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女房様とお呼びっ!
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2004年06月19日(土) 想ひ出ノォト

 
 
 ※本日付の「女房の呟き」でチラリ予告いたしましたが、
  この度、イリコから驚くべき告白を受けて、またもアレコレ思考中…。
  ホントは先の『かくてイバラの道をゆく』で〆ようと思ってたのにぃ(笑
  とか言いつつ、実に興味深い思考のネタを得て、かなり面白がっております。
  
  詳細は近日こちらに記事したいと思いますが、
  考えをまとめるために、過去の記録をさらっていたら、こーんなブツを発見!
  先の記事に関連した内容なので、ここに晒すことにしました。

  これは、2001年10月、当時私たちがお邪魔していた、
  MさんというM女性の運営する掲示板に投稿するために、イリコが書いたものです。
  奴が奴隷となって半年あまり、まだ初々しい心映えが眩しいですねw
  この後に続く艱難辛苦を、当時の奴は想像しえたでしょうか(笑





イリコです。いつも貴板は興味深く拝見しています。
レスが遅れて申し訳ありません。
大変難しいご質問にいささか時間がかかりました。


>では、イリコさんにとって、何故この主様である必要があるのでしょうか?
>何故この主様でなければならないのでしょうか?


このテーマについては、正式にお仕えさせて頂いて以来、何度か自分でも考えたことがあります。
Mさんと同様、私も未だに解を得ておりません。
端的に申しあげれば、
「なぜ今の主でなければならないか→今の主が好きだから」ということになります。
であれば、なぜ好きなのかを表現する必要があるでしょう。

どなたかにお仕えした経験のない私にとって、主は初めての方です。
さらに、「この方がなぜ好きか」というテーマは、
主従関係に限らずどのような場合でも、明確な答えは出ないものかもしれません。
よって、いささか長文になりますが、思いのままに綴りたいと思います。

---

私と主の出会いは、とあるSMチャットででした。
私が常駐していたチャットに、主がおいでになるようになったのがきっかけです。
従って、S女性とM男性として知り合ったということになります。

会話を交わすうち、大変感じの良い方だなと思うようになりました。
お言葉の端々にも、高い見識が伺われます。
とても気になる方でした。
主がおいでになると、チャットに一段と熱が入ったことを覚えています。
しかし、どなたかにお仕えできることを諦めていた私は、自らお声がけすることはありませんでした。
「オフ会ででもお会いできるだろう」と思い、常連同士のお付き合いを楽しんでいました。

すると、主からメールをいただきました。驚天動地の出来事でした。
女性からお声がけ頂くことなど夢にも思わなかった私にとって、信じられないくらい嬉しいことでした。
それをきっかけにお付き合いが始まりました。

主からは毎日、時には2通、お心のこもったメールをいただきました。
今読み返しても感動します。
そこに綴られる主のお言葉に胸動かされ、感激し、心が暖かくなりました。
そうして、私の中に主に対する思慕の念が育っていったのです。

それは、実際にお会いさせていただいても変わることはありませんでした。
様々な手段を使って毎日対話が続けられておりましたが、
主について存じ上げるにつれ、思慕の念はいや増すばかりでした。

今なお日常的に継続している交流の中でも、主のお心を感じることができます。
様々な局面がありますが、大切にしていただいていると実感しています。
ご調教をお受けした時なども、心身ともに限界まで追い込まれることがあります。
そのような時でも、主のお言葉や視線、差し伸べてくださるお手などに、救われ癒されています。

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私の場合、自らの心を差し出すことの経験がありませんでした。
自分の心を開くことに対して、怯えがあるのかもしれません。
しかし今では主を、自らの心身をお預けできる方としてご信頼申し上げています。

同時に、人間として心より尊敬しています。
豊富な知識や完璧な立ち振る舞いに、目を見張る思いでした。
事象に対峙する姿勢や深い洞察に、大変勉強になっています。

主とはいろいろなお話をさせていただいていますが、
人の心(自者も他者も含め)についてあまり考えることのなかった私にとっては、未知の扉を開かれる思いです。
SMを含む性的な面も、そうでない面でも、圧倒されることしきりでした。

主から御用を言い付かる時が、時々あります。
それをお命じくださること、させていただけることがとても嬉しいです。
主のお役に立てているという実感が得られますし、僕としての存在意義も感じることができます。
サーバント志向があり、執事や秘書に憧れた私にとっては、主の御用を果たすこと自体が幸せです。
もっともこれは、居住地が遠距離でないからこそ可能だったことでしょうね。

---

主従というものは、何の裏づけもないものです。
従って、お互いの心の結びつきによってのみ成立していると考えられます。
であるならば、本質的には主従を支えるものは、自らの心のみと解せられます。

主のことは、常時心にあります。
ただ、幸せな想いだけではありません。
辛かったり寂しかったり、哀しかったりする時もしばしばあります。
しかしそれでも、これほどまでにどなたかを好きになれた自分の心を信じ、
そして主から示していただいたお気持ちを信じ、ついてゆく所存です。


2004年06月16日(水) かくてイバラの道をゆく

海辺のホテルでの一件から、まる1年経った。
月並みな言葉だが、長かったような短かったような…。
流石にもう話題にのぼることもないが、ソンナコトモアッタネと懐かしむほどこなれてもない。

ただ、あれ以降、特にここ何ヶ月か、イリコも随分変わったなぁと思うことが多い。
端的に言えば、以前より反りが合うようになったと感じるのだ。
当然、無自覚ながら私にも、何らかの変化があるのだろう。

そうなった原因が、あの一件にあるのかどうかはわからない。
何事もなくとも、三年も付き合えば、それなりに添うようになるものだし、
各々においても、三つも歳を重ねれば、それなりに変わる。
それでも、あの一件も含めた紆余曲折を経て、今があるワケで、
苦しみながらも惑いながらも諦めず、足掻き続けた月日の重さに深い感慨を抱く。



奴と知り合ったのは、某femdomサイトのオープンチャットだ。
ここで私は初めてチャットを経験し、あまりの面白さに瞬く間にハマり、程なく常連になってしまう。
そして、同じく常連だった奴としばしば同室した。

発言は疎らだが、丁寧でソツのない言葉を操る奴は好印象で、
かつ’経験10年・鞭好き’というプロフを聞けば、それなりに練れたM魚なんだろう。
が、ちょっと出来過ぎな感があって、さして興味を覚えなかった。

ある日、奴が実に大人気ない行動に出たところに居合わせた。
日頃の印象を激しく裏切る振る舞いに、同室の皆は唖然としつつ、相応に心配したものだ。
もちろん、私も同調してはログを積んだ。
しかし、モニタのこちら側、私は笑いを堪えることが出来なかった。
表面上は取り繕っているけれど、奴は紛れもなくマゾだ。
そう確信して、胸が躍った。

奴のマゾぶりが披露されたのは、そのただ一回だけだったが、
私の興味を繋ぐに充分で、それは日ごとに膨らんでいく。
勢い会話を絡める機会も増えて、奴は徐々に射程距離に入ってくる。
相手を特定した興味はすなわち性的な欲求を招き、
その頂点で辛抱堪らず、あからさまなメールを書き送った。
むろん言葉は選んだが、要はヤらせてくれと誘ったのだ。

対し、奴はチャットでの印象通りに慇懃な返信を寄越し、出鼻のナンパな気持ちがちょっと揺らいだ。
行きがかり上、私もまた丁寧なメールを返すことになり、
以来往復する長い長いメールが、その不埒な思惑を駆逐していく。

やがて対面し、再びしかもリアルで、奴のマゾらしい破綻を目の当たりにするや、私の気持ちは決まってしまった。
こんな男をナンパしようとしたなんて…、軽率な自分に恥ずかしささえ覚えた。

その後のなりゆきは、以前記事したので割愛するが、
つまり、私は端から奴を奴隷にしたくて口説いたワケじゃない。
今更だけど、コンナハズジャナカッタのだ(笑。



いっぽう、奴にあっても、コンナハズジャナカッタに違いない。
いや、私よりもずっと深刻に、恐らくは再々そう悔やんだのではないか。

いつだか、ふと思いついて奴に訊いた。


「そういえば、キミはパートナーの募集したり、応募したりしたことあるの?」
「いえ、ありません。もともと専属になるとか、諦めてましたから…」


「そっか、口説いて悪かったね」と茶化しながら、その実、複雑な思いにかられた。
奴が諦めていた理由はともかく、あのとき私がナンパしなければ、この男は奴隷になんてならずに済んだのだ。
それまでの10年同様、SMクラブでM癖を晴らし、チャットで知り合う同志とSM談義を交わし、
何の問題もなく過ごしていただろう。

もちろん、私たちが関係を結んだのは、**様の奴隷になりたいと奴が意思を示したからだ。
しかし、当時の奴には、その後に続く試練や苦悩を想像し得なかったことと思う。
恋愛に憧れる者が、恋愛してこその苦しみを知らないように。

いや…、奴の場合、憧れこそすれ諦めていたのだから、現実は一層厳しく、呪わしい程だったかもしれない。
それにたぶん、当時奴が「奴隷」と称したのは、今の奴の状況よりずっと軽い意味合いだったろうから。



様相は違えど、コンナハズジャナカッタ同士が出喰わせば、そりゃ相応に難儀する。
きっと互いに、ナンデコンナコトニ?と苦悩した出来事の連続だった。
そのせいだか、未だ信頼に遠く愛に疎く、その上相性も悪ければ、このご縁自体を疑ってしまう。
それでも、縁あるからこそ共にあり、共にある意味があってこその縁なのだろう。

イバラの道は進むに難い。
けれど、遅々と歩めば、漸く拓く風景のなんと素晴らしいことか。
先がまだまだ遠いなら、その楽しみもまだまだ続く。

かくて、イバラの道をゆく。


2004年06月15日(火) 誰がために奴隷たるか

先に掲げた感想文の中で、イリコはこう明かしている。


> M男性の基本概念として、「主様のために・・・」というのがありますね。
> よく聞く言葉です。
> 実は私は、この表現には違和感を感じていました。
> 自分を例に取れば、「この関係は**様のためです」と考えることに、非常なためらいを覚えていました。


一読して、私は複雑な心境になったものだ。
まず、随分正直に書いて寄越したなぁと驚くとともに、
どっぷりと自分本位であった奴が、それを俯瞰できるくらいには脱却したのかと感慨を覚えた。
とすれば、わざわざコンナ解りきったことを言葉にしなくても…と呆れもし、
せめて言葉ヅラだけでも夢を見させてよと苦笑してしまった。

もちろん奴としては、前後のつながりから、敢えてこう明かしたのだと思う。
これに続く見解が導かれる前段には必然としてあった心象だろうし、明らかにしてこその意味を見る。
だから、先に覚えた心境は、けっしてネガティブなものではない。


> あの出来事を経過し、時間も過ぎて、さらに**様の記事も拝見して、
> この関係が二人のためであることを、私のためでもあり、**様のためでもあることを、
> やっと認識しました。


奴が辿り着いた見解は、言葉にすれば当たり前すぎて、陳腐ですらある。
恐らくは、奴にしたって、第三者的に己の言葉を見ればそう思うのではないか。
けれども、頭でわかっている、知っているつもりの当たり前は、往々にして脆い。
実際奴は、「SM的主従関係」というカタチを奉るあまり、この当たり前をあっさり覆してしまった。



しかしながら、主従関係というカタチにこだわった奴が、
なにゆえ「主様のために」というスタンスに違和感を覚えたのか。
カタチにこだわればこそ、「主様のために」という理想を抱くのではないか。
現に主従に憧れる者たちは、口を揃えて「主様のために」身を捧げたいという。
その関係を得た者たちは、「主様のために」と読経のごとく繰り返す。

奴だって、晴れて私の従となった当初は、何の疑問も持たず、「**様のために」と唱えただろう。
言葉だけでなく、実際自身の何もかもが主たる私のためにあると信じていたやもしれない。
恐らく、それは奴の理想だったはずだ。

しかし、関係が進むごと、現実は理想を裏切って、次々と自分本位なありようが暴かれていく。
それは、自負心の高い奴にとって、耐えがたく納得し難いことであったに違いない。
もちろん、苦悩もしただろう。
やがて奴は、その理想が絵空事であったと思い知り、
結果、自身が奴隷であるは、まさに「自分のため」と思い至ったか。

そして、それが奴が身をもって知る主従関係のカタチとなったのだろう。



言うまでもなく、人はどこまでも自分本位にしか生きられない。
どれ程自分を捨てて「誰かのために」生きようとしても、人に自我がある限り、それは無理だ。
たぶん、これは真理なのだが、ここに気付くには相応の成熟を要すると私は考える。
何らかの機会を得て、自己を厳しく見つめなければ、気付かないまま人生を終えることさえあるかもしれない。

そして、この真理に気付いてこそ、ようやく人は「誰かのために」を模索できるようになるのだと思う。
例えば献身とか奉仕とか、この気づきなくしては、本当の意味でなし得ないのではないか。
奴隷が「主様のために」と唱えるにおいても然り。

確かに、そうした「誰かのために」我が身を投じるとき、
それが、とどのつまりは「自分のため」だと思い定めるのは苦しいことだ。
けれど、易々と自分を捨てたつもりになれる浅はかさに比べれば、その苦渋は問うべくもない。

もっとも奴が、この真理まで見切ったかどうかは疑問だ。
元々自己を掘り下げるのに臆病な人間だからね。
恐らくは、単に理想に挫けて縋った結論だろうと思う。

それでも、その後に続く奴の心境の変化は、この真理に気付いては生かす過程にとてもよく似ている。
私は、そのことにこそ希望を見るし、高く評価したいと思う。



ただ、その一方で、
もし奴が、どれほど挫けても、盲目的に「**様のために」と信じるタイプの奴隷だったら、
こんなコト教えてやらないのに…とちょっと口惜しい(笑。
それに、もしそうだったら、私はきっともっとずっと楽に暢気に主ヅラしていられただろう。

…とか言いつつ、私は、この現実を受け入れざるを得ない。
だって、こうなったのは、私が盲信されるほどのタマじゃなかったと、奴を盲信させるほど騙せなかったと、
つまりはそういうことだもの(笑


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