加藤のメモ的日記
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渡辺一枝著『消されゆくチベット』は、ドンと呼ばれる野生のヤギを身に行く話から始まる。著者は1987年に初めてチベットを訪ねて以来、チベット人の生活習慣や自然に惹かれ、何度もチベットを個人旅行している60代後半の女性である。
中国は1950年代にチベットに侵攻して、翌年全土を制圧した。以来、虐殺事件を数々繰り返し、今なおチベットは中国のため、悲惨な状況に置かれている。著者はこうしたことを声高に避難していないが、それでもここのチベット人と親交を深める中で、中国が投げる重苦しい影に心を痛めずにいられない。ラサに住むチベット人とは親戚づきあい同様で、学資まで届けているだけに、チベット人の生活が手に取るようにわかる。他著にない本書の強みだろう。
『週刊現代』7.6
| 2013年06月27日(木) |
「天皇の座は悠仁に禅譲」の真相 |
雅子妃は皇后に不適格だから、「天皇の座は悠仁に禅譲」の報道の真相
「雅子妃に、皇后は務まらない」美智子皇后の意向で、皇室典範が大きく改定。そして近い将来、悠仁親王が天皇に―。にわかに信じ難い報道が物議を醸している。その裏側で、いったい何が起きたのか。
美智子皇后の悲しみ
雅子妃の主治医として2004年から適応障害の治療にあたっている、大野医師が最近の妃殿下の体調についてこう報告したという。「体調の波が激しくなっています。頭重感(ずおもかん)があり、疲れやすく、体のこわばりと睡眠不足を訴えておられる。ただ、それが適応障害からきたものなのか、季節病からきたものなのかは、判断が難しいところです」
オランダ公式訪問を無事にこなし、公務復帰の兆しが見えてきたのではと期待された雅子妃。だが、病状は相変わらず行きつ戻りつで、6月18日に予定されていた皇太子夫妻による宮城県の被災地訪問も延期することが決まった。皇后は、それまでの皇室の乳母制度を覆し、自分の母乳で子供を育てたほど、子育てに強い思い入れがある。当時の皇后の様子を知る旧華族夫人が明かす。「とりわけ長男である浩宮様に関しては、立派な次期天皇になってほしいと、まさに手塩にかけてお育てになっておられました。それなのに、妻の雅子がダメだからという理由で、できるだけ早く悠仁親王に禅譲させようなどとという発想を持たれるはずがありません」
これらの見解には説得力があるが、その反面、皇后が雅子妃の現状に「深い憂慮」を抱いていることも確かだという。「今上天皇と共に築きあげてこられた『夫婦そろっての公務』というスタイルを、できれば皇太子ご夫妻にも受け継いでほしいという思いを皇后は持っておられます。それだけに、連続して被災地訪問をドタキャンするなど、公務が万全に果たせない雅子妃の現状を残念に思われているのは事実です」(宮内庁関係者)
皇后が10年前の雅子妃発病から持ちづ付けてこられた憂慮―それが、今回のような記事が生まれる背景にあるのは間違いない。最近では、「離婚論」や「廃太子論」が公然とメディアで語られるようになり、雅子妃が責務を果たせていないと考える国民が一定数いるのは残念ながら事実である。皇室ジャーナリストの神田氏が指摘する。
「皇室典範には、女性皇族が夫もともに公務を果たさなければならないという規定はありません。ですが、皇太子は『公人として、皇太子として公務を行なう場合、皇太子妃と二人揃って行うことが原則』と、かねてから公言していらっしゃる。にもかかわらず、いまだにそれが実現実現できていないのですから、雅子妃だけでなく、皇太子の評価も下がるのは当然だと思います。今の状態のまま、皇太子ご夫妻が天皇皇后になったら、皇室はどうなるのだろうと国民は心配しているのです」
元日本テレビ皇室担当記者で、美智子人も親交がある渡辺みどり氏も「皇太子の嫁」としての雅子妃をシビアに評価する。「天皇家というのは日本一伝統のある旧家の、しかも皇太子の嫁としてご自身がどう振る舞うべきか、雅子妃にはしっかりとお考えいただきたい。私は皇太子妃時代から皇后美智子妃の大変な努力を見てきた。だからこそ、自分で結婚をお受けになった以上、次期皇后としての覚悟を持つべきです」
神田氏や渡辺氏をはじめ、このまま雅子妃の状態が続くのなら、離婚をすすめるという意見も少なくない。一方で、無理に自分を皇室に合わせる必要はないとの意見もある。家庭問題詳しいジャーナリスト・石川氏が言う。「ご成婚前の雅子さまは表情も豊かでしたし、ボディランゲージも使ってとても溌剌としていました。それが今では。強張った笑顔で、小さくお手振りをされるだけになった。、雅子妃と同じく20年間夫婦生活を続けている世の奥さんたちは、夫の家族、とくに嫁と姑の関係に悩んだとしても、もう少しふてぶてしさというか、大胆さがあります。もちろん、一般人と皇太子妃では事情月大きく異なりますが、雅子さまにも、ある種の開き直りが必要なのではないでしょうか。持ち前の女の強さをもっと出していいと思います」
何かが動き出している
20年間意志を曲げず、皇室にいまだに馴染めない雅子妃とは対照的に、弟宮の嫁である紀子妃は、美智子皇后を手本に、常に皇族女性として完璧な振る舞いを見せる。対照的な二人の妃―。宮内庁の中には、外務省OBを中心とする雅子妃派と、秋篠宮家や紀子妃を支持する派閥が存在しているという。こういった内情を踏まえ、前出の宮内庁担当記者が明かす。
「今回の報道では、皇太子が皇位を禅譲する先は、秋篠宮を飛ばして、悠仁親王と報じられました。これによって、皇太子と雅子妃のイメージが悪くなる一方で、秋篠宮については、『兄のためにともに身を引く弟宮』『慎み深く。皇室の未来を憂える秋篠宮家』というプラスのイメージが植え付けられる。そうした狙いを持つ人々が、報道の裏で動いていたのではないかという見方が、担当記者の間では流れています」振り返れば、適応障害と公表して10年。雅子妃の病状への明確な説明は一切されず、さまざまな憶測が飛び交い、皇室の未来を巡る議論が絶えず巻き起こってきた。しかし、問題はいっこう改善していない。今回の週刊新潮の報道を受け、皇室に詳しい高崎経済大学の八木教授は。記事内容がすべて事実ではないにせよ、現状打開向けて何かが動き出しているのでは、と推測する。
「皇太子はご成婚以降、雅子妃を守るという姿勢を貫いています。妃殿下への強い思いは、夫としての責任感の表れとして評価すべきかもしれない。とはいえ同時に皇太子というお立場もある。いつまでこの状態を続けるのかと、多くの国民や宮内庁関係者が気を揉んでいる。今回このような報道が出てきたのは、今の皇室が抱える問題にフタをし続けることが、さすがに限界になってきたということ。膠着状態に区切りをつけ、具体的にどう手を打つかという段階に来ている。いよいよ次のステージに入ろうとしているのではないかと思います」批判にさらされたまま現状を放置することは、皇太子にとっても雅子妃にとっても、さらに言えば国民にとっても幸せなことではないだろう。
『週刊現代』 7.6
ブラジル各地で頻発する反政府デモが収まらない。発端はサンパウロのバスや地下鉄の運賃値上げへの抗議だったが、デモの拡大ととともに、サッカーのワールドカップ(W杯)開催に伴う巨額出費や公務員の汚職に対する不満、教育や医療、福祉の制度改革などを訴える声へと要求は多様化した。10代、20代を中心とするデモ参加者の「本音」な何なのか取材した。
ワールドカップ杯よりも教育を
ベルオリゾンテ中心部、セッチ広場。ライフルを手にした屈強な軍警察がずらりと居並び、立ちはだかる。広場の約500メートル四方は厳重に警備され、ほぼ隔離されているようだった。異様な雰囲気に包まれた市街地。その隙間をかいくぐって進むと、刺激臭が鼻を突いた。闇夜に漂っていたのは催涙ガスだった。路上にはガラス片、なぎ倒された信号機や街灯、焼け焦げた衣類やゴミ…。
「W杯よりも学校や病院を造れ」「汚職、公費の無駄遣いはやめろ」「教育も医療もないのにW杯をやるのか?」サッカーのコンフェデレーションズ杯・日本―メキシコ戦が行なわれた22日午後9時半ごろ、セッチ広場の横断歩道を境界線に、スローガンを叫ぶ数百人のデモ隊と武装した治安部隊がにらみ合った。小さな衝突を繰り返しながら、1時間10分が経過した頃、軍警察が威嚇用のゴム弾や催涙ガスを利用して強制排除に乗り出した。気勢をあげていた若者たちは走って逃げ、セッチ広場はゴム弾発射の轟音と同時に騒然となった。
地元紙などによると、コンフェデ杯の試合広場・ミネイロン競技場周辺での衝突と合わせ、デモ隊、警察の双方で少なくとも20人が負傷したという。
暴徒化に疑問も
きっかけは、サンパウロで実施された公共交通機関の運賃値上げだった。これに反対するデモが11日から始まり、13日に暴徒化したデモ隊と警察が衝突し、200人以上の逮捕者が出た。15日のコンフェデ杯開幕後は、各地でスタジアム建設への巨額出費などに抗議する反政府デモへと拡大した。来年のW 杯開催によって経済成長の実績だけを全世界にアピールしたい政府に対し、若者の不満が一気に噴き出した。
抗議デモは会員制交流サイト「フェイスブック」 上に参加を呼び掛ける書き込みがあり、賛同者が拡散して集まったという。会社員のジョナサン・オリベイラさん(23)は「学校には机やイスが足りないし、先生の数も充分じゃない。病院では医師や薬が足りない。日本で考えられるか?」学校の教育には児童や生徒が溢れているのに先生がいない。病院で診察を受けるのに2,3日も待たなければならないこともあるのだという。
ただ暴徒化する一部の参加者がいることに、オリベイラさんは「暴れたい奴がデモに便乗しているのは許せない。デモへの参加は考えないといけない」とも言った。エンジニアのフォビア・スワットさん(19)は「この国には教育がないんだ。ブラジルのサッカーと日本の教育を交換してくれ」と訴えた。学生のジョンーさん(17)は「サッカーは好きじゃない。W杯のためじゃなく、お金は国民のために使うべきだ」と話し、日本に留学経験のあるアリス・マロッカさん(21)は「サッカーは好きだけど、自分にとっては日常の中で重要ではない。私にとって重要なのは学校や病院、これらが足りないの。そこに目を向けてほしい」と言った。
デモ参加者のほとんどは平和的な「訴え」を望んでいる。一部の心ない参加者たちが銀行や商店の窓を割ったり、ゴミに放火したりして暴れているという。身の危険を感じたアリスさんは「『秩序を失うデモにはもう参加しないかもしれない」と戸惑う心中を明かした。
◇ ◇
コンフェデ杯決勝(30日・リオデジャネイロ)の翌7月1日、ブラジル全土で史上空前の反政府デモが計画されている。
『西日本スポーツ』6.26
| 2013年06月25日(火) |
大空襲と原爆は本当に必要だったのか�� |
連合国の爆撃部隊による地域爆撃が道義に反する罪だと認めることが重要な理由は、大きく分けて二つある。一つは。戦勝国の我々もあの恐ろしい戦争で罪を犯したことを、直視できるようになるためである。その罪はナチズムの罪よりもはるかに規模が小さいが、ナチの犯罪と比較することで、連合国による地域爆撃も非難に値し、道義的に似た部分があることを、不愉快でも考えなければならなくなる。それは、例えばヘンリー・スティムソンが原爆の標的の候補から京都を除外したことよりも、日本軍による悪名高い南京攻撃の方により類似しているのだ。
文明というものは、人々が自己を直視し、ありのままを真実と認めることによってのみ、そこから学ぼうとすることができ、以降は正しい方法で正しい方向へ進めるようになるのである。月並みな言葉だがまさしく真実なのは、過去の問題を整理することは、未来に対する私たちの義務であるというものだ。
もう一つの理由は、過去にしたことを直視しなければ、同じ過ちをおかす恐れがあるということだ。この点を懸念するのには根拠がある。一般市民を保護する国際人道法(1945年のジュネーブ諸条約)の解釈について、最近のアメリカ軍がどう説明するべきか考えてみてほしい。1977年の第一追加議定書により、一般市民および民用物への攻撃は禁止されており、後者に関しては以下のように定義されている。「民用物とは、軍事目標を除くすべてのものである」軍事目標とは「その本質、地理的位置、用途または使用が軍事行動に有効に貢献するもの、また、その徹底的または部分的破壊、奪取または制圧がその時点の状況下において、決定的な軍事的優位をもたらすものである」
だが、米軍マニュアルによれば、その許容範囲は非常に幅広い。「軍事的優位のためには攻撃側の安全などさまざまの考慮を要する…敵の戦闘能力を直接にではなくとも効果的に支援し維持するのは経済的な拠点は、攻撃してもよい」言いかえればアメリカ海軍も空軍も、いまだに第二次世界大戦時の視点で一般市民の士気をとらえ、経済的目標と表現できるものへの攻撃を合法としているのだ。注目すべきは、それが軍事産業ではなく、石油や電力、輸送、水道などより具体的に定義された経済的目標でもないことだ。経済的目標には、あまりにも多くの意味が含まれる。
ジュネーブ諸条約および追加議定書をこのように解釈するのは、第二次世界大戦中の連合国による地域爆撃を道義に反する犯罪として認めるとすれば、許されることではない。道義に反する犯罪と認めるなら、これらの解釈にはるかに厳しい制約が加えられる。だからこそそれが重要になるのである。
連合国による地域爆撃の道義性に関して動かぬ真実を知るためには、それに関連した疑問を投げかけさえすればよい。それは必要だったのか、目的にふさわしかったのか。一般市民は例外なく戦争の前線に立っているというのは、真実なのか。欧米の軍隊が今や、理論上または口先だけでも、プロパガンダのためだけでも「付随被害」を回避するために力を注ぐのはなぜなのか。戦時に一般市民を保護するために1949年にジュネーブ諸条約を締結したのは、また、追加議定書を加えてそれをいっそう明確にしたのはなぜなのか。第二次世界大戦中の連合国による地域爆撃は、連合国が自ら作成したニュルンベルク裁判の原則に合致するのか、連合国による地域爆撃は、国際連合の世界人権宣言を支える信念と調和しうるのか。
1945年以降に、戦時の権利及び合法的な行動に関する宣言や条約が議論されたのは、戦時中にあった甚だしい人権侵害をくり返すまいという決意からだった。こうした議論は戦争の惨事に対する審判として、また、起きた事例の何が許されないかを明らかにするために、その惨事の直後から開始された。これらを考えるにあたっては、当然ながらホロコーストが中心的な位置を占めた。だが、それ以外の残虐行為も対象であり、ジュネーブ第4条約からもわかるように、地域爆撃もそこに含まれた。しかし、地域爆撃を実行した主な国であるイギリスとアメリカは、それを明記することを許さなかった。1949年のジュネーブ諸条約に1977年の第一追加議定書が加えられるまでの歴史は語られないままだった。それでも、その意味は明白である。この議定書は、地域爆撃を振り返って審判し、それを犯罪と見なしたのだ。
地域爆撃についてさらに問い続ければ、当惑が増す一方だ。女性や子供を爆撃するのと、彼らを拳銃で撃ち殺すのとでは、道義の上で違いはあるのか。要するに、爆撃する場合は、相手の姿が見えない、あの女性とあの子供を殺そうと意図するわけではないし、いずれにせよ、相手は防空壕に避難するなどして爆撃を逃れるかもしれないということか。しかし、彼らを壁際に追い詰め、数センチも離れていない場所から銃口を向けた場合は、彼らに逃れる術はない。この状況は、より直接的である。攻撃側の人間に、相手の目が見えるのだ。それこそが違いなのだろうか。高度6.000メートルから殺人を犯す場合には、相手が誰か特定できないからいいのだろうか。
これまで述べてきたことにもとづき、以下の疑問にはこう答えたい。
地域爆撃は必要だったか―必要ではなかった。 目的にふさわしかったか―ふさわしくなかった。
人々の努力により、戦争を抑制し制限する方法として明文化された人道主義の原則に反していたか―反していた。 西洋文明で500年前あるいは、2.000年前から認められて同意されている道義上の一般基準に反していたか―反していた。
由緒ある国家法の規定、すなわち殺人、財産の破壊を違法とする規定に反していたか―反していた。 要するに、地域爆撃は悪いことだったのか―悪いことだった。 非常に悪いことだったのか―非常に悪いことだった。
さらに、我々にとってかなり厄介な疑問がある。我々側の人間に関する疑問である。爆撃隊員は、地域爆撃の実効を拒否すべきだったのか―拒否するべきだった。現実にも、もちろん戦時にもあり得ないことだが、彼らは厳密に産業施設と軍事拠点のみを標的とする任務を要求すべきだった。また避けられない「付随被害」は、彼らの行動が一般市民にもたらす影響として容認できる最悪のものとなるべきだった。彼らの多くは、いずれにせよ自分がしているのはまさにそういうことだと考えたか、無理やり考えようとしただろう。また、通常はそのように教えられており、中には心理的に自分を守るためにそう思い込むことを選んだものもいただろう。
だが、自分のしていることを充分に自覚し、それを甘受し、密かに苦しみ、後悔したものも多かったのである。しかし、戦時には敵を憎むように教えられるものであり、第二次世界大戦中の連合国の爆撃隊員は、当然ながら敵国を悪者と信じていた。爆撃機集団と太平洋戦域のアメリカ陸軍航空軍の乗務員は、一般市民を標的とする地域爆撃について、社会と上官のほとんどから支持されていた。そして、彼らはその両方を必要とした。また、自分が正当な戦争を戦っている。―これは本当だった―という確信を必要とした。それによって勇気を得て、出撃し、後の平和な時代にどう言われようと、非常に危険なことは間違いない任務を遂行したのだ。
『大空襲と原爆は本当に必要だったのか』 A・C・グレイリング
週150分の運動で寿命は4年伸びる!
運動が体に良いことは誰でも知っている。しかし、生活習慣病を予防するために、具体的にどの程度の運動を週に何回くらいすればいいのか。診断に訪れる患者さんに指導するたびに迷う。2008年のWHOの運動ガイドラインによれば、一週間で150分の中程度の運動が推奨されている。一日、約20分から30分程度の運動である。
台湾の国立彰化師範大学のボウエン・ク博士の調査によると、米国では成人の3人に1人がWHO推奨基準を満たしているのに対し、東アジア人では、成人の5人に1人しかWHO推奨基準に達していない。それでは、WHO基準を満たさない大半のアジア人は、運動による健康増進効果がまったく期待できないのであろうか。
台湾国立衛生研究所のチバン・ウェン博士らは、1996年から2008年に医学選別プログラムに参加した台湾人42万人を平均8時間追跡した。1日に15分程度しか運動していない人とWHOの基準を満たしている人で、死亡率及びガンの発生率を比較・検討し、その結果を英国の医学雑誌ランセットに公表した。
ウェン博士らは調査対象を、ほとんど運動しない郡(22万人)、1日に約15分、週に平均90分の運動をしている低運動量郡(9万人)、週に150分のWHO基準を満たす中程度の運動量郡(10万人)の3群に分類し、各郡の死亡リスクから平均余命を計算した。すると、低運動量郡は、運動をほとんどしない郡に比べて、全死亡リスクが14%、ガンによる死亡リスクが10%低かった、さらに、30歳時点での平均余命は男女とも約、2.5〜3.1%長かった。以下略
つまり、運動の健康増進に対する効果は、運動時間が長ければ長い程高いこと、1日15分の運動でも充分に効果があることがわかったのである。また、バージニア大学のアミー・ハム博士は、1980年から1982年の間に、ホノルル心臓プログラムに参加した61歳から81歳までの707人の非喫煙男性を12年間追跡調査し、1日に歩く距離と健康増進効果の関係を検討した。その結果、1マイル(1.6�繊砲�ら2マイル歩いている人は1日に1マイル以下の人に比べて、死亡率が15%、2マイル以上歩いている人は死亡率が21%減少していることがわかったと報告した。
いずれの報告も、ウォーキングなど毎日の軽い運動が健康増進効果につながることを示している。目標を高く設定して三日坊主になるよりも、毎日持続するほうが長寿には重要なのである。
順天堂大学教授 白澤卓二
『週刊現代』
| 2013年06月23日(日) |
大空襲と原爆は本当に必要だったのか�� |
連合国の絨毯(じゅうたん)爆撃とか集中爆撃、抹殺爆撃、大量爆撃などと呼ばれる地域爆撃の道義性を問えば深刻な論争になり、激しい感情をかきたてる。こうした戦争中に始まっていた論議は、連合国の爆撃作戦を公然と擁護する意見と、公然と非難する意見とがあり、前者の方が圧倒的多数である。そのどちらにも属さない人々は、「この問題は難し過ぎるから、哲学者に議論させるべきだ」と言う。その言葉を受けて立とうというのが本書である。
最初に二つのことをはっきりさせておかなければならない。第一に、第二次世界大戦における連合国の爆撃が、同義的に見て完全に、または部分的に間違っていたとしても、道義に反する残虐行為としての規範は、ヨーロッパのユダヤ人対するホロコーストや、ナチと日本の侵略によって世界中で行なわれた殺戮と破壊により、全体で2.500万人もの人々が殺されたことには遠く及ばない。
ドイツと日本の一般市民を意図的に攻撃目標とした連合国の爆撃で殺されたのは、民間の成人男女と子供を合わせておよそ80万人だった。侵略者である枢軸国に対する爆撃は、彼らの戦争遂行能力と意志を弱めることが目的だった。一方、600万人のユダヤ人の殺害は、人種主義による大量殺りく行為だった。この二つの間には、非常に大きな違いがある。
しかし、連合国が爆撃作戦で本当に道義的な間違いを犯していたなら、その間違いが枢軸国の犯した間違いの重大さに遠く及ばなかったとしても、それによって間違いでなくなるということはない。連合国の爆撃による一般市民の死者80万人という数字は、そのほとんどすべてが市街地への意図的な無差別爆撃だったが、それ自体が驚異的である、しかも、負傷した精神的な打撃を受けたり家を失ったりした人々は、多くの点で死者より苦しんだにもかかわらず、この数字に含まれていないのだ。
この問題を巡る議論は、連合国が行なった不道徳な行為を枢軸国のそれとを比較することによって論点が曖昧になることが多い。そうした比較では、必ず連合国に有利な結論が出され、問題は結局そのままになってしまう。比較すれば、問題が解決するとでもいうように。だが、そうではない。そうではないからこそ、この問題に立ち返り、解決しなければならないのだ。
しかし、本書の主張を修正主義とみなすのは間違っている。ドイツと日本の一般市民も悪い行いに苦しめられたと結論づけるとしても、ナチズムとその恐ろしい残虐行為や日本の軍国主義と侵略を弁護するわけではない。第二次世界大戦についてはすでに十分な検討を重ねてきたので、私たちはこの二つの違いを見分けられるはずだ。ナチズムに対する修正主義者の弁解は受け入れられないし、ナチ時代の多数のドイツ人、おそらくはその大部分が、ヒトラーの行動の大半を支持していたことは認めなければならない。それゆえ枢軸国の一般市民は当然の報いを受けただけであり、連合国が悪いことをしたかどうかと思い悩むのは時間の無駄だと多くの人が考えている。
だが、繰り返すが、そういう考えでは問題は解決しない。無防備のユダヤ人を穴に入れて機関銃で撃ち殺したSS隊員は、その犯罪のために死刑に値する。だが、普段はたとえは会計士として働いている一般市民が、腕を伸ばしてヒトラーに敬礼し、彼の政策を承認しても、その行動のために爆撃で処刑されるには値しないだろう。
そして、SS隊員は処刑される前に身元を確認され起訴されただろうが、ナチを支持した会計士は民間の防空壕の中で死んだかも知れず、その横で、ヒトラーを嫌い、ナチの戦争を支持しなかった人も死んだかもしれないのだ。だから、たとえ前者がナチズムを支持したという事実のみで死に値したとしても、その横にいた人の死は、あまりにも高い代償だっただろう。いずれにせよ、こうした思考は問題の重要な点ではない。連合国が、枢軸国の大規模な悪事にそれより小さい悪事で対抗したのだとしても、連合国の悪事が悪事であることに変わりはないのである。
それでも、ここで微妙な違いを考慮しなければならない。公正を帰するために、こう問わねばならないのだ。より大規模な悪事に対抗するために行なわれた連合国の悪事は、確かに悪事だったとしても、どうしても避けられない状況に置かれたためではないか?正当化や罪の軽減が必要なら、それを訴えることができるのではないか?なぜなら、次のことを忘れてはならないからだ。すなわち、人を殺すのは悪いことだが、殺されそうになった人が自分の身や家族を守るために相手を殺した場合は、少なくともその状況が考慮されるという点である。したがって、問題の全体像をとらえた後、この点も検討しなければならない。
もう一つ、是非ともはっきりさせておかねばならない点がある。連合国の地域爆撃機の道義性を問うのは、ナチス支配下のヨーロッパに対する爆撃任務を遂行したイギリス空軍とアメリカ陸軍航空軍の男たちの勇気と犠牲に疑義をさしはさむためではない。連合国の爆撃作戦の道義性を批判したり、あるいは単に論じたりするだけで、彼ら乗務員たちの貢献に異議を唱えているとみなされることが多い。邪悪で危険な侵略に対する正義の戦いであり、必要な戦いだったあの戦争で、彼らは尊い犠牲を払ったのに、それをおとしめようとしていると解釈されることが多いのだ。
本書のいかなる記述も、それら軍人たちの勇敢な行為をおとしめるものと解釈すべきではない。敵地の空へと飛び込み、機関銃や高射砲による攻撃を受け、戦友の乗った飛行機が炎上しながら落ちていくのを目の当たりにし、生還の可能性が低いことを知りつつ任務を遂行するために、敵地の上空へ何十回も襲撃するのがどれほど大変なことかは、容易に想像できる。それでもやはり、そうした勇気を必要とする行為が結局は間違った行ないだったなら、勇気を持って行なった行為だからといって、間違っていたという事実が変わるわけではない。
この論理は、歴史学者が1939年から1945年の爆撃戦を論じるとき、その道義性を問おうとしない姿勢に暗黙のうちに示されることが多い。道義性を問うのは操縦士や砲手や航空士や爆撃手に対する不当な仕打ちだ。戦争を仕掛け、抑圧によって世界を脅かした敵を相手に、彼らは命をかけて戦ったのだからと歴史学者はいう。
こうした弁護をしばしば支えるさらなる根拠がある。当時は、一般市民を爆撃するのが間違っていると考える人が多数ではなかったのだ。英米両国の多くの国民が一般市民への爆撃を支持し、枢軸国がそのような報酬と処罰を受けるのは当然だと考えていた。従って、連合国の爆撃機の乗員たちは、政府と最高司令部からの明確な指令に加え、国民の支持も受けて行動したのだ。
1945年にドイツ国内の強制収容所が解放された時、ドイツ人に対する人々の怒りは一層激しくなった。その結果、連合国の国民は破壊しつくされたドイツの市街地のニュース映像を見て、ドイツが世界に戦争を仕掛けその国民が恐ろしい非人道的行為をはたらいたのだから、罰せられて当然だと考えるようになった。つまり、爆撃機に乗り込んでナチ支配下のヨーロッパの危険な空へと出撃した乗員たちは、自分は正義の戦争を戦っているという信念―それは真実だった―と、自分自身に恥じないやり方で戦っているという、これも真実である信念によって鼓舞されていた。
戦争が終わったあと、しかも彼らが立ち向かった危険にまったく直面せずにすんだ人々から、道義に反する犯罪に加担したといわれ、のちの国際法に照らして法的な犯罪にも加担したといわれれば、受け入れ難い侮蔑と感じるのが当然である。本書は、第二次世界大戦でヨーロッパをおおう危険のただ中に飛び込んでいった人々を、そのように侮蔑しようとするものではない。
『大空襲と原爆は本当に必要だったのか』 A・C・グレイリング
東京のコンパクトな計画が高評価 不安視はマドリードの「経済」イスタンブールの「安全」
国際オリンピック委員会(IOC)は6月25日、2020年夏季五輪誘致を目指す東京、マドリード、イスタンブールの3都市の開催計画に対する評価報告書を公表した。東京は選手村から半径8キロ圏内に競技会場の85%、トレーニング施設の70%を配するなど、「選手村から大部分の会場の間を20分程度で移動できる」コンパクト計画を強調した。その点をIOCも高く評価した。競技会場を新設する場合も、新たな用地買収は必要ないとし、財政や輸送などにも良好な評価を与えた。開催ビジョンついて、「2011年の東日本大震災と、それに伴う津波災害から立ち直ろうとする国民に希望を与えること」とし、「津波の危険性は、地形や東京湾の形から大幅に減じられる」とした。」
これについてIOCはさらなる安全策のため「堤防などの新設も必要」と注文し、都民は災害や緊急事態に対し「よく訓練され、準備もでき、経験も豊富」と付け加えられた。また、震災直後に電力供給に多大な支障が出たが、現在は震災前のレベルに戻り、現時点でも開催に充分。「2020年に向けてさらに良くなるだろう」と太鼓判を押した。
一方で、ライバルのイスタンブールは隣国シリアとの内戦による安全面の不安、2016年に続いてついで争うマドリードは経済危機の影響を指摘された。100ページを超える報告書は、9月7日のブエノスアイレスのIOC総会で投票する約100人の委員の参考資料になる。
4年前の反省が生きる マイナス面が少なく、招致へ勢い
4年前のように、強みと自負した計画面に予想外の注文がついた時と違い、今回の報告書は東京にとってマイナス点の少ない内容となった。訴える「安心、安全、確実な五輪」が評価され、残り2ヶ月余りの招致レースで、ラストスパートに入る。選手村建設用地の狭さや、五輪スタジアム周辺の交通への懸念を示された前回の、2016年五輪誘致から計画を修正し、昨年の第一次選考で47%と最低だった開催支持率も上昇し、大きく見劣りしなくなった。電力供給や地震・津波対策の不安も解消され、経済危機を抱えるマドリード、安全面のリスクを指摘されたイスタンブールと比較して、「致命傷」となるような失点はない印象だ。
投票権を持つIOC委員の参考資料となる評価報告書は、必ずしも勝敗を左右しないが、前回はリオデジャネイロが報告書の高評価を追い風に誘致を勝ち抜いた。スイスで開かれるIOC委員への計画説明会を7月3日に控え、東京誘致委員会の水野専務理事は「報告書を精査したうえで、プレゼンテーションに生かしたい」と意気込む。
接戦になれば勝負を分けるのは、日本が苦手とする「外交力」とされ今夏の陸上や水泳の世界選手権も、貴重なロビー活動の舞台となる。開催意義が今一つ分かりにくい東京が、いかにIOC委員の心を掴むか。いよいよう正念場の戦いとなる。
◆開催都市の決定方法
9月7日の国際オリンピック委員会(IOC)総会で、約100人の委員が無記名で投票する。ロゲ会長と候補都市の国の委員は、参加しない。1回目で過半数を得る都市が出ない場合は、最小得票の都市を除外して2回目を行なう。この際、落選した国の委員は投票に加われる。2016年五輪誘致で、東京は2回目で落選し、決選投票でリオデジャネイロがマドリードを破った。
『西日本スポーツ』 6.26
| 2013年06月18日(火) |
世界を揺るがした10年�� |
湾岸戦争とブッシュ親子の戦略
ベルリンの壁崩壊は、第二次世界大戦後の世界史に最も大きな衝撃を与えた事件である。文字通り世界が変わる歴史的瞬間だった。この瞬間から「世界を揺るがす10年」がスタートし、激震をもたらす。ドイツ統一から東ヨーロッパ圏の共産主義体制崩壊、北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大、湾岸戦争、ユーゴスラヴィア内戦を経て、ソ連が瓦解した。これらの大事件はいずれもベルリンの壁崩壊2年のうちに発生した。雪崩を打ったような激変だった。
ベルリンの壁だけでなく、実は「世界の壁」そのものが崩壊し始めたのである。壁が崩壊するということは国境がなくなり、ボーダーレスになるということである。我々日本人の国境意識は鮮明ではない。ヨーロッパやアジアなど大陸諸国にとって、国境とは何百万、何千万という同胞の墓標が築いた命綱のようなものである。国境の外へ一歩踏み出すと命を落とすのは、日常的な出来事だった。一本の国境線が無数の人々の運命を裁断した。その国境がなくなる…。
ベルリンの壁崩壊を受け、ドイツ情勢を取材するためボン支局に赴任することが内定した時、イラク軍がクエートに侵攻した。1990年7月末のことである。なぜイラクは侵攻したのか?イラクはイランとの8年に及ぶ戦争で疲弊しきった国力を回復するため、クウェートの石油資源を奪取しようとしたのである。
侵攻の一つの引き金になったのがベルリンの壁崩壊だった、と私は考えている。ベルリンの壁崩壊は、国境の人為的な設定に対する諸民族の反抗を誘発し、スラブ世界を中心とする国際社会に解体と分離の遠心力を生んだ。「国境は永久に固定したものではなく、変更が可能なんだ」という意識が諸民族のアイデンティティーを呼び覚ました。湾岸戦争におけるイラクのクウェート侵攻も、うがった見方をすれば、サダム・フセイン大統領が冷戦終結の流れを見て「国境線をもう一度、自分で引き直しても問題ないだろう」と踏んだ面がなかったとはいえない。
湾岸戦争は全世界を巻き込み、1991年3月3日に多国籍軍の勝利で幕を閉じた。しかしフセイン大統領は湾岸戦争で負けてもしぶとく生き延び、ブッシュ米大統領に地団駄を踏ませた。ブッシュは「腰ぬけ」「弱腰」と非難を浴び、結局、クリントンに敗れて大統領の座からも追われた。だが、因果は巡り、そのブッシュ大統領の息子の二代目ブッシュ大統領から2003年に戦争を仕掛けられて、フセイン政権は崩壊した。フセインは2004年、農家の軒先の地下壕に隠れているところを発見され、拘束された。フセイン政権の攻防も、20世紀末から21世紀にかけての世界の大転換と重なっている。
イラクや北朝鮮を「ならず者国家」と呼んで敵視した二代目、ジョージ・Wブッシュ大統領もイラク戦争後、戦争の大儀だった核査察に絡む偽証やイラク人捕虜への虐待で窮地に追い込まれた。マイケル・ムーア監督の話題の映画「華氏911」でも、こっぴどくからかわれた。しかし2004年末の大統領選でケリー候補に辛勝、北朝鮮やイランなどの「圧政国家」打倒に燃えている。息子のブッシュは湾岸戦争における父ブッシュの「弱腰」への反省から、危険な「強いアメリカ」論をより強く打ち出すようになった。ソ連崩壊後の一極支配体制の矛盾がブッシュ政権の世界戦略に現れている。
疾風怒濤のグローバル時代へ
ベルリンの壁崩壊は、米ソによる冷戦構造の維持がコスト的に限界に来た時、引き起こされたものである。第二次政界大戦後、半世紀近くにわたって築き上げられた世界経済の土台は疲弊していた。ミリタリーパワー、ゲームの上で展開されてきた世界経済の矛盾は極限に達していた。とりわけソ連の経済が危機的だった。このまま米国と軍備拡張競争をしていては自滅する。その危機感が共産圏の結束を緩め、壁崩壊へつながった。量的な変化の積み重ねがこの一点で質的変化を生み、世界史の転換をもたらした。
偶然の要素も働いたが、現象そのものは歴史的必然である。先に触れたように、冷戦に突入する前、西ヨーロッパと東ヨーロッパをつなぎとめようとする最後の試みは1947年のマーシャルプランだった。しかし、ソ連が東ヨーロッパ諸国の参加を禁じたため挫折した。西側世界、とくに西ドイツは東からの逃亡者らが流れ込み、居住地の建設や雇用創出に追われた。
東側世界はソ連化が進んだ。冷戦構造の定着とともに、東西ヨーロッパ間の経済交流は薄れた。せいぜい個人間の結びつきや援助に限られた。旅行も長い間、規制された。東西間の壁は厚く高かった。その裏側でヨーロッパの植民地帝国が崩れ、世界文化の脱ヨーロッパへの忠誠を捨てた。最初にヨーロッパ離れを起こしたのはインドと中国である。アラブ、アフリカ諸国の独立はもっと時間がかかった。最後は中南米諸国。北米との闘争過程でアイデンティティーを取り戻し始めたのは、1970年代以降である。
冷戦終結の下地となったのは、ヨーロッパ共同体(EU)の経済統合である。EUは経済統合の成功によってヨーロッパ硬化症から立ち直り、ソ連を刺激した。ゴルバチョフは「このままではヨーロッパの繁栄から取り残される」と危機感を抱き、ペレストロイカ政策を打ち出した。これが東西交流を促すきっかけとなり、ベルリンの壁崩壊へとつながったのだった。だが、その底にはもっと大きなエネルギーの始動があった。
1989年以降の10年間で世界は激変した。冷戦の終結によって「閉じられた世界」は「開かれた世界」となった。世界の政治地図は大きく塗り替えられ、世界経済のパラダイムも転換した。中・東ヨーロッパ諸国の経済改革とEUへの接近、ロシアと中国の世界経済への参入、南米諸国の復活、南アフリカ共和国のアパルトヘイト政策の撤廃。これらを後押しした根源的なエネルギーは同じものである。このエネルギーが競争激化を生み、壁を突き崩した。グローバリゼーションである。
グローバリゼーションとは一言でいえば、経済、政治、社会、文化が地球規模で融合するボーダレス現象である。「国際経済」が国民国家時代の概念とすれば、「地球経済」と呼んだ方が適切な、そういう新しい次元に入っている。ベルリンの壁崩壊の前に起きた中国の天安門事件もこうした流れの一環だった。1998年5月下旬にはインドネシアのスハルト体制が崩壊した。民主化を求める声を無視し続けてきた32年に及ぶ開発独裁体制の足場を突き崩したのもグローバリゼーションだった。巨大なうねりとなった市場経済の力が大統領一族の利権を守ってきた規制の壁を押し倒したのである。
つまり、グローバル化によって東西の壁が崩れ、東西の壁崩壊でグローバル化かが加速した。それのベルリン封鎖に対抗し、米国などが1948〜49年に実施した「ベルリン空輸作戦」の50周年式典が1998年5月、ベルリンで開かれた。席上、ビル・クリントン米大統領は「共産圏が恐怖と不安という手段で戦おうとしたのに対し、我々は友情と確信という手段で対抗した。空輸作戦は自由を望むすべての人間の勝利だった。だが、自由への戦いはまだ終わっていない」と演説、自由世界の一層の拡大を訴えた。
グローバル化とは自由化である。自由化で国境がなくなる中、経済ブロック化が進むという一見矛盾した現象も起きている。世界経済戦争の中で生き残っていくには、地域が共同戦線を張り、対抗するしかないからである。地域経済は、200年前の産業革命にも匹敵する構造変化の時代に入った。構造変化の磁場から誕生したのがユーロである。20世紀ヨーロッパの総決算ともいえるユーロの導入は、ベルリンの壁がなくなったことによって早まったのである。壁が崩れなかったら、そしてドイツが統一されなかったら、導入は10年後、あるいは20年後になったかもしれない。そこにユーロの世界史的意味が暗示されている。政治的にも、経済的にも、ユーロは21世紀世界の新しいパラダイムを占う試金石だった。
『世界を揺るがした10年』山本武信
| 2013年06月17日(月) |
世界を揺るがした10年�� |
ベルリンの壁崩壊から9.11まで
歴史には決定的瞬間というものがある。ある日突然と思えるような瞬間に、世界ががらりと変わってしまう。打ち上げ花火が夜空ではじけて鮮やかな大輪の花を咲かせるように、あらゆるものが劇的に変化する。そういう決定的瞬間が1989年11月9日のベルリンの壁崩壊だった。この瞬間を起点に、歴史は予想を超えた方向へ展開した。政治、経済のみならず、、文化、教育、科学、宗教に至るまでさまざまな領域で、アッと驚くような出来事が相次いだ。
東西ドイツが統一し、湾岸戦争が勃発し、ソ連が瓦解した。マイクロソフトの怪物ソフトがパソコン市場を制覇し、独ダイムラー・ベンツと米クライスラーが合併し、ユーロが誕生した。旧ユーゴスラヴィアでは内戦が続き、世界金融危機が発生し、ITバブルが弾けた。そして2001年9月11日、世界を震撼させた米中枢同時テロが起きる。ベルリンの壁崩壊から米中枢同時テロまでの10年余りの間に、世界は大きく転換した。ベルリンの壁崩壊に伴う冷戦終結により、世界全体のプレートが変動し、20世紀の常識は崩れ去った。世界を揺るがしたこの10年は、文明が変わるマクロ転換の10年だった。
生物学的に見ると、人類はこの10万年というもの、ほとんど変わっていないらしい。しかし20世紀末から21世紀にかけての短い期間に、人間と社会はラディカルに変化した。これほど激しい変化の時代は史上例がない。ドイツの哲学者ヘーゲルは「歴史上、最も幸福なページは白紙である」と言っている。平和な時代は変化に乏しく、記述が少ない。時代が揺れ動き大きな異変や事件があった時ほど、歴史のページは厚い。とすれば、世界を揺るがした世紀末の10年は人類にとって果たして幸福だったのか、それとも不幸だったのか?答えはまだ出ていない。結論は、21世紀の地球社会がこれからどういう方向へ進むかにかかっている。その鍵を握っているのは、グローバル時代を生きる地球市民一人一人の意識と行動である。
20世紀は戦争と革命と技術革新の世紀だった。その壮大な矛盾がスパークして、最後の10年間に一気に噴き出した。1989年11月9日のベルリンの壁崩壊から、2001年9月11日の米中枢同時テロまでの10年余り。この世紀の変わり目に、世界は大きく転換し、人々の生活や意識も変わった。規模とスピードにおいて、史上空前の変革の波だった。政治、経済、社会から思想、文化、技術まで、地球全体のパラダイムが根本から転換したという意味で「文明のマクロ転換」である。視点をロングに引いていくと、その意味がより鮮明になってくる。グローバル化とネットワーク化。その磁場で、世界史に刻まれるようなドラマが数限りなく演じられた。
東西ドイツが統一し、東ヨーロッパ各国で市民革命が起きた。湾岸戦争が勃発し、ソ連が崩壊した。市場経済が地球規模で浸透し、アジア金融危機が世界経済へ波及した。ヨーロッパ単一通貨ユーロが誕生し、独ダイムラー・ベンツと米クライスラーが合併して初の本格的な世界株式会社となった。マイクロソフトのウィンドウズ95がコンピューター業界を制覇し、インターネットを舞台にIT革命が急進展した。旧ユーゴスラヴィアでは内戦がくすぶり、米中枢同時テロが発生した。その余波で2003年3月に対イラク戦争が始まり、世界中でテロが連鎖的に発生するようになった。
拾い上げればきりがないくらいに、この10年間に世界史的な事件が集中している。状況は多様にして複雑だが、一つだけ確かなのは、多くのリスクを秘めながら地球共同体を確立するためのインフラか整いつつあるという事実である。後世の歴史家はこの「世界を揺るがした10年」を「一つの地球」へのビッグバンを生んだ人類の星の時間として記憶するに違いない。ただ、この星の時間が真の光明となるかどうかは、地球市民のこれからの意識と努力次第である。「地球社会は破滅へ向かっている」という悲観論の振幅の大きさが地球の未来を暗示している。個人の人生にも、世界状況にも、常に予測可能な力と予測不可能な力が働く。予測不可能な力にどう対応するかが、先行きを占ううえで決定的な意味を持つ。必要なのは、めまぐるしく変化する世界の全体状況に対する客観認識である。歴史認識とグローバルな視野がなくては、真実は見えてこない。真実とは、いってみれば、空間的な縦軸と時間的な横軸からとらえたトータルな姿である。
ナチスの総統アドルフ・ヒトラーを生みだした20世紀前半の政治・経済情勢と、この人物が決定づけた20世紀後半の政治・経済情勢。20世紀という時代は、他の誰よりもヒトラーが最もシンボリックに体現している。そこに、この世紀の特異性がある。ヒトラーはなぜ人々の心をとらえ、世界支配という狂気へ走ったのだろうか?
第一次大戦で敗戦したドイツの経済は、悪化の一途をたどり、政治も混乱した。破局的なインフレが起きて、パンやシャツを買うのにリヤカーで札束を運ぶような状況となった。1929年に米ウォール街の株が暴落し、世界恐慌が発生し、ドイツ経済を一段と圧迫した。失業者は1930〜32年に600万人近くに達し、民心は荒廃した。
そんな時代の裂け目に登場したのがヒトラーである。資本からの強い支持を受けたヒトラーは国民の不満を巧みに利用し、ドイツの誇りをズタズタにしたヴェルサイユ体制の打破と反ユダヤ主義を掲げて党勢を拡大した。1933年1月30日、ついに首相の座につくと、国会放火事件をでっち上げ、政敵を弾圧した。一党独裁体制を確立し、ユダヤ人抹殺に乗り出した。「世界的な事件はすべて人種の自己保存運動の表現にすぎない」(『わが闘争』)というヒトラーは、ユダヤ人を「他民族に寄生する全民族の敵」と見なした。ナチズムのイデオロギーは反ユダヤ主義、ドイツ至上主義、反マルクス主義、そして闘争信仰である。
イタリアではベニード・ムッソリーニが「戦闘的ファッショ」を組織し、クーデターによって独裁体制を築いた。スペインではフランシスコ・フランコ将軍が反乱を起こし、ヒトラーとムソリーニの支援を得て1939年に軍事政権を樹立した。ヨーロッパ最強となったドイツはこの年、第一次世界大戦の復習戦ともいうべき侵略を開始した。まずオーストラリアやチェコスロバキアを併合し、第二次世界大戦の火ぶたを切って落とした。1940年4月、デンマークとノルウェーを占領。5月にはオランダ、ベルギー、ルクセンブルグに侵攻した。さらに6月にはフランスを押さえ、ヨーロッパをほぼ手中に置いた。占領されなかったのはドイツと友好関係にあったスペイン、ポルトガルを除くと、英国、それに中立国のスウェーデンとスイスだった。
ナポレオンのヨーロッパ征服と同じように、ヒトラーはドイツ民族が支配するヨーロッパを創ろうとした。血みどろの戦いの末に金髪の北方ゲルマン民族であるアーリア人が世界を支配するという大ゲルマン帝国の青写真。ユダヤ人問題の「最終戦争」としてのせん滅作戦…。それはヨーロッパを一つにしようとする歴史上のあらゆる試みの中で、最も無謀なものだった。没落への恐怖心が「ヒトラー」という狂気を生みだしたのである。戦争とはむごいものである。ごく普通の常識を持った普通の人間が、極限状況の中で非人間的な狂気に代わる。とりわけ軍隊や憲兵の人権蹂躙には目を覆うものがあった。人々を虫けらのように扱った。
軍服を着ると、人間というものは軍歌を歌うようになる(『人間の土地』)
というフランスの作家アントワーヌ・サン=テグジェリベリの言葉は、人間と戦争の本質を突いている。軍服を着ると人間は状況次第で残酷になるものらしい。ドイツでは、好ましくない書物はすべて焼かれ、火葬場はいつも不気味な煙を吐いていた。2003年のイラク戦争でも、米軍はイラク人捕虜を虐待し、世界中の非難を浴びた。英国の喜劇王チャールズ・チャプリンが映画『独裁者』を作ったのは1940年。文字通り命がけの制作だった。独裁者ヒンケルに扮したチャプリンは最後の場面で演説する。
「私は独裁者になりたくはない。支配したくはない。できれば援助したい。ユダヤ人も、黒人も、白人も、人類はお互いに助け合うべきである。世界には全人類を養う富がある。人生は自由で楽しいはずである。貪欲は人類を毒し、憎悪をもたらし、悲劇と流血を招く。思想だけがあって感情がないと、人間性が失われる。知識よりも思いやりこそが必要である。思いやりがないと、暴力だけが残る。兵士諸君、犠牲になるな。人生はもっと美しく、もっと素晴らしいものだ」
ヒトラーに向かって、全人類に向かって、この言葉を伝えるために、チャプリンは無声映画へのこだわりを捨ててトーキーの世界に踏み込んだ。独裁者の狂気とナルシズムを鋭く暴いた反ナチス映画の金字塔である。第二次世界大戦は、ファシズム連合と反ファシズム連合が生き残りをかけて戦った、文字通り人類の総力戦だった。ヒトラーの野望は、米国、英国、フランス、ソ連などの連合国軍の猛反抗で挫折する。
1945年4月30日、ヒトラーはベルリンの総統官邸の地下壕に追い詰められ、愛人エヴァ・ブラウンと共に自殺し、戦慄の歴史にピリオドを打った。死の直前、ヒトラーは放心状態となり、ほとんど口を聞かなかったと伝えられている。3日前にムソリーニはパルチザンに射殺され、ミラノの広場に逆さ吊りされて踏んだり蹴ったりされた。その二の舞にならないよう、自殺を選んだともいう。ヒトラーが残した雑多な書類の中には、故郷リンツに宛てた自画像と、ドイツ国民への最終命令があった。「どんなことがあろうと人種法を厳守し、万国の害毒である国際ユダヤを根絶やしにすること」
文豪トーマス・マンの息子で歴史家のゴーロ・マンが言うように、追い詰められたヒトラーは自らの火葬の炎とともに、世界を道連れにして破滅させようとしていたのかもしれない。ヒトラーの死とともに、人類史上最も悲惨な戦争は終わった。
『世界を揺るがした10年』山本 武信
| 2013年06月16日(日) |
アメリカVS中国の暗闘 |
TPP参加を巡るアメリカ・中国の暗闘
6月7〜8日に行なわれる米中首脳会談を前に、中国がTPP(環太平洋経済連帯協定)に参加する可能性が急浮上している。中国財務省の報道官は「TPPの利点や問題点及び参加の可能性について分析する」と、前向きなコメントを発表している。日本でさえ反対が根強いTPPに、共産主義国である中国が参加することなどありえるのだろうか?「米中首脳会談を控え、”開かれた中国”を」示すゼスチャーにすぎない」(外資権証券エコノミスト)との冷めた見方が大勢だが、「中国は本気だ」(他の外資権証券エコノミスト)との声も聞かれる。
中国政府関係者によると、今年3月以降、中国を訪問した米国の元高官を通じてTPP参加の働きかけがあった。これを受け季克強首相は具体的な検討を進めるよう担当者に指示したという。実は同じようなことが日本でもあった。国会でTPPの集中審議が行なわれていた2011年11月11日、ヘンリー・キッシンッジャー元国務長官が来日し、野田首相(当時)と会談した。TPP交渉参加表明に呻吟する野田首相にキッシンジャー氏は、「『ゆくゆくは中国もTPPに入ってくる』と説いた。(民主党議員)という。
だが、中国のTPP参加は容易なことではない。「TPPの本質は自由経済のルールを迫ることにある」(商社エコノミスト)ためだ。自由経済のベースは私的財産の保障にあるが、中国は個人の土地所有すら認めていない。そして最大の焦点は、国営企業の民営化にある。中国の企業は実質的にすべて国営企業である。実際、米国議会では中国の国営企業群が議論の的になっている。
昨年1月の米下院歳入委貿易小委公聴会では、マランティス次席通商代表が「TPPはアジア太平洋地域統合のプラットホームであり、中国を含む他の国にもこれを広げていきたい。今世紀型の防衛協定にふさわしく、国営企業やイノベーション政策に関する内容も盛り込んでいる」と、TPPが中国を変える武器となりうることを示唆している。
もし中国がTPPに参加して国営企業が民営化されれば、その破壊力はソ連崩壊にも匹敵する。米国はそこまで見据えた戦略を展開しているのだ。
(ジャーナリスト・森岡英樹)週刊文春6.13
| 2013年06月14日(金) |
日本に古代はあったか |
日本の奴隷制
ある時代が古代なのか中世なのかは、当該時代の生産様式によって決められる。労働にいそしむ人々のありようから、判断されるべきである。そう考える歴史家たちもいる。いわゆるマルクス主義史学の歴史家である。古代の社会は、奴隷制によって支えられていた。中世では、かわって農奴が主要な生産者になっていく。マルクス主義史学でいうところの封建制である。この学派は、中世を農奴制=封建制の時代として、とらえていた。古代から中世へという移行は、奴隷制から農奴制へという移り変わりの中に読み取れる。マルクス主義史学は、歴史の発展をそういうものとして語ってきた。社会の根底をなす生産者こそが、歴史を左右するというわけだ。
周知のように、古代ギリシアの都市国家は多くの奴隷をかかえていた。ローマ帝国の農業生産も奴隷たちによって支えられている。ローマの富豪は大勢奴隷を使って、大農園を営んでいたのである。よくいわれるほどに、奴隷労働の比重が大きかったのかどうかは疑問だが。
いずれにせよ、中世化の進んだヨーロッパでは、彼らの存在が後景へしりぞきだす。かわって、ある程度の自立性を持つ農奴がうかびあがってきた。マルクス主義史学は、そんな趨勢から例の見取り図をひねり出しいている。奴隷から農奴へという移行は、ローマ帝国解体史の中から掘り起こされたのである。だが、奈良時代や平安時代に、ギリシアやローマと同じ規模の奴隷がいたとは思えない。日本にも「奴婢」がいいたことは間違いないだろう。いくつかの、例えば班田制がらみの資料が、その存在を示している。
しかし、彼らの人口比はごくわずかである。どう大きく見積もっても、一割は超えまい。さらに、彼らは一種の家内奴隷として、主に仕えていた。農業には「奴婢」以外の人民も大勢携わっている。「奴婢」の働きが、同時代の基本的な生産を支えていたと考えることは、不可能である。律令に定める班田農民は、特定の奴隷主を持っていない。また、家族生活も営んでいた。有力者にその生産物をピンハネされることはあったろう。だが、それでもある程度の自立性は保っている。そして、数は「奴婢」よりもずっと多い。
彼らが農奴と呼ぶにふさわしい存在であったかどうかは不明である。しかし、奴隷であったとは思いにくい。彼らを奴隷だと決めつけ、奈良時代を奴隷制、つまり古代だとみなすのは無茶だと思う。班田農民がうかびあがってくるのは、律令制の時期である。そして、一般にはこの時期が古代の完成期だとされている。しかし、そんな時期においてさえ奴隷制はなりたっていない。古代的な時代には、なっていなかった。まして、律令制の前史やその解体期が古代であったとは、到底思えない。
『日本に古代はあったか』
日本国憲法へのもう一つの道
天皇制存廃をめぐる連合国内の暗闘
実際に日本と戦争をしていたのは、太平洋地域のアメリカを除けば中国大陸で、15年間も宣戦布告のない長い戦争が続いていた。1944年から45年にかけて、中国大陸で日本の軍部に反対して中国側で戦っている日本人がいた。野坂参三という当時の日本共産党の亡命指導者で、延安の毛沢東の庇護を受け、日本人捕虜を抗日兵士にする工作を進めていた。その野坂が、国民党の蒋介石と共産党の毛沢東に手紙を書き、戦後に天皇および天皇制をどうするかを相談していた。延安を訪れた米軍調査団ディキシー・ミッションには昭和天皇の退位論を語り、戦後日本への帰国時には、ソ連共産党の了解・支持を得ていた。天皇の政治的役割と反宗教的機能を区別し、天皇制については戦後の国民投票で決めようという案である。
中国側の天皇制についての意見は、蒋介石と毛沢東の間で分かれていた。蒋介石は「天皇制こそが中国民衆を苦しめている戦争の元凶であるから、天皇は最高の戦犯であり、天皇制を廃止すべきだ」と考えた。ところが毛沢東の方は、「天皇をどうするかは日本の民衆が決める問題である。今の日本人は戦争に反対できなかったくらいだから、天皇制をなくすことはできないだろうがそれでも構わない」という寛大な返事を野坂に出す。1945年5月、敗戦の三カ月前のことである。
このように、今日本に天皇制が残されているのは、アメリカ、ソ連、中国等々の連合国の思惑があったからである。この点で日本国憲法は、民主主義の重要な一部が制限されているともいえる。
日本国憲法以前の日本国内では、天皇制を批判する論議はタブーだった。わずかに非合法の日本共産党が、「27年テーゼ」や「32年テーゼ」で「君主制打倒」を公然と掲げたが、これも日本人共産主義者の内部から出た考えではなく、コミュンテルン=世界共産党の本部モスクワからの指令だった。「天皇制」という言葉自体、1931年の日本共産党「政治テーゼ草案」以後のもので、戦後にようやく解禁され広がったものだった。天皇制と決別する民主主義の議論は、ほとんどなかったのである。
この意味では、もしも日本国憲法の「押し付け」が問題になりうるとすれば、真っ先に取り上げられるべきは第一条のはずである。しかし、いわゆる改憲派は、そこをいまだにタブーにしている。「元首にせよ」という復古主義的議論さえある。日本国憲法制定から60数年たって、ようやく日本人は、民主主義のなかで天皇制をどうするかを考える状況になっている。
象徴天皇制をどう見るか
キングではなくエンペラーのいる世界最大の君主国日本
私は、今すぐ天皇制を廃止せよというつもりはない。しかし、天皇制のない民主義を私がイマジンすること、考えてみることは、21世紀の当然の議題だと思う。
21世紀初頭の国連加盟国は192カ国、ワールドカップやオリンピックに参加する国・地域は、およそ200である。その中で「君主制を保持しているのは、日本を含めて27ないし28カ国である。(バチカン市国を数えるかどうかで分かれる)。世界の圧倒的な国々は、君主制ではない。君主制の国は、ブルネイのような小国に多い。ベルギー、オランダ、スェーデンで人口6.000万人、日本は人口1億2.800万人で世界最大の君主国である。
しかも天皇という君主は、グローバルに見るとキングではなくエンペラーである。いまや世界最大の百科事典となったインターネット上のオープンソース辞書英語版ウィキペディアにはMonarchy、キング、エンペラーなどの項目がある。そこには世界の君主制は20世紀に少数派になり世界20数カ国だとあるが、大部分はキングかクィーンの国でより伝統と権威を強調するエンペラーを名乗るのは日本だけとある。
クィーンを持たないエンペラー制度であるからこそ、女帝・女系天皇問題が生じる。世界第二の経済大国日本は、世界最大の人口を持つ君主制であると共に、ドイツのカイザーや満州国皇帝、エチオピア皇帝、イランのシャーが消えた後、世界で唯一エンペラーを残す国、まさに「ラスト・エンペラー」なのである。
戦後民主主義=天皇制民主主義の残された課題
これは戦後民主主義と呼ばれるものが、民主主義としてはなお様々な問題を抱えている点と関連する。「ポリアーキー」への発展途上の問題群である。
戦後民主主義は、確かに制度的には、憲法第一条の天皇条項を除いて議会制民主主義、議院内閣制、男女平等普通選挙など、一般的な民主義システムを採用している。第9条の戦争放棄、戦力放棄はその後いくつかの国の憲法にも採用された。第24条の家族生活における両性の平等は、アメリカの憲法にもなかった。第25条の生存権は、ワイマール憲法にはあったものの、世界の憲法の中でも先駆的な条項だった。制度的に見れば、優れて民主主義的な憲法である。しかし、この憲法を支え実行する、デモクラタイゼーションの主体としての国民の側に問題はなかったか。4つだけ論点を挙げておこう。
第一は、広島、長崎で原爆を落とされて敗戦したという被害者意識である。開戦責任・侵略責任を曖昧にし、戦争の悲惨や民衆的被害から出発したことによって、見えなくなった問題がある。5年足らずの日米戦争は、15年間の日中戦争、36年にわたる朝鮮植民地化と重なっていた。敗戦は、侵略戦争の帰結であった。しかしその「加害者」としての側面は、少なくとも戦後初期の局面では、ほとんど顧みられなかった。日本の平和運動も、広島、長崎の被爆体験から出発しながら、社会主義国の核兵器は容認し、「原子力の平和利用」は問題にしないなど、不徹底なものだった。
第二に、沖縄の切り捨てがある。唯一の地上戦の戦場となった沖縄では、10数万人の民間犠牲者を出した。しかも、日本軍によって殺されたり、自決を強要されたケースも多い。サンフランシスコ講和条約によって1952年には日本は独立したといっても、その後10数年間、沖縄は米軍の直接統治下にあった。戦後民主主義は、沖縄を切り捨てて、天皇を象徴として奉じる日本人だけでまとまった民主主義という面を、払うことができない。
第三に、戦後日本は高度経済成長を遂げ、世界第二の経済大国になった。その過程で、民主主義に組み込まれた平和主義は、あらゆる戦争に反対し平和を麿もうという意識から、経済成長で豊かになった自分たちの生活を守るためにという、生活保守主義的な意識に変容した。経済成長の利益を守るために、他国から干渉されないで、「ウチ」の中だけでみんなで豊かになろうという方向に流れていった。
そのため第四に、戦争に反対することの意味が日本が戦争に巻き込まれない、天皇制というカーテンで仕切られた国土を守るという「一国平和主義」の意識に限定されがちだった。それは、天皇制があったからというわけではない。しかし、世界から日本を隔離する天皇制という仕切りが、日本の民主主義の歪みに、ある役割を果たしたことは否めない。また、世界の民衆が地球的な規模での民主主義を目指す場合に、日本の天皇制が桎梏ないし障害になる可能性もある。そのような意味で、天皇民主主義は、21世紀日本の民衆的選択の課題として残されているのである。
『情報戦と現代史』 加藤哲郎
| 2013年06月12日(水) |
ガンにならない体をつくる |
ガン化をここまで防ぐワクチン
今までの医学界の定説では、カロチンは人間の体内でビタミンAに変換され、このビタミンA に制ガン作用があるとされていた。しかし私たちの調査結果以来、世界の疫学者たちがカロチンの研究に正面から取り組み始め、その結果、ガン患者の血液中のカロチン量が明らかに低下していることが判明した。カロチンそのものがビタミンA 効果とは別にガンに深く関係していることが多くの研究機関で証明されたのである。
しかも、ガンになったためにカロチン量が低下するのではなく、カロチン量が少ないからガンにかかるのだということがはっきりしている。そのことは、食生活を共にしてきたガン患者の家族の血液を調べた際に、同様にカロチン量が少ないことから判明したことである。なぜ人間はガンになるのか?
現在のところ、発がんのメカニズムは二段階説が主流になっている。すなわち、イニシエーション段階を経てはじめてガン細胞ができるのである。前述したように、全ての人間の体内には生まれつきガン細胞が備わっている。こいつが目を覚まさなければ問題はないのだが、何らかの外部要因によって、まず第一のショックを与えられると、前ガン段階に入る。ここでとどまったままならまだ発ガンしないが、第二のショックを与えられるともう、プロモーション段階を経てガン細胞ができるというわけだ。
ところが、世界各地の疫学者たちの研究により、カロチンはイニシエーションとプロモーション、両方の段階に働きかけることが明らかにされた。それだけでなく、カロチンがすでにガン化に歩み出た細胞の増加を抑えたり、あるいは死滅させたという報告さえもなされている。
カロチンが少ないからガンになる、その証拠
タバコや酒が血液中のカロチンの濃度を下げるのは、タバコや酒によってもたらされた毒素と戦い、大量に消費されてしまうからであるが、ガンにかかってしまった人の血液中のカロチン濃度はいったいどうなっているのか。この種の報告は、海外からたくさん寄せられている。たとえばイギリス・オックスフォード大学の研究では113人の子宮頸ガンの女性の血液を調べた結果、軒並みカロチン濃度が低かったと報告されているし、同様の研究結果は、肺ガン、乳がん、白血病など数多くのガンに関して発表されている。
興味深いのは1990年、フィンランドでM・ハカマ博士らによって実施された研究結果である。ここではまず、ある大集団の血液をあらかじめ何年も前から保存しておき、その中からその後ガンになった人の血液を取り出して検査していくのである。カロチン以外にビタミンA、ビタミンE、セレニウムといった化学物質についてその血液中の量をチェックしたところ、ガンにならなかった人比べどれも低値であったが、カロチンがとくに値が低いという結果が出ている。同様の報告は各国でなされているが、いずれの場合もカロチンの摂り方の少ない人ほどガンになりやすいと結論づけられている。
多くの栄養素のなかで、ガンリスクにとくに関連しているのはカロチンであることがこれでわかる。数多くの同様の研究でも問題物質がカロチンであることを示している。最近、カリフォルニア大学のスミス博士らはニュージーランドの調査で肺ガン、胃ガン、子宮頸ガンなどの患者のベータカロチン量は確かに少ないが食生活を共にしてきた家族の血液を調べてもベータカロチンがやはり少なかったと報告した。
これは特記すべき事実で、このことからわかるのは、「ガンにかかるからカロチンが減る」ではなくて、「カロチンの量が少ないからガンになる」ということだ。またの研究は、ガン患者の家族が次の患者を防ぐためにもとくにカロチンの補給が必要ということを示している。「ガン患者の家族を守れ」という新しいスローガンを掲げたい。
アメリカ・ニューヨーク州のローゼンウェルバーグ記念ガン病院の報告でも、肺ガン、前立腺ガンのいずれも、カロチン摂取量が少ない人ほどガンになるリスクの数値が徐々に上がっている。また、テキサス大学が喉頭ガン患者151人と地域人口を代表する対照178人の比較検査をしたときにも、摂取カロチンが少ない時には、摂取が多い時と比べてガンになるリスクは2.1倍になると発表されている。すなわち、血中カロチン量をはかると、その人がガンになりやすい人なのかあるいは、ガンになりにくい人なのかがすぐわかる時代になって来たということだ。
カロチンはこの方法で摂るのが一番
では一人一日どの程度の野菜を摂ればよいのだろうか。今のところ栄養学者は、一人一日当たり300グラムは緑黄色野菜を、と提唱している。ビタミンA補給ならそれで充分だろうが、ガンを予防するためには、動物実験や人間についての観察の結果などからも明らかなように、一日少なくとも5ミリグラム、できれば15ミリグラムのカロチンの摂取を必要としているのだ。15ミリグラムはもちろん5ミリグラムという数値でも100グラムの緑黄色野菜では全部がニンジンならともかく、なかなかまかないきれない。100グラムというのはあくまで最低量である。私はむしろ300グラムの野菜の中で、緑黄色野菜を200グラム、そして残る100gラムを淡色野菜でという組み合わせがベターなのではないかと思っている。
では具体的に、カロチンがどんな野菜に多く含まれているのか。
主な緑黄色野菜のカロチン含有量
青じその葉 8.700μg(マイクログラム)1.000μgは1�咫� パセリ 7.500 ニンジン 7.300 あした葉 3.700 春菊 3.400 ホウレンソウ 3.100 ブロッコリー 720 トマト 390 ピーマン 270
生でOKのものはなるべく生で
ニンジンや青じそなど、生で食べられるものは、生で食べるのが原則
緑黄色野菜の大部分はいわゆる温野菜、つまり加熱して食べるのが普通なので、炒めたり、焼いたり、煮て食べることになるが、もちろんそれで大丈夫。熱を加えると効果が減るビタミンと違って、カロチンは耐熱性なのが強み。熱を加えてもその効果はほとんど変わらないのである。ホウレンソウを三分間茹でたときのビタミンCの残存率は48%であるのに対し、カロチンはなんと90%以上である。
電子レンジをお持ちの方にお勧めであるが、必要量のホウレンソウをサッと水洗いし、そのままラップにくるみ、レンジで加熱した後、すぐに水にさらせば簡単におひたしができる。この方法であれば作り過ぎて困ることもなく、湯を沸かす手間も省ける。青のり、コンブ、ワカメにもずく、これら海藻類は多くのカロチンを含んだ食品として知られている。なかでもワカメは、海藻類のなかではカロチンの王様だ。
サラダの一例として、ワカメと、玉ねぎのスライスを混ぜ、和風ドレッシングなどで味付けし、カツオブシを上からふりかける。くせがないので毎日食べても飽きが来ない。
『ガンにならない体をつくる』 平山 雄 予防がん学研究所所長 医学博士
ヘッジファンド”日本売り謀議”に加担した政財界人
暴落が続く東京株式市場。そんな中、なぜか世界のヘッジファンドの幹部が続々と来日し、都心の外資系最高級ホテルに集合した。しかも、日本の政財界の重鎮もそこに出馬。いったい彼らの野望はなんなのか?
安倍政権発足以来、右肩上がりを続けてきた東京市場だが、5月23日に1143円の大暴落を記録した。以降、一転して株価は大幅下落の一途を辿っている。この暴落を仕掛けたのはヘッジファンドだった。巨額の資金で投機を仕掛けるヘッジファンドは、金融危機を利用して一攫千金を狙う手法がたびたび非難を浴びてきた。
今回、日本を売り崩したヘッジファンドはどこか?「21年前、英ポンドを売り崩した男として知られるジョージ・ソロス氏が代表を務めるソロス・ファンドが最初に売りを浴びせ、天才数学者のジェームズ・シモンズ氏が創設したルネサンス・テクノロジーズがそれに続いたとの話が出ています」(証券会社幹部)そもそも昨年11月、安倍政権発足前に真っ先に動いたのは、ソロス氏らヘッジファンドだった。彼らは円安政策を見込み、円を売ると同時に、日本株を買い漁った。外資の買い越し額は9兆円を超え、日経平均は8.000円台から15.000円台まで急上昇した。
値上がりにつられた個人投資家も、こぞって株式市場に参入し、そこを狙い澄まして、ヘッジファンドは一挙に売り崩しにかかったのだ。しかも売り崩しは、一回では終わらなかった。
大暴落の仕掛け人が大集合
大暴落の翌日、日経新聞は「14.000円程度で下落に歯止めがかかるとの見方が大勢」と報じた。しかし翌週の30日、日経平均はあっさり14.000円を割り、今年2番目の暴落となった。「暴落は二回とも、日経平均先物が大量に売られたからです。一回目の暴落で売り越し額が大きかったのは、ゴールドマン・サックス、JPモルガン、ドイツ証券の順。これらの証券会社を通じて、ヘッジファンドが売り崩したのです。しかし、次の暴落は、シティーグループ、野村証券、JPモルガンの順に終わりました。二匹目のドジョウを狙って、別のヘッジファンドが売り崩したのです」(同前)
二度の暴落の結果、株価は日銀の黒田総裁が「異次元の金融緩和」を打ち出した直後の水準まで落ちた。この大暴落劇でヘッジファンドが得た利益は数千億円にのぼると言われる。一方、損失を被ったのは、個人投資家だ。「個人投資家が株を買い始めたのは、日経平均が12.000円を超えた三月末ごろから。多くの個人投資家は、高値掴みしているため、連続暴落で損失を出した人が相当出たと思います」(経済部記者)しかし、暴落を待っていたかのように、ヘッジファンドの幹部が次々と来日した。この期に及んで、なぜ焼け野が原の日本にやって来たのか?
「じつは6月3日から、厳選された世界の大物ヘッジファンドのCIO(最高情報責任者)を対象にした会合が開催されたのです。初日は約3.000人が出席しましたが、完全非公開。会合の存在を知る人すら、ごく一握りです。そこで三日間にわたり、ヘッジファンドと日本の政財界重鎮との極秘会談が催されたのです」(政界関係者)
来日する予定のヘッジファンドも豪華な顔ぶれだ。まず、前述のソロス・ファンド。リーマンショックで70億ドルを荒稼ぎしたデイビッド・テッパーが率いるアパルーサ・マネジメント。「マーケットの魔術師」の異名をとるステx−ブ、コーエン氏のSACキャピタル、アドバイザー等々。これら名うてのヘッジファンドを迎えた日本人とはだれなのか。
ヘッジファンドに阿る(おもねる)面々
「金融緩和の推進派として知られる自民党の山本幸三衆議院議員(財務省出身)。証券市場のトップである日本取引所の斎藤CEO。小泉政権時代に規制改革を先導した宮内オリックスグループCEOらです。また、メガバンク、自動車や電機メーカーの首脳陣も出席した模様です。(同前)極秘会合初日、本紙記者は会場の受付に行ったが、外国人の男性担当者に「公開することは何もない」と追い返された。主催者も「会合が存在するかどうかも含めて一切ノーコメント」という。
斎藤氏と宮内氏は「コメントは出せない」(広報)、山本議員は「中国出張中」(秘書)のため、締め切りまでに回答はなかった。謎が深まるばかりだが、会合では一体どんな議論がなされたのか。「極秘会合のテーマは『成長戦略』。日本側出席者は、ヘッジファンドに日本の成長戦略をアピールした模様です。『日本の成長戦略をヘッジファンドが評価してくれれば、再び日本に投資してくれるだろう』との期待です」(同前)
だが、それほど簡単な話ではない。「ヘッジファンドの投資基準は、景気や企業業績ではなく、ずばり『政策』。日銀の黒田総裁が打ち出した金融緩和は市場金利を不安定化させ、株価も暴落して信頼を失いました。日本に残る政策は成長戦略だけ。これがダメななら失望しか残りません。ヘッジファンドは一戦終え、現時点で日本に対するスタンスは中立ですが、日本への再度の投資は難しいでしょう」(外国人投資家に詳しいRPテックの倉都氏)
しかし、アピールが成功して再びヘッジファンドが日本に投資しても、あっという間に売り崩されて利益を持ち逃げされるだけではないか。ソロス氏は昨年11月から大規模に円売りを続け、約1.000憶円稼いだと報じられた(米ウォール・ストリート・ジャーナル)今回の大暴落で稼いだ金は、さらにその上をいくとの試算もあり。「東証一部は、外国人投資家の売買比率が6割に上るいびつな市場です。長期保有戦略の多様な投資家を呼び入れないと、危機は再来します」(前出・経済部記者)国民の知らない場所で、ヘッジファンドに媚を売る日本の財界人。その行為は批判を免れない。
『週刊文春』 6.13
| 2013年06月09日(日) |
いまや「バカの壁」に |
猪瀬直樹の”ペルソナ”を剥がす
橋下徹の一連の発言で一番得をしたのは猪瀬直樹東京都知事かもしれない。なにしろ国際オリンピック委員会(IOC)の倫理規定で禁じられているライバル都市(イスタンブール)の批判を「ニューヨークタイムズ」でペラペラしゃべり、五輪誘致活動にかかる75億円の血税をドブにぶち込んだ直後だったからだ。「イスラム教国が共有するのはアラー(神)だけで、互いにケンカしている」「若者が多くても若いうちに死んだら意味がない」
こうした発言により「世界のバカ」として羽ばたきかけた猪瀬だったが、上には上がいるというか、下には下がいるというか、橋下に先を越されてしまった。しかし、どこか似ているこの二人。問題を直視せずに逃げきろうとする姿勢も同じです。猪瀬は橋下騒動について「多くの女性の名誉や尊厳を傷つける問題になると認識している」と述べていたが「イスラムの名誉を傷つけたお前が言うな」という話。
5月30日のロシアでの招致プレゼンテーションでは下手な英語を駆使し、東京に潤沢な資金があることを勝ち誇ったような顔で説明していました。31日にはNHK「特報首都圏」のインタビュー中継で「日本人は今回全員英語でやりました。まあ、他都市のことは言えませんが(笑)」と他都市が英語以外でスピーチしたことを皮肉っていた。やっぱり何も反省していない。
当初、猪瀬は「真意が正しく伝わっていない」と通訳に失言の責任を押し付けましたが、担当エディターに反論され、一転して発言を謝罪した。しかし「どの線がIocの行動規範に触れるのか、勉強になった」「今回の件で、誰が味方か敵かよくわかったのは収穫でした」などと負け惜しみ。5月2日の定例会見では、トルコとは「世界史について語り合いたい」、失言については「終わった話に触れてもしょうがない」と強引にまとめた。「終わった話」って記事が出てまだ五日目でしょ。この会見では近代トルコの父ムスタファ・ケマルを「シャー」と呼ぶ失態まで見せている。ちなみにトルコにおける尊称は「パシャ」だ。
猪瀬のバカ発言は止まらない。5月22日の政府の産業競争力会議では「日本の標準時を二時間早めたらどうか」と語っていた。東京の金融市場を世界で一番早く開けることで、金融の拠点を日本に置く動きを促すという。普通に考えたら金融市場だけ二時間早く開ければいいだけのこと。どうして国民全体が一緒に早起きしなきゃならないの?地下鉄経営一元化を唱える猪瀬は事あるごとに九段下駅の都営線と東京メトロのホーム間の壁を撤去したことを自画自賛する。猪瀬はこれを「バカの壁」と呼んだが、今や本人が「バカの壁」として東京に君臨するようになった。
ところで昨年の都知事選の猪瀬のポスター覚えてますか?いつもは赤ら顔なのに、なぜかつるつるすべすべの十代の肌。CGなのか化粧なのか。そんな”ペルソナ”を一枚剥がしてみれば、以外とシンプルなバカなのかもしれません。
『週刊文春』 6.13
武術は殺す術(殺法)と活かす術(勝法)の二面性をもっていますが、いずれをとっても急所は同じ場所です。その急所を攻める基本は、呼吸法です。平たくいえば腹式呼吸です。ところが、この腹式呼吸のなかに大変な秘密が隠されています。第一に、胸で呼吸するのと違って酸素量が約6倍あります。これによって、体内の燃料(栄養分)が充分に燃焼されます。その時放出されるエネルギーがバイタリティを高めるのです。腹式呼吸には、人間の生命力を高める働きがあるといってよいでしょう。
第二に、無心になれるということです。無心というのは、無意識という意味です。剣士は、互いに剣をもって対峙しています。もちろん隙あらば急所を襲うためです。剣がスーッと動いて急所を一撃するとき、それは無意識の行動です。動こうとして意識して動くのではありません。自分の呼吸と相手の呼吸をはかりながら、リズムにのって一瞬に動く無意識の動作にほかなりません。
こういう呼吸法や間の持ち方は、もちろん「理屈でなく体で覚える世界」です。ある心理学者が、剣士はどういう状態で相手を攻めるかというテーマでデータを集めたそうです。電子的に温度をはかるサーモスターを鼻の下につけて、温度変化で呼気と吸気を測定して、どういう時に打ち込むかを研究したとのことで、その学者は強い人ほど相手が息を吐く瞬間をとらえて打ち込んでいるとの結論を得たというのです。もっともこの話、実験の結果を伝え聞いた剣の名人が、「そんなこと当たり前じゃないか」と一喝したというオチちがついていますが…。
いくら学者が最新の機器を使って、なるほど剣術の極意は呼吸にあったのかと納得し、その結論が正しいとしても、剣術が上達するわけではありません。自分でやってみて身につけない限り、心理学者の努力もたいした意味がないことになります。無意識で逞しい精神力を身につけるのも全く同じです。我々の生活の様々な分野で、このように理屈でなく体で覚える以外に上達法の道がないものは、ちょっと考えただけでも実に多いのです。
野球や武術の例をあげましたが、お茶や生け花、舞踊など、いわゆる芸事もすべて呼吸法、間のとり方が基本であり、修行なしには身につきません。もっとも身近で、修行の記憶さえないものでは、立って「歩く」ということがあります。はいはいから始まって、よちよち歩きまで一年以上、危なげなく歩けるようになるまでは三年も五年もたっています。その間、バランスを失って倒れたり、つまずいて転んだり、小さなかすり傷やこぶをつくりながら”修行”しているのです。立派に遠い目的地まで独力で行けるようになるには、十年以上の時間と修行がかかっているのです。
しかし、幼児期というのは意識と無意識の堺がなく、夢と現実の堺がありません。だから、痛いとか恐いという意識も薄く、転んでもすぐに忘れてこれをくり返すことができたのです。だからこそ、意識で歩く人はいません。無意識で歩いています。ただ、そのために転んだり、つまずいたり、こぶを作りながら、繰り返し学習をして、無意識を深めてきた努力の期間を忘れているにすぎません。転ぶから、傷がつくからと恐れたり怖がったり、それを失敗と意識したら誰も歩くことすらできなかったはずです。
無意識でつくる精神力も、かって我々が歩く練習をしたように、それ相応の努力がいることがわかるでしょう。たくましい無意識の精神力を体で覚えるというのは、理屈が働いているうちは獲得できないということです。これ以上は実際にやって覚えるしかありません。実際にやってできないのは、焦り過ぎが、方法の間違いか、努力の不足です。
『無意識の魔力』
「ラク」はブドウからつくるトルコの蒸留酒である。水を加えると白濁しアルコール度数は約50%だ。現代トルコの国父ケアル・アタチュルクが肝硬変で死んだのは、その飲み過ぎによるものという。彼が率いたトルコ革命はオスマン帝国を倒して、イスラム教を国教から外し、トルコを政教分離にもとづく近代国家にした。女性の参政権も西欧の多くの国や日本よりも早く導入している。以来、イスラムの教えを公の場に持ち込まない世俗主義は国是とされてきた。
そのトルコ国会では先月、酒の販売を規制する法案が可決された。イスラムの戒律を守って飲酒しないエルドアン首相の意向で、与党が主導したという。10年間にわたり安定した政権運営と経済成長を達成してきた首相だったが、近年にわかにイスラム色を強めている。そのエルドアン政権に対する抗議デモがトルコ全土に広がっている。発端はイスタンブールの小さな公園の再開発への反対運動だった。だが、警察の弾圧がネットなどで広がると、政権の「強権」への非難が若者らの間で、一挙に燃え上がり、激しい街頭行動に発展した。
参加者らは政権のメディア規制やイスラム色の押しつけなどに不満をあらわにする。そもそも強い政権基盤を持ち、政界に有力な対抗勢力のないエルドアン首相である。その政権が世俗主義の国是をないがしろにすれば、「自由」への脅威は深刻に受け止められよう。「どの若者の心にも一頭の獅子が横になっている」とは若者を侮るべからずというトルコの諺である。エルドアン政権には自由を求める獅子たち軽んずることのなきよう願いたい。
『毎日新聞』6.8
| 2013年06月07日(金) |
英国、植民地弾圧で個人補償 |
英国植民地時代のケニアで発生した民族独立運動である「マウマウ団の乱」(1952〜1960年)でケニア人活動家らが拷問を受けるなどした問題で、英政府は6月6日、被害者に謝罪し補償金を支払うことを明らかにした。英国はこれまで植民地時代の不当行為を認めながらも、保障などの責任については、その後に独立した国の政府が負うべきだと主張してきた。植民地時代の保障について大きな政策転換になる可能性がある。
ヘイグ外相が6月6日、議会で謝罪した。「マウマウ団の乱」は、ケニア最大民族のキクユ族などがおこした反乱である。英国植民地政府が推定15万人を強制収容所に収容した。ケニア人権委員会によると、9万人が処刑や拷問、レイプなどを受けた。
英国政府は拷問などの不当行為があったことを認めながら、1963年のケニア独立によって植民地時代の法的責任はケニア政府が引き継いだ。また半世紀前のことであり、裁判などで公正な審理を期待できない、として個人への補償を拒んできた。しかし、昨年10月拷問を受けたとするケニア人3人が英政府に補償を求めた訴訟で、ロンドン高等裁判所が個人にも補償請求の権利があると認めた。しかし、すでに多くの被害者は亡くなっているため、補償対象者は約5.200人で、保証金は各約40万円。英国は植民地時代のイエメン、キプロス、マレーシア、パレスチナなどでも同様の拷問・暴力の問題を抱えている。
維新の会 止まぬ逆風
日本維新の会は6月6日、東京都内のホテルで2012年9月の結党以来初の政治資金パーティーを開催した。橋下徹共同代表(大阪市長)は「政治改革の原点に立ち戻る」と宣言し、憲法改正や統治機構改革などを掲げて参院選に臨む考えを強調した。だが、党内では「人集めに苦労した」とのボヤキが聞かれ、立候補辞退も相次ぐなど橋下氏の従軍慰安婦をめぐる発言による党のダメージは深く、浮上のきっかけを見出すのは容易ではなさそうだ。
ある維新議員は「パーティー券がなかなか売れず、地元から大量動員した」と打ち明けた。参院選をめぐっては、党の公認が決定していた元衆議院議員が、橋下氏の発言を理由に比例代表での出馬を辞退するなど、計3人が立候補を辞退した。党幹部は「さらに離党者が増える可能性はある」と頭を抱える。
「マスコミは寄ってたかって批判してくる」。橋下氏と共に6月6日午前、首相官邸を訪れた松井一郎幹事(大阪府知事)がぼやくと、安倍晋三首相は「私も第一次内閣のときは、マスコミにやられた」と応じた。橋下、松井両氏は会談で、大阪市八尾市でのオスプレイ訓練の受け入れを表明した。高支持率に支えられる政府との蜜月ぶりをアピールした。だが、地元・八尾市は反発を強め、劣勢の立て直しにはつながっていない。他党からは「維新が掲げる、地域主権のの姿勢と矛盾している」(みんなの党幹部)などの批判が噴出している。
東証13.000円割れ 異次元緩和効果は帳消し
6月6日の東京株式市場の日経平均株価は、前日の米株価下落などを嫌気し、前日比110円安の12.904円で取引を終了した。約2カ月ぶりに13.000円を下回った。株価は1.100円超急落した5月23日を起点に下落基調が続き、6月6日の終値は日銀が4月4日に決めた異次元緩和による上昇分を、ほぼ打ち消す水準に切り下がった。成長戦略への失望感も重なり、期待先行で進んだ「アベノミクス相場」は正念場を迎えている。
敗れなばヒ氏とム氏とは自殺せん 我が大君はいかがしたまふ 『昭和万葉集』 尾崎行雄
『毎日新聞』6.7
ヒトと霊長類の決定的な違い
人骨は霊長類の骨に比べると、はるかに軽い。さらに言えば近代人の骨はネアンデルタールに至るあらゆる先行人類の骨と比べても、はるかに軽いのだ。我々の祖先だといわれている先行人類の骨は、霊長類の骨により似ているが、近代人の骨とは全く違う。また、人間の筋肉は、霊長類と比較すると著しく弱い。我々はどんな霊長類よりも5〜10倍弱い。ペットの猿と比べてもその違いは明らかにわかる。なぜ、進化論でいう「より良い」ことを追及した結果が、類人猿よりはるかに劣る結果になるのだろうか。
ヒトの皮膚は、地球を照らす太陽光線に対して適していない。太陽光線に適応するために皮膚表面でメラニン色素を増大させられるのは、黒人だけである。それ以外のすべての人種は、衣服で覆うか、日陰に繁雑に入るしかない。体毛では、霊長類が太陽光線に直接当たっても大丈夫なのは、頭から足先まで毛で覆われているからである。四足獣であることから、後部の足が最も濃く、胸と腹部の気は最も薄い。いっぽうで人間は、全体を毛で覆われていない。しかも霊長類とは完全に逆で、背中は毛が薄く、毛深い部分は胸と腹部である。
私たちは地球外で創造された?
フォトンベルトの真相(11.000年周期で起こる、地球の大クラッシュ)では、人類は非常に高度な遺伝子操作の結果として誕生したという説がある。イラクで発見された古代シュメールの粘土板が解読されたのは、20世紀になってからのことで、それによると人類は神々の種を受け継いでいることが明らかになった。その神々は「アナンヌキ」と呼ばれ、「天から地上に降り立った者たち」という意味がある。古代インカは、彼らのことを「ヴィラコチャ」と呼び、中南米のマヤ族は、「ケツァルコアトル」と呼んでいる。これらは同一種族だと考えられる。
ここで私の言いたいことは、人るの原点と、我々の歴史を明確にする上で、この点を考慮にいれなければ、人類創造の真実には近づけないということである。近年多くの研究形が、古代文明についての書物を出版するようになった。インターネットでも、彼らの所見はたくさん公開されている現状だ。それらのデータベースは皆同じものである。古代シュメールの粘土板がを解読したのは、ジャーナリストであり、言語学者であるゼカリア・シッチンである。彼は、私たちのDNAに関する書物をシリーズで出版した。いかなる生物もDNAの組み合わせによって体がつくられる。種の違いが生じるのは、DNAをつくる四つの塩基のプログラムが違うからである。それによって木や猿、あるいは人間の男性といった違いが生じる。よって、そのプログラムが重要な鍵であることは明らかだ。
誰でも知っているように、コンピューターをプログラムするには、プログラマーを必要とする。世界で一般的に使用されている「ウィンドウズ」が、ある日、突然現れたとはだれも言わないくせに、人類の起源に関して科学者たちは、誰もそのプログラマーの存在について触れないできた。宇宙の歴史において、石器時代から現代までのほんの一瞬にすぎない短い期間に、宇宙船を飛ばすようになった我々は、偶然にして遺伝子的にユニークな種としてこの惑星に誕生したのだろうか。進化のタイムフレームからすると、現代科学を利用しない限り、新種を進化させるには数百万年という気の遠くなるほどの時間を要するものだからだ。
1%のDNAの違いが意味するもの
ホモ・サピエンスは、チンパンジーなどの霊長類の96〜99%は同じDNAを共有する。これは莫大な量であるが、残りの1%で表される遺伝子の種類ははるかに性質が違う。その1%の大部分は、言語と同様に合理的な考えや創造性といった脳機能に集結されているように考えられている。人間がいかに猿に似ていても、実際には完全に異なる種である。猿を馬車に例えるなら、人間は飛行機に例えられるぐらい違う。二種はまったく異なるものである。この謎を解くカギとなるのが、シュメールの粘土板に書かれた、人類創生の神話である。
我々の進化を助けるために、高度な神々が過去に地球にやって来たという神話は、世界の先史民族に残っている。イブはアダムのあばら骨で創られたという聖書の内容は、まさにクローン人間についての比喩でないとしたならば、実際には何を意味するのだろうか。シュメールの粘土板はそのようなクローンについての詳細が語られているように解釈されている。そのクローン人間が創造された目的は、アフリカで金を採取する奴隷種族を神々が必要とした体という物語が粘土板から読み取られた。DNAは分類別にタンパク質をアレンジしてできる、特定の暗号をもつプログラムである。しかもDNAの仕組みは、宇宙に共通の言語だとシッチンは語る。DNAはいわば「宇宙の暗号」ともいえるべきもので、より高度な生命体であればその暗号をいじくって、新しい種を創造することができるかもしれない。
ダーウィニズムの終焉
現在でも科学理論を構築する上で、基本的な指針として支持されている「オッカムの剃刀」(単純な説明こそが真実)に従えば、我々人類は何らかの目的に基づいてデザインされたという可能性は非常に高くなる。だからといって、デザイナーという発想を受け入れるために、神の存在を必ずしも信じる必要はない。ソフトウェアのデザイナーは、原始文明の人々からすると、神のような存在に思えるかもしれないが、もちろん彼らはただの特殊技能者にすぎない。
テンプル騎士団の里としても知られているスコットランドのロズリンで、「ドリー」という名のクローン羊がDNA操作によって初めて実際に誕生した。羊からするとその実験者の人がまさしく創造主であり、「神」に等しい存在であることは間違いないが、宇宙でなぜ、私たちのような知的生命体が誕生したのかを裏付ける「進化論」は、今のところまったく存在していない。
聖書を信じる者は神が創造主であり、なかでもキリスト教原理主義者は、それがおよそ6.000万年前に起きたと説明するだろう。人間は神によって無から創造されたと信じてやまない「創造論者」たちは、我々の存在を理解する基本として、宗教を主張する。そして、「ダーウィン論」を信じる科学者たちは、人類の誕生は、「適者生存」に関わるものであると説明するだろう。
確かに人間のDNAは、4.000以上もの遺伝子的な欠陥があり、不治の遺伝病で何百万もの人々が苦しむような「不利な条件」が備わっている。この点においては、「適者生存」を説くダーウィン説にも多くの真実がある。しかし、遺伝学についてまったく知らなかったダーウィンを、クローンが誕生する時代に受け入れ続けていることもおかしい。
何のために私たちは存在するのか
私たちはなぜこれほど高度な脳を有しているのだろうか。地球で生きていくのに、これほど高度な脳は必要ないはずである。霊長類の脳で充分生きていけるのだから。其の一つの答えとして、ロシアの科学者が、検証した、私たちヒトの脳の90%以上は活性化されていないという研究報告が挙げられる。
わかりやすい例として、宇宙はインターネットのようなものと考えていただきたい。そして脳は、さまざまな情報を受け取るコンピューターのようなものである。活性化されていない脳は、まるで電源もインターネットのつなぎ方も知らないコンピューターであり、私たちは何の情報にもアクセスできないまま、単なるコンピューター本体を見て喜んでいるにすぎない。しかし本来の脳は、宇宙に顕在する情報にアクセスするために存在していると、私は考えている。
ジェームズ・ガードナーへの質問
Q:「利己的なバイオコズム」仮説における、宇宙の「隠された」役割とはなんですか
A(ガードナー):この仮説では、生命を生みだし、より素晴らしい知性を進化させる宇宙の能力は、宇宙の基本法則にコード化されているということです。まるで、それらがまさしく「宇宙」という織物のなかに最も素晴らしい刺繍のように織り込まれているのです。宇宙における「バイオ・フレンドリー」という変わった法則は、地球上の生命体のDNAと全く同じ機能を果たすものです。言い換えれば、こういった法則は、生きている宇宙が成長できるためのものであり、また、今ある宇宙を壊し、さらに新たに宇宙を誕生させようとする宇宙自身の設計図を提供するものなのです。
【解説】 (著者エハン)
彼の理論は、決してたった一回の「ビッグバン」で宇宙が誕生したということではないことを示すものである。宇宙は老いるとエントロピーの増大を避けるために、やむを得ず新しい宇宙を創造すると彼は説いている。「ビッグバン宇宙説」の運命として、最終的には「ビッグクランチ」(ビッグバンの反対・終末)が生じざるをえなくなる。つまり宇宙は段階的な縮小を起こし、宇宙を創造した物理的法則と同じ作用によって、最終的には破壊されるであろうという説を避けては、「ビッグバン宇宙説」は成り立たない。
「ビッグバン」は、最終点(我々の宇宙のオメガ・ポイント)である「ビッグクランチ」へと導くものであるが、ガードナーは完全にそれとは違う理論を提案している。利己的な遺伝子のように宇宙はただ永遠に繰り返したいのであり、そのために新しい宇宙を設計するのに十分な知性を持つ生命体を故意的に最初から創造するのである。
要するに生命が宇宙を創造するものであり、宇宙が生命を創造するのではないということになる。それにしても、これはかなりのパラドックスである。この考え方を一般的に「人間原理」と呼ぶ。宇宙を認識するのは人間がいるからであり、もし人間のような知的生物がいなければ、宇宙の存在も意味をなさないという考え方である。だからあくまでも知的生命体である人間が中心なのだ。私たちの生命が、生命を創造する宇宙をも創造する!まさに、鶏が先か、卵が先かという議論にたどり着いた、究極の謎を投げかけるものである。
Q:バイオコズムは、ダーウィンの進化論をどのようにとらえているのでしょうか?
A:「バイオコズム」の中の「利己的なバイオコズム」仮説では、宇宙には気が遠くなるほどの長いプロセスの中で、次々と進化した生命が満ち溢れてくると考えられます。ですから「進化」という意味では、「バイオコズム」はダーウィン論に逆らうものではないのですが、宇宙における生命と知性の進化論という立場から見たら、地球のなかでの生物進化の物語は非常に小さくマイナーなものです。
【解説】
すなわち、青写真の元となる宇宙の創造におけるスーパーDNAがあるということである。その中でもっと小さなレベルとして、我々の太陽系や地球、そして我々がいるということなのだが、しかし我々は決して無意味なものではない。ガードナーは実際にダーウィンの基本的な理論に対するかなりの支援者である。ダーウィンは、彼自身の時代には確かに天才であったが、それは19世紀だった。今、生きていたとしたら、きっと彼はガードナーとい一緒に研究しているに違いないと私は思う。
電気や重力に関する法則や、恒星を誕生させるための全ての法則が、我々の「バイオコズム」にコードとして入力されると、進化を促す目的で恒星が創造されることは可能性としてありうると考えられる。恒星の次に惑星が現れ、そして惑星に生命が誕生する。そういったプロセスのなかでは、惑星、そして生命を生み出すことのできる恒星(太陽系でいえば地球を生みだした太陽)は非常に進化した「進化のプログラマー」といえる。ちょうど、新しい生命を生み出そうとする母体が変形するように、進化の飛躍が近づくと、星もいっそうアクティブになるのだろう。
「ソーラーロゴス」は、銀河のロゴスによってプログラムされていて、その銀河のロゴスは宇宙のロゴスによってプログラムされる、というのが私の見解である。そして、これらすべての背後には、知性の高い存在がいるということも私は信じている。それを「神」と呼んでもいいし、「創造の神々」と呼んでもよい。また、これをシンプルに「クリエーション」と呼ぶこともできるが、しかし、何らかの秩序に従わないランダムなプロセスとは考えられないことは確かだ。
人間がいなけれ、宇宙は存在しない
ここまでのところで我々は、人間の進化のストーリーがいかに甚(はなは)だしく誤解されてきたかということを検討し、同時に「宇宙の進化」とうコンセプトが、今となってようやく理解されつつある現状について述べてきた。本省のアイデアについは、1993年に出版された『マージング・ポイント』で初めて私が著したものではあるが、しかし残念にも、人間という種が突然「神」と呼ぶものに等しいところまで進化するというようなアイデアをバックアップしてくれる科学的証拠は、その当時はほとんどといってよい程なかった。今となっては、このことに関する非常に誠実な科学もあり、また”サムシング、グレート”(とんでもなく素晴らしい何か)を教えてくれる科学者や哲学者の書物が多く手に入る時代になった。
その中には、先ほど触れた「人間原理」という考え方がある。私たちの太陽系を含め、いかなるものであっても、知性の進化は神経系の存在と宇宙を認識する脳に依存している。我々が存在しなければ、宇宙はその存在をどのように認識することができるだろうか?我々がいなければ、宇宙とその神秘をどのように知ることができるのだろうか?
我々の脳が存在しなければ、宇宙そのものも実際に存在するわけないのである。宇宙の存在を証明する術はない。よって、脳の進化にこそ我々の未来があるのだと私は信じるに至った。そして脳の進化とは、これまでアクセスできなかった多次元にわたる意識にアクセスすることなのだろう。ラジオから聴こえてくるオペラの古典「魔笛」の美しい音色は、ラジオが創りだしたものではない。ラジオはチューニングすることで、モーツアルトが作曲したものを聞くことができる。
それと同じように、脳が意識を創り出すのではなく、脳は多次元に渡る意識をチューニングするための装置だと考える。それを明確に示してくれているのは、近年の臨死体験に関する研究である。脳はもっと広大な意味を持つスーパーコンシャスネス(超意識)ともいえるものとなる機能を進化させているのであろう。そして、スーパーコンシャスネス・コンピューターへと脳が進化していく理由は、ずばり、新しい宇宙をデザインすることにある。新しい太陽が輝くのは、雅のその新しい宇宙なのであろう。
『太陽の暗号』
知的生命体と進化のパズル
支配されている科学者たち
いま現在、世界で「科学者」として活躍している人間の数は、史上で存在していた科学者を全部合わせたより、はるかに多いものである、という統計上の事実がある。こういう情報は、普段あまり一般には知らされていない。そんなに多くの科学者がいるのに我々は、特定の科学者の理論しか聞かされていないことになる。特定の科学者とは、この地球上を征服する二つの大きな”企業”に雇われている科学者たちである。その一つは政府であり、もう一つは軍である。いくら素晴らしい科学者であっても、自分の研究が政府や軍の意向に沿わなければ、彼らは孤立してしまうのが現状である。
本当に偉大な科学者で当ても、世の中の仕組みに抑圧されることは、決して珍しいことではない。例えば、チャールズ・ダーウィンの名前や功績についてはよく知っていても、彼の強敵であったラマルクについてはほとんど知られていない。さらに、エジソンについて世界の学校では共通して教えているが、彼以上に才気にあふれていたニコラ・ステラについてはまったく教えないではないか。
その理由は、「ダーウィン論」が資本主義の「適者生存」という原理に従っているからであり、また、エジソンも電器産業をサポートしているからである。すでに半世紀前のステラは、フリーエネルギーを開発していたにもかかわらず、我々はいつの間にかコストのかかる電気を選ばされてしまったのである。
こういう事実を理解せずに、これから紹介する最先端の科学的アイデアを理解するのは困難かもしれない。聞いたこともない無意味なものと受け取られるのが関の山だからである。学校教育は最終的に、利益に結びつかない科学者たちのいうことは重要でないとして、無視しようとする。この傾向は非常に不健全なことであり、時代の進化のパイオニアたちとなる天才を育む芽を摘むことにつながる。次の新しい時代を開くパイオニアである「天才」が、今こそ最も求められているというのにである。
でも私には確信がある。これまではびこってきた定説は焼けつく太陽の下に咲く花のように、しおれていくだろう…。近い将来にきっとそうなるだろう。世の中は数多くの驚異的な新アイデアが、いっそう溢れる時代となるだろう。ここで、「カオス理論」について少し思いを馳せていただければ、私の意見は理解していただけると思う。ダーウィンやエジソンがつくった秩序が壊れ、カオスが生まれる。しかし、カオスという一見不規則で複雑なものから、新たな不変の法則は生まれる。逆に言えばカオスもなく固定されて動かないものはやがて終焉を迎えるということを意味している。
進化論におけるジレンマ
確かに人類は、20万年前に類人猿から進化したと学校で教わった。ところがそれを立証するための証拠が、一つもないのはご存じだろうか。というのも霊長類と我々ヒトのDNAは、99%までは同じであっても、残りの1%の違いが、スペースシャトルと飛行機ほどの大きな違いになるからである。また、プラスティックモデルのスペースシャトルをどんなに精巧に作ったって、しょせんは本物とは機能が完全に異なり、国際宇宙ステーションに到達させることはできない。それと同様に、霊長類が宇宙ステーションを建設するのは無理なのである。
たとえ20万年間に急激な進化があったとしても無理である。霊長類はどこまでいっても霊長類で、科学理論を語ることも設計することもできないし、どれだけ時間が経過しても決してそれはない。それは霊長類だからであり我々人間とは完全に違う種なのである。従って、話を進めていく前に、我々が霊長類から進化したという形跡がまったくないことを明確にしておきたい。地球の生命のプロセスを研究するなかで、「ここにいるはずのない」多くの種についての知識についても触れておかなければならない。
そのひとつに、犬のDNAと猫のDNAを半分ずつ持っている「チーター」が挙げられる。チーターは世界中のどこに生息していようが、まったく同じDNAを共有している。進化論の常識では、生存にとってより良い環境に適応するようにDNAは変わるのに、そんなことはまったくお構いなしだ。このような、まったくアンビリーバブル(信じ難い)かつインポッシブル(不可能)な例は、情報として一般に知られていないか、少なくとも曖昧に扱われてしまう。しかし、事実がどんなに頭をかしげるものであっても、それには秘められているデータがあり、真実は必ずつかめるものであると思う。
人類の誕生時期は、じつは特定されていない
時が経過するにつれて、ミトコンドリアと男のY染色体に関する多くのDNA調査から、現在ではその遺伝子学者たちが正しかったことが認められつつある。抗議をした旧人類学者たちもそれを受け入れるようになったのは、遺伝学者たちが「人類は霊長類から進化した」という「前提」だけは崩していないからである。その後旧人類について研究する学者たちは、500万年ほど前のアフリカ・サバナ地帯で直立に歩く人類の原始祖先が誕生し、10万〜20万年前に「何か」が起きて人類はほとんど消滅し、その少ない生き残りが今のような人類になっていったという説を主張し続けている現状がある。
しかし、この「何か」が完全に不明のままで残っているのは当たり前のことであり、聖書の創世記に見られるような「アダムとイブの創世記」を信じているものは、当然だといわんばかり「大洪水」が原因であるとしている。彼らはその大イベントが6.000万年前に起きたという聖書のタイムラインを決して壊そうとしない。それは別にしても、旧人類学者たちの意見は、次のことを考慮にいれなければ受け入れることは不可能である。
私たち人類が種として始まった原点となるその時期や、その時代の状況についての論争は別においても、人類には多くの不可解な問題が残っている。人為的につくられた植物や家畜などと同じように、人間というのは古典的なダーウィン論が描くパラダイム(価値観)からはるか外れたところに属しているものに思える。ダーウィン自身も、「人間は家畜のように、自然の性質からまったくかけ離れた種であることは驚くべきことである」と述べているくらいである。
実際に霊長類と人類の性質ははるかにかけ離れていて、人間には地球で発達したようには思えない性質がたくさんある。それにもかかわらずあらゆる科学的見解によって、人間が他のすべての霊長類や、とくにチンパンジーやゴリラと非常に密接に関連する霊長類であると、我々は教えられてきた。この教えは私たちの精神に強く巣食っていて、二つの違いを比較すること自体がナンセンスと思われている現状である。そうであっても、あえてこの比較をしっかり頭に入れておけるよう、ここで再確認してみたい。以外にも新たな発見があり、驚くはずだ。
『太陽の暗号』
莫大な原稿料という名の工作費を払って非党員文化人を動員する
赤旗の原稿料が話題になっています。党幹部は長い長い論文を発表します。党の元大幹部西沢隆二は、一つの論文を『赤旗』に発表して原稿料をもらい、さらに『前衛』に転載してもらい、単行本にしてまたもらい二重取り、三重取りしていると皮肉っていますが、これはその後いくらか改定されているようです。つまり、現行の中身によって区分けし、党の機関を代表して書くものと、個人的な面の強いものとに分け、後者には原稿料を払うそうです。
単行本の場合も党中央出版局のものは、初版はタダ働きにして再版から印税を出しますが、宮本委員長や不破書記局長などの単行本は、大部分を党員の必要文献にして、半ば強制的に党員に売りつけるため莫大な印税が入ってきます。それよりも注目されるのは、年間数百名に及ぶ学者など非党員文化人に払う原稿料です。とくに『赤旗』に連載される党外作家の小説などには、昭和52年当時で最高400字1枚、1万円という原稿料を払っているものもいます。
これらの筆者のほとんどのものが『赤旗』のシンパですが、なにはともあれ当面金にさえなればと、とにかく言われるままに書くというものも増えてきました。しかし、後で選挙ともなると、共産党候補の推薦文を書かされたり、自分の顔を大きく『赤旗』に載せられたりして、顔をしかめるものも出てきています。また党の別働隊がやってきて、選挙カンパや各種カンパで支援の金をせびられ、うんざりするものもあります。誰でも知っている大学教授や評論家、作家が何人も『赤旗』に顔を出します。その都度、莫大な原稿料という名の工作費が支払われています。
仮想敵は誰なのか党防衛隊の強化
一般党員すら疑うものものしい警戒ぶり
東京のど真ん中に党本部を城を構えていますが、まるでベトコン基地のようなもので、その門戸を固く閉ざし、ひとり孤塁を守っています。とくに相手が警察ともなると目の色を変えます。共産党にとって警察は当面の敵なのです。反動政府の暴力装置と決めつけています。それでも日本という国は自由でおおらかなもので、平気で革命へ向けての政治活動を許し、時の政府と警察を罵倒させています。言論の自由は無制限といって差し支えありません。これが逆になったらどんな自由があるのか、説明しなくても世界に共産主義が十いくつもありますから誰でも知っています。
日本の公党のなかで、国民を二つに割り、敵と味方にはっきり区別している政党は共産党をおいて他にありません。共産党の隠された文献をあえて読まなくても、特殊な政党であることがわかります。その共産党が最近ものものしい警戒ぶりです。共産党にとって何か悪い予感でもするのかもしれません。なにしろ共産党には敵が多すぎます。共産党のいう当面の敵は「アメリカ帝国主義と日本独占資本」だそうですが、これだけなら、一般市民には何のことかわかりません。「自分はいったい共産党にとって敵なのか味方なのか」と不思議がるくらいのものです。
一般市民が知っているのは、共産党を支持するものが野次馬も含めて10人に1人、票にして全国で600万票という程度のものです。すると10人に9人は敵かというと、そうでもないようです。そうなると「一人の独占資本、多数の労働者」の論理と矛盾します。しかし、共産党は自分を批判するものや、自分に都合の悪いものを「二つの敵」の手先として噛みつきます。だから、労働者でも農民でも文化人でも学生でも安心してはおれません。いつ敵というレッテルを貼られるかわからないのです。
こうしてみると、共産党の敵がいかに多いかがわかります。共産党は自分で絶えず仮想敵をつくりだしているのです。自然警戒心が人一倍旺盛になり、それが昂じて一種の病的現象を呈するようになります。それを一般市民からみますと「こわい政党」と目にうつります。共産党防衛隊はこういう背景の中で、密かにつくられているのです。
入党はしたものの窮屈な党生活に脱落者続出
共犯者の袴田委員長も認めていた「リンチ殺人事件」の事実
共産党ではこのところ脱落者が多く、党内はテンヤワンヤの状態が続いています。そこへ例の”袴田リンチ殺人事件”が大きく表面化しました。ところが、それが国会の場に持ち出されたのです。それでも共産党はまだデッチあげだのデマだのと繰り返しています。しかし、その声がいかにも精彩がなく、しどろもどろに聞こえるようになりました。昭和51年1月30日の衆議院予算委員会で、稲葉法相は民社党塚本書記長の質問に答え、宮本顕示、袴田里見らの手で行なわれた凄惨なリンチ殺人事件があった事実をはっきり認めています。もうこうなると、共産党も隠しようがないのです。
このやり取りはNHKのテレビで全国放送されました。共産党では不破書記長をくりだし防戦につとめましたが、あれだけの事件を起こしながら、なお反省の色を見せない不敵な表情が、逆に国民に大きな恐怖感を与えたようです。稲葉法相が、判決に不服なら再審の請求という手段があると促しても、共産党はうわの空でした。とてもそういう自信はないのです。それをやればリンチ殺人事件の凄惨な場面がさらに詳しく浮かび上がり、怖い怖い共産党が全国隅々までなり渡ってしまいます。ヤブヘビになることが目に見えているのです。
この二人には治安維持法違反だけでなく、リンチ殺人事件をめぐる刑事犯がくっついています。ですから、あの時は政治犯だったなどと、ていのよいことばかり大声で吹きまくるわけにはいかないのです。このリンチ殺人事件について袴田副委員長が不用意に本当のことをしゃべり、それが今党内で大問題になっています。リンチ殺人事件の事実を現職の副委員長が自分の著書の中で証言しているのですから、党内で大騒ぎになるわけです。
袴田副委員長は、この事実を宮本委員長から鋭くねじ込まれ、平素、傲慢をもって党員の間に君臨していたものが今は見る影もなく、しょげかえっているといわれています。といって宮本委員長の方もこれ以上追及もできないのです。相手は自分の過去を知るリンチ殺人事件の共犯者ですから。痛し痒しなのです。
『これが共産党』水島 毅 大正4 岡山 思想運動研究所代表
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