みのるの「野球日記」
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指導法などが掲載されています。
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BBA梅原伸宏さんのグラブ本。構成を担当しました。
親指かけ・小指かけの結び方、グリスの入れ方など、
グラブをよりよくするための方法が書かれています。

*ツイッター始めました
@mino8989 です。

2003年06月29日(日) 伝説のカットマン

 中学のとき、ひとつ上の先輩にTさんというキャッチャーがいた。中学3年時には主将を、その後高校でも主将を務めた。卒業後は体育大学に進み、野球を続けた(らしい……)。
 桐蔭学園中の大川和正先生が、「一番バッターに、カットばっかりする選手がいましたよね。もう、あの選手が嫌で嫌でしょうがなかったんですよ」と話す選手が、そのTさん。いまから約10年前の話である。

 私が中学1年のとき、新任の先生が野球部の顧問に就いた。過去に赴任した中学で、いずれも実績を残していた。Tさん(右打者)にカットを教えたのはその先生だ。
 ほかの選手がティーバッティングを打っているときでも、カット練習をさせていたのを思い出す。練習方法といえば、一塁側のファールゾーンに、ネットを置き、そのネットに向けてひたすら打つ。いや、打つというのは間違いで……、ちょこんちょこんとカットする。大げさにいえば、フェアゾーンに入れると、怒られる。
 カットするコツは、まずバット選び。芯の太いバットを短く持つ。次に構え。ヒットを打つことではなく、ボールに当てることが目的のため、当てればいい。そのため、構えは小さく。トップの位置も浅く、バットも寝かせ気味にする。あとはボールをよく見て、ファールを打てばいい。といっても、振り切らなくて良い。バットを途中で止めて、ボールに当てるだけで良い。そして、この作戦を実行するのはカウント2ストライクから。追い込まれるまでは、ひたすらウェイティングする。

 このカット作戦がどれだけ通用したか。これが驚くほどの力を発揮した。コントロールの悪い投手なら、まず間違いなく四球を選べる。しかも、Tさんは一番を打っているだけあり、チーム一の俊足の持ち主だった。四球で出て、盗塁。初回、いきなり無死二塁の形を作れることが多かった。

 こんなシーンもあった。
 相手チームのエースが抜群のコントロールを持っていて、2−0からひたすらストライクを投げてくる。Tさんはそれを苦もなく、カットする。10球以上は投げさせただろうか。相手チームの監督から、審判にクレームがついた。
「あれはカットじゃなくて、バントだろ!」
 言うまでもなく、2−0からバント失敗となれば、3バント失敗でアウトとなる。おぼろげな記憶では、審判はクレームを受け付けず、結局あきらめたエースが、わざと四球を出した。ゲーム開始直後の一番打者に、何十球を費やすのはバカらしいと思ったのだろう。それほど、カット作戦は、嫌らしいものだった。大川先生も、「対応に困った」と頭を悩ませたほどだ。
 
 カット作戦が頓挫(?)したのは、ある試合でのこと。
 2ストライクと追い込まれてから、いつものようにチョコンとカットしたら、突然「アウト!」と主審に宣告された。なぜ……、と思ったら、3バント失敗とみなされたのだ。多分、夏の県大会だったと思う。市大会の主審には通用したが、県大会では通用せず。おそらく、大会前の審判会議なので、要注意人物として、ブラックリストにあがっていたのではと勝手に思っている。

 ちなみに、大川先生もTさんのカット作戦に刺激を受け、「うちも、練習やらせたんですよ」とカット専用選手を作ったとのこと。だが、試合でやると、同じように「3バント失敗」を宣告された。それ以来、やめたという。
 大川先生曰く、「あの頃は裏テクニック全盛の時代でしたよね」
 まさしく、仰るとおり。裏テクニックというか、せこいテクニックの全盛だった。

 T先輩は、高校でも1番キャッチャーとしてレギュラーを掴み、強豪・横浜商大戦でHRを放ったこともある。あのとき、カット練習に費やした時間を、バッティング練習にあてていれば、もっと打てる選手になれたのかもと思うときもある……。
 なお、最近聞いた話では、体育大学卒業後、スポーツジムでインストラクターの仕事をし、いまはアメリカにいる。大リーグ2Aのチームで、コンディショニングコーチの見習いとして勉強の日々とのこと。中学時代のカットが、人生でどのように生かされたか(?)不明だが、頑張って欲しいです。



2003年06月24日(火) 名門・桐蔭学園中学野球部

 中学野球を代表する私学に、明徳義塾中(高知)、星稜中(石川)、東海大一中(静岡)が挙げられる。過去にいずれも全中優勝経験を持つ。ここに加わるのが、去年の全中でベスト4に進んだ修徳学園中(東京)。そして、不思議なことに、全中出場経験がまだ一度もない桐蔭学園中(神奈川)だ。
 桐蔭学園中は、毎年8月に横浜スタジアムで行われる全日本少年軟式野球大会で、2度の優勝経験がある。最近では3年前の全日本で、現在桐蔭学園高で活躍する平野貴志、栗原健、片岡優帆、岩本慧らを擁し、優勝を飾った。

 今年の桐蔭学園中は、昨秋の横浜市大会に続き、5月に行われた春季横浜市大会も制覇。開催地代表として、4度目の全日本出場をすでに決めている。
 4番を務めるのが、現在桐蔭学園高を率いる土屋恵三郎監督の息子、そしてショートを守るのが巨人・川相の息子。桐蔭学園中は過去には元巨人・鹿取の息子もプレーしていたことがある(ほかにも巨人選手のジュニアが結構いたらしい)。さすが?! 桐蔭学園中……。
 なお、今年の新入部員は約70名!! 全部員は150名前後になるらしい……。恐るべし。高校野球でもこれだけ多い部員数は、なかなかないのでは。
 
 で、なぜ、この桐蔭学園中が全中に一度も出ていないかというと、関東地区特有の規則があるからだ。中学野球の全国大会といえば、ともに8月に行われる全中と全日本のふたつがメイン。この2大会は開催時期がずれる時期もあれば、重なる時期もある。そして、予選の時期も重なる場合がある。そうなると、どちらかの予選を辞退しなくてはいけない。予選の決勝まで行って、「ハイ、辞めます」というわけにも、なかなかいかない……。
 そこで関東地区では、何年か前から、「全日本と全中の両方を出ることは禁止」という規則ができた。今回の桐蔭学園中のケースでいえば、既に全日本の出場権を得ているので、全中に出ることは不可能。しかも、神奈川の場合、全日本は春の成績で決まるため、夏の全中を狙える戦力を持っていても、全中は辞退しなければいけない。桐蔭学園中が過去に一度も全中に出ていないのは、その辺りの兼ね合いがある。

 なお、今年の桐蔭学園中は、7月から行われる夏の横浜市大会には参加が可能。市大会の上位6チームが、7月30日から始まる県大会(会場は平塚球場)の出場権を得るのだが、もし桐蔭学園中が上位6チームに入った場合は、ほかのチームに出場権を譲る形になる。これは、8月の全日本まで公式戦が組めないのは、チーム強化上望ましくないということで、横浜市が考慮したものである。

 桐蔭学園中を率いるのは大川和正先生。桐蔭学園高から早稲田大に進み、岩倉高でコーチを務めたあと、桐蔭学園中の野球部監督に就任した。今年で40歳過ぎになるが、とても「熱い」先生だ。なお、桐光学園高の野呂雅之監督とは、早稲田大時代の1年先輩(後輩?すいません記憶が定かでは…)。学校同士は、「蔭」と「光」であまり仲が良くないらしいが、お二人はそんなことは全く関係ないらしい。よく電話で話しているという。ちなみに、この「蔭」と「光」は、車で30分ほどの近さ……。
 
 私は現役時代、大川先生率いる桐蔭学園中と3度対戦したことがある。1度は夏の横浜市大会の準決勝。残りは練習試合だった。確か、3戦全敗だった記憶がある。とにかく、いや〜なチームだった。
 ベンチがうるさい! 選手もうるさい! 応援もうるさい!(この当時から部員が100名を超えており、ベンチ外の応援部員が80名近くいた)
 すべてにおいて、いや〜な「プレッシャー」をかけてくるチームだった。

 で、先日、取材で大川先生のもとへ。
 取材が終わったあと、「大川先生と対戦したことあるんですよ」と言うと、さすが野球部の先生! 抜群の記憶力で(野球部の先生って記憶力が良い気がします)、約10年前の試合結果・内容を細かく話し始めた。先生とその頃の話しをしているうちに、私も忘れていたことが蘇ってきた……。
「一番バッターに、カットばっかりする選手がいましたよね。もう、あの選手が嫌で嫌でしょうがなかったんですよ」と大川先生。
 そういえば、そんな選手(1年先輩)がいたなぁ……、と妙に懐かしくなった。

 カウント2−0から、ストライクのボールを、これでもかってくらいにカットとして(ファウルで逃げて)、挙句の果てに四球を選ぶ、「伝説の(?)カットマン」が私のチームにいたのです。。



2003年06月20日(金) 軟式出身者

 本日(6月20日)付の日刊スポーツに、イチローのコメントが掲載されている。

「軟式の方がシンに当てないと強い打球が飛ばないから、本当は難しい。高校(愛工大名電)に入って硬球で打った時、すごく簡単に感じましたからね。そういう意味でも、日本の軟式野球はいいものだと思います」

 イチローは愛知・豊山中時代まで軟式野球をやっていた。毎年8月、横浜スタジアムで行われる全日本少年軟式野球大会では3番エースで出場。ベスト4に進んでいる。

 東林中を卒業し、今年4月から神奈川の強豪私学に進んだ選手も、以前こんなことを言っていた。
「軟式で打てていれば、硬式ではもっと打てる。硬式は打てるから楽しいですよ」

 佐相先生もいう。
「軟式はボールが潰れるから、硬式よりもよっぽど打つのが難しい。だから、軟式で打てる技術を身につければ、硬式でも絶対に通用する」

 夏の予選が近づくと、逸材と呼ばれる新1年生の評判を聞くことが多くなる。その大多数が硬式出身者だ。シニア、ボーイズ、ポニー……。
 それに対し、軟式出身者はボールに慣れることが先決。出だしでは、どうしても硬式出身者に遅れてしまう。
 
 過去に甲子園出場経験のある指導者は、
「最初はやっぱり硬式出身者の方が使いやすい。でも、彼らは3年になったときにどれだけの選手になるのか、だいたい想像できる。それに比べて、軟式の選手は3年間の成長が読めない。私が考える以上に、伸びる場合が多い」

 間もなく始まる夏の地方大会。軟式あがりの1年生にとって、本格的に硬球に触れてわずか3ヶ月。焦らずじっくりと、最初の夏を迎えて欲しい……。

 ちなみに今年、軟式あがりの1年生の中で「No.1の逸材」と言われているのが、星稜中から遊学館に進んだ鈴木将光。1年生ながら、春の県大会では早くもクリーンアップを任されている。
 鈴木は中学2年、3年に全日本少年軟式野球大会に4番バッターとして出場。3年時にはベスト4に進んだ。
 毎年、3月に金沢で行われている交歓会で、鈴木率いる星稜中と対戦した東林中の主将は、「鈴木は化け物でした! 中学生離れどころか、人間離れしてました!」と話す。
 鈴木の夏デビューが楽しみだ。


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