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あるこのつれづれ野球日記
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2003年04月30日(水)
阪神巨人戦を見に行きました


 プロ野球観戦の初めての記憶は、視界一面に広がる煙でした。高校1年のとき、ひょんなことで、甲子園の阪神巨人戦へ行くことになりました。球場には、子供のころ、「知らないおじさんに声をかけられても、ついて行ってはいけません」と言われていた“知らないおじさん”みたいな人ばかりがいると信じて疑いませんでした(今や、その知らないおじさんに近づきつつある自分って…)。煙は、おそらくたばこと名物の焼き鳥を焼いているときに出るものだったのでしょう。ああ、今から自分は世界の違う場所に行くんだ。ワクワクより、戦慄に近い心境になったのを覚えています。そんなわけで、私にとっての巨人戦は、燃えるというより、ちょっと怖いものです。

 今日、そんな巨人戦に10数年ぶりに行きました。阪神が負けたらとんでもないことになるんじゃと思っていましたが、いい感じの試合展開だったのと、あと連休中とあって、休日客層(家族などプロ野球をそれほど頻繁に見にこない人)が多いおかげで、拍子抜けするくらいにのどかな観戦となりました。

 応援団のすぐ側で観戦していたため多少うるさかったですが、周りとのズレに気を遣うことなく声を出せたので、「ライトってこういときに便利やなあ」と思いました。それに、イマイチわからなかった応援歌のメロディーも多少把握することが出来ました。矢野選手の横断幕を張る応援団の側だったので、2ランを打ったときはTVに映ってたかも?なんて。

 巨人戦、連休、ライト。考えなければならないことはいろいろあります。まず飲食物。荷物を置く余裕すらないので、食べ物はさくっと食べれるものを早いイニングで食べてしまう。うどんとか弁当類、しょうゆやソースが必要なものはちょっと苦戦するかも。あと、飲み物。特に酒ですが、一旦缶を開けてしまうと、そのときの攻撃が終わるまでに飲みきってしまわないと、応援中にこぼしてしまう可能性があります。飲む速さに自信のない方は、ふたつきのものを購入されることをお勧めします。

 次にトイレ。混みます。巨人の攻撃が始まってすぐ移動しても、おそらく阪神の攻撃の開始に間に合わないでしょう(ことと場合によりますが)。あと、音消しをすると、次が流れなくなるので、音消しをあきらめましょう。大丈夫です、全体的にざわざわしている球場なので、最前列に並んでいる人にだって聞こえません。

 移動してから戻るとき、迷う可能性大です。目印とたどってきた道、そして、自分の席は何段の何番目が覚えておきましょう。席が見つからなくて警備員に切れ、周囲の客に「○○番、探してちょうだいっ」とおヒスになってたおばさんはかなりかっこわるかったです。

 最後の、ジェット風船は、ライトで見るより、レフトから見た方がきれいでした。



2003年04月29日(火)
春季福井大会(敦賀)に行ってきました。


 なんか、観光地によくある土産物のお菓子の名前みたいやな、今日のタイトル。ま、それはともかく。今季初の福井観戦です。

 第二試合の若狭ー敦賀は、5−4の接戦でした。序盤、敦賀が4点をリードしたのですが、若狭がすぐさま同点の追いついて、中盤に逆転。同点と決勝点には共に牽制悪送球が絡んでいました。若狭ランナーが二塁にまで達すると、とにかく大きなリードをとって、ベース付近をうろうろするんです。敦賀のピッチャーは何度となく牽制をしていて、投げにくそうだなと思いました。あれはきっと作戦なのでしょう。エラーを誘うのか、投手の集中力を逸らすか、そのどちらともか。でも、それだけでホームインできるわけではないので。その後のバッターがきちんと仕事(今回はとも犠牲フライでホームイン)をしてるんですね。同点にした3回、逆転した5回、ともにノーヒット。少ないチャンスをきちんと活かせる。こういうチームは強いですねえ。

 第三試合は敦賀気比ー高志(こし)。序盤、気比が8−0の大量リードを奪い、「さすがやなあ」と思ってみていた。こんなんどうやって抑えろちゅーねんと思うくらい力の差があるように思えた。「コールドかなあ」「5回?3回?」などと友人と会話をしていると、試合の流れが変わってしまった。気比のピッチャーのストライクが入らなくなる。そして、高志のバットからクリーンヒットが出るようになった。8−2。これはわからんぞ。そのあと、試合は落ち着いた。結局9−2の7回コールドだったらしい(最後まで見てないから)けど、3回以降は、序盤に感じた力の差が嘘とちゃうかと思うくらい、普通の試合だった。若干だけど、高志が押していたような気もする。この試合で、私と友人(特に友人の方)の目を引いたのは、敦賀気比のショート・上畑選手。足も速いし、なんか守備が柔軟というか動きが柔らかくて、「うまいなあ」と思った。まだ2年生。出身中学は浜甲子園。家のすぐ近くの球場で野球をするため、遠く福井の地でがんばっている。なんか、応援というか、見守りたくなるじゃないですか。


 福井の高校野球を見るようになって、もうすぐ1年。特に嶺南中心のため、嶺南5校(敦賀、敦賀気比、敦賀工業、美方、若狭)には、もう何度も見ている選手もいて、それはそれで楽しい。

 『ベースボール倶楽部』の掲示板でたっちゃんさんが、京都の高校をどれだけ見たかを書き込まれていたが、私は福井の高校をどれだけ見ただろう。

 敦賀、敦賀工業、敦賀気比、美方、若狭、福井、福井商業、鯖江、大野、高志、三国、福井工専、福井農林、足羽。

 ざっと14校。福井の参加校は全29校。こんな調子で見に行ってると、全参加校観戦も夢じゃないかもしれない?!



2003年04月28日(月)
いいバッター


 「あのキャッチャーは、あまりいいとは言えないね。」
 ある日、一緒に野球を見ていた人がふとそうつぶやいた。彼の目線の先のキャッチャーは、ワンバウンドでミットに納めたボールをそのままピッチャーに投げ返した。「いいキャッチャーはね、ああいうときにはボールをユニフォームで拭いたり、手でこすったりしてから返すんだ。ワンバウンドしたんだから、土がついて汚れてるでしょ。そういう何気ないところに気がいくのがいいキャッチャーなんだよ」。

 今日、西京極球場で大学野球を見ていた。関西六大学のリーグ戦。カードは龍谷大ー京都産業大学。試合の終盤、龍谷の代わったばかりのピッチャー・柳瀬はやや制球力の欠いている感があった。カウント2−1からの4球目は、逆球だったのか、キャッチャー・古里はボールを後逸させないように抑えるのが精一杯で、前のめりに倒れ込んだ。もとの姿勢に戻るのにちょっと時間がかかった。

 その状況を見ていた京産のバッター・瀧本は、古里の死角に落ちてたボールを見つけて拾い上げた。「キャッチャーに渡してあげるのかな」。そう思って、彼の手に握られているボールを見つめていた。しかし、そのボールは、ユニフォームの太股の部分で土を払われたあと、ピッチャー・柳瀬に返球された。

 試合は何事もなかったかのように再開された。彼はいいバッターなのかな。ふとそう思った。気づいたら、彼は一塁キャンパスに立っていた。



2003年04月27日(日)
嗚呼、憧れのウインドブレーカー


 何年か前から、ウインドブレーカーたるものに憧れている。野球の試合とかでも、ウインドブレーカーを来てくるお父さんがいる。今日行った居酒屋でも、ウインドブレーカーを見た兄ちゃんがふらりとやって来た。かっこいいなと思う。着ている人の顔とかがどうでもいい。とにかく、その格好がかっこいいのだ。

 スポーツを見ることはあっても、することは無縁な私がウインドブレーカーなんか着てもいいんだろうかという思いもなきにしもあらずだが、あれを着て、シュシュといわして歩いてみたい。

 いくらくらいするんやろと近所のスポーツ店に足を踏み入れた。そこはディスカウントの店で流行のすたったものを安く置いてるが、それでも1万円を割ることはなかった。ユニクロご用達の私にとっては1着に1万円以上の金を出すのはかなりの抵抗がある。それに、その抵抗を払拭出来るほど意に叶ったものがそこのはなかった。一方、偶然通りかかった店の店頭に、ウインドブレーカー上下で980円よいうものもあった。安い。でも、手が出なかった。素材が薄かった。私の中のウインドブレーカーのイメージは、分厚くてゆったりしているというものだから。

 ここまで着たら納得できるものをとことん探すしかないかなと思っている。今は暑さに向かっている時期だが、11月に入ると寒くなる。今年こそウインドブレーカーデビューを果たしたいなと思う。自分で言うのは何やけど、わりと似合うやろうと思うし(笑)。



2003年04月26日(土)
ビューティフル・レインボーの後始末


 応援に一番燃えていた学生時代、阪神は弱小をきわめていた。当然観客も少ない。そんな中好き放題していた私にとって、甲子園球場3万人以上の入りはテンションを下げる。いろんなことがしんどい。スーパーでごはんや酒を買うときの混雑さ、チケットを買うために並ぶ暑苦しさとじれったさ、外野で席を探すうざったさに階段を上るしんどさ(年やんか)、トイレに行くときには一体何人の人に「すんまんせん」と言わねばならないか。

 そんなわけで、試合が始まる頃にはかなり疲れてしまっている。ああ、帰りたい、なんて思ってしまうのだ。みんなが同じようにたたくメガフォン、自分もその一員のくせに、「同じことして何が楽しいんやろ」などと思ってしまう。グランドにいる選手は遠い。私らが一生働いても稼ぎきれないお金をもらっている人たちをなんで応援しなあかんのやろ。応援して欲しいのはこっちの方やわ。光景が色褪せていく。

 その光景の再び色が戻ってきたのは、7回裏のことだった。ラッキーセブン。恒例のジェット風船である。赤、黄、青、緑、オレンジ、最近は白もある。ピューという音と共におびただしい量の風船が空へ向かう。ときたま、側にいる甲子園慣れしていない観客が、その光景を写真に納めているが、気持ち、わからなくもない。その風船を見たとき、「ああ、観客が多い方が(風船が飛ぶ光景は)きれいやねんな」と思った。

 「前田が拾ってんぞ」
 そんな光景にしばらく見とれていると、横で相方の声がした。何かと思って、目線を相方に合わせるとレフト後方に散らばったジェット風船の残骸を球団職員とともに腰をかがめて拾っている広島の前田選手の姿が。え、こんなことをする選手だっけ?私は驚きや喜びより、まず戸惑いを感じた。でも、いい物が見れた気がしてやっぱり嬉しかった。

 それに気付いている人は少なかった。少なくとも私の周りにはいなかった。ごく少数の阪神ファンと広島ファンは、各々に「前田コール」を始めた。でも、それもすぐに終わる。処理のキリがある程度ついたと判断した球審がプレーボールの合図をしたからだ。前田選手は何事もなかったかのように、いきなり襲ってきたレフト前ヒットの打球を処理していた。あのシーンは現実だったんだろうか。一瞬に自分の前を疑ってしまった。

 それにしても、前田選手にはファンを萎縮というか一歩引かせる不思議な雰囲気がある。それはマスコミなどが作り上げてしまった彼のイメージなのかもしれないけれど。



2003年04月25日(金)
そう言えば、現役野球選手と話をしたのは初めてだ


 東京2日目、今日の塾も受講する。夜まで時間があるので、東大の練習を見に、同大学農学部構内にある球場まで足を運んだ。事務所のアシスタントの人が、事前に「こういう人が来るから」と部員に連絡してくれていたため、鬱蒼とした外野フェンス越しで見ていると、練習のキリがついた部員がわざわざこちらに来て、「あ、どうも、塾の方ですか?中に入って見てもらってもいいですよ」と丁寧の応対してくれた。いやはや、恐縮。

 どうにかこうにかネット裏にあるコンクリートで出来たスタンドにたどり着いた。大学野球の練習は初めて見るが、高校の練習と根本的には変わらないんだなと思った。ノックにフリーバッティングに、ランナーを置いた守備の連携プレーに、走塁…。レベルは違んだろうけど、何年も野球をしている選手たちは、何年も同じことを繰り返しているんだな。それでも、出来ないことがあるんだな、などと考えてしみじみしてしまった。

 夕方、練習が終盤にさしかかったころ、部員がネット裏スタンドにやってきた。私の横で同じように練習を見ていた男性に用事があったみたい。その男性と彼が話を始めた。話題はやっぱり野球のことなんだけど。決して私は会話に入ってたわけじゃないんだけど、不思議と口を挟める雰囲気があった。

 話題は、彼が昔メキシコにいたということに及んでいた。「メキシコの言葉って英語ですよね?!」、私はさも当然のように言った。すると、彼はちょっと笑いながら、「いえ、スペイン語ですよ」。マジでぇ〜。最高学府の人の前でアホをさらしてしまった…(^^;)。

 後ですみちゃんに聞くと、「え、自分、そんなんも知らんかったん?」と言われた。うそん。だって、アメリカの下にあるんやろ?メキシコって。



2003年04月24日(木)
女一人、山梨グランド巡りの旅


☆日本航空高校☆

 甲府から長野方面に向かって2つ目の「塩崎」駅が最寄り駅。駅付近の《野鳥がさえずる緑とふれあいの双葉町》と書いてあったが、まさにその通りで、鳥の鳴き声がしっくり町にとけ込んでいた。

 駅からは15分ほど歩くと、日本航空学園の構内に着く。敷地はとにかく広い。でもって、まだ構内を広げるようで周辺をダンプカーが往来していた。生徒が住んでいるであろうベランダの手すりが緑色のマンションみたな寮や、滑走路、消防車…普通の学校ではまず見かけないものがいたるところにあった。訪問当時はまだ授業中で、作業着みたいな青いつなぎの服を着た生徒をちらほら見た。構内はすごく静かだった。

 グランドは構内の端にあり、全体から占める割合からすれば、決して広いとは言えなかった。ネットで区切られてはいるが、他の部活動と共用。(でも、野球部が占める割合は圧倒的に大きいんだけど)

 グランドのすぐ横には川が流れている。洲が出来ている程の広い川で、ゴォーという激しい音をたてて流れていて、ちょっと怖かった。一三塁にはベンチがあった。緑色で木製も、ほんまに“ベンチ”。多くの学校にあるのは、ブルーのプラスティック製(?)のものなんだけど。一塁ダグアウトの横には、学校の教室にあった後の黒板のようなスコアボードと、観客用と思われるベンチがあった。

 階段を下りるとグランドに入りことが出来る。三塁側には大きな室内練習場らしきものがあって、その前には《航空球児栄光の歴史(軌跡だったかな?)》と題されたモニュメントがあった。お偉方の言葉を彫り込んだプレートや歴代甲子園出場チームのメンバーの名前が刻まれたプレートがデカデカと掲げられていた。

 ゴォーという川の音は、グランド前に降りたってみると、不思議と耳に入らなかった。


 ☆市川高校☆

 市川大門町と言えば、『花火に、和紙に、なんと言っても樋渡!』(友人メールより)。というわけで、今日のメイン、市川高校グランドへ。
 
 甲府から身延線で約30分、「市川本町」で降りる。周辺は、高い建物がほとんどない穏やかな町(当日は選挙のマイクがうるさかったけど)。野球部が甲子園に出ると、ここに応援バスが100台集結するというのだが、さぞ壮絶な光景だろうなと思う。

 市川高校は、駅から徒歩10分強、町役場に隣接した形である。訪問したときは、ちょうど授業が終わったばかりだったようで、放課後にある委員会の招集の放送が聞こえてきた。

 グランドは学校内にある。他のクラブと共用。ちょっと変形だったが、野球部はその中でも一番いいところを一番広く使っていた。照明灯があり、黒土が敷き詰められていた、ネット裏には木が数本植えてあった、ちょっと日よけにもならないんだけど。グランドのすぐ側にはプレハブで出来た部室らしき場所に、遠くから見てもわかる程デカデカと、「第○○回選手権大会出場」とか「第××回選抜大会出場」と書かれた看板が立て替えられていた。めっちゃ目立ってた。

 グランドの周りを囲むように小さな路地があった。車がすれ違えないほど狭いけれど、フェンス前にへばりつけば、車を気にすることなく、心おきなく練習を見ることが出来る。当日は私の他にも地元の方が何人かふらりとやってきて、練習を見ていた。

 放課後、まだ誰もいないグランドに一番最初に来たのは、真っ白い練習ユニフォームを着た野球部員。グランドに入る一歩手前で、立ち止まり、「ちわっす!」と言って深く一礼。静かなグランドに彼の声だけが響き渡った。ああ、練習はここから始まるんだ。まもなく、部員が次々集まってきて、皆一様にグランドに挨拶して、入っていく。

 道具の準備や軽いウォームアップをしていると、甲子園でもよく見た真っ白いグランドコートを着た監督さんが入ってきた。監督は、一塁側ダグアウト側に置いてあった椅子に腰掛けた。すると、部員はそれまでの作業を中断して、すばやく監督の側にかけより、「ちわっす」とか「おねがいしまっす」と言って一礼する。まるで順番が決まっているかのようなタイミングで1人ずつ挨拶する。グランドに礼をしたときの心地いい緊張感とはまた違うものを感じた。

 練習が始まると、隣にいた車いすのおじいさんとお話をさせてもらった。私が樋渡投手と同世代だと言うと、「なんだ、そんな年なのか。」と独り言のように何度もつぶやいてた。おじいさんは、私に一体何の期待をしてたのだろう?



2003年04月23日(水)
再び…のコンビニエンスストア


 今日は珍しく滋賀県内のコンビニで仕事をした。実は、午後の現場は一度来たことがある。それは8月14日のことだ。

 当日、相方と恒例の郡上八幡ツアーに出るため一号線を走っていた。この日は、朝早めに起きて地元のコンビニで新聞を買い占めるつもりだった。ところが、起きれなくて、相方の車が待ち合わせ場所に着いたときには、化粧すらしていない有様(っていうか、最近、してないなあ、化粧…(^_^;))。

 なんとか立ち寄ってもらったコンビニが、今日の現場だった。入り口に置いてあった新聞を可能な限り購入。積み上げられたスポーツ新聞に店の人が異様な目で見ていた。車に戻って、記事をチェックしたら、「光泉、今日試合、帝京(東東京と)」とか書いてあった。しもた、ここは滋賀県やったんや(汗)。時すでに遅し、相方カーは渋滞の中、黙々と岐阜方面に向かっていた。今更、「京都に戻って」とは言いづらいしな。

 やっぱり私はアホやってんな。いつだって。



2003年04月22日(火)
どうしても思い出せないグランド


 一度消したファイルもバックアップされていて,復元できることを最近知った。そのため、「いつまで工事中やねん」というクレームがついたHPの更新にも精が出るってなもので(やっぱ。いくらコピーがあるからとはいえ、もう一度最初から打ち込むのはしんどい)。

 グランド日記、アップ出来そうなものが約50ほどある。でも、実際行ったグランドはもう少しある。本当は全部書くつもりだったのだが、無理矢理書くのどうかと思い、訪問したものの日記にしないグランドもいくつかある。

 その中でも、なんで思い出せないんだろうとすごく歯がゆくなるグランドがある。京都の田辺高校だ。数年前、春季大会や秋季大会で頻繁に東山の試合の会場となり、わりと短期間の間に何度か足を運んだ。ところが何故か思い出せない。どんなグランドだったのだろう。1回しか行っていないのならわかる。でも、何度も行ってるはずなのに、なんで?よほど印象に残らないグランドだったのか?それとも、そこで繰り広げられた試合がよほど強烈だったのか?う〜ん、心当たりなし。

 覚えているのは、グランドのすぐ裏に川が流れていたこと、駅から近いこと。そして、試合後ともきちが正門付近の建物の前で「夜飲み会やし、足が臭いとイヤやから」と言って、パンスト越しにスプレーをかけけたことくらいだ。そんなんやったら、グランドにサンダル(当時、ミュールという言葉は使われていなかったはず)で来んなよ。というツッコミをぐっと飲み込んでいたっけ?

 そうや、これや。この強烈さがグランドの記憶を消したんや。



2003年04月21日(月)
私の所要時間と彼女の所要時間と


 大学野球を見ているという知人から、メールが来た。「大学野球って試合時間が長く疲れた」みたいな主旨のことが書いてあった。所要時間は3時間とか3時間半とかそんな感じ。そういやそうかな?私も何度か大学野球を見ているが、あんまり「長いなあ」と思った記憶がない。

 よくよく話を聞いてみると、彼女がずっと見てきたチームの試合所要時間はすごく短かったようだ。好投手を擁するチームで、そのピッチャーの投球テンポがよかったとかで、平均1時間半。これには私も目をむいた。そ、そんな試合見たことないっ。だって、私が見ているチームの試合って3時間ザラやもん。父兄さんの中は、「どうせ今日も長いんやろから」と最初から決めてかかっている人もいる。私も次に予定を入れるときはやっぱり3時間で計算してる。だから、3時間かかる大学野球を見ても、長いとは感じなかったのかもしれない。

 彼女にしてみたら、2試合を立て続けに見せられているような感覚。どんなに野球好きでもしんどいと思う。1時間半の試合を見続けた彼女と、3時間の試合を見続けてきた私。野球観とか違ってて当たり前だと思った。

 余談だけど、彼女が見てたチームと私が見ているチームが練習試合をしたら、所要時間は果たしてどれくらいかかっただろう。微分積分でも解けない謎??



2003年04月20日(日)
夏の落とし物


 ある夏、球場で落とし物を拾った。それは野球部の選手証。ちょっと丈夫な紙で出来ていて、大体4×5センチ程度のものだった。おそらくそれを持っていると試合とかも無料で見れたり、何かの集まりのときに見せたりするのだろう。

 持ち主の名前が直筆で書いてあった。どうやら女子マネージャーのようだ。試合が始まるまで時間があったので、受付をしている子に「落とし物です」と言って預かってもらうことにした。

 彼女の学校が前の試合で負けていたことを知ったのは、次の試合が始まってスコアボードを見てからだった。



2003年04月19日(土)
ここは桑名?四日市?


 ドライブ。当てもなく走る。相方が言う。「なあ、桑名ってどこ?」。目の前の看板に書いてあったようだ。せやから、そんなん私に聞いたらどうなるかわかってるやろ?「桑名西高校のあるところやで」。ご愁傷様、あと数十キロ走ってください…。

 関西版マップルとJ−Naviでは、学校探しも苦戦するのが当然。それなりにメドをつけて、ナビ役を務めるが、気付けば四日市市に入っている。なかなかたどり着かないことにちょっと苛ついた相方は、「そもそも桑名やっちゅーのに四日市を走ってるのはおかしいんやって」。でも、昔桑名西がセンバツに出たときの学校紹介で、グランドは四日市市にあると書いてあった。だから、市と市の境に学校があることもあり得ると説得したものの、彼は腑に落ちない表情だった。

 結局、付近のコンビニで地図を見て、私の説明が正解であったことが発覚。山道に入り、傾斜のきつい坂を越えるとほどなく、桑名西高校と書かれた看板が出てきた。左折して、本道よりちょっと幅の狭い道に入る。学校側が掲げた「対向車・生徒に注意」をいう看板が目をひいた。

 ほんまに山の中にある学校で、そこには学校以外何もなかった。周りには山の地肌が見え、切り開いて作られたのがよくわかる。グランドは立地条件のわりには広くなかった。でも、野球部は専用のグランドを持っていた。左翼90m、中堅115m、右翼94mとちょっと変形的だが、試合はばっちり出来る。内野は黒土ではなく茶色い土だった。外野の土と色が似ていて、内野と外野の境がぼかし絵のように曖昧になっていた。これだけのグランドではちょっと珍しい光景だ。

 私は舗装されていない土と砂利の道を歩いて外野側に出た。すると目の前にスコアボードの背中が。よく見てみるよ、やっぱりあったか、『第66回センバツ大会出場ベスト4進出記念』の文字。付近にはコンクリートのブロックで作られた観客席と何故か数カ所に小石が並べられていた。得点計算でもしてたのかな。

 レフト付近にははしごが掛けられていた。遠目で見ただけだが、体の大きな選手が登ったらちょっと心配。これはきっと、フェンスを越えてしまったボールを拾いに行くためのワープゾーンなんだろう。

 ネット裏では練習を終えた部員たちが談笑していた。伝統校によく見かける緑のペンキが塗られた木のスタンド。でも、他校で見たそれよりも半分くらいの幅だった。しばらくすると、部員の陽気な歌声が聞こえてきた。♪ひっぱれ〜 ひっぱれ〜 レフトへ ひっぱれ〜

 帰り、桑名側から同校に入ることを試みた。すると、たくさんの看板が出ていた。やっぱし、桑名の学校やからかな?



2003年04月18日(金)
遠征が好き。


 別の高校の追っかけをしている人と話す機会がありました。共通項は、「遠征が一番楽しい。野球見ているって感じがするから」。わかる、わかると思わずうなずいてしまいました。

 甲子園はともかく、夏の地方大会なんて完璧に野球じゃないです。何か違うものです。高校生の人生、先がまだまだ長いことくらいわかっているのに、何故そこまで力入れてみてしまうのでしょう。あまりの緊迫感に、試合の内容とか覚えていなかったりします。その点、練習試合はいいです。相手選手のファインプレーに素直に拍手を送ることもできれば、注目してもいいのです。それになんてったて入場料は無料ですし。

 で、遠征だと更にいいのです。単純に旅好きというのもあるのですが、人が少ないからです。だから、辺鄙な場所であればあるほど燃えますね。ビバ、アホな自分、みたいな。それに、独特の遠征テンションというのがあって、普段は話もしない父兄さんでも話がしやすい雰囲気になります。そして、こういうときに心のアンテナにひっかかる話が拾えたりします。

 公式戦とか地元での試合はやはり人が多いです。今年は特に。それはそれで嬉しいことなのですが、そんな人たちの話し声が聞こえてきます。そこらへんの女子高生がすっごく詳しかったりします。決して短いとはいえない年月、東山を見てきたのに知らなかったことです。やっぱり、選手と同世代の子、友達、彼女、家族にはかないません。別にそんなことで勝負する気は更々ないのですが、やはり心のどこかでまだ振り切れていないようです。早くともきちみたいにこだわりをゼロにしたい。情報より自分が見聞きした物事に価値があると、知るのではなく、分かりたい。遠征はそんな自分から解き放たれる数少ない場所です。だから、私は遠征が好き。やっぱし、マイナス思考やね、これって。

追伸:最近、東山活動に加勢している相方くんも遠征好きなんだそうです。っていうか、あの人は辺鄙な場所専門ですからな。なんか、山科グランドへは行かないと宣言してました。私の最終目標は、「夏の京都大会には行かない」と宣言できる人間になることです。



2003年04月16日(水)
今日の野球な出来事3


☆だ、だめ、それだけはっ!

 仕事場で突然、『願いの詩』とか流れてくるのは勘弁して欲しい。うっ、パ、パ、パンドラの箱がぁ…ってな具合になるので。ご存じ、この曲は昨夏の甲子園のテーマソング。高校野球ファンなら一度や二度は耳にされたことでしょう。いや、そこに夏の想い出を凝縮している方もいらっしゃるかもしれません。私も例外ではなく、ここ数年はそうでもないのですが、甲子園関連の曲はレンタルしたり買ったりして手に入れて、よく聞いています。もちろんこの曲もレンタルしました。何度も聴きました。カラオケでも歌いました。ところが、あるとき突然、体ごとこの曲を拒否する自分になってしまったのです。この曲が入っているMDでも意識的にこの曲を避けて聴いています。他の曲ではこんな現象起こらなかったのに…。やっぱり、私が“大人という抜け殻”だからでしょうか?

☆せやから、そんなことしたらあかんよて。

 ついにコンビニで、ユニフォームを着た球児に遭遇。と言っても中学生だったのですが。膝元とかちょっと汚れてたから練習帰りだと思います。何を買ったかよくわからなかったのですが、お菓子コーナーにずっといました。「ありがとうございました〜」、店の人の声に見送られ彼は出ていったのですが、そのあとがいけない。こともあろうか、まだ店の人の視界から消えきっていない場所で、ペッっとつばを吐くではありませんか!かなり器用だったので、もう習慣化していることなのでしょう。昔、自転車で通り過ぎた中学生のヤンキーが吐いたツバが肩口にかかったことがあります。ものすごい辱めというか侮辱感に震えたと同時に、やっぱり「ばっちぃなあ」と思いました。そんなことをしてはいけません。そのまま高校で野球部に入ったら、喫煙を疑われます。下手すると話を大きくされて…ということにもなりかねません。ツバを吐くって、恥ずかしいことじゃないんですかねえ?若者の心理がわかりません。

☆市川(山梨)高校に行きたいっ!

 と、つい1時間ほど前に思いつき、日記をほったらかしてさっきまで色々調べていました。せっかく東京に頻繁に行く機会があるんだから、がんばって手を伸ばせば夢じゃない場所。他にも近くて便利なところはあったのですが、一度思いこむと妥協できなくなって、「市川高校に行ってナンボやねん」などと思っている次第です。市川高校といわば、ミラクル市川。当時はそれほど熱心に見てはいなかったのですが、月日が経った今、自分が高校生だったころに強かった学校をこの目で見ておくのも悪くないかなと思いまして。それに、山梨にはまだ行ったことないんですよ。こういう風に無理無理にでも機会を作らないと一生行かないような気もして。とかく、生まれたばかりの企画。どういう形になるかわかりませんが、実現させてみせます。



2003年04月15日(火)
アルプスの少女


 中学3年のとき、すごくくだらないことで志望校を変更した。その日まで、私の志望校は、疑う余地もなく京都西(現京都外大西)だった。そこで英語を勉強して、京都外大に行くのが自分の道だと思っていた(ばかだねえ〜)。

 ところが、願書を出す直前に体育館で志望校別での集まりがあった。同じ高校を受験する人を集めて、いろんな説明をするという今考えればくだらん企画だ。ま、それはそれでいいのだが、聞くところによると、西高の女子の受験生はすごく少ないらしく、もしかしたらいないかもしれないというのだ。女の中に男が一人。恐ろしい事態だ。今でこそ、女だらけの中にいる方が恐ろしいのだが、当時は大の男嫌いで、それは一種の恐怖症でもあった。そんな私が集まりに顔を出せるはずもなく、そこへ行くことをすっぽかしたことで、「やっぱり女子校にしよう」と思い、担任先生の勧めてもらった学校(今は母校)を受験することにしたのだ。

 もし、あの日あのとき、集会がなければ、女子の受験生がいないかもしれないというガセかもしれないネタを耳にしていなければ、まず間違いなく西高に行っていただろう。その後、野球部は2年連続夏の甲子園に出場。イコール2年連続アルプスの少女だったわけだ。一高校野球ファンとしてはかけがえのない経験ができたわけで。

 でも、一般生徒やと、名簿順か背の順かわからんけど、そんなんで並んで見なければいけないはずで。この性格から当然クラスの人とはうち解けられていないはずだし、好きでもない人と並んで野球を見る。応援とかしなあかん。拷問や。ま、もしかしたら、独特のアルプステンションでそのときだけは一致団結という寒々しい体験が出来たかもしれないんだけど。そして、TVに映ったりとしたかもしれん。あ、でも、カメラマンは可愛い子、絵になる子を狙って撮っているらしいから、それはないわな。

 結局、地元の女子校に進んだ私はともきちと再会し、東山を応援するようになった。夏は2年連続西高に阻まれた。3年の夏負けたときは、帰りのバスを途中で降りて、未練たらしくふる雨の中、「西高のアホ〜」(ごめんなさい…)などと叫ぶ敵対関係を形成してしまった。夏の甲子園、開幕戦を佐野日大のアルプスから見ていた。向かいは西高アルプス。そのときふと、向こう側にいたのかもしれない自分を思った。どっちが正解だったのだろうなどと考えた。十年たった今なら、「歩いてきた道が正解なんやで」と言えるのだけど。



2003年04月14日(月)
それはちょっといかんぜよ


 昨日の春季大会の結果が、今朝の新聞出ていた。大半の試合がランニングスコアとバッテリーの名前しか載らない無愛想な記事の中、ありがたいことに東山の試合には簡単な文章がついていた。

 ただ、9−0の7回コールドだからって、いとも簡単に圧勝って書いてしまうのはどうだろう。試合見てたけど、ちょっとも圧勝って感じなかったし、相手校ナインの表情見ても、「完敗やわ」なんて感じではなかった。新聞という多様なニュースを扱う中、京都の高校野球のそれも1回戦。ものすごく小さい出来事。おそらく記者は会場に来て見ていない。別にそれは責めない。仕方ないことだと思うし、だからこその観戦冥利とかってある。でも、もし試合を見ていて“圧勝”と書いていたのなら、マジでちょっとヤバイと思う。

 9−0の接戦もあれば、1−0の圧勝もある。それを伝えられてこそ、現場に足を運んだ観戦記なんじゃないかなあ。難しいんだけど。



2003年04月13日(日)
春季大会だったのです!


 ひっさしぶりの公式戦は城陽と。北野白梅町にある洛星高グランドで行われました。結果こそ9−0、7回コールドですが。内容的には、う〜ん(-_-)といった感じ。相手の方がクリーンヒットとか出てたし。ま、東山はいつもこんな感じなので、いっかって思っています。とかく公式戦初勝利、おめでとうです!現チームになってからスコアをつけていないのですが、ずっと練習とかを見ていたのとグランドが見やすかったこともあり、アナウンスなしでも誰かわかった自分万歳っ。

 ヒットはそれほど打っていないのですが、四球やエラーで出たランナーを機動力を活かし得点することが出来ました。相手のピッチャーはいいカーブを持っていましたが、ゆったりしたフォームだったので、盗塁しやすかったのかな?城陽では、サードとショートの選手の坊主頭がなんとも言えず可愛かったです。なぜなぜしたいっ。あと、まだ春にもなりきれていないのに、早くも日焼けしたキャッチャーやホンマに真上からちょっとぎごちなく投げていた先発投手が印象的。

 来週はいよいよ外大西戦。ひえ〜。でも楽しみだあ。今日いただいた読者の方からのメールにありました。「現在の力を試すのには格好の相手ですね。勝っても負けても、自分たちの力を出すことをまず目標にがんばって欲しいですね」。ホンマ、その通りだと思います。

<一応今日出たメンバー(あるこ推定)> 敬称略

投手・木村 捕手・渡邊 一塁・森永 二塁・那谷 三塁・井上 遊撃・北山→原田 左翼・安田 中堅・高橋 右翼・今堀 代打・河原 代走・西川




2003年04月12日(土)
今日の野球な出来事2


☆来年も来まぁ〜す

 今日、天気が良かったら、三方・美浜両町長杯が行われる予定だった。美浜町公園広場野球場はすぐ近くに三方五湖が迫っている。まさに「三方五湖に向かって打て!」ってな感じになっている(の?)。この大会を観戦したら、嶺南の地域大会を制覇したのだが、今回は雨で中止。また来年来いということですね。来ますとも、来てみせますとも美浜町!その後、友人と場所を変え、店を変え、繰り広げられる野球トーク。カーコンポからは終始西浦達雄。グランドに行きたいなという話で盛り上がった。夏あたりに行ってみたいな。温泉とかにも行けたらいいね。訪問候補地:松山商業、星稜。両方甲子園に出たら?どうしよう。やっぱし、練習みたいしなあ。

☆明日は公式戦

 本屋で『報知高校野球』を立ち読み。昨年甲子園に出た選手の進路が掲載されていた。ここで東山の卒業生の正式な進路を知る。私の知ってる限り、野球を続けてるのは4人。彼らを含めて、みんな今頃新しいスタートを切っている。地元の大学に進む子、遠く離れた地方での生活を始めている子、そしてこれからの進路を探している子。新しい場所でも素晴らしいゴールが待っていますように。
 後輩達は明日現チーム初の公式戦に挑む。まだ実感がないけど、秋と冬が長かったような短かったような、いや長かったような…

 ☆浪速・小林監督が

 ライター塾に来られてたらしい。すみちゃんから聞いた。一期ではそんな特別ゲストは来なかったぞっ。一番最初っていろんなことが決まってなくて段取りとかもてんてこまいで、うまくことが進まない場合がある。同じ塾ながら、内容が充実するのはそれ以降だと思う。でも、一期生っていい。なんかパイオニアって感じがするから。そういやダウンタウンもNSCの一期生だった。
 「自分、損したな」とすみちゃんに言われた。そうかもしれない。多分、この先お会いする機会は…ない、かも。監督、東山と練習試合してください!頼んますっ。



2003年04月11日(金)
今日の野球な出来事


☆ネット友からのメールに、脳汁放出!

 一昨日、我らが東山OB・山下くん(龍谷大)がスタメンマスクをかぶったのだと聞いた。99年ミラクル東山を支えたキャプテン。この年は4人の投手の(苦肉の策の??)継投で夏の京都大会を勝ち上がったのだが、なななんとその継投のタイミングを任されていたのが彼!(新聞で知ったんだけどさ(^_^;))。大学進学にあたって、お母さんは「4年生になって試合に出れたらいいわ」とおしゃっていた。が、大学野球は、よほど力の差がない限り下級生を使うという傾向にある。来年につなげるためだとか。下級生のときは、上級生。上級生になったら下級生がマスクをかぶるという厳しい現実。龍大の試合自体は何度か見ている。彼はいつもブルペンにいた。杉山投手の球も受けていた。植投手のも受けていたはず。秋のリーグ戦。これに勝ったら優勝争いが出来るという大事なゲーム。延長15回、エラーが絡んでサヨナラ負け。サードベース付近でうずくまっていたピッチャーに真っ先に駆け寄ったのが彼だった。ふとそんなことを思い出した。早いなあ、あれからもう4年か。西京極とか行こうかな。やっぱし1回くらい試合に出てる山下くんを見ておきたいし。

☆野球部史。ゲットだぜっ!

 仕事中、長老(命名者・相方。これ、見てはったら怒られるで)から電話が入っていた。ご丁寧に東山の試合のお知らせだった。そして、お願いしていた野球部史の手配もしてくれるとのこと。東山は、今年で創部100周年。これを機に野球部史を作ったらしく。これは、手にいれておきべきアイテムやろと思い、お願いしてたのです。値段、高そうだから、ともきちと2人で1冊になるかもしれんけど。

☆某K高校球児、コンビニに現る!

 いつかこんな日がくるだろうと思ってたけど。ついにやってきました。部活前なのか部活後かわからないけど、とにかく野球部員が現場であるコンビニに。(もっとも仕事が終わるのが遅かったからというのもある。トホホ)ポケ菓子用の小さなかごを持っていたのが、アンバランスでなんともかわいらしかったです。2人で来てて、1人は買い物、1人は携帯メールに夢中でした。カバンは持ってませんでした。重いのか、めんどくさいのか、いっそ盗まれてしまいたいのか(苦笑)…。2人は結構長居してました。お茶とかお菓子を買って、店を出ていきました。オーナーのおじいちゃんと面識があるらしく、なんとかかんとかしゃべっていました。コンビニって、冷たいとかいうかマニュアルというか、客とのアットホームな交流がなさそうなイメージがあるのだけど、この仕事始めて、案外そうでもないんだと思う。店の人と中高生が話しているところをわりと見受ける。「テストどうやった?」「最悪やわあ」とか、「卒業、おめでとう」「ありがとー」といった感じの。日本もまだまだ捨てたもんじゃない。



2003年04月10日(木)
同点なんて絶対いやだっ!!


 高校野球の季節、母はよくこう口にする。
 「がんばってるんやから、両方勝たせてあげたい」。

 そうか?それって、蛇の生殺しやない?引き分け再試合や雨天ノーゲームや雨天コールドなどの基準やその後の試合の進め方には大いに不満があるけど、(6表一死で試合が出来なくなったら、そっからやればいいし、引き分け再試合やったら、後日16回からやって点が入れば勝ちでええんちゃうの?)結局は勝ち負けははっきりしてる。私はそういうところが好きだ。一生懸命がんばっているからこそ、勝ち負けを納得できる形ではっきりつけてあげて欲しいと思う。

 少なくとも私はそうだ。私は野球と違って文章。勝ち負けもない。でも、私が誰かと同等の評価なら、私は自分がその人よりも評価されていないのだとみなす。自分の位置が欲しい。誰とも共有したくない。だから、「あの人と同じくらいうまい」と言われるくらいなら、「お前ほど下手なヤツはいない」と言われた方がいいなあ。



2003年04月08日(火)
4月8日の日記


 昨日の日記、『明日になったら書けるかも』などどほざいていたら、今日、めっちゃ凹ミングでとても昨日予告した内容の日記など書けない精神状態に…。あ〜あ、言葉の神様とか文章の神様を怒らせてしまったみたいです。

 今日は、珍しく神戸で仕事でした。現地までは阪急電車で移動。時折通り過ぎる線路沿いの桜並木には、満開の花。雨が降ってしっとり濡れているのも何ともオツな感じでした。

 せっかく神戸に来たのに、昼ご飯はマクド(ダブルバーガーよ、カムバァ〜〜〜クッ!!)。時間がないし、めっちゃ雨が降ってたので移動が辛かったんです。でも、昼過ぎにはあっさり止みました。

 今日は、甲子園開幕戦です。私的には今日がプロ野球の開幕です。今日のために会社を早引きするという相方からメール。『今日は1人で甲子園に行くことになりました』。幸い、現場は三宮。その気になれば合流できたのだけど、仕事がのびのびになった上、ポケットの中には1000円札1枚。それに作業員ルックの現実。泣く泣く断念…。ごめんよ、相方ちゃん〜。まだ試合やってるかな?ビール、おいしく飲んでるかい?でも、君の酒の飲み方、いつ見てもまずそうなんだよなあ。



2003年04月07日(月)
4月7日の日記


 日に日にPCの動きが鈍くなり、いつ壊れるかハラハラしているあるこです、こんばんわ。(これも、「は」なんだよねえ)

 今日は(も?)お休み。朝10時に起き、11時からお昼ご飯をはさんで、日記やグランド日記の更新。そして、夕方から歯医者に行って、歯を白くしてもらってきました。で、案の定というか何というか虫歯が見つかり、「すぐに処置しないと、ある日突然歯がぼきっと折れるよ」と脅しをかけられ、まんまと商売の罠にはまってしまい、来週あたりから長い治療生活に入りそうです。金ないっちゅーに!とにかく今日は歯垢除去だけで勘弁してもらいました。(白い歯ってい〜いなぁ〜♪)歯科助手のお姉さんに歯の磨き方を教えてもらいました。今晩から実行です。ああ、めんどくさい(-_-)。

 夕食、シーフードピラフにグリーンピースが入っていたことに憤慨。一人とんこつラーメンにのりを入れたのを調理し、ストライキ。ああ、これが太るもと。食後は2階の姉の部屋にこもって『名探偵コナン』の劇場版を見る。この年になってコナンにすごくはまる。わりとワンパターンなんだけどね、好きやねんか。フィクションとはいえ、ヒロキくん、かわいそうやなあ。昔はこういうところから、小説を書き始めていた。なんか、かわいそうな役どころの子をせめて自分の文章の中でだけは幸せにしてあげたい、みたいな(苦笑)。今上映の映画もきっと来年にはやるはずや。待ってよっと。

 そんな生活の中、今日の日記、何を書こうかと考えた。とりあえず決まったのだけど、気分的に書けない、明日なら書ける気がする(なめとんか)。そんなわけで、今日は予告がてらに素日記でも書いてみました。この上から書かれる日記は、私がのどから手が出るほど欲しい資料は何か?という話です。

 明日は久々に仕事です。う〜ん、1,2,3…5日ぶりかな?ああ、雇用不安。それではおやすみなさい。



2003年04月06日(日)
こんにちわ。


 …と書くのは実は正しくないらしい。厳密に言えば、「こんにちは」というのは、「今日は」のひらがな表記だからだ。そういや、吉本でも、「こんにちはぁ〜」というギャグがあったっけ?関西人として、不覚だなあ…。

 とはいえ、私個人は、長年慣れ親しんだからか、「こんにちわ」の方がしっくりくる。なんか、愛嬌があるというか、かわいらしいというか。親しい人にはこの方が親近感を持ってくれるんじゃないかと勝手に思いこんでる。

 物書きを目指すにあたってのアドバイスを何人かの頂戴したのだが、やっぱり字や言葉を大切にするように言われた。正しい言葉を使う、きちんと意味を分かって使う、辞書を引く習慣をつける。(とはいえ、未だに誤字脱字の多い私…)

 ただ、私の中に、言葉の意味と同じくらい、文字が持つニュアンスやイメージに対する思いもある。確かに、正しくはないし、意味も違うんだけど、この方がイメージが持ちやすいとかリズム感がいいとか、きれいとか。ま、そんなことが世間に通用しないことくらいわかってはいるのだけど、「こんんちわ」は、当分捨てられそうにない。

 でも、スポーツにおいてはそうも言ってられない。
 たとえば、横綱の土俵入り。足を高くあげてきれいだと言われるけれど、実は足をそれほど上げないのが正しい形だという。それと連動して、ピッチャーのフォームがキレイという場合も、それが必ずしも正しいフォーム、体に負担をかけないフォームだとは限らない。文章を読んでいると、どうしても美しいこと=正しいことと読みとってしまいがちである。けど、それを見誤らないよう、書く場合も読む場合も気をつけないといけないなと思う。



2003年04月05日(土)
こんにちは、赤ちゃん 2


 友人は今、生後5ヶ月の女の子のお母さんである。先日、図々しくも彼女の家に1泊して24時間以上を一緒に過ごしたわけだが、おかあさんというのは、赤ちゃんを育てるというのはほんまに大変だと痛感した(だったら、帰れよ)。

 生後5ヶ月は、離乳食を始める時期らしく、その日はまさしく赤ちゃんの離乳食デビューの日。しかし、離乳食があれだけめんどくさいものとは思いませんでしたよ。1日スプーン1杯しか食べない赤ちゃんのために、わずかなご飯をグタグタに煮て、完全なのり状になるまで裏ごし。そして、その間も赤ちゃんは泣いて、「おしめかえて」だの、「おっぱい欲しい」だの、「かまって」だの、「ベットに頭ぶつけて痛い」だの…。全くおかんの体、なんぼあっても足りひんっちゅーねん。

 この日は私がいるのもあって、離乳食デビューはビデオにデジカメにカメラにばっちり納められました。幸い、直前にミルクをあげて機嫌が良かったのか、赤ちゃんは厭がる素振りもなく、無事初めての離乳食を“ごっくん”してくれた。ま、撮影者的には、「もうちょっともたついてくれた方が絵になったかな?」などと思ったりしたのだが。

 それにしても…。始めは1日1杯、3日後には2杯、そして、段々頻度、品目を増やし、硬さも調整し、普通にご飯が食べれるようになるまで約1年。ああ、気が遠くなる。人事だから、「さっさと食べればいいのに」と思うのだが、赤ちゃんのとっては一大事なわけで…。

 ブラウン管の向こうには高校球児(この日はまだセンバツがやってた)。がっちりした体格に、抜群の運動神経。でも、そんな彼らも、この離乳食の儀式を経ているのだと思うと不思議な感じがした。父兄さんは大変だと一重にいうけれど、さかのぼるところをさかのぼれば、結局ここまでたどり着く。

 試合を見ていると、時々おかあさんがスタンドで、「○○ちゃん、しっかり!」なんて声を張り上げている場面に出くわす。選手にとっては恥ずかしいこの上ないのかもしれないけど、それくらいで引くな、怒るな、白い目で見なやと思う。

★友人が言ってた。子供にとって、生まれてから1年半はすごく密度が濃い。だって、1人で何も出来ない状態から、歩いて、しゃべった、大人と同じ食べ物を口にして。そこまでたどり着くまでのたくさんの過程をたった1年半でこなすのだから。私はこの1年半で、一体何が変わったのだろか。そして、これからの1年半で何が変わるのだろうか。



2003年04月04日(金)
グランドの花


 今日は、東京からダイレクトで練習試合会場となる滋賀県内の某高校グランドへ。新幹線で西へ向かえば向かうほど、どんどん空は暗くなる。いやんなる。

 昼前にグランドに到着。試合はまだ始まっていないかったので、中には入りづらく、フェンスの前でウォーミングアップの様子を眺めていた。すると、目の前に正方形のプレートが規則的に掲げられているのに気付いた。「花も一生懸命生きています」「花を大切に」…。そんな類のことが書いてあった。足下を見ると、パンジーやらチューリップやら、小さいながら色鮮やかな花々がグランドの周りを囲むように植えられていた。前述したプレートは陸上部が書いたものだったので、おそらく陸上部が植え、管理しているものだと思われる。練習が終わったのか、彼女たちは、すぐ目の前で後かたづけをしていた。

 陸上と花?
 最初はピンと来なかった。でも、すぐに気付いた。高校スポーツは教育の一環。野球部が地元の駅や学校内を掃除したり、ボランティアをするように、ここの陸上部は花を育てているだろう。もちろん、ただの偽善行為ではなく、競技をする上で、自然を育むことが何らかの効果を生んでいるはず。事実、ここの陸上部は大きな大会に出場しているようだ。野球部では見かけなかった熱い言葉が書かれた横断幕が、なびく風に飛ばされないよう、フェンス前でふんばっていた。

 プレートのうちの一つ。
 「花が痛むので、サッカーボールとかは気をつけてください」
 大丈夫。グランドは広い。ここまでホームランを飛ばす選手はそうそういないし、サッカーゴールはグランドの遠くの方。それに、目の前のフェンスが花々を守ってくれている。



2003年04月03日(木)
距離感


 病は気からといいますが、気は病からでもあると思います。なんか体調がよくないのもあって、今日はテンションが正露丸のCMのパラシュート並に急降下していくのが自分でも手にとるようによくわかりました。

 ライター塾の2回目。今回は、今までで一番距離感を感じました。それは単純の京都ー東京間という距離の。地方にいるハンデ。それは最初から了承の上。「自分、がんばってんで」「金ないのにわざわざ東京で習い事なんて、アホちゃうか。これはいい笑いのネタになるわ」と、おめでたく捉えていたし、そんな自分の立場を楽しんでいました。なんかいるじゃないですか、心の片隅に自分応援談団とか私親衛隊みたいなのが。

 う〜ん、でも、さすがに今日はダメだったなあ。いろんなことを卑屈に捉えてしまいそうになるのを必死に抑えるので精一杯だった。ほんまやばかった。正直早く家に帰りたかった。でも、帰れない。ああ、距離感が憎い…。

 地方の人が東京に出てくる心境が、ちょっとだけわかった。私は地元にいる間に、他の塾生は事務所で仕事のお手伝いをしたり、いろんな話や情報を聞ける。別にしたいと思わないことでも、やっぱり焦る。講義中でも、「ああ、やっぱし、自分は場違いやねんなあ」と思うこと、ないと言えば嘘になる。

 でも、講義を受けるのを辞めたいとか、行くんじゃなかったとか、そういう事は思わない。なんか心のどこかで諦めてる。ここからはもう逃れられないだと。



2003年04月02日(水)
ごめん。


 今日は、練習試合を見に行くために太陽が丘(球場)に行く予定だった。そのために、前日太陽が丘の近くに住む友人宅に泊めてもらったのに、朝からどんよりした天気。雨がちらついていた。その上、女の子の日で起きてからずっと腰が痛かった。これから1週間近くは気分の晴れない日が続く。

 ああ、なんかしんどいと思った。行ったことない高校のグランドなら、たとえ雨で中止でも、行き甲斐があるってなもんだけど、くさるほど行ってる太陽が丘やしなあ。試合は見たいは見たいけど、駅からのバス、めっちゃ減ったし、その上中止やったらすっごくブルーになりそう。それに、あったとしても、屋根のないところやからシートは濡れて座れないだろうし。寒いだろうし。若い子はおしゃれなんて言って寒そうな格好しているけど、ほんまは体冷やしたらあかんねんで、女の子は。

 どうしよう、どうしようと思いながら、花まるカフェ見て、テーブルに置いてある育児書(かなりおもろい。久しぶりに読書にハマった)読んでいると、ブラウン管の向こうでは、徳商ー横浜戦がプレーボール。いいや、今日はやめ。

 そんなわけで、ツレん家でダラダラしてました。赤ちゃんのいる家だったので、ビデオ撮影係に任命されたり、お留守番もしました。結局、第二試合を最後まで見てからお開き。帰宅しました。だって、しんどいんだもん。
 



2003年04月01日(火)
新1年生も始動だっ。


 ライター塾の課題の取材を兼ねて、府内の高校の練習試合を見に行った。いつも見ている東山の練習試合の雰囲気とはまた違い、それはそれで楽しかった。

 さて、今日から新1年生の部活動参加が解禁。この試合でも、中盤、練習用のユニフォームを着た選手がマウンドに上がった。私が見ていた場所はブルペンが近く、彼の存在にはブルペンに上がったときから気付いていた。背は高くなかったけど、ユニフォームにピッタリおさまった太股、腰元、胸回りが印象的。イメージとしては、投手というより内野手系。でも、まだ投球を始める前から、「この子がいいボールを投げるんだろうな」と思った。もっとも、解禁日初日に試合で使うんだから、いい投手に決まってるんだろうけど。

 先輩キャッチャーを座らせて、いざ投球。やっぱり、いい球投げてた。高校生バッター相手でも、いけるんじゃないか。そして、登板すると、やっぱりいい。でも、ここぞというときにはクリーンヒットを打たれてしまう。やっぱり、中学と高校のレベルは違うのだろう。

 結局、彼は2回か3回で降板し、2点を取られた。降板後、ダグアウトの片隅の木陰で、先輩にアイシングをしてもらっていた。戸惑っているその表情は照れているようにも見えた。

 試合後、彼の対戦相手の監督と話をする機会に恵まれた。「2番手で投げてた白いユニフォームの子、あの子はよかった。今は打てるけど、きっと上手になる。」

 主審がコールした彼の名前はしっかりインプットされている。今年は注目の新入生がこれですでに4人目。当分、京都の高校野球から抜けられそうにない。