江草 乗の言いたい放題
コラムニスト江草乗の日記風エッセイ
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ご愛読ありがとうございます。「江草乗の言いたい放題」は読者100万人を目指す社会派コラムです。一人でも多くの方が読んでくださることで、執筆意欲は倍増します。ぜひ、お友達に勧めて読者数UPにご協力ください。掲示板へのご意見の書き込みもお願いします。
2017年04月30日(日) |
通勤電車の中でカップ麺を喰うことの是非について |
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オレは匂いのする食べ物を喰うときは注意が必要だと思っている。たとえば納豆だ。納豆を食ってる人間はオレの回り半径5mに近づくことは厳禁である。納豆の臭いがオレに著しい不快感を与えるからだ。
世の中には納豆以外にも臭気のきつい食べ物がある。カレーやラーメン、焼き肉などがそれにあたるだろう。ところがオレにとって肉の焼ける香りやカレーの香りはなんにも気にならない。そういうところがダブルスタンダードだと批判を受けそうな所だが、納豆嫌いなんだからそれは仕方がない。
ただ、臭いのきつい食べ物を控えた方がいい場所は存在する。たとえば混雑した通勤電車である。ラッシュアワーにおいては周囲の人間の口臭さえ気になるのである。化粧の濃い香水臭い女が隣にいればもう最悪だ。そのまま帰宅すればあらぬ疑いをかけられることになるのである。こういう女は存在自体がテロ行為である。
さて、最近普通の通勤電車内でカップ麺を喰ってる馬鹿がいるらしい。カップ麺というのはやはり危険物である。それはわりと無防備な状態で熱湯がそこに存在し、大きく揺れた瞬間に周囲の乗客にその汁がかかることで致命的なダメージを与える可能性があるということなのである。東大生の中には女性を辱めるのに裸体にカップ麺をぶっかける馬鹿もいるという。このようなことは全くもって許せないのである。
そして食い終わった時、そのカップ麺のごみはどのように処理されるのだろうか。電車の中にはそうしたゴミを捨てる場所はもちろんない。家なら残り汁や麺を三角コーナーに捨てて、少し容器をすすいでからゴミ箱に捨てるということが可能だがそれでも臭気を発することは間違いない。ましてや汁の付いたままの容器は不衛生であり長時間臭気を発するのである。これはもう迷惑この上ない。
通勤電車の中でカップ麺を食うようなDQNの中に、その後のゴミ処理についてまで考えてるようなまともなヤツがいるだろうか。おそらく皆無であろう。それがマナー違反の行為であるということがわかってないからそのような行為ができるのである。
オレが批判してるのは電車内でモノを喰う全ての行為ではない。ただTPOをわきまえろということである。駅弁を新幹線のぞみで食うのはいいが、ラッシュアワーの京浜東北線で立ったまま喰うのは迷惑だ。そのために広いスペースを使うことになるし、回りの客は弁当にぶつからないように気を配る必要がある。同じ行為でも空いてる電車ならいいが、混雑しているとダメなときもある。考えたら昔の通勤電車はタバコを吸ってるような馬鹿もいたのである。今となっては信じられない話である。
臭いの元となるものとしてはオナラもある。混雑した電車の中で屁をこかれるのはたまらない。逃げ場がないからだ。きっと多くの悲劇が通勤ラッシュの中で発生してると思うのである。身動き取れない中で鼻先で屁をこかれ、しかもその他人の屁を「おまえがこいたのだろう」と濡れ衣を着せられることもある。そんな恐ろしい通勤電車の世界をオレは絶対に体験したくないのである。だからオレはクルマ通勤してるのだ。痴漢冤罪なんか絶対にいやである。
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2017年04月28日(金) |
公立図書館の質の劣化について |
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京都大学名誉教授だった桑原武夫さんの蔵書が寄贈されたのに、放置されてそのまま廃棄されたというニュースを読んだ。京都新聞の記事を引用しよう。
桑原氏蔵書を6年間放置、確認せず廃棄 京都市 京都新聞 4/28(金) 23:00配信 京都大名誉教授でフランス文学者の桑原武夫氏の遺族が京都市に寄贈した同氏の蔵書約1万冊が、遺族に無断で廃棄されていた問題で、蔵書は向島図書館(伏見区)で他の不用本と同じ部屋で段ボール箱に入れられたまま、6年間放置されていたことが28日、分かった。市教委は「保管場所がなかったから」としているが、市の図書管理のずさんさが明らかになった。 市教委によると、1988年に寄贈された蔵書は市国際交流会館(左京区)で保管され、定期的に一般公開されていたが、2008年、京都に関する資料を収集する役割を備える右京中央図書館が開館した際に移動させた。同図書館では、遺品などを展示する桑原武夫コーナーに蔵書の目録も置き、「希望者は閲覧できる」としていた。 しかし実際には、09年に蔵書を向島図書館2階に移動し、段ボール箱約400箱に入れたまま整理せず、不用本と一緒に置いていた、という。 15年、同図書館2階を改修した際、箱の中身を知らない市教委職員が「廃棄したい」と当時の右京中央図書館副館長(57)に相談。副館長は、寄贈書であることを知りながらそれを伝えず、処分を許可した。最終責任者である市教委施設運営課長は、中身を確認せず、他の不用本とともに廃棄を決め、蔵書は古紙回収に出された。 市図書館では年間約10万冊を廃棄している。主に、痛んだ本や紙が劣化した本、冊数が多い本が対象で、廃棄は副館長が判断し、施設運営課長が最終決定する規則だが、実質は副館長に任されていたという。 図書の取り扱いについて、京都府立図書館(左京区)では、すべて書架に入れて保存し、原則的には廃棄しないが、紙の劣化などで貸し出しに耐えられない本を廃棄する時は、複数の管理職や館長が協議して決めるという。同館は「本の価値を最終責任者の館長が判断しないまま廃棄することはあり得ない」と話す。 市教委や右京中央図書館には同日、この問題について50件以上の苦情が殺到した。市教委は「保管の仕方が悪かったと言われても仕方ない」としている。
京都大学を卒業したオレにとって、桑原武夫さんというのは雲の上のようなお方である。その寄贈書というか、蔵書というのは氏の学問体系を理解する上での貴重な資料であり文化遺産である。そんな大切なモノを「古紙回収」に出してしまったこの馬鹿職員がもたらした損害というのは計り知れない。減給程度の懲戒で済ませられるものではないのである。失われた価値はプライスレスなのだ。
今回の事件の背景にあるのは、公立の図書館の職員の質の劣化であるとオレは思っている。先日、手取り10万いかないという図書館司書の給与の低さがはてな匿名ダイアリーに投稿されて話題になったが、そんな待遇を嫌気してやる気のある優秀な人がどんどんこの世界から去っていってるのである。「司書」という専門職をどうしてもっと評価してくれないのだろうか。
オレは本が捨てられない。だからオレの家には本がたくさんある。死ぬまでにきちっと整理して、いろんな全集とかはちゃんと価値のわかる人に譲ろうと思っている。ブックオフに売っても二束三文だからだ。オレのような無名人の蔵書など松原市は寄贈されても困るだろうし、生きてるうちに決着を付けたいと思っている。
約20年前にカメラのドイの創業者である土居君雄さんが50台のBMWのヒストリックカーを堺市に寄贈した。ところが堺市は長いことこのクルマを倉庫に放置したままにしていたのである。市民からの抗議を受け、やっと最近になって展示公開することになったが、それも年に数回である。(最近では4月15日・16日に展示会があったそうである。)土居氏の寄贈したBMW50台の中には、BMWが4輪車を作りだした最初の1台目の創世記から1980年までのほぼ全ての車が網羅されているのである。こんな価値あるものをどうしてもっと活かさないのだろうか。堺市には自転車博物館があるのだから、自動車博物館も作って展示すればいいのである。入場料を取って公開すれば市の歳入を増やすことにもつながる。活用できないのならいっそヤフオクにかければいい。そうすれば世界の収集家が争って欲しがるだろう。
寄贈するなら地方自治体はダメだ。佐賀県武雄市みたいにTSUTAYAにまかせたばかりに文化財を捨ててラーメン店紹介本を買うところもある。ふざけるなと言いたいのである。天理大のような文化財を愛する図書館に寄贈すべきである。
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2017年04月25日(火) |
若者の野球離れについて |
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いまから20年以上前、オレはよく教室でプロ野球の話をした。生徒の多くはどこかの球団のファンであり、オレが阪神ファンであることを知ると教室の後ろの黒板にはよく前日の野球の結果に関する大きな落書きがあったのである。オレもその落書きを見ながら「昨日は阪神がサヨナラ勝ちしたから今日は宿題はなしにしてやろう」などと答え、毎年4月には「もしも今季阪神タイガースが優勝したら、2学期の中間試験はやさしい問題を出してやるぞ」などと公約したものだ。
いつから生徒に野球の話が通じなくなったのだろう。最近の高校生はそもそもプロ野球を見ないのである。12球団全ての名称を答えることができるのは高校生の5%くらいしかいないのではないだろうか。それほど野球の人気は落ちてしまったのである。
もっともオレも自分が興味のないサッカーに関しては知らない。J1J2のチーム名をすべて上げるなんてとうてい不可能だ。もしかしたら野球は観ない代わりにサッカーなら観てるのかも知れないが。
野球人気が凋落した背景には、地上波での放映減が上げられるだろう。昔はテレビの地上波で必ず野球中継があったのだが、今はほとんどないのである。全国津々浦々どんな田舎にでも必ず巨人戦が放送され、「巨人の星」などというプロパガンダ目的のアニメなどを使って日本中の子どもを巨人ファンに洗脳するという恐ろしいことが実行に移され、オレのような阪神ファンの少年が迫害されたのがオレの子ども時代だった。その「巨人の星」というアニメが終わり、巨人がV9で打ち止めとなってその後王や長島が引退し、次世代のスターだった野茂英雄やイチローがアメリカに渡り、そうして野球の世代の代替わりが進んでいく中で徐々に人気は下がっていったのである。
いまや小学生の男の子の夢は野球選手じゃなくてユーチューバ−となってしまい、単体でスターにはなれなくても芸能界入りのハードルは大きく下がったために美少女アイドルのインフレも甚だしくなってしまった。テレビに出て人前で歌ったり踊ったりするレベルの少女が数百人単位で存在することなど昔は考えられなかったことだ。もちろん多すぎるということは一人一人を認識してもらえないこということでもあるのだが、かくいうオレもAKB48のメンバーのなかで顔と名前を一致できるのは10人くらいしかいない。(10人もいれば、オッサンたちの間では「すげえ!」と賞讃されるレベルなのだが。)
イチローの全盛期をオレは観てきたわけだが、今また大谷翔平の活躍をリアルタイムで観ることができている。今のプロ野球が決してつまらないわけではないのだ。オレが物心ついて野球を観るようになった頃、阪神には村山実や江夏豊というものすごいピッチャーがいた。江夏豊は延長戦までノーヒットノーランを続け最後は自分が決勝ホームランを放って勝った。翌日の新聞には「野球は一人でも勝てる!」という見出しがついたことを覚えている。そうしてずっと野球を愛してきたオレは、今の若者が野球に全く興味を示さないことをなんだか寂しく思うのである。
オレがまだ小学生の頃、子どもたちの遊びは基本的に空き地や原っぱでの野球だった。みんな野球のルールを知っていたのは当たり前のことだし、「巨人の星」が終わっても野球漫画は不滅だった。「ドカベン」や「キャプテン」という野球漫画の名作が存在した。ところがあだち充の「タッチ」になると三角関係のラブストーリーが主で野球がまるで脇役のようになってくるのである。だからオレは「タッチ」が好きになれなかったのである。
地上波での野球中継がほとんどなくなったということも若者の野球離れの大きな原因だろう。野球が「ファンならゼニを払っても観るだろう」というふうにとらえられて有料放送の主要なコンテンツにされてしまったことも大いに影響している。プロレスがゴールデンアワーから深夜枠に追いやられてその人気を失ったように、野球もまた自ら退場しつつあるのである。かといって野球よりも面白い番組があるのかというと否である。芸能人にくだらないクイズを答えさせたり、宣伝目的のグルメ番組であったり、要するにどうでもいい番組が多いのだ。だったら野球をやってくれよとオレは思うのである。
いずれプロ野球ファンは高齢者ばかりになっていくだろう。球場はジジババばかりになり、甲子園のアルプススタンドを除いてバリアフリー化がいっそう進むかも知れない。そうして滅びていくのである。
どうか野球という素敵な文化がいつまでも続いて欲しいとオレは思う。1985年の阪神タイガース日本一の時に歓喜の涙を流した一人の男として、プロ野球界の繁栄を切に願うのである。
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2017年04月22日(土) |
自動ケツ洗い機を巡る攻防 |
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表現に一部問題がありますので、食事中の方は後で読んでください。
オレの職場である学校のトイレが改修されてきれいになった。職員・来客用のトイレにも当然のことながら自動ケツ洗い機が設置されるようになり、オレはもちろんそのトイレを使用するようになったのである。実に快適で申し分ないのである。
しかし、そのトイレを使っていて一つ不満なことがあった。菊門を直撃する水流が緩いのである。これではオレの大好きなあの刺激が味わえないのだ。自動ケツ洗い機の快感はやはりあの激しい水流の与えてくれるクセになりそうな刺激である。
それでオレはいつも使用時に水流を調整して「強」の方のランプをつけてから再度「おしり」というスイッチを押して直撃を楽しむのである。水が中に入り込むくらいに直撃弾を浴びせ、もしも中に入り込んだらその水を排出することで内部も洗浄できるわけで一石二鳥である。ただ、この内部洗浄という行為はきっと誰もがしているわけではなく。自分のような変態しかしていないだろうという危惧はある。
オレは朝起きたときに家ではウ○コをしない。起床から出勤という貴重な時間を、トイレタイムで浪費するのはまことにもったいないし、家を出る時間が遅れれば遅れるほど朝の通勤ラッシュの交通渋滞はひどくなる。そういうわけで早めに出勤して職場のトイレでウ○コをすることにしている。そうすれば家のトイレの紙も水も減らないからである。
職場に着くと、オレは職員室にもっとも近い職員トイレの、入ってすぐの個室を利用することにしている。しかし、その水流はいつも最弱になってるのである。なんということだ。オレはいつも最強にセットしなおす。しかし次に入った時はまた最弱になってるのである。またオレは最強にする。この繰り返しが延々と続いているのだ。
きっといつも最弱にする方は「なんてケツの穴の強靱な馬鹿がこの学校にいるんだ!」と不愉快に感じてるのかも知れない。しかしオレにしてみれば「そんな緩い水流でケツの穴のしわの内部にこびりついている便まできれいにするのは不可能じゃないか!おまえはいつも汚いケツのままでズボンをはいて、そのまま教室で授業をしてるのか!」と思うのである。汚いケツで授業をするのは生徒に対して失礼じゃないか。
この不毛の攻防を終わらせる方法が一つある。それは個室ごとに水流の調整を決めておいて、3つある個室を手前から「強」「中」「弱」というふうに明示することだろう。そうすればいちいち水流調整しなくてもいいからだ。
しかし、「強」を使いたい人のウ○コタイムがバッティングした場合、そこでその個室が空くまで待つことはないだろう。もしもオレなら隣の個室を使って、その時だけ水流を「強」にしてケツを洗って、終わってからは必ずもとに戻すだろう。
誰もがオレのように律儀に次に使う人のケツの穴の心配をしてくれるわけではない、普通の人は自分のケツのことしか考えてない。自分のウンコが終われば後はだまって個室を立ち去るのみである。ケツマナーの悪い利用者のせいでこの菊門嗜好別作戦は失敗に終わることだろう。もっともそんな提案を職員会議でしても馬鹿と思われ失笑されるだけなんだが。
そういうわけでオレは今日も便座に座れば水流調整を確認し、強に変更してからケツを洗う。そうしていつもの快感をじっくりと味わう。 自動ケツ洗い機を巡る不毛の攻防はこれからもずっと続くのである。
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2017年04月21日(金) |
八つ橋の耳はどこへ消えた? |
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その昔、貧乏学生だったオレの京都での学生生活は、どうすれば食費を抑えられるか苦心する日々だった。肉などはめったに喰えない。カレーを作ってもいつも肉無しカレーである。食欲は人一倍あったので実家に帰ったときに強奪した大量の米を主食にして、たまに大学生協で一番安い米を買った。確か当時の値段で2キロで500円くらいだったと思う。
野菜と言えばいつももやし。もやしが一番安くて一袋30円くらいだったからよくもやしをメインにした「野菜炒め」を作った。他の材料と言えばタマネギとピーマンくらいで、もちろんそこには「肉」はなかったのである。
そんな貧乏な食生活を送っていたオレはある日、有名な八つ橋店の片隅に置かれていたビニール袋入りの生八つ橋の残骸みたいなものを発見した。
「おっ!これはなんだろうか?」
八つ橋の皮は正方形の形をしている。その形に皮をカットした時にできる切れ端というか耳の部分を集めて袋に詰めて1キロ100円くらいで売っていたのである。
オレは「生八つ橋」が好きだ。京都の和菓子はたいてい好きだが、その中でも「生八つ橋」は別格だ。その「生八つ橋」が、切れ端とはいえものすごく安く買えるのである。オレは迷わずそれを購入した。
アパートに持ち帰って、熱いお茶を入れてその皮を食べたのだが、けっこうお腹がふくれるのである。これはおやつではなくて主食に代用可能だ。小腹が空いた時のおやつとしてもいいが、メインの一品でも全然問題ない。
そういうわけでオレは「八つ橋の耳」をよく買って食べるようになったのである。オレは大学生の間ずっとその貴重な食品を食べ続けていた。ただ、卒業して大阪で就職してからは疎遠となった。あれから30年以上の月日が流れた。
最近京都を何度か歩いたのだが、清水寺の参道に並んでる八つ橋店のどこにも「八つ橋の耳」なんかは売られてなかった。そういうものは土産物としてではなくて、もっと別の店にマニアックに置かれてるのだろうか。それとももう京都人は「八つ橋の耳」なんか食べないのだろうか。
あるいは八つ橋を製造する機械が進歩して、無駄な「生八つ橋」が一切出ないように工夫されてるのだろうか。それで最初から耳なんか存在しないのだろうか。オレはその謎が知りたいのである。もしかしたらもうそんな貧乏くさい食材は人間が食べるものではなくて、家畜の餌となって豚や鶏が食べてるのだろうか。そんなことはオレは断じて許せないのである。あんなおいしいものを家畜に与えるとは言語道断である。オレが食べるからオレに譲って欲しいのである。
八つ橋の耳はいったいどこに消えたのだろうか。それともオレが知らないだけで今でも京都のどこかでちゃんと売られてるのだろうか。売られてるとしたらいったいどれくらいの値段なんだろうか。
昔のオレが買っていたのはそれがとてつもなく安かったからである。もしも高かったらなんの意味もないのである。もしもあのものすごく安い「八つ橋の耳」が今でも存在するのなら、オレは絶対に買うのである。間違いなく手に入れるのである。
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2017年04月15日(土) |
北朝鮮、破滅のシナリオ |
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北朝鮮の金正恩がとうとう暴発しそうである。さて、オレは近々起きることをオレなりの予想で書いてみたい。もちろんこれはすべてオレの憶測であり、架空戦記の小説みたいなものとして読んでもらいたい。
もしも金正恩が核実験を強行するとかいうことになれば、シリアに打ち込まれたミサイル同様に米艦隊からの巡航ミサイルが核施設や弾道ミサイル発射施設を破壊するだろう。北朝鮮の潜水艦から発射する予定のミサイルはまだ発射実験を経ていないので、仮に発射されても洋上に落下するだろうとオレは思っている。もちろんそれが日本の都市に落下する可能性もないとはいえないのだが。
開戦と同時に北朝鮮軍はソウルに侵攻し、数時間で占領するだろう。逃げ遅れた市民にはかなりの犠牲者が出ることが予想される。朝鮮戦争の時に起きたようなことが再現されるのである。韓国の市民が大勢戦火に巻き込まれることとなる。ただ、北朝鮮軍の最大の問題は物資の補給である。兵站が伸びきった時点で侵攻はストップする。在韓・在日の米軍が戦闘に参加し、日本の自衛隊も「集団的自衛権」の発動で参戦し、サヨクの方々は国会前で「海外派兵反対」と叫び(隣で戦争が起きていて、いつそれが日本に飛び火するかわからないのに無責任なことを言えるのが馬鹿サヨクの特徴である。)、日本国内でも世論は二分されるだろう。
米空軍の攻撃で地下壕に逃れていた金正恩やその側近たちが殺されることで戦争は終結する。司令塔を失った軍隊はただのならず者の集まりでしかない。
さて、北朝鮮をどこが支配するのか。韓国は「祖国統一」を掲げてその領有を主張することだろう。しかし、ロシアや中国はそれに強硬に反対することになる。これまで自分たちの子分のような社会主義国家がそこに存在したのが、いきなり米国の勢力下にある資本主義国家がやってくるのである。中国にしてもそれは困ったことである。むしろ中国は北朝鮮を自国の保護国にすることと望むだろう。どうしたらそうなるのか。
オレの憶測なんだが、開戦して北朝鮮軍がソウルに進撃し始めたとき、中国は人民解放軍を国境地帯から越境させてくるだろう。北朝鮮の敗北を予想して中国は領土拡張を狙ってくるはずである。中国の思惑は、そこで北朝鮮攻撃を米国一国に任せることで自国の貢献度を下げれば領土が取れない。北朝鮮全土とまではいかなくても、半分くらいは中国のものにしたいと思っているはずだ。中国の侵攻は金正恩は予想していない。そして中国軍がまたたくまに無防備な北朝鮮の国土を征圧できることは明らかである。北朝鮮の備えは南にしか向いていないからだ。
韓国と中国によって分割された北朝鮮がその後どのような形で戦後処理を受けるのかは予想が付かない。ただ、戦争自体は短期間で終わる。湾岸戦争時のイラク攻撃に比べて北朝鮮はあまりにも面積が狭い。北朝鮮という緩衝地帯を失って中国は韓国と国境を接することとなる。
もしも偶発的に北朝鮮国内で米軍と中国軍が衝突すれば・・・それはオレが一番恐れる第三次世界大戦へのプロローグとなるかも知れない。そうなれば必ずロシアも参戦する。在日米軍の基地を叩くためにロシアは北から侵攻してくる。日本は両勢力のぶつかり合うところだから戦場になることは間違いない。核攻撃が行われれば日本列島はひとたまりもない。米露の双方の暗黙の了解のもとに本土への核攻撃をしない代わりに日本に核が打ち込まれることになる。
このように北朝鮮の破滅は同時に日本の破滅をもたらす大戦争になる可能性を秘めている。オレは事態の成り行きを慎重に見守っているのである。
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2017年04月10日(月) |
神奈川県警という馬鹿組織 |
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神奈川県警と言えば無能な警察の代表のようなものである。彼らの犯したミスのせいで多くの善良な市民が犠牲になり、ストーカーに襲われた女性が命を落とし、犯罪者がのさばり続けたのである。そんな自分たちのダメポリスぶりを反省してまともな警察組織になることが彼らにとってもっとも大切なことであるのに、いやはや、どうしようもなくつまらないことをしているのである。馬鹿すぎるのである。
速度違反取り締まり強化、新型の速度測定機を導入へ 神奈川県警 カナロコ by 神奈川新聞 4/9(日) 8:03配信 速度違反の取り締まりを強化して交通事故を減らそうと、県警は新型の速度測定機の年内導入を目指している。持ち運びができる比較的コンパクトな従来型の測定機に撮影機能を付加。事後捜査ができる上、取り締まり時の省スペース化が図れる。場所を選ばない取り締まりが可能となり、県警は「幅員の狭い生活道路などで積極的に取り締まり、速度抑制を促したい」としている。 県警交通指導課によると、県警が現在利用している測定器は、大別すると定置式(レーダー式、光電式)と固定式(オービス)の2種類。定置式は持ち運びができ、さまざまな場所で取り締まれるが、撮影機能がないため違反車両を現場で停止させなければならず、路肩などに一定のスペースが必要となる。 一方の固定式は、違反車両を自動撮影して事後捜査で違反者を特定するため、違反車両を停止させるスペースは不要。だが、場所を変えて取り締まるなど臨機応変な対応は不可能だ。 新型の測定機は、双方のデメリットを克服。コンパクトで持ち運びができる上、撮影機能が付く。事後捜査ができ、生活道路のような幅の狭い道路でも取り締まりが可能だ。 県警交通総務課によると、幅員が5・5メートル未満のいわゆる生活道路での事故発生件数は過去5年間(2012〜16年)、全体の約23〜25%を占める。 交通指導課の村上滋敏課長代理は「狭い生活道路では少しのスピード超過が大きな事故につながりかねない。取り締まりを強化することで事故防止につなげたい」と話している。
記事の内容を簡潔に説明すると、ようするに固定式のオービスを移動可能にして、どこでも速度違反を撮影して検挙できるようにしますというものである。そんなことで本当に事故が減らせると思ってるのなら、神奈川県警の連中はとんでもないおめでたい馬鹿の集まりだ。
速度違反を減らす方法は検挙することではなく、警官が道に立って存在をアピールすることである。ここに警官がいますよというだけで車は必ず速度を落とす。「取り締まりをしてますよ!」と警告することで違反者は減るのである。
たとえばこの新型測定機を導入することで、昨年発生したあの認知症の老人がクルマで通学の児童をなぎ倒したような事故を防げると思うか。否である。スマホを見ながらの運転を防げるか? それも否である。ポケモンGO運転も同様に防げない。スピード違反を取り締まれば事故を減らせるというのは勘違いも甚だしいのである。そもそも交通事故の原因でスピードの超過は全体の6.5%しかないのである。事故原因のベストスリーは「漫然運転」「脇見運転」「運転操作ミス」なのである。前をよく見ていなかったという理由で事故が起きることが一番多いのだ。そんなこともわからない馬鹿警官が多いから、神奈川県の交通事故件数はとても多いのである。
この新型取り締まり機によって速度違反の検挙数が増えるということは、それだけドライバーの不満が増すということである。ドライバーの不満は新たなストレスにつながり、それは事故の遠因となる。なんのことはない、この無意味な取り締まりによって事故が増えるかも知れないのである。
速度違反の取り締まりが行われる場所というのはたいてい「速度超過でも大丈夫な道路」である。見通しが良くて多少制限速度を超えても危険ではないから人はそこでスピードUPするのである。子どもが飛び出してくるかも知れないような路地の多いところでは普通のドライバーはスピードを出さない。そんなところを暴走してる馬鹿を取り締まってくれるのならいいことだが、どうせこんな機械は本来の趣旨を離れて「検挙件数ノルマ確保のための道具」として使われるだけである。しょせん警察は馬鹿の集まった官僚組織なのである。
大阪府警も実に無能で馬鹿な組織なんだが、この神奈川県のような愚かな行為に追随しないことをオレは祈っている。そんな速度違反取り締まりなんてなんの意味もないぜ。安全運転をいつも心がけているオレのような優秀なドライバーでさえも速度違反で検挙されることがあるのである。オレがルールを破ってるのではなくて取り締まり側の方が絶対におかしいのである。
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2017年04月07日(金) |
銃剣術とは人を殺す技術である |
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自衛隊の中でひっそりと行われている武道である「銃剣術」がなんと学校教育の中で体育の選択科目として教える「武道」に加えられるらしい。なんとおかしなことをやらせるのかとオレはあきれている。
「銃剣」というのは相手の急所を突いて絶命させるための武器であり、戦争の時には用いられるかも知れないが平時には全く不要のものである。物資の乏しかった旧日本軍が、撃ち尽くして銃弾がなくなった時や、はじめからタマがない場合に活用された武器が銃剣なのである。銃剣で突くよりも銃で撃った方が効率的なわけで、物資弾薬が豊富な近代戦ではなんの意味もない。
もっとも銃は発射すると音が鳴るが、銃剣では音もなく刺殺できるわけで、そういう意味では夜襲などに効果があったのかも知れないが、レーダーや暗視スコープを装備してる近代戦ではそもそも夜襲など効果がない。まあ時代錯誤のレトロなものを、自衛隊はありがたがって今でも練習させてるということなんだろうか。
銃剣では「斬る」という動きはあまり意味がない。「刺突」以外の戦術はほぼ存在しないわけで(実際の戦闘では台尻で殴るとかもあったらしいが)、防具を着けている場合は防具の隙間である喉を突くことが有効な攻撃となるわけだが、そんなこと学校現場でやらせれば怪我人が続出するだろう。そんな危険なことを教育現場に持ち込むワケにはいかないのである。
今なぜそんなものを学校でやらせようとするのか。それは最近世の中を騒がせている森友学園の事件と無関係ではない。森友学園は幼稚園児に「教育勅語」を暗唱させるという馬鹿な教育で有名になったが、安倍昭恵をはじめとする多くの自民党の馬鹿政治家やその子分どもには好意的に迎えられたのである。オレは戦前の精神の中で評価できるところは評価した方がいいという立場だが、「教育勅語」は支持しない立場である。よく内容も理解できないまま(というか馬鹿だからわかってないのかも知れないが)そんなものを教育現場に持ち込もうとする精神はどうかしている。
どちらかというとオレは柔道や剣道のような武道を学校体育のカリキュラムに入れることにも反対だ。そんなものは部活動の趣味だけでいい。日本中の学校でどれだけ多くの事故が起きて、未熟な指導者に武道を教えられたためにけが人が出てるのか。授業中に級友に投げられて怪我をしたり、いじめられてる生徒が柔道の絞め技で落とされたりなどという事故は無数に起きている。そうした事故の件数が膨大であることは資料にきちっと残されている。
「柔道」「事故」「件数」で検索を掛けるとこんな記事が出てくる。
「毎年、柔道事故で約4人の子どもが亡くなり、約10人が重い障害を負っている」という事実に、日本中が驚愕したのは2010年。中学校における武道必修化が2年後に迫った時期でした。中学・高校の学校内における柔道事故の死亡者は、1983〜2011年の29年間で、実に118人に及びます。 (内田良名古屋大学大学院准教授著「柔道事故」河出書房新社より) その後、2012年から2014年の死亡事故の発生は0件となりました。 しかし、2015年5月に福岡の中学1年生が急性硬膜下血腫で、8月に横浜の高校1年生が熱中症で、昨年4月に仙台の高校3年生が頸椎脱臼骨折で死亡しています。 つまり、1983〜2015年の33年間で、121人もの生徒が柔道事故で亡くなっているのです。
☆2004年横浜市立奈良中学校で、柔道部顧問の薦めたスポーツ推薦を断った生徒を顧問が柔道指導の名のもとに暴行し、急性硬膜下血腫を発症させて被害生徒は重度の障害を負った。 顧問教諭は傷害罪で書類送検されたが、「柔道場で柔道衣を着て柔道技を使っていたら、どこまでが柔道で、どこからが犯罪か線が引けない」との理由で不起訴となった。 講道館杯優勝者であるためか、教育委員会からの処分すら一切ない。 ☆2009年滋賀県愛荘町立秦荘中学校で、中学1年男子生徒が喘息の持病があるため柔道部顧問に別メニューでの練習を依頼していた。しかし他の生徒よりも過酷で長時間の練習をさせられ、ふらふらになってまともに歩くことすらできなくなったにもかかわらず、顧問は更に投げて、生徒は急性硬膜下血腫を発症して死亡した。 顧問教諭は傷害致死容疑、校長は業務上過失致死容疑で書類送検されたが、どちらも不起訴で終わった。
このように武道とは危険なものなのである。学校の体育の授業とは本来なじまないのである。その危険な武道をできるだけスポーツとして世界に通用するようにしたものが「柔道」「剣道」なのである。ただ、多くの事故が起きていることは事実なのだ。
しかし、銃剣術はどう考えても「殺すための技術」である。そんなものを学ぶ必要はないし、そんな技術を活用しないといけないような世の中になればも日本はオシマイである。
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2017年04月06日(木) |
銀行は客よりもゼニが大事である |
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銀行からみれば通常の預金者はゴミである。クレジットカード利用者も同様だ。
てるみくらぶが破産したことで、旅行代金を現金で支払ってしまった人はほとんど救済されないこととなった。それはお気の毒だが、破産した以上破産管財人が残った財産を分割して返済することになるから1%くらいしか戻らないのは仕方ないのである。
さて、ここで問題は「クレジットカードで旅行を購入したが、てるみくらぶ破産で旅行がキャンセルになったので引き落としを中止して旅行代金を返して欲しい」という場合である。そのクレジットカードの締め日がまだ来ておらず、実際に引き落とされたわけではないから払うのを止めてもらいたいということである。
ここでクレジットカードを発行している各社の対応をネットで調査してみた。すると驚くべきことがわかったのである。銀行系のカードは基本的に「返してくれない」のである。オレは銀行というもののセコさというか悪徳ぶりをまたしても理解することになったのである。
銀行は当然てるみくらぶにゼニを貸している。今回の破産でそのゼニは戻ってこないわけである。できることなら少しでもてるみくらぶに資産があった方がいい。そうしたら少しでも銀行の取れるゼニは増えるからだ。客が払った旅行代金を客に返してしまえばそれまでだが、それが客の手元に戻らずにてるみくらぶ側の売掛金として残れば、確実に銀行が回収可能な資産となるのである。そんなオイシイ権利を卑怯な銀行側が手放すわけがないのである。
クレカ引き落としの中止だが、三井住友系列は絶対にダメらしい。ということは三井住友は客の資産などどうでもいいと思ってるということである。オリコカードなどは返金に応じてくれるらしい。もっともそのあたりもオレがネットで適当に検索して拾った声だけだから正確なことは言えないのだが、ゼニを返さない理由に関してはオレの憶測が当たっているだろう。
もしもここで「そんなゼニは客に返すのが当然でしょう」と顧客本位に立つ姿勢を貫くようなカード発行会社が存在するなら、たとえ年会費は高くてもオレは迷わずそのカードを選ぶだろう。残念ながらそんなふうに名乗り出る会社は一つもなく、実際はカード会社はみんな銀行のいいなりなのだが。
昔、静岡県に本拠を置く「クレディア」という消費者金融の会社があった。ここが過払い金の返還で経営が苦しくなった時、なんと静岡銀行は「クレディア」をつぶしてしまって債権を買い取ったのである。クレディアでゼニを借りていた人たちは、静岡銀行に返すことになったのである。そして過払い金の返還はもちろん行われなかったのである。「過払い金の請求権」なんかのせいでゼニを失いたくなかったというのが本音だろう。銀行にとって一般顧客なんてゴミだからだ。
銀行はゼニのない人には基本的にゼニを貸してくれない。ところがオレみたいにまっとうな仕事について収入のある社会人にはじゃんじゃん無担保で貸してくれる。貧乏人はゼニがないから借りるのである。ところが銀行はゼニのある人に貸すゼニはあっても、ゼニのない人に貸すゼニはないのである。
今、マンション投資などの資産運用が盛んである。それが収入UPの方法であると銀行にだまされて、全額ローンで物件を購入する人もいる。その場合、面白いのは購入する物件の価格がものすごく割高なことである。プ○サンスなんとかの物件とか特にそうだ。そんな割高なマンションを誰が買うんだ?という値段で投資用に購入させられ、そのローンを延々と払わされるのである。もちろん家賃の値下がりなどで途中で投資は赤字に転落し、それを多くの人は働きながら必死で返すのだが途中であきらめて損失を確定させて退場する人も多い。
儲かるのは銀行だけである。
銀行は預金者や顧客なんてゴミとか思っていない。だからオレも銀行には何も期待していない。ただ利用するだけである。オレは学生時代、ティッシュはいつも富士銀行出町支店からもらっていてほとんど買ったことがなかった。最近の銀行はティッシュも置いてないのである。サービス悪いぞ。
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2017年04月02日(日) |
レゴランドはクソランドだったのか? |
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名古屋に屋外型の大型テーマパークとして「レゴランド」がオープンしたのだが、そこのレストランで提供される料理の貧弱さが話題になっている。オレもいくつかその写真を見たが笑ってしまった。高いゼニを払って喰わされるものがこんなに貧弱ならば楽しい気持もたちまち吹っ飛ぶだろう。なんで園内のレストランはこんなにひどいのだろうか。
また、この「レゴランド」はペットボトルの飲料持ち込みが禁止なのだが、中にある自販機ではそれらが通常の二倍近い値段で売られてい。いろはすが220円とかしているのである。輸送にコストの掛かる山小屋とかならわかるが、全然問題のない街の中である。高い入園料を取られる上に飲み物までもぼったくり、しかも持ちこみさせないように手荷物検査まで実施するのだから恐れ入る。もしも同じことを大阪でやれば来場者がみんな「こんなクソ遊園地にはもう二度と来るか!」と怒ってたちまち閉園に追い込まれるだろう。
遊園地の中のレストランが高いのはお約束である。USJやTDLのレストランは確かに高い。しかし、レゴランドのレストランで提供されるモノは高い上に貧弱なのである。高いゼニを払って注文したのに、出てきた料理を見て目を疑うレベルなのだ。すでにネット上にその残念な料理の写真が多数UPされている。そんなひどいものを提供しないと引き合わないということは、よほど出店料が高いのだろう。それで評判が悪くなれば客はますます来なくなるわけで、客を舐めるのもいいかげんにしろよというレベルなのである。
名古屋には昔「イタリア村」という施設があったが数年で破産してしまった。今回のレゴランドを見て「イタリア村の二の舞」と感じている名古屋市民が多い。
今、ネット上では「レゴランド名古屋」=「ぼったくり」という大量のツイートが写真付きで流れている。いくらマスコミを使って偽情報を流しても、こうしてツイッターなどで真実が暴露されるのである。 ただ、ぼったくりの評判のせいで空いてるということになれば、それはそれで価値のあることかも知れない。待ち時間無しで乗り物に乗りまくれるわけだから、飲食しないで乗り物だけを目当てにしてる人にはいいだろう。
オレは昔、愛知万博に行ったことがある。その時の混雑とぼったくり感を思い出す。やっぱり名古屋という土地はテーマパーク不毛の土地なんだろうか。それともこの「レゴランド」だけが特別ひどいのだろうか。
USJもTDLが繁盛してるのは大量のリピーターが存在するからである。名古屋のこの「レゴランド」が来場者に「また行きたい」と思わせるような施設であるのか。ひどいと評判のレストランの料理は今後改善されるのか。今後の成り行きを見守りたいのである。それにしてもネットに流れている料理の写真はひどかったのである。実際に行ってから判断を下すべきなのだが、ただその検証のために6900円も払わされるというのはとうてい納得できないのである。
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