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恋する研究所*
りう
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2006年07月31日(月)
Thank you for your support.

先週に入り、おじいちゃんが他界し、新しい旅へ出ました。
長い間、どうも有難う。ゆっくり休んでね。
食べたかったもの、食べられてると良いなぁ。
無事に旅を終え、極楽へ辿り着けますようにいつも思っているよ。

おじいちゃんが逝った後、セージにも相談に乗ってもらってたから、電話でそのことを伝えた。
その前に
<大丈夫か? 心配だぞ。今週末、仕事休みだからメシ食いに行くか? たまにはおごるよ!>
ってメールをもらってて、その返事もあったから。
(何でまた数日メールしないだけで心配してるのか不明だけど…)
セージに亡くなったことを言うと、

もう意識ないけど、出来るだけ話しかけたり、触ったりした方が良いよ。後は、みんなで思い出話をしたら良いんだって」

凄く心に響いた。
私、この人に、この言葉に支えられてるなあって思った。
後悔のないように。
この人が後悔したからこそ、出てくる言葉でもあると思う。

出棺の日の朝、私一人でおじいちゃんの前に座った。
この世に身体があるのはこの日が最期。
数時間すれば、もう二度と見ることはなくなってしまう。
手を合わせながら、思いつくことを次から次へと心の中で投げかけた。
そして最期の前に、一人でおじいちゃんのお顔を見た。
入れ歯をしていないこともあって、口元が小さくしわしわになって、とっても痩せて見える。
もちろん、絶食だったからずっと痩せてるんだけど。
最後におじいちゃんのお顔に触れた。
とっても冷たかった。
冷え性の私も、冬に氷のように冷たい手足になるんだけど(笑)、何と言うか…本当に死んでしまった人の冷たさだった。

こういうこと、セージの言葉がなければ、私はしていなかったと思う。
もちろん、最期の日に挨拶はしようとは考えていたけれど、やっぱりお顔を見るのは怖くて。
だけど、勇気を振り絞って良かったと今は思ってる。

全ての日程が終わって、自宅へ帰る前日、何となくセージに会いたくなって。
<明日会えない?>ってメールしてみた。
次の日、家に着いてから<遅い時間ならいいよ>って返事がきて、夜から会ってご飯を食べることに。
でも、セージは実家に帰ってたみたいで、遅くにお昼食べたからお腹空いてないって。
私が殆ど食べてた。
お酒はセージの方が飲んでたねえ。
初トライだった梅酒美味しい。けど、一晩一杯で十分かな。
この日会って分かったけど、セージは私の行動パターンみたいなのを知ってる。
一杯目を半分過ぎたくらいから、「酔ってるだろ?」って言われて。
自分でも何となく酔ってるのかなあって思ってたんだけど。
お酒飲んでるのが楽しくて。
一緒にいる人がいる人だからかな? なんてね。

最近、お酒1.5〜2杯飲むのが常になってて、そうすると足取りが危なくなる。
前はこんなことなかったんだけどなあ。
歩いてるのはまだ平気だったんだけど、信号待ちとかでまっすぐじっと立ってられなくて、隣にいるセージにぶつかったり寄りかかっちゃったり。


↑ぽちっと見える仰天行動。


滅多なことでそんなことしなかったセージが!
付き合ってた時ですら、こんな人の多いところでだってしなかったのに!
でも、歩いていてもぎゅうってしてなきゃダメなほどふらついてる。。。
完璧に酔っ払いでした〜。

てゆっか、甘え過ぎですね。
セージにも「付き合ってた頃より甘えるようになったな」って言われた。
う〜ん。
甘え過ぎると嫌われるんじゃないかって思ってたから、抑えてたんだ。
今は好きだけど、そういうこと考えなくなったし。

だって、終わってる関係だものね。




今回のおじいちゃんのこと、セージにとても支えられてる。
これが彼氏だったら良いのになぁ。
支えられる友達関係も良いけど。



2006年07月24日(月)
モット。。。

何だかんだ言って、セージからのメールを待ってる私。
いつまでひきずってんだか。

最近は、取り立てて話すべきこともないから毎日メールすることはなくなったけれど、
週に1〜2度はメールが来てた。
でも、この前はおじいちゃんのことのような重い話をしたりしたから、離れてくかもしれないなあ。
それも良いけど。

だって、これ以上繋がってたら、りうはきっともっと甘えちゃう。

この前、弟と話をしていて、
「おじいちゃんのことをセージに言ったら、思いの外、ちゃんとした答えが返ってきたよ」
って話したら、
「惚れ直しちゃった?( ̄ー ̄)」
だって。

そりゃー無いけど、セージの新しい一面を見た気がする。



↑押したら見える複雑な気持ち。


ここのところの週末は、おじいちゃんのところへお見舞いに行くだけで精一杯。
他のことをする時間の余裕がない。
…お休みだから、ダラダラ動いているせいもあるけど…。


早く次の人現れないかな〜。



2006年07月22日(土)

セージに対する自己嫌悪と高まる気持ち。

私がセージに愚痴ったり、悩み相談をしたりする時ほど、自己嫌悪に陥ることってない。
3連休中、迷った挙句に飲み会を断っておじいちゃんのとこにずっといて、帰ってきたその日。
久し振りに病院のベッドで会ったおじいちゃんへのショックや、それでも話したり動いたりするところを見て安堵したとこもあったけど。
やっぱり不安は否めなくて。
おじいちゃんのこと、誰かに話したくて、セージに言っちゃった。。。
ずっと言わないでいたの。
だって、彼に言ってもムダというか、軽く受け流されちゃいそうって思ってたから。
だけど、予想外に、きちんと受け止めてくれた。
セージにも少し前にそういう経験があって、それを話してくれた。

「出来る限り行った方が良いよ。俺は一週間、行かなかったらその間に亡くなったから。たった一週間でも後悔した」

そういう話を聞いた後、数時間後におじいちゃんが危ないからって一緒に住んでいる叔母から電話があって急いでその日にまたおじいちゃん家に行った。
着いたら、大丈夫だったって分かって一安心したんだけど。
次の日は会社に行かれないから、もう一度お見舞いに行って、帰ってきた。
さすがにちゃんと寝られない日が何日も続いてて、精神的に疲れてたのもあって、セージにメールでまたおじいちゃんのとこへ行ったことを言って甘えちゃった。
そしたら、おじいちゃんのこと心配したみたいで、具合悪いのか? って。
次の日、
<何とも言えないけど、傍にいてあげることが大事なことだと思う。話しかけてあげたり、触れてあげたりして。>
っていうメールが入ってた。
確かにそれくらいしか私達には出来ない。
それと同時に、セージも大変なのに負担をかけたって思って。
自己嫌悪中。。。

それと同時に、会いたいって思っちゃってる自分もいて。
でも、お互いに会う時間もないし。
私は今、おじいちゃん最優先で動いてるから、週末は向こうへ行くし。
セージだって、私と会う気ないだろうし。
今、会おうなんて言ったら怒られちゃうかも(笑)。


↑押したら見える心の声。



2006年07月11日(火)
全てのものに平等に与えられているもの

※今日は、恋愛以外のことです。

「おじいさんの容態がどうも芳しくないみたい」と母から聞かされた。
母方の祖父がここ数ヶ月、入退院を繰り返している。
最初に入院した後、一旦自宅に戻ったけれど、また再入院。
先週辺り、おじいちゃんからお母さんに「流動食を食べられるようになったから大丈夫だ」という電話が病院からかかってきたっていうのを聞いて、少し安心していたのだけど…。
今はまた点滴だけの絶食生活らしい。
とにかく、普通に食べることが身体にとって良くない、とのことだった。

「お盆前にはダメになるだろう」と母も叔母も言っている。

おじいちゃんは、まだ生きる気力のある人だから、それで持っているところもあるのだろうけど。

いずれ、高栄養の点滴を打つか、そのまま普通の点滴を打つか、選択を迫られる。
高栄養の方は少しは長く生きていられるようだけど、おじいちゃんもそれは最後の手段だと知っているから、「自分はもう長くない」と分かってしまうだろう。
普通の点滴では、もっと生きる時間が短いかもしれない。

高栄養の点滴をするかどうかは、今すぐ決めなくてはいけないことではないし、それは叔父が決めることだとも。

どちらにしろ、おじいちゃんが病気に倒れる前の状態には戻れない。


私にも、おじいちゃんにも『死』はいずれやってくる。
それが早いか遅いかだけのこと。
おじいちゃんは私の3倍も4倍も生きてきた人だから、早くて当たり前。

私にとって親しい人が亡くなったのは小学校の時、母方の祖母が最後だ。
あの時の私はどうだっただろうか。
母も叔父も物凄くショックを受けたらしい。
泊り込みで看病していた時もあったくらいだから、母は疲れと悲しみでいっぱいだったと思う。
叔父も「3日間うなされた」とつい最近零していた。

朝早くに危篤だから、と聞かされて、家族全員で母の実家に行ったのを覚えている。
着いた時におばあちゃんは既にこの世の人ではなく。
私は死んだ人が非常に怖いらしく、近づけなかった。
何人もの親戚や母がいて、おばあちゃんの顔から一番遠くに座っていた。
お通夜もお葬式でも、ただただ、黙っていただけだった。

涙も出なかった。

あの頃の私は、人が死ぬということがそれほど現実的じゃなかったのだろうか?


今、おじいちゃんがこの世からいなくなってしまうという、未来を、現実を考えると。
とても悲しくて、涙が溢れ出てくる。

今思うと、一度退院した時に無理してでも会いに行けば良かった。
私は家にいるおじいちゃんが好きだから。
最後に見た姿が病院で見ただけの姿だなんて…悲しすぎる。


いずれ、父も母も私も弟も友達も未来の旦那様も神様の元へ行く日が来る。
誰がいつ召されるかなんて分からない。
かえだに祖父のことを話した時
「サークルの合宿に行ってた時、高校の時お世話になった塾の先生が突然亡くなったって友達から聞いたの。嘘でしょって。びっくりだよ。だって、何があっても死ななそうだよねって言ってた先生が、だよ? 本当だって分かると、もうわーわー泣いてた。みんな心配してくれたけど、放っておいてって、体裁なんて構わずに泣いたよ」
という話をしてくれた。
「だから、心の準備をしていても、びっくりすると思う。今は出来る範囲でりうのしてあげられることをしてあげたらいいんじゃない?」

母は、自分の母親が亡くなった時でそういう面での覚悟はあるらしく、非常に落ち着いている。
少なくとも、おばあちゃんが亡くなった時よりは。
それに一度、大病をして死にそうになったのを乗り越えて今日まで生きてこられたんだからって。
それに、今日明日危ないわけじゃないし。
前々から行きたかった旅行にも行くって。

私のほうが来るべき未来に対して右往左往している。
そう遠くない間におじいちゃんがいなくなること、覚悟しなければならないって分かっているのに。
どうしても受け入れたくない自分がいて。

もがいてしまうだけ。

東照宮へ行った時、色んなところでおじいちゃんのことをお願いした。
その後、病院から電話があったって聞いて私の願いが通じたって思ってすごく嬉しかった。

だから、おじいちゃんは電話出来るまでになったんだよね?


お葬式の時、私はどうだろうかとか、子供みたいに泣きじゃくっているのじゃないかとか、色々思うんだけど。
そんなことを考えていられるのなら大丈夫なのかもしれない。


生きとし生けるもの全て、物にも訪れる『死』。
生まれた時からそれに向かっているということ。



ここまでお読み下さり、有難うございました。



2006年07月09日(日)
we used to belong together...

2005年10月上旬 初彼ハルくんのことが忘れられず。再び連絡を取って話をしたことで私の中で一区切りつく。
2005年10月中旬 その後すぐにセージと出会う。
2005年10月下旬 セージと付き合い始める。
2005年11月 充実した、だけど不安と疑いと幸せの日々。
2005年12月初旬〜 私が最大に幸せだった時、セージから突然のお別れを言い渡される。苦悩と葛藤、自問自答の日々。
2005年12月中旬 大好きだったセージとお別れ。独りの日々へ。
2006年1月中旬 突然のセージからのメール。言い合い。疲れ果て、セージへの想いを断ち切る決意。
2006年2月下旬 新しい世界・出会いを求めて色んなイベントへ参加。その中でヒロカズさんと出会う。
2006年3月初旬 ヒロカズさんと付き合い始める。
2006年3月中旬 セージから2ヶ月振りのメール。返信するか迷った挙句、返信。
2006年4月初旬 ヒロカズさんとの関係が怪しくなる。ストレスによる体調への打撃。セージとは週に1〜2度のメール関係が続く。
2006年4月中旬 ヒロカズさんとの関係が一転、快方に向かったかのように見えた。だが、メールなど連絡は週1あれば良い方。すぐに暗転。分けの分からない間に冷められる。セージとはほぼ毎日のようにメール。
2006年4月下旬 ヒロカズさんと終了。セージとはメールの関係が続き、この頃、再び連絡を取り始めてから初めて会う。先輩と関係を持ったのもこの頃。
2006年5月初旬 完全にヒロカズさんと終わる。それとは逆にセージとは頻繁に連絡を取るように。この頃、ようやくセージと再び電話をし始め、女子大生の話や仕事の話をするように。
2006年5月中旬〜 女の子紹介のセッティングのため、毎日メール。週末は電話。
2006年5月下旬 4人で飲み会。成功。
2006年6月下旬 別れてから初めてセージと旅行。




完全に気持ちが付き合ってる頃に戻ってしまったらしい。
こうなってしまったら、私にとっても、セージにとってもただの重荷でしかなくなる。
それは私が最も避けたかった事態。

人の気持ちはどうしようもない。
だけど、どうにかしなければいけない時もある。

セージは私とは戻らない。
私も心底戻るわけにはいかない。
だって、私の中では戻るのだとしたら、決めていることがあるから。
そうでなければ、私は戻らない。
そしてそれは、最もセージが嫌がることの一つ。
そして、私とセージ二人だけの問題でもなくなってしまう。




別れる頃の私、泣いてばっかりで、戻りたい戻りたいって思っていた。
どういう形でもいいから、セージと繋がりを持ち続けていたいって。

今、そうなっている今。
あの頃熱望した未来が手に入った今。
私はしあわせ?




私は、セージに対して甘すぎるし、心配しすぎる。
まるで母親?
私は彼を恋愛対象として見ているだろう。
でも、彼は全く見ていないし、むしろここ最近は身内か都合の良い存在かもしれない。
その、温度差が、ますます私を苦しめる。





↑押したら見える心の奥


でも、誰かを苦しめる形は長続きしないし、それは到底実現しないことだと思っている。
私にも覚悟は足りないから。言ってるだけ。




ごめん。(誰に謝ってるの? 私)
心配しすぎて考えると涙が出てくる。
どうか無事でありますように。私の杞憂でありますように。

ただ、それだけ。



2006年07月08日(土)
ぐらぐら

正直なところ、自分の心が揺れ動きすぎててどうしていいか分かってない。
だから、態度を硬くすることも出来ず、最後のツメが甘いと思う。

セージからきてたメールを無視してたら、
<どうした?! 何かあったのか?!>
って追いかけるようなメールがきた。

・・・この人、分かってないのかしら?

メールの返事がずっとこなくても、そんなこと言ったりしない。
お互いに週に一回メール返せたら良い方って時期もあったし、
2日3日返事がないなんてそうそう珍しいことじゃない。
セージだけじゃなく、他の友達にしても。

間違えてメールしてきたのかなあ。
例えば、私が<困ってるの、助けて!>とかってメールをして、↑のメールがくるなら辻褄は合うけれど。
私、何もしてないし…。
誰かと間違われてるんじゃないかって思う。

放っておけばいい。
そう思った。
のに。

セージに電話してしまった。
でも、絶対出られないって分かってる時間にかけた。
いつもより大きめの着信音量に設定しておけば大丈夫だろうって、コールバックを待ちながら寝てしまって、それから朝までぐっすり。。。
朝チェックしたらちゃんとコールバックがあった。
しかも、けっこう長い時間鳴らしててくれたみたい…。
(今のケータイって、誰がどれくらい鳴らしてたかとか表示されるんですよね。凄いなあ)
音量最大にしていたら気付いたかな(笑)。

かぐさんが私に「何だかんだで離れられないね」と揶揄するように言う。
まぁ。
今の気分は、後ろにハートマークつけてセージって呼びたい感じ。

・・・危険だね。


↑ぽちっとお願いします。


やっぱ、でも、あの頃とは違う気持ちなんだろうな。



2006年07月05日(水)
ぎゃー

誘惑&欲望に負けそうな今宵・・・

頑張れ!私!
それは脳が感じさせてる嘘の食欲と同じだ!
食べたら後悔するぞ!






↑ぽっちんお願いします。

避ける予定ですけど。
というか、りうからは近付かない。




何でかテンション高かった日。
自分でも気付かなくって、人から言われて初めて気付いた。
セージから久し振りにメールがきたから?
それが超わがままで傍若無人な内容でも?

"好きなら、友達でも恋人でもない、不思議だけど新しい関係が築けるよ。"
"一度付き合って何でも言い合える仲なんだから。"

だけどもう―…

(ワタシノココロハ カコト ムキアッタカラ)
(スキダケド ソレジャダメナノ)
(キミトイテモ ナニモ ウマレナイ ススメナイ)
(1+1ガ 2ニスラ ナラナインジャ イミナイ)



2006年07月02日(日)
別れてから半年経ちました。

金曜日。
久々にあやさんと会ってたくさんお喋りをした。
セージと旅行に行ったのって言ったら、「えっ。報告なかったよ〜」って。
私の事、気にしてくれてたんだって思って、嬉しかった。

あやさんの身に起きたとてもとても大変で、でも嬉しくて、大きな出来事を聞いた。
やっぱり、人が生きるってことは、奇跡の連続。
一瞬一瞬が大事なんだって再認識した。
今こうして何かを出来ること、
人とおしゃべり出来ること、
全て意味のあることで、感謝すべきこと。

ご飯を食べながら、飲みながら、あやさんに初めてヒロカズさんの存在を明かした。
でも、殆どはセージとの飲み会だったり、旅行だったり。
セージのことばっかり話してた。




土曜日。
約束をしてた先輩とご飯。
待ち合わせで電話がかかってきた時の様子から、体調悪そうだなって思ってたけど。
案の定、会ったら「言っておくと、今日、すんごい体調悪い」って言われた。
先に言ってもらえれば、別の日に移したのに。
お気に入りのレストランバーへ。
お店の人がちゃんと覚えててくれてて嬉しかった♪
お店の中でPRIDEがやってて、そっちに気をとられてたおかげで、あまり先輩と話をしないご飯になった。
仕事の話も少し。
サッカーの話も少し。
この前の出張の話も少し。
そんな感じ。
それから、あやさんと会った日の夜中、タクくんから電話がかかってきたことも先輩に話した。
ずーっとシカトしてたらぱったり連絡が途絶えてたのに、3ヶ月ぶりにかかってきた。
当然、出なかったけど。

一度遊んだだけなのに、まだ連絡先キープしておくもの?
「俺は絶対番号変わってるってヤツのもまだ入ってるよ。久し振りにちょっと話そうかなってかけたりするし。そんなもんじゃないの?」

でも、タクくんの過去を見ると、絶対カラダ目的だから。
もうそれは嫌だから。
絶対に繋がりは持ちたくない。

先輩にセージのことも少し話した。
私と別れた日に助けた泥酔の女子大生と付き合いがあること。
彼女に言われるまま振り回されてるセージのこと。
そして、
「そういうことしてるセージに嫉妬してるけど」
自分の醜い心の奥底も。


大分、酔っ払ったらしく、珍しく足元がふらつく帰り道。
思い切って先輩に「手貸してもらっていいですか?」ってお願い。
手を繋いでもらって、やっとこちゃんと歩けた。
「今日は誘うの無しね。誘われても意地でも帰るから」
っていう先輩は、明日、得意先に行かなきゃならない。
「そんなこと考えてませんよ! それに、そんなことしなくても生きていかれるし!」
そう反論したら、
「でも、前はしなくても生きていかれるなんて考えられないって言ってたよ」
って。
そうだっけ???
でも、お互いに気持ちがあってするのは必要だけど、気持ちがないのにすることに意味はないって思う。
だったら、しなくてもいい。




この2日間でまざまざと見せ付けられた。


↑押したら見える本当のココロ。

ここまできたら、恋人として、見てもらえない。

あなたにとって、私はどんな存在ですか?

ipodをくれるまでの存在?

女子大生のことなんて、聞かせないで。
その子のこと、careしないで。
何でりうじゃダメなの?

私がこんなにセージを好きだから、もう一緒にいられない。

涙が、止まらない。


エンピツ