初日 最新 目次 MAIL HOME


しもさんの「気になる一言」
しもさん
MAIL
HOME

My追加

2013年05月31日(金)
だって民間じゃないもの

映画「県庁おもてなし課」(三宅喜重監督)から。
人気の書籍・原作を映画化するパターンはあるけれど、
文字からイメージする景色と、実際に映像で目にする景色では、
インパクトが違いすぎて、大自然を観光資源としたい
高知県のPR映画になってしまった気がする。
ところで、気になる一言は、ある方からクレームの電話。
そして最後に、必ずこう指摘される。
「あんたたちに足りないもの・・それは『民間感覚』」。
最近、流行言葉のように、行政改革などの会議で使われるが、
本当にその感覚が必要なのかどうか、誰もわからない。
「公」「官」「共」がゴチャゴチャになっている気がする。
そんなことを思っていたら、電話を切った後に、
県庁職員がぼそっと呟くシーンが続く。
「だって民間じゃないもの」(笑)
「あんたたちに足りないもの・・それは『民間感覚』」と
指摘をされたのに「だって民間じゃないもの」。
これって、仕事を雑に扱っているわけでもなく、
ましてや、手を抜いているわけでもない。
立場・役割が違うだけで、目的は同じだよという主張。
まぁ、勤務中に「おもてなし課」と書かれた公用車を止めて、
海を眺めて2人でソフトクリームを食べるシーンには、
さすがの私でも、抵抗があったけれど。(汗)
「民間」では、そんなことは絶対ありえない、と言われると、
それはそれで、首を捻りたくなるんだなぁ。



2013年05月30日(木)
彼は私に同情していない

映画「最強のふたり」(エリック・トレダノ監督)から。
鑑賞している私たちは、客観的に観ているからか、
首から下が麻痺してしまった富豪の男が、
なぜ刑務所を出たばかりの黒人青年を気に入ったのか、
とてもわかりやすいのだが、映画の中では誰もわからない。
富豪の親戚の人たちは、財産目当てで近づいたとか、
「注意したまえ、ああいう輩は容赦ない」と助言するシーン。
それに耳にした、富豪の主人公はこう言い返す。
「そこがいい、容赦ないところがね。私の状況を忘れて、
電話を差し出す。彼は私に同情していない。
ただ体が大きく健康で脳みそもある、彼の素性や過去など、
今の私にはどうでもいいことだ」
周りは、お金持ちの障害者として、距離を置いて接する。
その点、黒人青年の彼は、1人の人間として認め、
今まで自分が経験したことのないことも、
健常者と同じように体験させ、なんでも臆病になっていた
富豪の好奇心を見事に満足させていく姿は、爽快である。
私も大好きな、ヴィバルディ作曲の「四季」。
特に「夏」は、効果的に使われていたなぁ。
感情が激しく揺さぶられるBGMだった気がする。



2013年05月29日(水)
恐竜センターに行ってきたよ

先月から今月の初め、私たちの職場、地域交流センターで、
絵本作家・宮西達也さんの原画展が開催されていた。
地元の幼稚園児たちも、散歩しながら大勢訪れてくれ、
展示会場が、元気な声と賑やかな雰囲気に包まれた。
宮西さんの作品と言えば「おまえうまそうだな」に代表される
テラノザウルスなどの恐竜が登場するが、わが課の職員が、
機転を利かせて、テラノザウルスの着ぐるみに入り、
子供たちの前に登場したから、もう大喜び・大騒ぎ。
全国の「ゆるキャラ」をはじめとした、着ぐるみの威力は、
こういったところで実感することが出来た。
しばらくしてから、幼稚園の先生に聞いた感想は、
「おかげさまで、楽しい時間が過ごせました」。
「それはよかったね、子ども達の反応はどうだった?」
と訊いたところ「実は・・」とちょっと笑いながら、
「子どもたちに今日はどこへ行ってきましたか?と質問したら、
恐竜センターに行ってきたよ、でした」。(汗)
子ども達は、私たちの予想を面白いように裏切ってくれるから、
私の日記のネタになる。これからも楽しみしよっと。
それにしても・・恐竜センターねぇ、
さっそく、宮西さんに報告しよ〜っと。(笑)



2013年05月28日(火)
私も、本の背表紙を揃えていいですか?

世の中には、面白い人がいる。(笑)
そんなことを言ったら申し訳ないが、とにかく嬉しい。
昼休み時間、館長を務める図書館内を見渡していたら、
本の並びがずれていることに気付き、整頓をはじめた。
ところが、そんな私を見て声を掛けてくれた人がいる。
「すみませ〜ん、図書館の方ですか?」「はい」
「私もその作業、手伝わせていただいてもいいですか?」
「えっ・・」と訊き直して、合点がいった。
「私も、本の背表紙を揃えていいですか?」ということのようだ。
「実は、家の本棚もそうですが、本がきっちり並んでいると
とっても気持ちがいいんです」と話始めたと思ったら、
「本屋さんや図書館でも、揃えたくなるのですが、
さすがに失礼かな、と思って・・」と続けた。
私が、スタッフエプロンもせず、本の整理整頓をしていたので、
思い切って声を掛けてくれたらしい。(汗)
「いえいえ、私も同じですよ。大好きな本が、
きれいにピシッと並んでいると、気持ちがいいですよね」。
そんな話をして、しばらく一緒に作業を続けた。
「ボランティア」って、そんな気持ちから始まるんだな、
図書館を気持ちよく使ってもらうお手伝いって、嬉しいなぁ。



2013年05月27日(月)
人とはこんなものなのか

映画「のぼうの城」(犬童一心・樋口真嗣監督)から。

数年前に原作・同名の小説を読み、映画化を楽しみにしていた。

当時は「のぼう様(成田長親)」に関心が向いていたが、

今回は、なぜか、攻め落とせなかった敵将、石田三成に

私の好奇心が興味を示した。

こちらの兵の数を聞いただけで、
相手方は開城するとの噂を
耳にした石田三成が、大谷吉継に嘆く。

「大谷吉継よ、人とはこんなものなのか。

銭と武力で圧倒すれば、これほど簡単に性根を失うものなのか」

「性根」とは「根本的な心の持ち方・根性」とか

「1つのことを長くやり続ける気力」のこと。

もっと人間としての誇りみたいなものはないのか?と、

石田三成は、自分の戦のことより、人間に興味を示した。

大谷は「勝利者のみが抱ける甘美な感傷だなぁ」と答える。

その後、20,000対500(小説では20,000対2,000だった?)でも、

戦うと決めた相手方の動きに、また嬉しそうに反応する。

「わしは、人と言うものに高を括ってしまうところだったぞ」

「高を括る」とは「せいぜいそんな程度だろうときめてかかる」

「みくびる・あなどる」などの意味だから、

「人間、まだまだ捨てたものじゃないな」という、

石田三成の心の叫びが聞こえてくるようだ。



P.S.

先日他界した「夏八木勲さん」が、お坊さんの役で出演していた。

ナレーションは「TBSアナウンサー・安住紳一郎さん」



2013年05月26日(日)
観光による地域振興か・地域振興による観光か

音楽会と並んで、わが町自慢の「第158回泉のまちカレッジ」
講師「三島市観光協会専務理事・小松繁生さん」

演題「「定年後の生甲斐を求めて」
(長年、想い描いていた夢を実現する時が来た)」から。
前半、伊豆半島の観光にスポットを当てたお話があり、
近隣市町の開発(企画も含め)が、自分の住む町、働く町に、
どのような影響を及ぼすかを改めて知り、大変参考になった。
その小松氏が、最後にまとめたのは、定年後の過ごし方。
私は、この地域で、こんなことをしたい、あんなことをしたい、
という、ちっちゃな提案。
退職後に、自分の住んでいる地域振興に役に立ちたい、と
大上段に構えずとも、実は昔からこんなこと考えていたんだ、と
話す彼の顔は、子どものようにウキウキしていた。
「住民として、与えられたエサを食べるのではなく、
自分でエサを探し、(活動)生きていくことが大切」
これこそ、定年後の生き方だな、と拍手をしたくなった。
その地域に住む人たちが、イキイキと生活し過ごす姿は、
他地域の方々にとって、とても魅力的に感じられるからこそ、
知りたい、見たい、体験したい、と集まってくると言う。
それこそが、現代風の観光誘客なんだな、と理解できた。
「観光による地域振興か・地域振興による観光か」
わが町は「地域振興による観光」なんだろうなぁ、きっと。



2013年05月25日(土)
いつも、ああやって言葉集めしてるの?

映画「舟を編む」(石井裕也監督)から。
「三浦しをん」さん原作の小説と今回の映画、
共通している部分とオリジナル部分の比較は、
書籍と映画、両方を楽しむ私のライフスタイルには
ピッタリの題材であった気がする。
読書後のメモと、鑑賞後のメモを比べると、映画の方が、
宮崎あおいさん演じる「林香具矢」さんが輝いていた。
松田龍平さん演じる主人公・馬締光也さんが、下宿で
可愛がっている猫に「迎えにきたよ」と声を掛けたら、
香具矢さんが「迎えにきてくれたんだ」と登場するシーン、
昔話「かぐや姫」で月からのお迎えがくる場面とダブった。
また2人が出会った頃、料理人として修行をしていた
「梅の実」から彼女が独立したお店の名前が「月の裏」。(笑)
彼女が「みっちゃん」と呼ぶ「光也」という名前も、
「月の光」に関係しているのかな、なんて想像してみたり。
(「満月」をもじって「満也」も面白かったけれど・・)
こんなことをメモして楽しんでいるなんて私くらいかな。
ところで、どんな場面でも「用例採集カード」を欠かさない
馬締に、香具矢さんが笑いながら問いかける。
「みっちゃんて、いつも、ああやって言葉集めしてるの?」
私も宮崎あおいさんに言われてみたいな。
「しもさんって、いつも、ああやって言葉集めしてるの?」



2013年05月24日(金)
天下のNHKではなく、みなさんのNHKです

ある方が誉めたつもりで口にした「天下のNHK」というフレーズは、
御法度なのか、訂正を入れることになっているのか、
「ちょっと訂正させてください、みなさんのNHKです」と、
フォローされた光景が可笑しくて、メモをした。
帰宅後、ネットで検索したら、こういうケースは
Twitter等でも書き込まれているし、珍しいことではないらしい。
辞書によると「天下」とは、多くの使い方があるが、中でも
「かかあ天下」に代表される、
「権力をにぎって思うままに振る舞うこと」という意味や
「天下の大泥棒」「天下の横綱」などに使われる、
「比類ないこと。この上ないこと」という意味を含んだ
「上から目線」的な表現を避けているところが、面白い。
NHKファンの私としては、唯一の国営放送であるし、
「天下のNHK」という表現に、あまり違和感がなかったが、
そこまで意識して対策しているんだな、とそのことに感心した。
たぶん、どんな立場の方の挨拶でも
「天下のNHK」というフレーズに対して、間髪入れずに
「みなさんのNHKです」と言い直すよう徹底されているのかも。
「天下に名を知られる」という使い方の、
「世の中。世間」という意味に解釈すれば、いいのに・・・。
私は「天下のNHK」というフレーズ、好きなんだけどなぁ。



2013年05月23日(木)
彼氏がいるってことは、ライバルはたった一人なんだ

映画「モテキ」(大根仁監督)から。
コミックも、TVドラマも見ていないけれど・・(汗)
人生において、何度も訪れるのかな、この「モテキ」。
選んだ気になる一言は「モテキ」というよりも、
恋人のいる異性を好きになった時に考える、
ポジティブ・シンキング。
このフレーズの前に、当然、前置きがある。
「彼氏がいないってことは、世界中がライバルなんだよ」
そして、「でもな」と口にした後、おもむろに呟く。
「彼氏がいるってことは、ライバルはたった一人なんだ」。
なるほど、そういう考え方もあるなぁ、と妙に納得し、
メモをしたのは言うまでもない。
「弱っている時に聴くアイドルソングは麻薬です」とか
「どこまで目をみて話せるか、勝負しようよ」、
「ごめん、私、幸世君じゃ、成長できない」など、
ちょっとしたメモが増えた作品でもあったが、
先輩女性が、部下の主人公に対して怒鳴る場面
「もっと自由にとか、もっと自分の思いのままにとかな。
そういうのは、限られた人間だけに許されんの。
おまえは違うの!、だから黙って働け。バカ」は、
インパクトが強すぎたなぁ。(汗)



2013年05月22日(水)
30年経っても、夫婦の基本は「会話」

結婚30年目の記念日に、夫婦+娘の家族3人でフランス料理。
本来なら、昨年の松本・北海道旅行に続いて、
今年は20年ぶりの式年遷宮の年なので「伊勢神宮参り」とも考えたが、
仕事上、まとまった休暇が取れそうもないので、今回は計画変更。
午後6時半から9時半までの3時間、思い出を振り返りながら・・
いやいや、最近、お互いの忙しさですれ違っていた気持ちを
美味しい料理とワインを飲みながら、確認し合ったという表現が、
正しいのかもしれない。
私にとっても妻にとっても、貴重な3時間であった気がする。
携帯電話の電源も切り、話し続けた会話は、楽しい旅行とは違うが、
ある意味では、忘れかけていた「夫婦の会話」の重要性を、
思い出させてくれた時間となった。
30年前の結婚当時の様子や、それからの山あり谷ありの話もいいけれど、
お互い歳を重ねた今を、そしてこれからをどう一緒に過ごしていくか、
という話題は、意外と楽しかったと思う。
こうして、ほろ酔い気分で書いている、気になる一言は私の気付き。
「30年経っても、夫婦の基本は『会話』」を残しておきたい。
一番大切にしなければならない相手を、一番我侭がいえる相手として、
無理難題を押し付けていたことも、じっくり会話をしてわかった。
夫婦だから言わなくてもわかっていると思った、は勘違いだと知りつつ、
また少し時間が経つと、同じことの繰り返しをしてしまっていた。
ふたりで過ごす人生は無限ではないのだから、もっともっと会話をして、
これからも刺激し合って「成長」できる関係でいたいな。



2013年05月21日(火)
生きること、働くこと、そして家族を養うことの喜び

書籍「永遠のゼロ」(百田尚樹著・講談社文庫刊・589頁)から。
この作品を読み終えて感じたことは、
自分が太平洋戦争について、実は何も知らなかったのに、
いかにも、経験したかのような一方的な知識に惑わされ、
偏った見方しか出来なかったことへの後悔と、
やはり、自分が日本人だったことへの誇りが込上げてきた。
戦争に対しては、角度によって視点が違うから、
なかなか自分の意見として語ることが出来ないが、
どうして日本が敗戦後、奇跡的な復興を遂げたのか、は、
フィクションとはいえ、私なりに理解できた気がする。
「日本は戦後、素晴らしい復興を遂げました。でもね、佐伯さん。
それは生きること、働くこと、そして家族を養うことの喜びに
あふれた男たちが、いたからこそや、と思います」
「死ぬ気で働いたから」という表現は簡単だけれど、
「生きることの喜び」が原動力になった、という表現の方がいい。
誰だって、死にたくないし、家族と一緒に過ごしたい、
自分の頑張りで、家族の喜ぶ顔が浮かぶ・・そんな理由が、
奇跡的な復活を支えたって考えたら、嬉しくなった。
さすが「百田尚樹さん」、読み応えがありました。(涙)



2013年05月20日(月)
つい最近、夫が教えてくれました。

映画「アンカーウーマン」(ジョン・アヴネット監督)から。
作品冒頭に「報道の人間が忘れてならないのは、
事実をありのままに語ることです」というテロップが流れる。
これは、キーワードとなるフレーズだな、とメモしたところ、
案の定、ラストシーンでも使われた。
だが、ハッピィエンドでなかったので私としては辛かった。(涙)
小さなローカル局から、アメリカ全国ネットのテレビ局の
アンカーウーマンまで上りつめた主人公の彼女を支え続けた考え方、
それは「事実を語ること」。
政治の世界から犯罪現場まで、どんな突撃レポートであっても、
それは変わらない姿勢であった。
しかし、その考え方は、最初に採用された時のプロデューサー、
(のちに「夫」になる)の考え方でもあり、知らず知らずに教え込まれた
「報道の基本」であった気がする。
そしてラストシーン、事実を語るために訪れた取材先で死亡した夫を
彼女が思い出しながら、関係者の前で力強くスピーチする。
「私の役目は一つだけ。事実を語ることです」と前置きして、
「つい最近、夫が教えてくれました」と。
夫の死を悲しんでいるばかりではいけない、愛した彼が教えてくれた
「事実を語ること」をこれからも仕事の姿勢として貫いていきます、
そんな決意にも感じられた。
悲しいはずなのに、なぜか涙より拍手をしたくなった作品である。



2013年05月19日(日)
日本語は「察する言語」

町制施行50周年記念事業の1つ、文化講演会。
講師は「元・NHKエグゼクティブアナウンサー」
元NHK教育テレビ「ナットク日本語塾」の名司会者
「ことばおじさん」こと「梅津正樹」さん。
演題は「言葉とコミュニケーション」(乱れや変化を嘆く前に)。
冒頭「私にとって、カラオケは発声練習ですから」と、
カラオケ好きを披露したかと思えば、今日のやや潰れた声を
「聴きにくいですか?・聴きづらいですか?」と繋げるあたり、
さすがだなぁ、と私のメモが増えることを予感させられた導入部。
そんな溢れるメモの中から選んだ一言は「日本語は『察する言語』」
言い換えれば、他の言語と違って、関係した単語だけを発すれば、
相手がその意味を察して(推察して)、理解してくれる言語。
言語学者によれば「日本語ほど、易しい言語はない」、
「外国人でも、5週間もあれば、日本語は覚えられる」という。
単語の順序を入れ替えても、意味が通じる言語だからだろう。
例に挙げた「私・水・飲む」「飲む・私・水」「水・飲む・私」
たしかに、どれでも意味がわかるから不思議だ。
また「けっこう」という言葉でも、表情や態度、言葉の勢いなどで
YESの意味なのか、NOの意味なのか、聞き手が察する事実。
清少納言の枕草子には「いとをかし」という単語、
紫式部の源氏物語には「あはれ」という単語が多く使われているが、
読者が、その場の様子に合わせて(前後の状況から判断して)
意味を察して解釈している、そんな説明にも、メモが増えた。 
しかし、だからこそ気をつけなければいけないのは、
相手も共通の認識、察してくれると勘違いし話さないこと。
若者言葉も、言葉の意味が通じる若者だけで話している時は、
悪いわけではないし、乱れているわけでもない。
ただ、察することが出来ない人たちの中で使うから、
乱れている、と言われるに過ぎないことも知った。
「言葉とは、コミュニケーションの道具であると同時に、
共通認識をもった符号」という説明が理解できた講演会。
週の始めの日曜日、充実した1日が過ごせたことに感謝したい。



2013年05月18日(土)
世界には3,000種類以上の打楽器があるんですよ

月に一度のコンサート「286回泉のまち音楽会」
今回は「マリンバとピアノによる音楽の玉手箱コンサート」
演奏者は、作曲家&ピアニストの小林真人さんと
マリンバ&打楽器奏者の山本晶子さん。
2人の息のあったパフォーマンスと超絶技に、拍手喝采。
「音楽は音を楽しむこと」をあらためて実感した。
叩いて音の出るものは、何でも「打楽器」になること、
そんな単純なことも、思い出させてくれた。
パーカッションって、音楽の脇役だと思っていたら勘違い、
ピアノと打楽器だけで、2時間があっと言う間に過ぎた。
演奏前に、山本さんが話してくれた、
「世界には3,000種類以上の打楽器があるんですよ」。
演奏後に、なるほどなぁ・・と納得した。
キッチンで使うお皿や鍋も、彼女の手にかかれば、
素敵な打楽器に変身するから、もっと多いかもなぁ。(笑)
いろいろな音やリズムが飛び出してきたコンサート、
まさしく「音楽の玉手箱」だったなぁ。



2013年05月17日(金)
決められたことを きっちり キープする

家庭教育の話をしている時に、教えていただいた「3K」。
実は、会社組織では当たり前のこととして、
社員に教育されている標語・スローガンらしい。
「道徳ってなに?」「ルールとマナー」なんて言葉を
説明するよりも「(道徳の)3K」として説明した方が、
わかりやすいかな、と思ってメモをした。
「決められたことを きっちり キープする(守る)」
どうしてダメなのか?なんて質問に答えるよりも、
「ダメなものはダメ」と教えた方がいい、
そんな話も出来なくはないが、それではいかにも
「上から目線」とばかり、反発を買いそうだから、
この方が説明しやすい気がしている。
交通ルールを守ることも、給食費を払うことも、
学校での約束ごとも、みんなで決めたことだから、
きっちり守ることが大切なんだと思う。
これは子どもだけでなく、大人にも該当することだから、
間違えないようにしたい。
いや、今、道徳心が問われているのは、本当は大人。
そして、子どもはそんな大人(親)をじっと見ていることを
私たちは忘れてはいけない。



2013年05月16日(木)
ホンマ、クソは大事やけんの

映画「きな子 見習い警察犬の物語」(小林義則監督)から。
父親の職業だった警察犬訓練士を目指す主人公・望月杏子は、
入所した番場訓練所で、クソの話ばかりで驚く。
最初のアドバイスは「まずは、犬のクソに慣れるこっちゃ」であり、
早朝のひと仕事終えて、やっと朝食を食べている時も
「今日のクソ、どうやった?」とクソの話ばかり。
略さずに書くとすれば「今日の(犬たちの)クソ(の状態は)、どうやった?」
これは、警察犬を育てるには、基本中の基本、とのちに気付くのだが。
「立派なクソして学校へ行け。ホンマ、クソは大事やけんの」
所長は、自分たちの子どもにまで「クソ」の話をするから笑えるが、
そう言えば私も、一昨年他界してしまった愛犬「ジェイク」の体調を、
クソの色や形、臭いで判断していたことを思い出した。
それは、人間にだって同じことが言える体調管理の基本であろう。
排泄物として、立派なクソが出ることは、食育にも関係しそうだ。
どんなものを食べたら、立派なクソが出るのか、
体調が悪いときは、どんなクソなのか、知っておくことは大事、
そんなことを教えてもらった映画となった。

P.S.
残しておきたい台詞、ひとつ追加しておきます。
「お前という未熟な訓練士を育てるためにきな子がおる。
きな子という未熟な警察犬を育てるためにお前がおる。
はじめから立派な警察犬も訓練士もおらんと違うか?」



2013年05月15日(水)
身だしなみは「相手重視」・おしゃれは「自分重視」

昨日紹介した「図書館基礎研修」の第二部。
演題は「気持ちよく図書館をご利用いただく、
接遇とコミュニケーション研修」。
講師は「コミュニケーションハウス 坂倉裕子」さん。
演習を通して、多くの気づきをいただける機会として、
私は、意外と「接遇研修」が好きかも知れない。(笑)
さて、その中でも「みだしなみとおしゃれの違い」は、
これからも、他のシーンでも使えるな、と思いメモをした。
「身だしなみ」とは「相手重視・相手との関係づくり。
相手に信頼感・安心感を持ってもらう・流行がない」
「おしゃれ」とは「自分重視・自分の楽しみや満足。
自分を美しく、格好よくみせる・流行がある」
だから「身だしなみは『相手重視』・おしゃれは『自分重視』」。
さらに「身だしなみの三原則」は、
「清潔か 品が良いか 動きやすいか」と覚えておきたい。
私たち管理職が求めているのは、まさしくスタッフの身だしなみ。
この違いを頭に入れておくことで
あまり派手なお化粧、派手な洋服を目にしたら、
「それは、おしゃれだろう?」と助言できる気がする。(汗)
この考え方って、クールビズの男性でも当てはまるなぁ。



2013年05月14日(火)
コミュニティの場としての図書館

「図書館基礎研修」から。
4月から図書館長も兼務となったため、新人図書館員として
基礎研修に参加させていただいた。
「図書館員として、これだけは理解しておきたい」
そんな大切なポイントの説明を受け、なるほどなぁ、とメモをした。
そもそも「図書館」は英語では「library」、
その語源はラテン語のLIBER(リベル)「樹皮」という意味らしい。
RYは場所を表すから「樹皮のような書物がある場所」が「図書館」となる。
特に図書館の機能は、資料・職員・場所(施設)の3要素によって支えられ、
職員の有効、適切な働きがなければ、図書館は単なる「本の倉庫」である。
そんな説明に、図書館職員の資質の高さが求められていることを、
再認識させられた。
さて「気になる一言」は「これからの図書館の方向性」から。
・情報通信技術の影響を受けた、図書館資料のさばき方
(電子図書館サービス)
・学習支援の場としての図書館
(情報提供から一歩進んだ、学習支援サービス)
・コミュニティの場としての図書館
(図書館をさまざまな人たちのたまり場に)
私の考える生涯学習の拠点は「公民館」ではなく「図書館」だから、
図書館がこの方向性になりつつあることに、心から喜んだ。
図書館ほど、楽しい場所はないと思うから。



2013年05月13日(月)
私が産まれた時の話をしてもらいました

昨日の母の日、全国のあちこちで、母想いの子どもたちが、
花やケーキ等、プレゼントを買い求める光景を目にした。
巷では「オレオレ詐欺」「振り込め詐欺」の新名称が
「母さん助けて詐欺」となった話題で多くの人が、
ブログやFacebook、Twitterなどに書き込んでいたが、
母親の呼び方は「母さん」だけでなく
「お母さん」「ママ」「お袋」など、年代・性別によって違うから、
なかなか定着しないかも・・と悩みながら、話題にしなかった。(笑)
(私は母親に関連した映画ネタをアップしたつもり)
ところが昨晩「しもさんはどんな母の日を過ごしましたか?」という
メールが届いていたので、返信した内容が、今日の気になる一言。
「私が産まれた時の話をしてもらいました」
もちろん、プレゼントもしたけれど、一番嬉しそうだったのは、
家族全員で囲んだ夕食の時に、私が訊ねた、私が産まれた時の様子。
55年前の話を昨日のように話す母には、ちょっぴり驚いたが、
そんな時間を過ごすことも、母の日のプレゼントだと思ったから。
それにしても、その出産の話が呼び水となって、
私の小さい頃の話が、どんどん飛びだしてきた。
妻や娘がどんな気持ちで聴いていたかは知らないけれど、
相手の気持ちになって考えた時に、私はこのイベントを考えた。
母親って、子どもを産んだ時の話をする時って、いい顔してる。
改めて「お母さん、ありがとう」と実感した母の日であった。



2013年05月12日(日)
母を恥じた昔を、今では心から後悔しています

映画「さくらんぼ 母ときた道」
(張加貝(チャン・ジャーペイ)監督)から。
知的障害者が、子育てをする大変さを、
真っ正面から、私たちに伝えてくれる作品であった。
捨て子だった主人公が、知的障害者の母に拾われ、
まわりから、母親のことを「ウスノロ」と呼ばれても、
何も気にせず、幸せだった日々を、大人になって振り返り、
一所懸命に育ててくれた、知的障害者の母に対して、
その偉大さを実感しながら、
「母を恥じた昔を、今では心から後悔しています」と呟く。
しかし私は、急に降り出した雨の中を、母は娘のために、
自分は濡れながらも傘を持って迎えに行くシーン。
あれだけ嫌がっていたのに、なぜかそれを受け入れながら、
黙って、1つの傘に一緒に入るシーンが忘れられない。
作品中、何度も何度も、父親が娘に諭す台詞。
「母さんのお陰で、おまえはいるんだよ」
この2つの台詞だけで、何年経っても、思い出せる作品と言える。



2013年05月11日(土)
波長の合う作家が好き

町制施行50周年記念事業として開催している
「宮西達也絵本原画展」の関連イベント、ギャラリートーク第3弾。
今回は「鈴木出版編集長」波賀稔さんと、
「おっぱい」「うんこ」でお馴染みの絵本作家「宮西達也」さん。
「ポプラ社」の代表取締役社長・坂井宏先さん、
「もったいないばあさん」の絵本作家・真珠まりこさんの対談にも負けない、
編集長ならではの絵本制作秘話が楽しかった。
制作側として、やりにくい作家は?の問いには「〆切を守らない作家」
「頼んだのに断る作家」と笑いを誘ったかと思えば、
やりやすい作家として「〆切を守る作家」と答えるのかと思っていたら、
「波長の合う作家」という答えが返ってきた。
不思議だけれど、これって、なんとなくわかる。
私も仕事をしていて「波長の合う」芸術家、演奏家、職員というのがいる。
これは「好き・嫌い」とはちょっと違う感覚で、文字にするのは難しい。
けれど・・やっぱり「波長の合う」という人間関係というのは、
多くの人と接しなければわからない感覚というのも事実。
理由は難しい・・だけどこうして今でも関係を続けているってことは
「波長が合う」ってことなんだと思う。
編集長は、子どもが喜ぶ絵本を前提に、世の中の流れに迎合しない、
しっかりとした絵本を作りたい、と話してくれた。
彼らの「波長の合う関係」は本人同士しか、わからないけれど、
これは私たちにも応用できる関係でもある。
「波長の合う」スタッフたちは、知らない間に引き合うのかなぁ。



2013年05月10日(金)
いまいくよくるよがくるよ

町制施行50周年記念事業・NHK公開録音「上方演芸会」から。
「今日、地域交流センターで何かあるんですか?」の問いに
私が咄嗟に答えたのが「いまいくよくるよがくるよ」。
その時は会話だったので「いつものおやじギャグ」と言われたが
改めて文字にしたら、予想外に可笑しかった。
正式には「『今いくよ・くるよ』が来るよ」だけど。(笑)
初夏の夜、今にも降りそうな天気を気にしながらも、
超満員の観客が、彼女たちを含めて4組の漫才を堪能した。
午後6時開場にも関わらず、4時過ぎから並ぶ人が出来始め、
お笑いブームの人気を改めて実感した形となった。
私は会場入口で観客たちの顔を眺めていたが、
どの人たちも、約2倍の抽選に当たったからか、
ニコニコ顔で「こんばんわ」の挨拶を交わした。
また帰るときも「お気をつけて」と声を掛けたら
「ありがとう、楽しかったよ」「久しぶりに大声で笑った」
「お陰で、またシワが増えちゃったわ」など、
これまた多くの方に感謝された。
「ミス・タイタニック」(浮いたことがない)とか
「『嫌み』と違うで、『恨み』や」などお決まりのネタなのに、
会場は拍手や笑いの渦で囲まれる。
公開録音(ラジオ)の楽しみは、また放送日に記憶が蘇ること。
こんなイベントなら、毎年、やってもいいなぁ。(笑)
私がいても、役に立たないけれど・・。(汗)



2013年05月09日(木)
「音楽好き?」「飯よりね」

映画「奇跡のシンフォニー」(カーステン・シェリダン監督)から。
主人公の少年が「音楽」を通じて父母を探す物語。
(まぁ、これだけでは意味がわからないと思うが(笑))。
物語全体に「アコースティク・ギター」の響きがあり、
コンサートではないのに、その音の魅力に癒された。
さて、今回の気になる一言。
本当に「音楽」が好き、という意味を感じた台詞だった。
アメリカにも「三度の飯より好き」という言葉があるのだろうか、
翻訳者が「日本版」に直したのだろうか?
あまりにタイミングよく、またリズムよく会話されたので、
メモしてしまった。
音楽(音)とは・・みたいなメモが多かった気がする。
「音は、心の耳で聴くものだ」
「音楽は、教科書では学べない、外でだ」
「音楽があれば、感情を捨てられる」・・・。
人間の発明した中で、音楽が一番の発明だ・・と
伊坂幸太郎の「死神の精度」の死神が言っていたっけ。



2013年05月08日(水)
政府、危機管理のなさ、露呈。

今回も、長嶋監督、松井選手の国民栄誉賞授賞セレモニー、
東京ドームでの始球式のワンシーン。
巷では、安倍首相の「背番号96」が、第96代内閣総理大臣の意味か、
憲法96条改正のアピールか、と同じような視点で大騒ぎしているけれど、
長嶋監督の本気が、誰にもわからなかったということか。
始球式前の打合せでは「空振りをする」ことになっていたらしいが、
それは長嶋監督のこと、もしかしたら、とテレビ観戦していた国民の多くは、
バットを左手1本で持ち、右打席でピタっと構えた瞬間、
あっ、これは打つな・・と直感したはず。
今までも、始球式なのに本気でヒットを打ってしまった選手もいるし、
私の記憶の中では、漫画「ドカベン」の岩鬼も打っている。
しかし、キャッチャーを努めた原監督も、審判を務めた安倍首相も、
マスクもせず、無防備そのもの。
おいおい、本当に打ってファウルチップ、首相の顔に当たったら、
誰が責任をとるんだよ・・と内心ヒヤヒヤものだった。
まさか「想定外でした」なんてコメントできないだろうし。(汗)
こういう何気ない場面だからこそ、こう見出しを付けたいと思う。
「政府、危機管理のなさ、露呈。」
私なら、(もちろんマスクを付けて)捕手は現役4番打者・阿部選手、
審判は現巨人監督・原監督、そして投手・松井選手、打者・長嶋監督。
すべて、巨人軍生え抜きの4番打者で揃えたら、凄かったのになぁ。

P.S.
もしかしたら、本気で長嶋監督に打たせたかったのだろうか、
投手だった松井選手が、誰かに「もう一球」って人差し指を立て、
要求したのを私は見逃さなかった。思い出しただけでも、また涙が・・。



2013年05月07日(火)
どんな時でもバットを振りなさい

「国民栄誉賞、長嶋監督&松井選手のW表彰式」の番組は、
多くのシーンで、2人の「師弟愛」を感じさせるものがあった。
特に、松井選手の長嶋監督を体調を気遣う仕種は、
一朝一夕には身につかないものばかりだから、
常にそういった姿勢で生活をしていたことが画面からもわかった。
また栄光とは別の次元で「2人だけの練習」も披露され、
マスコミが作り上げた、一種独特のキャラクターではない、
長嶋さんらしい、細やかな心遣いが感じられた内容に、拍手を送った。
例えば、松井選手がジャイアンツ入団当時に与えたアドバイスは、
「野球選手は努力をしなさい」「どんな時でもバットを振りなさい」。
子どもたちに(国民に)夢と希望を与える職業なのだからという「プロ意識」と、
野球選手(打者)として基本中の基本である「素振りの大切さ」を伝える助言。
プロ野球の選手だからそんなの当り前でしょ、と言う人は多いけれど、
その当り前がなかなか出来ないからこそ、敢えて言葉にしたのだと思う。
この「どんな時でも」は、実は非常に難しい。
ついつい「今日1日くらいいいだろう」とか「明日、2倍やればいいや」等、
自分の言い訳として、逃げ道を作ってしまうのが常だから。
「バッティング技術」とか「心の持ち方」などは、教わったことがないと言う。
しかし「どんな時でもバットを振りなさい」のワンフレーズが、
全てを教えていることになっていたことに、改めて気付いた。
小さい頃、お父さんから渡されたという、松井選手を支えた言葉
「努力できることが才能である」という考え方を軸に、
長嶋監督からいただいた「野球選手は努力をしなさい」で再確認し、
その方法は「どんな時でもバットを振りなさい」だったということだろう。
この一言が、松井選手を大打者に育てた・・と言っても過言ではない。



2013年05月06日(月)
欠席なのに、楽しい雰囲気、伝わる、伝わる

GW最終日、高校時代からの友人で集う、仲良しクラブの懇親会。
私の場合、スケジュールは先着順だから、
連休前からこの飲み会は楽しみにしていたのに、
なぜか、数日前の焼き肉で、タレにニンニクを入れすぎたのか、
体調を崩して、2日間、下痢状態。(笑) (食事中の人、ごめんなさい)
午後からの講演会参加を終え、夕方帰宅してPCに繋げたら、
懇親会の様子が、タイミングよくフェイスブックにアップされていて、
集ったメンバーの顔から、その場の楽しい雰囲気が伝わってきた。
まだ全快していないお腹の具合を気にしながらも、
アップされた写真の向こうから、私に向けて「お〜い、元気?」
という声が聴こえてきそうだった。
今までは、こんな写真をアップして、何が楽しいんだろう?と
思っていたのに、今回、楽しませていただき、その面白さがわかった。
フェイスブックってこんな使い方があるんだな、と感心。
私以外にも、仕事や遠方にいる友人たちが、
「いいね」を押したり「コメント」を書き込んだりしている。
参加できない人たちとの距離が一気に縮まった気がして嬉しい。
この感覚を文字にすると、こんな感じである。
「欠席なのに、楽しい雰囲気、伝わる、伝わる」
今日はこんなに暑いのに、みんなで鍋囲んでるのか・・(汗)



2013年05月05日(日)
「粋な計らい」(東京ドーム)と「NGワード」(アンチ巨人)

プロ野球・巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんと、
巨人や大リーグで活躍した松井秀喜さんの国民栄誉賞の表彰式が
東京ドームで行われ、その光景はテレビとはいえ、生中継で放映され、
忘れられないものとなった。
2人の顔が画面に映し出されるだけで、涙腺が緩み、
そして2人の握手で胸が熱くなり、涙がこぼれたのはどうしてか、
私自身でもコントロールできない感情が、込み上げてきた。
その要因は、国民栄誉賞表彰式の会場が、東京ドームだったこと。
首相官邸以外の場所で行われるのは初めてとあって、
私は、安倍首相の「粋な計らい」を高く評価したい。
しかし、残念なことにお祝いのスピーチで「私は『アンチ巨人』で」と
東京ドームでは絶対に使ってはいけない単語「NGワード」を
口にしたことだけは、申し訳ないけれど、評価できない。
「文句なしの国民栄誉賞」と2人の功績を讃えただけでよかったのに。
わざわざあれだけの演出をしながら、残念で仕方がない。
何年か前に、東京ドームの始球式をした、人気女子プロゴルファーが
投げ終わった後のインタビューで「実は私、アンチ巨人です」と話し、
ネットの世界が炎上した光景が蘇った。
「口は災いの元、舌は災いの根」とも言う。
猪瀬東京都知事の発言も含め「NGワード」は、それだけ怖いことを
ネット選挙解禁ならば、知っておくべきだろう。
今日の気になる一言は、記録として
「『粋な計らい』(東京ドーム)と『NGワード』(アンチ巨人)」とした。
主役の2人については、また後日、ゆっくり語りたい。



2013年05月04日(土)
「自然発生的なリーダー」(emergent leader)

NRI(野村総合研究所)発刊「パブリックマネジメントレビュー」より。
巻頭にこんな記事が掲載されていた。
タイトルは「強い緊張感と高い志を持つリーダーに期待する」
ペンシルバニア大学・R.J.ハウス氏の3つのリーダータイプが引用され、
私の目を引いた。
「自然発生的なリーダー」(emergent leader)
「選挙で選ばれたリーダー」(elected leader)
「任命されたリーダー」(appointed leader)
その中で、安倍首相に触れ、確かに「選挙で選ばれたリーダー」であるが、
高い志で課題が山積みの日本を導き、良くしていこうとする姿勢や営みが
国民の尊敬を自然に集めるようになること、言い換えれば、
「自然発生的なリーダー」になることを期待している。
また、リーダーは「常に緊張感と危機感」を持ち続ける必要性を
国づくりに実践した元英国首相・トニー・ブレアを例に説明されていた。
選挙に圧勝しても気を抜かず「常に緊張感と危機感」を持ちつつ、
高い志で尊敬を集める人こそ、国民の支持を得られることを語っている。
これから夏に向けて、静岡県知事、参議院議員選挙が続く。
どちらも、誰もが認める、自然発生的なリーダーだといいな。



2013年05月03日(金)
平和を愛するが、戦いを恐れはしない

映画「七人のマッハ!!!!!!!」
(パンナー・リットグライ監督)から。
タイには、目の前で人が虐殺されようが、自分が人質となろうが、
どんな状況でも、国民を奮い立たせる歌があった。
それが「タイ王国の国歌」。
日本語の訳があっているかどうかはわからないけれど、
作品中にメモしたフレーズを紹介しておく。
「人民の血と肉により、このタイ王国になる。
この大地すべては、我ら人民の一部。
それを支え、守れるのは、人民全員が団結し、調和しているから。
平和を愛するが、戦いを恐れはしない。
誰にも自由を奪わせはしない。血の一滴までも、祖国に捧げよう。
タイ王国に栄光あれ。(万歳! 万歳!)」
鑑賞後、ネットで調べたら「毎日朝8時と夕方の6時に
公共施設、公園、広場、テレビやラジオで流される。
国歌が流れる間、起立して敬意を表わす」と書かれていた。
苦難の時、国民に「勇気」を与える国歌の存在って凄いな、と思う。
日本の国歌は、どんな役割をしているのだろうか。
もう一度、しっかり理解して、みんなに伝えたいな。



2013年05月02日(木)
「ルール」と「マナー」と「思いやり」

道徳教育の話をしていて、違いがうまく説明できなかった、
「ルール」と「マナー」と「思いやり」。
さっそく帰宅して、調べてみたら、
「ルール」とは「規則」。「規則」とは「きまり」「おきて」
「人の行為や事務扱いの標準となるもの」
ゆえに「ルール」とは「人の行為の標準となるもの」。
「マナー」とは「行儀」「作法」。
「行儀」とは「立ち居振る舞いの作法」
「作法」とは「言語動作、起居振舞などの標準」
一般には「礼儀」と併称し「礼儀作法」とも。
「礼儀」とは「社会生活の秩序を保つために、
人が守るべき行動様式、特に敬意をあらわす作法」
ゆえに「作法」とは「人が守るべき行動様式」。
さらに「思いやり」とは
「自分の身に比べて、人の身について思うこと。
相手の立場や気持ちを理解しようとする心」
この三つの心を持った人が住んでいたら、
どんなに住みやすい街になるだろう、と思う。
あっ、これに「もったいない」が加わったら、
もっともっと素敵な街になるのに、と考えた。
そう考えると、一番理想に近いのが「江戸」かな。
「道徳」を学ぶには「学校の教科」にするよりも、
大人も巻き込んで「江戸の研究」の方がわかりやすいな。
だって出来ていないのは、子どもより大人だから。(汗)



2013年05月01日(水)
どこに辿り着こうと、ワクワクするのが冒険だ

映画「幸せへのキセキ」(キャメロン・クロウ監督)から。
妻(母)を亡くした悲しみを乗り越えていくために、
閉鎖されていた動物園を買い取り、そこに住むことで
家族の絆を再確認し、共に生きていく物語であるが、
残念ながら、私は家族より動物園スタッフとの絆について
気になるメモが増えた。
もう一度、皆に親しまれる動物園として開園するには
莫大な資金が必要になることを知っているスタッフに彼は宣言する。
「僕らは現代の冒険家だ」「偉大な動物の後援者だ」。
そして、妻が死ぬ前に残してくれた財産を「冒険資金」として使い、
最後に、こういい切った。
「(冒険が)どこに辿り着こうと、ワクワクするのが冒険だ。
これからの冒険を楽しもう。みんなを愛してる」と。
そう、このワクワク感を与えることが、リーダーの仕事。
漫画「ワンピース」のルフィみたいだな、とメモに付け足した。
結果(辿り着いた先)は、(目標)目的地とは違うかもしれないが、
この取組みこそ、皆に誇れる冒険だ、というメッセージが響いた。
「正しい行動は、誰にもジャマできない」
それが冒険にチャレンジする人たちの根底に流れているのかも。