++るうの独り言++
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※注意:今日が私の誕生日だと言うわけではありません。
淀川さんが、「自分の誕生日は母親とだけで過ごす。誕生日は母に感謝する日だ」とかいうことをいっていたように思うが、この年になるとそれをなるほどな、と共感する。 子どもの誕生日を盛大に(笑)祝うのは 喜ぶ顔が見たいのと、生まれて来て喜んでる人が必ずいるんだよ、ということを見せてやりたいのと、よくぞ生まれて来て親を喜ばせてくれてありがとう〜、という気持ちがまじりあってる気がする。つまり、子どものためにするってーよりも、親のためにしている感じがするのだ(^^ゞ
だから「わたし、今日誕生日!」「おめでとうー!」 とかいうやり取りは、(他人はどうあれ)私自身はもうなんだかこそばゆくてだめー。はっはっは。
私が生まれて来た証は、子どもたち。 私たちが、私たちの親が、またその親が、そのまたまたまた・・・ 名もなき人々ではあるが、子どもたちがここに存在している以上、彼らはたしかにこの世に存在し一生懸命生きたのである。その確たる証拠なのである。 もっと別の方法で証拠を残す事ももちろんできるけど、私は平凡であるがもっとも確実な方法を選んだ。 そう、名もなき人々の人生を『無』にはしていない、確実に残したという自負も少しある。
子どもを産むってことはそういうことなんだろうな、 誕生日がめでたいのはそういうことなんだろうな、と るう@年より は思う。
◆昔の今日の記事
海老蔵襲名披露パーティに集合する各界の有名人がテレビに出る。 で、瀬戸内寂聴がインタビューを受けてる時 「この人の言葉、流行語になったんでしょ?」と子どもたち。 おかーさんは、記憶の網をたぐる。なんだろう? 美は乱調にあり、か? 花芯? まさか。ええ? 網にはなにもひっかからない。老いたり母! (^-^; 「ほらー、“こんなのでましたー”、とかいうの」 なに〜ぃぃ? どうやら寂聴さんの僧衣から、例の占い師泉アツノを思い付いたらしい。
「あほたれっ!」 母は説教を垂れる。思いつきで不用意に人や物事を決めつけるな! (間違えたために却っておもしろがられかわいがられる年はとっくに過ぎた。以後は馬鹿にされるだけだ) 知らないのはかまわない。知らないんなら素直に「これ誰?」と聞けばいい。調べればいい。 それをしないで状況を考えず、乏しい(とは自分では思ってない)知識の中で、外見だけで人を判断するのが気に食わない。 それでいて、自分が間違えると 「あんな格好してるのがいけないんだ」とか責任転嫁する。
・・・そろそろ、うちの子たちにも鼻持ちならない『なにか』が出て来たな。ニヤリ。
2004年03月22日(月) |
熱しやすく冷めやすい |
結婚前、何か自分の作品を発表するときのペンネームとして 『介山藤作』もしくは『介山』を使っていた。
どーも自分の作品は、自作とはいえ、どっかでみたような気がする、だれの影響かがすぐわかるようだ、ということで自嘲気味につけたのだった。 その心はおわかりと思うが『改竄盗作』である。はっはっは。 いまでも、明らかに誰かの作品のマネとかちょっと言葉をいじくっただけという文章にはこの名を記している。
んで。 結婚して名前が『蓮見』さんになったのをきっかけに、 『荷葉』を使うようになった。なんにしろ『蓮』はいいイメージで、この名にかわることが文学的にも嬉しかった。(^○^)
『荷葉』という言葉は、一般名詞である。 だから季語でもあり、 六種の薫物も有名だし、 永井荷風なんて人もいるし、 私は、最低、風雅の世界に遊ぶ人々たちの間では、知ってて当然、知らなきゃはずかしい部類の言葉だと思ってた。 現に 「これ、なんて読むんですか? どんな意味があるんですか?」 などと聞かれたことは一度もない。 むしろ本名が蓮見だというと、「なるほど」という顔をされる。 「カヨウ、でよろしいの?」という聞き方はされる。 その人の頭に 「もしかするとハチスバかも。 ハスノハかな?」という知識があるからだ。
これが普通の状態だと思ってた。
で。 この間、生まれて初めて 「荷葉ってなんて読むんですか?」 と聞かれた。 ・・・歌詠み人なのに、この言葉を知らない人がいる?!
それだけならまだいい。 「(荷物の荷だから)ニヨウさんってお読みするんじゃないですか?」 と別人。 ・・・げげ。
わたしゃ、答える気も訂正する気も失せた。 こういう人々と同じ空間で歌を楽しむことなんかできない。
勢いこんで始めた五行歌だけど 文芸という高みにひきあげるどころか、 たんに「感情の吐き捨て場』にしかなってないような気がして来た。 言葉に対する気遣いも真剣さもなし。 『自分が自分が』の世界、書いてりゃなんかかっこいい、という世界。 五行にわけて書きゃ、なんでもありでしょ?
そうであるならそれは五行歌という文芸じゃない。 単なるウエッブ日記だ。
だからちょっと、熱が冷めて来たんだ、この頃。
◆昔の今日の記事
※以下かなり感情的な暴言なので読み飛ばして下さい(^-^;
この頃の少子化問題に触れた新聞読んでて
まず若い男性が結婚したがらないという話で 「なんで嫁や子どもに自分の稼いだお金をむしりとられなければならないの」 という本音に、わたしゃ大笑い。はっはっはっは。
で、子どもを産む産まないの話で 「今の日本の社会は子どもを安心して生むことのできる状況にはありません。もっと、子どもを安心して産むことのできる社会を創らなければ、どんどんと少子化は進むでしょう。税金や年金など、どんどんと家計は苦しくなり、共働きでなくては家計のやりくりができない状況へと追い込む状態で、女性が妊娠・出産・育児をするのは大変です。保育制度も整ってはいません。その辺を何とかしなくては」 「子供を持って、生活水準がガクッと下がる不安。 そして、その子供が、自分と同じように長期にわたって親のすねをかじり続ける不安。高度な教育をしていかなけばいけないという重責」 という記事には あほかおめーら、と怒った。 わたしはこういう正義の味方顔したしったかぶりの偽善者がだいーきらい。
なにが、「今の日本の社会」だ。 江戸時代に戻って・・・いや・・・昭和30年ぐらいで十分だ。 その時代に戻って、子育てしてみろよ。 日本の流れやいろいろな人々の努力をわかろうともせずに、さかしらな言葉をはくんじゃないっ! 自分のことはみんな棚にあげて悪いのは「他」と決めつける。こういう事を平気な顔して言うような偽善者が虐待や差別を産むんだ。 偽善者は、行動と言ってる事、本音と建て前が大幅にちがうからそのストレスが弱い者に向けられるんだろうな(笑)
単に「私が贅沢したいんだからいろんなことしたいんだから、こどもいるとじゃまー」 といってるに過ぎない。それならそう正直に言ったほうがずっとかわいげがある。 結婚し子どもを作ったが 「子どもいるとじゃまー」というところから抜け出せない連中が、 子どもといっしょに自分も成長していこうという覚悟のないまま親になった人間が虐待を繰りかえす。 それなら最初っから結婚しないという先の記事の男性のほうがずっといい。
責任を負う事の充実感、誇り ありがとうをいわれることの うれしさ、生き甲斐 愛する者の笑顔、健康 そういった物が、自分の物質的充足よりはるかにすばらしいものだ、と気付かないで生涯終わる人が多い。
つまり、少子化の根本的な問題は先日書いた『大人』や『プロフェッショナル』が激減したってことによるんだと思う。 『腹をくくる覚悟』ができる人間が少なくなったってことである。 「よし、どんなになっても最後まで責任おうぞっ! 全力でやるぞ」とかいう覚悟である。 (その覚悟のおかげでどんなにすばらしい人生がおくれるか!) それができないんじゃ、ね。 精神的に貧しい似非大人に子どもを産んでほしくない。 社会に参加してほしくない。 そのために少子化で日本が立ち行かなくなっても フリーターばっかりで困る事になっても 将来外国人労働者問題で頭かかえようと、 数百年後に日本人が滅びようとも、 今現在、「偽善者大人」のせいで虐待されたり傷つけられたりする子どもが増えるよりずっといい。 これから真の日本人の大人になろうとする子どもたちの邪魔をされるよりずっといい。
◆昔の今日の記事
講習は終わったんだが けっきょく1か月ぐらいの泥縄では人様のお役にたてるわけがないと悟り 登録をせずに来た。 そもそも需要がごく少ないんだし、 そしたら余計、にくろ土星とか読んじゃったり、アガッて「溜める」のサンズイが目にはいんなかったりする私なんかじゃ、迷惑かけるばっかりだ。たはは。
そりゃま、字を読む事に関してどしろーとではないにせよ、 対面朗読というのは自分が考えてたものとはまったく違う世界だということが分かったし、 仕事やボランティアにするんならもっとちゃんと勉強せねばならん。
で、ちゃんと勉強する気があるのかというと・・・ 講習が終わった時点で萎えた。 なんだったんだ、この1か月。 結局私のしたいことからは、ズレてたってことなんだよね。
「おかーさん、ヘルパーさん、しないの?」 うーむ。う〜〜〜ん。う〜〜〜〜〜〜ん。
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