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2013年07月31日(水) ■ |
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「朝マック」VS「朝松屋」 |
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町制施行50周年記念行事、町民ふれあいラジオ体操。 朝6時30分から、老若男女の町民500人超が一箇所に集まって、 「新しい朝が来た、希望の朝だ」・・と大合唱。 続けて「ラジオ体操第一、第二」をし、自分の節々を確かめた。 爽やかな青空とはいかなかったが、成功裏に終えたと思う。 参加者が帰り、会場の片づけを終えたところで、 わが課のスタッフに「朝飯を食べに行くぞ」と声を掛け 「早寝・早起き・朝ごはん」のフレーズどおり、 近くの「松屋」でご飯、と思いきや、私以外は「マック」希望。 「朝といえば、マックでしょ」が彼らの主張だった。 そんな訳で、55歳の私にとって、初めての「朝マック」体験。 「朝から、ハンバーガーやポテト」に抵抗があったが、 食べてみると「なるほど・・」、これが「朝マック」か、と 感激に近いものがあった。(笑) 近くに「吉野家」があったときは、胸を張って 「朝といえば、吉野家の朝定食」と言えたのになぁ。(汗) 喫茶店のモーニング珈琲も、捨て難いかも・・。 読者の皆さんは、外で食べるを前提に「朝といえば」どこですか?
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2013年07月30日(火) ■ |
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品物じゃなくて、時代を売る |
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映画「時代屋の女房」(森崎東監督)から。 店内の雰囲気だけでは、骨董屋・古道具屋、 それなのに「時代屋」という店名に興味があったが、 作品冒頭、今は亡き「夏目雅子」さんが、 主人公に扮する渡瀬恒彦さんに向かって話しかける。 「いろんな人がいろんな時代に使ったものを売る、 ポップな古道具屋さん」 「品物じゃなくて、時代を売る、 ねぇ、それで『時代屋』って言うんじゃないの?」 「骨董屋の女房」や「古道具屋の女房」ではなく、 「時代屋の女房」というイメージが、強く印象に残った。 品物の価値ではなく、その品物が醸し出している雰囲気、 そんなものを一緒に売る商売だと考えればいいだろう。 「時代=思い出」とは言い切れないが、 「思い出で張り切ったり、思い出にヤキモチやいたり、 やだね、年取ると」というフレーズが表現しているとおり、 その人が過ごした時代を思い出させる品物が、 「時代屋」の店頭に並ぶこととなる。(価値は二の次)
P.S. 夏目雅子さんの命日が「9.11」と知って驚いたなぁ。
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2013年07月29日(月) ■ |
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充電より放電、そんな感じの厚生休暇2013 |
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先週の木曜日から月曜日の今日まで、私にとっては久しぶりに(笑) 長い厚生休暇(リフレッシュ休暇)を取得した。 といいつつ、どこか旅行に行くわけでもなく、 映画を観たり、本を読んだり、湯舟にのんびり浸かったり、 あまり時間を気にせず、まったりとした時間を過ごした。 「充電より放電、そんな感じの厚生休暇2013」だった気がする。 休暇とはいえ、起床と就寝の生活リズムは崩さず、 映画は10作品ほど観たし、書籍も3冊くらいページをめくった。 それでも「どうしてこんな時間に、ネットに接続しているんだ?」と、 あらぬ疑いをかけられるの嫌で、 「気になる一言」のアップは、夕方(勤務終了)以降にしていたり、 休暇・昼間っからのビールを控えてみたり、 普段の生活にも、ビクビクしている自分がいて可笑しかった。 考え過ぎとはわかっていても、それが私の今の現状である。(汗) 国民の生活が厳しくなればなるほど「公務員バッシング」は過激になり、 公務員の不祥事を専門に書き込んでいるサイトさえある。 それは、いずれ本人のみならず、その家族まで、 「綱紀粛正」が求められる時代がやってくる気さえする。 それこそ「見ざる・言わざる・聞かざる」の公務員が増えてしまい、 地域の夢を語る人たちが減ることにならないだろうか。 これも、いらぬ心配か。私も心配性になったもんだなぁ。 明日から、また仕事。これから休む人の支援にまわりたいな。
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2013年07月28日(日) ■ |
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一度、メモ帳に書き出す作業をしています |
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「映画・書籍など、情報源がわかりやすく読み易いのですが・・」と 前置きがあり「どのように情報を処理しているのですか?」という メールが届いた。 こちらも「企業秘密ですが(笑)」と前置きして、 「一度、メモ帳に書き出す作業をしています」と返信した。 映画鑑賞中・読書中に「おっ」と感じたフレーズをメモ帳に書き出す。 (DVDの映画は、おっ!っと感じたら巻き戻してストップさせて・・) さらに、そのメモをほとんど全てPCに打ち込み、さらにさらに その中から、気になるフレーズを1つ選び「気になる一言」として仕上げる。 ただ、情報源をハッキリ書くために、書き出しには慎重で、 特に書籍からの書き出しは、漢字・送り仮名・句読点なども意識し、 著者の文体などを出来るだけ壊さないように努めているつもり。 だから、1冊の書籍からのメモは、莫大な文字を拾うことになるが、 実は、私はこの作業をしている時が一番楽しい。(汗) 日記に使われるのは、たったワンフレーズにも関わらず、 インパクトのある表現を全て、1度メモ帳に写すという行為自体が、 私を成長させてくれたという自負があるからかもしれない。 時々であるが、ふっと写したフレーズが思い出される時、 私の喜びは倍加され、この作業の大切さを確信する。 ただし、他人にはあまり勧めていない。 普通の人の1.5倍はかかっている気がするし、効率があまりに悪すぎる。 余程のへそ曲がりでないと、続けられないよ、きっと。
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2013年07月27日(土) ■ |
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子どもの自殺は報道しないというルール |
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ある方の話を聴いて、気になりインターネットで調べてみた。 それが「子どもの自殺は報道しないというルール」。 正式には「WHOの自殺事例報道に関するガイドラインについて」。 子どもの自殺報道が新たな自殺を生むことが問題となり、 世界的な報道のガイドラインが示されているようだ。 私の調べ方が悪いのかもしれないが、それが無くなった事実は どこにも出てこないけれど、日本では平然と報道している、 どういうことなのか、私にはなかなか理解できない。 (世界事情に詳しい方、是非、教えてください。 自分の知っている外国では「子どもの自殺が報道されるのか、どうか」) 実際に、いじめに端を発した「子どもの自殺」記事を読むと、 またか・・と悲しくなるとともに、以前はこんなに多かったかな?と 感じることがあったので、気になっている。 「呼び水」とまでは言わないが、まだ判断力の足りない子どもにとって、 同じ年代の子どもたちの自殺は、ショッキングなことに違いない。 もしマスコミが、それを承知で報道しているとしたら、 それこそ、報道とはなにか?を問いたくなる事実である。 「いじめ」が要因の自殺は、報道してもいいというルールがあるのかも。 誰か、安心させてくれるエビデンスを、私に与えてください。
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2013年07月26日(金) ■ |
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色彩に与えられた役目 |
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書籍「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」 (村上春樹著・文藝春秋刊・370頁)から。 推理小説かと思うほど、なぞは多いけれど、 かえって、村上春樹文学の内容分析より、 小説内に登場する「言葉」に集中できて、楽しかった。 もちろん、気になるフレーズのメモは溢れたが、 今回、私が選んだのは「色彩に与えられた役目」。 「模様をどのように生かすか、どのように浮かび上がられるか、 それが色彩に与えられた役目だった。色彩は、ごく淡く、寡黙に、 しかし、効果的に模様の背景を担っていた」の一部。 主人公は「色彩を持たない(模様の)多崎つくる」であり、 「赤・青・白・黒・灰・緑」は、全て模様の背景として登場する。 また「色彩を欠いた多崎つくる」という表現の後、 「色彩を持たない多崎つくる」へと変化していく過程は、 メモ魔の私としては、面白かった。 多崎つくるは「色彩ではなく模様」だったから・・と確信した。 沙羅は、その色たちを主人公の周りに調和して配置してた曼荼羅、 そんな位置づけで眺めていた。 本当はもっと奥が深い小説なんだろうなぁ、と思いながらも、 気持ちよく、1日で読み終えた作品である。
P.S 第3章の最後(51頁)と第4章の最初(52頁)に、同じフレーズが登場する。 「その男とは、大学のプールで知り合った。」 こればかりは「謎」ではなく「意図」が知りたい。
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2013年07月25日(木) ■ |
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昔は隣がコンビニだった。 |
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講師「薗田碩哉」氏(町田市社会教育委員の会議議長) 演題「社会教育委員や行政職員は、地域にどう関わるか」 (行動する社会教育委員を求めて) さすが、社会教育の分野では全国でも注目されている町田市、 そのリーダーの話は、頷くことが多かった。 多くの例え話から選んだのは「昔は隣がコンビニだった。」 今、コンビニは全国に50,000店ほどある。 なぜ増えたか、それは私たち人間が便利さを求めたから、 そんな解釈をしていたが、実は、コミュニケーション不足、 人との繋がりが希薄になったからだった。 「ちょっとお米借りてくよ。」という会話がなくなった、 言い換えれば「昔は隣がコンビニだった。」となる。 「うちの子、見なかった?」「あっちへ行ったよ。」という ご近所同士の会話も減り、子どもの名前も分からなくなった。 さらに「昔の先生は楽だった」という言葉の裏に、 「地域の人々が、初等のモラル、初等のマナーを教え、 しっかり躾けられた子どもたちを学校へ送り込むから」という 大きな意味が、隠されている。 家庭教育と同じくらいに、地域の教育力が大切だと再認識した。
P.S. この季節、青少年健全育成の夜間補導活動があり、 コンビニに立ち入り調査にまわるので、気になったのかな。
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2013年07月24日(水) ■ |
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やっぱり、笑った方が可愛い |
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映画「7月24日通りのクリスマス」(村上正典監督)から。 以前から気になっていたタイトルの映画。 この日にアツプするぞ・・と決めていた。(汗) 「AV.24 de Julho」 タイトルの「7月24日通り」は、 リスボン(ポルトガル)に実在する通りの名だから。 と言いながら、映画は邦画。大沢たかおさんと中谷美紀さん主演の ロマンティック・コメディ映画。 気になる一言は、作品中に何度も耳にする台詞 「やっぱり、笑った方が可愛い」 「やっと笑ったね。笑ってる方がずっと可愛い」から。 男にしかわからない感覚かもしれないが、 女性の笑った顔をみると、なぜかこちらも嬉しくなるからだ。 いやいや、女性も同じかもしれない。 ラストシーン近くに、地味でサエないOL役の中谷美紀さんが、 憧れの先輩、大沢たかおさんに告白するシーンがある。 勇気をもってこう呟く。「あなたが笑ってくれれば嬉しい。 あなたが寂しい顔をしていると寂しい」 意味もなく、ヘラヘラ笑ってるな、という人もいるけれど、 私は、意味がなくても、笑っている方が嬉しいし、 「痘痕(あばた)もエクボ」で、悲しい顔も、怒っている顔も 可愛くみえる時もあるだろうけれど、やっぱり笑顔が一番だと思う。 さらに「笑顔」は、脳も刺激するらしい。 口癖にしちゃおうかな。「やっぱり、笑った方が可愛い」(笑)
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2013年07月23日(火) ■ |
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自分たちで制御できないものは、利用しない |
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ネット選挙解禁の「参議院議員選挙」を振り返って。 個人的には「ネット選挙は時期尚早」だなと感じた。 その理由はただひとつ。 「自分たちで制御できないものは、利用しない」 これは、福島第一原発事故のときも書いた気がする。 インターネットは、確かに便利だけど、 未だ、遠隔操作事件も解決出来ず、なりすましさえも把握できない。 毎日、パソコンに何通も届く「イタズラ・迷惑メール」さえも、 しっかり取り締まりができないのに・・という想いが強い。 日本全国で多くの国民が、毎日のように 「イタズラ・迷惑メール」を削除するエネルギーは莫大である。 そんなネット犯罪を撲滅できないのに、ネットを利用した選挙なんて 私には、到底考えられない。 今度は「投票した用紙」を写真に撮影し、ネット上に公表した人がいる。 犯罪ではないのかもしれないが、自分のしたことがどういう意味をもつのか、 本人に理解させる必要がある。 少なくとも、選挙権のある20歳上の成人なのだから・・。 最近、投票率を上げるためなら、なんでもOKという思惑が見え隠れする。 もう一度、選挙権について、慎重に議論する必要があろう。 1889年、選挙権は「一定以上の財産を持つ25歳以上の男子」のみだった。 性別は当然撤廃だが「税金滞納していない○歳以上」くらいの制限は 個人的には必要だと思う。言い過ぎたろうか?
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2013年07月22日(月) ■ |
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戦いに負けても、誇りを失っちゃなんねぇ |
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いつもより1時間ほど早かった、NHK大河ドラマ「八重の桜」より。 このフレーズは「参議院議員選挙」に大敗した民主党に 聞かせてあげたかった台詞である。(笑) とうとう「降参」の旗を掲げ、鶴ヶ城を開城した会津の人々、 一日二千発とも言われた砲撃を受けて、ボロボロになった城を 明け渡す前に、会津の女性たちが、一所懸命に廊下の拭き掃除をする。 訳のわからない幼な子は、どうせ明け渡すのに・・不思議がるが、 彼女らは、ピシャリと言い切る。 「戦いに負けても、誇りを失っちゃなんねぇ」 今回の選挙結果も、予想どおりとはいえ、国民はその後をみている。 「真価が試されるのは、負けた後のこれからの姿・・」 選挙という戦さに負けた後の民主党の「誇り」を是非、見せて欲しい。 また「何があっても生き延びよ、最後の君命じゃ」と 会津藩第九代藩主・松平容保が命令したにもかかわらず、 「会津のものならみんな知っている、悔しくてたまんねぇ。 (殿様は)何があっても、生きてくださいまし」と八重が訴えたシーン、 いつもなら「出しゃばり過ぎ」と思う場面も(汗)、二人の迫真の演技で、 心が震えたのは、本当に悔しさが滲み出ていたからだろう。 「悔しさ」は内に秘めないで、態度で示すべきだな、きっと。
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2013年07月21日(日) ■ |
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私、道徳って、恥の概念のことだと思うの |
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映画「空中庭園」(豊田利晃監督)から。 角田光代さん同名原作の映画化、とあって楽しみに鑑賞した。 印象に残っているのは「道徳」に関する部分。 特別出演の永作博美さん扮する、変な愛人が一気に話すシーン。 「人間を人間たらしめているのは、恥。 恥を感じない人間は、猿と変わらない。 恥ずかしいと思うから、服を着るんだし、恥ずかしいと思うから、 人前でセックスしたりしないのよね。 私、道徳って、恥の概念のことだと思うの。 禁煙のバスで煙草を吸わないのは、なんで? 若い子の素足にいきなりしゃぶりついたりしないのはなんで? 恥ずかしいからでしょ? そんなことしたら。 だから、最も始末が悪いのは、恥という概念がない人間、 あんたのようなとろけた奴よ」 恥ずかしい、という気持ちが日本人に残っていれば、 日本の道徳は、またまだ捨てたものではないのだけれど。 偉人の話や感動の話を聞かせるのも確かに「道徳教育」だけど、 「恥ずかしい」という感情を、国民に教え直すことが、 道徳教育の一歩である気がしてならない。 家族の間でも「恥」という概念をもち、接することが大切だし、 「親しき仲にも礼儀あり」って、家族にも通用する言葉だと、 改めて認識した映画となった。 家族にとっても恥ずかしくない、夫・父親・息子でいたい。
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2013年07月20日(土) ■ |
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「怒られるからやめなさい」「迷惑だからやめなさい」 |
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わが職場の施設にも、おかげさまで老若男女、 多くの利用者が訪れているが、時々、気になることがある。 特に小さい子どもを連れた親は、子育てに忙しいのはわかるが、 子どもが展示物に触ろうとするので、注意を促したら、 座ったまま「怒られるからやめなさい」と子どもに声を発した。 私も珍しくムッとして(汗)、言い直してもらった。 「お母さん、『怒られるからやめなさい』ではなくて、 『大事なものを壊したら大変だからやめなさい』ですよ」。 子どもを躾ける親を躾けなくては・・と最近思う。 実は、こんなシーンは、いろいろなところで見かける。 電車の中、ショッピングセンターの中、公共施設の中・・。 (周りの人に)「迷惑だからやめなさい」という感覚が、 どこにもなく、この人がうるさいからやめなさい、では 私がわざわざ注意した意味が伝わっていない。 もちろん何度注意しても、叱りもしない親よりはマシだけど、 「怒られるから」を理由に叱るのは、躾でもなんでもない。 どうして、悪いことなのか・・これを教えないと。 親に叱り方から、教える必要があるのかなぁ。
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2013年07月19日(金) ■ |
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ちょっと出しゃばっていい? 焼きすぎ、焼きすぎ |
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先日、熱海在住の日本画家、坂本武典さんのご推薦、 伝説の焼肉店に、5人でお邪魔した。 (申し訳ない、店名は内緒・・ということで・・) 私の焼肉人生(?)の中でも、トップクラス間違いない。 何も説明しないで、この美味さを表現するのは、 心苦しいけれど、店主の一言を選んでみた。 「ちょっと出しゃばっていい? 焼きすぎ、焼きすぎ」 この店の焼肉初心者である私たちの食べ方に、 ニコニコしながらアドバイスをしてくれた。 厚切りのカルビや塩タンも美味しいけれど、 ロースでご飯を巻いて食べた時の感覚は、絶品そのもの。 「うま〜い」という言葉が口から出る前に、 顔が自然とにやけてしまう私の様子は、同行したメンバーが 傍でみていて、とても可笑しかったらしい。 言葉を発する前に、脳が顔の筋肉を緩めたに違いない。 実は、意外と「焼肉の食べ方」を教わる機会は少なく、 どれくらい焼けば食べられるのかも、けっこう曖昧なところ。 せっかく仕入れた肉を、一番美味しい状態で食べて欲しい、 そんな気持ちが伝わってきた一言だった気がする。 こんな店主たちの一言が、口うるさいと感じるか、 アドバイスと感じるか、人それぞれだけど、 私は店主の方々と、話しながら食べたり飲んだりが好きだなぁ。
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2013年07月18日(木) ■ |
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「士魂商才」と「堪忍柳画賛」 |
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書籍「海賊とよばれた男」(百田尚樹著・講談社刊・ 上巻380頁・下巻362頁・計742頁)から。 昔、同級生がこんな川柳を口にしたのを覚えている。 「偉人伝 お疲れ様と 読み終えり」 まさに、主人公に「お疲れ様でした」と声を掛けたくなった。 多くのメモから、私が選んだのは、2つの言葉。 「士魂商才」(武士の心を持って、商いせよ)は、 彼が、儲かる、儲からないではなく、正しいか、正しくないか、 人の道を踏み外していないか、そんな判断の心をもって、 商売をしてきた、そんな気がしたからだ。 また、仙厓和尚(江戸時代)が描いた、風になびく柳の絵 「堪忍柳画賛」(気に入らぬ 風もあろうに 柳かな) 「いろいろな軋轢や衝突をうまく受け流し、 大地にしっかり根を下ろせ」という意味で使われている。 いかにも大きな敵と戦ってきたイメージがあるが、 読み終えると、爽やかさが残るのは、このためだろう。 「戦いはあえて敵の懐に飛び込まねばならぬ時もある」 そう言った戦術は、柳でなくちゃ出来ないものなぁ。 今の時代にも通じる考え方に違いない。
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2013年07月17日(水) ■ |
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アソコが濡れてきたわ、と言っても燃えない? |
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意外と期待されている、水曜日、エッチネタですが・・(汗) 映画「クローサー(2004)」(マイク・ニコルズ監督)から。 ジュリア・ロバーツ扮する「女性写真家」をはじめ、 小説家志望のジャーナリスト、医師、アメリカから来た女性ストリッパー、 主人公の4人がロンドンを舞台に、いろいろな場面で絡み合うのだが・・。 多く残されたメモから、どれを選ぼうか迷ったが、 やはり、読者の反応を意識することなく、自分の気持ちに向き合って、 一番インパクトのある会話を記憶に残したい。 それは、女性からのエッチ(セックス)へのある誘い文句。 「アソコが濡れてきたわ、と言っても燃えない?」 いくら正義感ぶった男であっても、たぶんこの台詞にはかなわない。 たしかに「据え膳食わぬは男の恥」の時代は終わったけれど、 女性とふたりきりになって「アソコが濡れてきたわ」と言われ、 興奮しない(燃えない)男は、たぶん、いないと思う。(笑) 「あなたに抱いて欲しいの」みたいな直接的な表現ではないけれど、 男の脳は想像を膨らませ続けて、我慢できなくなるに違いない。 物語でも男は「そう言われればね」と認めてしまう。 映倫区分(R15+)の指定だと知りながらも、興奮したから気になる一言。 そんなこと言われても、燃えない男なんて男じゃないな、 そんなことを感じながら、メモの整理をした。 「子どもは欲しい?」「ええ、今日じゃないわよ」の会話も笑えたし、 「君のあそこの味は?」「天国の味」と、メモの多くがシモネタなのに、 イヤらしさを感じなかったのは、俳優たちの力なのか・・ 大人の映画ってことなのかなぁ。
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2013年07月16日(火) ■ |
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「というわけで」の百田尚樹(錨を上げよ) |
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書籍「錨を上げよ!」(百田尚樹著・講談社刊・ 上巻591頁・下巻616頁・計1207頁)より。 これだけでは、きっとなんのことか、わからないだろう。 上・下巻を読み続けていくうちに、あるリズムに気がついた。 それが「というわけで」という改行。 普通「改行」と言うと、物語が展開して段落を変える時に、 「そして」「ところで」等の、接続詞を繋ぎながら、 話がつながっていくのだが、彼の作品は、 圧倒的に「というわけで」というフレーズを利用して、 段落が始まるケースが多い。 「とはいえ」「とにかく」「ともあれ」等も使われているが、 とにかく「というわけで」がダントツ。 メモし終えてから、数えたら、なんと「46回」。(笑) しばらく作品にのめり込んでいくと、 「というわけで」をキーワードにして、まとめに入っていく。 これが、作者独特の文体、リズムなのかもしれない。 こういう発見って、けっこう好きです、私。
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2013年07月15日(月) ■ |
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誕生日から20,124日経過(2013.7.9現在) |
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生命保険会社の方が届けてくれる情報の一つに、 私個人のバイオリズム表がある。 私は、どちらかというと「運・不運」を意識しているが、 根拠のない占いよりは、当たっている気がする。 ところで、バイオリズム表の欄外に、面白いデータを見つけた。 正確には「誕生日(昭和33年6月4日)から計算基準日 (2013年7月9日)まで20,124日経過」の1行。 誕生日のたびに「生まれてから○年」と意識するけれど、 「生まれてから○日」というのは、新しい発見だった。 そうなると、今年の3月7日に20,000日を迎えたことになる。 頑張って生きてきたなぁ、と自分で自分を誉めたくなった。 小さい頃、海に落ちて死にそうになったりもしたが、 20,000回以上、起きて寝ることを繰り返してきたのは事実。 これから、誕生日は「○日経過」を意識してみたい。 自分が誇れて好きになる、バックデータに違いないのだから。
P.S. 誕生日が和暦で、基準日が西暦ってのも、気になるけど(笑)
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2013年07月14日(日) ■ |
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弾丸登山者にとっての「ご来光」の意味は? |
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世界文化遺産登録後の富士登山者は、驚くほど増えている。(らしい) しかし、弾丸登山に代表される、注意を呼びかけても無視し、 体調を崩すという、ルール・マナーをわきまえない人たちが、 勢いだけで果敢にアタックしていることも見逃せない。 そもそも「頂上でご来光を」と欲張るからであるが、 山岳信仰と太陽信仰、どちらの信仰心も持ち合わせていない、 単なるミーハー的な発想から登るとしたら、 富士山の登山は、人生を変えるほどのインパクトは少ない。 下山後、生活の変化は見られず、また同じ生活の繰り返し、 不平不満ばかり口にする、そんな光景が目に浮かぶ。 雲海に浮かぶ太陽だったら、たぶんどこだって見られる。 ルールやマナーを無視してまで登った富士山から拝んだ太陽に 何を祈り、何を誓い、手を合わせるのか。 富士山を「霊峰」というのであれば、 信仰の対象として(文化遺産として)、自分にも厳しく対峙する、 そんな心構えが必要ではないか、と思う。 いやいや「霊峰富士」の名を世界に残すためには、 「修験者以外の入山禁止」がもっとも相応しい気がする。 過激かもしれないが「文化遺産」の意味をもう一度、考えたい。 だからこそ「弾丸登山者にとっての『ご来光』の意味は?」を 気になる一言に残そうと思う。
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2013年07月13日(土) ■ |
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アジアは水がないから貧しい、あれば豊か |
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第159回泉のまちカレッジ、裾野市の渡邉浩さんが語る 「徒歩世界一周の軌跡」(17年間に22,300kmを歩く)から。 スライドを交えて四大陸のこぼれ話と川柳で、 あっという間に、予定の時間は過ぎた。 一里(4キロ)1時間のペースで歩いたという体力だけでなく、 少しの英語しか話せないというのに、 世界を歩いて回ったという事実と勇気に脱帽である。 さて、その中でも、私が気になったのは 彼が「歩いて学んだこと」の1つ。 「アジアは水がないから貧しい、あれば豊か」だった。 雨さえ降れば、なんとかなる、そんな表現もしていた。 「アジアは水との戦いがすべて」と言っても過言ではない。 そう言えば「サバク」は本来「沙漠」と書くらしい。 (確かに、変換すると「沙漠」「砂漠」の二種類ある) 本来、サバクとは「石が少ない」のではなく「水が少ない」、 だから「沙漠」と書く、そんな説明を妙に納得してしまった。 日本は四季があり、森林に育まれ、水も豊富。 それだけでも、日本は不思議な国、神の国って気がしてきた。 旅に出て、改めて日本の良さに気付くのかもしれないな。 石油より、水の方が貴重って誰かが言ってたのも頷ける。
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2013年07月12日(金) ■ |
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ここから2時間強ですかね |
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久しぶりに集ったメンバーで、花の金曜日を過ごし、 沼津市のこと、清水町のこと、富士登山のこと、 そして大切なまちづくりについて、大いに意見を交わした。 職場以外の人との意見交換は、私にとってとても刺激があり、 時間が許す限り参加している。 話が弾み、2軒目のお店を出たのが、午前0時を少し回った頃、 同じ方向に帰るので、沼津駅北口駅からタクシーかと思ったら、 若い彼は、歩いて帰ると言う。 よし、私も・・と付き合うことにしたが、どう考えたって 私の家まで徒歩で1時間はかかる。 彼の家は、三島市大場だと聞いていたから、 「まさか歩かないよな?」と訊き直したら、 「ここから2時間強ですかね」と、さらっと答えた。 その一言で、会話を楽しみながら貯めた今日のメモが吹っ飛んだ。 私でさえ、歩いて帰ると口にすると驚かれるのに、 沼津駅北口から三島市大場まで歩いて帰るなんて、想像もつかない。 その時に気がついたことは、私は歩いても1時間が限界。(汗) 予定どおり、深夜1時過ぎに、そ〜っと帰宅したが、 彼はまだ歩いているのか、と思うと、この事実を書き留めたくなった。 飲んだ後、それも深夜をまわってから2時間歩くって、凄すぎる。 彼は、今、どの辺りを歩いているのだろうか・・。
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2013年07月11日(木) ■ |
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子どもって説明する言葉を持ってないだけで・・ |
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映画「うさぎドロップ」(SABU監督)から。 何かの縁で、小さい子どもを若い青年がひとりで必死に育てる、 そんな作品設定は、洋画・邦画を問わず、今までに何度もあったし、 たぶん、これからも同じような設定で生まれることだろう。 しかし、松山ケンイチさん・芦田愛菜さんのコンビは、 私の心を、予想以上に揺さぶった、と言ってもいい。 勢いだけで突っ走る青年の「強情」は、時に「不器用」だけが目立ち、 他人の意見を受け入れない、そんな姿勢・態度になるものだが、 今回は、他人に相談したり、同じ世代の意見を聞き入れることで、 子育てのヒントを掴んでいく。 それまでとはあまりに違う生活に悩み、職場の女性に訊ねる。 「お子さんのことで、自分が犠牲になってるって思ったことありますか?」 しばらくして、彼女がボソッと呟く。「子どもの時間も自分の時間だから」 こんな会話のひとつにも、妙に納得して感心していたら、 「なに? 私、今いいこと言った?」と訊かれ「はい、言いました」と彼。 印象的なシーンである。 さらに、家族のために荷物の集配作業をしている若い父親たちが、 子どもの心について語るシーンは、私のメモが止まらなかった。 「子どもって言葉選んで丁寧に話せば伝わるし、 それで、けっこう難しいこと考えてんだよなぁ」とか 「子どもって説明する言葉を持ってないだけで、 心の中はもう随分複雑になってんだよなぁ」という台詞は、 子育てが終わった私にとって、胸が締め付けられた。 今の若い人たちの子育て、応援したくなった作品である。
P.S. 子ども議会での小学生の質問や提案を聴いていると、 これっていい提案だなぁ、と思うことが多い。 彼らの提案を実現してあげるのが、私たちの仕事なんだよなぁ。
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2013年07月10日(水) ■ |
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いつものように変わりなく。 |
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書籍「私は虫である。」(熊田千佳慕の言葉) (熊田千佳慕著・求龍堂刊・173頁)から。 展覧会を開催していた美術館のショップで手にした、 彼の言葉を集めた書籍は、すっと私の心の中に溶け込んできた。 「いつものように朝のセレモニーが終わる。 いつものように変わりなく。最上の幸せとは、こんなものかしら」 最近、私が感じていた幸せと同じだ、とメモをした。 5時45分の目覚めから続く、私の平日朝のセレモニー。 足のマッサージから、朝食、朝刊の記事確認、 家を出てから、柿田川公園の散策や貴船神社でお祈りし、 8時5分に職場に着くまで、毎朝規則正しく繰り返される時間。 いつものように始まり、いつものように終わる。 いつものように変わりなく、その時間が流れた時、 なぜか、私は幸せを感じる。 ちょっとずれると、通勤途中の信号が変わってしまったり。(汗) 「小さな自然を愛し、小さなゆとりを持って、 小さな幸せを持つ。これ生活の中のゆとりである。」 「わざわざ休日を作ったり、遊びの時間を作ったりすることが、 『ゆとり』であると思うのは、大きな間違いである。」 彼の「ゆとり」に対する考え方に、拍手を送りたい。 そして、ささやかに「乾杯」(笑)
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2013年07月09日(火) ■ |
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コンサートに扇子はセンスがないね |
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あるコンサートの出来事。 大きな会場だから仕方ないのかもしれないが、 前列の方が空席がめだった中、一番前の席のど真ん中、 一人の観客がドカッとすわり、始終「扇子」を使っている。 見たくなくても、ステージ中央に目をやると、 どうしても視界に入ってしまうから気になって仕方がない。 ステージ上のリズムと、扇子のリズムがアンバランスで なんとも言えない鬱陶しさを感じたまま、演奏会を終えた。 これって、誰も注意しないし、ルールでもないけれど、 会場の後ろの方に座っていた方からは、 同じような不満が聞こえたので、私だけではなさそうだ。 たぶん、本人も気付いていないし、 他にも何人か扇子を使っていたので、悪いことではない。 ただ「センスがないね」と駄洒落を使いながら、 そこまで配慮できたら素晴らしいのになぁ、と感じた。 「コンサートに扇子はセンスがないね」 演奏者と観客の関係だけでなく、観客と観客の関係だからこそ、 私たちが気をつけなければいけないことなんだよなぁ。
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2013年07月08日(月) ■ |
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根拠のない自信が、ああいう事態を招いたんだ。 |
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映画「BRAVE HEARTS 海猿」(羽住英一郎監督)から。 作品冒頭、主人公・仙崎大輔は、 上司から「撤退」を指示されたにもかかわらず無視して、 結果オーライで、人命救助に成功するシーン。 「なぜ、命令に従わないんだ?」という叱りに対し、 「俺は全員を助けたいんです」と、正義感溢れて言い返す。 「なるほど、その歳で特救隊に入ろうなんて奴は、 そういうことを平気で口に出来るわけか。 結局は、お前が仲間に救助されてる。俺に言わせれば、 ああいう状況を作ってしまったこと自体が、既に失敗なんだ。 そして今日も、お前は同じミスをした。 根拠のない自信が、ああいう事態を招いたんだ。 いいか、レスキューに必要なのは、スキルと冷静な判断力だ」 こう言い返すチームのリーダーに共感を覚えた。 「希望がある限り、絶対あきらめるな」という教えもあるが、 正義感だけで人命救助をするのは、無茶すぎる。 主人公だから死ぬことはないだろう、と思う客観的な目と、 もしこれで死んだら誰の責任になるんだろうか、という リアルな感覚がいり混じって、いつも不安になる。 「自分はこの場面、あの人を助けられる」という自信は、 実は何も根拠がなく、周りで見ている同僚は落ち着かない。 その心境を言葉にすると、 「根拠のない自信が、ああいう事態を招いたんだ」 上司の命令や同僚の反対を押し切って行動するのであれば、 「根拠のあるデータ」を示してからでも遅くない。 「命を懸けて命を救う仕事」だからこそ、そう願いたい。 それでは、映画にならないよ、という関係者の声が、 聞こえてきそうだな。(汗)
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2013年07月07日(日) ■ |
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いい事も悪いことも、記録を残す |
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町制施行50周年記念として「一日16ミリ映画祭」を開催した。 企画・運営は「清水町16ミリ映画同好会」。 昔懐かしい「16ミリフィルム」を大切に保管しながら、 あの「カタカタ」となる映写機での上映会となった。 プログラムには「町制施行10周年」「町制施行15周年」 「町制施行20周年」「町制施行25周年」そして「町制施行30周年」と 町の歴史を振り返るには最高の映像が、私を喜ばせてくれた。 しかしなぜか「町制施行35周年」以降の作品が見つからない。 私が広報を担当した時は「町制施行40周年」(10年前)だったが、 もう既に「DVD」の時代に突入していて、 「記念のテレビ番組」を制作したことを覚えている。 改めて当時の記録映像を残すことがいかに大切であるかを痛感した。 いくらお金があっても、もう当時には戻れないのだから。 「町の歴史」が費用対効果の論理で忘れ去られ、 当時の記録映像として残らないことになってしまうのは辛いことだ。 「いい事も悪いことも、記録を残す」(わが子の成長記録と同じ) これが「記録・保存」の基本と言っても過言ではない。 当時、巷を騒がせた話題こそ、今では笑い話となるに違いないのだから。 それにしても、現在は無くなってしまった建物が多くて、驚いた。 わが町は、まだまだ変化し、少しずつ動いていることを実感した一日。 たまには、後ろを振り返ることも楽しいなぁ。
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2013年07月06日(土) ■ |
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1/875 草薙球場リニューアル応援プロジェクト |
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今朝の地元新聞に「草薙新章」と題して4頁の広告。 その中に自分の名前を見つけて、自己満足に浸っていた。 去年の12月のクリスマス前後だったと思う。 「草薙球場リニューアル応援プロジェクト」に賛同し、 10,000円の寄附をしたが、オープン後に楽しみにしていた 「沢村」ではなく「澤村」が投げた、ジャイアンツ戦は仕事で行けず、 夏になったら、ビール片手に高校野球でも観戦に行こうかな、 そんな気分でいたら、今日のどでかい広告記事。 個人と団体、875の方々が、プロジェクトに賛同したようだ。 だから、その内のひとりとして、記録に残したい。 「1/875 草薙球場リニューアル応援プロジェクト」 さらに、協賛した人たちの名前は、アルミ製の大型プレートに記載し、 草薙球場外野(レフト側)入り口付近の壁面に設置するらしい。 こんな形で、名前が残るのは、恥ずかしいけれどちょっぴり嬉しい。 最近気がついたけれど、私は「協賛」(賛助)好きのようだ。(笑) 単なるお金の寄附より、活動に賛同して協賛のパターンが多いから。 あとは、震災当時、協賛した「三陸牡蠣復興プロジェクト」から、 何年先かわからないけれど「三陸産牡蠣20個前後」が届くのを 楽しみに待っていようっと。
P.S. 875の1人に「豊岡武士」さんの名前もみつけた。 三島市長さんが個人で賛同して協賛していたとしたら、 とても嬉しいし、尊敬しちゃうな、隣接の市長だけど。
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2013年07月05日(金) ■ |
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さまよえるオランダ人みたいなことを言うなよ。 |
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書籍「錨を上げよ!」(百田尚樹著・講談社刊・ 上巻591頁・下巻616頁・計1207頁)より。 波乱万丈の主人公の人生に、驚きはしたものの、 ワーグナー作曲のオペラ「さまよえるオランダ人」と と繋がらなければ、長編としてただ読み終えたに違いない。 「さまよえるオランダ人みたいなことを言うなよ。」 「何や、それ?」「いや、何でもない」 作品中、何の前触れもなく、突然 「さまよえるオランダ人」という単語が登場するが 文脈の前後、その説明はどこにも出てこない。 何気ない会話だが、メモした私は気になって仕方がなかった。 メモを整理していたら、上巻冒頭に 「シェイクスピア」や「ゲーテ」などの名前も挙がり、 スケールの大きな話だったことに気がついた。 タイトルの「錨を上げよ!」も、作品には、1回しか出てこない。 しかし、オペラには何度か「錨」という単語が出てくる。 せっかくここまで読んだのだから、 ワーグナーの作曲も聴きたいし、オペラも観なくちゃなぁ。 好奇心旺盛も困ったもんだなぁ、ふぅ〜。(汗)
P.S. 映画「錨を上げて」も観たが、何も関係なかった。(笑)
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2013年07月04日(木) ■ |
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すべての人間は、二種類に分けられるって知ってっか? |
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映画「スゥイングガール」(矢口史靖監督)から。 以前にも観たはずなのに、メモが残ってなかったので 改めて観直したけど、やはりこの台詞。 この映画と言えばこの台詞、そんな決まり文句があるのは 映画の話だけでなく、真面目な挨拶にも挿入できて嬉しい。 「スゥイングガール」と言えば「すべての人間は」で始まる、 このフレーズ、作品の中に三回ほど、形を変えて登場する。 「すべての人間は、二種類に分けられるって知ってっか? やり遂げる者と諦める者だ。おまえ、どっちや?」 「すべての人間は、二種類に分けられる。 楽で楽しく生きる奴とそうじゃない奴」 「すべての人間は、二種類に分けられる。 スゥイングスする者とスゥイングしない者だ」 逆に、このフレーズを知っていると言うことは 「スゥイングガール」を観たことがあると判断してもいい。 応用すれば、いろいろな場面で使えそうだし、 自分なりの人間の定義にも活用できそうだなぁ。
P.S. 次点は、友達同士で写真撮る時の一言 「はい、とろけるチーズ」「どろどろだっつ〜の」
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2013年07月03日(水) ■ |
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「いつ、やる」「今だ」と奥村が答えた。 |
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書籍「錨を上げよ!」(百田尚樹著・講談社刊・ 上巻591頁・下巻616頁・計1207頁)より。 これはたぶん偶然だと思うが・・・(汗) 作品中に、とても面白い会話を見つけた。 「どうする? やるのか」と景山が訊いた。 ぼくが答えるよりも先に、奥村が「やる」と言った。 「いつ、やる」「今だ」と奥村が答えた。 昨年読んでいたら、全然、気にならなかった会話だが、 「いつ、やる?」「今でしょ」のCMを見るたびに、 このシーンを思い出してしまうのは、私だけだろうか。 また、3.11の震災前 (2010年1月30日第一版印刷) に書いた小説にも関わらず、白武久子とのキスシーン。 「再び、熱い情熱が体の奥から押し寄せてきた。 まるで巨大な地震のあとに、 連れてやってくる津波のようだった」 これまた、メモを片手に、う〜んと唸ってしまった。 これから先も、私の溢れたメモを読み返してみたい。 もしかしたら、時代の流れを読んでいる予告書かも。(汗)
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2013年07月02日(火) ■ |
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6月は「百田尚樹」月間、1949頁 |
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2013本屋大賞に選ばれた「百田尚樹」さんの著作を読み漁った。 5月に「永遠のゼロ」(文庫)(589頁)を読んだ後、 「錨を上げよ」(上巻591頁・下巻616頁・計1,207頁) 「海賊とよばれた男」(上巻380頁・下巻362頁・計742頁) 計2,538頁(6月中は1949頁)。 食べても食べても減らない、どっかの大盛ラーメンのように、 読んでも読んでもなかなか減らない「百田尚樹」作品。(汗) それでも、6月末までに読み終えた。 そこからメモを書き出すのも一苦労で、やっと終えた。 これから、数あるメモを眺め、一言を選び「気になる〜」にする。 もうしばらくは、百田さんとの付き合いが続きそうだ。 ただ、「読み終えた」という手ごたえと充実感はある。 暇さえあれば、読み続けた感覚は、ここ数年、忘れていたし、 彼の作品から、得たものは大きかった。 「海賊とよばれた男」の主人公と「永遠のゼロ」の主人公が、 上海で、ほんの少し、すれ違うシーンなどは、 まさしく映画のワンシーンを髣髴させた。 両作品を、読んだ人しかわからない、という自分だけの幸せ感は、 なんとも表現しにくいほど、嬉しい。(笑) 平日は仕事のあとに、また土日はイベントを終えた疲れた体で、 読んだ時間・読んだ頁を記録に残したいので、 「6月は『百田尚樹』月間、1949頁」としておこうっと。
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2013年07月01日(月) ■ |
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外でお客の接待をするようになったから |
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久しぶりに、働く女性の会(ATG)の6月例会に参加した。 今回の講師は、土井翠亮さん。(池坊正流六世家元、表千家教授等) 第一部は卓話「花の心、茶の心」、第二部は「お茶会体験」。 非日常体験により、ゆったりとした時間を過ごすことが出来た。 昔は、女子の嗜みとさえ言われた「華道・茶道」が、 今では、一部の人の趣味として存在していることに、 ちょっと寂しい思いをしながら、話を伺っていたら、 「華道部がある高校が減ってきた」という事実を耳にした。 男女共同参画が進んだから?カルチャー教室が増えたから? いろいろな理由を考えたが、なかなか答えが見つからなかった。 ところが、先生の説明から、簡単に答えが見つかった。 「外でお客の接待をするようになったから」 言い換えれば「人を家に招くことがなくなった」から、 玄関に花を飾ったり、お茶を点てておもてなす習慣が減った。 これは単なる「嗜み」という観点ではなく、 日本人の生活様式・ライフスタイルの変化が、 華道・茶道に代表される、日本独特の「おもてなし文化」を 衰退させてきたとは言えないだろうか。 他人を自分の家に招くということは、大変なことだった、 いや、大切なことだった、とはじめて気付いた。 我が家の玄関周りは、いつも華やかに飾られているから、 まだ、少しだけど「おもてなし文化」が残っているのかなぁ。
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