加藤のメモ的日記
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2012年05月31日(木) ここまで来た橋本恐怖政治

市職員の政治活動に刑罰?

大阪市の橋本徹市長が、今度は市職員の政治活動に刑罰を科す条例の検討を始めた。ここまで来た「橋本独裁・恐怖政治」

「地方公務員法に政治活動への刑罰がないのはおかしい。国家公務員法にはある」橋本市長は5月23日、こう述べ、条例制定の考えを明かした。橋本市長は、条例の内容について「これから詰める」として、7月議会提案を目指し総務省や検察庁との協議を部局に指示した。

浮上した検討内容は、�\�党などの政治団体の機関誌の発行や配布�⊇顕颪覆匹燃叛軸錣鮖�ち政治的目的を持った意見を述べること、などの禁止である。

刑罰は地方自治法上、条例で科すことができる上限の「2年以下の懲役または100万円以下の罰金」を適用する方向である。このような条例は全国に例がない。地方公務員法は、地方公務員の政治活動をある程度制限しているが、刑罰はない。法律にない処罰規定を条例で設けることは違法とされ、表現・思想・信条の自由を侵す条例の制定自体、憲法違反の疑いが強いものである。

国家公務員の政治活動について、国家公務員法や人事院規則で禁止し罰則を設けている。これは戦後、米占領下でGHQ(連合国軍総司令部)が要求し制定されたものであり、公務員の市民的政治的自由を制限する憲法違反である。

相次ぐ暴挙に反対の声高く

橋本氏の「独裁・恐怖政治」は、同氏が‘08年大阪府知事に当選して以来、途切れることはない。橋本市長が代表を務める「大阪維新の会」は、教員を含む公務員攻撃を続け、同一職務命令に3回違反した公務員を免職にできる職員基本条例を強行し、首長による教育への政治介入に道を開く教育基本条例も可決した。府と市の職員に「日の丸・君が代」を強制する条例を制定し、橋本市長の友人の府立高校校長が、卒業式で教職員の”口パクチェック”までをする事態となっている。

市長が、職員の政治活動に刑罰を科す条例や、労働活動を規制する条例などを検討していることに対し、大阪自治労連・大阪市役所労働組合の田所賢治書記長は

「政治活動への刑罰は、国民の思想、信条の自由を侵す憲法違反である。市長はさらに労組との事前の意見交換の禁止、職員給与の大幅削減までやろうとしている。対等・平等の労使関係を破壊し、市民の暮らしを守ろうとする組合への攻撃であり、市民の皆さんとと共に反対していきたい」と述べている。


『赤旗』


2012年05月30日(水) メスとクスリで殺される人たち(2)

大切なのは体力を失わないこと

●誤解を抱いているばかりに緩和治療を受けずにいるというのは、本当にもったいないし、心身的にも相当辛いものがあるでしょう。患者側にも、意識を変えていただきたいですね。

○同感です。緩和治療は、外科手術、抗がん剤治療、放射線治療、免疫治療と並ぶ「第5のがん治療」として、これからどんどん認識していただきたいと思っています。

●緩和治療とがんを叩く治療は、同時に受けることもできますからね。

○ええ、痛みが激しい時は緩和治療で症状を和らげてから、外科手術に戻ればいい。本来であれば、並行して行なわれるのが望ましいんです、

●そうすれば、体力的にも無理なくがんと闘うことができますね

○一方で、病院・医師レベルでの認知は、残念ながら十分ではありません。緩和治療のできる医者や病院がまだまだ少ないのが現実です。

●まったくその通りです。病院によっては、緩和治療を始めたら、もう抗がん剤治療はしません、というところもある。抗がん剤が効かなくなったから、と患者を避けてしまう病院すらあります。

○いわゆる、「ガン難民」ですね。

●現行の診療報酬制度では、一般病棟は平均在院日数を2週間以内に収めないと利益が出にくい。長くは入院させてもらえず、どこに行けばいいのか路頭に迷ってしまう。

○独り暮らしでがんの苦痛に苛まれている人が急増していますね。また、認知症、心臓病、糖尿病などを併発してしまい、悲惨な状況に陥ってしまう方も多い。

●今の状況が続くなら、誰にとっても他人事では済ませられない深刻な問題です。

○緩和治療にしっかり取り組んでいる病院なら、追い出されるなんてことはあり得ません。たとえ抗がん剤が効かなくなってしまったとしても、緩和治療病棟に移り、苦しむことなく最後まで尊厳を持って生きていくことができるんです。

がんでは死なない

●実際、話を聞くだけではがんは治りませんよね。

○はい。でも心の解放・痛みの解消を手伝うことはできます。そうすると、もうどうでもいいや、どうせ死ぬんだと虚無感に苛まれていた人が、明日は死ぬかもしれないけれど花に水をやろうかな、と思えるようになったりする。尊厳や役割意識、使命感が生まれるんです。実はこれは、専門知識を持った医者じゃなくてもできるがんケアなんです。同じ目線で話を聞くだけでいいんですから、誰にもできます。

●具体的にはどんな話をされるんですか

○私はこれまでに約600組のがん患者とその家族と対話をしましたが、病気や死、治療の苦しみに関する話は3分の1程度。あとは家族や職場の人間関係の話です。

●自分の病気のために、息子や娘が高校に行かなくなった、非行に走ってしまった、というケースもあります。がんは、身体だけでなく、当たり前の家族の生活をも大きく傷つけてしまう。

○本当に切実な問題です。家族に関するがん患者の一番の悩みは、「家族と一緒にいられない」ということなんです。

●入院が辛いということなんですか?

○そうではなくて、例えばがんの女性が夫と一緒にリビングにいるとします。病気になると心が敏感になるので、ちょっとした一言で傷つき夫は冷たいと思う。健康は時には、ありえないような受け止め方をしてしまうんです。そうして不平不満が溜まり、リビングに30分といられなくなって一人で部屋に閉じこもるようになってしまう。

●病気なのに、家族と一緒にいられない、家族の顔を見るのもイヤになる。これがどんなに辛いことか。悲しいことか。

○こういう現実は、ほとんど知られていません。がん哲学外来は、今まで放置されてきた、患者さんの傷ついた心の修復を目的としているんです。

●うつ病になってしまうがん患者も少なくないですしね。

○病院では患者同士で傷つけあうこともあるんです。先輩患者が後輩患者に、この点滴はどんなもので、これが使われるようになったら、かなり病気が進んでいるね、なんてことをしたり顔で言う。中には、先輩患者の一言で自殺に追い込まれてしまった患者さんもいたと聞きました。

●残酷な現場がありますね。家族も看病で疲れていて、つい厳しい言葉が出てしまう。どうしてあんなことを言ってしまったのかと、後になって後悔している場面も、よく見ます。

○ほとんどのがん患者やその家族は、精神的に限界に達しているんです。

●だからこそ、家族を含めてケアができる緩和治療を、もっと活用してほしいですね。

○緩和治療はあっても、心のケアまでは行なっていない病院もある。心のケアは、まさに医療のすき間になってしまっているんです。

●がん患者が本当に求めているのは、「技術」よりも「安心」なのかもしれませんね。

○医療は猛烈なスピードで進化しています。

●今やがん治療は、痛いものではなくなりました。

○いずれ確実に、がんでは死なない時代がやってくるでしょう。




○順天堂大学医学部 樋野医学部教授
●がん研有明病院  向山緩和治療科部長

『週刊現代』4/28


2012年05月27日(日) メスとクスリで殺される人たち

がんではなく副作用で死ぬ

●私が部長をしている緩和治療科にやってくる患者さんを見ても、抗癌剤の種類や投与間隔、治療継続期間なども、もう少し立ち止まって考えてもよかったのに、と思うことがあります。とくに、緩和治療科へ来るのが遅かった患者さんは、心も体もボロボロに傷ついてしまっている人が少なくない。

○実際、病理学(病気の原因究明を目的とする医学)の医師として、亡くなったがん患者の解剖をすると、病気が直接の死因の人がいる一方、治療の副作用が原因だったとしか思えない人もいますね。

●医師が患者さんの全身状態を見ず、流れ作業的に抗がん剤治療に固執していると、気がついた時には患者さんの体は回復できないほどダメージを受けてしまうことがあります。

○抗がん剤の副作用による出血が原因で死に至ることもありますね。

●「医師が患者を陸で溺れさせた」と表現される過剰量の高カロリー輸液も大きな問題の一つです。

○転移のたびに行なう手術も、がん患者の体力をどんどん奪う。

●がんが見つかったら、まずは手術して放射線治療をして、それからベルトコンベアで流されていくように抗がん剤を次から次へと順番に投与して、という機械的な医療が、今なお多くの病院で行なわれているのが現実です。

○でも、自分で体力的に厳しいと思えば、今は抗がん剤投与は少し休んで、あとでもう一度チャレンジしたいと患者側から提案してもいいわけでしょう。

●もちろんです。ところが、多くの患者さんは、がんや抗がん剤の副作用は痛く苦しいのが当然だと思っている。また、これも大きな誤解なのですが、辛さに負けて抗がん剤治療を一回でも休んだら、あっという間にがんが進行してしまうと思い、壮絶な痛みに耐えています。

○確かに、とくに高齢の方は、我慢強い人が多いですからね。

●しかたがないと諦めてしまっている患者さんが多い。がんに伴う苦痛に関しては、採血やレントゲンではわかりません。患者自身が具体的に話をしてくれなければ、適切な診察や治療はできないのです。

○それではい痛みは取れず、苦しいままですね。

●日本の医療の不幸は、がん治療において、このように心身の苦痛を取り除く緩和治療がほとんど重視されていないという点です。外科治療、放射線治療、抗がん剤治療ばかりが、「積極的治療」として率先して行なわれる。

○そうですね。緩和治療にはもう手遅れで、死を待つだけの末期患者に行なうケア、というイメージがいまだに根強く残っています。

誤解されているモルヒネ

●私のところでも、仕事や家などをすべて整理して来ましたから、もう思い残すことはないです、という方が何人かおられました。

○実際、がんを攻撃することだけががん治療だと思っている患者さんがほとんどですからね。

●ええ。一方の緩和治療は、長い間がんで苦しんできた患者さんが死の間際に受ける、「最後のご褒美のケア」という誤解が根強く残っています。

○本当に残念なことです

●緩和治療を受けてうまく痛みを取り除けば、日常生活はほぼ支障なく戻ることだってできる。実際、がんを抑えながら仕事や家事を当たり前に続けている人も多くいます。近年、これまでの緩和治療の誤解を覆す研究発表がなされました。

○どんなものですか。

●‘10年、アメリカのマサチューセッツ総合病院で、抗がん剤治療だけを受けた人と、同時に緩和治療を受けた人との生存期間を比べる臨床研究が行なわれました。その結果は、緩和治療を受けていたグル−プのほうが、不安や抑うつの頻度が低かった。さらに、それに加えて延命効果がみられたのです。

○どれくらい伸びたんですか。

●平均3ヶ月です。新しい抗がん剤でも、これほど長く延命できる薬はありません。

○それはすごいですね。

●ええ。延命効果が科学体に証明されたことで、私自身、改めてがん緩和治療の重要性を再認識できました。

○緩和治療の印象を悪くしているものの一つは、痛みを和らげるために使うモルヒネでしょう。」

●麻薬の一種というイメージが強いですからね。中毒になる、廃人になる、死が早まるなどと、いまだに多くの方が思い込んでいます。実際、モルヒネの投与だけは勘弁してほしいと、患者さんのご家族から懇願されたこともありました。

○そう。モルヒネのイメージがいつの間にか大きく歪められて、今なおそのままになっているんです。でも昔に比べたら、投与方法も品質も、かなり改善されたのでしょう。

●もちろんです。モルヒネは、がんの伴う激しい咳や呼吸困難を緩和できる薬です。また‘04年にはアメリカでモルヒネ服用量と生存期間に関する大規模な調査が行なわれ、その結果、モルヒネを多く服用している人の方が、痛みが少ないうえに、服用量が少ない人より長く生きられた、という事実も明らかになっています。


2012年05月26日(土) 一人で死んだらダメなのか

どうも、「孤独死」と「孤立死」は、違うもののようですね。最近、親子や姉妹が共倒れで亡くなっていたというニュースが多いのですが、行政など周囲の手が差し伸べられない状態で、二人以上の人が他人に知られず亡くなっていた状態が、孤立死。一人で亡くなっていた場合が孤独死。……といった使いわけのように思われる。言葉はどちらでもいいのですが、誰にも看取られずに死亡している人のことを、ことさら「孤独死」「孤立死」として取り上げる風潮に、私はどうも腑に落ちない感じを受ける者です。

孤独死とか、孤立死はまず、死因ではありません。「窒息死」なら窒息して死んだ人のことを、「ショック死」ならショックを受けて死んだことを意味しますが、「孤独死」は孤独によって死んだわけではない。何らかの病や事故によって死亡した時にたまたま一人でいたという、死亡時の状態を示した言葉です。

単なる状態を示す言葉がとてもショッキングで。それが山口美江さんや山城真吾さんのように芸能人だったりするとニュースにまでなるのは、日本には「死ぬ時は家族に看取られてこそ、まっとうな人間」という感覚があるからでしょう。死ぬ時に誰に看取られるかがその人の人生の総決算だということになっているので、一人で死んだ人は「可哀想」「悲惨」と思われるのです。山口さんの場合も、週刊誌の見出しには「看取ったのは二匹の犬」、山城さんの場合は「老人ホームで死亡」などとあり、つまりは「人には看取られなかった可哀想な人」ということが強調された。

一人で誰にも看取られずに死ぬという状態があまりにも特殊だから、そこには「孤独死」という、まるで孤独が死因であったかのような名称がつくわけで、家族に看取られて死ぬという状態には「看取られ死」などの名称はありません。自分は誰かに看取られて死ぬものだという確信がある人は、孤独死する人に同情し、「孤独死を減らさなければならない」と、深刻な顔をするのです。しかし私は、孤独死する可能性が大いにある者。世間が孤独死に対して「悲惨」「可哀想」と思っている様子に対して、どうもカチンとくるのでした。「ま、私達は心配ないけど、でも可哀想よねぇ一人で死ぬだなんて」という、今の言葉で言うなら、そこには”上から目線”が感じられる。

独りで暮らす人の割合がうんと高くなった今、一人で死ぬ人が増えるのは、当然と言えましょう。家族がいる人であっても、配偶者に先立たれ、子供たちが独立したら孤独死は他人事ではない。だというのに孤独死がこれほど悲惨がられるのは、一つには「人は看取られて死んでナンボ」という意識が強いのと、もう一つは遺体に対する「可哀想」という意識が強いせいでしょう。

孤独死の場合は、ボディすなわち遺体が、長期にわたって発見されないことがあります。生きている時は一人で放っておかれても、遺体になったら、それは一人のままにしてはいけないものとなる。かくして、遺体発見まで時間がかかればかかるほど、孤独死には同情が集まるのです。

しかし一人で暮らす人が減る気配がない今、孤独死に「お可哀想に」というだけでなく、孤独死にもまた尊厳ある死として捉えたいと私は思うのです。だとするなら、誰かが一人で死んだとき、なるべく早くそのことが周囲にわかるシステムが必要なのではないか。芸能人の孤独死は大騒ぎされても、東日本大震災において一人で亡くなった方のことは、ほとんどといっていいほど、表に出ません。マスコミに取り上げられるのは必ず、家族を亡くされた方々であり、その悲しみです。私はその映像を見て涙する一方で、一人で亡くなった方のことを思うのでした。震災によって亡くなった一人暮らしの方はたくさんおられるだろうに、残された者がいない死には、ニュースバリューがないようなのです。

そればかりでばく、震災時に1人で怖い思いをした人もいれば、今も一人で途方に暮れている人も多いことでしょう。しかし、「震災後、絆を深めて生きていく家族」といった物語の影に、一人でいる人々は隠れている。きっとそんな人たちが孤独死をしたときは、「増える震災孤独死」などと、悲惨さを強調して書かれるに違いないのに。

震災報道において、「絆」とか「家族」といった文字が目立つのは、日本中の人がその手の者に飢えているからなのでしょう。そして私たちは、日本中が温かな家族愛に満ち溢れているような気になっている特殊な状態であるからこそ、看取られない死は「孤独死」と呼ばれます。が、これからは看取られない死も特殊ではないものとなり、死の形態でその人の人生が量られないようになっていくのではないでしょうか。



『週刊現代』


2012年05月24日(木) 不可解な電波 ��

レムリア大陸と超古代帝国アスカ

彼ら謎の高度の文明人たちは、太古、地球上のある大陸からやって来た。だが、その大陸は今はない。それは遠い昔、何かの異変によって海底に沈んでしまったのだ。これがソ連のゴルボフスキーの説である。かれはこの基本的な裏付けを『失われた文明』の中でこんなふうに書いている。

「古代ギリシャ時代の書物には、大昔、インドとアフリカは知つづきだったという記述がしばしばある。古代ローマの学者プリニウス(紀元23〜79年。『自然誌』という名著を書いた)は赤道から南のインド洋に、かって大きな島があったと述べている。中世アラビアの歴史家たちも、インド洋には陸地の名残があると言っている。このことは、最近の発見でも確認されている。多くの言語学者が、南インドと東アフリカの言語の類似点を発見している。また、アフリカのそばのマダガスカル島にある26種類の植物は、ほかには東南アジアにしか生えていない。他の10種類の植物も、マダガスカルを除けば、数千キロ離れたポリネシアでしか見られない。

マダガスカルにはレムール類(原始的なキツネザル)が住んでいるが、これもマダガスカル以外にはインドで10種類みられるだけである。レムールは泳ぐことができないので、大洋を横断できたとは思えない。つまり、インド洋を隔てて生き残ったこれら共通の動植物は、明らかにかって、インド洋に大きな陸地があったことを物語っている」

この陸地がいわゆる「レムリア大陸」だった。子に大陸の上に、かって高度な文明が花開いていた。今の大学程度の学問、そして初歩的な自動車やプロペラ機やナパーム弾式の兵器さえあったことが『ラーナマーヤ』や『マハバーラタ』などのインド古代詩などの記録からもうかがえる。これらはぜんぶ異変で沈んで滅びたが、少数の住民がほかの大陸に逃れ、そこの未開人たちに知識や技術を教えた。

それがマヤやメソポタミアの高いレベルの学問になって残った。また世界各地に散らばる不可解な文明遺跡の源にもなった。ゴルボフスキーはこう言い切りたいらしい。確かにその可能性は大きいだろう。他にも沈没大陸説はいろいろあるが、たとえば古代ムー大陸の証拠文書を見つけたというチャーチワード(18世紀の英国史家)は、その文書の実物をなぜかとうとう公開しなかった。

プラトン以来、華やかな古代ロマンに彩られてきたアトランティス大陸も、「1万1000年前まで大西洋の真ん中にあった」と長い間さわがれている割には、誰もが納得できる決定的証拠がまだ見つかっていない。その意味でも、これらよりもずっと地味で名前も知られていないレムリアの方が、動植物データや古文書もそろい、より確かな実在の可能性を持っていたといえる。しかも、レムリアをさらに大きく包む裏づけとして、じつはインド洋南部のオリッサ州の奥に、「アスカ」と呼ばれる地域が、今もひっそり残っているのだ。

超古代アスカは飛行船を持っていた

私はそのインドのアスカというところへ、、1984年、魅せられたようになって単身行き、まわりに残る不思議な伝説や遺物、今のインド人主流とまるで似ていない謎の少数部族などを調べ、『幻の超古代帝国アスカ』という本を書いた。内容を要約するとこういうことだ。

いまから4万年〜1万2000年前ごろまで、地球はヴェルム氷期という、地球史から見て一番最近の氷河時代のただ中にあった。南北アメリカやヨーロッパの高地、アジア北部と中央部、日本でも東北や、北海道が氷河でおおわれ、南極と北極の氷は今の10倍も多かった。その分、海水が今よりずっと少なく、海面も今より12〜3メートル、ところによっては20メートル以上低くなっていた。そのぶん、海岸線が今より沖の方へ遠ざかり、その跡に広大な陸地が現れていた。つまり、今のアジアやヨーロッパ、アメリカや日本のまわりの大陸棚と呼ばれている浅い海の部分が全部、海沿いの広い平野だったのだ。

文明はそういう水辺の平野にひらける。これは人類学の常識である。まして、1万2000年前といえば、人間の大脳の重さは今の私たちと全く同じ、人によってはそれ以上。ここから試算してみると、そのころ文明段階にまで踏み込んでいた人口が、少なくとも3〜400万人はいた。彼らは当然、氷河地帯を避けて、暮らしやすい海岸平野の温かい地域に住みついた。そして知能を生かして漁業や農耕・牧畜を発達させ、相当高いテクノロジーを持つようになっていった。

それを記録した太古の秘典を読んだというインドの聖者に私は会った。彼が教えてくれたところでは、その太古海岸の文明はすでに石油や電気を知っていた。動力を使う鉄の巨船を持ち、布の気球や軽エンジン付きのグライダーも持ち、水銀エネルギーで飛ぶ長距離飛行戦まで持っていた。また住民の性質は穏やかで、王や女王の下に官庁、市場、大学、軍隊が整い、生活は豊かだった。そうした世界中の海岸領土全体で使える共通語もあった。その一つに幸福な楽園を意味する「アスカ」という言葉があり、これがこの超古代都市とその文明をさすシンボル的な愛称にもなってた。

異変と退廃で滅びたアスカ

ところが、そんな飛鳥の繁栄がピークを過ぎ、エネルギーの乱費で空気や食物が汚れ、疫病や犯罪や戦争が増えてきた頃、突然、氷河時代が終わった。人類のエゴに対する裁きのように、地軸が激しく揺らぎ、地球の自転角度が変わったためだった。これで太陽との位置関係が微妙にずれ、世界は急に暖かくなって、極氷や氷河がドッと溶けだした。このため海水がみるみる増え、今の温帯と熱帯の大陸棚に栄えていたアスカ文明は数10年から数100年のあいだに全部沈んだ。

地面そのものが沈んだのではないが、解氷で海水が増えて、自然に水の下になってしまったのだ。多くのアスカ人がこのため死んだが、残った少数の人々は、もっと安全な奥の陸地へ、水没しなかった地域へ逃げ込んだ。そして滅びた楽園を懐かしみ、新しく移住した地域にもアスカの名を、またはアスカを含む名前を付けるようになった。それがもともといたそこにいた未開人たちによって、アスカ文明のごく一部とともに受け継がれた。その後も人類の記憶の中に長く残った。だから今でも、アスカやアスカを含む謎の地名が、意味も出所も解明されないまま、世界中のいたる所に残っている。

インドや日本のアスカ、ソ連南部のアスカバード、メキシコのアスカボファルコ、スペインのアスコ、イギリスのアスコット、イスラエルのアゼカ、アイスランドのアスキャ、アメリカのアショカン、アトコとアラスカ。

また太古の洞窟絵画で有名なフランスのラスコーこれは、アスコよもう一度の意味である。太古からの不思議な移住民族がすむスペインのバスク。これは二度目のアスクの意味である。「アスカのそばの島」を意味するマダカスカル(マグニ・アスカ・ル)、「もうアスカはないのだ」という悲しみの意味をこめた南米のナスカ……。

地名だけではない。インドアスカ人やアラスカのエスキモー(正しくはアスキモー)のように、太古、どこかの楽園から移ってきたという伝説を持ち、共通の古い仏像のような特異な顔をした人々が、世界中のあちこちに少数ずつ残っている。しかも北フランスのブルターニュやカルナック、ほかの西大西洋や南太平洋、南インド洋に面する数十か所の海岸。そこには滅びた文明の記念碑を思わせる謎の巨石の列が、かってアラスカが栄えていた海のかなたに向かって、今も点々と立っているのだ。


『宇宙人謎の遺産』


2012年05月23日(水) 不可解な電波(20)

1968年、英国のムラード天文台の宇宙用受信機が、一定の間隔をおいて規則正しく入ってくる電波信号をキャッチした。方向と距離を探ると、これは地球上から発信されたものではなく、人工衛星の通信でもなく、約2000兆キロ(211光年)離れたところから出ていると判定された。こういう現象は自然に起こることもある。自然な爆発の副産物として、光や電波や放射能を出す星はたくさんある。しかし、それにしては規則正し過ぎだ。だから、同天文台のマーチン教授は「太陽系の外の知性を持った存在がこの電波を出した可能性もあるかもしれない」と発表した。

ムラードだけではなかった。グリーンスパン天文台も‘60年、エリダヌス座とクジラ座の方から飛び込んできた信号めいた電波をとらえた。どれも自然現象が、地球上の電波がはね返って来たのだろうとされている。しかし、ほんとにそうだったのか、はっきりしたことはまだわかっていない。それらは一時途絶えていたが、‘80年代前半からまた時々キャッチされるようになり、何かを呼びかけているとも思われるが。正体は依然不明である。

フォボスとダイモス

ギリシャ語で「不安」と「恐怖」を意味する星。どちらも火星のすぐまわりを回っている。つまり火星の衛星だ。二つとも非常に小さいため、長い間発見されず、1877年、当時の最新式の望遠鏡で初めて見つけられた。ところが、実に厄介なことに、その150年も前、イギリスの作家スイフトは『ガリバー旅行記』の中で、このフォボスとダイモスのことを書いている。主人公のガリバーが「ラピュータ」という不思議な国に流れ着いた。その国には優れた天文学者たちがいて、「火星には二つの衛星がある。火星からの距離は……」と教えてくれたというのだ。それらは現在の観測データとたいへん近かった。

このことは、トプカピの地図を思い出させる。あれと同じように大昔、誰かが宇宙を飛んで、火星のまわりを詳しく観測したのではないか。又はその頃、誰かが現代と同じような高性能の望遠鏡をすでに使っていたのではないか。ちなみにプレインカの遺跡からはレンズが発見された。そんな知識が古文書か何かに残り、スイフトはそれを知っていたのではないか。

失われた第五惑星

この星は火星と木星の間に、かって確かにあった。これは想像ではなく、近代の天文学が確かめた事実である。最初、この事実に気づいたのは、18世紀ドイツの天文学者ボーでだった。かれは先輩ティティウスの理論にもとづいて星空を調べ、太陽とそのまわりの惑星たちが、神秘としかいいようのない法則で結ばれているのを突き止めた。例えば、太陽に一番近い水星は、太陽から約6000万�厠イ譴織魁璽垢魏鵑辰討い襦�次に太陽に近い金星は、太陽から約1億キロ、水星よりも1倍半遠いコースを回っている。

むろん、どの星ももっと太陽に近づくことも遠ざかることもあるが、平均すればだいたいこのようになるのである。ボーではこれを精密の測定した。太陽から水星までを4とすると、金星までは7、地球までは10、火星までは16。こんなきちんとした秩序で太陽系はできあがっていたのだ。しかもボーではもっと大変なことに気づいた。火星と木星の間が離れすぎているのだ。太陽から火星までは2億3000万�劼覆里法�太陽から木星までは約8億�劼發△襦8�式にあてはめれば、もう一つ大きな惑星が回っていなければならない。

当時は誰もがこの仮説を笑った。いくら望遠鏡で眺めても、そんな大きな星なんてそこにはなかったからだ。だが、1801年、イタリアのピアッチがそこに一つの見慣れない星を見つけた。それは直径800キロほどの、月の4分の1ぐらいの星で大惑星とはいえなかったが、まさにボーでの公式から割り出されたピタリのところを回っていた。多くの学者がこれに刺激され、観測と取り組んだ、すると、ピアッチの発見した星のまわりに、もっと小さな星が無数に散らばっていることがわかった。直径3〜400キロの星が3つ、数キロから酢10キロの星が数10個、それ以下の星が約2000個、ほかに数えきれない小さな岩のかけらも見つかった。

それがもともとそうだったとは、形から見ても他の惑星とのバランスからいっても、到底考えられなかった。おそらく、大昔、何かの理由で大きな星が爆発し、あるいは星同士が衝突したくさんの星くずになったのだ、としか考えられなかった。いまでは、それらの主なものに、セレス、アキレス、ヘクトル、パラスジュノー、ヴェスタといった、ギリシャ神話の登場人物たちの名前がつけられている。これらをひっくるめて、「失われた惑星ナンバー・ファイブ」(水星から数えて5番目のところにあったから)、または、「小惑星帯」(アステロイド)と呼んでいる人達もいる。

それがいつ、なぜ爆発したのか、もとの星はどんな星だったのか、今の人類の学問ではわからない。しかし、地球の隣の隣に、かってそれが輝いていたことだけは確かである。最近では、それはもともと一つの星だったのではなく、数個の星がグループになって回っていた。それが何かの異変かアクシデントで、砕けて数10個になり、さらに砕けて数100個から数1000個になった、と考えられている。



『宇宙人謎の遺産』


2012年05月21日(月) 脳を鍛える(19)

夕食を食べる前に、前日のメニューを思い出してみる

食事の内容を思い出すということは、自分が昨日何をしていたか、どこに行っていたか、誰に会っていたか、結果的に一日のすべての出来事を思い出そうと頭をフル回転させることでもあるからだ。夕食前に、前日から今日にかけてのメニューをすべて思い出してみる。こうすると、前日の朝食からはじまって、5回分の眼ユーを記憶によみがえらせることになる。これなら無理なく思い出せる情報量のはずだ。

筋トレすると脳も鍛えられる

脳は外からの情報を取り入れて総合的に判断し、全身をコントロールする司令塔である。情報を送り込むもとになる「身体」の感覚を磨くことが脳を鍛えることにもなるのだ。養老猛司氏も、入力した情報を出力する身体の重要性を唱えている。ポイントは、脊髄から出て筋肉につながる「筋紡錘」という感覚神経にある。これは筋肉の収縮の精度を高める神経だが、そこから出る情報は、脊髄から脳幹、小脳、大脳新皮質まで刺激して脳の活動を高めてくれる。

情報の強さは筋肉の太さに比例するから、最も脳に刺激を与えるのは太ももの大腿筋である。だから、ウオーキングやジョギングが効率よく脳の働きを高めるといわれるわけだ。わざわざ外に出なくても、室内で脳を鍛える運動はできる。腕立て伏せや柔軟体操などの筋トレをすればいいのだ。勉強や仕事の合間でも、脳が鈍くなったなと感じたら、腕立て伏せや、腹筋、スクワットなどをして脳に刺激を送ってあげよう。

初めての土地に行ったら、どっちが東か考えてみる

司馬遼太郎氏は、一つの年を眺めるときは、立ち並ぶビルや道路などを取っ払い、荒野や森になった状態を創造したという。職業柄そういう作業が必要だったのかもしれないが、時空を越えて昔の土地の様子を思い浮かべるのは脳にとっては面白い作業だ。地名からもある程度想像がつく。例えば東京の渋谷。谷とついている通り、ビルだけとって道だけ想像してみると、四方から渋谷駅に集まる道はすべてゆるやかな坂道で、駅のあたりがちょうど底になっているのがわかる。「〜台」とつく栃は昔は高台だっただろうし、「〜沼」「〜沢」といえば、あたりに沼や沢があったのだろう。そうした想像を広げてみるのも脳にはいい刺激になる。

最近、記憶をつかさどる器官として注目されている海馬にも、空間の情報は関係しているという。海馬の研究にたずさわる池谷祐二氏によれば、「頭の中で移動を想像するだけでも海馬への刺激になる」という。初めての土地でどちらが東かを考える癖をつけておけば、いろいろな面から脳が刺激されそうだ。

肉を食べると脳にいい

焼き肉やすき焼きなど、肉を食べると「おいしい」と思うだけでなく、何か心が満たされたような幸せを感じるもの。これはアナンダマイドという物質にある。1992年にイスラエルで発見され、別名「至福物質」とよばれているのものだ。アナンダマイドには、心に幸福感を与えたり、リラックスさせたり、不安を和らげる効果があるだけでなく、記憶力を高める働きがあることも指摘されている。アナンダマイドは、医学界で注目を集めている物質なのだ。

そのアナンダマイドのもとになるのが、肉類だ。肉にはアラキドン酸という脂肪酸が含まれている。この脂肪酸が体内に入って、酸素が働くことによって「至福物質」アナンダマイドがつくられる。だから、私たちは肉を食べると、何ともいえない幸福感にひたることができる。「肉は健康によくない」という説もあるけれと、要は、食べすぎなければいいだけの話。適量の肉は、むしろ脳にいいのだ。肉を好きな方法で調理して、そのおいしさを楽しもう。すると知らないうちに、アナンダマイドが脳で働いて、幸せな気分になったり、記憶力が高まったり、ストレスが発散されたりする。




『脳を鍛える習慣術』


2012年05月19日(土) ds;kmvZ

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2012年05月18日(金) 医者の限界を知る

治せないことを知る

「もう手の施しようがありません」そう言われて、「はい、そうですか」と受け入れられる人は、どれほどいるだろうか。目の前に迫った死に戸惑い、パニックに陥る。再発した肺がんで、抗がん剤治療を受けていた土井賢治さん(65歳)もそんな一人だった。抗がん剤が効かなくなり、副作用に苦しんでいた土井さんは、大学病院から日ノ出ヶ丘病院(東京・西多摩郡)のホスピスに転院してきた。モルヒネの投与によって一時的に症状は緩和され、土井さんは「何か治療をすれば肺がんを克服することができるのでは」と考えるようになっていた。

だが、その間もどんどんがんが体を蝕み、もはや抗がん剤に耐えられるだけの体力は残っていなかった。「肺がんを治してほしい」相談された同病院の小野寺医師が、もうがんを治すことはできないのだ、ということを告げても聞く耳を持たず、「ここにいる価値はない」と叫んで、妻の制止も聞かずに退院した。その後、土井さんは免疫療法や気候など、東洋医学が売りの病院などを訪ね歩いたが、どの病院でも、できるのは延命だけだといわれ、「治す方法がないのなら、すぐ殺すよう医者に頼め」と妻を怒鳴りつけて騒ぐまでになった。結局、最後は再びホスピスにかつぎ込まれ、混乱の中で亡くなっていった。

他人事ではないだろう。小野寺医師によると、余命数週間の状態になっても、どうしても死を認められず、「それでも何か手立てがあるのでは」と探し回り、治療にすがろうとして亡くなる人は、少なからずいるという。「手だて」とは何なのか。その筆頭は、「神の手を持つ名医」に診てもらうことかもしれない。

しかし、どんな「名医」も決して「神」ではない。そこにはおのずと限界がある。「名医」その人たちの話を聞くと、「がんの治療は限界だらけです。その限界を少しでも先延ばししようと研究が進められていますが、それでも限界はあるんです」そう話すのはガン・感染症センター都立駒込病院の名誉院長、森武生医師だ。大腸がん手術数は日本最多の2500例。5年生存率も世界でトップクラスというその世界の権威である。

森医師は、ほぼ助からないだろう、と言われた末期の大腸がん患者を手術したことがある。絶望的だった患者が術後8年を生き、最後は再発して亡くなっていった。「でも家族からは『再発を見逃すとは何事だ。医者の責任を追及する』と責め立てられました。私は何も言わず黙って聞いていましたが、心の中では、ずっと診てきたその患者さんに、『8年間は楽しく過ごせましたか』と語りかけていました。そんなものです。医者は神様ではないのです7から」医者は神様ではない。それは、患者から頼られることの多い名医ほど実感することである。

昭和大学横浜市北部病院副院長の工藤医師も、こう語る。「大腸がんの末期で入院していた30代の女性の患者さんは、入院中、枕元にお子さんの写真を飾っていました。結局そのまま家に帰ることもできず亡くなってしまいましたが、こういうときは『神様はやはりいないのか』とか、『どうしてこんなに若くして』と思わされます。

約半数は助けられない

がんには、ここから先は助からないという、冷酷なラインがある。「早期の大腸がんなら100%治ります。しかし、早期がんの場合、半分ぐらいは症状がない。だから気付かずに症状が出るまで放置すると、全体の2〜3割は肝臓など周囲の臓器に転移している。その場合は、助かることは少ない」だからこそ、症状が出てから名医を探すのではなく、定期的に内視鏡検査をしてほしいと工藤医師は力説するのだ。肝臓がんの権威で、99.9%という驚異の手術成功率を誇る医師にも、お手上げという状態はある。肝臓ガン治療の日本赤十字医療センター院長の幕内医師は「私に過度の期待を持って来られる患者さんもいますし、中には『神の手で治してください』という人もいます。

でも肝臓がんの場合、医者にできることと、できないことは非常にはっきりしているのです。肝臓の画像を見ただけで、これは手に負えないというケースはいくらでもあります。その場合は正直に『進み過ぎています。もう治りません』と言います。私のところに来る患者さんの約半数はこのケースです。

東京ハートセンターの南センター長は「一番困るのは、患者が何を求めているのかがはっきりしない時だ」という。「命には限界がある。だれしもいつかは死ぬ。だからもう先が厳しいという病気になった時には、自分は何をしたいか、どういう形の治療なら本望なのかを自分で決めてほしい。手術によって仕事に復帰することを望むのか、息苦しさを取ってほしいのか、1年でも長く生きたいのか。患者が何を望むかによって治療方針も変わる。自分が病院に何を望んでいるのか、きちんと把握することが必要だと思うんです」

どんな命にも限りはある。医者にも治療にも限界があることを知り、自分の症状を客観的に把握したうえで、自分が医者に何を望むのかを明確にする。これが上手な患者になる心得といえるのではないか。


『週刊現代』10.29


2012年05月17日(木) 無縁社会の孤独死

急増する65歳以上の独居者

「無縁死3万2000人」この衝撃的な数字が発表されたNHKスペシャルの放送から約2年。東日本大震災の仮設住宅で、また一つの孤独死が発生した。65歳以上のいる世帯約、2.080万世帯は全体の43%にものぼり、少子化、離婚、未婚率の上昇が進む中、孤独死はごく身近な”終わり方”になろうとしている。

「東日本大震災の復興の途上にある福島県の仮設住宅で、67歳男性が孤独死」このニュースが報じられたのは、昨年12月11日。震災から9カ月目の朝だった。福島県双葉町出身の男性は、津波で妻を亡くし、原発事故で故郷を追われ、同県白河市の仮設住宅で、一人暮らしをしていた。「お世話になっているお礼」と、ボランティア活動に積極的に取り組む姿もよく見られたという。双葉町住民が再開するイベントが行なわれる予定のこの日、男性が姿を現さないことを心配した友人が、警察官に連絡。窓を破って中に入ったところ、風呂場で冷たくなっている男性を発見した。死因は心臓発作と見られる。

毎月20人の”無縁仏”を送る

東京都監察医務院の調べによると、東京23区内で、65歳以上の独居者が自宅で死亡したケースは、平成14年は1364人。平成20年は2211人と、約1.6倍になった。都市再生機構が運営管理する賃貸住宅でも過去10年間で約3倍に増加している。社団法人全日本冠婚葬祭互助会(以下、全互協)会長の杉山氏は「孤独死が発見されると、警察から葬儀社に『遺体を預かってほしい』と、連絡が入ります。引き取り手が見つからなければ、私たちだけでお骨にすることもあります。と話す。

杉山氏が代表を務める静岡県の葬儀社で取り扱う毎月約300件の葬儀のうち20件ほどは無縁仏として葬らざるをえないという。たった一人で旅立つ方を送るたびに、『この方はどんな人生を歩んだのか。家族や仕事もあったはずなのに』と、どうにもやるせない気分を味わうものです。

無縁社会の今

全互協では、1月に「無縁社会を乗り越えて」と題した座談会を開催した。パネリストの一人で「パラサイトシングル」「婚活」などの流行語を生んだ中央大学の山田教授は「団塊の世代は、子供2人のうち1人は未婚か、離婚すると覚悟すべき」と提言している。また「21世紀に入り、結婚や就職をしたくでもできない人が増えた。縁を持つ人、持たない人の格差が広がっている」と指摘した。
新しい”縁”のあり方についての議論も交わされた。宗教学者で東大大学院の島園教授は、「ガンや肝臓病、アルコール中毒などの患者同士が助け合うセルフヘルプグループが各地で活動している。同じ問題を共有することから生まれる”問題縁”が絆を結ぶ時代になってきた」と話した。

北九州ホームレス支援機構理事長の奥田氏は、「そういったグループの存在を知らない人にも手を差し伸べられる仕組みづくりが課題です。内閣府はすでに縁のコーディネイトをする”パーソナルサポートサービス”の制度化に取り組んでいるが、今後はこういったサービスが社会保障の軸になるのでは」と話す。作家で互助会も経営する一条氏は、自身が営む冠婚葬祭会社での取り組みとして、「血縁が失われても地縁は残っている。私たちは『隣人祭り』といって、地域の人を集めて紹介しあう食事会を開催している」と紹介した。

有名タレントでさえ恐れる「孤独死」

1月31日に32歳差婚を発表したタレント・ラサール石井(56歳)は、再婚の理由を聞かれて、「孤独死が怖かったから」と答えた。しかし、少子化、都市への人口流失、未婚率・離婚率の上昇など、さまざまな要因により、血縁・地縁・社縁・学縁などの縁は希薄になっている。社会の”無縁化”孤独死は増え続け、年齢差婚だけでは、とても解決しそうもない。



『週刊ポスト』3.23


2012年05月12日(土) 地震予知はかなわぬ夢(18)

私は「大地震はいつどこでだって起こりうる。天命と思って諦めるしかない」といったマイナス思考を主張をしているわけではない。膨大な国家予算を、できもしない地震予知に投じ続けることをやめろといいたいのだ。そんな予算があるのなら、海岸沿いの護岸工事や建物の耐震補強、地震・津波に備える防災教育など他にやるべきことはいくらでもある。そのすべてが国民の生命・財産を守ることに直結する。

残念ながら、「地震予知」は叶わぬ夢だ。「地震予知」というはかない幻想に、これ以上希望を託すのはやめようではないか。東日本大震災を経験した日本人は、いまこそ現実に目を向けなければならない。次なる大震災を未然に防ぎ、21世紀、22世紀の未来に向けてなすべき仕事は山積みなのだから。

私には、まるで成績が出ない無限の「ゲーム」を楽しんでいるように見える。彼らは国庫から年間100億円以上の「スポンサーゲーム参加料」を注ぎ込まれながら、目標を達成しているかどうか明らかにしないまま、時が過ぎていく。「地震予知ができるかもしれない」という淡い期待の裏には「地震予知ができないかもしれない」という絶望が待っている。正確な地震予知ができるならば、私もそれを望む。でも、できないと知りながら黙って研究費を受け取っている不誠実な学者たちは、その行為を即刻やめるべきである。偽りの研究活動に、いくら億単位の資金を賭けても、そこに未来はないからである。東日本大震災は甚大な被害を及ぼした。その大震災の後には、さらなる予算獲得を目的とした御用学者たち、およびそのバックにいる官僚による暗躍が危惧される。

歴史的に見ても、東北地方の太平洋沿岸は、これまで大津波に何度も襲われてきた。とりわけよく知られていた1896年の明治三陸大津波は、最大38メートルにも達し、約2万2000人の死者を出している。869年の貞観津波の高さは、東日本大震災にほぼ匹敵するものとされている。世界の地震活動と東北地方の歴史的記録を考慮するならば、東日本大震災が「想定外」のはずがない。もちろん時間、震源、マグニチュードまで正確に特定するのは無理だとしても、東北地方の太平洋沖合にマグニチュード9クラスの地震が発生する可能性は、容易に想定できたはずである。

プレート沈み込みで帯で発生したM9以上の地震

1952 カムチャッカ地震 M9.0
1960 チリ地震     M9.5 
1964 アラスカ地震   M9.2
2004 スマトラ沖地震  M9.3
2011 東北大震災    M9.1




『日本人は知らない地震予知の正体』


2012年05月10日(木) いつまでも若く見られる方法

何を食べれば若く美しくなれるか、とんな薬を飲めば健康になれるか、皆さんそんなことばかり聞いてきます。みんな世の中の間違った健康常識に毒されてしまっているのです。若さをキープし、健康な体でいるためには、昔から「栄養と休養」だといわれてきました。でもそれは昔の食料が欠乏した時代に過酷な労働を強いられてきた人たちに対しての話なんです。現代人はなぜ体力がないのか。それは運度不足と栄養過多です。とくに栄養に関しては、何を食べるかよりも、いかに食べる量を少なくするかを考えなければなりません。こう言い放ち、従来の健康常識を真っ向から否定するのは、南雲吉則氏。56歳だ。このたび、健康と若さを維持する秘訣を網羅した『50才を越えても30代に見える生き方』(講談社プラスα新書)が21万部を超えるベストセラーになり、話題を呼んでいる。

その外見の若さにも驚くが、50代半ばになりながら体の中も。脳年齢38歳、骨年齢28歳、血管年齢26歳と驚異的な数値が並ぶ。20年前まではメタボ体型のオジサンだった彼が、30代に見えるイケメンへと変身した理由はどこにあるのか。それは、誰もが実践できるシンプルなものばかりだった。

私は30代半ばまでは、まさに「医者の不養生」の言葉通りの生活。タバコを嗜み、暴飲飽食の日々でした。そんなとき、62歳の父親が心筋梗塞で倒れ、医師を引退することになってしまったのです。ちなみに祖父も52歳のとき心筋梗塞を患いました。

肥満体のままでは、父親や祖父のようにいつ心臓病で倒れるかわからない状態。そこで週5回、スポーツジムに通い始めたという。自転車に水泳と身体を精いっぱい動かした。ところが、これが大きな間違いだったというのだ。体を動かせば体重は落ちる。この常識は南雲医師にとっては幻想でしかない。痩せるかなと思ったらなんと太るんです。どんどん体重が増えていった。体を動かすことによって、筋肉中のグリコーゲン(糖質)が消費されます。そうすると低血糖を起こす。お腹がすくので食べる量が増える。食べた後はそのまま消費されるわけではなくインスリンによって脂肪となり、体内に蓄えられます。この悪循環に陥り、77キログラムまで太り、不整脈も出始めてしまったんです。

スポーツもダメ、食餌療法もダメ。見た目は年齢より上にみられ、お腹はむくんだままでした。こうした紆余曲折を経て、私がたどり着いた考えは至ってシンプルでした。まずは食事の際、食器の数と大きさを制限してみました。一汁一菜ですね。子供用の小さなお茶碗とお椀、そしておかずはコーヒーカップのソーサーほどのお皿の上に一品だけ。こうして、いままで食べていた量の6割に制限したのです。1日3食。ただしおかずは肉でも魚でも食べたいものを食べていいというルールを自分に課しました。これを続けるだけで、62kgまで落とすことができた落とすことができた。ここまでは通常のダイエットとさほど変わりはないかもしれません。私の若さの追求は、45歳から始めた「一日一食」に向かいます。

朝は胃もたれしている火もあれば、時間が取れないこともある。昼食をとってしまうと、午後の仕事中にどうしても眠くなる時間が生まれてしまう。「だったら、一食でいいや」ってね。一日一食ですから、午後になるとどうしてもお腹が減ってきます。お腹がグウと鳴ったあと、わざと一時間ぐらい食べずに我慢して、鳴らせたままにしておく。実はここが若さを取り戻すポイントです。お腹が鳴るということは、消化管からグレリンというたんぱく質が出ている証拠。グレリンの語源は成長です。この瞬間、脳から成長ホルモンがたくさん出ていることがわかったのです。

この成長ホルモンは、肌をきれいにしたり、傷ついた体を治す効果を持っています。お腹が減っている時こそ、若さを取り戻しているんです。また、空腹のとき、サーチュイン遺伝子という若返り遺伝子が活性化することもわかっています。本来、飢えと寒さに耐え続けてきたのが人類17万年の歴史です。極限状態になったとき、生命力が途絶えてしまえば人類は滅亡していた。それを耐え抜いた子孫だけが、今日の現代人になっている。最低限の量を食べれば、それでいいのです。

我々は動物であることを忘れてはいけない

南雲医師の話を証明するこんな実験結果がある。ある動物実験で、食料を4割減らした動物は全て1.4〜1.6倍長生きしたというのだ。この実験はミミズやサルにも効果が証明された。サルにいたっては、ほかのサルに比べ晩年になっても毛並、顔つき、体つきが若々しいままだったという。では、食事の量を制限した上で、何を食べることが効果的なのか。キーワードは「丸ごと」である。

どうしても私たちは体の数値が悪くなると医者に頼り、薬に頼る。それより食べ物を丸ごと食べることが大切。薬なんて必要なくなりますよ。小魚だったら頭から何からすべて、野菜であれば葉っぱの部分も残さず、パンなら黒パン、米なら玄米。自然にある状態に近いまま食べる。これを「完全栄養」といいます。こういうものを食べていれば、若々しい身体を維持することができるんです。肉を食べる必要はないんです。牛や豚は恒温動物です。肉の脂は室温で固まってしまう。人の身体の中で固まるのです。これは動脈硬化に直結します。魚の場合は変温動物ですから、そうした怖さはありません。

我々人間は、動物であることを忘れてはいけません。動物は塩を振らずに素材のまま食べる。それでいいんですよ。ついつい、濃い味付けにしてあるものを食べたくなりますが、それは非日常を求めているということ。それが癖になり、習慣になる。その先に待っているのは生活習慣病です。イモだってかぼちゃだって、米だって素材の味が一番いい。サルが魚に塩をかけて食べますか?濃い味けを見直すことは、メタボ解消の一歩です。

水も同じです。「毎日2リットル飲めば血液がサラサラになる」とよく言われますが、これも間違い。喉が渇いたからといってすぐに水分補給をすれば、そのたびに血液の濃度が変わってしまう。血圧が安定せず、身体の恒常性が保てなくなってしまいます。朝起きたとき、顔や足にむくみが出ることがよくありますね。むくみは体の水分が必要以上にあることから起こるんです、だから、水を飲むことが必ずしも正しいとはいえません。私は喉が乾いたら水分をとるのではなく、ガムを噛むことにしています。唾液は一日1〜1.5リットルも出る。体内の水分で必要な者は再吸収されますし、余分なものは尿として出ますから、必要以上に水分をとることはないんです。

患者さんが胃潰瘍だとわかった時、医師は絶食を課して点滴を打つ。あの点滴の中身も少しの糖分が入った水ですよ。あれは消化管を休めるために行なう治療です。正常な状態に戻すのは医師でも薬でもなく自分自身ですから。本来、人間はそうした治癒力を備えているのですが、皆、その大原則を忘れてしまっている。

一日一食は、また別の面でも効果を生む。内臓脂肪が燃焼し、血中コレステロールが減ることで、日頃感じているストレスが和らぐ。ストレスが減れば、危機の状態に陥ると分泌されるアンドロゲン(闘争ホルモン)が出にくくなる。アンドロゲンとは、ニキビやフケ、毛が抜ける症状などを生む男性ホルモンだ。多くの男性が気にしている頭髪問題まで改善できるというのだ。

ハゲは遺伝だけじゃないんです。私の父親、祖父とツルッパゲなんですが、私を見てください。コレステロールを減らして、ストレスをうまくコントロールすることで、頭髪は必ず維持できます。いつまでも若くあるために食事とともに重要なのが眠りです。私は夜10時から夜中の2時までは必ず睡眠時間にあてています。この時間は、脳から成長ホルモンが出て、身体が若返る。内臓脂肪も燃焼します。それと同時に辺縁系の中の海馬が必要のない記憶をどんどん消去してくれる。つまり、ストレスから自分を解放してくれているんです。結局、食生活と睡眠のとり方、これが人間を若々しくしてくれる根源なのです。

人は何かが起きたとき、何をすればいいのか悩む。でも、その質問が大きな間違いなんです。私はこう答えるんですよ。「何もしなければいいですよ」と。「何を飲んだらいいのですか?」と問われれば「飲まないでください」「何を食べたらいいんですか」と問われれば「食べないでください」また、「どのくらい体を動かせばいいですか?」と問われても「運動はしなくてもいいです」と答える。これが私からのメッセージです。暴論にきこえるかも知れませんが、これが健康な身体、若々しい身体を手に入れるための紛れもない事実なのです。私はあと数年で還暦を迎えます。意識を変え、体型を変えてから10年ほどたちますが、数値はほとんど変わっていません。ですから、体内の数値はさほど変わっていないです。

こうすれば50代でも30代に見える極意

●食事を40%減らせば寿命は1.5倍になる。空腹でお腹がグーッと鳴っている間に身体は若返る
●魚は頭から尻尾まで、野菜や果物は皮ごと食べる
●サプリメントは飲まない。塩分も砂糖もとらない
●成長ホルモンが分泌されるゴールデンタイム22時から2時に寝る
●スポーツジムなど通わず、歩くだけでOK
●冷え性の体は冷やして治す




『週刊現代』3.17


2012年05月09日(水) 自分の声を聞いてみよう(17)

まずは自分の声を聞いてみよう

自分のよい声を知ることが重要

自分の声を知るには、録音して聞いてみるのがもっとも簡単な方法です。よい声でありながら、自分で声の癖をつけ、声を使いにくく歪ませてしまっている人もいます。声がうまく出せないのは、もともとの声がよくないのではありません。これまで声というものを意識してこなかったから、うまくいかないことが大半なのです。

自分のよい声とはどんな声かを知っておくことは大切です。まず、自分の調子がよく、最も声が出たときのことを思い出してみることです。経験のない人は、イメージするだけでも良いのです。そしてその声を覚えてください。それとともにそれが、どういう状態で出せたのか、その時の状況を書き出してみましょう。気分、事前にしたことなど)。そして、その状態をイメージして出せるか試してみましょう。そこからスタートです。

録音した自分の声を客観的にチェックする

録音した自分の声を聞いて、自分の声じゃないみたいなどと、感じることが多いと思います。蹴れ路、その声は他人が聞いているあなたの声です。次の文章を読んで、それを録音して聞いてみましょう。読む時には、できるだけ自分のよい状態の声を目指しましょう。次に何が良かったか、悪かったか、自分で思いつく限り並べましょう。そして、それを参考に5回ほど繰り返して読んで、録音しましょう。

メラビアンの法則

話は内容より、声の印象で決まる

一口に声といっても、それは多くの要素から成り立っています。人に対する第一印象の度合いは、まず顔の表情、その次は、声で決まるといいます。ある調査では、顔の表情が55%で、声は38%です。つまり話された言葉の内容ではなく、その音色や調子が相手の印象を左右する力を持っているということです。このことは、声の質や調子、強弱、テンポ、声量などが言葉以上の意味を伝えることを示しています。言葉の内容以上に、コミュニケーションにおいて、言葉よりも声が支配的な役割を果たしているのです。

チェック結果から自分の目的を見つける

声は、ちょっとしたことに気をつけるだけでずいぶんと魅力的にできます。まずは、自分の声を自覚し、チェックすることです。目的とのギャップがわかれば、おのずと問題は解決へ動き出します。声は一人ひとり違うものです。ある程度先天的も決まっています。自分の声が気に入らないという人もいるでしょうが、自分の声の個性を見つけ、それを生かす方向で伸ばすことが、自身のある声につながるのです。

声を使う力をつける

役者や声優は台本を一度見ただけで、人に伝わるように表現できます。それは日ごろの練習の成果です。大切なことは伝えることであって、読むことではありません。文字を棒読みしているだけでは相手の気持ちにまでは伝わりません。そうかといって、あまり効果を計算したり、感情を移入するとわざとらしくなります。相手の気持ちにまで伝わる表現力こそ、声を使う力なのです。



『声がよくなるトレーニング』


2012年05月03日(木) RHマイナス因子(16)

歴史とは学校で教わった通りの内容ではないということも判明してきている。権力側は、都合のいいように歴史を歪曲しようとしているのだ。1万2000年前、大洪水が起こる前、別の人種があったなどといえば袋叩きされる。この別の人類は、あまりにも自意識過剰となったので絶滅の運命をたどったのだ。エジプトのピラミッドは4000年前に建造されたというが、科学がその説の矛盾を暴いている。分光器や核磁気共鳴法、質量スペクトル解析を用いた調査では、年代のつじつまが合わないことが判明している。

また、アメリカのユカタン半島にある3800年前のものだとされているピラミッドに年代もおかしい。これは、マヤ=アステカの階段状ピラミッドで、1万2000年前に流れ出した溶岩に覆われているのだ。1万2000年前にすでにピラミッドが存在していなければ、溶岩が覆っているはずがないことは明らかだ。このような証拠を前にすれば、ピラミッドが3800年ではなく1万2000年以上の歴史を持っていることは否めないはずだが、このような真実も口にしてはならないのだ。

著名なエジプト考古学者ザヒ・ハウスでさえも、政治的配慮のもと、ピラミッドはエジプト人が建造したと明言しがちである。エジプトには偉大な歴史がある、ということをアピールするうえで、政治的に大きな意味があるからだ。もしエジプト文明はエジプト人が生み出したものではなく、エイリアン文明の模倣であると知れてしまえば、エジプト人の権威は失墜し、単なる砂漠の遊牧民と同一視されてしまうだろう。ハウスを操る人々は、そんな事態を招くことを許さない。以上のような理由から明確な証拠があるにもかかわらず、ピラミッドが超古代建造物であることが認められないのだ。

我々は、このような歴史隠ぺい体質文化から脱しつつある。クロマニヨン人は、ネアンデルタール人とは全く無関係であると判明している。遠い親せき筋にあたるわけでもない。学界はこの事実も無視している。

RHマイナス因子は、どこからやってきたのか?我々はサルから進化したという。それならば、皆がアカゲザルのようにRH因子を持っていなければならないはずだ。だが、RHマイナス因子を持つ人々が多々存在する。この人々はどこからやってきたのか?

600万年前、人類はサルから進化して中央アフリカで誕生したとされている。だが、アメリカ・インディアン、古代ケルト人、古代シュメール人は人類誕生の地から地理的にかけ離れた地域に住んでいた。こうした民族がどうしてできたのかという謎に対し、科学は納得のいく説明ができないのだ。RHマイナス因子の起源は不明だ。有名な遺伝学者ルイジ・ルーk・カヴァッリはこの問題について、「少なくとも2種類の人類創造があった」という説を唱えている。もしこれが本当なら、歴史をすべて書き換えなければならない。

学者たちは口を閉ざしている。本当は過去には、別の民族が地球上に住んでいたのだ。それは、巨人族と呼ばれる人々だったのかもしれない。超古代人の痕跡は地球上のそこかしこに残されている。例えば巨大な人骨が発見されているが、これがきわめて背が高い人類のものであることは明白だ。だが、この真実を言うことも許されない。もし真実が知れれば、人類史が塗り替えられてしまうからだ。我々に先立つ人類が存在し、彼らはわれわれよりも進んだテクノロジーを持っていた。彼らは人間であり、エイリアンではなかった。この人々は大洪水によって絶滅してしまった……。

そこから、様々な伝説や神話が誕生したのだ。神々はすでに先史時代から地球にやってきては人類を苦しめていた……というような内容である。神話に登場する神々とは、もちろんエイリアンのことである。よって、状況は今も昔も変わらないのである。



『闇の世界権力』


加藤  |MAIL