江草 乗の言いたい放題
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2015年09月28日(月) なんのために学ぶのか? 受験勉強中のキミへ〜        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan




 ある生徒が夏休みの宿題を全然やらずにずっと遊んでいた。「どうしてやらないのか?」と問われた彼はこのように答えた。「だって勉強する意味がわからないんです」その問いはなかなか根源的である。ただ勉強をサボっていたり、ゲームに熱中していたために宿題をしない生徒と、「意味がわからないからしない」というのは違う。もしかしたら「意味もわからず宿題をしている」生徒よりもより勉強という行為の本質に彼は近づいているのかも知れない。そういうわけで学びの意味について考えてみたい。

 人はなぜ学ぶのか。

 これは「人はなぜ働くのか」という問いと似ている。まだ労働者でない学生たちにとって、誰もが当たり前にしている行為に対する疑問と同じだからだ。もちろん日本では働くことは義務ではない。たとえばある人が「オレは働きたくない」と宣言してニートになったとしても、ゼニがないなど多少の不自由はあるかも知れないが、生存権は保証されるし、最低限度の文化的な生活は営めるようになっている。それが国民の権利だからだ。だから「労働」は義務ではない。同様に「勉強」も義務ではない。「義務教育」という言葉があるがあれは翻訳が間違ってるのであって、正しく直訳すれば「強制教育」となる。馬鹿のまま社会に出てこられるといろいろとまわりが困るから教育を与えるというのが本来の初等教育の意味である。その「義務教育」から先の勉強をどうするかは個人の自由だ。

 勉強することはどちらかというとしんどいことであり、あまり楽しいことではない。これは事実だ。そして人は楽しくないことはあまりしたくない。しかし、勉強することは多くのことをキミにもたらしてくれる。それはまぎれもない事実だ。それをまずわかってもらいたい。

 まず1番目にこのことを言いたい。「勉強する」ことはお金をもたらす。君たちは自分で高校や大学の授業料を払ってるわけではないのであまり勉強とお金の関係について考えてことはないと思う。しかしそこにはしっかりとお金が結びついている。私立高校の中には特に成績優秀な生徒に対して奨学金を与えたりする学校がある。予備校の夏季講習などを受講すればお金がかかるが、その内容を自分で参考書や問題集を使って身につければ、その分のゼニは手元に残る。現役で国公立大学に進むのと、浪人して予備校にゼニを払ったあげくに私立大学に進学するのとを比較すれば1000万円近い違いがある。そう、キミがお金を払ってるのではないが、勉強をしなかったキミのために代わりにご両親がお金を払ってくれているのだ。まずちゃんと勉強することは間接的にキミにお金をもたらしている。

次いで2番目に「勉強することは明確な目標をもたらす」ことを忘れてはならない。受験生なら誰もが具体的に「京都大学に入りたい」とか「医学部に入りたい」という目標を持っているだろう。目標を持たないとそもそも勉強するモチベーションが上がらない。そうした明確な目標を持ち、それを達成するための勉強と考えれば、その価値は当然理解できるだろう。毎日をただなんとなく過ごしているよりも、目標があった方がはるかに生きることは意味を持つ。
 
 3番目だ。「勉強することで出会いが生まれる」ことを忘れるな。勉強するために学校に通う。引きこもりでも勉強はできるかも知れないが、学校に通ってる方が情報も手に入るし、同じ目標を持つ仲間とも出会える。たった一人で勉強する孤独というのはつらいものだ。そうして進学すればそこでまた新たな出会いがある。世界が広がっていく。その出会いの中はもちろんすべてが意義あるものとは言えず、中には不幸な出会いもあれば、関わらない方がよかったような連中との出会いもあるだろう。しかし、全く誰とも出会わない人生よりは、多くの出会いがあった方がずっといいとオレは思っている。

4番目は「学ぶことで信用が生まれる」ということだ。勉強しないでも誰でも入れるようなFランク大学ではなく、ある程度世間に「入学偏差値が高い」と評価されているところに入学することができれば、それが周囲の人たちからのキミへの信用となる。毎日アダルトDVDばかり観てるただの変態オタクであっても、それが東大生なら世間は「変態オタク」とは思わずに東大生という属性で彼を評価してくれるし、変態オタクの部分は「変わった趣味をお持ちですねえ」というふうにただの一つの個性となる。もしもキミが変態オタクなら必死で勉強して東大生を目指すのがベストだ。

 5番目だ。最後に「学ぶことで自信が生まれる」ということをわかってもらいたい。世間には妙なプライドや屈折した劣等感を持つ大人が実に多い。偏差値60の大学に通う人が偏差値55の大学を見下したような発言をするのを見るとオレはなんて情けないんだろうかと思う。どうして努力して自分が到達したモノに対して自信を持たないのか。人になんと言われようと、自分が努力して築き上げた価値に対して絶対的な自信を持つべきだ。それは本当に真剣に学んだからこそ手に入るものであり、手抜きをしたりずるいやり方をしていては手に入らないものだ。宿題を自力でしなかった生徒が、休み時間に友人の答えを丸写しさせてもらって授業に臨んでいればどうして「自信」なんてものが手に入るだろうか。「自信」とは自分の力で成し遂げたときにだけ生まれるものである。

 さて、ここまで書いてきた理由は実は最近オレは「何のために働くか」ということについてふれたすばらしい文章を読んだからである。そこにある「働く理由」の多くが学ぶ理由に根っこの部分でつながってることがわかったので、この日記を書こうと思ったのである。パクリであることを暴露するので、その引用元のリンクも最後に張っておく。

「なんで働かないといけないんですか?」と聞いた学生への、とある経営者の回答。



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2015年09月23日(水) 阪神タイガースはなぜ優勝できないのか?        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan



 9月21日の阪神ヤクルト戦をオレは観ていた。2−2の同点で迎えた6回裏、このような阪神の攻撃があった。ヤフーのサイトからテキスト速報を引用しておく。

1:投手交代:杉浦→ロマン 守備交代:ショート大引
2:福留 一度もバットを振ることなくストレートのフォアボールを選ぶ 1塁
3:中村(捕):パスボール 2塁
4:ゴメス ショートゴロ 1アウト
5:伊藤隼 低めのチェンジアップを見送りフォアボールを選ぶ 1,2塁
6:鶴岡→代打:関本
7:関本 内角のストレートを見送りフォアボール。ヤクルト、満塁のピンチをまねく 満塁

 3つの四球で相手からチャンスをもらったのである。ここはなんとしても阪神は得点しないといけないところである。しかもこの回からマウンドに上がったロマンはまるで制球が定まらないのである。阪神が代打関本を送り、さらに一死満塁で打席に入った大和にここでスクイズで1点を取りに行かせたのは間違ってなかったと思う。ただ、大和なら粘ってさらに四球、押し出しを選ばせるという攻めもあったはずだ。結局大和はスクイズを失敗してファールにしてしまい、その後内野ゴロで2アウトになってしまう。

 問題はその後だ。最多勝がかかっている藤浪をどうしてここで降板させたのかということである。まだ6回だ。もちろんここで点が入れば阪神の勝ち越しで藤浪に勝ち投手がつく。しかし阪神はここで代打に新井弟を送るという大失敗をした。オレは思った。「終わった!」新井は確かに長打力はあるが、ここで欲しいのは確実に単打で点をとること、あるいは四球を選ぶことである。それができるのはむしろ新井よりも藤浪ではなかったか。藤浪の方が新井よりもはるかに勝負強い。そして長いことプロ野球の世界に居ながらずっと控えでしかない新井よりも、藤浪の方がはるかに期待できる。何よりも藤浪には「ここで自分が打つことで勝ち投手になる」という積極的な動機がある。しかし和田監督はここで代打新井という間違った選択をしたのである。

8:大和 つまった打球はサードへの平凡なゴロとなる 2アウト満塁
9:藤浪→代打:新井
10:新井 一打勝ち越しの場面で外角の変化球に空振り三振!決定機を逃す 3アウトチェンジ

 ロマンは新井に対しても制球定まらずボール球ばかり投げてきたが、新井はそのボール球を空振りして、オレを失望させ、結局空振り三振に終わった。この時点で阪神の負けが決まったと言っても過言ではない。

 藤浪が降板した後、ヤクルトはあっさりと3点を入れて勝ち越しそのまま5−2でこの試合に勝ったのである。今の阪神の中継ぎ陣はヤクルトの強力打線を抑えることはできない。唯一藤浪晋太郎だけがヤクルトの山田を力で抑えられるのである。その藤浪が投げる試合をなんとしても阪神は取らないといけなかったのである。

 今シーズンの優勝はヤクルトだろう。そして阪神はいいとこ3位、下手すると広島に抜かれて4位だ。9月になって阪神は選手を二人戦線離脱させた。上本と狩野である。この二人の代わりセカンドには大和、ここ一番の代打では新井が使われてるのだが、大和はまるで打てないし、新井は兄と同じく真ん中のストライクを見逃してボール球に空振りするのが得意である。

 優勝争いをしている4球団の中でもっとも走れないし打てないのが阪神だ。その阪神が今年間違って優勝争いできてるのは、他球団が弱いからである。ただそれだけのことだ。オレは今の阪神を冷静に分析して、第二期暗黒時代ととらえている。90年代の中村負広監督のいたあの暗黒時代を第一期暗黒時代と名付けるならば、その時に主力だった暗黒戦士たちがコーチをして、暗黒戦士の代表である和田が監督している今はまさに第二期暗黒時代なのである。打てないし守れないし走れない。そんな弱小球団であってもセリーグ全体のレベルが低いのでなんとかなってるのだ。今やパリーグとセリーグの差は歴然たるものがある。

 阪神のドラフト1位は10年に一人しかまともに育つ選手がいない。その10年に一人の逸材が藤浪晋太郎である。彼は日ハムの大谷と並んで日本球界の宝である。残念なのは彼が阪神という選手を育てる能力の全くない球団にいることである。もしも彼がソフトバンクや西武に入団していればどれほどの大投手になったのかとオレは思ってしまうのである。

 大阪には「阪神の優勝を3度観た者は死ぬ」という都市伝説がある。20年に一度程度のイベントだから、3度観るというということはそれで60年近く使ってしまうということだからだろう。オレが生まれた直後にも阪神は優勝していたらしいが、それはオレの記憶にはない。1985年の優勝はよく覚えている。そして2003、2005とオレは3度も阪神の優勝を観てしまった。もうこれでオレの運命は定まったようなものである。このことわざが意味する所は、オレが生きてる間にもう阪神は優勝しないということである。

 阪神は今年はたぶん優勝できないだろう。いや、今年だけではない。来年も再来年もずっと優勝できないだろう。今年の秋のドラフト会議、阪神が1位指名する選手の名前を聞いて誰もが「えっ、誰それ?」と思うはずだ。育成能力がないのだからせめて最初からいい選手を獲得してほしい。そんなことを思いつつ、オレは阪神ファンをやめられない愚かな男である。




中村勝広元阪神監督、現GMの訃報をさきほど知りました。心からお悔やみ申し上げます。並びに当日記での数々の中村氏への暴言の数々をどうかお許しください。



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2015年09月19日(土) 国会で野党が見せた茶番について        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan



 集団的自衛権の行使を可能とする憲法解釈の変更を含めた安保関連法案が参議院で可決された。土壇場まで粘る野党が見せた数々のパフォーマンスにオレは辟易していた。国会というのは多数決の場であり、すでに数で負けている以上いくらあがいても結果はわかっている。そこで堂々とした論陣を張り、国民に主張すべきとは堂々と主張してその上で潔く負けるのが武士道であり、敗者の美学ではないのか。今回の負け方ほど醜悪だったものはない。女性議員を使って「セクハラだ」と発言させるなんて痴漢冤罪レベルの情けなさである。議場を混乱させ、意味のない不信任案を連発してただの引き延ばしをはかることも実に不毛である。そんなことでは何も変わらない。変えられるのは選挙だけだ。

今、日本の隣には日本と全く価値観を異にした大国が二つある。中国とロシアである。この二国は「戦争によって領土を広げる」「武力によって他国を威嚇する」ことを肯定している。第二次大戦によって否定され、国連の精神に反することを堂々と平気で行ってるのがこの二国であることを忘れてはならない。そうした国と対峙する中で日本が選ぶ道は二つしかない。一つは独自に強大な自衛のための武力を持って単独で戦えるようになること、もう一つは集団でそうした帝国主義国家に対抗するための互助組織に入ること。今回の自民党の動きは後者の選択である。

 ところが福島瑞穂に代表される頭の中がお花畑になってる方々の考えはこの二つのどちらでもない。そうした侵略国家に対して「話し合いで解決しましょう」「戦争にならないようにしましょう」というのだから話にならない。一方的に他の国の主権の及ぶ領土を「ここは歴史的に我が国の領土だ!」と叫んでくる国に対してどうして話し合いが可能なのか。巡視艇に武装した漁船を体当たりさせて挑発してくる国は、街で因縁を付けてくるヤクザみたいなものである。そんな連中との話し合いは絶対に成立しない。

 戦争を回避するための法案を「戦争法案」と名付けて国民を扇動することにサヨクの人々は成功したのか? 国会前を埋めたデモの人達はいったいどのような人達だったのか。そこはもっと検証されるべきだろう。まだ明らかになっていない事実があるはずだ。

借金大国であるアメリカが「世界の警察」の看板を下ろした今、世界は中国とロシアという二大帝国主義国家に振り回されている。シリアから大量の難民が欧州に移動しているが、そのシリアのアサド政権をロシアは軍事的に援助しようとしている。中東にはISISがあり、アフリカにはボコ・ハラムがある。こうした巨大化したテロ集団に対してどう国際社会は立ち向かうのか。日本はどうやって国際貢献するのか。自衛隊の海外派兵も日本が果たせる一つの義務ではないのか。ISISやボコ・ハラムを征圧するために自衛隊が戦うのは正義であり、それは世界の先進国が等しく負担しなければならない尊い犠牲だとオレは思っている。

原爆投下というアメリカの罪を告発できなかった日本は、シベリア抑留というロシアの重大な国際法違反を告発する機会も失った。なぜアメリカが主張する原爆投下の正当性を受け入れたのか。我々は大きな屈辱と引き換えに戦後の繁栄を手に入れた。あんなに残虐な殺され方をしたのに、その死がまるで必然であったかのようなアメリカの史観を受け入れ、東京裁判の結果を甘受したのだ。そうして「平和国家」として戦後の繁栄を手に入れた。それはまぎれもない事実である。朝鮮半島やベトナムで起きていた代理戦争で多くの血が流されていたのに、日本はその兵站基地であり続け、国民が戦争で血を流すこともなかった。これもまたまぎれもない事実である。

 ただオレは今回の法案を支持しているわけでもない。前から繰り返すようにオレはアメリカを信頼していない。だからその下僕になるようなこんな法案はクソだと思ってる。日本にできる国際貢献はもっと別の形で可能なはずである。しかし、今国会の論戦は憲法解釈という恣意的な部分に終始し、オレが望むような議論は全く見られなかったということもまた事実である。

 あんなくだらない茶番はもう止めて欲しい。できるなら国会議員には歴史を語って欲しい。これからの日本が国際社会で選ぶ立ち位置を明確にして、その上でどんな形で国際貢献すべきなのか。そうした将来を語って欲しいのである。まともな話し合いもできない連中が国会議員であり、国民の選良だなんてオレは認めたくないのである。


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2015年09月14日(月) オレは東住吉警察の速度違反取り締まりに抗議する!        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan

 今朝、通勤のためにオレはあびこ筋を北上していた。地下鉄長居駅付近を通過したのは確か午前7時20分くらいだったと思う。阪和線の高架下あたりだったか、オレは対向車線(南行き車線)で速度違反の取り締まりをしているのを目撃した。止められてなんだか怒ってるトレーラーの運転手がいた。まあ速度違反取り締まりはいつも理不尽なものである。特に植え込みの陰にレーダーを設置して隠れて取り締まるあのお決まりの「ねずみ取り」はドライバー泣かせである。オレは運転しつつ対向車線を眺めてレーダーの設置場所を確認した。取り締まりによく使われる場所を覚えることは自分の身を守るために欠かせないことである。同じような曜日や時間帯にそこを走るときにゆっくり走ればいいだけのことだ。

 このあびこ筋南行き車線は、かつて存在した阪和線の踏切が撤去されて高架になって道路も直線となり走りやすくなったのだが、なぜか踏切のあった場所に40キロの速度制限の区間が設置されている。全くもってこの速度制限は意味不明なのだが、そこがただ単に取り締まりのための罠としての規制ならば、実にうまく設定されてるといえるだろう。もしもその規制に合理的な理由が存在するならば、ぜひとも示してもらいたいのである。

 そんなことを思いつつレーダーを横目に通り過ぎてしばらく行くと、なんと対向車線には巨大なダンプが4台も違法駐車していたのである。オレはたちまち怒りが頂点に達した。一車線を完全にふさいでるこの迷惑駐車を排除することの方が、くだらないねずみ取りよりもはるかに大事なことではないのか。

 しかもこのダンプがじゃまになって、設置してあるレーダーやその後ろに座ってる警官は遠くからは見えないのである。むしろこの違法駐車のダンプは、警察の取り締まりをアシストしてるようなものである。どうしてこれを放置して速度違反の取り締まりを行うのか。まず先にこいつらを排除するのが交通警察官の正しい行動ではないのか。

 一車線を完全にダンプがふさいでることで、通過するクルマは必ず速度を落とすことになる。そして通り過ぎてから必ず速度を上げることになる。しかし、そこにはレーダーが設置されていてスピード違反を取り締まってるのである。つまりこのダンプは、速度違反取り締まりのためにわざと放置され、結果的に検挙数を増やすのに役立ってるのである。オレのような疑り深いオッサンは、もしかしたらこのダンプの運ちゃんは警察の協力者ではないかと勘ぐってしまうのだ。

 今、目の前に一人の明らかな窃盗犯と、これから窃盗をするかも知れないちょっと怪しい人がいるとする。そこで警官の取るべき行動は怪しい人に職務質問することではなくて明らかな窃盗犯を検挙することである。その理屈から言えば明らかに東住吉警察のこうした取り締まりは間違っている。交通警察官の役割は、まだ起きてない違反を取り締まろうと準備することではなく、すでに発生している交通違反を検挙することである。特にその違反が円滑な交通を阻害している場合は緊急に排除しないといけない。そういう意味では目の前の違法駐車のダンプを放置していた東住吉警察の怠慢な取り締まり態度は言語道断である。

 9月14日朝7時半くらいにあびこ筋の南行き車線でねずみ取りに検挙されて反則金を払うことになったすべてのドライバーは、その検挙に対して不服申し立てをしてもよいとオレは思う。取り締まりの優先順位を逸脱し、しかもレーダーが見えにくいようにわざとダンプの違法駐車を放置していた東住吉警察はクソだ。おまえらにはなんの正義もない。そんな違法な取り締まりをしていて「これは正義だ」「この取り締まりは正当だ」なんて胸を張れるのか。

オレは警察が基本的に嫌いである。彼らは決して市民を守るために存在するのではなく、彼らが守ろうとするものは組織の論理であり、自分たちの中に存在する間違った慣習や価値観である。

 見通しのよい直線道路にわざと速度規制を厳しくした区間を設置しているのは、そこが「ねずみ取り検挙用」だからである。その速度規制には合理的な理由はない。そこで速度を落とさないと行けない必然性もない。そうした「ねずみ取り検挙用」にわざと40キロ制限にしている場所はたいてい警察署の近くである。近いとそこまで出向くのが楽だからだろう。もちろんオレはそういう所では決して速度違反をしない。あの卑怯な連中に献上するような余分なゼニは持っていないからである。

 あびこ筋の南行き車線、西田辺〜長居間には朝はいつも多くのダンプやトラックが違法駐車している。それが取り締まられているのをオレは見たことがない。きっと「ねずみ取り」の協力者ということでお目こぼしでもあるんだろう。
 


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2015年09月12日(土) ホンダ・S660に乗るということ        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan



 8月末に納車されたホンダ・S660を通勤に使っている。ホンダがビートの生産中止から19年のブランクを経て復活させた軽自動車の2シータ−、エンジンをミッドシップに搭載した本格的な遊びの車である。3月に注文して納車まで5ヶ月待った。それでやっと手に入ったのである。運転してみて思うことがいろいろある。それを今日は書いてみたいのである。





 まず、オレはずっとMT車を運転してきた。それゆえ今回も6速MTを選択した。今そのことを激しく後悔している。なぜか? 運転すると疲れるからだ。オレはもう50歳をかなりこえている。体力も昔と全然違うのだ。だから、のんびり楽チンで運転できるCVTを選ぶのがベストの選択だったのかも知れない。オレは通勤のわずか50分ほどの運転で、お尻に筋肉痛を感じているのだ。なんということだ。もしもCVTを選んでいればこの痛みはなかったのである。

 次に荷物だ。オレは仕事に使うパソコンを入れた鞄を助手席の足元に積んでいる。なぜか? 鞄を載せるところが全くないからである。そこ以外に積載スペースがないのだ。だからこのクルマは一人乗りである。学校近くのコンビニで同僚の先生とたまたま遭遇し、「学校まで乗せてください」と言われたが、助手席には鞄が載っかっていたので丁重にお断りしないといけなかった。そう、S660というのはそういうクルマなのである。4輪のバイクみたいなものである。実用性という点では「雨が降っても大丈夫なバイク」という程度に考えた方がいい。基本的にこのクルマは「一人で乗るクルマ」と割り切らないといけないのだ。なんと不便なことだろうか。もっとも通勤メインに使ってるオレは誰かを乗せる必要は全くないのである。夫婦で旅行なんか絶対無理である。

 そういう欠点はあるのだが、いやはや、運転していてなんか楽しくなるのである。思い通りに動かせるという楽しさ、ハンドリングのすばらしさ、そして実用域での加速感、小さいことからくる取り回しの簡単さ、駐車場で駐めるときの便利さ、アクセルの操作にレスポンスよく加速し、低い着座位置のせいか低速でも妙に速度感があって迫力があるのだ。スポーツカーを運転してるという気分に浸れるのである。軽自動車だとは思えないのである。前に乗っていた三菱FTOにちっとも遜色ないのである。いや、こちらの方がはるかに楽しくスポーツ走行もどきを楽しめるのである。車両重量がはるかに軽量で、十分すぎるくらいにしっかりとした足回りがあるのだから。

 それにしても15年の間にクルマはものすごく進化していた。キーを差し込まなくてもエンジンが始動するなんて。ズボンのポケットにいれたままでOKなのだ。そんなの当たり前だろと笑われそうだが、オレは15年間クルマの進化から取り残されていたのだ。エンジンを切ると勝手にルームランプが点くのだ。そしてクルマから降りてドアロックするとそのルームランプは消えるのである。なんて便利なんだろうか。

 ヘッドライトもAUTOにしておけばトンネルのところで勝手に点灯してくれる。そしてもちろん消し忘れもない。オレはよくトンネルを出てからもライトを点けっぱなしで忘れてることが多かったのだがこれからはそんなことはなくなる。シートベルトをしていないと警告音が鳴る。助手席にうっかり鞄などを置くと、センサーがその重量を感知して助手席のシートベルトを締めろとやはり警告音が鳴るのである。しかたなくオレは無人の助手席のシートベルトを引っ張って固定するのだ。

 メーターパネルにはなんと燃料消費率が表示される。ちょっとアクセルをふかし気味にすると数値は下がり、エコ運転すると上がる。通勤時のように信号で発進停止を繰り返すふだんの走行パターンならば買ってからの2週間ほどで17辧Lくらいである。軽自動車にしては悪い気もするが、もちろんハイオクで10辧殖未修海修海世辰浸杏FTOから比較すれば格段の向上である。月に1400卍度走るとして、ガソリン代は1万円ちょっとというところだろうか。これもこれまでの約半額である。任意保険も税金もみんな安くなるわけで、年間の維持費が大幅に削減されることは間違いない。

たぶんオレは次に買う時も軽自動車を買うだろう。もっとも次は老人でも運転しやすいミライースとかワゴンRとかN−BOXを選ぶだろうが。もう普通車を選ぶ必然性はどこにもない。日本の生み出した軽自動車という世界はこんなにも進化した。ふだんの運転では時速200キロを出すわけでもなく、高速道路をビュンビュン飛ばすわけでもない。街の中で発進停止を繰り返し、コンビニやイオンモールに出かけるだけなら小さくて維持費の安いクルマがベストチョイスだ。そんな考えの中でオレが選んだ贅沢な軽自動車、それがホンダ・S660である。

 非実用性の極致であるこんな2シーターを購入するのはある意味贅沢きわまりない行為である。なぜならもう一台別に普通に人や荷物を搭載可能なクルマがあることが前提になるからだ。幸い我が家にはクルマを駐めるスペースもあるし、私のクルマを通勤専用車と割り切っても家族は誰も困らない。

 S660は他のクルマに普通にあるようなさまざまな快適装備が犠牲となってるので、カーナビを設置するスペースもないし、CDやDVDを再生することもできない。代わりにUSB端子がついてるので、そこにIpodをつないで音楽を再生することになる。そのIpodの操作はハンドルから手を離さずにできるようになってる。

 とりあえずオレはブックオフに売られていた中古のIpodを5400円で購入した。どうやらこれは第四世代というヤツらしい。メモリは8GBである。そこにさっそく940曲ほど手持ちの音楽データをぶち込んだ。これで今までクルマで楽しめていた音楽はそのまま聴けることとなった。いやはや、とても便利である。

 今のオレはS660を運転することが楽しくて仕方がないのである。もちろんAMラジオで野球中継を聴かないときは大音量で音楽を楽しみつつ走るのである。クルマは単なる移動の手段ではないし、自分のステイタスを誇示する道具でもない。世の中にはベンツやポルシェの性能を愛するのではなくて「ベンツに乗れる自分」「ポルシェに乗れる自分」を愛する似非クルマ好きが多いのだが、オレは運転することを楽しみたいのである。でもやっぱりクラッチを踏む左足が疲れるのである。もうオレは若くないのである。


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2015年09月07日(月) 真の国際貢献とは何か?        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan

 シリアで大量の難民が発生し、隣国のトルコに流入しているだけではなく欧州諸国にかなりの人数が流入している。難民として国外に出られることができた人たちはまだ恵まれた方であり、多くの人々が逃げることもできず満足な食糧もなく交戦地域に残留しているのだ。この内戦はなぜ起きたのか。アメリカがシリアのアサド政権に反対する反体制派を支援した結果起きたことである。イラクでもリビアでも同様のことが過去に起きた。「おまえの国の政治は民主的ではない!」といちゃもんをつけて、民主化運動や反政府運動というものを支援し、政府転覆をはかるのである。リビアでカダフィは殺され、イラクではフセインが殺された。アフガニスタンはタリバンの支配が排除された。その結果それらの国は落ち着いたか?否である。リビアは完全に無政府状態になってしまった。アフガニスタンではタリバンの勢力が盛り返してきている。そして中東にはいつのまにかISISという新たな独立勢力まで生まれてきてしまった。これはイラクの弱体化が招いた結果である。

 無政府状態よりは、ちゃんとした秩序がある方がいい。せめて警察が機能していて最低限の治安は保たれていて欲しい。独裁政権でも軍事政権でも少なくともそこには秩序が存在し、人々が安心して生活していられたのならば、その政権を打倒する必要があったのだろうか。政権の座にあった人達を追い出したのならば、社会が100%安定するまで介入した側はその国にとどまって血を流すべきではなかったのか。そもそも「民主化」っていったいなんだ。そんなに世界を民主化したいのなら、なぜ一党独裁のあの帝国主義国家である中国に対して反体制派支援を行わないのか。ようするにアメリカが世界でやってることは新たな戦争を起こして武器を売り、武器商人を儲けさせたいだけなのである。アメリカ以外にもロシアや中国という武器を製造して大もうけしているクソ国家は多い。そうして生産された武器によって過激派は大暴れし、アフリカではボコ・ハラムが略奪や虐殺を繰り返している。

 歴史を正視しない国家の代表である中国は、もちろんチベットでの大量虐殺を認めないわけだが、抗日戦争70周年記念式典にダルフール紛争で数十万人の人々を虐殺した容疑者で国際手配中の犯罪者であるスーダン大統領のオマル・アル=バシルを招待していた。国際刑事裁判所(ICC)は彼に対して「人道に対する犯罪及び戦争犯罪」の容疑で逮捕状を出している。また潘基文は国連加盟国に対し、バシル氏の逮捕状執行に向けた手続きを取るように要請した張本人である。中国はICC非加盟ながら、国連の常任理事国である。まあ虐殺仲間と言うことで習近平はバシル大統領と仲良くしたかったというのはよくわかる。また潘基文がこの式典でバシル大統領と仲良く同席していたわけで、こいつが中国の腰巾着でしかないこともよくわかる。オレが国連なんてクソだといつも思うのは、こんなクズが国連事務総長をつとめているからである。

 ちなみにチベットでの弾圧や虐殺は今も続いている。3人以上集まって相談してるだけで反政府活動と見なされて投獄されたり拷問されたりするのだ。大量の漢民族がチベットに押し寄せ、チベットの人たちの生活を経済的に追い込み、一方で信仰を妨害してその精神的なよりどころを破壊し続けている。チベットの僧侶にとって抗議する手段は焼身自殺しかないのだ。こんなことが今も起きているのになぜ国連は問題にしないのか。

 日本にできる国際貢献とは何か。それは客船を地中海に派遣して、シリア難民の受け入れを表明することである。送った船に乗れるだけの人をすべて日本で受け入れると世界にアピールすることだ。くだらない集団的自衛権云々よりもはるかにそれが世界に対して大きなアピールではないのか。国際平和に貢献するということは、戦争で国を追われた人たちを救うということではないのか。そんなわかりきったことが何一つできない日本の政治家に対してオレは絶望する。

 リトアニアの領事館に押し寄せたユダヤ人難民のために、杉原千畝氏は大量のビザを書き続けた。そのユダヤ人たちがもしも脱出できなかったら収容所に送られて殺されていたはずである。今、目の前で多くの困った人たちが居て、中には脱出に失敗して命を落とす幼い子どもが居る。このような悲劇を目の当たりにして、それでも「遠くのことだから」と何の意思表明もせずに国内のくだらない政争に明け暮れている政治家たちの見識の低さにオレは絶望するのだ。おまえらいったい政治をなんだと思ってるんだ。

 日本人がいくら反戦平和を叫んだところで、世界には平気で虐殺する政治家や国家が存在する。今我々ができることは一人でも多くの命を救うことではないのか。人道的支援ということは船を送って一人でも多くのシリア難民を助けることではないのか。このような状況に対して何のアクションも起こさない日本の政治家はクソである。オレは改めてそのことを強く感じているのである。


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2015年09月04日(金) 五輪エンブレムという巨大な利権について        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan




 五輪エンブレムは巨大な利権である。今回の佐野研二郎氏のロゴがそのまま使われていれば、博報堂には莫大な五輪ロゴ使用料が入ってきたわけで、そのゼニがあるからこそ選ぶ段階ですでにイカサマだったのである。公募とはいいながら、自分たちとは無関係な企業にそのゼニが落ちるようなことがあってはならないのだ。それが明らかにパクリであっても専門家らしい言い訳を繰り返し、ゼニにしがみついていたのである。

 五輪エンブレムに関して、すべての国民を納得させる方法が一つだけある。それは完全公募方式である。作品を応募するには10万円程度の供託金を積ませ、(大学生や高校生は5000円くらいにしてもいいが)、投票には一票100円くらいの投票券を買わせて有料投票ということにする。そうして公開の場で、誰が見ても公平な形で選ばせるのである。AKBの投票と違って一人で1票という原則は公平に守られるようにすればいい。そうすれば誰かを勝たせるというイカサマも起こせないだろう。

 ネット上に応募作品を公開し、その作品に自由に投票できるようにするのだ。そして集まった投票券の売り上げは一部を当選者の賞金に充て、残りは五輪施設の整備費などに使えばいいのである。

 そして決まった作品は利権の巣窟である広告代理店を通させないで、その個人に企業からのエンブレム使用料が入るようにしたらいいのだ。もちろん個人だから金額もかなり抑えてもいい。一社あたり100万円程度でいいじゃないか。そこで億というゼニが飛び交うような世界だから不正が起きるのである。

 五輪招致の時に使われた、小さい桜の花をたくさん使った日本的な図案のエンブレムは、無償で多くのところに配ってしまったのでもう使えないということだった。使えない理由が「無償で配ったから」ということであり、つまりはゼニなのである。これからゼニを払ってもらわないといけないからダメということなのである。

 あるコンビニが、おでん70円キャンペーンにのポスターとしてちくわとあげと大根とこんにゃくで今回ボツになった五輪エンブレムの形に並べるというパロディ広告を作って、それを五輪の組織委員会に「使っていいですか?」と問い合わせたところ即座に却下されたらしい。もちろんコンビニ側はそんな冗談企画に対してエンブレム使用料のゼニをわざわざ払う気もなかったのだと思うが、ただ勝手に使うのもどうかと善意で問い合わせたのに却下されたのである。数十億のゼニを払ってくれる大企業しか相手にしていませんという相手を見下した態度ではねつけたのだった。

 オレは電通とか博報堂とかいう広告屋が大嫌いだ。こいつらがまるで日本の企業の生殺与奪の権を握ってるかのように振る舞い、巨額のゼニを企業から収奪していることがオレはたまらなくいやなのだ。おまえらのせいでテレビ番組はどんどんつまらなくなってしまうし、広告料を回収するためなのかバラエティ番組のCM時間はやたら長い。

 おそらく次に選ばれる五輪エンブレムも、一般の国民から見れば「えっ、何これ?」という感じのつまらないものが、広告業界の八百長で決められるのだろう。それがいかにダサいものであっても、広告業界の人間はもうすでに頭が腐っていて自分たち業界の利権のことしか考えられないので世間の批判なんかに取り合おうとはしない。

 なぜ佐野研二郎氏のデザインがダメか。それはネットの民によってパクリ認定されたからである。ところが組織委員会がこんなにケチがついたモノを最後まで守ろうとしたのは、すでにそれで巨額のゼニを受け取っているからである。そして次のエンブレムもまた一つの巨大利権であり、そこに一般の国民の視点や支持などが取り入れられることはない。そんなことは広告業界の人にとってはすべて無視できる些末なことだからだ。


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2015年09月01日(火) 集団的自衛権に関するオレの私見        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan


 国会議事堂の前を3万だか12万だかの群衆が埋め尽くして、憲法9条を守れと訴えたそうである。そんなことで国会の議決は変わらないし、少なくとも自民党は改憲を党是としている党であり、そこが今の与党第一党である事実は変えられない。そんな与党の連中に護憲の精神などかけらもないことも確かなことである。政府与党が憲法改正しないでただ解釈を変更するという方法で自衛隊の海外派兵への道をつけたがってることに対して、国民が反対するのももっともだ。ただオレが集団的自衛権を危惧する理由というのはそれが戦争への道につながることだからというのとは少し違う。

 オレは今の国連というシステムを信頼していない。国連憲章中には日本に対する敵国条項が今も含まれている。国連加盟国は平等ではないのである。またその常任理事国には中国やロシアという帝国主義体制を取る国家も含まれていて、ならず者の集まりみたいな集団である。アメリカもイラクに対して言いがかりのような戦争を吹っかけてフセインを殺している。そういうクソみたいな機関にどうして信頼がおけるだろうか。南スーダンやISIS、ボコハラムの支配地域などに対して有効なアクションを起こさない国連にそもそも価値があるのか。

 国連はロシアのウクライナ侵略を止めさせたか? 否である。中国が南シナ海に作ってる軍事基地を攻撃して破壊したか? 否である。それらが周辺国に対して脅威になってるようなことであっても、常任理事国のやってる侵略行為に対しては全くのお咎めなしである。国連というのはそういうイカサマみたいな機関なのだ。そんなところに対してオレは信頼を置いてないし、そもそも同盟国のアメリカを全く信頼していない。アメリカが本当に日本の同盟国ならば、尖閣の問題や竹島の問題に関して同盟国を擁護すべき発言をすべきだろう。しかし、韓国に対して竹島から出て行けとも言わないし、中国に対して尖閣に手を出せばただじゃすまねえぞ的なアピールは一度もしていない。それどころかアメリカは日本の政府高官に対して盗聴などの諜報活動を行ってきたのである。こういうことを一方的に仕掛けてきた国をそもそも信頼できるのか。そんな国を同盟国と呼んでいいのかとオレは言いたいのだ。

少なくとも日本にとっての脅威は2国だけだ。北朝鮮と中国である。北朝鮮は国家主席が知能がガキ程度の狂った馬鹿だからいつ無謀な戦争を仕掛けてくるかわからない。だからいつでも防御できるようになっておかないといけない。ただ、北朝鮮の武器のレベルは低いのでそんなに心配はいらない。問題は中国である。

 日本と中国が戦争になる場合、日本が先制攻撃をするということはありえないわけで、それは必ず中国側がなんらかの武力攻撃を仕掛けてくるということになるだろう。そのときは通常兵器でいいので、即座に三峡ダムを破壊すればいい。ちゃんと中国に対して「貴国からの武力攻撃があった場合は必ず報復します」と宣言すればいい。「やられたらやり返す!」ただその攻撃は100倍返しでもいいというのがオレの考え方だ。

軍備をどんどん拡張し、他国の領土である南シナ海に勝手に飛行場を作り、ブータンの国土を掠め取り、チベットで大虐殺したことを全く認めない中国を国連は公式に非難したか? 否である、全くそういう動きはないのである。

 自衛隊が地球の裏側まで戦争をしに行く必要は全くない。別にアメリカと同盟なんて組まなくてもいい。日本の自衛隊は自国の領土くらい守る力はある。中国が侵略してくればそのときはちゃんと迎え撃てばいいのである。容赦なく攻撃し、あの張り子の虎の空母も撃沈してやればいい。


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