Desert Beyond
ひさ



 幾つかの夢、映画

最近はvividな夢をよく見る。

数日前、内容がおかしな夢を見た。
啓示みたいな感じで夢の中で
月の訪れに感謝して、月の満ち欠けを敬う、とういうような
月に信心を、というのかなぁ、どっちかというと
ひとえに月に感謝しないさいっていうような夢を見た。
夢の中で、誰かから言われたわけでもないんだよなあ。
僕は月の満ち欠けが載った日めくりカレンダーを
夢の中でぺらりとめくっていた。

その次の日かなぁ。
渋谷でやっていたストレス満点の仕事の夢を見た。
あのプレッシャーに再度チャレンジというような内容で
僕があの職場に復帰して一発目の授業をしていた。
話し方も考え方も全部気を使って神経が張り詰めていた。

そしてそのまた次の日、
浦和でやっていた塾の講師をしている夢で
塾の室長と意見を交換しながらも
これまた少々ストレッスィンな夢だった。

ゆうべ、ヨーロッパをバックパッキングする夢を見た。
フランスからスタートだったんだと思う。
バックパッキングと言っても歩きなんだなあ。
フランスの田舎でちょっと寒いと思ったり
キャンプ場でキャンプしたりして
北上してもいいけど国がごちゃごちゃしてるとこで
入出国でトラブルがあったりすると面倒だと思って
南下していこうって夢の中で決めていた。

夢の事ばかり話してしまったけど
最近は本当におかしな夢ばかり見るよ。

最近また雨が降ったり止んだり
冷たい風が吹いたりあったかくなったり
咲き出した花の香りがしたり
冬の風が鼻をつめぇたくしたりする。
こないだなんて空の9割が青空だというのに
いきなり雨が降ってきて
その雨とともに気温が一気に下がった。
雨は氷の粒みたいな冷たさで
手はかじかんで息は白かった。

それでも数日前と比べると
桜は毎日少しずつ花開いてきている。
去年の今頃僕は埼玉で荷造りしようとしてたのかな。

最近いくつかの映画をDVDで観た。
ウブメの夏をみたよ。
前半は悪くて後半は良かった。
アバウトシュミットっていうジャックニコルソンのも観た。
スパイゲームをやっと見た。
ロバートレッドフォードはかっこいいね。
昨晩、リクルートという映画を観た。
アルパチーノの演技ってさすがだと思う。引き込まれる。

そういえば一番重要なこと!
僕はシダの世話をしなくてもよくなったのだ。
もうこないだの日記の次の日からかな。
僕はあれだけシダのために考えて
シダと少しずつ仲良くなったのに
もともと世話をしていた人が
春休みの帰省先から帰ってきてしまったので
僕は一時的な温室の管理をしなくても良くなってしまった。
正直シダの管理を続けたかったけど
これもまた縁だね。
また会う日まで。

2006年03月31日(金)



 存在感

最近は雨が降った日があるかと思うと
その次の日はふわりと晴れた日になったり
またそうかと思ったら雨がさらさらと降る。
そんな日々が織り成しながら春になっていくんだなあ。
雨が降ったからといって寒くもないよ。

晴れたときにあまり花粉症がひどくないので
もしかしたら克服した?と勝手に考える。

シダの世話に温室に入ると
晴れのときも雨のときも独特の空気。
シダ植物ばかりの温室で
リョウメイシダというのとモエジマシダってのが
小さい鉢から大きい鉢までぽこぽこと植わっている。
晴れの日は温室なのでむわっとしたあったかい空気だけど
なんだか新鮮なんだなぁ、空気自体が。
雨の日は温室のドアを開けて
雨から逃げ込むように入ると温室の中で
シダたちはしーずかに迎えてくれるような感じ。
ビニールハウスに雨がぽつぽつぽつとあたって
彼らはじっとしている。
なんというか、存在感みたいなのがちゃんとある。
今までどんな世話をしてきたのか雑草が結構生えていて
僕は毎日少しずつ温室を綺麗にしていったり
そういう鉢植えの中の雑草を抜いたりする。
箒で掃くと、閉じた空間なので埃が舞って
少なからず自分で吸い込むことになる。ごほごほ。
時間と最低最高気温湿度を記録して
僕は静かに温室のドアをしめる。

この間、夕暮れ時に西に向けて自転車で帰るとき
(僕はたいてい東に出かけるので帰りは西)
太陽はぎりぎり見える限界で
その太陽ときたらまるで太陽じゃないみたいだった。
いくら直視しても目に焼きついたりしない
とても綺麗な茜色をしていて
いつもよりも1.5倍ほどの大きさだった。

2006年03月23日(木)



 冬、再来!

今日は本当に寒い一日だった。
いつも自然に目が覚めるのは8時くらいなのに
今日は目が覚めたら13時過ぎだった。
Wake up when I wake up.
I know. It's such an easy life...
一度明け方に目が覚めたとき
外には雨か霰か雪かわからないけれど
とにかく何かが空から降っている音がした。
13時に起きると外はからりと晴れていて
青い空にはもくもくとした白い雲のかたまりが
ぼんぼんと浮かんで
じっと見ているとじわじわと動いていた。

毎日14時プラスマイナス30分に
僕は大学の温室にシダ植物の世話をしに行くわけです。
今日はシダたちは「そろそろ水がほしいな。」と
口々に言っていたので「よかろう。」と
丁寧に水をあげてきました。
自分の部屋はちらかすくせに
共有の場をちらかしたりだらしない状態にしておくのが
どうしても我慢できないおかしな神経質なので(O型)
毎日温室のどこかしらを綺麗にしようと
ほうきで掃き掃除をしたり
ホースを丸めて邪魔にならない場所に置いたりするのです。

夕方。
大学からの帰り、おそろしく寒くて
イアフォンから流れるUAの"Horizon"が映える。
眩し過ぎるオレンジな夕日が西から光線を街に投げかける。
西に動く雲は鳶色で、そんな光景が美しかった。
過ぎ去ってしまったと思った季節が再来し
僕はそんな冬を楽しむように
手袋をわざとしないで自転車に乗った。
手は本当につめたぁくなってかじかんだよ。

夜。
昨日は見ていたのに今日は見忘れるとこだったよ、月。
ちょうど東から昇って
真っ白に夜の街を照らし出していた。
近くにある雲を空に浮かびあがらせるほどの眩しさ。

夜中。
月はこの世の唯一の光であるかのように
ずいぶんと堂々として僕と街を照らした。
月に1、2回の事だからそうさせてあげるか。
あんなに月が明るいというのに
空には星が負けじと輝いていたよ。

はっぴいえんどの「続はっぴーえーんど」1:41。
ねえ、君は本当に幸せなの。

2006年03月14日(火)



 モエジマシダ

昨日は本当に天気がよくて
もう春だなぁと実感した。
自転車をこいで学校へ行った。
温室のシダ植物の世話を毎日することになったから。
温室の中は暑くて、気温やらをメモしていたら
汗がでてきてしまうくらいだった。
丁寧に小さな鉢ごとに少しずつ水をあげて
ずいぶん長い間されてなかっただろう掃き掃除もした。
植物のためにひとしきり働くととても良い気分になった。
帰りはあまりにも良い天気なので
自転車で遠回りして山際の古い街を
ゆっくりと走って帰ってきた。


世界遺産って本当にいい番組だなぁ。
心が洗われるようで
ああいう景色の美しさや
歴史の深さと比べると
僕の持つ悩みや悲しみなんかは
これっぽっちにすらならないんだと思った。
世界中にある世界遺産を見に行きたいと思った。
日本は国が小さくて
人口も多いから自然が少なくなっていくのが悲しいな。
そう思ったらまずは日本の世界遺産を
自分の目でしっかり確かめてみたいと思った。

2006年03月12日(日)



 I believe in yesterday

風なぎ。
風は音はたてずにのんびりとはしる。
その風は春になるために一度
誰にも断ることもせずに凪いだ。

たまにはいいと思って
生徒の家にあったビートルズのCDの
ありきたりだけどYesterdayを教材にして
わかるようなところをいくつか穴埋めにして
曲を楽しみながらリスニングの練習をした。
これ以上わからないというところまでいってから
その姉弟と一緒に曲の意味を考えていった。
Now I am half the man I used to be、か...。

今日は昨日より幾分さむかったけれど
昨日の春爛漫のような温暖な日までとはいかないが
なかなか春っぽい曇りの良き日だったと思う。
同級生達と昭和すぎる食堂に16時前にご飯を食べに行った。
高砂町にあるからさ、その食堂の名前は高砂食堂。
うん、そのまんまだよ。
伽藍とした店内。家庭用の小さな水槽に金魚が数匹。
沢山説明をすればよいのだろうけど
きっとそうすると高砂食堂の昔っぽさは
逆に失われて伝わるんだろうなと思う。
おじさんは僕らが店内に入ったときは
電卓と一枚の紙切れをテーブルにおいて
老眼鏡をかけながら何かしていた。
僕らが好きな席に着くと
老眼鏡をテーブルにおいて、寡黙にキッチンに向かった。

アルバイトの前に少しだけ眠った。
心臓の話をしたけれど
起き抜け一番に、人の体ってすごいなと思って
いつも動いてくれている心臓に感謝した。
きっと僕は心臓の病気でも何でもなくて
ただ健康な体なんだと思うけど
なんかそういう普段なんとも思わないところに
本気でありがたく思えるのっていいことだと思った。
だって生まれてから一度も止まったことはないんだよ。
楽しいときも悲しいときも
辛いときも怠けているときも
眠っているときもずーっと動いてくれているんだね。

ほうれんそうのおひたしは毎回失敗する。
食感が残るようにしようと思っても
余熱でどうにもやわらかすぎるほうれん草になってしまう。
だめだね。

ただ涙だけがだらしなく落ちるというような事はもうなく
自分で考え抜いても
はっきりとした結論のようなものに辿り着くような事もない。
喪失感や悲しみが波のように
心に絶え間なく押し寄せることもないわけで
ちょうど瀬戸内の海のように
沢山の想いは境界など何もなく
心に音もたてずに静かに揺れているのです。
風が吹けばきっと水面に波もたつのかもしれない。
でも今はそのようなこともなく。
風なぎ。

2006年03月09日(木)



 春ありがとう

大学でのアルバイトは石を削るものから
本の引用文献を集める仕事にかわって
パソコンを使って間違いを探したり編集したりで
かなり瞬きが少なくなる。目が疲れる。
明日からはシダ植物の温室の管理もすることになった。
てくてく歩いていってあたたかい温室へ。
温室の中は土の匂いがしたよ。
温室管理の方法を教わるために今日は朝8時半起き。

安い豆腐は豆腐というような豆腐じゃない。
なんというのかなぁ。寒天っぽい固まり方。

かつおのたたきが安かった。
ゆっくり食べたらおなか一杯になるような大きさ。
たった250円だったよ。
いつも行くスーパーマルナカの決算セールなんだって。

スポーツニュースで長嶋が言いこと言ってた。
亀田興毅のリングでのインタビューの映像のあと
僕らはあの個性を殺しちゃいけない、って。
日本の文化って個性とかちょっとはみだしたりするものを
執拗にはじきだしちゃうようなところがある。
のびのびとみんなが頑張れればいいと思う。

なんだか昨日の夜あたりから胸がいたい。
心の問題じゃなくて、心臓あたりがさ。
僕に万が一の事があったら
たぶん誰も気づかずにしばらく経っちゃうんだろうな。
この日記もしばらくあけたことあるし
メールやなんかも返さなかったりするし
ぴたりと音信不通でも不思議に思う人がいない。
唯一学校のお手伝いと家庭教師のアルバイトで
気づいてくれるかどうかだろうなぁ。
一人暮らしってこんなもんなのかな。

浜ちゃんと、って深夜番組で
劇団ひとりと作曲家のキダタローのからみが
本当に面白くて夜中なのに声を出して笑った。
少し心臓が痛かったけどとにかく面白かったよ。

今日は朝からお昼までしっかり働いて
それから家に帰ってきて洗濯をした。
家に帰ってくるときは春を謳歌しようと思って
わざとマスクなんてしなかった。
たくさん春の空気を吸って
新しい優しい始まりの季節を味わった。
予想を裏切ってとくに花粉でつらいことにはならなかった。

昼下がり、ねむぅくなってベッドに横になった。
ベランダに干されたハンガーにかかった洋服は
春とおなじくして優しくゆらゆらと風に揺れていた。
ベッドにねっころがっていたせいで
ぼおっと逆さまにそれをみていた。
となりの施設では子供が遊ぶ声が響いて
遠くからは物干し竿売りなのか石焼き芋売りなのか
小さなスピーカーから流れる抜けた声が
街にふわふわ響いて僕の耳までなんとか届いた。
気持ちのいい春の午後だなぁと思っていたら
いつのまにか僕は寝ていたのだった。

2006年03月08日(水)



 文旦をふたつ買う。

夕方西に向けて自転車を走らせながら
空に浮かぶ細い受け月が綺麗だと思ったり
雨が思ったよりあたたかいと感じたり
アルバイト先の中学三年生に
受験前最後の授業で頑張れといったりしていたら
いつのまにかこないだ日記を書いてから
一週間近くも経ってしまっていた。

今は夜中。西には暗く赤い半月が浮かんでいた。
同じく西に自転車を走らせながら
はやく4階の家からあの暗い赤い月が
何も言わずに西の空低くに浮かぶ様をみたいと思った。
家のドアの前で西を見た。
思ったより目には街の明かりが入り込んできて
想像したような幻想的なシーンではなく
月よりも、向こうに見えるマンションの
常夜灯のひとつが切れかかって
ちかちかしているののほうが目立った夜景色。

昨日。アルバイトの帰りにジャスコに行った。
若い夫婦がお酒売り場に歩きながら口げんかをしていた。
奥さんは乳母車を押して、3歳くらいの女の子かな
そのこは不安そうに夫婦げんかをだまってみていた。
何だかよくわからないけどバナナがどうとかで
男は大きな声を出して奥さん(?)を謝らせようとしていた。
どんな理由であれ犠牲者は子供だなぁ、と思って
その女の子の事をおもうと胸がすごく痛んだ。

確実に花粉の飛ぶ季節はやってきた。
僕=花粉探知機、と言っても良い。
花粉症の季節はしっかりはっきりと始まったのです。
嫌でもマスクをしなくてはいけないのです。

安かったので文旦を買った。
文旦はレモン色。
レモンは文旦色かぁ。
今ちょっとむいて食べてみようと思う。
.................
..................
いてて。文旦の皮をむくときに
文旦ミストがテーブルにスプレイされる。
右手の親指に少しきり傷があって
そこがとても沁みた!
文旦ファンからはしかられるかもしれないが
特に伊予柑やデコポンならだめで
文旦なら良しというような点がみつからない。
淡い味なのに爽やかでキツイ酸味。
舌がぴりぴり。
て、この文旦が食べごろじゃないのか!?
ぼりぼりぼり。



2006年03月07日(火)



 山陰放送

昨日は丑三つ時を過ぎたあたりから
いつまでたってもぽつぽつ雨というふうに
灰藍色の夜空から水が落ちてきた。

今日は朝起きると
いつもの雨の日のように
ベランダの方から雨が何かを叩く音が聴こえた。
今日は大学に行かなくてもいいかと思った。
もう一度目を閉じたよ。
[二度寝]
雨の日はやっぱり憂鬱な気分になる。
そこまでガクンと落ちたりしないけど
静かに低いところを目立たずに飛ぶ感じだ。

午後にスーパーに行って鯖の切り身を買った。
1つは焼いて、もう2つは味噌煮にしてみようと思った。
お米も買った。
スーパーに行くときも買えるときも
雨は雲から地上に降り続ける。

東を見ると
低い山は雨と靄で霞んでよく見えない。
あんなに低い山なのに
雲がたまに巻きついているのがわかる。

ネットテレビ。
愛媛にセットしても
チューナーにはいくつもの番組があって
そのほとんどはノイズだけで見れない。
うまく説明できないけれど
瀬戸内海放送
山陰放送
僕にとっては言葉の持つ響きがすごく大きい。
特に山陰放送って、自分の中の山陰のイメージが原因なのか
山間の時間がゆっくり流れる場所で見れるような。
そこでは家々はまばらで
朝には九十九に続く低い山々に霧がかかり
夕には田んぼから山まで薄く靄がかかる。
おばあさんもおじいさんも
「こんにちは」とあいさつする。
きっと人々は朝が早くて
夜は早々に寝静まってしまう。
そんなときも夜更かしさんたちは
山陰放送を見ているんだろうな。
星は信じられないくらい綺麗で
闇はこわいほど深くて
人の住むところに自然があるんじゃなくて
自然の中に人々は住んでいるような場所。
そういう想像は人恋しい気分にさせる。
そこはかとなく寂しくなる。


スーパーから家に帰ってきたら
ポストに大きい封筒が入っていた。
この間の集中講義の講師だった
金沢大学のおばさん教授からだった。
温泉玉という温泉でできる特有の石ころについて
その形成過程の論文がどうしても読みたいと
自分の気持ちを強く伝えたら
住所を教えてくれといわれて住所を書いた紙を渡した。
きっと帰ってからすぐに論文を手配してくれたんだろうな。
全部で6つくらいの論文が封筒に入っていた。
そうでなくても読むものが沢山あるのに
一気に読むものが増えた。ありがたいありがたい。


何でなのか全くよくわからないけど
寂しさには波があって
一人で何も話さずに過ごしているのが辛くなるときがある。
キャッチボールはないとしても
テレビやラジオは向こうからこっちに話しかけてくれる。
音楽やビデオは話しかけてくれない。
一人暮らしはテレビをつけっぱなしで
出かけたりするって話をたまにきくけれど
そういうのは寂しさが先行するんだろうなと思う。
気持ちがわかる。
帰ってきて電気がついているのと
そうじゃないのとでは全く違うと思う。
僕はいつものように
部屋がくらくても「ただいま」って言う。


2006年03月01日(水)
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