江草 乗の言いたい放題
コラムニスト江草乗の日記風エッセイ
|
|
|
|
|
|
日記目次(検索可能)|前日|翌日
エンピツ投票ランキング
江草乗の写真日記
ブログ
お勧めLINKS
ご愛読ありがとうございます。「江草乗の言いたい放題」は読者100万人を目指す社会派コラムです。一人でも多くの方が読んでくださることで、執筆意欲は倍増します。ぜひ、お友達に勧めて読者数UPにご協力ください。掲示板へのご意見の書き込みもお願いします。
2015年02月26日(木) |
慰安婦像の意味を考えよう |
携帯用URL
| |
|
韓国人団体の手によってアメリカの都市に次々と設置される慰安婦少女像について、在米日本人が撤去を求める訴訟を起こしたそうだが、米国の裁判所はその訴えを棄却する方針だという。アメリカでは裁判の結果は正義とか真実とか公正さとかなどとは無関係に弁護士の能力と政治的な圧力で決定する。それはこれまでのアメリカの裁判の馬鹿歴史をなぞれば誰でもわかる。冤罪の発生率も桁違いだし、無実の人が死刑になってしまった事例も枚挙に暇ない。そんなアメリカのクソ裁判などに期待する方が無駄だ。
それよりも、この慰安婦少女像の意味をもっと考えようではないか。
韓国では朝鮮戦争の時に朴大統領の命令で国策として「慰安所」が設置され、そこには国連軍(というかアメリカ軍)の兵士たちが通っていて、そこに勤務する女性はまともな報酬も与えられずに「性奴隷」の待遇だった。最近になってそこで働かされていた女性たちが韓国政府を相手に裁判を起こしている。この米国内の慰安婦像には、実は韓国人団体のその贖罪の気持ちが込められているのである。太平洋戦争時に娼婦として慰安所にいた女性たちの意味だけではないのだ。何事も広義に解釈しないといけないのである。
「朝鮮戦争時に私たちを性奴隷にしたアメリカ兵のみなさん、どうか私たちの苦しみをわかってください」
そういう意味で全米にこの慰安婦像を建立するのならばオレは大いに賛成だ。じゃんじゃん建てればいいのである。ついでに間違ったことばかり書いてある銘板の記載も、ちゃんとそういう内容に改めればいいのだ。
さて、もしもそういう動きを起こせば、即座に全米の慰安婦像は撤去されるだろう。だってアメリカ人にとってそういう「黒歴史」というのは認めたくない真実だからだ。自分たちの悪事を「なかったことにしたい」のは、アメリカ人の方がはるかに強く思ってることである。なにしろアパッチ族やコマンチ族を虐殺してその豊かな土地を取り上げ、そこに自分たちの国を築いたのがアメリカ建国の歴史であり、ベトナムに大量の枯れ葉剤をまいて多くの健康被害を出しながら、「因果関係は証明できない」として賠償していないのがアメリカなのである。自国が戦争で他の国の住民を虐殺するのはOK、他国が行えば「人道に対する罪」それがアメリカの価値基準である。
21世紀になっても領土拡張の夢を捨てられず、軍事力で領土拡大をはかる超大国がある。そしてなぜか欧米の腰抜けどもはそれを面と向かって非難できない。もちろん安倍晋三首相も同様だ。なぜ習近平やプーチンに向かって皮肉たっぷりに「やあやあ人殺しの国の代表さん!」と呼びかけられないのか。 政治や外交というのはウソを言っても罰せられる世界ではない。それはただの駆け引だからだ。日本の政治家はまさか韓国や中国が堂々とウソを世界に発信するなんて思ってもみなかっただろう。だから当時の南京市の人口を大きく上回る犠牲者が南京入城時に出たのだし、20万人をこえる若い朝鮮人女性が強制連行という形でトラックに積み込まれて慰安婦にされ、抵抗した男たちはみんな軍に射殺されたたことになっているのである。そのようにアメリカの歴史教科書には書いてあるらしいのだ。歴史教科書の中の日本人は快楽殺人者なのである。歴史の実証主義など中国や韓国に期待してはならない。そもそもあの2国にとって、歴史の真実などどうでもいいのである。文化大革命で何千万人が殺されたかとか、チベット侵略で僧侶や尼僧を何十万人殺したとか、そんなことは「ありもない謀略」なのである。
しかし、いずれそうした「ウソの歴史」はあばかれる。政府が公然とウソをつくような国で、まともな国民はどう感じるだろうか。自分たちが「事実でない歴史」を国策として押しつけられ、学ばされてきたことを知ったとき、彼らはどう感じるだろうか。
論語には国家成立の3つの要件(兵・食・信)の中でどれが一番大切かと弟子の顔淵から問われた孔子が、「信なくんば立たず」(国民の信頼がなかったら国家そのものが成り立たない)と答えたと記される。
国家元首が平然と世界に向かってウソをつき、一方で軍備を増強しておきながらまやかしの平和を語ってるような国で、国民がろくなマナーも身につかないクソみたいな行動を世界でやらかすのは、ある意味非常にわかりやすい図式である。あたたかく見守ってあげようではないか。馬鹿やクソ野郎とは別に仲良くする必要はない。
←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館
2015年02月24日(火) |
京都大学を目指す高校はたくさんあるべきだ |
携帯用URL
| |
|
大阪府の公立高校はこのごろ入試の仕組みがしょっちゅう変更されるのだが、今は文理学科というコースが公立TOP10と呼ばれる上位校に設置されていて、160人×10校という規模である。ただ、文理学科の中でもトップの北野高校と他の高校との間には難易度の差が存在する。そして、文理学科の定員はトップ10の高校の定員の一部であり、普通科のコースも存在するので、北野高校の文理学科を不合格になっても普通科に入学して捲土重来を期すことができるのである。
ところが来年度は北野高校と天王寺高校の入学定員をすべて文理学科にして、つまり優秀な生徒を10校に配分する従来の仕組みを廃止して、上位2校に集め、その2校をスーパー進学校にしようとするらしい。その結果どういうことになるだろうか。
確かに、北野高校と天王寺高校の進学実績は飛躍的に上昇するだろう。東大や京大を目指していて、なおかつ入学することのできる能力のある生徒ばかりが入ってくるわけで、その二校が勝ち組になることは間違いない。
しかし、その二校に入学した生徒がすべて東大や京大に入れるわけではない。その中で落ちこぼれる生徒も当然生まれるわけだ。本来なら落ちこぼれなかった生徒が落ちこぼれるのである。どんな組織でもそうなのだが、100%優秀な集団を作ることはできない。それは学校も同じで、全員を優秀にすることはできないのである。必ずその中で差が生じる。
また、その2校以外の他の公立高校はどうなるのか。つまりTOP10の中の他の8校である。具体的に言うと生野高校とか茨木高校とか四条畷高校とかである。ちなみにオレの母校は生野高校である。
他の8校にはこれまでは入学してきた「東大や京大を目指していて、かつ入れるだけの能力がある生徒」が入学してこなくなるわけで、成績上位層が見事に消える。その結果、その次のレベルの生徒たちの成績も、追いつこうとする目標を失うことで下がってしまうのは確実である。
かつては大阪府の9学区それぞれに存在した「がんばれば東大京大を目指せる公立進学校」が、実質大阪府で2校だけになってしまうのだ。それはトータルの進学実績を下げることにつながるとオレは予想するのである。
もっとも私学教員をしているオレにとっては、大阪府がそのような間違った教育施策をしてくれることはありがたいことで、その結果として上位の2校に入れなかった生徒がオレが勤務するような「東大京大を目指せる私学」に入ってくることは確実であり、むしろ我々私学教員には追い風となるのである。
一方、大阪府民にとってはどうか。東大や京大に公立高校から入学させるためには北野高校か天王寺高校に入学しないといけない。岬町とか河内長野市からその2校に通うのはかなり時間も定期代もかかる。岬町から岸和田高校に通うのと、天王寺高校に通うのでは片道で40分くらいの差があるのだ。
極端なたとえだが、もしも東京大学に入学できる高校が日本で上位10校しかないとしたらどうだろうか。おそらく東大生は同じような価値観で没個性的な集団になってしまうだろう。さまざまな地域、さまざまな高校からいろんな学生が集まってるからこそ意味があるのだ。大阪府のような人口規模の自治体の場合、その大きさで一つの学区にしてしまうよりも、いくつかに分けて進学校をたくさん作ってやる方がいい。生徒が400人いて、その中に東大や京大を目指すものが20人いるならば、各クラスにそういう生徒を分配することができる。同じ教室にそうしたトップランナーがいて、机を並べて学ぶことが他の生徒にとっても刺激になるのである。
オレの母校の生野高校は、オレが卒業した1979年には京都大学に20人の合格者を出している。しかし最近はかなり凋落してしまっていてなかなか京大に入れないのである。もしも大阪府のこの「上位2校集中作戦」が実行されれば、さらに入学者のレベルは下がってしまうだろう。
母校の凋落を悲しむという単純な理由だけではなく、オレは「より多くの生徒にチャンスを与える」という意味で、公立の上位2校だけをシード校にして他の学校の優秀な生徒をぶんどることに反対したい。
京都大学を目指す受験生がいる高校はたくさんあった方がいい。高校に入った時点で先が見えてしまうなんてなんだか悲しいじゃないか。
←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館
2015年02月22日(日) |
馬鹿のせいで高い任意保険料 |
携帯用URL
| |
|
この春高校を卒業する次男が岡山まで出かけて合宿の自動車教習所に通っている。帰ってくれば当然家にあるクルマを運転するわけで、18歳の息子のために任意保険も条件変更をしないといけないわけだが、その差額を聞いてオレは仰天した。なんでこんなに高いのか。それともオレの契約している富士火災が他と比べて高いのか。とにかくぶっ飛んだのである。
我が家には古いスバルドミンゴがある。オレがふだん運転する三菱FTOを免許取り立ての少年に運転させるわけにはいかないので、息子がそのドミンゴを運転できるように任意保険を条件変更することにした。ちなみに保険は20等級、割引率は63%である。今、運転者年齢条件を30歳以上にしてるのだが、これを18歳にしたところ、なんと一年間の保険料が44000円→113000円に跳ね上がったのである。なんということだ。63%の割引がなかったら軽く20万円以上になっていたのである。
さて、どうしてこんなに保険料が高くなるのか。それは18歳のドライバーの事故率が高いからである。さっきニュースで写真を見たのだが、神奈川県では18歳の高校生が暴走した車が電柱に激突して真っ二つになっていた。どれだけの速度で激突したらクルマがあんなふうにちぎれるのか。そして18歳の任意保険掛け金が高いのは、そういう馬鹿の起こす事故の分まで善良なドライバーが負担させられるからである。
若者のクルマ離れが昨今報道されるが、そもそもそんな高額の任意保険料をぼったくられるのにクルマを買う気になるだろうか。我が家の場合はたまたま長期間契約で割り引き恵いつがかなりUPしているわけだが、もしも18歳の若者がいきなりクルマを購入して割引率ゼロで任意保険に加入するとすれば、普通のファミリーカーでもその掛け金だけで軽く20万円を超えることになるのである。うっかり事故率の高いスポーツカーなどを購入するとすれば、単純に比較して任意保険料は年間で40万円くらいになってしまうのだ。そんな高額の保険料を払うのはたいていその親だと思うが、それにしても高額すぎるような気もする。
クルマを所有するということは、そのクルマを購入する代金だけではない。ガレージを借りる場合はその賃料も必要だし、走ればガソリン代もかかるし、その上車検のたびにゼニがかかる。その上こんなに高い任意保険料である。多いときは月に2万円以上だ。このような状況下でもクルマを運転したいというのはよほどゼニの余ってるブルジョワの若者だけということになる。非正規雇用が増えて若者の多くが貧困に陥ってる今、どれだけこの負担に耐えられる若者がいるのか。若者のクルマ離れを作ったのはこのような社会の仕組みなのである。
任意保険がドライバーの相互扶助の制度である以上、一部の馬鹿が得をして多くの善良なドライバーが損をするのは仕方がないわけだが、それにしてもオレのように負担させられる側にとっては腹立たしい話である。
もしもオレが今18歳の若者ならば、クルマを購入せずに必要な時だけにレンタカーを借りるだろう。若者のクルマ離れというのはそういうことなのである。
実際に事故を起こすのは誰か。最近の交通事故は高齢者、特に認知症の高齢者が起こしている。そういう方々の保険料を思い切り高くすることはできないのか。85歳以上の高齢者の任意保険掛け金を10倍くらいにすれば、高齢者の免許返納を早めることができるはずだ。もちろんそういう提案をすれば自分が高齢者になった時に負担が重くなるわけだが、全体のバランスを考えた時、若者の高負担に比べて老人の割り増しが足りないような気がするのである。オレの実感としては高齢者は金持ちと生活保護受給の貧乏人とに二極分化してると思うので、その金持ちの方からは任意保険料もぼったくってくれよ、認知症検査もきちんとして、逆走老人やスーパーに突っ込む老人なんかは撲滅してくれよと切に願うのである。
←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館
2015年02月19日(木) |
中国とロシアは世界平和の敵である |
携帯用URL
| |
|
重火器の撤去に応じず、攻撃を止めない親ロシア派のために、 ウクライナの停戦合意は完全に反故にされてしまった。結局世界はプーチンの猿芝居にだまされたわけである。ロシアがそのままウクライナを武力制圧したいという意図は明白だ。そして、クリミア半島に続きウクライナ全土がロシアに征圧されるということは、武力による領土の拡大が是認されることにつながる。このようなことを放置して良いのか。
ミャンマーと中国の国境地帯では武装した少数民族のゲリラと政府軍の戦闘が激しくなって戒厳令がしかれた。大量の難民が中国・雲南省に脱出している。武装勢力は中国の武器支援を受けているらしい。そしてミャンマー山岳地帯に住む少数民族は漢族系で中国語を話すという。中国はこの少数民族を利用して領土拡大を狙ってるのである。東シナ海や南シナ海という海で他国を侵略するだけではなく、陸でもこうして侵略をしているのが今の中国なのだ。ブータンの領土の2割はすでに中国に略奪されてしまった。このような明白な侵略行為に対して世界のどの国の政府も表だって中国を批判していないのである。大手の新聞社も報道しない。朝日新聞などは絶対にしない。このような事実を書くのはオレのようなたいして世間に影響力のない書き手だけだ。
国連が本来の機能を果たしているならば、いますぐにロシアと中国の侵略行為を強く非難し、両国に罰則を与え国家指導者を引きづり出して世界の人々に土下座させる形で謝罪を求めることが可能だが、残念ながら国連は全く無力である。またアメリカもオバマ大統領の一連の行動をみればわかるように、口では非難しても実際に軍事力を行使することはない。要するに口だけである。
オレは自衛隊の海外派兵には基本的に反対だし、集団的自衛権なんてものも解釈次第でどうにでもなるイカサマだと思っている。しかし、自衛隊が国連軍として「義」のために戦うのなら支持したいと思っている。本来の国連の役割とは、世界の小さな国が団結して集団で侵略国家に対抗することではなかったのか。今のロシアや中国のような覇権国家の存在を許さないために、国連は作られたのではなかったか。今のままでは全く役に立っていないじゃないか。なぜいますぐにウクライナに国連平和維持軍が派遣されないのか。なぜミャンマーの武装勢力に軍事支援している中国に対して世界の国々は非難を行わないのか。
ウクライナの人たちは戦争など望んではいない。誰が自分たちの母国を戦争で荒廃させたいと思うだろうか。民間機を撃墜してその乗客の遺体から所持品を盗む盗人野郎に国土を支配されることを望んでいるだろうか。誰が正義で誰が悪か、ここまではっきりしている紛争で、なぜ世界はもっと強くロシアを非難できないのか。どうして停戦会議の場に出てきたプーチンを世界の平和を乱す犯罪者としてその場で射殺しないのか。この独裁者こそ諸悪の根源ではないのか。もっともそこにいるプーチンが影武者ではないという保証は何もないのだが。
イスラム国の人質殺害や侵略行為を非難するのなら、もっと大規模にそして組織的に領土拡大行為を継続しているロシアや中国をなぜそれ以上に非難しないのか。悪の規模から言えばロシアや中国はイスラム国よりもはるかに大きくしかも凶悪だ。ゼニも十分にある。将来にわたって世界の平和にとって仇をなす存在であることは明白だろう。
日本はそこでどう立ち回るべきなのか。日本がここで示さないといけないのは「義」である。紛争の真実を見抜き、何が元凶なのかを正確に把握してその悪を糾弾することである。侵略の当事者どもを国連の席上で堂々と非難する論陣を張ることである。そこまでの覚悟が安倍晋三首相にあるか?
←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館
2015年02月17日(火) |
曾野綾子さんは差別発言をしたのか? |
携帯用URL
| |
|
作家の曾野綾子さんが産経新聞に掲載したコラムの中で、「外国人と居住区だけは別にした方がいい――。」と書いたことが、アパルトヘイトを容認する発言として波紋を呼んでいる。多くの国を訪問されてさまざまな文化を理解されている曾野綾子さんが、人種差別主義者であるとはオレは思えないし、少なくともコラムの文脈を正しく理解すれば、南アフリカで白人が居住していたマンションに黒人が大量に入居し、結果的に居住設備が崩壊して水道も使えなくなったという事実を記しているわけで、それがいきなり「人種差別」発言であるというのは飛躍しすぎている。
もしも日本に外国人が移民としてやってくる場合、どんな場所に住むことを選ぶだろうか。自分と同じ国の人達が大勢暮らす街があれば、それは重要な選択肢となり得るだろう。つまり、日本国内に中国人の多い町やケニア人の多い町、ネパール人の多い町が存在すれば、それらの国の出身者たちは当初はそこに住んだ方が過ごしやすいだろう。しかし、就職や進学の際にはもちろんその居住地内では完結しないので外に出て行くことになるだろう。曾野綾子さんが書かれたのは単純にそういう発想ではなかったのか。またそうして居住地域が分かれていることによって無用な文化的な摩擦やトラブルを防ぐという意図があったのではないかと思うのだ。
もちろんそうした居住区が形成されることはこれまでの日本社会ではあまりなかったことであり、それが新たな差別を生み出すという危惧はよくわかる。しかし、いろんな国からやってきた子どもたちが同じ小学校で机を並べて学ぶ中で、そうした人種間の壁というのは解消されていくのではないか。それこそが多文化共生であり、いつしか子どもたちは新たな友達と遊ぶために居住地域に関係なく行動するようになるのではないか。オレはそんなことを思うのである。
オレは移民の受け入れには賛成である。そして、できれば日本が好きな外国人にどんどん日本を居住地として選んでもらいたいと思っている。グローバル化というのはただ英語を使えるようになることではない。さまざまな国の文化を理解し、お互いを尊重できる価値観を持つことだ。そのためにもさまざまな国の人々が日本で暮らすような社会になって欲しいのである。
たとえば日本以外の国では道路に平気で大小便したり、地下鉄の車内で子どもにウンコをさせることがありふれたできごとの国があるかも知れない。それは日本のマナーとは大きくかけ離れたものである。そうした傍若無人な行動が日本社会では受け入れられないということを理解してもらうために、そして日本文化を身につけてもらうために同じ小学校で学ぶのではないか。大人たちの間には文化的なギャップが存在しても、それを埋めるのが次の世代の若者ではないのか。もちろん学校でいじめや人種差別由来のトラブルが起きないように教師は十分に配慮する必要はあるが、何より子どもたちはすぐに仲良くなれる。一緒の遊びをすることで文化や民族の垣根をこえて理解が進むはずである。
日本で暮らすということは、日本人となることを選ぶことだとオレは考える。もしもオレがアメリカに永住しようとしたり、フィンランドに永住しようとするならばその国の人間となることを希望するだろう。それと同じように日本を愛し、日本に永住することを望む外国人はそのまま日本文化を受け入れ、同化することを選ぶべきなのだ。
人種差別思想は西洋人の価値観であり、日本人、特に関西人にはそういう発想はない。東京では「よそ者」を受け入れない風土があるかも知れないが。大阪ではもしクラスに外国人の子どもがいても普通に受け入れて共に遊ぶのが普通である。大阪で人を計るモノサシは人種ではなく、「おもろいか、おもろないか」だけである。日本人でもつまらないヤツは人気がなくて友達ができにくいし、どこの国の人であってもおもろいヤツは人気者になれるのである。
多文化共生は難しい。しかし、実現したときに得られるモノは実に大きい。曾野綾子さんは「外国人を差別する」ことが目的でそのコラムを書いたのではないだろう。どうすれば日本社会に移民を受け入れやすいのかという意味で、最初は居住区を分けて摩擦や衝突をなくしたいということだったのだろうとオレは思っただ。
欧米の諸国が「人種差別」を国是としていた頃、第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会において、大日本帝国は人種的差別撤廃提案(Racial Equality Proposal)を主張した。しかしこの提案はイギリスの自治領であったオーストラリアやアメリカ合衆国上院が強硬に反対し、ウッドロウ・ウィルソンアメリカ合衆国大統領の裁定で否決されたのである。国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初である。当時のアメリカではひどい黒人差別があった。そんな中で日本こそが当時もっとも進んだ人権思想を持ち、差別のない国だったのだ。満州国は「五族共和」の精神で建国されたのだ。
アメリカでもヨーロッパでも人種差別はなくならない。彼らが声高に人権思想を叫ぶのは、実際は街に差別主義者が蔓延してることの裏返しである。日本人こそが真に寛容な精神でさまざまな国の文化を受け入れることができることを今我々はアピールすべきなのだ。なぜ中東の諸国は日本を認めてるのか。それは日本が欧米とは違った価値観を持つ第三極であると期待しているからである。
←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館
2015年02月15日(日) |
ヤフオクのダフ屋を取り締まれ! |
携帯用URL
| |
|
限定品のもの、もともと入手困難なものを転売目的で入手して、即座にヤフオクで売りさばこうとするあさましい連中がオレは嫌いだ。だから東京駅で発売の限定SUICAが大量に発行されて価値が失なわれたことを喜ばしいことだと思うし、トワイライトエクスプレスの切符に高額入札する人達を「あほか!」と思ってしまうのである。なんでそんな連中を喜ばせるのか。 この転売目的の入手行為、ならびに転売はそもそも違法ではないのか?
毎日新聞には次のような記事があった。
ヤフオク:トワイライトエクスプレス最終列車100万円超 毎日新聞 2015年02月12日 20時32分(最終更新 02月12日 21時11分) 札幌−大阪を結ぶ豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」の3月12日の最終列車の切符が、発売直後にインターネットオークションに出品され、100万円を超える高値が付けられていることが12日、分かった。 引退する人気列車はプレミアチケット化する傾向があり、特に運行最終日の切符は、鉄道ファンの垂ぜんの的。ネットなどで法外な高値で転売されているのが実情だ。 最終便の切符は12日午前10時に発売開始と同時に完売。約50分後には「ヤフーオークション」で1枚が出品された。入札は1円からスタートし、約7時間で100万円に跳ね上がった。(共同)
最初から転売目的で入手しようとする輩がいるために、本当に手に入れたい人が入手することがますます困難になってしまう。そして、本当に入手したい人は法外なゼニを払って買ったりするのである。実に馬鹿馬鹿しい話である。このような出品者は即座に逮捕して切符は回収し、改めて通常の方法で販売し直すべきである。
それよりもオレが気になるのは今回運行停止となる「トワイライトエクスプレス」の車両がどうなるかだ。これだけ人気があるのだから、どうせなら他の路線を走らせればいいのである。新幹線の関係で青函トンネルが走れなくなるということなのなら、そうでない区間を走らせればいい。たとえば青森から日本海側を博多まで走らせて「裏日本エクスプレス」とかいうふうな形での長距離列車で残すことはできないのか。あるいはJR九州が「ななつ星」でやってるように、ぐるぐる回遊する形での運行はできないのか。少なくとも乗客は「移動の手段」ではなくその乗車を楽しんでいるのだから、だったらどこを走ってもいいはずだ。これだけの人気があるものをなくすのは惜しいのである。
日本にやってくる外国人観光客は日本国内の鉄道移動に新幹線を使うだろう。しかし、夜行寝台列車という選択肢を用意すれば、きっと多くの人たちがその快適さに気づき殺到するはずだ。大阪から九州方面という夜行寝台車を復活させれば、それは中国からの観光客の誘致につながるかも知れない。上海から船で長崎へ、そして夜行寝台で大阪という旅のプランも作れるはずである。
おっと、「ダフ屋を取り締まれ」という日記が別の方向に行ってしまった。
とにかく本題は、本来鉄道会社が得るはずの利益を、関係ない転売野郎が手に入れることが間違いなのである。その点JR九州の「七つ星」は最初からかなり高い料金を設定することで、ダフ屋の利益分を先取りしてるようなものである。トワイライトエクスプレスももっと高い価格を最初から設定していればよかったのである。そうすれば間でダフ屋に抜かれることもなかっただろう。今の5倍くらいの価格でも十分に売れたかも知れないのだ。
モノを販売するには適正価格というものがある。その価値が高いのに、それに比べて安い価格で販売されているものはダフ屋の標的となりやすい。JR九州の「ななつ星」のようにサービスと欲しい人の数に見合った価格を設定すれば、今回のように「テンバイヤー」たちを利することはなかったのである。
JR各社の今後のあり方を考える上で、運賃と快適さのバランスをどのように決めるのかということをぜひ熟考してもらいたい。通勤用の電車にグリーン車を連結して「ゼニを払ってでも快適に通勤したい」という人達のニーズを満たしつつ、十分な利益も確保するようにこれからの少子高齢化の時代を見据えた鉄道戦略というものがあるはずなのである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館
2015年02月14日(土) |
小学校での英語教育にオレは反対だ! |
携帯用URL
| |
|
小学校で英語が必修化されるという。この動きはもう止められないわけだが、その理由が「中学高校で6年間も勉強してるのに、英語を使いこなせないから小学校から早期教育する」ということなら笑止千万である。そんなことをしても結果は「12年も勉強してるのに使いこなせない」と変わるだけだからだ。
そもそも使いこなせないのではなく、使う人は使ってるしそうでない人はそうでない、ただそれだけのことである。なぜ教育の効果を全員に求めるのだろうか。能力や努力に差がある以上、その到達点が違っていることは当たり前である。
日本の企業が世界にその製品を売りまくって世界中にメイドインジャパンが行き渡ってるのは事実である。もしも日本の英語教育が100%ダメなものならば、そういうビジネスマンも出現しなかったわけで、英語教育がベーシックの部分を担っていて、それ以上の高度な能力の基礎となったからこそ世界に日本企業が進出できたのではないか。
英語を学ぶということは、他の何かを削るということになる。小学校では算数や国語、理科社会を学ぶ。道徳教育の必要性も取り沙汰されている。やることはたくさんあるのだ。そこに英語もやるということになれば、その分国語や算数の時間を削ったり、社会の時間を削ることになる。結果的に削られた教科科目の学力が低下することにつながるのではないか。
もちろん小学校での英語教育の成果が、他教科の学力低下以上の価値をもたらすのならば、損得勘定を考えた上で導入した方がいいということになる。ただ、算数や国語の学力低下が実際に起きれば、現場はさらに混乱するだろう。現状での学力低下や学級崩壊はもはやどうしようもないところまで来ているのだ。
もうひとつの問題点は「学力差」の発生である。小学校のうちに英語を学ぶことになれば、当然のことだがその中で学力差が発生する。英語のできる子どもとできない子どもの差が6年分つくのである。中学校入学時、こうした大きな学力差が存在する集団に対してどうやって授業を行うのだろうか。少なくとも今の中学の英語教育というのは、みんなが同じスタートラインに立つことを全体にカリキュラムが考えられているはずだ。その大前提が崩壊するのである。現場の混乱は大変なものとなる。
オレは国語教師なので当然のことながら国語の学力低下が心配になる。小学校の時は国語をしっかりやらせて欲しい。漢字を覚え、ちゃんとまともな文章が書けるように最低限の学力を身につけさせて欲しい。算数も同じだ。かけ算の九九がわからないとか分数の計算ができないとか、そんなレベルなら小学校を留年させてもらいたい。そんな児童に対して「英語教育」なんてふざけるな!と思うのである。まず小学校でやるべきことをきちんとやれと言いたい。
小学校の先生は忙しい。昔よりも問題を抱えた生徒も増えたし、家庭が崩壊していたり親によるネグレクトもある。虐待を受けている子どももいる。そうしたことを発見するためには教員の側にさまざまな余裕が必要だ。しかしなかなかそういう時間的な余裕が今の小学校・中学校の教員にはないのである。そんな中で英語教育が導入されていったいどこにしわ寄せがい行くのだろうか。オレはそれを心配しているのだ。
今は街にいくらでも塾がある。進学塾だけではなく、英語を学びたいのならいくらでも駅前留学できる。自主的に勉強したい者はそういう場所を利用すればいいだけのことだ。そして小学校で英語を学ぶようになれば当然、小学生向けの塾でも英語を教えることになる。それはますます「塾に行ける子」「塾に行けない子」の学力差を生み出すことになってしまうのだ。おそらく他の教科以上に差は大きくなるだろう。
中学高校の英語教育が、実用的な英語力につながっていないのはただ単に実際の社会生活で必要ないからである。日本語が使えればそれで十分の社会でどうして無理に英語力を高める必要があるだろうか。
中学生高校生がスマホの使い方に習熟してるのは、それが彼らの実生活で必要だからである。必要だから覚えるし、必要でないなら覚えない。入学試験に必要だから受験勉強するし、必要ないからしない。すべてそういうものである。入学試験がもっと「英語の実用性」にシフトするならそれこそ英語教育のあり方も変わっていくだろう。しかし、現行の入試は設備の関係もあって英語を話したり聴き取ったりする方向にはそれほど配点を与えられない。英語リスニングは950点中の50点しかない。だからその程度の対策しかしないし、その対策すらしない受験生もいる。
オレは受験勉強の時は英語が苦手だった。しかし大学生になって英語でさまざまな海外SF小説を読むようになってものすごく英語が好きになったし面白く感じるようになった。ただそれだけのことである。使うから上達するし、使わないと上達しない。
英語が使えなくても、ちゃんと日本語だけで日常生活に不自由しないのは日本がそれだけ独自の文化を持ってるからである。高度な大学教育も一部の大学を除いては日本語で行えているわけで、学術書や専門書もすぐに翻訳されるし、日本語がきちんとわかるというだけで我々は多くの恩恵を手に入れることができるのだ。そんな国に生まれてきたことに感謝し、「グローバル化=英語教育」と勘違いしている連中にだまされないことである。自分たちの日本文化を理解し、それを世界に発信できることこそが真のグローバル化であるとどれだけの人が気づいているだろうか。
←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館
2015年02月12日(木) |
メガかゆいのじゃ! |
携帯用URL
| |
|
目の調子が悪い。鼻水が出る。花粉症のせいか? オレは春先が苦手である。それにしてもこの目の不調の原因はなんだ。満足に本も読めないし、とにかく目がショボショボして仕方がないのである。目薬をさして「一瞬」楽にはなるが、それもしばらく経つともとの状況に戻ってしまうのだ。そういうわけでオレは仕事に支障を来すくらいに目に不調を感じている。 この原因は何か?
花粉はまださほど飛んでない。とすると別の原因物質があるわけで、それは何なのか、オレはネット上でさまざまな理由を探してみた。そして思い当たったのがあの中国からやってきた環境テロ、PM2.5である。その微粒子がいまたくさん浮遊しているらしい。そうだったのか!
おそらく中国政府はオレの暴言を阻止するためについに「環境テロ」という手段をとって、オレにダメージを与えて執筆を妨害するという作戦できたのだろう。もちろんオレがそんな攻撃にめげずにがんばって書いたらそれですむことである。
これまでもオレの日記は攻撃を受けている。サイバーアタックらしき攻撃や、メールフォームに謎の大量スパムメールを送りつけられたりなどということが実際に起きている。ただ、それらの攻撃はオレには効果がなかったのである。そうなると、もっと実効性のある攻撃を・・・ということになって、とうとうPM2.5テロという手段を選んだのだろう。
このテロはオレに対して特に有効なようだ。オレの回りには目を真っ赤にした人とか、くしゃみや鼻水が止まらずに苦しむ人は見たところいない。ということはこの攻撃はオレに対してのみ有効に働いているわけだ。ピンポイントでオレという人間をターゲットに攻撃できるとすれば、なんと恐ろしい環境テロだろうか。
とりあえず行きつけの眼科医に行って、目薬でももらって症状を緩和しようと思ったら今日は木曜日なので休診なのである。なんとタイミングの悪いことだろうか。オレはこの不快さをさらにあと一日我慢しないといけないのである。ああ、なんということだろう。
今朝の新聞には中国が多くの原発を建設する計画について掲載されていた。中国政府は今の大気汚染の現状を改善したいと強く願っていて、燃料の多くを石炭に頼ってる状況から原子力に切り替えたいようである。そうすれば今の大気汚染も緩和されるという。
オレは中国の原発はリスクの塊だと思っている。もしも事故が起きたら従業員はみんな原発を捨てて逃げるはずだ。日本の福島第一原発でさえも一時は従業員が「総員退去」という方針でいたように、地震や津波による大事故の際は大災害になることは間違いない。その放射性物質は偏西風に乗って日本に降り注ぐだろう。だからオレは決して中国には原発を造って欲しくないのである。事故が起きた列車車両を埋めて証拠隠滅をはかろうとする国である。そんな国がまともな原発事故の対応をできるはずがない。
しかし、その結果としてPM2.5が減少し、オレのこの目の症状が改善するのならば、オレは「自分さえ良ければいい」という安易な考えの中で中国の原発建設を支持したくなるのである。なんと人間とは自分勝手な生き物であろうか。いや、人間ではない。この「オレ」が自分勝手なのである。オレは今、「目がメガかゆい!」という個人的な状況を回避できるのなら、日本列島に居住するすべての人々を危険にさらしかねないというチョー利己主義的な選択をしそうになったのだ。
とりあえず明日は必ず眼科医に行こう。そして、今の状況を一気に改善してもらえるような対策をしてもらうのだ。なんかチョー効果のある目薬をもらって、それをちょいちょいと挿せばもうそれでOK、おめめパッチリで仕事もはかどるという状況を手に入れるんだ。それしかないぜ。
今日はとにかく目がショボショボするんだが、昨日は鼻水が止まらずに苦労した。そして明日はどんな症状が起きるかはまだわからない。
オレは帰り道にドラッグストアによって、「スーパーメントールのど飴」と花粉症対策の目薬を買った。飴をなめるとたちどころに鼻が通り、目のショボショボ感も目薬を挿せばおさまった。そういうわけで今こうして日記を書けているのだが、しばらくは悩まされそうである。
←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館
2015年02月08日(日) |
自動ケツ洗い機を交換しました |
携帯用URL
| |
|
我が家には自動ケツ洗い機がある。東芝のSCS−T91という型番の製品だ。本体と工賃を合わせて2万円もしなかった。しかし、そのケツ洗い機がなぜか故障した。水が出ないのである。いくら「おしり」と表示されたボタンを押してもウンともスンとも言わなくなったのだ。
さっそく東芝のサービスセンターに電話して修理を依頼して、点検してもらった。それだけで3800円ほどかかったのだが、修理には数万円かかるという。なんで1万5000円もしないケツ洗い機の修理に本体価格をはるかに超える金額がかかるのか。馬鹿馬鹿しい話である。
そういうわけで新しいのに買い換えることにしたのだが、買ってそれほど経ってない製品が壊れたのである。そういうときは他のメーカーに・・・となることが多いのだが、東芝の製品はとにかく安い。1万5000円以下で買えるのだ。そういう価格情報をあれこれとネットで調べて、やっぱり同じ東芝の製品にすることにしたのである。便座のところについてる本体取り付け用のアタッチメントがそのまま交換しなくても使えるということもわかった。自分で作業すれば工賃もかからない。本体価格だけで交換できるのはラッキーである。「東芝」「洗浄便座」「取り替え」などというキーワードで検索すると、ていねいに説明しているメーカーのWEBサイトを発見した。オレみたいな不器用なオッサンにもできそうな工程だった。
さて、故障したものと同じ型番の製品を探したのだが、近所の店にはなく、いつも家電を購入する北花田のアウトレット店ではSCS−T92という一つ新しい型番になっていた。それが14500円で販売されていたので、カカクコムの最安値よりもさらに安いということで迷わず購入を決めた。
帰宅して、取扱説明書に従って交換の作業をしたのだが、本当に簡単にできてしまったのである。10分くらいでたちまち設置完了して、試しに座ってみてケツに温水を浴びせてみたのだが実に気持ちがいい。肛門に直撃する水流はこの上ない快感をオレにもたらしたのである。やっぱり自動ケツ洗い機は日本の世界に誇るべき発明品だ。
今や自動ケツ洗い機はどこの公衆トイレにでも設置されている。高速道路のSAや、イオンモールなどの商業施設、そして映画館や駅のトイレなどあらゆる無料で使える施設に自動ケツ洗い機は完備するようになったのだ。なんと快適なことだろうか。
外国人旅行者が日本に来て驚くことの一つが、この自動ケツ洗い機だという。何しろ多くの公衆トイレや宿泊したホテルのトイレに完備しているのだから、その気持ちよさを体験するに決まってるのである。宗教的理由で「ケツは紙で拭く」などという教義を守ってる人達がいるという話もきかない。そういうわけでこの「自動ケツ洗い機」という文化には一切の宗教的タブーなども存在せず、ただ便利で清ケツ、いや清潔というだけの魅力的な製品なのである。
紙でお尻を拭いても完全にきれいにはならない。「紙で拭く」という中途半端な行為では肛門付近にこびりついた「ウンコ」をすべて取り除くことは無理だ。それをすべて洗い流すにはやはり「水流」がもっとも有効なのである。
工賃を含めても2万円以下で簡単に設置できてしまう自動ケツ洗い機、もしもまだつけてないというシンプルなトイレを愛用されてる方々には、ぜひともいますぐに自動ケツ洗い機にされることをオレは強く勧めるのである。
←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館
2015年02月05日(木) |
日本はマイナス金利を導入すべきである |
携帯用URL
| |
|
いま、アメリカを除くほぼ世界中の国が通貨安競争をしている。そして金融緩和に突き進んでいるのだ。少しでも景気を浮揚させようとして必死なのである。日銀の金融緩和ももう限界に近い。国債買い入れとか従来型の緩和政策はもはやほとんど効果の出る余地がないのである。
それではどうすればいいのか。ここでオレが推奨するのはマイナス金利の導入である。金融機関が日銀から借りるゼニ、いわゆる公定歩合をマイナスににして、借りれば借りるほど利息が付いて増えるようにしてしまうのである。逆に預ければ利子がつくのではなくて利子が引かれる。国債を売却して得た緩和マネーをそのまま日銀の当座預金に入れておけば、0.1%の保管料がかかるというふうにすればいい。そうするとそのゼニは市中に貸し出すしかなくなるわけだ。住宅ローンの金利も今は最低でも1%を切ることはないが、それも公定歩合がマイナスになればその分金利を下げられる。もしも住宅ローンの金利が0.5%なんてことになれば住宅バブルが起きるかも知れない。これこそ景気浮揚策にもってこいじゃないか。
もちろん一般市民が銀行に預けてる普通預金にマイナス金利が適用されれば庶民は怒りの声を上げるだろう。今のような低利率でしかも18:00を過ぎればATM利用に手数料がかかるという状況では実質マイナス金利みたいなものだが、とりあえず300万円以下の普通預金は利率0%で、預けても増えないということにし、300万円以上の預金者からは年率0.05%の保管料を徴収するというのはどうか。これによって金持ちから資産税を徴収するのと同じ効果が生まれるのである。
「資産税をかければ金持ちは銀行から資金を引き出してタンス預金するようになる!」というふうに考える人もいるかも知れないが、そもそも今の銀行振り込みは現金を見なくてもパソコンや携帯からできてしまうわけで、いちいち現金にする必要など全くないのである。大金を動かす場合、現金ほどじゃまなものはない。一度現金にしてしまえば振り込んだり持ち運んだりするのに不便なことこの上ない。そういうわけで銀行預金そのものをやめるような動機にはつながらないのである。いっそのこと無記名口座なんかもどんどん認めて、その代わりに特別高額の資産税を徴収するようにすればいい。脱税する連中はどうせ巧妙に脱税するのだ。だったら税率が低くても確実に税を取れる方がはるかにマシである。
もしも0.5%程度の金利で資金が大量に調達できるのなら、オレはそのままそのゼニを高金利の外貨で運用する。たとえばトルコ・リラは年利率7.5%ある。ニュージーランド・ドルも3.5%と日本に比べればはるかに高金利だ。借りたゼニをそういう利率で寝かせておくだけで勝手に利息が入ってくるわけだ。もっとも為替差損が発生する場合もあるので必ずプラスになるわけではないのだが、それでもうまく運用すればかなりの利益を得られるだろう。これぞ究極の不労所得である。日銀が金融緩和を行ってもその資金が日銀の当座預金に積み上がってるだけという今の状況を打破しないと景気は良くならない。もっとその緩和マネーを市中にバラまかないといけないのだ。銀行がどんどん個人に融資し、そこで調達した資金で円を売って外貨を買ういわゆる「円キャリートレード」をみんながどんどん行えばいいのである。それは結果として国富を増大させることにつながるだろう。
景気を良くするためにはみんなにゼニを使ってもらわないといけない。しかしゼニを持ってないと使おうとしても使えない。ゼニを持たない人がゼニを使うには、ゼニをどこかで配らないといけない。昔アメリカで「ヘリコプターでゼニを撒きたい」などと暴言を吐いた馬鹿がいたそうだが、そんな乱暴な方法を用いなくてもちゃんとゼニを市中に溢れさせる方法はある。それが低利での融資である。なぜ政府は奨学金を無利子にしないのか。あれこそ若者のやる気を奪う元凶だ。彼らが将来の納税者になることを思えば、成績優秀者にはどんどん返済不要の給付奨学金を増やすべきだし、入るのが困難な東大や京大は学費無料にしてもいいとオレは思うのである。誰にでもばらまいていいというものではない。しかし、ちゃんと努力した人には惜しみなくゼニをまけばいい。センター試験の成績優秀者上位100名には奨学金を一人500万ずつ配るというのもいい。
円安になれば観光客も増える。実際に昨年日本を訪れた外国人観光客は史上最高を記録したわけで、今年ももっと増えるのは確実だ。観光客が1000万人として、一人1000万円使ってくれるなら10兆円の経済効果がある。2000万人なら20兆円だ。それだけのゼニが国内に落ちれば景気刺激効果は計り知れない。観光客を今の2倍3倍にするのはさほど困難なことではない。田舎に行けばホテルも空いてるし、観光地の中には閑散としているところも多い。温泉旅館の中には客が少なくて後継者がなくて廃業を余儀なくされるところも多い。そうした施設に外国人が押し寄せればたちまち活気づくだろう。過疎の村も巧妙に売り出せばいいのである。何にもない田舎が、外国人観光客にすれば「これぞ日本」ということになるわけで、ネットを活用して戦略を立てればいいのである。
アベノミクスの第三の矢はなかなか成果を出せない。株価が上昇して大企業の利益が増えてもそれが給与に反映するまでにはかなりのタイムラグがある。失業率は改善したが、非正規雇用がまだまだ多い。そんな状況下でインパクトのある景気対策はやはり「マイナス金利」だとオレは思うのである。住宅ローンが0.5%とかになれば空前の不動産ブームになるぜ。1億円借りても年間にたった50万円利子を払えばいいだけだったら安心して借金できるじゃないか。
←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館
2015年02月02日(月) |
正しいウンコの作法について |
携帯用URL
| |
|
今日の話はどうか食事中には読まないでください。
外出先でお腹の具合が悪くなってトイレに入るときには必ず洋式トイレに入ることにしている。和式トイレで踏ん張るような体力がもうないからである。その洋式便器の便座なんだが、ごくまれに誰かの便が付着していることがある。そんなときはものすごく気分が悪い。仕方なくトイレットペーパーをそこの水に浸して便を拭き取ってから使用するのだが、自分のケツのしでかしたことの後始末くらいきちんとしろよと思うのである。 なぜ便座に便が付着するのだろうか。
座るときに深く座りすぎると、肛門が中央部の真上に位置せずに便座の上に来てしまうので、排出された便が便座に接触しながら落下し、結果的に便座が汚れるということが考えられる。しかし、そういう座り方をした場合に便が便座に付着するということは一度体験すればわかるわけで、まともな学習能力のある大人なら二度とそういう失敗はしないわけだ。あるいはこういう「深座り」という行為は誰もがうっかりしてしまうことなのだろうか。オレは一度もそういう失敗はしたことがないし、そんな座り方をすれば便が臀部に付着して大変なことになってしまうわけで、そんなケツの汚れた人間は恥ずかしいことこの上ないのである。
もっと恐ろしい状況は、便座に付着している便が「便で少しこすったような跡」程度ではない場合である。便座の上に広い面積に渡って便がまんべんなく広がり、そのまま乾燥して固着している状況なのだ。なんでこんなことが起きるのだろうか。少なくともオレは人生で数回、そのような無残な便座を目撃したことがある。映画館のトイレで、あるいはコンビニのトイレ、イオンモールのトイレなどである。
先ほど、「深座り」という便をするときの癖について書いたのだが、その癖を持つ人がいつものように深々と座り、その時の便の状態がきわめて軟便だった場合、つまり下痢に近かったとするとどうだろうか。便は落下するのではなく、横に広く広がって便座の上に流れ、ケツをウンコまみれにするということが考えられる。もちろんそのウンコは便座の外にも垂れてズボンなどを汚すだろう。汚いことこの上ないのである。
さて、問題はその便座の上に広がったウンコをどうするかだ。運悪くそのような事態に陥ったとしても、そこは落ち着いてズボンの汚れを拭き取り、便座の上に広がった便をまだ乾く前にトイレットペーパーで拭き取ってもらいたいのである。少なくとも次に入った人が便座の上のウンコを目撃しなくて済むように、痕跡を消し去って欲しいのである。
一般的に女性は自分の交際中の男性に自分の出したウンコを見られるほど恥ずかしいことはないというのを聞いたことがある。肛門を見られることも恥ずかしいのだが、排泄したウンコを見られることはその100倍以上恥ずかしいらしい。だから排泄物は流してしまうわけで、それが便器に残っているような愚かな失敗は絶対にしないと。男性はその点はどうなのだろうか。ウンコを恥ずかしいという感覚はないのだろうか。オレが目撃したことのあるウンコ付着事例もすべて男子便所のことであり、女子便所にはそうした悲劇は発生しないのだろうか。このあたり、ぜひとも女性からのご意見が欲しいところである。女子トイレでも便座をウンコまみれにする不届き者がいるのかいないのか、オレは尻たい、いや知りたいのである。
この「ウンコまみれの便座」を目撃した件に関して人に話したところ、「それは絶対に故意だ!」というお答えをいただいた。つまり、故意に自分の排泄物を塗りたくらない限り、そのような便座の汚れ方は発生しないということである。私がこれまで「不幸な事故」だと思っていたことが、実は故意に引き起こした「スカトロテロ」であり、そのトイレを利用する可能性のあるすべての人達への悪意であったという推理である。
しかし、わざわざ手を汚してウンコを塗りたくるような馬鹿がこの世に存在するのだろうか。いくらテロといっても、そのテロの効果はあまりにも小さく、測定することが難しいのである。またその犯人が犯行声明を出して「○月○日、○○駅のトイレの便座にウンコを塗りたくった!」と投稿したとしても、それは世間から笑われるだけであり、まさに「自爆テロ」なのである。
便座に付着したウンコを目撃したというつまらないできごとから、このようなくだらない話を書いてしまったオレのことを「アホか!」と思う諸氏も多いだろう。もちろんオレもこの日記でもっとまともなことを書くべきだったのかも知れない。世間では大変なことが起きているのに、なんて不謹慎なヤツなんだというそしりを受けそうである。実際オレは不謹慎なオッサンなのでそれもまた仕方がないのである。
こういうネタの好きな方は、ぜひ上にあるボタンを押してツイート拡大お願いします。
←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館
前の日記 後の日記
|