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2001年03月02日(金) ■ |
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雨よりも、雷よりも… |
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富山アルペンスタジアムへ行きました。対戦カードは、オリックスー日本ハム。しかも、生まれて初めてのバックネット裏。よくテレビに映るところ。油断出来ないなあと思いつつ、朝早くに起きて富山へ。
地元の友人と富山駅で合流。駅前から出ているアルペンスタジアム直行バスに乗り、いざ出発! しかし、現地の地理を知らない私にとっては、「どこ連れて行くねん!」と思うくらい遠く感じたのを覚えています。 球場全体の印象は、長野オリンピックスタジアムと西京極球場を足して2で割った感じ。入って見ても、広すぎず狭すぎず、嫌味がない。人工芝の不自然に鮮やかな緑が珠に傷かな、とは思いましたが。
オリックス・戎、日本ハム・関根で始まったゲームは、試合前まで予想だにしなかった雨と雷で三度中断し、5回まで無理矢理ゲームを進めて。7−1で日ハムの大勝。6時15分に始まった試合は、審判のゲームセットの声を聞いた10時前にようやく終了。しかし、見応えのあるゲームだったことには間違いありません。
1回表、日ハムの攻撃では、“あわやライトゴロか?”というイチローの強健ぶりが見れました。あの低い軌道を描く送球には、思わず息を飲みました。観客の大半は、おそらく“イチローの4割の瞬間”が目当てだったと思うのですが(結果、3打数1安打、打率.395)で、このプレー一つでも充分にイチローを堪能出来たのではないかと思います。
このゲームで感じたのは、“継投のタイミングはいかに難しいか”ということ。両投手とも、1回目の降雨中断後は気持ちを切り替えて三振を取ったり、緩い球でピンチをしのいでいました。ですが、2度目の中断後、オリックス・戎が打ち込まれ、マウンドを降りました。日ハム・井出が出塁し、小笠原の巧打、片岡の二塁打、さらにオバンドーの犠牲フライ、島田のスクイズ…。ここで戎がキレてしまいました。スクイズの処理をしきれなかったその直後、地面を蹴っていました。イライラをあらわにしていたので、空気が張りつめているのを感じました。野手や捕手がマウンドに歩み寄って声をかけたり、背中をポンを叩いていましたが、表情が和らぐことはありませんでした。再三の雨、ポテンヒット、プロらしからぬ細かい攻め…イライラの要素は尽きない。八つ当たりするかのように自分の太股を叩く戎を見て、私は背筋が縮こまってしまいました。“これくらいでイライラするようなら、投手失格だな”などという理屈は横に置いて。
外野ではおろか、内野席ですら感じることのなかったものがそこにはありました。別に害は及ばないし、ましてや本人には聞こえないのでしょうけど、何か言ったらこっちにグラブでも飛んできそうで怖かった。野球を観て“怖い”と思ったのは、初めてではありません。ですが、その“怖さ”は今まで感じた怖さとは意味合いが違うものでした。試合展開た勝負の“怖さ”は幾度となく目にしていますが、今回のは“自身に身体的危険が迫ってくるかもしれない”という“怖さ”。背筋が縮こまったのは、そんな空気を感じたからで、そしてそれがバックネット裏の醍醐味の一つなのかもと思いました。
その後、日ハムは、戎の二の舞はゴメンだとばかりに、好投していた関根をあっさり代え、代わった高橋憲がポンポンをストライクを取り(天候が天候であるため、場内に「早く(試合を)終わらせよう」というせかした雰囲気があったことは否めませんが)、オリックスの反撃を封じ込めました。何とも皮肉な結果。
雨に濡れ、雷に驚き、4時間かけて5回しか見れませんでしたが、新たなプロ野球の魅力を肌で感じることができたのは、貴重な経験だったなと思います。
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2001年03月01日(木) ■ |
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大きなところで |
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「バントで右に転がせと言われて、左に転がしてしまったら、即ビンタ」。 石垣島から来たという新入部員のお父さんに、「息子さんがいたチームはどんなチームだったんですか?」と質問をしたとき、そんな答えが返ってきた。
それは、沖縄の高校のグラウンドへ行ったときのこと。その日は、入部式。学ラン姿に、まだ刈られていない頭の新入部員たちは、保護者からもらったサーターアンダーキーとスポーツ飲料を手に、グラウンドで汗を流す先輩たちを見ていた。
「そこに座っているのがせがれです」。お父さんは私のすぐ隣のベンチに腰掛けている学ランの少年を指さした。神妙な顔をして先輩の練習を見ていた彼の顔はまだあどけなく、そんな厳しい環境をくぐり抜けて来たとは思えなかった。「だから、寮生活も心配してません」、彼の父親はそう言った。強豪校であるその高校の寮生活の厳しさは有名だ。
野暮だとは思ったが、何故この高校を選んだのか聞いてきた。「先輩がいるっていうのもあるけどね。大きなところでやりたかったんじゃない?」
大きなところで、か。 “強いところで”でも、“甲子園に出れそうなところで”でもなく。 離島で暮らしているからこそ出てくる言葉だなと思った。私たちではとても無理だ。
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