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2020年05月31日(日)
「米中戦争」は「関ヶ原の合戦」に似ている

今、加熱している「米国・中国」の世界勢力争い。
これからどうなるのかなぁ、と他人事のように眺めていたら、
ある方が「関ヶ原の合戦」のような様相を呈してきた、と説明。
これには、なるほど・・と頷くしかなかった。
「東・西」と別れるだけでなく、お互い他国に揺さぶりをかけ、
いざという時には、味方になってくれるように策略を仕掛ける。
これから味方のフリして寝返ったり、国の存続をかけて、
どちらに付くか、究極の選択を求められることが予想される。
戦い後の論功行賞は、どれだけ勝利に貢献したかが鍵となるのだから、
こういう時に「経済は中国、安全保障は米国」なんて、
二股かけることは許されないはずだから、日本の立場は難しい。
(関ヶ原の合戦では、真田家だけが両方に分かれて戦ったが(汗))
新型コロナ禍で世界中が大騒ぎしている中、現代の「関ヶ原の合戦」、
「米中戦争」は、確実に近づいているという感じがしなくもない。
まさか、どちらの味方にも付かない・・なんて判断はないよねぇ。



2020年05月30日(土)
「うちの旦那、神なんで・・」「うちの旦那の方が神かも・・」

久しぶりに、リアルで集まっての情報交換会。
どうしても話題は、コロナ騒動になるけれど、
家族と一緒にいる時間が増えてどう?と問いかけたら、
「うちの旦那、神なんで・・」と返事が戻ってきた。
奥さんのお手伝いというより、家事を率先してくれるし、
こうして、夜の集まりにも気持ちよく出してくれる。
そんな旦那に、感謝を込めて「神」と表現してくれた。
それを聞いたもう1人の女性が、サラッと
「うちの旦那の方が神かも・・」と、どんなに素敵な夫か、
その場にいた男性陣に説明してくれた。
それを聴いた私は、ほとんど言葉もなく、
「それは、神だわ。大事にした方がいいよ」しか、
アドバイスができなかった。
久しぶりに耳にした、妻の「旦那自慢」。
夫の悪口を聞かされるより、とっても爽やかだった。
もちろん「私は、神(上)ではなく下だけど・・」と
付け加えるのは忘れなかったけれどね。



2020年05月29日(金)
ザクロの赤い花、ヤマボウシの白い花

職場近くのスペースに「紅白の色」が輝いている。
その仕掛け人は、ザクロとヤマボウシのコラボ。
偶然たど思うのだが、この2本の木、根元近くで交差し、
よく観察すると、木自体は絡み合ってはいないけれど、
寄り添った感じで、仲良く同じ時期に花を咲かせている。
「ザクロの赤い花」「ヤマボウシの白い花」
こんなことでも、スポットのあて方次第では、
暗いニュースの多い中、明るい話題として提供したい。
観光でよく使われる
「今だけ、ここだけ、あなただけ」の情報提供は、
言葉を変えれば「誰かに教えたくなる情報」ってこと。
先日、報道関係の人に教わった、プレスリリースの基本。
なるほど・・simpleに考えればいいんだなぁ。



2020年05月28日(木)
サワガニやカタツムリは「雨上がり」ではなく「小雨の中」

これから梅雨に入り、新緑の柿田川公園は、
いろいろな生き物が元気よく活躍する季節でもある。
先日、天気の良い日の昼頃だったかな、
「サワガニいないねぇ」と、一生懸命、探している親子や
「カタツムリがいるって聞いたんだけどね」と話している子供たち。
何気なく耳にして、ついつい、教えたくなってしまった。
「サワガニとか、カタツムリは、雨が降らないと・・」と伝え、
「こんな天気の良い日に来ても、たぶん見つかりませんよ」。
「えっ、そうなんですか?」と、ちょっと恥ずかしそうに、
「じゃあ、いつ来れば、見つけやすいですか?、
やっばり、梅雨の合間の雨上がりですか?」と言うので、
「私の経験では、雨上がりより、小雨が降っている時の方が、
いっぱい見つかると思います」と答えておいた。
それから数日、同じ親子に柿田川公園でばったりあったら、
嬉しそうに駆け寄ってたきて「先日はありがとうございました。
おかげで、驚くほどのサワガニやカタツムリを見つけました」と。
子供たちにとっては、新緑の美しさや紅葉よりも、
自然の中で見つけた「生き物」の方が興味があるらしい。
これもデータとして、記録に残しておこうっと。



2020年05月27日(水)
「寝る子は育つ」ではなく「横になる子は育つ」

最近、帰宅後、夕食前にお風呂に入ってしまい、
入浴後「気になる一言」を書いてから、夕食。
夕食で、飲み過ぎてしまうのか、しばらくするとウトウトし、
午後9時過ぎには、もう睡魔が襲ってきて、布団の中へ。
おかけで、翌日朝の起床が、早いけれど・・。(汗)
今頃になって「早寝早起き」を実践しているけれど、
面白いことに気が付いた。
不思議なことに、体がとても楽・・なのである。
「寝る子は育つ」って、こういうことか・・と思って、
調べてみたら、体を横にすることがいいらしい。
重力に逆らって、垂直に脳まで血を送るのと、
横になって、ほぼ水平に脳まで血を送るのでは、
確かに、心臓の負担が大きく違うようだ。
だから、疲れた時や酔い潰れた時、(笑)
「横になりなさい」と言われたことが理解できた。
小さい頃から、心臓に負担をかけないために、
「早く寝なさい」って言われていたんだな、きっと。
本来は「寝なさい」ではなく「横になりなさい」か。
なるほどなぁ、睡眠の量や質ではなかったんだ、と気付いた。
「寝る子は育つ」ではなく「横になる子は育つ」
高齢者だと「横になる老人は長生きする」ってことか。(笑)



2020年05月26日(火)
刑罰は、移動の自由を拘束すること

(すみません、メモが増えて、情報源を書き忘れました。)
たぶん、NHKの番組だったと思われる。
人間にとって、移動の自由を制限することって、
とても辛いことの証拠に、悪いことを犯した刑罰は、
一番極刑の死刑と、一番軽い罰金を除き、全て移動の拘束。
禁固刑、投獄、刑務所、牢屋・・など、イメージする刑罰は、
確かに、他人との接触を避け、移動(行動)の制限が罰とされる。
今、全世界で、この「刑罰」が行われている、と考えたら、
多くの人が、ストレスを抱え、イライラするのが理解できた。
刑務所には入っていないけれど、執行猶予付きの刑罰、
そんな感じなのかもしれない。
「自粛」という簡単な2文字で「行動制限」をかけたけれど、
実は「刑罰」に等しいくらい、人間にとって辛いこと。
さらに、コミュニケーションも制限されるとあって、
「人が集まる」こともままならない状況が続いている。
あとは、どこまで耐えられるかなんだろうなぁ。



2020年05月25日(月)
麻雀は一人じゃできないんだよねぇ

「黒川検事長の賭け麻雀についてどう思いますか?」
こんなメールが届き、是非について質問されたけど、
「政治についてはあまりコメントを残したくないけど」と
前置きをして、こうコメントしておいた。
「黒川氏の処分については、私にその判断材料がないから
是非を聞かれてもお答えできません」。
ただし、私が気になるのは2つ。
一つは、世界の国々がどうみているか?ってこと。
司法のナンバー2がこういうことをする国って大丈夫?って
思わないかな。日本の信頼度が落ちないかな、ってこと。
それで「円」の価値が急落するようなことがあったら、
国全体の産業にも影響が出るし・・と思った。
もう一つは、野党やマスコミが、ここぞとばかり
「賭け麻雀」は「賭博罪」と大騒ぎしているけど、
麻雀は一人じゃできないんだよねぇ、とコメントしておいた。
これ以上、追求するなら、他の3人の名前も出さないと、
おかしくないかな、と思っていたら、
ネットでも、同じことを書いている人がいて、ホッとした。
黒川氏だけ名前も顔写真も出て、あとの3人は関係ない、って
それこそ、差別じゃないの?って。
また1人ターゲットを決めて、みんなで誹謗中傷の嵐、
もううんざりって感じなんだよなぁ。



2020年05月24日(日)
鳴かぬなら放してやろうホトトギス

「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」(織田信長)
「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」(豊臣秀吉)
「鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス」(徳川家康)
誰もが一度は耳にしたことがある狂歌。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、三人の大名の性格を
言い表した句として有名であるが、
では、NHK大河ドラマで主役となっいいる明智光秀なら・・と
ついつい考えてしまうのだが、あるテレビ番組で、
明智光秀の人物像にスポットを当てた特集を組んでいた。
その中で「家臣にとても優しかった性格」がクローズアップされ、
コメンテイターの一人が、サラッとこう呟いた。
「鳴かぬなら放してやろうホトトギス」
このワンフレーズで、明智光秀の性格の良さが理解できた。
信長、秀吉、家康は、性格は違えど、全て「籠の中」のホトトギス。
光秀の「新しい世界へ向けて飛び立たせよう」とする気持ちが、
とても心地よく響いた。
私も以前「鳴かぬなら私が鳴こうホーホケキョ」とボケたら、
しもさん、ホーホケキョは、ウグイスですよ」と指摘され、
大恥をかいたことを思い出した。(笑)
今の私なら「鳴かぬなら鳴く時教えてホトトギス」かな。
ずっと観察して、鳴く時間の統計をとっている気がするなぁ。



2020年05月23日(土)
明月院ブルーに魅せられて

写真投稿サイトだったかな。
撮影場所は「2019年 神奈川県鎌倉市明月院」(今年はこれから)
「有名な鎌倉の紫陽花寺。
雨の翌朝、明月院ブルーと呼ばれる美しい青い紫陽花が、
参道に咲き誇っていました」のキャプションが添えられて、
とても癒される構図だった。
気になったのは「明月院ブルーに魅せられて」というタイトル。
紫陽花のブルーだから、そんなに変わりはないと思うけれど、
「明月院ブルー」の命名に、なんとなく納得させられてしまった。
柿田川第2展望台から見える、青い湧き間。
周りの人はその色合いから「神秘のブルーホール」などと読んでいるが、
やっぱり私は「柿田川プルー」と特定したい。
もちろん、季節、時間帯、天候によっても「柿田川ブルー」は違うけれど、
ブランドイメージとして「柿田川ブルー」という色を世に出したいと思う。
(実は、他の場所でも「柿田川ブルー」と呼べる場所ありますから)
いつの日か、誰かの投稿に「柿田川ブルーに魅せられて」と
書かれることを夢見て、これからも定点観測を続けていこうっと。



2020年05月22日(金)
「人間」は「人間」に腹が立つんです

最近のネット記事やテレビ番組、新聞を観ていると、
このコロナ騒動をきっかけに、溜まっていた不平不満を
誰かをターゲットにしてぶちまけている、そんな気がしていた。
接触しなくなったから、腹が立たなくなったわけではない。
想像、妄想が膨らみ、あるいは、フェイクの情報に一喜一憂し、
わけもなく、自分の中で怒りが込み上げてくるらしい。
以前は、誹謗中傷もこんなに凄くなかったのになぁ、と思っていたら、
誰かが、面白いことを言っていた。(科学者の武田教授だったかなぁ)
「『人間』は『人間』に腹が立つんです」
なるほど・・とメモしたのは、言うまでもない。
どんな災害があっても、自然に対して腹を立てている人は少ないし、
また、動物や植物などにも、腹を立てる人はあまりいない。
もちろん、自然が作り出す景色に怒り出す人は皆無である。
ということは、「人間」に腹が立ちそうになったら、
意識的に自然の中へ身を置くことが、いいのかもしれない。
外出自粛が解除されたら、やっばり人混みよりも、
自然いっぱいのところへ足を運ぶ方が腹が立たないってこと?。
(柿田川・柿田川公園を宣伝しているわけではありませんよ(笑))



2020年05月21日(木)
「Aチーム」「Bチーム」で結論を出し、判断は指揮官がする

「コロナ騒動」をやや客観的に眺めていて、気付いたこと。
国レベルの安倍首相や各都道府県の首長である知事、
そして、地方自治体の市町村長のリーダーシップが浮き彫りにされ、
ネット上では、そんなリーダーの通信簿まであり、国民、住民で採点、
その時その時の判断、行動力が注目を浴びている。
本当に心の底から相談できる参謀(ブレーン)がいれば別だが、
それ以外は、首長が結果次第では責任を追求されることも覚悟しながら、
最終決断をする場面が出てくることがある。
できるだけ判断を誤らないためには、どうしたらいいのか、
そんな組織論を読んでいたら「検討チームを2つ作る」にぶつかった。
それぞれのチームに、メリット、デメリットなどを検討してもらい、
2つの違った判断材料を目の前にして、指揮官が判断し指示を出す。
検討組織が一つだと、違った方向からの検討がされないまま、
結論ありきのデータが示されてしまう危険性がある、ということ。
だから、大事な判断を求められた時は、
「Aチーム」「Bチーム」で結論を出し、判断は指揮官がする、
それでも責任は全部、指揮官。判断に迷ったら、これかな。



2020年05月20日(水)
「世の中がどう変わるか?」から「世の中をどう変えるか!」へ

政府から提案された「新しい生活様式」を眺めていて、
みんなで、この生活スタイルがスタンダードになったら、
「世の中がどう変わるんだろう」という話で盛り上がる。
これって、自分ではけっこう前向きな視点で捉え、
この新しい生活様式をどう活かしていこうかな、
そんな発想ばかり浮かんでは、その都度メモしてきた。
ネットに投稿している人たちの記事を読んでも、
たぶん、こんな社会になるから、こんな暮らし方をしよう、
みたいな内容が多かった気がする。
だけど誰一人、これを機会に、世の中をこう変えていきたい、
坂本龍馬ではないが「日本を今一度、洗濯いたし申し候」
というような発言は、なかなかお目にかかれなかった。
自分も含め、プラス思考と思いながら、実は受け身であり、
自分から進んで、この社会を変えていこう、という
リーダーは、残念ながら見つからなかった。
戦国時代の武将たちは、各々の方策は違えど、
「戦のない世の中に変える」という大きな命題とともに、
時代を作ってきた気がする。
「世の中がどう変わるか?」から「世の中をどう変えるか!」へ。
日本だけでなく、世界をどう変えるか・・かもなぁ。



2020年05月19日(火)
誤った情報の方ほど、速く伝播する

先日、ネット番組「虎ノ門ニュース」で、竹田恒泰さんが
ネットの拡散についてこう語っていた。
「集団ヒステリーみたいなものですからね。
褒めるツイートよりも、罵倒するツイートの方が、
伝播が速いですから。誤った情報の方ほど、速く伝播する。
ライオンが逃げ出した、というとウァーと行く。
嘘だろう?、 信じられない、そんなものほど、
みんな、え〜っと言って拡散しちゃう。
だから、デマほど速く拡散し、
真実の情報ほど、ゆっくりしか拡散しない」と。
なるほど・・とメモしたが、これってネットだけでなく、
現実の世界でも同じことが言えるのではないか、と感じた。
誹謗中傷の類は、ほとんどこれに等しいと言ってもいい。
だからこそ、私は情報源を確認したくなるし、
その「デマをシェアさせる狙い」が気に掛かる。
今回のコロナ騒動でも、検察官の定年延長問題でも、
同じことが言える。
そろそろ、デマの情報を流した人を特定し、
その責任を、とことん追求してもいい気がするなぁ。



2020年05月18日(月)
ウォークマンが音楽を室外へ持ち出したように

緊急事態宣言解除後、コロナ騒動前の生活が平和すぎて、
「新しい生活様式」を取り入れるには抵抗感がある人は、
とにかく、生活がカラッと変わることに不安があるらしい。
こんな大きな変化は経験したことないから・・というが、
ネット番組だったかな、面白い例えが耳に残った。
それが「ウォークマンが音楽を室外へ持ち出したように」
そういえば、ソニーから「ウォークマン」が発売された時の
驚きと喜びは、今でも忘れられないほど衝撃的だった。
それまで音楽は、室内でレコードで聴くか、
少なくとも、大きなカセットデッキで聴くものだった。
あっ、車のカーステレオでも聴くことができたけれど、
それが「どこへでも待ち運べるサイズ」になった時、
(音源はカセットテープ、電源は乾電池だったけれど・・)
鞄に入れたり、ベルトに吊るしたりした。
その小型化と携帯性がウケて、国民に受け入れられた気がする。
今までの常識が覆る瞬間を、青春真っ只中で経験したから、
今回の「新しい生活様式」も、きっとそうなると期待している。
この「ウォークマンの話」って、常識が突然変わる例えとして、
私にとっては、とてもわかりやすいものだったなぁ。



2020年05月17日(日)
警察は守るのが仕事だ

映画「THE GUILTY ギルティ」(グスタフ・モーラー監督)から。
正直、やや暗いトーンの中「緊急ダイヤル」と称し、
「電話越しに小さな事件に応対する」という繰り返しに、
いつまで続くんだろうか?と、強い眠気が襲い、
結果、何度も巻き戻して観ることになった。
しかし、電話からの声と音だけで、状況判断して、
緊急通報指令室のオペレーターとして、警察に指示を出すことは、
それ相当の経験と技量を兼ね備えていないと、出来ないこと。
逆に、経験がありすぎると、勝手に自分で推察して、思い込む。
今回は、視聴者の私も含め、そのトリックにまんまと引っ掛かった。
ある時、誘拐された・・と言う電話が入る。
「緊急ダイヤル」は「助けが必要?」と尋ね、自分で判断して、
そのこどもの安否確認と、悲痛な叫びに、
「警察は守るのが仕事だ」「守る?」「困ってる人を助けるんだ」と
事件解決に奔走するのだが・・。
ラスト、この判断が間違っていたことに気付いた時の主人公は、
何を感じ、その後の対応はどうしたのか、
私は、その後の方がとても気になって仕方がない。
警察が守るべき人は誰だったのか、困ってる人は誰だったのか。
事件の真相を知ってから、観直してみると、
どこで判断を間違ったのか、なかなか興味深い作品となった。



2020年05月16日(土)
臨終即平生

春先に予定していた法事を、先延ばしにしていたが、
この先いつになったら落ち着くのかもわからないので、
義祖母33回忌、義父17回忌を、小雨の中
私たちの気持ちの整理のため、身内3人だけで執り行った。
春先から今まで「新型コロナ・ウィルス感染防止」のため、
お通夜、告別式から法事まで、身内だけで集まることが
普通になってきたが、何度も何度も経験してくると、
このスタイルもいいな、と思えるまでになったから不思議。
さて、今回の法事の最後、お上人から法話をいただいた。
時宗の祖、一遍上人の「念仏」に対する考え方。
紙に書かれた「臨終即平生」の文字、
「臨終すなわち平生なり」と読むらしい。
今、巷で大騒ぎとなっている「感染症」は、
未だワクチンも治療薬もなく、いつ感染し、いつ発症して、
いつ死ぬかわからない恐怖が、私たちを襲っているが、
だからこそ「今」を大切に生きよう、という意味で、
「今の一回の念仏を大切にしよう」と説いたようだ。
「南無阿弥陀仏」を数多く口にすることも大切だが、
一遍上人は、自身の名のとおり「一遍」を大切に・・
言い換えれば「一期一会」に通じる考えを貫いた気がする。
人間、いつ死ぬかわからないからこそ「今」を大切に・・
「Be here now」(常に意識をここに)ってことなんだな。



2020年05月15日(金)
本当のことを話すのは案外大変だな

映画「ジョナサン ふたつの顔の男」(ビル・オリバー監督)から。
二重人格、多重人間をテーマにした作品はいくつもあるが、
ふたりがお互いの存在を認識し、情報交換しあう設定は、
意外と新鮮な感覚で観終わった。
予告編で見つけたキャッチコピーは、
「もうひとりの僕は 12時間のあいだ 一体何をしているのか」
この作品をワンフレーズで表現していた気がする。
作品の中で見つけた台詞から選ぶとすれば、
「本当のことを話すのは案外大変だな」だった。
私たちの人生、全て正直に話すことが良いとは限らない。
「自分史」だからといって「浮気・不倫」のことまで
文字に残して、大騒ぎになった人も知っている。
誰にだって、一つや二つくらい、秘密があって当然だし、
それを、隠し事はしないって約束だろう、と責められても
息苦しくなることは主人公も理解していただろうに。
「1つの体に複数の意識が存在する」ことは、
映画のように、人格が入れ替わる極端な設定でなくても、
「性同一性障害」の人をはじめ「LGBT」の人たちは、
常に意識していることかもしれないな、と感じた作品。
「午前7時と午後7時の12時間ごとに切り替わる生活」
意識的に試してみたら、どんな生活が待っているだろうか。



2020年05月14日(木)
「マスク熱中症」と「テイクアウト食中毒」

緊急事態宣言解除にあわせたかのように、気温が一気に上昇。
「解除後、どんなことに気をつければいいですかね?」という
メールがあったので、こう答えた。
「マスク熱中症」と「テイクアウト食中毒」かな。
外出時常にマスクをつけるのは、何も抵抗がなくなったけれど、
それは、冬から春にかけてのこと。
これからは、マスクをつけることは、とても辛くなってくる。
(ここ数日の暑さ経験者は語る・・(笑)) 
真夏の屋外にマスク着用は、私にとって初体験だから、
はっきりしたことは言えないけれど、
夏なのに、メガもが曇るんじゃないか、と心配している。
さらに、食べ物のテイクアウトも、暑さで腐りやすくなるので、
今回、突然始めた飲食業の人たちにとっては、
食中毒対策なども考えなければならず、メニュー変更など
違う意味で、心配ではないかと思う。
まぁ、日本人の創意工夫は、素晴らしいものがあるから、
「冷たいマスク」とか「冷たい弁当容器」考えたら、
またまた、世界から称賛を浴びる気がするなぁ。
あっ、ずっと冷たかったら、口の周りがおかしくなっちゃうな。
う〜ん、その他にも、合わせて考えなくちゃならなのは、
台風や地震などの災害や、真夏に向けての熱中症、日射病など。
自然は、手を抜いてくれないからなぁ。(汗)



2020年05月13日(水)
気象庁の夕方は「午後3時から6時」なんです

外出自粛をしている間に、日の出時間はどんどん早くなり、
日の入りは、どんどん遅くなってきた。
天気も、目まぐるしく変わり、気象予報士の皆さんも、
天気予報を出すのが大変だなぁ・・と思ってラジオを聴いていたら、
面白いことを耳にしたので、ご紹介。
以前、明日は傘は入りません、と言ったのに、雨が降ってきてしまい、
翌日、視聴者に「ごめんなさい」と謝っていた話を書いた。
そのあとも、夕方、雨になりそうです・・と予報を出したのに、
夕方前に降ってきて困った・・という視聴者の意見に対して、
やんわりと、答えていたのが面白かった。
「気象庁の夕方は「午後3時から6時」なんです」と。
私たちの考える夕方とは、業務終了前後の「5時」くらいから。
まさか、午後3時が夕方とは誰も思わないだろう。
その感覚のズレが、妙に面白かったので、気になる一言。
今度、夕方に会おうよ、と約束し、午後3時に待ち合わせしようかな。
相手は、どんな顔するかな。(笑)



2020年05月12日(火)
ナパージュという国はな、動くのが遅くて、止まるのも遅いんだ

2日間限定公開の寓話「カエルの楽園2020」(百田尚樹著)は、
書籍「カエルの楽園」(百田尚樹著・新潮文庫刊・277頁)の続編。
笑っては怒られそうだが、あまりに面白すぎて一気に読破した。
作家・百田尚樹さんが、以前刊行した書籍「カエルの楽園」の続編として
今の日本が、新型コロナウィルスで揺れている現状を、
カエルの世界に置き換えて、持論を展開した作品、というもの。
(寓話と言いつつ、登場人物?がリアルで分かりやすいのも特徴か・・)
読んでいない人には、全くわからないだろうから、
内容について細々と触れないけれど、メモした会話をご紹介。
私が注目したのは、緊急事態宣言の発令と解除についてのくだり、
「ナパージュという国はな、動くのが遅くて、止まるのも遅いんだ」
ナパージュとは「JAPAN」を逆から読んだ「NAPAJ」と皮肉った名前らしい。
この国は、そういう国なんだ、と表現したところが面白すぎる。
確かに、他国と比べて、緊急事態宣言の発令(動くこと)も遅かったが、
今度は、解除(止まること)も遅い・・と指摘している。
しかし、その原因は「首相に、その権限すら与えてられない」から、
そんな主張が見え隠れする会話だった気がする。
ただし、不平不満は、ネット上にいやと言うほど溢れているが、
不満分子が一致団結して、暴動にまで発展しないのもこの国の国民性かな、
そんな印象を持って読み終えた。
この寓話が「予言書」となるかどうかは、私たちの行動にかかっている。



2020年05月11日(月)
一度認めれば要求はエスカレートする

映画「ピータールー マンチェスターの悲劇」
(マイク・リー監督)から。
世界各国が「新型コロナ・ウィルス感染拡大防止対応」で
いろいろな策を打ち出している中で作品鑑賞したので、
19世紀初頭のナポレオン戦争後、
深刻化する貧困問題の改善を訴えて立ち上がった英国民と
今後想定される「コロナ不況」で溢れる失業者の叫びが重なった。
そんな英国民の感情を知ってか知らずか、国の役人(判事?)は、
対応策・解決策を出すのだが、こんな台詞が飛び出した。
「労働者は胃袋でものを考える」と切り出した後、
「工場主に週給を1シリング上げさせれば、彼らの空腹は癒され、
運動も終わる」と。
今、各国が国民の不平不満から起きる暴徒を回避するために、
「一律〜円配給」策を採用した意図がわかった気がする。(汗)
ただ作品の中では、この策に反対する判事がいた。
「一度認めれば要求はエスカレートする」が理由だった。
まさしく、今回の「コロナ騒動」で同じことが言えそうだ。
「さざなみ(小波)はやがて流れとなり、波となる。
荒れ狂う大波となり、大地に打ち寄せる」
「コロナ波」は、どこまで大きな波となってくるのか、
こればかりは、誰もが想像できない気がする。
「『暴徒』は『恐怖』で抑える」ことがないように、
社会システムの「改革」が必要なのかもしれないな。



2020年05月10日(日)
今頃「微分積分」の面白さがわかってきた

学生の頃、数学が大の苦手だった私が、ハマっているのは、
なんと「微分積分」。
新型コロナ・ウィルスの感染者を示すグラフのカーブを眺め、
毎日、刻一刻と変わっていくデータから、
今後を予測していくには「微分積分」が必要だと知った。
それは予測にとどまらず、ビジネスの世界でも「微分積分」が
大きな役割を示すことを意味する。
すなわち「今回のコロナ騒動全体をイメージしながら、
個別の事業を行っていくという取り組み」が求められるから。
マクロとミクロの世界を行き来し、個別事業として面白くても、
全体の流れが常に念頭になければヒットしないと言うこと。
まちづくりでは「将来都市像」や「基本構想」にあたる。
会社で言えば「社是」や「基本方針」にあたるもの。
それを無視して、目の前の面白いものだけに取り組むと、
話題性はあっても評価されない、と言う結果を招くことも、
「微分積分」を知って、再認識できた。
私たちは、つい傾向から外れたデータを面白がり、
マスコミもそのデータに注目するけれど、
それは実は、大きな流れから外れた「例外」なんだ、と
割り切れる判断力が欲しいよなぁ。



2020年05月09日(土)
「新型コロナ」専用チャンネル「COVID-19」開局・・

私は以前から、テレビをあまり観ないタイプだけれど、
それでも、毎日のニュースだけは確認したくて、テレビをつけるが、
NHKをはじめ、民放各社、デジタルもBSも「コロナネタ」中心。
それも、芸能人のコメントや、どこかの感染症の専門家を名乗る人の意見、
エビデンスのデータも示されない、そんなものばかり聞かされている。
各社、違う視点での特集ならまだしも、ネットで得たような知識を、
今日は、何人感染しました、何人死亡しました、
内訳は、東京都が何人、北海道が何人・・・と、累積の数字を示し、
延々とディスカッションする番組構成にも、正直、飽きてしまった。(汗)
できることなら、データ放送も駆使して、その番組をみれば全てわかる、
「新型コロナ」専用チャンネル「COVID-19」開局を望みたい。
お気楽に、いつまでも気にしてられない、と言っているのではなく、
気になる人は24時間、その番組を見ていればいいのに・・と思っただけ。
楽しい話、面白い話と一緒に、コロナの話を持ち出されると、
気分も一気に盛り下がるし、正直、思いっきり笑うこともできない。
テレビも、ラジオも、新聞も、雑誌も、インターネットも、
「コロナ」のことは「専用チャンネル」にお任せして、
新しい生活の提案などを特集した、前向きな番組構成を期待したいなぁ。



2020年05月08日(金)
「家庭科」と「技術科」って、大切な教科だったんだね

新型コロナ・ウィルス感染拡大防止で自粛が続く中、
今、盛況なのは、リフォームなど改装を請け負う会社や、
手作りマスクで需要が増えた、手芸屋さんやミシン屋さん、
そして、以前から根強い人気の「D.I.Y ホームセンター」など。
そんな話をしていて、私の口から出たのは、
「『家庭科』と『技術科』って、大切な教科だったんだね」。
授業数の関係で、なくなった教科だったと記憶しているが、
私たちが子供の頃は、とりあえず゜家庭科」と称して、
裁縫の真似事もしたし、雑巾なども塗った記憶がある。
また「技術科」と称して、大工道具などを駆使して、
デッキチェアや、本箱、文鎮なども作ったことが懐かしい。
もちろん、趣味で「プラモデル」が大人気だった記憶もある。
今の若者は、PCやスマホ、タプレットは使えても、
裁縫もできなければ、ミシンすら使えない、という話が、
今回の「コロナ騒動」でクローズアップされたが、
彼らは、手先が器用だから、たぶん面白さを教えれば、
無調になって「Do it yourself}」の世界に没頭するに違いない。
彼らから「家庭科」「技術科」を奪った私たち大人の責任かもなぁ。



2020年05月07日(木)
「軟水」と「硬水」の差はないか?

日本の生活習慣と、ヨーロッパ、アメリカなどの生活習慣の差は、
今回の「新型コロナ・ウィルス」の感染拡大に特徴はないか。
そんな視点でネット検索をしていたら「BCG予防接種」よりも、
もしかしたら、これかもなぁ、と思った記事を見つけた。(笑)
日本の水は、ほとんど「軟水」、ヨーロッパは多くが「硬水」。
その硬水で、毎日風呂に入り洗髪すると髪の毛が傷むため、
ヨーロッパ人は、毎日お風呂に入る習慣がなく、
だからこそ「香水」が生まれた、という話を出しながら、
それに比べ、日本は基本的には、ほぼ毎日入浴する。
その清潔さは、世界でも稀にみる特徴だ、と言う主張。
さらに、握手やハグをせず「お辞儀」という文化があり、
「間合い」という独特の距離感がある。
世界で感じる触れ合う意味での「濃厚接触」はほとんどないし、
個人個人の「清潔感」は、群を抜いている、と思う。
だからって、日本は安心だ、と言っているわけではなく、
単に、ヨーロッパ諸国と数字で比べても意味がないのでは?と
思ったから、書いてみた。
どうして、まるっきり生活環境の違う国々と比べるんだろう。
それも、感染が拡大してしまった欧米諸国と。(汗)
政府が客観的なデータさえ示してくれれば、
こうして私たちの気付かない視点で関連を考える人たちがいる。
新型コロナ・ウィルス感染防止対策のヒントは、
想像もしなかった生活文化の違いから生まれるかも。
今でも感染者ゼロの岩手県、何か理由がある気がしてきたもの。



2020年05月06日(水)
ここ数ヶ月、面会できなかったことが残念でした

今年のGW中に届いた、いくつかの訃報。
こんな時だから、近親者で家族葬を、という連絡もあり、
連絡範囲の難しさや、なんとか香典だけ届ける方法を探したり、
今まででは想定できない、通夜・告別式が行われている。
参列者は、お坊さんも含め司会者以外、全員マスク着用であったが、
最近では、外出ではマスク・・が徹底されているからか、
あまり違和感も感じなかったことも、記しておきたい。
葬儀は、本当に簡素化されたな、と実感した出来事であったが、
一番印象の残っているのは、死因はそれぞれであるが、
どの遺族も、同じことを口にしたこと。
「ここ数ヶ月、面会できなかったことが残念でした」
病院に入院していて、面会できず、死に目にも会えない、
そんな辛い思いが、より一層、切なさとして伝わってきた。
本当に身内だけで、泣きたい時に思いっきり泣ける家族葬が、
昨今は注目されていたけれど、
だからこそ最後まで看病したい、という身内の思いは、
今回のコロナ騒動で、叶わないものとなってしまった。
もうしばらくは、新型コロナ・ウィルス感染防止策で、
お見舞いはもちろん、家族の面会すらさせてもらえない状況が続く。
ZOOM会議ではないけれど、患者の様子が身内に届くシステム、
必要になってくる気がするなぁ。



2020年05月05日(火)
しっかりしなくちゃいけないのは、国民じゃないのか

自粛自粛が続く中、民放のテレビ番組にも飽きて、(笑)
国会中継をテレビで見ていたが、これまた専門家の意見を
野党がちょっと言い方を変えているだけの質疑応答に、
どうして「今回は党派を超えて、一緒に頑張りましょう」という
言葉がでてこないのか、不思議な感覚で眺めていた。
多くのニュース番組に招かれているゲストらの発言や、
ネットでの、ここぞとばかりの政府批判記事を読むと、
「他国に比べて、日本政府は甘い。もっとしっかりしろ」など
相当厳しい意見が蔓延している。
しかし、この事態を招いているのは、紛れもなく日本国民。
「しっかりしなくちゃいけないのは、国民じゃないのか」と
自らの反省も含めて、こう呟きたくなった。
いくら強制力がないとはいえ、政府の「自粛要請」を無視し、
ここぞとばかり、外出する国民のインタビューを目にすると、
「政府には厳しく、自分には甘く」がまかり通っている。
そのうち、マスクなんていらない、10万円はまだか・・と
またまた、政府批判が繰り返されることは、私でも予想できる。
外国の人たちに、日本のコロナ対策について意見を訊けば、
「日本政府、大丈夫か?」ではなく、
「日本国民は、何を考えているんだ」だってことを知るべきだ。
「道徳」を、学校の教科にしているのに、恥ずかしいなぁ。



2020年05月04日(月)
「やり」は「切れるもの」ではなく「通すもの」です

情報源は「テレビ番組」だった気がする、たぶん。
辛い思いをしている女性が「やりきれませんね」と呟いたら、
近くにいた初老の高齢者が、
「槍は、切るものではありません。
通すものです。やり通しなさい」というアドバイスした。
あっ、これいいな・・とメモをしたのは言うまでもない。
今、巷は・・自粛、自粛でストレス発散できず、溜息の連続で、
「やりきれないよな、こんなんじゃ・・」と呟いている、
多くの人たちの投稿を読んできた。
しかし、このアドバイスを知って、妙に心が落ち着いた。
先日の「『我慢』ではなく『辛抱』」と同じく、
今、私にできることは、こんな「短いフレーズ」を探し、
読者に紹介することくらいかな、と思ったからメモをした。
もちろん、みんなを癒す力もないかもしれないけれど、
今回のコロナ騒動で紹介した「気になる一言」は、
きっと、また違った苦しい時にも、蘇るはずだし、
これからも大切にして残しておきたい言葉として
文字として残しておきたい、と思う。
もし私が苦しくて「やりきれないなぁ」とボヤいたら、
「しもさん、やりは通すものですよ」って肩を叩いてね。(汗)



2020年05月03日(日)
「いいね!」に「大切だね」が追加されたよ

Facebookの投稿記事に対して、「いいね!」を押すだけでなく、
「コメント」したり、「シェアする」こともできる。
「読んだよ」という意思表示のために使っていた、
という人もいて、あまり気にしていなかったが、
Facebook利用者の声を反映してなのか、
「いいね!」がどんどん進化している。
私の知っている限り、先日まで「いいね!」は
「いいね!」「超いいね!」「うけるね」「すごいね」
「悲しいね」「ひどいね」の6種類だったのに、
今日確認したら「大切だね」が増えた。
新型コロナ・ウィルス感染拡大防止で自粛している、
そんな人たちにとって、ともだちの投稿記事を読む機会が
以前より増えたに違いない。
だけど、以前の6種類では、自分の気持ちとちょっと違う、
そんな違和感を感じながらも、押していた人がいたはず。
今回追加された「大切だね」は、私にとって、
とてもしっくりといく「いいね!」のひとつだな、と思う。
「この考え方、大切だな」と感じる投稿には、
惜しみなく「大切だね」を押していきたいなぁ。



2020年05月02日(土)
「テイクアウトのノウハウ」を溜め込んでおいて

今や、新型コロナ対策と同様に、全国に広がった「テイクアウト」の波。
どこもかしこも「テイクアウト」にしたら、
これまた、テイクアウトの「勝ち組・負け組」ができる。
地方のまちづくりと同じく、何か一工夫(付加価値)こそが、
今回の「営業自粛」の中で、生き残っていく鍵となるに違いない。
テイクアウト自体、そんなに珍しい販売形態ではないし、
出前(デリバリー)と比較して、人件費がかからないメリットはあるが、
その分、普段、自宅では食べることができない料理でないと、
消費者は、自宅での調理に流れてしまう可能性が高い。
飲食店内で出していた料理を、そのままお弁当などにしただけでなく、
テイクアウトならではのサービスが、求められてくる。
新型コロナ騒ぎが落ち着いたら、撤退するのであれば仕方がないが、
今後も続けていく予定ならば、今のうちに、試行錯誤しながら、
「テイクアウトのノウハウ」を溜め込んでおくことを勧めたい。
ペルソナと呼ばれるターゲットの設定から、強み、弱みなどの分析、
そして周知方法まで、「テイクアウト店」を起業するつもりで、
一から組み立てることが何よりも重要なことだと思う。
また「テイクアウト店」をサポートしてくれる人たちにも仕事が増える。
こうやって、仕事は回っていく気がする。準備を怠らない。
「棚からぼた餅」を期待するのではなく、
「ぼた餅が落ちてきそうな場所の下で待つ」ってことなんだよなぁ。



2020年05月01日(金)
今は「我慢」ではなく「辛抱」を使いたい

毎朝、新聞を広げて目に飛び込んでくる「我慢」の二文字。
あれっ、「辛抱」じゃなかった?と思ったが、
よく考えたら、ネットで読んだ記事に私が感動しただった。(涙)
もう、知ってるよ・・という人もいると思うが、紹介しておく。
テレビ番組「はやく起きた朝は」で、磯野貴理子さんが、
俳優である石倉三郎さんの著書に書かれていたという
「『辛抱』と『我慢』は違うんだ」という言葉を紹介したようだ。
「我慢しろって言われると、ちょっと我が出ちゃうからスゴく辛い。
辛抱はできるんだって、人って」と話し始めた話。
さらに彼女は「辛抱って漢字で書くと、辛さを抱くって書くの。
だから、辛抱しろっていうのは、
辛さを抱き締めればいいのよ。ぎゅって」と
抱き締めるジェスチャーを交えながら真剣に訴え、
「なんか、できる感じがしない?辛抱って」と言ったらしい。
辞書によると「我慢」とは、元々の意味は違うが、
今は一般的に「自分自身を抑制し、また耐えるという
『忍耐』の意味あいで用いられる」。
「辛抱」とは「耐え忍ぶこと。じっと我慢すること」。
英語で「我慢」は「patience」、逆に訳すと「忍耐」
英語で「辛抱」も「patience」、逆に訳すと「忍耐」
ほぼ同じ意味で使われているが、
やはり私は「辛抱」の二文字の方が好き。
この違い、分かってもらえるかなぁ。