散々宣伝されていたのでまあ、言わずと知れた三島由紀夫原作「豊饒の海」第一部の映画化ですね。
泣けました。 かなり泣きました。後半はもう涙なしには観れないというか。(でも一緒にいた友人は平然としてましたけどね)
綺麗でした。 日本の美が静かにそこにあるという風で、強調もされず、だからといって薄いわけでもなく。奥ゆかしく慎ましやかにそこにある。カメラマンが日本人でなかったのがやっぱり良かったんじゃないかと思いました。行定監督の選択は正しかったんじゃないかと。(これが12月公開のSAYURIだとハリウッドハリウッドした日本の美になるんだろうなあと思う。春の雪はそんなんじゃない)
まあ、初っ端に崇徳院の和歌が出てきたのにはねえ(笑)原作がそうなんだろうし、この物語自体の主軸なんだろうから仕方ないんだろうけどね。
聡子と清顕の悲恋が淡々と画面に流れていくんだけど、引き込まれます。 二時間半もあるのよこの映画。なのに時間を気にすることはありませんでしたね。私は結構映画の鑑賞中に時計を確認するんですが。早かったです。もう終わりなの?って訊ねたくなるような。もう暫く二人を観ていてもいいような気になる。 後に引きます。映画館から出ながらまだ暫くは思い出して泣ける。私はね。
久々にあんなに泣いたなあと思う。映像が綺麗だから余計に悲しいのかもしれない。こんなに美しいのにこの二人は結ばれないんだっていうところが。
CMに観られる聡子が清顕に駆け寄る場面はなんともいえない。あの時点でのあの二人の気持ちが如実に表されているような。
原作はこの後三冊、清顕の親友の本多くんが清顕の生まれ変わりに出会っていくっていう話になるそうなんですが。私は原作は申し訳なくも未読なので詳しいことはよく判りませんけれど。 次に引かせずに春の雪単体できっちり終わらせているのがいい。夢日記は出てくるけどね。
特にツッコミどころがないので感想も短いな。
ああ、妻夫木がちょっとまだ台詞負けしてる感じはしたけど。前半の、清顕がまだ自分の気持ちを認めていないあたりがね。大仰な大正時代のお貴族様のお言葉遣いは喋りにくかったんじゃないかと(笑 清顕は複雑な子だからなあ。結局は好きな子に素直になれない子供なんだけどね。なのに執着心だけは人一倍強くて、自分のものにならないとわかってから聡子に執着しだす辺りがそうだよね。小さな子供みたいな感じがする。
それにしても、清顕のお父様は息子の気持ちになんとなく気付いていたっぽいのに、聡子のご両親は娘の想いにはさっぱりだったんだろうか。あれだけ見合い相手を断っていたら誰か他に想う人がいるんじゃないかと疑うと思うんだけどなあ。
結論。 聡子と清顕は生まれ変わっても再会は出来ないんだろうか。結ばれないんだろうか。それが知りたい。
窪塚洋介主演のあれです。復帰後第一作です。 試写会が当たったので観に行って来ました。
うーん、なんていうか……中途半端? 脚本が悪いのか、ミスキャストだったのか。全体的に中途半端な印象がつきまといましたね。だから窪塚の演技もなあ…。
鉄矢(窪塚)、ドン(エディソン=チャン)、エミ(黒木)の三人は幼馴染み。ドンは他人の頭の中が読めて、それを画に描いていたっていう。エミは心臓病ね。で、鉄矢は頭が良かったから医者になってエミの病気を治すために研修医なんだけど。 エミの家が山火事の被害にあって燃え、そのときに父親が焼死するのね。で、その火事の原因はドンが火をつけたからっていうことになってて、刑務所に入って七年後。突然ドンが刑務所を脱走するところから話は始まる。鉄矢とエミは恋人同士になっていて、ドンの脱獄の話を刑事から聞かされるんだけど。
初め、窪塚がドン役をやることになっていたらしいのね。呉川はそのまま窪塚はドンを演っていればよかったんじゃないかと思うんだよ。あれだよ、窪塚が演るならこの役でしょ、っていう役。結局、窪塚自身が鉄矢を演りたいと言ったから変更になったらしいんだけどさ。 この鉄矢がこれまた本当に魅力を感じない(窪塚言)男で。
多分ね、鉄矢はコンプレックスの塊な人だったんじゃないかと思う。ドンに対してね。 エミとドンと仲が良かったけど、鉄矢はエミが好きだったし、エミがドンのことを大切に思っているのもわかってたんだよね。エミがドンと付き合いたいとかそういう感情で想っていたわけじゃないのだろうと思うけど、あれは鉄矢でなくてもエミの気持ちを疑いたくなる。で、もともと鉄矢がドンに対して引け目を感じているから余計にドンを認められないんだろうなとは思ったんだけど。
ああ、エミが中途半端なのか。 鉄矢を選んだくせにドンのことを気に掛けすぎるから不安になったんだろうねえ。ドンが脱走する原因となったのがエミからの手紙なんだけど、そんなことを彼らが知るはずはなかった。 エミねえ……父親が焼け死んだのは、エミが部屋においてきたドンに貰った絵を取りに戻ると言ってきかないから代わりに父親が取りに行ったんだよ。それで逃げ遅れて焼け死んだというのは、つまりエミが父親の死の原因を作ったと思われるんだけどどうよ?エミと母親は怪我もなく無事なのさ。ということは、エミが絵のことを諦めていれば父親は家の中に戻らなかったから逃げ遅れることはなかったし、死ぬこともなかった。 けれど、エミはそのことに一言も触れないんだよ!劇中で。それってどうなの?せめて一言くらい、「私が絵を取りに戻ると言わなかったら」くらいあってもよかったんじゃないかと思うんだけど。それにも気付かず、エミは火事の原因を作り出したドンのことを人殺し呼ばわりするんだよね。 この脳内展開が私には納得がいかない。脚本を作る時点でこのことに引っ掛かりはひとつもなかったんだろうか。
そして、ドン。 ドンは台詞が全然ないの。まあそれは、中国の俳優さんだから日本語は少ない方がありがたいしね? 原作がどうなのかは知らないけど、あそこまで台詞がないというのは無口というにはちょっと無理がある。観ている限りでは、ドンは障害者なのかなと思うんだが。あれを思い出したね、山下清。知能障害持ちの画家。ドンも絵を描くしうまいし。でも知能が低いわけでもないようにも見えるんだよちゃんと。実は凄く頭がいいんじゃないかとか。でも行動は無鉄砲だからなんともいえない。己を律することの出来る人間だろうとは思う。
鉄矢のコンプレックス、エミの気持ちの行方、ドンの無口、が重なってお互いに何も確認しないまま時間だけが過ぎてしまった。みたいな話かなあ。いろいろと首を傾げたくなるところは多々あるんだけども。
山本太郎が凄いいい味出してました。ドンと仲良くなるちんぴら役なんですよ。なんてお似合いなんだろうか!(笑 岸田今日子も良かったです。日本画家役なんですよこの方。 ヒロイン黒木はね、動きがでかい。そう、黒木メイサは舞台女優なんでしょ?うん、舞台で演ってたらいいと思うよ。あの人は舞台映えのする役者なんじゃないのかな(と、フォロー) エディソンはサミー=ナセリに似てると思った。TAXIの彼ね。
あ、映画の冒頭に心臓手術のシーンがあります。最後の方でもあるんだけど、えぐい映像、血がダメな方は目でも閉じておいてください。
そう、その心臓の移植手術。 ドンの心臓を少年に移植していたけれども、あれはドン自身が言い出したことなのか、それともドンに血縁者がいないことを知った医者がドンはもう助からない事実を利用したのか。どちらにしろ少年は助かるけれども、その少年自体、火事で煙吸って意識がなかったはず。そういう状況で心臓の移植なんてやっても大丈夫なのかどうか。エミは止めなかったのか。 この辺が気になったんですが。
そういえば、クライマックスの山火事。 町の消防隊員さんたちは、どう見ても一般人のエミと鉄矢を避難させるとか考えなかったんでしょうか。そういう場合じゃなかったともいうが、せめてエミはさ。女性は邪魔でしょ?離れてもらったら良かったんじゃないかなーと思ったんだけど。 ああ、ドア開けたときのあれはバックドラフトだよね。さすがに本職じゃないからすぐに開けちゃったんだろうけど、あれまずいですよー。ていうか、問題はその後に建物の中に入ったときに、バックドラフト起こってたわりに内部があまり焼けてないことですよ。建物内部の物も整然と並んでるんですよ。あれはまずいでしょ。外から見る炎ほどには内部が燃えてないんですよ。違和感ありまくりだっつーの。
違和感といえば、心臓病のエミ。がんがん走り捲ってたんですが何か?二度ほど手術して少しはよくなってるのかもしれないけど、完治はしていない上にマンション前でちょっと走っただけで具合悪くしてる場面があったんですが……そのあたりには触れない方がいいんだろうか(笑
結局エミの家が燃えたときの山火事の原因を作り出したのは鉄矢の方なんだが、それもエミと二人だけの秘密ですか。
ところどころ、音響効果とか音楽とか、物凄い仁義なき戦いだったんですがどうなんですか。監督は深作健太ですよ故深作欣二監督の息子ですよ。バトルロワイアル親子ですが、どちらかというとあれは仁義の方だったと思う。 仁義ってた!仁義ってたよ!(特に山本太郎扮するちんぴらが堅気に戻った後に若い衆に襲われて血みどろになってるあたりが)
上映後に舞台挨拶があったんですが、深作監督は結構小さい方でした。 黒木メイサは美人でした。 窪塚洋介はかっこよかった。立ち姿がなんだか窪塚。面倒臭そうな印象だった。演技してないときはあんなもんなんじゃないのかなあの人(勝手な想像) 右端の席にいたけど、前から五列目だったので結構大きいサイズで見られました。
結論。 窪塚の次回作に期待。
美しい日本人の物語でした。
話は淡々と進んでいくんだよね。少年時代の文四郎とおふくが川で会う。お隣さんの幼馴染みで、お互い思い合ってるのに伝えられないまま文四郎の父に嫌疑が掛けられて切腹。反逆者の息子は長屋に追い遣られ、おふくは江戸の城に奉公に行く、と。 カメラのアングルは真っ直ぐ。正面から静かに彼らを見ている様子で、流れて行く映像も何の変哲もない日々の事柄を追っていくだけで。事件が起きるまでは、田舎の季節の移り変わりを描いていっていて、良い時代の日本だよなあとしみじみ思う。
とにかく大人になった文四郎(市川染五郎)の立ち居振る舞いが美しくてね〜。これを観るために行ったと言っても過言ではない(私の中では)。他にも、所作をじっくりと観察してまいりましたがね。畳の上を歩く際に縁を踏まないとか、襖の閉め方とか、剣術の稽古の時の木刀の動きとか。 極めつけは茶道。何流かは知りはせんが気になる。 ああそういえば、染五郎の着物姿での座り方とか、踵の返し方とか(カメラの位置を意識しての振り向き方?それは指示されてたのかな?) 何よりも抜刀だよ。最後の最後で見せたあの、里村の前の机の足を切るときのあの抜刀のスピード。どれだけ映像処理されているのかは知りませんがね…(それを言っちゃお終いなんだけど、でもさすがにある程度刀に慣れていないと大変だよ、ね…?)
っていうか!初めて見たよ私は、あんな初心な染五郎なんて!(笑) いや役どころがそういう役だからそうなんだけど。でもさ、見てて恥ずかしいんだよあの男。染五郎の実年齢を考えちゃいけないと思いながらも、きっと染五郎に演者が変わったばかりのあれはもしかしたら十代なんじゃないのか?女郎屋にも行けないんだよ。ふかわが意気揚々と歩いていったのはなんつーか、役柄ばかりじゃないような気がしたりするんだけどどうよ(笑)
にしても、そのときの今田の台詞はちょっとなー。「ところで」って、物凄い話の切り替わり方なんだけど!ほんとになんだよところでって!というツッコミを入れたいくらいに唐突だったんだけど、あれはどうにもならなかったんだろうか脚本…。あまりにも突然すぎてちょいと唖然としたよ。 おふくの話題に移りたかったんだよね、それはよくわかるんだけど。何せ文四郎とおふくの恋愛が主軸だからな。そのためにわざわざ与之助は江戸に行ってたんだしな。
そういえば文四郎の友人、調子が良いが友人思いの逸平(ふかわりょう)と、いじめられっこだが頭は良い与之助(今田耕司)の役は逆だと思っておりました。少年時代を見ているとね、そう勝手に予想しちゃって。そうか逆か。しかし何故にこの二人だったんだろう…。
ああ、田中要次が出ていたんだけど、素敵にちょい役だったな。彼はいつもこんな役どころ。麿さんには気付けなかった。コンタクトの調子がちょっと悪かったんだよなあ。勿体無いことをした。蛭子もどこに出てたのか知らないしな。
海を見ると、日本海だなと思えた。そしてきっとここは東北の方だ、と思ったんだけど訛りがないから…。あっても聞き取りづらいからあれなんだけど。
そうそう、映画の半分以上が少年時代なんだよね〜染五郎どころか、木村佳乃の出番は随分最後にちょっとだけでした。しかし!綺麗だったよ木村!白い着物と日本髪に結った頭が非常にお似合いで。でもね、子供を連れて逃げてるときにあの白い着物はないと思うよ。夜の闇にすっきりと浮かび上がる白。見つかる、見つかるよそれ!確かに画的に綺麗なんだけど!せめて色の濃い内掛けを着せてあげるとかさ、そういうことをしちゃいけなかったのか。画を考えると常識は矢張り二の次か(忍でも思ったけど)。
しかし、泣けたね。報われずに思い続けた文四郎とおふく。成人したら名前は変わらないのかとずっと思っていたんだが違うのか。 きっと初恋だったんじゃないのかなー。お隣さんだしね。何事も起こらなければ夫婦になれたんじゃないかと思うと、余計に運命の悪戯が悲しいね。お互いに別の人の子が出来て、想う人とは別の人のために生きていかなければならない。あの時代には当たり前のことだから、お家のために犠牲になるわけだよ。 慎ましやかに暮らしていく人間の性根の美しさ。今は汚いからな。どうしようもないくらいな。
結論。 公開初日初回、客の年齢層は確実に高め。家族連れ多し。二十代はざっと見たところ十人いなかったんじゃないのか。
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