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女房様とお呼びっ!
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2008年02月23日(土) おデート

今日はイリコとデートでした。



・・・・・・( ´,_ゝ`)プッ



「キミさ、私と会うこと、日記に”デート”って書くじゃん?
 あれ、日記だからそう書くの?(笑」
「……え、あ、いや、他にいい表現ありますか?」
「い、いや、別にいんだけどね……(笑」
「ま、世間一般のデートのイメージじゃないですね……」
「でしょ?読んで下さるかたに、あたら期待させちゃイケナイねぇ(笑」
「ん〜、単に”主と会いました”だと、所用で行ったみたいですから」
「所用じゃないの?(笑」
「はぁ……」
「お勤めでどうよ?(笑」
「じゃ、”出勤しました”とかですかね?(笑」


イリコ的にはオチつけたつもりでしょうが、相変わらずセンスがないです。
返して私も「勤行とか?」と続けたものの、スルーされたのでおあいこですがーw

そんなわけで、いわく「デート」は、語義としてはあってますけど、
その内実は、色事からは甚だ遠く、限りなく「仕事」に近いです(笑

当事者としては、奴の日記に「デート」の文字を見るごと、
実感とあまりにかけ離れてるせいで、どうにも落ち着かなかったのですが、
せめてこっちで真相暴いて溜飲下げさせて頂きましたよ、ほっほっほ


ところで、奴には以前から、エクセルでカレンダーをつけてもらってます。
会った頻度や内容が、月ごとに一覧できるようにですね。
まだ調教なんてしてた頃は、大変役に立ちました。
今も……ええと、記録としては大事なものです、あっはっはー(←殴

もっとも、会ったとはいえ、単に送迎してもらっただけも含みます。
で、そんなときは内容の欄に、私の用件が入るわけですね。
「○○パーティにご出席」とか。

その中に時折「何方かとおデート」と記述されてます。
初めて見たときは、ナンダソレ?と目が点になりましたw

ま、奴には与り知らぬ用件ならば、いちいち内容まで話しませんから、
仕方ないっちゃ仕方ないですが、苦笑しつつ心中複雑でしたねぇ…。
「おデート」じゃないときはなおのこと(笑

そう書くよりほかなかった奴の心中はさらに謎ですがw
 


2008年02月17日(日) 外弁慶

起き抜けに、イリコの日記を読んだところが、一気に目が醒める。
いわく「私は初対面の人と話すのが苦になりません。」だとか。
えっ!?そ、そうなの??知らなんだ……
まるきり素で驚いてしまった。


以前ここに彼のことを書いたとき、主にそのとっつき悪さをあげつらっては、
>ひょっとしたら、ノリのいい社交的な人かもしれないね(笑
なんてフォローしたけど、本心は、んなことあるわけないやぃと思ってた。

や、もちろん、私といるときの愛想のなさは、
彼一流の奴隷の美学(笑)の顕れであることは理解している。
くわえて、立場的に自ら話題をとりづらいとも思う。

それにしたって、あそこまで徹底できるのは、
やはり元からそういう質なんだろうと思い済ましてたのよね。

だから、時折彼が日記とかで、
私には与り知らない社交ぶりを書いてるのを読むにつけ、
どこか合点のいかない、不審に近い違和感を感じていたのだけど、
こうまで書かれたらやっぱ納得するしかないのかな(笑。
……いや、正直まだホントかよ?とか思ってんだけどw


と、ここでまたまた古い記憶が呼ばれる。

高校生の頃、私はあまり家で喋らなかった。
年頃ゆえでもあったろうけど、それよりも、
表で友達とさんざ騒いで精魂尽き果て、帰ってまで喋りたくないてな事情で。

それが、あるとき、
友達と電話でくっちゃべってるところを母親に見られてしまった。

確か、大学受験もたけなわで自宅待機が続いてる頃だったと思う。
普段家で喋らないのが、漫才ばりに馬鹿話してたものだから、
バツの悪さにひどく焦って電話を置いた。
当然、そんな長電話して…と咎められるとも思ったしね。

が、母は怒ることなく、半笑いで溜息ついただけだ。
恐らくは複雑な心境を、ただひとことに乗せて。

「あんた、そんなにしゃべる子やったんやねぇ……」


今にして、あのときの母の気持ちがわかるような気がするw
 


2008年02月08日(金) 共生 〜理屈はどうあれ〜

夫についで長く共にあるのは、イリコだ。
何度もこじれてきたが、その主な原因は私の割り切れなさにあったことに気づく。

例えば、先日書いた誕生日のこと、
あるいは「話すことはない」と押し黙ること…etc。
要は、主扱い嵩じてヒト扱いされない折々に、私は焦れたり怒ったり、
ついには奴を絶望させて「奴隷やめます」と言われてもなお、思い至らなかった。


元々奴と私は、主従というままごとをするために結託した仲だ。
主従の役を分け合って、各々がそれに見合った働きをすれば、何の問題もない。
それを役柄にない働きを求めたり求められたりしちゃ、問題が起きて当然だ。

ことに奴の願望は、従らしく振舞う、従として勤めることこそにある。
主と仰ぐひとだから、奴隷として尽くしたいというタイプじゃないんだね。
もちろん、そういう気持ちもあるだろうけど、奴隷たる動機の順番として。

実際奴は、私という「主」役を得て、「そうしたい」ことを満喫してきた。
同時にそれは私の望むところでもあったので、ここまで長く付き合っている。
ときに奴の「そうしたい」ことに不都合を覚えて、そのたび怒り叱責したけれど、
所詮役柄に見合ったものなので、大きくこじれることはなかった。

折角そうして機嫌よくままごとに興じているのに、
役を離れてなにごとかを言う私に、奴もまた割り切れなさを感じたことと思う。
結果、位置的にどうしても奴ばかりが詫びる羽目になり、
挙句「人として…」とまで落ち込ませては、役割以上の負担を強いた。


その繰り返しに疲れたか、二年半ほど前、
やはりこじれている最中に、「この先どうするか考えます」と言われた。
真意を測りかね、そのまま「どうしたいの?」と訊いた。

その以前のメールで、自分のありようがわからなくなったと聞いていた。
奴の思う「主従のありよう」は妄想だったと気づいたとも明かされた。
ひとまず、「共にあることが意義だとわかりました」と結んでいたものの、
なお低迷している様子に、改めて意思を質したい気持ちもあったから。

メールではなく生の声が聞きたくて、電話でその真意を問う。
対面だとこうした用件の場合、さらにこじれて真意どころじゃなくなるからね(笑
果たして奴は、先の結論どおり「共にありたい」と言ってくれたのだけど、
私はなおもこじれを引きずって、止せばいいのに質問を継いだ。

「でも、私はキミの思う『主』じゃないんでしょ?」
「……ええ、そうですけど、傍にいたいんです」
「主と思えなくてもかまわないの?」
「……はい」

さすがにちょっと参ったけど、それで悩むにはいたらなかった。
なぜならこのとき、かつて夫に言い切られた言葉が脳裏に蘇ったからだ。
「ボクはキミを愛してない、けど、都合がいいから一緒にいるよ」

愛であれ都合であれ、一緒にいることにそう違いはなかった。
主と見なされずともこのままいれば、おんなじなんじゃないかしら…。
理屈はどうあれ現実的には、互いになんの不都合もないんだもの。
正直、まぁいいか〜と思ったのよね、本当に。


酷い合理化かもしれないけど、結果的にそれでよかったと思っている。

少なくとも私は、「主とは」なんて勢い込まずに済んで、そのせいだか、
色んな面で鈍感…よく言えば鷹揚wになって、無茶言うことも減ったかな。
実際、あれから殆どこじれてないでしょ?(笑>イリコちん
キミにしたって、それなりに「従」役楽しんでると思うんだけど、さて。

ま、今にして「やっぱり主と思ってます〜」とか言われたら、
それはそれでありがたいけど、実のところ、どうでもいいかな、スマンw;
 


2008年02月06日(水) 共生 〜愛か都合か〜

割り切った関係、という言葉は、
あまりよいイメージじゃないけれど、私はさほど抵抗がない。
むしろ、合理的で平和な関係なんじゃないかと考える。
もちろん私だって感情の動物の端くれなので、愛に悩むこともあるけどね(笑

若い頃、人を愛したこともあるけれど、愛を取り沙汰するのは面倒で、
それよりも、手軽で気楽で気持ちいい割り切った関係を好んだ。

もっとも恋愛は、苦しみさえ甘やかな、極上の娯楽だ。
睦言に交わす言葉は官能そのもので、だから私は何度も愛を口にした。
けれど、相手が愛を言葉で確かめたがるとき、本気で困った。
いわんや、先々のことなんて、仄めかされた時点で逃げ出したものだ(笑

愛してくれと縋ったことはない。
……や、けしてプライド云々じゃなくて。
縋ったところで人の気持ちをどうこうできるわけないから。

愛してくれよと詰られたことはある。
そう言われて、愛していれば哀しかった。
相手の気持ちをあがなう言葉とか、ましてモノなんてあるんだろうか。
愛してなければ誤魔化した、それくらいのものなのに。


そんな私だったけど、「犬」を降りた夫に、
「ボクはキミを愛してない」と断言されたときには、全然違った。
「私はこんなに愛しているのに…!」と割り切れなさに悶え、
「どうして…?」と泣いたり詰ったり縋ったりした。

困り果てた夫はそのたび、「情はあるよ」と私をなだめ、
それでもなお愛の言葉を欲しがる私に業を煮やしたかんじで、
「キミといると都合がいいんだ」と言い切った。

さすがにショックでしばらく煩悶したけれど、
やがて、理由はどうあれ一緒にいられるならと割り切ることにした。
夫の言う都合とは、SM趣味を隠さずにすむという卑近だけれど切実なもので、
それは私も同様だったし、なにより「夫を愛している」のは私の都合だしね。

それから15年の日常を重ね、私たちを結ぶ都合は、当時より格段に増えた。
時折激しく諍って、激昂のあまり、もう別れてやるーッと荒ぶる心中を、
ようよう制するのは、主にのっぴきならない都合のほうで、
「でも愛してる…」なんて感情は、今さら思いつきもしない(笑

かといって、私たち夫婦が割り切りのみで添うているとも思わない。
ま、私が勝手にそう思い込んでいるだけかもしれないけどね。

少なくとも今、「キミを愛していない」と言われても、たぶん平気だw
 


2008年02月02日(土) 極私的「奴隷」の実態

昨日の続きというか余談というか、開き直って悪口を書く(笑
愚痴なら陰で垂れりゃいいものを、目に触れるのは承知の上だから始末が悪い。
これが最後の悪あがきなんだか、せめての意趣返しなんだか。
だいたい私は、姑息で底意地悪いんだよw


「そのつもりがない」のに、なぜ「畏まりました」と言うか。
それは、それが奴隷たるセオリだからだ。
その後言われた通りにするのも、またセオリなんだろうけど、
イリコの場合、往々ここでセオリに反してしまう。

「こうしろ」といわて、「そうすべき」と思う。
ここまでは彼もセオリに則り、あるいは真正そう思ってるかもしれない。
が、「そうすべき」が奴の内なる「そうしたい」と合致しない限り、
「そうすべき」はそのまま棚上げとなり、やがて他のことに取り紛れてしまう。

もちろん、「そうすべき」なのに出来てないのは、奴が最大に悔やむことだが、
かといって、そうすべきことをせずにいて、それで頭を悩ませているふうもない。
「そうしたい」ことをしくじると、あわくって詫びたり悔いたりするのにね(笑

それでいっそう、「畏まりました」と言われたきりの私は焦れることになり、
痺れを切らして、「こうしろ」はどうなったよ?と訊く頃合に、
忘れ物を咎められたようにうろたえて、慙愧に耐えないとばかりに嘆くのだ。

その繰り返しにあきれ果て、いつだか嫌味を込めて言ってみた。
「キミはキミのしたいことしかしないねぇ…」
もっとも、それきしで改まるわけもなく、昨今の仕儀にいたる。


…とかまぁ、奴隷の語義に照らせば、あるまじきなんだけど、
だからといって、奴隷のくせにとは思わない。
もとより、奴隷だから何でも言うこときくなんてのは、幻想だものねぇ(笑

奴にしても、これまでの経験をして、そんな幻想抱いちゃないだろう。
なのに、およそ先々考えず、「畏まりました」と頭を垂れる。

それがまさに、奴の「そうしたい」所作だとわかっちゃいるが、
こっちの都合もあるので、そこはちょっと割り引いて、
「善処します」とか「まぁそのうちに」とか、わかるように言えないかw
 


2008年02月01日(金) 人の気持ちはどもならん

イリコとのつきあいは、まる7年、互いに歳を7つ重ねた。
当然7回誕生日があったわけだが、そのどれもまともに祝ってもらってない。
しょぼい話で恥ずかしいけれど、そのことを私はずっと呪わしく思ってきた。
三年前の日記にも、情けない愚痴やら恨み言やら書き散らしてある。

そして同じく三年前に、詫びやら反省に紛れて、奴の本音を明かされた。
要約すると乱暴で本人には恐縮だけど、要は「そのつもりはない」と。
ここで私も引き下がればよかったものを、と今にして悔やまれる。


しかし、三年前の私はそう言ってやれなかった。
あまつさえ、「誕生日くらい祝ってよ」という私の本心を知ったものだから、
それに抵抗を覚える奴にとっては災難もいいとこ、気の毒なことをした。

そのつもりがないのに無理をしたって、ろくな結果になろうはずもなく、
挙句私を怒らせて、「私にはその才覚がない」と嘆いては、詫びるばかり。
それでも私の悪あがきは止まず、なら、自分でお膳立てするわとなったのが昨年。
本人の名誉のために言うと、こういう次第なら抵抗がないんだね(笑

おかげさまで少しは気も晴れたのだけど、ここで欲かいたのがいけなかった。
だってね、自分のお誕生会のケーキを自分で買ってくのは、正直面白くないものw
せめて言いつける恰好で「今年はキミが計画たてて」と、昨年末にはやばやと。


実はこのとき、奴に「そのつもりがない」のをすっかり忘れ果てていた。
いや、元々受け入れかねてた上に、時も経ち、昨年の経験も楽しかったそうだし、
さすがにもういいだろうと、専ら自分の楽観からそう思い済ましていたんだね。

それが、やっぱり楽観だったとわかったのは、ひと月を経たつい昨日のことだ。
例によって詫びと反省がつらなるメールの果て、あの文言に再び出会った。

「私にはそのつもりがなかったのでしょう」

想像はしてたけど、改めて落胆しながら、その文字列を追う。
何度かそうするうちに、ふと、そうか、そうなんだなと初めて得心がいった。
人の気持ちを無理強いすることなんて出来やしないんだわ…。


思い至って、この3年を申し訳なく思う。
そして、まる7年勝手に思い悩んだ自分の滑稽さに苦笑する。
割り切ってみれば、なんとせいせいすることか。

そんなわけで、これからもうお互いに悩まなくても済むだろう。
時間はかかったけど、ここに辿り着けてよかった。
 


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