊るイザベラ・ロッセリーニの吹っ切れた姿の素晴らしいこと!バックダンサーの太股共々、一生忘れられないシーンになるかも。
ガイ・マディン監督は、初期作品では男性主人公を義足にしたりと、足に対するフェチズムを垣間見せていたが、ここでは正面からあの手この手で画面を通じて足賛美謳歌すりすり耽美る。あぁ潔い。
その他、ロッセリーニと過去にいわくのある主人公を中心に、亡くなった息子の心臓を涙漬けの瓶に入れるチェロ弾きの兄、記憶喪失でニンフォマニアの妻、ロッセリーニを思い続けてガラスの義足を作る父などが、無くした愛を探しつつ、賞金目指して入り乱れる。
この設定からして、わくわくせずにいられようか!

・・が・・・が、肝心の「世界で一番悲しい音楽コンテスト」自体が面白くないのである!
原作のカズオ・イシグロが脚本も手がけているということだが、小説では言葉で納得できる部分を映画で表現するのは至難の業。
そして、きちんと整ってしまった脚本は、混沌としたガイ・マディンの魅力を薄めてしまったような気がする。
てなわけで、設定の面白さとイザベラ・ロッセリーニの魅力で引っ張ってはいるが、ちょっと残念な結果になってしまった・・。



2004年11月21日(日) フィルメックスその1「おそいひと」+ ボーディ・ガーボル特集

特集上映〜ハンガリーの前衛的鬼才〜ボーディ・ガーボル

◆「アメリカン・ポストカード」
[ハンガリー/1975年/104分]
監督:ボーディ・ガーボル

◆「ナルシスとプシュケ」
[ハンガリー/1980年/136分]
監督:ボーディ・ガーボル
出演:ウド・キアー、パトリシア・アドリアニ

他の日に見る予定にしていた「ナルシスとプシュケ」だったが
【ウド・キアー来日・Q&Aあり!】
が本日だと知り、急遽参上する。
「ナルシスとプシュケ」の25年前のウド・キアーは、とびっきりチャーミング〜♪で
ナルシス役にふさわしい輝きを放っていた。
最後に見たのは「ドッグ・ビル」の背広姿だったか・・彼がちらりと出るとわくわくしてしまう人も多いと思う。
現在のウド・キアーさんは、おなかがぽっこり飛び出し、かなりウェイト増のご様子。
話出すと、さすがファスビンダーやトリアーやら強烈な人物と馬が合うようなキャラに大人の風格が漂い、いろいろくぐり抜けてきたぜってな余裕と大いなるプロ意識を見せ・・要はやっぱり魅力的だったのだ。

で、「ナルシスとプシュケ」である。
出かける前に、ギリシア神話のナルシスとプシュケそれぞれのエピソードにざっと目を通し復習をしておく。これは正解だった。
ギリシア神話中のナルシス・プシュケのそれぞれの大まかなキャラクターや象徴する行動様式が誇張され独自の解釈で肉付けされ時代を変えて甦った。
ナルシス・プシュケそれぞれは神話の中では交差しない。
が、共通する登場人物のアフロディテ(ビーナス)を劇中劇で登場させるなど目配せあり。
物語は、ナルシスとプシュケ、互いに長年求め合い引かれあいながら、各自のややこしい世界を描きつつ交差させていく。
時代背景は最初は中世あたりだったのが、話の区切りごとに時代が進んで行く。(ブダ・ペストが昔はペスト=ブダだったということを知った。)現代に近づいたあたりでは、突然、ヒトラーが間違い電話をしてきたりして可笑しい。・・と、時代はどんどん変わっていく訳だが、登場人物は変わらず年をとらない。
これらの構成が本当に素晴らしいと感じるのだが、その説明は私の力量では完全に無理〜と諦める。

このボーディ・ガーボルという監督、長編3作と短編数作を遺し、39歳という若さで自ら命を絶ったそうだ。才能ある芸術家の早すぎる死に合掌。


◆「おそいひと」
[日本/2004年/83分]
監督:柴田剛
出演:住田雅清

障害者の通り魔・シリアルキラーなのである!
腫れ物にさわるような扱いでなく、美談でなく露悪趣味でなく、れっきとしたフィクションで障害者を主人公にした映画の誕生に拍手。
気負い無くいやみなく描けているのは大阪ならではの感覚かもしれない。
電動車椅子で街を闊歩し、ポータブルのトークマシーンで会話をし、ビール好き、がしゃぽんの兵士のフィギュア好き、女性好きな住田さんが、ボランティアの女子大生ヘルパーが好きになる。
しかし思うようにはいかず募る疎外感。
最初の殺人後、事情を知らない女子大生に「人って簡単に死ぬんやね」とつぶやかれ、思わず「ちがう」と地面に文字を書く。電動車椅子では上れぬ階段に、いつも物思う住田さん。彼の心象風景が描かれるが実は動機がいまひとつ弱い。
はっとするショットが多く見受けられた。
電動車椅子と夜の街はよく似合う。
冒頭のヘビメタもいい感じだったし、エンドロールの音楽は「ひかりのまち」の時のマイケル・ナイマン風。
ユーモラスでありながら、やるせないラストシーンに続く音楽はよく似合っていた。



2004年11月20日(土) ラトル+ベルリン・フィル

サイモン・ラトル指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
サントリー・ホール
チャリティ公開リハーサル
ブラームス:交響曲第2番

昨日のウィーン・フィルに引き続き、今日はベルリン・フィル。
あぁ、何て贅沢な今週。
公開リハーサルとは言っても、きちんと正装したメンバーによるフル演奏。
たとえ流していたとしても、ベルリン・フィルの演奏は素晴らしく美しい。

私が到着したのは開演15分前ほどだったけれど、朝早くのリハーサル、メンバーがステージに楽器を持って三々五々集まり、楽団員同士で握手したりハグしたり談笑したりといったほのぼのとした光景が見られた。
演奏の時とは違う素顔が魅力的。
ベルリン・フィルは美形が多い!しかも平均年齢がかなり若い。
映画「ニュースの天才」でのヘイデン君系も何人か確認(・・そんな私って・・)。
そんなステージ上を眺めていて、ふいに常任指揮者が楽団員の投票で決まるという柔軟な
この楽団の精神を思い出した。若い=柔軟なんて短絡的だけど、魅力的だ〜。
サー・サイモン・ラトルは華があるし。

ところで、実は、昨日のゲルギエフ&ウィーン・フイルの「悲愴」が今もずっと残っている。
ネットでちらちらと見てみると、やはり“何かが起こっていた”“一生に何度出会えるかのレベル”とか、絶賛の声多数。私など門外漢の身にも沁みた演奏に出会えた事は本当に幸せとしか言いようがない。

明日は朝から映画三昧予定。早く寝なくちゃ。



2004年11月19日(金) ゲルギエフ+ウィーン・フィル

ワレリー・ゲルギエフ指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
サントリーホール
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

素晴らしかった。
第2楽章あたりからうるうる、最終楽章では何度も視界が涙でにじんで、しまいには鼻水
まで垂れてしまった・・うぐうぐ。
会場全体の集中の度合いも凄いものがあったように思う。

今日の演奏会は、ゲルギエフの故郷、北オセチア共和国学校占拠事件の犠牲者の追悼と
残された人達への支援のチャリティだった。
通常の演奏会よりずっと入手しやすい設定の料金。
あっという間に売り切れたようだ。手に入れてくれた友人に心からの感謝。
曲目は「悲愴」一曲のみ。それで充分だった。
演奏前に、曲の終了時には「祈りを込めていただきたく・・」拍手は無しでお願いしたい
とのお話あり。
消え入るようなエンディングから、静止したままの長い余韻が(1分以上あったかもしれない)続き、ゲルギエフは頭を下げたまま静かに退場。

ゲルギエフの祈りと気迫が楽団員に通じていたような演奏だった。
ぼーっ・・。

急遽、収益の半分を新潟地震の被災者に寄付するとのこと。



2004年11月18日(木) 演劇「マクベス」

●「マクベス」
ク・ナウカ
下北沢ザ・スズナリ

作:W・シェイクスピア
構成・演出:宮城聡
阿部一徳



2004年11月15日(月) 「オールド・ボーイ」

◆ オールド・ボーイ
 [韓国/2003年/120分]

監督: パク・チャヌク 
出演: チェ・ミンシク 、ユ・ジテ、
カン・ヘジョン

←この絵、好き




ある日突然拉致され、15年間理由も分からないまま監禁されていた男が、また意味も分からないままある日突然解放される。
この不条理の最たるシチュエーションから話が転がり出す。

15年の監禁の理由と黒幕を求めて疾走が始まる。
逃げ場のない細い廊下でのおぢさんVS わらわら多数の敵・横から長廻しワンカット格闘シーンが、ど新鮮!
“15年間のシュミレーションが今ここに現実として試される”格闘にわくわく!
“15年間のシュミレーションが・・以下略”彼女を襲うシーンに大受け!
“15年間のシュミ・・以下略”餃子以外の食べ物を食す・・タコの躍り食いにげんなり。
とまぁ、ほぼわくわく気分で話を追うが、後半、監禁の理由が少しづつ分かってくると主人公の疾走とは裏腹に、こちらは同じスピードで萎えていく。
どこをどうとっても過剰な韓国風味付けに満ち満ちているが、ストーリーは、蒔いたタネがきちんと回収され、すっきりとしていた印象。

と言いつつ、差し出されるストーリーにケチをつける趣味はないが、ひとくさりーネタバレ付き。
黒幕のぼんぼん、そもそも全ての発端は若き日の自分達の行為からだったはずなのに、思わぬ成り行きに罪の意識を彼ひとりが背負い込む結果となり、それが耐えられず、オノレのアイデンティティを守るための責任転嫁、いわば逆恨みで人の15年を奪う行為はどんなもんだろう(長い文だなー)。
偶然目撃し、特に意図しないながらも噂を広めてしまった行為が15年に匹敵するのか?
そして15年を奪われた方もその説明で納得してしまうのかいな?



2004年11月14日(日) オペラ「エレクトラ」

●エレクトラ 
新国立劇場オペラ劇場

作曲:リヒャルト・シュトラウス
演出:ハンス=ペーター・レーマン
指揮:ウルフ・シマー
東京フィルハーモニー交響楽団

エレクトラ:ナディーヌ・セクンデ
クリテムネストラ:カラン・アームストロング
オレスト:チェスター・パットン

エレクトラはトロイ戦争に勝ったギリシア側総大将アガメムノンの娘。(アガメムノンはブラッド・ピットが出た映画「トロイ」では、ブライアン・コックスが演じていた。ヘレンの義理の兄)
その父アガメムノンは、トロイ戦争からの帰還後、妻と愛人によって殺される。
物語は、エレクトラが父の復讐の時が来るのを待ちつつ(母と愛人を殺すのだ。エレクトラ・コンプレックスの語源)女性の楽しみを捨て目的を果たすまでを描く。
血塗られた城、登場人物はエレクトラの妹(復讐の輪の中から抜けている)以外皆ゾンビメイク。
ひたすら陰鬱な演出。R・シュトラウスのスコアも不協和音がほとんどだ。
それゆえ、死んだと思っていた弟が生きていたと分かった時に歌われる美しいアリアは響いた。

「エレクトラ」は一幕もので1時間30分ほどという短さだ。
しかし、その間エレクトラは出ずっぱりでドラマティック・ソプラノを歌い続ける難役である。エレクトラ役のナディーヌ・セクンデは、だんだん声が出るようになり聴かせてくれた。
どうやら私はこの演目、初めてだったのだけれど気に入ったようだ。
来年3月の小澤の「エレクトラ」も聴いてみたくなった。チケット取れるかな。



2004年11月13日(土) 「ベルリンフィルと子供たち」




◆ ベルリンフィルと子供たち
Rhythm is it! [ドイツ/2004年/105分]

監督:トマス・グルベ、エンリケ・サンチェス・ランチ
出演:ベルリン在住250人の子どもたち
サー・サイモン・ラトル
ロイストン・マルドゥーム (ダンス・ユナイテッド振付師)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

この有料試写会、実はチラシには、【サイモン・ラトルとベルリンフィルメンバー来場 予定
とあったのだ。
来日中のラトル氏のお姿を拝み、あわよくばメンバーによる簡単な室内楽の一節でも・・などと、下心を抱いて足を運んだ者を誰が責められよう・・うう。
当日、ステージに現れたのは第一ヴァイオリンのメンバー1名と広報担当者。
型どおりではあるけれども、心のこもった挨拶をいただいた。不満は言わない・・。
また、この日はベルリンフィルの教育プログラムのためのチャリティ有料試写会だったのだけれど、メンバーが新潟地震のことを知り、急遽、全額新潟地震の被災者に寄付することになったとのアナウンスもあり。ちょっとうれしい。

映画は素晴らしかった!
ラトルが発足させたベルリンフィル教育プログラムの一環として、250人のドイツの子どもたちとのダンスの競演を行うという大きな企画を追ったドキュメンタリーである。
いくつかの学校と町のダンススクールの生徒達がそれぞれ練習をし、合同で本番に臨むのだ。
この映画でクローズアップされているのは、その中でも底辺の地域に住む子どもたちの姿だ。
クラシックなど全く興味無し、前向きの姿勢無し、筋力体力精神力無し。ないないづくしの子どもたちと振り付け師ロイストンの戦いが始まる。
子どもたちの風景と並行して、ベルリンフィルのリハーサル、指揮者サイモン・ラトルのインタビューなどが入る。サー・ラトルの知的で誠実で穏やかで好奇心旺盛な人柄が現れた話に心打たれる。なんてキュート!
また、インタビューの内容とその時々の子どもたちの状況とが微妙にリンクしていてこれまた心打たれてしまう。
ただ、子どものバックグラウンドの説明時に流れる感傷的なフレーズは不快で不要。

曲はストラビンスキーのバレエ曲「春の祭典」。
脈打つ強力なリズムはクラシックに縁がない子にも良い選曲だと思う。
それにしても、ベルリンフィルの音は美しく厚い。
この映画の公開時上映館はユーロ・スペースである。個人的にはユーロ・スペースの会員だし大好きな劇場であるけれど、正直言って、ここで上映と知った時は音の点で勘弁してくれ〜〜と思ってしまった。
今回の会場、浜離宮ホールは普段小規模なクラシックのコンサートホールとして知られている。
今回できうる限り最高の環境で聴き、見ることができて本当に幸せ♪
 −余談ながら、ユーロ・スペースは来年か再来年に新ビルに移転するそうだ。
  映画を見る環境が格段に良くなるのは間違いないと思われ、楽しみでしょうがない。

ラストのステージは、集団子どものお遊戯発表会風ではなくきちんとした芸術作品として完成しており、拍手拍手。
「あなた達は可能性に満ちている!輝きを秘めている!」という言葉。
今なら心の底から分かるこの意味、その当時は分からないものなのだ。
このプログラムによって自分の可能性を少しでも見つけられた子は幸せである。



2004年11月12日(金) フレデリック・ワイズマン映画祭2004

ドキュメンタリーの大家ワイズマン。
東京では多分2〜3年に1度、日本中では毎年どこかで上映されていると思われる、ワイズマン映画祭。
今回はこの二本だけになりそうだ。

ワイズマンとはちと話がずれてしまうが、マイケル・ムーア「華氏911」の批評で「ムーアの一方的な誇張された主張をドキュメンタリーとは呼べない」という趣旨の意見がある。
最初に聞いた時には目が点。ムーア嫌いや共和党贔屓の人の悪口だろう位に思っていた。
しかし映画がヒットするにつれ、同じような意見を確信的に述べている人が少なくないと体感。ショック。
一体、ドキュメンタリーが中立の立場に立ったものでなくてはならないという誤解はどこから生まれたのだろう?
程度の差こそあれ、作り手の主張が入っていて当ったり前だと私は思うぞ。

中立なドキュメンタリーという幻想は存在するのだろうか。
あるとしたら、その代表がワイズマンだ。
決して感情をあらわわさないカメラ、もちろん誘導的なナレーションも音楽も無し。
あらゆる角度からの事実のみを我々の目の前にずらりと並べ写し出す。
でもそれが中立なのだろうか?素材選びの段階ですでに作り手の意志がある。
そして撮したフィルムを編集する段階で、その作り手の意志が形となっているはずである。

◆ DV2
DV2 [2003年/160分]

「DVードメスティック・ヴァイオレンス(2001)」の続編とも言うべき一本。
前作「DV〜」では、家庭内暴力の現場や救護施設を舞台とし被害者の立場から描かれていたのに対して、こちらでは主にDVの加害者とされる人の逮捕後の法廷を追っていく。
フロリダ州ではDV防止法が施行されてから、配偶者・愛人関係であれば些細なぶった蹴ったひっかいたのケースでも警察が呼ばれれば、ほとんどが逮捕・裁判になってしまうという。
典型的貧困・ドラッグ・暴力の図式に当てはまるケースから、単なる痴話喧嘩まで次々に持ち込まれる様々なケース。
機械仕掛けのように(そうせざるを得ない)次々に保釈のあるなし保釈金などを決定していく裁判官。オークション会場の司会者のようだ。
その後、略式裁判らしきもののシーンになるが、ほとんどが被害者・加害者の言い分が食い違い、どちらが被害者なのか混乱してくる。ここでも裁判官は時にため息混じりに次々と裁いていく。
接触禁止の判決を受けた後、取り下げの訴えに来る人たちのシーンで終わるが、どう見ても、夫からの脅しで取り下げに来たとしか思えない妻。痴話喧嘩の腹いせの結果に満足して取り下げる人。
DV防止法の功罪について思いを巡らせてしまう。
興味が尽きない160分はあっという間に過ぎてしまった気がする。


◆ チチカット・フォーリーズ
Titicut Follies [1967年/84分]

猥褻罪もしくは国家保安罪以外の理由で検閲され、'91年にワイズマン側が勝訴するまでの24年間、アメリカ国内で一般上映が禁止されていた唯一の映画だという。
ワイズマンのデビュー作、とにかく凄いという評判もあり、いつも見たい、見るぞ〜!
と思いつつ、そのたび何故か必ず見られない・・縁がなかったのがこれ。
平日昼間にもかかわらず、会場のアテネフランセの席がほとんど埋まっているという普段
あまり目にできない光景と共に、今回ついに見ることができた。
精神異常犯罪者の矯正施設の日常を記録した作品である。
人間の奥底に遺伝子として受け継がれている残虐性をふとした瞬間に見てしまうのは楽しいことではない。これは遠い過去の事・特殊な収容所の事ではなく、どこにでも口を開けて待っている不条理への恐怖なのだと思う。



2004年11月11日(木) 「コニー&カーラ」

◆コニー&カーラ
Connie and Carla [2004年/98分]
監督: マイケル・レンベック
製作総指揮/脚本:ニア・ヴァルダロス 
出演: ニア・ヴァルダロス
トニー・コレット
デヴィッド・ドゥカヴニー 





「天使にラブソングを」ドラッグクイーン・バージョンといった感じ。
「お熱いのがお好き」だという書き込みをみた。・・確かにそうだった!
ハリウッドの様式に乗っ取ったストーリーは意外性には欠けるけれどきっちりした仕事。
ニア・ヴァルダロスやり手です。
何よりショウの部分が楽しくて楽しくて〜♪

今時のドラッグ・クイーンショウはアバの曲はやらないらしい。
しかし、バーバラ・ストライサンドネタはきっちり。
「愛のイェントル」が振られたときには吹き出してしまった。

彼女たちの命を狙うギャングの手下のおっさんがとってもキュート。
二人の逃げ隠れする場所はショウビジネスの世界しかないはずだという推測の元、
全米のカントリーショウパブからブロードウェイまで客として探しまわるうちに、
ミュージカル大好きな奴に変身してしまう。
ショウを見ながらにこにこ幸せいっぱいな姿はこちらまで幸せになってしまう。
うーん、その気持ち分かるよ〜。



2004年11月10日(水) 「ビハインド・ザ・サン」

◆ビハインド・ザ・サン
Behind the Sun [ブラジル/2001年/92分]

監督: ウォルター・サレス
出演: ロドリゴ・サントロ  
ラヴィ・ラモス・ラセルダ 




「セントラル・ステーション」と「モーターサイクル・ダイアリーズ」の間に作られた
作品。それが今になっての公開だ。
「セントラル・ステーション」のモチーフは聖書だったが、こちらはギリシア悲劇だと思う。

物語は、長年の宿敵家族に長男が殺された後、次男が復讐をしなければならない状況を描き出し、それをラストシーンに繋げる三男のナレーションから始めている。
ラテンアメリカ人の血を代償とする誇りは「予告された殺人の記録」にも描かれていたが、いわゆるやくざではない普通の人々の中にも受け継がれている気質のようだ。

二家族の死を死であがなう因習を縦糸に、対称的にきらめく“生”も描きつつ進むブラジルの美しくもせつない寓話だ。
映像は美しく深い。
黙々とサトウキビから砂糖を作る作業の繰り返しの毎日。
そうした日々では荒れ野に太陽が照りつけ砂ぼこりの舞う乾燥した映像が続く。
それがクライマックスでは一転、雨期でもないのに時ならぬ大雨。
乾いた土に雨がしみこみぬかるみとなり、木々は緑を濃くし風に従う。
それまで淡々と描かれ続けていた人間の表に出せずにいた感情もほとばしる。
生きる事の意味も問わず、疑問も持たずに繰り返してきた生活と因習がついに大きな変化を迎える時だ。
それが定期的な訪れの雨期に起こったのではなく、唐突な雨のなかで迎えた意味は大きい。

しかし「セントラル・ステーション」でも感じた事だが、ラストのセンチメンタルさに少々のマイナスを。
余計な感情を入れず事象の積み重ねで進められてきた物語が、最後にセンチメンタルに流されてしまうのは私の好みではない。

「モーターサイクル・ダイアリーズ」でのクライマックスでもそのにおいはあったものの、格段に洗練されていたと思う。
ますます楽しみな監督なのだけれど、次回作はJホラーハリウッドリメイク版「仄暗い水の底から」って・・・。
ハリウッド進出第一弾として、雇われ監督の仕事を手堅くこなして評価を得た後、好きなことができるようになると思われるので、とりあえずがんばれ〜♪



2004年11月07日(日) 「オランダの光」




◆オランダの光 at 東京都写真美術館ホール
Dutch Light  [オランダ/2003年/94分]
監督:ピーター-リム・デ・クローン

レンブラントやフェルメール等、17世紀オランダ絵画に描かれた光と陰は独特で
それはそれは美しく、多くの人を惹きつけてやまない。
確かに、独特の輝きを持つ“オランダの光”の魅力を解き明かしてみたい!
と考え始めることは、しごく真っ当なことのように思える。
それを追求したのがこの映画だけれど、その存在の実証は簡単にはいかない。
まず当時とは干拓などによる地形の変化で光の質が変わったという、現在存在
しない光を証明していく道のりは長く遠い。
世界各地の光を採取し比較し、あらゆる角度から検証し考察する。
中心に据えたテーマを真摯にまとめ上げた姿こそが、この映画の最大の感動の
ような気がする。

ただ、映像は美しいのだけれど魅力あるものではなかった。
先週までこのホールで上映されていた「雲〜息子への手紙」は、大半が世界中の
雲を流れゆくまま撮している映画だったけれど、映像は非常に力があり魅力的
だったなぁ・・とため息つきつつ思う。

勝手ながら、かなり楽しみにしていたこの映画、ちとばかしへこんでしまった。



2004年11月06日(土) 「妖婆 死棺の呪い」


◆「妖婆 死棺の呪い」 [ロシア/1967年/78分]
  東京江戸博物館ホールにてDVD上映 

 原作:ニコライ・ゴーゴリ(「ヴィー」より)
 監修・脚本:アレクサンドル・プトゥシコ(「石の花」)
 監督:コンスタンチン・エルショフ/ゲオルギー・クロパチェフ
 ホマー:レオニード・クラヴレフ 
 地主の娘:ナターリヤ・ワルレイ


カルトなロシア映画が東京江戸博物館で上映されるというので行ってみた。
今日始まったばかりの企画展・水木しげる繋がりのための特別上映。
この映画の設定をそのまま借りた漫画の原稿展示と、85年に日本で上映された時に水木先生が寄稿したパンフの展示があった。
レアな”棺桶型”のパンフはアテネフランセ発行、さすがだわっ!と思う。

どこか冷やかし半分で見始めた映画、見ているうちにそんなものは吹っ飛んでしまった。
骨太かつリリカル。非常ーーに面白かった。

風景は詩的で美しく、中世あたりのロシアの風俗も興味深い。
小さい頃に読んだ「イワンの馬鹿」の舞台もこんなところなんだろうなぁ。

世界各地にころがっている伝説・民話の1バリエーションか。
人々の生活が伝説とともにある時代、神学生ホマーが一夜の宿を求める。
その家の老婆(実は魔女・・またの姿は若い娘これがすこぶる美女)に気に入られ、
錯乱の末・・結果的に老婆を死に追いやってしまう。
その後、ホマーは娘(魔女)の父親から三晩にわたる弔いを依頼され、断れず引き受ける。
美女=魔女は夜な夜な甦る。魔法陣もどきの円陣で姿を隠し(耳無し法一の経文のような
もの)一番鶏が鳴くまであたふた恐怖に震えるホマー。
棺桶は宙を舞い、壁から床から魑魅魍魎がわらわら這い出し、ホマーを見つけ出し、
亡き者にしようと狙う。
この特撮の素晴らしさと暖かさよ〜♪
神学生ホマーさん、信仰は頼りにならず、ココロの支えはコサック魂とウォトカ。
しかし・・哀れホマーは・・。

また、決戦の場となる寂れた教会内の美術は全く手抜きが感じられない。
ぼやけてかすれたイコンのキリストの目のあたりの白が印象的。
魔女アンド魑魅魍魎軍団 vs 神学生の戦いを、このキリストはどのように見ていたのか?



2004年11月05日(金) ガイ・マディン監督作品上映会


◆「ギムリ・ホスピタル」
Tales from the Gimli Hospital [カナダ/988年/69分]
   監督・脚本:ガイ・マディン
   出演:カイル・マクローチ 、マイケル・ゴッリほか







◆「アーク・エンジェル」
Archangel [カナダ/1990年/82分]
   監督・脚本:ガイ・マディン
   出演:カイル・マクローチ 、マイケル・ゴッリほか





今月末からのフィルメックスで特集上映される、ガイ・マディン監督作品。
フィルメックスで上映されるものとは別の初期作品を見る幸運に恵まれる。

自主制作の空気濃厚に漂う、初期作品二本の上映。
一作目「ギムリ・ホスピタル」。
独特の美意識が光るものの、訳の分からない奇妙な味わいは、才能なのか奇を
てらう性向なのか、ちと判断しがたい部分もあり、保留。

一本目の後10分間の休憩の間に、かなりの人数が帰ってしまう。
受け入れられない人にはつらい作風なので、しょうがないところ。

で、二作目「アーク・エンジェル」。
これが一作目よりぐぅぅんとレベルアップしてるという印象あり。
訳の分からない変なところてんこ盛りの中、わくわくしている自分を発見。
ものすごい傑作とは思わないものの、整った小品よりはずっと楽しい。

見ていて、出来のいい小劇場のお芝居を連想してしまう。
ひねったユーモア、とっぴで予測不能な小ネタ、繰り返す不条理・・しかし
妙なバランスがとれていて納得させられてしまう。
帰り道、不思議と上機嫌な私、この監督気に入ったようです。

が、小劇場からプチメジャー劇場への転換は成功しているのかっ?!
フィルメックスでの3本プラス短編2本が楽しみ。



2004年11月03日(水) 「ボン・ヴォヤージュ」

◆「ボン・ヴォヤージュ」 at 青山スパイラルホール
Bon Voyae  [フランス/2003年/115分]
監督: ジャン=ポール・ラプノー
出演: イザベル・アジャーニ
ジェラール・ドパルデュー
グレゴリー・デランジェール
ヴィルジニー・ルドワイヤン 
イヴァン・アタル 
ピーター・コヨーテ 

第二次大戦下のパリ。
女優、首相、女優の元恋人、科学者や女学生、怪しげなジャーナリストやらそれぞれの
思惑が絡み合い、時にコミカルにテンポよく進み、それら伏線が回収されゆく心地よさ
を味わう。
何たってイザベル・アジャーニ49歳、いまだがんばってます!
体型はちとゆるみがちなものの、お肌にはしわもたるみも感じられない。
豪華な役者陣に加え、衣装と美術もまた美しい。
実は、アジャーニということであまり気乗りしない映画だったのだけれど、まぁ良しと
いたしましょう。

上映の前に、モエ・ロゼの200mlボトル(キュート!)のサービスあり。
ボトルの口に直接さして飲めるミニ・フリュート付き。
11月にしては20度を超えて暑かったこの日、冷えたシャンパンはとても美味だったぁ〜♪



2004年11月02日(火) 興福寺国宝展

興福寺国宝展−鎌倉復興期のみほとけ 東京芸術大学 大学美術館

国宝と重要文化財だらけの興福寺国宝展に行って来た。
今回はスーパースター阿修羅像含む八部衆こそ来なかったものの、充実した展覧会だった。


無著・世親立像
(むちゃく・せしんりゅうぞう)


第一のお目当てがこちら。
魂までもが表現されている天才仏師の仕事
に打たれて泣きそうになる。
鎌倉時代に作られてから約800年間、今まで
百万回以上も言われ続けているに違いない
ほめ言葉、「もう耳たこさ〜」と日々つぶや
いているかもしれないが、
確かにこのご両人、生きている。






天燈鬼・龍燈鬼立像
(てんとうき・りゅうとうきりゅうぞう)


四天王などにいつも踏みつけられている邪鬼。
脇役ながら個性的な踏みつけられ方をする子
も多く、邪鬼の隠れファンも多いのではない
かと思う。
ここでは足の下から独立させてもらい、仏前
を照らす役目を与えられているのだ!
ここぞとばかり張り切る天燈鬼・龍燈鬼。
とはいうものの、私の行った日はすでに天燈鬼
は実家へ帰っていて龍燈鬼のみの展示だった。
写真で見る両体はあ・うん、動と静の対比も
素晴らしく、豊かな表情と動きは愛さずには
いられない。

ミュージアム・ショップで図録や興福寺関係の本をぱらぱら見比べていたが、写真の
出来不出来のあまりの落差に今更ながら驚く。
生きているように作り出す仏師がいるように、生きているように撮る写真家の仕事は
美しい。

最終日の前日、平日なのに大変な混雑ぶりで、朝一で行って正解。
帰る頃には入場制限の列ができていた。



2004年11月01日(月) チェ・ゲバラ写真展

チェ・ゲバラ写真展 パルコミュージアム
「モーターサイクル・ダイアリ−ズ」があまりにも素晴らしく、がぜんゲバラに興味が
湧いてしまった。
彼に関する本など読み、それまでは簡単なアウトライン程度の知識しか持っていなかっ
た私のゲバラ像が、立体的になってきた。
映画を見てから一ヶ月近く経ってしまったが、ようやく写真展に行って来た。



4人の写真家ごとにブロック分けされての展示。
いずれも革命に成功後の安定した日々の写真である。
人民とともに理想の国を作りゆく日々は、希望の中、穏やかで安らかそうだ。
しかし、希望に満ちたキューバの中で、母国アルゼンチンや他のラテンアメリカ諸国が
相変わらず搾取され続けている現状を見ている彼の心中は平穏ばかりではなかっただろう。
カストロとキューバに別れを告げる少し前の年の写真はそれを語っているようだった。

「モーターサイクル・ダイアリ−ズ」公開記念の写真展であるので、映画のスチールも
多数展示。ガエルちんかわいい。
会場では他に映像コーナーもあり、老いたアルベルトとともに監督が実際の地を訪れ語る
映像も流されていて、見入ってしまった。
メイキングでもあるので、DVD発売時には収録されるんだと思う。

余談ながらイラクで人質となり殺された日本人の若者と、無謀な南米旅行を敢行した
彼らとどんな差があるのだろう?


◆ソウ
Saw [2004年/103分]

監督: ジェームズ・ワン
脚本: リー・ワネル 
出演: ケアリー・エルウィズ 
ダニー・グローヴァー
モニカ・ポッター 
リー・ワネル 

一番の衝撃は、ケアリー・エルヴィスの姿!
あの繊細な青年が、腹ぼての中年に・・。
・・・自然の摂理。

密室シーンは緊張感にあふれるも、その外のシーンや回想シーンになると、とたんに緊張感がなくなり、集中がとぎれる。
また、ダニー・グローバーのパートがミスリードになっていない。
とはいうものの、楽しませてもらった。
若い才能の今後に期待。


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るつ [MAIL]

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