加藤のメモ的日記
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2009年07月30日(木) 底打ち

「底打ち」とは、最悪期を脱して回復基調に入ったという意味です。単に最悪を脱した「底入れ」より強い表現です。日本政府は先月底打ちを宣言しましたが、アメリカがまだ底入れは近いかといっている段階で、外需依存の日本が先に底入れを飛び越して底打ちするなんてことはありえません。たしかに最近の経済指標には改善が見られます。でも、これには理由がある。企業の在庫が減ったことと、景気対策の効果が少しは出ていること。

企業は08年10月から早めに在庫調整を進めてきました。それで在庫が減ったので、再び補充を始めたというのが、現在の状態です。鉱工業生産指数が3ヶ月連続で上がったと騒いでいますが、その程度の自立反発は当然なのです。しかも、いくら生産を再開したといっても、それが実際に売れるかどうかは、、まったく別の問題です。

追加景気対策15兆円のうち5兆円ぐらいは、本当に景気浮揚に役立つかもしれない。ただ、その効果が切れた時が心配です。ブッシュ前大統領が減税をやっている間は消費は堅調だったのに、終ると同時に縮小傾向になりました。期限付き政策というのは、あくまで「需要の先取り」であって境目で大きな反動をもたらすものです。

今回の景気対策の目玉であるエコポイントは10年3月末までに購入した商品に発行されます。エコカーへの「減税」は12年3〜4月末までですが、「補助金」は予算が決まっている。3700億円の財源がなくなると同時に、制度は打ち切られます。エコカーへの補助金は今年秋にも消えるのではないかと見られている。その時に何が起こるか。「いまハイブリッド車を予約しても、来年まで納車されない」と報道されていますが、補助金が打ち切られれば、ある程度のキャンセルが出て、消費は縮小を始める。

景気対策の効果が切れると同時に、景気が二番底を探りにいくことが心配されます。早ければ10〜12月期GDPから数字とし表れてくるでしょう。1985年から20年間で日本の外需関連企業は倍に増えた。より外需依存になったのだから、国内統計だけを見ていても仕方ないのです。日本の景気の先行きを読む最もいい指標は、実はアメリカの統計だと私は考えています。

戦後、アメリカは12回の景気後退を経験しましたが、その全てにおいて日本も景気後退しています。では、そのアメリカはいつ「底打ち」をしてくれるのか。まだまだ厳しい状況だといわざるを得ない。金融機関は不良債権を抱えたまま経営を続けようとしている。だから、社会にお金が回らない。住宅価格がいつ下げ止まり、雇用統計がプラスになるのか。「底打ち」はこの二つにかかっています。


週刊現代  8/8


2009年07月29日(水) ニンジン

ガンに対して免疫が大きな意味を持つ例をもう一つ上げてみましょう。ガンの種類も進行状態も、そして年齢も治療法もまったく同じ患者がいたとします。ところが一方の患者のガンはどんどん増殖し、一方の患者のガンが縮小していくということが実際に起こりえるのです。ではなぜこんな結果が起こるのでしょうか。

ガンの臨床医は一様に精神神経免疫学というものがあり、ストレスと免疫、ガンの心身医学などによると、人間の免疫力は感情の移入によって左右されるといっています。素直で模範的ながん患者のほうが、わがままな患者よりかえって生存期間が短いことをガン専門の臨床医は経験的に知っているのです。これらのメカニズムについては現段階では不明ですが、米国立願研究所で手術後の経過の悪い乳がん患者の再発病状について追跡調査したところ、文句の少ない患者ほど死期が早く、生存した患者は常に医師、看護婦に対して訴えが多く、手のかかる患者であったことがわかりました。

そしてさらに患者の血液検査の結果、抑うつ、不安など心理的な訴えの多い患者ほど、ウィルス感染細胞をやっつけるリンパ球であるナチュラルキラー細胞が活発だということもわかったのです。

これは模範患者にとってはつらい抗がん剤や放射線治療に対してじっと耐えること自体がストレスとなってしまい、そのストレスのために免疫力が低下してしまうことでよく知られていることです。つまりそのストレスが死期を早めてしまうのです。したがって心の持ち方一つでガンに勝つ人、負ける人が決まるという結果が出てくるのです。


……………

高麗ニンジンと普通のニンジンは違う。高麗ニンジン(朝鮮人参)はウコギ科で、スーパーで売っているにんじんはセリ科でまったく別の植物である。



『ニンジン・アルカロイドの奇跡』


2009年07月27日(月) 新型ウィルス

『ホットゾーン』(小学館文庫)という本がある。これはエボラウィルスとという史上最悪のウィルスを扱った本である。この本を読むと新種のウィルスがいかに恐ろしいか油断ならないものであるかよくわかる。エボラウィルスと今回の新型インフルエンザでは大きな差があるが、ウィルスの怖さは正体が見えないことにある。今の段階では致死率の低いウィルスかもしれないが、これがいつ突然変異して凶暴なものになるかまったく予想できないことだ。

『ホットゾーン』によれば、HIVウィルスが世界中に広がったのは、アフリカ中央を貫く高速道路ができたことと関連があるのではないかという。アフリカの奥地に何らかの動物を宿主としてひっそりと生き延びてきたウィルスが、道路建設にともなう何かのはずみで一気に覚醒したのではないか、と。すると、ウィルスの流行というものは現代病であるともいえる。ちなみに今回の風邪の新型ウィルスは福岡では福岡空港周辺の小学校から発生した。飛行機によってウィルスが運ばれてきて、免疫の弱い小学生から発症したのだろう。

飛行機で人がすばやく都会から都会へと移動する時代に、人類は生き残っていけるかと思う。最近読んだ科学雑誌で、タミフルという薬は、八角から作られるということだ。中華料理調味料の八角である。これほど意外な組み合わせもまたとあるまい。ちなみに今では人工的にも作られるらしい。また八角をいくら食べても全然タミフルの代わりにはなってくれないらしい。


2009年07月26日(日) 月面のUFO

このショッキングな映像はNASAのアポロ計画の際、月面上空から撮影されたものだという。この映像の上方にはクレーターが存在する。中央のドーム型のオブジェクトの手前にはトンネル方の出入り口のようなものが二つ並んでいる。この巨大ドームをX氏は長さ数キロの円盤であると言う。たしかに映像をよく見ると、たくさんの窓らしきものが並んでいる。屋根の部分にはアンテナ状のものも見える。後方は発信エリアのようだ。

この映像は信頼すべき筋からの流出ということで本物とされるがその真偽の証明はできない。このようなショッキングな映像がNASAの中で日の目を見ることなく、闇に葬られている可能性は少なくない。事実、元NASAの技術職員であり、アポロ計画すべての通信及びテレビシステムの設計に従事したモーリス・シャトラン氏は、その著書の中で「アポロ宇宙船のすべてが、地球外宇宙船の追尾を受けていたが、管制センターはその情報を決して公表しないという方針を堅持していた」と暴露している。

NASAの内部からの匿名情報によると、月面のUFOや知的生命体の基地に関する情報は、大衆をパニックから救うという名目で公表されなかったのだという。そして宇宙飛行士たちはNASAの基本概念「ブルックキングス文書」にもとずく説明と指示を受けていたので、国家安全保障上の必要性から口を閉ざしているのだという。

その他に日本人にも最も関係のある情報操作として「ロバートソン査問会」報告がある。これは1952年にCIAが発足させたUFO問題を研究する委員会で、カリフォルニア工科大学の物理学者ロバートソン博士を議長に、数十例のUFO事件について検討が行なわれた。翌年完成した報告書では、現時点においてUFOは国家の治安に脅威を与えるものではないと結論付けながらも、「やがて国家の防衛機能に対して脅威となる可能性もある」と、懸念も指摘されている。

そのためCIAは、大衆が「UFOをバカにするよう洗脳する作戦・プロジェクト・ディバンキング」を実行したのである。このプロジェクトでは、マスコミを利用しニセののUFO映像を流しては、後にあれはインチキだったと暴露するという方法がとられた。これによって大衆はUFO情報はすべてインチキだと思うように仕向けられたのである。

現在もこのプロジェクトは進行中であるため、我々一般人はUFOと聞くと「夢物語」とか「絵空事」として小バカにして片付けてしまうのである。

[ブルッキングス文書]
人類の歴史の中で、ある文明が異なる文明と遭遇した結果、滅亡の重大危機に陥ってしまう事例は無数にある。故に、地球外知的生命体との遭遇には、極力細心の注意が必要不可欠である、特に結果における影響を考慮し、いかに情報操作をするかが大変重要である。地球外知的生命体の存在を公表する際、最も考慮すべき集団は、宗教的原理主義集団と科学信奉集団となる。このような集団がいかなる情報に敏感に反応を示すかを、公表前に十二分に考慮しなければならない。

彼らにとっては、たとえ地球外知的生命体にせよ、構築された遺跡にせよ、彼らの主張を脅かす脅威でしかありえないからである。科学者や技術者などの科学信奉集団にしても、人類を万物の霊長とした基本概念に立つ以上異なる高度の文明との遭遇は危険なことである。


『異星文明の巨大証拠郡』


2009年07月24日(金) 情報はまず、「ギブ」ありき(1)

最近ビジネスマンの間で盛んに「勉強会」が行われている。自分の職場ではなかな得られない新しい情報を求めて、異業種の人間が集まる「交流会」も多いようだ。とにかく人は自分の仕事に関連した情報に興味を持ちがちだから、こういった他業種の情報を得られる勉強会にはどんどん参加すべきだろう。だが、同じ勉強会に参加しても、そこで有益な情報を得られる人と、まったく手ごたえの得られない人に分かれると思う。同じ時間と金を使っても、有意義なものだったと感じる人と、なんだか無駄にしてしまったなと後悔する人がいるだろう。

この違いはいったいどこからくるのだろうか。それは情報は交換するもの」という認識を持っているかいないかの差である。勉強会で情報を得られる人というのは、「情報は交換するものだ」ということを心得ている人だ。一方、情報を得られない人は「情報はもらうもの」と勘違いしている場合が多い。同僚と話をしているときのことを例にとって考えてみよう。仕事に関して思っていることなど、普段は言わない本音をボソッと吐いたようなとき、相手も意外な本音を返してきたという経験はないだろうか。

あるいは弱音でもいい。普段はそのような素振りも見せずに、ある時ふと弱音を吐くと、相手も普段は言わない弱音を口にすることがある。この時相手の本音を聞くことができたのは、自分もまた本音を吐いたからだ。自分は普段は言わないようなことを言ったからこそ、相手もまた意外なことを返してきたのだ。情報も基本的にはこれと同じで、情報を得るのはまず自分からそれを与えることがあってこそである。情報がやってくるのをただ待ち構えているだけでは、また、一方的に得ることを考えているだけでは決して手に入らない。

情報は与えてこそもらえるもの、つまり交換して得るものなのだ。もちろん情報の交換はお金と品物の交換のようなはっきりとした形を見せず、さまざまな形をとる。情報を与えられたほうは、「もらったのだから、返さなくては」という単純な発想で情報を発信するかもしれないし、あるいはこちらが提供して情報のテーマに触発されて新たな情報を付け加えてくるかもしれない。この時忘れてならないのが、たとえ交換の形がどのようなものであっても、とにかく自分から発しないことには情報は入ってこない、ということだ。

だから私は常に情報の出し惜しみをしないように決めている。「そんなことを言ってしまっていいんですか」などといわれることもあるが、情報を出し続けて、いよいよ情報が尽きてしまったらその時は引退すればいいと思う。逆にケチらなければすぐに枯れてしまうような井戸はもともとたいした井戸ではないのだ。それと同じで、人も情報を出し惜しんでいるうちは、たいした情報力を身につけていないことを自ら示しているようなものである。

情報は吐いてこそ、吐ききってこそ、また新たな情報を生み出すものだ、だから情報の交換はどんどん行なわれるべきなのである。ここで情報は大きく分けて二種類あることを押さえておきたい。まず一つはデータである。これは事実そのものの情報のことだ。例えばある国の人口やGNP、またはある地域で起きている紛争の状況、アメリカの財政状況など、何の加工もせずに事実を事実と伝える情報のことだ。

そしてもう一つはインテリジェンス。これはデータをつなぎ合わせて分析し、総合し、一つの予測や結論になっているものだ。例えばある国のGNPと、アメリカの財政状況からある地域で起こっている紛争の今後の動向を予測するといったことである。情報の交換に使うのは、データでもインテリジェンスでもどちらでもいい。自分の持っている情報をフルに提供すれば、必ず得るものがあるはずだ。

だが情報の交換として、より有益な効果もたらすのはインテリジェンスである。インテリジェンスは積極的にどんどん交換するべきだと思う。というのはインテリジェンスは交換されることによって、共有することによって情報そのものの質を高めていくからである。インテリジェンスの交換の一番簡単な例として、ある会社で一社員が新製品のアイデアを思いつき、それを会議で発表したときを考えればいい。

一人の社員が、あらゆるデータを集めて考えに考え抜いた新製品のアイデアを会議で発表する。そこで即商品化が決まることはまずない。会議に出された愛アイデアは、営業部の人間、マーケティング部の人間、経理の人間などあらゆる人間のさまざまな観点から再検討される。だがそれによって、もとのアイデアに抜け落ちていた問題を補足したり、長所をよりアピールできる方向へと修正することが可能になる。一つのアイデアを複製の人間が交換、共有することによって、もとのアイデアより質の高いものとなるのだ。インテリジェンスは交換されることによって、新しい視点が加えられるし、新たな側面が発見される。ひいてはそれがインテリジェンスそのものの質の向上へとつながる。


『情報力』

今夜の福岡は、梅雨末期特有の1時間に100ミリ以上という大雨で、河川の中流域に住んでいる人たちに、いっせいに避難勧告が出た。川幅が狭いので水が溢れたのだろう。都会は道路がすべてアスファルトなので水の行き場がなかったということだ。私の住まいは下流域なので川の水量は危険水域には充分な余裕があった。


2009年07月21日(火) 月の謎と大予言

地球から眺めた太陽と月は同じ大きさに見える。そのため人類は長い間、この二つの天体は同じ大きさをしているものと信じ続けてきた。太陽と月が同じ大きさに見えるのは、月がちょうどそのような位置にあるからである。月は太陽の400分の1の大きさである。地球から月までの距離は、不思議なことに太陽から地球までの距離の400分の1である。こうした位置関係にあるので、太陽と月は同じ大きさに見えるのだ。

皆既日食も太陽と月がぴったりと重なるために起こるのはいうまでもない。この「あまりにもよくできすぎている偶然の一致」を説明する天文学的理由はどこにもない。つまり、なぜそうなっているのかは、どうも理解のしようのないことなのである。月が地球に捕獲されたものと考えるにせよ、月が地球からちぎれてできたにせよ、地球からの太陽と月の見かけが全く同じ大きさになる可能性はほとんどゼロに等しいのだ。何かが月を一定の速度と位置を正確に保つようにしているのではないか―そう考える人達もいる。というのは観測と一致する月の運動を正確に計算で出すことができないからである、月は地球の引力だけでなく、その200分の1の力を太陽から、また2.000分の1の力を他の惑星から受けているため、その運動は相当複雑なものとなる。あの偉大なニュートンですら、観測と一致する月の運動理論をつくることができなかったほどである。

現在最も精密な月の運動理論はブラウンの式だが、これをもってしても現実の月の動きは必ずそこからずれてしまう。他の考えられるあらゆる要素を入れて修正に修正を重ねてみても、どうしても観測値とはずれてしまうのである。ということは、月にはいまだ私たちのうかがい知ることのできない未知の力が働いている、ということなのである。偶然にしては、あまりにもよくできすぎているその見かけの大きさ、そして自然な力の作用のデータだけではとらえられきれないその運動……。月とはいったい何者なのだろうか?

アメリカのアポロ計画では、6回の月探査によって380キログラムの月の石と土が持ち帰られた。その分析結果は、まさしく私たちの常識を粉々に打ち砕くに充分なものであった。まず第一にはその驚くべき古さだ。地球で発見された最古の石は37億年前のものといわれるが、最初の月旅行で「静かの海」から持ち帰られた石の中には、なんと43億年前のものがあったのである。

それだけではない。地球と太陽系が誕生した46億年前よりも古い石までもがあったのである。NASAの公式の発表では月の年齢は46億年で地球誕生とほぼ同じとされているが、多くの研究所や学者のサンプル分析によれば、月の石にはさらに古いものもあることがわかっている。その中には、53億年前のもの、70億年前のものなどのあることが科学雑誌、天文雑誌などで専門家によって報告されている。さらに信じがたいことにアポロ7号の飛行士が持ち帰った2個の石は。実に200億年前のものだと言う分析結果もあるのだ。200億年前という、この考えられないほどに古い年代の意味は重要である。というのは、今のところ推定されている宇宙の誕生の時期に当たるからである。この報告が正しいとなると、月はこの宇宙の創世のときからある、宇宙最古の天体ということになる。


いずれにしても、地球や太陽系が生まれる以前から、月が宇宙のどこかにあったことは確かなことのようなのだ。その月がいつしか太陽系にさまよいこみ地球に捉えられたのだろうか?そう考えると、今度は軌道の問題などのさまざまな矛盾を抱え込まなくてはならなくなる。「親子説」はもちろんのこと「捕獲説」にしても合理的に説明できないとなると、月の来歴を知るには思い切った発想の転換がどうしても必要となってくるのである。

ところで月の石にはさらに不思議なところがある。海で採取した石にはチタニウム、クロニウム、ジルコニウム、イットリウム、ベリリウムなどの非常に珍しい、いわゆるレアメタルが多量に含まれているのである。特に最初に持ち帰られた「静かの海」の岩石は地球で発見されたチタニウムの含有量最大の岩石の10倍のチタニウムを含んでいたのである。チタニウムは最も耐熱性の強い金属で、宇宙船や超音速ジェット機のボディーに使われているものだ。これらの金属は、すべて高熱に耐え、堅固で錆びを寄せ付けない、地球上ではまことに貴重な金属なのである。これらが凝縮した溶岩のようになって一体化するということは、少なくとも4.000度の高熱が加えられることが必要だと計算されている。チタニウムがこれほどに高温になることは,自然の状態では考えられないことらしい。とてもこれまでの科学常識では説明ができないことなのである。

月の表面が、がかって相当な高温状態にあったということは、月面から極めて多量の放射性元素が検出されていることからもいえる。何しろ、地球の岩石の4倍ものウラニウムを含む石が月面にはあるのである。そのため月の上層部12〜13キロメートルほどのところでは放射線反応が活発だろうと推測されている。さらにアポロ12号と14号の持ち帰った石からは、地球では自然の状態では発見されたことのないウラニウム236とネプチウム237が検出されている。月ではどんな条件があってこれらの物質が誕生したのか、これもほとんど考えの及ばない謎となっている。地球にはめったにないものが月には多量にある。月は明らかに、地球とはかなり異なった成分でできているのである。


『月の謎と大予言』 


2009年07月19日(日) 裁判員制度と死刑

妻をなくした大仲誠さんは、現行の死刑制度に行為をとなえる。「死刑判決が出ても執行の判を押せない法務大臣は失格です、死刑確定後、半年以内の執行という法律を大臣が破るのは職責の放棄ではないのか。刑の執行まで何年も、税金で鈴木を養うと思うと許せません。また、3人の命を奪いながら、贖罪の意識も反省の色もまったく見せない犯人を、なぜ弁護士はかばうのでしょうか。そもそも刑事事件の弁護士の仕事とは、被告に事実を認めさせ、更生を促すことじゃないのか。妻は鈴木に11箇所も刺され、殺されているんです。鈴木も弁護士もそれをわかって命乞いするのか」

久保田奈々さんの母、博子さん(51才)はこういう。「私は一時、鈴木の終身刑を望んだことがありました。なぜなら、娘と同様に病気で死んだり苦しんだり、生死の狭間で懸命に生きる世の子供たちの姿を見てきて、生きることの大切さを感じていたからです。でも、日本には終身刑はなく、死刑の次に重いのは無期懲役だと知りました。無期懲役はいずれ減刑され、社会に戻れることも知りました。私たちは娘に会えないのに、鈴木は長男と長女、二人の自分の子供に会える……。絶対に許せないと思いました。犯人には死刑しかありません」

私は遺族の悲痛な声を耳に残したまま、再び福岡県直方市にある鈴木の実家を訪ねた。これが3度目の訪問だったが、それまで父親の隣にいても顔を上げず一言も口をきかなかった母親が初めて話した。「事件の前から心臓が悪く、ニトログリセリンを常用しています。心臓が痛くなるとそのたびに『このまま心臓が止まってもいい、この世から消えたほうが楽だ』とずっと思ってきました。でも遺族の方々は私たちが死んでも許してはくれないでしょう。私は一生息子の罪を背負っていく覚悟です」

私は父親に鈴木の死刑判決についてもう一度尋ねた。父親は苦しい胸のうちを吐露した。「命だけは助けてほしいんです……。ただ、無期懲役ではいずれ息子は社会に出てくる。その時、面倒を見る我々はいないでしょうし、刑務所から出てきた人間を世の中の誰も相手にしないでしょう。生きるために息子はまた借金をして、追いつめられ同じことをやる。だから終身刑でも何でもいい、命を助けてくれれば刑務所からは一生出さなくていい」これが父親の本音だろう。

加害者家族もまた、出口のないトンネルを歩み続けているのである。父親に裁判員制度について聞くと、こう口を開いた。「裕福は家庭に生まれ、何不自由なく育ち生活している人たちに、追い込まれ罪を犯す人間の気持ちはわからんでしょう。生死を分ける死刑判決を、裁判員として何を基準に判断して下すのか、読み聞かされた裁判記録だけで判断ができるのかどうか、私には疑問が残ります」

一方、遺族の一人、久保田さんに裁判員制度について訪ねると、「遺族としての言葉とは違う」と前置きした上で、こう語った。「たとえ殺人者に対してであれ、死刑判決を下した、という事実は、罪の意識となって消えることはないでしょう」死刑と無期懲役判決との差はあまりにも大きい。裁判員は自らが下す死刑判決に確信が持てるのだろうか。市民が背負う責任はあまりに重い。



週刊現代 09/5/2


2009年07月17日(金) 中国の核実験

●西域ロマンの血、ロプノルは、中国による核実験が繰り返し行なわれた“死の大地“である。雨になり、砂となり降り注いだ放射性物質は、先住・ウィグル族を長年、蝕んできた。ジャーナリスト・櫻井よし子氏が、“異形の大国“の非道な振る舞いを白日の下に晒す。



ウィグル自治区(東トルキスタン)での中国の核実験の惨状をいち早く突き止め、世界に発信したウィグル人医師のアニワル・トフティー氏、札幌医科大学教授で放射線防護学を専門とし、昨年夏『中国の核実験』という衝撃の書を出版した高田淳氏らが登壇した。

中国の弾圧に苦しむチベット人も含めて、約200名が集った同会では、1964年から96年まで東トルキスタンのロブノルで46回の核実験が行なわれ、少なくとも19万人以上が死亡、129万人以上が被爆したことが発表された。ロブノルでの核実験は、総爆発出力20メガトン、広島の原爆の約1250発分に相当するという。被害の凄まじさは想像を絶するが、だからこそ、中国政府は一切の情報開示を拒んできた。

シンポジウムに先立って取材に応じた高田教授が語る。「広島上空で炸裂した核爆発の災害調査から始めて、私はソ連のセミパラチンスクでの地表核爆発災害、マーシャル諸島での地表核爆発災害を調査してきました。これまではソ連がいかに国民の生命や健康に配慮しないひどい国かと思ってきましたが、中国を調べ始めて、中国に比べればあのソ連さえ紳士的だと思ったものです」

高田教授の批判は、中国共産党の核実験の方法にも向けられる。「核実験の被害は地表で行なった場合が最も深刻です。空中や地下でのそれに比べて、核分裂生成核種が大量の砂塵となって周辺や風下に降り注ぐからです。ですからソ連でさえも人々の居住区での地表核実験は避けてきました。それを中国は強行し、結果、日本人も大好きなシルクロードにも深刻な放射能汚染をもたらしています。

こうした一切の情報を、中国政府は隠し続けています。住民には情報自体が与えられないのであるから、健康被害に関する指導も支援もない。シルクロードに憧れて現地を訪れる旅行者に対しても同じことだ。中国の隠された核実験の悲惨さを、初めて国際社会に伝えたのが英国の「チャンネル4」によるドキュメンタリー、「死のシルクロード」だった。

98年8月に報じられたこの27分間の作品は、世界83カ国でも報じられ翌年、優れたドキュメンタリーに与えられるローリー・ペック賞を授賞した。その時の取材の核となって情報を集めたのが、今回のシンポジウムで来日したアニワル氏である。アニワル氏は告発によって亡命を余儀なくされた。



週刊新潮  ’09.4.2 


2009年07月16日(木) 消されたUFO

1994年9月19日、元宇宙飛行士のブライアン・オレーリーはNASAが50年以上前からUFOやエイリアンとコンタクトがあることを隠していると、カミングアウト(告白)した。1995年5月6日のアメリカのラジオ放送では、アポロ計画期間、NASAのジョンソン宇宙センターで写真撮影を担当していたドナ・ティーツェが彼の同僚が、NASAが一般大衆に写真を出す前の月の写真からUFOの姿をエアブラシで消去するというショッキングな仕事をしていたと明かした。

このほかにも元宇宙飛行士の証言や匿名のものを合わせると、かなりの関係者がUFOやエイリアンに関する情報を告白している。ではなぜ長い間、関係者たちは沈黙を守っていたのだろうか。そこには1958年に定められたスペースアクト法」という国家安全保障上の壁があった。スペースアクト法には「宇宙開発におけるデータや写真などの情報は、もしそれが一般社会や市民にとって脅威となるようなものの場合一般大衆には知らせない」と定めている。

アポロ計画の宇宙飛行士はほとんどが軍人である。国家に忠実な彼らは、国の安全のためと言われ、頑なに沈黙を守り続けてきたのである。アポロ計画には、「疑惑」がついててまわっている。月の写真はスタジオで作られたものではないのか?軍事衛星クレメンタインの撮影した写真をもとに二人の科学者がこの論争にピリオドを打った。

アポロ計画で撮影された月面での写真には謎が多い。そのため古くから、アポロは本当は月に着陸していないのではないか、月面で撮影された写真はスタジオでそれらしく撮影されたものではないか、という疑惑がついて回っていた。この疑問に二人の科学者が挑戦した。一人はアメリカ、ロード島プロビデンスのブラウン大学に所属する地質学を専門とする宇宙科学者ミシャ・クレスラブスキー。もう一人は彼の研究仲間で、ウクライナのカルコフ天文台に所属するユーリー・シュクラトフ。

彼らは米国防省の軍事衛星「クレメンタイン」が撮影した画像を調査し、アポロ15号が月に着陸した決定的な証拠、月着陸船が離陸したときにできたロケット噴射痕を発見した。また、アポロ計画では11号、14号、15号が、レーザー照準反射装置を搭載し、それを月面に設置しいる。

そして実際に、この装置を利用して日本でも東京天文台や日立基礎研究所などが、地球〜月間の正確な距離を測定している。アポロが月に着陸しているのは間違いなく事実なのである。



『異星文明の巨大証拠郡』 コンノ・ケンイチ  ジェフ・チャレンダー


2009年07月15日(水) 見知らぬ町にて

19959年の夏、パリ14区のモンパルナスに近いカンパーニュ・プルミエール街の僧院めいた奥まった部屋で、フランス政府から妻に与えられた帰国旅費の小切手を前に、私は腕を組んであれこれ思い惑っていた。ちょうど留学二年目が過ぎようとしていて、手持ちの滞在費はほとんど使い尽くしていた。当時、日本からの外貨持ち出しは厳しく制限されていたから、簡単に送金できる状態ではなかった。その上留学生の滞在期間は二年だったので、妻に与えられる給費もこの帰国旅費が最後であとは無一文だった。

しかし私は二年間パリにいて、小説についてまだ何一つ結論のようなものを見つけることができなかった。予感としてギリシアに行けば何かが発見できそうだという気はした。西欧精神の根源に感覚的に触れることは私には、小説の不可能性を克服する何か不可欠な試みのように思えたのである。といって、手持ちの金は底をついていた。もしギリシアに出かけるなら、帰国旅費に手をつけるほかない。ちょうど二人でギリシア旅行をするギリギリの金額がそこにはあったのだった。

だがそれに手をつければ日本に帰る手段はなくなる。私が迷ったのはそのことだった。当時、帰国旅費を競馬ですってしまい、日本に帰ることもならず、裏町の中華料理屋でアルバイトをしていた留学生崩れの男がいた。もし帰国旅費でギリシアに行けば、この男と同じ運命に陥らないとも限らない。ギリシアに行って果たして小説が書けるようになるかどうか。これは競馬よりもはるかにあてにならない賭けだったのである。

私は日本に手紙を書き、三年目の滞在費を無心した。夏の間その返事を待ったが、梨のつぶてであった。八月の終わりになって、もうこれ以上旅行を延ばすわけにはゆかなかった。妻も私も後は運を天に任せるほかなかった。このギリシア旅行は美について私の考えを根底から覆した。それまで私は、この世があって、そこに美しいものがあると思っていた。しかしパルテノン神殿を仰いだ瞬間、最初にあるのは美なのであって、この世は美の秩序の中に置かれていることを掲示された。

私は激しい美への啓示に放心したようになって、ピレウスから船でブリンディシに着いた。私たちはカラブリアを横切り、メッシーナ海峡を越えてシチリアに向かおうとしていたのだった。たまたまカラブリアに向かう列車の連絡が悪く、タラントでほぼ半日近く待たなければならなかった。夏の終わりの生暖かい霧雨が降っていた日で、私はギリシアでの醒めやらぬ感動と、旅の疲れとで、その小さな港町を夢遊病者のように歩き回った。私の目には、タラントの町は現実の町ではなく、実体のない陰のように見えた。旅の心細い浮遊した感情が温かい霧雨のようにこの影のような町を包んでいた。

パリに戻ると、三年目の滞在費を送金したという便りが日本から届いていた。ギリシアの旅のあいだ感覚の中に溜め込んだ素材をゆっくり消化する時間がこれで確保できたわけで、私は思わず腹の底から大きくため息をついた。そして旅の疲れがどっと噴き出すのを感じた。そのためもあったのか、タラントの霧雨の中にいるような夢うつつの状態が何日も続いた。

私が原稿用紙を広げてほとんど自動筆記のように、タラントの町の映像を物憂い感じで書いていったのは、このときだった。それはある魂の状態をそのままカプセルに入れて保存する作業に似ていた。

小説がどうすれば可能かという問題を考え続けていたのは事実だった、当時、発表する意思はまったくないまま、心の中に生まれた思念の渦にすじ道を与え、より明確な形で自分でも把握するため日記(「パリの手記」河合文庫)を書いていたが、この夢うつつの状態で書いたのは、それとはまったく別もので、小説を書くという意識もほとんどなかった。

一つだけ違っていたのは、パルテノンの啓示のあと、この世があって「書く」のではなく、「書く」ことによってこの世が秩序を持ち始める、と確信できるようになったことだった。小説めいたものを書いていて、結局それが不可能だったのは、この世のほうが「書く」を追い越していたからだった。しかし今は「書く」ことが何かを現成させ、秩序づけているのであった。

そういう意識すらなく、ほとんど肉体的感覚に戻ったレベルで、私は「書く」ことの意味を、パルテノンの啓示に沿って確認していたといえる。あとになって、書き散らしのままになっていたこのテクストを見つけ、そこに私は小説へと目覚めてゆく過程をあらためて認め『見知らぬ町にて』というタイトルを与えて自分の作品に加えることにしたのである。




『微光の道』 辻 邦生


2009年07月05日(日) マイケルジャクソン死の真相

デメロールを接種した後で急に呼吸が浅くなりゆっくりになり止った。8分後に救急車が到着した。もう心臓は止まっていた。デメロールは激痛の痛み止めとして処方される鎮痛薬で常習性があり、量を間違えるなどすると、突然死の可能性があるとされている。ロサンゼルス郡検視局は「死因の特定まで4〜6週間かかる」との見通しを明らかにした、薬物などの中毒検査に時間がかかる、というのが理由だ。

裏を返せば、薬物こそがマイケルの心臓を止めた原因になったと見ている。マイケルはこれまで50回にものぼる美容整形を重ねたといわれ、数週間に一度の頻度で形成外科のもとに通う時期もあったという。数年前にはこれ以上は危険と医師から手術を止められた、との報道もある。

今年2月には英大衆紙「サン」がマイケルはメチシリン耐性黄色ブドウ球菌に感染しているとも報じた。整形手術だけでなく、舞台から転落して痛めた頚椎や膝の怪我など50歳になるマイケルはすでに満身創痍だった。痛みを取り除くための薬が結果として、痛みとともに命も奪ってしまったのか。

音楽評論家の湯川礼子さんは、マイケルが13歳のときに始めてインタビューして以来十数回も会っている。そうした交流の中でマイケルの忘れられない言葉があるという。「自分は一皿のスバ下ティーであり、自分の上に何百、何千の手が伸びてきて、自分の一部を奪い取ろうとする」―幼くしてショービジネスの世界に放り込まれてしまった彼は、自分に近寄る人間はみんな何かを奪い取るものだという感覚を持つようになったんでしょうね。

厳しかった父との関係は深いトラウマになったとされる。「父親の顔を鏡で見たくない。整形してでも顔を変えたい」マイケルのこの言葉は父の影遠因になったとも語っているようだ。エルビスプレスリーの娘リサと結婚したのは売名行為とエルビスの遺産が目当てだった。だがなんといっても最大のスキャンダルは、度重なる整形手術でつぎはぎだらけになったとされるマイケルの顔や体そのものだろう。

マイケルの肌を調べたニューヨークの形成外科医は「肌を白くするために、漂白剤を打ち続けていた」と見ていた。「肌が白くなったのは、白斑という珍しい皮膚の病気にかかったせい」「鼻だけは別だけど、顔は整形したことはない」マイケルは疑惑にこう答えてきたが信じるものはまずいないだろう。

何度も顔にメスを入れ、漂白剤を注射し続けてきたものはなんだったのか。本人は否定してきたものの、アフリカ系(黒人)の「血」への抜きがたい嫌悪があったのは疑いがない。幼いころからショービジネスの世界に身を置きスーパースターと呼ばれながら、自らの姿を愛せなかったマイケル。その栄光を得た代償として破滅に追い込まれたのだろうか。


週刊文春 


2009年07月04日(土) アメリカ帝国の衰亡

―ところで、ブッシュは映画『ブッシュ』を見たんでしょうか?

「見たと思う。映画公開の後で行われたインタビューでブッシュは映画『ブッシュ』のラストシーンとまったく同じせりふを言ったしまっているから」

―それは12月1日のABCテレビ、チャーリー・ギブソンのインタビューですね。「あなたは歴史においてどのように評価されると思いますか?という質問に「歴史になるころには死んでるよ(だから歴史的な評価は気にしない)」と無責任に答えた。それは映画『ブッシュ』の最後のセリフでした。

「ブッシュは映画のブッシュを模倣したんだ。きっとブッシュはジョジュ・ブローリンが演じる自分を気に入ったんだろう。ジョジュのブッシュは本物よりもずっとハンサムで、感情移入できるキャラクターだからね(笑い)」

―ブッシュは自分がしたことを将来謝罪するでしょうか?

「しないだろう。彼はまったく本を読まないから、自分を客観視できないんだ、だから映画では夢の中で父親に叱らせたた」

―本を読まなくても、せめてベトナム戦争に行けば現実を学ぶことができたと思いませんか?それに父親の影を断つこともできた。あなたのように。

「ハハハ(笑い)。俺はベトナムに行ったせいでで大学も中退し、タクシーの運転手くらいしか職がなくて苦労したがね。それでも実際の戦場で何が起こるか、殺し殺されることを体験することができた。本物の戦争を体験したものは戦争を避けるようになる。だからブッシュの父も、パウエル国務長官もイラク攻撃に反対した。それを蹴散らして戦争に突き進んだのはベトナムの兵役を五度も逃げたチェイニーやラムズフェルド国防長官などの実戦経験のない連中だ。彼らは口先だけの安楽椅子愛国者だよ」

―確かに戦争体験は戦争を止めようとするが、アメリカ国民はなぜか、戦争を知らない連中の戦意高揚に乗ってしまう。

「ベトナム戦争は、戦場を知らないジョンソンやニクソンが泥沼化させたもので、戦争の英雄マクガヴァンが72年に大統領に立候補してベトナム戦争に反対した時も、国民はなぜかニクソンのほうを選んだ。いつもこうだ。04年の大統領選にケリーが立候補したときはひどかった。ベトナムから逃げたブッシュの陣営はケリーがベトナムの戦争で活躍した事実を否定するデマを流した」



……………

「マネーはますます実態からかけ離れて取引され崩壊した。それはアメリカだけでなく世界中の貧しい人々をさらに貧しくする。しかしウオール街の連中は責任をとらない。逆に何十億ものボーナスをもらう。これがアメリカだ」


「しかしオバマがアフガニスタンでタリバンに勝つと約束したことは賛成できない。アフガニスタンはベトナムと同じ泥沼だ、オバマにはアフガンからも撤退するガッツを望む。アメリカはもう世界の警察である必要はない」

―あなたは今も反逆者ですね。

「ハハハ。今の世の中みんな体制寄りになってしまった。リベラルだ左派だと呼ばれている連中も中道にすぎない。本当の左派は存在しない。日本も同じだろう。戦後ずっと自民党一党支配だ。左はどこに行っちまったんだ」

―さあ?でも一つ面白いのは、ブッシュ政権に追従してきた日本の政治も、ブッシュみたいなお坊ちゃんばかりが仕切っているんですよ(笑)


  ………………


『プラトーン』『ウォール街』で米国の真実を描いたオリバー・ストーン監督の最新作が公開される。父へのコンプレックスから大戦争を引き起こしたダメ男、ブッシュと、それを8年間も支持した米国民の心理とは。没落するカウボーイの国の「掟」が今、明らかに。

『ブッシュとウォール街とアメリカ帝国の衰亡』



オリバー・ストーン監督独占インタビュー
インタビュアー 町中智浩 映画評論家

週刊文春 5.21


2009年07月02日(木) 人の身を守る三大食品

たとえワクチンを接種しなくても100%罹患しないわけではない。ではインフルエンザに負けない”健康体”を作る食品とは?キーワードは”免疫力”。新潟大学大学院医歯学部総合研究科教授で免疫学が専門の阿保徹氏が語る。「消化管自体が人体の巨大な免疫組織です。お腹の調子がよければ免疫力が上がる。当たり前ですが、いい健康状態の人とそうでない人とでは、感染後の重症度にも自ずと差が出てきます。腸の滞留時間が長い食べ物で消化管を刺激すると、リンパ球の産生が増え、免疫力が高まる上、血圧や血糖値も落ちつきます。

というわけで阿保氏が挙げてくれたのは「キノコ」。「シイタケやマイタケなどのキノコ類には、食物繊維の一つ『βグルカン』が含まれています。βグルカンは消化液の中にそれを分解する酵素がない上、砂糖と似ているので腸が間違えて一生懸命リンパ球を産出する。この季節であればワラビやフキ、ゼンマイなどの山菜類も食物繊維が豊富でいいですね」

一方、理化学研究所の山野氏が強力に薦めるのはヨーグルト。「ヨーグルトの乳酸菌は生きたまま小腸の粘膜にある免疫担当細胞を刺激します。かってエストニアなどで〇157が流行した際、ヨーグルトを食べる人と食べない人とでは罹患率に大きく差があった。日本には現在7.500種類ものヨーグルトがありますが、トクホ(特定保健用食品)マークのついた商品を選べばいい。トクホは食べた人のウンチを見て、大腸に細菌が生きたまま達しているかまで調べています。

海藻類もお勧めだ。「ワカメやメカブなどは食物繊維が多い上粘り気が強く、免疫担当細胞を刺激するポリサッカライドという多糖類が含まれている。納豆やオクラも同じです。このほかにも根菜など食物繊維の豊富なものを取れば、大腸内に腐敗物質が滞留しにくい。便秘は免疫力を低下させ、発ガン物質も発生させます。この点でいうと、アルコールの多飲も腸内環境を荒らすのでよくない」(同前)



週刊文春 2009.7.2


2009年07月01日(水) 罪と罰

ドストエフスキーの小説の中では『カラマーゾフの兄弟』が最高傑作であるらしい。世界十大小説に入れるなならそっちだろうなと思っている。しかし読んでいないので人に勧めるわけにもいかず、ここでは『罪と罰』を取り上げることにした。この小説の基本のストーリーは、ペテルブルグに住む貧しい大学生のラスコリーニコフは、自分は選ばれた非凡人なのだ、と過信している。そして、自分は人類の幸福に貢献するのだから、道徳律の外にあってシラミのような婆さんを殺したって罪にははならないと考え、殺人の罪を犯す。映画では殺したあと『太陽のせいだ』とつぶやく。頭上には真夏の太陽があった。

ところが殺したとたんにものすごい良心の呵責に襲われて、罪の意識に苦しめられるのだ。その苦しみがありありと描かれる。根本のところはそれだけの話である。切れ者の予審判事ポルフィーリイはラスコリーニコフが犯人だと見抜いて、心理戦のような尋問をしてくるのだが、そのシーンの迫力は素晴らしい。

マルメラードフというアル中の退職官吏がいて、酒に溺れて人生の敗北者という感じである。酒場でマルメラードフと知り合ったラスコリーニコフは人生の敗残者を軽蔑するが、その娘のソーニャが家族を救うために自ら娼婦となっていると知り、大いに興味を持つ。つまり、自らの意思で悪のほうに踏み出している、という点で自分とソーニャは似ていると感じるわけなのだ。だが、ソーニャには信仰心があり、愛の力を信じているのであり、そこがラスコリーニコフとは違う。

スヴィドリガイロフという悪党がいて、ラスコリーニコフの妹に恋して執念深く 追い回す。兄の弱みを握れば妹は我が物になるだろうという考えからラスコリーニコフに接近してくるが、そいつの悪党振りが自分の醜い投影のように思えてラスコリーニコフはついに自首を決意する。スヴィドリガイロフの側からソーニャの側へ進むことで、ついにラスコリーニコフは魂の救済を手にする、という物語である。

そういう話を、ドストエフスキーはものすごく重厚に語り、どんな断片も省略しないで説明する。ラスコリーニコフの頭の中の考えが、圧倒されるほど緻密に描写され読んでいて頭がボーっとしてくるぐらいのものである。だが、ドストエフスキーの小説を読む楽しさは、その重厚さに振り回されることだと思う。ものすごくくどいけど、ワケがわからんというふうではないので、だんだんくどさが快感になってくるのだ。

この小説は悪とは何か、を問いかけるものだ。そういう思想的なテーマをドストエフスキーは重厚なドラマの中で語りきってしまうのだ。そこが偉大さである。この小説は、ラスコリーニコフが自首したところで終わりだと思っている人が多いが、実はエピローグがある。ラスコリーニコフは裁判にかけられ、シベリアの刑務所に送られる。するとソーニャはその後を追うのである。七年間服役すれば自由になれる。ソーニャがついていてくれるから、彼はきっと再生できるだろう、と予言があって物語は幕を閉じる。
これは魂の再生の物語だったのである。



『早わかり世界の文学』清水義範


加藤  |MAIL