新型コロナウイルスのために学校はほとんどすべて連休明けまで休校となっている。そして連休明けも無理だ。このままではどうやら5月7日からの学校再開は困難なようである。5月中はもう再開しないだろう。しかし、いつまでも再開しないわけにもいかない。そこでオレが学校再開の条件を考えてみたい。
まず、全教員のPCR検査である。職員室というのはとても密な空間である。狭い部屋に多くの机が詰め込まれている。そこで感染爆発することを防ぐためには、教員がみんなPCR検査をして陰性であること確認して、教員同士も、また教員から生徒へも感染させてしまうことがないように対策を立てるべきである。小中高の全教員のPCR検査を行い、全員が陰性であると確認できた学校から再開するということである。
続いて生徒同士の感染拡大を防ぐために、身体が接触する体育の授業内容をすべて廃止することである。身体接触を防げるスポーツ、たとえば卓球とか長距離走とかにしぼるのである。
教室では机と机の間隔を広げられるようにクラス定員を1/3くらいにする。生徒は必ず他の生徒と距離をとって会話する。ハグなどの身体接触は厳重に禁じる。冷房を入れる場合は必ず空間除菌できるエアコンを使用する。トイレの入り口にはアルコール消毒できるように消毒液を用意する。鉛筆やシャープペンシル、消しゴムの貸し借りを禁止する。ノートの貸し借りなどは論外である。
そうして生徒間の接触感染が起きないように工夫するのである。学校での三密を防ぐということは大きな意識改革が必要だができないことはない。くっついてふざけあってるような幼稚な行為は小学校低学年から禁止するのである。カップルの男女がいちゃつくなどの行為は絶対ダメである。校内での手つなぎやキスを発見したら停学などの処分を科さないといけない。今ここでオレがあげたような条件がクリアできて初めて学校は再開可能なのだ。裏返せば、それが不可能ならば学校再開はできないということである。果たして可能だろうか。
経済活動の再開にもやはり検査の拡大は必要である。アメリカでは一日に30万件以上のPCR検査が可能だという。日本の100倍くらい検査できるのである。日本の検査数が少ないのは、もはやその検査が一種の利権と化していて、民間会社の参入障壁が存在するからである。検査技師の人数が少ないために検査数を拡大できないし、高速で大量の検体を処理できる海外の検査機器を何らかの理由で導入しないところにも、その閉鎖性が感じられるのである。もしかしたらこの検査でぼろもうけしている組織や機関があるのかも知れない。
アメリカが経済活動の再開に舵を切れたのは、検査数を増やすことで国民を「安心して通常の日常生活に復帰できる」状態にできたからである。「陰性」という安心感を得た上で通常業務に戻れるようになった人が増えたからである。ヨーロッパの諸国も、もう感染拡大はピークを過ぎたということで経済活動を再開しつつある。
このままでは日本だけが世界に取り残されてしまうのである。まず学校再開を急ごう。そして検査で陰性が明らかになった人はおでこに「陰性」シールを貼ってもらって、周りの人に安心感を与えられるようにしよう。希望者全員がPCR検査を受けられるようにして、一回の検査費用を3000円くらいに抑え、陽性だった時は無料にすればいいのである。アベノマスクに使う無駄金を使えばドイツ・ロシュ社のPCR検査機器を100台くらい購入できたはずである。医療の素人が思い付きで出してる今の対策ではゼニを適切に使えるわけがないのである。
←1位を目指しています。
2020年04月29日(水) |
ブログランキングのこと |
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オレの日記やライブドア・ブログには投票ボタンが設置してある。このボタンをクリックするとそれがランキングに反映される。ランキングが上位になれば、そんな上位ランキングのブログはどんなに面白いのだろうかと読みに来る人が増える。そういうわけでオレはこのランキングをとても楽しみにしていた。
ところが世の中がどんどん変化して、ツイッターのつぶやきしか読まない人が増えた。140文字以上の長文は読めないという人も増えてきて、オレが書くような文章は「長すぎる」ということで読まれなくなり、いつのまにか一日のアクセス数やPVも減っていった。最盛期には一日に1万以上あったPVも今はせいぜい700程度である。つまりオレは「もう終わってしまったオッサン」なのだ。
かつて、テキストサイトの繁栄した時代があり、「日記才人」という日記のランキングサイトが存在した。そこでオレは1位になったことがある。そうして読者の多かった時にオレは活動の軸足をツイッターにうつすべきだったのだ。そうすればオレは読者をそのままツイッターのフォロワーとして引き連れて卒業できたのである。しかし、オレは気が付くのが遅かった。オレはツイッターのアカウントを一応持ってるが、そのフォロワーはせいぜい500人以下で、はっきり言って日記やブログの読者よりも少ないのである。
オレのブログや日記を読んでくれている方々と、ツイッターでのフォロワーはそもそも人種が違うのかもしれない。両者は重なっていないような気がするのだ。だからオレはツイッターのフォロワーの方々にはもっとブログを読みに来てもらいたいし、ブログや日記の読者の方々にはツイッターの江草乗もぜひ見てほしいと思うのである。またそのいずれでもないエッセイをオレはnoteというテキストサイトに置いている。そこには絶対にブログには書かないような個人的な話やエロい話も置いてある。
ずいぶん前置きが長くなってしまったが、オレが日記を「さるさる日記」というところで書き始めたときに、そこで絶対的なランキング1位として君臨していたのが「きっこの日記」だったのである。なかなかボリュームのある内容で面白く、オレは「とても敵わない」と思ったのである。それでオレが考えたのは、きっこの日記と同じランキングサイトに登録しておけば、そのおこぼれをいただけるというコバンザメ戦術だったのである。それが今のオレが登録している「ブログランキング」である。
さて、そのブログランキングで絶対王者だった「きっこのブログ」はいつのまにか更新頻度が減って、有料のメルマガに移行してしまった。確かに読み応えのある面白い内容の長文がいつも無料で読めるというのは贅沢な話で、それだけのクオリティのあるものが有料化されたというのは納得のいく話である。オレが書いてるゴミクズのような罵倒文をもしも有料にしたら誰も読まなくなることはよくわかっている。
その更新されなくなったはずの「きっこのブログ」は、なぜかランキングから落ちてこなかった。これはオレと大きく違うところなのだが、忙しく更新頻度が落ちるとオレの場合はたちまち投票数が減って、ランキングの順位が下がるのだ。ところが更新しなくても「きっこのブログ」は誰かが投票してくれているのである。つまりこれはブログの大御所と、ぽっと出のピン芸人ほどの差が両者にあるということなのである。
その雲の上の存在だった「きっこのブログ」が、いつのまにか神通力を失って、今ランキングでオレと7位・8位を争っている。なんだか残念な気もするのだが、ここでオレは「いつかはきっこのブログを越えたい」と昔語っていたことを思い出す。
今なら少し読者のみなさんに協力してもらえれば、ランキングでライバルを抜くことができるのだ。どうか協力してもらいたいのである。
ランキング上位には、オレのようにせっせとテキストを打ち込んでる人間から見ればなんともうらやましいというか、許せないというか、よそのサイトにただリンクを貼ってるだけのブログや、動物の写真と短文を載せてるだけのブログがなぜか上位に君臨しているのである。このような状況は間違ってるのである。オレのブログのように読む価値があって面白いものが1位でないといけないのだ。今のこの不条理な状況を改善するために、ブログを読んでくださった方々は必ず投票ボタンをクリックしてもらいたいのである。そうして大きく引き離して、もう「きっこのブログ」の時代が終わったということをランキングで見せつけてもらいたいのである。
という卑怯な内容のブログで投票依頼した結果、「アホか!」と怒ってもう二度と読まない人が出てくるかも知れないのである。これは失敗かも知れないのである。
←1位を目指しています。
2020年04月28日(火) |
パチンカスはパチンカス |
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休業要請に従わないパチンコ店の店名が公表され、そこにさらに客が集中するという現象が起きている。どうしてもパチンコを辞められない「依存症」の連中、いわゆるパチンカスが大勢いて、彼らはアル中と同じくパチンコ依存症なのでとにかく毎日やりたいのである。これはアル中が酒を辞められないことや、ニコチン中毒患者がタバコをやめられないことと同じである。
人が密集するということは、そこで新型コロナウイルスへの感染の可能性が発生するということであり、映画館や遊園地、美術館博物館といった施設が閉鎖になっている。不要不急という条件から考えれば。パチンコほど不要不急の施設はない。
今、休業勧告を受け入れないパチンコ店への批判が高まっているが、この機会にパチンコ店が行っている賭博行為に関して厳正に法律を適用して処罰すればどうだろうか。景品を換金する仕組みは違法である。パチンコ屋の業界団体に警察官僚が天下りしていて、その法律違反を警察が認めているような間違った状況をどうして誰も告発しないのか。大阪の吉村知事はパチンコ店が指導に従わないことは語っても、そこで賭博行為が行われていることに関しては触れていない。問題なのは要請を受け入れずに営業していることではなく、賭博行為を行っていることである。問題の本質が違うのに、誰もそのことを指摘できないというタブーが問題なのである。
パチンコ屋の利益が北朝鮮に送金されてミサイルの原資になっているウワサがある。もしもそれが本当ならば、あのろくでもない独裁者の遊びの資金をパチンカスが提供しているのである。ただ、その利益が脱税によるものであるならば、ちゃんと課税しないといけない。
オレはカジノには反対だ。ただ、すべての賭博行為に反対するわけではない。競馬や競輪、競艇に関してはその収益が地方自治体の収益や国庫に納付されていることわけで、一種の「娯楽税」みたいなものであるととらえている。しかもその収支は完全に公開されている。パチンカスの人たちがどうしでもギャンブルがしたいなら、公営ギャンブルを楽しめばいいのである。
毎年夏になると、親がパチンコをしている間に車内に放置されて死ぬ子どもがいる。ゼニをみんなパチンコにつぎ込んで子どもの給食費も払わないヤツがいる。パチンコに負けた腹いせに妻や子供を殴るクソ野郎がいる。そういうクソ野郎は、パチンコがなくなってもやっぱりクソ野郎なのかも知れないが、少なくともパチンコ屋がなくなればリスクは少しでも減らせると思うのである。
休業要請を受け入れないということで明らかになったパチンコ店を排除するには「賭博行為の厳重な取り締まり」だけで充分である。換金できなくなれば客はいなくなる。娯楽として遊びたい人などいない。どうして違法行為を誰も摘発しないのか。オレはそれが不満である。
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2020年04月27日(月) |
道路は三密である |
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学校が休校になったからと言って、教員が出勤しないわけではない。テレワークできることとできないことがある。そういうわけでクルマで家を出るのだが、通勤時の混雑は全く変わらないのである。道路は三密なのだ。どうしてこうなるのだろうか。
その理由としてまず考えられるのは、混雑する電車通勤を避けてクルマで通勤する方が増えているからということである。しかし、電車は今はかなり空いているらしい。だったら危険もかなり緩和されてると思うのだが、「他の人と空間を共有する」ことへの恐怖なのか、電車通勤は確実に減っている。
これまで電車通勤していた人が、自転車やバイクに変更したりしている。そういうわけで道路の上はまさに三密状態なのである。ただ、オレが通勤経路に使うような抜け道裏道コースは空いている。混雑するのは大きな広い道路だけである。だから時間が余計にかかるということではない。
道路が三密になるということは、ガソリンの消費量も増えるということになるがそれは日本だけの現象のようである。世界中で石油の使用が減少して原油価格はものすごく下がっているからである。もちろんガソリン価格も下がっていて、オレが普段入れてるセルフのスタンドではついにリッターあたり121円までレギュラーガソリンは値下がりしたのである。クルマをS660からロッキーに買い替えて少し燃費が悪くなった分は、ガソリン価格の値下がりで取り戻せたような感じである。
空いているのは行楽地、観光地だけのようだが、そこは駐車場が閉鎖されてすべての観光客を締め出す動きが起きている。有名な寺社がどんどん閉鎖され、博物館や美術館が休館になり、映画館も休業してもはや遊びに行く場所が存在しない。そういうわけで今は高速道路や郊外の道路は物流関係のトラック以外はかなり交通量が減少しているのだろう。
他府県ナンバーのクルマが来ると地元民から激しく抗議されるらしい。パチンコのために府県境を越えて出かけるということが問題になったが、これもかなり問題にされているので今後はそうしたクルマは急減していくだろう。
通勤時の道路が三密であるということは、多くのビジネスマンが通勤を必要としているということであり、社会の機能は停止していないということでもある。人の往来を完全に止めてしまうのではなく、ある程度社会機能を維持しながら自粛するという方針を選んだ日本では、通勤時の道路の混雑はそのまま続くだろう。オレは三密の道路としばらくまだ戦うことになるのである。
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2020年04月26日(日) |
みんなで留年しよう! |
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日本は新型コロナウイルスへの対応を誤ったとオレは思っている。それは検査数が増えてないからである。「もしかしたら感染しているかもしれない」という理由で社会の機能を停止させ、多くの人々の仕事を奪ったのである。
ヨーロッパの各国は何事にも「速さ」を重視した。しかし、日本はあらゆることに出遅れ、そうした失政のツケを国民に背負わせた。もっと早く検査数を劇的に増やしていれば、休校も活動自粛も短くて済んだのである。今の「検査数を抑える」「症状があってもなかなか検査してもらえない」という方針は、「感染しているけど症状のない」多数の人々が街中に動き回ることで、いつまでも終息しないということになる。今の日本のやり方では今年一年はずっとコロナウイルスに振り回され、五輪開催どころではなくなるのである。
ブラジルは経済活動重視に舵を切り、アメリカはもう感染はピークを過ぎたとして自粛を解除し始めた。日本政府は医療崩壊を防ぐためにピークの山をできるだけ低くして、細く長くコロナウイルスと付き合うという選択をしたとオレは思っている。
「細く長く」という選択をした以上、自粛活動は長期になるしかない。そうなると学校は今年度中は再開できないだろう。いや、もう再開しないという決断が必要である。「全員留年」という選択なのだ。そうでないと不公平じゃないか。
来年度はすべての大学や短大、専門学校が入試を実施しないということにし、今年入学した学生は自動的に全員留年という扱いにする。そうして学年進行を1年止めてしまうのである。もう来年度の入学試験はあきらめるのだ。
小中高がすべて学年進行を一年遅らせて、今年の一年はなかったものとして空白の一年にすればいい。そうして、来年3月まではみんなのんびり過ごすのである。もちろん学校が休業しているのに授業料が発生してるというのはおかしいと学費返還訴訟が起きるかも知れないが、そこは国策ですべての学校の教員たちの生活を保障するしかない。
休校中の授業を補おうと必死になるから大変なのであって、「一年間休み」と決めてしまえば、生徒も教員も楽になる。コロナ禍というのは今世界中を覆う災害なのであり、人間の力でどうこうできるものではない。不可抗力なのである。今から一年間冬眠する。そのかわり、生活は保障するという宣言を政府が出せばいいのである。
中途半端に活動再開した場合、この病気を封じ込むことは不可能になる。少し前にオレは「9月入学」という半年の休業を考えたが、思い切って「全員留年」という一年の休業案はどうだろうか。まだどの大学も来春の入試について確たることは言えないのである。
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2020年04月25日(土) |
トランプ大統領よりも馬鹿 |
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トランプ大統領が新型コロナウイルス感染者の治療法として、消毒液を注射したらどうかと提案したという。そんなもの血管に注射したら死んでしまうと思うのだが、それは常識で考えればわかることである。多くのまともな人は「アホか?」と思ってトランプ発言を受け止めているわけだが、中にはトランプよりも馬鹿な国民もいるわけである。それを真に受ける馬鹿が絶対にいるはずだ。
なにしろアメリカの馬鹿というのは日本では考えられないレベルである。濡れたペットを乾かそうとして電子レンジに入れたりするのである。マクドナルドで買ったコーヒーがこぼれて火傷したのを「コーヒーが熱すぎる」と訴えて、それで裁判に勝てるような国なのである。日本の裁判は不公正なことで世界で有名だが、アメリカの裁判はよい弁護士をつければ馬鹿でも勝てることで有名である。そんな馬鹿天国でトランプのこの発言はかなりヤバいのである。
今、新型コロナウイルスに対してすでに使われている他の薬が効くのではないかとさまざまな人体実験が行われている。ここでオレが「人体実験」と書いたのは、その多くがまだ確実なものではないからである。アビガンが軽症者に効くということはすでに話題になてているし、実際に宮藤官九郎など効果のあった方もいる。それが人間の自然治癒力なのか、アビガンの効果なのかはまだはっきりとわからないような気がするのだが。
アメリカでは感染者の数がピークを過ぎたということで、経済の復興へと舵を切った。欧州諸国も同様の動きをしている。ニューヨーク州では人口の1/6くらいがすでに抗体を持っているらしい。
日本政府の現在の対応は果たしてトランプよりも賢いのかそうでないのか。日本では検査数を増やすことで医療崩壊することを恐れるあまり、できるだけ検査数を絞って感染者の数を絞り込んだ。このような方法では無症状の隠れ感染者が全く把握できないわけで、おそらくこれから数か月は新規感染者が出続けるだろう。一気に検査数を増やして感染者と非感染者を分離し、社会を一刻も早く正常化させるという韓国モデルの道を日本は選ばなかったのである。要するに感染者数のカーブがなだらかで山が低いだけである。
消毒液を血管に注射する・・・というトランプの発想は馬鹿だが、これから日本で発生するだろう給付金を巡った振り込み詐欺や、健康食品の詐欺販売、怪しい民間療法の流行など「馬鹿をだまそうとする犯罪」は確実に起きる。トランプのデマに騙されるアメリカ人だけが馬鹿なわけではなく、詐欺にひっかかる日本人も同じ程度に馬鹿なのである。
世間には「馬鹿な大衆」を上手に操って自分の利益につなげる大勢のクソ野郎がいる。憎むべきは「馬鹿」の方ではなく、クソ野郎の方である。
日本に新型コロナウイルスが入ってきてからかなり時間が経過してるのに、一日のPCR検査の数はさほど増えているわけではなく、無症状の人は上級国民以外は検査もしてもらえない。「自粛」「休業」という形で仕事を奪う一方で、安心して活動するための検査は遅々として進まないのである。
オレは国の要請に従って引きこもっている。オレの教える生徒たちも家に引きこもっている。いつまでこの状態を続けさせるのか。どうしてPCR検査の数を劇的に増やせないのか。どうして労働者の雇用や破産する企業を守れないのか。国は今こそなりふり構わずに国債を発行してゼニを用意しないといけないのである。「ゼニはいくらでもあるぞ!」と民を安心させてやらないといけないのである。
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今年の冬は全然寒くなかった。雪不足でスキー場はどこも閑古鳥が鳴き、豪雪地帯にも雪がなかった。おそらく「雪解け水」が少ないことで米どころでは水不足が起きるような気がする。このままたいして雨が降らないと農業に大きな影響が出そうである。桜の開花も早かった。お花見が自粛だったのは残念だが。
ところが4月になっても全然温度が上がらないのである。今日も我が家では石油ファンヒーターが部屋を暖めてるし、こたつも片づけられない。もうすぐGWだというのにちっとも暖かくないのである。灯油を入れたポリタンがもう空っぽなので、ガソリンスタンドに買いに行くかどうか迷っているのだ。4月24日なのにどうしてまだ灯油を買わないといけないのか。ここは北海道ではなくて大阪なのである。
朝夕はかなり寒い。ただ日中は温度が上がるので何を着るか困る。もっとも外出が自粛された今は、上下スウェットのままで一日中過ごすという自堕落な毎日である。外出しないから着替えなくてもいいのである。朝起きてから夜寝るまで、一歩も家から出ないなんてことはこれまでの人生でついぞなかったことなのである。むちゃくちゃ運動不足なのである。
もしもこれが夏で、一人暮らしをしているような生活で引きこもり中ならば、洗濯するのが面倒なので一日中服を着ないで過ごしただろう。丸一日全裸で過ごすということである。誰とも会わないならばそれでも全く問題ない。きっと今、家に引きこもってる人の中にはパンツ一丁で過ごしてる人もいると思うのだ。オッサンのパンイチはカッコ悪いが、それが若い美女ならなんかファンタジーなのである。そして同棲中のカップルならば、二人とも全裸で朝から晩までいちゃいちゃしているような連中もいるかも知れないのである。全くもってうらやましいというか許せないのである。
まだまだ寒さは続くだろう。そういうわけで明日は灯油を買いに行かないといけないのである。3月中からガソリンスタンドで灯油を買うたびに「これで最後かな」と思いつつ、最後ではなかったのである。前回も「もう必要ないかな」と思って、20L入るポリタンに15Lくらいしか入れなかったのだ。ところが予想に反してポリタンは空っぽになってしまったのである。
衣替えをするのはいつになるのか。ヒートテックのタイツをはかなくても大丈夫なのはいつからか。今の状況だと全く予想がつかないのである。先が全く読めないのは新型コロナウイルスの状況と全く同じなのだ。ただ、これからの季節の服を買おうと思ってユニクロやguに行っても、営業自粛で閉店しているのである。
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2020年04月23日(木) |
アベノマスクの真実 |
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巨額の経費をかけて配布されたアベノマスクにカビが生えていたり虫が混入していたりということが話題になっている。通常の商品なら全品回収するところだが、なにしろアベノマスクである。不良品の交換には応じるということになってる。その割にテレビでの安倍首相のマスクはいつも真っ白で虫も付着していないしカビも生えてない。きっと良品を選んで使用しているのだろう。
どこかの企業に古いマスクの在庫があって、それを処分したい思っていたところちょうど今回の話が持ち込まれ、廃棄処分する予定だったゴミが数十億で買い取ってもらえたというのが今回の真相だろうか。巨額のゼニを投入して、役に立たないゴミを購入して配布する行為の背後にはなんらかの利権が存在するのだろう。納入元の企業は4社で、そのうち3社しか公開されていないので、残る一社は山口県の会社じゃないだろうかと憶測してしまうのである。
布製の他のマスクと比較した時アベノマスクがゴミレベルなのに、泉州の企業が手作り品質で製造したアサヒノマスク(朝日新聞の通販サイトにあったそうだから便宜的にこのように呼んでおきたい)の2個3300円は150回の選択にも耐える高品質なマスクである。高くても価値あるものには正当な評価がされるし、いくらタダでもゴミはいらないのである。
ただ、アベノマスクというクソ政策は無駄ではなかったとオレは思うのだ。そのあまりにも情けない政策に対して国民が一斉にブーイングしまくって、首相の支持率が一気に低下したことで、その後に10万円給付が決まったわけである。もしもアベノマスクというおバカ事業が存在しなかったら、10万円給付もどうなっていたかわからない。そういう意味では先に失望させることで後から実行する政策が価値あるものだと錯覚させる効果はあったのだ。これは側近によほどの知恵者がいたということかも知れない。
国内企業に生産させているはずのマスクはなかなか消費者のところに届かない。誰が買い占めてるのか。生産したマスクはどこに消えてしまったのか。政府が手に入れられないマスクや防護服は、なぜかジャニーズが大量に持っていたりする。物品を調達するという能力において、日本政府は全くの役立たずである。だからアメリカから高額の武器を買わされたりするわけで、舐められているということは誰の目にも明らかである。
我が家にもいずれアベノマスクが届くのだろう。オレの母が手作りしたマスクと比較すればゴミとしか呼べないアベノマスクを見て母は何と言うだろうか。もしかしたらそのゴムだけ抜いて別のマスクに再利用するかも知れない。
新型コロナウイルスへの対応を失敗した安倍首相の失政は、将来の歴史教科書に必ず記録されるだろう。100年後の教科書にどのように書かれるのだろうか。それともすべての記録は抹消されるのだろうか。残念ながらオレは見届けることができないのである。
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2020年04月22日(水) |
橋下、公務員叩きをやめろ! |
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国民全員への10万円給付に対して、「公務員は困っていないから辞退しろ」と橋下徹が発言している。オレはこの発言にどうしようもない不快感を感じた。彼がやろうとしていることは、公務員をスケープゴートにして大衆を味方につけようとしている姑息な戦術であり、これはヒトラーがユダヤ人をスケープゴートにしてドイツ国民の支持を集めた手法と全く同じである。収容所に送られ殺されたユダヤ人の資産の多くはドイツ国民のものとなった。ヒトラーのその政策を熱烈に支持したドイツ国民は、ユダヤ人虐殺の片棒を担いでいたのである。そのすべてを「ナチスの犯罪」とすることでドイツ国民を免罪できるのか。その時何が起きていたかを多くのドイツ国民は知っていたはずである。
橋下徹は大阪府知事になるとまず公務員の給与の削減に取り組んだ。支出削減の方法として確かにそれはすぐに実行できる。病院や保健所を減らし、医療の現場に多くの負担を強いた。確かに平時はそれでも大丈夫だったかも知れない。しかし、今のような非常時には結果として医療崩壊を招いてしまうのである。
「公務員は恵まれている」
「公務員は給料をもらいすぎだ」
「バス運転手の給与は高すぎるから民間並みに」
彼はこのようなプロパガンダで大衆の支持を集めたわけだが、どうして「公務員に比べて恵まれてない多くの労働者」の方を守るべきだと考えなかったのか。命を預かるバス運転手という職業の価値を評価しなかったのか。賃金を下げられた結果、運転手の過重労働を招き結果として多くの人命が失われる事故につながったとは思わないのだろうか。
人間とは嫉妬深い生き物である。芸能人の不倫が大衆から叩かれるのは、美男美女を貶めることで溜飲を下げたい情けない連中が多数派だからである。その根底にあるのは「嫉妬」という醜い感情なのだ。東出昌大のようなイケメンではなくモテることもない多くの普通のオッサンたちが「杏という美人の妻がいるのに」と彼を叩く。しかし、自分が実際にモテるイケメンになったら男はどんどん浮気するのである。イケメンでなくてもやっぱり浮気するのである。浮気をしないのはEDの男だけである。橋下徹も北新地のホステスと浮気していたのである。オレは人間の弱さと男のスケベ心をよく理解するから東出昌大をなんとも思わないのである。
今回の10万円給付は国民全員を対象としたことには意味がある。公務員も国会議員も生活保護受給者にも10万円を受け取ってもらうことで、生活に困ってる人は生活の支えに、そうでない人にはじゃんじゃん浪費してもらって経済を回してもらうためである。それが10万円の活用の仕方なのだ。だからオレは胸を張って受け取り、全部パーッと使ってしまうつもりである。
子どもたちもみんな10万円を受け取って、それで駄菓子やたこ焼きを買いまくればいいのである。うまい棒やガリガリ君に浪費してもなかなか10万円には届かないかも知れないが、使いまくって経済を回すことに意味がある。間違っても怪しい慈善団体や、寄付のゼニをピンハネして贅沢三昧の某協会に寄付したらだめだ。正しく使い切ることだ。それこそが正しいコロナからの回復なのである。
「公務員は受け取るな!」という風潮が生まれることや、変な同調圧力が発生することをオレは危惧する。「コロナだから自粛しろ!」と押し付けられることもオレは納得いかない。オレは自粛しているが、かといって周囲に同調を求めるわけではない。この自粛は「要請」であって「命令」ではないのである。
戦時中の「贅沢は敵だ」「欲しがりません勝つまでは」というキャンペーンのような危うさをオレは今の世相に感じるのだ。贅沢は素敵だし、ゼニやモノが手に入るのは実に嬉しいことである。
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2020年04月21日(火) |
10万円給付の問題点 |
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国民全員に10万円給付という制度の概要が発表されつつある。世帯主がまとめて申請し、受取口座は一つにまとめてということだ。我が家に当てはめると、一緒に暮らしてるのは母と妻なので合計3人分の30万円をオレが一括して受け取り、そこから現金で妻と母に渡すということになる。しかし、オレのようなまともな世帯主ばかりとは限らない。
もしも世帯主がDV夫なら、妻には一銭も渡さずに自分が取り込むだろう。世帯主がパチンカスなら、家族分のそのゼニはすべてパチンコ代になるだろう。世帯主が釜ヶ崎で貧困ビジネスに取り込まれた生活保護受給者なら、そのゼニはすべてヤクザのフトコロに入るだろう。どうすれば必要な人にきちんと届けることができるのかということだ。
もちろんオレはいつもDV夫とパチンカスは存在そのものが悪だと思ってるし、この世から撲滅すべき存在だと思う。そういう連中をすべて撲滅できればオレの恐れたことは防げるわけである。パチンコ屋に来る生活保護受給者はすべて給付を停止すべきだと思っているし、DV夫はどんどん刑務所にぶち込めと思っている。
親が子供のお年玉をすべて巻き上げるという事例はきっと日本中で起きているだろう。パチンカスの親が子のお年玉を使い込む可能性は高い。家族全員分として支給されたゼニが本当に子どものために使われるかどうかは心配である。
もちろん一人一人にどうやって届けるかというのは難しい問題である。虐待されDVを受けている妻は、もしかしたら通帳やキャッシュカードも取り上げられ、経済的虐待を受けているかも知れない。夫は働かずにパチンコ三昧で、妻が働いたお金は全部巻き上げられてという家だって存在するだろう。
ただ、このような問題は今回の「10万円給付」とは別の次元なのである。子どもに支給されたお金がパチンコ代として巻き上げられることも同様だ。なくさなければいけないものは虐待そのものであり、そういうものをなくす方法は地域の人と人とのつながりを密にすることしかないのである。しかし、そんなものはとっくに失われているのだ。どうすればいいのか。
もっとも確実で、今すぐにできる方法はとりあえずパチンコ屋をこの世から消滅させることしかなさそうである。それは行政が条例で禁止するとか、国会でパチンコ禁止法案を成果させるとかである。
5月に10万円給付が行われたころにパチンコ屋の営業自粛が解除されていれば、支給されたゼニのうちのかなりの部分がパチンカスの手に渡るだろう。パチンコ屋の行列が長くなったりしていれば、オレの予想は的中ということになる。
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オレの母は昔から手先が器用で、ミシンでいろんなものを作ってくれた。最近は幾何学模様の鍋敷きをたくさん作って、それをどんどん人にあげていた。オレも母からたくさん鍋敷きをもらって、それを職場でお世話になった人に配ったことがある。
「こんなものを作って欲しい」と伝えると、工夫して作ってくれる。ホンダ・S660を運転していて左ひじの当たる部分が硬くて痛いと思っていたら、ぴったりとそこに会う長さのアームレストを作ってくれた。S660の純正用品で出してもらいたいような便利グッズである。
今、母が作ってるのはマスクである。アベノマスクのようなあごがはみ出る不良品じゃなくて、きちっと立体的に裁断された顔によくフィットするマスクである。いろんな色の端切れの生地を使うので、ペンギン柄やイルカ柄などがあってとてもかわいい。一定数作ったものが貯まればそれを近所の薬局に持っていく。「お客さんがマスクを買いに来たらあげてください」と店主に伝えているという。
母と一緒に食品や日用品の買い出しに出かけた時、オレも母もその手作りのマスクをして出かける。母の持ってる小さなバッグの中にはエコバッグなどが入ってるのだが、そこになぜか母は市販の不織布マスクを5枚ほどビニール袋に入れて持っている。もうかなり前のことだが、常備薬を買いにスギ薬局に行った時に、店内で小学校低学年くらいの男の子が「マスクありませんか」と店員に訊いていた。もちろんそんなものは開店と同時に売り切れてしまう。昼過ぎに買いに来てももちろん売り切れてるのだが、その光景を見た母はそれ以来いつもバッグの中にマスクを入れてるのである。今度そういう場面に遭遇したらあげるために用意しているのだ。
昭和11年生まれの母はもう84歳である。終戦を鹿児島県の坊津町で迎えた母は、沖合で大きな軍艦が沈んで、たくさんの人が救助されたことを覚えているという。もしかしたらそれは坊ノ岬沖合で沈んだ戦艦大和の時だったのかも知れない。
10年くらい前に母は大腸がんの手術をして、大腸の1/3を切除した。それ以来、少しお腹が緩くなって刺身などの生モノがあまり食べられなくなってしまった。食べたら必ず下痢になるということで、家族でスシローやくら寿司に出かけても、マグロやハマチは食べずに茶わん蒸しなんかを食べている。もうずいぶん経つから再発の心配はないだろう。
母は世話好きで、ご近所の方の内職を手伝ったり、高齢の方のお世話をしに行ったり、小さな家庭菜園を営むお友達の畑仕事を手伝ったりして、そのたびにお礼に野菜や果物をもらってくる。オレは母がいつまでも元気でいてくれることを願っているのだが、もちろん今の日々がいつまでも続くわけでもない。
3月まで放送していたNHKの朝ドラ「スカーレット」のヒロインだった戸田恵梨香は、実は若いころの母とよく似ている。ドラマの中のあの勝気な性格もそっくりだ。小学生の頃、授業参観の時にいつもオレは心の中で、自分のお母さんが一番美人だと思っていた。今も髪をきちんと黒く染めてるので、84歳には見えない。髪の薄いオレと一緒に歩いてると、知らない人にはもしかしたら親子ではなくて老夫婦に見えてたのかもしれない。
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今、日本中の学校がGW明けまでの休校を余儀なくされているが、その時に新型コロナウイルスの感染爆発が終息しているわけがないとオレは思っている。もう一学期はあきらめたほうがいいかも知れない。
海外留学を希望する生徒にとって、新学期の時期が欧米と日本では異なるということが一つの障害となっている。つまり、海外大学に入学してから日本に戻ってきて就職する場合、進学時と就職時にそれぞれ半年の無駄が生じてしまうのである。
オレはこの機会に思い切って9月入学という仕組みに舵を切るのはどうかと思っている。来年以降のスケジュールをすべて半年近くずらすのだ。一学期をほぼ失った状態で大学の入学試験を行うことに無理があると考えるのが普通の学校関係者ではないだろうか。
たとえば出願が早い推薦入試やAO入試を今年はどうすればいいのか。このような問題すべてを一挙に解決できる方法が、数か月時間をずらしてしまうという方法なのである。今の高校3年生の卒業時期を来年の6月にしてしまうのだ。そして7月8月が夏休み、その間に入学試験などが行われ、9月から10月に新学期を始めるというパターンにするのである。
何もない時にこのような大きな変更や改革を行うことは難しい。しかし、この国家的非常時だからこそ、そのタイミングで大胆な改革を行えるのである。おそらくこのようなオレの主張に賛成する大学関係者は多いはずである。
入試時期をずらすことのメリットはもう一つある。それは冬というのは大雪による交通障害が発生しやすいということである。インフルエンザの流行も起きる。入試が夏になればそれは回避できる。(もっとも夏なら今度は台風という気象条件が発生するわけで、どちらにもデメリットはあるわけだが。)
まあオレとすれば別にどっちでもいいのだが、入学時期が秋になって困ることといえば、入学式が桜の時期と重ならないということくらいだろうか。入学式の写真は、背景に桜が映るのが大阪では定番である。まあそれは気分的なことであり、それほど重視すべきことではないのだが。
来年の入試スケジュールをそのままというのはやっぱり無理だろう。このような意見も文部科学省に少しは検討してほしいのである。
←1位を目指しています。
2020年04月18日(土) |
引きこもりの毎日 |
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自宅引きこもり中である。とにかく身体がなまるので困るのである。ずっとテレビの前で座ってるとエコノミークラス症候群になるのではないかと心配になってしまう。そういうわけで身体を動かしたいのだが、外は雨である。自宅近くをランニングするという選択肢もない。家の中で歩き回ってとにかくカロリーを消費するしかないのだろうか。
そういえば、ラウンドワンとかも休業対象になっているはずだ。出たところで運動する施設もない。今の時期、アウトドア好きの人はどうしてるのだろうか。
ホテルや旅館のような宿泊施設はどこも休業を余儀なくさせられているわけだが、山小屋はどうなってるのだろうか。もっとも北アルプスの山小屋とかは普通はGW明けから営業を始めると思うのでまだ準備中なんだが、
「集・近・閉」を自粛するという方針の場合、山歩きとかハイキングはそれには該当しないような気がする。一人で山を散歩するというのは無問題だと思うのだがそのあたりの解釈はどうなのだろうか。
もっとも山に行くまでに公共交通機関を使うわけで、そこで「集・近・閉」が発生する。「電車に乗る」という行為はまさに「集・近・閉」である。オレは移動はいつもマイカーなのでそれを回避することは可能だが、それなら山までマイカーで移動して登ってくることはおそらく安全なのだろう。
あらゆる施設がどんどん閉鎖されている。衆生を煩悩から救うために存在するはずの寺社も次々と閉鎖されていく。仁和寺が閉鎖されたという知らせを聞いたが、遅咲きの御室桜でにぎわう頃のはずである。
京都でもっとも混雑する場所といえば、それは祇園でも京都駅でも四条河原町でもない。出町柳の駅から少し西にある、ふたばという和菓子店である。豆大福を買い求める客がいつもこの店の前で大集団を作っている。テレビでは閑散とした嵐山や四条河原町が出てくるが、真の京都人ならもっとも混雑する場所がそこではなくて「ふたば」の店の前であることは百も承知である。
オレは今あの店の前の大混雑がどうなってるのかということがとても気になったのだ。豆大福が食べたいのである。この自粛期間中も豆大福は作られているのだろか。引きこもるときに、豆大福とお茶があればもう最高である。
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2020年04月17日(金) |
今すぐ10万円一律給付する方法 |
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政府は急遽「10万円一律給付」ということを発表した。さて、これをどうするかだが、人口×10万円を地方自治体に「地方交付金」として配って、あとは自治体に任せればいいと思うのである。そこから先は自治体の仕事で、マイナンバーカードを活用してもいいし、住民票記載の世帯ごとに人数×10万円を配布ということにすればいい。現金との引き換えが可能なクーポン券を配布して、銀行や郵便局、コンビニで交換可能という仕組みにしてもいいだろう。
DVによる離婚などで住民票を移動させていない人というのがこの対象外になる。その場合は本人が住民票を残したままにしている自治体に連絡して、勝手に夫に自分の給付金を奪われないように依頼すればいいのではないか。
もちろん、このような仕組みにしても漏れは出るだろうし、そもそも住民登録していない膨大な人たちをどうやって把握するのかということを言い出す人もいるかも知れない。しかし、それは後から考えればいいことであり、制度から漏れた人たちを救済する窓口を地方自治体ごとに設置すればいいだけだ。
さて、財源は全額国債発行で賄えばいいし、その国債は日銀に買わせればいい。ふだん日銀がせっせとETFを買ってるゼニをこっちに回せばいいのである。オレが日ごろ主張していることだが、日銀にETFを買わせて株価を維持しようというのは最大の愚策であり、そうして投入したゼニは景気に何の影響も与えない。それは日本人の中で株取引をしている人がとても少ないことが理由である。
ばらまかれた10万円はすぐに消費に回る。あるいは引きこもりの人の購入する食料品になる。子どもの数が多い家庭にとってはかなり大きな収入となる。夫婦2人に子ども3人という5人家族なら50万円という一時金が入ってくるわけだ。サザエさん一家なら60万円がもらえることとなる。
自治体に配るということにすると、支給が早いか遅いかは地方自治体がやる気があるかないか、配布する能力があるかないかということになる。オレが市長なら、住民にWEB登録させて振り込み用の口座番号を届け出させ、住民票と一致したものから順にどんどん支給していくという形をとるだろう。その場合の振込手数料を無料にするよう、国から金融機関に指示すればいい。
田舎の小規模の自治体なら、それこそ「役場まで受け取りに行く」という仕組みをとってもいいかも知れない。
さて、刑務所に収容されている受刑者や死刑囚には受給資格はあるのだろうか。「国民全員に一律」という趣旨から考えればそうした人たちももらえることとなる。有期刑ならば、出所まで預かってもらってということにすればいいし、死刑囚や無期懲役囚の場合は仕方ないが国庫に返納という形にすればいいだろう。
3月末は乗り切れたが、4月末はヤバいという人が今たくさんいる。だからこの支給は4月中にできるように急がないといけない。オレの提案したやり方ならば4月支給というのが可能になる。
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いまもしも本の帯にこんな言葉が書いてあったら、「アホか」と普通の人は冷笑するだけだろう。しかし、世の中にはそれを本気で信じるアホもいるのである。
[緊急重要出版]
・コロナ(567)は、ミロク(567=369)だった!
・88次元Fa-A ドクタードルフィンが微生物の想いを代弁する超高次元の書!
・コロナウィルスを愛の波動に変える、高次元ネオシリウスエネルギー曼陀羅付き
いま、人類に必要な教え
貴方を救うため、
貴方がシェア、拡散してください!
このうさんくさい本を出してる男の名は松久正。ドクタードルフィンと名乗っている怪しい男である。この男の公式WEBページには、このような紹介がある。
人間存在として進化・成長を求める方、生きがいや生きる力を必要とする方、難病を患われている方、原因不明の疾病や難治性疾病、精神疾患、人間関係や家庭環境の問題で苦しまれている方、どなたでも受診できます。診療は鎌倉の診療所で行う「対面診療」と、遠隔で行う「遠隔診療」の2種類があります。
<重要>
ドクタードルフィンは病気を治すことを目的にはしていません。
自分自身が本来持っている「人生や身体の問題を解決する能力」を最大限に発揮させることを目的としています。ご理解の上お申し込みください。
※遠隔診療は、人を対象としています。
今後は、人への遠隔診療と同等の、ペットに対するコンサルテーションサポートを検討中です。遠隔診療の詳細は、案内ページをご覧ください。
これを読んだだけで、常識的な判断力のある人間なら、この医師がとんでもないうさんくさい奴で、難病に苦しむ人の弱みにつけこんで似非医学でゼニを巻き上げるペテン師だということがわかるはずである。しかし、世間には普通の人には想像もつかないアホというものが存在する。その一人がたとえば首相夫人の安倍昭恵である。
この松久正が3月14日に大分県の別府で会費22000円をとって講演会を開いていた。その宣伝のチラシにはこんな文言がある。
卑弥呼のDNAが目覚めるとき、地球を宇宙のヒーローにする大和魂。それが覚醒するときがやってきた。その鍵は大分に眠る卑弥呼のDNA。ドクタードルフィンいざ大分に参上たり!この奇跡を貴方の魂とともに!!
いやはや。ものすごいオッサンである。そしてこのオッサンに心酔してる女が安倍昭恵なのである。このセミナーの翌日、安倍昭恵は一緒に宇佐神宮を参拝しているのだから。なんと安倍首相が外出を自粛することを呼び掛けたその翌日に「コロナのせいで予定が無くなってヒマなの!」と安倍昭恵は大分に出かけたのである。
ジャパンライフの詐欺師どもが「桜を見る会」に招待されたことを宣伝して多くの老人を騙し、その財産を巻き上げた事件の構図と同じく、首相夫人の馬鹿女というのは詐欺師にとっては広告塔として実に使いやすい小道具である。もちろん本人は利用されてるとは全く思ってないし、目の前の相手が詐欺師であることにも気づかない。
オレはこれまで安倍首相のことをずっと批判してきた。批判というよりは罵倒に近い書き方をしてきた。しかし、なんだか申し訳ない気分になってきたのである。自分の妻がここまでアホであるということが彼にとっての最大の悲劇だったのではないだろうか。彼の一連のウソは、もしかしたらそうして必死でアホな妻をかばおうとしてるのではないだろうか。安倍昭恵は公人か私人かということが一時まじめに議論させ、なんと閣議決定で「私人」であるとされたのだが、どうやら結論は全く違ったようである。
安倍昭恵は「公人」とか「私人」という区別の範囲外にある。では何なのかと言われればオレはこう答えるしかない。「ただのアホだ」と。
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2020年04月15日(水) |
新型コロナウイルスと世界の終焉 |
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オレは今、手元にある小松左京の小説「復活の日」を読み返している。その小説の中で描かれている感染者が世界で急増し、さまざまな公共サービスが崩壊し、人々が混乱している状況は今の世界と全く同じである。
今、多くの人が「いつかこの混乱は終息する」と考えている。しかしその「終息する」という見通しは正しいのだろうか。このまま世界が終わりを迎えるということは想像しないのだろうか。
全人類が新型コロナウイルスに感染し、一度感染した人も十分な抗体を獲得できずに再度感染するということの繰り返しで世界中の死者は増加していけばどうなるのか。医療体制の不備な国は政府が機能しなくなり「北斗の拳」で描かれたような無政府状態になってしまうかも知れない。感染が政府中枢の人たちに広がって大統領や閣僚が全員死亡するということになればどうなるか。日本でも国会に出入りする人たちに感染が広がっている。
感染がどんどん拡大する中で必死で行動している人たちの活動を支えるモチベーションは「がんばってこの難局を乗り切ろう」という気持ちである。しかし、難局を乗り切れないとしたら、その努力は空しい行動でしかない。
太平洋戦争の時に「欲しがりません勝つまでは」と国民は窮乏生活に耐えた。この苦労の果てに「勝ち」があるからとみんな耐えたのである。もしもこの戦いが勝てない戦いならどうなのだろうか。人類は新型コロナウイルスとの戦いに勝てないのではないか。このまま世界は終わるのではないか。オレは時々そんなことを考えてしまうのである。
第二次世界大戦という大きな破壊を人類は経験した。原爆の投下やナチスによるユダヤ人虐殺などの戦争犯罪も行われ、あの時に戦争の愚かさを十分に人類は学んだはずだ。それでも核兵器は大量に配備され、戦争から何も学ぶことがないまま人類は種としての自殺の準備に邁進した。軍備増強という愚かな行為に、世界の指導者たちは何も疑問を感じていなかった。
人類は愚かである。どうしようもなく愚かだ。殺人や暴行、強姦といった行為はまるでDNAに標準装備されてるかのように、治安の悪い地域では日常茶飯事となる。つまり、「法律」というタガが外れれば、人間はとことん悪になりうるということであり、理性よりも本能が優先するという生き物であるということだ。叡智なんかなんの役にも立っていないのである。
未来への期待がすべて失われたときに一人一人の人間はどんな行動をとるのだろうか。そもそも貨幣への信頼は政府や国家が機能しているからこそ存在するわけで、そうしたシステムが破綻することが予想されたらなんの意味も持たないのだ。そんな時には人は何を求めるのか。
貨幣が信頼を失った未来というものを我々は想像できないわけだが、「北斗の拳」の世界では貨幣よりも暴力が世の中を支配している。我々はあの作品の中に今後起きるであろう可能性を予見することができるのだ。
では、ケンシロウのような英雄は現れるのか。あらゆるものが破壊された後に日本を再建できるような指導者が出現するのか。それとも世界は悪に支配されるのか。習近平やプーチンや金正恩のような独裁者はもしかしたら「コロナによる世界終焉後」の世界をすでに想定してるかもしれないのである。中国軍の軍事行動が活発になってるのはなぜか。
もしも新型コロナウイルスが、武漢のウイルス研究所から意図的に流出させられたバイオテロによる感染症なのだとしたら、世界の混乱の中で中国が軍事行動を起こして世界征服に乗り出すという可能性は絵空事ではなくなる。もちろん基礎疾患持ちのオレはそれまでに新型コロナウイルスに感染して死んでいるから、世界の終末を目撃することはできない。核兵器による破壊ではなく、ウイルス兵器による世界支配こそが習近平の仕掛けた世界戦争ならば、世界は完全に敗北したのである。
←1位を目指しています。
関西人のオレは当然のことながら納豆を食べない。そしてこれは関西人であることとは無関係だが、子どもの頃からの食習慣の関係でキムチも食わない。そんなオレの家に住むオレの妻は、なぜか納豆もキムチもよく食べるのである。我が家の二人の息子は、長男はキムチは食べるが納豆は食べない。次男は納豆もキムチも大好きである。そして母は私と同じく納豆もキムチも食べない。
冷蔵庫には妻が購入した納豆とキムチが大量に備蓄されている。それらを食べないオレからすれば「なんでこんなものがスペースをとってるのか?」と実に腹立たしいのである。しかし、妻にすればその状況が日常なのだろう。
オレはあるとき、衝撃的な光景に出くわした。それはどういうことかというと、その納豆とキムチという二大食品を、なんと妻は混ぜていたのである。混ぜて混ぜて、ネバネバの謎の食品を作り上げていて、それをごはんにかけていたのだ。なんということだ。
ごはんというおいしいものに、味付けのりやのりたま、生卵などをかけておいしくいただくのならよくわかるし、私も大好きである。しかし、なぜそこに納豆キムチなのか。納豆なんて豆が腐ったものじゃないか。農家の方が丹精込めて作った大切なお米の上に、腐った豆をかけるなんてひどいじゃないか。オレにはそんなひどいことはとうていできないのである。
オレは大学に入学した時、大学の学生食堂で初めて納豆に遭遇した。それまで一度も納豆を見たことがなかったのだ。なんにでもチャレンジしようと当時は思っていたので、その納豆をトレーに乗せ、会計を済ませてから着席して、試しに食べてみた。口に入れた瞬間になんともいえない匂いと味が口内に広がった。うわっ! なんだこれは。ぐおおおおおおおおおお。駄目だ。無理だ。オレはとりあえずお茶と一緒にその口中のかたまりの飲み干してから、残りの納豆に手を付けずにあきらめた。
それがオレの人生ただ一度の納豆体験である。ただ、納豆を食べたことはその後二度ある。知人の家で出されたお好み焼きに納豆が入っていたこと、学園祭の時に生徒からもらったうまい棒が納豆味だったことである。お好み焼きは一口食べてから「すみません、納豆が苦手て・・・」とお詫びしたし、うまい棒は一口食べてから捨てた。納豆嫌いのオレに向けて仕組まれた生徒の悪質ないたずらだったのである。
最近の納豆は匂いもなく食べやすくなっているという話を聞く。また、テレビ番組では納豆がいかにすぐれた食品であるかをよく紹介している。しかし、オレはそんなものには動かされない。オレの「納豆を食べない!」という信念は不変である。大豆を食べるのならば、納豆を食べなくても豆腐や湯葉、豆乳という食品を選んだらいい。また発酵食品が健康にいいのならば、ヨーグルトを飲めばいいのである。オレは納豆のない人生を選んでいるのだ。それがオレの生き方である。
茨城県の小中学校では給食に納豆が出るらしい。もしも関西人の児童生徒が親の転勤のために茨城県に引っ越したなら、そこで納豆の洗礼を受けることになる。オレは学校関係者に言いたい。イスラム教徒がハラル食品しか食べないように、関西人が納豆を食べない権利を認めてもらいたいのである。
←1位を目指しています。
今、多くの人たちを不安に陥れてるものは、家賃とテナント料である。お店をやってる人はテナント料を払わないといけないし、賃貸に住んでる人は家賃を払わないといけないわけである。そのための収入がないとどういうことが起きるのか。
賃貸住宅の大家さんは、ローンを抱えていて家賃収入でそのローンを払ってる人が多いわけで、もしも家賃収入が途絶えたら今度はローンが払えなくなる。このように世の中は循環しているわけだ。「現金支給」という考え方は、この循環を壊さないための方法であり、貧しい人たちを守ることは同時にお金持ちの資産を守ることでもある。
街に失業者があふれ、職を失って食い詰めた人たちが略奪行為や犯罪に走れば社会の秩序が崩壊して大変な事態がやってくるのである。それは日本のような落ち着いた社会でも例外ではないのだ。街に暴動が起きて、王侯貴族を気取ってる為政者がリンチに遭って殺されるということは、ルーマニアで独裁者のチャウシェスクが殺されたように決して「ありえない話」ではないのである。世界の多くの政治指導者が、そんなひどいことにならないように必死で工夫している。まともな工夫もしないで時間を浪費してるのは日本くらいである。弱者たちが一斉蜂起して役所を焼き討ちしたり、金持ちの住むタワマンを襲ったりという暴動が起きないからといって、「日本は平和で秩序が保たれてる」わけではないのである。一触即発だとオレは思っている。
この国難を受け止めてもらうために、オレは全国会議員の給与を半減させるべきだと思っている。すべての国会議員が給与を半分にして、国民と苦しみを分かち合ってもらうということである。現金支給はなくてもいい。その代わりにおまえら国会議員全員が痛みを味わえよということだ。もっとも彼らの報酬はたとえ半分にしてもまだまだ一般人から見ればはるかに高給取りなのだが。
今とりあえず必要なことは、家賃を払えなくなった人を救ってくれということ。れいわ新選組の山本太郎は「住まいは権利」という主張をした。若者が貧しい原因は、いや日本人が貧しくなったのは住居費が高すぎるからである。本当は家は余ってるのに、適正価格にしないで価格を高止まりさせているから、その家賃を払うために若者は貧しくなるのだ。シャッター通りになった商店街なんて、家賃タダで貸してもいいと思うし、家賃がタダならビジネスは成立するものが増える。そのようにしないからさらに寂れていくのである。
この状態が一年続いたら、家賃が払えずに家を失う人が500万人くらい出そうである。その状態ではもう日本の社会は維持できない。まさに今は国難なのである。多くの人々が家や財産を失って途方に暮れた状態が日本中で発生するのだ。それを食い止める唯一の方法が休業補償であり、現金支給だとオレは思っている。
雇い止めに遭った人たちが数か月だけでも安心して暮らせるように、半年間の100%失業給付をまず行え。最後にもらった給与明細と解雇通知さえ提出すれば、その金額を半年間支給してもらえるという制度をまず作るのだ。閉店を余儀なくされた飲食業は、申告した前年度の所得に応じた現金支給をすればいい。それによって社会は落ち着き、株価も安定し、最終的には金持ちを守ることになるのである。
国民が一揆を起こす前に、政府は何をしないといけないのか判断できる人間こそが上に立つべきだ。馬鹿みたいに愛犬と戯れてる場合じゃないんだぜ。
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2020年04月12日(日) |
キャバクラ嬢とホスト |
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ホストクラブのホストの中には、月に1000万円以上稼ぎ、客からフェラーリをもらったりする者もいる。またキャバクラ嬢の中にもものすごく稼ぐ人がいる。こういう人たちはきちっと申告して税金を払ってるだろうか。絶対にそんなことはないと思うのである。脱税の多い業種の上位には、キャバレーやナイトクラブ、バーやパチンコ屋が入る。つまり、まっとうに税金を払わない人たちなのである。店も、そこで働く人たちも、少なくとも実際の収入に比べてはるかに少ない税金しか納めていないのである。
さて、東京都の感染爆発は夜の街の接客業の世界がクラスターになったということで、小池知事は営業自粛を求めた。志村けんさんの感染も、ガールズバーに飲みに行く習慣からだという。夜の店の中には感染している女の子をそのまま働かせていた店もあったそうである。東京の感染爆発の大きな原因となったことは間違いない。
東京都の営業自粛要請に対して、こうした深夜営業の接客業の多くは応じることとなったが、そこで当然発生するのが補償の問題である。小池知事は営業中止の要請に応じた店には補償金を払うことを表明している。さて、この補償金だが、果たしてキャバレーやキャバクラ、ホストクラブなどには必要なのだろうか。
納税者の税金から補償を受けるのは、少なくともまっとうに税金を払っている人たちである。だったら脱税している人たちが税金で助けてもらうことはおかしいじゃないか。夜の接客業の世界は暴力団などの反社会勢力とも密接に関わってるし、そこは薬物の密売の場でもある。暴力団が収支を明らかにして納税しているということは聞いたことがないし、もしも暴力団の組長が確定申告して納税するのならば、その反社会的なシノギを国は認めているということになってしまう。
これまでろくに納税もしないで稼ぎまくったホスト達やキャバクラ嬢たちは、時計や宝石や宝飾品といった財産を売って当座をしのげばいいじゃないかと思うのである。彼ら彼女らが休業補償の対象になるというのは、オレのようなまっとうな納税者から見れば納得できないことである。
本当に困ってる人たちは誰なのか。仕事がなくなって収入の道が途絶えてしまった人たちを助けることは政治の急務である。今、明日を暮らすお金をどうしようかと思って困ってる人たちが無数に存在するのだ。それをなんとかするのが政治の仕事じゃないのか。
まるで王侯貴族のように犬を抱いてくつろいでいる馬鹿の動画を見て気分が悪くなった人が大勢いたが、オレもその一人である。
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2020年04月11日(土) |
くたばれパチンカス |
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オレは怒っている。それはパチンカスという連中の存在である。パチンカスは社会の迷惑である。子どもを虐待する親の多くはパチンカスだ。この世からパチンコという産業を消滅させてくれとオレは願っている。パチンコ屋がなくなれば、パチンカスも自然消滅するからである。若者がパチンコをやらなくなってるという話を聞くと、大変喜ばしいことだと思うのである。
女に働かせて自分は仕事をせずに朝からパチンコをしてるだけというパチンカスのヒモ男たちは開店前からパチンコ屋に並んでいる。そんな男と結婚してしまった女性には地獄が待っている。いくら働いてもそのゼニはパチンコに吸い取られてしまうのである。もしもパチンコが非合法ということになって日本からなくなれば、そういう悲劇も防げるのである。
日本には大量のパチンカスという人間のクズと、パチンコ屋から献金をもらってる多くの政治家という売国議員がいる。パチンコ屋が規制できないのは、この売国議員のせいである。売国議員には右翼もサヨクも保守も革新も関係ない。あの社会党の土井たか子もパチンコ業会から献金を受けていた。本人もパチンコ好きだったそうである。
趣味がパチンコという公言する人間は馬鹿そのものである。もっとまともな趣味を持てよと言いたいのである。映画とか読書とか運動とか麻雀とか、もっとマシな趣味はあるだろう。
緊急事態宣言で、東京、神奈川、埼玉、千葉のパチンコ屋は営業自粛が要請された。さて、その地域に住むパチンカスどもはどうしたかというと、茨城県のパチンコ屋に殺到しているのである。茨城県のパチンコ屋は大盛況で、他府県ナンバーのクルマが駐車場を埋めているという。そのパチンカスの中にはきっとコロナウイルス感染者もいるだろう。パチンコ屋といえば「集・近・閉」の3拍子そろった危険な場所である。負けた客が大声で叫び、台を叩き、タバコを吸いまくるのである。タバコの副流煙は店内に充満し、肺にダメージを与える。新型コロナウイルスにとって絶好の環境である。
パチンカスという人種は日本にいらない。日本政府は一刻も早くすべてのパチンコ屋を営業禁止にすべきである。パチンコ屋の中には経営者が北朝鮮の回し者で、あの独裁者を支援するために北朝鮮に送金している店もあるという。つまりパチンカスの浪費したゼニがまわりまわって日本海に撃ち込まれるできそこないの弾道ミサイルに化けるわけだ。実に腹立たしい話である。
パチンコ屋をすべて廃業させろなんていうと、なんだかものすごく困難なことに思える人もいるかも知れないが、お隣の韓国ではパチンコ屋は非合法ということになってつぶされているのである。日本から入ってきたその産業が国民に悪影響を与えてると察知した政府は即座に営業を差し止めたからである。韓国や北朝鮮にとってパチンコという産業は、自国民にはさせないが、日本人からゼニを巻き上げるために必要なものという位置づけなのだ。それがわかっていて政治献金を受け取る政治家は売国以外の何ものでもない。
パチンコ屋の特殊景品が換金されているというのは公然の事実だが、それ自体は違法行為である。しかし、警察庁長官でさえも「換金されているかどうかは知らない」と国会で答えている。パチンコ屋の業界団体には警察OBが天下りしているからである。
今回の茨城県のパチンコ屋に殺到するという行動一つとってもパチンカスというのは社会の迷惑である。この集団を撲滅する方法は一つ、パチンコ屋を日本からなくすことだけである。条例でパチンコ屋を認めていない地方自治体は生活保護の受給率が低い。これはパチンカスがそもそも貧困を生み出す原因だから当然のことである。
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2020年04月10日(金) |
コロナ対策は「習近平」禁止! |
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コロナ対策として、「三密」を避けろということが言われている。しかし、もともと三密というのは仏教用語であり、小池百合子などの政治家が発言しているのはこれまでに使われていない用法である。そんな言葉よりももっとセンスのいい言葉がツイッターで流れてきたので紹介したい。今、避けなければいけない行動はすなわち、「習近平」である。おっと、普通に「しゅうきんぺい」と入力してもこれしか出ないのだが、オレが提唱する「しゅうきんぺい」は「集近閉」である。「集団を避ける」「近接を避ける」「閉鎖空間を避ける」である。最初の文字を取って「集近閉」である。
新型コロナウイルスを世界にまき散らしたのは中国・武漢にあるウイルス研究所であり、ウイルス感染した実験用の動物が市場で売られたからだという説を強く信じているオレとしては、すべての責任は中国共産党のトップである習近平だと思ってるので、それと同じ音であるこの「集近閉」というスローガンはきっと多くの人の共感を呼ぶと思うのである。少なくとも三密よりもずっといいのである。
外出の自粛というのはこれからもっと徹底されるだろうし、街で人を見かけることもどんどんまばらになっていく。これまで大勢の人が密集していた場所は今は閑散としてることが多い。事実上、「集近閉」は社会からどんどん減っているのである。
オレは電車に乗るのが怖いのでクルマで移動している。オレの職場でもクルマ通勤者が増えて、駐車場に入りきれないほどである。電車を自転車やバイクに切り替えた人もいる。やはり「集近閉」を避けているのだ。通勤電車などはまさしく「集近閉」である。
最初にこの言葉を思いついてつぶやいた方のセンスにオレは拍手をしたい。そして日本中でどんどん流行させよう。大声で「しゅうきんぺい」「しゅうきんぺい」と連呼しよう。もちろんその言葉は、世界最悪の独裁者であり、ヒトラーのユダヤ人虐殺と同じ程度の悪事をウイグル自治区で堂々とやりながら「内政問題だ」と開き直るあのクソ野郎のことを念頭に置いてることは事実である。なんであんな人権抑圧者を国賓で招くのかとオレは日本政府に対して腹が立っていた。
もう「三密」なんか使わなくていい。「三密」なんかあのおいしい「あんみつ」と聞き間違えられそうである。それはあんみつに対してあまりにも失礼だ。しかし、習近平に対しては失礼に思う必要など全くない。日本の政治家はみんな腰抜けだ。経済問題よりもはるかに大事なのが、今ウイグル自治区でその生きる権利、信教の自由を侵害され、収容所で思想改造教育を受けさせられている多くの人々なのである。すでに虐殺されたり、臓器を摘出された人も大勢いるだろう。その悲劇を世界は「経済的利益」と引き換えにスルーしてしまったのだ。毛沢東のチベット侵略を誰も止めなかったように。
コロナ対策は一人一人の心がけからはじまる。これから一か月、「集近閉」を避けて行動することが一番大切である。誰もが感染者になったつもりで、「人にうつさない」ことを心掛けるしかない。
←1位を目指しています。
2020年04月09日(木) |
欲しがりません勝つまでは |
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政府の出した「緊急事態宣言」に対してなんだか戦時中のような気分を味わってるのはオレだけだろうか。自粛を要請しながら、何の金銭補償もない。「耐えろ」「我慢しろ」と精神面だけを強調されても、実際にゼニのない人たちはどうするのだろうかと思うのである。戦時中の「欲しがりません勝つまでは」と同じようなニュアンスをオレは感じてしまうのだ。
食糧も武器弾薬の補給もない状況で戦った旧日本軍は多くの餓死者や病死者を出した。補給や兵站を軽視するのは日本の伝統なのだろうか。ゼニがないと食い物が買えないし引きこもることもできない。家賃も払えない。だったら働くしかないのだが、その働く場所がどんどん閉鎖されていくのである。仕事もなくゼニもない人を誰が救済してくれるのだろうか。
不要不急の業種としてネットカフェ、ホームセンターなどが閉鎖の対象となってるという。オレが想定する不要不急の業種といえば、パチンコ屋、ゲームセンター、居酒屋、ストリップ劇場、映画館、性風俗産業などである。しかし、これらの業種はすべて「そこで働かないと生活できない」という多くの人が存在するわけだ。劇場が閉鎖されたらストリッパーはどこで脱げばいいのか。街中で脱いだら公然わいせつ罪とされるからお金を取って劇場で脱ぐのである。その職業が果たして「不要」なものなのだろうか。オレには何とも言えないのである。食欲、性欲、睡眠欲という3大欲求は人間が本能的に求めるものであるような気もするのだ。
イオンモールに行くと、食品フロア以外は閉鎖されていた。フードコートからは椅子やテーブルが撤去されていた。テイクアウト以外のものはすべてダメみたいである。人が密集して食べるということに該当するのだろうか。外食の好きなオレにとって困った事態である。レストランや食堂はどの程度休業させられるのだろうか。餃子の王将や吉野家、すき家とかはどうなんだろうか。ココイチはやってるのか。丸亀製麺はどうかというふうにオレは自分の入りそうな店が心配になるのである。
親会社のしっかりしてるところは少しくらい休んでも大丈夫だ。しかし、そうでないところはどうか。東京ではタクシー会社がドライバー600人を一斉解雇したことが話題になっている。しばらくの間は失業保険で食いつないでもらって、また状況が良くなれば再雇用するということらしい。これは会社は一切損をせずにコロナを乗り切ろうという作戦なのである。しかしドライバー全員が再雇用されるわけでもないだろう。結局会社側はこの状況を利用して強引なリストラをしただけである。
いずれコロナは収束する。もうすぐ感染者は減っていくという期待があるから人々は絶えている。戦時中の人々は負けるために耐えたのではなくて、いつかは戦争に勝てると思っていたのである。
コロナとの戦いにもしかしたら人類は勝てないのではないか。小松左京の小説「復活の日」では、兵器として開発されたウイルスが世界に広がって人類が滅亡する。最初はそんなことになるとは誰も思っていない。しかし気が付いた時はもう世界であらゆる秩序が崩壊してしまってるのである。
日本人はコロナに勝てないかもしれない。ではどうすればいいのか。感染者がゼロという地域をとことん守り抜くことだ。島根県は幸いなことに感染者ゼロである。いますぐに県境をすべて封鎖して、外部からの侵入を阻むことだ。島根県だけなら食料は自給できるはずである。島根県知事は一刻も早く「鎖県」に踏み切るべきだ。
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2020年04月07日(火) |
もっとゼニを出せ! |
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新型コロナウイルス肺炎の流行のせいで収入が減った人に対する給付金が話題になっている。政府の予算額の少なさから考えれば、対象はかなり絞られ、手続きは煩雑になることが予想される。どうしてもっとすばやくできないのか。
外国の事情と比較すると、日本の対応のまずさがはっきりする。たとえば感染の中心であった武漢の病院清掃員は給与が10倍になった。ニューヨークの看護師さんの給与は週7000ドル。1日10万円以上である。それに引き換え日本の看護師さんの危険手当は500円以下だという。まずは、コロナと最前線で戦ってる看護師さんに対して手厚くすべきである。命の危険もある中で使命感から必死で頑張ってる方々をどうして国は評価しないのか。
児童手当の増額も一人当たりわずか1万円である。こんなわずかな金額でどうなるのか。どうしてそこでどーんと10万くらいの数字が出せないのか。
安倍晋三はトランプ大統領からもっと武器を買えと言われればすぐに1兆円くらい出すのである。アメリカから武器を買うことと、国民の命を守ることとどっちが大事なのか。どうでもいいことや、友達のやってる加計学園への補助金や、自分の選挙区にいる有権者へのゼニはどんどん出すが、それ以外の貧しい国民がどうなろうと全く気にしないのである。その理由は彼がサイコパスだからとしか思えない。自分が付いた嘘で自殺に追い込まれた財務省職員の話を聞いても表情一つ変えなかったのである。
こんな国難の時にどうしてこんなボンクラが首相だったのか。福島原発の事故の時に首相だった菅直人もボンクラだが、彼は少なくとも原発を見捨てて逃亡しようとした東電に対して怒ったじゃないか。
諸外国の対応と比べて日本の対応はあまりにものんびりしている。感染者数は「検査させない」という方針のせいで実際よりもはるかに少なく報告されているし、死亡者も肺炎で死んだ人に対して全員検査しないことでごまかされている。コロナウイルス感染とはわからないままに火葬されてしまった人もかなりいすはずだし、葬儀の時に感染しなかったのだろうかとオレは心配するのである。
そんな中で緊急事態宣言である。これは国民のためではなくて企業救済のためである。このおかげで仕事が休みになった労働者に休業補償しなくていいし、宣言に従って中止になったさまざまなイベントの保証もいらない。大企業を守るためのこの措置の意味を理解したのか、日経平均株価は上昇している。
安倍晋三が守ろうとしてるのは決して大多数の国民の生命財産ではない。彼が守りたいのは自分の選挙区の自分に投票してくれる有権者と、献金してくれる大企業、そして加計孝太郎や山口敬之のようなアベトモだけである。テレビでは加計学園の関連校の大学教授がいかにも感染症の専門家でございますという感じで語っているが、そいつにはかなりのギャラが支払われているのだろう。
ゼニのない人がこれからどんな状況に追い込まれるのか。どんな悲劇があるのか。オレには予想もつかないことが起きるような気がするのだ。
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かなり昔に放送された番組で「教師びんびん物語」という人気ドラマがあった。そのドラマを見て教員を目指した人も多くいた。しかし、現実の教員の世界はブラックな職場で低賃金で長時間労働が横行している大変な世界だった。学校をただのサービス業としか考えてない勘違いした親も増え、「子どもが勉強しないのは学校が悪いから」「いじめが起きるのは学校が悪いから」という趣旨の馬鹿発言をする似非評論家のせいでますます教員はつらい職業となってしまった。
非正規雇用の教員が占める割合も増加した。特に大阪府はその傾向が強い。橋下徹が知事に就任して行った「財政再建」とは、公務員の給与を減らすことがメインであり、それは府民にも支持され、当然のことだが教員の給与も下げられた。給与削減だけではなく待遇も悪化した。維新府政が継続する中でそうした状況は継続することとなった。中でも理不尽な待遇に苦しむのが非常勤講師の地位にある人たちである。
4月の授業再開が中止になった結果、非常勤の教員は無給のまま放置されるのである。学校が再開するまでの間をどうやって食いつないだらいいのか。もともと低賃金で働いていてほとんど貯えがない上に、あてにしていた収入が突然なくなるのである。それも全く自分に責任がないのにいきなりカットされるのだ。どうやって食べていけばいいのか。自粛の嵐が吹き荒れるいまの社会状況で短期間だけ働く場所が簡単に見つかるのか。
「わたしたちの生活を守ってください」という非常勤雇用の方々のこの切実な訴えに対して、府教委の返答は「身分は保障する」だった。あんたたちは「轍鮒の急」という故事成語を知ってるか。わだちにできた水たまりで干上がりそうになってる鮒が旅人にわずかな水を求めたとき、旅人は数日後にたくさん水が手に入るからと答えるのだ。その時には鮒はもう死んでいるのである。数か月後の身分保障ではなく、今のゼニが必要なのだ。そんな冷たい答えができるのは、役所の連中が現場で使い捨てられる教員の気持ちを少しも理解していないからである。
オレはかつて大阪府立高校の教員という身分を捨てた。それは大阪府教委が教員をちっとも大切にしてくれない組織であると看破したからだ。こんなところでずっとやっていけないと思ったからだ。その選択は正しかったとオレは今でも思ってる。オレを迎えてくれた私立学校は、少なくともオレが存分に力を発揮する環境を用意してくれたし、公立高校にいたら出会えなかったような多くの優秀な生徒を教えることもできた。東大や京大、阪大といった難関校に入学した多くの教え子と出会えたことは教師としてのオレの宝物のような大切な思い出である。
授業がないから給料も出ないというのは中学や高校の非常勤講師だけではない。大学の非正規雇用の教員も同様の状況に追い込まれている、連休明けにならないと授業が始まらないからと非常勤講師の4月分の給与を支給しない大学が多いと聞いている。その収入がないと家賃が払えない人もいるのである。
教育というのは国家の未来を築く大切な営みである。ところがその現場の教員たちは過酷な労働条件の中で苦しんでいて、その中でも非正規雇用の人たちは満足な収入保障もないままに放置されている。政府は教育現場の非正規雇用の人をいますぐに助けるべきである。加計孝太郎のようなアベトモ学園経営者には税金から数百億のゼニが簡単に出るが、そのゼニは政治家に還流され、学生や教員のところにはほとんど回ってこない。
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2020年04月05日(日) |
テレビはくだらない番組をやめろ! |
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全国の学校の休校が続いている。オンライン授業を導入する学校もあるが、その通信料の負担は家庭である。家にパソコンやwifi接続のないところは膨大な通信料がかかる。そうなると子供が視聴できるのはテレビのみという家もあるだろう。そのテレビだが、相も変わらずくだらないバラエティ番組ばかり流している。こんなくだらないものに放送リソースを無駄に使ってるのは嘆かわしい。今こそテレビは子供向けの教育番組を流すべきである。
家にいる子供の多くはゲーム三昧である。その子どもが観たくなるような番組をいまこそ提供すべきではないのか。小学校から高校までの課程の教育番組を各局で分担して流せばいいじゃないか。もしも作れないならオレに依頼すればいいのである。中学や高校の国語の学習番組の内容についてアドバイスできるし、何ならオレが出てもいいのである。
民放がそれぞれ「国語」「数学(算数)」「英語」「社会」「理科」などの科目を分担して、そうした科目の勉強になるような番組を制作し、子どもはその中から自分の興味と学習レベルに応じてみたいものを選択すればいいのである。なんでそういう工夫ができないのか。路線バスを乗り継ぐとか、行き当たりばったりに降りた駅で飲食店を探すとかいうくだらない番組はもうやめるべきだ。ドラマもいずれタレントがどんどん感染していくし、感染が分かった時点で撮影ができなくなるわけでリスクが大きい。そうなるとやはり教育番組だとオレは思うのだ。
子どもを家に閉じ込めるという社会政策をとった以上、その子どもが家で視聴できるテレビ番組をこそ用意すべきなのである。そういうアイデアは誰からも出なかったのだろうか。
野球も相撲もおそらく今季の開催は困難だろう。プロ野球は今季はもうないものとオレは思っている。東京は2週間後には今のニューヨークのようになっている。アメリカやヨーロッパで起きている感染爆発が日本で起きないことはありえない。
今大切なのは、国民が引きこもることを可能にするゼニと、学校に通えない子どもたちへの教育、その二つが政策の柱である。それ以外はすべてどうでもいいことである。
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2020年04月04日(土) |
ドライブスルー花見 |
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今年はお花見を自粛するという方も多いだろう。東京では上野公園のようなお花見の名所が封鎖されたし、大阪城公園にも入れない。自由に通行できるオープンな場所しか入れないわけで、大阪では大川沿いの桜宮公園のところがオレの個人的なお勧めである。もっともそんなことを書くとこれを読んだ人が桜宮公園に殺到して、そこでクラスターが発生したら困るのである。
美術館や博物館が閉館し、遊園地がどんどん休業しているが、お寺や神社は別に休みになるわけでもない。京都は基本的に平常運行である。清水寺も八坂神社も丸山公園も、平安神宮も哲学の道もインクラインも、普通にお花見が可能である。
京都府立植物園は閉演中だが、鴨川沿いの道を歩きながら花見をすることは禁止されていない。そういうわけでオレは京都にお花見に行きたいのだが、そこには同じようにお花見をしたい大量の人がやってくる。「今なら空いてるだろう」というオレと同じような考えの人間が多数いるから、出町の「ふたば」の前にはこのコロナ騒ぎの中でも豆大福を求めて何重にも行列ができているという。混むところはさらに混むのだ。もしもそこがクラスターになったらどうするのか。
そこでオレが勧めるのがドライブスルー花見である。桜のトンネルの下をクルマで通り抜けるお花見である。まだ満開には少し早いが、琵琶湖の北にある海津大崎がドライブスルー花見の名所として名高い。例年なら海津大崎は大混雑してクルマは渋滞し、おかげでゆっくり桜を見ることができるのである。
川沿いの桜のきれいな場所にはたいてい遊歩道があるのでゆっくり歩きながらお花見ができるが、クルマが通れる道路のある場所はなかなかない。ただ、京都では鴨川沿いに車道があるのでドライブスルー花見に適しているかもしれない。
お花見をドライブスルーで済ませることは味気ないが、安全なお花見というといまはこれしかないのかも知れない。いくら禁止しても桜の花の下で酒を飲んでる人はいるし、その方がどこかで新型コロナウイルスをもらってないという保証はない。
さて、関西で他にドライブスルーの名所はないだろうか。おっと、狭山池公園を忘れていた。あそこは早咲きだからもう散ってしまってるかな。
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2020年04月03日(金) |
毎日ずっと働くこと |
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オレの両親は露天商だった。雨の日は仕事ができないので休みになって母が家にいた。母が家にいるのは日曜日だけで、ふだんは夜遅くにしか帰ってこなかったので、雨の日は嬉しかったのだが、商売ができないオレの両親にとってはゼニが入ってこない恨めしい日だったと思うのである。幼いころのそんな記憶をオレは今でも覚えている。
貯蓄する余裕のない貧しい人々にとって、毎日働いて生活していくというのはとても大事なことだ。オレが教員という堅実な職業に就いた理由の一つは、そんな両親を見て育ったからである。商売というのはうまくいくときもあればそうでないときもある。そしてすべてのリスクは自分で背負わないといけない。もっとも学校という世界にもリスクはあるわけで、安定した公務員という地位を捨てて私学教員になった時点でオレもリスクを背負うことになったことは否定できないのだが。
今、日本中の労働者の中で安心して仕事を休める人はどれだけいるのだろうか。仕事を休んでいてもきちっと生活の安定が守られている人など全体の数パーセントもいないのではないだろうか。そうした不安定な状態の人々がどんどん解雇されている。
ハウステンボスは来客の激減に対応して従業員を大量に解雇した。外食産業、居酒屋チェーン、イベント関係者など最近の「自粛要請」によって仕事を失った人々は大勢いる。世の中で通常の経済活動が続いているということを前提に多くの職業が成り立っていたわけである。給食がなくなれば、食材を納入していた会社が倒産する。観光客がいなくなれば、土産物屋やレストランがやっていけなくなる。昨日までの普通が今は普通ではないのだ。そういう人たちをどうやって救済すればいいのだろうか。
東京がロックアウトされ、経済活動がストップすれば多くの人々が職を失う。「職」を失うということは同時に「食」を失うことでもある。あてにしていたバイト収入を失って3月末に家賃を払えなかった人が日本中にどれだけいるだろうか。
ハウステンボスを突然解雇された人は、同時に従業員用の宿舎からの退去を命じられたという。そうして何のサポートもなく放り出されえてしまった人たちを救済する仕組みが今の日本にあるのだろうか。緊急で生活保護を受けることができるような仕組みが今の地方自治体にあるのか。
今手元にお金がないからと家賃の支払いを待ってもらえたとしても、今度は家主が銀行からローンの返済を求められる。銀行はその時に待ってくれるのだろうか。このような連鎖をどうやって食い止められるのか。有効な方法は一つしかない。現金支給を大量に行うことである。生活に困った社会的な弱者を救うことは社会秩序を維持するために必要なのである。今日食べるお米もない人々が街にあふれた時、どんな事態が発生するかはオレがいちいち書くまでもないことである。アメリカで真っ先に銃や銃弾が売れたのは、人々が治安の悪化を予測したからである。
ついこの間まで人手不足だったはずなのに、今や日本中の多くの企業が突然の内定取り消しを一方的に学生に送付しているという。たまたまその年に就職を迎えたというだけで、人生の大事なことが理不尽に左右される悲劇を我々は傍観しているわけにはいかない。
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2020年04月02日(木) |
いまこそパチンコ禁止を! |
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なくなっても誰も困らないどころか、かえって社会がよくなる産業が一つ存在する。それはパチンコである。パチンコ屋こそがコロナウイルス感染拡大の温床であるとオレは予想している。どうしてあの不健康な空間を規制しないのか。
不要不急の外出を避けよと多くの政治家が語る。でも、仕事や通院や買い物というのは決して不要不急ではない。ではこの世で一番、不要不急な行為は何かと言われればそれはまぎれもなくパチンコである。パチンコほど無駄な行為はない。
もしもパチンコがなくなれば、あの馬鹿から搾取する装置がなくなるわけで、これまでパチンコに浪費していた馬鹿はそのゼニをまともなことに使うしかなくなる。パチンコ代として消えていたゼニで、生活必需品を買うことができる。韓国はパチンコを非合法にした結果、その分のゼニが消費に回って景気が良くなったと言われている。
なぜ日本のパチンコ業界は公然と賭博行為をしていながら警察の摘発対象ではないのか。それは警察官僚の天下り先になってるからである。日本にはこのように政治家や官僚機構が反社会勢力とつながってる場合が多い。たまに芸能人が暴力団との交際がバレてそれで番組を降板したりしているが、あれはたまたま運が悪かっただけである。あんなふうにガス抜きすることで、他の多数が暴力団とお友達であることを見逃してもらってるのである。
安倍首相が選挙の時に暴力団を使って選挙妨害を行ったのは週刊誌で大きく報道された事実である。そんなクズ総理の座にあるので、他の政治家のどんな問題行為もみんなOKになってしまったのが今の日本の政治だ。買収問題が報道されている河井夫妻も、心の中では「安倍晋三よりもマシ」と思ってるはずである。なにしろ安倍晋三は税金を使って堂々と有権者を「桜を見る会」に招待してるし、前夜祭でも豪華に飲食接待しているのである。そんな人間が自民党総裁であるということは、もう多くの有権者が「政治に正義やモラルなんかいらない」と思ってるからだ。
カラオケBOX、ナイトクラブは確かに不要不急の遊びだろう。ラッシュアワーの通勤電車は止められない。この世のさまざまな活動を「不要」「要」で分類して行けば、パチンコはどう考えても「不要」である。全国のパチンコ屋の営業停止をいまこそ首相は要請すべきである。
パチンコ屋から政治献金をもらってる連中は、賭博のあがりを上納してもらってるのと同じであり、やってることはヤクザと同じである。世の中にはきれいなゼニとそうでないゼニがある。オレが持ってるようなゼニはいわゆる「きれいなゼニ」だが、安倍晋三が「桜を見る会」で有権者の買収に使うのは「汚れたゼニ」である。
大義名分はちゃんとある。今こそ「パチンコ禁止」を宣言してくれ。誰もしないなら吉村知事、あんたが先鞭を切ってくれ!
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2020年04月01日(水) |
思い切って一年休む |
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武漢コロナウイルスの拡大を防ぐために東京都は新学期をGW明けにするように都立の学校に指示した。おそらく日本中の学校がそれにならうだろう。しかし、GW明けにはおそらく日本は今のアメリカのような状況になってると思われる。もう感染拡大は止められないのである。夜の店を規制したところで朝のラッシュアワーを放置してるわけで、そこで感染爆発するに決まっている。
今年はもう存在しないということにすればどうだろうか。そして日本国民が一斉に「1年間休み」にするのである。銀行は一年間ローン返済を猶予、家賃は一年間は無料、税金も一年間はなし、そうして一年間の活動をすべて停止し、公務員や大企業は給与を支給するが、そうでないところは国が保証するということにして、国民に一年間の冬眠をさせるのである。
学校はすべて一年間休学だ。高校も中学も一年間は授業を全くやらない。来春の大学入試は行わないということにして、すべてを凍結するのである。
その一年間はひたすら耐えてしのぐ。できるだけ家に引きこもり、武漢ウイルスの拡散を防ぐしかない。食糧は最低限だけなんとかしのげるようにして、外食も避けて家で過ごすしかない。
鉄道はすべて停止だ。貨物輸送は生活必需品輸送に限り、ゲーム類とかは必需品じゃないので運ばない。個人のマイカーは走らせない。バスやタクシーは病人搬送用として、それ以外はストップする。すべてが止まった状態を作り出すのだ。
外国では「外出禁止」という命令に従って街は無人となっている。これで感染拡大はかなり阻止できる。日本もあんなふうにするしかないのに、今の日本は全く無防備である。こんなことでは絶対に感染拡大を防げない。オレは今、人ごみには絶対に近づかないということを徹底しているが、それは自分が感染することで周囲の人々、特にオレの母親にうつしたくないからである。高齢者は死に関わるからだ。
4月8日から学校がスタート可能だと思ってる人はほとんどいないだろう。オレの勤務する学園も入学式は中止になった。来週本当に授業が開始できるのかといえば、たぶんできないだろう。春休みの部活動も停止していて、おそらく日本中の中学高校の部活動が止まってるのである。こんな状態で何ができるだろうか。
ただ、感染拡大を食い止める方法が一つだけある。それは東京の封鎖と、感染者と非感染者の住み分けである。今の時点で感染者の少ない都道府県を「非感染地域」として、そこには感染していない人だけを入れ、一方で感染地域の都道府県からは、感染していない人は疎開するのである。大阪と兵庫を感染地域として、非感染者は奈良や和歌山に疎開して分離するというのはどうだろうか。究極の居住域分離案である。そして感染地域の中で感染者をゼロにできた自治体は非感染地域に昇格するのである。今必要なのは「住み分け」しかないのだ。感染していない方にだけ通行手形を発行し、そうでない人は移動を制限するというのも一案である。
コロナ不況はいつ終わるのか。それは「ワクチン開発」「特効薬の開発」のニュースが流れるまでである。下がり切った株や不動産がそこで一気に買われることは間違いない。ただ、多くの投資家や市民がそこまで持ちこたえられるかどうかである。
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