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しもさんの「気になる一言」
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2014年06月30日(月)
リップン・チェンシン(日本人みたいだね)

講師「中村文昭・片倉佳史・李久惟(リー・ジョー)」の3氏、
演題「台湾で教わった日本の心」から。
3氏、それぞれの視点で、台湾と日本の関係について語った。
東日本大震災の時の台湾の支援、その支援に対する日本側のお礼。
そのお礼に対して、また台湾が応える・・
こうして続く「感謝」を根底にしたものは「日本精神」だという。
台湾統治時代、日本が欧米中のような単なる植民地にせず、
台湾を自国と考え、国民に教育をしたことが評価されているようだ。
それを「日本精神(リップン・チェンシン)」と呼ぶらしい。
その後もずっと語り継がれ「日本精神に学べ」とばかりに、
台湾が大事にしてきた言葉として紹介された。
今では「リップン・チェンシン」と言われれば、
「日本人みたいだね」という意味の「褒め言葉」として使われ、
世界で注目された、サッカーW杯のスタンドのゴミ拾いも
「やっぱり日本人だな」という尊敬の念がうかがえたという。
「リップン・チェンシン(日本人みたいだね)」
日本人が、外国に評価されるって、やっぱり嬉しいな。



2014年06月29日(日)
「我々?」「そう、あなたも・・官兵衛殿」

(古い回ですが・・)NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」から。
秀吉から兄弟分の誓詞をいただき、自分の役割を忘れ
有頂天になっている、若い官兵衛がいた。
播磨平定に一番確実と考えていた「小寺政職」が
その誓詞が気に入らず、思うように話が進まない。
そんな誓詞を、たいそう自慢している官兵衛をみかねて
竹中半兵衛が試練を与える。
そして、そんな試練を乗り越えた時、官兵衛が気付く。
「紙切れより大事なものがわかりました。天下統一」
それを聴いた竹中半兵衛が「この乱世を終わらせるのです。
これほど面白い仕事はござらん。
そのために、我々軍師は働くのです」と言い返す。
「我々?」と官兵衛が、やや驚いたように聞き返し、
「そう、あなたも・・官兵衛殿」と半兵衛が答える。
このシーンは、意外と印象に残っている。
相手の力を試し、そしてその能力を認め、
自分と同じ仲間として、目指すところを共有する、
軍師は一生を賭ける仕事としてやり甲斐があるぞ、
そう伝えたかったに違いない。(そんな半兵衛はいないけど)
「我々」と認められた官兵衛、この時の気持ちを大切にして
これからの後半に突き進んでいくのだろう、楽しみである。
さて・・今晩は、息子、黒田長政の初陣、
どんな台詞に出会うのか、これまた楽しみだなぁ。



2014年06月28日(土)
観てない人に気を使うより、観ている人に気を使おう

働く女性の会(A.T.G.ネット)、6月例会
講師「みしまプラザホテル副社長兼マーケティング室長 室伏太郎氏」
演題「すべてはお客様のために」(老舗のホテルウェディングの挑戦)から。
さすが、マーケティング室長らしい、膨大な資料をエビデンスとして、
わかりやすく、ブライダル業界、静岡県東部の潮流などの説明を受けた。
講演というより、老舗ホテルの経営戦略を垣間見ることが出来て、
私のメモは、予想外に溢れた。
すぐにでも実戦できる事例が多く、仕事では月曜日から試してみたい。
その中でも、今回の気になる一言は「自社S.N.S.サイトの活用」について。
これは、会社組織の経営だけでなく、個人でも言えることだから、
私の読者にも参考になると思って、敢えて取り挙げた。
個人的なtwitter・Facebook等に始まり、職場のイントラネットまで、
電子媒体に触れない日はないほど、生活の中に入り込んでいる。
それが、良いか悪いかは別問題として、向かい合う姿勢にルールはない。
「朝から晩までネット漬け」の人たちが批判されやすいけれど、
私はそう思わない、みんな人生1回目だから・・(笑)。
1日に何度、自分が参加しているSNSサイトをチェックするか、ではなく、
そこで自分は「何を誰に向けて発信しているのか」を意識すること。
そう気付かせてくれたのは、このフレーズだった。
「観てない人に気を使うより、観ている人に気を使おう」。言い換えると、
「読まない人に気を使うより、読んでくれている人に気を使おう」。
この視点は、長年ネットで日記を書いている私にとって、
忘れがちなことだけど、一番大切なことなんだな、と再認識をした。
私たち夫婦が30年以上前に結婚式を挙げた、三島の老舗ホテル。
地元に密着した経営戦略、これからが楽しみである。

P.S.
結婚式の「祝電披露」、お葬式の「弔電披露」の時、感じていた違和感、
ここにいない人の名前なんて必要ないじゃん、はこのことだった。(汗)



2014年06月27日(金)
えっ、「主査」って「役職」なの?

先日、親友が勤務する会社の(7月1日付)の人事異動が
新聞に掲載され、その中に親友の名前を見つけたので、
新所属の肩書きを確認したら、なんと「主査」。
前肩書が「部長」だったから、突然の「主査」に驚き、
同じ地方公務員仲間の親友と、いらぬ心配をした。
地方公務員の「主査」は、係長より下位の職階なので、
頭をかすめたのは「きっと何か失敗をやらかして、降格」(汗)。
「(部長)・課長・参事・課長補佐・主幹・係長・主任・主査」
それにしても「部長」から「主査」への降格は不思議だし、
だからって、本人にメールで確認するのも変だし・・と躊躇った。
それでも意を決して、恐る恐る「何かあった?」とメールしてみたら、
私たちの「職階」とは全然違う組織体制だった。(笑)
その会社では「主査は役職」であり、
参与、秘書役の資格があるものがつけられるらしい。
私(地方公務員)の驚きを、気になる一言にして残しておきたい。
「えっ、『主査』って『役職』なの?」
とにかく「降格」でなかったことに、ホッとしたけれど、
会社によって(たぶん、業界によってなのかもしれないが)
その「職階」の使い方が違く、戸惑ったのは事実。
これって、日本独特のことなのだろうか?
外国では、どの業界もどの会社も同じ「職階」を使っている、
そんな気がしてならない。う〜ん、ややこしい。



2014年06月26日(木)
時を遡る楽しみがわかってきた

2012年〜2013年(2年間)の自分史とも言える
「しもさんの気になる一言(縮刷版) 第9巻」が、冊子となった。
娘が中学の頃から描き続けてくれている、この冊子自慢の表紙は、
回を追うごとにシンプルとなり、今回は「丸い眼鏡と細い目」だけで、
私とわかるくらいの観察力、驚くばかりである。
こういう節目、私はどんなことを感じ、どんなことを書いていたか、
気になって、日記を遡ってみた。
(第1〜2巻) パソコン通信の時代、WEB日記には登場していない。
(第3巻) 2002年04月25日(木) 
    声を出すことで、自分の作品についての発見がある
(第4巻) 2004年05月11日(火) 
    2年前の表紙はこの紙だったよね。その前は・・
(第5巻) 2006年06月09日(金) 
    「五感」や「語感」で感じた台詞集「五巻」完成しました
(第6巻) 2008年06月18日(水) 
    室長、下さい
(第7巻) 2010年07月18日(日) 
    2年間の人間関係が反映する配布作業
(第8巻) 2012年07月03日(火) 
    「デジタル」から「アナログ」へ
そして今回「時を遡る楽しみがわかってきた」を、残そうと思う。
第10巻に向けて、最後のギアを入れるために、
18年間の振り返りは、なくなてはならない行為だと感じている。
不思議なことは、何年も前に私が拾い上げた「気になる一言」は、
今でも輝きを失わず、いや、さらに輝きを増した気がする。
どれを読んでも「なるほど」と思ってしまう私は、成長してないのかな。

P.S.
恒例の冊子ですが、ご希望の方、声を掛けてください。
この配布する作業も、私の楽しみの1つなので、遠慮せずにどうぞ。



2014年06月25日(水)
シンドフニ(赤ワイン)・・(身土不二)

昨晩参加した「桐家deルカワイン〜居酒屋桐家〜」から。
突然降りだした豪雨にもめげず、集まったワイン好きの面々。
自然食の提供で有名な「ごはん食堂」桐家さん(清水町)と、
厳選自然派ワイン専門店「luca Wine」さん(三島市)との
コラボ企画は、一日限定の「自然」をキーワードにしたイベント。
まぁ「自然食と自然派ワイン」好きが集まったともいえるが(笑)、
新しい出会いと、素敵な時間があっという間に流れた。
この日、提供されたワインと料理を、詳細に文字にしても、
たぶん読者には、その場の空気感までは伝わらないので、
自分が思い出せるフレーズを探したら、やはり「シンドフニ」。
洒落た名前だったので、どこか外国のワインかと思ったら、
にごりワインで有名な滋賀県近江の「ヒトミワイナリー」のワイン。
それも「シンドフニ」とは、漢字では「身土不二」と書き、
地元の物を食べると健康で長生きできるという、仏教の教えから、
ネーミングされたらしい。
人間の健康は、その栄養となる食事を疎かにしてはいけない、
だから、人間の「身」体は、食材の生産環境である「土」と
切り離して考えてはいけない、そんな意味なのだろうか。
この単語を知って、食育でよく使用される「地産地消」よりも、
わかりやすいな、とメモをした。
地元で採れたものを地元で消費するだけでは、ダメ。
自分の身体を作る食材は、自分で選択して口にする。
そういうことなんだろうなぁ・・。



2014年06月24日(火)
「安全なリンゴ」と「安全にリンゴ」

映画「奇跡のリンゴ」(中村義洋監督)から。
実話を映画化した作品、という情報で観たからか、
鑑賞後、リンゴの味が気になって仕方なかった。(笑)
この作品のキーワードは「安全なリンゴ」と「安全にリンゴ」。
たった一字違うだけなのに、意味が全く違うなんて不思議だ。
物語の中でも、こんな台詞が出てくる。
「『安全なリンゴを作ること』と、
『安全にリンゴを作ること』は違いました」
しかしよく考えると、無農薬はもちろん肥料も使わず育った作物が
私たち人間にとって一番安全なのだから、本来なら
「『安全なリンゴを作ること』と『安全にリンゴを作ること』は同じ」
でなければいけないのだろう。
それはリンゴだけではない。口に入る食べ物はすべて同じだろう。
農家の人たちが農薬等で体を壊してまで作った野菜や果物を
私たちは何も意識せず、平気で残したりする。
この映画は、そんな私たちに向けた「食育」とも言える。
また「奇跡のリンゴ」を作った主人公にスポットが当たるが、
今回の成功の影には、山崎努さん演じる「義父・木村征治」がいる。
主人公が自分の娘を大切にしてくれると信じていたからこそ、
娘婿のために、今まで蓄えてきた全てを投げ出す覚悟を感じた。
「これまでも、これから先も、こうしてみんなば照らしてください」
という嫁(娘)の希望を受けて、2人が交わした会話、
「約束します、お父さん」「・・親父でいい」、
これこそ「義父・義息子」ではなく「親子」になった瞬間である。
この関係があったからこそ「奇跡のリンゴ」が生まれたのだろう。
私はそう確信した。素敵なシーンである。



2014年06月23日(月)
昭和初期(昭和一ケタ)の写真に心が和む

写真展「昭和」(写真家が捉えた時代の一瞬)(佐野美術館)から。
土門拳さんを始め、各地で活躍を続けた写真家たちが、
「昭和」という時代をどう表現したのか、楽しみに足を運んだ。
たしかに、どれもが衝撃的だったが、私が一番印象に残ったのは、
「大正モダニズム」といわれた、ちょっと気取った男と女たちが、
「モボ・モガ」と呼ばれ「銀ブラ」をした「大正時代」の後の数年、
大正12年の「関東大震災」で自然災害は受けたものの、少しずつであるが、
平和な生活が戻ってきた昭和初期(昭和一ケタ)の時代の写真であった。
その後、しばらくして、日本は戦争へ突き進むのであるが、
私の父親・母親が生まれた、昭和5年〜9年の写真は、
インパクトの強い、戦争・高度成長期の影に隠れがちだが、
その時代に生きる人たちの様子が妙に温かく、
昭和の中でも、のんびり、ホッとさせられた時期だった気がする。
一言に「昭和」といっても、その人の想い描く年代によって、
その表現は違うだろうが、「昭和」という時代には、
「激動の昭和」という手垢のついたフレーズでは括れない、
いろいろな顔があったことを、改めて認識させられた。
敗戦から10年ほど過ぎた、昭和30年代の生活が、懐かしさとともに、
映画化されたりするが、それも「昭和の一部」に過ぎない。
大きな事件がないと、歴史には残らないって何か変だね。(笑)
だから「昭和初期(昭和一ケタ)の写真に心が和む」を残そうと思う。



2014年06月22日(日)
新しい世を作るのに、村重の力は欠かせん

NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」から。
荒木村重が、織田信長を裏切り謀反を起こす頃のメモ、
(第18話(裏切る理由)だったと思うが・・・)
メモを整理していて、面白いことに気が付いた。
なんと信長が、同じような台詞を3回も使っている。
「新しい世を作るのに、村重の力は欠かせん」
「村重は、謀反を起こすような愚かな男ではない」
「わしの新しい世に、村重は欠かせん」
信長が、荒木村重に絶大な信用していたことがわかる。
その相手に、土壇場で裏切られたのだから、
信長の気持ちは、怒りを通り越して失望だったと思う。
他の誰かが裏切っても、こいつだけは俺を裏切らない、
そんな思いが、3回の台詞に繋がっている気がした。
こんなシーンをみると、本能寺の変で亡くなった彼が、
もし生きていて、悲願の天下統一を果たしたとしても、
本当に、その後、全国の大名たちの心を掌握できたのかな、
という疑問が、へそ曲がりの私には残る。
なんでも力で抑えつけようとした、信長の力は、
戦国の世には輝くけれど、泰平の世では無に等しい。
歴史に「たられば」は、御法度だろうけれど、
家臣に裏切らることがわからなかった、信長の洞察力、
どう評価すればいいのか、私にはわからなくなってきた。

P.S.
意外と「大河ドラマ」ネタの反応がいいので、もう少し続けます。
観ている人、多いんだなぁ。



2014年06月21日(土)
「91歳、健康の秘訣は?」「暴飲暴食・・」

運転中に、思わず吹き出してしまった、ラジオからの話題。
(聞き流していたので、放送局も番組名も不明ですが・・)
たぶん、どこかのまちの名物?(スーパー)おばあちゃんだろう。
91歳にしては、周りが驚くようなことをするので、
ラジオとしても、面白可笑しく取り上げる企画だったのかも。
そして最後に、パーソナリティの女性が訊ねた。
「おばあちゃん、最後に質問していいですか?」と前置きをして、
「91歳、健康の秘訣はなんですか?」と、
たぶん「打合せどおり」の問答で、終わる予定だったと思う。
彼女も、たぶん「予定どおり」の答え「暴飲暴食をしない」で、
締めるつもりだった、と予想される。
それが「暴飲暴食」と言った後、その後の「はしない」が続かないから、
放送事故ともとれる長さのあと、思い出したように「はしない」。(笑)
聴いていた私は、このハプニングが面白くてメモをした。
「91歳、健康の秘訣は?」の問いに「暴飲暴食です」で終わったら、
それこそ、スーパーおばあちゃんだ、と拍手喝采だったのに。
企画した放送局の人、慌てただろうなぁ。(汗)
でも、その答えもありだったなぁ・・と、私は喜んだ。
あの沈黙の時間、今思い出しても笑える。
高齢者のインタビュー、是非、これからも「生放送」で・・。



2014年06月20日(金)
その男、試してみてもよろしいですか?

溜まっている「軍師 官兵衛」ネタを読みたい、という
私にとっては、とても嬉しいリクエスト・メールが届いたので、
昨日に続けて、NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」から。
今は亡き、谷原章介さん演じる「竹中半兵衛」が、
官兵衛をベタほめしている秀吉に訊ねた台詞。
「(官兵衛とは、そんなに)使える男ですか?
その男、試してみてもよろしいですか?」
主君・秀吉を信用していないというわけではなく、
たぶんあの頃から、自分の後を継ぐ軍師として、
秀吉を支え、大きな視点で難題解決にあたれる男か、を
試していたのかもしれない。
実際の解決には、官兵衛のわからないところで根回しをし、
物事がうまく運べるように段取りしているのだから、
結果を求めていたのではない、と思う。
その考え方、大所高所から眺める視点を持ち合わせているか、
度胸のある男がどうか、そんなことを試してみたのだろう。
話の展開では「えっ、これで合格?」という内容であったが、
こうして、自分の後継者を作っていくんだ、という部分は、
非常に参考になった。
もちろん、半兵衛のように全て完璧に出来るわけではない、
ただ、その「軍師」としての資質を試していたに過ぎないが、
56歳を重ねた私にとっても、次世代の管理職候補を試す、
そんな必要性を痛感した。
その話を耳にした、織田信長。「もし・・」と前置きをして、
「しくじるようなことがあれば、それまでの男ということよ」と
言い切った、なるほどなぁ。(汗)



2014年06月19日(木)
This is the point we need to think about.

NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」(前半)で、
耳について離れないセリフといえば、
片岡鶴太郎さん演じる、小寺政職(まさもと)の
「ここは思案のしどころじゃのう」に違いない。(笑)
自分では決断できないから、
「ここは思案のしどころじゃのう」と言い放って、
誰かの意見を待つばかりと思っていたら、そんな場面だけでなく、
T.P.Oによって使い方、声のトーンなども違うようだ。
そういえば、私も毎回のメモを整理していたら、
このセリフが必ず、どこかに散りばめられていて思わず笑った。
では、これに相当する英語は?と考えてしまう私であるが、
インターネットで調べたら、こんな4つの英文にぶつかった。
(1)This is the point we need to think about.
(2)This is where we [I] have to stop and think.
(3)I must hesitate at the step.
(4)I have come to a parting of the ways.
私のイメージに合ったのは、(1)。
「大きな決断するのに一番大切なポイント(時期)」というのが、
本来の使い方なんだろうけど、決断をしないことを前提にした、
小寺政職の使い方は?・・う〜ん、難しい。(笑)



2014年06月18日(水)
道で札束の詰まったカバンを見つけた、君はどうするかね?

映画「シザーハンズ」(ティム・バートン 監督)から。
この映画って、こんなに切ないストーリーだったんだ、と
鑑賞後、涙腺が緩み、しばらく胸がジーンとするのを感じた。
楽しいとか、幸せいっぱいの気持ちは、人に伝えられるけれど、
切ない気持ちは、なかなか上手に伝えられないなぁ、と思う。
自分自身で、今回の気持ちを思い出すために、ハサミの手をもった
人造人間「エドワード」に、ケジメを教えるシーンを選んだ。
質問はいたって簡単、人間社会でのルールを試す設問。
「道で札束の詰まったカバンを見つけた、君はどうするかね?」
答えは一つ、次の(A)〜(D)の中から選ぶ。
(A) 君が頂く
(B) 友達や愛する者にプレゼントを買う
(C) 貧乏な人にあげる
(D) 警察に届ける
エドワードは「愛する者に、プレゼントを」と答え、間違いとされる。
もちろん、善悪だけを考えたら「(D) 警察に届ける」が正解だけど、
「友達や愛する者にプレゼントを買う」「貧乏な人にあげる」を
選んだからといって、あなたの生き方は間違っていると断定するのは、
私が望む生き方と、ちょっと違う。
この「愛する人のためなら」という考えが、物語全体を包み込み、
エドワードを演じる「ジョニー・デップ」の 台詞が少ない分、
観ている私が、じっくり考えさせられるシーンが多かった気がする。
人間の心は移ろいやすく、味方になったり敵になったり、慌ただしい。
彼の傍にチョコンと座る犬が、一番の理解者なのかもしれない。

P.S.
「君のことが心配だ。十分に注意して暮らせよ」という助言や、
エドワードに「逃げ道」を与え、追っかけてくる町の人たちに、
「もう終わった、皆、帰ってくれ」と言い切った警官、カッコよかったなぁ。



2014年06月17日(火)
「すみません」と言ってすぐ抜ける「オオカワヂシャ」

柿田川には現在、特定外来生物の「オオカワヂシャ」が繁茂している。
オオカワヂシャは非常に繁殖力が強く、
水中花である「ミシマバイカモ」等の貴重な植物の生息を阻害している。
これは紛れもない事実であるが、毎回、この駆除作業をしていると、
面白いことに気付く。それが「オオカワヂシャ」の気持ち。(笑)
もちろん、そんなことは私の勝手な想像に過ぎないけれど、
この外来種、ほとんど根を張らず、覆い被さっているイメージ。
だから、私たちがちょっと引くように触るだけで、すぐ抜ける。
道端に生えている雑草のように、力強く引っぱる必要もなければ、
根こそぎ・・という表現も相応しくない。
人が川に入るだけで抜けてしまうような、そんなか弱い外来種であり、
繁殖力が強いということで、なかなか絶滅は難しいが、
あの抜ける瞬間の抵抗力の弱さといったら、なんとも表現し難い。
もし「オオカワヂシャ」が私たちに向かって話せるとしたら、
「柿田川のシンボルのような『ミシマバイカモ』に被さってしまい、
誠にすみません、どんどん抜いてください、本当にすみません」、
こう何度も何度も謝るのではないかと思うくらいだ。(汗)
「オオカワヂシャ」の気持ちになるなんて、不思議な体験である。



2014年06月16日(月)
「柿田川」を題材に、どんな分野でも話が出来る(かも)

自分がこの世に生まれてきたミッション(使命)が、
大好きだった「生涯学習」から離れてみて、
うまく言えないけれど、おぼろげながら見えてきた気がする。
実は、わが町の「シルバー人材センター総会」のあとに、
「出前講座」を依頼されたのは数週間前だった。
テーマは「柿田川について」。
本来なら「公園みどり係」の職員が「柿田川」に関する情報を、
依頼された団体・会員に対して、淡々と説明する形で進められる。
しかししかし、今回は「是非、都市計画課長にお願いしたい」と、
指名料は貰えないけれど(笑)、直接依頼があったため、
久しぶりに「パワーポイント」を駆使しながら、資料を作成し、
高齢者対象に「柿田川」のプレゼンテーションを終えた。
私より詳しく「柿田川」を知っている人たちの前でのミニ講演会(笑)は、
いつ「異議あり!!」と言われるか、ビクビクの内容であったが、
撮り貯めた「写真や動画」を駆使することで、無事終えた。
この数日間を振り返り、資料作りの段階で気付いたことは、
団体の活動、人数、性別などに加え、依頼された内容により、
使用する「写真や動画」を入れ替えることで「柿田川」を題材に、
(たぶん)どんな分野でも話が出来る気がしてきた。
何十年も貯めてきた「メモ・情報」が、点から線へ、そして面へと、
確実に繋がってきている実感があったから・・。
あとは、講演の経験を重ね、もう少し話術を学ぶこと。(汗)
久しぶりに、落語でも聴こうかなぁ。



2014年06月15日(日)
「和製英語:mood maker」(「英語:icebreaker」)の役割は誰?

「2014FIFAワールドカップ ブラジル」の初戦「コートジボワール」。
「1-0」とリードして迎えた後半17分、相手の11番「ドログバ」がIN。
その後あっという間に、後半19分・21分と立て続けにゴールされ、
残念ながら、逆転負けを喫してしまった。
テレビの前で一歩も動かず応援していた私でさえ、
「ドログバ」がピッチに立った時、ゲームに大切な流れが変化したと感じた。
私は、サッカー素人なので、結果についてコメントはできないが、
ただ「リーダー」「キャプテン」「軍師」とは違う「ムードメーカー」に、
興味関心のアンテナが引っ掛かった。
ネットで調べると「ムードメーカー」とは「その場にいるだけで
その場の空気・雰囲気を好転させることができる力を持っている人のこと」
「スポーツにおいては選手としての実力とは別に持ちえる能力であり、
たとえ技術で貢献する能力が無くとも戦力的なプラスを与えてくれる存在」、
「ただし、圧倒的な存在感でチームを牽引する能力を持つ選手も、
その姿勢から、結果としてその機能を果たしている場合も多い」とあり、
彼が、サッカーW杯初戦の緊張感、堅苦しさをほぐす役割を果たしたことは、
誰もが認めるところであろう。
これに相当する「英語:icebreaker」は、直訳すれば「砕氷器」。
堅い氷を、シャカシャカと音を立てて砕いていく「かき氷マシーン」。
砕いた氷が柔ければ柔らかいほど、美味しい「かき氷」が出来上がる。(笑)
4年に1度とはいえ、短期決戦の「サッカーW杯」だからこそ、各チーム、
ムードメーカーの存在が大きな鍵となる大会かもしれない、と思った。
今の「サッカー日本チーム」について詳しくないけれど、
「和製英語:mood maker」(「英語:icebreaker」)の役割は誰?



2014年06月14日(土)
なんだか、なんでも取り返しがつくみたいな

書籍「私の男」(桜庭一樹著・文藝春秋刊・379頁)から。
以前、直木賞作品として読み、最近、映画化されたと聞いて、
鑑賞前に原作を・・ともう一度、読み切った。
キーワードとなるのは「サムシング・フォー」。
(Something Four) は、結婚式における欧米の慣習。
結婚式で花嫁が4つのものを身につけると、
幸せになれるというものである。
由来は「マザーグース」の歌らしい。
幸せになれたかどうかは、その人の考え方次第だが、
人生は取り返しができるのか、どうか・・
そんな視点に頷き、この言葉を選んでみた。
「東京の花火大会って、年に一回じゃないのね。
あっちこっちで、何度も何度もするんだって。
なんだか、なんでも取り返しがつくみたいな」
人生において、これだけはどうしても譲れない、と
思っていたことが、意外と大したことでなかったりする。
どうしても、これじゃなくては・・と欲していたものが、
意外と、そうでもなかったり、人間の欲は限りないが、
物語の中で、こんな言葉に反応し慌ててメモをした。
「意欲なんてものは、ありすぎてもなさすぎても、
生きるのに不便なだけだと思う」
なさ過ぎると、生き甲斐とか、やる気が起こらないが、
あり過ぎても、自分だけで空回りし、周りに迷惑をかける。
それは、私も経験としてわかる気がした。
愛する人の全部を自分のものにしたい、という欲は、
生きていくのに不便な環境を作ることなんだろうなぁ。
映画は、どんな部分にスポットを当てているんだろうか、
その違いをじっくり眺めてみたい。

P.S.
「サムシング・フォー」とは、
家に伝わる古いもの(Something Old)
門出にふさわしい新しいもの (Something New)
幸せな人から借りたもの(Something Borrowed)
青いもの(Something Blue)



2014年06月13日(金)
「登録」は「観光振興」が目的ではなく「保全」が目的

日本大学国際関係学部・市民公開講座(平成26年度上期)
統一テーマ「富士山 世界遺産登録とその魅力」
講師「日本大学短期大学部 教授 宮川幸司氏」
演題「富士山と観光振興」から。
観光を専門にしている先生からの指摘は、説得力があった。
「今までは、観光(開発)が、自然を壊してきた」、
富士山世界文化遺産が、全国的に注目を浴びているが、
「登録」は「観光振興」が目的ではなく「保全」が目的、と
私が常々思っていたことを的確に表現してくれた。
「観光」とは「その地域の『光』を『観』せる」が基本だから、
「世界遺産に登録」されたことで「観光地」化されることは、
ユネスコの想いとは逆になる気がしていた。
地域の人々が全力を傾注して保全されている「世界遺産」を
観に来るのであって、それは「文化遺産」も「自然遺産」でも同じ。
少なくとも「世界遺産」を観に来るのであって、
観光客で賑わっている、観光地化された場所を観に来るのではない。
それは、国民のみならず、世界の人達も同じはず。
そして、何度でも観に行きたい、と思ってくれるリピーターを増やし、
知人・友人に、是非に、と勧めてくれる場所になって欲しい。
もちろん「天然記念物・柿田川」も、同じだよなぁ。



2014年06月12日(木)
机の上には「デスクトップ」「ラップトップ」「ノート」

先日、ある居酒屋で、偶然に隣り合わせた、若者たちの会話。
「最近、職場の机も『ノートパソコン』が占領しているよ」
「本当だね、もうなくなったら困るよね、絶対」
「でもそのうち、タブレットとか、スマホになるよね、きっと」
そうか、彼らに「ノートパソコン」というのは和製英語だよ、と言っても
きっとわからないんだろうなぁ、とメモをした。
たぶん、大きさから「ラップトップ」パソコン、と推測するが、
机の上にあるなら「デスクトップ」パソコンだよなぁ、と苦笑いした。
膝の上に載せたまま作業出来るから「ラップトップ」なのに、
今では、ラップトップバソコンが、鍵を付けられて、デスクを占領している、
それも「ノートパソコン」と名前を変えて。(笑)
パソコンは、どこまで進化するのだろうか、
そして私たちはどんな使い方をするのだろうか、とても気になる。
一家に1台の自動車が、ほとんど家族の人数分の台数になったように、
パソコンも、一家に1台の時代から、家族の人数分を通り越して、
1人が複数のパソコン(タブレット・スマホも含む)の時代へ突入した。
既に「腕時計型」なども考えられているから、まだまだ進化しそうな予感。
しかし、その割には「在宅勤務」が進んでいない気がする。
今は、クラウドを使って、どこでもデータや書類が開けるというのに。
やはり「仕事は会社でするもの」っていう感覚が抜けないのかもしれない。
アルビン・トフラー著「第3の波」は、どこまで予想していたかな。



2014年06月11日(水)
迷ったら川に来るといいよ、答えが見つかるから。

映画「四十九日のレシピ」(タナダユキ監督)から。
ストーリーとは、ちょっと外れるけれど、
川に関する話が、私のアンテナに引っ掛かった。
永作博美さん演じる主人公・百合子が小さい頃、
ママ母・乙美さんに連れられ川へ行き、母から話を聴かされる。
「百合ちゃん、迷ったら川に来るといいよ、答えが見つかるから。
川はね、いろんなもの、全部の境目なの。
どっちにしようか、行こうか、戻ろうか、迷う気持ちを水に流して、
前に進ませてくれるのよ」
この感覚、なかなか理解しにくいかもしれないが、
毎日、清流の川を眺めながら通勤している私にとっては、
心にストンと落ちた表現だった。
前日までのモヤモヤも、しばらく川を眺めていると消えていく、
何かの判断に迷った時、その流れの速さに呼吸を合わせていると、
す〜っと、答えがみつかることも、実体験として知っている。
だから、こんな感覚で川を眺めている人が私以外にもいたなんて、
と嬉しくなった。
こればかりは理屈でもないし、ちゃんとした根拠があるわけではない。
ただ、じっと川を眺めていると、心が落ち着き、迷う気持ちがなくなる。
それだけのことなんだけど・・。
こんな台詞もあった。「川のそばの家、いい家よ。亡くなった人たちが、
その川の向こうから私たちを見守ってくれているんだもの」
う〜ん、なんだかわかる気がするなぁ。



2014年06月10日(火)
「公」・「官」・「共」の比較

「公」「官」「共」、似たような使い方をするけれど、
その違いは?と訊かれて、恥ずかしいけれど、うまく説明で出来なかった。
辞書によれば「公」とは「大宅(おおやけ)(大きな家)」の意から、
皇居・天皇・朝廷、さらに公共の意に転じた語。
意味は「政府。官庁。また、国家。
個人の立場を離れて全体にかかわること、など」
反対語は「私(わたくし)」。
「官」とは「国の政務を執行する機関。朝廷・政府など。役所、
役所における職務・地位。また、それをつかさどる人。役人。官吏」
そして「共」は「いっしょに。ともに。」
「共演・共学・共感・共存・共著・共通・共闘・共同・共有」等。
さらに「公共」は「社会一般。おおやけ。
また、社会全体あるいは国や公共団体がそれにかかわること」
そう考えると「公」を使う場合は「私を排除すること」が前提となり、
「官」を使う場合は「民間企業では出来ない(やらない)仕事」を
国民のために遂行する機関・人」ということになりそうだ。
「公共施設」とは「道路・公園・下水道・学校・図書館など、
公共事業によって供給される施設。公共財としての性格をもつ」。
う〜ん、調べたら余計に「わからなくなってしまった感」が残る。(汗)
少なくとも、民間で可能なことは、民間に委託したりして仕事を減らし、
行政しかできないことに力を入れていくことが、大切だと再認識した。



2014年06月09日(月)
インフラの高齢化対応「まったなし」

たぶん・・建通新聞の見出しだった。(月日はメモ忘れました)
「インフラの高齢化対応」という表現が、私には新鮮だったから、
話のネタに・・とメモをした。
もちろん、ハード整備に関しては「長寿命化対策」という言葉もあるが、
老朽化した施設を、なんとかして「もう少しもたせる」という、
そんなイメージが先行して、言葉としても硬い気がする。
「インフラの高齢化対応」というフレーズは、人間と同様に
建物も高齢化(老朽化)してきており、その深刻さは、
大きな事故につながる可能性がある分「まったなし」という単語が、
その緊張感を表現している気がしたから、メモをした。
老朽化しているけれど、もう少し大丈夫だろう、という危機管理のなさが、
日本全国で起きている、想定外の事故に繋がっているとも言えそうだ。
「2020年の東京オリンピック開催」に向けて、道路整備を考えた時、
「1964年の東京オリンピック開催」時に建築した首都高速道路なども、
高齢化(老朽化)が進んでいるという話も耳にした。
日本全国、ハード整備に関しては、国・県の説明を聞く限り、
「整備」から「維持管理」に転換という潮流が、ひしひしと感じられる。
都市計画のことは、まだまだ分からないことばかりだけれど、
「長寿命化」の先には、何が残っているのだろうか、と不安はある。
人間と同様に死亡(崩壊)というわけには、いかないだろうから、
「長寿命化」のあとのことも、考えないといけないよな、と思う。
人間も、インフラも「永久」の命は、ないのだから。



2014年06月08日(日)
「W杯・コートジボワール戦」、誰とどこで見るか?

来週の日曜日に迫った「2014FIFAワールドカップ ブラジル」の初戦。
相手は「コートジボワール」。(日本時間・午前10時から)
前日の土曜日は予定がいっぱいだけど、この日はフリー(予定)。
朝寝坊して、ゆったり起きて珈琲でも飲みながらテレビ観戦、
と決めていたのに、面白い企画を発見、心が動いている。
地元の大型商業施設内の「シネプラザ サントムーン」で、
シアター3(330席)を活用した、パブリックビューイング。
今まで、1度も経験したことがないから・・と思いながらも、
野球好きの私が、サッカー好きになって、皆と大騒ぎ出来るだろうか、
あのノリについていけるだろうか、という不安もある。(汗)
(その前に、チケット売り切れかも・・詳細はHPで、要確認)
ただ、日本代表が4年ぶりに、日の丸を背負って戦う試合を、
リアルに一所懸命応援したい、という気持ちを大切にもしたい。
だから、今回の気になる一言は、
「『W杯・コートジボワール戦』、誰とどこで見るか?」
今回の企画は、全国ロードショーばかりを上映しがちなシネコンが、
地域に根ざした企画として、拍手を送りたい。
そして、映画館って、そんな利用の仕方もあるんだ、という驚きと、
どんどん広がる、私の妄想に近い企画と、コラボレーションした時、
面白い世界が始まる予感がする。
やっぱり、地域の資源、大切にしなくちゃなぁ。



2014年06月07日(土)
浅倉南さんの得点「9.75」

映画「タッチ2 さよならの贈り物」(杉井ギサブロー監督)から。
う〜ん、どうしてもアニメなんだから、いいじゃん、それくらい、
という視点で観れない自分が、情けない。(汗)
ファンタジーや未来志向の作品等だと、リアルな光景と比較しないから、
楽しめるのに、自分が通ってきた高校時代の話だと、つい力が入る。
それもスポーツの難しさ・厳しさも知っているので、始末が悪い。
「まともにキャッチボールもやったことない」とたっちゃんが、
高校からピッチャーを始めて、甲子園に行く設定も考えにくいし、
全然練習していない南ちゃんが、新体操の大会で優勝しちゃう設定も、
ついついストレスが残ってしまった。
だって、新体操でミスしてしまった南ちゃんの演技得点が「9.75」。
えっ、あのミスさえなければ「10.0」もあったのか、とまたまたメモ。
実現不可能な「魔球」とか「必殺技」なら、高得点も割り切れるのに、と
映画作品として楽しめない自分のちっちゃさを実感してしまう。
どうやらこれが、私が「タッチ」に感情移入ができない理由だな、きっと。

P.S.
どうして、こんな話題かというと、本日、地元のサントムーン柿田川へ
タッチの浅倉南ちゃん役の声優、日高のり子さんが来館。
(正確には、ラジオ番組のスペシャルゲストとして、特設スタジオへ来館)
日高さんと言えば「タッチ」の浅倉南ちゃんや、
「となりのトトロ」の草壁サツキちゃんなどが有名かな。
楽しみにしていたのに、私はその時間、突然の仕事で伊豆の国市へ。
あの南ちゃんの声で「しもさん、お仕事頑張ってね」って、
言われたかったのになぁ、あ〜残念。



2014年06月06日(金)
日本人にとって、自然はただか?

日本大学国際関係学部・市民公開講座(平成26年度上期)
統一テーマ「富士山 世界遺産登録とその魅力」
講師「静岡大学 特任教授・名誉教授 増澤武弘氏」
演題「世界文化遺産を守る富士山の自然」から。
富士山を「世界自然遺産」にしようという頃から携わっている、
講師の話は、とても説得力があった。
「富士山世界文化遺産」の25の構成資産をみれば、
「富士山の自然」が支えていることが一目瞭然であり
「自然が文化を育てた」というフレーズが、とても輝いていた。
また、今、富士山頂に大きな変化が起きている話、
(永久凍土の減少・緑のカーテンをはじめ「緑」の増加など)
森林限界 (約2,500m) が、ぐっと上がっている話、
ブナ落葉広樹林の特徴と、青木ケ原の現状などの話など、
どれも、興味深い話で、あっという間の1時間半だった。
最後に、聴講している私たちに向かって、示されたフレーズ。
「日本人にとって、自然はただか?」のインパクトは強かった。
「この発想を変えないと・・自然が消滅してしまう」と呟いた、
彼の想いが、56歳の誕生日プレゼントとなった。



2014年06月05日(木)
まだ「ぼちぼち」って感じじゃないな。(笑)

「『ぼちぼち』の初日は、どんなでした?」というメールが届き、
ひとりで苦笑いした。
きっと、みんなには「ぼちぼち」と言いながら、
私のことだから、全速力で突っ走ったんだろうな、という推測が
可笑しかったからだ。
昨日は、午前中、庁舎内の会議を一本こなし、午後から静岡へ出張。
移動と昼食の時間を使って、誕生日お祝いメールへの返信。
午後の会議を夕方に終え、静岡の街を、あてもなくブラブラ。
三島駅へ到着後は、日大国際関係学部主催の市民公開講座を聴講、
「世界文化遺産を守る富士山の自然」について学んだ。
そのあと、ちょっと遅い夕飯として、北海道料理「中むら」で、
お気に入りの「十四代」を飲みながら、料理を味わった。
帰宅後、シャワーを浴び、いつものように「気になる一言」を書いて、
またまた、お祝いメールに返信。
そのまま、これまたお気に入りの映画「ユー・ガット・メール」を
パソコンで流したまま、知らない間に寝ていた。(汗)
「お気に入り」に囲まれて過ごすと、心が落ち着くなぁ、
そんなことを実感した56歳の初日であった。
でも、こううして1日を振り返って書き出してみると、
まだ「ぼちぼち」って感じじゃないな。(笑)



2014年06月04日(水)
あとは、ぼちぼち・・

「55歳の1年を人生のピークに」をキャッチフレーズに、
昨年の誕生日をスタートし、自分で言うのもおかしいが、
公私ともに、最高に充実した1年だったと振り返りたい。
仕事面では「町制施行50周年記念」を合言葉として、
一生に1度と思えるような体験を何度もしたし、
数多くのイベントを素晴らしい仲間とともに過ごせた。
家族は、一昨年ほどの旅行は出来なかったが、
妻・娘・母と何気ない会話をしながらの夕食は、
今までになく、私の癒しの場になっていた気がする。
そして、56歳直前「スマートフォン」デビューを果たし、
「柿田川」の魅力を、全国に向けて「お裾分け」を始めた。
何年かして、人生を振り返った時「人生のピークは55歳」と、
胸を張って言い切れるな、と思いながら55歳を終えた。
だからこそ「56歳」の誕生日を迎えた時、感じたのは、
「あとは、ぼちぼち・・」という感覚だった。
手を抜くとか、いい加減にやる、という意味ではなく、
焦らず、ゆっくりと進んでいく、そんな意味として捉え、
多くの成果を望まず、今まで知り合った人を大切にしながら、
私の周りに溢れている多くの話題から「気になる一言」を書き、
柿田川を楽しみながら、全国に向けて、この川の魅力を伝えていく、
それこそが「私の役割」だと信じて過ごす1年でありたい。

P.S.
「柿田川」に関する出前講座、講演、少しずつ受け付けます。(笑)



2014年06月03日(火)
月に乗じて暁を待つ

書籍「十二国記(華胥の幽夢)」の中の(乗月)、
小野不由美著・講談社X文庫刊・365頁)から。
民の多くが、先の王の悪政から救ってくれた恵州侯・月渓を、
次期の王に就くのを望んでいるにもかかわらず、本人は、
自分を評価してくれた国王を殺したという罪に苛まれていた。
だから、いくらみんなが望まれても、私にはその資格がない、
次の王が、麒麟に選ばれるのを待ちましょう、の一点張りだ。
もちろん、彼の主張は、今までの慣例としては間違っていない。
しかし、そんな凝り固まった考えをするよりも、
自分が月となって、少しでも暗闇(苦しい生活)を照らし、
太陽が昇ってくるのを待ったらどうだ、と慶国の使者が諭すシーン。
「王が玉座にある朝を日陽の朝だとすれば、
王のいない朝は月陰の朝じゃないかな。月に乗じて暁を待つ」。
このフレーズは、十二国記ファンの中でも人気が高いようだ。
タイトルにもなっている「乗月」は「月に乗じて」の意味だろう。
私たちの生活でも、会長などの役員を決めたりするとき、
いやいや、私はそんな器じゃないから・・と謙遜する人がいるが、
そんな人には「月に乗じて暁を待つ」と一言。
意味を訊かれたら「あなたの言い分もわかるけど」と前置きをして
「皆さんの信頼が厚いので、新しい会長が決まるまでの
『つなぎ役』として、1年でもお願いできませんか」と依頼しよう。
「陽が落ち、深い闇が道を塞いでも、月が昇って照らしてくれる」
それだけでも民は道に迷うことはないのだから、是非、月の役割をと。



2014年06月02日(月)
第1・第2は順位じゃない。役割が違う。

映画「25年目の弦楽四重奏」(ヤーロン・ジルバーマン 監督)から。
弦楽四重奏は、弦楽器4本の合奏形態であるが、主に
第1バイオリン・第2バイオリン、ビオラ・チェロ。
この程度の知識で観始めたが、大きな勘違いに気付いた。
2本のバイオリンは、2人で同じ旋律を演奏し、
演奏技術の順位だと思ってたいたから・・。(汗)
作品中、第2バイオリン演奏者が、ある女性に言い放つ。
「第1・第2は順位じゃない。役割が違う」。
「どう違うの?」と彼女が訊ねる。「主旋律を弾いたり、
その下だったり。ソロ的な要素の第1バイオリンと、
水面下で豊かに流れるビオラやチェロを第2がつなぐ。
みんなをつなげるのが、僕の仕事だよ」と誇らしげに答える
第2バイオリニストが印象的だった。室内楽形態の中で、
ピアノ三重奏は三者の競い合う性格が強いのに対し、
弦楽四重奏は四者が協調して一つの響きを作る性格が強い。
だから、調和役ともいえる第2バイオリンの役割が大切、
「僕がいないと退屈な三重奏団だ」と言いながらも、
思いっきり「旋律」を弾く第1バイオリンへの想いもある、
その葛藤が、とてもうまく表現されていた作品である。
「第2バイオリンの演奏が、色彩、質感、リズムを与える」
「第1バイオリニストを引き立たせ、決して自分は前に出ない」
「たとえ第1が優秀でも、第2の質によってより際立つんだ」
そんなフレーズが印象に残った。
機会を見つけて「ベートーベン弦楽四重奏曲(作品131)」、
聴いてみようかなぁ。



2014年06月01日(日)
誰かが勇気をもって動き出せば、後に続くものが出るはずよ

映画「探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点」(橋本一監督)から。
ちょっとおふざけが多すぎて、メモは意外と少なかった。
だけど、このフレーズだけは2度登場したので、気になる一言。
「誰かが勇気をもって動き出せば、後に続くものが出るはずよ」
監督が言いたかったことはこれかな?と、メモをした。
「そんなに単純じゃねぇよ」と答えたものの、
「俺はこの街のプライベート・アイ、そう探偵だ」という自覚が
主人公の行動を駆り立てた気がする。
しかし、勇気を振り絞って行動したことに裏付けがないと、
ヒーロー気取りで「悪」と戦ったつもりが、
逆に「犯罪者」になることも、常に念頭に入れておきたい。
犯人は「悪役になりやすい政治家」ではなく「善人面した一般市民」、
この結果を私たちは、どう受け取ったらいいのだろうか。
作品中に、こんなフレーズがある。
「たしかに、世の中には自分の人生がつまんなくて、
顔も見せずに他人叩いて喜んでいる連中がたくさんいる。
本当は、自分が有名になりたいだけなんだ」
この心理があるかぎり、これからの犯人探しは難しくなるな、
そんなストーリーとは関係ないところで、メモが増えた。