加藤のメモ的日記
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2010年05月27日(木) 日本の伏磨殿

最高裁判所の人事のカラクリ
「最高裁の人事統制がおかしな裁判、不当判決の原因で、怨嗟の的になっています。最高裁はこの統制で浮いた金を裏金にしています。この不正を正してしていただきたく、失礼を顧みず書面をお送りする次第です」なぜ最高裁の人事統制に生田さんがこだわるかというと、そこに日本の司法をゆがめる根本原因があるからだ。

例えば刑事裁判の有罪率99.9%という数字を見ていただきたい。これは検察庁に起訴されたら、奇跡でも起こらない限り有罪になることを意味している。裁判所は被告に有罪の烙印を押す雄ベルトコンベア装置に成り下がっている。足利事件の菅家利和さんのように冤罪で人生を台無しにされた人や、死刑になった人は数知れないだろう。

それも裁判官が真実を見ようとせず検察や最高裁の鼻息ばかりうかがっているからだ。裁判官は良心に基づいて行動できるよう憲法で手厚く身分を保障されている。その彼らがなぜヒラメ(上ばかり見る)裁判官になってしまうのか。正田さんは自らの経験をもとにその原因は「月給(報酬)」と「転勤」をエサした人事統制にあると断言する。

「裁判官の報酬は、ある時期から急上昇するものと、停滞したままの者に分かれ、65歳の定年までに「億」単位の差ができます。また「陽の当たる場所」にばかり転勤するものと「ドサ回り」の者とに分かれます。この二つの操作によって正義とは無縁の裁判がまかり通るのです。

もう少し詳しく説明すると、判事の報酬には1〜8号の区分がある。8号から4号までは誰もがほぼ平等に昇進する。問題はその先だ。任官後20年を経たころに3合以上に上がって行く者と、4号のまま据え置かれる者とにふるい分けられる。4号と1号の差は800万円近くで、これが10年以上続くと1億円以上の開きになる。

裁判官にとっては転勤も重大事だ。東京勤務のまま1号に駆け上がる者があれば、地方支部を転々として単身赴任を余儀なくされる者もある。それも全て最高裁の胸三寸で決まるから。ゴマスリ判決が横行するようになる。問題は、こうした裁判官の昇給や転勤を誰がどのような基準で決めるのか、一切明らかにされていないことだ。そのため疑心暗記が生まれ、裁判官は余計に保身に走ることになる。

そのうえで正田さんはさらに重大な指摘をする。「裁判官を4号から3号に昇給させるためにの予算配賦を受けながら、一部の昇給を遅らせると予算が余る。たぶんそれは年間数億円の裏金になり、学者連中が最高裁批判をしないようにするための工作費になっている」

この推測は的を得ていると思う。最高裁は日本の伏魔殿である。正田さんの情報開示請求の成果でその扉が少しづつ開かれようとしている。


『週刊現代』

上級審で判決がひっくり返ると、裁判官は昇進に響くらしい。


2010年05月23日(日) 食物繊維の効用

ガンを予防する食物繊維の効果については、もう一つの大きな期待があります。それは大腸ガン、肝臓ガンといったある部位のガンだけではなく、全身的に発生する様々なガンに対して、抵抗力を持っているのではないかという期待であり、可能性であって、すでにいくつかのものは抗がん剤として市販されています。

カワラタケから抽出したPSKは抗がん剤として、すでに厚生省から認可されているし、サルノコシカケの制がん効果も民間ではかなり高く喧伝されシイタケ、えのきだけ、クマザサなども注目されて、実験的には制がん効果があがっているといわれます。これら多糖類には抗がん作用があるらしいことがつきとめられています。

乳がんはやはり動物性脂肪の摂りすぎに関連があるといわれています。俗にいう女性ホルモンが元凶とみなされているのですが、その物質は腸内で生産されているのです。腸内の有害、有毒物質を押しだす食物繊維の働きからいって、ここのも大きな予防の可能性を見ることができます。

刑務所では長期受刑者の間で、がんの発生率が極めて低いというデータが発表されました。参考のために刑務所のメニューを聞いたところ、朝食はダイコンの味噌汁とタクアン三切れ、ご飯は麦6対米4のいわゆるモッソーメシ。昼食のおかずは煮魚と納豆とキュウリの酢のもの。夕食はゴボウ、ニンジン、ジャガイモの煮付けと、鳥の皮入りのスープ、キャベツのセン切り。もちろん、三食ともモッソーメシ。食物繊維の摂取量からいえば、実に結構なメニューでした。

受刑者のメニューを取り入れることには抵抗があるかもしれませんが、自由な生活環境の中にいて、モッソーメシを食べよといっても、すぐには受け付けられないでしょう。これは頭で食べなければなりません。いいかえればこの刑務所のデータは知的粗食がガンを予防する可能性を、事実として示してるのだということにほかなりません。ガンだけではなく、食物繊維が成人病を防ぐ効力は、最近の研究によって次々に明らかにされるようになりました。 



『知的粗食の健康法』


2010年05月22日(土) 検察審査会

…新党改革も全くの数合わせの政党だ。郵政民営化推進の舛添要一と、民営化に反対して自民党を除名になった荒井広幸では、まさに水と油であろう。聞けば政党助成金が惜しくての呉越同舟らしい。こんな志の低い政党が成功するわけがない。どうせこんな連中は参院選後のごたごたの中で、自分を高く売り込もうと考えているだけだ。だれが投票するのか知らないが、こんな男が「次の総裁選のトップ」とは国民も目がない。舛添なんてこの程度の男ですよ。

鳩山由紀夫を「不起訴相当」としながら小沢一郎を「起訴相当」とした検察審査会もおかしい。市民目線で裁判で判断すべきとしているらしいが、市民目線なら鳩山の方がもっとおかしいだろう。実の母親から長期にわたって十数億円を受け取っておきながら、「全く知らなかった」という言葉を信じろというのか。しかも有罪になった秘書らは、献金者の名前を勝手に使い、中には個人の名さえ使っていた。小沢を絶対権力者と呼んだが、鳩山は日本の最高権力者である。一人が起訴相当なら、二人とも起訴しろというべきだ。有罪にできそうもないなら、二人とも不起訴が相当だろう。

小沢起訴相当のニュースを受けて鳩山首相は、「私が今コメントすれば、検察の判断に 予断を与えることになるから、何も申し上げるべきことはない」と言っていた。それはないだろう。去る1月、「小沢幹事長、どうぞ検察と戦ってください」と言ったのは誰だ。これは「いざとなったら指揮権発動で助けますよ」の意味か。検察庁を含む全行政官庁のトップにある総理大臣の発言としては、極めて不適切であった。

石原新太郎知事の「与党党首や幹部には、親が帰化した人が多い」などという発言は、日本人はデモクラシーには向いてないということだろう。もし石原さんがニューヨーク州知事だったら、120%辞任に追い込まれただろう。知事の釈明は「差別の意識は全くない」だったが、意識の問題ではなく、あらゆる出自の人が平等な権利を持つ民主主義のコミュニティーであんな発言をしたら、間違いなく糾弾される。それが釈明で済んでしまうし、マスコミもそれ以上追及しようとしないのは、民主主義国家とはいえない。


『週刊現代』


2010年05月18日(火) 将軍が死んだら

もし将軍が死去したら、正室や側室はどうなるのだろうか。正室も側室も共に髪を切って、院号になる。例えば五代将軍綱吉の生母、お玉の方は桂昌院、六代将軍家宣の側室、お喜世の方は月光院の院号を賜っている。正室である御台所は、次の将軍との関係で養母として大奥に残ることもあれば、西の丸に隠退することもあり、その進退は状況によって様々である。

しかし側室の場合は、次の将軍の生母でない限り大奥を出ていかねばならない。新しい住居は二の丸であったり、幕府の御用屋敷だったりする、例えば六代将軍家宣が死去した時には、御台所の燕子(天英院)と次期将軍の家継を出産した側室お喜世の方(月光院)はともに大奥に残って権勢を二分したが、ただの側室だったお須免の方(蓮浄院)は大奥を出て甲府藩の別邸に移っている。

いずれにしても、彼女たちは賜った将軍の位牌をそれぞれの部屋に置き、一生を死去した将軍を弔いながら過ごすのである。とはいえ、正室、側室共にほとんどの場合、20代、30代の若さである。一生幕府から扶持をもらって生活に不安はないというものの、家元に帰るわけもいかず、新たな男を見つけて再婚することもできないわけだから、客観的に女の一生としてどうなのかと考えると何とも理不尽でさ寂しい生涯と思わざるをえない。

従ってお琴の方の”逢引き事件”のようなことが起こっても不思議はないし、その心情に思い入れを持ってしまうという人も多いのではないだろうか。将軍に寵愛された側室は、例外を除いてほとんどの場合、将軍の死後は桜田門の御用屋敷に移った、現在の日比谷公園が、その桜田御用屋敷の跡地である。多い時には千人を超える娘たちが集まり、男子禁制の”女の園”として270年間も続いた大奥。様々な職制があり厳格な規律に守られた身分制度もあって、公家の娘もいれば旗本や御家人など武家の娘もいて、町人の娘や農家の娘もいたわけだが、彼女たちはなぜ大奥へ奉公したのだろうか。

もちろんそれぞれの境遇や身分の違いがあって一概には言い切れないが、御台所といえば三大将軍家光のとき以来、京の公家や天皇家から迎えるのが習わしとなって、その御台所に付き従って下向し、大奥に奉公することになる待女もいた。また将軍の側室になって将軍の子供を産むことを願ったり、側室になることができないまでも、大奥内での出世を望む女もいた。

たとえ器量に自身がなくても、有力な御年寄りに可愛がられれば、将軍のお手のつかない御中膳になって、やがて御客会釈からお年寄りへと出世することも可能だった。一方、そうした出世などは眼中になく、大奥奉公で得た給金を実家へ仕送りするためとか、行儀作法や教養を身につけてより良い縁談を得ようとする女たちも多かった。公家や旗本の娘が大奥に奉公すると「一生奉公」といって一生結婚することもなく大奥に務めなければならなかったが、又者である部屋方は、しばらく奉公してから自分の意思で自由に辞めることができた。従って花嫁修行のつもりで大奥奉公ができたわけである。

町人や農民の娘たちの多くはむしろ腰掛のつもりで気軽に奉公できる部屋方になることを望んでいたというのが本音かもしれない。部屋方の女中は宿下がりなどで外出する機会があったため、江戸市中の人の目にもつきやすく、何かと噂に上がったりもした。たとえほんのわずかの間しか奉公しなかったにしても、いったん務めてしまえば辞めた後は大きな顔で「御殿奉公をしてきた」と誰はばかることなく吹聴することができたのだ。

それほど、当時の若い娘にとっての大奥奉公は憧れであり、誇らしいものであったのだ。茶の湯や生け花、香合わせ、和歌、琴、踊りなどを通して、人間的にも成長する機会に溢れているのが大奥だったといってもいいかもしれない。従って、裕福な町人や豪農の娘は、何年間か大奥で女中奉公をして高等教育を身につけ、その上で良縁を得ようとしたのである。言葉は悪いが、当時の娘たちにとっての大奥奉公は「玉の輿」に乗るための、通過点だったと言えなくもない。


『大奥』


2010年05月13日(木) 明治の指導者は気概の人たち

井上薫は青年時に密航してマルセイユに上陸し、西洋の港や市街を見た時の感銘を終生忘れることがなかった。三井財閥の強化も、日本郵船の発展に尽力したのも、欧米との競争を考えれば、日本のために必要と見たからだ。新聞は毎日のように「井上は財閥から金をもらっている」と書きたてたが、当人はそんなことを少しも気にかけなかった。

その代り彼は毎日、イギリスの新聞だけは人に翻訳させて読んでいた。イギリス人たちが日本のことをどのように報じているかを知るためであったと言う。つまり、井上にとって自分に対する世間の評判などどうでもいいのである。それよりも日本に対する世界の評判のほうがずっと大事だという感覚が彼にはあった。

しかるに昭和から現代に至るまでの指導者で、井上のような感覚を持った人ははたしてどれだけいたであろう。昭和の軍人たちにとって重要だったのは、何よりも軍隊組織における自分の評価であって世界がどう思おうが関係ない。満州事変などを見て世界中が眉をひそめたことなど、お構いなしである。

また戦後の政治家で自らの評価より、世界における日本の評判ということを大事にしたのは、おそらく吉田茂首相くらいではないか。こうした井上のような精神を”気概”と言う言葉で表現してもいいのであろう。大目標のためには、潔く個人のことを捨てる。それが”気概”である。井上に限らず。維新の元勲たちが皆”気概”の持ち主であった証拠として、私は彼らが唯一人として自分の実子を政治家にしなかったということをぜひ記しておきたいと思う。

明治維新以前の日本は、言うまでもなく世襲が当たり前の世界であった。殿様だろうが、百姓だろうが、皆自分の子を後継ぎにしていたのである。そのような時代からまだ何十年もたっていない。もしも彼らが元老の地位を子供に譲りたいと思えばおそらく、それは許されたであろう、常識というのはそうそう変わるものではないからだ。

だが、彼らははあえてそれをやらなかった。というのはやはり「世襲をやっては、、旧幕時代と変わらないじゃないか」という思いがったからである。こうした彼らの姿勢を見て「そんなことは当然じゃないか」と思うのは勝手である。だが、革命をこした人たちが権力を握ると、とたんに”先祖返り”をしてしまうというのは、枚挙に暇がない。

北朝鮮の世襲体制はその最たるものだが、ソ連や中国においても共産革命が成就すると指導者はアッという間に皇帝になり、その一家劔族までが栄華を極めるようになった。そのような誘惑をを拒否して、自分の子供に権力を譲渡しなかったということだけを見ても、やはり明治機維新の指導者たちが”気概の人”たちであったということはわかると思うのである。





『渡辺昇一の昭和史』


2010年05月10日(月) クジラと日本人

そもそも商業捕鯨が必要というのであれば、日本側は科学的根拠のある調査データを示し、国際社会の納得させる必要があります。ただ、文化の違いにあぐらをかいていては、世界中の科学者たちが首を縦に振ることはない。問われるべきは水産庁の姿勢ではないでしょうか。長年にわたる調査捕鯨の活動経歴を明かし、なぜいまだに科学的資料が揃えられないのか、まずは国民にきちんと説明すべきです。それができない限り反捕鯨国どころか。いつしか国民の理解すら得られなくなってしまうだろうと推測する。

素人の私に学術的な評価はできませんが、現在の水産庁や関係各所の姿勢を見ていると、学術調査とはたんなる名目にすぎず、水産庁の担当部署や外郭団体、さらに調査捕鯨の関連会社、研究機関を存続させるだけに動いているとしか思えないのです。

82年にIWCで禁止が採択された商業捕鯨だが、日本は87年から調査捕鯨として捕鯨を継続している。要する費用は年間60〜70億円程度。そのうち、補助金など約10億円は国庫から支出されるものの、残りは捕鯨した鯨肉の売却益で賄っており「調査捕鯨に名を借りた商業捕鯨」という指摘がある。調査捕鯨を行う財団法人「日本鯨類研究所」は10名の理事のうち理事長を含め3名が水産庁出身で、”天下り批判”もある。

今の調査捕鯨の仕組みは、例えばかっての道路特定財源などの枠組みと同じようなものではないでしょうか。道路の場合も整備するための財源など、ある時期から必要なくなっていたはずなのに、そこにぶら下がっている政治家、役人、企業があるから、何としても既得権益を守ろうとした。調査捕鯨も既得権益化している匂いがある。

日本の食が内包する問題はクジラだけにとどまりません。むしろ本質的な危機はもっと根深いところにある。ご存じのように、日本の食料自給率は4割にとどまり、肉、魚、野菜から、味噌、醤油などの加工食品まで、原材料のほとんどは輸入に頼っているのが現実です。輸入食品なしには日本人の食は一日として持たないという指摘さえあります。

日本のマグロ輸入量は70年の約2万6000トンから、ピーク時の02年には約33万トンへと、この30年余りで10倍以上に膨らんだ。ここ数年はマグロの漁獲量規制などもあり減っているが。それでも20万トン近い輸入量がある。世界のマグロの約25%が日本市場で消費され。特に今回問題となったクロマグロの消費率は、約80%を占めている。

日本は人口も減っていくし、国民生産も減っていく、さらに、産業構造の転換もうまくいかないとあっては日本経済はこの先、右肩下がりで衰退せざるをえません。95年に57億人だった世界の人口は現在69億人。2025年には80億人、2050年には91億人に達すると推測している。

■マグロの数え方
体長3メートル、体重400キロほどもある巨大魚のマグロだが、数え方は様々、海中を泳いでいるときは1匹。船上に引き上げられれば1本。また寿司屋などで解体され、半身となった時には一丁。最終的に口に運ばれる際は一貫、一切れとなる。


『週刊現代』 高村 薫


2010年05月07日(金) 舛添要一

「舛添要一」という男の本性 「小狂気」が人気を得ることも

彼は新党を作って、一体何をしようというのでしょうか。金のかかる政治との決別、憲法改正、日米安保を基軸とした外交・安全保障。掲げる政策を眺めてみても、どれも自民党がやろうとしていることと変わりはない。目新しさは何もありません。なぜ外に出てそれをやらなければならないのでしょうか。

例えば、新党は道州制を導入するとも謳っています。しかし彼が自民党で道州制の論議を先導したとか、実現に向けて汗をかいたとか、そんな話は聞いたことがありません。何をいまさら道州制と言い出すのか、理解に苦しみます。社民党の福島みずほさんや、国民新党の亀井静香さんは小党といえども党首であり、テレビに映る機会が多い。結局、彼も党首になりたかっただけではないでしょうか。利用できるものは何でも利用する人でしたから。私との結婚も、大蔵省の女性キャリアという私の肩書・立場を利用したかっただけなんだろうなと、今改めて思います。


片山さつき氏は、東大法学部卒業後、大蔵省(当時)に入省。女性初の主計官として注目を集め、15年、代議士に転身、昨年の総選挙で苦杯を嘗めたものの、今夏の参院選で捲土重来を期している。大蔵官僚時代の86年、東大助教授だった舛添氏と結婚、後に離婚している。両者の夫婦関係はわずか2年強で終焉を迎えた。だが事実上、結婚生活は始まりとほぼ同時に「破綻」していたという。


近藤鉄雄先生(大蔵省OBの元労働相)に紹介されてのお見合い結婚でした。私が27歳の時のことです。今と違って、当時は27歳にもなれば女性は結婚するものだという風潮があった。役所は保守的なところですからなおさらです。そういった時代でしたから、実は彼の前にも2回ほどお見合いの話があったんですが、私は結婚しても仕事を続けたかった。当然、帰りが遅くなることもある。それを知ると「ちょっと考えさせと」といわれ、二人ともお見合いにまで至らなかった。そんな折に紹介されたのが彼でした。

「自分の同期や教え子には官僚が沢山いて、生活パターンは熟知している、いくら遅く帰ってきても構わない」彼はこう言ってくれました。男性の権力が圧倒的に強い時代でしたが、仕事と家庭の両方を支援してくれる人もいるんだな、この人は「希少価値」があると思った。仕事を大切にしていた私にとって、彼のこの言葉こそが結婚を決意させた要因でした。最初はソフトな印象だったんですが……。

お見合いの場合、特に恋愛の期間がなくても結婚するものだと当時は思っていました。それに、相手が一回り年上で、一応自分が卒業した大学の助教授、しかも役所のOB政治家の紹介ということで、迂闊にも信用してしまったんですね、結婚前にこんなことがありました。ある日、私に何も知らせず、彼は夕刊紙の記者を連れて来たんです。そして、彼との結婚話が一面で報じられた。

保守的な役所の世界で生きていたにも拘わらず、関係者への挨拶の段取りを、私はすっとばす形になってしまったわけです。官僚としての私の立場を全く考えていない。彼は、女性キャリアとの結婚という「ニュース」をやはり利用しようとしたんですね。

 ただただ、怖かった

慌しく始まった結婚生活ですが、「平穏」だったのは最初の数週間だけ。そして彼は2か月で「約束」を反故にしました。「遅く帰ってきやがって!」突然彼は怒り始めたんです。仕事で遅くなっても終電やタクシーで、日付が変わる前には帰宅しようと努力していたんですが……。いきなりキーッとなって、理由もなく怒鳴る。一方的にまくし立てて。私の言うことは一切聞かない。話し合いにすらなりません。

その辺にあるものを手当たり次第に投げつける。後の話ですが、炊飯器の上蓋が割れていたことも。またある時は、サバイバルナイフなどいくつものナイフを私の目の前にズラーッと並べた。彼はナイフの収集が趣味だったんです。しかも、そのうちの一つの刃先を私に向けたことまであります。充分過ぎるほどの威嚇行為でした。今でいえば「DV」ということになるんでしょうか。

彼は体も大きいし、わーっと大声で責め立ててくるので怖かった。ただただ、怖かった。着の身着のままタクシーで浦和市にある実家に戻ったこともあります。結局結婚から3か月ほどで、弁護士に離婚を相談しました。すると、弁護士の調査で彼には愛人が、そして彼女が妊娠中であることもわかった。でもすでにその時は、不倫の事実を知っても何も感じませんでした。とにかく、一日でも早く別れたい、離れなければ―

それだけを考えていました。「出ていけ、出ていけ」とギャーギャー騒いでいる人の横では、寝ることさえままなりません。今思うと、愛人ができたから、私を早く追い出してしまいたかったんでしょうね。完全に向こうの都合です。私から離婚調停を申し立てて、正式に離婚が成立したのは結婚の2年3ヵ月後でした。

時間をかけたのは、世間体の考えてのことにすぎません。実際は、延べ半年間も同居していません。調停にしたのは、籍を抜きたいと言っても向こうが話し合いに応じなかったことと、離婚の原因は彼にあることを、はっきりとさせたおきたかったことが理由です。

10歳以上も年下で、しかも社会での女性の地位が今と比べものにもならないほど低かった当時、彼は私にとってとにかく「暴力的」でした。弱きに強い人―。彼との結婚生活を振り返りながら、そんなことが思い出されます。本当に申し訳ないんですが、良い記憶はない。恐怖のみ、それ以外何も感じませんでした。まぁ、相性が合わなかった。よく調べもせずに、結婚した私も軽率だったとはいえば、それまでですが……。勉強と役所しか知らない「おぼこ娘」でしたから。



『週刊新潮』 片山さつき 


2010年05月04日(火) 懲りない奴ら

「盗んだ車を銀行の入り口近くに停めましてね。入る時間は決めてあって、午後一番がお客も少ないから、午後一時に入ろうって…そうやって、一つきっかけを自分に強いて決めてかからなくちゃ、やれないですよ。ところがやっぱり尻込みしちゃうんです。車からなかなか出ていけない。行こうと思うと、婆さんが店に入っていくのが見える。ああ、あの婆さんを驚かすのは可哀想だから、あれが出て行ってからにするか…とか。

また行こうとしたら、今度は小さな子供を連れたお母さんが入って行っちゃった…。やっぱり内心、本音ではすごく怖いんだよね。だから自分で自分にあれやこれや、いろいろと言い訳をしちゃう。…それで、マスクに厚着ですから汗びっしょりで、とうとう〈もうやめた!〉って車を出しちゃった。やめたやめた、今なら無理すればどこからか借りることもできるんじゃないか…って。

そうして戻る途中、喉が乾いてきたんで車を止めて、自動販売機でジュースを買ったんです。それがたまたまくじ付きの販売機でね、これが大当たり。気がつくと、もう一本ジュースが出てきてる。その時思ったんですよね。こんなこと滅多にないんじゃないか…って。

その瞬間、私、別人になっちゃいましてね。その大当たりに背中を押されたっていうか、それで吹っ切れたというか、そのまますぐ車に戻って、来た道を引き返して。もう、何の迷いもなく銀行に乗り込んで行きました。『伏せろ!』って叫んで、拳銃天井に向けてバーンってね。あれ、映画なんかだと心境を描写するのに、周りの音がなくなって心臓の鼓動だけがとくとくとか、時計がチクチク鳴っていたりするけど、現実にはちょっとそういうものとも違うんだなあ。

ただ、スローモーションフィルムのように、周りが止まってるみたいには見えた。それで自分の声だけが、自分の中でものすごく反響するんですね。ただ、拳銃の音ってけっこう小さくって、豆まいたような音しかしないんですよ。だから最初、銀行員もポカンとしてる。しょうがないから今度はカウンターを撃ってやった。パーンって弾けるわけ、それで『伏せろ、この野郎!』って言ったら、今度はみんなバーッて伏せましたね。ベル押す奴なんか誰もいない。

客は床にべったりだし、行員もカウンターやテーブルに突っ伏してる。それじゃ強盗にならないんで(笑)、行員に拳銃突きつけてビニール袋突き出して『これに早く金入れろ!』って言ったら、いやぁ、早い早い。ビデオが高速回転してるみたいに金を突っ込むわけ。札だけじゃなく小銭まで突っ込もうとするから、『バカ野郎、それじゃ重くて俺が持って帰れねえじゃないか!』(笑)って叫んだら、その行員、『すいません、すいません』って平謝りしてましたね。

「警察が乗り込んできたのは、3回目から1年ぐらいして突然だったね、今だから冗談のように言えるけど、ああして警察が来なかったら、またやってたかもしれません。やっぱり人殺した奴の心境と似ていて、一人やっちゃえば、後は何人やっても同じ見たいな。でも最近の4〜5人で現金輸送車襲ったり、人を殺したりというのは、まあ、銀行を襲った人間が言うのもなんだけど、ホント、やり方がひどいですね。

ただ金目的だけだし。それに何といっても工夫が足りない(笑)それで人殺したうえに銀行から新聞を切った偽札掴まされて無期や死刑になっちゃったドジもいる。ああいうのは、経験者だから言うわけじゃないけど(笑)あんまり金に汲々として、金欲しい、金欲しいでやると失敗するんですよ。

まだ余裕があるうちによく考えて行動しないとね。刑務所にもいましたよ、一文無しで包丁持って郵便局に押し入って、30万取って懲役10年ってのが。それと、単独犯じゃなくちゃ。人を当てにしてたら、実際、あんなにうまくいきませんよ」

「ムショ内の仕事って何から何まで囚人がやらされるんです。メシ配るのからシモの世話まで。なにしろ、死体の処理まで囚人がやらされるんですから。中では自殺が多くってね。無期懲役で、つまんないことで摘発されて仮釈放取り消しになった…なんて人が自殺しました。一番多いのは首つり。その死体を下ろすのから、後始末までやるのは囚人ですよ。看守は何もやらない。ただ偉そうに指示して見ているんです。…中で一番のエリートのやる仕事は図書。黒い霧事件の吹原広宣なんかやってましたね」

「チンコロって密告専門の奴がいるんです。担当もそういうの飼ってたりしましてね。それと話をデカく吹くう奴も多くて。みんな自称やくざの大物になっちゃう。俺は何々組のナっバーツーだとか、俺は右翼の大物で笹川良一の側近だったとか。でもそいうのって、だんだん聞いているうちに見抜けますからね。

実は側近じゃなくて、単に笹川の運転をちょっとやってたことがあるだけとか、…郵便局や銀行襲っても20万じゃカッコ悪いから200万に上乗せしたり、私はそんなことをしてませんよ(笑)やっぱりああいう最低の世界へ行っても、その中でも少しでも上のほうに行きたいと思うんですよね。だからついつい、ホラ吹いちゃう。そういうのが多い中で、ちゃんとした奴見つけて、選んで仲良くなるのって難しいですよ」



『実録 刑務所暮らし』


2010年05月01日(土) 酢タマゴ

「酢タマゴ)は市販のものもありますが、簡単に作ることができますから、私は自分で作った酢タマゴを使っています。酢タマゴは生卵で作ります。まず、からをつけたまま水で洗ってきれいにします。そして、適当な容器に殻をつけたままの卵を入れて、そこに醸造酢を注ぎ込みます。酢の量は卵がひたるぐらいです。私は一度に二個の卵を使います。

酢を注いだら蓋をして、4,5日間そのままにしておけば、殻はすっかり酢に溶けてしまい、殻の内側の薄皮と黄身、白身だけが溶けずに残ります。この薄皮は捨ててかき混ぜます。これて酢タマゴの出来上がりです。私はゆでタマゴの殻が残っていたら、それも一緒に入れて酢を注いでいます。この殻もいっしょに溶けてしまいますから、それだけカルシウムが多くなるというわけです。

酢は保存が聞きますから、酢タマゴも長く保存しておけます。私は一度に卵二個で酢タマゴを作っておいて、残りが少なくなったら、また新しく酢タマゴを作って、切らすことのないようにしています。酢タマゴが体にいいことは昔から知られていることです。最初は酢タマゴだけ飲んでいました。卵のせいか、それともタマゴの殻のせいか、酢タマゴそのものは酸っぱいものではありません。漬けている間に酢の酸味がとんでしまうようです。従ってそのまま飲むこともできますし、他の食べ物や飲み物に混ぜても、そんなに気になるものではないのです。

ゴマはいろいろな効果があるそうですが、髪の毛にもいいといわれていますから、私の頭に今も黒いものが残っているのは、特製ドリンクに入れている黒ゴマのおかげでしょう。98歳になってもまだ髪の毛に黒いものが残っているのは、特製ドリンクに入れている黒ゴマのおかげでしょう。

、また髪の毛だけで泣く、皮膚の色つやも年齢の割にはいいようです。顔のどこにもシミは出ていません。シミがないのは何が原因かわかりませんが、酢タマゴはシミを消す効果もあると昔から言われていますし、やはり特製ドリンクの効果ではないでしょうか。

80代、90代の人間がスキーのできる体力を維持するためには、どんな食生活をすればいいか。そんな質問をされて間違いのない答えを出せるという自信がある人がどれだけいるでしょうか。質問されて、まず最初に考えるのは、この年齢ではスキーをすること自体考え直したほうがいいのではないかということでしょう。

10人の人に質問したとしたら、10人全員がそう答えるでしょう。しかしそれでは私が、求めている答えは得られないことになる。私はスキーがしたいのです。スキーを続けるためには何をすればいいか、それが知りたいのです。

●和製ドリンクの作り方
クロすりゴマ中さじ2杯
きな粉   中さじ2杯
テンサイ糖 小さじ1杯
酢タマゴ  中さじ5杯
ヨーグルト甘くないもの 大さじ1杯
牛乳    コップ1杯 
以上をよく混ぜ合わせる。

●酢タマゴの作り方
�‐�さいガラス容器の中にタマゴをひたひたの酢に入れる。
��4〜5日で殻が溶けた後、薄皮をとってかき混ぜて出来上がり。


酢タマゴとは古代ギリシャの医学者で医聖と仰がれるヒポクラテスは、回復期の患者に酢タマゴを飲ませたと記録に残っている。酢タマゴは殻を割らずに殻ごと酢に漬けておいて、殻が酢に完全に溶けてからかき混ぜて飲むもので、古くから民衆に用いられてきた。保健飲料として愛用されていた。

15〜16世紀のころ、ヨーロッパの国々の商船や軍艦は、長い航海にさいして、ビタミンCの不足を補うため、クエン酸を豊富に含むレモンを大量に積んだといわれ、またその代用品として野菜や果物を漬け込んだ酢を用いていた。

また、生野菜に食用酢を混ぜたドレッシングをかけて食べるサラダは、600年以上の歴史を持ついといわれる。18〜19世紀の馬車が蒸気機関に移行する時代のヨーロッパは、旅行者はいつも酢を身辺から離さなかった。日本のようには容易に良質の水が得られないから。水を飲む時は必ず酢を垂らし、ノドをうるおした。酢を垂らすと水の味も良くなった、伝染病感染を防ぐ消毒薬としても酢への信頼感は強く、多様な使い方がなされていた。



『98才元気の秘密』


加藤  |MAIL