加藤のメモ的日記
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2009年08月26日(水) 砂漠から来た大財閥

インドを旅して帰ってくるとものの見方が変わり、人間が変わるとよく言われる。インドといえば大方の日本人はガンジス河の沐浴とか、古いカースト制度の残る貧しい国といったイメージを思い浮かべるだろう。あくせくとした西洋的な価値観とは無縁でその日暮らしの貧しい人々も、どこか哲学的な顔をして、悠々とした時間の流れに身をまかせている。そんな憧れをもっているかもしれない。

しかし実際にインドの政治・経済・社会とった現実に目を向けてみると、その途方もない巨大さと多様性に驚くことになる。インドはアジアの大国である。インドの人口は中国に次いで二番目である。約45年後は中国の人口を追い越すといわれている。そしてヒンズー教の教えもあってか、子供の数を減らそうという政府の人口政策もままならず、現在でも急速な人口増加が続いている。これはインドから貧困や失業問題がなくならない大きな理由の一つだといわれている。45年後には世界一の人口になるだろうといわれている。
インドはアジアの大国である。人口は中国に次いで世界第二位である。約40年後には中国を追い越すといわれている。そしてヒンズー教の教えもあってか子供の数を減らそうという政府の人口政策もままならず、現在でも急速な人口増加が続いている。これはインドからなかな貧困や失業問題がなくならない大きな理由の一つだといわれている。

第二にインドは多民族国家である。インドの公用語はヒンズー教と英語だが、全インドでは20以上の言語が話されており、宗教もヒンズー教のほかにイスラム教。シーク教、キリスト教、仏教、ジャイナ教、ゾロアスター教など、様々なものがある。ヒンズー教徒はインド人口の八割を占めるが、宗教間の紛争が後を絶たないのは、北部パンジャブ州で続くヒンズー教徒とシーク教徒の激突である。

一方でインドは巨大な潜在能力を持った国である。石炭、鉄鉱石、マンガンといった地下資源は世界有数の埋蔵量を誇る。石油も近年ボンベイ沖に大油田が開発されている。通信衛星や原子爆弾もつくる技術も持っている。また農業の生産額は世界第四位と、世界有数の農業国でもある。

だが、私たちの訪れたインドは貧しかった。人口1.000万人のカルカッタでは、およそ三割の人々がスラムで暮らし、その日の食べ物にも事欠くような生活をしていた。街角では物乞いをする人々もよく見かけたし、住む家かがなく路上で寝起きする人たちもいた。もちろん現在のインドでは都市を中心に中産階級も台頭しているし、貧しい農村の暮らしも改善されてきてはいるが、いまだに貧富の差は厳しい。

カルカッタは昔から綿花や麻の取引で繁栄してきた商都である。このカルカッタの中心にビルラ財閥の本社ビルディングがある。。15階建てのこのビルの中には、ビルラの主要企業がヘッドオフィスを構えている。ビルラグループももともとは綿花やジュートの商売から発展したが、現在では繊維関係にとどまらず重化学工業を中心にセメント、アルミニウム、自動車、電子機器から紅茶の生産に至るまで、国内の産業のほとんどの分野に事業を拡大している。

ビルラグループの中心人物、ビルラ会長は13階の特別フロアにある会長室で、二人の男性秘書に手紙の口述筆記をしている最中だった。ビルラ会長は渋いスーツがよく似合うスタイルのいい紳士といった感じで、男性秘書に矢つぎばやに繰り出す指示や、ホットラインで結ばれた全国の工場との電話のやり取りなどを聞いていると、彼が並々ならぬ実務者であるということだけはうかがわれた。

ビルラ会長は私たちのインタビューに対し、次々と企業の多角経営、複合化に乗り出していることについて、経営のリスクの分散のためであり、時々の政権によって国の産業政策が次々に変わるインドのような国では、一つの分野に固執していては事業の拡大は望めないのだと答えた。

このようにビルラグループは、最近では積極的に海外でのジョイント・ビジネスに乗り出し東南アジアやアフリカを中心に、20近くの現地企業を設立している。国内産業の大半の分野を支配している。

……

一年あまり前に準備を始めた今回のシリーズでは、当初、数カ国の指導的家族や財閥を対象にリサーチした。そのうち最もテレビのドキュメンタリーとして適当と思われたのが、マレーシアのセランゴール州サルタン家、フィリッピンのアヤラ財閥、インドのビルラ財閥であった。テレビカメラを通して自らの生活を白日の下に晒すのは、彼らにとってはマイナスになれこそプラスにはならない。しかし、幸いなことに取材の対象として最善と考えた三つの家族との気の長い交渉が実を結び、いずれの家族も取材を快諾してくれた。ここで三つの家族の横顔を簡単に紹介すると、

マレーシアのセランゴール州サルタン家は、マレーシアの9人のサルタン家の中でも最も豊かで、また保守的なグループに属する、サルタン家はイスラム教を信じるマレー人社会の伝統的な指導者であり、近代社会にあってもその伝統が影響力を残している。サルタンの息子たちはみな華僑の実業者と共同でビジネスを行ない成功している。サルタンの伝統的権威とは何か、そして、その権威が現代のマレーシアにあってどう生かされているか。息子たちの王室ビジネスを中心に描いた。

フィリッピンのアヤラ財閥は、フィリッピンの中で最も歴史の古い、しかも最大の財閥である。アヤラ家は、一部にドイツ系の血も交じってはいるが、スペインの血と伝統を守り抜いている。植民地の時代は終わっても、旧宗主国とアジアの国々の愛憎関係(アンビバランス)は今も続いている。そうしたアジアの現実をアヤラ家で見るのが狙いでもあった。アヤラ家の取材では、偶然、去年12月の一部反乱軍によるクーデター騒ぎが発生し、しかも反乱軍兵士がアヤラ家のお膝元、マニラのマカティ地区のビジネス街にたてこもるという事件にも遭遇した。政治と無縁ではいられない経済人の生きざまにも迫ろうとした。

インドのビルラ財閥は1857年、セポイの反乱(反英運動)を機に、インド西部の砂漠の州、ラジャスタンを出てポンペイ、カルカッタに進出したマルワリ族の代表である。マルワリ族はインド各地に展開し、ラジャスタンの隣のグジャラート州出身の経済人とともにインド経済界を二分している。ユダヤ人に比すことが可能なくらいマルワリ商人は団結が強い。

ビルラ家は先代のG・Dビルラが独立の父ガンジーの資金的なスポンサーでもあった。政府の統制色が強いインドにあって、政府との緊密な関係を利用しビルラ家は事業を拡大してきた。民族のエトスと経済人の現実を伝えることに主眼をおいた。また、三つの家族はイスラム教、、ヒンズー教の敬虔な信者でもある。それぞれの家族の肌合いの違いには、民族の差とともに宗教の違いによるところが大きい。


『アジアの知られざる帝王たち』


2009年08月22日(土) ピラミッドの呪い

エジプトで発掘調査にあたる考古学者の間には、「ファラオ(古代エジプトの王)の呪いに注意せよ」という暗黙の教訓が伝えられている。たとえ研究目的のためとはいえ、王の墓をあばいた者は安らかな死を迎えられないというのである。ほぼ完全な状態で発見されたツタンカーメンの墓は、彼の死後初めてあばかれたことになる。しかも、墓の入り口には、「墓に触れる者には死が訪れるであろう」という言葉がくっきりと刻まれていた。

そしてその言葉通り、呪いはまずカーナヴォン卿に襲いかかった。発掘の四ヶ月後成功を喜び元気いっぱいだった彼は突然全身をワナワナとふるわせ高熱にうなされながらあっけなく息を引き取った。57歳。まだ若い死だった。しかも、「彼の呼ぶ声が聞こえる。私は行かなければ」と奇妙なうわ言を言い続けたというのである。

呪いはこれだけではすまなかった。その数ヵ月後、今度はカーナヴォン卿の兄が突然精神錯乱で死亡。義母も虫刺されという信じられない原因で死亡。発掘時の助手を務めたリチャード・べセル、その父のウエストベリー卿、ツタンカーメン王のミイラのレントゲン撮影をしたサー・アーチボルト、棺の撮影をしたカメラマンのフランク・ロ−リーが相次いで事故死、発掘の先頭に立ったイーブ・ホワイトの自殺。

何とわずかな期間に発掘関係者の23人もが、黄泉の政界に引き込まれたしまったのである。さすがにこのような呪いに恐れをなした発掘者のハワード・カーターは新天地アメリカに移住、というより、逃げ出した。しかしファラオの呪いは国境など軽く越えてしまい、カーターはその数ヵ月後、アメリカで不慮の死を遂げている。

この後もさらに、ツタンカーメン展を企画した者が次々と急死していったのだ。

これほど多数の関係者が、発掘後ほどなく死を迎えたことはない。だが、記録に残っているかぎりでは、ツタンカーメン王の墓ほど完全なまでに発掘されたケースもないのである。ファラオの呪いは三千年の時空を超えて、効力をもつものなのだろうか。



「世界遺産 封印されたミステリー」


早稲田大学の教授が、ピラミッドの発掘を行っている様子がテレビで何度か放送されている。彼とその関係者には呪いは届いていないのだろうか。


2009年08月14日(金) 日本が戦争に負けたもう一つの理由

かって鹿島建設の副社長を務めていた佐用泰司という方の「基地設営戦」という本がある。この本には第二次世界大戦のとき、彼が海軍設営隊の隊長としてニューギニアへ赴き、そこで航空基地の設営にあたったことが主に書かれている。現場で直接働いていた彼によると、日本は最終的に戦争に負けただけでなく、航空基地の建設においてもアメリカに負けていた、という。

単純に考えれば日本は技術の差でアメリカに負けたと思うだろう。確かに当時の日本にはブルドーザーやスクレーパーをもつ技術がなかった。せいぜいツルハシとモッコ、トロッコ程度だった。だが日米両軍の基地建設競争で日本がアメリカに負けた本当の原因は、技術の差ではなかった。

米国海軍は日本海軍と同じく開戦前後に基地建設を担当する「設営隊」の編成に着手している。スタートは同じということだ。しかし日本には決定的な「発想」の違いがあった。米国海軍は基地建設といった土木工事を担当するのは専門的な技術を身につけさらにその業務に習熟した民間人を起用するのが最適という常識的な判断を尊重した。

それに対し日本海軍は基地建設といった専門知識の必要な分野であっても、それを担当する部隊を指揮するのは、海軍兵学校を卒業した兵科士官でなければならないという、伝統的な発想に固執したのだ。米国海軍は、「設営隊」の指揮にあたる士官には、一般の大学で土木工学、建築工学を専攻し、民間の建設会社で土木工事、建設工事を担当してきた現場経験のある技術者を任用した。また、下士官には同じ民間企業で職長あるいは熟練工として働いた人物を採用した。

ところが日本海軍では設営隊の指揮官には兵科士官、その補佐役として一般の大学を卒業して海軍に入った予備学生を採用した。つまり日本は民間での土木工事、建築工事の実地経験者を高く評価するよりも、海軍での経歴を評価したのだ。

また日本海軍が基地建設競争で負けたもう一つの原因は、どこに航空基地を設定するかという重要な問題を検討する時にもあった。基地建設の場所を決めるには現地の状況、つまり用地が平坦か、乾燥しているか、土質が硬いか、それとも柔らかいかなど、土木工事の効率を左右するするような具体的なデータを調査しなければならない。だが日本海軍は、こういう手続きは一切無視して航空機で現地の上空を偵察するという簡単な手段をとるだけで結論を出してしまった。

その結果、実際に現地で建設作業を開始した時には、予想外の困難な条件に直面し、せっかく大量の建設機械を投入しても、作業がまったく進行しないというケースが多発したのだ。もともと経済が弱い日本だから、基地建設に必要な建設機械だけを考えてみても、米国よりも極端に不足していたはずだ。その上さらに肝心の基地の建設地点の選択を失敗したとすれば、乏しい資源を無駄使いしたと非難されても返す言葉はないだろう。

同じように、日本海軍が米国海軍に基地設営のみならず、戦争に完全に敗北した理由は単なる物質の差だけではない。確かにもともと軍艦の数も航空機の数も、生産力の弱い日本が米国よりも劣っていたのは事実だ。しかし第二次世界大戦の経過を見れば個々の海戦で米国海軍よりも優秀な兵力を投入しながら、日本海軍が敗北したケースも少なくない。

つまり経済力、兵力の差もさることながらその使い方の差、すなわち指揮能力の違いが勝敗を決定する要因になったのである。要するに日本は古い常識にこだわってしまったのだ。古い常識にこだわった故に失敗した。硬直した考え、古い常識へのこだわりが新たな発想を拒み、それが結局日本を敗北に追いやったのだといえるのだ。



「情報力」


2009年08月11日(火) ストレッチングとは

ストレッチングとは、筋や健、あるいは関節を”引張って伸ばす”ことをいいます。人間は筋の収縮体を動かしています。歩いたり走ったり、投げたり跳んだりなどの動作はすべて筋が収縮することによって可能になります。そして意識的に体を動かさなくても、座っているだけでも立っているだけでも、筋は収縮しています。筋は、スポーツやウエィトトレーニングなどによる激しい収縮によって発達します。ただ、過度に収縮を繰り返すと、筋硬縮と呼ばれる固い状態になり、筋の特性である伸びたり縮んだりする柔軟性を失ってしまいます。

固く柔軟性を失った筋は、切れやすくなるため、筋断裂などケガの原因になります。また硬くなった筋は血管を圧迫し変形させます。その結果老廃物がたまりやすい、疲労がとれにくいといった弊害が起こります。肩こりや腰痛などはこれが原因です。そこで硬くなった筋を伸展させ、筋に弾力性と柔軟性を取り戻すためにストレッチングが重要になるのです。

身体運動による筋肉の収縮の連続は、筋を硬くし柔軟性を失わせてしまいます。柔軟性を失った筋は関節が動く範囲を狭めます。関節の動く範囲が狭くなれば、少し無理な動きをしただけで筋に大きな負担がかります。ただでさえ硬くなった筋に急激に大きな負担がかかるわけすから、筋断裂などの障害に結びついてしまうのです。とくにスポーツの場面では、自分が予測できない動きをとらなければならない時や、急激に大きな力をかけられたりすることがあります。このような場合に、ストレッチングによって筋や関節に柔軟性を持たせておけば、それらを損傷することなく様々な突破的な動きに対応できるのです。

またぎっくり腰の多くは、腰周辺の筋群、とくに下背部に疲労が蓄積した状態で発生するといわれています。ぎっくり腰は決して思いものを持った時だけに起こるのではなく、たとえばくしゃみをしたり、少し腰部をねじったりしただけで発生することも多くあるのです。これもストレッチングで、常に腰部の筋群の柔軟性を保っておけば予防できます。

スポーツマンにとって、筋や関節の柔軟性は非常に重要なことです。疲労が蓄積して柔軟性が失われた筋は、関節の可動域を狭め、体の動きを制限してしまいます。ストレッチングによって、常に柔軟で弾力性に富んだ筋や関節を維持することが、コンディショニングのたい切な要件です。ストレッチングによって筋に柔軟性を与えることは血行を良くし、疲労を回復させることにつながります。つまり、血液の循環を促進し、静脈環流を補助することによって、疲労物質を体外に運び去り、酸素や栄養物質を筋組織の中に送り込んでいくのです。


「ストレッチング」


2009年08月03日(月) 石川 遼

石川が優勝すれば、初の賞金ランクトップに躍り出る可能性が出てきた。現在の獲得賞金額が約3176万円の石川はランク9位。今大会の優勝賞金3000万円を加算すると、ランクトップで獲得賞金額が約5924万円の片山晋呉を抜く計算だ。しかも片山も今大会に出場しており、順位によっては抜けない可能性もあるという。単純計算で片山が16位以下になれば、石川がトップになる。

石川自身はまだ計算ておらず「いまはじめて言われました。ミズノオープンで優勝するまでは、はっきり把握してなかったけど賞金ランク60位前後でしたし」とはなしていたが「いままで一瞬でも賞金ランク首位になったことがないのでチャンスはチャンスですね」と虎視眈々。

その先に目指すのは史上最年少賞金王だ。昨季は獲得賞金1億円を突破して堂々のランク5位に入った。石川は「去年の経験で1年間を賞金ランク上位で終わるのがどれだけ難しいかということはわかっている」と気を引き締めているが、快挙への期待は高まるばかりだ。



九州スポーツ8月2日


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