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2011年04月30日(土) ■ |
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「Kinkaku-ji Temple」「Hase-dera Temple」 |
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箱根「成川美術館」は、富士山・芦ノ湖を一望できる 絶景の場だから、外国人の来客も多いようだ。 「おぅ、ビューティフル」の声が、あちこちで。 そんな折、展示されていた絵の説明に、ちょっと違和感が。 たいしたことではないが、 「金閣寺」の下に「Kinkaku-ji Temple」 「長谷寺」の下に「Hase-dera Temple」の文字。 直訳すれば「Kinkaku Temple」「Hase Temple」なのに、と ちょっぴり意地悪を言いたくなるけれど、 「金閣寺」は「Kinkaku-ji」であり「長谷寺」は「Hase-dera」。 なるほどなぁ・・とメモをした。 英語に直訳しなかった、学芸員?の方の配慮が嬉しかった。 外国人には、日本の文化を音で覚えて欲しいから、 「Kinkaku-ji Temple」「Hase-dera Temple」という表記は、 妙に嬉しくなってメモが溢れた。 気になって調べてみたら、県単位で「サイン」の表記の方法が、 決まっているようだ。なるほどなぁ・・
http://www.pref.shizuoka.jp/kensetsu/ke-030/sign/sign79.html
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2011年04月29日(金) ■ |
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人前で1時間ほど話す楽しさ、醍醐味 |
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働く女性の会・ATGネットの4月例会。 会発足(1991〜)史上初の、男性による幹事を任され、 私にとっては、また記念すべき日がひとつ増えた。 例会幹事は、講演会の講師を探し依頼し、日程調整をし、 会員の参加状況を把握する・・などの役目があったのだが、 全て自分でやれば、1度に解決することに気付き、 なんと講師も私が務めることで、当日を迎えた。 講演内容は、 「続けるコツ、教えます。メモのとり方、伝授します。」 (正しい公務員との付き合い方、知りたいですか?) 楽しみな「会員懇親会」の前座として、約1時間をいただいた。 本音は、久しぶりに、皆の前で話す機会を与えられて、嬉しかった。 最近では、課長という管理職になってから、 多くの会議、総会でも、開会直後のワンパターンの挨拶ばかりで、 知らず知らずに、ストレスが溜まっていたかもしれない。 私の話を真剣にメモしてくれていた会員の方々には申し訳ないが、 もしかしたら、この講演会を、一番楽しんだのは私かもしれない。 勿論、今でも話すのが苦手だから、こうして書き続けているのだが、 なぜか人前で1時間ほど話す楽しさ、醍醐味が蘇ってきた。 これを機会に、また、自粛していた講演会の依頼を受けようかなぁ、 そんなことを感じさせてくれた、記念すべき日となった気がする。 (役にたつ話が出来たかどうかは、疑問ですが・・(汗))
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2011年04月28日(木) ■ |
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2355が明日が来るのをお知らせします |
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日付が変わる直前の「2355」というNHK・BSの深夜番組。 ほんのわずかな時間で、ぼ〜っと画面を眺めていたら、 時報の直前、テレビから流れてきたフレーズが 「2355が明日が来るのをお知らせします」。 「2355」が主語であるのも不意をつかれたし、 その「2355」が、午前零時をお知らせするのも面白い。 今までは、会社名(放送局)が、時報をお知らせします、 となっていたはず。いや、今でもなっている。 「2355」が「2400」(「0000」)を知らせる関係が 私のアンテナに引っかかったのだろう。 誰かに伝えないと、忘れそうもないから、 こうやって「気になる一言」で紹介することにした。(笑) 今度、騙されてと思って確かめて欲しい。 きっと、笑えると思うから・・。
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2011年04月27日(水) ■ |
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理想の夫婦とは、感謝し合う夫婦 |
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ニーチェの言葉として、有名な夫婦の定義。 「夫婦生活とは長い会話である。」 (結婚とは長い会話である。・・という人もいるが・・) う〜ん、わからなくもないが、 今ひとつ、私のアンテナには引っ掛からない。(汗) そんな時、見つけたのは、作家・永六輔さんの定義。 以前紹介した、世代別占いと同様、世代別の夫婦を ワンフレーズにまとめてあったのでご紹介。 ◇ 十代の夫婦は、セックス夫婦 ◇二十代の夫婦は、愛で結ばれる夫婦 ◇三十代の夫婦は、努力して夫婦 ◇四十代の夫婦は、我慢の夫婦 ◇五十代の夫婦は、あきらめの夫婦 ◇六十代の夫婦は、感謝しあう夫婦 ニヤッとしてメモしたが、どうも自分たちの世代、 「五十代の夫婦は、あきらめの夫婦」が気にかかる。 こればかりは、そうかなぁ・・と疑問が残った。 子育てもほぼ終わり、一緒の時間を一番楽しめる世代、 と言うべきなのに「あきらめの夫婦」とは・・。 五十代の夫婦で、感謝しあえればもっと楽しいのにな。
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2011年04月26日(火) ■ |
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「赤飯おこわおむすび」VS「手巻きおにぎり」 |
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「おにぎり」と「おむすび」の違いは、 以前から気になっていたが、正直、結論が出なかった。 ところが、先日「セブンイレブンのレシート」を見て、 閉じ込めていた疑問が、また浮かび上がってきてしまった。 調べてみると、正直、ここで紹介できないくらい説があり、 私としては、どちらでも、自分が好きな方に統一すればいいよ、 程度の認識であったが、一緒に購入した同じ店で、 「おにぎり」「おむすび」、2種類を販売しているとなると、 話は別問題である。 確かに「赤飯おこわおむすび」「手巻きおにぎり」と印字され、 同じような包装がされている。(汗) うちは「おにぎり」という呼称で統一しています、とか 我が家は「おむすび」と呼んでいます、なら納得がいくが、 やはり、違うとなれば、その違いを訊いてみたくなるのが私。 今度、セブンイレブン以外のコンビニやスーパーでも 調べてみようっと・・、ちょっとオタクっぽい?(汗)
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2011年04月25日(月) ■ |
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君はね、弱虫で強虫で、イジワルで優しいの |
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映画「いけちゃんとぼく」(大岡俊彦監督)から。 予想以上に、この作品に入り込んでしまったのは、 主人公が私と同じ「よしお」って名前だっただけでなく、 小さい頃、海に溺れて死にそうになったこと、 父親が早く他界したことなど、共通点が多過ぎた。 実は、よしおにしか見えない謎の生き物「いけちゃん」が、 よしおの性格を、そっと語る場面がある。 「君はね、弱虫で強虫で、イジワルで優しいの。 それでカッコつけ虫」・・ この作品を観ている私のそばで、私にしか見えない 私だけの「いけちゃん」が呟いたように聴こえた。 「力で心が変えられるもんか」と、正義感を持ちつつも、 自分のしていることに対して、自信がなくなることも・・。 でも、こんな時も、いけちゃんが、よしおに呟く。 「君はみんなに愛されて、みんなの自慢になる」 だからこそ、自分を信じて生きなさい・・と言われたようで、 このフレーズもまた、私の生きる支えになるに違いない。 制作者には失礼かもしれないが、CGを甘く考えていたからか、 予想以上にじ〜んときて、しばらく余韻に浸ってしまった。 (50歳過ぎの男性、必見です)
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2011年04月24日(日) ■ |
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復興支援は、東日本産の地場産品を買うこと |
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被災者が語るテレビ番組を観て、そうだよなぁ、とメモをした。 これだけ余震が続くと、まだ旅行気分ではないが、 復興に向けて動き出した企業、農家を支援する意味で、 義援金も大切だけれど、その地場産品の購入も 被災者の彼らには、大きな支援となることを知った。 期限を設けず、じっくり出来上がってくるのを待つ。 それも、私たちのできることだと思う。 働く場が増えてくることは、微かであるが希望となる。 テレビ画面の中で、彼らは言い切った。 「『節電』を理由にイベント等の自粛は理解できるが、 『被災者に悪いから(可哀想だから)』を理由に、 イベント等の自粛は、何の役にもたたない」と。 言い換えれば、イベントを堂々と開催し、コーナーを設けて、 東日本産の地場産品の消費を増やす方が、復興支援となる。 僅かであるが、その注文により、働く場が増え、 彼らの収入が増え、元気を取り戻してくるに違いない。 だから今回の気になる一言は 「復興支援は、東日本産の地場産品を買うこと」 今、私が知りたいのは、今回被災しなかった東日本の企業ではなく、 建物から全てを失ってしまっても、復興に向けて動き始めた企業。 そんな企業を、これからも支援していきたい、と思うからだ。 しかし、その情報は、どこで手に入るのだろうか?
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2011年04月23日(土) ■ |
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今一番大切なのは、国民への道徳・人権教育 |
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「福島ナンバー拒否、教室で陰口・・風評被害に苦悩」の記事を、 とても憤りを感じて読み終えた。 首都圏民の電力をカバーしてきてくれた福島県民に対して、 そんな対応はないだろう、と思うことばかり。 世界で繰り広げられている地域間の争いって、 こんな些細なことから起こるんだろうな、と理解できた。 「恩を仇で返す」という意味を知っているだろうか。 「受けた恩に感謝するどころか、かえってひどい仕打ちをすること」 それでいて「そんなに言われるなら、わかりました。 それでは、首都圏の電力は東電の供給地域でお願いします」と 提案されれば、また不貞腐れるに違いない。 リズムの良い「頑張ろう、にっぽん」を口にしながら、 それをなにか流行・ブームのように勘違いしている気さえする。 今一番大切なのは、国民への道徳・人権教育。 間違っても「恩を仇で返す」「目には目を」の諺を教えないで・・。 相手の気持ちを踏みにじったり、郷土の誇りを傷つけられた時、 人は、相手構わず反撃に出ることも・・・。 「窮鼠(きゅうそ)猫を噛む」状態まで、被災者を追いつめないで欲しい。
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2011年04月22日(金) ■ |
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スーちゃんは、ローマ字では「SUE」と綴る |
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キャンディーズ、田中好子さんが他界した。 なにを隠そう、私は「キャンディーズ」の大ファンであり、 もう2度と再結成されることがなくなった、と思うと、 ありきたりの言葉だが、非常に残念だし、辛い。 後輩たちの「そんなに好きだったんですか?」の問いには、 ちょっとマニアックな(オタクっぽい)話題で、証明したい。 今、こうして日記を書きながら眺めているのは、 昭和53年3月25日発行、発行・発売「バンダイ出版事業部」 編集「石原企画」定価580円の「ジョイナス・マガジン」 タイトルは「LOVE CANDIES 思い出愛蔵版」(汗) 「スーちゃん」愛称の意味は、調べればわかるが、 ローマ字にすると「SUE」、誕生した時間は「午後8時」などは、 さすがに、インターネットでは出てこない。 引退に向けて、彼女が残したメッセージの一部に 「早く、素晴らしい男性をみつけて、結婚もしたいな、 将来はすてきなブティクもやってみたいし。 それより、まず、クルマの免許をとらなくゃ」と残している。 その後、女優業に専念し、平成元年公開の映画「黒い雨」では、 原爆の悲劇に見舞われたヒロインを務め、 日本アカデミー賞最優秀主演女優賞など多くの賞に輝いた。 彼女の死は、脱・原子力へのメッセージかもしれないな。 (SUEちゃん、お疲れ様。私の青春でした、ありがとう。合掌)
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2011年04月21日(木) ■ |
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極めて低いレベルの・・ |
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新聞で見つけた、風刺漫画だったかなぁ。 吹き出しの台詞が 「極めて低いレベルの『1日も早く・全力を挙げて』」 今年の流行語大賞にノミネートしてもおかしくない 「極めて低いレベルの・・」というフレーズ。 今回は、東電社長が繰り返した謝罪の内容が、事務的で、 心がこもっていないと感じたのだろう、 その謝り方が「極めて低いレベル」と判断したことを 原発事故以来、私たちが何度も耳にした言葉で皮肉ったけれど、 この「極めて低いレベルの・・」は、意外と応用が効く。 どんなことでも、つまんないなぁ、と感じたら、 「極めて低いレベルの、挨拶」とか、 「極めて低いレベルの、飲み方」など、 「接頭語」のように使うと、面白いのかもしれない。 何度も何度も繰り返されてきた、このフレーズ。 被災者を始め、日本国民はもう聞き飽きた。 心のこもった「極めて高いレベルの謝罪」をしてから、 辞任してもらいたい、と思うのは私だけではないだろう。
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2011年04月20日(水) ■ |
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1度、国内の原発を全部止めてみればいい |
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誰もが「危険」だと気付いているのに、 それでも「原発」は必要だし、安全なんだ・・と言い切る、 専門家と言われる人たちの、その根拠が知りたい。 そもそも原発の専門家は、原発の研究をするのに、 原発のお世話になっているケースが多いはず。 だから、原発推進派の人たちが、何度もテレビ画面に登場し、 机上の空論となりつつある「原発は安全」を訴えている。 私には、そうとしか映らない。 今後も計画停電のシュミレーションをするのなら、 東電の原発を全部を止めたら、これだけの電力が不足します、 という情報があってもおかしくない、と思う。 そこで私の呟きを、気になる一言にしてみた。 (東電と言わず)「1度、国内の原発を全部止めてみればいい」 首都圏から遠く離れた地域から、送電線を通じて送られてくる 電力のロスだって、相当なものだと予測される。 本当に原発が安全なら、首都圏の電力をまかなう為に、 東京湾に原発を建設すればいい。 関東ローム層には原発は無理、と言わずに、 電力の自給自足(地産地消)も考えてみてはいかがか。
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2011年04月19日(火) ■ |
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慰労の送別会、結束の歓迎会 |
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昨晩は、職場の人事異動に伴う「歓迎会」だった。 先月「送別会」をしたが、手間はかかっても (私の祝儀が増えても)別々の方がいいな、と感じた。 慰労の意味と、結束の意味、とでも言おうか、 送別会と歓迎会は、目的が違うから、 一緒に行うのは、やっぱり、不自然である。 今回も、管理職として、メンバーの動きを眺めていたが、 それぞれの雰囲気が明らかに違う。 送別会は、1年間、ともに苦労してきた仲間との別れに対して、 打ち上げの意味で、大騒ぎをして送り出す。 歓迎会は、このメンバーで、多くの懸案問題を解決しながら、 1年間を乗り切っていく、という意味で、 その結束力を高めていく儀式として捉えている。 どちらも、幹事にお願いして、(職権乱用?)、生ビール厳禁。 男性も女性も、管理職も新人も、瓶ビール片手に、 お互い挨拶している光景は、私の大好きなシーンとなった。 今年も、このメンバーで頑張れそうだ。 厳しい中にも楽しい課の運営をしていきたい。
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2011年04月18日(月) ■ |
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心配が、いちばん毒ですから |
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映画「ディア・ドクター」(西川美和監督)から。 「僻地医療を題材に描いたヒューマンドラマ」という紹介に ちょっと疑問符をつけたいが、なかなか考えさせられる作品だった。 医師の資格を持たない主人公、伊野(鶴瓶さん)が、 多くの村人たちの診断をしていたが、その中のアドバイス。 「心配が、いちばん毒ですから」 この一言だけで、多くの人の心配を安心に変える力があるようだ。 さっきまで元気のない村民が、ちょっぴり元気になって帰っていく。 信頼されればされるほど、医師免許の持たない伊野は、 いつばれるか、と心配が募っているようだった。 もしかしたら、村民に掛けていた「心配が、いちばん毒ですから」は、 自分自身に向けて発していた台詞だったのかもしれない。 資格を持たないからこそ、本物の医師以上に勉強したりもする。 あの屈託のない笑顔の影に、大きな悩みが見え隠れするからこそ、 それを見破っている数少ない人たちが、彼を支えていた。 さて、どれくらいの人たちが、知っていたのだろうか、 と観なおしたが、村人はみんな知っていたようにも感じるし、 おかしいなぁ、と疑ってはいたが、みんな信じていたとも思えるし・・。 とにかく、ラストシーンでホッとさせられた。 笑福亭鶴瓶さん主役作品の中で、私はこれが一番好きかもしれない。
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2011年04月17日(日) ■ |
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人間の最大の武器は習慣と信頼だ |
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映画「ゴールデン・スランバー」(中村義洋監督)から。 物語前半に交わされる会話。 「人間の最大の武器はなんだかわかるか?」 「さぁ・・」「習慣と信頼だ」 その意味が、話が進むにつれて、わかってくる。 そしてまた、途中で 「俺に残された武器は、人を信頼することだから」。 原作者の作家、伊坂幸太郎は何を言いたかったのか。 「信頼」していると思っている人に、どんどん裏切られ、 「信頼」というものを肌で実感して掴んでいく。 また、本人は意識していないからわからないが、 何十年も変わらない「食べ方」や「ボタンの押し方」。 これも、人間の大きな武器として、登場させている。 私の「読解力」では理解されない部分が、 もっともっと作品の中に、隠されているに違いない。 「黄金のまどろみ」と訳された「ゴールデン・スランバー」。 ビートルズの曲として紹介された、そのタイトルの意味もまた、 私にとっては、まだ読みきれていない。
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2011年04月16日(土) ■ |
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このコンサートに向けて練習していた帰りに・・ |
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わが町自慢の「泉のまち音楽会」。今回は、チャリティコンサート。 「第266回、ピアノ・トリオコンサート」(ピアノ・明和史佳さん、 (ヴァイオリン・竹添みどりさん、村原実穂子さん) 東京音大卒業の3人の美女が、ステージに登場すると、 淡い色(クリーム、ビンク、ブルー)のドレスが、 会場全体に、暖かい春を運んで来てくれた気がした。 演奏者の語る「3.11」に対する想いは、やはり胸が締め付けられる。 「このコンサートに向けて練習していた帰りに、地震にあいまして」 と、約1ヶ月前を振り返りながら、静かに話し始め、 「こんなことをしていていいのだろうか、と悩みながらも、 自分たちに出来ることを・・と考えて、今日の日を迎えました」 と話す彼女たちは、とても輝いていた。 アンコール曲の「アヴェマリア(カッチーニ)」に、なぜか心が震えた。 実は「アヴェマリア」、ラテン語で直訳すると、 「こんにちは、マリア」や「おめでとう、マリア」を意味する言葉なのに、 どうして、こんなに悲しいんだろう、と私はいつも思う。 (本田美奈子。さんの透きとおった声とダブルからなんだろうな、きっと) 前後に開催された「復興支援チャリティコンサート」も含め、 多くの演奏者の方々が、演奏前に語る「被災地・被災者」への想いが、 いろいろ音となって表現されているな、と感じた。 私に出来ることは、こうして支援している人たちを紹介することかな。
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2011年04月15日(金) ■ |
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トランプでもジョーカーがいるから面白い |
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映画「交渉人 THE MOVIE タイムリミット 高度10000mの頭脳戦」(松田秀知監督)から。 突っ込みどころ満載の作品だった。(笑) まさか、素人・女性・腕に怪我・心臓の病を持った条件で 旅客機の着陸が出来るなんて考えてなかったから。 ストーリーとしては、予想外の展開に驚くシーンが続く。 場面設定をメモし忘れたが「えっ、どうして私の存在を?」と 呟く主人公に対して、ハイジャックの犯人がさらっと答える。 「トランプでもジョーカーがいるから面白い」 台詞と言うより、その発想が面白くメモをした。 正直なところ、今まで、トランプのジョーカーの役割なんて、 考えたことがなかったが、このフレーズで気付かされた気がする。 確かに、ジョーカーがないトランプゲームは、つまらない。 勝敗や結果が読めてしまうし、大ドンデン返しも期待できない。 手品のような時は、カード1枚としての役割しかもたないが、 ゲームとなると、ジョーカーが入るだけで、面白さが倍加する。 言い換えれば、平凡の中にも、 ちょっと刺激が必要ということか。 でも・・「ジョーカーは1枚でいい、何枚もいらない」 これが私の本音でもある。
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2011年04月14日(木) ■ |
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子供パワーを感じてから対処する |
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ある先生と、子供たちを「叱る」話になった。 同じ悪戯でも、子供たちの性格によって、 叱り方(強い口調だったり、諭したり)を変えるのかと思った。 ところが、私の意に反して、答えはタイミングらしい。 同じ子供でも、気持ちにムラがある。 だから、その時の子供パワーを感じてから対処するという。 パワーを感じない、元気のない時に、叱ると凹むだけ。 だから、今は叱っても平気だな、と子供のパワーを感じた時に、 タイミングよく叱ることが効果的と理解した。 これは、子供ばかりではない。 うちの職場でも同じことが言えそうだ。 悪いことをしたら、その場で叱らなければ意味がない、と 思っていた私にとって、ちょっと反省すべきことである。
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2011年04月13日(水) ■ |
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酔っ払った女性は大好きです |
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ラジオから流れてきて、思わず頷いたフレーズ。 たぶんインタビューした人は「NO」という答えを期待して 「酔っ払った女性をどう思いますか?」と訊いたようだが、 回答者は、軽やかに答えた。「酔っ払った女性は大好きです」。 正確には「酔える女性はいいなぁってこと」だと思う。 アルコールは飲めません、と完全に拒否するよりも、 少しでも飲んでくれて、白い肌が、全体にポッと桜色になり、 ほろ酔い気分に・・。(汗) それが、私にはとっても嬉しいことなので、同感したのかも。 (勿論、体質的に飲めない人まで強要はしないけれど・・) しかし、泥酔状態は?・・と訊かれれば、これは、微妙。(笑) 酒を飲むのはいいが、酒に飲まれるのは、男性・女性に限らず、 私は好きではない。 自分の飲める量をしっかり把握もせず、勢いだけで酔いつぶれる。 それは、大人のお酒の飲み方ではないと思っているから。 何度も同じ失敗を繰り返す人は、飲まない方がいいね、絶対。
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2011年04月12日(火) ■ |
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整理収納のエネルギー配分5:3:2 |
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以前、お話を聞いた「整理収納」。 「収納の前に捨てられないんですが・・」と質問したら 「整理収納のエネルギー配分は捨てるのが5に対して 分けるが3で、収納が2の割合なんです」の答え。 なるほどなぁ・・と、納得がいく回答だった。 いつか使うだろう・・と考えず、捨てることができれば、 半分の整理収納が達成したこととなる。 逆に考えれば、捨てることに一番エネルギーが必要。 それを乗り切れば「分ける」「収納」は難しくなさそうだ。 捨てるものを選ばず、必要なものを選択する。 このルールに従って「捨てる」だけで、 物は、たぶん半分に片付くのだろう。 この比率を、いつも頭の隅に置いていきたい、と思う。 昔の写真などで、懐かしむ時間さえなければ、 出来るような気がするのだが・・。 あっ、もしかしたら人間関係も、同じ割合かもなぁ。
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2011年04月11日(月) ■ |
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バックします。(ガッツ石松) |
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映画「アヒルと鴨のコインロッカー」(中村義洋監督)から。 原作は、もちろん、伊坂幸太郎さん。 素敵な台詞もいっぱいあったのに、最後に選んだのは 「バックします。(ガッツ石松)」 ブータン人留学生ドルジに、日本語を教える河島。 その1コマだったけど、インパクトが強過ぎた。 「バックします。」を何回も口にしていると、 たしかに「ガッツ石松」に聞こえてしまう。(笑) 教えている河島の方が笑い出してしまうほど、面白い。 この作品を観てから、街中でこのフレーズが聞こえるたびに、 1人で「ガッツ石松」と言い換えてしまっている自分がいて、 どうしようもなく可笑しい。 作品の中では、どうでもいいような台詞だけど、 このフレーズを耳にするだけで、作品を思い出すのだから、 それはそれで、成功なのかもしれないな。 主人公「椎名」の名前を、ブータン人が覚える時も、 「しいな、しいな、おかしいな」と口にする。 これまた、耳から離れない。困ったものだ。
PS. 4月11日は「ガッツポーズの日」 1974年(昭和49年)のこの日、ボクシングの世界ライト級 タイトルマッチで、挑戦者のガッツ石松選手が逆転KO勝ちした。 このときの喜びのポーズが、「ガッツポーズ」と呼ばれ、 広まっていったことから生まれた記念日。
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2011年04月10日(日) ■ |
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津波が「第三の波」なのかもしれないな |
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久しぶりに、私の呟きである。 私が、愛読書として、時折、読み直している 書籍「第三の波」(アルビン・トフラー著」で、 「在宅勤務」の時代が訪れることを、予測している。 「The Third Wave(1980年)」を出版してから約30年。 それが、今、現実のものになろうとしている。 最近、ネットで見つけた記事だが、 「NTT在宅勤務支援、導入希望急増・・夏の停電で」。 これは、大きな産業革命へと繋がっていく予感がする。 郊外のゆったりとしたマイホームに住みながら、 パソコンを使い、在宅勤務を実現していく。 社員は、毎日の通勤ラッシュや、交通渋滞から解放され、 労働が家庭に移れば、エネルギーの必要量が減るばかりでなく、 エネルギーを分散させることにもなる。 今まで少数派だった生活形態が、計画停電をきっかけとして、 ぐっと現実味を帯びてきたとも言えないだろうか。 この震災によって、私たちの生活様式は一変しつつある。 それは、仕事中心の社会から、家庭中心の社会へ、と。 本当に、津波が「第三の波」なのかもしれないな。 神の与えた筋書きとは思いたくないが、 そのタイミングの良さに、私は驚きを隠せない。
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2011年04月09日(土) ■ |
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「開始」も突然ならば「打ち切り」も突然 |
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政府と東京電力が「計画停電」の打ち切りを発表した。 需要と供給のバランスを考えて・・らしいのだが、 「開始」も突然ならば「打ち切り」も突然で、 私は、一抹の不安を感じている。 需要のシュミレーションの中に、震災後、1ヶ月間、 まるまる「停電状態」だった、公共施設の夜間貸出し分が、 入っていないのではないか?と。 文化センター、公民館、体育館、ナイター施設等、 公共施設のほとんどが、節電協力で、夜間し出しを不可にしてきた。 しかし「計画停電打ち切り」の報を聞いて、 施設使用(開放)を求める国民(町民)が、公共施設に詰め寄る光景は、 簡単に想像できる。 それに自治体が対応した時点で、電力需要は急増すると思う。 特に、スポーツの分野は、人間のストレス発散方法の1つなので、 早く身体を動かしたい、練習をしたい、という人が溢れている。 来週は、この対応で追われることが容易にわかるからこそ、 計画停電打ち切りについては、慎重に発表して欲しい。 現場は、またまた混乱が始まりそうだから。
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2011年04月08日(金) ■ |
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「情け」を上手に受けると、お互いの気持ちが楽になる |
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ある講演で「情けは人の為ならず」の話が飛びだした。 もっとも誤って使われやすいことわざの一つ。 最近では、雑学やテレビのクイズでよく出題されるから 「情けをかけると、その人のためにならない」の意ではないことは 多くの人が知ってきた。 「情けを人にかけておけば、めぐりめぐって自分に良い報いが来る。 人に親切にしておけば、必ずよい報いがある」 意味として・知識としては、確かにそうだろうが、 「結局は自分ため」という打算が生まれてはいないだろうか。 さて、電車やバスに乗っていて、若者が席を譲ってくれたとしよう。 そんな時、そんな高齢ではないから、という意味なのか、 「いや、けっこうですよ」と断ったりしているシーンを見かけるが、 たとえ本人はそう思っていても、勇気を振り絞って声を掛けてくれた 若者の情けを上手に受けてあげられる大人が増えて欲しいと願う。 だって「情け」を上手に受けると、お互い気持ちが楽になるから。 「情けは情けのためにやる」・・講師がぼそっと呟いた。なるほどなぁ。
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2011年04月07日(木) ■ |
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相手を通して自分個人の目標を何か達成しよう |
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確かめてなく申し訳ないが、今流行の「ニーチェの言葉」らしい。 「夫婦」について語ったようだ。 「相手を通して自分個人の目標を何か達成しよう」 注釈も含めて、正確には、もう少し長い。(ようだ) 「どちらも相手を通して自分個人の目標を 何か達成しようとするような夫婦関係はうまくいく。 例えば妻が夫によって有名になろうとし、 夫が妻を通して愛されようとするよう場合である。」 自分の力で、目標を達成するのではなく、 相手を通して目標を達成していく・・という視点が新鮮だった。 2人とも自立をして、お互い励ましあいながら・・という形が、 夫婦の理想だと、今まで思っていたから。 もしかしたら、自分だけでも出来るのかもしれないが、 そこを敢えて「夫は、妻を通して、自分個人の目標を何か達成し、 妻は、夫を通して、自分個人の目標を何か達成する」。 この関係、距離感が「夫婦」と言うものを深めていくに違いない。 そうか、妻にも、教えてやろうっと。
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2011年04月06日(水) ■ |
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「だいじょうぶ」は「大丈夫」とは違う気がする |
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「東日本大震災救援チャリティコンサート ―やさしさをありがとう―」から。 高橋誠さんの世界の民族楽器演奏、 特に「インディアンフルート」の音色に心が癒された。 おかざわゆめこさんの「天使の着ぐるみ」の朗読、 これまた、温かくて、涙腺が緩み、言葉にならなかった。 最後は、AMAN瀬戸龍介さん&花世さん親子の歌。 特に、アンコール曲の「だいじょうぶのうた」は、 今でも耳に残って、私の心にしっかり刻まれた。 帰宅してから「だいじょうぶ」【大丈夫】の意味を調べてみたら、 「あぶなげがなく安心できるさま。強くてしっかりしているさま。 まちがいがなくて確かなさま。」 その瞬間、私の中に、違和感が広がった。 その時の気持ちを言葉にすると、 「『だいじょうぶ』と『大丈夫』は違う気がする」 音では同じ「ダイジョウブ」なんだけれど、彼らの歌から感じたのは、 たしかに平仮名の「だいじょうぶ」だった。 辞書に書かれているようには、はっきりと断定できないけれど、 「だいじょうぶだよ」と言われて、ホッとする感覚なのである。 今回の被災者に「もう、大丈夫だから」と言えないけれど 「もう、だいじょうぶだよ」とは言える気がする。 「そばにいるから安心していいよ」という意味なんだろうな、きっと。
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2011年04月05日(火) ■ |
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熟年夫婦が楽しめるまち |
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統一地方選挙が間近に迫り、候補者の公約を目にすることが増えた。 そのほとんどが「こどもや高齢者にやさしいまち」を掲げ、 「青少年健全育成」や「障害者支援」「安全安心」等が追随している。 それを悪いと言っているわけではない。 ただ、みんな同じようなことを目指していたら、 日本全国、同じようなまちが出来るんだなぁ・・と感じただけ。 例えば「(子育てが一段落した)熟年夫婦が楽しめるまち」なんて、 素敵だと思うのは、私たちがその世代だからだろうか。 「どちらか一方が50歳を超えていれば、夫婦割引」の映画館や 数や量はいらないから、ちょっとゆっくりできる小料理屋とか、 お昼に、妻が作ったお弁当を広げられる芝生公園・・など、 落ちついた感じのする「まちづくり」は、私の理想である。 多くの人が集い、賑やかな活気のあるまち、もいいけれど、 しっとりと静かなまち、に憧れる世代になったのかもしれないな。
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2011年04月04日(月) ■ |
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彼らも必死で熱をさげたいのです |
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ある方の日記から。タイトルは「原子炉を愛でつつむ」 「原発は人によって作られて、人のために、 なんと言われようと頑張ってきました。彼らにも意識があります。 愛と感謝の薔薇水でできた雪山を両手でそっとすくいあげ 原子炉を「ありがとう」とやさしく包みこみ 彼らが静かに冷えていくのを手伝ってあげましょう。 彼らも必死で熱をさげたいのです。 嫌って疎んでいたひとに愛をむけ、感謝でつながっていくときです」 こんな視点で、今回の原発問題を考えたことがなかった。 今までの便利な生活を支えてくれていた「原発」を、 今の私たちは「危険」と知った途端、邪魔者扱いをしてしまった。 もちろん、原発がなくても・・という考えはあるけれど、 それは、原発が静かに冷えて、熱を下げてからの話題にしたい。 今は、原発にも愛を・・与えるべきなのかもしれない。
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2011年04月03日(日) ■ |
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足りなかったら、またみんなで集めるから・・ |
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「とにかく、早く被災者に分けてくれ」 これは紛れもなく、義援金に協力した人たちの叫びである。 最近気になる、何億円集まった・・ばかりの報道記事、 実は、私たち、そんな情報を耳にしたいのではない。 「とりあえず、皆さんからいただいた義援金を 1人、または1世帯に、10万円ずつ分けました」 そんな、大雑把でいいから、被災者に分けたという情報を 耳にしたいと思う。 その思いの裏には、きっと 「足りなかったら、またみんなで集めるから・・」がある。 こんな私たちの心の叫びは、伝わらないのだろうか。 目的は、義援金を集めることではない、使うことである。 こんな時ばかり「公平感」などを主張しなくてもいいから、 とにかく、必要なものを必要な人へ届けて欲しい。 「あと、いくら足りません」の方が、募金に力が入るのは、 私だけではないだろう。 普段はあまり使いたくない「あとはなんとかするから・・」、 今回ばかりは、前向きに使いたい。
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2011年04月02日(土) ■ |
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かたつむりのあゆみのように |
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映画「食堂かたつむり」(富永まい監督)から。 心因性失声症になってしまった倫子役は、女優・柴咲コウさん。 作品の中でも、ほとんど台詞はない。 しかし、なぜだか、彼女の表情に、いろいろな声が聴こえた。 特に「おいしかった・・」と言われた時の、彼女の幸せそうな顔は、 手垢のついた「嬉しい」「幸せ」では表現できないほどだ。 静かな映画だが、観終わって、こちらも幸せな気分になれる作品。 気になる一言は、彼女が開いた「食堂かたつむり」の意味。 たぶん、ほんの少ししか画面には出ない、看板に書かれた文字。 「おっぱい村のめぐみを、かたつむりのあゆみのように ゆっくり時間をかけて、お届けしたいと思います。 ご希望をお聞かせください。」 1日1組のお客のために、どんな料理を作ったら幸せになるか、を じっくり考えながら、料理を作ると言う意味なのだろう。 この作品、女性が観たら、また違った感想なんだろうな、と思うが、 料理を作っている時の女性(妻)って、美しいな・・って感じたのは、 きっと私が男だからだろうな。 料理って、不思議な力があるな、と実感した作品である。
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2011年04月01日(金) ■ |
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大切なのは、焦らないこと |
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映画「めがね」(荻上直子監督)から。 主役は「もたいまさこさん」と勘違いしてしまうほど、 そのキャラクターといい、素敵な台詞が溢れていた。 その彼女が、何度も口にする「氷、ありますよ」や 「おはようございます、朝です。今日もいい天気ですよ」は 不思議と、何度耳にしても、飽きることがなかった。 さて、そんな中でも「かき氷」に使う「小豆」を、 じっくりじっくりと煮込むシーンがある。 それを興味津々に、眺めようとした、主人公・タエコに、 南の島のペースに戸惑っていることを察し、こう呟く。 「大切なのは、焦らないこと」 そして「焦らなければ、そのうちきっと・・」と続け、 じっくり煮込んだ小豆を、微笑みながら手渡す。 せっかく、この島に来たというのに、なぜか、 人間関係に疲れ、焦っているようにみえたのだろうか、 このアドバイスは、彼女にとって、素敵なプレゼントだったはず。 スローライフとは、ゆっくり生きることではなく、丁寧に生きること、 そう感じさせてくれた作品である。
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