ひっそりと、徒然なるままに

2005年01月31日(月) 浅い眠り。

「らむりんさーん、終わりましたよー」その声で 私は現実に引き戻された。込み上げて来る 吐き気に襲われながら 私はどうしても確認しておきたい事があった。

手術の説明の時に、もし悪性なら 手術が終わるのは夜7時から8時ぐらいにまで及ぶと聞いていた。だから、麻酔から覚めた時に時計を見れば 手術の結果が予想できると思っていたのだ。

手術室の時計は、6時少し前だった。もしかしたら 良性だったのかも。私は少し安堵し目を閉じた。ストレッチャーが病室に向かう。角を曲がるたびに頭の中がグワングワン揺さぶられ 吐き気がする。

病室のベットに戻った。看護師さんが「ご主人と娘さん お帰りになりましたよ」と言った。でも返事ができない。微かに目を開けるのがやっとだった。直ぐに 輸血が始まった。手術中に出血が酷かったのは、看護師さん同士の会話を聞いていたので知っていた。

痛みは、それほどではなかった。それよりも吐き気と もう一つ私を苦しませた物があった。それは最近『エコノミークラス症候群』が話題となったが 術中 術後にも 同じ事が起こりやすい。それを防止する為に膝上から足首をマッサージする装置が付けられるのだ。

それは、片足づつ交互に空気が送られ足の締めつけと 開放をを繰り返す。これが結構強い力で締め付けてくる。ウトウトしたと思っても 締め付けが始まると 目が覚めてしまう。

締め付けが終り 反対の足の締め付けが始まるまでの ほんの数秒間だけの浅い眠りを繰り返す。その日の手術の記憶は無いのだけれど 体が憶えているのか、脳が憶えているのか、浅い眠りの中に垣間見る夢は どれも嫌な夢ばかりだった。

翌朝、やっとマッサージする装置が外された。でも吐き気は治まらない。もう 何度お願いしただろうか。吐き気止めの点滴をまた看護師さんにお願いした。

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2005年01月28日(金) 確率。

「開けてみなければ わからないけど、ちょっとイヤな感じを受けるんですよね」手術前日 担当医がそう言った。

何年か前から子宮内膜症だった私は、定期的に病院に通っていた。それが去年の夏 突然下腹部にしこりができ、同時にその部分の圧痛と、お腹の張りを感じるようになった。そして日を追うごとに、症状が酷くなっていく。でも ただの内膜症だろうと自分では思っていた。担当医は、手術は早い方が良いと言った。

手術の説明は、あらゆる可能性を想定して説明された。良性の腫瘍だった場合と、担当医の言う「イヤな感じ」つまり悪性だった場合。良性であったとしても 臓器どうしの癒着が激しいので 時間のかかる大変な手術となるらしい。

そして悪性であったとしたら・・・子宮 卵巣 リンパ節の摘出。そして 飛躍した話ではあると言いながらも 術後の抗がん剤投与の説明もされる。どこか、人事のようだった。『まさか自分が・・・』きっと 誰もが そう思う瞬間なのだろう。

「悪性の可能性はどのくらいなんですか?」とストレートに聞いてみた。先生は、「良性の可能性の方が五分五分より高いと思う」と言った。五分五分より高いって事は、6割くらいの意味合いだろうか?すると残り4割が悪性の確率か。

でも、何割だろうと 悪性である事への不安感は変らない。私は良性の可能性の方が『高い』事に望みを託した。あとは、手術が終わってから 考えよう。今 悩んだって 何も始まらないのだ。私とダーリンは、手術の承諾書に判を押した。

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2005年01月27日(木) お魚になった私。

退院してから早いもので一週間がたとうとしています。なので忘れないうちに その時の様子を日記に書いておきたいと思います。(手術や病院が極度に恐い人は読まないでね)


手術当日、私は午後二番目の予定だった。午前中に点滴を入れ落ち着かない時間を過ごす。午後二時ごろになり看護師さんが迎えに来た。意外と早く呼ばれたなと思いながらエレベーターに乗り 手術室に向かう。

最近は、ストレッチャーでは行かないらしい。歩いて行く。手術室の前で家族と別れる。ここで 逃げ出す人とか泣いちゃう人とか居ないのかなぁと考える。実際私は「じゃあね」とは言ったけど ダーリンや娘の顔をあまり見れなかった。

そして奥へ進むと二人の若い看護師さんに「今日担当させて頂く○○です」と挨拶をされる。いよいよ、まな板の上の鯉となるのだ。手術室は、14畳くらいの広さの部屋で 既に麻酔医が居た。

早速 看護婦さんに促され 手術台の上に乗る。素早く 血圧計などが装着され、私の心音らしい音が静かな部屋に響き始めた。看護師さんが「では、横向きに寝て エビのように背中を丸めて下さい」と言った。

それって腰椎麻酔?腰痛麻酔をすると思わなかった私は、動揺した。麻酔医の先生が、背中の表面にチクリと注射を打った。その後 腰痛麻酔だ・・・と思うと、私の緊張はピークに達する。痛いって誰かが言ってたよな。どうしよう。恐いよ。私の心音は、心の動揺を表すように どんどん早くなって行く。

「少し、押されますよ」看護師さんが言った。次の瞬間 両足が痺れ始めた。なーんだ、特別痛くなかったよ。でもその後 上を向いて下さいと言われても 足が動かない。そこに見えている自分の足が 他人の足のようで 妙だった。

「では、全身麻酔のお薬を点滴から入れますね」と誰かが言った。同時に酸素マスクがかけられる。『1、2、・・』まで数え 3を数えたか、数えないかぐらいで、私の意識は無くなっていた。

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2005年01月09日(日) 暫く、休みます。

その部屋からの景色はなかなか良い。夕方にはオレンジ色の夕日の中に富士山のシルエットが浮かぶ。夜になれば 夜景も綺麗だ。食事が運ばれてきた。ランチは、ロールパンにお魚に、トマトソースのスパゲティーにミルクなど。

昼間は読書をして たまにテレビを見たりして過ごす。夕飯の時間になると また食事が運ばれてきた。カップに注がれた ほうじ茶。これが 体に優しいのよね・・・って、えっ?

そうです。ここは実は病院だったんです。私は、以前からあった病気が悪化したので、正月明け早々に入院したのである。入院して悪い所を取るのだ。なので 暫くは、日記が、書けなくなりそうだ。今、束の間の外泊をしていて それで書いているのだ。 

先日 家族で遊ぼうと人生ゲームを買った。ルーレットを回して どっちへ進むか、なかなかシビアなゲームである。さて、私がこれから回すルーレットは、「良」か「悪」かここにきて、かなりシビアな賭けをする事になろうとは・・・。あー、これが、ただのがゲームだったらなと思う、らむりんであった。


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