加藤のメモ的日記
DiaryINDEX|past|will


2013年04月30日(火) 戦乱の京都

京都といえば、神社仏閣が立ち並ぶ伝統ある町並みが思い浮かぶかもしれませんが、戦乱の都という側面もあります。京都では歴史上重要な多くの事件や争いが起きました。例えば、藤原薬子の変、保元(ほうげん)・平治の乱、南北朝の動乱、応仁の乱、天文法華の乱、足利義輝と松永久秀、三好三人衆との闘い、本能寺の変、山崎の合戦、宮本武蔵と吉岡一門の決闘、寺田屋騒動、池田屋事件、蛤御門の変、坂本竜馬や佐久間象山の暗殺、鳥羽伏見の戦いなどが挙げられます。

この中でまれに見る長期戦となった応仁の乱では、法勝寺、妙法院など多くの寺が焼失したといわれています。また、戦乱時には上御霊(かみごりょう)神社が開戦地になり、祖国寺が細川勝元率いる東軍の拠点にされました。応仁の乱以前から生じていた土一揆の襲撃などに備えて塀を高くし、濠を造る寺社が続出するなど、戦乱への備えを整えていました。織田信長が一命を落とした本能寺も、襲撃に対する備えを持った寺であったといわれます。このように多くの寺社が戦乱で失われてしまったという史実は、あまり知られていません。

室町時代後期には戦国大名たちが競って京都を目指していました。彼らは目的を成し遂げ権力を誇示するために、京都にいくつかの城を建築しました。徳川家康の築城以前に織田信長が同じく二条城として築いた城や、豊臣秀吉による伏見城、さらに秀吉が築いていた城や、さらに秀吉が築いて自ら破却↓聚楽第(じらくだい)などもありました。このように安土桃山時代になると、寺を拠点としていた方式から変化して、城郭の持つ威容によって戦乱を平定しようとしていたことがわかります。

もちろん、これらの戦国大名だけでなく、彼らとほぼ同時代に入洛(にゅうらく)した宮本武蔵や、幕末に登場した新撰組の近藤勇など、事件や争いに関わった人物にも焦点を当てています。それは、三十三間堂などで吉岡一門との決闘に挑んだ宮本武蔵や、池田屋事件などに見られる近藤勇ら新撰組と御陵衛士(ごりょうえし)の伊東甲子太郎らとの闘争を例に関わった事件の流れが説明されています。彼らが活動した足跡は、今では史跡という形で残されています。ただ、現在ではすでに焼失してしまった建物もあり、それが存在していたことを示す石碑しか残されていないところもあります。幕末期に新撰組に襲撃された池田屋などは、時代の変遷によって失われてしまった例と言えます。

このように京都は江戸時代に入ってからも、日本の重要拠点として存在し続けました。これは天皇を中心とした朝廷の存在が大きかったからであります。武家政治の元祖であった平氏やその後の足利氏などは権力を築くために朝廷を頼り、京都に政権を置きました。しかし、それは長続きせず、また、そうして創りあげた政権も早い段階で崩壊の兆候が見られます。その原因の一つは、彼らが朝廷の権力に近づき過ぎていったからだと考えらえます。これに気づき、京都から距離を置いたのが源頼朝や徳川家康でした。しかし、彼らとて京都と朝廷をないがしろにするわけにはいかず、この地にも幕府の拠点を置き、重要な人物を配しています。

こうして見るように、歴史的に見て京都は多くの人々を招き寄せ、時にはそれが元で事件や争いが起こりました。



『戦乱の都・京都 日本の歴史はここで動いた』


2013年04月28日(日) 96条改定は憲法破壊

姑息な思惑に広がる反発

安倍内閣がねらう憲法96条の改定。反対の強い9条は先送りし、改憲手続きの96乗のハードルを下げる、だけなら成功すると、姑息な手を考えたのだろう。しかし、この疑惑が逆に反発を広げている。これまでの改憲論者からも「憲法を憲法でなくする」と厳しい批判が出ている。しかし、「96条改憲反対」が増えて、多数を占めている。

憲法改定論者の小林節・慶応大学教授は、96条改定を強く批判し、反対の論陣を張っている。

初めにお断りをしておきます。僕は自衛戦争を認める立場で憲法改定論者です。しかし、いま問題になっている96条改定は、その以前の問題で、憲法を憲法でなくしてしまう問題なんです。憲法改定の国会の発議を、各議員の3分の2以上の賛成から、過半数にしようという96条改定は、憲法を一般の法律のようにしてしまう。憲法は権力者たちを縛るものです。変えるには、法律よりも厳格な手続きが必要だからこそ、憲法なんです。その時々の政治の多数派によってクルクル変えさせてはいけない。一般の法律以上に、改定のハードルが高いのは当たり前なのです。

権力者たちが、憲法の拘束への苛立ちから、憲法を憲法でなくし、法律のように変えようというのは、ぼくの言葉でいえば「邪道」です。大学でいうと裏口入学。憲法改定のルール以前の悪事ですよ。憲法改定ではなくて、憲法破壊で、論外です。憲法を基本に国を統治していくという立憲主義の否定だとぼくは驚き、怒っているのです。

世界は3分の2が普通です。

日本の憲法だけが「改憲のハードルが異常に厳しい」などというのも間違いです。例えばアメリカは、日本と同じで、上下両院でそれぞれ3分の2以上の賛成に加えて、50州の4分の3から各州別に同意を取り付けて初めて改正が可能になります。日本以上の厳しさです。それでも30回弱、憲法改正が行なわれています。世界では、3分の2の条件が普通です。諸外国で、経験要件を変えるための憲法改正が行なわれたという例は聞いたことがありません。先日、日本商工会議所で、憲法問題に関する研究会があって、私も出席しました。

権力者を縛る唯一の仕組み

憲法というのは、日本の法体系の中で唯一、国民が権力者を縛ることができる仕組みです。権力者が判断を誤って暴走することがないよう、国民がブレーキをかけるためのものです。だから99条で天皇や閣僚、国会議員、公務員に憲法尊重擁護義務を課しているのです。これが立憲主義ということです。ここの理解がないから、改憲ハードルだけ下げよという考えが出てくる。憲法が何なのかわかっていない人たちが、憲法の拘束を逃れたくて、憲法との位置関係を破壊しようとしているのです。破壊的改憲論はアウトです。

自民改憲派のアナクロニズム

自民党が憲法を変えたいというなら、正々堂々と国会の「3分の2」の多数で改憲を目指すべきです。それをしないで、まずは改憲の緩和からやろうというのは、自分たちの改憲案が国民を説得できないからです。ぼくは日本の改憲派の改憲案にも大きな問題があると思っています。今回の自民党改憲案には、愛国心はなくなったが、「家族は互いに助け合え」とか、道徳に触れたりしている。やたら上から目線で大きなお世話です。一般国民まで含めて、憲法尊重擁護義務を負わしている。まるで明治憲法に戻るかのようなアナクロニズム(時代錯誤)です。

この話は国民大衆が選挙でけりをつけなくてはいけない。真の護憲派に投票しなくてはいけない。安倍首相の支持率は高いが、96条問題が命取りになる可能性もある。私と同じことをいう人が増えてきました。これから常識の大反撃を受け、ボディーブローのように効いてくと思います。ぼくはあるインタビューで96条改憲に体を張って反対といいました。いろいろな政治問題で、はっきりとした発言をすると無言電話や警察警備の打診とかが来ます。しかし、学者として真実を発言するのに、社会的リスクや身辺の危険で屈してはいけないという思いなのです。

慶応大学教授 小林節


議員過半数の改憲は、民主国家ではない

違憲状態で議員になった方々の、過半数の票で憲法が変えられる国は、民主主義国家とはいえません。江戸時代でさえ、共同体で大事なものごとを決める方法は、とことん話し合った末の「全員一致」でした。ただし、投票箱は一家に一票でしたが。多数決とは、直接民主主義による全員一致が不可能であるために生まれた方法で、理想的な方法ではありません。

そこで、さまざまな組織や国において大事な案件では3分の2の賛成が必要ということになっているのです。多数決を憲法に適用するという発想を持っている人達は、憲法を軽視し、ないがしろにしている人達です。96条を変えないと9条が変えられないと考えるのは、つまり国民が改憲を望んでいないことがはっきりしているからです。

法政大学教授 田中優子



『赤旗』4.28


2013年04月26日(金) 江副浩正

冷たい雨のそぼ降る朝、私は銀座8丁目のリクルートビルに行った。今年の4月8日に76歳で亡くなった江副浩正さん(リクルート創業者)にお別れをするためである。白菊で飾られた献花台の真ん中には江副さんの遺影があった。他に人はいなかったので、私は一人その前に立った。手を合わせ、心の中で江副さんに語りかけようと思ったのだが、自分の気持ちをうまく整理することができず、ただご冥福を祈るだけだった。

私は江副さんに対して負い目がある。24年前、私が共同通信の検察担当記者だった時、江副さんはリクルート事件で東京地検特捜部に逮捕された。あとでわかったことだが、彼は113日間にわたる逮捕拘留期間中、拷問のような取り調べを受けていた。本来であれはそうした不当捜査を暴くのが記者の役割である。だが、私はその役割を果たさなかった。それどころか、特捜の尻馬に乗って江副さんを批判する記事を書き連ねていた。なぜ、そんな馬鹿なことをしたのだろうか。

彼の回顧録『リクルート事件・江副浩正の真実』から東京拘置所での取り調べの模様を再現してみよう。リクルートコスモスの未公開株譲渡が賄賂だったことを否認する江副さんに対し、神垣清水検事が怒鳴りだす場面である。

「バカヤロー!おまえは申し訳ないことをしたと国民に謝罪すべきなのに、何たる傲慢な態度だ。そんな態度をとられたのは、俺は初めてだ。特権をなめるな!特捜がどんなに恐ろしいところかお前にはまだ分かっていない!」神垣検事が机を持ち上げる。積み上げられた書類が私のそばにドーンと音をたてて落ちた。「立てーっ!横を向けっ!前え歩け!左向け左っ!」壁のコーナーぎりぎりのところに立たされた私の脇に立って、検事が怒鳴る。

壁にもっと寄れ! もっと前だ!」鼻と口が壁に触れるかどうかのところまで追いつめられる。目をつぶると近寄ってきて耳元で、「目をつぶるな!バカヤロー!俺を馬鹿にするな!俺を馬鹿にすることは、国民を馬鹿にすることだ!この馬鹿!」と鼓膜が破れるのではないかと思うような大声で怒鳴られた。鼻が触れるほど壁が近いので、眼を開けているのは非常につらい。目がかすみ、耳はぼうっとしてくる。

「目を開けていろ!動くな!」しばらくすると壁が黄色く見えてくる。目が痛くて、瞳孔が縮んだせいか壁に黄色いリングが見える。悲しくないのに涙が出てきた。壁に向かって至近距離で立たされ、目を開けることを強いられるのはとても辛い。耳元の大声も辛い。かってスキーで骨折し6週間ギブスをはめていた左足が痛い。次第に足の裏がうっ血してくる。江副さんは逮捕前から精神が不安定で、入院先の病院でこう討つ剤を処方されていた。自殺を考えたこともある。そんな人が長期拘留され、こんな取り調べを受ければ、精神に変調を来すのは目に見えていたが、特捜は容赦しなかった。

あんな悪いことをしたのだから当然だ、と言われる読者もおありだろう。だが、その後の裁判でわかった事実を検証すると、それは誤解だと言わざるを得ない。確かに江副さんがバラ撒いた未公開株の譲渡益や、政治献金の額は膨大だった。しかし、それらは政治家や官僚の便宜供与に対する賄賂というより、江副さんの「タニマチ」感覚で配られたものだ。贈収賄事件としての立件には無理があった。リクルート事件は、検察とマスコミが作り上げた幻の疑獄事件だったと私は今は思う。

にもかかわらず、江副さんは懲役3年・執行猶予5年の有罪判決を受けた。最大の理由は、彼が容疑を認める調書に署名したからである。NTT・労働省・文部省の元トップや藤波光世・元官房長官らの有罪判決の根拠になったのも、江副さんの「自白調書」だった。特捜は江副さんの「自白調書」をとるのにさまざまな策を弄した。その一つが「このまま否認を続けると、リクルートNO2の位田社長を逮捕するぞ」という脅しだ。位田社長が逮捕されると、リクルートは資金的に行き詰って倒産する恐れがあった。

もう一つは「贈賄を認めれば早期釈放と、執行猶予判決が得られるような軽い求刑を約束する」という”司法取引”だった。江副さんは悩み苦しんだあげくに「位田逮捕の恐怖」と、早期保釈などの誘惑に抵抗できなくなり、「自白証書」に署名せざるを得なかったという。4年前、この回顧録を初めて読んだとき、私はひどい衝撃を受けた。登場する検事たちを私はよく知っていた。彼らは良識ある人たちだ。中には私生活でお世話になった検事もいる。彼らがこんな取り調べをしていたとは…。

だが、それを知らなかったで済ませることが私にできるのか。当時を私はたぶん他社の誰より特捜に食い込んでいた。夜ごと検事らと暗い路上や電車の中、あるいは小料理屋で密かに接触していた。彼らにしばしば情報を提供し、その見返りに捜査情報をもらう、そんなことを繰り返しながら私は彼らの仲間になった。仲間になれば情報は入る。だが捜査を批判的に見る目も失われていく。仮に当時の私が江副さんに対する不法捜査を知っていても、特捜批判の記事を書けなかったかもしれない。情けなく、恥ずかしいことだが、私は記者としての一線を踏み外していたのである。

「メディアが捜査官で、検事が取調官。そのような構造は司法の効率を上げるという点は良いかもしれない。だが、検察がメディアを頼りに立件しているため、メディアが”第三の権力”となっていることを、私は身ももって実感した」と江副さんは書いている。1989年6月、江副さんは約4カ月ぶりに釈放された。翌日から彼は「拘禁反応鬱状態」で孤独感に苛まれ、NTTの新藤元会長や藤波元官房長官への背信的な調書に署名したことに対する後ろめたさで自己嫌悪に駆られた。

「いっそ死んでしまいたい」と思うようになり、うつろな様子でマンションの部屋をぐるぐる歩き回った。夜中に怯えて目が覚め、寝汗でシーツが濡れることもあった。周囲の人たちは変わり果てた彼の姿を見て悲しんだ。おそらく”拷問”の傷跡は彼の心から生涯消えることはなかっただろう。メディアと検察が一体化して事件を作り上げる病理現象はリクルート事件後も止んでいない。願わくば、これからの記者たちが私と同じ轍を踏まぬよう祈るばかりである。



『週刊現代』3.9


2013年04月22日(月) 病院で殺されないために��

清風荘病院特別顧問天野恵子医師が語る。「昨年、日本でもガイドラインが改定されて、診断上の性差の問題は解消されましたが、実際はまだほとんど浸透されていません。本来、日本動脈硬化学会の医師たちが、このことを声を大にして言ってくれないとだめなんです。講演会などがあっても彼らは言わない。製薬会社がスポンサーだからでしょう。これが一番の問題だと思っています」

すべての医師が、カネ儲け主義であるわけでは決してない。現場の医師たちは、そこまで考えて行動する暇がないというのが現状だろう。だが、病気を予防したい、早期発見をして治してあげたいと、患者に向き合う医師がいる一方、医療政策や製薬会社も含めた大きな規模での動きが、病人を増やしてしまっていることは否めない。

松本医師は、ちょっとした異常でもあたかも「病気」のように名前をつけて扱うことに問題があると指摘する。「高血圧も高脂血症も高尿酸血症もそうですが、これらは高血圧状態、高脂血状態、高尿酸素状態というべきであって『症』ではない。病気ではないんです。にもかかわらず、いかにも病気らしい名前をつけ、基準値を厳しくすることで、患者を増やしてしまっています。血圧について言えば、そもそも人間は老化につれて動脈硬化を起こすものですし、血管壁も硬くなる。そのため、血圧をあげて血液を循環させることは、生命維持に必要なことでしょう。60歳ごろから最高血圧が220あったけれど、95歳で大往生した患者さんもいました。年齢とともに、数値が上がっていくのは、病気ではなく自然なことなのです」検査結果の数値だけに惑わされて、病人になる必要などない。

本当はここまでなら大丈夫。
医師が自分で使っている「正常値」

「この30年間、私は健康診断を一度も受けていません。1985年ごろに体調が悪くなって一度採血したことがありますが、やったのはそれだけです」こう語るのは慶応大学医学部放射線科の近藤誠医師だ。氏は、「健康診断には意味がない」とまで言い切るが、多くの検査項目の「有効性」が根拠薄弱だということは、厚労相の「最新の科学的知見に基づいた保険事業に係わる検査研究班」の研究結果にも、はっきり表れている。同班が代表的な検査の24項目を調べたところ、なんと16もの項目が、有効性を証するに足る「証拠がない」「無意味」「不適切」となったのである。

たんに意味がないというだけではない。有害だという声が医師サイドから多数出ているのだ。「基準値を厳しくすると『病人』が増えるので、薬の使用量も増えます。薬漬け医療で怖いのは副作用。起こらなくてもいい病気が起こってしまうんです」(岡田医師)例えば、高血圧と診断されて降圧剤を飲む。すると、それまで何ら症状がなかったのに、意欲が減退する、ふらふらする、脳梗塞や心筋梗塞のリスクが高まるなどの副作用が生じる可能性が指摘されている。

「それでも国民の健康のために健康診断は必要」といった言い分を真っ向から否定する興味深いデータもある。フィンランドで行なわれた75歳から85歳までの被験者の血圧と5年生存率を調べたデータだ。例えば80歳の場合、最高血圧が120以下のグループから180超のグループまでのうち、最も生存率が高かったのは180超のグループで、最も低かったのは121〜140のグループだった。

また、中年の管理職1200人を対象に行なわれた調査では、Aのグループは、定期的に検査を行ない、生活指導で高血圧が改善しない場合は薬を出して綿密なケアをした。Bのグループは何もせずに放置した。そのうえで15年を追跡調査してところ、より多くの死者が出ているのはAグループだった。皮肉にも、健康に気を使い、医療によるケアをしている人の方が寿命が短いという結果が出てしまったのである。健康診断で提示される基準値が信用に足るものではないということは、述べた通りだが、数値の真実を知る医師たちはどの程度の数値を「正常」の目安としているのか。

年齢とともに数値が上がっていくことは自然なこと、と主張するのは松本医師の意見はこうだ。「最高血圧は昔から用いられていた〈年齢+90〉を基準にするのがいいと思います。最低血圧は110くらいでしょう。

前年の数値と比較する

岡田医師は、数値を知ることで病気の予防に直結するものに限っては、目安として検査を定期的にしておくのが良いという。「それは血糖値と血圧、コレステロール値です。これらの数値が上がっていたら、生活習慣を改善して数値を下げれば、心筋梗塞や脳卒中などの病気が発症するのを予防することができるのは明らかなのですから、目安にするのはいいでしょう」

父親からの遺伝で、自身も血圧が高いという中原医師の目安はこうだ。「僕自身はいつ計っても血圧が170になって初めて薬を飲むようになりましたが、一般には160を超えるようになってからで十分です。130は薬を飲むには早すぎます」そんな中原医師が勧める「正常値」を表に記した。これは70万人ものデータを分析したものだ。このデータによると、60代の男性の場合、通常の基準では最高血圧が140以上であれば高血圧とみなされていたものが、165までは問題ないということになる。毎日血圧を計って、数値の上下を気にして人にとっては、嬉しい情報ではないだろうか。

だが一つ注意しておくべきことがある。東京メトロ株式会社の鶯崎医師はこう説明する。「基準値は誰にでも当てはまるものではないですし、単純に基準値の内か外かにこだわるのではなく、個人個人の数値を時系列で見ていくことが大切なんです。去年と比べて明らかに数値が上がっていたら、何か異常が出ている証拠かもしれない。そういう意味では、定期的に検査をすることも必要。また、基準値に固執せず、患者さん個人の数値の変化を的確に見極められるホームドクターにかかることも大切だと思います」

数値に一喜一憂することなく、自分の体の変化を把握しなければ、検査も意味のないものになってしまうのだ。


『週刊現代』4.20


2013年04月20日(土) 病院で殺されないために��

大研究「病院で殺されないため」に知っておくべきこと

病人はこうして作られる・なぜ「基準値」はこんなにいい加減なのか

あなたはなぜ健康診断を受けるのですか?かえって、寿命を縮めているかもしれません。健康でいるための「本当の秘訣」お教えします。

「昨年発表された最新の数値は7.8%。これは人間ドッグで『異常がなかった人』の割合です。日本人間ドッグ学会がこの数値を発表しています。つまり検査を受けた人の92.2%は身体に何らかの異常を抱えているということ。そんなに人間は不健康なのでしょうか」医学博士の中原医師はこう嘆く。実際、健康診断や人間ドッグを受けて「要注意」と書かれた診断書を見て青ざめた経験がある人は多いのではないだろうか。医療技術が進歩し、早期発見・早期治療が叫ばれる今、日本人はどんどん健康になっているはず…が、現実はそうではない。「病人」がどんどん増加しているのだ。そこには知られざる落とし穴が数々潜んでいるという。

まず、知っておくべきことは、検査の「基準値」が病院によって違うということだ。その値から外れると、健康に異常があるとされる基準値。誰にも当てはまる科学的根拠のあるデータをもとに割り出された数字と思いがちだが、ある病院で検査を受けたら「異常あり」別の病院で受けたら「問題なし」と判定されることが珍しくないのである。なぜそんなことが起きるのか。慶応大学放射線科の近藤誠医師が言う。

「慶応大学病院の場合、健康な職員を採血し、彼らの数値を高い方から低い方へと並べて、上下各2.5%の値を切り取ったものが基準値です。この方式はどこの医療機関でも同じです」つまり各病院や検査機関が「健康な人」と認めた被験者の95%が入る数値が、基準値として設定される。被験者が違えば、当然、基準値が異なってくる。言ってみれば「基準値」とは検査機関ごとのローカルルールにすぎない。言い換えると「健康」の定義そのものは何なのか。実はこれが曖昧なのだ。

血中コレステロールの基準値が登場するのは、1976年出版の『内科診断学』という医学教科書。そこではコレステロールの数値がたびたび変更され、現在では、総コレステロールだけを検査するのは意味がないとされている。検査の方法さえもが移り変わっているのだ。

「医は算術」なのか

だいたい新たな検査を始めれば、それだけ「病人」の数が増えるのは自明の理。2008年に日本でメタボ検診がスタートしてから、健康診断では必ず腹囲が計られることになったことは、記憶に新しい。生活習慣を改め、病気が発症する前に予防して「医療費を削減する」ことを目標にスタートしたしたものだったが、現実はその逆をいくものだった。「メタボ検診にあわせて、糖尿病、血圧などの各学会が新たに厳しい基準を出してきました。それによって過剰医療が生まれてしまったのです」(岡田医師)

その検査に根拠はあるのか、そもそもメタボは悪いことなのか、という議論も散々巻き起こり、検査自体意味がないのではと批判も噴出した。現在厚労省は新たな検診プログラムを検討中だというが、このメタボ検診にかけた税金は実に500億円に上がっている。メタボ検診だけでなく、新たな検査方法が次々に出てくることによって、弊害も生まれている。もちろん、早期発見による恩恵は大きい。だが、一方で30年前では見つけられなかったような病気の兆候が見つかることで、その後、薬を飲み続けなければならなくなるような事態も起きてくる。

最近普及しつつある脳ドッグでは、脳の動脈瘤や血管が詰まった部分を見つけるためにMRAやMRIの検査が行なわれ、これまでには見つからなかったごく小さな腫瘍などが見つけられる。これにより、手術をするほどではないが、経過観察が必要な「病人」となり、ずっと病院と付き合っていかなくてはならなくなるのだ。そもそも、検査は詳しくやればやるほど「異常」が増える仕組みになっている。検査項目が多ければ多い程、何かしらひっかかるようにできている」(近藤医師)

このようなシステムをつくりだしてメリットがあるのは誰なのか。「罪深いことですが、医療も”産業”です。今は人口は減っているが、医者の数は年々増えています。この状況で儲けるには、全体のパイを増やす必要がある。そのために検診と人間ドッグがあるのです。その際、普通にやっていても患者は増えないので、基準値を下げて患者を増やす。顕著なのが血圧やコレステロールでした。アメリカやフィンランドなどでは、健康診断は意味がない、寿命が伸びないというしっかりとしたデータがすでに出ており、日本の医師たちも知っています。知っていて知らないふりをしている。医師たちが学問の道を踏み外して”商売”に励み、患者がその被害者になっているのです」(近藤医師)


2013年04月19日(金) 終わりは始まりである

自惚れがあるのが 生きてゆく力なのだ

「詩」は難しいからと敬遠する人がいるけど、校歌や演歌の歌詞は、みんな立派な詩だ。「大漁旗を翻して新しい日本を築いてください」と、東北の人々を励ましながら、2012年5月、97歳で世を去った会津若松田出身の詩人、杉山平一の、「会釈」という題の、この詩の平易さなんかどうだ!

交番に立っていると
毎朝 会釈する若い女性がいて
若い警官は気分を良くしていた

という、冒頭の3行は朝、勤め先に急ぐ女性と、交番の若い警察官の姿が見えるような情景だ。ところが、詩はこうつづく。

彼女は交番の時計を覗いていたのだ
がっかりしました と警官はいった

そこで詩人は、

私も、うしろの人へのお辞儀を
自分への会釈とまちがえて
恥ずかしい思いをしたことがある

と、警官を弁護して、こう励ますのである。

けれども しかし
若い警官よ
がっかりすることはない
うぬぼれがあるのが
生きてゆくちからなのだから

詩人の人生の叡知は凄い。人は程よい自惚れがなければ生きてゆけない。詩も文章を書けないだろう。ましてや政治家にはなれっこない。過剰なウヌボレのかたまりこそ政治家なのだ。

ウヌボレは、イヌ、ネコには備わっていない人間の特性である。「いま」という詩もステキだ。

もうおそい ということは
人生にはないのだ

と、まず断言してこううたう。

おくれて
行列のうしろに立ったのに
ふと 気がつくと
うしろにもう行列が続いている

なるほど、日常の暮らしのなかでよくあることだ。勤め人たちの昼メシどきの行列!そこで詩人はこう締めくくる。

終わりはいつも はじまりである
人生にあるのは
いつも 今である
今だ

『杉山平一全詩集』現代詩人賞の授賞式で、自作を朗読しようと練習していてのにかなわず、東北への祈りをこめた『希望 杉山平一詩集』が遺作となった。北上する桜前線の桜もまた散るが、次のはじまりなのである。



『週刊現代』4.20


2013年04月17日(水) 橋下市長の「思想調査」

橋下大阪市長の足元がぐらついている。公務員の労働組合を敵視し、市民サービスを切り捨て、財界に奉仕する姿勢で何が起きているのか―。

大阪府労働委員会は、3月25日、橋下市長が昨年2月に実施した職員アンケートを「不当労働行為」と認定し、命令書を出した。それは「今後このような行為を繰り返さないようにいたします」。との文書を労組に手渡せ、というもの。その問題のアンケートは、約3万人の市職員に市長の「業務命令」として記名回答を強要したもの。組合加入や特定政治家の応援、街頭演説への参加の有無などを質問し、選挙で投票要請した人物の名前までただしたものである。

内心の自由を侵す憲法違反の「思想調査」に対し、日本弁護士連合会会長など法曹界をはじめ、各界から批判が相次いだ。日本共産党の市田書記長は3月25日の記者会見で、「府労委命令は橋下氏の憲法に対する態度が根本的に問われる重大な決定で、市長の資格が問われる」と指摘した。市長は同日朝、命令に従うと表明したが、夜には労組側が”対決姿勢”を示したことを理由にあげて、不服申し立てなどで争う姿勢に転じた。

「アンケートの違憲性より、市長と労組の”対決”に注目を向けさせる、市長のごまかし、論点のはぐらかしです」と指摘するのは、市職員の長谷氏(57)。長谷氏は「思想調査は憲法違反だ」として市を訴えた裁判の原告団の団長である。さらに橋下市長を追い詰める決意である。「思想・信条の自由や労働基本権、プライバシー権を侵したのがアンケートである。府労委が不当労働行為と認めたことは大きな一歩だが、私たちはさらに前進させて、裁判で憲法違反と認めさせます」と述べた。



『赤旗』4.7


2013年04月16日(火) 人生の主力は後半生 

…理由は眼につきる。それも弱い片目だけでなく、よい方の右眼にも病魔が襲った。初達成の翌年の2009年、突然ボールの右半分が真っ黒に見えた。つまりゴルフボールは、右半分しか見えていない。1番ティーでのドライバーは、ほとんどカラ振りであった。パニックに襲われた。もう二度とゴルフができないかと思った。失明も考えた。主治医の先生は、すぐに帰国しなさい、と言われた。オーストラリアから飛んで帰った。

先生は電話の問診だけで病名が解っていた。近年大きな問題になっている、黄班変性症という。加齢性が強いようだがボクの場合、長年の強度近視が原因だった。昔は大手術だったようだが、今や目に直接注射する療法が主力で、ボクも右目に2カ月間隔で1本づつ、計2本注射していただいて、又ものが見えるようになった。

翌2010年には、右目の白内障の手術をしていただいた。0.01しか見えなかった眼が、突然1.0から1.2にも見えるようになった。ところが左目は相変わらず0.01で、コンタクトレンズを入れている。その上、緑内障のため視野狭窄が生じて、見える部分と見えない部分ができている。このアンバランスは御し難いもので、事故を起こす前にと、運転免許を返納してしまったほどである。

左眼をもう少し見えるようにしてもらおうと、左瞼を持ち上げる手術をしていたたいたのは、2011年である。多少は良くなったが、「気のせい」程度であった。この年には、再びボールの右半分が黒く見えだして、カナダで注射を受けたら、すぐに治った。もともと大腸がんの治療に使われていたアヴァスティンという薬を、眼に注射するという手を考えたのは、アメリカの医師らしい。

思えば長い4年間だったが、ボクは眼は「現状維持」で良いと考えるようになった。眼がアバウトにしか見えないのだから、ゴルフもアバウトにしようと考えた。キャディーや同伴者に事情を話し、ボールの行方を追ってもらう。するとヘッドアップしなくなった。アプローチも、落としどころを限定するより、「大体でいから」リズムを大事に振るようにした。

とにかく、ゴルフを「生涯の友」と決め、富も名声も捨てて、56歳でセミリタイアを宣言した。あれからほぼ23年の歳月が流れたが、お陰さまで元気に人生をエンジョイしている。上昇志向一辺倒の考え方をやめ、後半生に主力を置く生き方を書いた拙書『巨泉 人生の選択』がベストセラーになったのは2000年、今から13年前のことだ。それが最近またアベノミクスなどといって、強欲な拝金主義を煽るような風潮は苦々しい。



『週刊現代』3.9  大橋巨泉 1934年東京墨田区


2013年04月11日(木) 教育とは

TVでハーバード白熱教室を見ていた時のことです。「この中で第一子は手を挙げて下さい」サンデル教授が質問すると、大講堂にいる数百人の学生のほとんどが挙手します。さもありなんと教授は見回し、すこぶる高い授業料のハーバード大に学ぶことができる学生たちの、第一子であるが故の教育上のアドバンテージ(優位性)を指摘したのでした。

子供がどんな教育を受けるかが、親の在り方に依るのは世界共通です。ウチの場合は辛い、私も弟も物心両面で等しい支えがありました。その上、私がとんでもないことを教育で望み、それを許してもらえたことは今も親に深く感謝しています。それは中学浪人でした。私は大阪府立天王寺高校の受験に失敗しました。100%大丈夫と自分も周囲も思っていただけに、そのショックは大きく、滑り止めの私立高校で3年も過ごすことに我慢がならなかったのです。

中学浪人など聞いたことのない時代です。経済的負担も大きいです。それを親は許してくれ、全面的に支援してくれたのです。私は当時スパルタの授業で有名だった入江塾の門を叩きました。入江塾というと今の日本では絶対にお目にかかれない、強烈な人物が塾頭を務めるその塾は、灘や鹿児島のラサールに毎年何十人も合格者を出すことで全国的に知られていました。月謝も破格です。入江氏と会うまで何時間も立って待たされました。ようやく面談が叶って入塾を許されると「お前は新2年生のクラスに入れ」と言われます。ついこの間まで中学1年生だった生徒のクラスです。「馬鹿にするな!」と内心思いました。こっちは本来なら高校生の身分なのです。

『ペーパー・チェイス』というアメリカ映画があります。ハーバード大学ロー・スクールでの強烈な競争の人間模様を描いた青春映画の逸品です。その中で主人公が老教授にコテンパンにやられ、ショックからトイレに駆け込んで吐くシーンがあります。人間は強烈な精神的ショックを受けると吐き気を催します。私は「新中学2年生」のクラスに入ってそのことを知ります。英語の授業について行けなかったのです。高校に入ってから習う分子構文や難解な単語をすらすら訳していく子供たちの群れの中で、私は吐き気を堪えていたのです。

それから私は憑かれたように一心不乱に勉強に没頭します。夏休み期間は兵庫県の山奥にある合宿所に入り睡眠4時間でやりました。親が負担した合宿費は四十万円でした。塾では体罰が当たり前です。塾生の丸刈り頭は拳骨で殴られ、強烈なビンタが塾頭から飛んできます。しかし、秋になり、ふと見上げた青い空を眺めているうちに私は我に返ってしまったのです。「僕は何をやってるんだろう?」

狐が落ちた後は塾が苦痛になりました。年が明けると塾を去り、自宅での独学に切り替えました。結果として私は希望した高校に合格します。そして高校時代はほとんど遊んで一橋大学法学部に入ることができました。大学受験に必要な英語・数学は習得し終えていたからです。入江塾はもう伝説としてしか残っていません。人間が10代半ばの時期、大量の知識を詰め込むことができるのは身を以ってわか分かりました。ただ、あれが本当の教育だったのか、今でも判然としません。

「教育とは、学校で習ったすべてのことを忘れてしまった後に、自分の中に残るものをいう」―アインシュタイン


『週刊現代』3.9


2013年04月10日(水) 中国の成長はもう終わる

その根拠は、急速な少子化

「私が、中国の長期的な成長持続に希望が持てないと考える大きな理由の一つは、少子高齢化の急速な展開です。2010年秋に実施された人口調査の結果が昨年夏に公表されましたが、合計特殊出生率は1.18でした。北京市と上海市に至っては、それぞれ0.71人と0.74人です。少子高齢化で先頭を走るといわれる日本ですら1.4前後です。その日本ですら経験したことのない低さです。

また経済成長に直接影響するといわれる労働人口は、中国では15〜59歳だが、昨年早くも減少に転じたことが国家統計局から発表されました。出生率が本当に1.18しかないと仮定すると、総人口も2020年には減少に転じてしまいます。これまで世界中で行なわれた中国の人口推定は、過大な出生率の仮定に従って「総人口が減少に転じるのは2032年」と唱えてきましたが、実際は少子高齢化が10年早くやって来るのです。

昨年出たCIAなど、米国情報機関の長期世界予測も「中国は2030年までに米国のGDPを抜くだろう」と推計していますが、みな中国の人口動態を読み誤っていると思います。今、日本が身をもって体験している通り、少子高齢化がもたらす経済ダメ−ジは深刻です。総人口の減少が消費を抑制するだけではありません。労働人口の減少は、経済成長3要因の一つである「労働投入」を減らします。また稼ぎ手が減る一方、年金や預金で生活する高齢者が確実に増加していくために貯蓄が減少、「資本投入」も減少します。そんな時代が10年経たずに中国にも来ます。

これまでの中国経済成長は、農村部から出稼ぎに来る農民工の新規労働投入が大きな支えでした。今日では都市人口約7億人のうち、2億人がこの農民工です。ところが、以前は無尽蔵とも思われた出稼ぎ労働力が最近枯渇し始め、中国に「人手不足」現象が出現しています。このせいで都市のブルーワーカー賃金が急上昇し、コスト上昇圧力になっています。このコスト上昇を生産性向上、付加価値向上で吸収しないと、中国はインフレ水膨れの経済になり、実質成長ができなくなります。では生産性、付加価値を上げられるか?今のままでは、見通しは暗いと言わざるをえません。

中国の今の経済が「国家資本主義」というべき形態だからです。すなわち、中国共産党が一党独裁を行なう政府と、その影響下にある国有企業主導の経済です。いわば「親方五星紅旗」。それでは生産性は上がりません。付加価値向上の度合いは、大卒者の仕事や暮らし向きで計ることができますが、ブルーカラーである農民工の月給が3000元ぐらいまで上がっている一方、高学歴者にはいい仕事がなく、給与も伸び悩んでます。

その結果、今や農民工の給料が高学歴者の給料を上回る逆転現象が起こっているのです。これでは何のために大学へ行くのかわかりません。中国が生産性向上、付加価値向上を実現するには、過去10年程で顕著になった「国家資本主義」という改革の逆行を再度逆転させることが不可欠です。しかし、共産党や政府は最大最強の既得権者です。習近平総書記は改革加速への意欲を見せていますが、これほど巨大な既得権益を整理することは至難の技で、格付け会社風に言えば「見通しはネガティブ」です。

短期的には過剰投資の後遺症、中期的には「親方五星紅旗」による効率低下、そして長期的には少子高齢化による成長ブレーキ…。中国の台頭はすでに終焉していると認識すべきなのです。2008年のリーマンショック後の中国の劇的な景気回復と、日米欧先進国の経済低迷は、中国人の世界観を変えました。中国の成長は今後急速に減速します。GDPの1.5%リンクで急増してきた軍事費の伸びもしかりです。実際には、日本も中国も少子高齢化の厳しい試練を潜り抜けなければなりません。幻想に囚われて、いつまでも解決のつかない領土争いで、経済関係を傷つけている現状は愚かの極みです。

中国ビジネスコンサルタント 津上俊哉



『週刊現代』3.9


2013年04月09日(火) オウム真理教

真理教の前身「オウム神仙の会」が発足したのは1984年2月だが、麻原代表はその直後からオカルト雑誌などに例の空中浮遊ができるようになったという売り込みをやっていた。初めて取り上げたのは「トワイライトゾーン」で19855年10月号だった。それからオカルト雑誌の最大手「ムー」にも登場し、一般紙へと手を広げ、『週刊プレイボーイ』が1986年2月18日号で麻原代表の空中浮遊を見開き写真入りで紹介するまでになる。そしてテレビへの登場である。青山、上裕両氏の禁圧が生きて、オウムのマイナス面の報道は控えられた。「教主」が登場して自己宣伝するだけなのである。最終的には、テレビオがオウムをメジャーな新々宗教教団にに仕立て上げてしまった。

メディアに登場したからこそ、多数の信者を集め、お布施で財政的に潤うことができた。またどの大学の学園祭にも麻原代表が呼ばれるような状況になり、理科系エリートの「勧誘」もできるようになった。

積極支援したメディア

要するに「オウムを育てた」という点で、メディアは警察と同罪なのだ。いや警察は、犯罪者集団として育つのを見過ごしただけだ。メディアは結果的に「積極支援」となることをいくつもやっている。メディアの方が警察より罪が深いのである。メディアの側にいる人間の一人としてこの点を厳しく指摘しておきたい。

もちろん新聞は、テレビのようにオウムの自己宣伝への協力といった低次元な行動をしたわけではない。しかしどの新聞も、1995年3月22日まで「オウムを告発する」キャンペーンを展開することはできなかった。その意味で新聞は警察とほぼ同レベルだったのである。オウムについての新聞各社の論調は、「カルト教団」「世紀末」果ては「宗教についての認識に欠ける日本の社会と教育」についての一般論に解消しがちであった。この事件は麻原代表という人物の特性によって初めて起きたとしか思えないのに、社会面などの連載記事から社説などの論調、さらには社外執筆者の寄稿に至るまで共通して、そういう視点は欠落していた。

根底にルサンチマン

オウム事件のキーポイントとなるのは、麻原代表のルサンチマン(憎悪)であろう。熊本県八代市の貧しい畳職人の家に、1955年に生まれた。男5人女2人の兄弟で、下から2番目の4男だった。眼が弱いとはいえ、視力が0.1あったというのに小学校入学のときから親元を離れ、熊本の盲学校の寮で暮らした。20歳で盲学校を出て、1977年には千葉県船橋市で鍼灸師として開業、翌年には漢方の薬局を開いた。その後、新興宗教の世界をさまよい、「オウム神仙の会」の設立にたどり着いたというのが麻原代表の「遍歴」である。

永野一男は1952年岐阜県に生まれたが、小学校卒と同時に母親と二人で島根県に行く。1968年中卒と同時に愛知県刈谷市の工場に就職し、定時制高校に入ったが、2年で退社・退学。不動産会社、商品先物取引会社、ダイヤモンドの訪問販売会社などを転々とする。1978年ごろから、机といすと電話だけのペーパーカンパニーをつくっては潰し、潰してはつくる「虚業」の生活に入る。金の先物取引で得た資金を元手に、大阪市に大阪豊田商事を設立したのは1981年4月だった。

「豊田商事」主役との類似

生まれた年が3年違いの永野氏と麻原代表は、活動の分野こそ詐欺商法と「宗教」と異なるが、やったことはほぼ相似形なのである。二人とも倫理感は希薄で、かつ強烈な上昇志向を持つ点で共通していた。麻原代表についていえば、倫理観の希薄さは、1982年にデタラメな偽薬を売って薬事法違反で起訴されたことで、上昇志向の強さは、「東大」「政治家・総理大臣」を目指していたことで鮮明であろう。

活動する分野が「経済」だけに、永野氏の方が客観的な能力もあり、努力もしたといえようか。セールスマンとしての能力は評価され、株の売買などすすめる人もいた。しかし永野氏は、「スピード感がないものは嫌いだ」と見向きもしなかったという。麻原代表は自己中心的な思考をする人間で、客観的認識に欠けるところがある。1990年2月の総選挙に「真理党」の名で自らを含む25人が立候補した時、少なくとも麻原代表本人は当選するはずだと信じていたというのだから恐れ入る。

麻原代表が学んだ宗教

「オウム神仙の会」を発足させる直前の3年間近く麻原代表が所属した阿含宗は、メディアを利用して急速に成長した教団である。毎年2月京都で行なう紫燈護摩」を星まつりと称する巨大イベントにし、通信衛星を利用してイメージ作戦を展開する。麻原代表は阿含宗で幹部になることを目指して活動に励んだが、実現しなかったといわれる。退会の理由もそのあたりにあるらしいが、メディア重視の手法は十分学んだ。

阿含宗に行くまえ麻原代表は、新興宗教「GLA(心理の会)」の創始者・故高橋信二氏に傾倒した。高橋氏は、幼いころから霊的体験を繰り返し、手のひらから光を送ったり、異言で語ったりしたといわれる人物である。麻原代表が超能力、「最終解脱」を売り物にしたのは、高橋氏の手法を真似たと見られている。オウム真理教の教義がまったくデタラメであることはよく知られるようになった。原始仏教であったり、ヒンズー教であったり、キリスト教であったりする。その都合のいいところだけをつなぎ合わせるのが「麻原流」なのである。

過激なものこそ受容される

麻原代表は教団の資金集めのため、お布施、出家というシステムを作る。いかにも信徒とはいえ、こんなことが認められるかどうか、本人自身も最初は疑心暗鬼だっただろう。しかし多額のお布施も出家も受け入れられた。1989年秋から1990年2月にかけて、「サンデー毎日」の批判キャンペーン、坂本弁護士事件、総選挙での完敗とオウムへの「逆風」が続く。そこで考案されたのが同年4月「石垣島セミナー」なるものである。「オースチン彗星が近づき、日本は沈没する」との麻原代表の予言によって、信徒たちは「唯一安全な」石垣島へと駆り出された。参加料30万円を支払って参加した信者は、500人もの多数にのぼった。

その場で麻原代表は参加者に「助かりたかったら出家しかない」といった。麻原代表がどの程度意識していたかはともかく、石垣島という隔絶された場所、海岸に張られたテントに宿泊するという特殊な生活、その中にいる人間はすべて信徒だという、マインドコントロールには絶好の環境が構築されていた。セミナー不参加の信者も含め、出家者は数百人にのぼり、教団の財政は一挙に好転した。このあたり麻原代表の教団運営は試行錯誤であったはずだ。その中で、過激なものがどんどん受け入れられていった。麻原代表はむしろ、そうした既成事実に「追随」するような形で、教団運営、教義の内面で過激さを強めていったのではなかろうか。

ソ連崩壊で飛躍

そうこうするうちに、隣国・ソ連の崩壊が、麻原代表に想像もできない「飛躍」のチャンスを提供した。共産主義イデオロギーの崩壊が布教の土壌を提供するだけでなく、国家の管理システムも崩壊し、各種の兵器・武器の入手を可能にしたのである。麻原代表のルサンチマンは、極端に過激なハルマゲドン(人類の最終戦争)理論を打ち出し、それを自らの手で現実化させるという途方もない地点まで辿りついてしまった。その手段がサリンであった。

こうしてみるとオウムの犯罪は、他の宗教団体により再発する恐れなど全くないものであることが分かる。これを機会に、宗教団体ないしカルト教団についての警戒論を合唱するのは、明白な誤りでしかない。新聞に世論をリードするという意欲があるのなら、この種の認識の誤りを指摘しなければならない。ところが現実の新聞は逆に、この種の一般論を煽る立場をとっている。オウムの犯罪が、この教団に特有のものであるとするならば、自らも含めたメディアが「オウムを育てた」責任を認めざるを得ない。



『中枢腐敗』


2013年04月07日(日) ガンで安らかな最期を   ゼネコン主導の復興事業

ガンで安らかな最期を迎えるために

「治らないガン患者」を看取り続けた医師が、末期ガンになって語る幸せな旅立ちのかたち

本書は在宅で2000人以上を看取った医師が、末期ガンになって語る幸せな旅のかたち

本書は在宅で2000人以上を看取った岡部健医師が、自ら末期の胃ガンになり、 自分の死を見つめながら医療に対する思いを語ったものである。いわば、看取りのプロが自分の命を賭けて、より良い最期を目指したのだから、掛け値なしのベストの指針であることはまちがいない。岡部医師はもともと呼吸器が専門の外科医である。治療には人一倍熱心だったが、よかれと思った手術で、患者の命を縮めてしまったり、少しでも命を延ばそうと患者に進めた人口呼吸器機を拒絶されたりして、過剰な医療の弊害に気付いた。そして治らないガン患者のための医師になることを決意したのである。

そんな岡部医師が放つ現代医療への批判は鋭い。効果のない抗ガン剤を毒だと断じ、大病院信仰や長寿信仰の欺瞞を暴き、ガン検診や療養中の検査、食事制限も否定する。高齢者医療に携わる医師の端くれとして、私も100%賛成だ。

その一方で、岡部医師は手術後自宅に戻り、庭の草花を愛で、鳥の声を楽しみ、心置きなく煙草が吸える喜びを瑞々しく語る。岡部医師は、病院医療をすべて否定しているのではない。病院で治る病気はもちろん治してもらえばいい。だが、治らない病気になった時は、自然な経過を受け入れる在宅医療が望ましいと主張しているのだ。そして岡部医師自身、最後に「人間は、誰でも夢見がちに旅立てるメカニズムが備わっているとしか思えない」という境地に達する。よけいなことさえしなければ、死はそれほど過酷ではないというのは、我々の恐怖を大いに減じてくれるだろう。実例を踏まえた「お迎え」現象の考察も、科学的かつ肯定的で興味深い。


『看取り先生の遺言』



ゼネコンが笑って、地元業者が泣く―。

東日本大震災から約2年が経過し、震災復興事業で被災地の土木、建設業は潤っている印象だが、儲かっているのはゼネコンだけというのが現実である。被災地では、中央官庁と地方自治体の担当部署が巨額予算をつけ、ガレキ処理や除染といった大型事業をゼネコンに丸投げし、それを業者間で調整したゼネコンが受注するという、官製談合が横行している。

談合を監視する検察も、公正取引委員会も見て見ぬふり。瓦礫の最大工区で約2000億円、除染が本格化すれば、1日の作業員が約10000人というスケールの前では、全国から機械と資材と作業員をかき集めることのできるゼネコンに丸投げするしかない。

だからやりたい放題。除染では危険手当を含め、1日1人当たり21700円が役所の積算価格だが、ゼネコンがまず3000円前後をピンハネ、3次、4次の下請け業者に行き着く頃には半額となる。一方で、地元業者が請け負う細かい工事になると、資材と人件費が高騰し、それに積算価格が追い付かず、「入札不調(応札する業者が不在で流れる)」。受注しても赤字が続き、「復興特需」に与れない業者が続出している。こうした異常事態を生むゼネコン主導の復興事業には、メスを入れる必要がある。

『週刊現代』4.7


石原慎太郎氏 脳梗塞

一ヶ月ぶり復帰 引退は否定  ”石原節”は健在

日本維新の会の石原慎太郎共同代表(80)は30日、東京都内の国会議員団本部で記者会見し、2月27日の入院から約一カ月ぶりに復帰した。病状に関し「軽い脳梗塞だった。左指先の感覚が鈍くなった感じがするが、後遺症はほとんどない」と説明。初めて脳梗塞だったことを認めた。代表辞任や議員辞職の可能性について聞かれ「誰がそんなことを言ったのか」と否定。相変わらずの“石原節”は健在だった。

今国会中に開催が見込まれる党首討論をめぐり「出る。言いたい事がいっぱいある」と意欲を表明した。入院中には短編小説2本を執筆したことも明らかにした。これに先立って、大阪市で開かれた党大会後に、会場の橋下徹共同代表(大阪市長)と中継で対談した。石原氏は昨年末の衆院選で約17年ぶりに国政に返り咲き、今年2月12日の衆院予算委員会で質問に立った。その後に体調を崩し2月27日、「風邪をこじらせた」として東京都内の病院に入院し、3月29日に退院した。


『西日本スポーツ』3.31


2013年04月06日(土) 末期ガンに勝った人々

なぜ奇跡は起きたのか 手術をせずに助かった人々

ステージ�犬離�ンの場合、5年生存率が10%を切ることも多い。つまり90%いじょうがしにいたる。だが、「末期ガン=死」ではない。そこから生還した人々には奇跡を起こした理由があった。

進行ガンを経験した道中さん(66歳大阪)が口の中に違和感を覚えたのは2008年の夏のこと。「下の左奥にチクチクする痛みを感じた」という。口内炎だろうと思って放っておいたが、そのうち食事も呑み込むのも辛くなり、夜も痛みで眼が覚めてしまうようになった。検査を受けると、すでに頸部のリンパ節にも転移があり、病期はステージ��a。ガンのステージは4段階あり�犬郎任眇覆鵑西�態だ。進行の度合いによりaとbに分かれる。

「どこの病院でも舌の3分の2を畿らなあかんと。顎の骨もリンパ節も取る必要があるといわれました。切ったあとは食べられない、話せない、よだれが出っぱなしで、うまく飲み込めないからしょっちゅう誤嚥性肺炎を起こすことになると。肺炎だって一歩間違えば命取りになるし、舌を切っても再発はあり得ると聞いた。そこまでして生きていても……と思い、手術は絶対にしないと決めたんです」

妻の浩子さんもそんな夫の気持ちに理解を示した。「壮絶な闘病の現実を知り、この人はその前に自殺するんじゃないかと心配になりました。それならば治療をせず、スーッと逝きたいんやろうなと思ったんです」そんなとき、夫妻に一筋の光が射した。サードオピニオンを受けた先で「陽子線で切らずに治す治療をする医師がいる」と聞いたのだ。それが食道ガンや進行舌ガンの治療のパイオニアである南東北ガン陽子線治療センター(福島県郡山市)の不破信和医師(現・兵庫県立粒子線医療センター院長)だった。

ガンの痛みで話すのが困難だった夫に代わり、浩子さんが翌朝電話をかけた。「泣きながら『先制こんな状態なんですけど、助かるでしょうか』と言うたら、全部話を聞いて『僕は舌だけでなく、命も守りたい』言ってくださったんです。その一言で心をきめて主人と郡山へ向かいました」不破医師が行なっているのは、抗がん剤と放射線、陽子線という強力な放射線を組み合わせた独自の治療法だ。大きな特徴は、こめかみの動脈からカテーテルを挿入して抗がん剤を舌だけに流し、同時に青脈から副作用を抑える中和剤も注入する「動注治療」。これによって吐き気などが抑えられ、腎臓機能が悪く治療を諦めていた人や高齢者でも治療が可能になる。

陽子線は通常の放射線より威力があり、ピンポイントで照射できるのが長所である。治療は、点滴の抗がん剤→通常の放射線→動注と陽子線の順に行なう。現在、進行舌ガンに対してこの方法を行なうところは、日本でここ以外にない。動注治療20年の経験を持つ不破医師が道中さんのCT画像を見て気になったのは、舌に移る黒い影だった。「深い潰瘍を示すもので、動脈から出血が起きるのは時間の問題でした」処置が遅れれば、血液が肺に入って窒息死する危険があるという。実際それは数日後に起こった。

「一番辛かったのがこの治療法でした。突然舌の奥から血がドクドク出てきて止まらなくなった。それを知った不破先生が飛んできて、私の口に指を突っ込んで2時間近くじっと抑えて止血してくださったんです」その後に動注治療を始め、出血は無事収まり、病状は徐々に回復に向かった。「希望と諦めで気持ちが揺れる中、動注治療が始まったら痛みが少しマシになったんです。ひょっとしたら助かるのかなと思った。陽子線の治療が半分ほど進んだ時に、先生が『道中さん、もう大丈夫や』とおっしゃったんです。専門的なことはわからなくても、熱心な先生にそういわれたら、少々痛くても頑張れました」

すべての治療は2ヶ月で終了。抗がん剤の影響で無数の口内炎ができ、一ヶ月は食事に難儀したが、なくなっていた味覚も数が月で戻った。舌ガンは「2年以内の再発が多いため3年が一つの目安になる」(不破医師)というが、道中さんは、再発もなく治療から4年が経過した。「唾が出にくいので、水を飲みながらですが、だいぶ話せるようになりました。舌を切らずに治ったといっても回りは信じないんですよ。誤診やったんちゃうんって(笑)」

最高レベルの技術と心を備え持つ医師に巡り合えたこの幸運が命をつないだことは間違いない、とくに道中さんは自暴自棄にならずに治療先を探した懸命な努力がその運を手繰り寄せた。だが、厳しいガンは決して患者一人では乗り越えられない。家族や周りが明るく温かく根気よく支えなければ、現在の回復はあり得なかっただろう。



『週刊現代』12.29


2013年04月03日(水) 記憶力

記憶は消えない。技術さえ身につければ、どんな時も意識の中から引き出すことができる。

毎日実行したいエクササイズ

通りを歩いていると、通行人の会話が耳に入ってきます。そういった言葉の端はしを聞いて意識的に捉え、しばらく頭に留める努力をしましょう。何ブロックか歩くうちに、ばらばらで何の繋がりもない文章を、こんなにたくさん聞くことができ、その上覚えられたということに驚くでしょう。すべては注意力と興味の問題です。このエクササイズの価値は「聞いて覚える」という一点のみです。

●エクササイズ 言われた言葉を思い出す

今日一日の間に人から言われた言葉を、正確に思い出す努力をしてみましょう。面白くて役に立つエクササイズです。ついさっき言われたばかりの言葉でも、繰り返せる人は少ないものです。その原因はほとんどが注意不足です。

●講演を再現する

講演や演説、テレビ番組などを全注意力を傾けて話を聞き、あとで、そのうちどれくらいを覚えているかを書き留めます。話の内容を振り返り、分析し、使われていた言葉を可能な限り再現してください。このエクササイズの価値は、聴覚と記憶力の訓練としてだけでなく、スピーチの名人になる手段としても優れているところがあります。

敬愛する教授の講義を長年聞いている学生は、その教授の話し方をだんだん身につけていきますし、上手なスピーチを聴いていると、聴く側の頭の中で、今までの自分のレベルをはるかに超えた表現力が培われていきます。文章や表現をそのまま再現したいという気持ちを持って話を聞くと、この傾向はとくに強くなります。言葉だけでなく、声の調子や表情までもできるかぎり正確に再現する訓練をすると、話術や表現力が自分の中で育っているのを実感できるでしょう。

●ヒンドゥー・メソッド

聞いたものを覚え、後から思いだす訓練法として最適なのは、神聖な教えや哲学を伝えるためにヒンドゥー教などが使っているメソッドです。彼らの素晴らしいメソッドは、「小さく始め、徐々に増やし、何度も復習する」ことが基調となっています。ヒンドゥー教の教えの伝授は、まず教師が生徒に向かって聖典の一行目をくり返すことから始まります。生徒はその一行を完璧に記憶し、言葉と意味の両方をしっかりと頭に焼きつけて、一つ一つの言葉が目の前に飛び出して見えるほど、理解している状態にします。一行目を前からも後ろからも復唱することができますし、どの言葉がどの位置にあるのかもわかります。

翌日、二行目を学び、一行目をおさらいした後に覚えたばかりの二行目を続けて二行まとめて頭に入れます。その翌日は三行目を覚え、最初の二行目をおさらいしたあとに三行目を付け加えます。このように、毎日一行ずつ増やし、常におさらいをし、新しく覚えた行と前日までの行をつなぐという形で進めていきます。

大切なのは、言うまでもなく「おさらい」です、これがあるために、生徒は前日までに覚えた行を何度も何度もくり返し、その旅に印象が深まっていくのです。また、繁雑にくり返すことで行と行の繋がりがスムーズになり、それぞれの行が前後の行としっかり結びつくという効果もあります。そのため、全体を一度の覚えたような感じになって、各行のバラバラの印象が一つにまとまります。

しばらくすると、一日二行、次は三行というふうに増やしていき、やがて信じられないような記憶力が身についていきます。しかしヒンドゥー教の教師は、徐々に頭をこの作業に慣らしていくべきだと考え、いきなり一日に多くの行を覚えようとすることは戒めています。この種の能力を鍛えたい人は、友人に手伝ってもらって作業するといいでしょう。最初の日は友人に一行目を読んでもらい、それがしっかり頭に入るまで繰り返します。翌日、一行目を復習し、二行目を覚え、次に二行まとめておさらいします。こんな調子で一ヶ月ほどは一日一行を守ってから、行数を増やしていくのです。

最初に取り組む素材として最適なのは、詩です。文体が魅力的でリズムがあり、興味深いテーマの詩を選びましょう。初日は友人に読んでもらった後、自分でくり返してください。このとき、すらすらと復唱できなければ、何分かしてもう一度読んでもらいます。完璧に頭に入るまで、それをくり返してください。そのあとも何回も繰り返し、完全に自分のものになったと思ったら、今度は後ろから読んでみましょう。単語の一つ一つが頭に浮かんで見えるほどしっかり覚え、コツさえつかんでしまえばさほど難しいことではありません。

二日目は、まず前日覚えた行を復唱し、初日と同じやり方で二行目を覚えた後、二行まとめて覚えます。三日目以降も、こんなふうにして毎日一行増やしていきましょう。何よりも大切なのは、おさらいだということを忘れないでください。単語そのものを覚えるだけでなく、述べられている内容を心の絵で見ることができるように、単語の意味を考えることも必要です。

最初から欲張らないようにしましょう。一日一行を続けていると、まもなく、それほど苦労せずに復唱できる能力が身につきます。一件、単純で簡単なエクササイズのように見えますが、見くびってはいけません。ヒンドゥー教の弟子たちは、聖書に匹敵するサイズの書物を暗記するために、このメソッドを学びます。「一度に少しずつ」「つねに復習」を守ってこそ、この技術は身につくのです。


記憶力を左右する、「鮮明な印象の記憶能力そのものを鍛えているのだ」ということを、忘れないでください。どんな能力も興味を持ち、使うことで鍛えられます。自分の中に眠るどんな能力を引き出す時も、これが秘訣です。イギリスの歴史家、マコーリーは、政治家のトーマス・ウォートンを評して「ウォートンは靴屋にまでファーストネームで呼びかけるのだから、とてもかなわなかった」と言っています。ナポレオンは顔と名前の記憶力に秀でていたおかげで、配下の兵士から慕われました。アリストテレスは、ずば抜けた名前の記憶力を持ち、アテネの政治家、ペリクレスは、アテネの全市民の名を知っていたといわれています。日本では田中角栄の記憶力は素晴らしく、一度会った人の名は決して忘れなかったといわれています。

名前を即座に思い出せる人は、人から好意を持ってもらうための強力な武器を手にしているということですから、この能力を鍛えるのは誰にとっても価値があるといえるでしょう。すべての知的能力や体の部分と同じように、名前の記憶力も鍛えることができます。もちろん、注意力と訓練によってです。名前の記憶力を鍛えるために最初に必要なことは、鮮明な印象を記憶することです。記憶力ほど素早く、いい加減な注意力に反抗するものはないからです。



『記憶力』


2013年04月02日(火) あまりにも非常識な中国

浄水場から肝炎ウィルス

PM2.5や黄砂による大気汚染以外にも、中国の環境汚染はエスカレートする一方だ。日本はいったいどこまで迷惑を被るのか。中国事情に詳しい作家・評論家の宮崎氏は「中国の環境汚染は、これからますますひどくなる」と断言する。「今年度は予算5兆円弱を環境対策に注ぎ込むことが決まっていますが、北京の空気がきれいになることは望む薄。。発電所の郊外移転は軒並み遅れていますし、殺虫剤成分が入っているという”殺虫剤ガソリン”は相変わらず使われている。この現状が変わらない限り、改善することはない」

”殺虫剤ガソリン”によって、PHAという有害物質が空気中に放出される。これはガンの遠因でもあり、ぜんそくや花粉症も悪化させてしまう。ちなみに、北京のPAH値は東京の46倍、遼寧省のむ霧順では204倍にもなるという。大気汚染ばかりではない。水質汚染、土壌汚染もすさまじい。

「北京では、水不足を解消するために長江の水を黄河に運ぶ大運河をつくるという『南水北調プロジェクト』という大々的な事業を行なっています。東ルートの1300�劼呂發Δ垢梓粟�予定なのですが、この水質が酷い。運河の途中には、2百数十もの浄水場が完備されているのですが、水質検査をしたところ、無数の病原菌が検出されました。とりわけA型肝炎ウィルスだけとわかったんです。こんな水、とても飲めたものではありません。いったい何のための運河なのでしょうか。

しかし中国は、その水質検査の結果を『国家機密』として公表していないんです。そもそも、北京のPM2.5の数値も、2011年までは中国側の公式発表はされておらず、在北京米国大使館が発表した数字でしたから。中国では下水が完備されておらず、工業用水、農業用水、放射性廃棄物、生活汚水を海や川に垂れ流しているのが水質汚染の最大の原因です。中国の汚れた海では生息できなくなったアカエイが瀬戸内海まで泳いでやってきて、日本の海の生態系をも乱し始めているんです。

また、農薬依存による農地汚染や、見えない放射能土壌汚染もある。1960年代から20年間以上新彊ウィグル自治区の砂漠で核実験が行なわれていたため、砂漠に残留する放射能汚染黄砂は全土にまき散らされているわけです。日本でもかって、ヒ素中毒や水俣病、イタイイタイ病を経験しましたし、東京都中央卸売市場の移転が土壌汚染のため延期になったこともある。でも、そうした日本の被害の数百倍の汚染度が、現在の中国の実態なんです」(宮崎氏)

土壌が汚染されれば、それが地下に浸透し、地下水まで汚染され、悪循環が途絶えることはない。「中国では少なく見積もっても、地下水の50%以上が汚染されていて飲み水に使えないため、ミネラルウォーターに頼らざるを得ないが、それさえ汚染されている。不純物が混ざって白濁していて、飲めない代物も珍しくありません。ですが、日本にも、その中国製鉱泉水は輸入されています」(同前)

中国からエイズがやって来る

もちろん水ばかりでなく、知らぬうちに口にしている毒まみれの食品も多い。汚染された環境で育った農作物や魚介類は、冷凍食品や菓子など加工食品へと姿を変えて、中国産だとすぐには分からない形で日本のスーパーやコンビニに並んでいるのだ。さらに、食品と並んで危険なものは「薬」。「糖尿病治療に使われるグリベングラミドという成分が許容量の12倍も含まれた危険な漢方薬や、精力剤の偽物が蔓延しています。日本でも有名な精力剤『威羹王』『三体牛鞭』『蟻力神』などは偽物が多く、旅行者の手によって日本に大量に出回っている。漢方と強壮剤はとくに要注意です」(同前)

世に出回っている偽バイアグラの90%は中国製と言われているが、事実上、薬のネット通販が解禁になった今、中国で作られた“毒薬”が急速に拡散する可能性がある。最後にこれから日本に訪れる中国の巨大な脅威がもう一つある。「エイズ禍拡大です。UNAIDS(国連合同エイズ計画)およびWHO(世界保健機関)と中国当局の合同調査では、中国のHIV羅患者とエイズ患者はあわせて78万人とされていますが、これでも信じられないほど控えめな数字、英国TIME紙は累計800万人と推測しています。

なにしろ売春婦が1000万人と推定される国なので、あり得る数字でしょう。その売春婦がすでに日本に大挙してあちこちで営業していますが、非衛生だが、格安ということで利用する向きが多い。あまり騒がれていませんが、日本ではHIV患者がジワリジワリと増えている。中国の影響で拡大する恐れもあるのです」(同前)3月17日、全人代最終日の就任後初の記者会見で、季克強新首相はこう演説した。「人々がきれいな空気を吸い、安全な水を飲み、食品を安心して食べられるようにする」中国の実情を知れば、なんとも空しく聞こえる。日本と戦う前に、病死者が続出。それが中国の現状なのである。



『週刊現代』4.6


2013年04月01日(月) 中日開戦、日本は負ける��

下半身の弱みにつけ込む

武器を売ってくれる国からは合法的に購入する一方、決して売ってくれないアメリカからはハッキングして情報を盗み出す―。つい先日もハワイで元米陸軍将校は中国人女性スパイの「ハニートラップ」にかかり、米国の国家機密情報を漏洩してしまったという事件があったばかりだ。そしてそんな中国が今、軍拡と時期を同じくして尖閣奪取に向けたシナリオを完成させつつある。

昨年12月25日、中国は示威行動に出た。この日、尖閣諸島沖を航行中の中国艦船が、艦載ヘリコプターの格納庫の扉を開けて見せたのである。元航空自衛官で軍事評論家の鍛冶屋治俊樹氏が解説する。「これはこんなこともできるぞという挑発です。まず、艦船を尖閣領海に送り込んだうえで、艦載ヘリを発進させる。そして飛び立ったヘリを『機器の故障』などの理由をつけて尖閣に着陸させる。無論、空自がスクランブルをかけますが、尖閣の領海内でヘリが飛び立てば、とても間に合いません」

そして中国は、着陸したヘリを修理する名目で応援部隊を尖閣に送り、長期にわたって逗留する。挙げ句、建造物を勝手に設置し、実効支配に持ち込むというのだ。「そうなれば偶発的な軍事衝突もありうる」(同氏)そして”その時”前述の新兵器が完成していれば「米軍が介入せず、自衛隊だけで戦うとなった場合、中国に負ける可能性は高い」(黒井氏)日本が中国に敗れる日―そんな未来がすぐそこに迫っている。


中国政府が一番恐れること

〈TPPは単純な経済協定の枠を超え、政治的軍事的領域に拡張されている。アメリカと日本は、TPPという名を借りて、アジアの経済を一体化させ、地域の主導権と発言権を掌握しようとしている。それによって中国の影響力を抑え込み、各国の中国依存体制をストップさせる。それによって中国包囲網を敷き、中国を混乱させ、中国の東アジア戦略を壊滅させようということだ〉

3月18日、中国国営新華社通信は、日本ののTPP参加表明を受けて、このような激しい調子の論評を発表した。安倍首相の「TPP参加宣言」は中国にとって日本が新たに「経済戦争」の宣戦布告を行なったと映ったのだ。伏線はあった。今年に入ってからのアベノミクスによる急激な円安ドル高誘導である。3月17日まで開かれていた全国人民代表大会(国会)では、このアベノミクスがヤリ玉にあげられた。

「中国人民銀行の周小川総裁らが『日本の円安誘導は、わが国に対するインフレテロだ』と批判したのです。中国政府はインフレを最も警戒していて、消費者物価指数(CPI)の上昇率が5%を超えると暴動が起こるといわれています。1月の2.0%から2月に3.2%とハネ上がったのは、アベノミクスのせいだというわけです。こうした内部での日本批判が評価されたこともあって、周総裁は65歳と引退年齢にもかかわらず、習近平主席が異例の続投を命じたのです」(在北京ジャーナリスト胡小兎氏) 中国経済が専門の田代、ビジネススクール教授は、「中国は、安倍首相がTPP交渉参加を表明したのは、オバマ大統領に円安を7月の参院選まで容認してもらうための交渉条件とみている」と語る。

全人代では、財政部長に桜継律会長が抜擢されたことも話題になった。「中国投資有限責任公司は、2007年に発足した中国政府の国策投資会社です。昨年9月末現在で、日本の上場企業173社の大株主(上位10位以内の株主)になっていて、その日本株の時価総額は3兆406億円にも上ります」(田代教授)そうした「日本買い」のトップが財政部長に就任したということは、今後、日本への対抗という意味においても、最強の布陣といえるだろう。

中国は、2010年にGDPで日本を追い越し、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国にのし上がった。2012年には、日本のGDPの1.37倍にも拡張した。OECD (経済協力開発機構)の予測によれば、2016年にも中国はアメリカを追い越し、世界最大の経済大国となるという。すなわち「物量」で勝っても、すでに日本は勝ち目がないのだ。 

だが、技術面でいえば、日本にまだ一日の長がある。「中国の経済環境はあまりに変化が激しいので、日本の『百年企業』のような長期安定企業には成長しにくい。そのため技術で日本に追いつくのは永久に不可能とみて、中国は『日本買い』を加速させる方針に転換したのです。(胡氏)

すなわち、学ぶより買ってしまえという発想だ。「憲法上の習近平主席の任期は5年で(ただし1回のみ再選可)、習主席は自分の任期内に完全に日本経済を凌駕したいと考えています。そのため今後、日本買いを加速させるのは必至です」(胡氏)この事態を放置すれば、シャープやソニーが買収される日が来るかもしれない。その前に、アメリカのような主要産業の買収禁止の法整備を急ぐべきである。



『週刊現代』4.6 


加藤  |MAIL