ひっそりと、徒然なるままに

2005年02月26日(土) 美容師さんとの会話。

美容院で髪を切った。担当の美容師さんには数回担当してもらっていて、やっと 会話が自然になってきたところ。まぁ、別に会話が弾む関係になりたいわけではないけど 結構気を使うものだ。

美容師「最近、風邪とか引いてません?」
 私 「大丈夫です。でもここは、空気が乾燥してますよね」
美容師「そうなんですよ!乾燥が酷いんですよ」
 私 「静電気がバチバチ来ますもん」
美容師「乾燥してるから、喉が痛くなっちゃうんです」
 私 「私も、喉にすぐ、くるんですよ」
美容師「お客さんと喋ってると、特に」
 私 「そうですよね」「・・・」
ハイ、ここで、会話一旦終了。
暫くして

美容師「花粉症は大丈夫ですか?」
 私 「今のところ、大丈夫です。でも今年は多いらしいから心配です」
美容師、立て続けにクシャミ。
 私 「花粉症なんですか?」
美容師「いえ、鼻炎なんです。すいません」
美容師「鼻炎と今は風邪も引いてるんですよね」と言いながら クシャミの連発。
 私 「風邪引いてるお客さんも来ますからね。移っちゃいますよねー風邪・・・」
ハイ、ここで会話一旦終了。

あー、気を使うよ。その後家に帰ってから、気を使いすぎて、喉が痛くて、クシャミが出だした らむりんであった。

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2005年02月22日(火) 迷惑メール。

この間、携帯電話のメールアドレスを変えた。何ヶ月か前から、迷惑メールが多くて、困っていたのだ。早く変えれば良かったんだけど 相手のメールアドレスを受信拒否に設定してやり過ごしていた。 

が、相手は、アドレスを微妙に変えて、同じような内容で不正請求のメールを送りつけてくるもんだから 終いには頭に来た。私の携帯はWebにはアクセスできないので 相手にしなければ良いとはわかっていたけれど・・・。

わかっちゃいたけど、迷惑メールを見た瞬間に「ばーか、ばーか、ばーか」(←小学生ですか?)とかって返信メールを送りつけたい衝動が爆発する前に アドレス変えるのが賢明だと思った。

新しいメールアドレスは、スゴイよー。なんじゃこりゃあーって感じのアドレス。絶対に普通の人は考えない。前のアドレスはちょっとオシャレなアドレスだとすると、今度のは一言で言えば、怪しい系(謎)。私の可憐なイメージ(←おい)を覆すほどの 自分を捨てたアドレス(泣)。

事実、友達に「メールアドレス変更」ってメール送ったら迷惑メールだと思われて、読んでもらえなかった・・・ある意味ショックだった。迷惑メール送った人に、「どうしてくれるのよ!」と迷惑メールを送りたい らむりんであった。

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2005年02月18日(金) パキラ。

うちのリビングには、観葉植物のパキラが置いてある。それは私が結婚する前に職場のすぐ近くのお花屋さんで買ったものだ。当時は20cmぐらいの可愛いものであった。それを結婚する時に持参して 今では1mほどの背丈になっている。

そのパキラを見て 娘が言った。「ママ、このパキラ 笑ってるよ」私は、え?パキラが笑うってどう言う事?と思い 娘の指差す部分を見た。


ん?


ホントだ。確かに笑ってるよ。


考えてみれば、このパキラは、私とダーリンの生活から始まって、娘の成長もずっと 見守ってくれてきたんだものね。そしてこれから先もずっと私達と一緒だよ。

パキラが笑ってくれていて なんか嬉しい気分の らむりんであった。

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2005年02月16日(水) 燃える情熱。

明日、出張から帰る予定だった ダーリンからメールが来た。メールには出張が延びて来週の火曜日頃に帰ると書いてあった。カチーン(怒)明日チョコレートを渡そうと思ってたのに。何よ、何よ、何よー。

来週って言ったら、バレンタインから一週間も過ぎてるよ。だいたい、チョコレートが、私の情熱で溶けないうちに早く帰って来てって日記に書いたのに。日記に書いただけで、ダーリンには言ってないけど。(←んな、恥ずかしい事言えません)まー、その情熱は私の中に秘められた思いって事で、口に出すまでもないんだけど(照)

それにしても来週じゃーねー。どーかなー。帰りが延びるとなると、尚更 メラメラと情熱が燃えてきちゃう。だからチョコが溶けない保証はもう持てないよ。明日なら、保証できたのに。来週だと保証できないの。もう、燃えちゃって、燃えちゃって・・・。

週末あたりまで持つかしら。危ないなー。だって、一番美味しそうなの選んだんだから、情熱を打ち込んで(←って、そっちの情熱かー)残念だけど、そんな内に秘められた燃える情熱で チョコは溶けてしまうかもしれないよ。私の口の中で。

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2005年02月15日(火) チョコレートを買う。

バレンタインだと言うのに、ダーリンは出張だ。しかも明後日に帰って来る予定らしい。それで「バレンタインだけど、居ないからチョコ要らないよね?」と聞いたら、少しムッとした様子で「えっ?くれないの?」と言う。

「欲しいの?」としつこく聞くと「そういうのって、気持ちでしょ」とダーリン。もー、ダーリンったら、そんなに私からの愛の証しが欲しいの?そこまで言うのなら、チョコレートあ・げ・る。私の情熱でチョコが溶けてしまう前に 出張から早く帰ってきてねん。

売り場は、活気に満ち溢れていた。どれにしようか・・・たくさんあり過ぎて 目移りしちゃう。一番、美味しそうなのはどれだ?(←自分が食べる事が前提)数ある中から、食べたいチョコレートを買った。(←ダーリンへの情熱はどこどこ?)

値段は1000円。(えっ?)予算からすると何だろ、義理チョコっぽい?でも義理は義理でも300円とか500円レベルの『あいさつ程度の義理』じゃないから。もう少しランクが上の『日頃お世話になってますレベル』の義理かな・・・って、その程度のレベルだったのか、ダーリンは。(ガーン>ダーリン)

ダーリンが、本命じゃなかった事に愕然とする、らむりんであった。

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2005年02月14日(月) たこ焼きデビュー

この間、親戚の結婚式のお祝い返しにカタログギフトが届いたので ダーリンと、どれにしようか迷った末、我が家に今まで無かった たこ焼き器をオーダーする事にした。別に入院中にたこ焼き命だったからではない。

ずっと前から友達がたこ焼き器で、ホットケーキを焼くと美味しいと聞いていたので、欲しかったのだ。その念願のたこ焼き器が、先週届いた。それで昨日早速 友達を呼んでたこ焼き器で、ランチをした。

まず、ホットケーキの素をたこ焼き器に流し込み、チョコとかチーズとか入れて焼く。それからたこ焼きも焼いた。初めてのたこ焼きデビューにしては なかなか上手くいったと思う。娘も大喜びであった。

お皿の上にはホットケーキの丸いのゴロンゴロンと、たこ焼きの丸いのがゴロンゴロンで、もー、丸いのは、暫く見たくないってくらい食べた。

今日 父が来た。たこ焼きを買って持ってきた。(ガーン)で、でも やっぱりプロの焼いた たこ焼きは違うねと食べたけど。食べた後、もう 丸いものは いいですと思った。好きな食べ物は、たこ焼きですと答える自信がなくりそうなので。

たこ焼きと一緒に、チョコレートを持ってきてくれた父。職場で貰った義理チョコだろう。箱を開けると 丸いトリュフチョコレートが、ゴロンゴロンとあった。好きな食べ物は、たこ焼きですと答える自信をなくしちゃった らむりんであった。

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2005年02月11日(金) 勧誘。

掃除機を買い換えた。それまで使っていた掃除機は、買った時から 気に入らない私だったが 結構奮発して買った物だったので、早々買い換える事もできず 我慢して使っていた。

何が、気に入らなかったかと言うと、吸い込みがとにかく弱い。今吸い込んだはずなのに、そこにゴミが落ちている。それからコードがすーぐ巻き戻る。最初にコードを思いっきり引き出しておいても 使っているうちにすーぐ、巻き戻って しまいにはコンセントが外れてしまう。そんな欠点だらけの掃除機を5年くらい我慢して使ってきた。

で、新しい掃除機が これがもーびっくり。掃除機ってこんなにゴミを吸い取るんだと思った。紙パックがないから ゴミが溜まったらその都度捨てるようになっている。すると数日くらいで、ゴミがたくさん溜まってるので 二度びっくり。毎日掃除しているのに、ごっそり取れちゃって、イエース!イエース!イエース!

あんまり快感なので もうお掃除が楽しくって楽しくって。この楽しさ、ダーリンにも分けてあげたい。毎日味わってもらいたい。楽しいよぉー。いいの、いいの。私の事は気にしないで。楽しいよぉー。ゴミもホラ見て。こんなに溜まるの。楽しいよぉー。やってみて、やってみてー。楽しいよぉー。ホラ隅っこのゴミもこんなに綺麗に。楽しいよぉー。もー、遠慮しないで。楽しいよぉー。やって、やってー。

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2005年02月10日(木) トイレの見守り方。

娘は、夜寝る前にトイレへ一人で行くのを怖がる。昼間は平気なのだが 何故か寝る前のトイレが怖いらしい。仕方なく今までは いつも私がトイレの入口まで付いて行ってた。

だがリビングのドアを開けてすぐの場所なのに いちいち付いて行くのも、面倒なので私は「リビングのドアの近くで、ゆうちゃん(娘)がトイレに行くのを 見守っているから、一人で行って来て!」と言った。

最初は嫌がる娘であったがそのうち一人でトイレに行くようになった。勿論その間私はリビングから 娘を見守っている。娘はトイレのドアが閉まる瞬間まで私がちゃんと 見ているかどうか確認している。ちゃんと見ーてーるーかーらー(怒

それが、最近変な注文をつけるようになった。それは私が娘を見守る時に『笑顔で見守れ』と言うものだ。まぁ、そのくらいなら おやすい御用と笑顔で見守る母。だが昨日、笑顔で見守ろうとしたところ娘は「ママの笑顔が怖い」と言う。なぬ?

「怖いって言うなら、笑顔で見ないよー」と私は言った。娘は「ダメー、怖いって言わないから、笑顔で見てー」と言う。仕方なく再び笑顔を作る私を見て、娘は言った。「笑顔が興味深い」

興味深いって、小学2年生に、何か客観的な視点で冷静にコメントされても・・・って言うか、私の笑顔を興味深いと言った娘の頭の中が、興味深いと思うらむりんであった。

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2005年02月09日(水) お試しセット。

この間の土曜日、ピンポーンと誰か来た。私は手が離せなかったのでダーリンが、返事をする。するとどうやら 牛乳の宅配業者であった。お試しセットを差し上げるので飲んでみて下さいと言うやつだ。

以前も違う宅配業者が牛乳を置いていった事がある。5〜6本もタダで飲めるし、くれると言うんだから、良いかーと思って、受け取った。すると後日 その業者が空き瓶を回収しに来たのだが、もの凄くしつこく 勧誘された。

「奥さん、お願いしますよ〜。そこのところを何とか〜」みたいな感じで。タダで、飲んでしまっているだけに邪険にもできず 断わるのに嫌な思いをしたものだ。

そんな事があったから 私はインターホンに聞えないように ダーリンに「要らないって言って!」と言ったのだが 聞えなかった様で牛乳を貰ってしまった。あーあ。貰っちゃったよ。(←と、言いつつ自分が一番たくさん飲んだ

そして今日 宅配業者が牛乳ビンを回収に来た。「ママはいま居ましぇん」とか言うかなと思ったけど(←コラ) お礼だけは言っておこう(←変に律儀)と「ごちそうさまでした〜」と言うと業者の人は「では、またよろしくお願いします」とだけ言って去って行った・・・って、えっ?

ちょっと待ってよ。しつこく勧誘されると思ってたのに。そんなセールストークでこの時代を乗り切れるの?ダメだよ、マシンガントークで攻めなきゃー(←うっそぉー、攻めないでぇ)今時、良心的な業者もあるんだぁ。な、なんかー、牛乳頼んであげても良いかなぁーと思う らむりんであった。(ナイナイ

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2005年02月08日(火) 退院。

抜糸をした夜、先生がやって来て精密な検査の結果も良性だったと告げた。私は悪性の呪縛から開放され 心が晴れた。隣のベットのAさんも 笑顔で喜んでくれた。Aさんは癌である。それなのに 素直に祝福してくれる。でも私には何もしてあげられない。ただAさんを慕う事くらいしか。

退院前に、終わった手術の説明があった。腫瘍を摘出する時に腸の壁が だいぶ傷ついたので 食事をかなり遅らせたそうだ。壁が薄い為に腸に穴があいてしまう危険があるからだ。ガスがなかなか 出なかった時、先生の顔が一瞬にして曇ったのも その心配のせいだったのだろう。

それにしても思ったよりも早い退院なので先生に「退院して大丈夫なんですか?」と聞くと「もう緊急を要するような事態の心配はなくなったので 大丈夫です。逆に家に帰った方が 病院より体を動かすようになるので、返って良いんです」と言った。

今、一番心配なのは 腸の癒着なのだそうだ。傷が完全に治るまでの 一番癒着を起こしやすい、一、二ヶ月の間に、体を動かす事が癒着の予防になるのだと言う。

退院する日がやって来た。Aさんが「退院しちゃうと寂しくなるねぇ」と言ってくれた。それは私も同じ。嬉しいと言うより 寂しかった。退院したら いつもの生活に慣れる為のリハビリが待っている。

実家の母が病院に迎えにきてくれた。看護師さんや Aさんに、丁寧にお礼を言って さよならをした。Aさんは、優しい人だからきっと 皆に支えられて病気と闘ってくれるに違いない。

病院の自動ドアが開いた。13日ぶりに外に出る。冷たいけど気持ち良い風が、吹いてきた。それは13日前とは違う私に、新しい息吹を吹き込むかのように。私は生かされたのだと思う。お腹の傷は少しだけ私の自由を奪ったけれど、計り知れない、自由も同時に与えてくれた。その事に感謝する気持ちを忘れまいと思うのであった。 

これで 今回の入院の日記は終わります。次回からいつもの日記に戻ります。
読んで下さってありがとう。

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2005年02月07日(月) フランケン。

いや、サイボーグと言うよりは フランケンシュタインかなぁ?自分のお腹の傷を見て思った。傷が針金(?)みたいなもので閉じられていたからだ。それに思ったより 傷が長かった。

手術前は、もうビキニも着ないだろうし 傷の有無なんかより 病気を治す事が大事だったけど 多分ずっと消えないであろうこの傷跡を見ると 自分の自由が少しだけ奪われたような気がした。終わってみれば、いろいろと欲が出てくるものだ。

手術から8日後、抜糸をした。あの針金が無くなったのは良いけれど その傷口は、今にもはがれそうで怖い。くしゃみをしたら 風船みたいに、バーンってなりそうな感じ。でも先生は「中の方は ちゃんとくっ付いているから大丈夫ですよ」と言った。(←だよねー・・・

数日前、同じ病室に80代のBさんと言う女性が入院した。その人も癌で放射線治療をする予定らしい。Bさんは「この歳になって 癌だなんて。痛い思いをして治療しても もう寿命だし どうせ死ぬなら 何もしないで死にたい」と言っていた。でも決して 暗く沈んでいる風でもなく 食欲も旺盛で見た目はお元気だ。

その頃 夜病室が暗くなると どこからか ボソボソと呟く声が聞えてくる。それはBさんだった。私のベットからは何を喋っているのか 聞き取れない。でも何となく、昔話っぽい。「むかーし、むかしの事じゃったー」って。(←言ってない、言ってない)次の日に治療をするとか、何か不安や心配な事がある時は特に、Bさんの呟きは暫く続くのだった。

退院の日が近づいていた。その日は、自分が予想していたよりも早い日付だった。  

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2005年02月04日(金) 苦痛。

おもゆを食べたその日の夜の食事もおもゆだった。おもゆに和風のお汁その他。最初のおもゆは 味はどうあれ 食事が始まったんだと言う嬉しさで美味しく食べられたのに 夜のおもゆには食欲が湧かなかった。

おもゆとは、お粥を炊いた時の汁をこしたものだ。食べ物と言うより 飲み物みたいな感じ。あんなに食事を楽しみにしていたのに 一瞬にして 食事が苦痛と感じるようになってしまった。でも体の為にムリムリ食べた。

次の朝は、三分粥。おかずもおかずらしい、卵焼きが出た。しかし三分粥と言っても、おもゆにほんの少しの粥が浮いている状態で 殆ど 雰囲気はおもゆだ。やはり 食べるのが苦痛だった。

なんか歯応えのある食べ物が食べたかった。強いて言えば、きゅうりにマヨネーズをつけて バリバリ食べたかった。それとカラリと上がったトンカツとか。あとやっぱり、たこ焼き。しかし無情にもお昼も三分粥が出てきた。

そして夜。次の数字はいくつだ?五分粥だった。贅沢かもしれないけど お粥はもうたくさんだと思った。この次は、七分粥?いや六分だったりしたらどうしようなどと、心配したが、その次にやっと全粥になり 普通のご飯へと移っていった。

全粥の頃から おかずも歯応えのある物が出るようになり 食欲も回復した。食事が楽しみになった。食欲が満たされると 不思議とたこ焼きへの 野望は薄れていった。「一番好きな食べ物は たこ焼き」と答えて良いものなのだろうか。どうだろうか・・・(←どうでも良いですよ

手術から一週間が経った。やっとシャワーの許可が出た。シャワーを浴びたい反面、私は恐れていた。今まで一度も 手術の傷を見れないでいたのだ。シャワーを浴びる時には当然 傷が目に入る。お腹はいったい、どんな風になっているのだろうか。シャワー室で私は、恐る恐る傷に目をやった。

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2005年02月03日(木) 空腹との闘い。

「ガス出ましたか?」手術が終わってからというもの 看護師さんや先生は、見回りに来る度に聞く。その都度私は「まだです」と答える。お腹はゴロゴロと音を立てて動いているけど 出ない。

もうそれは、合言葉の様だった。「(ガス)出た?」「まだ」の繰り返し。終いには 聞かれるのが イヤになってくる。「出た?」と聞かれる前に「まーだーでーすー」と言いたくなる。手術から3日目の朝も担当医が「ガス出ましたか?」と聞いた。

私は「まだです」と言うと担当医の顔色が少し曇った。「じゃあ 今日の午前中だけ 様子を見ましょう。できれば薬は使いたくないんで」と言った。えー?今日の昼までがタイムリミット?薬って何?私は、急に不安になった。その緊張感が幸いしたのか、その後トイレに行くと 待望のガスが出てくれた。(よっしゃぁー

ものスゴク嬉しかった。隣のベットのAさんに 報告したら「良かったねー」と一緒に喜んでくれた。ガス様様である。看護師さんにも すぐ報告した。それと言うのも、ガスが出なければ 食事も出ないからだ。

手術後3日も経つと 点滴はしているけれど かなり空腹感を感じていた。同じ部屋の人達の食事が運ばれてくると 食べたいのに食べられない辛さがきつかった。その頃 一番憧れていたのは『たこ焼き』何故かたこ焼きが食べたくて 仕方なかった。

人間、こんな時は一番の好物が食べたくなるもの?でも 私の好物って、たこ焼きだっけ?自分でも意外だった。これからは「好きな食べ物はたこ焼きです」と答えた方が 良いのかなぁ(誰に?)と考えてみたりした。

とにかく、これで食べられる。食事が待ち遠しかった。今夜あたりから食事が出るのかなぁ。でも 夜になっても 食事は出ない。看護師さんが「ごめんねー。お食事は明日の朝からだって」と言った。しかし次の朝になると「ごめんねー。お食事がお昼からになっちゃったの」と看護師さん。切なかった。

そして待ちに待ったお昼になり 待望のお食事は、おもゆであった。一口づつスプーンで口へ運ぶ。空っぽになった体の中に染みて行く。決して美味しいものでは ないのだけれど、口の中に食べ物が入る事だけで 私は嬉しい気持ちでいっぱいだった。そして ますます たこ焼きへの野望は燃え盛るのであった。

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2005年02月02日(水) 笑えない理由。

手術から2日目。朝担当医に「今日からは なるべく動いて下さい。動いた方がガスが早く出ますから」と言われた。このガスが曲者だった。食事は点滴。まだ水分も 舐める程度しか取れてない。とにかく 少しづつ思い体を引きずって ソロリソロリと歩いてみる。

この頃、隣のベットの70代の女性のAさんと話をするようになった。この女性は私より1カ月前に 手術をしている。言わば 私の大先輩。Aさんは 自分の体験を面白おかしく話してくれる。あまりに面白い話をしてくれるので、「これ以上私を笑わせないで下さい」とお願いしたくらい。傷が痛くて 笑えないのだ。

Aさんがまだ 入院していたわけは、手術をしたけれど 癌が取りきれないほどに進行していたからだ。そして抗がん剤の治療をする事になっていた。他の病室にも 何人も抗がん剤治療をしている患者さんがいる。

それまで 癌の告知は家族にこっそりするものだと思っていた。でも この狭い病室の中で 看護師や先生が普通に抗がん剤治療の話しをしている。まるで癌は身近な 有り触れた病気であるかのように。私も癌かもしれない。常に 癌を意識せずにはいられない状況だった。

最近の医療の痛みに対しての療法は、進歩したものだと思った。術後の痛みをあまり 感じなかったのは 背中から痛み止めを管を通して、少しづつ入れているからだと知った。背中から入れるなんて聞くと 恐ろしい感じだけど 腰椎麻酔をした場所から痛み止めを入れてるらしい。(背中なので見えないけど)だから、手術が終わった時にはもう 薬が入っていたのだ。

その日の夜中に その痛み止めがなくなるでしょうと看護師が言った。その通り 朝方になり 腰の痛みで目が覚めた。でも傷の痛みは、それほどなかった。明くる朝 痛み止めを送る管を抜いた。抜く時も痛みは無かった。

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2005年02月01日(火) 深い眠り。

手術の翌日の夕方、担当医が来て手術の結果を説明した。結果は良性であった。大きなしこりのあった片側の卵巣は、残らなかった。もう片方の卵巣は、1/3だけ残された。やはり臓器どうし癒着が酷かったそうだ。

ただ、今回の良性の判断は術中の簡易検査なので 後にする精密な検査では2割程は、判定が覆される場合があると聞いていた。それまでは手放しでは喜べない。

それから担当医は、今晩もあの恐怖のマッサージ装置をつけると言った。私は、それだけはイヤですと、懇願した。担当医は言った。「もし 寝るまでの間に自力で立つ事ができれば つけなくても良いですよ」

つまり 今までずっと寝ていたので その後初めて立ち上がる時が、一番危険なのだと言う。立ち上がった瞬間に 血液の塊が(できていれば)血管につまる可能性がある。だから 立ち上がってみて 何でも無い事が確認できたら マッサージはしなくて良いと言うのだ。

絶対に立ってやると思った。ほどなくして看護師がやって来た。看護師はマッサージ装置をつける事を勧めたが 「私は立ち上がります」と言った。そして点滴台を頼りに 立ち上がった。お腹が鉛でも入っているかの様に重く 背筋がなかなか 伸ばせない。

それでもやっと立ち上がると 看護師は「歩いてみて」と言った。一歩、二歩、三歩と歩いたところで、気分が悪くなり そのまま後ずさり。すぐにベットに横たわってしまった。でも立ち上がった事に変わり無い。これで今夜は あの苦痛から開放される。

看護師は「でも、消灯までの間は 横になったままで良いので なるべく足を動かしておいてね」と言った。私は「ハイ」と言った。その後 吐き気はだいぶ落ち着いてきた。それと同時に もの凄い睡魔に襲われ、意識が遠のいて行く。私は看護師さんとの約束を破り、消灯より随分前に深い眠りの淵に落ちて行った。 

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