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しもさんの「気になる一言」
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2014年12月31日(水)
「努力」は「自信」となって「魅力」となる

年末恒例のメモ整理をしていたら、引っかかったフレーズ。
2014年(平成26年)を振り返ると、まさにこの表現が
ピッタリだと感じて、年末の「気になる一言」とした。
こつこつと地道な「努力」を続け(デジタル数字を増やし)、
それを眺めて自己満足の世界だけど「自信」に繋がり、
その自信こそが、体の内側(心)から輝かせ、
やがてその人の「魅力」となって、周りに影響を与える。
私の場合、まだ「自信」がついてきた段階だけど、
なんとなく、今の生活をコツコツと繰り返すことにより、
私なりの個性となって、魅力になったら嬉しいと思う。
不思議なことに、この「努力」は、予想以上に楽しい。
だから、続けていられることもわかっている。
若い頃は、東京タワーのお土産ではないけれど、
「努力」という言葉は、あまり好きではなかったし、
なんだか、陰気なイメージが私を寄せ付けなかったが、
歳を重ねると、この「努力」が、ひとりでも楽しめる
「陽気」のイメージに変わりつつある。
今では「努力って楽しいよ」と大きな声で言える気がする。
この楽しさを伝えるのが、道徳なのかな。

P.S.
「大晦日の夕陽に向かって手を合わせ、今年他界した人を偲ぶ」
今年は8人。私の人生に大きな影響を与えてくれた人もいる。
あらためて「ありがとうございました」そして「お疲れ様でした」



2014年12月30日(火)
相手の心が動いた瞬間をとらえるんだ

映画「ハイキック・ガール!」(西冬彦監督)から。
う〜ん、空手やカンフー好きの私としては、
この作品をどう評価すればいいのか、迷うところである。
空手の指導教材なら、わかりやすいけれど、
映画となると、ストーリーが単純過ぎて、笑うしかない。
「壊し屋」と呼ばれるケンカのプロたちが、一撃で倒され、
その後、立ち上がってもこないシーンは、呆れるばかり。
それも、彼らを倒したのは、主人公の女子高校生ではなく、
彼女の空手の師匠・松村先生では・・。
そんな中、ピックアップした気になる一言は、冒頭、
「空手の技をかけるタイミング」について語った師匠の一言。
「目で見てからでは遅い、相手の心が動いた瞬間を捉えるんだ。
相手の心を読むな」
ラストシーンで、この言葉の意味を、弟子の目の前で
実際に示してみせたところがあり、
あっ、ストーリーになっていると私を驚かせた。(笑)
主人公の女子高生を演じた、武田梨奈さんの技のキレは
私の青春時代の「志保美悦子」さん(長渕剛さんの妻)を
彷彿させるほど、素晴らしかった。
それにしても、男たちが簡単に倒れ過ぎだよなぁ。



2014年12月29日(月)
フンコロガシ(糞転がし)が、一番、働き者なんだよ

映画「東京難民」(佐々部清監督)から。
もっと悲惨な若者像をイメージしていたので、
ホストクラブの裏側をみせながらも、あまり逼迫した
「難民」という単語に相当した展開がなかった気がする。
辞書によると「難民」とは、
戦争、天災、政治的圧迫等により、生活の根拠に奪われ、
多くは集団で他の地方や国家に救済を求めて避難する者をいう。
だから、もっともっと多くの人たちが、生活に困窮し、
路頭に迷うシーンが散りばめられていると、勘違いしてしまった。
そんな中、印象に残ったのは、日雇い労働者の生活と会話。
住み込みの部屋に案内される途中、張られていた看板には、
「人生、逃げるが 負け!」(可笑しくて慌ててメモをした)
また「あの人たちは、技術じゃなくて『会社』という
居場所を持っている人たちだよ。それがね、一番、強いんだよ」
「一番悪いのは、一度でも失敗したら立ち直れない社会の仕組みだよ。
仕組みってのは強い連中のためのものだから、変わらないんだなぁ」
「でも一番辛かったのは、何もすることがないってこと」など、
日雇い労働者のボヤキは、なぜか悲壮感を感じなかった。
「フンコロガシ(糞転がし)が、一番、働き者なんだよ」という気概は、
俺たちは逃げてないぞ、という意気込みさえ感じた。
裏のある派手なホストの世界より、苦しいけれどコツコツと働く、
ホームレスの人たちにも、拍手を送りたい。



2014年12月28日(日)
江國香織という作家は、男じゃないのか?

書籍「赤い長靴」(江國香織著・文春文庫刊・261頁)から。
いつも、う〜ん、わかるわかる、と読み終えてしまう江國作品。
登場する男が、いつもだらしないよね、と言われようが、
これを読むと、江國香織という作家は、男じゃないのか?と
疑いたくなるほど、男の心理描写が巧いと思う。
メモしたフレーズも、一つひとつを取り挙げたいくらい、
インパクトがあったり、なるほど・・と頷く部分が多い。
今回選んだのは、男に対する定義。(笑)
「男の人というものは、必要とあらば大変感じよく振舞えるが、
必要に迫られない限り、決して感じよくは、振舞えない生き物なのだ」
という表現が、可笑しかった。
「喫茶店で新聞をひらくのは、日和子の考えでは、
男の人のすることだからだ」、そんな行動分析も笑えた。
さらに「逍三は、大多数で騒ぐビアガーデンも苦手だが、
見知らぬ女にすり寄られ、次々、水割りを作られるこのような場所は
さらに苦手だった」では、拍手を送りたくなった。
彼女の「女性の定義」は、上手・下手がわからないけれど、
「女友達の際限ないお喋りと、強烈なまでの変わらなさ加減、
それが自分を不安にすること」なんて表現は、男から見ると
なんとなく分かる気がする。(笑)

P.S.
数多(あまた)ある一つずつ通り・・
偶(たま)とはいえ、あるのだから。
夥(おびただ)しい数の鉢植えを店先にならべ・・など、
漢字も勉強になるなぁ、小説は。



2014年12月27日(土)
年末の餅つきは「非常食であり、お年玉」

昨年末に、子ども(孫)たちと「餅つき」をした、そんな投稿を目にして、
我が家では「羨ましいね」「偉いなぁ」と談笑したが、
私が「子どもたちと一緒に餅つきをする、狙いなんだろう?」と
へそ曲がりの疑問を投げ掛けたので、いろいろな意見が出た。(笑)
「年末の歳時記として、体験させることがいいんじゃないの?」
「つきたてのお餅の美味しさを教えることも出来るよね」
「家族そろって・・ってのが、楽しそうだよ」
う〜ん、異論はないけれど、子どもたちに教えるのは、
日本の風習、文化として「年末に餅つきをする」ことだけでなく、
どうして「年末に、餅つきをするのか」を教えないと意味がない、
そんな発言をしたら「じゃあ、インターネットで調べたら?」となった。
しかし、昨年調べた記憶がないので、あえて一年後に調べてみると、
もちは「望」を意味しており、
「家族みんなが幸せで希望が叶えられるように」と、
もちをつき神仏にお供えし、おめでたい儀式に用いるのがしきたりで、
節句のちまきや柏餅などのようにハレの時だけお供えして食べる。
という非日常食だったようだ。
もちを食べることで、神の霊力を体内に迎え生命力の再生と補強を願い、
1年で最も重要な神祭のお正月を年玉(年魂)といい、
昔は、家族やゆかりの人達に餅を配る風習があった、との説明に、
「年末の餅つきは『非常食であり、お年玉』」を残そうと思う。
これで、思い出せるかなぁ、餅つきの意味。(汗)



2014年12月26日(金)
沼商吹奏楽部定期演奏会は「最前列がVIP席」

毎年、楽しみにしているクリスマス恒例のイベント。
地元、沼津商業高校吹奏楽部の定期演奏会(第54回)は、
昨日、沼津文化センター大ホールで公演された。
ただ開演が17時30分のため、私は業務終了後、
約4キロの道のり猛ダッシュで走り、会場に着いた時は、
汗ダクダクで、席に着いた時も、汗は引かなかった。
隣席の女子高生に不思議そうな(驚いたような)目でみられ、
いたたまれなくなり、休憩時間に、最前列に移動した。
楽器演奏会、特に吹奏楽やオーケストラの演奏では、
最前列は、聞きづらい、観にくいと敬遠しがちなのだが、
今回ばかりは、勝手が違った。
第2部「沼商オリジナルステージ・アナと雪の女王」と、
第3部のポップス曲、さらには、定番ソング「情熱大陸・
風になりたい、あの鐘を鳴らすのはあなた」へと続くステージ、
そして、今回で部活を引退する3年生の引退セレモニーは、
最前列ならではアングルで、彼ら彼女らの演技や、
思い出いっぱいで頬を流れる涙も、目の前でしっかり見えた。
高校の部活っていいな、って心から思ったし、
苦楽を共にしてきた仲間ではなくてはならないメッセージも、
私の心に響いたことを記しておきたい。
「沼商吹吹奏楽部定期演奏会は『最前列がVIP席』」をメモして、
来年の真新しい手帳のスケジュールを埋めたいと思う。
来年も、絶対「最前列」で鑑賞しようっと。



2014年12月25日(木)
時々、鬱陶しくなる「Facebook」(笑)

知人の勧めで始めた「Facebook」、
このSNSで知り合った友人も多く、基本的には感謝している。
だけど、時々「おせっかい」とか「大きなお世話」と感じる
情報サービスが鬱陶しくなる。
その代表が、年末の「1年の振り返り」とか「1年の新聞」、
さらに、友達の「誕生日のお知らせ」など。
どれも、個人が1年間を振り返り、重大ニュースを選ぶからこそ、
あの年は、こんな1年だったなぁと、本人の想い出に残り、
さらには、それが何年経っても思い出せる、と私は考えている。
Facebookが勝手に編集してくれる「1年の思い出」は、
申し訳ないが無味乾燥だったし、写真をあまりアップしない私は、
それはそれはつまらない1年だったことになる。
しかし現実は、今年ほど変化に富んだ1年はなかったし、
人生の転換期、と言ってもおかしくないほど充実していたから、
この企画に賛同しシェアするまで、何度も繰り返される画面を見ると、
本当に「鬱陶しい」と呟きたくなる。
勿論、友人・知人の誕生日を、Facebookで知り、タイムラインで
「お誕生日おめでとう」とメッセージを打つことにも抵抗がある。
それが悪いと言うことではなく、私には必要のないサービスだな、
と感じているだけ。
この1年を振り返るのは、大晦日まで一生懸命に生きて、
新しい年の元旦に、前年をゆっくり振り返りたい。
ちょっと辛口だけど「時々、鬱陶しくなる『Facebook』(笑)」を
年末の一言に残そうと思う。(脱退させられちゃうかな?(汗))



2014年12月24日(水)
家族版・ゴチになります、今年は撃沈。(悔し〜い)

毎年恒例となってきた「家族の忘年会」。
いつも、この時期、職場や親しい仲間たちとの忘年会が続き、
家族には、カレンダーに「夕食なし」と書くだけで、
申し訳ないと思ったのか、ここ数年、家族の忘年会を開催している。
今年はちょっと早いけれど、クリスマスイブに1年を振り返りながら、
美味しい料理と好きなアルコールを飲みながら楽しんだのだが、
お会計の時、家族のそれぞれが清算額の予想をする企画、
「家族版・ゴチになります」(勿論、支払いは私がするのだけど)
ここ数年、私が一番近かったけれど、今日は見事に惨敗。
このところ毎日続いている「飲み会」の感覚で予想したら、撃沈。
一番、近かったのは、なんと長女。(ニアビン賞)
続いて「母」、私とゴチを争った「妻」にもかわされて、
結局は、私の忘年会会計(清算)に大きな誤差が生じたようだ。
今、考えると、最後のアイスとシャーベットが余計だったな、
いや、あそこで「純米吟醸」のおかわりは失敗だったなぁ、とか
反省することは多々ある。(笑)
まぁ、こうして今年も「家族で忘年会」が出来るだけでも幸せだな、
そう思うことで、良しとしよう・・。
帰宅後、せっかく買ってきた「クリスマスケーキ」はお腹に入らず、
神戸で買ってきた「赤のスパークリングワイン」も正月に持ち越し。
この悔しさをフレーズにすると、やっぱりこうなる。
「家族版・ゴチになります、今年は撃沈」(悔し〜い)



2014年12月23日(火)
「豊かさを実感できる生活都市・清水町」を一番口にした人

先日、前町長の告別式に参列し、遺影を眺めていて気がついたこと。
この人は、あのフレーズを一番口にした人だったなぁ、と。
そのフレーズとは、第三次清水町総合計画の将来都市像、
「豊かさを実感できる生活都市・清水町」である。
既に、わが町の総合計画は「第四次〜」を推進中であり、
現在は、その役割を終えた「一世代前の将来都市像」であるが、
その計画策定に携わった私としては、
1996年(平成8年)〜2010年(平成22年)の15年間のまちづくりを支えた
フレーズとして、今でも懐かしく計画を眺めたりしている。
計画期間と、先日他界した前町長の任期がほとんど重なったためか、
どうしても、イコール又はセットで当時の様子が蘇ってきた。
就任当初の頃、企画係長として町長室で計画の概要説明をした時、
「どんな挨拶でも『豊かさを実感できる生活都市・清水町』というフレーズを
入れてください」と生意気にもお願いしたことがふっと思い出された。
その時「わかった」と頷いた首長は、その後3期12年間、機会あるごとに
将来都市像を口にしてくれた。(汗)
そのフレーズを耳にするたびに、私は嬉しかったですよ、と、
当の本人に伝えることが出来なかったことが、今となっては何とも淋しい。
あらためて、ご冥福をお祈りいたします。(合掌)

P.S.
計画の巻頭言「在平素」(平素に在り)を読み直し、涙腺が緩みました。
「何事も平素の積み重ねが大事」・・心に刻みます。



2014年12月22日(月)
復活の喜びは、まさに格別

一日平均10,000歩、年間365万歩を目標に掲げ、
歩数計を常に身につけてから、3年が過ぎようとしている。
1年目の2012年(平成24年)は、11月18日(323日目)で達成し、
年末までにさらに、478,357歩を加え、4,138,357歩を歩いた。
続く2年目の2013年(平成25年)は、
1年目の達成に油断があったのか、なんと372,728歩を残して、
3,277,272歩で大晦日を終え、ちょっぴり悔しい思いをした。
そして3年目の2014年(平成26年)は、前半苦しんだが、
人事異動で勤務先が変わった4月以降、一気に盛り返して、
12月20日(354日目)で、なんとか年間365万歩を超えた。
初めてチャレンジし、勢いだけで歩いた2年前の達成感とは違い、
一度挫折して、生活サイクルを徹底的に見直して、
心新たに再チャレンジした結果だからこそ、その達成感は、
言葉に表現しにくいが、まさに格別である。
年齢を重ね、体力が衰えてきたことを自覚していたからこそ、
よけいに嬉しかったのかもしれない。
この日を思い出すために「復活の喜びは、まさに格別」を残し、
あと数日も、コツコツと歩き続けていきたい。



2014年12月21日(日)
俺、職員が可愛くてしょうがないんだよ、だけど・・

前町長のお通夜のあと、訃報を聞き駆けつけてくれた、
北海道清水町の町長と、夕食を共にする機会に恵まれた。
平成の合併が進み、福井県清水町は福井市と合併、
和歌山県清水町も有田川町になり、全国に4つあった
「清水町」が2つもなくなり、全国清水町の姉妹縁組は、
解消されてしまったけれど、それでもなお「北海道清水町」は
路面が凍結して離陸もままならなかった帯広空港から、
なんとか飛び立ち、お通夜にも間に合い、事無きを得た。
本来なら、私たち職員が同席する立場にはないのかもしれないが、
無理を承知でお願いしたら、快く同席していただき、
今まで私たちの知らなかった、トップ同士の会話も教えていただいた。
当時、残った2つの清水町(北海道・静岡県)で、再び「姉妹縁組」を結ぼうと
持ちかけられた時、北海道の事情で受けられず断ったことを悔やみ、
今回はどうしても葬儀に参列しなければ・・と来町の理由を語ったあと、
亡くなった前町長が、北海道の清水町長に語ったという台詞を披露した。
「俺は、職員が可愛くてしょうがないんだよ、
だけど、叱らないと育たないから、心を鬼にして叱っているんだ」と。
へぇ〜、そんなことを考えて、叱ってくれていたんだ、と、
ただ単に「怒られていた」と感じていた私は、恥ずかしくなった。(汗)
「義理と人情」を最も優先してきたその行政手腕は、
お通夜に参列した多くの人たち、誰もが認めるところであろう。
祭壇に飾られた遺影を見るたびに、あの独特の口調が思い出され、
確かに、この人に育てられたなぁ、と感じたお通夜だった。
「お世話になりました」、そして「ありがとうございました」(合掌)



2014年12月20日(土)
「刺激しあう」関係っていいな

2014年11月の上旬、筑波大学の学生から依頼を受けた、
「ICTの活用による中年者を対象とした
身体活動促進プログラムの開発」に関する調査は
毎日「歩数計」を付けて歩き、
その歩数をFacebookに報告するというだけの調査かと思っていたら、
私の予想以上に、楽しい試みとなった。
たまたま同じグループに分けられた人たちで繰り広げられる
お互いの「いいね」や、励ましのコメントは、
健康のために少しでも多く歩こう、と思う私のモチベーションを、
ずっと下げないまま、楽しく調査終了を迎えることが出来た。
それまで、一度も面識のなかった人たちが、
同じ目的のためとはいえ、こうも刺激し合えるものか、と
驚くとともに、その効果は絶大だな、と再認識させられた。
さらに調査期間が終えてからも、誰彼とはなく、自主的に、
これからも続けたいという声が上がり、2カ月ほど前までは、
存在すら知らなかった、全国に散らばっている人たちが、
今では、一番コミュニケーションをとる仲間になった。
一方的に「指示・命令・アドバイス」をするのではなく、
双方向で「刺激しあう」ことは、ひとりではできないこと。
だからこそ「刺激しあう」関係は、楽しいのかもしれない。
来年も「刺激しあう」仲間たちと、歩きつづけたいと思う。



2014年12月19日(金)
ゴルフは「心の人間ドック」

質問攻めにあった11月議会も無事終わり(汗)、夕方からの職場忘年会を前に、
久しぶりの休暇をとって、後輩たちと近場のゴルフ場へ出かけた。
最近は、ゴルフ場でも健康のために、乗用カートに乗らず、
歩く癖をつけているが、私にとって「ゴルフ」は、実は健康のためではなく、
どれだけ自分をコントロールできるか、トラブルに冷静に対処できるかなど、
精神的な面の「人間ドック」と位置付けて、楽しんでいる。
ところが「体の人間ドック」は努力次第で改善できるが、
心の成長を測るバロメーターと位置付けたゴルフは、全然改善されていない。
いやむしろ、どんどん悪化の道を進んでいる気がしてならない。(汗)
本来、スポーツでもなんでも、お金と時間をかければ、
ある程度は上達して、自己満足に浸れるのであるが、ゴルフだけは、
たとえお金と時間を使っても、なかなか上達しないスポーツなので、
どれだけ心(精神)が成長したかを試す場として、活用している。
といいつつ、今回もまたまた私の心は大きく乱れ、同伴者のスコアや、
自分の球の行方が気になって、心は冷静になれず、安定しなかった。
う〜ん、ゴルフを始めた頃が、一番うまかった気がするなぁ。
巧くなりたい、という欲がなくなったんだろうな、たぶん。
改めて「ゴルフは『心の人間ドック』」を記しておこうっと。

P.S.
さて一休みして、本日のメインイベント、課の忘年会に繰り出すとするかな。
酒の肴には困らない、珍プレーならいっぱいあったから。(笑)



2014年12月18日(木)
水平線で船が消えるのを見たことある?

映画「メッセージ そして、愛が残る」(ジル・ブルドス監督)から。
うまく表現できないが、似たような作品が、ふっと思い浮かんだ。
映画「Sweet Rain 死神の精度」では、
「死に値する生き方をしたか、を判断するだけ」と言い切る「死神」、
映画「アジャストメント」では「決められた運命を逸脱しないよう
世の中を監視している『調整員』」などが登場する。
今回は「メッセンジャー」、死と向き合える時間を与える役目らしい。
死・生き方について、いろいろな役割があるものだなぁ、と感心した。
さて、今回の気になる一言は「死」についての説明である。
「水平線で船が消えるのを見たことある?
船の姿は、目に見えないけれど、存在しないわけじゃない。
『死』もそれに似ている。
水平線の船のように、見えないだけでちゃんと存在してる」
「死」は肉体としては確かになくなるけれど、
「精神」「心」は、思い出として、残された人の心に存在する。
そんなことを言いたかったのかもしれない。
妙に納得してしまった例え話であり、わかりやすかったなぁ。

P.S.
昨日の朝、前町長が他界したという訃報が、突然のように届いた。
体調が悪いことは耳にしていたが、まさか亡くなるとは・・(涙)
私が係長や主幹の職で、町内を飛び回っていた頃の社長なので、
よく叱られもしたし、可愛がっていただいた。
お通夜も告別式にも参列し、まずは生前のお礼を言い、
お疲れ様でした、と声を掛けたいと思う。(合掌)



2014年12月17日(水)
日本人って、記録を残したがるよね

先日、久しぶりに会った知人と飲んでいて、意気投合した。
もしかしたら、自分たちだけかもしれないが、
「日本人って、記録を残したがるよね」の話題で盛り上がった。
その典型は私だな、と頭をかきながらも、
全国あちこちで開催されている、市民マラソンなども、
ブームを通り越して、日本人に定着しているのは、
たぶん、記録好きの日本人にとって、どんなタイムでも、
記録が残り、前回と比べたりして楽しめるからではないか、
そんな経験者談義となった。
逆に考えると、せっかく高い参加料を支払うのに、
制限時間より遅かったから、を理由に打ち切られるのは、
「記録なしも記録」と割り切れる人以外は、リピーターとならない。
だから、警察の交通規制がなく、制限時間が緩やかな大会が好まれる、
という視点は、大会開催のヒントとなる気がする。
そう考えると、市民対象のスポーツって記録が残ることが大切だな。
そういえば、毎日の歩数、体重、読んだ本のページ数など、
スポーツ以外にも、何でも記録したがるものなぁ、私の場合。(汗)



2014年12月16日(火)
一言で喧嘩できるらしい「ぬぅ」

この言葉にピンときた人は、沖縄県人だな。(汗)
沖縄の方言なのだろうが「ぬぅ」は、
一言で喧嘩できる、あまり使ってはいけない言葉のようだ。
何人かの沖縄出身の人に確認したけど、
ほとんどの人が、そうそう・・と言うので間違いはなさそう。
静岡県人の私には信じられないけれど、
「バカ」「間抜け」「阿呆」、そんな類いの言葉だと理解したら、
それまた、ちょっとニュアンスが違うらしい。
そう考えると「ぬぅ」・・に匹敵する日本語は見つからない。
「ぬぅ」と口にすれば、それだけで「喧嘩」ごしに変わるなんて、
不思議な単語である。
ネットで調べたら「あまり、丁寧な聞き返し方ではありません」、
とあったので「なんだと?」とか「なにぃ?」のような、
相手の話、行為に対して、イチャモンをつける言葉なんだろう。
文字にすると迫力ないけれど、きっと、火花散らしながら、
語気を荒げて「ぬぅ」と言うんだろうなぁ。
「言葉は力だ」って言い続けたてきた甲斐があったかな。
逆に、これを言えば一言で、仲良くなれる言葉はないのかな?

P.S.久しぶりに・・「言葉は力だ」
一つの言葉で喧嘩して  一つの言葉で仲直り
一つの言葉でおじぎして 一つの言葉で泣かされた
一つの言葉はそれぞれに 一つの心を持っている



2014年12月15日(月)
献体がなければ医者は育たない。

最近、看護師さんの知り合いが増えたから、ではありませんが、
映画「眉山」(犬童一心監督)から。
観ようと思った動機が、物語の主人公である母役と娘役が、
宮本信子さんと松嶋菜々子さんだったので、不純ではあったが、
観終わると、さだまさしさんの原作らしい「爽やかさ」が残った。
特に、末期がんに冒された母、龍子さんが
献体支援組織「夢草会」に登録をしていたことが印象的である。
インターネットによると「献体」とは「医学および歯学の発展のため、
また、力量の高い医師・歯科医師を社会へ送りだすために、
死後に自分の肉体(遺体)を解剖学の実習用教材となる事を約し、
遺族が故人の意思に沿って医学部・歯学部の解剖学教室などに
提供することである」
いくら医療技術が進もうと、医師が扱うのは「生身の人間」であり、
それは、どれくらい多くの解剖(手術)を経験してきたかにより、
医師として自信がついてくるものではないか、と思う。
家族(遺族)としては遺体が長い期間戻らず、ヤキモキするだろうが、
「献体がなければ医者は育たない。お母さんはそういう深いところで
医学を理解しているんじゃないですか」という台詞が示す通り、
死んでも、社会の役に立とうとする献身的な心構えがあるからこそ
生きている時も、悪いものは悪い、ダメなものはダメと、
誰彼とはなく、叱ることが出来るのだろう、と羨ましくもあった。
「生き様」だけでなく「死に様」をも考えさせられた作品として、
私の今後の生き方の参考にしたい。

P.S
親子(母娘)をテーマにした映画で「また親子丼か」という台詞、
意味もなく可笑しくなりメモしてしまったが、考え過ぎだろうか?



2014年12月14日(日)
豊かな時間、持ってますか。

衆議院議員選挙当日、若い職員は選挙事務だというのに、
私は、楽しみにしていた「都留文科大学合唱団定期演奏会」を
時間の都合で諦めた替わりに、昨日、知人からチケットをいただいた
「トヨタコミュニティコンサートin沼津」へ足を運んだ。
演目は「プッチーニ作曲・オペラ『トスカ』全3幕」
(イタリア語上演・日本語字幕付き)
3時間に及ぶ公演の様子を、いくら文字で表現しても、
たぶん会場の雰囲気は伝わらないので、いつものように省略。(汗)
私が感心したのは、主催者の1つ、トヨタの社会貢献である。
「音楽を通じて地域文化の振興に貢献すること」を目的に、
1981年(昭和56年)のスタート以来、33年間、日本全国で開催し、
これまでの公演回数は約1500回を数えていること。
それは、まさしく私が地方公務員として奉職した年と重なった。
「トヨタだから出来るんだ」という人もいるだろうが、
33年間という年月の長さは、簡単に続けられることではない。
「クラシックコンサートを通じて心に残るひとときをお届けしたい」
そんな活動を紹介するパンフレットに書かれていたフレーズが
「豊かな時間、持ってますか。」
本格的な「オペラ」を身近な地元で鑑賞する機会が得られ、
帰宅途中に感じた寒風も気にならず、約40分の道のりを歩いて帰った。
私でも知っているような、名アリアの数々を思い出しながら、
「豊かな時間」が持てたことを喜びたい。
体を健康にする「スポーツ・運動」と、心を健康にする「文化芸術」、
この2つのバランスが大切だということを、最近実感している。
これからも、余裕がなくなったているなと感じたら、
「豊かな時間、持ってますか。」と自問自答したい。



2014年12月13日(土)
6年ぶりに「MacBook」から「iMac」へ

2008年11月(約6年前)、現在の「MacBook」を購入し、
ほぼ毎日、彼女の画面を見ていたが、最近どうも調子が悪い。
(PCを女性と決めつけているところが、私らしいのですが・・)
いろいろ調べているけれど、ネット環境は問題ない。
ただし、相談相手の多くのマック信者の言葉を総括すると、
DVDやCDを読み込むドライブが寿命とのこと、
逆に、同じ機種を6年も使っているのですか?と驚かれた。(汗)
現在でも、スマホ(iPhone)より重用し「気になる一言」は全て、
この「MacBook」から発信しているので、
ドライブのレンズクリーナーを使い、こまめに清掃している。
私にとっては、DVDの映画鑑賞や音楽CD録音には、
欠かせない存在であるからこそ、悩んでいた。
そこで私が選んだ選択は、自分に無理難題を課せて、
無事達成できたら、待望の新しいPC購入をする、というもの。
(この判断方法が、またまた私らしい、と言われそうですが・・)
それがまさしく「27.8キロの完走(歩)」や「人間ドックの異常なし」。
なんとかやり遂げた自分へのご褒美として、手に入れることにした。
ただし、今流行の持ち運びが簡単な超薄型「MacBook Air」ではなく、
大きな画面が特徴のデスクトップ「iMac」。
56回の歳を重ねて、やっと最近、何度も回り道をしながらも、
自分がやりたかったことがわかってきたから・・。
そのために選んだ、私の秘書。(また女性か? (笑))
幾つかの作品を彼女と創りながら、一緒に60歳の定年を迎えたい。



2014年12月12日(金)
「どうなされたんですか?」・・「妻のおかげです」

毎年この時期恒例の「人間ドック」だったが、
今回は、最初の問診(胴回り測定)から、同じ質問を何回も受けた。
昨年、腹囲「84.8センチ」が、今年はなんと「76.0センチ」、
測ってくれた看護師さんが驚いたように「どうなされたんですか?」
「思いっきり痩せまして、ズボンがブカブカになりました」(笑)
「どうやって痩せたんですか? 運動ですか?」と興味津々。
「いや、たぶん食事ですね、食事のコントロールだと思います、
家族のために毎日の食事を作ってくれる、妻のおかげです」
肉・揚げ物から、野菜中心に献立が変わり、一緒盛りから個別盛りへ、
我が家の食卓は、昨年あたりから激変したと言ってもいい。
当然、料理には手間がかかるし、お皿の数も増えた、
成果はすぐにはでないから、じっくり約1年半かけて、減量に成功。
体重も「70.7キロ」から「61.9キロ」(なんと標準体重以下)
ここでも「どうなされたんですか?」・・「妻のおかげです」
さらに最後の総合診断でも、結果報告書を確認しながら、
担当医師から「驚くほど数値が改善されていますね」と誉められ、
「どうなされたんですか?」・・「妻のおかげです」を繰り返した。
たぶんだけど・・運動だけでは、ここまで減量は出来ないから、
今年の「人間ドック結果報告書」は、妻への「感謝状」だな、
そんな気持ちが湧いてきたから、今日の記録に残そうと思った。
欲を言えば、妻には自分の健康にもっと関心を持ってもらいたい、
私に出来ることは、協力するつもりだから。



2014年12月11日(木)
「何族ですか?」「ツチです」「お友達も?」「私はフツよ」

巷では、ノーベ平和賞の話題で盛り上がっているが、
人種差別や民族間争いで、ふと思い出した映画がある。
映画「ホテル・ルワンダ」(テリー・ジョージ監督)から。
ルワンダ(アフリカ)の民族対立の凄さを痛感した。
私からみれば、同じに見える「ツチ族」と「フツ族」の戦い、
これが、ほとんど実話だというから、驚くばかりである。
国同士の戦争よりも、より残虐な気がしたのは、
銃などの武器というより、ナタなどの刃物が使われたこと、
さらに、女、子どもも容赦なかったこと。
それが「1994年」(まだ約20年前)の話だというから、
ショックという言葉しか浮かばなかった。
と言いつつ、映画の中でも、争っている民族同士でも
結婚したり、友達同士がいたことは救われた。
そのワンシーンが、このルワンダの抗争を取材に来た人が
カウンターで仲良く話している女性2人にインタビュー。
「何族ですか?」「ツチです」「お友達も?」「私はフツよ」
堂々と、自分の民族を口にしても、関係に変わりはない。
なんだか、ホッとするシーンだった気がする。
戦う残虐シーンばかりが目立った作品であるが、
逆に、この会話を選ぶことで、その凄まじさが蘇る。
「残虐行為の映像をみれば、必ず助けにくる」は思い違い。
「世界の人々は、あの映像をみて『怖いね』というだけで、
ディナーを続ける」という台詞には、さすがに参ったなぁ。



2014年12月10日(水)
結婚披露宴は「六種混合」(六酒混合)

最近では、予防接種の「三種混合(ワクチン)」も影をひそめ、
死語になりつつあるというのに、
先日、出席させていただいた結婚披露宴の写真を眺めていたら、
写っているいる写真のグラスの中身が、ほとんど違う。(汗)
結婚披露宴では「六種混合」(六酒混合)が健在であった。
もちろん、アルコールの話。
振り返れば、宴が始まる前に待合室で「ウィスキーの水割り」、
開宴して、乾杯で「シャンパン」、その後とりあえず「ビール」、
料理がお魚のときは「白ワイン」、お肉になると「赤ワイン」、
さらに宴が進むと「焼酎」の水割りやお湯割りにも口を付ける、
それも、ほとんど真っ昼間から、短時間で。
普段は、こんな数の「チャンポン」では飲まないけれど、
披露宴では、なぜか飲んでしまうから、不思議で仕方がない。
いくら食べ物に合わせて、と言い訳しても、それだけ飲んだら、
身体にいいわけないから気をつけなくちゃ、と
いつも反省するんだけれど、なぜか飲んでしまう。
あっ、これからの忘年会シーズンは、
これに「日本酒の冷酒やお燗」が加わるから「八酒混合」だな。
(梅酒や紹興酒は、あまり飲まないんだよなぁ。これが・・)
回数が多いから、少なくとも「三酒混合」くらいにしよ〜っと。



2014年12月09日(火)
人生の「トウガラシ」だ、分かるかね?

映画「大統領の料理人」(クリスチャン・バンサン監督)から。
フランスのミッテラン大統領に仕えた女性シェフの実話らしい。
彼女が男性社会の中で孤軍奮闘する姿は、拍手に値するが、
やはり「いじめ」は、精神的にイライラしていたようだ。
そんな時、彼女を是非と、仏官邸へ呼び寄せた仏大統領が、
自分も思うようにいかない国の政治で悩みながらも、
静かに彼女に声を掛けるシーンが印象的だった。
「最近、いじめられているな? 私もだ、逆境だよ。
だが、逆境だからこそ、私は頑張れる。
人生の『トウガラシ』だ、分かるかね?」と。
料理人の彼女は、頷いて「いい夜を・・」と返す。
この「逆境は、人生のトウガラシ」という表現が面白い。
それは、トウガラシだけでは辛いだけだが、料理によっては、
隠し味になったり、うま味を増す効果にもなる。
「いじめ」などの逆境も、長い人生に深みを与えるもの、
そう考えれば、この逆境もなんとか乗り切れるだろ?
そんな意味なんだろうと思うが、私の考えすぎだろうか。
分かり合える大人の会話だったなぁ。

P.S.
「デザートは『尼さんのおなら』(ペドノンノ)」はメモ対象。
私の住む町に「ペドノンノ」というケーキ屋さんがあるから。
そんな意味だったんだ、と可笑しくなった。



2014年12月08日(月)
日本開催の米好ツアー・ミズノクラシック

定期的に血圧の薬をもらいにいく病院の待合室で手に取った
ちょっと古めのゴルフ関連雑誌の特集記事。
「日本開催の米好ツアー・ミズノクラシック」
この見出しを眺めて、何も疑問を持たず、
日本開催だからって「米好き」なんて、あまりにもヒドい、
もう少し見出しの工夫ができないのかなぁ、とメモをした。
帰宅後「米好きツアー」をネットで調べたら、一人で吹き出した。
あまり記憶が確かでないけれど、このフレーズは縦書きだったから、
横書きのフレーズを縦書きにする時、この間違いは起きたに違いない、
たぶん「日本開催の米女子ツアー・ミズノクラシック」は、
「米(国の)女子(ゴルフ)ツアーとして、日本で開催される大会」として
大きな特集記事にし、紙面を割いていた。
横書きの「女子」が、縦書きでは「好」という一字に変化し、
まさに「米女子」が「米好」という単語に化けた。(笑)
どうせなら「米好き」が集るゴルフツアーを観たかったなぁ。(笑)
このハプニングは、しばらく、面白ゴルフネタとして使えそうだな。
昔は、ペンネームなどに、そういった言葉遊びをする人が多かった。
俳人「大野林火」は、焚き火の「焚」を「林」と「火」に分けたという。
そんな余裕が、妙に嬉しい年頃なのかもしれないなぁ。



2014年12月07日(日)
選挙と関ヶ原、比べるつもりだったのに・・

久しぶりの私のボヤキ。(笑)
1年間、観続けてきたNHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」も、
今回で49回を数え、あと「最終回」を残すのみとなった。
衆議院議員選挙の投票日が、12月14日に決まった時点で、
恒例の時間変更は覚悟していたので、手帳にも時間を入れず、
ただ「軍師 官兵衛(最終回)」と記録しておいたのだが、
番組最後に流れる「お知らせ」で「最終回は21日です」の文字。
「せっかくこんなに盛り上がってきたのに、一週お休みですか?」
そう問いたいくらい、その判断には疑問が残る。
今までにも、国(衆議院・参議院)の選挙投票日が日曜日と重なり、
1時間前に時間変更した作品は何度もあったので、
今回もそうだと思い込み、油断した。
(ホームページで確認すれば、何てことはなかったのだが・・(汗))
確かに今考えれば、最終回は「時間拡大版」が常だから、
時間変更が難しいのかもしれないな、と気付くけれど、
これまた最終回のあと、総集編「前編」「後編」が控えているので、
まさか「1回休み」になるとは、やはり想定外だった。
さらに私の場合、14日は「関ヶ原の戦い」と「選挙の戦い」を比較して、
「気になる一言」を書こう、と目論んでいたので、当てがはずれた。
自分の思い込み・勘違いに腹を立てながらも、何年かして思い出すために、
今回ばかりは、ボヤキを一言に残そうと思う。
「選挙と関ヶ原、比べるつもりだったのに・・」
「関ヶ原」は結果が分かっているけど、さて「選挙の結果」は?

P.S.
大河ドラマ「軍師 官兵衛」最終回タイトルは「乱世ここに終わる」。



2014年12月06日(土)
紙の新聞は、感覚的な読み方がしやすい

同じ書籍で三度目ですが、書籍「日本人が一生使える勉強法」
(竹田恒泰著・PHP新書刊・237頁)から。
現在、私は毎朝、新聞の見出しを追う作業をしている、
ニュース自体は、前日のネットで読んでいるので、
目新しいニュースなく、確認作業に近いが、やめられない。
その理由を、彼が本書で端的に表現してくれていた。
「新聞のメリットは、情報(ニュースの価値)の強弱が
はっきりしていることです。
ヤフーなど総合ポータルサイト上のニュース記事は、
重大事件もそうでない事件も、同じ文字の大きさ、テンションで
時系列順に表示されます。これでは、情報の強弱が伝わりません。
新聞の見出しが白抜きになっていたり、二段になっていたり、
一面のトップニュースは、横見出しだったりと、
紙面を開いただけで、重大の強弱が、記事の大きさやタイトル、
リード文、小見出しなどを含めて、ビジュアルで分かります。
紙の新聞は、感覚的な読み方がしやすいということです」
まさしくこの通りで、ネットの世界で、大事件・大事故と、
芸能人の結婚・離婚などが同じ感覚で列記されていることに、
以前から違和感を覚えているからだ。
視覚から入った情報は意外とインパクトがあり、
文字としてではなく、イメージとして覚えているから。
ネット情報やテレビ・ラジオに比べて、情報速度が劣る新聞は、
やはり人間の視覚に訴えていく媒体になっていて欲しい。



2014年12月05日(金)
「日本国」より「日本人」を紹介する東京五輪に・・

講師「NPO法人・ユーラシア21研究所 吹浦忠正氏」

演題「オリンピック、パラリンピックと世界の国旗」から。
1964年の東京オリンピックに携わった経験から、
当時の自衛隊五輪の輪の裏話から、世界の国旗や
地球を結ぶわたしたちの旗について、語っていただいた。
オリンピックといえば、国の威信をかけて、日本という国を
全世界にアピールする絶好のチャンスだと思うが、
彼は「2020年の東京オリンピックは『日本』を紹介するより」と
言った後「『日本人』を紹介する大会になって欲しい」とまとめた。
単一民族である「日本人」という人種の素晴らしさは、
東日本大震災での礼節ある行動を示した高い道徳性や、
人種差別のなさを通じて「秩序ある社会」を築いてきた、
「日本人」というものに、スポットを当てた大会にして欲しい、
そんな想いが伝わってきた講演会であった。
「『日本国』より『日本人』を紹介する東京五輪に・・」を残したい。
まさしく「日本人のおもてなしに、世界が癒される大会」がいい。
翌年の「パラリンピック大会」まで、手を抜かず大会を盛り上げ、
「日本人」は、日本人であったことに誇りを持ち、
「外国人」は、日本人に憧れる、そんな大会を期待したい。

P.S.
日本国内で見かける国旗は、レストランの前に掲げられる
「イタリア」「フランス」が多く「日の丸」は少ないらしい。
「日本人」の誇りを持ち、祝日には「日の丸」を揚げよう。



2014年12月04日(木)
東京大阪間を15秒

昨日の、小惑星探査機「はやぶさ2」の打ち上げ成功を祝って、
以前観た「はやぶさ」関連の映画数本から、
まだ紹介していなかった作品があったので、敢えてご紹介。
映画「はやぶさ HAYABUSA BACK TO EARTH」(上坂浩光監督)から。
この映画、誰も人間が出演していない。
だからこそ、小惑星探査機「はやぶさ」の快挙がわかりやすい。
特に、他の探査機と違って、行きっぱなしの「一方通行でないこと」
これは、世界に誇れる我が国の技術の高さを示しているとも言える。
「はやぶさ」関連の映画は、ほとんど鑑賞したが、
途中で起こるトラブル、アクシデントについて語られ、
はやぶさ本体の運行速度やハイレベルの技術については、
あまり触れられていなかった気がしている。
例えば、はやぶさの宇宙での速度は「30km/1秒」らしい。
この数字を示して、どうだ、凄いだろう?と私たちに説明されても、
その実感がわかず、オロオロするばかりだ。
しかし「東京大阪間を15秒で通過する」と説明されれば、
すぐさま実感がわき、へぇ、凄く速いんだ、という理解できる。
その速さで、数年かかった距離・・
う〜ん、考えれば考えるほど、またまた判らなくなってしまうが、
宇宙の広さを自分の知っている尺度に変える習慣さえ身につけば、
これからきっと役に立つに違いない。

P.S.
リニア新幹線は、どれくらいだったかなぁ。(笑)
「はやぶさ2」・・いってらっしゃい。無事帰って来てね。



2014年12月03日(水)
今日は愛犬の命日だから・・お先に

議会真っ最中の今日、明日からの一般質問に備えて、
もう少し勉強していこうかな、と迷ったが、まだ残っているスタッフに、
「今日は愛犬の命日だから・・お先に」とひと声掛けて、
早々と帰宅の途につくことにした。
そう言えば、6年前のこの頃、愛犬の誕生日を理由に、
ノー残業で絶好の機会だった、飲み会をパスしたこともあった。
(よく調べたら、なんと誕生日と命日が同じ、12月3日)
私にとって、18年間という長い年月を一緒に過ごした、
愛犬ミニチュアダックスフントの「ジェイク」は、
他界してから丸3年が過ぎても、ふっと思い出す存在である。
帰宅途中、ペット用品売り場に寄り、もう首輪をすることもないのに、
夜の散歩時の危険防止のため、首輪につける小さなLEDライトを見つけ、
思わず買ってしまったので、懐かしい写真の前に供えてやろうと思う。
こんなに、飼っていた犬に気持ちを引きずられるとは、
自分でも不思議だが、その理由は、未だはっきりとわからない。
ただ、彼(♂)のことを思い出すと、妙に優しくなれる自分がいる。
死ぬ直前、寝る時間を惜しんで毎日のように看病した深夜の時間帯や、
散歩していて、ある場所まで来ると必ず走り出し競走したことなど、
あっ、そう言えば・・ジェイクとこんな時間を過ごしたな、と
季節や場所によって、思い出されることが多いからだろうか。
衝動買いしてしまった、ちっちゃなLEDライト(白)は、首輪じゃないけど、
どこかに付けて、夜の散歩・ジョギングの時にでも使おうっと。



2014年12月02日(火)
王侯将相 寧(いず)くんぞ、種あらんや

衆議院議員選挙が公示されたが、私の関心は、軍師(参謀)。
この短い準備期間に、どんなメンバーが、どこに集り、
どんな会話をしたか、だから、14日の選挙結果よりも、
各党が勝つために描いた「戦略」が気にかかる、そこで
映画「項羽と劉邦(鴻門の会)」(ルー・チューアン監督)から。
歴史を紐解いていくと、どこぞのテレビ番組ではないが、
「その時、歴史が動いた」と思われる軍議・宴席などがある。
日本でいえば、有名な関ヶ原の合戦よりも、
織田信長の跡目を決める「清須会議」だったりする。
中国の歴史では、項羽軍営の催した「鴻門の会」、
これにより、項羽と劉邦の位置づけがはっきりし、
項羽の家臣だった韓信が項羽を捨て、劉邦を選んだ。
たぶん、劉邦の不思議な力に引き付けられたのだろう。
この作品で何度か使われたフレーズを、気になる一言にした。
「王侯将相 寧(いず)くんぞ、種あらんや」
読みは「おうこうしょうしょういずくんぞしゅあらんや」
意味は「王や諸侯、将軍や宰相・大臣などになるのに、
決まった種(家柄)なんかありはしない」ということ。
「家系や血統によるのではないから、
どんな人でも努力や運によって栄達できる」の意。
秦を倒すために立ち上がった農民の首領、陳勝の言葉、とされる。
項羽と劉邦、その関係は非常に面白い。
そして、項羽の軍師であった「范増(はんぞう)」や、
劉邦の軍師であった「張良」なども含め、
「軍師・参謀」と呼ばれる人たちの心の動きも複雑である。
それにしても、どうして同じような人間関係や事件が、
世界の各地で起きるんだろう、不思議だなぁ。



2014年12月01日(月)
愛とは、決して「後悔した」と言わないこと

「清水町男女共同参画シンポジウム」
(〜妻からダメだしされないイクメンとは〜)から。
講演会に先駆けて、パネルディスカッションが開かれた。
それぞれの立場であるパネラー・コメンテーターの発言は、
なるほどなぁと感じることもあり、関連のメモを取った。
しかし、私のアンテナに引っかかったのは、
映画「ある愛の詩」(Love Story)のサブタイトルで、
「英語」「日本語」の解釈の違い。
「Love means never having to say you’re sorry.」をどう訳すか、
その微妙なニュアンスの違いが、面白かった。
日本語や翻訳ソフトでは、私たちが何度も耳にしている
「愛とは、決して後悔しないこと」と訳される。
しかし、外国生活を経験しているパネラーの一人は、
「愛とは、けっして『後悔した』と言わないこと」と訳した。
同じようでいて、同じではないこの感覚は、
「男女共同参画社会」という単語にも共通ではないだろうか、
そんな思いがして、気になる一言に採用した。
「男性が女性のように、仕事も育児もする社会」なのか
「女性が男性のように、育児も仕事もする社会」なのか、
この感覚の違いって、実は大きい気がしている。
「共通認識」って、本当は難しいんだよなぁ。