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2020年01月31日(金)
読者がわからないからこそ、続けられた「メルマガ」

とうとう、メルマガの最終版を配信する。
振り返ると、親友に教わった「パソコン通信」から始まり、
読者が5人、10人と増え続けても、メールアドレスの
「CC}」「BCC」に追加するだけで済ませていたが、
その頃に当時は画期的だった「メルマガ」という、
一括大量のメール配信システムを知り、心が躍ったことを記憶している。
綾小路きみまろさんの名台詞ではないけれど、
「あれから約18年、ほぼ毎日配信し続けてきた」メルマガは、
海外旅行中も、手術で入院した時も、39度の熱を出して寝込んだ時も、
気になる一言のネタとなるメモを、手帳に溜めては書いていた。
とにかく「1日1話」の原則を守り続けて、配信をしたけど、
実のところ、発行者の私には、誰が読者なのか、未だわからない。
読者がわからないからこそ、続けられた「メルマガ」とも言える。
一時、読者が300人を超えた時は、そんな多くの人に向けて、
私個人の呟きともとれる「気になる一言」を送り続けることに、
恐怖心を覚えたし、その反響の大きさにも驚かされたことがある。
ホームページに直接アクセスしてもらうわけでもなく、
今や、SNSやLINEなどに、その役割を譲ったけれど、
登録していただいた方に、こちらからDMのように届けるシステム。
誰かもわからない相手に、自分のことを知ってもらう意味では、
とても不思議なシステムだったのかもしれない。
「始める」と決めたのも自分、「止める」と決めたのも自分。
本当に、自分勝手だと思うけれど、今日で終わりとします。

P.S
読者がどこの誰かもわからないので、個人宛のメッセージは送れませんが、
長い間、拙い「気になる一言」を読んでいただき、ありがとうございました。



2020年01月30日(木)
2年に1回、1年置き、隔年、偶数年に

先日の「情報交換会」と称した「飲み会」でのこと。
とあるイベントを、どれくらいの間隔で開催すればいいか、
そんな話で、盛り上がっていた時のことだった。
誰かが「2年に1回位でとう?」と言えば、
「いやいや、1年置きくらいにしようよ」
「それじゃ大変だから、隔年のペースがいいよ」
「どうせなら、偶数年にしたら?」
結局は、みんな同じことを言っているんだけど、妙に楽しかった。
こんな言葉遊び、馬鹿らしいと思わず試して欲しい。
それが、チラシやパンフレットのキャッチコピーにつながるし、
どの年代、どの性別、どこに住む人たちには、
この表現がピッタリだね・・となるに違いない。
1つのことを伝えるにも、いく通りも選択肢があるってことは、
それだけ、語彙が豊かであるってことだから、
同じ意味でも、どんどん違う表現を使ってみるといい、
きっと、自分にしっくりするフレーズが見つかるから。
それが、ターゲットに突き刺さるかは別問題だけどね。(汗)



2020年01月29日(水)
気象予報士の「まずは、ごめんなさい」

毎朝の徒歩通勤は、イヤホンをしながらの
NHKラジオのアプリ「らじる★らじる」を聴いている。
ニュースあり、天気予報あり、音楽あり、と幅広い話題で
約15分の道のりだけど、貴重な情報源となっている。
先日、面白いコメントがあって、思わずメモをした。
気象予報士が、ただの気象情報を読み上げるだけでなく、
天気に合わせた歌を選曲したり、いろいろ工夫されていて、
私の一番好きなコーナーとなっている。
そんな時、お天気キャスター(気象予報士)が、
「まずは、ごめなんなさい・・」と切り出した。
たぶん昨日の天気予報で「今日は傘はいらないでしょう」と
伝えたのに、その後、天気が急変して雨がパラパラだったのか、
濡れてしまった人に向けてのメッセージがあった。
「天気予報はあくまで予報。傘を持っていくのも行かないのも、
全て自己判断だから、謝る必要なんてないのに・・」と思った。
だけど、その気遣いが嬉しかった。
私の予報を信じてくれたのに、迷惑かけちゃったね、
そんな気持ちが伝わってきたから。
顔も知らない「気象予報士」だけど、
「毎朝、楽しみにしています」って伝えたくなっちゃった。



2020年01月28日(火)
「相手が欲しいものを売る」のが「デザイナー」

横文字の職業って、どうも区別がつかなくて苦手だったけど、
これは、なるほどなぁ・・だったので、ご紹介。
(すみません、情報源は新聞とかネットとかいろいろでした)
「自分が売りたいものを売る」のが「アーティスト」
「相手が欲しいものを売る」のが「デザイナー」
カメラマンも、仕事として頼まれた写真を撮るのは、
「商業カメラマン」と呼ばれたりしているのと同じかな。
自分の撮りたいものをとって、収入になれば一番だけど、
それは、ごくわずかな「アーティスト」に限られるから、
貴重な存在なんだろうなぁ。
毎日「柿田川・柿田川公園」を撮り続けている私は、
趣味のレベルだから「デザイナー」にはほど遠く、
「自分が撮りたいものを撮る」という意味では、
「アーティスト」に近いんだろうなぁ。
一番いいのは、撮りたいものを撮って、
相手が欲しがってくれれば、最高ということだな、きっと。
やばっ・・自分で、ハードル上げてしまった。(汗)
これも、歳を重ねた特権かもなぁ・・自己満足だけど。



2020年01月27日(月)
明日のために、早く寝ようっと。

夕食を済ませ、雨音を聴きながら、久しぶりに、私の呟き。
帰宅する時間頃から、パラパラと小雨が降り続き、
荒井由実の「冷たい雨」を口ずさみながら、
今晩、雪にならないかなぁ・・と歩きながら祈った。(汗)
滅多に降らない「雪」が、明日の朝、もし積もっていたら、
普段目にすることがない「柿田川」の雪景色が待っている。(笑)
いつだったか、富士山を撮らせたらこの人、と言われている
写真家「大山行男」さんが、荒天になるとワクワクする、と
笑いながら、話していたことを思い出した。
それ以来、台風一過の早朝とかを楽しみに早寝していたが、
今回は、雪景色の中の「柿田川」が撮れるかもしれない。
それだけで、もう嬉しくて仕方がない。
明日は、晴れていても長靴を履き、雪解けの道を気にせず
撮影ポイントに足を運ぼうと思っている。
と言っても、特別な場所ではなく、誰でも撮影できる場所で、
誰にも撮れない風景を撮れたらいいな、と。
雪国の人には、申し訳ないけれど、何年かに一度の雪景色、
どうか、積もっていますよ〜うに。
だから、一言は「明日のために、早く寝ようっと」
まだ午後9時前だけど、おやすみなさい・・(汗) 



2020年01月26日(日)
ほっとけ、ほっとくしかないんだ。

映画「星めぐりの町」(黒土三男監督)から。
作品の中に「東日本大震災での津波により家族全員を失い、
心に傷を負った少年」が、遠く離れた愛知県で、
再び大きな揺れを体験し、フラッシュバックしたのか、
忽然と姿を消すシーンが設定されている。
町をあげて捜索している中、世話をすることになった主人公は、
「捜索に行かないの?」と言う娘にこう答える。
「ほっとけ、ほっとくしかないんだ。
男にはな、誰も手を出していけない時がある。
誰の手も借りず自分1人で、歯を食いしばって、
戦わなきゃならん時がある。今、その時だ。
誰かが手を差し伸べて、あいつを助けたら、
これから先、生きていけない。
もっともっと、人として、男として辛いことがいっぱいある。
それに負けない男にならなきゃ。
今、あいつは、どこかで泣いてる。雨に濡れた野良犬みたいに、
もう生きてるのが嫌で悲しくて悲しくてきっと泣いている」
監督が伝えたかったのは、これかな、とメモをした。
日本列島を大きな地震が何度も襲い、その度に、
家族を亡くした子供たちにクローズアップされるが、
最後は自分が置かれた現状を受け入れて、生きていくしかない。
そんな子供たちへの応援歌作品として観終わった。
ほっておくことも大切な時があるんだよなぁ。



2020年01月25日(土)
私、没1(ボツイチ)

巷では、一度結婚して、その後離婚した人に対して、
「×1」(バツイチ)と呼び、もう数年前から市民権を得てきた。
結婚に失敗したという意味あいがあるけど、
私は「×(バツ)」という呼び名が、あまり好きではない。
しかし、配偶者が病気や事故、災害などで他界した場合、
あまり適当な呼び方がないなぁ、と感じていたら、
「私、没1(ボツイチ)」という女性がいて、メモさせてもらった。
今は確かに配偶者のいないシングルだけど、
(バツイチ)ではなく(ボツイチ)。
相手と仲が悪かったわけでもないからこそ、
一緒に括られることにも抵抗があるかもしれない、
そんなことを思いながら、没した人を思い出した。
私たちの世代、これから歳を重ねるごとに、「没1」が増えるけど、
離婚と違って「没2」「没3」の人は、なかなかいないから、
そういう意味では、「没1(ボツイチ)」って単語は、流通しないかも。



2020年01月24日(金)
それ、今する質問じゃないでしょ。あんたがされたらどう思うの?

映画「新聞記者」(藤井道人監督)から。
作品の中に「インタビュー」のシーンが数多く出てくる。
日本では当たり前のようになっている、
事故、事件、災害などの被害家族に対して、
これでもか、というくらい辛辣な質問を浴びせて、
スクープでもとる勢いで、食らいついていく記者に怒りを覚える。
だからこそ、同じ報道側の「新聞記者」が、噛み付いたシーンが
私の脳裏には、鮮明に残った。
「それ、今する質問じゃないでしょ。あんたがされたらどう思うの?」
一番、辛い思いをしている人に対する思いやりは、
こんなところに表現されていた。
「新聞がこんなネタ出すのっておかしくないですか?」
「そういうのはテレビにまかせておけばいいだろう?」
「嘘をでっちあげるんですか?」
「嘘か本当かを決めるのは国民だ、お前じゃない」
「頓挫ってことは、もうこれ以上追うなってことだ」
「この国の民主主義は形だけでいいんだ」・・・
新聞社の内部事情は知らないけれど、なんとなく納得してしまった。
「記者として真実を届けたい、それだけです」
「そんな理由で、自分で自分を納得させられるんですか」
こんなことを考えて仕事をしてくれる報道関係者ばかりならなぁ。

P.
主役の「松坂桃李」さん、映画「娼年」に続けて観たので焦った(汗)



2020年01月23日(木)
先生に、余命30年って言われちゃってさ

焼肉を囲みながら、メモしてしまった台詞をもう1つ。
地元の役員と言っても、私が若い方から4番目くらいで、
それ相当の年を重ねている人たちばかりなので、
どうしても、健康や病気の話題になる、それは仕方がない。
「先日、病院へ行ったら、ポリープが見つかってさ」
そこまで、神妙な顔つきで話すので心配になって
「ビールとか飲んでも大丈夫なんですか?」ち訊いたら、
検体に出したら良性だったらしく、
「先生に、余命30年って言われちゃってさ」と笑うので
「それじゃ、老衰と変わらないじゃないですか」と返した。
たぶん先生は「大丈夫でした、でも健康には注意してね」
そんなアドバイスをしたと思うのだが、さらりと言い変えて
「65歳過ぎて、余命30年」って発想が、面白かったので、
慌ててメモをした。
これも、どこかで使えるネタだよなぁ、きっと。(笑)



2020年01月22日(水)
大丈夫、大丈夫。腹が痛くなっても俺じゃないから

地元の集まりで、久しぶりに「焼肉」を食した。(笑)
お酒が入ると、面白い話が溢れて、私のメモも増えた。
今回引っかかったのは、ホルモンを焼いていた時のこと。
人それぞれお好みの焼き具合があるのだが、
レアが好きな人は、網に載せてすぐに食べてしまう。
えっ、まだ生に近いですよ・・と言っても、気にしない。
そこで、周りの人もちょっとビクビクだけど、
あまりに美味しそうに食べるので、真似してみようと、
「これ、もう大丈夫てすかね?」と訊いたら
「大丈夫、大丈夫。腹が痛くなっても俺じゃないから」
一同、呆気にとられたが、なるほど・・と大笑い。
俺の意見はあくまで参考、食べる・食べないは、自己判断。
だから、食べてお腹が痛くなってても、知らないよ、
そういうところを、さらっと表現するところがいい。
このフレーズは、いろいろな場面で使えるなぁ。



2020年01月21日(火)
ちょっとやりたいことには、手を出さない

長年続けてきた、メルマガ終了まであと11日。
本当なら、また違ったメルマガサイトに乗り換えて、
細々と続けていくことも可能だけれど、
ここは思い切って「メルマガ配信」を止めることにした。
ほぼ毎日「気になる一言」を書いて、それをコピペして、
メルマガの形に編集して、配信する。
そのあと「要望」を受けて始めた、Facebookへのコピペ。
この作業開始から終了までの約20分は、
長年のライフサイクルになっているから、苦ではないけれど、
この20分すら、残り少ない人生には、貴重に思えてきた。
まだまだ、やりたいことはいっぱいあるけれど、
どれも中途半端になり、達成感が得られない気がしているから、
今の自分にとって、一番やりたいことを最優先し、
「ちょっとやりたいことには、手を出さない」と決めた。
「続けることで失ったもの」「続けることで得られたもの」
いろいろあったけれど、あと残りの10日間分もマイペースで
配信していこうと思う。
メルマガ読者の皆さん、もうしばらくお付き合いのほどを。



2020年01月20日(月)
詩人の原民喜(はら たみき)を知っていますか?

映画「羊と鋼の森」(橋本光二郎監督)から。
職業としての「調律師」については、今まで知らない世界だったので、
「納棺師の仕事」を描いた、映画「おくりびと」(滝田洋二郎監督)と
似たような感覚で鑑賞した。
当然ながら「ピアノの音」に関しての問答が繰り返されて、
私は、楽しみながら、メモをした。
新米の調律師、外山は、尊敬する調律師、板鳥さんに訊ねる。
「どうしたら調律ってうまくできるようになるんですか?
板鳥さんはどんな音を目指していますか?」と。
そんな彼に向かって「目指す音ですか?」と反復した後、
「外村くんは、詩人の原民喜(はら たみき)を知っていますか?」と言い、
「その人がこう言ってます。明るく静かに澄んで懐かしい文体。
少しは甘えているようでありながら、厳しく深いものを湛えている文体。
夢のように美しいが、現実のように確かな文体」と呟き、
「私の理想とする音を、そのまま表してくれている」と彼に伝えた。
世界のピアニストにも認められるような調律師が例えた表現(音)、
調律師という職業、奥が深そうだな、と読み返した。
出版社の辞書編集部を舞台にした映画「舟を編む(石井裕也監督)も、
ハマってしまったし、普段知ることのない「職業」って、私、好きかも・・。

P.S
観賞後に、すぐに「ハラタミキ」を検索してしまう私の映画鑑賞、
自分でも呆れるくらい、好奇心旺盛です。(汗)



2020年01月19日(日)
今年も夏にインフルエンザが流行るかもよ

先日、大学のセンター試験の話で盛り上がった。
一生を決める節目の試験が、インフルエンザになって、
それも、本人が注意していても、誰かにうつされたら、
泣くに泣けないよね・・そんな話題から、
わざわざ、インフルエンザの流行る時期ではなくて、
大学入学を外国のように秋にすれば良いのに・・となった。
しかし、そんな話題の途中、誰かが
「今年も夏にインフルエンザが流行るかもよ」と言った。
去年も夏に流行ったけれど「ラグビーW杯」で、
オーストラリアやニュージーランドのような南半球の人たちが
多く来日したので、夏に流行ったらしい、と付け足した。
今年は「東京オリンピック・パラリンピック」が開催され、
世界のいろいろな国の人たちが訪れる、と言うことは、
今までの日本では、冬にしか流行らない病気が、
夏に流行る可能性があることを、意識した方がいいらしい。
なるほど、私にはそんな視点がなかったけど、
観光客が増えるだけじゃないんだなぁ。



2020年01月18日(土)
芸術って癒しの力を持っている

先日、ちょっと弱気な発言をしてしまって、申し訳ない。(汗)
しかし、その関係でか、普段ゆっくり話さない人からも、
心配のメールが届き、思いがけなく会うことができたりして、
私なりには、徐々に体調を戻しつつある。
「○○グループではしもさんの話で持ちきりでした」と言われたり、
わざわざ職場まで顔を見にきてくれたり・・と、
本当にありがたいことだな、と心から感謝したい。
さらに今日から、清水町地域交流センターで、
世界的な版画家の一人である牧野宗則さんの木版画展が開催され、
オープニングセレモニーに参加しながら、その作品を眺めたら、
なぜか心が落ち着いていくのがわかった。
午後には「第348回泉のまち音楽会」が開催され、
「クラリネットとピアノが彩るニューイヤーコンサート」と題して、
約1時間半、優しいクラリネットとピアノの音色に包まれたら、
帰る頃にはすっかり心が晴れていたのが実感できた。
絵画や音楽に代表される「芸術」って、やはり人間にとって、
なくてはならないものなんだ、と再認識したことを報告したい。
だから「芸術って癒しの力を持っている」を残そうと思う。
ラストは、美味しい料理と気のおけない仲間たちとの楽しい会話。
もしかしたら脳がデトックスされて、以前より元気になったかも。

P.S. みんな、ありがとね。



2020年01月17日(金)
このまちに帰ってきたいと思えたら、なんかそれって幸せだよね

映画「対岸の彼女」(平山秀幸監督)から。
書籍「対岸の彼女」(角田光代著・132回直木賞受賞作)を読んでから、
何年の月日が流れただろうか。
映画化されたことを知らず、先日、VODで見つけて、早速鑑賞した。
作品冒頭「うちの子供、友達ができないの」と悩む主婦に、
「なんで一人じゃいけないって思うんだろ?、
一人でいても怖くないってみえる、何かを見つければいいんじゃない?」と
独身女性が答えるシーン、なるほど・・と思った。
しかし、私が選んだシーンは、何度か登場する川の景色。
初めてみた女子高生は「すご〜い」と驚き、
秘密のその場所を紹介した女子高生は、
「この時間だけ、こんなにきれいな色になるんだよ」と自慢げに話す。
普段の生活の繰り返しでは、絶対にみることが。ない光景に、
「知らなかった・・」と、やや感謝の気持ちが含まている気がした。
さらに、物語はある事件の後、彼女たちは、またここを訪れる。
「ねぇ、川が空みたいだと思わない?
足元に空が流れて自分がどこにいるのか分からなくなるような感じ」
心が揺れている女子高生の様子が窺えた。
そして、ラストシーンでもう一度、この場所がクローズアップ。
この風景を眺めながら、自分たちの住んでいるまちについて語る。
「旅行とかしたら、この退屈なまちも懐かしく思えたりするのかな。
もしそうだったら、ちょっといいね。
このまちに帰ってきたいと思えたら、なんかそれって幸せだよね」
原風景があるって、こういうことなんだろうなぁ、きっと。



2020年01月16日(木)
ボランティアでお願いします

阪神淡路大震災の頃から「災害ボランティア」が注目され、
災害が起きるたびに、ボランティアが活躍しているが、
最近、観光の仕事をしていても、同じ単語に出会うことが多い。
「ボランティアでお願いします」
読者の皆さんは、どう感じるだろうか?
「無報酬でお願いします」と認識していないだろうか。
しかし、観光の研修などで耳にする「ボランティア」は、
「有償であるべき」と主張している人たちが多い。
外国では「ボランティア」といえば「有償」が常識であり、
「無償ボランティア」という言葉自体、理解に苦しむという。
今後、こうした認識の違いで、実際の現場でのトラブルが増える。
特に、外国人に「ボランティア」をお願いした時には、
依頼する側と依頼された側の言葉の解釈により、
お互いが自分に都合のいいように理解するので注意が必要だ。
そもそも「ボランティア」って言葉は、
自ら進んで、自ら選んで・・という意味があるのだから、
「ボランティア」を依頼すること自体、おかしなことかもなぁ。



2020年01月15日(水)
「話した」ことは「忘れられる」と覚悟する

ある研修で「伝えるということ」について学んだ。
「体験・発見」の大切さを伝えるために、こんなことを目にする。
聞いたことは「忘れる」。見たことは「思い出す」。
やったことは「わかる」。発見したことは「できる」。
しかし、逆の立場(伝える側)から考えると、
話したことは「忘れられる」。見せたことは「思い出してもらえる」
やらせたことは「わかってもらえる」
発見してもらったことは「その人の身につく」と覚えたい。
だから講師の人は「話した」ことは「忘れられる」と覚悟する、
その感覚を忘れると、いくら面白い話をして、
その場ではウケたとしても、大概は「忘れられる」ということ。
インパクトのあるものを見せたり、
ワークショップなどを企画して、やってもらう。
さらには、他人に教えてもらったのではなく、
自分が見つけたものなら、一生忘れないことになる。
自分の活動に落とし込んでみると、
柿田川の素晴らしさを伝えるには「話す」だけではダメ、
写真を見せたり、体験させたり、自分で見つけさせないと・・
なるほど、ちょっと嬉しいヒントだったな。



2020年01月14日(火)
最近考えが変わりました。

映画「蝶の眠り」(チョン・ジェウン監督)から。
作品の冒頭「小説家の心変わり」を表現する場面がある。
中山美穂さんが演ずる「女流小説家、松村涼子」さんが、
自身が遺伝性のアルツハイマーに侵されていることを知り、
今まで、小説を書くことで自分自身を隠していたことを認め、
大学生たちの前で、こう講義する。
「最近考えが変わりました。
小説よりも大切なのは自分自身だということです。
皆さんに自分自身を見せたいのです。
これからは小説の後ろに隠れません」と。
ありのままの自分を表現するから、これからの私を見て・・
とばかり、大学講師を始めたり、新作に取り掛かるのだが、
残り少ない人生だからこそ、自分の気持ちに正直に、と思う。
歳を重ねてきた私には、とってもよくわかる気持ちの変化だったし、
それを、みんなに「最近考えが変わりました。」と公言する勇気、
羨ましいな、とメモをした。
簡単そうで難しいのが、不平不満のない今の生活からの脱却。
今までコツコツ築き上げてきた自分との葛藤もある。
邪魔しているのは、中途半端なプライドだということも分かっている。
あとは彼女のように、言い切ってしまうことなのかもなぁ。



2020年01月13日(月)
こうして普通の人間が壊れていくんだなぁ

昨年11月頃から、クレイマー対応に追われ、
警察を呼ぶような騒ぎが何度も繰り返されて、
冷静にしているつもりが、何度も大きな声を出してしまった。
こんなことのために、公務員の再任用を受けずに、
定年退職の道を選んだのではないのに・・と思うが、
周りの人たちは、楽しそうでいいねぇ、と言うばかりで、
誰一人、心が折れそうになる誹謗中傷には、無関心。
クレイマーに対して「いい加減にしろ!」という人もおらず、
「あんたも大変だねぇ」と言うのが関の山だ。
だからって、今更、それを問題にするつもりはない。
原因は、適切に対処できなかった自分の責任だから。
ただ「言葉は力だ」と言いづけてきた私が、
「言葉の暴力」に対して、なす術がないことが情けない。
まだ、ギリギリのところで、心は持ち堪えているが、
マイナスの言葉を受け続けると、体が受け付けなくなる。
たぶん、最近、人と話すことが億劫になっているし、
「映画」や「読書」する時間が楽しいと感じてきているので、
ちょっと呟いてみたくなっただけ。
こうして普通の人間が壊れていくんだなぁ。
この「気になる一言」も、そろそろ・・・・。



2020年01月12日(日)
エンパシーとは、誰かの靴を履いてみること

時々耳にする「シンパシー」と「エンパシー」。
その違いは、インターネットなどで調べれば、
多くの方が事細かに書いている。
「エンパシー」は「シンパシー」と同様に「共感」「共鳴」
「人の気持ちを理解する」という意味があり、
明らかに異なる点は、相手を気の毒に思う「同情」というニュアンスが
「エンパシー」にはあまり含まれていないこと。
「エンパシー」には「感情移入」という意味もあり「哲学」や「心理学」、
また自己の感情を表現する「美術学」の世界で用いられる言葉。
たとえば「共感が芽生える」「共感が湧く」という
ポジティブな状況においての熟語表現では「シンパシー」ではなく、
むしろ「エンパシー」の方が適切でしょう」とあったが、
実は、なかなかイメージできなかった。
そんな時、ラジオから流れてきた、読者投稿の定義、
「エンパシーとは、誰かの靴を履いてみること」が腑に落ちたので
慌ててメモをした。(笑)
この例えが正しいとは言えないかもしれないが、
誰の説明よりも分かりやすかった。
様子、雰囲気がイメージできるってことが、いいよなぁ。



2020年01月11日(土)
今こそ分かれ目、いざさらば

映画「ビルマの竪琴(1956)」(市川崑監督)から。
戦争前・戦争中・敗戦後の日本軍の様子を題材にした映画は、
いくつも観てきたが、小隊の統制のために「合唱」を活用する、
それだけでも信じられなかったが、戦時中のドロドロした描写は少なく、
妙に清々して気持ちで観終わった。
それだけ、音楽に力があることを物語っているとも言える。
特に、泥だらけで精神も疲れているはずの彼らが歌う「荒城の月」は、
主線を歌うだけでなく、しっかりハモっていて、驚いた。(汗)
井上小隊が、戦時中どれだけ規律が守られていたかを説明しなくても、
この一曲の合唱を耳にするだけで、一致団結が理解できるのは、
メモに値した。
主役の水島上等兵が、井上小隊を離れ、訳あってビルマ僧となり、
竪琴演奏を通じて、仲間の日本兵に向けて別れを告げるシーンは、
繰り返して観ても、胸が痛くなるほど切ない。
その光景を思い出させる曲は「仰げば尊し」。
私たち世代は、卒業式の定番ソングとして、何度も口にした名曲であり、
歌詞の最後となる「今こそ分かれ目、いざさらば」が、
日本へ帰還する日本兵の仲間と、ビルマに残る水島との別れと重なり、
その光景が目に焼き付いて離れない。
静かな戦争映画だったなぁ。

P.S.
画面に表示された「ビルマ語」(ミャンマー語かな?)
記号みたいで、ポケモンの「アンノーン」かと思った。(笑)



2020年01月10日(金)
じゃあ、馬鹿には胆嚢がないなんだね

年末に集まった、恒例の「仲良しグループ」忘年会。
いろいろな話題が飛び交ってメモもしたが、
一番印象的だったのは、健康や病気の話をしていた時だった。
「今年、胆嚢の手術をした」という話題になったので、
「数年前に、胆嚢と同じくらいの大きさに胆石が育ち、
自分も、胆嚢全摘手術をしたよ」と、病気自慢をして、
「先生に、胆嚢がなくなって大丈夫ですか?と尋ねたら、
「キリンもないから、平気だよ」と言われたことを披露した。
そしたら、獣医の友人は、笑いながら
「牛はあるけれど、馬と鹿も胆嚢がないよ」と付け足した。
さらに、誰かが追い討ちをかけるように、
「じゃあ、馬鹿には胆嚢がないなんだね」と確認し、
「だってよ・・」と私の方を見ながら大笑いした。
胆汁が出ないから、日常生活に支障があると思ったけれど、
何も影響がなかったこと。
手術も、腹腔鏡で体に負担がかからず、3日ほどで退院したこと。
だから、昔の保険は意味がなかった・・なんて話を、
先日紹介した、全員がパフェを食べながら、話し続けた。
今回は「耳鳴り」の話や、突発性難聴の話など、
耳に関する病気ネタが多かった気がするなぁ。
先生の「加齢が原因です」が一番、説得力があるようだけど。



2020年01月09日(木)
元気に下山

仕事の帰り、いつものように書店により、久しぶりに、
タイトルを読んだだけで買ってしまった、
書籍「元気に下山」(毎日を愉しむ48のヒント)
(五木寛之著・宝島社新書・239頁)。
9年前にも、同じことをした記憶があり、検索したら、
書籍「下山の思想」(五木寛之著・幻冬舎新書刊・223頁)で、
書店で目にして、珍しく立ち読みもせず(内容も確認せず)
買ったことを笑いながら、書いてあった。
今回は夕食の食卓で、母に「面白い本見つけたよ」と見せたら
「えっ、あなたのこと書いてあるの?」と驚いたので、
妻と一緒に、大笑いした。
そう言えば、私だけでなく、母も妻も娘も「下山」。
嫁に嫁いだ妹だって、親戚一同「下山」に反応するはず。(笑)
私の場合、もう一つのヒントをもらった。
それは、書籍「元気に下山」(柿田川を愉しむ48のヒント)
試行錯誤しそれでも悩んでいた、柿田川の魅力の伝え方、
まとめ方は、これだな、きっと。・・ラッキー。(笑)



2020年01月08日(水)
あなたには愛国心なのね。私には愛国主義だわ

映画「記者たち 衝撃と畏怖の真実」(ロブ・ライナー監督)から。
「イラク戦争の大義名分となった大量破壊兵器の存在に疑問を持ち、
真実を追い続けた記者たちの奮闘を描いた実録ドラマ」であるが
私は、小さな子供を持つ、ある家庭の会話が気になった。
「授業で米国の偉大さを勉強したって?」というシーンから始まる。
「どこが偉い?」と父親、「自由の国」と子供。
「いい答えだ」「いい子ね」と両親。ここまでは普通だけれど、
「学校で愛国主義教育とは・・」と母親が嘆き、
「今は愛国心が必要だろう?」と父親が反応するのだが、
それを受けた母親の返しの一言が、インパクトがあった。
「あなたには愛国心なのね。私には愛国主義だわ。
ユーゴスラビアもそうだった。おかげで国がバラバラだよ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』では、
「愛国心または愛国主義は、自分の国家に対し、愛着や忠誠を抱く心情」と
同意語のように扱われているが、やや違和感を覚えた。
うまく言えないが「愛国心とは、自然発生的に感じる感情」であり、
「愛国主義とは、その考え方を教育で植え付ける」イメージがある。
もし敢えてその違いを説明するのなら、
心の底から「誇れるかどうか」、そんな気がしている。
自分の住む国を愛しているからこそ、嘘で固められた政策に対して
反旗を翻す行為を黙ってみてられない、心境になる。
アメリカ人の「愛国心」と日本人の「愛国心」・・
どちらが良いということではなく、ちょっと違う気がして観終わった。



2020年01月07日(火)
未来を、どこまで楽しくできるか。

私が読み直したのは、正月に新聞紙面を飾る、
各社の一年の抱負とも思える、キャッチコピー。
今年、あっ、これいいな、とメモしたのは、
パナソニックの「面白い年になりそうだ。」と
トヨタの「トヨタイズム」と書かれた
「未来を、どこまで楽しくできるか。」だった。
社是、と言われると難しく感じられるが、
今年一年、こんなことを念頭に仕事をしよう、という
とてもわかりやすい表現だな、と思ったから。
とにかく、方向性があってるか、間違っているかは別として、
何をしたいのか、どんなものを目指していくのか、を、
社会に向けて、コミットするという意志が感じられる。
トヨタの「未来を、どこまで楽しくできるか。」は、
まさしく、大きなイベントを控えた日本という国を、
そして、自動運転が本格的になってきた自動車業界を、
足を引っ張り合うのではなく、共に歩んでいこうとする、
そのキーワードが「楽しい」だったからかもしれない。
もちろん「柿田川を、どこまで楽しくできるか。」が、
私の今年のテーマでもあることは言うまでもない。
楽しくなったそのあとは、パナソニックが目指す、
「面白い」のはずだから、この2社が気になったのかもなぁ。



2020年01月06日(月)
手帳にオリンピック日程などをメモ

新年の新聞内容は、普段の紙面と違い、情報満載だが、
気になったことは、手帳などにメモして欲しい。
なぜ、こんなことを提案するかというと、
今年の「オリンピックイヤー」をどれだけ「自分事化」として捉え、
対応をしているか、気になったからである。
何も、オリンピックに合わせて、イベントを開催して欲しい、
そんなことではなく、恒例のイベントを企画している人は、
オリンピックの種目(特に決勝)によっては、
国民全てが、オリンピックムード一色になることが予想され、
予定していた人たちが集まらないことも意識して、
企画を立てる必要があるよ、と言いたかったのである。
以前、サッカーW杯日本戦とか、WBCの決勝戦などを考えず、
全然、人が集まらなかった経験があるので、
それ以来、私は自分の手帳に、大きなイベントの日程などは、
書き込むクセがついてしまった。
昨年のラグビーW杯だって、同じことが言えたはず。
もしかしたら、飲食業だって影響があるかもしれない。
少なくとも、ターゲーット層が夢中になりそうな種目の日程は、
知っておいて損はない気がするなぁ。



2020年01月05日(日)
SNS花盛りの時代にホームページ

観光というサービス業だから、年末年始はお仕事が当たり前。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、
「年末年始9連休、暇だったでしょ?」と言うメッセージが届いた。
「とんでもない、年末年始、大忙しでした」と返したが、
予想外に、観光バスは何台も来るし・・観光地としては、
嬉しい悲鳴なんだろうけれど・・・こればかりは、
こうして現場で経験してみないとわからないことだったな、と
GW10連休の時と、同じ感想をもった。
さらに、テレビもない事務所で何をしていたかと言えば、
誰にも邪魔されることなく、ネットラジオを聴きながら、
「ペライチ」というソフトを駆使し、試行錯誤しながらも、
念願の自分のホームページを作っていた。
昨年3月に定年退職してから、いくつか「講演・研修」を頼まれたが、
その度に、自分はこんな人間です・・いうことがわかる、
プロフィール的なホームページが必要だな、と感じていたので、
この年末年始の9連休中を利用して挑戦してみた。
ホームページ作りは、思っていたよりも楽しく、完璧ではないが、
自分では、けっこうな満足の仕上がりかな・・と納得している。
「SNS花盛りの時代にホームページ」は目立たないが、
やはり、自分のやりたいことをまとめるには、SNSより上かな。

P.S 出来立てホヤホヤのHPは、こちらから。

自己紹介・他己紹介
https://peraichi.com/landing_pages/view/shimoprof
活動報告
https://peraichi.com/landing_pages/view/shimo357
柿田川大楽(概要)
https://peraichi.com/landing_pages/view/kakitagawadaigaku



2020年01月04日(土)
令和2年の行動宣言は「アウトプット」

数年前から書き始めた「行動宣言」。
簡単に言うと「新しい一年のメインテーマ」であり、
一年を通して意識していく考え方、あらゆる場面で意識すること。
昨年までは「書き初め」と言う形で表現していたが、今年はなし。
ただ、今年はどんな年にしたいか、
どんな気持ちで1年を過ごしたいか、を年頭に考えることは、
私にとって、恒例行事となっているので、続けたいと思う。
平成25年「日日是好日」、平成26年「自分に厳しく他人に甘く」
平成27年「刺激しあう」、平成28年「柿田川三昧」
平成29年「一所懸命」、平成30年「自分事化」
平成31年「心機一転」。
そして、令和2年の行動宣言は「アウトプット」
今まで貯めてきたものを、断捨離を進めながら、整理する。
そして、残ったものはそのままにせず「アウトプット」して
形あるものにすることに心がけたい。
ただし、この目標、たぶん一年では終わらない。
ここ数年は、同じ目標になるかもしれないが、それでもいい。
歳を重ねたものの特権として、のんびりとアウトプットしたいな。



2020年01月03日(金)
「2020年上半期」のテーマは「柿田川オタクになること」

昨年紹介した「しいたけ占い」、私の2020年上半期の運勢は
「改めて自分探しをしていく」のシルバーが出ています、とのこと。
「私が人間であるために」という大きなテーマを与えられ、
私が2020年にやっていくことは「目先の利益を考える」というよりは、
「この先、私が大事にしていきたい時間を、
具体的にひとつひとつ構築していく」ということになるらしい。
私は「何のために頑張るのか」を問い直そうとしている転機のようだ。
そして「こういうことはあなたしかできないことだよね」と、
自分が磨いてきた専門性が広く認知されていくこととなるみたい。
私の「2020年上半期」の大きなテーマが「○○オタクになること」
「お金や成果などは関係なく、自分の好きなものを突き詰めていく
時間が多くなる」と、しいたけさんは占ってくれていた。
それは「柿田川マニア」ではなく「柿田川オタク」へと突き進むことを
後押しされたようで、妙に嬉しさが込み上げてきた。
定年退職という大きな転機だった2019年の大きな選択、行動は
間違いではなかった、という確信と、その1年間は
この「2020年」のための準備期間だったとも言えそうだからだ。
「これがあるから私は生きられる」「これをもっともっと深めていきたい」
そんな気持ちを持って、自分の専門性を磨いていけばいいみたい。
まぁ、今でも「柿田川オタク」と言われているかも知れないけど。(汗)



2020年01月02日(木)
しもさんの「2019年(平成31年・令和1年)の成果指数」(公表)

新年を元気よくスタートするのもよいが、
やはり、一生に1度しか経験出来ない「2019年」を、
最後まで一所懸命生き切って、しっかり振り返ってから、
それを踏まえて、新しい年のスタートを切ることが私流。
そこで、例年のように、自分の成績表として「見える化」をする。
もちろん、自分だけの自己満足の世界だけど・・。
「しもさんの2019年(平成31年・令和1年)の成果指数」。
万歩計(目標365万歩)・4,345,984歩。(平均11,907歩/1日)
映画・75作品、読書・15冊、講演会・19回、コンサート等・13回、
美術館・8館、新聞投稿(掲載)・0回。(投稿せず)
こうして振り返ると、公務員だった3月末までと、
定年退職をし、民間人となった4月以降では、
生活のリズムがガラッと変わったことを挙げておきたい。
全て自己管理だし、数年後を見据えた行動が求められるからこそ、
1年が、1日が、大切なんだよなぁ。
さて、今年(2020年)はどんな成果が残せるかな。



2020年01月01日(水)
「2019の熟語」・・「柿田川大楽・設立」に決定

13年前から、年末恒例の世相を表す「漢字1字」に対抗して、
プライベートながら、1年を表す「熟語」を考えている。
元旦に、大晦日まで使いきった、昨年の手帳を開きながら書き出した、
2019年・月別の熟語は
1月・駅伝アンカー(2回目) (不思議と2回目だと余裕が生まれる)
2月・体力測定「A」判定 (これって、自慢できるよね)
3月・定年退職 (38年間、長かったような短かったような)
4月・誹謗中傷(これでもかって、私の耳に入ってきて悲しかった)
5月・研修講師 (県教委から依頼されて・・久しぶりの講師)
6月・柿田川大楽・設立 (やるならここまでやらなくちゃ)
7月・柿ラジスタート (柿田川公園での、1人ラジオ体操スタート)
8月・命の恩人 (まさか電話で話すことができるとは・・)
9月・スマホなし1週間 (意外と平気だったなぁ、なくても)
10月・柿田川授業デビュー (清水小5年生100人超)
11月・39度の発熱 (気が緩んだかな・・面目ない)
12月・確信 (今まで手探りだったことが確信に変わった) 
       
選考委員長(私自身)の弁

大きな出来事といえば、38年間勤めた清水町役場を定年退職。
だけど、それだけでは語れない、2019年の出来事の数々が、
熟語を見るだけで思い出されて、今年の選考は難しかった。
「過去」も大切だけど、やはり残された人生を考えた時、
「未来」に向けて「柿田川大楽・設立」を選んだ。
10年後の自分を考えた時、この1年があったから今が幸せ、
そう言えるのを選んだら、これだったってこと。
何もそこまでやらなくても・・と言われそうだけれど、
ここまでやるから、楽しさ、面白さがこみ上げてきてしまうこと。
だからこそ、1年間を代表する熟語、として残したい。
さて「2020年」を代表する熟語は何だろうな、楽しみである。