ちーちゃんままの日記

2007年02月28日(水) 電子レンジ料理がアツい

子の年齢:3歳1ヶ月

 このところ電子レンジ料理にハマっている。

 それまでは、お惣菜ばかり買っていた。
 料理嫌いではないのだが、毎日毎日(今は1日おきだが)仕事が終わってから、子供にまとわりつかれながら夕食を作るのにウンザリしていた。
 なんとか手抜きできないかと料理本のコーナーで手に取ったのが(『簡単!電子レンジレシピ100―いれて・チンして・できあがり』(著)村上 祥子)。
 早速購入して、とりあえず書いてあるとおりに作ってみたら、本当に「おいしい、楽チン、洗いものが少ない」。
 もう目からウロコだった。
 
 特に煮込み料理が、短時間でおいしくできる。
 ガスと違ってあまり煮詰まらないので、煮汁は少なめにして、小さいお皿を落蓋にして10分〜20分チンする。
 そして、(当然)タイマー付きなので、セットしたら台所に居ても居なくてもいい!

 今まで何冊も料理本の類は購入したが、ここまでヤル気になれる料理本は初めてだ。
 今度は何を電子レンジで作ろうか!



2007年02月23日(金) きれいでかわいい子

子の年齢:3歳1ヶ月

 3歳児のこととて、ちーちゃんは近頃こまっしゃくれた口を利く。
 「パパ3人で特急しらさぎで旅行に行きたい」と言うので、かわいそうに思って「ママと二人でプールに行こうよ!」と言ったら、「智ちゃん風邪ひいてしまうでしょ、ママ一人で行けば!」と言う始末だ。

 そんなある夜、パジャマに着替えさせようと、真剣にテレビを見ていたちーちゃんに近づいた。
 ピンク色のやわらかい頬にうぶ毛が白く輝いている。濁りのない黒い瞳、ぽかんと開いた小さい口。幼児の真剣な姿には、何かはっとする美しさがあると思う。
 言葉が口をついて出てきた「・・・きれいでかわいい子」

 それを聞いたちーちゃんは、はじかれたように抱きついてきた。
 まだまだ、ママのちーちゃんなんだね。



2007年02月22日(木) カイロプラクテックとカイロオステ

子の年齢:3歳1ヶ月
 
 さて、眼鏡屋に行った後、メニエル氏病を疑って耳鼻科に行こうとしたが、事務長が不親切なので断念した。予約優先なので、飛び込みの場合はずっと待ってもらう、と言うのだ。そこまで我慢して、西洋医学に頼る価値があるだろうか?
 耳鼻科のかわりに、以前から気になっていたカイロオステ院というところに行ってみることにした。

 カイロプラクテックとカイロオステ、名前が似ているから同じだと思っていた、沖縄に行くまでは。

 カイロプラクテックには長く通っている。
 しかしどうも最近、治療が合わない気がしてきた。
 産後、お尻の骨に違和感を感じる箇所があって、それを相談したのだが、股関節が動くから問題ない、と言われたことがあった。動くには動くが、右足の股関節でカクカクと音がする、と言うと、「気にし過ぎ」だという。
 カイロプラクテックとは、椎骨のバランスを整えて、全身を健康にするものだと思っていたのだが違うのだろうか?股関節がかくかく音を立てていても気にしないのであれば、何を治療しているんだろう?
 そこで諦めないでカイロオステに行ってみよう、と思ったのは、沖縄で紹介されて偶然行ったところがカイロオステという名前で、カイロプラクテックと全く違う治療をしていたからだ。
 
 富山のカイロオステ院はファボーレの近くのアパートの一室で、ちょっと入るのに勇気がいるところだった。
 まずは、これまでの経緯を話す。それから触診。
 背骨を触って、「こりゃひどいね、仰向けで眠れますか?枕どうしてます?」と言う。
 そうなのだ。高価な枕をいろいろ試しているのだが、いつも朝起きたら背中が痛いのだ。「ラップの芯にタオルを巻いて、枕を作って寝るといいですよ。」
 
 朝の背中の痛みを理解してくれただけでも来た甲斐があった。だって、今まで誰も、布団屋さんも、理解してくれなかったんだもの。

 治療はかなり荒っぽく痛かったが、家に帰って、今まで出来なかった美容体操が出来るようになっていた。
 横向きに寝そべって片足を上げ下ろしする、という軽い体操なのだが、今まで右足がちゃんと上がらなかったのだ。
 左右対称に足が上がる〜。



2007年02月20日(火) モチはモチ屋、眼鏡は眼鏡屋

子の年齢:3歳1ヶ月

 沖縄から戻ってもずっと、眼球が腫れたり、頭のどこかが痛い状態が続いている。
 以前から首が回りにくいのだが、ますます首も痛く、もう単なる肩凝りとは呼べない状態になってきた。
 何とかしたいと思いつつ、仕事や家事の忙しさで諦めていたが、救急車に乗ったり沖縄で病院めぐりをしたりしている現実を放置できない。
 ということで、午後半休を取って、心当たりをあたってみることにした。
 そもそも、周期的に嘔吐するようになったのは、マウンテンバイクで通勤するようになってからだった。身長が低いのに、足の届かない大人用のマウンテンバイクで片道20分の距離を通勤しているうちに、骨格のどこかがおかしくなったようなのだ。
 春になってマウンテンバイクで通勤を始めると、毎週水曜日に嘔吐した。健康のために始めた自転車通勤で、却って不健康になったという始末だ。
 それから、今使っている眼鏡もおかしい。購入して次の日に眼が腫れた。それからも、眼が痒くなったり、眼が腫れたりを繰り返している。
 眼科で眼鏡を調べてもらったが、元の眼鏡とレンズの度数が同じなので、眼鏡が原因ではない、と目薬をくれるだけだ。
 人生を諦めてしまいそうな程健康被害を受けているのに、目薬で誤魔化されてたまるか。

 まず、前回とは別の眼科に行ってみることにした。眼は腫れているが、眼球自体には問題がなく、レンズも同じだから目薬を出しますという。こんな診断では納得がいかない。絶対に眼鏡が悪いと思うので眼鏡を変えたいが、古い眼鏡はフレームが壊れてしまって使えないから眼鏡かコンタクトレンズの処方をしたい、と頼んでみた。すると医者はムッとして「ウチは12:30までなんです。眼鏡の処方は1時間かかるので、もっと前に来てください」と言う。まぁ尤もな話ではあるが、眼鏡は問題ない、という診断には納得がいかない。

 あーあ、また健康保険をムダ使いしちゃった。

 がっかりしつつも、今の眼鏡を使い続けるのだけはいやなので、壊れてしまった古い眼鏡を復元することを考えることにした。
 このお気に入りにの古い眼鏡は、問題の新しい眼鏡とは別の店で購入しているので、古い眼鏡を購入した店に持ち込んで、見てもらった。
 眼科で同じ度数だから問題ない、と言われた経緯を話していると、「ちょっと見せてください」と言う。

 「これ、レンズ違いますよ。若干度数が高いし、左目に乱視が入っているし、焦点の位置が違う。」
 「ですよね!!!違いますよね!違うって言ってるのに〜。」

 メガネのことはメガネ屋に聞け、ということか。最初からメガネ屋さんに来ればよかった。
 調べてみるとそのメガネを作ったのは8年前で、同じフレームはないので、メーカー修理になるそうで1ヶ月待になるそうだ。
 
 とにかく、周期的に2日も絶食になるほどひどい症状があるというのに、医者が口を揃えて「どこも悪くないです」と言うのが腹が立つ。
 「周期的嘔吐症だ」とか「機能性胃腸障害だ」とか名前を付けるのはいいが、頭痛薬と胃薬しかくれない。
 眼鏡屋さんの方が頼りになるよ!



2007年02月17日(土) 靱猿

子の年齢:3歳1ヶ月

 野村万作・萬斎の「靱猿」の公演がオーバードホールであったので、見に行った。
 ちーちゃんを実家に預けて一人で。

 狂言を見に行こうと人を誘っても、あまり返事が芳しくないので、誘う気もないのだが、こうやってどこへでも一人で行くから友達が減るのかも、と反省。
 さて、他の観客といえば、会場が会場なので、着物の人が多い。
 着物って、ただ着ればいいってものではないな〜と思う。着物は目立つので、着こなしの優劣もハッキリ出るのだ。
 黒紋付の羽織を着てきた人や、ハデな柄の半襟をした人、銘仙の着物に銘仙の羽織でごちゃごちゃした人などは、失礼ながら目障りな感じさえする。
 その中で、すっと姿勢のよい若い人が、黒地の江戸小紋に白の半襟をきっちり詰めて着ていたのがとても美しかった。両親に連れられて来ていて、育ちの良い自慢のお嬢さんを見せていただいた、という雰囲気だった。

 さて、公演が始まって、近頃は最初にレクチャートークがあるのがならわしのようで、萬斎さんが出てきて話す。開口一番にこう言った。
 「富山には能楽堂があるのはご存知ですか?」
 大半の客が大きく頷く。
 「何故そこで演らないか?何回も演らなくちゃならないからです。」
 
 実にうまい導入だと思う。観客全員が感じている疑問について一番最初に説明する。ステージと観客が一体になる瞬間だ。
 狂言役者だけに、話の間合いが絶妙だと思う。間合いが長すぎて我慢できなくなるギリギリのラインで次の言葉が出てくる。
 勿論間合いだけでもなくて、話のラインとしても、「能楽堂で観るのもいいですよ」とか「違う役者で同じ曲を観るのもいいですよ」なんてことをちゃんと言っていて、非常に素晴らしい。このトークだけでも喝采ものだったと思う。

 演目は2番あって、前座に「文荷(ふみにない)」「靱猿(うつぼざる)」
 「文荷」も万之介(万作さんの弟)さんが出ていてなかなか面白いので、「靱猿」の最初に、野村祐基くん扮する猿が出てきたときはちょっと白けてしまう。
 というのは猿の演技は後半の舞のところ以外はアドリブなのだが、猿をやるにはチト大きくなりすぎた祐基くんは、やたらと体を掻いたりでんぐりがえしをする、猿らしくないばかりかせわしない。
 これが3歳の初舞台なら、可愛らしくてウケるところなのだろうが、そろそろ小学校の祐基くんではマが持たない。

 猿の命を助ける、と決まって興が乗ってきた大名が、猿と一緒に踊る、というところで、万作さんの独壇場となる。
 猿の踊りの可愛らしさに、扇子やら素襖やらを次々と賜って、最後には問題の靱を持って踊り出す、という話なのだが、あの稚気あふれる踊りは誰にも真似できまい、と思わされた。そしてその様子が「初孫の可愛さに有頂天になるじーさん」だと見れば、役者の家族関係そのものでもあって、余計おかしい。
 最終的には、まだまだ現役のじーさんが、舞台を大団円に持っていく、というところが親子孫三代で演る本当の意味でもあって、よくできた曲だと思う。



2007年02月16日(金) プール熱ではない

子の年齢:3歳1ヶ月

薬がなくなったので、今度はかかりつけ医に連れて行ってもらった。
長々と経過をまとめ、登園許可証と、今飲んでいる薬の説明書とともに、義父に託す。

そして、帰宅して話を聞くと、またも診断が変わっていた。

かかりつけ医では、アデノウイルスの診断キットを使ったようだが、ウイルスが検出されなかったらしい。
つまりプール熱でもなかった、ということだ。

では一体何なのだ?
溶連菌でもなく、インフルエンザでもなく、プール熱でもないのに、5日も高熱が出てリンパ腺が腫れるのは??

飛行機に弱いのだろうか?
あるいは、猫から感染する病気にかかったとか?

ともかくも、病院を渡り歩いて、ちーちゃんはようやく元気になった。
やっぱりかかりつけ医が一番頼りになりそうだ。

長いお休みだったけど、ようやく保育園でお友達と遊べるね!
なぜかちーちゃんは不服そうだ。



2007年02月15日(木) プール熱

子の年齢:3歳1ヶ月

 ちーちゃんの病気はプール熱と呼ばれるアデノウイルス感染症らしい。
 名前の響きから、あまり警戒しなくて良い病気のように考えてしまうが、予想外に重い病気だった(まだ完治してないけど)。
 ちーちゃんが生まれて3年間こんなに重い病気にかかったのは初めてだ。
 
 プール熱は病名のとおり、5日〜1週間続く高熱が特徴で、他にのどの痛み、リンパ腺の腫れ、目の充血といった症状がある。
 体がだるく、食欲がなく、呼吸も辛いようで、傍で見ていて心が痛む。

 プール熱は飛沫感染なので、プールに入っていなくてもうつる。潜伏期間は1週間程度なので、保育園でうつったようだ。
 手洗い、うがいをちゃんとしていれば防げる病気なのだ。

 だからいつも手を洗いなさい、って言ってるでしょ、ちーちゃん。



2007年02月13日(火) 沖縄病院めぐりの旅

子の年齢:3歳1ヶ月

パパの会社の年功慰労休暇を利用して、沖縄に行ってきた。
憧れの沖縄初上陸。1ヶ月も前から楽しみにして、シーズンオフながらホテルも高級リゾートを奮発した。
ちーちゃんは飛行機の中で退屈してぐずったが、大過なくホテルに到着。
ホテルのロビーからエメラルドグリーンの海が見下ろせて、予想以上の豪華さにパパも大満足。
と、ここまではよかったが、翌朝だんだんと持病の頭痛が出てきて、ついには朝食後に嘔吐してしまった。

その日は美ら海水族館に行く予定だったが、片道60分のドライブに耐えられない。それでもパパは何とかなるだろうと、昼食に向かったが、今度はちーちゃんがぐったりしてきた。
触ってみると高熱を発している。38.5度も熱があった。

2つ注文したカレーを1皿まるまる残して、店の人に教えてもらった病院に行く。
この最初に行った病院がなんとも頼りなく、薬を出されたが、ちーちゃんについてはまだ熱を出したばかりと言うこともあって診断もつかない(結局ちーちゃんの病名がわかったのは家に帰ってからだった)。
院外処方だったので、吐き気をこらえながら処方箋を持って薬局へ。
この薬局の薬剤師さんがなんともユニークで、「肩凝りがするの?じゃね、左手でここを押さえて。」とわたしの手を頭頂に置いて、右手首の真ん中辺りをぎゅーと押さえる。「家族の人にやってもらいなさい。」
一瞬楽になったが、後で余計に吐き気がした。

仕方がないのでホテルに戻ったが、薬の効き目が出ないので、ホテルのフロントに近くの病院を紹介してもらい、点滴を受ける。
さて、その後のことはあまり覚えていないが、ちーちゃんは熱の割には元気だったので、パパと食事に行ったり翌日には美ら海水族館に行ったりしていた(その時の疲れで、帰宅してから余計に調子が悪くなったのかも知れないが、その時は分からなかったので)。

二人とも治らないので翌日も病院に行く。薬がダメならマッサージにも行ってみる。
マッサージの効果で一時的に調子が良くなったが、時間が経つとまた元に戻ってしまった。
 再度病院に行って点滴をしてもらう。

その夜、11時にふと気がついたら吐き気がしなくなっていた。翌朝チェックアウトだというのに。
三泊四日の旅行だったのに、着いた日と帰る日だけ元気になったので、一泊二日の旅になってしまった。


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