みのるの「野球日記」
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2003年05月27日(火) 初めての神宮、初めての早慶戦(慶応大・安藤明)

「明(あきら)、良かったなぁ」
 上田誠先生(慶応義塾高野球部監督)はお酒を飲む手を休め、森裕樹先生(慶応湘南藤沢中野球部監督)に呟いた。
「ほんと、良かったですよ。アメリカ遠征で全然使ってもらえなくて……。ブルペンキャッチャーで終わりかなと思ったんですけどね。私の夢がひとつ叶いましたよ」
 
 4月中旬。JR藤沢駅近くの居酒屋で、上田先生と森先生を取材したとき、安藤明の話しになった。安藤は慶応大学の4年生キャッチャー。今週末の早慶戦を迎えるまで、すべての試合でスタメン出場している。昨年まで試合出場はゼロ。最終学年にして、ようやく神宮でプレーする機会を得た。

 安藤は、慶應湘南藤沢中から慶應湘南藤沢高、そして慶應大学へ進んだ。
 当初、他の部活動の顧問を務めていた森先生が野球部の顧問に移った年、中学1年生で入ってきたのが安藤だった。安藤は森先生のもとで野球を学び、3年時には主将も務めた。
「明は物怖じしない子でしたね。あまり周りを気にしないというのか。変に緊張したりする子じゃなかったですから、神宮でも堂々とプレーしていると思いますよ」

 森先生には指導者としていくつかの夢がある。
「究極の目標はメジャーリーガーを育てること。次が、教え子が神宮でプレーすること。そして、早慶戦でプレーすること」
 創立(創部)10数年足らずの慶應湘南藤沢中・高から、神宮でプレーした選手は安藤の前までは誰ひとりとしていなかった。

 2週間前、立大との試合後、安藤はこんな話をしていた。
「付属高校なんで、毎年必ず何名かは大学の野球部に入る。でも、もうその時点で下に見られるんですよ。慶應藤沢から、活躍した選手はいないから……」
 神奈川県内にあるふたつの付属高校。慶応義塾と慶應湘南藤沢。伝統的にも、野球部の実力的にも、慶応義塾がはるか上をいく。大学野球部での実績を見てもそれは変わらない。
「でも、これから入ってくる後輩のために、自分が道を作ってあげたい。やりやすい道を作ってあげたいんです」
 慶應藤沢から初の6大学出場について訊くと、安藤は「誇りに思います」と答えた。大げさにいえば、慶應湘南藤沢中・高の野球部の代表として、いま神宮でプレーしている。
 初めての神宮。安藤は神宮に響くアナウンスに感激した。
「自分の名前が呼ばれたあと、『慶應湘南藤沢高校』ってアナウンスされたときは、ほんとに嬉しかったです」
 
 森先生の夢。
「神宮でプレーすること」は叶った。次は「早慶戦でプレーすること」。
 4月中旬、藤沢の居酒屋では「早慶戦まで活躍してくれればいいんだけどねぇ」と、少し心配気味に話していた。
 その話しを安藤にすると、
「森先生が神宮に見に来てくれるのを楽しみにしてるんですよ。早慶戦で、見せられたら良いですね」

 いままで慶大の空き週には、必ず早大の試合が組まれていた。安藤はネット裏から、制服姿で早大打撃陣を見つめていた。
 第1戦の先発が確実視される清見は、慶應志木高(埼玉)出身。高校時代から知る間柄である。毎年春に行われる、慶應義塾、慶應湘南藤沢、慶應志木の3校による対抗戦で、対戦したこともあった。
「高校時代に打席にも立ったことがありますし、よく知っていました。いまは寮でも仲が良いし、清見とはあうんの呼吸があります」
 
 安藤にとって初めての早慶戦は、優勝がかかった大一番となる。
「自分の売りは、インサイドワークと勝利への執着心」と、安藤はいう。
 これ以上ない、最高の舞台が揃った。



2003年05月24日(土) 新人戦に向けて(法政大・佐藤宏樹)

 6大学春季リーグも残すところあとわずか。今日の時点で、早慶明の3校に優勝の可能性が残る、大混戦となっている。
 リーグ戦終了後は春季新人戦が開幕。リーグ戦の出場機会に恵まれなかった1、2年生が、トーナメント方式で優勝を争う。毎年、甲子園で活躍した選手らが多数出場する。

 昨夏、甲子園に出場した桐光学園からはファーストの佐藤宏樹が法政大へ進学した。甲子園メンバーで6大学に進んだのは彼一人だけだ。
 佐藤はここまでベンチ入りはゼロ。ブレザー姿でスタンドから試合を見ているときもあれば、黄色い腕章をつけてファールボールの回収係を務めていることもある。
 4月の始めには、こんなことを嘆いていた。
「スタンドって寒いっすね。もう鼻水出てきちゃって(笑)」
「ブレザーだけじゃ寒いでしょ。上に何か着たらいけないの?」
「いけないんじゃないですかね。先輩も何も着てないですし……」
 と鼻水をすすりながら、球場をあとにした。
 佐藤と言葉を交わしながら、思った。佐藤にとって、スタンドから自分のチームの野球を見ることは、久しぶりのこと。桐光では2年からベンチ入りし、試合に出ていないときでも、試合を見る場所はスタンドではなくベンチだった。

 今年の法政は例年以上に1年生が試合に起用されている。
 野手でいえば、大引(浪速)、須藤(武相)、西川(三重)の3人。
 須藤は佐藤と同じく神奈川の出身。武相高校で4番センターを務めていた。じつはこのふたりは、夏の県大会4回戦で対戦している。佐藤は初回に横浜スタジアムの左中間スタンドに放り込むソロホームランを含む2安打の活躍。一方の須藤は清原(現東農大1年)の前に2打数0安打に終わった。試合は12対3で桐光が圧勝した。
 私はこの試合をネット裏から見ていたが、須藤に関する記憶が全くない。意外にも、佐藤も同じだった。
「須藤って、武相でしょう。武相ってことは県大会で対戦してるよね?」
「してるみたいですね。ぼくも大学入って知ったんですよ(笑)。全然覚えてないんです」
「高校のときから名が知れてた?」
「いや、自分では大学で開花したって言ってますよ」
 この須藤は、春季リーグで佐藤より一足早く神宮デビュー。スタメンで活躍するなど、1年生ながら存在感を見せている。

 3週間前の明大戦終了後。
「他の1年生が使われているけど、焦りはない?」
「全然ないですね。自分が何で出られないか分かってますから。木のバットにもようやく慣れてきたって感じで。いまはもう新人戦ですね。新人戦は出られると思うので、活躍したいです」
 佐藤らしくなく、足に関しても気にしていた。
「最近、気づいたんですけど・・・、足が遅くなってきてるんですよ(笑)。やばいです。金光監督は足が速い選手じゃないと、あまり使ってくれないんで。いま、走りこんでるんですよ」
 また守備の方は、高校時代慣れ親しんだファーストではなく、サードを主に守っているという。

 新人戦の日程は先日発表され、法政は大会2日目に早大ー東大の勝者と対戦することが決まった。

 ちなみに佐藤の出身中学である内出中(相模原市)は、今年の春季相模原市大会で優勝。県北大会でも、東林中、大野南中をともに1−0で連破し優勝。今日24日から開幕する県大会出場を決めた。



2003年05月09日(金) 横浜国大野球部(2) 打倒私立叶う

 仕事中、携帯電話が鳴った。ディスプレーには「野原慎太郎」の文字。
「勝ちましたよ! 4−3で勝ちました!」
 興奮気味の野原の声。
 次いで、9回完投した渡邉。
「ほんと、良かったですよ。最初3点取られたんですけど、打線が4点取って逆転してくれて……。ほんと、良かったです」
 再び野原の声。
「みんな号泣してます……」

 5月9日。横浜国大が神奈川大を4−3で下した。
 7日の初戦、エース渡邉が神大を1−0で完封し、対私立大学の連敗を28で止めた。翌日の2回戦を2−7で落とすも、今日の3回戦で再び渡邉が好投。2000年の秋以来、3年ぶりに私学から勝ち点を挙げた。

 7日に完封勝利を挙げた翌朝、渡邉からメールが来た。
「本当に長かったです。3年目にして、初めて3強に勝つことができました」
 北川(現オリックス)が2000年に卒業して以来、私立3強と呼ばれる関東学院大・横浜商大・神奈川大に負け続けていた。
国大にとって、私立を破ることが、この春の目標だった。
「1勝をとりにいくために、自分が第2戦に投げるという話も監督からあったんですけど、やっぱりエース同士で投げあって勝ちたかったので、第1戦の先発を志願しました」
 渡邉は昨秋のリーグ戦終了後から、エース番号「18」を着けた。北川卒業後、2年間誰も着けなかった「18」を、自ら着けた。北川の携帯電話に連絡し、エースとしての意気込みを伝えた。
「何っていうんですかね、自分が着けなくちゃいけないと思ったんですよ」


 今年の国大は違う。変わった。
 渡邉や野原と話す中で、幾度となく出てきた言葉である。
 だが、ここまで結果には結びついていなかった。接戦は演じるものの、勝ちにまでは至らない試合が続いていた。
 野原の言葉がそれを象徴していた。
「もう良い試合はできる。でも、良い試合じゃだめなんです。勝ちたい」
 開幕戦、関東学院大に0−7で完敗したが、以降は惜しいゲームを繰り返していた。
 開幕戦から何が変わったのか。
 今日、渡邉は電話でこう呟いた。
「自分のコントロールが良くなったこともあるけど、データが役に立っています」
 去年まで相手チームのデータを収集することはなかった。分析を始めたのは今年から。3強に対し、素質では落ちる国大が勝つためにはどうすべきか。国大の頭脳を生かした。
 ある試合後。学生コーチの黒田が明かしてくれた。
「今日出てきた相手投手。クセで投げる球種、全部分かっていたんですよ。でも、分かっていても打てない。歯痒いです」
 相手打者に対しても、弱点を徹底的に分析。素質を頭脳でカバーした。

 野原は4月13日、横浜商大との2回戦終了後、こんなことを言っていた。
「これまでの2年間、本当に無駄だった。何やっていたんだろうと思う」
 この言葉は、「いま」が過去2年とは比べものにならないぐらい充実していることを物語っている。
 過去には退部も考えたことがあった。
「辞めようと思ったことが何度もあったけど、大槻さんが『おれらの代になったら、必ず国大は変わるから』と言ってくれたんです。大槻さんがいなかったら、辞めていたかもしれません」
 1年からレギュラーとして出場し、フレッシュマン賞の受賞経験もある主将の大槻。
 国大の試合を見ていると、大槻がチームの支柱だと良く分かる。ときには大きな声で、そしてときにはプレーで、部員を鼓舞する。「変えたい」という気持ちが十分すぎるほどに伝わってくる。

 横浜国大は、来週15日から神奈川工大と対戦する。勝ち点をあげれば、2000年秋以来の勝ち点3となる。

【横浜国大 今季の成績】
4月 4日 ●0−7 関東学院大
4月 6日 ●1−2 関東学院大
4月12日 ●2−3 横浜商大
4月13日 ●3−7 横浜商大
4月19日 ○5−1 横浜市大
4月21日 ●0−1 横浜市大
4月22日 ○2−0 横浜市大
5月 7日 ○1−0 神奈川大
5月 8日 ●2−7 神奈川大
5月 9日 ○4−3 神奈川大



2003年05月04日(日) キャッチボール

 先月中旬、少年野球の指導者に話を訊くため、東林小学校へ行った。翠ヶ丘少年野球団とグリーンズターズというふたつのチームが、練習をしていた。翠ヶ丘は、東林中から桐光学園へ進んだ清原尚志が小学生のときに在籍していたチームである。
 話を訊いたのは、相南ジュニアーズのコーチ。年齢は60歳中盤。もう20年以上、少年野球を指導しているとのこと。ちなみに、相南ジュニアーズは、東海大相模で活躍した筑川利希也の出身チーム。東林地区では、常に1、2位を争う力を持っている。東林中の現在のエースも相南ジュニアーズの出身である。
 そのジュニアーズのコーチは、法政二高出身で、何と高校の第2回全国軟式野球大会(正式名称は不明)の出場経験あり(何年前の話だ??) いまは少年野球を指導する傍ら、草野球のエースとして投げているらしい。サウスポーから繰り出す、七色の変化球が武器とのこと。シュート回転をかけたり、カーブ回転で少し抜いてみたり、ちょっと手首の角度を変えるだけで、微妙な変化を付けている。「老獪なピッチング」というのがぴったりだ。見たことないけど……、多分そう思う。

 話が終わると、自然に「キャッチボールやろうか」と、60歳以上のおじさんとキャッチボールをすることになった。グリーンスターズの子供のキャッチャーミットを借りて、いざキャッチボールへ。
 キャッチボールするのは何ヶ月ぶりだろうなと思いながら、ボールを捕球する。これが、結構怖い……。いままで25年間、感じたことのない怖さだった。「回転がいい」というのは、このことなんだなぁと思った。自分のミットめがけて、大げさにいえば、ボールが唸りをあげて、向かってくるような感じ。しかも、随所に変化球を交えてくるものだから、怖さ倍増であった。

 比べていいのか分からないが、東大のある選手が、最初に松家とキャッチボールをしたとき、「怖さを感じた」と話していた。それを訊いたとき、「キャッチボールで怖い? ピッチングじゃなくて?」と訊き返した覚えがある。自分自身、キャッチボールでの怖さは今まで感じたことがなかった。

 この日は、コーチとキャッチボールしたあと、今度は東林中の前チームの主将(彼も相南ジュニアーズ出身)とキャッチボール。タテカーブの投げ方を教わった。そこで、生まれて初めてタテカーブの感覚を知ったものだから、結構嬉しかった。

 そして、先週末は、横浜駅近くのハマボール屋上にあるバッティングセンターへ。1年半ぶりくらいにストラックアウトに挑戦した。3ゲームやって、最高成績は5枚抜き。いつになったらパーフェクトを達成できるのだろうか……。バッティングセンターを出るとき、「そういや、タテカーブを試さなかったな」と後悔。
 翌日、体中の筋肉痛がひどい。しかも、その日以降、4日も続いた。仕事場では、「野球ヒジだ」とちょっと自慢げに(?)アピール。
 
 ここ7年ほど、野球は見る専門。だから、走るのはイヤだけど、ピッチャーとして投げてみたいなと、1年に5回ほど思う。仕事場のデスクの上には、なぜか最近硬式ボールが置かれてある。時間が空くと、硬球を握り、「カーブはこう手首を返して……」「ツーシームはこの握りで、中指に力を入れる」、イメージしているだけで楽しくなってくる。
 
 一度でいいから、現役のプロ野球選手とキャッチボールをしてみたい……。


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