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しもさんの「気になる一言」
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2003年05月31日(土)
素人は仕事が汚いよねぇ・・

なんとかコストダウンしたいから・・と新築中の家の壁を
自分たちで塗った人たちの話をテレビで見た。
塗れた壁も、その周りも、予想以上に汚れていた。
そんな様子を見て、施主本人が呟いた一言。
確かに、プロの職人はその仕事だけでなく、道具の手入れ、
まわりの片付けなどもしっかり整理され、きれいである。
さて、私たちはどうだろう?
脱げば脱ぎっぱなしのパジャマから始まり、
昼間は書類が所狭しと散らかっている机の上。
職人じゃないから・・を言い訳にして、やりたい放題である。
しかし、本当のプロはやりっ放しをしない・・
そんなことを感じながら、メモをした。
書き始めてやめた小説や、論文・エッセイの数々。
削除できずに、パソコンの中に溜まっている画像。
ハードディスクの中も、整理されていない。
毎日使い、生活とは切り離せなくなったパソコン(道具)も、
手入れなんてほとんどしていない。
明日は、時間をかけてパソコンを掃除しようかな・・と思う。
パソコンの素人、と呼ばれないためにも。



2003年05月30日(金)
クレヨン新茶

レイアウトを教えるには、実際に体験させたほうがいい、
そう思って「クレヨンしんちゃん」を題材に選び、
全体のバランスの話などをまじえて、切り貼り作業をさせた。
同じタイトルを、彼ら彼女なりの感性で割り付けた作品は
自分の頭の固さを実感させるものとなった。
今日の話題はその後。
授業を終え、ホッとしたところへ一人の生徒がやって来て
「先生・・『クレヨンしんちゃん』の文字を切っていたらね。
『ん』を無くしたら、お茶の名前になったよ」と言った。
わざわざ教えに来てくれただけでも、嬉しかったが、
その発想に大笑いした。
「ホントだぁ・・凄いことに気がついたなぁ」と褒めながら。
子ども向きのお茶があったら、
ネーミングは「クレヨンしんちゃ(新茶)」に決まりだな、
と、微笑みながらメモをした。
私の頭の中では、CMが構成され・・
あの独特の口調で「いい味出してるねぇ、みさえ」という台詞まで
浮かんできたから、
ひとつのことをきっかけに、作品はどんどん膨らんでいくことを
ただ今、実感中。



2003年05月29日(木)
「説明してから資料」より「資料を渡してから説明」

先日に続き、地元の中学一年生に
「新聞の書き方」のヒントを、教壇に立ち話すことになった。
今日は、朝から4クラス続けて・・という私にとっては
未知の体験、離れ業である。
そんな私の「中学校教諭もどき体験」を教室の中で見ていただき、
授業後、感想を求めたら「早口だったね」と指摘された。
「うん、自分でも感じていたけれど・・あれも教えたい、
これも伝えたい、と思うと、つい早口になってしまって・・」と
初体験の言い訳をしてしまった、とほほ。
「どうしたら、早口にならなくてすむのかなぁ」と聞き返すと
「何でもかんでも教えようとしないことだよ」と教えてくれたし、
「子ども達に、考える時間を与える余裕が欲しいね」と
アドバイスをもらった。
「新聞というのは、こういうレイアウトが基本です」と説明し、
それから子ども達に資料を渡していたけれど、
資料を渡して、子ども達に一度考えさせる。
それから、おもむろに説明するパターンの方が、いいらしい。
そうとは知らず、教えたいことを機関銃のように話してしまい、
子ども達はさぞかし、面食らったことだと思う。
板書の下手な字を眺めては凹み、
用意した資料はほとんど役に立たず落ち込み、
クラスごとに違う生徒達の反応に一喜一憂しながら、
私の「中学校教諭もどき体験」は終わった。
「話すのが苦手だから、文章を書いているんだ」という言い訳は
二度と使わないようにしたいな、と今回の体験で思った。
月並みな言葉だけれど、この機会を与えてくれた方々に感謝したい。




2003年05月28日(水)
情報が多いから、歴史が小さくしか動かない

ラジオから流れてきたコメントであった。
昔は、もちろんインターネットなんてなかったから、
情報はとても貴重で手に入りにくかった。
だからこそ、歴史は大きく動くことができた、とも言える。
しかし、今は世界の情報も、瞬時にわかってしまう。
(そのデータが、正確かどうかは別として・・)
その分、大きな動きになる前に、対応策が考えられてしまう。
すなわち、歴史の教科書に載るような事件は起きにくい。
なるほど・・と感じメモをした。
1192年−鎌倉幕府、1467年−応仁の乱・・・
こんな時代が大きく変わることは、今の日本にはあり得ない。
首都圏移転などの問題も、情報が多すぎてなかなか決まらない、
そんな気がしてならない。
判断材料が多ければ多いほど、迷ってしまうから。
結婚しない男女が増えている、就職しない若者が増えている・・、
これって、結婚や就職に関する情報が溢れているから、と
考えられないだろうか?



2003年05月27日(火)
時間を意識した話し方を覚えたい。

今、地元の中学一年生に「新聞の作り方」という内容で
50分授業を任されて、教壇に立っている。
嬉しさと緊張で、昨晩は珍しく熟睡できなかった。
自分の中では、あれもこれも教えたい・・と欲張り、
なんだか、まとまりのないプログラムになってしまった。
簡単なことを難しく説明するのは、割りあい容易だけれど、
難しいことを簡単に説明するのは、容易ではないことも、
教壇にたって、初めてわかった。
板書も自信があったのに、実際は字が躍っているし、
予定していたプログラムも、2/3程度しか進まなかった。
だから、正直けっこう凹んだ、とほほ。
ただ、本当にいい経験をさせていただいている、と思う。
小さい頃の憧れの職業だった先生、という仕事。
たった50分の授業×5クラスだけど、その大変さを体験できた。
まだまだ話したりないのに、非情にも鳴る、終礼のチャイム。
うまく伝わっただろうか? そんなことを思いながら、
次回は・・・と心に秘めた私の想いを、気になる一言にしてみた。
先生って仕事、
楽しいけれど大変ではなく、大変だけれど楽しい。
これが、私の素直な気持ちかな。



2003年05月26日(月)
自分の活躍できる場所は、川か海か

1998年、40歳にしてプロ・デビューした
ジャズシンガー・綾戸智絵さん。現在、45歳。
波乱万丈な人生を送ってきた彼女が、自分の人生を振り返り
呟いた台詞が、気になる一言。
低音のハスキーボイス、彼女は普通の音楽の世界では輝かなかった。
しかし、ジャズと言う自由な音楽のジャンルで、ブレイクした。
そんな状況を、彼女は、この一言で片付けた。説得力があった。
たぶん、私の解釈も付け加えると、こうなる。
淡水魚なのに、海で泳ごうとしている魚。
逆に海水魚なのに、一所懸命、川で暮らそうとしている魚。
同じ「魚」という分類であるが、本当は全然違う生き物である。
人間はそれに気付かず、アップアップしているのではないか。
自分は、どちらのタイプの魚なのか、しっかり知る必要がある。
身体も心も苦しくない、安心して生きることが出来る環境を
自分なりに確保してから、じっくり生きていけばいい。
だからこそ、彼女は、
ジャズ=薄暗い閉鎖的なジャズ・クラブの音楽というイメージを、
底抜けに明るく楽しい音楽に塗り替えることができた、と思う。
まずは、自分の活躍の場探し。これから始めたい。



2003年05月25日(日)
俺、この時間帯、好きだなぁ・・

私に野球観戦の魅力を教えてくれた友人の呟きが、今日の一言。
試合のある日は、午後6時試合開始にも関わらず、
4時頃には球場に入る。(外で安いお弁当を買って・・)
特に、ジャイアンツがビジターとなる
「横浜スタジアム」は、清原や江藤などの打撃練習がみられる。
(東京ドームでは、ホームチームなので練習が終わっている)
時には、主力選手のスタンドに打ち込まれる打球に気を付けながら、
そして、時には、外野でストレッチなどをしている選手を見ながら、
買ってきたばかりの弁当を、一気に食べる。
そんなわずかな?時間であるが、試合とは違った雰囲気を醸し出す、
私も好きな時間帯である。
その後、応援ユニフォームに着替えたり、トイレを済ませたり、
慌ただしい時間帯が待っているのも事実。
だからこそ、この時間帯が輝いてみえるのかもしれない。
それは、別に遊びでなくてもいい。
仕事でも、家庭でも、どんな場面でも
自分の好きな時間帯がある人は、誇りを持って欲しい。
まったりした時間、ドキドキする時間、人によって違う好きな時間帯。
昼食後の、縁側でうたた寝するあの瞬間。いや、あの時間帯。
もう一つの私の好きな時間帯である。



2003年05月24日(土)
清原さんですよね、サインいただけますか?

うっ・・マジな顔して声を掛けられてしまった。
中国からの留学生なのだろう、真剣なまなざしで・・・。
場所は、横浜スタジアム近くの「月」という飲み屋。
私は、勝った勢いで、いつものように「KIYOHARA」の文字が
背中に入ったユニフォームを着たまま、祝杯をあげるため
横浜・関内の街に繰り出した。
(ちなみに友人は「TAKAHASHI」である)
私達の格好を見て「今日、ジャイアンツは勝ちました?」と
気軽に声を掛けてくる若者たちがいて、ちょっぴり嬉しかった。
返事は「もちろん、勝ったよ」だったから。
ところが、冒頭の彼女は、私の応援用のユニフォームを見て
本物の清原選手が、ユニフォームを着たまま、飲みに来たのだと
勘違いしたのだろう・・紙と鉛筆を私に差し出した。
そのまま、冗句で片付けようと思ったけれど、
あまりに信じ込んでいる様子なので、事情を説明して誤った。
「ごめんね、本物の清原じゃないんだ・・、
これを着て、清原選手を応援しているんだよ」と。
本当に、がっかりした顔をしたので、私のほうが辛くなって・・
手首にしていた清原背番号5のリストバンドを彼女にプレゼントした。
その間、一緒に行った友達夫婦は大笑い。(勿論、私も照れ笑い)
こんな、フェミニンな清原選手じゃ申し訳ないものね、ははは。
そういえば、その友達が帰りがけに面白いことを言った。
「清原は、ユニフォームを着たまま、飲みには行きません」。
笑えるけれど、楽しい体験だった気がする。



2003年05月23日(金)
公共広場の花だから、誰がもっていってもいいでしょ

全国のあちこちで「花泥棒が相次いでいる」。
静岡県は特に「花博覧会」を来年に控え、
県民総出で花壇作りに力を注いでいるが
やはり常識はずれの人たちが存在する。
わざわざ持参したハサミでチューリップを切って持ち帰る。
そんな女性に注意したら、
反論された台詞が新聞に掲載されていので、取り上げた。
昔から「花を愛する人に悪い人はいない」と教わってきたし
私も教えてきた。
しかし、こんな光景を見て、こんな台詞を言い返す人がいるとしたら
もうその台詞は、使わないほうがいい。
真剣にそう思う。
盗んでいった花を、どんな気持ちで植えるのか、
そして、本当に「公共のものだから・・」と考えているのか、
知りたくなった。
まさか花壇の中に「花を持って行かないで下さい」という看板を
立てるわけにも行かないだろう。(見たことはあるけれど)
「公共のものだから、大切に育てないとね」
視点は、間違いなくこちらだと思うのであるが・・



2003年05月22日(木)
玉手箱を開けなかったら・・と考えてみる

イラクの男性が、フセイン政権に追われ、
自宅の穴蔵に21年間隠れていた、という記事を見て
21年ぶりに見た世界は、どう映ったのだろうか?と気になった。
その間、本当に現実を見たいと思わなかったのか、
太陽が、そして愛する人々が待っている世界に戻りたくなかったのか、
私の想像では追いつかない、疑問が残っている。
彼の人生だから、私がどうこう言う権利はないけれど、
48歳になった彼が、これからイラクの社会で生きていくのは、
とても大変なことのように思う。
そんなことを思いながら、私の頭に浮かんだのは、浦島太郎だった。
彼は母恋しさに、楽しかった竜宮城から、現実の世界に戻ったが、
周りに知っている人はいない、自分の墓などを見つけた、
そんな現実をまのあたりにして絶望する。
そして「困ったとき以外は、開けてはいけません」と渡された
玉手箱を開けて、たちまち300歳になってしまう浦島太郎。
本当に「玉手箱を開ける必要があったのか」と考えたこともあった。
(開けてはいけません、と渡す乙姫様も乙姫様だけど・・)
もし、玉手箱を開けなかったら、
彼の人生はどうなっているのだろう・・と考えてみるとおもしろい。
イラクの彼が、これからどんな人生を送っていくのか、
私の関心ごとのひとつとなった。



2003年05月21日(水)
どうしたら、感動してもらえるか

サービスの原点は「相手の立場に立つこと」。
よく企業の社訓などにも見られる言葉である。
私たち行政がが良く使うフレーズは「生活者の視点で考える」。
どちらも、あまりに当たり前のことなのに、誰も疑問を持たない。
それは、原点であり、それ以上のサービスがあるはずだから・・。
それでは「最高のサービス」とは何か?を知りたくなったので、
いろいろ読み漁ったが、なかなかピンと来る言葉が見つからなかった。
今現在、私なりの考えは
「感動」してもらえる場面を提供していくこと、かな?と感じている。
そのためには、より積極的に、相手のことを知り、
どんなことに相手が感動するのか、を考えて行動するしかない。
その心遣い・思いやりに、相手は感動するはずだから。
こんなことまで、私のことを考えていてくれたのか・・という
気持ちが、ちっちゃな「感動」に繋がっていく、と私は思う。
この「感動」の繰り返し、積み重ねが、大きな感動に膨らんでいく。
最初から、大きな感動は与えられないけれど、
ほんの小さな感動なら、与えられるかもしれない。
相手の喜ぶ顔を想像すればいいのだから・・。



2003年05月20日(火)
手紙と便紙、国による意味の違い。

最近、一度早く寝て、深夜に起きるパターンが続いている。
そんな深夜番組で見た話題である。
今、SARSで揺れている中国では、
レターのことを「便紙」、トイレットペーパーを「手紙」というらしい。
寝ぼけまなこで見ていたから、うる覚えだけれど、
確かにそんなことを言い、私は携帯のメモ機能に打ち込んだ。
日本と逆?
(トイレットペーパーのことを「ちり紙」とは言ったけれど)
まさかね・・思いながら、訳の面白さに触れた気がする。
そういえば、朝のラジオで、
日本人が英語をなかなか話せない理由として
外国語は通訳を通して理解する、といった時代が長く続いたから、
と、説明していた。
要は外国語に対して「他人任せ」が身についていると言うのだ。
どこでどう間違って、誰の訳で
「手紙が便紙」「便紙が手紙」と訳されたのだろうか。
くだらないけれど、私にとっては、とても興味深い。
映画のタイトル訳なども、同じことがいえそうだから、
日本語訳と原作タイトルを比べてみると面白いに違いない。
これからも、この話題、ホント?と思いたくなるようなことも、
時々取り上げたい、と思う。
飲んだ時のひとつの話題として、記憶に留めて置いて欲しい。
「手紙・トイレットペーパー・中国」などのキーワードが
会話に出てきたら、このネタを使うチャンスである。
まぁ、私の場合、わざわざその話題に持っていくでしょ!
と言われそうだけれど・・。
言葉の楽しさを味わって欲しいと思う。



2003年05月19日(月)
頑張るのは素人、プロは出来て当たり前

情報源はテレビドラマ。
しかし、偶然回したチャンネルだったので、それ以外わからない。
この言葉だけが印象に残り、慌ててメモした。
今まで、何度となく、いろいろな人の考え方・生き方で励まされ、
仕事に対して「よ〜し、頑張るぞ〜」と思ったことか。
それを全面的に否定された台詞だから、余計にインパクトがあった。
仕事を与えられ、金銭と言う対価をいただき、頑張ろう、というのは
失礼なことなのかもしれない。
頑張るのは当然であり、公務員のプロとしては、そんな泣き言を言わず
黙って出来るよう努力する。
そして、いかにも出来るのが当然、何でも聞いてください、
という態度で住民に接するのが、プロの公務員なのだろう。
現実は、突然の異動で、今までの経験がまったく活かされない課へ
配属されることもあり、簡単にはいかないけれど、
出来るだけ早く「新人なので・・」「今年、異動してきたので・・」を
言い訳にしない公務員になりたいと思う。
(思うだけなら、サルでも出来る・・・なんて苛めないで下さいね)
仕事だけではなく、その道のプロ、と言うのは「出来て当たり前」。
覚えておきたいフレーズである。



2003年05月18日(日)
みなさんは、右から・・

6月29日、あのNHKのラジオ体操が、わが町にやってくる。
そのため、今から「ラジオ体操指導者」の育成が必要となった。
そこで、今日は一日かけて、特訓である。(私は取材だけど・・)
当日、指導者は参加者の前に立ち、お手本を示すことになる。
と、言うことは、今まで私たちが覚えていた動きと逆。
ところが人間の面白いところが顔を出した。
何年もやってないラジオ体操なのに、自然と左から・・
身体が動いてしまう、とほほ。
そこで、講師の先生が一言。なるほどと思ったから、メモをした。
なにも考えず、音楽に合わせると左から始めてしまう。
だから「右から」「右から」と意識する。
この「意識すること」がとても大切であるような気がしてきた。
今まで通り・・が一番楽だし、誰も不思議に思わない。
しかし、何も疑問を持たずに生活していることを洗い出してみよう。
例えば、性別。こんなことは誰も疑問に持たないけれど、
「俺は男」「私は女」と意識して生活してみるといい。
きっと、新しい発見があるはずだから。
私も「父親」「夫」「息子」そんな役割も意識してみたい。



2003年05月17日(土)
老若男女のあったかコンサート、私から拍手。

3歳の幼児から80代の男性まで、
自分のレベルで精一杯演奏した約80人の演奏会が
わが町の公民館で開催された。
約5時間に及ぶ、俗に言うマラソンコンサート。
プロ級の腕前から、片手で鍵盤を叩く人まで、
ピアノ演奏から、ギター、フルート、オカリナ、横笛まで、
そしてGパン姿から、タキシードの男性、ロングドレスの女性まで、
それぞれの想いで、演奏された。
特筆すべきは、最後まで観客が多かったことであろう。
演奏者でも、その身内でもない人たちが、素人の演奏に
拍手で応援している姿は、私の胸を熱くした。
通常、こういった演奏会は、自分の演奏が終われば帰ってしまう。
だから、観客はほとんどいない、という光景を見かけるのだが、
わが町のコンサートは違った。嬉しかった。
親子のほのぼの連弾に拍手、友達同士のリコーダー合奏に拍手。
楽譜を忘れてしまった高齢者には、頑張れ〜の拍手。
とっても温かい拍手に包まれたコンサートだった。
スポーツとは違う、記録・勝敗にこだわらない音楽の分野。
記憶に留めたかったので、私の感想が、今日の気になる一言。
来年は、ちょっとだけ、頑張れ〜の拍手を受けたくなった。



2003年05月16日(金)
選手は将棋の駒じゃない

なぜ河原投手を使うのか?の問いに、答えた原監督のコメント。
よく監督は、選手と言う駒をどう動かすか・・という表現をするが
それは違う、と彼は以前から話していた。
確かに将棋の駒は、その駒に与えられた力を確実に発揮する。
だから、与えられた戦力でどう戦うのか・・将棋に例えられる。
しかし、選手は人間だから、実力より力が出ない時もあるし、
実力以上の力を発揮することもある。
監督の仕事は、その選手の実力以上の力を出せるような環境作り、
と彼は考えているに違いない、と感じさせてくれる試合が多い。
それでなければ、何度も何度も救援に失敗し、
ファンにも頼りにされず、本人もベンチで悔し涙を流す河原投手を
今度こそ・・とマウンドに送り続けることは出来ないからだ。
さらに、主力選手を欠いたとき、
将棋で言えば「歩」や「香」「桂馬」のような選手を「ト金」に
する術も、心得ている。
そして、彼らは実力以上の力を発揮して、勝利を手にしている。
ははは・・そう考えたら、しっかり将棋の駒として采配している。
言い換えるなら「選手はチェスの駒じゃない」が正しかったかな?
そういえば、今年は、監督采配がとても気になる試合が多い。
私なら、こうするな・・と試合を眺めながら、
全体の流れの中で、試合を観戦できるようになった気がする。



2003年05月15日(木)
名実とも埼タマちゃんに

朝日新聞の地方記事で見つけた見出しだけれど、思わず笑った。
ただ、まだこんなことやっているのか・・という嘲笑である。
タマちゃん(らしき)アゴヒゲアザラシが、
横浜から埼玉へ移動したのは、ニュースで知っていた。
以前、横浜市西区で住民登録をした時、軽いジョークとして受け流した。
ははは、うまい話題づくりだなぁ、
日本も平和だなぁ・・などと思いながら。
しかし、今回は埼玉県朝霞市長が「住民票異動を交渉する」
という記事を見た時、呆れてものが言えなくなった。
「タマちゃん連絡会議(仮称)」なるものを発足させ、
タマちゃんの受け入れ態勢などを考えることにするらしい。
何のためにそんなことをするのか、私には理解できない。
そんなに埼玉県朝霞市役所は暇なのか・・そう思いたくなる。
また、他へ異動したら「住民票異動処理」をするというのだろうか?
その為に使う労力をほかの事にまわせばいいのに・・と真剣に思う。
地方公務員全体がバカにされる気がしてならないから、
そろそろ公務をお遊びに使うのはやめて欲しい。
タマちゃんを住民にするメリット・デメリットを考えての事なのか、
単なる話題性なのか、見極めたほうがいい時期に来ている。
「名実ともに、ダサいタマちゃん」と言われないためにも。
どうせやるなら、最後まで面倒を見て、
是非、埋葬許可まで出して欲しい、と皮肉を言ってみたくなった。



2003年05月14日(水)
客の気に入った器が、その人にとって名作なんだ

読みきれる自信がないけれど・・
「秘花」(連城三紀彦著・527頁)を読み出した。
その中に、陶芸教室の先生が生徒の作品と一緒のスペースに展示。
値段にも大差を付けず、一見しただけではわからない並べ方をする
シーンが出てくる。
生徒のそんなことしなくても・・と気を使う雰囲気を察して
先生が一言呟いた台詞が、気になる一言。
「名前なんか焼き物には関係ない」と言い切ったシーンである。
これは「陶芸」というジャンルに限った話ではないと思う。
どんな素人の絵画、どんな無名の人の書でも、
気に入って飾っておきたいと、心が動けばその人にとって名作、
そんな気がする。
あの人が描いたから名作、ではなく、私の心が感動したから名作。
そう解釈してみると、美術館めぐりも楽しくなる。
もしかしたら文章の分野でも同じことが言えるかもしれない。
書いた本人でさえ忘れているような文章を、
私は大切に保存しています・・というメールをいただいた事がある。
正直嬉しかった。こんな素人のコラムを覚えていてくれるなんて・・。
だから、この一言が私のアンテナに引っかかったのかもしれない。



2003年05月13日(火)
嫌いなものが合う相手を選べ

深夜番組を見ていたら「軟派のすすめ」を話していた。
ゲストは、直木賞作家、藤田宣永氏(妻が小池真理子さん)。
秘訣は三つ。
肉食動物になれ、釣った魚にも餌をあげる・・など、
ちょっぴり説明しなければならない項目もあったが、
わかりやすかった秘訣を、今日の一言にした。
「好きなものが合う相手」より「嫌いなものが合う相手」。
この方が結びつきが強く、意気投合するからだと言う。
たしかに「ジャイアンツファン」より「アンチ・ジャイアンツ」。
「椎茸大好き」より「椎茸大嫌い」。
同じ職場でも「あの人感じがいい」より「あの人はイヤ」。
そうか・・と思い当たるケースは溢れているはずだ。
だから、コンパをしていて相手を選ぶときは、
この点に注意すれば間違いが少ないし、仲良くなれるということだ。
これは使える・・と思わずメモをした。
(ところで、いまさら軟派の秘訣、を知ってどうするんだ・・
という質問は受け付けません。あしからず)
この傾向、二人だけに限らず、組織として動く場合も同じ事が言える。
飲み屋で聞こえてくる話も、褒める言葉より愚痴・不満、
世界戦争でも、嫌いな人物、嫌いな国が一致した結果、連合軍を組む。
一度、この視点で生活を振り返ってみてはどうだろうか?
なるほど・・と気付くはずである。



2003年05月12日(月)
禁煙って「No smoking」?「non-smoking」?

土曜日は京都日帰り観光、最終の新幹線で西から帰宅。
日曜日は、東京ドーム野球観戦、最終の新幹線で東から帰宅。
まさしく「東奔西走」状態。(仕事でなく、遊びだけれど)
ところで、メモ魔らしい私の発見。
京都三十三間堂境内「禁煙」の英訳は「No smoking」
ドーム帰りの新幹線で見た「禁煙」の英訳は「non-smoking」
私の疑問は、ますます広がってしまった、とほほ。
ちなみに京都で見つけた「撮影禁止」は「No Photo」、
「出入禁止」は「No Exit」、「土足厳禁」は「No Shoes」。
(恥ずかしくて今更聞けないけれど・・違いを教えて)
ただし、京都では外国人の観光客が多いためか、ほとんど
英文が掲示されているから、意外と「英語の勉強」が出来る。
先に、英語の説明を見て、それから日本語の説明を見る。
自分の考えた訳と、少し似ていると嬉しかったりして・・。
そんな新しい京都の楽しみ方を覚えた気がする。
また京都や東京には、行政が作った規制看板が少なかった。
「ごみのポイ捨てはやめましょう」「交通ルールを守りましょう」・・
田舎に行けばいくほど、そんな啓発看板が増えるのだろうか。
どちらも人が溢れているのに、景色を充分楽しめた気がするのは、
そうした警告・注意を促す看板が少ないからだろう。
「単語2つ」程度でわかる工夫をしているのかもしれない。
まちづくりの参考にしたい、とメモをした。



2003年05月11日(日)
お金を払えばいいってもんじゃない

いつもの東京ドーム、ライト外野指定。
今日は、いくつかの理由で応援に身が入らなかった、とほほ。
今年から、外野も全部指定になったのはいいけれど、
ある一角、旅行会社が押さえているんだろうな、約100席分。
試合が始まっても、しばらく空席。
ポッカリ空いた外野の空席の為、応援がまとまらない。
みんなのイライラが募る中、訪れたのは、
徳島から来たという小学生の修学旅行の子ども達。
さらに見始めたと思ったら、お弁当を食べはじめ、
約一時間ほどで、ドームを後にした。
当然その後、その一体だけは、青いシートがポッカリ浮かび、
なんとも言えない後味の悪さを残した。
勿論、彼らのせいではない。
ドーム独特の雰囲気を持つ外野指定を用意した旅行会社が悪い、
その雰囲気だけを体験させようとした先生が悪い、と思う。
「お金を払っているんだから、何しようと勝手でしょ?」という
論理に対抗して、
そして見るだけなら、内野指定にして・・という願いを込めて、
今回はあえて、この言葉を記録に残したい。
さらに、追い打ちをかけるように外野席の立ち見席では、
若い人たちが警備員と揉めていた。
いや、むしろ大騒ぎをして、応援を邪魔しているだけにも見える。
何度も何度も、彼らに注意を促す大きな声に振り返ることになり、
集中して試合を見ることが出来なかったのも事実。
外野の応援団が、足の引っ張り合いをしているようでは、
今年の優勝は難しいなぁ・・と、初めて弱気になった試合であった。



2003年05月10日(土)
たぶん、バスガイドより勉強してますよ。

わざわざGWを外して出掛けたはずの京都。
(GWは東京ドーム三昧だったので、罪滅ぼしでしょ?の声有り)
古都は、全国の中学生で溢れかえっていた。
(GW後の京都は、修学旅行シーズン、と覚えておきたい)
特に、今回は中型タクシーで観光めぐり、という光景を
市内のあちこちで目にした。
修学旅行も変わったなぁ・・と思いながらも、
道が狭い京都では、この方が便利だということも、理解できた。
しかし不思議な光景は、まだまだ続く。
学校の先生同士が、気楽に神社めぐりをしているシーン。
生徒達も自由、先生も自由。緊急の時は、携帯で連絡する。
そんな仕組みになっているんですよ、と
我々が乗ったタクシー運転手が、そっと教えてくれた。
だから、京都での生徒のおもりは、
こちらですよ〜と小旗を持った観光バスのガイドでもなければ、
すり切れたようなスーツを着た付き添いの先生でもない、
何を隠そう、京都のタクシー運転手なのである。
そういえば、タクシーの帽子をかぶったおじさん達が、
名所旧跡で、4〜5人の生徒達にガイドしている場面に
何度か出くわした。
さらに「お土産買ったか?」「トイレ行ってきたか?」と声を掛け
本来の先生の役までこなしていたっけ。
そんな雑役を、楽しそうに話してくれたタクシー運転手の一言。
彼らが、一番京都を知り尽くしているし、一番愛していることを
実感して、日帰り京都を終えた。(疲れたぁ・・)



2003年05月09日(金)
ところで・・・あなたは・・・。

30年間、続いてきた「詩とメルヘン」が休刊する。
そして、その最終号が今日、私の手元に届いた。
慌ただしい生活の中で、月に一度の私の楽しみであったのに、
とうとうこの日を迎えてしまった。
「編集前記」と題する、やなせたかしさんからのメッセージ。
「私は、今、こんな思いです・・」を、彼なりの活字で綴り、
最後に「ところで・・・あなたは・・・。」と締めくくる。
そんな20行足らずの文に、何度励まされたことか・・。
そこで、なんとか「気になる一言」に、足跡を残したくて、
このワンフレーズを選んでしまった。
自分の意見を主張せず、他人の意見に対して、愚痴ばかり。
そんな社会の中で、まずは自分の意見や自分の様子を語り、
そして、最後に「ところで・・・あなたは・・・」と
尋ねるワンパターンの纏め方も、
長年続けると、看板フレーズとなることを教えてもらった。
しかし・・・
なんとかこのフレーズを残したい、と思う。
私の「気になる一言」でも、時々、登場させようかな・・。
「長年続けた愛読書が休刊になり、とてもセンチになっています。
ところで、あなたは?」という使い方で。



2003年05月08日(木)
「2次感染」するくらいの文を書きたいですね

広報の基礎研修の講師が、呟いた台詞である。
確か「読ませる文章のまとめかた」の章だったと思う。
文章の上手い、下手ではなく、
読者が暫く覚えていてくれる記事を書きたいものですね、と
彼は説明してくれた。
そして、出来ることなら
「読者が、家族や恋人達に、読んだ内容を伝えてくれるくらいの
内容を目指したい」と。
「病気の2次感染」は御免だけれど
「言葉の2次感染」は私達、書き手にとってこんな嬉しいことはない。
逆に、読みやすくリズミカルな文章は、す〜っと入るけれど
すぐに忘れてしまう。だから、2次感染は期待できない。
やはり、インパクトのある言葉を丁寧に選び、
「そういえば、面白い話を聞いたよ」と伝えてもらえるような文章に
憧れる。
気がついたら、私がしていることも「言葉の2次感染」。
もっともっと、素敵な言葉、勇気が出る言葉などに触れながら、
全国に、いや全世界に蔓延させたいと思う。
私の生きた証として。



2003年05月07日(水)
「悩」は「心を箱にツメ」と書く

たぶん、誰かのホームページで見つけた台詞だった。
(またまた情報源が不明。
携帯電話のメモ機能に書き出されていたところから推察すると
システム手帳が手元になかったらしい、すみません)
今までも何度か、漢字の面白さに触れてきたが、今回もそのひとつ。
いつもは「忙しくて悩んでいる暇もない」とぼやいている私であるが、
この台詞は、なぜか心のアンテナに引っかかって離れなかった。
「悩」という字。
字の形からして、悩んでいる雰囲気を持っているが、
「悩む」を辞書で引いてみると
(1)結論が出せなくて苦しむ。思いわずらう。
(2)肉体的な苦痛で苦しむ。病む。
(3)動作の進行がうまくいかなくて苦しむ。
などの意味がある。
また、「やくさむ」とも読み
「病気になる。わずらう」の意味があるという。
悩むことは、病気になるのと同じ事なのかも知れない。
言い換えれば「心を箱にツメるから、悩むことになる」
逆に考えれば、何事もうまくいかなくて苦しくても、
心を箱にツメない努力と工夫をしたい。
そうすれば「悩」まないですみそうだから・・。
とにかくも自分の枠(ハコ)で解決しようとせず、誰かに相談したり、
何でも話せる人を探して、最後のフタをしないようにする。
そんなことが、悩まない方法なのかもしれない。



2003年05月06日(火)
女性と言えば、赤・・という視点はおかしくない?

久しぶりに新聞をゆっくり眺めていたら「性同一性障害」の話題で
もちきりだった。
上川あやさんの世田谷区議当選
(戸籍上「男」が、女性として立候補して当選した、統一地方選挙)
がきっかけで、この話題がブレイクしている気がしている。
(「流行」・・で片付けているわけではないけれど・・)
全国で、自分の性の悩みを公表し、活動する人が増えてきたらしい。
個人的には「男女共同参画社会」より、理解しやすい。
極論をいえば「男らしさ」「女らしさ」をもっともっと強調し、
その上で、自分にあった「性別」を選択すればいいのに・・と思う。
それこそ「自分らしさ」を認める大きな動きである気がしてならない。
ただ、気になったのは、上川さんが登場するニュース、新聞が
カラーのためか、赤をはじめとした原色のスカートスーツが多いこと。
理由は、本当の女性だって、そんな服、なかなか着ないだろう、と
感じたから。もっともっと自然であるべきなのに、が私の感想。
「女性らしさ」の象徴が「赤」であるならば、
その視点はおかしい、と思うし、スカートである必要もない。
少なくとも私の周りの女性は、華美な服装はしていないし、
仕事だからパンツスタイルの方が動きやすい、と考えている。
(間違っていたら・・ごめん)
もう暫く、彼女の服装に注目してみようと思う。
その上で、彼女の「男女共同参画」についての意見を聞いてみたい。



2003年05月05日(月)
伊豆のライバルは、首都圏の複合施設

日本全国の地方で、テーマパークが次々と閉園している中、
都内だけは、六本木ヒルズ、水道橋のLaQua(ラクーア)と
どんどん新しい施設が出来ている。
それは、ひとつの街といってもいいほどの規模。
「東京都心の真ん中に美しい都市公園を内包した
エンタテインメント型融合商業施設」と表現されていたが、
それは、本当に凄いパワーを秘めていることを実感した。
今までGWは、空いているを理由に、首都圏に遊びに出かけていたが
今年ほど、混雑を感じた年はなかった。
どこへ行っても、混んでいたからである。
それは、わざわざ遠くへ行かなくても、近くにこんないい場所がある、
旅費に使う予定の資金を、ちょっと贅沢な気分を味わえるものに回す、
そんな首都圏民の心のうちが聞こえてきそうだった。
3日間も首都圏で遊んでいた私だから、情報不足だけれど、
今年も伊豆は、ものすごく混んだ・・という話も聞いていない。
真剣に考えないと、伊豆には観光客が来なくなる可能性さえある。
政府の動きとは反対に、地方の時代は、なかなか進まないな、
と、パスネット片手に地下鉄を乗り回す私が感じたことが今日の一言。
出来たら、国民体育大会も、施設の整っている首都圏でやってくれ、と
思わずにいられなかった。
地方は、そんなことだけでも大変な仕事なんだ、と
久しぶりのボヤキも含めたGW顛末記である。



2003年05月04日(日)
電車の中で、スッピンから華麗に変身

このGW、横浜の友達の家に居候?して、東京ドームへ向かっている。
昨晩のサヨナラ勝ちの余韻を残し、よし今日も勝って連勝だ、と
意気込んで電車に乗り込んだまではよかった。
そこへ、私の座席のちょうど対面に、若い女性が座った。
何気なく・・本当に何気なく目のやり場に困っていたら、
彼女は、大きなバックから、化粧道具を取り出して、
私達の目の前で、化粧(メイク、と言うらしい。とほほ)を始めた。
蒸し暑かったから、油とり紙でも出すのかと思っていたら、
しっかり大きな鏡を出して、スッピンの状態から、メイクを。
まつげをカールするやつとか、大きな筆みたいな道具を出して、
およそ30分、瞬く間に「さっきの女性と同じ人ですか?」と
聞きたくなるほど変身してしまった。
とにかく、あっけに取られている隙の出来事だった。
この女性が異常なんだと周りを眺めたら、同じ車両になんとあと2人。
これには参った。
試合後(勝った場合に限りだけれど)ユニフォームを着たまま
地下鉄に乗り、横浜まで戻る私達と、50歩100歩なのかな?。
(どひゃ・・、あいたたたたた・・・)
しかし、あまりの変身ぶりに開いた口が閉じられなかった。
大勢の人前で、化粧をするのって、なんだかおかしくないですか?
恥ずかしくないですか?
そう尋ねている私は、なんだか流行に乗り遅れている気がしている。
「世の中、変わったものだ」で片付けていいものだろうか?

PS.
打撃練習中のボールが、ワンクッションして、私の胸に直撃。
試合前、お寿司を頬ばっていた私にとっては、大きな事件であった。
醤油やお茶も一緒に飛び散った。
(周りの人に迷惑をかけなかったかなぁ、とそれだけが気がかり)
厚い胸板だからよかったけれど、顔とかメガネだったら大変なことでした。
でも、土産話ができた、と本人はいたって元気だから、ご心配なく。
さて・・「連休前の憂鬱な気分を一掃し、3連勝だ」



2003年05月03日(土)
原々ドキドキ

連休ドーム3連戦の初戦に相応しい言葉を・・と考えていたら
試合後、こんなフレーズが携帯メールに入ってきた。
試合前は、テレビ中継が始まる前に球場からの生情報が知りたい
マニアックな「今日の先発は誰?」の問合せメール。
試合が始まるとアンチジャイアンツの皆様方(なぜか複数)の、
カープがリードしている時に送られてくる
「ざまぁみろ!」「連敗?確定?」の攻撃メール、
そして、ジャイアンツファンの仲間は
「今日は勝つぞ」「いいぞ、その調子」と応援メール。
だから私の携帯は、試合中、メール受信だらけとなる。
ただ試合を楽しみたいから、申し訳ないけれど、
試合の合間に確認はするけれど、ほとんど返信はしない。
そして、今日の試合、阿部捕手の犠打でサヨナラ勝ちをした途端、
またまた多くのお祝いメールが飛び込んきた。
(ほとんどが「飲み過ぎないようにね」だけど・・とほほ。)
そんな中で、今日の試合を表現するフレーズを発見。
それが、今日の一言。
正確には「原々ドキドキだったけれど、結果よければすべて良し。
おいしい祝杯をあげて、明日に備えてください」
意識的に考えたのか、偶然の変換だったのか、わからないけれど
初戦の感想を聞かれたら、こう答えたいな、と思う携帯メールだった。
さて、2戦目はどんなメールが届くのやら・・楽しみである。



2003年05月02日(金)
あと・・、スマイルひとつお願いしま〜す

近隣の自治体、広報担当と飲む機会があった。
(ちょっぴり仕事の関係だけれど・・)
一次会で、たらふく食べて、二次会はカラオケ。
もちろん、タンバリン、鈴が鳴りっぱなしの大騒ぎの中、
「そうだ、飲み物を注文しなくちゃ・・」と、若い男性職員がメモ、
そして、同僚の女性職員が、部屋から注文してくれた。
ひとつひとつの飲み物を丁寧に伝えた後、やや酔っ払った声で
気になる一言を、ぼそっ。(受けたぁ・・)
当然、飲み物が運ばれてきた時も「あれ?スマイルは?」と突っ込み。
定員さんもこれに応えて「やや緊張した微笑」を残していってくれた。
私達男性が酔いに任せて注文し
「あとは・・えっと・・君!」などというセクハラとは訳が違った。
ちょっとウイットの聴いた台詞を、タイミングよく使えることは
その場の雰囲気を和らげるんだ、と心地よい酔いの中で感じていた。
「騒ぐときは騒ぐ」
最近、こんな簡単なことも出来なくなってきた若者を見てきたが
曲に関係なく大騒ぎする彼らを見ても、不思議と「うるさい」と感じず、
かえって「いいぞ、いいぞ、もっと騒げ」と
微笑みながら見ていられるようになった私が、また嬉しかった。



2003年05月01日(木)
見晴らしのいい人生。

ミサワホームの新聞広告、キャッチコピー。
二つの広いリビングがある「晴れの家」とネーミングされた商品。
久しぶりに、迷わずメモをしたフレーズである。
今まで、いろいろな人生論を書いてきた気がするが、
「どんな人生を送りたい?」の問いに、
さっと言い返せる表現が見つからなかった。
そういう意味では、私が望んでいる人生論に近いかな・・、
これからは、こう言おう・・そんなことを思いながら
メモするために、システム手帳を開いた。
すみずみまで見渡せて、大きなスケールで自然を満喫できる家、
いや、そういう大きな人生っていいな、なんて思った。
「ともすれば、同じことの繰り返しになりがちな日常用生活を
「ハレの日」「ハレの舞台」にも出来る住まい」
そんな掛詞も面白く「晴れの家」に関心を持った。
何も突飛なことをしでかして、大きな事件にしなくても、
こうして毎日、少しずつでも書き続けることが「ハレの舞台」であるし、
そんな毎日が私にとって「ハレの日」であるに違いない。
波乱万丈な人生を送らなくても、「ハレ」は誰にでもある。
「見晴らしのいい人生」を送り、節目節目で「ハレ」を感じる生き方。
何だか、前向きに生きている、って感じがして私のお気に入りとなった。