加藤のメモ的日記
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2014年05月30日(金) サウダージ 1989年

あの日を旅する 1989年 4月11日〜4月27日

松下幸之助、死去 創業者亡き後の松下電器

1989年は終焉の年だった。1月に天皇崩御、昭和が終わった。2月に手塚治、6月には美空ひばりと戦後昭和を代表する各界の偉人が亡くなっている。4月27日は松下幸之助、死去。享年94.ほぼ一世紀を生きた我が国の経済を代表する偉人の生涯とは、何を意味したのだろう。

1894年(明治27年)、和歌山県の村に三男として生まれた。父は米相場に失敗し、下駄屋を営むなど商才なく、幸之助は尋常小学校を中退して、9歳で丁稚奉公に出る。火鉢屋から自転車店へ、路面電車に感動して”電気”に目覚める。16歳で大阪電燈(現・関西電力)に入社、社員時代に電球ソケットの改良版を考案した。1918年、28歳で松下電気器具製作所を創業。大阪の自宅で家族と友人の5人で立ち上げた小さな製作所が、やがて戦後日本を代表する大会社へと発展していく。松下幸之助は立志伝中の人物だ。貧しい境遇から努力とアイデアで、日本一の大金持ちになった。

松下といえば、ナショナルだ。1927年、商標使用開始。大正から昭和へ、日中戦争に突入して太平洋戦争勃発。我が国のナショナルな軍需産業を支えた松下電器は、敗戦によりGHQから制限会社に指定され、松下幸之助は戦争協力者として公職追放された。PHP研究所を設立し、peaceh(平和)とappiness(幸福)。彼の発明したソケットのごとく、二股の目標を掲げる。社会復帰して高度成長に乗り、長者番付で10回の全国1位。5000億円もの資産を築いた。現役引退したのは1973年、わが国の高度成長が頓挫したオイルショックの年だ。

♪明る〜いナショ〜ナ〜ル……のかってのCMソングが奏するように、松下の家電製品を揃えることが一般家庭に明るさをもたらし、わが国=ナショナルの成長につながる―という時代がたしかにあったのだ。が、松下幸之助が亡くなった昭和の終わりは、バブルの最盛期でもある。空虚な明るさに呑み込まれるごとく、ニッポン国民は豊かさの価値を見失った。松下電器は今や存在しない。パナソニック(=すべての音)という無国籍的な名称の会社に変貌した。明るいナショナル(国家)は消えて、ネトウヨなる薄暗い排外主義者らが跳梁跋扈している。



『週刊現代』5.3


2014年05月29日(木) 高血圧は気にしない

みんな騙されていた。健康診断と人間ドッグの不都合な真実。

血圧147でも健康。大きな反響を呼んだ新「健康基準値」を糸口に、医療の暗部と医者の本音を暴く。健康の数値に振り回されるのは、もう終わりにしよう。

新「健康基準値」を作った張本人を直撃。人間ドッグ学会理事長がついに告白。「高血圧なんて、本当は気にしなくていい」―だったら、降圧剤は必要ないのか?

無理に下げるとボケる

例えば血圧が130を超えたらすぐに「お薬を飲みましょう」と言う医者ない医者とは思えませんね。吉田茂元首相は、終戦直後に、マッカーサー元帥と交渉していた頃、血圧が300を超えることがあったそうです。高すぎて、普通の水銀血圧計では測れなかった。アメリカやソ連との駆け引きでいつも気を張っていたからでしょう。しかし、「バカヤロー解散」で総理を退いた途端、一気に150まで下がったそうです。

私も足利赤十字病院の院長だった頃はいつも血圧が180前後で、心配事があると200を超えることもありました。でも、院長を辞めてからかなり良くなった。83歳になった今でも、ピンピンしていますよ。医学界では病気の基準値を設けて、病気の健康の境界線を引いたつもりでいます。しかし、それがすべてではないと思うのです。

何か事情があるかもしれないので、血圧が高いからといってすぐに薬を飲ませるのではなく、様子を見たほうがいいこともある。昔は、場合によっては乳糖などでできた「偽薬」を出すこともありました。偽薬を「血圧の薬ですよ」といって飲ませると「ああ、よかった」と安心して血圧が下がる人もいるんです。今そんなことをしたら、とんでもない騒動になりますがね。

それくらい、血圧というものは精神的なものに左右されるのです。確かに以前は、高血圧はこわかったですよ。我々が医者になった60年前は、日本人には脳出血が非常に多かった。ところが、今では栄養状態が良くなって血管が丈夫になり、血圧が上がってもそう簡単に血管は破れなくなった。むしろ血圧が下がった時の方が危ないこともあるのです。

ビルが古くなって水道管の中にゴミが付いたらポンプの圧力を上げないと水が循環しなくなる。血圧もこれと同じで歳をとって血管が詰まりやすくなれば自然と上がる。とくに人間は、脳が心臓よりも高いので、脳に血液がいかなくなると深刻ですよ。駆け出しの医者が「血圧が高い、大変だ」ということでおじいさんにたくさん降圧剤を出すと、脳に血がまわらず、あっという間にホケてしまう。人間の脳に特有の前頭葉は、感情の制御を司っていますから、前頭葉が衰えてしまうと、若い頃は真面目だった人でも自制が効かなくなり、例えばすぐ女性の体を触るようになる、といったことがあります。下手に薬で血圧を下げようとすると、そうした弊害が出てくるわけです。

だから、数値にはこだわらない方がいい。本当に大事なのは、医者が経験を積むことです。血圧が高くても健康な人はいる。上司に怒られたんじゃないかとか、悩みごとがあるんじゃないかとか、医者はそういったところまで目を向けなければなりません。それなりに経験のある医者なら、よく患者さんと話をして、誤解を受けないようにしながら、時には様子を見るということも実践すべきです。

「この数値を超えたら薬を出さなきゃけない」と思っている医者はまだまだ駆け出しですよ。とはいえ、私も現場にいた頃は1日100人以上の患者を診るのに精一杯でしたから、現実的には難しいのかもしれません。だからこそ、基準値や薬に頼る医者が増えるんでしょうね。


『週刊現代』5.24


2014年05月28日(水) アースダイバー

特異な聖所 明治神宮

どの古い都市にも、中心部には聖書がある。たいていは人口の建築物で、その壮麗さで人を圧倒する。建物の内部に入ると、がらんとした空洞になっていることが多い。外の世界で幅を利かせている有用性や実利性の考えは、この空洞の中では否定されている。高い丸天井は天空へと通じているようで、人の計らいを越えた神の世界から「無」の光が注がれているように感じる。東京の中心部にある明治神宮は、このような世界の聖所の中でも、特異な性質を持っている。そこにも確かに神社の建物は建てらて手いる。しかし、神道の伝統的な思考に従って、あくまでも建築物は従で、主は建物を取り囲み、包み込んでいる森の方にある。

この森はこれまで見てきたように、科学的知識の最先端を注ぎ込んだ「人口の原生林」である。人口ではあるが、建築の場合と違って、自然に内蔵されている地球的な「知性」という、人間の知性とは異なる働きの合作でできている。世俗的世界を動かしている経済や権力は、ここには入り込めない。妄想も意味も入ってはこない。その意味で、ここは聖所の条件を備えている。だが、ほかの多くの聖所と違って、たんなる無の空間ではない・そこには、溢れかえるような緑が重鎮されている。

吹上御苑の奇跡

ところで東京にはもう一つの素晴らしい夢の森があることを、忘れてはならない。皇居の内部にある「吹上御苑」のことである。吹上御苑は、昭和天皇と香淳皇后のお住まいだった吹上大宮御所の西半分を占めるほどに広大な森で、ほとんど「原生林」の趣を持っている。興味深いことに、この森も明治神宮と同じような人口の原生林であり、それを作った造園家の名前もわかっている。昭和天皇その人である。吹上御苑の造園理念は造園理念は、自然に内蔵されている地球的な知性の動きにすっかりまかせっきりというのが、こ湖での基本思想となっている。

雑草というものはない

吹上御苑の植生の豊かさには驚くべきものがある。常緑と落葉の広葉樹を中心とする巨木が群れ、「雑草というものはない」とおっしゃられた昭和天皇にふさわしく、地面には珍しいものも珍しくないものも取り混ぜて、夥しい種類の草木が繁栄している。そうした植物の多くは、昭和天皇ご自身によって、ここに運び込まれている。戦後繁雑に行なわれた地方巡幸の折々、どこそこの木が切られる予定になっているという噂を耳にされると、わざわざ手配して伐採を中止してもらい、根をこいで吹上御苑に運び込んで、森の新しい仲間とした。そのおかげで、今ではこの森は植物学にとっても貴重な宝庫となっている。

明治神宮の森と吹上御苑の森は、まったく同じ思想によって立っている。外の世界の影響が及んで来ない自由な空間を確保して、そこで自然の知性をのびのびと活動させ、人口と自然の一緒に混ぜ合わさったハイブリッドな空間を作るのだ。東京の中心部には、二つの大きな緑の穴があいている。その穴からは、冷気やフィトンチッドばかりでなく、根源的な自由の感覚が吐き出されている。力ではない。これらの森から放たれているのは、経済からの自由、力からの自由の感覚なのである。



『週刊現代』5.3 中沢新一


2014年05月26日(月) 大谷 投打に絶好調

日ハム・大谷のデカすぎる「目標」

投げては4勝1敗、防御率2.63.打っては打率・390(5月15日現在)日本ハム・大谷翔平(19歳)が完全に覚醒した。「『二刀流』にこだわった昨季と違い、今季はいわば『1+1刀流』の起用。投手と打者をきっちり分けて出場しています。これが投打両面で功を奏している。この調子でいけば、タイトル争いも夢ではありません」(日ハムOBの岩本氏)そんな絶好調の大谷が掲げる、今季の目標とは…。

「投手として15勝、防御率2.50.打者では打率・330、10本塁打。この成績が目標です。とんでもない数字ですよ。もしプロ2年目で達成したとなれば、間違いなく球史に残る伝説になります。(スポーツ紙日ハム担当デスク)5月13日の西武戦では、強風の中プロ初完封を達成した。目標を知る関係者たちは、「もしかしたら本当に……」と期待に胸を膨らませました。しかし、本当のサプライズは、その翌日に待っていた。大谷がとんでもないことを言い出したのだ。

「『僕、メジャーでも4番でピッチャーをやりたい』と言い出したんです。これを耳にした首脳陣はさすがにブッたまげていましたね」(前出のデスク)二刀流として育てることを約束し、大谷を獲得した日ハムだが、この大谷のデカすぎる夢を聞き、実は少し困っているのだという。「二刀流で活躍してくれるのは、もちろん嬉しいことなのですが……。実は来期からは投手に専念させたいというのが、球団の本音なんです」(日ハム球団関係者)

野球界には「強打者の代わりはいるが、エースの代わりはいない」という言葉がある。日ハムは今季、吉川が不調で離脱し、エース不在の状態。先発陣の層も薄い。チームとしては大谷に絶対的なエースとして君臨してもらうことが、一番の望みなのだ。「しかし『二刀流を続けます』と宣言されてしまったことで、それも難しくなった。契約時の条件で、球団から二刀流をやめさせることはできないのです」(前出の関係者)大谷が投打両面で結果を残すほど、首脳陣の胸中は複雑になっていくようだ。



『週刊現代』5.26


2014年05月25日(日) 沈黙 ��

司祭は司祭で壁板に頭を強く押し付けたまま、老人の告白をぼんやり聞いた。老人が何もいわなくても、その夜がどんなに真っ暗だったかは、もう、知り過ぎるほど知っている。それよりも彼はフェレイラの誘惑を―自分と同じようにこの闇の中に閉じ込められたことを強調して共感をひこうとするフェレイラの誘惑に負けてはならなかった。「わしもあの声を聞いた。穴吊りにされた人間たちの呻き声をな」その言葉が終ると再び鼾のような声が高く低く耳に伝わってきた。いやもうそれはいびきのような声ではなく、穴に逆さに吊りにつられた者たちの力尽きた息たえだえの呻き声だということが、司祭にも今ははっきりとわかった。

自分がこの闇の中でしゃがんでいる間、誰かが鼻と口から血を流しながら呻いていた。自分はそれに気がつきもせず、祈りもせず、笑っていたのである。そう想うと司祭の頭はもう何が何だか分からなくなった。自分はあの声を滑稽だと思って声を出して笑いさえした。自分だけがこの夜あの人と同じように苦しんでいるのだと傲慢にも信じていた。だが自分よりももっとあの人のために苦痛を受けている者がすぐそばにいたのである。どうしてこんな馬鹿なことが頭の中で、自分ではない別の声が呟き続けている。それでもお前は司祭か。他人の苦しみを引き受ける司祭か。主よ。なぜこの瞬間まであなたは私をからかわれるのですかと彼は叫びたかった。

「讃えよ、主を、わしはその文字を壁に彫ったはずだ」とフェレイラは繰り返していた。「その文字が見当たらぬか、探してくれ」「知っている」怒りにかれれて司祭は初めて叫んだ。「黙っていなさい。あなたはその言葉を言う資格はない」「権利はない。確かに権利はない。私はあの声を一晩耳にしながら、もう主を讃えることができなくなった。私が転んだのは、穴に吊られたからではない。三日間……この私は、汚物を詰め込んだ穴に中で逆さになり、しかし一言も神を裏切る言葉を言わなかったぞ」フェレイラはまるで吠えるような叫び声をあげた。「わしが転んだのはな、いいか、聞きなさい。そのあとでここに入れられ耳にしたあの声に、神が何ひとつなさらなかったからだ。わしは必至で神に祈ったが、神は何もしなかったからだ」

「黙りなさい」「ではお前は祈るがいい。あの信徒たちは今、お前などが知らぬ耐えがたい苦痛を味わっているのだ。昨日から。さっきも。今、この時も。なぜ彼らがあそこまで苦しまねばならぬのか。それなのにお前は何もしてやれぬ。神の何もせぬではないか」司祭は狂ったように首を振り、両耳に指を入れた。しかしフェレイラの声、信徒の呻き声はその耳から容赦なく伝わってきた。よしてくれ。よしてくれ。主よ、あなたは今こそ沈黙を破るべきだ。もう黙っていては行けぬ。あなたが正であり、善きものであり、愛の存在であることを証明し、あなたが厳としていることを、この地上と人間たちに明示するためにも何かを言わねばいけない」

マストをかすめる鳥の翼のように大きな影が心を通り過ぎた。鳥の翼は今いくつかの思い出を、信徒たちのさまざまな死を運んできた。あのときも神は黙っていた。霧雨の降る海でも沈黙していた。日の真っ直ぐに照る庭で片眼の男が殺された時も物言わなかった。しかしそのとき、自分はまだ我慢することができた。我慢するというよりこの恐ろしい疑問をできるだけ遠くに押しやって直視しまいとした。けれども今はもう別だ。この呻き声は今、なぜ、あなたがいつも黙っているかと訴えている。「この中庭では今」フェレイラは悲しそうに呟いた。「かわいそうな百姓が3人ぶら下げられている。いずれもお前がここにきてから吊られたのだが」

老人は嘘を言っているのではなかった。耳を澄ますと一つのように聞こえたあの呻き声が突然、別々なものになった。一つの声があるいは高くなり、低くなるのではなく、低い声と高い声は入り乱れて入るが別の方向から流れてきた。「わしがここで送った夜は5人が穴吊りにされておった。五つの声が風邪の中でもつれあって耳に届いてくる。役人はこう言った。お前が転べばあの者たちはすぐ穴から引き上げ、縄もとき、薬もつけようとな。わしは答えた。あの人たちはなぜ転ばぬのかと。役人は笑って教えてくれた。彼らはもう幾度も転ぶと申した。だがお前が転ばぬ限りあの百姓たちを助けるわけにはいかぬと」

「あなたは」司祭は泣くような声でい言った。「祈るべきだったのに」「祈ったとも。わしは祈り続けた。だが、祈りもあの男たちの苦痛を和らげはしまい。あの男たちの耳のうしろには小さな穴が開けられている。その穴と鼻と口から血が少しづつ流れだしてくる。その苦しみをわしは自分の体で味わったから知っておる。祈りはその苦しみを和らげはしない」司祭は覚えていた。西勝寺で始めて会ったフェレイラの耳のうしろにひきつったた火傷の痕のような傷口があったことをはっきり覚えていた。その傷口の褐色の色まで今。まぶたの裏に甦ってきた。その映像を追い払うように、彼は壁に頭を打ち続けた。


(踏むがいい。お前の足は今、痛いだろう。今日まで私の顔を踏んだ人間たちと同じように痛むだろう。だがその足の痛さだけでもう充分だ。私はお前たちのその痛さと苦しみをわがちあう。そのために私はいるのだから)「主よ。あなたがいつも沈黙していられるのを恨んでいました」「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのに」「しかし、あなたはユダに去れとおっしゃった。去って、なすことをなせと言われた。ユダはどうなるのですか」「私はそういわなかった。今、お前に踏み絵を踏むがいいといっているようにユダにもなすがいいといったのだ。お前の足が痛むようにユダの心も痛んだのだから」そのとき彼は踏み絵に血と埃でよごれた足をおろした5本の足首は愛する者の顔の真上を覆った。この烈しい悦びと感情をキチジローに説明することはできなかった。



『沈黙』遠藤周作


2014年05月24日(土) インフルエンザは熊本だけでは終わらない

今回、熊本に侵入した鳥インフルエンザウィルスは、極めて毒性の強い『N5
N8』亜型。日本初上陸です。韓国で大流行していることから、韓国経由で野鳥が運んできたのではないかと見られています。ヒトへの感染例はまだありませんが、感染した鶏と濃厚な接触を持った場合、体内で変異して新型になる可能性がある。そうなると、ヒトからヒトへの感染が爆発的に増えるという、一番恐ろしい事態が起こりかねない。

一羽でも出ればアウト

頼むからこのまま沈静化してくれ―いま、熊本のみならず、隣県の宮崎や鹿児島の養鶏業者たちは祈るような気持ちで推移を見守っている。だが、現状は厳しいと言わざるを得ない。それは本州、さらには首都圏に住む人間にとっても他人事ではない。アジアや中東から飛んでくる野鳥が鳥インフルエンザウィルスを保有していることは知っています。ですが、それがいつ、どこから入ってきたのかがわからない。カモなのかタカなののか。ネズミが媒介したのか、野鳥の糞にたかったハエが鶏舎にウィルすを運んだのか。根本的なことは何もわかっていない」(B氏)

敵が見えない以上、戦いは終わらない。そして、大量に飼っている鳥のうち、一羽でも鳥インフルエンザにかかれば、その時点でアウト。それゆえ、現場周辺は大きな不安に包まれているのである。3年前、鳥インフルエンザ襲来を警告した鹿児島大学名誉教授の岡本氏が解説する。「去年の春先から夏にかけてアジアで大流行し、多数の死者が出ていたので日本に入ってくるのではと危惧していました。『H5N8』ということは、年末あたりに韓国から入ってきたのではないでしょうか」

熊本の山中で力尽きた渡り鳥の死骸を、ネズミのような肉食の小動物が食べる。そして、この小動物がウィルスを媒介するのだが、渡り鳥と違い、小動物の鶏舎への侵入を防ぐことは、ほぼ不可能だ。歯がゆいのは、発生源であるアジア諸国に手が出せないということ。前出・池田氏は現状をこう表現している。「ガスの元栓は日本にはない」鳥インフルエンザに感染した鶏を素早く発見して、即座に処分するという対症療法しか、日本は取りようがない。この恐怖の病を、根治することを私たちは持っていないのだ。

今回鶏舎が密集していない山中が舞台となったことは、偶然にすぎない。これが密集地で起きたら……。今回のパニックが。熊本だけで終わる根拠は何一つないのである。



『週刊現代』5.3


2014年05月23日(金) 頭のいい人

例えば学生時代。「彼は本当に頭がいい」というとき、これは単に試験の点数がいいということを意味する。頭の良さとは試験の点数。つまり偏差値のことを指す。クイズ番組で「凄い!」「そんなことまで知っているのかと視聴者は舌を巻くとともに、その実「そんなことを知ってて、いったい何の役に立つの?」とある種、余裕を浮かべて眺めている。重箱の隅をつついた問題を、ほとんど条件反射のように回答する。これも確かに「頭がいい」と表現するけれども、それは極めて特殊な頭の良さだ。

社会で役に立つ頭の良さ、つまり「使える頭」という観点からするとっまったくもって当てにならないものである。実社会において「頭がいい」という場合、それは「使える脳」でなければならない。「使える脳」とは、物事の本質を見抜く頭脳である。ただ、見抜くだけではない。どう対応策をとるか、そのメニューを複数提案する。プライオリティをつけ、実際に行動に移すとこまでいって、初めて「使える脳」といえるのだ。

一流大学を出て官庁に入る。統計やデータを駆使して日本の近未来の経済を予測する。確かに学校での成績も公務員試験も高得点をっとってきたのだろうが、彼らがはじき出した見通しはここ数年ことごとく外れている。官庁だけではない。民間も同様である。銀行、証券会社の調査部やシンクタンクは世にいう一流大学、しかも成績のいい人たちの業界だ。しかし、彼らが束になってかかってもバブル崩壊は予測できなかった。

ところがここに、高等教育など受けたこともない一人の老人がいる。彼は実社会の中で切った張ったの修羅場を潜り抜けてきた相場師である。その彼がバブル崩壊直前に、それまでの戦利品である不動産と株式をすべて売り払ってしまった。理由は二つ。「こんな浮かれた経済が続くわけはない」「わしの経験の中では説明できない世の中(経済)になってしまった」彼は自分がわかる範囲内で動いていた。いわば、自分の領分を知っていたといってもいい。

そして、どうも経済がおかしい、自分の理解の範疇を超えている。日本の経済は実像よりも虚像が独り歩きしているのではないか。それがバブルだったのである。今となっては誰でもいえる。しかし、バブルの真っ盛り。「日経平均株価が4万円にも届くのではないか」と浮かれていた時に、もう手仕舞いだと踏ん切れた人間がどれだけいただろうか。現代は、自分の金で博打を打ったことのない人間が、データとコンピューター、教科書の中の経済知識で乗り切れる時代ではなかったのである。

いま非難の的になっている産、官、学の状況をみると、かって優秀といわれた人達が指導、運営している集団である。一様に閉塞状況を迎えている事実をみると、彼らは「頭がいい」のではなく、本当は「頭が悪かった」のだと気づくのは、私一人ではないだろう。何でもわかるし、知っている。だから、何でもできる人……とはいえない。

もちろん、超一流進学校から超一流大学、超一流官庁、そして幾多の天下り。これで「人生勝利の方程式」に乗ったと思ったら大間違い。時代錯誤も甚だしい。現象だけにとらわれていると、その裏側に隠されている本質に気づかない。本質を浮き彫りいして叩かなければ、問題は処理できない。「使える脳」とは本質を見抜く力があるかどうかということである。


『頭のいい人』中島孝志


2014年05月21日(水) 沈黙 ��

1635年に、ローまでルビノ神父を中心として4人の司祭たちが集まった。この人たちはフェレイラの棄教という教会の不名誉を雪辱するために、どんなことがあっても迫害下の日本にたどり着き、潜伏布教を行なう計画を立てた司祭たちであった。この一見、無謀な場な企ては最初は司祭当局の賛意を得なかった。彼らの熱意や布教精神はわかっても、これ以上、危険極まる異教徒の国に司祭たちを送り込むことは上司として直ちに許すべきことではない。しかし聖フランシスコ・ザビエル以来、東洋で最も良き種のまかれた日本で、統率者を失い、次第に挫けだしている信徒たちを見捨てることも一方ではできない。

のみならず当時ヨーロッパ人の目から見れば世界の果てともいうべき小国でフェレイラが転宗させられたという事実は、単なる一個人の挫折ではなく、ヨーロッパ全体の信仰と思想の屈辱的な敗北のように彼らには思われた。こういう体験が価値を占めて、幾多の曲折を経たのちルビノ神父と4人の司祭の渡航は許可された。このほかポルトガルでも、この一団とは別な理由から3人の若い司祭が同じような日本潜伏を企てていた。彼らはカムボリードの古い修道院で、かって神学生の教育にあたったフェレイラ氏の学生だった人たちである。

ロドリゴらの3人には、自分たちの恩師だったフェレイラが華々しい殉教を遂げたのならば兎も角、異教徒の前に犬のように屈服したとはどうしても信じられなかった。そしてこの若い彼らの気持ちはとりもなおさずポルトガル聖職者の共通した感情でもあった。3人は日本に渡り、ことの真相をこの目で突き止めようと考えたのである。ここでも上司はイタリアにおけると同様、最初は首を縦には振らなかったがやがてその熱情に負け、ついに日本への危険な布教を認めることにした。これは16937年のことである。

3人の若い司祭たちはただちに長途の旅行の準備に取りかかった。当時ポルトガルの宣教師が東洋に行くためには、まずリスボンからインドに向かうインド艦隊に同乗するのが普通であった。当時インド艦隊の出発はリスボンを賑わせる最大の行事の一つだった。今では文字通り地の果てと思われた東洋の、しかも最端にある日本が、今、3人には鮮やかな形を帯びて浮かび上がった。地図をひもとくとき、アメリカの向こうにポルトガル領の本インドがあり、その先々の島とアジアの国々が散らばっている。そして日本はまるで幼虫のような形をして、その東端に小さく描かれている。

そこまでたどり着くには、まずインドのゴアにたどり着き。その後さらに長期の歳月にわたり多くの海を渡っていかねばならないのである。なぜなら聖フランシスコ・ザビエル以来、ゴアは、東洋布教の足がかりともいうべき町だったからである。二つの聖ボウロ神学院は東洋の各地から留学してきた神学生と共に、布教を志すヨーロッパの司祭が各国の事情を知り、それぞれの国に向かう便船を半年も一年も待つ場所であった。

3人はまた手を尽くして彼らが知り得る限りの日本の状況について調べた。幸いこの点についてはルイス・フロイス以来、数多くのポルトガル宣教師たちが日本から情報を送ってきていた。それによると新しい三代将軍家光は、彼の祖父や父以上に過酷な弾圧政策を布いているということだった。とくに長崎では1629年以来、タケナカ・ウネメとよぶ奉行が暴虐非道、人間にあるまじき拷問を囚人たちに加え、熱湯のたぎる温泉に囚人たちを漬けて、棄教と転宗を迫り、その犠牲者の数は日に6,70人をくだらぬ時もあるという話だった。この報告はフェレイラ師自身も本国にもたらしているから確実に違いない。いずれにしろ、自分たちが長い辛苦の旅を続けた後にたどり着く運命は旅以上に過酷なものであることを彼らは初めから覚悟しなければならなかった。


『沈黙』遠藤周作


2014年05月19日(月) 安倍総理のホンネ

日経平均株価が400円以上も下落した4月11日の昼時のこと。安倍総理は、げっそりした様子で周囲にこう話したという。「ウナギでも食って、精をつけなきゃなあ」安倍総理は早速、永田町の自民党本部横にあるウナギ料理店「伊豆栄」に向かった。この店は場所柄、代々の自民党議員らの行きつけの店で、リニューアルオープンしたばかり。総理のお相伴にあずかったのは、側近を自認する蓬田・自民党総裁特別補佐官と柴田代議士だった。

「安倍総理は、このところ株価が頭打ちになっていて、下手をすればどんどん下がってしまう雰囲気であることに気を揉んでいる。これではアベノミクス失敗ということになりますし、支持率が下がって、悲願の憲法改正など夢のまた夢になってしまう」(官邸関係者)その場で総理は、歯に衣を着せない発言で物議を醸すことが多い萩生田氏に対し、舌禍を起こさないように注意したという。

「表向き、大した話はしなかったことになっていますが、実際には、ウクライナ紛争などが総理にとっては大誤算で、株価が下がり北方領土問題が棚上げになってしまったことに、総理は頭を悩ませていたそうです。ゴールデンウィークは心身ともに休養すべきなのですが、明恵夫人を伴って外遊の予定も入っている。明恵さんは外遊中、機内でもずっと飲食していて、総理は毎度辟易しています。『彼女が一緒だと気が休まらない』というのが総理の愚痴で、周囲も心配しています。(自民党中堅代議士)

実際この日の夜、総理は都内ホテルの「桜を見る会懇親会」に出席した後、明恵夫人と夫婦水いらずで夕食をとった……はずが、わずが1時間で帰宅している。「明恵と一緒は疲れる」というのは、確かに本音なのかもしれない。「総理は常々『教科書に載る仕事をしたい』と言っています。それが憲法改正なのですが、消費税増税によって景気が悪化し始めて、政権基盤が危うくなってきている。ウナギぐらいで精気が戻るような状況ではない」(自民党ベテラン代議士)仕事も家庭も問題だらけの総理大臣の体力が、どこまでもつものか。



『週刊現代』5.3


2014年05月18日(日) 中国と韓国と日本

「中国と韓国と日本」世界の人達が好きなのはこの国だった

中韓両国は、世界中で日本の右傾化を非難している。だが実際、世界の人達はこの3国にどんなイメージを持っているのか。25カ国100人以上の声を拾ってわかった「驚くべき結果」とは……。

最近の韓国政府による反日工作は目に余るものがある。米国の州議会で、日本海と東海を併記させようとしたり、慰安婦像を建立して日本の軍国主義的イメージを植え付けようとしたり、常軌を逸した反日外交戦略を繰り広げてきた。一方、中国による日本叩きも負けず劣らずだ。3月末、ドイツを訪問した習近平は「第二次世界大戦中に、日本軍が南京で30万人以上の中国人を虐殺した」という説を持ち出して、暗に日本とナチスを重ね合わせるなど、積極的な反日工作を行なった。

こうした中国・韓国の反日キャンパーンに対し、日本でも嫌中・嫌韓の声が喧しいが、はたして世界に目を向けたとき、中国と韓国と日本はそれぞれどんな国に映っているのだろうか。そこで本紙は、この3国を除く世界25カ国の103人に、中国・韓国・日本に対するイメージ調査を行なった。アンケートの結果は驚くべきものだった。

「日中韓3カ国の中で、最もイメージの良い国は?」という質問に対して、日本と答えた人の数が9割を超えたのだ。一方で「悪いイメージの国」という設問では、中国を挙げた人が圧倒的だった。この結果をみれば、中国人や韓国人を除く世界の大半の人々は、日本という国や日本人に対して好意的なイメージを抱いていることは明らかだろう。「日本人は働き者で、非常に礼儀正しいというイメージです。和紙や陶磁器などの素晴らしい伝統工芸と、コンピュータなどのハイテク技術の両方を持ち合わせた国というのは、世界中を見渡してもなかなかありません」(ドビーさん、35歳、デザイナー、米国人男性)

このように日本に対し「伝統と先端技術が融合した国」というイメージを抱いている人は多い。「日本人に直接会ったことはありませんが、トヨタにホンダ、ヤマハにコマツ……。日本企業には、もっとアフリカに投資して進出してほしいですね」(ジュリアスさん、37歳、エンジニア、ケニア人男性)日本に対して抱くイメージは、トヨタなどの日本製品へのイメージとそのまま重なっていることがよくわかる。フランスの印象派の画家たちが、浮世絵の影響を受けたように、日本とフランスの文化は親和性が高いのです」(ジャックさん、53歳、教師、フランス人男性)折り紙の繊細さと、空手のような武道のワイルドさが同居している国(ステファさん、27歳、イタリア人女性)

存在感が薄く、関心がない

一方、中国の近隣諸国では、実際に様々なトラブルを抱えているだけに反発も大きい。「1962年に中国軍がインドに侵攻した中印紛争以来、インド人は中国人のことを信用していません。あの国で評価できるのは、中華料理くらいですよ」(サンチさん、62歳、公務員)「ウラジオストックの農場には、中国資本が入ってきています。ロシア人は皆、中国人が嫌いですが、カネ払いがいいので、仕方なく彼らの農場で働いているのです」(セルゲイさん、50歳、ロシア人男性)

中国資本の進出が著しいアフリカにおいても、中国の評判は散々だ。「中国はセネガルの森林に目をつけて、次々と買収しています。彼らは中国から人を連れてくるので、仕事を奪うばかりで、セネガルは経済的な恩恵を受けられません。歴史も豊かな文化もあるけど、経済政策は下劣で、ビジネスマナーも最悪だと思います」(アブドゥライさん、48歳、建設業「中国製品は本当に質が悪い。持っているだけで恥ずかしいので、できるだけ買わないようにしています」(コフィさん、36歳、カーナ人男性)

中国は急激な経済成長と、強引な外交戦略で存在感を増しつつあるが、その分、比較にならないほど大きい軋轢を生んでいるようだ。サムスンや現代(ヒュンダイ)自動車などの工業製品が世界進出を果たしつつある韓国だが、この国はびっくりするくらい存在感が薄い。「エジプトにも現代の自動車はたくさん走っています。でもトヨタの方が品質もいいし、好きです」(アナさん、29歳、学生)「一番イメージの悪い国は韓国です。印象がない。キムチ以外に何も知らない」(マリアさん、ブラジル人女性、39歳)

日本企業の欧州進出を支援するコンサルティング会社・アリフェリス代表の佐藤氏は語る。「テレビや車などの製品がそのまま国イメージに直結するのはよくあることです。身近なところに韓国製品は溢れているものの、高品質だが価格も高く手に入りにくい日本製品の代用品として考えられているので、韓国にイメージはあくまで日本の二番煎じというもの。一言でいえば影が薄いのです」

中国と韓国は対日批判において手を組んで、日本のイメージに泥を塗ることに躍起になっている。だが、日本がこのような戦略にいちいち目クジラを立てる必要はない。「世界の嫌われ者」と「影の薄い国」が何を企んでいたとしても、余裕を持った態度で平然としていればいい、日本は世界中で愛されている人気者なのだから。


『週刊現代』4.26


2014年05月16日(金) 田中角栄を語ろう

金権政治の権化とも呼ばれ、逮捕もされた。それでも親父のあの笑顔が忘れられないもうこんな人は二度と出てこないかもしれない。人なつっこい笑顔と清濁併せのむ器の大きさに、誰もが魅了された。昭和を駆け抜けた大政治家の姿が今蘇る。


■オヤジのことを「邪気愛すべき人間」だと評した女性詩人がいたけれども、もうその答えに尽きます。子供以上に子供。人間大好き、人間ですね。

●私はオヤジの演説を二十数年聞き続けたけれど、オヤジの演説はおもしろかったし、心にずしんと来る。例えば1962年にはじめて大蔵大臣に就任したとき、官僚たちを前にした演説が心に残っています。「私が田中角栄だ。小学校高等科卒業である。諸君は日本中の秀才代表であり、財政金融の専門家ぞろいだ。かくいう小生は素人だが、トゲのある門松は、諸君よりはいささか多くくぐってきている。これから一緒に国家のために仕事をしていくことになるが、お互いが信頼し合うことがたいせつである。思い切り仕事をしてくれ。しかし、責任のすべてはワシが背負う。以上」これを聞いて鳥肌が立ちましたね。庶民の感覚とかけ離れたトンチンカンな演説をする政治家とは全く違いました。

■今の政治家のパーティーは資金集めの色合いが濃く、演説が面白くない。でも角さんをゲストに招いたパーティーは、木戸銭を払った価値があると思えるほど面白い。人への愛情が絶えずあり、庶民に根差した政治をやろうとする。だから、みんなが慕って集まったんだと思います。

●よく言ったのは、「結婚式は招待状がなければいけないが、弔いに招待状はいらない」人が失意のどん底に沈んでいる時こそ、励ましてやれ、というんです。

■「敵はつくるな。人間はみな兄弟みたいなもんだ」と言う人ですからね。


『週刊現代』5.3


2014年05月15日(木) 官僚国家の崩壊

生物学の世界では、「全体は、部分の総和以上のものである」という公理がある。生物界では部分の相互関係で「1+1=2以上」の現象が起きているのだ。しかし、部分ごとに縦割りを徹底したのでは、いくら足し算をしても、「2以上」の効果は期待できない。むしろ、合成の誤謬がここから出てくる。部分的合理性が寄り集まると、とんでもない「予期せざる結果」を生み、「1+1=2以下」になってしまうのだ。これこそが、縦割り思考、専門性の弊害である。

これに対して、アマチュアリズムは専門領域を超えて俯瞰できる能力を持ち、あらゆる垣根を超えた自由な発想をする。その結果、「1+1=2以上」という現象がしばしば起こる。すなわち全体は、部分の総和以上のものである。という公理が働く社会をリードできるのは、専門性を克服した本当の意味でのアマチュアリズムの専制なのである。本当の意味でのプロフェッショナリズムもまた、そうした本当の意味でのアマチュアリズムと相互補完的な関係であるはずだ。

本当の意味でのアマチュアリズムの政治と、本当の意味でのプロフェッショナリズムの官を確立し、互いに補完し合いながら相乗効果を生む。これがポストステルス複合体時代の政と官のあり方である。今はどうかといえばプロ的政治家とプロでない官僚による混合体になっており、関係が錯綜している。ここでいうプロ的政治家とはいわゆる族議員を指す。族議員とは特定政策分野の専門的知識を持ち、その分野の官庁とほぼ一体化している議員のことをいう。彼らは霞が関を叩いてるようで、実は撫でてている。

しかし、族議員も今では極めて少数になったように思う。1996年の総選挙から衆議院に導入された小選挙区制により、一部の領域だけのプロとしての官庁と一体化している議員は、連続当選ができなくなっている。プロではない官僚という表現は異和感があるかもしれないが、キャリア組の総合職は、何の専門性も持たないことを誇りとしている人々、すなわちゼネラリストである。

外資系企業での勤務経験のある小泉チルドレン議員がいっていた。外資系企業と日本企業の違いは、専門職の多い外資系、管理職の多い日本企業なのだそうだ。この日本企業の構造は日本の官庁も全く一緒である。専門知識のない法学部出身の学士が、財政金融政策に携わるとどうなるか。専門性を生かして、より良い政策づくりをし、自らの生きがいを得ようという方向にはいかず、支配をしようとする。

彼らは、縦割りを超える発想を持つことはない。せいぜい、同じ省の局・課を超えるだけであり、省は超えられない。専門家ではない彼らが、専門専制するからこそ、共同体としての身内の利益、仲間のメンツのために仕事をする結果を招いているのではないか。政治のアマチュアリズムか、行政のプロフェッショナル化が必要だ。では、名誉、栄光を価値とするアマチュアリズムの政治とはどのような形なのか。それが「党人派の政治」である。



『官僚国家の崩壊』 中川秀直


2014年05月14日(水) 患者よ、がんと闘うな ��

人は夢や希望を持つことが大切、とよくいわれます。しかし、ことがんに関してはそれは当てはまりません。いや、むしろ夢や希望を持つことは有害とさえいえるでしょう。なぜならば、夢や希望にすがった結果、体を切り刻まれ、たんなる毒でしかないものを使われてしまうからです。人は必ず死ぬのですから、宇宙の悠久の歴史からみれば、数年や数十年の延命などいかほどの意味もない、どういう医療を受けようが同じことではないか、という見方も可能かもしれません。しかし、一つだけ大きな違いがあります。それは医療の内容にによって、あとで後悔するかしないかが違ってくる、ということです。

私は医療で一番大切なことは、誰ひとりとして後悔しないし後悔させないことだ、と考えています。せっかくよかれと思ってつらい治療を受けたのに、あとで後悔するのでは悲し過ぎるではありませんか。その場合、後悔したのは、現状認識や将来予測と治療の結果とが食い違ったためです。したがって後悔しないためには。がん治療の現状を正確に知り、がんの本質を深く洞察することが必要になるのです。できることとできないことをはっきりさせて人々に知らせるのも、科学としての医学の役割でしょう。

これまで患者や家族が悲嘆にあえいできたについては、がんと闘う、という言葉にも責任があったように思われます。つまりこれまで、闘いだから手術や抗がん剤が必要だ、と考えられてきたわけですが、そのために過酷な治療が行なわれ患者が苦しんできた、という構図があります。しかし考えてみれば、がんは自分の体の一部です。自分の体と闘うという思想や理念に矛盾はないのでしょうか。徹底的に闘えば闘うほど、自分の体を痛めつけ、滅びへの、道を歩むことにはならないでしょうか。また、千葉さんや山川さんなどの様子からも示唆されるように、患者が闘っていると思う相手はがんではなく、実は抗がん剤の副作用や手術の合併症・後遺症と闘っているだけという可能性はないのでしょうか。

前述したように、がんは老化現象ですがそれはいいかえれば”自然現象”ということです。ぞの自然現象に、治療という人為的な働きかけをすれば、体が不自然で不自由なものになってしまうのは当然です。どうやら私たちは、思想や理念の上で、がんと闘うという言葉から脱却すべきところにきているようです。

しかしそれは、がん治療が一切無意味、ということではありません。小児急性白血病など一部のがんは、治すこともできます。モルヒネや放射線などによって、痛みや苦しみをとることもできます。しかし、残念ながら、治療で治せるガンはごく少数なのです。したがって肝心なことは、がん治療に多くを望まない、ということのように思われます。がん治療には最低限、症状をとってもらうことを期待しましょう。他にメリットがありうるとしても、それはおまけ、なくてもともと、と考えるべきでしょう。またそのように腹をくくった方が、専門家にすがって無理な治療をされてしまうより、長生きできることも多いものです。要するに、治らないことを素直に認めないと、長生きもできないし、楽にも死ねないわけです。

がん治療の将来にも、大した夢も希望もありません。しかしそのことを悲観する必要はありません。なぜならば、私たちの人生にとって、がんやがん治療だけが大切なものではないからです。私たちにとって大切なのは、自由に生きる、何ものにも煩わされずに生きる、ということではないでしょうか。そのためには死ぬまで、病から解放される必要があるはずです。もっとも死ぬ直前にはたいてい、何らか具合が悪くなりますから、死ぬまで完全に解放されるというのは無理かもしれません。

しかし他方、病は気からというように、病は自然現象につけられた名称であって、私たちの頭の中や観念のうちにしか存在しない、とみることも可能です。したがってもし私たちが、がんを自然現象として受け入れることができるなら、がんによる死はふつう自然で平和ですから、がんにおいてこそ、病という観念から死ぬまで解放されるのではないでしょうか


『患者よ、がんと闘うな』 近藤 誠


2014年05月13日(火) 患者よ、がんと闘うな ��

テレビや新聞、週刊誌、あるいは単行本の出版社は、これら非証明医療を持ち上げてはなりません。メディアに取り上げられると、患者たちはお墨付きが出たと勘違いするからです。その結果、治るチャンスを逃す人、副作用で死亡する人、残り時間を空費する人、財産を巻き上げれる人が続出しています。メディアは、それらの患者に対し責任があると知るべきです。医師のする非証明医療は許せませんが、患者が再発・転移の不安のために、非証明医療に走る心情は理解できます。再発・転移の不安のために、非証明医療に走る心理は理解できます。

再発・転移を防ぐために自分でできることは何でもやってみよう、体にいいといわれることは何でも試してみよう、という気持ちになるのは当然です。といって、実際に非証明医療に足を踏み入れると、詐欺的商法の被害者になりかねないのですから、別の方法で不安を克服しなければなりません。私からのアドバイスとしては、薬物などの物質に頼る気持ちをまずずてること、人との出会いや心の交流を大切にすること、そしてできれば打ち込むことのできる何かを探すこと、などがあります。

がんの本質は老化

非証明医療がはやる他の原因としては、どんな病気にも何か治療法があるはずだ。という確信にも似た思いがあるのでしょう。それゆえ、治らないといわれると、治らないのは現代医学が未熟なためだと考えて別の方法を求めてしまうわけです。しかしがんが治らないのは医学が未熟だからでななく、いくら医学が進歩してもどうにもならないことがあるからではないか、という視点を持つ必要があります。

たとえば、がんは遺伝子の傷がたまって生じるという、皆遺伝子治療に期待します。しかし、それには少なくとも三つの障害があるのです。第一は、どの遺伝子にどのような傷があるか正確に判断する方法がないことです。第二には。傷の完全修復のためには、無傷の遺伝子を細胞の中に入れる作業が必要になってくるはずですが、その具体的方法がわかりません。第三のおそらく最大の障害は、仮に具体的な方法がわかっても、全部のがん細胞の傷を修復できないだろうということです。

なぜならば、がん細胞は無数にあるので(1センチのしこりで10億個のがん細胞)、そのすべてに遺伝子をもれなく注入できるとは考えられないからです。また仮に、もれなく注入できる方法が、見つかった場合、そんなに効果が良ければ、体の正常細胞のほとんどにも遺伝子が注入されてしまうはずで、それでは何が起こるかわかりません。がんが治らないもう一つの原因は、がんは正常な細胞・組織の中に埋まっている、ということにもあります。そのため、正常臓器・組織を切り取らずに手術することは不可能となり、がんを殺すか人を殺すかの二者択一を迫られます。放射線治療にしても、正常な部分を照射せずにがんだけを照射することはできませんから、照射線量をあげると臓器・組織の障害のために人は滅んでしまいます。

加齢と共に遺伝子の傷が増加する一方で、がん死亡率が急上昇するところをみると、がんの本質は老化といえるのではないでしょうか。がんの本質が老化であれば、がんが治らないのも不思議ではありません。秦の始皇帝の時代から、人は老化と闘って勝ったためしがないのです。どうやらがんは、その本質上治らない、と考える必要がありそうです。

(p193)がんは早期発見可能な大きさを超えたあと初めて移転するのではない、という命題は、がんの本質からも裏付けられます。がんの本質は、簡単にいえば、細胞の遺伝子についた傷です。正常細胞の特定の遺伝子に特定の傷がついた場合にがん細胞になるわけで、転移に必要な特殊な酵素を出すなどの能力も、特定の遺伝子に特定の傷がついた場合に獲得されます。

これらの傷は遺伝子ごと、子孫の細胞にそっくりそのままの形で受け継がれていくのが原則ですから、早期発見可能な大きさになるまで転移が成立していなかった場合、それ以降もう転移しないと考えらえるわけです。なぜならば1センチのがんでも、すでに30回ものネズミ算を繰り返し、細胞の数は10億にもなっているので、その時点まで転移できなかったことは、特定の遺伝子
に特定の傷をつけることができなかった証拠になるからです。


がんと闘うことなかれ

本書では総じて、現行のがん治療の負の側面を述べてきました。その内容に得心された方も多いようですが、反面、治る夢が打ち砕かれた、がん治療の将来に希望が持てなくなった、などのお便りも連載中にいただきました。そのような反応があることは当然予想していましたから、連載を始めることは本当に苦しい限りでした。それでも筆をとることにしたのは、患者たちが手術による合併症・後遺症や抗がん剤の副作用で苦しみ、治療のせいで亡くなった患者の家族が悲嘆にくれている可能性があるからです。それらの治療が妥当でも必要でなかったとしたら、それに気づいた専門家は、世に知らせる責任あると考えたのです。


『患者よ、がんと闘うな』 近藤 誠


2014年05月12日(月) 患者よ、がんと闘うな ��

「副作用がない」は嘘

非証明医療のどこが問題なのか、患者本人が納得して受けているのだから、勝手にさせておけばいいじゃないかと、考える読者もいることでしょう。しかし、放っておけない理由があります。患者に危険と不利益が及ぶからです。危険というのは、副作用によって命を縮める可能性です。皆さんの中には、非証明医療の多くは副作用がないか少ない、と思い込んでいる方もいるようですが、それは事実に反します。ある患者は私に内緒で、薬木を原料にしたものを煎じて飲んでいましたが、突然全身の皮膚がズルリとむけてしまいました。口の中の粘膜まで脱落し、ひどい口内腫瘍ができたため水も飲めず、苦悶のうちに亡くなりました。それまで普通に暮らしていた者が、ある日突然変調をきたして亡くなることは、抗がん剤でもなかなか見られない現象で、私自身も恐怖を感じました。

ほかには、断食に走って急に痩せて体力を消耗し、アッという間に死亡した方もいます。いずれも前記大事典に紹介されている方法です。要するに非証明医療の中には、体に何らかの作用をするものがあるわけです。しかし、作用があるから恐ろしいのです。手術や抗がん剤と同じように、体に作用するもので、副作用がないものは存在しません。それゆえ、副作用がなくて目指す作用があるというものは、インチキと思って間違いありません。それなのに非証明医療は副作用なないか少ないという神話ができあがったことについては、およそ二つの原因が考えられます。

一つは、関係者が副作用の存在を隠しているか、調査もしていない可能性です。その好例が漢方薬で、調査をしてみると死亡を含む重篤な副作用があることがわかってきました。(『漢方薬は効かない、見逃せないこれだけの副作用』ワニの本、KKベストセラーズ)。二つ目の原因としては、ありふれた病気や症状のかたちをとって生じる副作用の場合、単純な調査では副作用とわからないことがあります。たとえば、カロチンに関しては、高名な医学統計専門家である平山雄・予防がん学会研究所所長が、その著書、『老化・がんを予防するカロチンの秘密』(ゴマブックス、1990年刊行)のなかで、「カロチンは、摂り過ぎても危険な過剰症を起こさない」と言い切っていました。しかし、前述のように、フィンランドでくじ引き試験をしてみると、発がんが増加し総死亡数が増えるという副作用の存在が判明したわけで、単純な調査や思い込みの怖さを示してあまりあります。 

そのうえ、がんにかかったあと非証明医療を受けている場合には、どういう原因で死のうと、もともとのがんが進行・再発して死んだことにされてしまうのがおちでしょう。それが、これまで非証明医療の副作用による死亡が問題にされてこなかった最大の理由かもしれません。別の危険は、みすみす治るチャンスを見送ってしまうことです。非証明医療はあまりに宣伝されるので、がんが発見されたばかりの患者も飛びつきがちですが、それは危険です。自然の治癒力を大事にする方法に賭けてみる、といって、その結果手遅れになってしまった患者は、私が見ただけで十指に余ります。前述の断食療法で命を縮めた方も、悪性リンパ腫という治る可能性の高いがんでした。

患者に及ぶ不利益というのは、経済的な負担です。非証明医療は大抵、結構長くのお金をとります。たとえばプロポリスは言われるままに飲むと月に23万円かかります。先の大事典に出ているある医師のもとでは、検査だけで20万円を請求するといいますが、それは医療保険のもとでなら数千円の自己負担ですむ検査です。私が聞いた最高金額は、ある国立大学教授が大宣伝している療法で、1回のコースで2.000万円を請求するというから驚きました。それらはいずれも、延命効果さえ証明されていない方法ですから、詐欺と呼ぶしかないのではないでしょうか。

非証明医療がこれほどの問題を作りだしている責任はあげて、それに関与している医師たちにあります。患者が家族にどのような思い込みがあろうとも、医師たちが肯定的態度を示さなければ、素人は海のものとも山のものとも分からない方法にそうやすやすとは手を出さないものだからです。非証明医療に携わる医師たちには、科学ないし論理を無視するという、特徴があります。たとえば帯津氏は、「医療の基本は�ヾ擬圓気鵑�その治療法を信じること、��医師がその治療法を信じること、そして�4擬圓気鵑醗綮佞箸�互いに信じ合うことです。この3つの条件さえそろえば多少非論理的な治療法でも思わぬ効果を発揮します」(『がんを治す大事典』)と語ります。しかし、そもそも非論理的な要素を抱えた方法をどうすれば信じることができるのか、その説明がありません。

もっとも帯津氏は、野菜スープでがんが治ると宣伝・診療して医師法違反と薬事法違反で有罪判決を受けた立石氏に関連して、「そんなにがんは簡単に治せるものではない。私は『治る』という言葉は使いません。治ると断言してしまう民間医療は要注意でしょう」とコメントしています。すると、『がんを治す大事典』を編集・著述した時点とは、心を入れかえているのかもしれません。

マスコミにも問題があります。今年の初め、「あるがん治療への挑戦 漢方薬と免疫療法」という番組がNHKテレビで放映されました。登場した陳瑞東・癌研究会付属病院婦人科医長は、がんと漢方薬と免疫との関係について、こう述べていました。「がんを治すというところは、おそらく免疫が関係していると思う。だから免疫がうまく効けば、これは自分の細胞ががん細胞を殺すわけですから、がんがなくなるはず。ところがその細胞っていうのは、やっぱり働きやすい条件がなければ働かないだろうと思うわけです。漢方薬はそういった条件づくりまでしてくれるだろう」この短いセンテンスの中に、仮定や推測を表す「思う」「だろう」などが実に6回も登場しています。つまり、何ら実証するデータがないために、仮定の上に推測を積み重ね、願望と期待だけで包み込んだ発言になっているわけで、科学や医学とは無縁のしろものでしょう。



『患者よ、がんと闘うな』 近藤 誠


2014年05月10日(土) 75歳から年金

厚労省がブチあげた「75歳から年金」の隠された狙い

田村厚労相がNHKの番組で口にした発言が物議を醸している。現在、段階的に65歳にまで引き上げられている年金の支給開始年齢を、個人の選択で75歳からに伸ばせる案を検討しているというのだ。「選択肢が広がること自体は悪くありません。しかし、本当の狙いは別のところにあると思います。すでに年金の支給開始年齢を68歳にまで引き上げることが検討されていますが、それを思い切って70歳にしたいというのが本音でしょう」(ライフカウンセラー紀平氏)

支給開始を70歳からにすると、国民に与える影響はあまりにも大きい。そこで政府はアドバルーンをあげて様子を見たということだ。それほど年金財政は切迫している。いや、事実上、破綻しているというのは、元大蔵省主計局官で、政策研究大学院大学名誉教授の松谷氏だ。


「年金を受給する人が増えて、保険料を払う人が減るわけですから、年々収支は悪化していきます。それでも年金制度をこのまま維持しようとすれば、近い将来、給付額を半分にするか、受給者を半数にするしかない。現在、月額5万円程度の国民年金を半額にすると、年金としては意味のないものになってしまう。制度を維持できたとしても、高齢者が暮らせなくなってしまえば、本末転倒です」

内閣府は「選択する未来」委員会を設け、、「70歳まで働く社会の実現」を提唱している。政府は高齢者を企業に雇用させ、年金の給付額を少しでも減らそうと躍起なのだ。経済アナリストの森永氏が言う。「70歳から年金を受け取る場合は、65歳で受け取る場合と比べて、月額が1.42倍になります。75歳まで繰り下げれば1.82倍となり、82歳を越えれば65歳から受け取るよりも得になります。しかし、75歳まで年金を受け取らずに生活できる人なんてほとんどいません。年金がなくても生活できる金持ちだけが得をする制度なんです。

官僚であれば、70歳を越えても天下り先でのんびりと働けるでしょうが、ほとんどの人は65歳を越えて楽な仕事などあるはずがない。金持ちだけが悠々自適の老後を送りながら長生きし、貧乏人は働き続けて、疲れきって早死にする。このままでは、そんな超格差社会が訪れるでしょう」2004年に「100年安心プラン」と謳われた制度改革はいったい何だったのか。



『週刊現代』5.31


2014年05月09日(金) 患者よ、がんと闘うな ��

丸山ワクチンも疑問

いわゆる非証明医療、ことに物質的なものに頼るものについても論じておかなければならないでしょう。非証明医療とは、その効果が実証されていないのに効果があると宣伝・実行されている方法のことで、民間医療や代替療法とほぼ同義です。しかし後述のように、医師によってなされることも多いので、こう呼ぶことにします。『ガンを治す大事典』という一般向けの書籍があります。帯津良一・帯津病院院長が編集・著述したもので、それをみると、漢方薬、ハリ・灸、マクロビオテック、ゲルソン、粉ミルク断食、ニンジンジュース、青汁、ワカメ・コンブ、米酢、タヒボ茶、乳酸菌生産物質、姫マツタケ、免疫療法、リンパ球療法、蓮見ワクチン、尿、MMKヨード、ゲルマニュウム、ビワの葉、エトセトラと、がんに効かない物質や方法はないかのような盛況ぶりです。

それらの方法に本当にがんを治す力があるのか、いくらかでも有効なのかを知るために、その大事典をはじめ、医師が著したあらゆる一般向け書籍を検討してみした。その結果、それらの方法が有効だといっている根拠は、個々の患者のエピソードであることがわかりました。エピソードはおおよそ、がんが消えた、縮小した、大きくならない、長生きしている、なとにパターン化できます。しかしそれらはいずれも、治ったという根拠にも、有効という根拠にもならないものです。

その理由はまず第一に、病変の一部を取って顕微鏡でがんと診断する作業をしていないエピソードが多く、それではがんを論ずる根拠にかけます。そもそもがんに関する誤診は非常に多いうえ、この手の話の中には明らかなインチキも紛れ込んでいるのです。例えば採血だけでがんと診断するのは無理なのですが、その著作リストにある医師の一人は「採決するとがんがわかる」と、採血大部隊を組織しして町へくり出し、庶民から大金を巻き上げています。

第二には、放射線や抗がん剤を併用ているエピソードが多く、それでは何が効いたのかわかりません。エピソードの中には、その方法で調子が良くなった、だから有効、というパターンが多くあります。しかしどういう病気でも、医師が自信ありげにウドン粉を薬と偽って渡せば、三割程度の人の症状が軽減・焼失するといいます。これをプラシーボ(偽薬)効果といいますが、がん患者の症状でもプライー簿効果がみられることは疑いのないところです。

あるいは調子が良くなったのは、それまでの治療法と決別したためかもしれません。例えば丸山ワクチンは、体の調子が良くなることで有名ですが、それを開発した丸山氏は受診した患者に、それまで受けていた治療をきっぱりやめるよう指導していたといいます。患者の多くは、副作用の強い抗がん剤を続けていたはずですから、調子が良くなって長生きしたのは、抗がん剤をやめた効果ではないでしょうか。どうも丸山ワクチン神話の底には、大いなる錯覚があるようです。

本の中には、医師にあと半年といわれた、それが何年も生きているから有効という類のエピソードが多々ありました。しかし、進行がんを放っておいても3年、5年あるいは10年と、長生きする場合があるのです。まして早期がんは、そのほとんどががんもどきで分裂速度もスピードダウンしていると考えられますから、大きくならなくても当然です。それなのに医師の中には、患者を逃してなるものか、なんとか手術を受けさせようと考えてか、早期がんなのに「あと半年」と脅す者がいます。それでも患者が手術を断固拒否して他の方法に走り、その後がんが大きくなってこない場合には、それは非証明療法の効果だと錯覚してしまうのも仕方のないことかもしれません。脅されて恨みに思っている分、余計に信心を深めることもあるといいます。

個々のエピソードを有効の根拠と考えてならないことは、今や医学の常識です。漢方薬にも、がんに効いたというエピソードが巷に多々ありますが、漢方薬メーカーである津村順天堂の薬理研究所所長までつとめた細谷英吉・元慶大薬理学教授も、その著書『漢方の科学』(講談社)のなかで、「現在のところガンを治す漢方薬はありません」と明言されています。

有効性の証明には、ここでもくじ引き試験が必要です。患者を二群に分けて、放置群の生存率や生存期間と比較しなければ、その方法で治ったとか有効とかは主張できません。私は別にくじ引き試験を奨励するつもりはないのですが、がんが治るとか有効と語ってお金を取ろうという者は、くじ引き試験で効果を確かめておかねばならないはずです。しかしこれまで、彼らがくじ引き試験をしたという話を聞きません。要するにそれらの方法はすべて、根拠なしに実施されているものなのです。



『患者よ、がんと闘うな』 近藤 誠


2014年05月07日(水) 患者よ、がんと闘うな ��

丸山ワクチンも疑問

いわゆる非証明医療、ことに物質的なものに頼るものについても、論じておかなければならないでしょう。非証明医療とは、その効果が実証されていないのに効果があると宣伝・実行されている方法のことで、民間療法や代替療法とほぼ同義語です。しかし後述のように、医師によってなされることも多いので、こう呼ぶことにします。『ガンを治す大事典』という一般向けの書籍があります。帯津良一・帯津三敬病院院長が編集・著述したもので、それをみると、漢方薬、ハリ・灸、粉ミルク断食、ニンジンジュース、青汁、ワカメ、コンブ、米酢、乳酸菌生産物質、姫マツタケ、免疫療法、リンパ球療法、蓮見ワクチン、尿、MMKヨード、ゲルマニュウム、ビワの葉、エトセトラと、がんに効かない物質や方法はないのかのような盛況ぶりです。


2014年05月06日(火) 患者よ、がんと闘うな ��

タバコはやめろ

どのようなものが遺伝子を傷つける原因になるかというと、タバコを筆頭として食物中に含まれる物質、大気汚染物質、水道水中の化学物質、B型・C型肝炎ウィルスなどの微生物。性ホルモン、日の光など際限がありません。それやこれやで現在では、全臓器のがんの3分の1はタバコ、他の3分の1は食事、残りの3分の1は大気汚染などの生活環境の影響で生じる、といわれています。

放射線にも発がん作用があることは、原爆や原子炉事故による被曝で明らかになっています。微量な放射線でも遺伝子に何らかの傷をつけますから、土や建築材料から出る自然の放射線も発がんに一役かっているはずです。被曝に関する日本の特殊事情をしては、医療による放射線被曝が世界平均の数倍に達する事実があります。このため、医療被曝、ことにレントゲン診断による発がんは、全臓器のがんの数パーセントを占めるのではないかと推定されます。

どういう生活習慣を持ち、どのような生活環境の中で暮らすかについては、子は親の影響を強く受けます。従って兄弟姉妹の間では、遺伝子の多くが共通していることも相まって、誰かが発がんすると、他の兄弟姉妹が発がんする可能性は通常よりも高くなることが予想されます。しかしその場合でも習慣や環境を変えれば、発がん確率をかなり下げることができるわけです。その一番の方法はタバコをやめることです。禁煙すれば、がん慣例遺伝子にタバコで傷がつくことはなくなるわけですから、様々な臓器の発がん確率が低下します。

微量栄養素を付加することにより、がんが予防できるかどうか、中国河南省林県でくじ引き試験が行なわれました。3万人の成人をくじでいくつもの群に分け、1群は普通に食事して暮らすように指導し、他群には種々の微量栄養素を付加する試験です。その結果、ビタミンC、リボフラビンなどは何の影響も与えませんでしたが、ベータカロチン、ビタミンE、セレニウムの組み合わせを飲んだ軍では、がん死が13%も低下しました。

しかし、喜ぶのは早計です。というもの林県の住民のほとんどは慢性栄養失調状態にある上に、例えば食道がんによる死亡率が米国白人の100倍も高く、非常に特殊な状況下での試験といえるからです。つまりその試験結果を日本や米国のように栄養が足りている先進国で類推できるかについては疑問があるわけです。先進国でビタミンを付加したら、がんがかえって増えてしまった試験があります。フィンランドで3万人の喫煙男性を対象に行なわれたくじ引き試験がそれで、ビタミンEは何の影響も与えませんでしたが、ベータカロチンを飲んだ群は飲まない郡に比べると、肺がんの発生率が18%も増加したのです。おまけにベータカロチン群は肺がんと心疾患による死亡が増えて、飲まない群より総死亡率が8%高くなっています。

ようするに、先進国に住んで普通の食事をとっている人達は、ビタミンが足りており、ことさら栄養剤として付け足す必要がないか、付け足すのはむしろ有害である、ということのようです。ビタミンの中にはビタミンAやDのように、とり過ぎると中毒症状が出るものがありますが、ベータカロチンでがんが増加するのも、中毒といえるのかもしれません。ここから得られる教訓は、ビタミンにしろなんしろ、特定のものを多量に長く摂るのは危険、ということではないでしょうか。

別の問題としては、再発・転移の発見のためにどういう検査をどういう間隔で受ければよいのか、というのがあります。この点、検査を繁雑に繰り返すほど有効だと考えるのが普通でしょう。病院や医師によっては、診察は2週間に1回、肺レントゲン撮影や採血検査は毎月1回、骨のアイソトープ検査や肝臓の超音波検査などは半年に1度、などという場合もあるようです。しかし検査をしつこく繰り返す意味は疑わしいのです。

例えば米国で、大腸がんの術後の検査費用の調査をしてみると、術後5年間に要する検査費用は、病院によって910ドルから27.000ドルまで大きな違いがありました。しかし、しつこく検査したほうが生存率が向上するという証拠は得られていません。しつこく検査しても生存率が向上しないことを示す、直接的な証拠もあります。イタリアで乳がん治療後の患者を1200人以上集め、くじを引いて2群に分けて比べる試験が二つ行なわれています。どちらの試験でも基本的検査だけの群では、3ないし6カ月ごとに診察し、乳房レントゲン撮影を1年に1度行いました。繁雑検査群ではそれに加えて肺のレントゲン撮影、採血検査、骨のアイソトープ検査、肝臓の超音波検査などを3ないし6ヶ月ごとに繰り返しました。その結果、どちらの試験でも、両群の生存率にまったく差が見られなかったのです。

この結論はおそらくすべての臓器のがんに一般化できます。なぜならばどういう臓器のがんでも、再発・転移を早期発見しても有効な治療法が存在しないのが普通だからです。それゆえ、通院はせいぜい3カ月ないし6ヶ月に1度にして、検査はあまり受けず、何か症状が出たときに受診するようにするのが賢明だと思われます。



『患者よ、がんと闘うな』近藤 誠


2014年05月05日(月) 『寂しい丘で狩りをする』

「それにしても、最近のストーカー殺人事件でも感じますが、妄執にかられた男というのは本当に凄まじい。だから、警察を頼っても防ぎきれない。男は相手の女性を殺すことで自分が苦しみから解放される、自分の救済だと考えています。そこには理屈も道理もなく、罪の意識などもない。強姦をはじめ女性への性暴力に対して、もっと重罰を科すべきだと思います。ですが、たとえ死刑に処する法規制をしたとしても、一定の抑止力にしかならないと思う。妄念に取り憑かれた人間には、刑務所も死刑も意味を与えません」

■敦子とみどり。深刻な性暴力にあった女性を描くことは難しくありませんでしたか。

「ものを書く人間は皆そうだと思うのですが、多分に両性具有です。そうでないと女性を描けない。女性を内面的に理解できなければ、男から見た”対象としての女性”になってしまう。敦子やみどりを描くとき、彼女たちの不安や苦しみは僕の中に生々しく立ち上ります。けれど一方で、凶悪な押元や久我の卑劣さを書く時、やはり彼らの持つ暴力性のようなものを自分の中にはっきりと感じる。だから、その部分に意識を合わせて書きます。



『寂しい丘で狩りをする』辻原 登


『週刊現代』4.26


2014年05月04日(日) 官々諤々 

成長戦略は「武器・原発・外国人」

安倍総理の3度の挑戦とは何か。アベノミクスの第一の矢である金融緩和で株高と円役が進み、一気に景気浮揚への期待が高まったのが昨年の初め。第二の矢である機動的財政出動、すなわち、借金頼みの公共事業のバラマキによって、建設分野ではバブルが起きるほどの好況につなげた。しかし、この二本の矢には限界がある。そこでアベノミクス第三の矢、成長戦略に期待が高まった。

成長戦略は、効果が出るまでに時間がかかる。本来は第一の矢として最初に放つべきだったが、安倍総理最初のチャレンジは政権発足後半年の昨年6月。鳴り物入りで発表したが中身がなくて、発表の最中に株価大暴落という大失態となった。安倍総理の成長戦略への期待がガタ落ちになった瞬間だ。慌てた官邸は、「実は、この成長戦略は本物ではない、本物は秋に出す」と言い訳し、秋の臨時国会は「成長戦略」と銘打った。しかし、2度目の挑戦も何も出てこないまま終わってしまった。

今年の通常国会は、安倍政権によって「好循環実現国会」と名付けられた。「『成長戦略』が不十分なわけではない。成長への好循環につなげるための最後の一押しが足りないだけだ。それを今国会でやる」という言い訳のための命名である。しかし、2013年度補正と2014年度本予算は、ただのバラマキばかり。3度目の挑戦の目玉となる「国家戦略特区」も中途半端なもので終わった。これで、日本の成長率が上がるという識者はいない。

第3の矢に期待できなければ、第1、第2の矢しかない。しかし、お金はジャブジャブにして、国の借金をどんどん増やしても、人手不足で公共事業の消化もままならない。企業も、投資する資金はあっても付加価値を高めるイノヘーションがないので、結局、コストカットへと再び向かう。公共事業のためにも民間企業のためにも安い労働力が必要ということになり、建設分野への外国人労働者の拡大が決まった。

人々の生活の質を高めるためには、高い給料をもらえる職場の創出が最重要だ。その意味では、付加価値の低い分野で人手不足という理由だけで外国人を大量流入させるのは、本筋から離れた一時しのぎでしかない。このままでは、昔のように公共事業に頼る経済に逆戻りするだけである。そこで対策はないのか、と考えたわけではないだろうが、ここへきて武器輸出と原発輸出の動きが加速している。武器輸出三原則廃止で、武器輸出が原則禁止から原則解禁となったことで、水面下の動きが一気に表面化してきた。

米国だけだと思ったら大間違い。英、仏、豪、印、フィリピン、ベトナム、トルコなどいたるところで企業間、政府間で武器や武器技術輸出の相談が始まっている。原発輸出も、トルコやUAEとの原子力協定が衆議院を通過し、さらに加速されていく。今や日本の成長戦略の3本柱は、「武器と原発と外国人」になった感すらある。一頃三本柱といわれた、医療、農業、電力の三分野はどうなったのか。利権にまみれた自民党族議員と官僚たちは、引き続き、本丸は死守するつもりだ。「岩盤規制を打ち破るドリルの刃になる」という安倍総理の言葉。4度目の挑戦は、6月に出る成長戦略だが、「4度目の正直」を信じる気にはどうしてもなれない。


古賀茂明

『週刊現代』4.26


2014年05月01日(木) わき道をゆく

もはや戦後ではない、かも?

夕刊を開くと「武器輸出新三原則を閣議決定」という見出しが目に入った。政府が原則禁止していた武器輸出を事実上解禁するという。東京新聞は「日本の武器を世界に売り込み考えだが、憲法9条の『戦争の放棄』の理念は崩れ、戦後積み上げてきた平和主義の信頼感に基づく外交力を失うことになりかねない」と批判していた。そう。平和主義の崩壊といってもいい。でも、輸出解禁の狙いは単に国産武器を外国に売りつけることだけだろうか。引っかかりを感じたので、元航空幕僚長の田母神さんの本を取りだした。

安倍首相の真意を知るには田母神さんの本を読むのが一番だ。二人の考え方は、歴史認識から核武装に至るまで双子のように似ている。しかも田母神さんは首相の本音を明け透けに語ってくれる。まず昨夏発売の『安倍首相論』(ワニブックス刊)である。田母神さんによれば、自衛隊は防御に偏り、攻撃力が極端に低い。なぜなら自衛隊は専守防衛で、日本が攻撃されたら米国に反撃してもらうことになっているからだ。

米国に守ってもらっていれば、最終的には米国の言いなりになり「国策の自由が奪われた」国に住み続けなければならない。その米国の狙いは日本の弱体化だ。20年前、日本の国民一人当たり名目GDPは米国を抜いて世界一になろうとしていたのに、今ではずいぶん落ち込んでいる。これは米国の圧力に屈して「改革」「自由化」を進めた結果、終身雇用や年功序列の「日本式経営システム」が機能しなくなったからだ。

この状態から抜け出すには軍事的に自立するしかない。では、そのために何をしなければならないのか。そう問いかけた上で、彼はちょっと意外な結論を導き出す。「憲法改正?いや、違う。憲法改正ができればそれに越したことはないが、今すぐにでもできることがある。それは『武器輸出解禁』である」なぜかというと日本では、武器は自衛隊にしか売れない。逆に言うと、企業は自衛隊の発注なしに作れない。だから企業は武器開発に先行投資をしない。将来は自衛隊が買ってくれる保証がないからだ。

だが、と彼は言う。もし外国に武器が売れるなら先行投資ができ、もっと高性能の武器を大量生産できるようになる。「お下がり」のような米国製戦闘機を言い値で買わされることもなくなり、国産に換えられる。軍艦、ミサイルなども国産化すれば大きな公共事業になり、数多の企業を潤す。戦闘機の開発生産だけで6000社以上の会社の参画が見込まれ、早ければ10年後に自衛隊はほとんど国産装備の”軍”に生まれ変われるという。彼は『日本核武装計画』(祥伝社)にもこう書いている。

なにしろ戦闘機や護衛艦など主力兵器は原価がバカ高い。それを作ったら売れるぞとなったら、三菱重工や川崎重工、富士重工だけでなく、東芝やNECなどの電気・ITメーカー、機体や船体の素材や部品の製造技術を持つメーカーも色めき立つ。「各社は競って先行投資をし、同時に営業マンを海外出張させるだろう。もともと70年前にゼロファイター(零戦)で世界を驚嘆させた日本の技術力である。世界が驚くような凄いものを短期間でつくってみせるはずだ」

つまり、武器輸出解禁で自衛隊の装備は米国製から純国産化の方向に転換し、従来よりはるかに巨大ですそ野が広い軍需産業が日本に出現するというのだ。田母神さんによれば、もう一つ、武器輸出には大きな利点がある。輸出相手国への影響力の拡大だ。ある国が武器を買えば、部品の供給や技術支援に武器生産国の協力が必要になる。だから武器生産国は相手国の軍事能力・国策に影響力を行使できるようになる。現状だと日本は絶対に米国と戦争できない。米国の技術支援がないと戦闘機を飛ばせないからである。武器を売った米国は日本から万が一にも攻撃されず、しかも日本に対し絶対的優位に立てる。

「このように国産の武器を海外に売ることは自主防衛への道であると同時に、国は安全になり、外交交渉でも有利になり、おまけに儲かる。いいこと尽くめ」なのだと田母神さんは説いている。安倍政権の狙いもたぶん同じだろう。武器輸出で日本は再び軍事国家になり、将来的には米国の手を借りずとも国際的な「富と資源の分捕り合戦」(『安倍晋三論』)に自力で参加できるようになる。集団的自衛権の行使という免罪符さえあれば、いつでもどこでも戦争ができる国になる。

なんとも勇ましくおぞましい話である。彼らの眼中には先の戦争で死んだ人々の無念と、残された家族の悲しみは全くないらしい。あるのは、他国になめられてたまるか、といった夜朗自大な国家意識だ。この分だと核開発に踏み切る時期もそう遠くないだろう。田母神さんや安倍首相の言動を見るにつけ、私はハーメルンの笛吹き男の伝承を思い浮かべる。13世紀ドイツの街ハーメルンに現れた男が子供らを笛の音で誘い、何処かへと連れ去った事件である。

一説には、130人の子供が男について洞窟に入り、戻らなかったという話の起源は、子供らが戦争に駆り出された辛い記憶だという。同じような未来が子供たちも待っているのかもしれない。もう戦後ではなく戦前だ。これから動乱の時代が始まると思う。私が子供にしてやれるのは、今の平和を存分に楽しませてやることぐらいしかないのだろうか。わが身の非力さに歯噛みする思いだ。

魚住 昭


『週刊現代』4.26


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