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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2003年05月31日(土)
二重課題状況


 たとえば。打席に入っているバッターが、すごく緊張しているとする。そんなとき、ベンチから「リラックスしていけよ」と声をかける。ところが、これも過剰になると、その選手に「リラックスしなければならない」という努力を課すことになる。従って、打たなければならない選手は、さらにリラックスもしなければならない。これを二重課題状況というらしい。

 このことを本で読んだとき、その場でしばらく固まってしまい、なかなか次のページに進めなかった。それは私が心の奥に抱えていたもやもやに、明確に名前がついたものだった。

 ある日、新聞の記事で、ゼミの生徒が自殺してしまったことに対して、大学教授が話している記事があった。教授の専攻は仏教。生前、「ノイローゼなんです」と言ってきた彼に、教授は仏教の法話が書かれた本を薦めた。ところがしばらく経って、彼は自宅で自らの手で命を絶ってしまった。教授は言う。「講義であれほど“命が大切だ”と強く強く言っていたのに…」と。

 だけど、先生。
 私はふとその教授に語りかけたくなった。

 別に先生のせいで彼が首をくくったとは思わないけど、その“命を大切に”というのが彼にとって重かったとは考えられない?もしかしたら、彼の中に“命を大切に思えない自分”っていうのがいたのかもしれないし。悩みを先生の相談するような子だから、きっとまじめな子で、先生の話も法話もしっかり受け止めていたと思う。だから、苦しんでいたとは考えられませんか?自分の悩みと戦い、“命を大事にしなければ”ということとも戦い…。自分がどんどんこわされていくような感覚。そして、もう壊してしまおうという感覚…。先生、わかりますか?

 記事に出てくるのは、実はうちの母校の“教授”。私も講義をとっていたことがある。そして、自殺してしまった生徒は面識がないながらも後輩にあたり、年月を計算すると、ほんのわずかではあるが、同じ時期を大学のキャンパスで過ごしている。気持ちがドンと重くなった。



2003年05月30日(金)
消えた笑顔のこと


 今朝の新聞、スポーツ面に日本ハム吉崎投手の活躍ぶりを伝える記事がわりと大きく載っていた。高校時代でもこんなに大きく取り上げられたことはない。タンスの上にあるはさみを持ってきて、切り取ってみた。

 ご存じの方もいると思う。吉崎投手は我らが東山のOB。東山といえば、今は当然のように「岡島の母校」と言われる。でも、「最近、吉崎も活躍しているよね」と言われれるときもあり、これがうれしかったりする。

 吉崎投手の実家は、東山高校山科グランドのごく近所。お好み焼き屋さんで、昔はよくご飯を食べに行った(おでんうまい)。店の中には甲子園に出場した東山ナインの寄せ書きや写真とかが張ってある。もし東山は横浜高校並の人気校だったら、ここは立派に「東山高校ファンが集まる店」としてやっていける気がする。(余談だけど、ともきちが初めてこの店に行ったとき、当の吉崎投手は中学生。店を切り盛りしているおかあさんから、「息子が野球をしている」と聞いていたらしい。今思ったら、プレミアトークや)

 さて、その吉崎投手のお父さん、今でもグランドに足を運ばれている。特にここ1,2年はよくお会いする。息子は誰に似たんだろうと思うくらい、小柄な方だ。私はそれほどでもないが、ともきちがいると、よく声をかけてくれる(吉崎投手が在籍当初の96年、応援はともきち主導型のピークだった)。誰も話せる人がいないときなんかはすごくホッする。

 このごろは、吉崎投手の活躍もあり、グランドでもいろんな人に「息子さんがんばってるねえ」と声をかけられている。そのたびにてれくさそうに笑っていた。でも、私が同じことをいうと、なぜか笑顔がなくなりすっと流されてしまった。なんでだろう。

 そういえば、吉崎投手が社会人にいたときは「社会人もおもしろいよ、見に行ってやってな」と言われたり、「また(今の東山の)スコアもつけてやってな」「応援してやってな」と言われたことはあるが、不思議と「日ハム戦、見に行ってやってな」と言われたことはない。



2003年05月29日(木)
初めての経験


 聞いてくださいよぉ〜。

 こないだ、生まれて初めて高校野球の監督と“話し”たんです。ほんまに「会話」やったんですよ。それも取材とか、コネクションとかそういうのではなくて、100パーセント素の身分、一人の野球ファンとして話すことができたんです。びっくりしました。

 試合前、私は父兄さんのそばに座って、プレイボールの声を待っていました。すると、後ろで声がしたんです。「東山は浄土宗?知恩院さんだよね?うちは、浄土真宗。親鸞の浄土真宗だよ。ふふふ」

 声のする方を見ると、ユニフォームを着た大柄で白髪の年輩男性。めがねをかけていました。足が悪いようで、一歩一歩にちょっと時間がかかっていました。見覚えのあるような、ないような…。相手の監督さん?いや、相手校の父兄さんに声をかけるなんてこと、ないもんな。当の父兄さんは試合前の準備に忙しかったため、私が「はい、そうですけど」と答えました。その人は、何も言わずにうなずくと階段を下りて、ベンチそばの石段に腰掛けました。試合前、軽いキャッチボールをする自校の選手たちをじっと見つめていました。

 この人とは話ができるんじゃ。
 そんな直感が働きました。
 そばにいた顧問らしき教師やコーチがいなくなったのを見計らって、すすすっとその人の隣の忍び寄りました。(話を聞くときのいい距離感なんだとライター塾で教わりました)

 「試合前はこうして選手の動きを見てはるんですか?」
 それが私の第一声。その人は、たいして驚くでもなく。「ああそうだよ」と優しい口調で答えてくれました。でも、その目線が選手からは動きませんでした。別にそれを不快には思いませんでした。「動きを見てると、選手の調子とかが分かるんですか?」、私は質問を続けた。なんか年輩の方だし、ベテランの指導者には人を見抜く力があるような気がして。ところが、「そんなの、分かるわけないよ」。その人はそう言って、さっきと同じように「ふふふ」と含み笑いをした。「そうですよね、そんな簡単にわかるわけないですよね」。私は一人うわごとのようにつぶやいて、これからどうしよかと思案した。これで十分だ。「ありがとうございました」と言って失礼しようか。すると。

 「あんた、ここの卒業生?」
 んげっ。そうきましたか。「はい」と言ったら丸く収まる気もしましたが、私なんかに良心的に話してくださった方にそれもどうかと思い、「いえ、相手の東山を見に…」。「そうなんだ。熱心だね。弟さんがいるとか?」。そうなんだよね、多くの人がそう思うんだよね。普通そう思うよね。でも、ここでも丸く収められず。「いえ、全く関係ないただのファンです。おっかけというか、応援というか…」。ここで“おっかけ”という言葉を使った自分がちょっとズルいと思った。「おっかけも大変でしょ」。その人の一言に、やっぱり自分はズルいし、何一つ克服できていないと思った。「いえ、楽しいですよ」。半分ホントで、半分は嘘。

 何の質問をしてそういう答えが返ってきたのかは忘れてしまったが、それでこの人がここの監督さんだと知った。「23年間、(愛工大)明電でやってたんだけど、監督。60になって、もういいかなと思って。でも、最後にひと花って、ここで五年間だけ」

 ! 
 明電の監督さんやったんや。さっき見覚えがあるような…と思ったのは、それでなんや。ヤボながら、「あのイチロー選手の母校ですよね?」と聞いてしまった。「そうだよ。ぼくの教え子だよ」。でも、ここでイチロートークをしてもしょうがない。それより目の前にいるチームがどんなチームなのかを知りたい。

 もうそろそろ名前を書かなきゃ話がつながらない。ここは愛知県豊田市。真っ赤なユニフォームで甲子園にも名前を刻んだ豊田大谷高校。春はベスト4。すでに夏のシード権は確保している。でも、監督さん曰く、「とどめがさせないんだよ。残塁が多くて」。準決勝。7回まで2点リードしていた。「これは決勝かなあ」と思っていたら、3点入れられて…というのは試合展開。注目選手は、ピッチャーとショート。試合観戦ガイドを監督直々にしていただくとは、なんとまあ豪勢な。

 また練習試合しましょうとか言って(なんで私に?!)、終始和やかな雰囲気だったが、そんな時間もいつかは終わる。98年、甲子園で見たブルドックが姿を消していた。おおよその理由はわかる。でも、聞いてしまった。「甲子園で見たときは、腕んとこのなんかマスコットキャラクターみたいなのがついてたように思ったのですが」。一瞬の間(ま)、空気が冷たく感じた。やっぱりよすんだった。「ああ、アレね。ブルドック。高野連がね問題だからって…」。やっぱりそうか。何を言っていいかわからず、沈黙が続いた。話を初めて、ときどきこっちを向いていた監督の目線は、もうこちらに戻ることはないと思った。「試合前にすみませんでした。ありがとございました。失礼します」。私は足早に階段を駆け上がり、元の場所に戻った。



2003年05月28日(水)
関係ない話 その2 『地域密着を目指す病院』


 今年のはじめ、近所にKクリニックがオープンした。地元の総合病院から独立した医者さんが開業した病院である。父は総合病院時代にこの医者に診てもらっていたため、開業後はここに通っている。家と病院が一緒になっていて、玄関には子供の自転車とかがおいてある。見るからにアットホームな雰囲気。

 ある日、父がその病院から帰ってきた。母が、「自転車は?」と訊く。どうやら父は、自転車で行ったにもかかわらず歩いて帰ってきたようだ。父は、「なかった」と答えた。病院の前に止めておいたのが、出てきたらなかったのだという。「鍵かけといたか?」母が訊くと、父は気まずそうに、「ハハ、病院の中やし大丈夫やと思って…」。すると、ここぞとばかりに母が責め立てる。「何言ってんねんさ。今の世の中ぶっそうやで。家の前にちょっと止めといただけでも、持っていかれたりすんねんから。自業自得やわ。あれ、高い自転車やで。わたし買い物行くときに使ったたのに…」。自転車なくなり、母には同情されるどころか、叱られて。父も踏んだり蹴ったりである。

 と、そのとき、電話が鳴った。母が出た。
 「はいはい、あ、おります。はい、はい、わかりました」
 どうやら、父宛にかかってきた電話のようだ。でも、父に代わることなく切ってしまった。母は今にも吹き出しそうな表情をしていた。受話器を置いたあと、父は「何やったん」と訊いた。

 「いや、そこのKクリニックの奥さん。ちょっと買い物に行くから、ご主人の自転車借りてたって。」

 おばはんっ。どこに患者のチャリ勝手に借りて買い物に行く院長夫人がおんねんっ!びっくりするわ。母も父も、そして私もただ笑うしかなかった。




2003年05月27日(火)
関係ない話 その1 『佐賀県』


 ♪SAGAさが〜
 流れてますな、コンビニにも。ご存じ、はなわの『佐賀県』。今やオリコンベスト10入りしているヒット曲。個人的には1〜2年ほど前に初めて聴いたので、“今になってヒットか、ちょっと遅いような気がする”というのが正直な感想。だって、いくらなんでも“ナタデココが今ブーム”なわけないでしょ。でも、これができた当初、少なくとも私が聴いていた当初くらいだったら、立派なネタとして成り立ってたし、ホンマに佐賀では“ナタデココが今ブーム”だったかもしれない?!何はともあれ、芸人さんにとって、“売れる”というのは最高の成功なわけで。

 人生で佐賀県出身の人に3人出会っています。
 1人は学生時代の友人。今でも交流はあります。彼女は地元が嫌いで、はなわのことを言ったときも、「佐賀を全国にさらさないで欲しい…」というちょっとブルーな答えが返ってきたっけ。「佐賀なんて福岡のおまけでいいよ」とか、「長崎に吸収合併されたい」とか言っていた。最初は謙遜かと思っていたけど、つきあいが長いうちにほんまに愛着がないというか、イヤなんだなあと思った。そんな彼女、『桃鉄九州編』で佐賀に止まっても、名産物を何も買わなかった。そこまで嫌いなのは、なんでだろう〜。んでもって、所さんの笑ってこらえてのコーナーの『日本列島24時』に自分の町が出てたときはきっちり見てたのは、これまたなんでだろう。(そういや、テツトモどこ行ったんだろう?)
 2人目は学生時代バイトをしていた塾の先輩講師。短大で教員免許を取り、実家に帰って教師になった。年賀状を送るのに実家の住所を教えてもらうまで、佐賀の人だとはわからなかった。彼女の口から故郷の好き嫌いを読みとれるような言葉がいっさい出てこなかった。
 3人目は24のときバイトをしてた居酒屋の店長。彼が話してくれた佐賀が今歌われているはなわの『佐賀県』にもっとも近かった。バスがタクシー状態で止まるらしい。

 そんな私は佐賀県が好きです。いや、行ったのは唐津だけやけどさ。 そういや、佐賀県は高校野球優勝経験県です。94年夏です。いいなあ、私も生きているうちに地元の高校が優勝するのを見たいな。どこでもいいからさ。



2003年05月26日(月)
The情熱


 五月病なんだろうか。なんかむなしい。

 ともきちが言う。
 「デートは楽しいはずなのに、帰りはむなしい。私、いったい何してるんやろって思う」

 分かる、分かるわ、それ。
 私も好きで野球を見ているけど、試合が終わったあと、「自分、何してんねんろ」って思うもん。別に私がボールを投げるわけでも、打つわけでも、走るわけでもない。それに試合勝っても自分が勝ったわけではないし、負けても自分が負けたわけではない。なのに、ドキドキしたり、喜んだり、ストレスをためたりする。人ごとやのにって思う。昔はこんなんじゃなかった。

 「情熱が欲しい。The情熱」
 ともきちが続けた。The情熱て。100円ショップダ○ソーかいな…。でも、ええな、。100円で売ってへんかな、情熱。そうそう、あと節操とか潔さとか常識とか空気を読むとか、きちんとさとか美貌とか。5つ一組で480円とかになってたらええんやけどな。でも、そんなやっすい情熱もむなしい、か。

 今はその機会も減ったけど、「何か欲しいものある?」と聞かれるとちょっと困る。欲しいものって、結局はお金で買えないものだから。もっといろんなものがお金で買えたらいいのに。そんなことを思う今日この頃。



2003年05月25日(日)
長良川球場→岐阜総合学園→大垣商業

 ネタみたいな話。長良川球場に着いたら、ちょうど高校野球東海大会の閉会式が終わったところだった。今日は決勝戦。普通1試合だけなら、12時か1時からなので、それに合わせてきたのだけれど…。どうやら、試合は10時からだったようだ。そんな、殺生なぁ〜。事前準備を怠ったことが悔やまれる。(同伴者相方は、変にハイテンションで、「バンザ〜イ」を繰り返していた。つきあってたけど、ちょっと恥ずかしかった(苦笑)」)

 今日見る予定だったカード、浜松商業ー中京は、1−2で中京が勝った。電光掲示板がそう言っていた。また銀メダルか…。昨秋、浜商の父兄さんから聞いた“シルバーメダルコレクター”という言葉がふと脳裏によぎった。

 せっかく来たんだから。せめて、『ヒットエンドラン』の管理人さんや春浜商に行ったときにお世話になったみなさんにご挨拶だけでもと思い球場内をうろうろした。場内をさまよっているとき、いろんな声が耳に入ってきた。「惜しかったなあ」、「一打同点ってところまでいったんだけどなあ」、「ま、勝たなくてよかったよ(※東海大会優勝校は甲子園に行けないというジンクスがあるらしい)」、「よくやったんだけどさあ」…。そんな言葉で試合の様子を把握するのも悪くないなあなどと思いつつ。

 結局場内では姿を見つけることができず、場外でそれらしき方がいたので、声をかけてみた。「あのぉ、○○さん(『ヒットエンドラン』の管理人さんの名前)ですか?」。ところが、よにもあっさり「違います」という答えが。あっちゃー、収穫ナシか。

 すると、そばにいたおばさんが、「○○さんなら、今日はこれないって。昨日は来てたんだけどね」とフォローしてくれた。その上、「あんた、前に(浜商の)グランドに来てたよね。遠くからありがとね」と私のことを覚えてくれたいたおじいさんがいて、ちょっとうれしかった。

 時間が精一杯余ったので、どっかのグランドに行こうということになった(というか、した)。それじゃあ、岐阜総合学園やろ。というわけで、携帯ナビをフル稼働させて(電池くうわあ)同校のグランドを目指した。岐阜市郊外の川沿いを走り少ししたところ、民家に囲まれた場所に同校があった。グランドではタイミングよく練習試合が行われていた。グランド沿いの道路は交通量が少なく、路駐してある車の何台か。

 グランドの隅にフェンスと同じ素材でできた扉があったけど、開いていなかったので、フェンス越しに試合を見ていた。側には父兄さんが飲み物を作るための場所があり、何人かのおかあさんたちがそこから試合を見ていた。ネット裏にはスタンドがあった。ここも靴を脱いであがる方式だった。フェンスのすぐ向こう側では選手が素振りをしていたり、筋トレをしていた。グランドの中に入らずして、ベンチの様子やブルペンの様子がわかって、私的には「助かった!」って感じ。グランドの広さは、普通。

 せっかくだからと外野から見たいと思い、校内に入った。そこで、同校が県立校であることに気付く。県立やのに学園か…。昔、友達の書いた小説に、“府立○○女学院”を書いてあったから、「公立校にそんな校名ないわ」と馬鹿にして言ったことがあるが、そんな私に天罰が下されるのも時間の問題かもしれない。

 相方くんはグランドより、隣にあるホッケー場の設備のすごさが気になるようで(確かにすごかった。目に鮮やかな真緑の芝生が)、「すごいなあ」、「うらやましいなあ」としきりに言っていた。相方は、高校で運動をやっていた。そんな彼にとって、グランドは見るものではなく、プレイする場所。当然、目線も「ここのグランドでプレーできたら」という感じになる。私には持てない視点なので、同伴者としては大事な存在かもしれない。

 試合でも当の岐阜総合学園より、対戦相手校に興味津々だったようだ。変則フォームのピッチャーが2人いて、「某H高校やったら、まず打てへんやろなあ」などと言っていた。最近、どこで試合を見ても、すぐ「もし某H高校と対戦したら…」と口にする。なんや、好きなら好きって言ったらいいのに。

 一路、京都へ向かう。国道22号線を走っていた。道中のカーラジオでは、阪神戦。対戦相手・ヤクルトのピッチャーが、山本樹から河端に代わった。そのとき、進行方向右側に「岐阜県立大垣商業高等学校」という看板が見えた。このタイミング、何かの因縁かいなと思った。学校もグランドもかすかにだが、視界でとらえることができる。行きしな通りかかったときには、試合がやっていた。遅すぎるかもしれないけど。何かみれるかもしれない。相方に脇道に入ってもらうように言った。

 グランドに着くと、すでに試合か練習だかが終わったあとで、制服に着替えた部員たちがグランドを後にしているところだった。出入り口が開いていたので、ふら〜と入ってみた。ネット裏にはスタンド。でも、岐阜総合学園で見たような段差のついたものではなかった。階段一段分くらいの高さの舞台みたいなところの上に木製のベンチが置いてあるだけのいたってシンプルなものだった。ミシッっていわへんかなあとちょっと心配しながら上ってみた。そこからグランドを見渡す。すでにグランドは整備されていた。内野は黒土。でも、色はあまり濃くなかった。まばらに生えていたのは、芝生かな?雑草かな?(たぶん雑草…)

 出入り口のすぐそばにはわりと広い室内練習場があった。もう部活が終わっているのもかかわらず、自主練習に汗を流す部員が数人いた。ここに敷き詰められた土の色はわりと濃いように思った。日陰だからかな?側には学校の帽子をかぶった年輩の男性はピッチング練習をしている生徒に技術指導をしているようだった。OBかな?でも、選手の態度が柔らかく、時折笑顔ものぞいていたので、父兄さんかもしれない。

 その人に声をかけてみた。聞いておきたいことがあった。同校は甲子園出場校である。しかし、グランドを見渡した限り、それを示すものが見あたらなかった。たいてい、目立つところに石碑や記念樹やプレートが掲げてあるのだけれど。だから、自分の記憶がかすかに不安になったのだ。「以前、甲子園に出ましたよね?」という私の問いに、「そうだよ。でも、今はさっぱりだね」。その人はちょっと自嘲気味に答えた。「今じゃ、大商とあたると喜ぶんじゃない?以前はイヤがられてたけど」。すでに9年の月日が経っている。

 グランド前の道路。車の中で相方が待っている。カーラジオからは阪神戦。代わったヤクルトの河端は、好調阪神の勢いに飲まれそうになりながらも懸命に投げているだろう。彼が京都・西城陽高校のエースとして、夏の甲子園に出場したときに初戦で対戦したのが、ここ、大垣商業だった。

 このごろ、相方くんがお抱え運転手化していて、ちょっとかわいそうです…。梅雨に入ったら楽になるからね(笑)。



2003年05月24日(土)
帰りたいよぅ


 たまぁ〜にあるんですよ。野球見てて、「帰りたいなあ」と思うことが。そして、実際に帰ってしまうことが。試合がひどく面白くないとか、不愉快な出来事があるとか、体調が悪いとかそういうときは別にして。いい試合なのに、選手もがんばっているのに、チームのマナーもいいのに、レベルの高いのに、前々から見たくて見たくてしょうがなかったはずなのに。目の前で繰り広げられている試合がどうしても頭に入ってこない。ついていけない。ただそこで試合が展開されている。それだけで、自己嫌悪になってしまって、脅迫概念のように、「帰らねば」「ここから抜けださねば」と思って、イライラする。

 今日、首都圏でその症状が出て、こまりましたね。帰ろうにも時間とお金がかかる。苦痛と脅威の4時間でした。遠くに行って、野球を見るのが怖いなと思うときは、こういうときです。ある種の贅沢病なんでしょう。



2003年05月23日(金)
野球小僧デビューおめでとう!


 本日、『野球小僧テクニカル』が発売。カーブだけを取り上げた技術系の本。野球観戦歴12年。いまだ球種の見極めができない、そしておそらく一生涯無理であろう私が、4桁の金を払って購入。ここで、ライターデビューする知人がいるからだ。おめでとう、なのだ。ご祝儀みたいなもん。でも、次回からはシビアにいきますよ。おもしろそうだなと思わなかったら、買わないよん♪最近、本屋のスポーツ誌コーナーへ行って、雑誌をパラパラめくり、「あ、○○さん書いてはるなあ」と確認することができる。知人にスポーツライターがいる。冷静に考えると恐ろしい事実。つい2,3年前の自分なら考えられなかった。それだけにへこむこともあるんだけどねえ。  




2003年05月22日(木)
弟、妹の心理


 今年の東山には兄弟選手が一組いる。お兄ちゃんは3年生、弟は1年生。これがまた、雰囲気よく似てる。入学前に、お父さんからその話は聞いていた。「勇気あるよね」。お父さんは言った。確かにそうだと思う。お兄ちゃんはレギュラー選手。兄弟であることから、何かと比べられるのは目に見えている。

 私にも1つ上に姉がいる。高校進学の際、「絶対姉と同じ高校には行きたくない」と思ってた。幼稚園、小学校、中学校。すでに姉が歩んだ道を歩くことで、なんか新鮮味とか自分で新しい生活を開拓するという実感がなかったからだ。別に姉が成績優秀なわけでも、容姿端麗な(美脚だけど)わけでもない。でも、1年早く生まれているという自分ではどうすることもできない事実は、それだけで大きな劣等感だった。そこから脱出したかった。だから、姉が何かにおいてすごく優秀だったら、とてもじゃないけど、姉のあとを追おうとは思わなかったし、なんかグレてた気もする。

 だから、弟の選択はすごいと思う。そして、それを「やるからには、しっかりがんばれ」と受け入れたおにいちゃんもいい感じだなと思う。

 でもでも、弟の気持ち、ちょっとは私にもわかる。私、高校受験で姉の母校を第二志望校として受験した。第一志望校に受かったからそこには行かなかったけど、どっかで姉を追い抜きたいと思ってた。そんな気がする。



2003年05月21日(水)
♪仰げば〜 尊しぃ〜


 仕事が終わったあと、ともきちと地元の居酒屋で飲んだ。五月が嫌いだ。生きてて初めてそう思った。酔いさましに、東山の山科グランドまで散歩。徒歩にして20分強。外はすでに真っ暗。門が閉まっていて、グランドの中には入れない。そばで管理人さんが飼っている犬が寝ていた。

 ああ、このグランドから、みんな巣立っていったんやな。岡島くんも、高尾さんも、菅さんも、山カズさんも、中西くんも…。

 静かな空にともきちの声が響いた。今ではもう見ることのできない何人もの選手のユニフォーム姿が、グランドのそばで浮かんでは消えた。ノックを受けていたり、シャドウピッチングをしていたり、走っていたり…。

 私らはまだ巣立ってへんなあ。
 いつまでもここにいる。

 私の言葉は独り言になった。ともきちは、“歌唄お”といって、小さく息を吸い込んだ。そして。

 ♪仰げば〜 尊しぃ〜 わが〜師の恩〜

 それ、なんかちょっと違う(苦笑)。とても突っ込める雰囲気じゃなかったけど。



2003年05月20日(火)
欲望がまたひとつ。


 生きてるうちにしたかったこと。一人で国内の飛行機に乗る旅。これまで、ツアーや複数でいく旅行では使ったことはあるが、1人で乗ったことはない。決して給料の高くないフリーターの身なので、主な交通手段はなるだけ安くあがるバスを使うので、なかなかその機会に恵まれなかった。

 ところが、ついにそのときがやってた!
 来月、東京→松山間で飛行機を使うことに。7万円台(今月)の給料で飛行機を使うなんて、世の中ナメてますね。ほんま、ごめんなさい。

 で、最近では、通勤途中で読む本を飛行機の時刻表に持ち替えて、関係ないところまで見て妄想にふけっています。楽しいです。ふふふ。

 いろんな割引サービスがあるんですね。バースデー割引をいうのは、自分の誕生日の前後1週間だったら、どこでも1万円だそうで。1万円なら、ま、がんばったらなんとかなる範囲。どっか行ったろかってなものです。

 う〜ん、どこにしようかな?
 どうせなら、陸路ではそうそう行けない場所がいいな。そうや、隠岐や。隠岐高校に行こう。



2003年05月19日(月)
トホホな私…


 相方くんは、変なところで記憶がいい。こないだ、阪神戦を前にダイエーでビールを買うとき、ものすご〜くさりげなく端麗生アルファをかごの中に入れた。薄いブルーのラベル、プリン体90%オフのアレだ。

 「普通のでええやん」。私が言うと、「だって、自分、痛風やろ」という答えが。確かに私は1年ほど前、医者に「尿酸値が高いな。痛風傾向があるよ」と言われた。でも、それはあくまで“傾向”の話で、誰も痛風だとは言っていない。ま、アルコールは控えるようにとは言われたけどさ。肘が別人のようになるのは二度とゴメンやし、自分なりに気をつけてはいるけど、阪神戦くらいは景気よく飲みたいもの。

 アレ、ちょっと味が違うように思うんですわ。いや、匂いかな?最初に魚の加工品のにおいが鼻につくんだすよ。だから、そのイメージが強くて、どうしても舌の感覚が…。キリンさんががんばってるのはわかるし、ありがたい商品なんやけど、もうちょい改良を求むって感じです。

 それにしても、女だてらに彼氏に痛風の心配をされる私って…。



2003年05月18日(日)
結婚?!


 今朝の夢はおっかなびっくりした。私が嫁入りリーチだったのだ。普段の私は、夢の中で自分のほっぺたをつねり、「あ、夢だ」と自覚することができる。でも、今朝はなぜか夢の中のぶっとんだ設定を受け入れていた。

 どうすんの、自分。来月も東山の遠征があるのに、結婚なんてしている場合とちゃうで。大体家事とかできるんか?ぜんぜんしてへんやん。前から、「あと10kg、いやせめて5kgは痩せな(結婚は)あかんで」って言ってたやん。大体、この結婚、いつ決まったん?そういや、記憶から抜け落ちている。誰かが私に眠り薬でも飲ませて、知らん間に話を進めたんやろか。怖い。人生の一大事が目の前に迫ってる。おかあさん、どないしよ〜。そんなところで、目が覚めた。


 なんでそんな夢を見たのだろう。でも、その謎もすぐ解けた。
 昨日、試合前に父兄さんと話していて、「結婚されてるんですか?」と聞かれたのだ。もうそんな年やねんなあと心の中ため息をついたったっけ?また、帰宅後すぐにテレビで見たのが、いま家族でハマってる『おしん』。昨日はそのおしんが奉公先のおばあさんに無理やりお見合いをさせられ、結納をかわし、結婚秒読みという内容だったのだ。

 これで合点がいく。前から勘付いてはいたけど、やっぱり私の頭の中は単純だ。でもよかった。当分は独身を謳歌するぞ。



2003年05月17日(土)
好感触の遠征第一日目


 東山の関東遠征、第一日目を観戦。対戦相手はわりと強い学校だったんだけど、なんと1勝1分けの好成績!相手の事情を知らないから、一概の“これだ強くなったんだ”とは言えないけど、結果オーライで今日を締めくくりたい気分。

 第一試合は2−2、第二試合は5−4.ともに先制されながら追いつく、もしくは逆転するという展開。ここのところ、ボロ勝ちかボロ負けという内容が続き集中力を保って試合を見ることができずにいたけど、今日は最後まで緊張感をもって見ることができた。第二試合の9回なんて、「なんとかこのまま終わって!」と手に汗を握ったほどだ。

 なんてって、第二試合の7回の攻撃。それまでノーヒットに抑えられていた相手のサブマリン投手をバントで崩し、連打連打で一気に5点。豪快な1発とかはなかったけど、なかなか鋭い打球が飛んでいた。

 守備。エラーは1つだったかな?良かったのは、1つのエラーや四死球から連鎖反応のように崩れなかったこと。“あげた”点数がほとんどなかったこと。また投手陣もよかった。ややもこちらに不利に思える微妙な判定が続いたけれど、それでもキレることなゲームセットの声を聞くことができた。少なくとも、キレるという形がプレーになって現れてはいなかった。連休中はメチャクチャ(ごめんなさい)だったのに、この10日かそこらで何が変わったのだろう。何か新しい動きでもあったのだろうか。そんなことを考え込んでしまった。

 明日は場所を変え、またも強豪校と対戦。さて、どうなることやら。このままいい雰囲気でいってもらいたいのだけど。



2003年05月16日(金)


 ある日練習を見ていると、後ろにいた観客のおっちゃんがこんなことを言っていた。「あのレギュラーでない選手、あいつ、それでなくても下手くそやのに、また捕り方がなってへんから、かっこう悪くてしゃあないわ」。

 失敬なっ。個人的に注目度の高い選手なだけに、正直、むっとした。でも、彼は決して野球のうまい選手ではない。“一生懸命やっているから”。その言葉を盾に、おっちゃんを批判するのはちょっと無責任だと思った。自分に反省。

 おっちゃんに話が続く。
 「ま、体で覚えてしまってるから治らへんのやろな。癖やからしゃあないな」
 はき捨てるような口調。反省を取り消したくなった。

 癖は治らない。
 そういうニュアンスにむかついたのだ。

 私は以前、人から「選手を上に見過ぎている」と言われたことがある。現在の風潮では、選手を見下す傾向にあり、それは良くないと思っていたが、かと言って逆がいいわけでもない。いま、私がグランドや練習を見に行くのは、もちろんそれが好きだからなんだけど、潜在意識のどこかでその癖を治そうとしているのかもしれない。日常に一番近い場所に言って、「なんや、選手も人の子やん」の再確認を積み重ねたいのかもしれない。だって私、学校が好きなわけでも、高校生が好きなわけでもないもん。おっちゃんの一言は、そんな私の領域に土足で踏み込んできた侵入者。そう感じた。

 関係ない人が関係ない人のことを言っているだけなのに、すぐ自分に置き換えてしまう。これも私の悪い「癖」。治らないの?



2003年05月15日(木)
第二の人生


 うちの会社に、“スポーツを職業にしていた”人がいる。そんな人が自分の会社にいることにすごくびっくりした。と言っても、一緒に仕事をしているわけではない。遠く首都圏の支社で働いている社員さんだ。その人のことは事務所のテーブルに置かれていた社誌で知った。月1回発行される冊子で、若手ホープのインタビューが目玉。

 見るからに“スポーツマンです!”というさわやかな笑顔は、今月号の表紙を飾っていた。インタビュー自体は仕事のことに終始していたが、最後に付け加えられていた取材後記に、2年間サッカーを職業にしていた元プロの選手であることが書かれていた。会社の倒産と自身の故障が引退の原因だったらしい。サッカーに詳しい友人に調べてもらったところ、本当にプロの選手だった。まだJ1J2という区切りのなかった頃の話で、今だったらJ2レベルだったのではないかとのこと。

 もし、会社が倒産していなかったら、せめて、自身が故障をしていなければ、同じ会社の人ではなかった。Jリーグの選手だった。TVに出たり、雑誌でも取り上げられていたかもしれない。住む世界の違う人だった。それが、私たちと同じド派手な青いジャンバーを着、私たちと同じように商品を数え、PCでデータを作っているのかと思うと、なんか妙な感じがする。



2003年05月14日(水)
「調子はどう?」


 ある日、グランドで練習を見ていると、練習にキリのついた選手がネット裏で、私のそばにいる男性と話をしていた。男性は、「調子はどう?」と訊いた。彼は記者でもコーチでもない。その質問に深い意味はないはず。ところが、選手はちょっと困った顔をしながら、「いやあ、わかんないっすよ。調子なんて、わかんないっす」とやり場のない手を頭にやった。生真面目な選手なんだろう。でも、自分の調子がわからないってどういうこと?私は彼の反応に戸惑いを感じた。

 彼はこう続けた。
 「調子って、どうしても結果で判断してしまうじゃないですか。だから、わかんあいんですよ」

 えっ、調子って結果で判断するものじゃないの?
 たとえば、バッティング練習でいつもより打球が飛ばなかったり、ブルペンでボールが走らなかったり。そういうことから、「今日は調子よくないなあ」とか判断するんだと思ってた。違うの?

 結果で判断しなければ、何で判断するの?直感?
 確かに私にも、なんとなく気分のいいときとかそうでないときとかがある。でも、それは大概その後の行動に直結する。仕事でドジを踏んだり、デートで喧嘩してしまったり。また、逆の場合もある。

 結果を伴わない調子って何?ああ、頭の中が迷宮入り。



2003年05月13日(火)
グランドの記憶


 ネットサーフィンをしていると、“球児くんに恋しちゃった”系の女の子を対象にしたサイトや掲示板があります。恥ずかしくてとても見ちゃいられないのですが、そんな彼女たちの気持ちもわからなくはない私です。

 女子校に通っていた私が、高校時代唯一恋愛らしい恋愛をした相手が高校球児でした。完全に片想い。あこがれ。恋に恋する乙女ちゃんでした。でも、当時は当時なりに真剣だったのです。

 その人のいる高校のグランドに通いました。自分のことに人をつき合わせるのが苦手な私が、何度かともきちを連れて行った覚えがあります。その高校は、周りをブロック塀で囲まれていて、グランドを見るのは、開かずの間状態になっていた黒い門の柱の間ごく10数センチ程度から覗く方法しかありませんでした。決して見やすい場所ではなかったです。でもって、側は生徒が頻繁に通る道路。好奇の目にさらされてたことでしょう。

 それでも、ずっと見てましたね。今以上に野球がわからなくて、練習の醍醐味の「だ」の字もわからなかったのに。退屈なはずなのに、練習が終わったあと、一目見れたら、タイミングさえ合えば話ができるかも、そんな淡すぎる期待だけで、2,3時間立ちっぱなし。今、思えば、その人がグランドのどこにいるかさえわかっていなかったんだけど(笑)。もちろんそんな恋、実るはずもなく、その年の夏、彼は地方球場で高校野球生活を終えました。

 球場やグランドなどで、フェンス前で観戦しているとき、最初は「フェンス邪魔やなあ」と思っているのですが、時間が経つにつれ、フェンスの存在を感じなくなっていること、ありませんか?目が慣れてしまっているのでしょうか?でもって、想い出のワンシーンとかを振り返るとき、脳裏に描かれている光景にフェンスの存在はないんですよ。でも、このグランドを思い出すとき、いつまで経っても門の太くて黒い柱が消えることはありません。



2003年05月12日(月)
フェンスのこちら側


 今の結論。
 結局、私はフェンスのこちら側の人間でいたいんだと思う。向こう側に行きたい。そんな思いが全くないといわば嘘になる。でも、やっぱり一歩を踏み出すことができない。

 選手に話しかけたら、その場の空気が変わってしまうと思う。自分が入ることによって汚れてしまうんじゃないかって。私、別に不潔にしているわけじゃないよ。そういうことじゃなくて。ま、原因の大体のところは、自分ではわかっているんだけど。

 第三者によって、選手が自分の知らない自分に気づくということはあると思うし、真実により近いものを書くとなれば、本人が書くだけでは足りないと思う。第三者、今の場合はスポーツライターという存在は必要ではある。

 それを放棄するとなれば、私は真実に近づけないと思うし、何かを変えることも出来ないだろう。

 無駄なこと、無意味なことが好き。私にはそういう傾向があるようだ。今やっていることだって、仕事の合間の息抜きや趣味、娯楽的にやっているのであれば納得がいくけど、どちらかといえば、生活の中心だし、かといって、それで生計をたてているわけではない。こんな生活をして、微妙に親不孝。これが、“スポーツを書くことを仕事にする”という選択肢をずっと消せずにいる原因だろう。でも、仕事にするということは、無駄なことでも、意味のないことでもなくなるわけで。そこんとこが難しい。いや、難しかった。フェンスのこちら側で居続けることは、大好きな無駄と無意味を堪能することでもある。

 無駄なこと、無意味なことは、時として虚しいことに似ている。私は虚しいことが嫌いだ。そこら辺がしんどかったりするんだけど。生きている限り自分とはつきあっていかなきゃいけないから、しゃあないか。明日出来ることは明日にしか出来ない。だから、もう寝よう。



2003年05月11日(日)
取材に同行したいんです。何もできないけど。


 「評判がよい方は、『野球小僧』本誌での作家デビューの可能性あり!」というキャッチフレーズ(?)につられて、『野球小僧』に日記をリンクさせてもらってから2年が経った。幸か不幸か私には話はこないけど、他の日記作家さんはカメラ撮影や取材などでデビューを飾り、あのキャッチフレーズもあながち嘘ではないんだなと思う。 

 昔は、「自分にもオファーこないかな」などと思っていたけど、今は取材なんてとても無理無理!と首をブンブン振ってしまう。でも、したいことはある。それは、取材同行。現場を見てみたいのだ。ただ見るだけでいい。ライターさんや被取材者の表情、その場に流れる空気。そして、グランド(それかい!)…。

 名目上はアシスタント、いやそんないいもんじゃないな。雑用係。コーヒーでもたばこでも買いに行きます。元コンビニ店員、現コンビニ棚卸し担当です。名柄もある程度なら把握しています。けど、車の「バックオーライッ」だけはご勘弁を。交通費、食事代も自費でやりますので、でもって、「つれづれ取材同行日記」なんていうものを書いたりしますので。というわけで、関西在住のライター(特に野球関係)さま、よろしくお願いいたします。



2003年05月10日(土)
イッチッ、ニッ、サンッ!


 試合になれば、大半の子はバット引きかボール拾いの新入部員だけど、今日は練習。“野球”をする姿を見ることができた。

 一塁側ダグアウトの前では、二人一組になってトスバッティング。こうして複数のバッティングを一遍に見ていると、何も分からない私でも何かコメントしそうになる。「いい振りしてんなあ」とか、「軸がブレてるのかな」とか。でも怖いのは、“分からない”ことではなく、“分かったような気になる”ことだ。それはしっかり肝に命じているつもり。ボールをあげる方の部員は、「イッチ、ニィー、サンッ」と声を出す。おそらくバッターのスイングのタイミングをとるためのものなんだろう。

 そのとき、他の声とは明らかに違う。「イッチ、ニッ、サンッ」という耳に鮮やかな声が、飛び込んできた。いい声だなと思った。言うまでもなく、声にも個性がある。この声は、カラオケボックスや友達との歓談ではなく、グランドに似合う声だ。この声を聞いた瞬間、他の全ての声が消えた…ような気がした。

 主を捜すと、春先、中学の制服を着て熱心に練習試合を見ていた“彼”がいた。やっぱり、私の中では目立つ子だ。



2003年05月09日(金)
ついに百年史を入手


 へこみ気味の私に朗報♪
 仕事から帰ってきたら、前からお願いしていた『東山高校硬式野球部百年史』が届いていた(Sさん、Hさん、その節はまことにありがとうございました!)。

 広辞苑並に分厚く仰々しいものを想像していたが、実際はA4版程度のコンパクトなもの。大学の基礎ゼミで使うようなハードカバー系だった。さっそく、ページをめくる。予想を超える充実ラインナップににやけが止まらない。

 各年度の成績や選手名と全体写真。チーム代表の方が400字から1,000字程度の寄稿を寄せている。昔の方からは思いもかけないエピソードがあり、最近の子からは「苦労して書いたんやろなあ」という心境が浮かび出ているようだった。有名どころでは、今巨人で活躍中の川中選手からの寄稿もあった。

 まだページをめくる程度にしか読んでいないので、これから時間をかけてじっくり楽しむとしよう。



2003年05月08日(木)
お試し版に夢中


 javaアプリたるものを最近ようやく使い始めた。携帯版パワフルプロ野球のお試し版が無料でダウンロード出来ると知ったので、早速ダウンロード。以来、電車の待ち時間、仕事場の休憩中などに、時間をつぶさせてもらっている。

 内容は単純なホームラン競争。携帯のどれかのボタンを押すと、バットが振られるという仕組みで、ピッチャーが10球投げるうち、何本をホームランに出来るかというもの。

 単純だけど、これがまた面白い。ピッチャーは同じ球を同じように投げているだけなのに、ホームランになったり、空振りしたり。ホームランのタイミングを覚えておけば、ずっっとホームランを打ち続けることができる。理論的にはそうなのだが、そうもいかないのが人間なわけで。

 「あ、早すぎた!」、「あっちゃー、空振りかいっ」。気づいたら、思わず声を出してしまいそうになる自分がいる。私の打球は全般的にライト方向が多い。相方曰く、「振りが遅いから」だそうだ。

 ちなみに、今私のお気にの打球は、低めの投球を低い弾道を描いてライトに入るホームラン。ヒットかと思ったら、スタンドに入るというのは、相手のショックもデカいはず。

 今の最高記録は、7/10本。レベルは社会人チーム。10/10本は、メジャーなんだろうか。ちょっと知りたい。望みは相方に託そう。



2003年05月07日(水)
一度見てみたい投手


 それは、東京経済大学の高橋陽介投手です。大学野球ファンの方なら、もうすでにご存じでしょう。理由は、ボールです。

 知人が持っていた『大学野球』という雑誌で、彼は特集されていました。2ページの白黒。私はそこで初めて彼の存在を知りました。高校は桜美林という強豪校ながら、入学は一般。阪神・藪投手の出身校。マックスは140km/h後半。ひょっとしたら、藪投手以来のプロ野球選手誕生か?!のレベル。言葉は悪いかもしれませんが、ワゴンセールに紛れていた超プレミアものみたいな。

 そこまでなら、私も「ふうん」で終わっていたかもしれません。でも、知人が写真の中の彼が手にしているボールを指差して言いました。「ボールが足りないんだよ。ほら、見て、このボールもぼろいっていうか、汚れてるでしょ。でも、雑誌に出るんだから、これが一番いいボールなんじゃないかな?」

 指摘されて、改めて見てみると、確かにボールは土のようなもので汚れています。で、記事になっている他の投手をみると、手にはこぎれいなボールが。汚れているボールを持っている選手なんて誰一人いませんでした。

 私は知人の目のつけ所に驚くと同時に、「彼はなんでこのボールで写真に写ったのだろう」と思いました。知人の話も事実ではあるようですが、もしかしたら彼は深い意味なくそのとき使っていたボールを手にしたのかもしれませんし。ピッチングを見てもその謎が解けるとは思いません。ただ、「見たい」と思ったんです。



2003年05月06日(火)
大切にしたいもの


 5/3付の日記でもちょろっと触れたが、選手が外野に向けて投げたボールを見て、昔、川本真琴が好きで、ずっと聴いていたのを思い出した。日記に歌詞を載せるため、正確なものを確認したいと思い、部屋の片隅にあったCDボックスから、彼女のファーストアルバム『川本真琴』を久しぶりに取り出した。で、今再び私の中で川本真琴がブームが再燃している。

 彼女のデビューは私が大学生の頃だったと思う。支持層は女子中高生くらいが多く、その世代からすると、私の年齢は高い。何をどういいのかを言い出すと、なんか評論家か解説者みたいになってしまうので、歯が浮いてしまう。でも、私は曲をノリで聴くのでノリが好きだったし、あと歌詞が好きだった。ここ2,3日、ずっと聞いている。ああ、この世界いいなと思う。すると、書く元気が出てくる。

 でも、今もずっと川本真琴を聴いているわけではない。『微熱』の次のシングルから、パタっと聴かなくなった。レンタル店に置かれることもなく、聴く機会がなくなったからかもしれない。

 当たり前なんだけど、世の中のありとあらゆるものは常に変わり続けている。川本真琴の世界も変わるし、私の価値観も変わる。交差点を通り過ぎたのだろう。だから、好きな作家は?とか好きなアーチストは?と聞かれると困る。この作家のこの作品は好き、このアーチストのこの曲が好きという答え方ならできるけど。

 これをふまえると、東山の存在はものすごく貴重なんじゃないかなと思えてくる。東山の野球も始めの頃に比べると変わっているし、私も当時の私とはいろんなことが違う、でも、未だに交差点を通り過ぎることはない。この縁は大切にしたい。決して、執着するのではなく。



2003年05月05日(月)
野球なGW、最後にひとこと。


 この連休は野球漬けとまではいかなくとも、かなり野球を見ました。

 ◎4/26(土)東山公式戦、負ける。→甲子園で阪神戦。大逆転勝ち。

 4/28(月)関六。龍産戦。龍大辛勝。勝ったことより、追加点の取れなかった歯がゆさやバッターの表情や仕草が印象に残った。ネット裏最前列という恐ろしい場所で生まれて初めてみる。間違いなくKBSには映ってたはずや。

 4/29(祝)高校野球福井大会2回戦を敦賀球場で観戦。気比と若狭が勝利をおさめる。一冬越えて、メンバーが替わってた。受付けにいた部員(部員です!)の女の子、かわいかった。敦賀工業の子らしい。情報、お待ちしています。

 ◎4/30(水)甲子園で阪神巨人戦。昔のイメージがあったから、怖かったけど、案外普通やった。藤本君の3割アベレージをデジカメに納めることに失敗。甲子園で飲む酒はおいしい。悪酔い、二日酔いと無縁なの、♪なんでだろ〜

 ◎5/3(祝)東山の練習試合。暑かった。普段見かけないカップルらしき若い人が見にきてた。OB??情報、お待ちしています(BY相方)。
 
 ◎5/4(祝)高校野球福井大会を見て、「安定は宝や」と思う。でも、東山、好き。

 ◎5/5(祝)東山の練習試合。なんやわからん打撃戦。久しぶりに父兄さんと話し込む。投手陣に春が来ますように。途中でともきちから電話。連絡できなくてごめん。連休は出かけるって聞いてたから。風邪は治った?

 文頭「◎」印は、相方が同行した日です。この連休はホンマ振り回してしまいました。すまない。“疲れをとるため”の連休のはずが、疲れをためてしまったようです。ハハハハ(^^;)。

 でも、ありがとう。




2003年05月04日(日)
福井で見てきた春の終わり


 高校野球福井大会を見てきました。ついに県営デビューです。見た試合は、準決勝第二試合の敦賀気比ー福井商業(前の福井ー鯖江もちょろっとだけ見ました)。

 結果は、延長10回、4xー3で福井商業がサヨナラ勝ちをしました。いい試合でしたよ。「かんど〜♪」とか、「壮絶!」とか「ドラマチック」とか、そういう言葉は似合わないかもしれないし、エラーもあったけど、ズルズルと点数の入らないしまった内容のゲームだったように思います。ああ、ピッチャーが安定しているっていいですね。見ていて安心出来るし、気持ちいい。

<簡単な試合内容>
 初回、福井商業が長打2本とエラーでいきなり2点を先制。一方の敦賀気比も2回にタイムリーで1点を返した。そして、4回には敦賀気比が2連続スリーベースを含む三連打で2点を取り、逆転に成功。ところが、5回。福井商業はレフト前ヒットで出たランナーが盗塁。牽制悪送球を誘い、一気に三塁へ。スクイズが成功し、同点に追いついた。両校投手が安定しており、3−3の同点のまま、延長戦へ。延長10回裏、福井商業にタイムリーが出たサヨナラ。

 ここ1年の観戦ですっかり嶺南勢びいきになってしまった私にとっては、ホンマ歯がゆい場面の多いゲームでした。ま、結果論なんですけどね、監督も選手もみな、よかれと思ってやっていることなんでしょうから。春は課題を残して負けた方がいい結果が出ます。そうなんです。そう思いましょう。

 今日の印象度NO1は、気比の山田投手。上背があるから3年生かと思ったら、2年生。今日は9回1/3投げて13奪三振。それも、強豪の福井商業相手に。三振が投手のすべてではないけれど、やっぱりすごいです。最後のバッターの打球はライト線に転がっていきました。ホームカバーに入っていた山田投手は、サヨナラのランナーがホームに入るのを確認すると、脱帽したまま、直立不動でした。みなが整列に向かったのを見て、一瞬うつ向いたあと、小走りで列に加わりました。

 試合後、球場の片隅に気比の選手たちがいました。服を着替えたり、飲み物を飲んだり、話をしていたり。表情は至って普通でした。

 外はすっかり暑くなりました。もうすぐ夏です。

追記:福井の藤井投手を見ました。初めてです。(甲子園中継でも見れなかった)思ったより、小柄なんですね。



2003年05月03日(土)
おとこの子になりたかった


 大差のついた練習試合終盤のメンバー交代には神経を集中させる。普段試合では見れない選手や、新入生の登場、故障組の復活などがあるからだ。今日見た試合はその全てが、押し寄せる波のようにやってきて、顔には出さなかったけど、心の中は、サンバ、カーニバル、フィーバー♪状態だった。

 新入生は、代走で1人、代打で1人、守備で2人がそれぞれ登場。うまくいった子もそうでない子も、今日のテーマは“ガンガン行け”(とベンチで監督さんが言ってた)だし、高校の試合の雰囲気の中、思い切りプレーできたかな?私的には、みんな積極的にプレーしてたように思う。次は誰のデビューを見れるかな。

 普段滅多に替わらないセカンドだが、今日は違う選手も入った。代わっていきなり飛んだゴロ。一瞬逆を突かれたかなと思ったけど、足からすべりこむようにボールに追いつき、すぐさま姿勢を変えて、ファーストへ送球。アウト。ベンチはおおいに湧いた。「うまいなあ、セカンド!」「誰や、あんなうまいセカンドは」などという声で迎えられたその選手は、打席に備えて素振りをしていた。これまで見たことないような、引き締まった表情をしていた。

 セカンドと同じく、メンバー交替が少ないのがライト。そのライトにも違う選手が入った。大人しい選手のようで、ベンチからは、「ライト声出せー!」という檄が何度も飛んでいた。気分をほぐしているのか、ジャンプをしたり、明らかなファウルボールをファウル線ギリギリまで追いかけていた。ついさっきまで、あのボールを拾う立場だった選手だ。バッターは右中間ややライトよりのフライを打った。彼は懸命に走って、なんとかグラブにボールを入れた。ちょっと危なっかしかったけど(笑)。そのあと、右手を挙げ、指でアウトの数を表す仕草をした。遠く外野から、彼の声が聞こえたような気がした。

 今日は、いい天気だった。すごく暑かったけど。太陽の光がとけ込んだようなやや白みがかった青空に、ベンチの選手がボール回し用の球を野手に向かって投げた。小柄なその選手のゆったりしたフォームから放たれたボールは、大きく高く弧を描いた。

 昔よく聞いていた川本真琴の歌にこんな歌詞があった。
 ♪見えなくなるほど遠くに ボールを投げれる強い肩 うらやましくっておとこの子になりたかった



2003年05月02日(金)
最後の夏。最初の夏。


 ある年の夏、スタンドでOB父兄さんと再会し、話に花を咲かせた。その日は日曜日だったため、OB選手の姿がちらほら。その父兄さんの息子さんは、前年夏にレギュラー選手として、グランドに立っていた。

 「初戦(この前の試合)はうちの子も来てたんよ。でも、今日は来てへんわ」。息子さんの話をふると、そういう答えが返ってきた。今日は日曜日。大学生である彼は学校も休みなはずだ。はは〜ん、彼女でもできたか?理由を聞いてみた。

 「なんか、“感動しすぎるから行きたくない”って言ってたよ」。

 感動しすぎる…か。実際、私もその試合を見てたけど、そこまで仰々しい内容のゲーム展開じゃなかったけどなあ。

 そういや、前の夏、彼はこんなことを言ってたらしい。「早く終わって、遊びまくりたい」。

 それから1年。グランドの外から見る最初の夏がやってきた。自分はもうこの舞台に立てない。それが寂しいんだろうな。




2003年05月01日(木)
子供たちのあこがれ


 野球選手は、子供たちのあこがれの一つです。将来プロ野球選手になりたい。甲子園に出たい。そんな思いを胸に球場で試合を見ている野球少年を見るのが、私は好きです。

 でも、私のしている仕事も負けてませんよ〜。店が開いているときは、腰から大きな電卓みたいな機械をぶらさげ、ブラインドタッチで商品を数えている姿をじっと見ている子供は少なくないんです。私から見たら、熱病にうなされいている人みたいなのですが、子供たちにとっては、「あのお兄ちゃん(あるいはお姉ちゃん)、すご〜い」となるようです。

 私はその機械に慣れておらず、なんちゃってブラインドタッチ程度しかできないので、まだ子供たちの熱い視線を感じて仕事をしたことはありません。ですが、この仕事を続ける限り、一度は背中越しに「すんげ〜」とか言われてみたいでものす。残念ながら、普段使っている機械が片手で持てる小型のものなので、なかなかその域に達することができませんが。

 ところが。こないだ、仕事帰りに先輩が言っていました。「でも、この子らが大きくなったころには棚卸自体がなくなってるかもね」。