++るうの独り言++
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今週は長かった〜〜。へろへろ〜。
---------------------------------- やかんを焦がしたので (沸騰してるのに気がつかず火はついたまま空焚き。室内に立ち込める異様なにおいと雰囲気に気づいた時、やかんは真っ黒だった。わたしの痴呆ははじまっているらしい) ぴーぴーケトルを買ってもらう。これなら万全、と思ったのだが 火にかけるとき、やかんの注ぎ口についている笛部分を跳ね上げたまま火にかけたら、なーんの意味もなさないでしょっ!! 自分ながら、あきれ返る。(-_-) 指差し点検!「やかんの口、よ〜し!」「ガス、火、ついてる。よ〜し!」
(間)
「ぴぃぃぃ〜〜〜〜!!!!!!!!」 この悲鳴のような騒音がこんなにうれしかったことはない。
ということで、お昼はカップラーメン。
---------------------------------- このカップラーメンを買いに入ったのは 近所、国道沿いのコンビニ「節約する」。 ほんとはお弁当を買うつもりだったのだ。 んが、 お弁当の並ぶ棚、空っぽ! おにぎりすらない。 空っぽというのは、お昼の時間が過ぎているので品切れになった、という活気のある空っぽさなのではなく なるほど、これはそろそろ店じまいにする気なんだな、という予感の漂う空間になっている。 ふっと店を見回すと、パンコーナーもなんにもない。 牛乳、ヨーグルト。 おでんの鍋は蓋が乾いて裏返ってるし。
残り物をなんとかうっぱらってしまおうというのでお店があいているんだな。
この店から500mほどのところに新しく「7−11」ができてから4年程がたつが、ついにこっちが敗れたか。 でもコンビニって閉店セールとかやんないんだねー。
---------------------------------- さて、週末は、何しようかな。 またヤマダ電気につれてってもらおっかな〜〜(^o^)
あー、洗濯たまってるんだったーーー。(T.T)
◆昔の今日の記事
「蓮見さんは自転車だから無理よね〜?」 今日急きょ臨時で入ったお宅。 利用者さんは本日いつものヘルパーが来ると思って、 病院に薬を取りに行ってもらうつもりだったのだ。
・・・こういうところはちゃんと引継ぎをしていかないといけない部分。 連絡ノートにも書いてなかったぞー(-_-) 明らかにこちら側のミス。 これは困った。
薬がないということほど利用者さんを不安にさせることはない。 『これはどんなに遠くでも行かねばならない。タクシー代自腹きってでも!』 と、思った。 で、おそるおそる病院の場所を聞くと隣町の駅の近く。推定片道約6〜7km。なんだー、よかった。*ほ* いつものヘルパーさんは原付バイクなんだそうである。 それならそんなに時間的差はない、という自信がある。
「自転車でいけますよ。40分くだされば余裕で行ってきます」 「えええ? 遠いわよ。大変だわよ、風が強いし」 「なんのなんの。じゃ、いってきますね〜♪」
で、30分かからずに帰ってくることができた。 「は、は、はやいーー!」 「○○病院は自転車でいける範囲内ですから、どうぞ遠慮なさらずこれからもいいつけてくださいねー」
薬が手元にきて安心した利用者さん。 仕事してるその時間、ずーっとご機嫌うるわしく、話し方も明るかった。 よかったー。
「蓮見は自転車だから使えない」、なんて思ってほしくないもーん。(^-^;
◆昔の今日の記事
わたしゃ おめでとうを言われたがる人が嫌い。<ひねくれ者だからさ(^-^;
子供ならかわいげもあるが いい年した大人がだよ、 「今日私のお誕生日なの〜」 「○○試験に合格したの〜」 「▼▼が決まったの〜」 とか、ひとんちのHP掲示板に、聞かれもしないのに自らすすんで(笑)わざわざ書きにくる奴が嫌い。
「るうにも心配をかけたから報告をかねていっしょに喜んでもらいたい」、っていうような書き込みじゃないんだもん。 もともとそういう人にはわたしから「どうだった?」とか話題をふるし、誕生日はしっかり覚えてるし、そもそも個人的なことだったりすると掲示板じゃなくてメールで来るし。
とにかくなんでもいいからいっぱい人におめでとうをいってもらって、それで自分がいい気分になればいいっていうような精神的なガキは他所いってくれ、である。
たとえば「試験に合格したのー!」 、、ってひとんちの掲示板に書いてさ、そのHPの関係者が試験に落ちててがっくりしてるところだったらどうすんだよなー。
もちろん、自分ちに書くのは全然かまわない。むしろこいうのは自分ちで書いて盛り上がるものだ。
とにかく、ひとんちにわざわざ行って書き込む無神経さが気に食わないのだ。 だからそういう人にはわざとおめでとうをいってやらないのさ。けっけっけ。
高額とはいえないにしろ いくばくかのお金と時間を投資して HPを作る、 ってのは それは畢竟 自分の思いを公表して誰かに見てもらいたい聞いてもらいたい できれば「うんうん」と共感してもらいたい という欲求を満足させるためである。
話したいことを お金を払ってまで 誰かに聞いてもらいたい、というのは実際にあることなのだ。
そして話したい人はたくさんいて すると 聞く人が必要になるわけで それもただ聞くのではなく 「この人に話を聞いてもらうと気持ちがすっきりする。うれしい」 という感じをもつ聞き手が必要なのだ。
そのためになら多少のお金は払ってもいいと思っているのも確か。
話のプロは昔からいる。
とすれば
聞き手のプロが当然いていい。 たくさんいたほうがいい。
「よい聞き手」になるための技巧や技術は、少しばかり大学やかつての職場でも習った。 だが身についていない。 もっとよい聞き手になりたい。 ヘルパーをやる以上、ぜひに必要なことだ。 ヘルパーに限らない。 これからの世の中、ITだのなんだのといわれるようになればなるほど、 とても必要&大事なことではないのだろうかと。
今年はそれを少しづつ機会を見つけて学ぼうと思っている。
雪は降る〜 荒川区内〜♪ 今年は雪が多いわねええ。
そうよ、そうなのよっ! 今朝仕事に入った時にはじぇんじぇん降ってなかったのよっ! 1軒目のお宅で、掃除機かけてたらばさー 「あらー、雪がふってきたわよー、これは積もるかしら〜」 『うげ〜!! これからどーすんだよぉぉ』、と真っ青だったのだが おくびにも出さず、 「あらホントですねえー。新聞とか郵便を取りに出る時気をつけてくださいねー」 とかなんとか。<私もこのごろかなりプロね。わはは。
1軒目終了したときには、 正月2日の大雪を彷彿と。 雪は大降り。目の前&周辺まっ白。1時間余りで既に積もり始めている。 歩道ではなく車道に出て車のわだちを選んで自転車を走らせる。 コートにフードがついてたのと、普段からゴーグル着用してたのがこんなにありがたかったことはない。 『今日のヘルパー派遣はいいです、って携帯に電話が入んないかなー』 とかなんとか。本性は軟弱者の私。
が、当然キャンセルの電話は無し。(笑)
2軒目。メインの仕事はお買い物。*ひょえーひょえー* 「こんな日に悪いんだけどー。大丈夫?」 と申し訳なさそうにおっしゃるのに 「なんのなんの。こういう日にヘルパーを使わなくては意味ないですよー」 とにこやかに。週に一度ヘルパーが訪問するのを待ちに待っていらっしゃるのだもの。 「んでね、ほんとに悪いんだけど、役場と郵便局にも行ってほしいんだけど」 「はいはーい。大丈夫ですよぉぉ」 <私、多重人格者になるかもヘ(__ヘ)☆\(^^;)
私がこけて怪我するのはまーいいとしても そうなることによって 利用者さんへの影響を考えると絶対何かがあってはいけない。 「ああああ、私がお使いを頼んだばっかりにーー」とかいう 思いをさせちゃいけないのだ。
約4kmをこまこまと往復。 あー、こわかったーー、緊張したーーー、おなかすいたーーー! (^-^; (^-^; (^-^;
・・・問題は明日よ明日っ!!
◆昔の今日の記事
2003年01月15日(水) |
地上の星 オリコン1位記念 |
↑ この理由を日テレの福沢某は 「紅白で歌詞を間違えたので、正しい歌詞を知りたくてCDを買い求める人が増えたのか?」とか言うておった。 ばかものっ! (-_-)
------------------------- パーフェクトTVに加入している我が家で 野球がオフシーズンのとき 加入しててよかった〜! とか思うのは 音楽番組、、、らしい(^^ゞ
「今週のヒットチャートはー?」 「お、◎◎の××という曲があがってきた」 などという会話を父子でしている。 父はテレビの曲をカセットに入れて車でも聞いている。 (・・・MDでないところが古い人間なのだが、まるで中高生に戻ったみたいでしょー。わはは)
去年の11月ごろ 「ロードオブメジャーってなかなかいいよ」 と眼をつけたのは息子でなく旦那ちゃん。
会社の人とカラオケに行くと旦那ちゃんのうたう歌は新しすぎて、みんなついてこられないんだそうな。(^-^;
家では、2,3回聴けば覚えてしまう天才的な(笑)記憶力の子供たちがよく上位曲を口ずさんでいる。
そんなわけでTVや子供やらカセットやらからいっつもいっつも聞こえてくるので、おくれている私でもいわゆるコマーシャル効果で、さびぐらいは分かるようになる。
去年末の紅白の54曲、知らなかったのは演歌関係だけという優秀さ。 知ってる歌ばっかりなので、紅白は久しぶりになかなか面白かった。 (もちろん中島みゆきのおかげでもある)
我が家では おじさんがBoaを歌い、おばさんがZONEを歌い 親子でB'zを熱唱し んで、 中学生がビートルズを歌い、小学生がリボンの騎士を歌う。
あ、そういえば今年の初カラオケはまだだわ。(^o^;
#マックパソコンをご存知無い方はこの項飛ばしてください。
10年一昔、とは言うけれど パソコンの世界では1年一昔。
そ、そ、それをだよ。 1997年に買ったPPCからいきなりG4、OSXにするなんざ 無謀だったかもしれない。(^-^; (^-^; (^-^;
文明開化で ちょんまげがザンギリ頭になったごとく ろうそくがガス灯になったごとく 籠や馬が走る側を蒸気機関車が走るごとく
・・・ついていけないー(T.T)
しくしく。
でも1枚画像いじるごとに固まりだすようになった以上 旧来のを使うわけにもいかず。
でさ、悔しいので CDを取り出すのに、ボタンじゃなくて 今までどおりゴミ箱にずりずりドラッグしてみたんだな。(^0^; そしたらさ、ちゃーんと出てくるわけ!
きゃー♪ さすがまっちゃん! <るうはマックパソコンのことをこう呼ぶ これで元気でちゃった。
この暴れ馬(eMac)、今月中に手なずけてみしょうっ!! スキャナも、ZIPドライブも、USBのを(笑)買うぞ!
さあああ、稼がねばっ!(大笑)<現在、るうちゃんの給与振込み銀行残金827円
◆昔の今日の記事
前にクリスマス用の子供向けのお菓子プレゼントを作った。
いろんな市販のお菓子をかき集めてきて、各袋や箱から少しづつとり包みなおす。 お菓子は子供が喜びそうなCMでおなじみのとか人気キャラクターのとか。 んで、お菓子だけでなくちょっとした小物や100円玉も忍ばせておく。 包装用の袋はパソコンで模様を合成し、渡す子供の写真をプリントしたるうちゃんオリジナル♪ リボンをつけて、クリスマスの小物をあしらって、、、ほほほ、どうだ!
貰った子は大喜び。 「一杯うれしいものがはいってるんだもんー!」 喜んだ顔を見て私も喜ぶ。 「いいアイデアよね! 私もまねしよっと」と友人。 皆さんもいかがですか、とか。
---------------------------- なんで今頃こんなことを思い出したかというと、 『千と千尋の神隠し』がまたぞろ話題になってきたからだ。
私はあの映画の“テレビゲームのRPG的都合のよさ”が嫌いである。子供(だまし)の世界でとどまっていてほしい。 だから世間がなんといおうと私は認めない。 世間が認めれば認めるだけ、安易な考え方がはびこっていることに警戒感を抱く。ヾ(・・;) そして賞をどれだけ取ろうが知ったこっちゃ無いが、でもせめてテロップに参考文献として下敷きにした数々の優れた童話を明記すべき。そうしなければあれは盗作だ。
でね。あの映画って、私が作ったこのお菓子プレゼントと似ているな、と思ったのさ(^^ゞ
仕事も趣味も母になったのも妻であることも だれに強制されたわけでなく 自分の意思で、自分主体で、 自分がしたいからやってるんであって、、、。
と、そう考えて、 人は、「強制」「〜ねばならない」「重圧」という檻から自分を自由にしようとする。
やらされてるんじゃない、私がやりたいからやってるんだ。 自分の意志でしているのだから、自分が好きでしてるんだから、人の意志や評価、報酬はどうでもいい。
そしてそう自分に言い聞かせることで、本心から自分はそうであると勘違いする。
が、、、。
「正月にわざわざ遠くから来てやってるんだから、お礼は言わないまでももちっとうれしそうな顔をすればいいのよ」
こんな言葉、“自分のために自分の意志ですべて行動している”と本心思っている人間には絶対に吐けない。
思いやりとか相手のことを考えるとか、そんな人為的小細工的な(笑)問題ではない。 (相手によってはこのみえみえの小細工にやりきれない思いを持つこともあるだろうし)
普段から口の端に上せている自分の主義主張が、本当にしっかりと身についたものなのかどうかの問題だ。
この言葉には 「あんたのために私はいろんな犠牲をはらっていろいろやってやってるのよ」だから「それなりのその報酬をください」という本心が丸見えではないか。
多分“自分のために自分の意志ですべて行動している”人ならこんな言葉をなげかけるだろう。 「どうしても顔が見たくなってきちゃった。正月静かにしているときにうるさくってごめんねー」
人はたいてい 「こうあるべき、こうしたい」といいはするが ほとんど身についてないことが多い。 見栄とか自尊心とかそういうくだらないものにつつまれた「おエライ言葉」に過ぎないことの方が多い。 そして自分でも気づかぬうちに偽善者に成り果てる。
身についてないから無理がでる。 無理は矛盾になる。 矛盾は特に体調の悪い時に出る(笑)。 そして体調はそういいばかりではない。 矛盾は嘘につながる。 そして子供は王様の裸を指摘した強さで親を指差す。 「大人ってうそつきじゃん!」
・・・大人の嘘つきは 無理をした自分から生じる、自分自身への嘘なのかもしれない。 無理をしない、がんばらない、とは 「自分の本心」と眼をそむけず対峙せよ、ということなのかもしれない。 主義主張と本心との隔たりをなくしていくのが日々の精進なのかもしれない。
今年、私もその精進をしていこうと思う。
◆昔の今日の記事
2003年01月06日(月) |
明けましておめでとうございますぅ |
、と書いては見たけど、 正月気分は 今朝5時45分に起床したとき、体から無理やりひきはがした掛け布団とともに消えてなくなった。
寒いなあ・・・
昨日まで和やかにピンと元気よくはりつめていたものは まるで空気の抜けかかった風船のようになり、 飛ぶに飛べず、部屋の中をふーらふーら・・・
かったるい。
人はこれを しょーがつボケと呼ぶ。
さて。私の仕事は明日から。 学校も明日から。
もちっと子供といっしょにぐたぐたしてよっと。(-_-;
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