江草 乗の言いたい放題
コラムニスト江草乗の日記風エッセイ
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2015年08月31日(月) |
日本国籍を売り出しませんか? |
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今、テロや犯罪の被害をもっとも受けない安全な国はどこか。それはスイスだろうか。しかしスイスに行けば街角で大麻を吸引している若者が大勢いて、公園には麻薬中毒のホームレスがいるという。日本は少なくとも大麻は禁止されてるし、麻薬や覚醒剤はかなり野放しに近い状況とはいえ、少なくとも一般市民には「それは犯罪」という認識が強いわけで一定の歯止めがある。そう考えると日本は世界一治安が良くて住みやすい国だとオレは思うのだ。
一方お隣の中国はどうか。危険な化学物質が家のすぐそばで貯蔵されていてもわからないのである。政府に批判的な発言をすると政治犯として逮捕されてしまうのである。もしもオレが中国人で今のような暴言コラムで政府批判をしていればきっと逮捕されて拷問の末に殺されているだろう。
オレは中国の富裕層に対して、日本国籍を売り出せばどうかと思うのだ。もちろん数量限定にして条件を厳しくする。日本企業の株式や日本国債を時価で10億円以上保有している者に限って、日本国籍を1億円くらいで販売するのである。おそらく購入希望者が殺到するだろう。特に今は汚職官僚に対する締め付けが厳しくなってきているわけで、そういう賄賂で豊かになった人達は戦々恐々としているのである。そういう人達の不安を取り除き、同時に国益ともなるのがこの「国籍販売」だ。
以前に生活保護受給目的で大量の中国人が入国してくるという事件が起きたことがある。外国から働かない人間を受け入れて、日本の手厚い社会福祉を受けさせるということに対して日本国民は決して許さないだろう。しかし、大量のゼニをもたらしてくれる移民なら両手を挙げて受け入れに賛成するのではないだろうか。大金持ちであることがわかっていて、死んだときはその遺産も税金として巻き上げられるのである。そういう移民は日本にとってかなりプラスになるのではないかと思うのだ。日本は少子高齢化である。いっそ人間を輸入すればどうかと思う。そんなときに人間にゼニのおまけがついてくるのである。まさに一石二鳥ではないか。
そんな馬鹿げたことをオレは考えてみたわけだが、別に大金持ちでなくてもいい。日本に来て学んでいる外国籍の学生たちにどんどん日本人になってもらえばどうかと思うのだ。もちろんその方法として「偽装結婚」なんてことがあれば言語道断だが、学業成績が優秀で人物的にも申し分のないような留学生がいれば、お馬鹿な日本人の若者よりもはるかに社会に貢献してくれるわけで、できれば大量の馬鹿どもを輸出してどこかの国に引き取ってもらいたいくらいである。
優秀な留学生がそのまま日本人と結婚して日本に暮らすようになれば、それはむしろ国益じゃないのか。外国人にとって日本とは魅力的な国のはずだ。世界のどの国よりも圧倒的に治安がよくて、水と安全がタダで保証される国なのだ。そんな国で過ごしたいと願う多くの人達が世界にはいるはずだ。なぜもっと外国人に日本国籍を与える仕組みをもっと増やさないのか。
政府は外国人労働者を単純労働に就かせて足りない労働力を確保しようとしている。建設作業員や農業といった分野に低賃金で働く外国人を導入したいというのはミエミエだ。そういう姿勢は、かつての西欧諸国が奴隷をアフリカ大陸から輸入した発想と本質的には変わらない。なぜそこで「安いコストで働く奴隷」という貧困な発想しか持てないのか。どうしてわざわざ日本に来て働いてくれる人達に感謝して敬意を払わないのか。ゼニをじゃんじゃん払わないのか。なんて情けない連中だろうかとオレは恥ずかしくなるのだ。
もう一つ提案なんだが、オレは難民申請の許可条件をもっと緩和すべきだと思っている。難民申請した人たちに対して無料で受けられる語学研修を与えた後、2年程度の短期在留許可を与え、その間にちゃんと就職してきちっとした生活を送っていることが確認できればどんどん受け入れを認めればいいと思うのである。一方で単純労働力を求めながら、他方では難民申請を認めないというのは大きな矛盾ではないか。難民申請者の中でなんとしても日本で働きたいという意欲の認められた者には優先的に申請を認めるようにすればいいのである。もちろん犯罪歴のある者、麻薬や覚醒剤の常用者は排除できるようにチェックする仕組みも必要だが、それは十分可能だと思うのである。
今日本が直面している少子高齢化の問題に対して、政府は何の対策も答えも出せていない。この日記はオレからのその問題に対する答えである。何もしなければこのまま日本という国は滅びていくのである。積極的に何かを変えていかないといけないのである。残念ながら今の政治家にそういうビジョンを語れる人材は見当たらないのだが。
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2015年08月26日(水) |
世界同時株安はどこで止まるのか? |
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中国の経済成長鈍化が伝えられ、その中国のバブルがはじけるということで株価が暴落し、それが世界中に波及して株安の連鎖を生んでいる。この「世界同時株安」はいったいどこで止まるのだろうか。そしてオレがいつも思うのは、個人投資家が大勢個人資産を蒸発させる中で、海外のヘッジファンドや大口の投資家は確実に利益を出しているということである。リーマンショックの時も売りポジションをとった連中がボロもうけしたことがあったそうだが、今回も同様であって、日経平均先物を売りで入ってる連中は儲かりすぎて笑いが止まらないだろう。
オレは8月25日の相場を観ていて思った。東証も上海も下げて、中国が金融緩和策を打ち出し、その結果欧州とNYダウがいったん上昇ではじまったが、NYダウは引けにかけて大きく崩れた。NYダウが崩れたのはやはり「まだ下げは止まらない」という心理から起きたことだろう。
オレはいろんな人から「世界同時株安はいつ終わりますか」と聞かれて困るのだが、そんなものは市場に聞いてみないとわからないのである。金融市場というのは誰かがコントロールしようとしても不可能で、それ自体が巨大な怪物みたいなものである。相場に振り回されて右往左往するだけのオレはいつもそう思っている。たぶん個人投資家がほとんど死滅してもう彼らから奪うだけのゼニがなくなれば下げは終わるのだろうと思うし、それがどのラインなのかということはオレにもわからない。日経平均1万7000円なのか、あるいは1万5000円なのか、NYダウ1万5000ドルなのか、とにかく全くわからないのだ。
そもそも相場に適正価格など存在しない。現在の価格はこれまでの流れで自然に形成されてきたものであり、そこに絶対的な価値などはない。世界的に原油がだぶついて価格が下がっているが、いつまでもこの状態が続くかというとそれはオレにも予想がつかない。ある日戦争が起きて急に上昇に転じるかも知れない。中東で大きな戦争が起きれば原油価格は高騰する。オレは今の原油安はアメリカのシェールオイルをつぶしたいサウジやロシアの陰謀だと思ってるが、もちろんそれはただの憶測でしかない。
2万円台に乗せた日経平均をみて、個人投資家たちは「このまま3万円を目指す」と強気になった者が多かっただろう。しかし現実は日本の株式市場はきわめて脆弱で、ヘッジファンドに先物を大きく売られればたちまち暴落したのである。
日銀はリートやETFを買って株価を下支えしている。この買い方というのは実に機械的、官僚的である。日経平均が一定以上下げた日の午後に、毎回同じくらいの数量のETFやリートを購入するのである。今日は大きく下げたから大きく買おうとか、今日は大きく上がったからちょっと売っておこうとかいうことが全くない。素人よりも下手くそなのだ。
もしも資金力のある日銀のようなところが、ヘッジファンドのゼニを巻き上げてぶっつぶすような戦略をとれば外資は震え上がるだろう。怖くて売り崩せなくなるだろう。ヘッジファンドが先物を大きく売ってきた時に、その10倍くらいの資金で逆張りしてやれば彼らの資金を根こそぎ巻き上げることができるはずだ。
日銀やGPIF、そしてJP(日本郵政)といった巨大な資金を持つ勢力が、世界の投資市場でなぜ恐れられてないのか。オレはそれが不思議なのである。彼らは相場を操縦できるだけの能力がありながら、それを駆使しないでいるのだ。もちろん間違った方向に相場を暴走させるよりは、何もしない方がマシかも知れないが。
自分が動かせるわずかな資金をどのように運用すればいいのか。そんなことに頭を痛めながらなんとか日々がんばってるのがオレのような零細投資家である。自分のたてた予測なんてちっとも当たらないし、株価ボードを見てはため息をつくばかりだ。
ただ、こんなことも思うのである。株価も為替も永遠に上がり続けることがない代わりに、倒産や国家破綻などしない限り永遠に下げ続けることもない。上がったり下がったりするその間隙を突いてせこくゼニを稼ぐ、そんなことしかできない情けない自分がなんだか悲しいのである。
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2015年08月24日(月) |
飲酒ひき逃げはみんな死刑にしろ |
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なぜひき逃げ事件が起きるのか。それは飲酒運転してるのがバレるのを恐れるからである。つまり、ひき逃げ=飲酒運転 と考えてほぼ間違いない。だからオレは「ひき逃げ」という時点で重い罰を与えるべきだと思うのだ。その罰は、危険運転証拠隠滅罪とか、危険運転逃亡罪というのを新設して、必ず死刑が課されるようにしてもらいたいのである。そうでないとこんなクソみたいな言い訳をするヤツが出てくる。
「出頭までに自宅で飲んだ」20歳男 葉山・ひき逃げ テレビ朝日系(ANN) 8月24日(月)8時0分配信 神奈川県葉山町で海水浴帰りの男女の列に車が突っ込み、3人が死傷したひき逃げ事件で、警察は出頭した20歳の会社員の男を逮捕しました。 会社員の稲葉竜也容疑者は、23日午後5時すぎ、葉山町一色の県道で、海水浴帰りのグループに乗用車で突っ込み、3人をはねて逃走した疑いが持たれています。3人は病院に搬送されましたが、浜口望さん(23)が死亡、27歳の女性が心肺停止の状態で、32歳の男性も重傷です。警察によりますと、稲葉容疑者は事故の後に出頭していて、「地元の友人3人と海水浴場へ向かっていた」などと供述し、容疑を認めています。また、稲葉容疑者の呼気からは基準値以上のアルコールが検知されていますが、稲葉容疑者は「出頭するまでの間に自宅で酒を飲んだ」と話していて、警察が当時の状況を調べています。. 最終更新:8月24日(月)8時46分
この稲葉竜也容疑者は、「出頭するまでに自宅で酒を飲んだ」と主張している。しかし、そのような言い訳をどうして信用できるだろうか。オレは絶対に嘘だと思うのである。そしてこのような嘘を堂々と語る時点で「死刑」にしても十分の罪を犯してると思うのだ。もしもオレがこの事故で犠牲になった遺族の立場ならば、絶対にこういう言い訳は認めないだろう。飲酒運転していたに決まってるのである。断じてこんな言い訳を認めてはならないのである。
「危険運転致死傷罪」というのができたとき、オレは飲酒や無免許や信号無視はすべてこの中に含めてくれるのだと思っていた。しかし実際にはその適用範囲が非常に狭く、飲酒であっても危険運転ではないとか、無免許であっても毎日運転していれば技能は上達してるとかいう法解釈でザル法にされてしまっていた。法律のプロというのはそんなふうにして法の存立意義をないがしろにするのが得意なのである。
オレは仕事帰りに何度か飲酒運転の取り締まりの検問に遭遇したことがある。もちろん絶対に飲酒運転なんかしないし、そもそも日常的に飲酒の習慣のない自分にとってはこういう検問は大歓迎で、それこそ毎日でもやってもらいたいと思うのである。
以前に小樽で海水浴帰りのクルマが暴走して人をはねて死なせたという事故があった。海水浴客というのは飲酒するものなのだろうか。だったら飲酒検問はそうした場所でこそやるべきである。現に事故が発生してるのだ。もしもあの小樽の事故現場近くで飲酒検問をやってないとすれば、それは警察の怠慢である。警察署の近くの検問しやすい場所でしかしないというおまえらの手抜きのせいで悲惨な事故が起きるのだ。せめて加害者をどんどん死刑にして、「厳罰」という方法で飲酒運転をゼロにしてもらいたいのである。
飲酒そのものを非合法にすることはできない。だったら飲酒運転が絶対に発生しないような方策を講じてほしい。そして一日も早く「自動運転車」を普及させてもらいたい。ただ、たとえ自動運転で安全あっても、飲酒して運転してるものは死刑にしてほしいのである。てんかんの薬を飲み忘れて事故を起こし、現場で暴れた医師も同様に死刑にしてもらいたい。
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2015年08月21日(金) |
タトゥーをどう受容するか? |
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タトゥー(刺青)は日本ではヤクザの構成員のシンボルマークだった。堅気(カタギ)の人間とそうでない人間を見分ける目印が、小指があるかないかとか、刺青してるかしてないかという明確な基準が存在したのである。そうした文化的な背景がある以上、今の若者がファッション感覚で簡単にタトゥーを入れることに対してかなりの違和感を覚えるのである。 子どもの頃の銭湯の思い出の中に、けっこう客の中に全身に見事な刺青を入れた人達がいたということがある。今から思えばそうした人達は暴力団の構成員だったのだろうと思うのだが、当時はそんなことはもちろんわかっていなかった。
そうした銭湯では今も刺青OKなんだろうと思うが、銭湯という文化がもはや滅びつつある中で、そうなると新たに出てきた健康ランド的な温泉SPAというレジャー施設が表示している「刺青してる人の入浴禁止」というルールが問題になってくるのだ。少し前に作家の吉本ばななさんが、奈良県の「虹の湯」で入浴を断られたという事件があった。絆創膏で隠せるような小さなものであっても、そのままの入浴は認められないのである。
橋下市長が大阪市の職員の入れ墨を調査したことがあった。その中に調査を拒否した職員が居てペナルティを受けていたと思うが、少なくとも日本ではまだ「ファッションとしてのタトゥー」という文化は定着していないので、刺青は反社会的勢力の象徴であり、公僕たる公務員が入れ墨なんてのはおかしいじゃないかという橋下市長の価値観はもっともだとオレは思ったのである。
外国にはタトゥーを入れる習慣を持つ民族がある。そうした人達が観光客として来日して日本の温泉SPAにやってきたとき、そこのルールをどのように適用するかというのは悩ましい問題である。もしも一部のSPAが「入れ墨すべてOK」という方針を打ち出せば、必ずそこは暴力団関係者やどう考えても麻薬や覚醒剤をやってるだろうというならず者たちのたまり場になってしまい、今度は一般のお客さんが入りづらくなってしまうのである。すべて調べてみたわけではないのでそうしたオレの心配はただの杞憂なのかも知れないのだが。
ネットでタトゥーを入れている有名人というのを検索すると、宮沢りえ、澤穂希、夏川りみなどが出てくる。宮沢りえにはちょっと驚いてしまったが、映画の時はきっと見えないようにうまく隠してるのだろうな。
外国人への配慮という観点から温泉SPAが「刺青禁止」という看板を下ろしてしまうことに対してオレは反対する。オレの感覚としてはそういう風習はいくら民族的な習慣と言っても女子への割礼と同じく文明社会から排除されるべきものだと思っているし、それをファッション感覚で入れてる人達に対しても批判的な気持ちを持っている。心の中では「アホやんけ」というくらいに感じているのだ。だから今のままの「刺青禁止」というルールでいいと思うし、それを世界に発信すればいいのである。「日本のルールでは入れない」ということでいいじゃないか。何も外国人旅行者に対して配慮することもない。これが日本の習慣だからと強く主張すれば済むことである。
近い将来、日本で暴力団関係者がすべて排除され、暴力団という反社会的勢力が一掃されたとしたらまた刺青の意味は変わってくるだろう。その時は本当にただのファッションになるかも知れない。まあそれでもオレは心の中で「そんなん入れてるヤツは馬鹿」と思ってるだろうし、オレ自身の価値観は変わらないのである。オレは自分の息子には「タトゥ入れてるヤツはDQNだから入れるな」と言うだろうし、それを偏見とか差別だとも思っていない。少なくとも今の普通の日本人の普通の価値観だと思っている。
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2015年08月18日(火) |
『火垂るの墓』を批判的に鑑賞してみる |
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今年も終戦記念日が近づくと、テレビでスタジオジブリの映画『火垂るの墓』が上映された。オレはこの作品が苦手である。あまりにも悲しく、そしてやりきれなくなる。戦争の犠牲になる子どもを描いているという点ですぐれた反戦映画であることは間違いない。しかし、オレのような屈折した人間は、あえてその映画のストーリーに対して今回批判をしてみたいのである。
なぜ節子は栄養失調で死ぬことになったのか。あの時、清太は預金通帳を持っていたはずで、そこには母から託された7000円というまとまったゼニがあったのだ。親が海軍軍人で、たとえ家が焼けたにしてもそれだけのゼニがあるならば、叔母と交渉してもっといいものを喰わせるように要求できたのじゃないのか。叔母は清太の母の着物を食糧に換えて、それを全部着服するような悪人だったのだろうか。食べ盛りの子ども二人を突然家族に抱えたとはいえ、その増えた家族分の配給も受けることができたはずである。人々が生きるために作っていた隣組の組織のネットワークを勝手に抜け出したのは清太のわがままではなかったのか。清太がつまらない意地を張らずに叔母の庇護下にいれば、少なくとも節子を死なせることはなかったのじゃないかとオレには思えるのだ。妹の節子に満足に食わせられなかったのはすべて清太の責任である。
居候の身分でいること、頭を下げて食べ物をもらうということを拒否したのは、清太の父親が海軍軍人で、自分はエリートだという自意識があったからではないのか。周りを見下しているからこそ、彼は隣組の勤労奉仕などに参加することを拒否して本ばかり読んでゴロゴロしていたのじゃないか。働きもしないし、かといって学校に行って勉強するわけでもない。学校が空襲で焼けたことを「学校に行かなくてもいい」理由にしている。、そんな清太はいくら妹思いであっても典型的な「非国民」である。叔母の家の下宿人の神戸税関に勤める若者が勤労奉仕に積極的なのとは対照的だ。
しかし、清太の父の乗艦である重巡「摩耶」は、昭和19年のレイテ海戦で撃沈されているはずで、その戦死の知らせが届いてないことは実に奇妙である。一兵卒ではなくて海軍大尉ならば少なくとも普通は戦死公報が遺族の元に届けられるのではないのか。もっともそれは当時、軍事機密ということで敢えて伏せられたのかも知れないが、その部分にもオレは疑問を抱くのだ。清太が父の死を知るのは終戦後ということになっている。
8月15日の終戦を迎えるまで、国民はみな飢えていたが、そこにはまだ生存ギリギリの線でのモラルが存在した。餓死者が出るようになるのは終戦後の無秩序の中で弱肉強食になったからではないのか。
両親を失い、妹も失って生きる気力を亡くした清太は三宮駅に寝起きする戦災孤児の一人として死ぬ。その死が、あの時代の多くの他の死と比較してとりわけ悲惨なものであったとはオレは思わない。清太と同じように家族を失って孤児となった子どもは日本中に大勢いた。その子どもたちは必死で混乱の中を生き延びて、新たな家族を持ち、日本の復興を支える力となった。「清太、おまえは根性無しだ!」とオレはあえて言いたい。おまえはそこで生きることをあきらめてしまった弱者なんだと。
オレは映画「火垂るの墓」が本当に苦手だ。観ると必ず泣いてしまう。そしてこんな悲しい物語をどうして子どもにわざわざ見せるのかと悲しくなる。せっかく現代を幸せに生きている子どもたちに、どうしてこんな悲劇を見せるのか。どうしてあの悲惨な時代の記憶を受け継がせようとするのかと。
「火垂るの墓」は外国の人からはすぐれた反戦映画として理解されるだろう。おそらく海外の人達はオレのような屈折した見方を誰一人しないと思うし、この作品を戦争で幸福を奪われた兄妹の悲劇と受け止め、清太の責任など誰も考えないからである。オレはただのひねくれたオッサンである。
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2015年08月15日(土) |
8月15日(終戦記念日)に思うこと |
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今日で戦後70年となった。戦後生まれた「戦争を知らない子どもたち」はやがて青年となりそしておっさんとなり、ついに老人世代に入った。オレがまだ小学生だった頃、天王寺の陸橋の所にはござを敷いて座る、手や足のない「戦傷者」がいて、子ども心に不思議に思ったものだった。JR環状線に乗ると、森ノ宮から京橋の間で車窓から瓦礫の山となった旧砲兵工廠の跡地が見えた。戦後20年くらいの頃は戦争の痕跡はまだ周囲にたくさん残っていたのである。
憲法に明記された「戦争をしない国になる」という不戦の誓いをオレは価値あるモノとして受け止めたし、平和のすばらしさを享受した若者だった。だからオレは文学部なんていう、戦争になれば真っ先に招集されるごくつぶしの進路を選べたのだ。
戦争をやってはいけない、これは誰でもわかる。しかし「絶対に勝てる戦争」だとしたらそこで「やってはいけない」という歯止めは働くだろうか。たとえばアメリカがイラクに仕掛けた湾岸戦争やアフガニスタン侵攻、イラク占領。これらは大国アメリカにとっては100%勝てる戦争である。だから米国民のほとんどは支持したし、日本政府もそれを支持した。その欺瞞性に多くの人達が気づきながらも表だって非難はしなかった。
日本の大都市の多くが焦土となったあの終戦から70年経って、安倍晋三は不戦の誓いを捨てて普通に戦争に参加できる国へと方向転換した。これほど大きな問題でありながらそれを国民投票にかけることもせず、閣議決定で憲法解釈を変えようとしていた。漢字もろくに書けず、誰かに作ってもらった演説原稿を読むことしかできない無能なボンクラ総理だからこそそんなことができるのだろうとオレは悲しく思うのである。
隣に平気で領土拡張しようとする馬鹿国家があれば、その国家主席とサシで語り合ってその愚を諫めることができるのが真の外交じゃないのか。国民を兵士として戦場に送るのではなくて、国民を死なせないために自分が命がけで交渉を行うのが真の国士じゃないのかとオレは思うのだ。そんなこともわからない馬鹿な国会議員や私利私欲しか考えてない腐った政治家がいかに多いことか。
昭和3年生まれのオレの父は生前あの時代を振り返ってこう言った。「自分も戦争に行って死ぬのが当たり前だと思っていた」幸いにして昭和20年8月に戦争が終わったから父は戦場に行くこともなかった。しかしもっと早く日本が降伏していれば、もっと多くの人の命が救われていたこともまた事実なのだ。
戦争に負ければ国民は全員殺されたり奴隷にされたりするのか? 近代の戦争ではそんなことが起きないことは歴史を知っていれば普通に理解できることである。敗戦国もきちっと権利を主張するし、「無条件降伏」なんてありえない。国土が焦土になる前に敗戦を認めて交渉に入るのが外交の役割である。そしてもっと早い段階ならば、戦争にならないように交渉し、おたがいの妥協できる点を見いだすのが外交の役目ではなかったか。なぜあの時、命をかけて開戦を阻止できる政治家がいなかったのか。暗殺されることを恐れる余り、軍部の暴走を食い止められなかったのは政治やマスコミの大罪だ。
今、国民はネットという武器を手に入れた。誰もがそこで意思を表明できるようになった。「高知白バイ事故」のような権力側の犯罪を少なくとも公表できるようになった。昔は隠蔽されたことが明るみに出ることで、誰がクズ警官なのかをちゃんと知ることが可能になったのだ。
権力を持つ連中は時に暴走するし、基本的に私利私欲のために動く。命をなげうって国民のために奉仕できる人間はその中でごくわずかしかいない。命もいらず名も入らず、富も名誉もいらないが正義のために、誰かを幸せにするために生きたいという真の義士はったいどこにいるのだろうか。残念なことにそうした人達は市井にいて、政治家となることもなければ官僚となることもなく、静かに日々を送っているのである。できることならオレはそうした人達と連帯したいのである。ここで発信することで世の中に正義の意味を問いかけたいのである。
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2015年08月12日(水) |
中国が元を切り下げるとどうなるのか? |
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8月11日、中国政府が突如、自国通貨である元の切り下げをおこなった。ドルとの為替交換レートをいきなり2%下げたのである。日本円がドルに対して大幅に下がった結果として日本は不況を脱出して景気を回復した。中国もそれを傍観していたわけではないだろう。中国元に対してはアメリカからの切り上げ圧力が強かっただけに、この予想外の突然に利下げはアメリカの通貨政策に対する宣戦布告でもある。世界通貨戦争はこれで新たな局面に突入したのである。
さて、元の対ドルレートが下がったことでドルがこれからも上昇するということは、アジアの多くの国の通貨がドルに対してさらに値下がりするということを意味する。通貨安によって得をするのは日本や中国やドイツのような輸出大国だけであり、大多数の国は自国通貨の値下がりで輸入品の価格が上昇して損をする。事実マレーシアやインドネシアなどは自国通貨がドルに対して値下がりしたことでかなり経済的に打撃を受けていた。それがさらに激しくなるということで、インドネシアはドル売り介入を行っている。
中国は自国の輸出産業をサポートするためにさらに元安方向に誘導するだろう。そうなるとそれにつられて中国と関係の深い国の通貨も下がると予想されている。どうだろうか?中国がやってるのはなりふり構わぬ景気刺激策である。株価対策の時にも感じたがこの国の経済政策はなんでもありなのだ。元の価値を下げることでインフレを起こすことに成功するならば、それは中国政府の意図した結果通りの動きではないか。中国で激しいインフレが起きれば、むしろそれはみかけの経済成長の数字をよくするのではないか。
オレは中国の発表する統計的な数字はみんな嘘だと思ってるが、少なくとも日本円にして1000兆円以上のゼニが上海市場に存在するわけで、そのゼニの持つパワーは計り知れないと思うのである。しかも国家の巧妙なイカサマによってその鉄火場市場の株価が倍になるならば、たちまちそれだけのマネーがギャンブラーたちの手に渡るのだ。あのバブルの時代に日本は地価を際限なく上昇させることで担保価格を上げ、巨額のマネーを作り出したように、中国は株価を操作することで巨大なゼニを作りだしてそれを国家の膨張・拡大政策の道具に使ってくるような気がしてならないのである。その壮大な戦略の一つが、一見それに逆行するように見える元切り下げではないだろうか。通貨の発行・流通量を増加させるという本来の目的のために、今回の切り下げを行ってるような気がするのだ。
中国の成長のエンジンは開発のための投資である。そのために無人の工業団地や高層マンション群があちこちに作られた。しかし、これらは適切なインフラ投資を伴うモノではなかった。そのためにゴーストタウンになってしまったのであり、便利な大都市ではやはり地価はさほど下がっていない。上海のタワーマンションはすぐに売れる。ここで投資の方向をインフラ整備に一気に振り向けて、バランスがとれた開発が行われれば状況は大きく変わるだろう。またいつのまにか中国政府は一人っ子政策を緩和している。人口抑制策をやめたということは、将来の人口増加につながる可能性が出てきたということである。人口増=GDPの拡大である。
日本ではゼニを持ってるのは大企業だった。中国では賄賂でため込んだ共産党幹部と株式投資をしているギャンブラー投資家たちが驚くべきほどのマネーを手にしている。その巨額のゼニは元の切り下げによって世界の他の投資商品などに流れるだろう。これまで多くの投資家たちが「長期的には元高」と予想してきたものが、一気に「元はどんどんまだ下がる」というふうに頭を切り換えるのだ。そうなると何が起きるのか。
中国人の爆買いはさらに激しくなるかも知れない。「まだ元の価値が高いうちに使わないと損だ」ということになるからだ。だってこれからドルや円に対して元安になるのは確実だから。1元=20円くらいだったものが、この2日で 1元=19円くらいまで5%も下がった。銀聯カードのような中国系のクレジットカードで買い物したら支払いの時の為替レートではさらに損をすることになるかも知れない。
今のうちに日本で爆買いしてゼニをどんどん日本の商品に交換すれば、今後の元安によってさらにその商品の価値は上がることになる。おそらく今起きている爆買いは今後さらに激しくなるだろう。つい先日品川のドラッグストアでは日本の市販薬などを籠いっぱいに買いまくる多くの中国人を目撃したが、これはさらに加速するはずだ。また日本の不動産を買おうとする人も増えるだろうし、元を高金利の他の通貨に今のうちに換えておこうとする人も増えるはずだ。元を売ってニュージーランドドルやオーストラリアドル、カナダドルなどに換えようとするのである。
中国政府は人為的にバブル景気を起こそうとしている。株価上昇策もそうだし、今回の元切り下げもそうだ。そして公定歩合も今年になってから何度か下げてるが、まだまだ下げる余地が残っている。日本のような自由経済ではなくて、統制経済化で人為的に官製バブルを作り出そうとして市場をコントロールしているのである。そのイカサマ作戦に人民が協力したらどんなことが起きるのか。そうした壮大な実験が今行われているのだ。
通貨安に誘導して輸出産業を有利にしたいという中国政府の意図はある程度うまくいくだろう。しかしそれ以上に中国からゼニは国外流出するだろう。もちろん紙切れの元を大量に印刷してそれを国外にばらまくならばそれは中国政府の狙い通りかも知れない。
アメリカは9月利上げの方針だという。NYダウはドル高による景気悪化をすでにある程度織り込んでいるのか、あるいはこれから大きな下げがあるのかはまだわからない。しかし今の市場を動かしてるのはFRBではなくて中国の経済政策であるとオレは思っている。日本はどう対処すればいいのか。
ここで黒田日銀総裁が果敢に攻めの経済政策を打ち出してくれればオレも安心なんだが、どうも不安なのである。せっかく1ドル=125円というラインまで円安に誘導してきたことで立ち直った日本経済を再び混乱に陥れるかも知れない。円安はこれで十分ということをうっかり言えば、世界の投資家にとってそこが円の売りポジションを手じまうきっかけになって、壮大な巻き戻しが起きてしまうことをどうかわかっていて欲しいのである。
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2015年08月09日(日) |
TSUTAYAが武雄市図書館でやったイカサマについて |
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2013年に武雄市が図書館の運営をTSUTAYAに委託したことは当時話題になったものである。来客も増え、成功事例として紹介されていたのだが、ところがその武雄市図書館の購入した本のリストが公開されてそのイカサマが今回明らかになった。なんと、TSUTAYAの不良在庫が押しつけられていたのである。結局TSUTAYAはその図書館を単なる金儲けにしか利用していなかったということがよくわかった。もしもオレがその図書館の司書ならば、そしてそのゼニの無駄遣いを押しつけられていたなら辞表をたたき付けてすべてをマスコミに公表し、TSUTAYAという企業のクズっぷりを告発しただろう。
今回明らかになった新規購入図書リストには、埼玉県のラーメン屋ガイドとか、2001年の公認会計士試験の参考書とか、2009年の株式投資ガイドとか、もはや資源ゴミとしか考えられないような本が多数含まれているのである。そうした大量の不良在庫の本を、TSUTAYAは武雄市図書館に押しつけてゼニに換えたのだ。そうして損失を図書館に押しつけたのである。
公立図書館がどんな新刊を購入するのかというのはきわめて重大なことであり、そこで選書をする立場に妙に思想的に偏向した人がいればサヨク関連の本で書棚が真っ赤になるかも知れない。もちろんそれも一つの個性であり、そういう図書館もあってもいいかも知れない。ただ、大切なのはその人が持つ価値観だ。「書店に行くとそれだけでワクワクする」ような人でないと、選書という仕事はできないとオレは思うのである。
オレが勤務する学校の図書館はすばらしい。新しい本がすぐに入るし、生徒にぜひとも読ませたい本がいつも書棚に溢れている。規模の大きな私学だから公立の学校よりも充実した予算が使えるということもあるが、なにより大切なのは本が大好きな人が司書として自分の仕事にしっかりと打ち込んでくれているからだ。司書の先生はオレにとって「本のソムリエ」とでも呼べるべき存在で、彼女がオレに勧めてくれる小説にはいつもハズレがない。そんなありがたい人がそばに居てオレの読書ライフはとても充実している。
TSUTAYAの武雄市図書館はその対極の存在となってしまった。オレの家の近所のブックオフのビジネス書のコーナーにはとうてい売れそうもない時代遅れの本が大量に並んでいるが、そういう本で埋め尽くされた図書館に誰が足を運ぶだろうか。価値のない本、つまらない本で書架が埋め尽くされた図書館などただのゴミの一時集積所でしかないのだ。公共図書館という本来人がワクワクすべき場所が、金儲けの道具に使おうとしたクズどものせいで本の墓場になってしまったのである。なんてことだ。
公共図書館がもう一つ果たすべき役割がある。それはたとえば郷土の資料収集とか歴史的に意味のあるものの保存である。ところがTSUTAYAはこれらを大量に廃棄していたことも今回明らかになっている。金儲けにつながらないようなもので場所を取るモノは捨ててしまうということもはっきりしたのだ。
公営のものを民営化するということにはメリットだけではない。相手が金儲けしか考えてないイカサマ組織だった場合は必ず今回の武雄市図書館のようなことが起きるのである。だったらそのまま公務員が運営すればいいのかというと、公務員の中にもかなり程度の低い連中が混じってるわけで、そうなるともうどうしようもないのである。
図書館の民営化がすべてダメというわけではない。TSUTAYAの中の人が全員クズというわけでもないだろう。もっとまともに図書館を運営してくれる書店もあるだろうし、TSUTAYAの中にも今回のことに憤る人もいるはずだ。間違ったことをしても、きちっと責任の所在を明らかにして処罰すればいいし、ちゃんと市民に謝罪すればいいのである。こうして不祥事が明らかになったということは、少なくとも情報開示は行われていたということである。
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2015年08月06日(木) |
組織の論理について〜高知白バイ事故に思う |
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「高知白バイ事故」をご存じだろうか。最近の多くの冤罪事件の中でも特に悪質なものの一つである。これはどう考えても高知県警の組織犯罪なのだが、残念ながらその告発はすべて裁判所に却下されてしまっている。裁判所も権力側の存在なので、警察の悪事を告発するという「正義」よりも、自分たちを守るという「組織の論理」で動くのだ。
この事故は、駐車場から出てきたスクールバスが交差点で右折するために停止していたところに制限速度をはるかに上回る速度で走ってきた白バイが激突し、その白バイを運転していた高知県警の白バイ隊員が死亡したという事故である。高知県警にとってこの事件で明らかにされたくないことが2点あった。それはこの事故が「停止してるバスへの激突という白バイ隊員の側の責任100%の事故であること」「高知県警が公道上で違法な白バイ訓練を行っていたということ」の2点である。
そこで高知県警は「実況見分用の偽の証拠」「偽の証言」を用意し、その交通事故に関しての裁判を自分たちに有利なように誘導しようとしたのである。なぜそんなことが可能だったのだろうか。ここでまっとうな裁判官ならば「この証拠はねつ造だな」とか「この証言は身内の偽証だな」と判断できるわけだが、残念ながら裁判官というのは一人の官僚であり、出世のためにあきらかにおかしな判決を出すこともあるのだ。片多康裁判長はスクールバスを運転していた片岡さんに執行猶予無しの禁固1年4月という判決を下し、その功績もあって後に東京高裁に栄転している。
もっともここで「正義」を貫いたらその後は左遷されて不遇の日々がやってきたわけで、家族を犠牲にしてまで正義を貫くことを片多康裁判長に求めるのは酷だろう。人間とは弱い存在であり、利益誘導で簡単に転ぶものである。裁判官であっても同じ人間だ。ただ、もしもオレが同じ立場にあったらそういう運命だったとあきらめて正義を貫いただろう。卑怯者として人生を終えるよりも、人間として良心に従って生きたいというオレのような頑固者はたぶん圧倒的少数派だと思うのである。
オレは警察を信用していない。中には正義を貫こうとしてまともに活動してる人もごく少数いるのかも知れないが、大多数は組織の論理に支配されていて個人の正義感よりも上司に逆らわずに波風を立てないことを選ぶ。だから暴力団やパチンコ屋と癒着してるクソ警察官がいても誰も問題にしないのである。後でパチンコ屋の関連団体に天下りする以上パチンコ屋とケンカしたくないのである。暴力団をすべてなくせば仕事がなくなるから共存共栄なのである。
大阪では公然と覚醒剤が売られているが、なぜか警察の取り締まりはほとんどなくたまにアリバイ作りのように小物を捕まえてお茶を濁すだけで、その一方でどうでもいい交通取り締まりとかに精を出している。道頓堀界隈に出没しては女性を拉致して輪姦するレイプカーもなかなか捕まらない。一方で援助交際目当ての女たちが多数徘徊している深夜のなんば周辺は無法地帯である。たぶん警官たちは全く取り締まる気が無いのだろう。
奈良県警では自動速度違反取り締まりカメラ(オービス)の撮影データを一人の警官が管理していて、違反をもみ消す代わりに謝礼を受け取り、それだけではなく違反者の経営する風俗店でタダで遊ばせてもらっていたという事件があった。このような外道が一人しかいないとはオレには思えないのである。きっと他府県でもこうしたもみ消しは存在するのだろう。
もしもあなたが疑われて誤認逮捕されればもう人生はほぼ終了だ。警察には「無罪推定の原則」などない。「もしも無実でも、自白さえさせればもうこっちのもの」というのが警察側の論理なのである。「御殿場事件」では、出会い系サイトで男と会ったために帰りが遅くなった女子高生が、「少年たちに公園でレイプされて遅くなった」と嘘をつき、その嘘のためにありもしない事件の濡れ衣を着せられた少年たちが実刑判決を受けて少年院に収監されているのだ。出会い系サイトでその女子高生と会った男性が「その日は女の子とデートしていました」と証言したためになんと今度は裁判中に事件そのものの日時が変更されているのである。その変更された日は大雨が降っていたので供述調書(警察によって作られた作文)と矛盾するのだが、なぜか事件現場の公園だけは雨が降っていなかったということになっているのだ。
こんなありえないでたらめな裁判であっても、裁判官は警察や検察の犯罪やでっち上げを積極的に告発する気などないし、そもそも正義なんかよりも自分の出世の方が大事だから無実の少年を冤罪に陥れても全く平気なのである。そんなこと自分には関係ないし、正義などはじめからどうでもいいのである。
このような正論を書いているオレのような存在はおそらく警察からはきわめて都合の悪いものだと思うのである。ある日突然オレが身に覚えのない罪名で検挙されて収監されるとしたら、それはなんらかの大きな組織的な力が働いてオレをこの世から抹殺した方がいいということになったからである。
オレはこの日記で銀行や大企業の犯罪をいくつか書いたことがある。そうしたところの関係者がオレの存在をうっとおしいと思えば、なんらかの罪をでっち上げて警察を利用してオレを亡き者にしようとすることは十分考えられる。手鏡でスカートの中を覗いたとかいう疑いでオレが逮捕されれば、それは間違いなく当局による弾圧だ。だってオレは手鏡など持ち歩く習慣はないし、盗撮するにもスマホなんか持っていないからである。
高知白バイ事故
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2015年08月03日(月) |
商品券という馬鹿で無意味な政策について |
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日本全国の自治体が、商品券を発行するという愚かな政策を実施している。大阪市でも行われてるし、その中味というとたいてい1万円払えば12000円分の商品券がもらえるなどという愚にもつかない中味である。決してそれによって消費が拡大するということはなく、余った2000円はパチンコ代になったり貯金されたりという無意味なばらまきである。昔公明党が「地域振興券」という馬鹿政策を打ち出し、自民党が票欲しさのためにそれに乗っかるということがあったが、そういう馬鹿政策を未だに効果があると信じてやり続ける政治家の無能ぶりにオレはとことんあきれている。こんな馬鹿ばかりだからいつまでたっても日本の抱える多くの問題は解決に向かわないのである。
どうすれば消費を拡大できるのか。景気をよくできるのか。それは簡単だ。貧しい大衆からの搾取の仕組みをなくすことだ。大企業が非正規雇用や派遣社員を使うことを禁止して直接雇用させ、労働者の身分を保証することだ。将来にわたって安定した収入があることが約束されてはじめて人は安心してゼニを使えるのである。
偏差値の高い大学には比較的高収入の親を持つ学生が入学し、勉強しないで入れるFランク大学には奨学金に頼る貧しい家庭の子弟が入学する比率が高い。その結果ますます収入による階級格差が開いてしまう。これを解消するには国公立大学の一部の授業料を完全無償化して、貧しい家庭に生まれた受験生が努力によってチャンスをつかみ取れるようにすることしかない。戦前の師範学校が無償だったことで多くの貧しい若者に教育の機会が与えられたことと、今Fランク大学に高額の授業料を払わされて貧乏人がますます借金まみれになることを比較すればどれだけ今の教育政策が間違ってるかわかるだろう。
外国人旅行者がせっかく爆買いしてくれているのになんで免税するんだ。どんどん中国人の金持ちにも消費税を払ってもらえばいいだろう。たった8%なんて彼らは痛くも痒くもない。彼らの爆買い分もそのまま日本の財政を潤してくれるわけでどうしてその機会をわざわざ放棄してるのかオレにはわからないのである。
貧民からの搾取の仕組みとして欠かせないのが覚醒剤や麻薬である。こんなものはおとり捜査を導入すればどんどん壊滅させられる。シャブ中になってしまった馬鹿を放置するからいつまでも暴力団の資金源にされるのである。売人は全員死刑、そして使用者は全員強制入院させ、薬が抜けてからは3年間の強制無償労働を義務づける。その期間はタコ部屋で衣食住だけは与えられるが警察の監視下で工場労働や農業、建設業に従事させることとして、今の労働力不足を補えばいいのである。安易に執行猶予をつけて野に放つから再犯するのである。
日本一もうかってる企業であるトヨタ自動車は数年間法人税を払っていない期間があった。このように抜け穴だらけの欠陥税である法人税は全廃すればいい。その代わりに企業にはその分社員に給与を払ってもらって所得税中心の税制にすればいいのだ。大企業が直接雇用せずに人件費を削減してその分で法人税を払うよりも、その分を人件費に使ってもらって代わりに所得税の形で納税させればいい。今非正規雇用でワーキングプアの状態であえいでる人達がもっと豊かに暮らせるようになればそのゼニは一気に消費に回り、景気を良くするのだ。増税によって財政再建をすることは不可能である。今の税率のままでどうすれば税収を増やせるのかを考えないといけない。大企業は巧妙に税金が安い国に本拠をおいて節税しようとする。だったら日本を法人税ゼロの国にして世界の大企業に日本で活動してもらえばいいのである。日本人を一定割合以上雇用するなどの条件を付けて日本に本社をおいてもらえばいいじゃないか。
もしも大企業に、法人税を払うかその分を社員の給与としてばらまいて所得税の形で納税させるかを選択させれば、かなりの企業が法人税ゼロの方を選ぶだろう。
パチンコ屋は即座に非合法化してすべて廃業させろ。警察幹部の天下り先になって暴力団と警察の癒着の温床になってるこういう業界はぶっつぶさないとだめだ。放置するから千葉県習志野市のように行政側を巻き込んで反対運動の住民を脅迫したりとやりたい放題になるのである。こんなのは使用者責任ということでパチンコ屋の社長を即座に逮捕するくらいの罰を与えないとだめである。下っ端のチンピラがやったことはすべて組長の責任ということにし、場合によっては死刑もあるということにすればもう暴力団は組織を解散する以外ないのである。末端の組員が覚醒剤を売買すれば組長が使用者責任で逮捕されるということに決めればいい。
日本が世界に誇れることは、国民のモラルの高さと治安のよさである。だからこそ多くの観光客が訪れ、日本にあこがれるのだ。そうして日本にあこがれてやって来たまっとうな外国人にはどんどん移民を許可し、その一方で日本国民に害を与える外国人はどんどん追放すればいい。犯罪者には在留許可を与えずすべて母国へ強制送還、暴力団の組員になった者も強制送還、覚醒剤の使用者も強制送還というふうにして選別すればいいのだ。
商品券発行という愚策を日本中でやってる馬鹿政治家たちよ、おまえらのやってることは有権者に対する利益供与であり選挙違反である。そんなくだらないばらまきにオレが払った税金を使ってることは断じて許せないのである。
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