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しもさんの「気になる一言」
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2017年11月30日(木)
戦の世とは、このようなものであったかのぅ

映画「十三人の刺客(2010)」(三池崇史監督)から。
江戸時代末期、明石藩主・松平斉韶の暴政を止めるため、
斉韶暗殺が画策され実行に移された・・。
映画「桜田門外ノ変」や「最後の忠臣蔵」と同じく、
侍魂を堪能するには、面白い作品だと思う。
しかし、私が選んだのは、その暴君・松平斉韶に扮した
SMAP・稲垣吾郎さんの台詞である。
自分の目の前で繰り広げられている戦いを見て呟く。
「戦の世とは、このようなものであったかのぅ」
家臣が「おそらく・・」と口を濁すと
「なかなか良いものじゃ」と、驚いた事を言い出したが
「死が近づけば、人は生きることに感謝が生まれる。
無駄に生きるだけなら、この世はなんとつまらぬところか」
江戸時代末期、天下泰平の世、戦いはほとんど起こらず、
平和ボケしている、現代の日本と同じようだったかもしれない。
このままでは、万民は、生きることへの感謝を忘れてしまう。
最後に言い放った「再び、戦の世にあらしめることとしようぞ」は、
そんな意味が込められているに違いない。
今でも徴兵制度が残っている、韓国をはじめとした諸外国には、
そんな意味を持たせているのかも・・と思ったりした。
戦争とまではいかなくても「死の恐怖」を味わうことで、
「生きること」に意味が生じてくることを、この作品で知った。
全体的には、予想外に戦うシーンが長過ぎて疲れたが、
「武士道」に揺れる男たちの葛藤を教えてもらった気がする。



2017年11月29日(水)
日本中の土地の勘定をしてみればわかる

書籍「関ヶ原(下)」(司馬遼太郎著・新潮文庫刊・500頁)から。
関ヶ原の合戦を調べれば調べるほど、わからないことが増える。
その疑問の根っこにあるのは、同じような気がしている。
西軍の諸大名が、どうして動かなかったか。
天下分け目の戦いとも言われている、この戦いの後には、
必ず「武将の論功行賞」が行われる。
そんなことは、(戦いに関して)素人の私でもわかる、
「戦さ」イコール「領土の奪い合い」なのだから。
「東軍・徳川家康方に加担した」のが大前提で、
合戦中、陣を動かさないことで寝返った、と認めてもらう、
そんな都合のよい理屈を持ち出し、戦わなかったとすれば、
それは負けるはずである。
その疑問をうまく表現していた箇所を見つけた。
「山陽山陰にまたがるあの大領地をとりあげる以外に、
東軍功労の諸将に与える領土がないではないか、というのである。
「日本中の土地の勘定をしてみればわかる」と、この計数家はいった。
この予言はあたった」(計数家とは、三成のこと)
もちろん、結果的に本領安堵された大名もいるが、
それは戦い後の交渉が上手かっただけのことであり、
基本的には、何もしなかった西軍武将は領土を取り上げられた。
だったら、戦えばよかったのに・・といつも思う。
特に、安国寺恵瓊の動きは、未だに理解できないでいる。(汗)



2017年11月28日(火)
「なに油売ってるの?」「ガソリンスタンドなもので」

午後からの会議、ちょっと時間があったので、
大型ショッピングセンターの書店で、本の見出しを眺めた後、
椅子に腰掛けて「ポケモンGO」を起動しながら、
店内を見回したら、どこかで見かけた女性が目に入った。
「どうしてこんな時間に、こんなところにいるの?」
お互いが同時に発した言葉となった。(笑)
続けて彼女が「なに油売ってるの?」と尋ねてきたから、
咄嗟に「ガソリンスタンドなもので」と言い返した。
自分で呆れるくらい、何も考えず、口から出たフレーズが、
可笑しくてメモをした。
昔から、暇そうにぼ〜っとしている人に対して、
いや、仕事をサボっている人に対して「油売ってるなよ」と
叱咤するが、無駄な時間を過ごしているような人に、
「油を売る」という言葉を使っているような気がする。
(語源や意味は、ネットで調べて下さい、すぐわかりますから)
今回の一言は「油を売る=ガソリンスタンド」という発想、
どうして「アラブの出身なので」とか「商社なもので」など
もう少し気の利いた台詞ができなかったのか、反省した。
若い人たちには「油を売る」と言われてもわからないかもなぁ。



2017年11月27日(月)
忍びなら忍びらしい仇の討ち方がある

映画「梟の城」(篠田正浩監督)から。
天正伊賀の乱で織田家に潰された「伊賀の忍者」、
その場で、大騒ぎし敵討ちをしようとする
「中井貴一」さん扮する伊賀忍者・葛篭重蔵を制して
「忍びなら忍びらしい仇の討ち方がある」と諭すシーン。
目の前で愛する人たちを殺された記憶を思い出させ、
「あの地獄絵図をよもや忘れたわけではあるまい」とも。
その後、織田信長の後を継いだ、豊臣秀吉暗殺の命を受ける。
大阪城の厳重な警備(汗)をくぐり抜けながら、
秀吉の寝床まで、意外と簡単にたどり着いたにもかかわらず、
なぜか、会話を楽しみ、殺さず拍子抜けしてしまった。
これ以上の「忍びらしい仇の討ち方」がないのに・・。
ここで殺してしまっては、確かに史実が変わってしまうが、
「伊賀の忍者役なのに、人が優しすぎる」が私の印象である。
また、城からお堀に飛び込み、逃げるのだが、
そんな彼を探す武士たちの手元をみて、笑ってしまった。
堀の外からは、暗闇にゆれる、木を燃やした炎なのに、
船からお堀の中を照らす光は、どうみても「電灯」(笑)。
どうして、こんな小道具にしたのか、今でも疑問が残る。
暗闇で、お堀の水の中を照らす手法が気になって仕方がない。
違う映画で、同じようなシーンがあったらメモしたい。



2017年11月26日(日)
「気になる一言ネタ」満載の日々・2017秋冬

今年の秋から冬にかけて、溜まっているものがある。
それは「ストレス」でははなく「気になる一言ネタ」。
読み終えた書籍メモ、観終わった映画メモ、聴講した講演メモ、
企画展に誘われて出掛けた美術館メモ、音に癒やされたコンサートメモ、
スポーツ観戦のメモ、大河ドラマ「おんな城主直虎」のメモ、
さらには、毎週のように開催される週末のイベントメモなど、
この「気になる一言」に選ばれるのを持っている「メモ」が溢れている。
もちろん、季節ごとに面白いように景色が変わる「柿田川」メモや、
これから増えるであろう「忘年会」でのメモも加えれば、
彼等が、いつ「気になる一言」に登場してくるのか、
実は、書いている本人の私でも見当がつかない。(汗)
以前も紹介しだけれど、メモはそのまま「気になる一言」にせず、
瞬間冷凍のように、メモだけをPCに打ち込む。
(映画だけは、観た後に、すぐ「レビュー」を書いているけど・・)
後日、メモを取り出し、その場で解凍して「読み物」にする。
この行程を何十年も続けてきたからだろうか、
この方法で「書くネタ」に困った事は、一度もない。
逆に、最近のように「書くネタ」ばかりで困ってしまうから、
久し振りに、私の近況報告を記録として残しておこうと思う。
「『気になる一言ネタ』満載の日々・2017秋冬」
ほら、こんな事まで「気になる一言」になってしまうでしょ。(笑)



2017年11月25日(土)
日帰りのお土産ではないね、この量は

メモを整理していたら、面白いフレーズを見つけた。
秋の行楽シーズン、それも「味覚の旅のバス旅行」となれば、
トイレ休憩で停車するサービスエリアごとに買い物をし、
「お土産」と称する食べ物が増え続けるパターンにはまる。
その量は、両手では持ちきれないほど。
それを見て、ある人が驚いたように言った。
「日帰りのお土産ではないね、この量は」
葡萄や林檎のフルーツを始め、道の駅では、地場野菜の数々。
農家の人が、わざわざ野菜を買わなくてもいいのに、と思うが、
私の分析では、農家の人ほど野菜に手が伸びている。(笑)
実は、その心理がわからない。
普段、自分たちが育てている農作物とは違うものが目に入ると、
ついつい、買いたくなってしまうのだろうか。
それとも、自分たちが作っていない珍しい野菜は、
どんな味がするのか、気になるのかもしれない。
バス旅行を終え、トランクから溢れるばかりのお土産を出していた
バスガイドさんが、一言付け加えた。
「自分より大きなお土産が気に入っても、お持ち帰らないように」
他人のお土産も気になるってのが、可笑しかった。
秋の行楽シーズンのバス旅行、要注意だな、
旅行代金以上のお土産は、当たり前の世界だから。



2017年11月24日(金)
生活の基礎代謝を減らす

2017年度・沼津・伊豆地域 福祉とくらしのセミナー
講師「森永卓郎」氏(獨協大学教授・経済アナリスト)
演題「どうなる 私たちの暮らし」から。
導入部は、もちろん「ライザップ」ネタ。(笑)
「食べものの量は関係なし、食べ物の種類を制限する」と、
ライザップ・ダイエットの本質を披露した後、
その徹底ぶりに「余計な物を食べたくなくなる」から、
ダイエットに成功するんだ、と笑いを取った。
さて、本題の「私たちの暮らし」については、
経済アナリストらしい、分析を交じえながら、
一つの提案を、聴講している私たちにしてくれた。
それが「生活の基礎代謝を減らす」。
冒頭のダイエットネタが、ここに繋がっていたようだ。
「入ってくるお金が少なかったら、出ていくお金を減らす」
それが、私たちに求められる生活なのかもしれない。
「せこい・ケチ・渋チンは褒め言葉と思いましょう」と元気付け、
「生活費を低く押さえれば怖いものなし」と断言した。
支出を徹底的に少なくすれば、収入が激減しても大丈夫。
身体がそれに慣れてしまえば、苦にならない。
そういう意味なんだろう、思う。
年金暮らしまでに、暮らし方を変えていかないとなぁ。



2017年11月23日(木)
信念を曲げたら僕は生きていけない。

映画「ハクソー・リッジ」(メル・ギブソン監督)から。
今までにも数多くの戦争映画を鑑賞してきたが、
本当に、戦争を体験してきた人たちの話と、
映画の戦争シーンのギャップを埋められなかった。
だからこそ、今回の沖縄戦のリアルさは、経験者の話と近く、
本当にこんな恐怖だったんだろうなぁ、と胸が締めつけられた。
さて作品中、「壁」(リッジ)という言葉が何箇所かで使われている。
冒頭、主人公が幼少時代、壁に駆け登って親に叱られるシーン。
「危ないぞ、崖(リッジ)から離れろ」
私の知識で、壁は「wall」、崖は「ciff」だと思っていたので、
字幕を見て慌ててメモをした。(笑)
次に「壁」が出てくるのは、志願兵でありながら、銃を持たず
軍法会議にかけられることになった時、
彼女が「何をされたの?」と心配げに訊ねたあとのシーン、
主人公の彼は「何でもない、壁と戦って負けただけ」と答えている。
そしてもちろん、戦地・沖縄の断崖絶壁「ハクソー・リッジ」。
主人公にとって「壁」は、乗り越えるもの、と思っていたかも知れない。
「壁」があるから、諦めるのではなく、途方も無い「壁」があっても、
信念を曲げず登り続ければ、いつかは超えられる、そう感じていた。
だからこそ、彼は「信念を曲げたら僕は生きていけない」と口にする。
もちろん戦争の映画であるが、監督が私たちに伝えたかったのは、
「主よ、もう1人助けさせて。もう1人・・」と神にお願いしながら
「お願いです、もう1人助けさせて」とうわ言のように呟かせた
彼の「信念」が、光輝いていたと言える。
最後に上官が言う。「お前は奇跡を成し遂げた。その奇跡が必要なんだ。
お前なしでは戦えない」、なるほど、そういうことか。(汗)



2017年11月22日(水)
なんでそんなこと訊くんですか? 

観光地に行くと、多くのシルバー世代の人たちが、
観光ガイド役をしながら、バスから降りてくるツアーの方々を
楽しそうに案内している姿が目に入る。
どうして、若い人たちがいないのだろう?と不思議だったのだが、
その理由が少しだけどわかった。
(若い人のガイド役は、今でも話題になるほど少ないから・・)
今では、観光地のあらゆる情報は、スマホで調べればわかる。
地形や歴史、仕組みなど、興味があるならガイドに案内されなくても
もっと詳しくわかるから・・が本音であるようだ。
だから「歴史とか訊かれても困らないように勉強しようよ」と言えば
「なんでそんなこと訊くんですか?。スマホで調べればいいのに」と
いうことになりかねない。
ここに観光案内のヒントが隠されている気がしてならない。
ネットに載っているようなことの説明は、少なくて構わない。
逆に、ネットには掲載されていない「今だけ、ここだけ、あなただけ」の
観光情報を、タイムリーにガイドできることが求められている。
それが話題になることで、あの人のガイドを聴きたい、となるのだろう。
これからは、ネットに掲載されていない情報で勝負だなぁ。



2017年11月21日(火)
日本独特の「片廊下」「昇降口」「下駄箱」(上履き)

平成29年度日大国際関係学部主催(下期市民公開講座)
統一テーマは「日本の社会・教育を考える」
講師「冨士原雅弘」氏(日大国際関係学部准教授)
演題「日本の学校空間の成り立ち」から。
まず、武士階層が学ぶ「藩校」。庶民層が学ぶ「寺子屋」
そう理解していたら「寺子屋」は、京・大坂中心。
江戸などでは「手習塾」と呼んでいたことは、へぇ〜だった。(汗)
さらに「片廊下」「昇降口」「下駄箱」(上履き)などを挙げ、
私が今まで何も疑問も持たず利用しいた、日本独特の学校空間について、
丁寧に説明を加えてくれた。
海外では「廊下」を挟んで教室が両側に配置されているが、
高温多湿な日本では、風通しのよくない中廊下は不適当で、
「片廊下」が好ましいとされたようだ。
寒暖の激しい地域では、廊下の方向も工夫されていることを知った。
一番驚いたのは「昇降口」で「上履き」に履き替えるという習慣。
これまた、教育の一環でそういうものだと思い込んでいたら、
これこそ和式建築から当然に生まれた生活習慣の採用(二足制)だった。
大学などは一足制だがら、教える側の生活習慣に合わせた、という説明に、
妙に納得してしまった。
「下駄」など履いていかないのに、なぜ「下駄箱」と言うのだろうか、
以前、そんな疑問は持ったことがあったが、なんとなく理解できた。
下履きが下駄の場合、騒音、土足による泥・ほこりの侵入、衛生保持できない
などの理由が、あとから付されたとも教えていただいた。
意外な日本の学校の建物空間、まだまだあるんだろうなぁ。



2017年11月20日(月)
子どもが読むのが子どもの本ではない

書籍「読書からはじまる」(長田弘著・NHK出版刊・201頁)から。
次に紹介するのは「こどもの本のちから」という項目。
まず最初に「本は、年齢で読むのではない」と言い切り、
「本を読むというのが、新しいものの見方、感じ方、考え方の
発見を誘われることでないなら、読書はただの情報にすぎなくなり、
それぞれの胸のなかに消されないものとしてのこる何かを
もたらすものとしての、読書の必要は失われます」と。
さらに「子どもが読むのが子どもの本ではない」
「年齢によって、本を考えることをやめたい」とまで。
「年齢によって、限定されない読書の楽しさ」を提案している。
「子どもの本というのは、子どものための本なのではありません。
大人になってゆくために必要な本のことだというのが、
わたしの考えです」というフレーズにぶつかり、感激した。
子どもの本になくなてはならない「物語の三原則」は、
「古くて歳をとったもの」「小さいもの、幼いもの」
「大切なもの」を示してあげることだと理解した。
どの図書館でも「子供と大人」でフロアを分けたりするから、
私たちが子供用の楽しそうな図鑑を見つけられないんだよなぁ。



2017年11月19日(日)
「インデペンデンス・デイ」を観直したくなる映画

映画「インデペンデンス・デイ2014」(W・D・ホーガン監督)から。
鑑賞後、あまりにチープな作りに言葉がなかった。
タイトルだけで選んだ自分が情けなかったが、
逆に、こんな作品に出会えるのは、珍しいかもしれない。
製作国・カナダの原題は「INDEPENDENCE DAYSASTER」
「INDEPENDENCE」は「独立・自立・自活」
「DAYSASTER」は「毎日・幾日も」
あっ、もしかしたら、私たちが勝手に、
「Independence Day」(独立記念日・米国は7月4日)と
勘違いしたのかもしれない。(意味が違う?)
原題をみれば、大作「インデペンデンス・デイ」とは別物、と
ハッキリわかったのになぁ。(笑)
「こいつは、すげえゃ」や「地球外生命の探査が仕事よ」
映像や場面設定で表現するはずが、台詞で説明するから、
安っぽい仕上がりになってしまう。
また、偶然が多すぎて、観ていて「興奮」するというより
「笑い」が込み上げてしまうほど・・・。
もう一度、映画「インデペンデンス・デイ」を
観直したくなる映画、というのが、この作品の感想かな。



2017年11月18日(土)
「稲本」出すなら「小野」を出せ

職場の後輩達に連れられ、清水エスパルス公式戦に出かけた。
場所は「アイスタ(IAI)」相手は「北海道コンサドーレ札幌」、
小雨の降る中、必死の応援むなしく、0-2で負けた。
あまり印象に残るシーンも無く、精彩を欠いたまま終わったが、
後半47分、相手チームから「稲本潤一選手」が出てきた時、
やっと知ってる名前が出てきた・・と喜んだ。(笑)
しかし、もう勝敗もほぼ決している時間帯なのだから、
どうせなら「沼津市出身の小野伸二選手」のプレーが見たかった。
(試合前の選手紹介でも、小野選手だけは、相手チームなのに
拍手で迎えられたほど、人気者だったから)
野球では、勝敗に影響がない大差の試合には、地元出身とか、
地元ゆかりの選手を出場させ、ファンサービスをしてくれるのに、
サッカーには、そういった感覚は無く、最後の最後まで、
ベストメンバーで臨むことが暗黙の了解らしい。
年に一度しか観戦しない、にわかサッカーファンは、
所属チームに関係なく、地元生まれ、地元出身選手を応援したくなる。
だから、今回の試合をワンフレーズでまとめると
「『稲本』出すなら『小野』を出せ」
(全国のサッカーファンのみなさん、ごめんなさい(汗))
でもこの一言で、10年先でもこの試合を思い出せるんだよなぁ。



2017年11月17日(金)
「働き方改革」ではなく「働きがい発見」

駿東三市三町幹部職員研修会
講師「岩崎清悟」氏(静岡ガス(株)前・代表取締役会長役社長)
演題「エネルギーから見た地方創生」より。
「1 原油の低価格はいつまで続くか?」
「2 エネルギーから見た地方創生」
「3 活き活き高齢者化社会に向けて」
3部構成の内容で「ガス」というエネルギーのもつ可能性を、
丁寧に説明されて、今後は「分散型のローカルシステム」が
エネルギーの課題を解決するだろう、と纏めてくれた。
しかし私が印象に残ったのは、(本題ではなく申し訳ないですが・・)
「せっかくチャンスをいただいたので、私見を申しあげたい」と
前置きをし、書籍「孤独のすすめ」(五木寛之著)から引用しながら、
「高齢者就労施策の展開を」と提案したことである。
「生涯現役促進地域連携事業タイプ」(厚生労働省)を示しながら、
特に「7 社会参加タイプ」を、地方公務員の私たちに提案してくれた。
「7 社会参加タイプ」とは「高齢者の雇用・就業だけでなく活躍の場として
ボランティアや就業体験を含めた社会参加を広く推進するパターン」として、
「ノルマを外して、じっくり話し聴くような仕事」を、高齢者に与えることで
高齢者は、自分の居場所として、経験から積み上げてきた能力を、
惜しみなく提供してくれるに違いない、そんなアドバイスにも聴こえた。
高齢者にとって今必要なのは、政府の示す「働き改革」ではなく、
自分が社会のために役に立っているという「生きがい・働きがい」。
ワンフレーズにすると「『働き方改革』ではなく『働きがい発見』」
定年退職を1年半後に控えた私には、その意味が理解できる。
高齢者にとって大切なのは「働きがい」なんだよなぁ。



2017年11月16日(木)
そのマフラーをどう結ぶかです。

書籍「読書からはじまる」(長田弘著・NHK出版刊・201頁)から。
読書の話なのに、マフラーの例えが出てきて思わず頷く。
「冬は、だれもがマフラーをします。
マフラーというのは結び方が肝心で、たとえみながみな
同じマフラーをもっていても、その結び方、身につけ方で、
印象がまったく違ってくるのがマフラーです。
マフラーは、さまざまな結び方をもっていて、
はやりの結び方があり、野暮な結び方があり、きれいな結び方があり、
見ていていいなと思える結び方があります。
結び方次第で、気分も違います。重要なのは、
どういうマフラーをもっているかではありません。
そのマフラーをどう結ぶかです」と。
本の読み方も、百人いれば百通りの読み方がある。
どれが正しい読み方で、どれが間違った読み方などない。
しかし、せっかく自分の大切な時間を使って読むのだから、
素敵な読み方をしたいな、といつも思う。
これから、マフラーが必要な季節になってくるから、
そのたびに、この例えを思い出そうっと。



2017年11月15日(水)
ROM人間が多くて、RAM人間が少ないよね

職場のベテラン組と飲みながら交わした意見交換会。
久しぶりに「最近の若い人たちは・・」というフレーズが飛び交い、
それはそれで、面白い話題満載だった。
私たちも若い頃、先輩の方々に言われたんだろうな、と想像できる。
今回のメモに残されていたフレーズは、
「ROM人間が多くて、RAM人間が少ないよね」だった。
「ROM」とは〔read-only memory〕の略。
読み出し専用の半導体記憶装置。RAMと異なり書き込みはできないが、
電源が切れても内容は失われない。
それに対して「RAM」とは〔random access memory〕の略。
ランダムアクセスが可能な記憶装置。特に,読み出しだけでなく
書き込み可能な半導体記憶装置をさす。
この定義を拡大解釈すると「ROM人間」とは、
インターネットのSNSなどで顕著に現れる
他人の発言を読むだけで自分から発言しない人のこと。
「RAM人間」とはその逆で、積極的に、投稿・コメントする人のこと。
その場では、なるほど・・と思ってメモしたが、翌日読み返すと、
これって「若者に限ったことではないな」と思ったし、
もしかしたら「私たち世代」の方が「ROM人間」が多いかもしれない。
しかし、もっと深く考えれば「ROM」でも「RAM」でも、
「好奇心旺盛」には違いないのだから、まだ捨てたもんじゃない。
一番の問題は、世の中の動きに無関心の人かな。



2017年11月14日(火)
(夕陽を見ながら)今日も無事に終わりました。

映画「追憶」(降旗康男監督)から。
元旦の朝陽(初日の出)に手を合わせる人は多いけれど、
大みそかの夕陽に手を合わせる人は少ない、
そんなことが書かれていた本を、数年前に読んでから、
私は年に一度、大晦日の夕陽に手を合わせている。
その年に亡くなった人を一人ずつ思い出しながら感謝し、
夕陽に向かって「今年も無事に終わろうとしています、
ありがどうございました」と手を合わせる。
それを毎日実践している人を映画の中ででみつけた。
それが、この作品であると言ってもいい。
作品中にメモした多くの台詞の中、
(夕陽を見ながら)「今日も無事に終わりました。
ありがどうございました」と手を合わせる女性が心に残った。
それはまさしく、この作品を支えている考え方だな、と思う。
一日一日、なにごともなく無事に終わることの有り難さは、
歳を重ねて来た私には、とてもよく伝わってきた。
私もこれからは、年に一度と決めないで、できる限り、
今まさに沈もうとしている夕陽に向かい手を合わせ、
「今日も無事に終わりました。ありがどうございました」と
実践してみたいと思う。
お天道様に、1日の報告と感謝するって、素敵なことだから。



2017年11月13日(月)
「午前3時」は「深夜」か「早朝」か

「午前3時」という時間は、不思議な時間だと思う。
若い頃、ラジオ番組「オールナイトニッポン」を聴きながら、
受験勉強していたのは、確かに「深夜」だった。
インターネットの検索に夢中になり、気がついたら「午前3時」
これも間違いなく「深夜」だった。
しかし、歳を重ねると、早寝して、知らぬ間に目が覚めて、
時計を見ると「午前3時」、それから目が冴えて寝られなくなる。
こんなことが増えた今の私には「午前3時」は「早朝」。
「そろそろ寝る時間」の「午前3時」なのか、
「そろそろ起きる時間」の「午前3時」なのかの違いである。
以前「おへそ」は、上半身か下半身か、というネタで書いたが、
それとほぼ同じ感覚な気がしてきた。
当時、パンツで隠れる人は「下半身」、隠れない人は「上半身」、
そんな定義でまとめた気がする。
さて、読者のあなたは、どちらだろうか。
「おへそ」の話ではなく「午前3時」の定義について。



2017年11月12日(日)
人に言われる前に、自分が気付かなきゃ。

最近、ロンドン オリンピックミドル級金メダリストであり、
現WBA世界ミドル級王者となった「村田 諒太」選手の特集が組まれ、
その生き方、考え方が話題を呼んでいる。
試合前、父親から贈られた「哲学」や「心理学」に関する本を読むことで
心の平常心を保っていることは、有名なところ。
私が気に入ったのは、練習風景を自分のスマホで録画し、
日々、自分で細かくチェックしていることであった。
どこが良くて、どこが悪いのか、昨日と何が違っているのか、
そんなチェックは、当然でしょ、とチャンピオンはこう語った。
「人に言われる前に、自分が気付かなきゃ。
それでなければ、強くなれないでしょ」
本当にトップを目指すなら、他人にとやかく言われる前に、
自分で気付き、修正作業に入っているくらいでなくては・・と、
個人はもちろん、組織に対しても通用するアドバイスだなとメモをした。
自分で気付いた変化こそ、自分を成長させるに違いない、と信じて、
毎日を過ごしていきたいと思う一言であった。



2017年11月11日(土)
「断たれた9人の若い命」の写真はいらない

神奈川県座間市のアパートで9人の切断遺体が見つかった事件、
テレビでも新聞でも、被害者の写真を掲載して特集するが、
私には、どうも、その報道内容に違和感が残る。
加害者がどんな人間だったか?は、ちょっびり知りたいと思うが、
被害者の彼女達が、どんな人間だったなんて情報は、
マスコミには申し訳ないけれど、読みたくない、が本音である。
逆にこの「写真入り」の記事に、どんな目的があるのか知りたい。
無理やり聞き出したような情報を、文字として読むのは辛いし、
この情報が独り歩きをし、面白可笑しく取り上げられる可能性、
そんなことを考えたら、彼女たちにスポットが当たるのは、
どうしても納得がいかないので、新聞の見出しをメモにした。
自分の身内だったら・・自分の仲の良い友達だったら・・と
考えてみて欲しい、本当に必要なことなのだろうか。
マスコミの役割は、単なる興味本位の情報提供ではないはず。
被害者に思いやりのかけらも感じない記事・特集に対して、
久し振りに、心が落ち着かなかったので、私の呟きをそのまま、
「気になる一言」にしてみた。
「『断たれた9人の若い命』の写真はいらない」



2017年11月10日(金)
剣闘士は背中を刺されて死んではならない。

映画「ポンペイ」(ポール・W・S・アンダーソン監督)から。
う〜ん、期待し過ぎたのかな、あまり盛り上がらなかった。
映画「ポンペイ2014」を、本作と間違えて観てしまったので、
いやいや本家本元の、映画「ポンペイ」は、ベスビオ火山の噴火シーンや、
街全体が火山灰で埋まって住民がパニックになるシーンなど、
スケールの大きい特撮などがあるに違いない、と自分の中で考えていた。
それが予想に反して、べたな「ラブ・ストーリー」だったから、
あまりメモする台詞も少なく、あっけなく終わってしまった。
まぁ、強いてあげるとすれば、主人公が「剣闘士」だったから、
剣闘士に関する定義を少しだけ残しておきたい。
「剣闘士は背中を刺されて死んではならない。
死ぬのは、正面から一撃を受けた時だ」
「剣闘士は命乞いなどしない」
日本の「武士」と共通する考え方があり、それなりに楽しめた。
それにしても、主人公の2人や脇役、敵役などだけが、
降り注ぐ火山岩にも当たらず、いくらなんでも偶然が重なり過ぎ、
そんな視点で観てしまうほど、ハラハラドキドキはなかった。(汗)
この緊張感のなさは「アクション大作」と評価していいものかどうか、
迷ってしまうほど。
映画「ポンペイ2014」と見比べるのも面白いかも。(笑)



2017年11月09日(木)
ミニ屋台は「エレベーターに乗るサイズ」

隣接の沼津市が、公共空間の活用やにぎわいづくりに向け、
市役所正面玄関前のピロティに屋台を出店するという
実証実験を始めたというので、見学に行った。
市内の飲食店や雑貨店が新商品を紹介したり、
起業を考える人が試験販売を行ったりする場を創出しようと、
屋台形式の物販を企画したようだ。
実物のミニ屋台を見せていただいたが、組み立て式で、
なおかつ、思っていたサイズよりだいぶ小さかったので、
その疑問を担当者にぶつけてみたところ、
「(ミニ屋台は)『エレベーターに乗るサイズ』にしました」。
なるほど、それでこのサイズなんだ、と感心してしまった。
こういったイベントは、屋外で使うことが多いというのは、
私たち世代の思い込みだ、と気付き、メモをした。
エレベーターに乗るサイズなら、屋内の、それも1階でなくても
物販用の準備がすぐ出来ることになる。
最近、モノのサイズに興味を持ち始めたからか、
この視点・発想は、とても参考になったなぁ。



2017年11月08日(水)
「ごめん」くらい略さないで、ちゃんと謝ろうよ。

「広辞苑」(岩波書店)が10年ぶりに改訂される話で盛り上がり、
小説・映画「舟を編む」をゆっくりと思い出しながら、
今回は、どんな言葉が加筆されるのだろうか?と興味が尽きない。
使い方がおかしい、意味が違う、などのご指摘はあろうが、
言葉は時代を映す鏡だから、変化するのが当たり前、と考えれば
こんな楽しい読み物はない。
どうやら、約1万項目を追加し、計25万項目を収録するらしい。
女子高生などに多く使われる流行語も追加されるに違いない。
そういえば、あるテレビ番組で女子高生に、こう投げかけた。
「今、女子高生ではどんな言葉が流行っているの?」と。
それに対する答えは、スマホ時代、スピード感を求めてなのか、
「り」とか「ご」。
「了解」の「り」と「ごめん」の「ご」の略らしい。
メールが届く。返信は「り」、あるいは「ご」の一文字で済ます。
合理的というか、女子高校生らしいな、とメモをした。
単語登録しておけば「り」と入力すれば「了解」できるので、
打つのが面倒くさいということではなさそうだ。
それが、彼女らの感覚なんだろうな、きっと。
しかし、ダウンタウン・松本さんのコメントが一番心に残った。
「『ごめん』くらい略さないで、ちゃんと謝ろうよ」
.そのとおりだよなぁ。



2017年11月07日(火)
「天然記念物」が飲めます

柿田川公園に欲しい看板シリーズ。(笑)
(勝手に、シリーズ化していますが・・・)
ある方を柿川公園を案内していたら、こう言われた。
「柿田川って、天然記念物なんですよね?」「そうです」
「ということは、柿田川の水が飲めるっていうことは、
天然記念物が飲めるってこと?」と、さらっと言った。
「あっ・・ホントだ。今までそんな発想がなかったです」
そう答えたものの、嬉しくなってメモをした。
以前「国天然記念物」は「重要文化財」に等しい、という視点の
気になる一言を書いたが、だから大切にしなくては・・と纏めた。
けれど、その「重要文化財」を護るためとはいえ、
月に一度、外来種駆除を理由に触れていることになる。
たぶん「川全体が天然記念物」というのは珍しいらしく、
指定の範囲を決めるときに、多くの地権者の同意をいただく作業が
大変だったなぁ・・と思い出された。
全国では「国宝」や「重要文化財」と言えば、触れることはおろか、
写真撮影だって制限があるというのに、わが町の「天然記念物」は、
写真撮影はもちろん、飲むことだって許されている。
だからこそ「『天然記念物』が飲めます」というフレーズは、
インパクトがあるな、と思う。
「天然記念物に触(さわ)り放題」と書くと、ちょっと下品だから
「飲める『天然記念物』あります」という程度かな。
まずは、オリジナル・パンフレットに使ってみようかな。(笑)



2017年11月06日(月)
(デジタルは)情報が簡単に流失し、制御不能になる

映画「盗聴者」(トマス・クライトフ監督)から。
「ベルギー・フランス合作」とはいえ「劇場未公開作品」、
そんな前提知識しかなく観終わった。
ストーリー的には突っ込みたくなる場面も多いが、
「盗聴音声のテープ起こし」という仕事の設定が新鮮だった。
音声とはいえ、ほぼ簡単にデシダル化できる時代に、
紙にタイプライターで打つ、という原始的な作業の意味、
それは「盗聴音声」であり証拠は残したくないのか、と考えたが、
その意味を、作品の中で説明していた。
「デジタルは信用できません。情報が簡単に流失し、制御不能になる。
だから、紙とタイプライターを使います」とはっきり。
思わず頷きながら、メモをした。
デジタルは、検索や保存が容易だし、コピー・ペーストも簡単。
そう思っていたが、それを良しとしない考え方もある。
簡単に扱えるということは、簡単に流失することでもあるし、
それが誰の手に渡っても、もう自分では止めることはできない。
制御不能となったデジタルデータほど、怖いものはない。
全世界に広がることだって、考えられる怖い世界だ。
自分だけならまだしも、大切な家族や友人の写真などが、
インターネットの世界に広がるのだけは避けたい、といつも思う。
だって、悪用されて拡散されても、私には制御できないのだから。



2017年11月05日(日)
言葉を伝えるつもりで、歌ってください

月に1度、約1時間の合唱練習で、無謀にも「清水町芸術祭」に参加し、
今年で「11回目」を数えたが、今回も「気持ちよく」歌えた。(笑)
(上手い・下手より、大切な要素だと自分では考えているのだが・・)
今朝、家を出る前に、指導してくれている同級生からメールが届いた。
「いよいよ本番です」と前置きをしたあと、
「歌は訴えるという言葉からきていると聞きました。
訴えなければ歌じゃない。
会場の皆さんに『風の会』の歌を訴えてきてください。
それには言葉。言葉をはっきり発音して歌いましょう」と。
そういえば、昨日のリハーサルでも同じアドバイスをしてくれた。
音楽なので音程とかリズムの話をするのかと思ったら、
「言葉を伝えるつもりで、歌ってください」と何回も口にしていた。
伝えたいのは、きれいなメロディではなく、歌詞の意味を理解し、
その感情を聴いてくれている人に伝えて欲しい、
そんな意味に理解して、今日、本番のステージに立つことができた。
還暦間近の「中学校同級生と恩師だけ」で構成されている混声合唱団の
選曲は「君をのせて」「アメリカン・フィーリング」の2曲。
さて、来年は何の曲に挑戦しようかなぁ。



2017年11月04日(土)
日本語がもっと知られて欲しい

東京オリンピック(2020年)に向けて、いろんな分野で準備が進み、
そして、個人個人でも、あと1000日を切ったこの間に、
どんな自分になっていたいか、を語り合うシーンが増えてきた。
東京オリンピックを契機に、世界中から多くの方が集まるのだから、
どんな日本を見てもらいたか、どんなおもてなしをしてあげられるか、
そんなことばかりを考えていたからか、歌手の椎名林檎さんの視点は、
私にはとても新鮮に感じられた。
「日本語がもっと知られて欲しい」
確かに日本は国際的には認められているのかもしれないが、
交渉ごとは全て英語など、日本語以外で話されることが多いのも事実。
この国の言葉である「日本語」を、もっともっと世界で使って欲しい、
その前に、もっと知られて欲しい、そう願っているようであった。
さすが、言葉を大切にしている方のコメントである。
世界では「日本」という国を知らない人たちの方が多いし、
ましてや「日本語」を知らない人たちで、世界は溢れている。
だからこそ、この「東京オリンピック2020」を契機として、
日本語の素晴らしさを伝えたい、そんな気持ちが感じられた。
外国人との会話のために英語を覚えるのもいいが、
一言でも、日本語を覚えて帰ってもらうくらいの気持ちで、
外国人を迎え入れたいものである。



2017年11月03日(金)
レゴランド1時間、リニア・鉄道館4時間

職場の研修旅行で、名古屋「レゴランドフリータイム」にでかけた。
このところ続いていた週末の雨模様は心配なく、約3時間半で到着、
フリータイム5時間(10時〜15時)を楽しむことになったのだが、
入場して約1時間、59歳の男性が1人で5時間過ごせる場所ではないな、
そう感じて(汗)、近隣の「リニア・鉄道館」に場所を移した。
事前に、レゴランドのそばに、JRの施設があることは調査済みなので、
思いきって「レゴランド1時間、リニア・鉄道館4時間」に踏み切った。
おかげで、とても楽しい一日を過ごすことができた気がする。(汗)
もしかしたら気が付かなかったけれど「私も鉄ちゃん?」と思うほど、
展示されている本物の車輌に興奮したし、懐かしさが蘇ってきた。
学生の頃から、全国を旅するのに、鉄道を利用してきたことを、
改めて、実感した1日である。
もちろん、時速500キロのリニア体験も刺激的だったし、
私たち世代には懐かしさを、そして子供達には未来に夢を与えてくれる、
そんな施設展示にメモは増えた。
可笑しかったのは「0系21型」(一番最初の新幹線)をバックに
記念撮影する人たちが、鉄道の運転士をイメージさせるポーズなのか、
子供から高齢者まで「敬礼」のポーズだったこと。(笑)
本物を見せるって、これほど凄いことなんだな。



2017年11月02日(木)
図書館に、指定席のある閲覧室をつくる

書籍「読書からはじまる」(長田弘著・NHK出版刊・201頁)から。
「友人としての本」次は「読書のための椅子」だった。
「本を読むときに、自分で自分にいちばん最初にたずねることは、
その本をいつ、どこで読むか、本を読む場所と時間です。
それが、その本をどんな椅子で読むかということです」
こんな視点で、公立図書館にある提案をしている部分を見つけた。
「たとえば大きな図書館に、指定席のある閲覧室をつくる。
そして、その閲覧室の椅子を座席指定にして、
一年なら一年契約できるようなチケットをつくる。
利用したければ、閲覧室にその椅子の権利を買い求める。
そういう方法がもっと考えられるべきです」と。
さらに「大阪府立図書館」の取り組みを紹介している。
「いい椅子を一つ、自分の日常に置くことができれば、
何かが違ってきます。その何かが、じつは、
読書というものが、わたしたちにくれるものなのです」
この視点で図書館ができたら、私は間違いなく、
その自分専用の座席を確保するに違いない。
老化で小さい字が読めなくなってきたからこそ、
「その本をいつ、どこで読むか」は大切なことだと思うから。



2017年11月01日(水)
友人とは「ずっと続く関係」

書籍「読書からはじまる」(長田弘著・NHK出版刊・201頁)から。
「本」というものを、丁寧に説明していることに驚くとともに、
今更ながら気付いた、人間にとって欠かせない「本」という存在を
とてもわかりやすく表現されていて、メモが溢れた。
特に「友人としての本」という項目で紹介されている
「友人」という定義が、今回の「気になる一言」。
「友人というのは、その場かぎりではありません。
『ずっとつづく』関係です。親しい、よく知っているという以上に、
友人というあり方をなすのは『ずっとつづく』ということ。
『ずっとつづく』というのは、日常的にずっと連続するだけでなく、
日常的にたとえ連続していなくとも、続いているという感覚が
ずっと続いている、ということです」
年に一度しか会わなくても、いや数年に一度しか会わなくても、
会えば、その感覚が戻ってくる、そんな関係とも言える。
本も同じだ。本棚に並んでいる、何年も読み返していない本も、
一度手に取ると、初めて読んだ時の感覚が戻ってくる気がする。
だから「友人としての本」という例えがピッタリだった。
これからも「本」との関係は「ずっと続く」から、
友人のように大切にしたいな、と思っている。