(仮)日記
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2006年02月25日(土) ミュンヘン






見終わった後の感想は「地味だな」でした。
実際の事件を扱い、映像を使用し、話題性のある映画のはずなんですけれども。地味だと感じたのはこの映画をハリウッドもののひとつとして捉えていたからかもしれないが。そんなわけないことには見始めて最初に気づくんだが。
色味が薄いからだろうと思う。基本色は黒、茶色、灰色、くすんだベージュといったところ。全体的にスモッグに覆われて陽の光が余り差さない日中という感じがする。や、明るくても困るんだけどね。話の内容的にね。

どこまでが実際の映像なのかはあまり判然とはしなかった。画像が粗い部分やニュースの映像辺りがそうだろうとは思う。でも、映画のために新しく撮り直して加工していたとしても区別はつかない。
画面は薄暗く、血に塗れていて、銃の乱射する音が非常に耳につく。構えられているライフルがいつ火を噴くのかと少々ドキドキした。

結構そのまんま映像に出してますね。性行為後の男女の重なり具合とか、素っ裸の女性とか。よく脱いだなあと思ったのは私だけか。モザイクかかってませんから。
それが余計に生々しい。

主人公が時々夢や空想で、人質たちが殺される場面を見ているんだけれども、その夢が彼を更に意固地にさせていったのではないかと思えた。意固地というか、殺さなければならない、任務を遂行しなければならないと思いこんでいるというか。もっとも、仕事を終えなければ妻や娘のもとに帰れないのだから、彼が任務に忠実で在るのは仕様がないのかも。
けれど、だんだん思い詰めていく様が哀れで、こうまでして国に尽くさなければならないものなのだろうかと疑問に思う。その辺は、国民性の違い、宗教性の違いなど様々な事情があるんだろうけど。

主人公が隠れ家で鉢合わせたアリという青年が言った一言。
「祖国が全てだ」
怖い台詞だなあと。彼にとってはそれが全てで、祖国のためなら何をしてもいいと信じているから出てくる言葉だよね。だからテロを起こすし、祖国の邪魔になるから人も殺す。同一民族のためなら他民族は排除してもいいと心の底から信じている。

宗教というものは本当に恐ろしいものだ。盲目的に目の前のものだけを信仰する恐怖というのはたいていの日本人にはわかり難い感覚だろうと思うけど。国教というものがなく、世界のいろんなものが混ざり合っている国だから、クリスマスも祝えば大晦日に寺に行くし。神道も仏教も多神教だから、神様仏様も色々だし、信仰の仕方も様々だし。キリスト教も宗派が分かれているから細かいところで違いはあるんだけど、やっぱり違うよなあ。まあ、一本通った芯というものがあってもいいとは思うけど。でも、新興宗教みたいなのにはまってのめり込むってのは間違っているよな。信じちゃいけないとは言わない、何ものにも限度があるってこと。

人質を殺したテロリストたちを一人ずつ始末していく中で、自分たちも狙われるようになり、一人ずつ死んでいく。殺人に躊躇いを失くしていく途中、主人公は死んでいく仲間を見て、何を恐れたのだろう。
自分が殺されることなのか、妻子に会えなくなることなのか、家族に被害が及ぶことか。そのどれもだろうけれど、一番強かったのは生まれたばかりの娘の命かなあ。追い詰められた極限の中で、本当に妻や子供の安全を考えられた主人公は、これからも人の世界で生きていけるだろうと思う。罪の意識は消えないだろうけど。大切なものは何か、取り違えてはいないってことだから。

最後の最後で、主人公が復讐の意義を否定した。人を殺して、狙われて、漸く掴んだ答えなんだろう。彼はまだ平和で平等な場所で生きてきた過去があるからそう感じられたんだと思った。これがテロリスト側なら、殺し、殺し合う悪循環には眼を塞いだまま、荒んだ未来を作り出していくんじゃないかと感じたり。
民族間の抗争というのは根の深いものだから、現実問題、解決にはまだまだ多くの時間が要るだろうな。

アメリカ映画にしては珍しく音が少ないですよ。サントラが延々と流れ続けているようなものではありません。

銃撃戦がある割には地味。どうにも地味。地味な内容ではないはずなのに。
俳優さんたちも、よくよく見れば有名な映画にご出演されているんだけどねえ…。キャプテン・バルボッサに全く気付かなかった私。



結論。
譲り合いの精神は大事だよ(意味が違うと思う)





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