女房様とお呼びっ!
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2004年05月23日(日) |
【おしらせ:■ダイジェスト版はじめました】 |
このたび思い立って、過去記事を整理することにしました。 イリコの感想文掲載という他力本願に続き、またもその場しのぎ感アリアリですが^^; んなことしてる間に記事のひとつでも書けよ、と自分でも思うんですけど…。
とはいえ、ずーっと気にはなってたんですよね。 長い中断を繰り返しつつも、さすがに三年も経てば過去記事も随分たまって、 なんらかの形で整理しておきたいなと。 純然たる日記でしたら、このままでもいんですけど、ご覧のとおりのありさまで、 たとえ過去の遺物であっても、カテゴライズしといてやろうかなと。 不出来な子でも、子を思う母ゴコロでございます(笑
それに、これが一番の理由なんですが、 再開なったとはいえ、事情から相変わらず鬱陶しい記事が続いておりまして(汗、 折角のぞいてくださったかたには、申し訳ないというか、見限られる怖れアリというか、 ひいては、釣られて下さるかもしれないM魚も逃してしまうのではないかと、 まぁつまりは、浅ましい思惑があったりするのですねw;
◇
てなワケで、ぼちぼちとではありますが、 おおまかな内容別に過去記事をまとめていきたいと思います。 お気が向かれた折にでも、頁上■ダイジェストをご覧下さいませね。
2004年05月20日(木) |
愛を感じるとか伝えるとか |
先日久方ぶりに2ショに入ったら、お喋りなM魚が寄ってきた。 どうやら意中のひとがいるらしく、釣りにもならず、どうでもいい話を散らかす。 ま、もともと釣る気もなかったからいいんだけどね。
彼は、最近その意中の彼女とプレイをした話をしたかったようで、 しばらくは何をやったとか出来たとか自慢めいた話が続く。 それがひと段落した頃合に、彼女の専属になれるかもしれないけど…と含みのあるログを残した。
ふと思いついて訊く。
「フリーでいるのと、専属になるのとどっちがいいの?」 「プレイ的にはフリーのほうがいいですけど、忙しいとか時間が限られてしまうと専属のほうが…」
それなりの経験を経た答えが小気味いい。 きけば、専属を務めたこともあるという。
「やっぱ専属だと心を理解してもらえるっていうか、愛の急所を衝かれるのがいいですね…」
は?愛の急所ってナンダ?と面食らって質問を重ねるうち、また盛大にログが積まれる。 彼はメンタルな話も好きらしい。 挙句トラとかウマとか語り始めるや、私はおよそ相槌をうつばかりとなり、この辺何を話したか憶えてない。
◇
ただ、その話の流れで、「愛を感じることはありますか?」と訊かれた。 あまりに茫洋とした問いにたじろぎながら、ようよう答えを返す。
「私は結婚してるので、夫からの愛は感じてますよ」 「どういうときに感じますか?」
再びうぇぇと頭を抱えつつ、乗りかかった舟だとばかりに真っ当に答えてみる。
「気遣ってくれるときとか労わってくれるときとか…まぁ、日常のあらゆる場面で感じますけど」
文字にすると麗し過ぎて小っ恥ずかしいが、実際そう感じるのだからしょうがない。 更に質問は続く。
「奴隷からの愛についてはどうですか?」
完全に彼のペースにはめられつつ、しかし、私はここで答えに詰まってしまう。
◇
この成り行きにして言い訳がましいけれど、イリコに愛がないとは思わない。 だから、奴の位置で、奴に出来る方法で、その愛は示されているはずだ。 夫について、「日常のあらゆる場面で」と答えたが、奴とだって相当に日常的に関わっている。 奴なりの気遣いや労わりだってもらってると思う。 なのに、奴については即答できなかった。
◇
私もまた茫洋と、愛について思う。 人はどういうときに愛を感じるかしら? どうやって愛を示すのかしら?
「愛している」という言葉そのものが、その役目を担うこともあると思う。 しかし、その言葉だけではたぶん、愛は伝わらない。 かけがえのない人をかけがえがないからこそ大切にしたい心根が、言動を通じて伝わるものと思う。
夫は私を「愛している」と言ったことはない。 それでも、私が夫の愛を感じるのは、本当に大切にされている実感を得ているからだ。 てことは、私が奴からの愛に確信がもてないのは、その実感が薄いからかしら? 夫よりはよほど、奴には気遣ってもらってるし、世話を焼いてもらってるのに…?
もっとも奴との場合、主の位置だと、 奴隷から大切に’される’という語感自体につまづいてしまう部分がある。 だから、私の感じ方そのものに問題があるのかもしれないね。 とすれば、奴には申し訳ない限りだわ。
…先の問答続き。
「愛を感じることが出来るって大事ですよね」
そのM魚が応えて言った。 私もそう思う。 わかっていたけど、今更に身に染みて思うよ。
◇
改めてとなるが、私は主従間にも愛が存在すると思っている。 少なくとも私は、奴を愛している。 かけがえのないものとして大切にもしているつもりだ。
けれど、その愛は奴に伝えられているだろうか。 奴は、その愛を感じられてるだろうか。
2004年05月19日(水) |
相性いいとか悪いとか |
割と最近、イリコに血液型を訊かれた。 もっとも、奴の運転する車中での雑談とて、深刻な話ではない。 が、あまり唐突に訊かれたので、答える前にナンデ?と返す。
「いえ、こないだお見舞い行ったときに、 そういえば自分は**様に輸血できるのかなぁと思ったもので…」
なるほど、麗しい発想だねぇ。 とりわけ、身を呈して主を助ける奴隷なんてのは、奴が好みそうな美談である。 納得しつつ、クツクツと笑ってしまう。
「おかしいですか…?」 「いや、おかしくはないよ」 戸惑う奴を制して、ようやく答えてやる。
「残念だけど、A型だよ。ま、せいぜい、枕元で顔でも扇いでやってちょうだい」 冗談めかして軽くいなしたが、これを先途に話を転がしてみた。
「随分前に言ったでしょう?B型と相性最悪のA型だって(笑」 相性最悪のところにアクセントを置いて言う。 つまり、奴はB型なのだ。
「はぁ…」 「基本的に血液型云々とか拘らないんだけど、経験則としてそうなのよ、特にオトコ」 今度はオトコを強調(笑、いやいや、楽しい。 けれど、本当のことだ。
「B型だからダメってことですか…?」 「ダメってことはないけどさ、ちなみにキミとは星座の相性もサイアクらしいよ?」 抜かりなく、トドメを指す。 ま、このくらいにしといてやるか(笑
◇
後日、知り合って間もない方とメッセで話している折に、血液型の話題になった。 そういえば…と、ネタがわりに先の話を披露する。 他人様相手だと、確かにそんな気もするのよね…と愚痴めいた補足もしてしまう。
すると、「奴隷って、相性悪くてもいいんですかね?」と訊かれた。 うーむと考え込むうち、ログが積まれる。「逆に、相性悪いからいいとか?」 その興味深い命題にハッとして、考えを巡らした。
◇
血液型や星座の相性に頼るまでもなく、やはり私と奴は相性がいいとは言い難い。 趣味や興味の対象が違うのはさておき、ひとつ事に「あぁそうそう」と同調しあうことが少ないように思う。 だから、いわゆる気の合う者同士、話が弾む的展開に恵まれない。 もちろん、長々一緒にいれば長々喋ってはいるのだけど、 互いにいちいち引っかかっては、それを解きほぐすみたいなまどろこしい会話になりがちだ。
つまり私たちは、普通に出会えば、友達にすらなれないのではないかと思うのだ。 それが、偶さか主従なんて関係を結んでしまって、紆余曲折あるにせよ、三年半も共にあるのはなぜか? いや、もちろん、ここまで付き合えるくらいの相性はあるんだとは思うよ。 それにしたって、妙な話だ。仕事絡みの関係じゃあるまいし…。
と、ここでハタと気付く。 私たちの関係は、あたかも仕事上の上下関係のようだわと。 だから、恋人や友達のような親密さは必要ない、というか、逆に生まれないほうが都合がいいのだ。 互いに、その一線をおくことに意味を見るし、心地よさを感じる、だからこその関係なんだね。 ゆえに、たぶん、少なくとも私たちにおいては、「相性が悪いからいい」のかもしれない。
◇
それに、私に限っては、相性の悪さに助けられる部分もあるか。 だって、奴の言動に無理なくナンクセつけられるものね(笑。 相性のいいひとだとすんなり馴染んじゃって、アラを探すのに難儀しそうだ。 それって、かなーりツマラナイわよ?
もっともこの辺、奴にしてみれば、気の毒な話ではある。 奴が、叱られ好きのマゾだったらよかったのにね。 あぁでも、そしたら、私はゼッタイ奴を選びはしない。
その意味では、相性がいいってことだねぇ(笑
2004年05月18日(火) |
信頼するとかされるとか |
> ご指摘の通り、私は未だに**様を信頼しきっていないと思われます。 > 信頼しきっていれば、全てをさらけ出す事ができるでしょう。 > そうできなかった私は、**様を信頼しておりませんでした。 イリコにここまで書かせてしまった私だが、しかし、私とて奴を信頼しきってはいない。 言葉にすれば何とも寂しい話だけれど、本当のことだ。 だいたい、人が人を信頼しきれるものかとさえ思う。 これまた、我ながら何とも貧しい感覚ではある。 この歳にもなって、僅かながら人間関係もあって、なのに未だ確信をもてない自分が情けない。
信頼しきるに懐疑的な私は、当然、信頼しきられる自信もない。 というか、その状態を想像できない…子でもいれば違ったのかな? 無理やり想像してみれば、それは非常におっかないことだと気付く。 つまり私は、信頼しきられたくないってことなんだろう。
てことは、その逆も真なりで、 私は人を信頼しきれないのではなくて、信頼しきりたくないってことになるか。 同様に、人を信頼しきるなんておっかない、と。 なるほど、確かにそう思う自分がいる。
もっとも、信頼’しきる’なんて突き詰めなければ、 私だって、人とあれば信頼したいし、されもしたい。 もちろん、信頼するのもされるのも、それなりにおっかないとは思う。 けれど、それを圧してもそう望むのは、相互に信頼しあう関係に価値を見るからだ。 それはとても合理的で、かつ平和で、何より自分にとって深い満足がある。 信頼できる人のいる安心とか、信頼されることで得る自分の存在意義とか、自信とか。
◇
言うまでもなく、信頼−関係とは、「信頼する/される」間柄だ。 が、さて、この「する/される」は等分なんだろうか。 あるいは、因果関係があるのか。 手っ取り早く言えば、「信頼したぶんだけ信頼されるんだよ」とか、 「信頼されないのは信頼してないからだよ」なんてことがあるのか。
奴とのことを思うとき、私はそんな疑問を抱く。 そして、こうして半ば言葉遊びのように、考えをこねくり回す。
実感としてわかっているのは、 信頼して下さいと請うても信頼は得られず、信頼したいと願っても信頼に届かない、 そんな恐ろしく当たり前なことだけだ。 もちろん、信頼関係なんて一朝一夕に築けるとは思ってない。 やはり、信頼は徐々に育つものと思う。 しかし、親密に関わり続ければ、必ずや得られるものだろうか。 それが、自然な成り行きなんだろうか。
例えばこのとき、信頼に与しない、あるいは臆病な者どうしであったなら? 信頼したくない者、信頼されたくない者、信頼するのが、信頼されるのが怖い者。 それらの関わりに信頼は育つだろうか。
関わり続けて三年半、未だ信頼関係に遠い私たちが、そうしたマッチングである可能性は否めない。 互いに、相手から信頼されたいと願いこそすれ、信頼したい気持ちに欠けているのではないか…。
◇
エスエムなんてやってると、再々「信頼関係」という言葉に出会う。 あまりほうぼうで見聞きするものだから、本来麗しいその言葉が実に陳腐に思えるくらいだ。 実際、SM行為をせんがために掲げた看板だろうと鼻白むこともある。
しかしその一方で、ただの看板でさえ、見るだに鬱々となってしまうのも事実だ。 「信頼関係」に疎い私は、そう確信できる人たちが羨ましいんだね。 その人たちが謳歌する「信頼関係」を持てない自分に凹むんだね。
◇
さて、ここまで。 信頼について考えれば考えるほど、頭が煮えてくる。 なんだか、「信頼関係」という魔物に呪われているような気さえする(笑
2004年05月16日(日) |
イリコの感想文 13 |
「番外」を拝見して、初めて気がついたことがあります。
過去何度か、悲しさのあまり**様の御前で真剣に泣いた事があります。 確かに私はご指摘のように、**様を拒絶する雰囲気をまとっていたかもしれません。 ただそれは、**様に対し怒りがあったり、含むものがあるわけではないのです。 図らずも今回、私が**様に対し怒りを抱いたことが判明しました。 しかし、泣いている時はそうではないと考えています。 その原因は、まさに記事のご高察の通りです。
ノーマルなお付き合いでも、みっともない自分を見られたくはないと誰もが思うと考えます。 しかしそうはいかないのが普通で、やがてそれを受容し、納得していくのが人とのお付き合いなのだろうと 今では思われます。 その点で考えれば、やはり私は人との付き合い方が不全なままであったのだなあと感じています。 私は**様に、格好いい自分、見せたい自分だけを見せようとしていました。 SM的主従関係という特殊な間柄を差し引いても、それはいかにも奇妙な、傲慢なものでした。
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私は性格的に、ストイシズムに親和感を持っています。 それはマゾヒストとしてのモットー、自分のマゾヒズムの基盤にもなっていきました。 しかしそれはいつしか変質を遂げ、**様に対する壁となっていきました。 全てを**様から覆い隠して、自分の考えるあるべき姿、ありたい姿だけを見せようとしていたのです。
そしてそれが持ちこたえられなくなった時、自分の感情が弾けた時、 其処に**様はいなくなってしまうのです。 あるのはただ、**様に醜態を晒した自分、しかいないのです。 それは私に到底耐えられるものではなく、狂おしさに我を忘れてしまいます。
私の怒りが表に現れたのは、あの時が初めてでした。 その時まで私は、**様に対し怒りがあることすら自覚していなかったのです。 しかし、心が割れるほどの苦しみの中で、表に出てきたのはあのようなものでした。 いえ、其処までの状態にならなくては、表に出せなかったのかもしれません。
まだお付き合いが浅かった頃より、 **様からはこの番外編のようなことをおっしゃって頂いておりました。 結局その欠点は直らず、終末的な事態を迎えてしまいました。 **様と私とのお付き合いは、時間的には継続しております。 しかし、お互いの気持ちの中では一旦は途絶えた、途切れてしまったといわざるを得ないと感じています。
それを踏まえた上で、新しい関係を築いていかなくてはならないと考えております。 私が張り巡らしてしまう壁を払う事ができるか、それがいつのことになるのか、今はお約束できません。 ただ、**様を阻んでいるという事実を、とても悲しく感じています。
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ご指摘の通り、私は未だに**様を信頼しきっていないと思われます。 信頼しきっていれば、全てをさらけ出す事ができるでしょう。 そうできなかった私は、**様を信頼しておりませんでした。
**様から許しを求められたこと、私がそれを受諾したこと、 **様に許しを求めたこと、**様がそれを受諾したこと、 それらは、2年半のお付き合いの中で初めて起こったことです。 とりわけ、私からのお詫びについては、 これほどの事態にならなければそうできなかったと考えると、自らの頑迷さに暗然といたします。
私は、**様との深いお付き合いを望んでいなかったのでしょう。 いや、恐れていたのかもしれません。 頼り頼られ、思いをぶつけ合う、そういう関係に踏み込めませんでした。 立場はどうあれ、そうあるべき段階であった、そうあるべき関係であったと今は感じています。
---
記事からは外れますが、この感想文を書きながら、しばしば思い出す光景があります。 記録を確認すると、昨年の4月、バス旅行の前でした。 某植物園へ花見に出かけた時のことです。
私が道に迷ったことを、覚えておいでだと思います。 植物園を探して歩きながら、それでも**様はご機嫌がよかったように思われます。 片や私は、道を間違えたというその一点のみに捕われ、パニック寸前でした。 ここに、関係の破綻の萌芽が現れていたように感じています。
起こしてしまったことは取り返しがつかず、明るみに出た事実も真正面から受け止めるしかありません。 一見復したかのように見える私たちの関係も、新しい局面に入ったと認識しております。 記事の中でも、番外編を拝見すると未だに動揺いたします。
しかし、今は示してくださった**様のお気持ちを信じて、 バランスの取れた人格を養成していきたいと考えております。
(了)
2004年05月15日(土) |
イリコの感想文 12 |
なぜ電話のことが出てきたのか訝しく思っておりましたが、ここへ繋がったのですね。 確かに、私が**様に自らお電話を差し上げたのは極めて稀なことでした。 私が電話を差し上げたのは、因果を疑ったわけではありません。(※註) メールで入院する旨お知らせいたしましたが、それだけではご心配なさるかと考え、直にお知らせした次第です。
入院する日、病院から足を踏み出てすぐにお電話を差し上げたのですが、 変に大きな声だったようで申し訳ありませんでした。 ご心配をおかけしないよう元気な声を出したつもりだったのですが、少々行き過ぎたようです。
原因を考え始めたのは、病院のベッドに落ち着いてからでした。 **様からの感染は、まったく考えませんでした。 さらに、記事でも書いて頂いております通り、私が**様以外の女性と交渉を持つ可能性はなきに等しいです。 色々と考えましたが、今では、やはりストレスから来たのではないかと考えております。 発症したのは、ホテルの晩からわずか3日目でした。 思いも寄らなかったことですが、私は心気病みをしやすいことが判明しております。 **様もホテルでの一件には著しい疲労に襲われたようですが、私の変調もそれが原因ではないかと考えました。
---
お気遣いをさせてしまい、申し訳なく思っております。 確かに入院して数日間は辛かったものの、 歩いて食事へ行きトイレにも行っていたのですから、**様へお電話をすることは可能でした。 心配りが足りなかったと反省しております。
私がもっと連絡を差し上げていれば、記事に書かれていたようなご懸念はなさらなかったものと思われます。 病床では確かに様々なことを考えました。ホテルでの出来事も勿論のことです。 しかし、自らの行状や心根を反省こそすれ、関係性に疑問をもつことはありませんでした。 あの時首輪をお願いしたのは、私にとってそれなりの勇気と、覚悟と、決心をこめたものでした。
以下、番外編の感想を述べつつ、まとめとさせていただきます。
◇
※註:当該記事の表題「因果はめぐる」を受けての所感。 もっとも私が「因果」と表したのは、こんな表層的なものじゃありません(笑
◇
さて、長々掲示してきたイリコの感想文ですが、次回で完結です。 かなーりシリアス&シビアな内容で、この長文は閉じられます。乞うご期待w
2004年05月14日(金) |
イリコの感想文 11 |
本当のことを申し上げれば、なぜあの時首輪をお願いしたのか、実はわかっておりません。 **様もご存知のとおり、私は様々な事象を理由付けることを好みます。 悪癖といえるかもしれません。
ただあの時は、そうしたい、戻りたいという、言うに止まれぬ衝動が沸き起こったのです。 理由はありませんし、理由付けることも出来ません。 私の表情が変わったことにお気づきになったようですが、それはこの衝動に驚いたからでした。
勿論、口にするには大きな躊躇いがありました。 その後なかなか言葉が出なかったのは、その事に苦悶したからです。 この事態を私自身が望んだことは、十分に承知していました。 **様を著しく傷つけたことも判っていました。 しかしそれを打破するほどの想いが、その時私の中に生まれました。
さらには、**様に何かを願うことを、異様に恐れていたというのもあります。 その点では、私は未だに殻を脱しきれていなかったのかもしれません。 言葉を発した直後の私の様子は、惑う心を圧して言葉を発したことによるものでした。
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記事によると、その後の展開は**様にとって、半ば自動的なものだったようです。 確かに、急転直下の展開でございました。 この点でも、私は**様を無視してことを進めてしまったように感じられます。
私自身も、その願いが受け入れて頂けるかは半信半疑でした。 その願いを受け入れて頂いて、大変感謝いたしました。 ただ、自分でも驚くほどに、いつも通りの動きと情動が戻ってまいりました。 それが**様の反応に呼応したものなのか、今となっては判りません。 どちらかといえば、私の独り善がりに寄るものであったような気がしております。 もう少し**様のお気持ちを伺うべきであったと反省しております。
**様には、以後も奇妙な感覚が残りつづけていたのですね。 あれだけのことがあったのですから、ごもっともなことと思われます。 記録を紐解きますと、当日の**様の就寝時刻は23時45分でした。 私も早いなと感じましたが、考えてみますれば、 ホテルには15時に入っていたのですから、9時間対話していたことになります。 十分に長い時間であったと思われます。
一夜が明けた後、全てがリセットされたとは考えておりませんでした。 ご寵愛を頂いている時は夢中でしたが、前夜の記憶はありありと脳裏に焼き付いておりました。 ただ、**様が空を見上げていた時、私は**様を感じていたのです。 其処には、確かな実在がありました。
髭については、申し訳ありませんでした。 剃り忘れたのは間違いないですし、其処まで気が回りませんでした。 また、最後の言葉に着いても深くお詫びいたします。 申し訳ないのですが、そういう言葉を発していたと、この記事を拝見して初めて知りました。 やれやれというのも、そのようなつもりはありませんでした。
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帰宅後直ちに頂戴したメールには、そのような意味があったのですね。 それだけ、私が**様に与えたダメージは大きかったに違いありません。 それを思うと、何とも申し開きが立ちません。 当日だけでなく、その後もご心痛をおかけしたのですから。
確かに私は、自分の中で完結させてしまう傾向があります。 そしてそれは、**様の存在を無視することに繋がってしまいました。 あの一夜を過ごした**様が、記事にあるようなご懸念を抱くのは、無理ないことかと存じます。 しかも私は、突然別れを表明し、突然戻ると申し上げたのですから。 その急激な振幅に、**様が私への信用を失うのはごもっともなことと思われます。
2004年05月13日(木) |
イリコの感想文 10 |
泣いた直後のことは、実は覚えておりません。 身の回りを整えたことは、恐らく反射的に行ったものと思われます。 まるっきり空っぽに、無になっておりました。 目は開いていたものの、意識が飛んでいたかも知れません。
横に座るようお誘い頂いたのは覚えております。 確かに、肩を並べていれば相対することは無いですね。 私が**様とご一緒すると緊張するように、**様も私と相対していると気を張ってしまうのでしょうか。 **様にはリラックスして頂きたいと願っておりましたが、やはりそこには厳然と存在するものがあるのでしょう。
私の狭量さにお心遣い頂き、深く感謝しております。 さぞかし辛い日々だったことでしょう。 自由闊達なコミュニケーションを確立できず、**様の振舞いを受け入れられなかったことを、 大変に申し訳なく思っております。
この章の最後の一文は、大変に心苦しく拝見しました。 この感想文を通じて、随所に現される**様の心象が、とても胸に迫ってまいります。 今更ながらに人の心の奥深さに触れた心持です。
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当たり前のことですが、**様と私が肩を並べて歩いたことは何度もあります。 身長だけを比べれば、**様がヒールをお履きになっても私のほうが少しは高いでしょう。 それでも小さく見えていたということは、座り位置もさり乍らお互いの関係性がそう見せていたのでしょう。
お店などで、並んで座ったこともございます。当然に肩は並んでおりました。 しかしこの時は、その関係が破綻しつつありました。 となれば、**様の目に映る私は、違った姿を見せていたのかもしれません。
**様のお気持ちが、遠くへ消え去っていくご様子がありありと綴られ、大変に苦しく拝見しました。 しかし、そうさせてしまったのは私でした。 この時、確かに私たちは終っていたのでしょう。 あの2ヶ月間、私が苦しみつづけたのと同じように、**様も苦しんだに相違ありません。 それを思うと、何とも申し訳がありません。
**様からお詫びを頂いた時のことは、よく覚えております。 **様は、まっすぐ私の目を見て、お言葉を述べてくださいました。 **様に私が違った姿に見えていたように、その時の**様は私が初めて拝見する姿でした。 そう感じたということは、私も今までに無い心境にあったということかもしれません。 そしてそのお心のこもった、飾らないお言葉が、私の胸の中にストンと入ってきたのでした。
**様からお詫びを頂戴した後のことは、私も今となっては記憶が薄れております。 ただ、すっかり暗くなった部屋の中で、**様が少しずつ、 私に語るでもなく、お言葉を続けていらしたのを覚えております。 記事では書かれておりませんでしたが、ご友人のことなども触れられておりました。
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「ホテル7」も、傷つき打ちのめされた**様の心象が綴られており、辛かったご様子が伝わってまいります。 「犬」さんとのことは以前にも伺いました。 私は「犬」さんの足元にも及びませんが、そのように思っていてくださったことを知り、感無量です。
**様が泣いておられるところを拝見したのは、3年前の一件以来2度目です。(註※) その時とは違い、声こそ出されなかったものの、細く長い啜り泣きが続きました。 私は、**様が泣きも笑いもする「人」であるということを、この時初めて理解したのかもしれません。 **様は「タダノヒト」に戻ったと書かれておりましたが、この時私もそう思ったわけではありません。 しかしその時、私の心中にそれまでに無かった転回というか、転機が訪れたことは確かでした。
その後私が発したお詫びの言葉は、それを受けてのものでした。 まさに遅きに失したということになりますが、その時は、素直にその言葉が出ました。 いえ、お詫びしなくてはいけないと感じたのです。
◇
註※:三年前に泣いたのは電話越しでしたw
実は、「ホテル5」のあたりは、大体のところしか覚えておりません。 大変申し訳ありませんが、細かいところを覚えていないのです。 記事を拝見して初めて知ったこともございます。 この仕儀で、**様に深い哀しみを与えてしまったことを心よりお詫びします。
しかしながら、これがあったからこそその後があり、現在に至っているということは否めないと感じております。 決して歓迎されることではありませんでしたが、これも私の真の姿であったと受け入れております。 そしてその姿をご覧頂いたことは、二人の関係に新しい要素を加えたものと感じております。
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**様から、お声をかけて頂いたことは覚えております。 お答えした声音が柔らかかったとは知りませんでした。 それは恐らく、平常心を取り戻したからではないかと思われます。 私は立場によって、**様との接し方を変えようとは考えておりませんでした。 例えどうなっても、変わらぬ姿勢を貫こうと決めていたのです。
だからこそ、その後の展開は意外なものでした。 胡座になっていたのは判っておりましたが、いつなったかはまるで覚えておりません。 なぜ判ったのかというのも、**様からベッドの上に上がるようご指示を頂き、初めて判ったようなものです。
この記事を拝見して、非常に驚いたことが何箇所かあります。 そうでしたか。私は「オレ」と申し上げていたのですね。 **様におかれては、さぞかし驚き、残念に思ったことでしょう。 私も大変無念に思っております 。**様にそう申し上げたことは、生涯の痛恨事です。(註※)
この「叫び」も同様です。 **様に何か叫び上げたことは覚えておりますし、大体このような意味であったことも把握しておりますが、 このような表現であったことは初めて知りました。 このような剥き出しの感情を**様に叩きつけたことを、大変に悔いております。
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ここで記事では番外編が入りますが、その感想はまとめを兼ね、最後に綴らせて頂きます。
私は、恋愛と主従は極めて近いが、何処かで違うところがあると考えておりました。 相違点はいくつか挙げられると思いますが、その中の一つに、主従間で喧嘩は起こり得ないと考えていたのです。 つまり、喧嘩が起こるということはお互いが対等の立場に立つと言う事であり、 少なくとも私の中では、主従間では無いはずのことでした。
**様に対し怒りはないつもりだったのですが、 私の心の中にはどろどろとしたものがあり、それは怒りと称しても良いものでした。 その観点から見ても、まさに私は奴隷の座から外れてしまっていたのでしょう。
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「ホテル5」から「6」にかけてを拝読すると、当時の感情が思い出され、 今でも鼻の奥がツンと痛くなります。 哀しさ、苦しさ、辛さ、もどかしさなどですね。 まさに心が割れるような苦しみでした。 ただこれらが私の奥底にあったことは確かなことで、 そこまでにならないとその中身が現れてこないとは、自らの頑迷さに驚くばかりです。
私の姿をご覧になった**様の感想が、「ホテル5」から「6」にかけて綴られております。 それらを拝見した時、胸を衝かれる感じがいたしました。 その心象が、二人の関係を考えていく鍵になっているのかなと考えております。
私の感覚では、まさに醜態と言えるものでした。 しかし**様はそれを受け入れてくださいました。 私の考える奴隷の範囲を完全に逸脱しましたが、**様は許容してくださいました。
大変に感謝すると同時に、 二人の関係がそういうものであるということを、2年半経って初めて気がつきました。
◇
註※ これは奴の記憶違い 前回私をフった折にも連発(<オレ)してますw;
**様からすれば、穏やかに過ぎ行く有様が奇異に感じられたようです。 これはメールでも差し上げましたし口頭でも申し上げましたが、 事態がここまで至った原因は、私の気持ちが磨耗したからでした。 其処まで昂ぶるものが、既に私の中には無くなってしまったのです。 また、先の誓いが心の中にあったということも言えます。
さらに、私にとっての主従関係は、上下関係に近いものがあったということも挙げられます。 これは私たちが知り合ったころに、既に**様にご指摘頂いておりますね。 記事にも書いておられますように、 男女間の別れというよりは、職を辞するような感覚が、私の心象には近いものでした。
**様には2回大変な思いをさせてしまったわけですが、決してこれが私のやり方というわけではありません。 しかし、過去の女性経験においても、別れ際に修羅場になったことが実はありません。 ひょっとしたら、私の性格、気質によって、このようになってしまっているのかもしれません。
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私に決定的に欠けていたものは、 この関係が二人で作っているもの、二人のためのものであったという認識でした。 SM的主従関係という「かたち」に引きずられ過ぎ、お互いの立場を分けて考えていました。 だから、**様の許しを求めることがありませんでしたし、自らで完結してしまったのでしょう。
M男性の基本概念として、「主様のために・・・」というのがありますね。 よく聞く言葉です。 実は私は、この表現には違和感を感じていました。 自分を例に取れば、「この関係は**様のためです」と考えることに、非常なためらいを覚えていました。
あの出来事を経過し、時間も過ぎて、さらに**様の記事も拝見して、 この関係が二人のためであることを、私のためでもあり、**様のためでもあることを、 やっと認識しました。 いえ、今までも気がついていたのかもしれません。 しかし今、それが確信に変わりました。
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たった1週間で、全てが決着してしまったわけではありません。 前述の通りに、気持ちは少しずつ削れていきました。
ただそれまで私はまったく変わらず**様に接していましたし、 当日でさえ振舞いは変わらなかったように記憶しております。 しかしながら、最後の臨界を越えてしまったのはその日その時でしたから、 いかにも急なお話であったと今では感じられます。
確かに、その崩壊の過程に**様の姿はありませんでした。 おっしゃる通りに、自分の中だけで全てを片付けてしまいました。 わが身可愛さに、洞窟の中に逃げ込む癖は直っておりませんでした。
あの時でさえ、**様をいやと思ったことはありません。 後に出てまいりますが、怒ったわけでもありません。 情の部分での葛藤が感じられなかったということは、先に申し上げた私の自制もありましょうが、 この心情によるところが大きいです。
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「ホテル4」での問答の時の情景は、今でも鮮明に覚えております。 ご質問を頂いた時の**様のご様子も、その声音さえも記憶しております。 気落ちなさったご様子が感じられ、大変に胸が痛みました。
しかしながら、記事でもおっしゃられておりますとおり、私の回答はあまりといえばあまりなお返事でした。 大変に思慮を欠いた申しようであったと、今では深く反省しております。 その時でも、そうお答えすることに躊躇いがありました。 しかし、これ以上ないシリアスな対話に、迂遠な言い回しをする余裕がありませんでした。
おっしゃられる通りに、意表を衝かれたことは確かです。 さらに、「言わずもがな」というご指摘は、記事を拝見した時に納得いたしました。 今から考えれば、そのような気持ちがあったかも知れません。
また、私は形や状況にとらわれ、自分がどういう感情を持っているのか、 自分達がどういう関係を築いているのかを見過ごしておりました。 いえ、見過ごしていたからこそ、あのような状況を招いてしまったのでしょう。
「ホテル4」の後半を拝見すると、実に辛いです。 其処に綴られている恐ろしいことが現実に起こったこと、 そしてその原因が私であったことを、大変に申し訳なく感じております。 この文章を拝見すると、今でも泪を禁じ得ません。
あのスーパーでのお買い物は、今でも鮮明に覚えております。 **様が大量にお買い物をなさっていたのでどうなさったのかと思っておりましたが、 そのようなお心持だったのですね。 考えてみますれば、非常に寂しい、辛い情景です。 そのようにさせてしまったのが私だと思うと、お詫びの言葉もありません。
私が何か商品を選んだことは初めてではないと思いますが、 切なくお感じになったということは、その時の状況そのものが切ないものだったということでしょう。 当時の情景を思い出しますと、私も切なくなってまいります。 あの時の食料品は、おおむね二人で食べきったと記憶しています。 カゴ一杯の食品達が捨てられることが無かったのは、良かったことと感じています。
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行き先の洞察力が足りず、申し訳なく思っております。 確かに、**様と私が過ごした年月は、 街中のレストランあたりでお話するには長すぎる、重すぎるものでしょう。 今では**様のなさったことは、真に適確なものであったと感じ入っております。 ただその時は、わざわざその為に某所まで行くという発想が湧きませんでした。 さらにお部屋までとって頂いているとは想像もしませんでした。
今から思えば、某所をお選びになったというのは慧眼であったのかなという気がしております。 良くも悪くも人工的な町で、人の匂いが満ちていたように感じます。 これが山中のリゾートホテルなどであったなら、相当に精神的に厳しかったのではないでしょうか。
確かに、私が座した位置は**様からいささか離れていたように思えます。 私といたしましては、予想外に広かったあの部屋の大きさにあわせ、適正な位置を占めたつもりでした。 しかしながら、過去シティホテルにご一緒した時は、もっと近くに寄せて頂いていたようにも思われます。 であれば、やはり私は**様に対し距離をとっていたのでしょう。 悲しむべきことですが、**様の記事を拝見して自覚いたしました。
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「ホテル1」終章での私の描写を拝見して、私もとても驚きました。 そうでしたか、私はあの時、そのような表情をしていたのですね。 それまでお見せしたことの無い姿をご覧頂くことになり、大変申し訳なく思っております。 **様とご一緒している自分は、特に飾ることもなく、変えることもなく、ありのままでいるつもりでおりました。 それがそうでなかったことを知り、ショックを受けました。 ただ、それも私の本性の一つなのだろうと、今は胸に収めております。
この対面に臨み、一つ心に決めていたことがあります。 どんなことになっても平静を失わず、穏やかで自制を保った態度に終始しようと。
それには理由があります。 去る3年前の一件は、私にとりましても極めて大きな衝撃でした。 **様とお付き合いさせて頂くようになってから、その轍は踏むまいと心に誓いました。 その誓いを遵守しようと考えていたのです。 私が当初冷静な姿勢を堅持したのは、そのような理由によるものでした。
その時私は、M男性の顔ではなく、社会に生きる普通の男性の顔をしていたのでしょう。 意図してそのように振舞ったわけではありませんが、 自らの思いを語るとき、M男性であることを維持できなくなったのかもしれません。 見知らぬ人に見えたということが、実に無念です。
奴隷という立場を与えられたならば、自らその座を降りることなどありえない、許されない と斯界では言い習わされております。 私も、そう考えておりました。 もちろん外的要因で関係を続けられなくなることはあろうかと思いますが、 そうでなければ、解任されない限り関係は続くのだろうと思っておりました。
今回の経験を通じ、かつ**様の記事を拝見して感じることは、 この関係はまさに心の中だけにあるものだなあということです。 SM的人間関係をまったくの非日常として構築しているカップルもいるかと思います。 それはそれで見識のあるありようでしょう。
私達の場合はそうではありませんが、 それだけに本来不合理な関係を日常の中に現出させようとしているのですから、 それは夢と呼ばれて良いものかもしれません。 私にとりまして**様との関係は現実そのものですが、心の崩壊は立場の崩壊を招きました。 気持ちのみによって維持されていた関係の行く末は、**様の記事でも描写されております。 そしてこれは夢からの覚醒、違う場所への帰還と言えるでしょう。
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**様の奴隷さんたちが去っていったお話は、以前に伺っております。 皆止むに止まれぬ事情があって、**様の下を離れたものと思われます。 其処に思いを馳せる**様は、なんと優しい方かと感じました。 私のことも同様にお考え頂いていることを知り、大変に感動しております。 某さんのことでも申し上げましたが、縁あって結ばれた関係は、珠玉の思い出となって残るでしょう。
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メッセンジャーを頂いたのは、某日に私がメールを差し上げた後と記憶しております。 やはり電話とは違ってある程度平静を保てるらしく、至極真っ当に受け答えをしているつもりでした。 しかしながら、**様の記事ではそのようには受けとって頂いていなかったと拝察しました。 やはり心の奥底にあるものがにじみ出てしまったのかもしれません。 **様がおっしゃった言葉をメッセンジャー上で拝見した時、私も驚きました。 あの状況が私に与える影響をお考えではなかったのかと。 しかし同時に、何か違和感を感じます。 自らの悲しみを訴える間に、その原因に思い至りました。
**様と私の間では、テキストによるコミュニケーションが重要な役割を果たしておりますが、 誤字脱字を拝見したことがありません。 メールだけでなく、メッセンジャーにおいても同様と思われます。 これは、相互理解に繋がっていると感じておりますし、信頼感の醸成にも大きく寄与していると考えております。 あの時のメッセンジャーでは、**様が「本島」とお書きになりました。(※註) それが誤字とわかった時、そこで私は**様が受けている、衝撃の大きさがわかったのです。 そこで初めて、**様の哀しみを理解しました。
あのメッセンジャーで綴ったのは、あまり**様にはお見せしたことの無いネガティブな真情でした。 この期に及んでまで、私は**様に真情をさらすことを躊躇っておりました。 書き込みが遅くなったのは、そのような理由によるものです。 **様に不幸な想像を強いつつ、私は苦悶しながらキーを叩いておりました。
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お電話、メッセンジャーと**様とコミュニケーションを取ることにより、私も常態に復してまいりました。 下さったお言葉に、とても癒されました。 **様と同じように、私もあの書式に極めて大きな意味を見ておりました。 書式を戻したことで、一応の安定を得たことを覚えております。
◇
※註:ほんとうは「本当【ホントウ】」と書くべきところ
※イリコの感想文も既に5回を数えましたが、 実は、分量的にあと10回分くらいあるのです^^; 元々が私信ですので伏字も多く、わかりにくい箇所も多々ありますが、 どうぞこらえて、ご高覧たまわれば幸いです。
◇
メールの内容を評価して頂き、ありがたく思っております。 そしてその所感を拝見したとき、PCの前で泣きました。 **様に其処まで思わせてしまったことに対し、そのお気持ちを思うと涙が出てきました。
あれから3年が経ちましたが、私がつけてしまった**様のお心の傷がいまだ癒えていない事を知り、 申し訳なく思っております。 私自身、折に触れあの時のことが甦って来る時はあります。 再度同じ目に会うかもしれないという恐怖は、よく理解できます。 そのように**様を恐れさせてしまったことを、深くお詫びいたします。
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このお返事は、書くのに相当の時間がかかっております。 従いましてお送りした時刻が遅くなり、そのままPCを閉じました。 お電話を頂いたのは、メールをお送りしてから15分後くらいだったと記憶しております。 既に布団に入っておりました。電話が鳴った瞬間、**様からだとわかりました。 前述の通り、電話に出ないということは考えもしませんでした。
この時の電話の内容がどのようなものであったのか、あまり覚えておりません。 しかしながら、直に言葉を交わして頂いたことで、かなり気持ちは楽になりました。 深夜静まり返った部屋の中で、**様の声が静かに電話口から流れ出てきたことを、鮮明に記憶しております。 記事の中では、この時の**様のお気持ちのありようが綴られております。 極限の状態で初めて繋がるとは、やはり尋常ではない関係なのだなあと認識を新たにいたしました。
僕であることを明言して頂き、ありがたく思いました。 **様からじかに伺い、何を真に求めておられたか初めて知りました。 やっと、今までの状況が何を目的とされていたのか理解しました。 しかし、一旦決壊した気持ちはもとに戻りませんでした。
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10月17日の記事を拝見しますと、**様も半ば諦めかけておられたように拝察できます。 今拝読しても胸が塞がる思いです。 そのような中にも、お心遣いを頂き、ありがたく思っております。
そのようなつもりはありませんでしたが、 今私が差し上げたメールを読むと、確かに過去を振り返るような表現になっておりました。 十分に自制を効かせ、かつ素直な真情を綴ったつもりでしたが、 その文面をご覧になった**様のご心痛は、私も想像するに余りあるものがあります。
おっしゃられますように、「蛇足」という表現は極めて不適当でした。 お書き頂いているように**様からのご提案を受けてのお返事でしたが、 深い関わりを持つ二人の間には実に不適切でした。 この状況で自らの都合を言い募ることへの申し訳なさから出た発言でしたが、 **様の記事を拝見して深く反省いたしました。
メッセンジャーを閉じるという発想は、まったくありませんでした。 前述のように、**様との連絡を絶つということは意識の外でした。 従いまして、私がメッセンジャーを上げていたことに特に理由はありません。 メールこそ書式を変えてしまいましたが、それ以外ではきちんとお付き合いをしようと考えておりました。
3つの地雷の内2つの件につきましては、当時**様から口頭でご指摘を頂いております。 3つ目の件は記事ではじめて拝見しましたが、某日に差し上げたメールの内容でしょうか。 テキストでご心境を伺うと、口頭でお受けしたものとは違う辛さに苛まれます。
某所でのことについては、当時私も戸惑いを感じました。 それまでが極めてシビアな時間だっただけに、訝しく思ったことも確かです。 そもそも、お店にご一緒させて頂くことはないだろうと考えておりました。 この時のことは鮮明に情景が浮かびますが、実に辛い時間でした。 また、**様にとってもさぞ不愉快であったろうと思われます。
ただ、完全に硬直した私を戻すために鞭を下さったとは、当時は思いつきませんでした。 おかげさまで、私は自制と平静を取り戻すことができました。 そのお心遣いと、もたらされた結果との整合振りに驚きかつ安堵いたしました。
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某日に差し上げたメールで、自罰的な表現が目立ったとのことですが、 決してそのようなつもりはありませんでした。 そのようなことが無いよう心掛けていたつもりだったのですが、筆力が足りず申し訳なく思っております。
この記事の表題は「甘い予断」となっておりますが、**様のお考えが甘かったわけではありません。 このとき私の中で、何かが起こっていたわけでもありません。 私の自壊は、あの日あの時発生したものです。 それまでに差し上げたメールは真情を申し述べたものですし、 **様もお書きになっている通り、前日のメールまではそのようなことはありませんでした。
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10月14日の記事を拝見したとき、私も全身が硬直しました。 その時**様が受けた衝撃は口頭では伺いましたが、このように詳細に綴って頂きますと、 今更ながらに自らが犯したことに慄然といたします。 おっしゃる通りに、私の差し上げるメールは体裁が固定されておりました。 これは決め事を遵守することを好む、そして其処に意味を見るという、私の性質によるものでした。 そのように表記することは、私の**様への忠誠の一環だったのです。
この書式が永遠不変のものと思っていて下さったことは、真にありがたく思っております。 其処までご信用頂いていたとは、光栄の極みです。 書式を変えることについては、私にも躊躇と逡巡がありました。 私にとりまして、無意識にできるほど軽いことではありません。 つまり、意図的に行ったことになります。 というよりは、今までと同じように書くことができなかった、というのが実相でした。
この時点で私の気持ちが、潰えていたわけではありません。 それは、その後もメールをお送りし続けたことでもお分かりかと存じます。 しかしながら書式を変えた時点で、私は心情的に越えてはならない一線を越えてしまっていました。 その後のメールでも書式が戻らなかったのは、そのような理由によります。
そのため、某日某所にご一緒した時の記録を書くのは大変な苦痛でした。 **様の言をお借りすれば、このときの私は「どうにかなっていた」ので、 「どうにもならなくなった」状態でその時の記憶を想起するのは極めて辛いものでした。
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私にとりまして、頂いたメールのお返事を差し上げることは、実に自然なことでした。 嬉々として取り組めたわけではありませんが、 誠実に、今の気持ちを正直にお伝えしようと考えました。 止むに止まれず書式は変わらざるを得ませんでしたが、 頂いたメールに返事をしない、ご連絡を絶つということはまったく意識にありませんでした。
**様との対話というものは、私にとりましていつ如何なる時でも最も重要なことです。 むしろ、黙して去る方が辛いです。 記事を拝見したとき、そちらの方が楽かとお考えでしたので、 どちらかというとそのことに困惑いたしました。
某日に差し上げたメールをあれほど評価していただき、ありがたく思っております。 それほどまでの評価を頂戴していたとは思わず、いささか驚きました。 **様の抱かれた期待は、決して過剰なものではないと感じております。 しかしながら、 当時私は既にお詫びしたと考えていたため、その期待にお応えする事はありませんでした。 今となっては、一言でも口頭で申し添えるのが当然と心得ておりますが、 当時はそう考えておりませんでした。
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6日以降のタイトルはすごいですね。 **様のお怒りが伝わってくるような、恐ろしいような表題です。 そして其処に綴られた**様の心象もその変わっていく様子も、恐ろしいばかりに胸に迫ってまいります。 ここに綴られた赤裸々な心象は、まだ見ぬ**様の一端を拝見したに等しく、 今でも拝見するに重苦しくなります。 しかし、それは確かに起こっていたことで、その原因が私にあったことも確かなのです。 さらには、ここに開陳して頂いたということは、私が**様を理解することに繋がるでしょう。
ここに書かれていた内容は、どちらかといえばネガティブな内容だと思われます。 **様もここまでご心境を表していただくには、相当の煩悶があったものと推察します。 それをあえて圧して私にお知らせくださったということは、 これをお知らせいただくことが私にとって必要だった、 私たちの関係にとって必要だったということだろうと考えております。
あまり対人関係に習熟のない私にとりましては、記事のこの部分は拝見するに大変辛い部分でした。 しかし、**様がこのようにお感じになったことは確かなことで、 それを知ることは、私にとって意義のあることに違いありません。 私はもとより**様にとりましても、ご心中を顕わにするのは決して快いことではないと思われます。 お伝えくださったことを感謝しております。
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**様のお心に届かなかったメールとは、某日の深夜に差し上げたメールと考えております。 文面から諦めを感じられたとのことですが、そのようなつもりはありませんでした。 しかしそれは、私の表現力の無さによるものでしょう。 心配りが出来なかったことをお詫びします。
子獅子ではなく奴隷であった私が、谷に落ちたままでいたというのは、 大変に適確な表現と感じ入りました。 まさにその通りで、教条主義者であった私は自らのドグマに縛られ、其処を動くことがありませんでした。 ドグマに縛られるというのは、失態とか心得違いというよりも、私個人の根本的な問題です。 今では其処に気がついていますが、それでもその残滓は引き摺っているような気がいたします。 昨年末の某所での一件などに現れていますね。
**様と私のお付き合いを、**様が描写なさるのは今まで無かったように記憶しております。 大変に新鮮に拝見いたしました。 勿論その後の展開を考えれば能天気に拝見は出来ませんし、 そこに綴られた**様の心象を拝見するに暗然といたします。 とりわけ私の一挙手一投足が**様のご不興を招いた事実を知ると、今でも胸が重くなります。
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ご調教や行為の機会が少ないことについてお心配りいただき、ありがたく思っております。 しかし恐れながら、そのご懸念は無用でございます。 確かに、行為をしたことのないSMカップルというのは奇態なものと感じております。 そもそもお互いにその行為が好きなはずですし、目的はどうあれその行為は絆を強めてくれるでしょう。 単純に肉体的快感を追い求めるというのも、一つのありようだとも考えております。
ただ、**様とお付き合いさせていただいて、判ったことがあります。 私はご存知の通り鞭好きですが、私の幸せは、所有され、管理されることにあるのだと。 今までの時間、経験は、**様と私の絆を築くに十分だったと感じております。 現状で十分に幸せを感じています。
「無言調教」の記録は、3ヶ月近く中断しておりますね。 以前お叱りを頂戴したこともあり、記事の更新については発言を差し控えるようにしておりました。 内容が内容だけに、書きづらいのかなとも考えておりました。 しかしながらその間もご一緒させて頂いておりましたので、自分なりに自制は出来ておりました。
再開後のその4は、大変に辛く拝見しました。 当時私はおそらく心神耗弱の状態になっていたのでしょう、**様のお気持ちに気がつきませんでした。 この篇を拝読して初めて、**様のお心もちを伺った次第です。
しかしそれは現実に起きていたことで、 **様にそのような感情を抱かせてしまったのは、ひとえに私に責があります。 相当に衝撃を受けましたが、このことを胸に納めつつお仕えしていこうと考えました。
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私が気絶したことは、今までにもあった事でした。 しかしそれは耳に、愛撫を頂戴して気を失ったものでした。 鞭を頂戴して錯乱したことはありましたが、完全に気を失ったことは今までなかったと記憶しております。 鞭を頂戴すると意識が分裂すると以前申し上げましたが、この時は痛みさえも遠くなりました。 痛覚が遠くなっていくのを感じて、不思議と心の平安が訪れたことを覚えています。
失神が数回起こったことは覚えております。 目覚めては姿勢を変え、そこでまた鞭を頂戴し、いつしか意識がなくなることを数回繰り返しました。 しかし、バラ鞭の段階で起こっていたとは、まったく知りませんでした。 私も知らない自らの状態を**様から伺うのは、 喜ばしいようでもあり恥かしいようでもあり、という感じがいたします。
物体と化した私の様子がお好きというのは、以前にもお伺いしたことがあります。 図らずもそのような状態になった訳ですが、それで**様のお気持ちが戻ったというのは、喜ばしく思います。 その後蝋燭をして頂いたわけですが、**様にそのようなお気持ちが生まれたということを大変嬉しく思います。 ただこの時の蝋燭は、いつも以上に熱く感じました。 それまでに消耗しきっていたのでしょう、やはり所々記憶がなくなっております。 しかしそれでも、肌に感じる**様のお体が救いでした。
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私が勃起しなかったことについては、以前からもご指摘を頂戴しております。 その度に落ち込んでおりましたが、この時は、殊のほか激しく落ち込みました。 勃起ならびに射精についての感性は、**様が考察なさっている通りです。 今までもそれなりに辛い思いを致しましたが、この時はかなり落ち込みました。 それまでのご調教で、心身ともに消耗していたのでしょう。 **様のお言葉が胸に刺さって、いつも以上に衝撃を受けました。
この記事を拝見して、初めて判ったことがあります。 私が消耗していたのと同じように、**様もお疲れだったのですね。 記事中の何気なくおっしゃったというところに、良く現れていると感じます。 やはり私は、**様を人と捉えていなかったようです。 **様もお疲れになる時があるということを、実感したことがありませんでした。
首輪の2件は、私に取りましても極めて大きな衝撃でした。 一瞬周囲が現実味を失ったほどでした。 平静を保ち続けたというよりは、思考が麻痺したと申した方が正しかったです。
ただ10月にこの記事を拝見して、自らの硬直した姿勢に気がつきました。 **様がお疲れの時まで何かを求めるのは、応用力がないと感じました。 首輪の授受は私たちにとって大変重要な行為ですが、 **様が忙しかったりお疲れの時までそれを求めるのは、本末転倒というものでしょう。
私は度量の狭い人間ですが、 **様がそのようにお考えになったということは、今では喜ばしく感じております。 その後今までに一度くらいは、自分で外したことがあると記憶しております。 その時は予め心の準備をしていたので、さほどの衝撃は受けませんでした。
※閑話休題wにて、イリコから提出された感想文を以下に。 ぼちぼちとであれ、ひと月半かけて綴られた超長文のため、 分割して掲載します。文中リンクで当該テキストが開きます。
◇
**様が更新を休止なさってから、2ヶ月間更新がございませんでした。 その間コミュニケーションの途絶があり、私の自滅があり、ホテルでの対話がありました。 更新が再開された時大変喜ばしく感じましたが、 内容を拝見して真剣に拝見しなくてはならないと感じました。
ある事柄について、 **様からの視点をテキストで拝見するのは初めてであったように記憶しております。 生々しい記憶が甦ってきて辛く感じたことは否めませんし、 随所に赤裸々な心境が綴られており、かなり心苦しく感じました。 しかし、それをお書きくださったお心を拝察し、心して拝見しようと考えました。
「補足」で、私の自滅を総括なさっておられます。 的外れかもしれないとおっしゃっておられましたが、まさにその通りでした。 あの厳しい対話の中で、私の状況を理解してくださったことに安堵したことを覚えております。
---
その後の挿話は、―さんに関わるものと推察しています。 表題(耐えるの功罪)は、まさに含蓄のあるタイトルだなあと感じ入りました。
我が身に置き換えて考えますに、 通常耐えるというのは、美徳の一つと申してよろしいかと思われます。 しかしながらそれは、えてして円滑なコミュニケーションを疎外する可能性が高いと、 今回の一件を通じて感じております。 マゾヒズムはストイシズムに裏打ちされるケースが多いと思いますが、 度を越したそれは、人の道を踏み外していくことを気がつかせないのかもしれません。
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**様とのお付き合いの中で、 懲罰は勿論のこと、ご調教においても何らかの意図を感じる時があります。 これは以前、**様とのメッセンジャー中にもお伺いした記録があります。 行為において単純にFUNを追求なされた時もあろうかと思いますが、 この時はこちらの記事(※)を拝見していたため、いつもと違う心積もりをしておりました。
同様に、調教を施すには心身ともに力が要る、ということもお伺いしたことがございます。 記録を紐解きますと、行きの車中では「会話が弾まない」となっておりました。 確かにこの時は、積極的に話し掛けたような気がいたします。 こうして気持ちを高めておられたと伺うと、ありがたく思うと同時に、 そこまでしていただかなくてはならなかったことに粛然といたします。
この時の記憶は、未だ鮮明に脳裏に残っております。 その時の光景、切迫した状態がまざまざと思い返されます。 正直に申し上げれば、ただひたすらに辛く苦しかった思い出となっております。
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ペットボトル一気飲みは、過去幾度も行っておりますし、 それなりにこなせるようになってきたとは思っております。 しかしながら、その様子が可愛らしいものであったとは、とても意外でした。 私は、呼吸制限の一種かなとか、お聖水のトレーニングかなと考えておりました。 しかし、その行為そのものを楽しんでいらしたとは、かなり驚いたことを覚えております。
室内での浣腸は、大変に辛いものでした。 浣腸への嗜好がなかった私にとりましては、元々浣腸は肉体的にもさりながら、 精神的に非常に過酷なものでした。 **様もおっしゃられましたとおり、私は羞恥萌えはあまりいたしません。 **様の目の前で、しかも室内で排便するというのは、今思い返しても慄然とする体験でした。
**様にお尻を拭いていただいた事は、何度かあります。 その度に著しいショックを受けました。 しかし、排泄物の処理をしていただいたことは初めてでした。 極めて大きな衝撃でした。
ただ考えてみますれば、ご一緒しているのは他ならぬ**様なのですから、 全てを投げ出して、あるがままの姿でいればよいのでしょう。 それなのに衝撃を受けてしまう私は、 まだまだ**様に色々なものをさらけ出せていなかったのでした。
◇
註(※)=直近のウツ1以降の記事
※掲題に絡み、恥ずかしながらワタクシ、 割と最近まで「閑話休題」の意味をまったく逆にとらえていた。 遡れば、ここの過去ログの中にも、その痛い勘違いを晒している…(再痛) ちなみに、上記掲題は造語。念のため(笑
◇
先に話題した、イリコの感じていた「寂寥感」について。 当時を回想して書き記すうち、今にして思い至ったことがある。
あの一件によらず、その以前から、 奴には自身がダメージを負ったときに、そのこと自体に拘泥する傾向があった。 簡単に言えば、いつまでも 「ボクは傷ついたんです…まだ痛いんです辛いんです…」と言い募るような印象。
もちろん、傷ついたこともまだ痛むことも辛いことも事実であれば、 それを他者に表明するのに憚ることもないと思う。 しかし、その他者もまた、同じ禍を被った当事者である場合 ―すなわち、奴とのこれまでの次第においては必ずや私であるのだが、 少なくとも私の場合、そう言い募られるごと、責められているようで落ち着かないのだ。 何度も言われると、腹立たしくさえある。
むろん、私が一方的に傷つけたのなら、幾度責められても甘んじよう。 しかし、同じ禍にあっては私も何らかのダメージを負っているわけで、 かといって「ワタシも傷ついたのよ」と返すに忍びなく、どうにもやるせない気持ちになる。 ましてや、その禍が専ら奴が招いたもので、 つまりは自業自得の結果を「傷ついたんです」とやられた日には、どうしていいかわからなくなる。 この一連の感情のゆくえには、自分の狭量さをつくづく思い知らされるのだが。
もっとも他方、私は奴に起こる変化をなるべく正確に知りたいとも思っている。 だから、事実を正直そのままに言い募られても、疎んじるゆえんはない。 もちろん、理性はその判断に留まり、だからこそ感情を抑えてようよう聞くのだが、 その実不快に揺らぐ感情を持て余しているわけだ。
◇
こうした事情から、奴が「寂寥感」を訴えた折も、私は不快な心持になった。 加えて、奴には恨みがましい気持ちを抱いていたので、尚更苛々と考えを巡らした。 そして、それが奴のプライドに関わるものと思い至っては、マタカヨとうんざりした気分にもなった。
以前から、奴のプライドにはさんざん悩まされてきた。 もちろん、奴隷のくせにプライドなんて…などと極論を言うつもりはない。 ただ、私との関係においてさえ、奴が頑なにプライドにしがみつくのが気に入らない、 というか解せないのだ。 大切な人との関わりにおいて、なにゆえプライドが優先されるのか? もっともそれは私固有の価値観で、奴のそれとは違うというだけなんだろう。
◇
と、ここに気付いて、今一度当時の奴の心象を思う。
確かに奴はプライドが高い。 すなわち、奴の価値観においてプライドは何より大切であるということか。 恐らく、私が思うよりずっと気高いものなんだろう。 とすれば、僅かに傷ついてさえ、奴は相当のダメージを受けるに違いない。 それも、私の想像をはるかに越えて。
あの一連の出来事の中で、奴は「耐えられない自分」に出会い、 あろうことか「人前で醜悪な自分を曝け出す」に至った。 そのいずれもが、奴には大きな失望を招き、そのプライドは深く傷ついたことだろう。 殊に奴の場合、「あるべき自分」への執着が強いので、 その失望たるや絶望に近く、その傷もまた致命的なものだったかもしれない。
そう思えば、奴の「寂寥感」は私の理解に近くなる。 むろん、奴が真正絶望したとは思わない。 が、その淵に立つだけでもどれ程心細かったことだろう。
けれど、いつか不幸にも本当の絶望に堕ちたなら、 その「寂寥感」を訴える相手さえいないのだよ、イリコ(笑。
2004年05月02日(日) |
何のバチが当たったか 2 |
このとき私は、奴の感じている「寂寥感」とは、 プライドが傷ついたゆえの喪失感に由来する、あるいは同等だと考えた。 もっとも、私の理解が正しいかどうかはわからない。 それは、たぶんに予めある思い込みや決め付けが導いたものだからだ。
実際、「こういうことか?」と言葉にしてみたが、奴ははっきり肯定しなかった。 むしろ釈然としない面持ちで、言外に抵抗を示していたように思う。
一方私は、既にこの理解にとらわれて、 あたかも奴に「プライドを傷つけられました」と非難されたような心持になってしまった。 もちろん、奴は現実にそんなことは言ってないし、態度に表してもいない。 つまりは、私の中にある恨みがましい気持ちこそが、そんな想像を招いたのだろう。
そして、その不幸な想像は、改めての鬱屈を呼び覚ます。 すなわち、奴は自分の選択した結果に納得してないのではないか? 折れた自負を悔やみ、今の自分を受け入れかねているのではないか?…そう思うだに、やるせない。 未だ奴に振り回されているようで、腹立たしいような、心許ないような心境に陥った。
もっともこうした感情を、私もまた奴に伝える言葉を持たず、 ようよう「私こそ、’寂寥感’だわよ」と言い捨てて、話題を切った。 当然のこと、奴が私の「寂寥感」について尋ねることもなかった。
◇
こうして私は、奴との関係が未だ危機を脱しきっていないと思い知る。 少なくとも、奴にあっては、自分自身を消化しかねて苦悶しているのだろう。 その奴に今刃を突きつけても、ただ動揺を招き、またいつ意思が覆るかわからない。 ここで感情からいじましく気を晴らしたところで、再びの悪夢を引き寄せては元も子もない。
たとえ鬱屈を抱えても、黙ってやり過ごすべきなのだ、今は。 ようやく気付いて、以降努めてこの話題を避けた。 必然、ここに何をか書くこともやめた。
私が再び書き始めたのは、そこから三月ほど経った頃だ。 流石にもう奴の言動に不安を覚えることもなくなっており、再開することが出来た。 とはいえ、当初筆をとらせた奴への恨みがましい気持ちは、 同じく時間の経過とともに薄らいで、既に主な動機ではなくなっていた。
◇
では、何が動機たり得たのか? もちろん、当時の私の心象を奴に知らしめたい気持ちは依然あった。 けれど、その後の展望を思いついたことで、私は大きな動機を得たのだ。 でなければ、あれ程長々と重苦しく鬱陶しい事柄を書き連ねるなんて出来やしない。 実際、何度も放り出したくなったが、その展望を胸にやり果せた。
そこまで私を駆った展望とは、これをもとに奴に感想文を書かせることだった。 丁度その頃、その以前から奴に課していた作業が完了間近となり、 次の課題に恰好だワと思いついては、せっせと準備を進め、機をうかがった。
結局奴にその課題を命じたのは、更新を停止してからしばらく後だ。 奴の多忙折なかなか機を得られずに、それは正月休みの宿題となった。
その命は、再び奴を悩ませたことだろう。 既に半年が経ったとはいえ、読むことで書くことで、辛い記憶が蘇るのは必至だ。 それ以前、記事が掲示された折々にも、奴は辛さを味わったはずなのに。
よほど難儀したものか、課題が提出されたのは、二月も半ばのことだった。
◇
「念のいったイジメでしょ?」
この仕儀を友人とのお喋りのネタにしながら、そう言った。 冗談めかして言ったけれど、我ながらまったくその通りだと切実に思う。 いわんや、こうしてバチが当たってみれば……。
2004年05月01日(土) |
何のバチが当たったか 1 |
これまでだらだらと事の次第を綴ってきたが、 その渦中にあったのは実質昨年5月から6月中旬までのことだ。 イリコの入院騒ぎの後、奴が完全に復調するのを待って、記録を掲げ始めた。
このとき私は、「事態はほぼ終息したような気がする」と書いている。 確かにその頃の私たちの関係は、ほぼ元どおりになっていたと思う。 が、事態があそこまでこじれてしまうと、 終息したとはいえ、どこかわだかまるものがあったのも事実だ。
何事もなかったように振舞うのも不自然だし、かといって、今更話題に引くのも憚られる。 実際不用意に話題してしまって、却って鬱々となったりもした。
◇
もちろん、済んだことには触れないのが賢明だと知っている。 けれど、私は黙ってやり過ごすことが出来なかった。 愚かにも、後に残るカタチで事の次第をつまびらかにするという暴挙に出たワケだ。 それが、再び奴の心をくじる刃になろうこともわかっていた。
表面的にであれ、 折角元どおりになったのに、何ゆえまたも奴を苛むような真似をしたのか? 誤魔化さずいえば、私の中にくすぶる奴への恨みがましい気持ちがそうさせたのだ。
幸いな結果を得てもなお、いや、幸いな結果に終わったからこそ、 一方的で性急な奴の結論に振り回された感が強く残った。 確かに奴も苦しんだろうが、 その片側にあった私にとっての事実や心象を知らしめたいと思った。 それもまた一方的な欲求だと承知していたが、奴には既に一方的を行使された折から、 これでおあいこだろうと自らに言い訳をした。
◇
こうして再開された記事は少なからず奴の心象に影響を及ぼし、 日ごとに届くメールの文言に表れる。 それを注意深く読みながら、慎重に言葉を紡いだ。
あまり追い込みすぎては元の木阿弥になってしまう。 まだまだ修復途中にある私たちの関係は脆く、わずかに気を抜けば再びの悪夢を見るだろう。
そんなある日、奴が寄越したこの一文に酷く引っかかりを覚えた。
> 今でもなお、幾ばくかの寂寥感を感じる時があります。
その前後には、記事を読んでの感想と自らの回想が連ねてあるのだが、 それと「寂寥感」という言葉につながりが見出せなかったのだ。 その言葉だけ捉えても、この状況で寂しさを覚える自体、私の理解に難い。 いったい、奴は何が寂しいのか?…それは、疑問というよりも違和感に近かった。
◇
数日後、じかに対面した折にその疑問をぶつけた。
振り返ればホテルでの一夜よりひと月あまり、 一連の出来事について具体的な話をするのは、これが初めてだった。 奴が体調を崩したこともあるが、何より記憶が生々しいうちに生々しい話をするに怖じたのだ。
このときも、その問いを発するまでに随分躊躇い、神経質に言葉を選んだ。 問うた後、奴の口からどんな答えを導いてしまうのかと怯えもした。
果たして、奴の「寂寥感」の正体が、明快に私に届くことはなかった。 もちろん、奴は真摯に答えてくれたのだが、 奴自身、その全容を言語化できるほど理解していなかったのだろう。
けれども私は、どうにか私なりの理解に辿り着いては、 ここの掲示を一時中断することにしたのだ。
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