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女房様とお呼びっ!
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2003年10月31日(金) 因果はめぐる 2

奴が珍しく電話を寄越した折りしも、私もまた珍しく打ち合わせ中だったのだが、
先日の今日というタイミングで掛かってきたそれを、流石に見過ごすことは出来なかった。
しかも、奴からかけてくるということは、よほどの事情があるのだろう。
辺りを憚りながらも、寧ろ、何の用件だろうと緊張のあまり身の縮む思いで応答する。


「きんたまが腫れて、熱もあるんです…」


そう聞いた途端、思わず「ネツゥ?!」と声を上げてしまう。
結局、席上の耳目を集めることとなり、今度は本当に身を縮めてしまった。

ひとまず「また連絡ください」と電話を切って、ハタと考える。
恐らく奴は、熱が出たことはともかく、シモに異常が出たことを知らせたかったのだろう。
この場合、当然私も無関係であるはずがない。
性病の観点からはもちろん、私が与えた過剰な刺激で発症させた可能性もある。
何より、奴の心情を思えば、その部分に異変を来たしては平静でいられるわけもなく、
そうした因果を疑わずとも、止むに止まれず連絡を寄越すに至ったのかもしれない。



翌日、病院に行った奴から、診断の結果と「今日中に入院します」との連絡が入る。
高熱を下げるための措置らしく、そう説明する奴の声は、
熱のせいだか、急のことに舞い上がっているんだか、素っ頓狂に大声で面食らう。
そのせいで、なんだか案ずる気が殺がれて、心配も程ほどになってしまった。
もっとも、そうなった一番の理由は、深刻な病状でないことを知り、安心したからではあるが。

とはいえ、やはり、その原因が気になって、ネットを検索して回った。
生殖器に係る病気は、我が身も疑わなければならないので気が重い。
その上、性感染症から発症したとすれば、原因は必ずや私にある。
奴が私以外と関係する可能性は限りなくゼロだ。

しかし、その私にあっても、感染する機会に心当たりがない。
もっとも女の場合、潜在していることがあるので楽観できないなぁとか、
でも、この前の検査では異常なかったしなぁなどと、つまりは自分の心配ばかりしてしまった。
結局、奴の精査結果を待とうとか、直近の婦人科検診まで様子を見ようとか、
言い訳がましい結論に縋ったのだけれど。

ひとまず、自分の心配に区切りがつくと、当然考えるのは奴のことばかりだ。
先の電話の様子では、さほど心配することもないと考えた。
入院するにしても、抗生剤を投与しながら一週間ほどと聞けば、病院の名も確めなかった。

しかし、親しい間柄の人間が病気になったわ、入院したわでは、穏やかにはいられない。
アテなく心配するうちに、魔が差すように忌まわしい考えにとらわれてしまう。
例えば予想外の重篤な症状に陥って、あるいは思いがけない事故に見舞われて、
このままになってしまったらどうしよう…とか。

もちろん、そうした考えに襲われる度、ソンナバカナと打ち消すのだが、
またぞろ似たような想像が浮かんで落ち着かない。
気付けば、そんな不毛な葛藤を何度も繰り返していた。



「入院します」と言ったきり、奴からの連絡が途絶えて、日が過ぎる。
当然のこと、こちらから連絡は出来ないし、
臥せったままにあれば仕方のないことと自分をなだめてやり過ごすしかない。

しかし、その一方で、
投薬で解熱しながら電話も出来ないほどの状況なのだろうかと訝しくも思う。
そこから、また考えが悪いほうへ転がって、先日来の不安が頭をもたげては、憂いを呼んだ。

すなわち、奴が病床の上、先日のことは言うに及ばず、ひと月ふた月と遡っては思いを巡らし、
再び私たちの関係や将来に疑問を抱くのではないか。
その上、こんな目に遭えば一層私を恨みに思い、先日の決断を悔やむのではないか。
あるいは、もうすっかり思い直して、今更連絡する義理もなしとせいせいしてるのかもしれない…。

アテない心配が闇雲に不安を増長させ、無節操な取り越し苦労はキリがなかった。



捨て置き五日で「退院します」との報が入り、私は心底胸を撫で下ろした。

正直なところ、奴が無事退院したことよりも、
その連絡をくれたことのほうが、私には意味あることだった。



2003年10月30日(木) 因果はめぐる 1

メールを送信した少し後に、奴からは帰着のメールが届き、
次いで、いつも通りに日付が変わる少し前、定時のメールが着信した。
相変わらず杓子定規な奴だなぁと思いながら、それでも改めての息をつく。
少なくとも、このメール二通ぶんは、手にした今を信じる糧になろう。




> XXでございます。

> こちらこそ、長きに亘りご一緒いただき、ありがとうございました。
> 貴重なお時間をいただき、感謝しております。
> 忘れられない一夜になりました。

> また、醜態をお見せしたことをお詫びいたします。
> ただ、止むに止まれぬ行状でした。
> 私は自律していたつもりでしたが、ただ単に押し隠していただけでした。
> 暴言を吐いてしまい、申し訳ありませんでした。

> 確かに、非常に心苦しくお伺いいたしました。
> 私はまだまだ、主従関係というものの本質が見えておりませんでした。
> **様と体を並べての対話を、甘酸っぱく思い返しています。

> 私がもう少し**様にオープンに話ができたなら、
> 今回のような事態には至らなかったでしょう。
> 我を張ってしまったことを、申し訳なく思っています。
> お詫びの次にあるものに、思いが至りませんでした。

> 私が申し上げたことは、 全て真情です。
> 勿論、申し上げるタイミングや表現に問題があることは承知しております。
> ただそれでも、どうか信じていただきたいと願っております。
> **様は、この世でもっとも私を理解してくださっている方です。

> ご心痛をおかけしたことを、深くお詫びします。
> 自らの限界を知った今、直すべきところは直していこうと、心静かに考えています。
> 思えば、僕の座に安住していたようです。
> 等身大の**様を見つめ、等身大の自分を表していく、そうありたいと願っています。

(後略)

> XXXX 拝




私が知る限り、奴は正直な人間だ。
奴自身、かつて私に寄越したメールの中で、「自分は嘘がつけない人間です」と言った。
その言は、私たちが交渉を始めた当初、奴が自己紹介する中で語られたのだが、
以降、それが覆されたことはない。

ただ、一度奴は小さな嘘をついたことがあって、わざわざ告白するためだけに電話を寄越した。
用件はともかく、私は、奴が自分から電話をかけてきた自体に驚いたものだ。
別に禁じていたわけではないが、奴がそうするのは、恐らく初めてのことだったから。

明かされてみれば、私にとってはあまり意味のない真実だったけれど、
奴としては、嘘をついたという事実に耐えかねて、告白せずにいられなかったのだろう。
つまり、奴は自己申告通り、嘘の’つけない’人間だったわけだ。
だから、私は奴が嘘をつくとは露程も思ってないし、その意味では信じている。

もっとも、このエピソードに端を見るように、
寧ろ正直に過ぎては、ときに短所にもなろうと承知している。
殊に人とあっては、正直に徹することが、そのまま正義たり得ない。
とはいえ、それで私が奴を忌むことはないし、信じられない理由にもなりはしない。



しかしながら、いくら正直な人間でも、自分をこそ誤魔化してしまうことがある。
要は自分に嘘をつくと同義なのだが、他人に嘘はつけずとも、自分にそうするのは意外に容易い。
感情や都合から受け入れ難い真実に蓋をして、自分にとっての本当を拵えてしまう。
この見かけの本当に縋って物言えば、それらは決して嘘ではないのだ。
いずれかその蓋が開き、全ての真偽が問われるにしても。

そして、奴にあっては、往々この罠に陥りがちであることを私は知っている。
それは、今回のことに限らず、来し方を顧みるに起きてきたことだ。

このとき私が恐れていたのは、奴がまたも、この罠に嵌りかけてはないかと、
つまり、あの場で再び首輪を請うたけれども、それは一時的な感情が招いた短絡で、
その短絡に気付いたとしても、その過ちを認められず、無理やり合理化するのではないかと、
そんな取り越し苦労的なシナリオだったわけだ。

むろん、私は奴を信用しているつもりだが、こうして不安を抱いてしまうのは、
すなわち、私もまた、自分を誤魔化しているのだろうか。



この二日後、奴から電話があった。
前述の、嘘を告白するために寄越した以来、実に二年ぶりのことだった。


2003年10月29日(水) 邯鄲の夢/ユメカマコトカ

休日の街を抜けて自宅に送り届けられたのは、もう午後も遅くだった。

まる一日以上家を空けていたことになるが、当然家の中は出たときのままだ。
出掛けに脱いだ部屋着を再び着て、洗って伏せておいたカップに暖かい茶をいれ、パソコンの前に座る。
そうしてすっかり日常に戻ってみれば、まるでずっとこうしていたような錯覚を覚えてしまう。

ただ、起動したメーラーに取り込まれる幾通かの未読メールが、過ぎた時間を明らかにして、
やはり一日経ったのだなぁと思わず息をついた途端、酷いだるさに全身を襲われた。
気付けば、頭の芯にも痺れるような感覚が生じており、なるほど私は疲れているらしい。

しかし、それらの体感こそが、この一日間に私が得たことの全てで、
あとは何も変わってないのだと改めて思う。
私は奴を失わなかったし、夢が潰えてしまうこともなかった。
最前の別れ際にも、奴はいつものように頭を垂れて、私を見送ってくれた。



最悪の事態を免れてみれば、あれ程怖れていたことが嘘のようだ。
しかしそれは、たかだか数時間のうちであっても紆余曲折を経て、辿り着いた結果ではある。
奴が終わりを望んだことも、私への激しい怒りを吐露したことも、事実起きたことだ。
奴の真情に接し、私が謝罪した気持ちに嘘はない。
それを受け入れては、自身もまた許しを請うた奴を、私は偽りなく許した。

確かに、経緯から私は相応のダメージを負ったが、それも我が身の因果が報いたことで、
奴にあっては、感情が制御しきれずに暴走した経過だったと納得もする。

つまり、結果的に何も変わらなかったけれど、
何事も起きなかったわけではなく、ただ手をこまぬいていたわけでもなく、
然るべき代償を払ったからこそ、以前と変わらない今を手にすることができたのだ。

だから、手にした今にせいせいと喜び、心安らいでいいのだろう。
しかし、私の中には一抹の不安がくすぶっていた。
いや、正確には、急転直下に事態が終息したことで、新たな不安が生じたらしい。

それは、奴が再び首輪を願い出たときから始まって、
いつものように振舞いながらも、意識のうちにずっと影を落としていた。
その影は、ひとりになると一層濃いものとなり、安寧すべき今とのコントラストの大きさに慄いてしまう。
その不安こそが本当のことであれば、手にした今のなんと儚いことだろう。

そんな不幸な発想に苛まれては、払うことも出来ず、
この不安の真偽を確めるべく、礼状にかこつけて、奴にメールを書いた。




無事にお帰りのことと思います。
昨日から長きに亘りお付き合い頂きありがとうございました。
またお疲れさまでした。

ことに、今回はシリアスな問題を抱えての対面でしたので、
心情的に辛かったでしょうし、実際苦しい場面もあったと思います。
それを堪えて、辛抱強く対話に臨んで頂いたことを
本当に嬉しく、また心から感謝する次第です。

私はXXじゃないので、XXのことはわかりません。
意思や思いをもって、見聞きしたことから考えるのがせいぜいです。
だから、どういう形であれ、XXの状況や心情を伝えてもらいたいと
いつも思っています。
もっとも、私に向けて伝えて頂いたことが、そのままXXの真意であるのか、
或いは、思慮が余って本当のことと乖離しているのか、それもわかりません。
しかしながら、私がXXを理解し、自身が納得する根拠はそこにしかなく、
ついては、生来の能天気も手伝って、それを信じるよりほかありません。
というか、信じたいと思うのですね。

もちろん、頭で考えるに、
このやり方はあまりに浅薄すぎやしないかと自らに疑念を抱く部分もあって、
思慮が足りない、言外の意を思いやれない自身の不甲斐なさに怯えつつ、
さりとて、どうしようもない不器用さに甘んじては、自らを恨めしく思います。

と、とりとめなくなりましたが、今の心情はこんな感じです。
また改めて、もう少しわかりやすく(笑)お伝えできればと思います。

ひとまず、とりいそぎのお礼まで。
お疲れと存じますので、今夜はゆっくりお休みくださいね。
ありがとうございました。




送信し終えて、少しでも疲れを取ろうと横になったが、まるで眠ることが出来ない。
それどころか、目を瞑ると昨日のあれこれが回想されて、余計に胸苦しかった。


2003年10月28日(火) 海辺のホテルにて 8

 
「くッ…くびッ…首輪を…いただけますかっ?」


その一声を発した瞬間の奴の様子は、今も印象に深い。
感極まったように頤(おとがい)が持ち上がり、薄い顎の肉が引き攣れて、
のけぞった喉元の内、咽頭がコクコクと震えた。
乱れた呼吸を縫って絞り出される言葉は切れ切れとなり、それを圧して叫ぶように音を繋ぐ。
言葉を終えてもなお、全身がフルフルと痙攣しているようだった。

その始終を、私は不思議な思いで見た。
奴の言葉が届いてさえ、何が起きたのかわからなかった。
けれども、首輪を請われた自体には何の疑問も湧かず、「いいですよ」と即答した。
それは私にとって、条件反射に等しいほど自然な判断で、最前の成り行きを考える余地がなかったのだ。
当然、そこで改めて奴の意思を問うべくもなかった。



もちろん、あまりに突然のことで吃驚したし、そこまで切迫した奴を見ては胸が詰まった。
しかし、奴が前言を翻し、再び戻る意思を示したことそのものに、さほど驚きはしなかった。
死んだはずの夢が蘇生して、思わず安堵の息をついたのは確かだが、
それもなるべくしてなったというか、抗いようもない流れのように受け止めていたのだ。

もっとも、その直前まで奈落に落ちた心境にあって、奴が戻ることを予想していたわけではない。
強がりにもそうは思えないほど、私は完全に絶望していた。
だから、思いがけない展開に驚くというよりも、ワケのわからないまま呆然とした印象だ。
どこまでが夢でどこからが現実か、その境目を見失ったような感覚もあった。

そのせいか、感無量の面持ちで奴が一礼し、首輪を授かるべく支度するのを、
狐につままれたような心持で、今ひとつ実感の伴わないままに眺めていた。
脱衣した奴が再び床に跪き、首輪をかけたその瞬間も、ぼんやりとした意識のままだった。
この成り行きからすれば、もっと感動してしかるべきなのに、
至極当たり前に、殆ど自動的にそうしたような気がする。



その後、私たちは何事もなかったかのように、再び夢の芝居の演者となった。
しかし、この奇妙な感覚は依然としてあり、
いつも通りに奴を使い立て、世話を焼かれながらも、足が地に付いてないような心許なさが残る。
今起きている現実がまた突然に覆り、やっぱり夢と終わるのではないかとどこか怯えてもいた。

とはいえ、馴染み深い光景が蘇ってよほど安心したのだろう、
持ち込んだ食べ物を食べ、酒を少し飲んだあたりで急激な眠気に襲われて、そのまま眠る。
ベッドに倒れこみながら、見るともなく時計を見ては、まだ日付が変わってないことに気付いた。
この部屋に入ってから、恐ろしく長い時間が過ぎたように感じていたけれど、
そんなもんだったんだなぁと変に感心したのを憶えている。

目覚めると当たり前に夜が明けており、束の間の夢かと案じた奴の態度も変わりなかった。
それでもやはり、その状況がつい儚くなりそうで、
夢が夢であるうちにと急くような、祈るような思いで奴を抱く。
私が快感を恵むたび、奴はいつものように反応し、熱い吐息を漏らした。
その様を見、感じるだに、昨日の出来事が嘘のように思えてならなかった。

しかし、奴が仰け反っては軋ませる、まさにこのベッドの上で、
私は絶望を抱え、その脇で奴は慟哭したのだ。
奴に跨りながら見遣る窓の外の風景は、
空の色こそ違え、悲嘆に暮れながら眺めたそれと同じだった。



部屋を後にし、ロビーラウンジでコーヒーを飲んだ。
どこまでもリゾートを気取る、まがい物の花や果物の装飾が嘘っぽくて落ち着かない。

が、それより私を居心地悪くさせていたのは、
真向かいに見る奴の顎が、うっすらと伸びた髭で覆われていることだった。
単に剃り忘れたのか、敢えて剃らなかったのか、剃らなくてもいいと思ったのか、
奴隷に戻ったはずの奴の真意を測りかねて、戸惑う。

場つなぎの話題に事の次第を振り返るうち、
「まさか、またフられそうになるとは思わなかったわ…」と茶化すように言えば、
応えて奴が、「見込みが違ったんですね…」と、まるで他人事のように言ってのける。

その物言いに再び打ちのめされながら、
奴のその不精ひげの口元が、やれやれと呆れて歪んだように見えた。
そして私は、一層落ち着かない心持ちになってしまった。


2003年10月27日(月) 海辺のホテルにて 7

ついに夢の幕が下り、私はしばし途方に暮れる。
書割りの背景が払われ、照明の落ちた闇の中では、もうひとり芝居すら続けられない。
何より役柄を失ってしまえば、もう舞台に立つこともない。
いや…舞台そのものがなくなって、突然現実に放り出されてしまったのだ。
その現実たるや、皮肉にも、舞台に穿たれた奈落のようにどこまでも深く暗い。

現実を思い知った途端、恐ろしく空虚な感覚に襲われた。
足の先から何かが流れ出していくようで、体が酷く頼りない。
このまま空っぽになってしまいそうだ。

何も考えられずに、ただ自分をあやすようにポツポツと言葉を紡ぐ。
何か喋ってでもないと、本当に体が溶けてなくなってしまいそうで怖かった。



今となれば、具体的に何を話したのかは既に記憶に薄い。
しかし、またもひとり取り残されたことで、過ぎ去った記憶が呼ばれてしまった。
いや、先途を断たれた折から、過去を振り返るしかなかったのだ。


…こうやって、いつも私は置いてけぼりにされてしまう。
しかも突然に、信じて疑わない明日をバッサリと奪われる。
手の中で確かに慈しんでいたモノが、気付けば砂のようにこぼれてなくなってしまう。

…私が何をしたというのか?
ただ愛しく抱きしめていただけなのに?
私はそんなに酷い人間なのか。こうして罰せられねばならないのか。
私に非があれば、せめてこぼれてしまう前に教えて欲しかった。
こぼれる前に償いたかった。
あのときもあのときもあのときも…。


突如、十年前の光景がフラッシュバックする。


…自らリードを外した「犬」を見たときの驚愕。
目の前が暗くなり、へなへなと腰が砕けた。
床を這いずり、半狂乱で泣き叫び、悲鳴を上げるようになじった。

 「アタシの犬を返してっ!」

そのときの「犬」の悲しいような、哀れむような目の色。
体がズタズタに裂かれたように痛く、壊れてしまいそうだった…。


その痛みが再び蘇り、体を軋ませる。
当時の辛さがありありとした塊となり、熱を孕んで喉元にせり上がってくる。
あぁ泣いてしまうと思った瞬間、’今まさに私は、あのときのように辛いんだ’と気付いた。

そして、そのまま暫く泣いた。
奴の手前、まだ少し憚られたけれど、溢れる涙を抑えようがなかった。
もう主じゃないんだから泣いてもいいでしょう?と無言のうちに言い訳しながら…。



一旦堰を切った涙はなかなか止まず、自分でも驚くほどだったが、
もはや取り繕う術もなく流れるに任せた。
涙が流れるごとに張り詰めていた気がほどけて、体の感覚が還ってくる。
ありのままの感情に身を委ね、当たり前に悲しみ、当たり前に涙して、
私もようやくタダノヒトに戻ることができた。

自分を取り戻して一息ついてみると、改めて、この状況が可笑しくも感慨深い。
大のオトナが子どもみたいに交互に泣いて、
今や仲良くベッドに隣り合って、ボーッと同じ方向を見ているのだから。

一仕事終えたように力が抜けて、何も考えてないし、感じてもない私。
隣する奴が何を考えているのかも、どうしているのかも、まるで気にならなかった。
ただ、とうとう奴の前で泣いちゃったなぁと今更に気まずいような、照れ臭いような気分だけが残った。



再び静けさが訪れて、時が過ぎる。
どうでもいいことを話していたんだか、黙ったままでいたんだか、
不意に奴が「許してくれますか?」と言った。

実のところ、その言葉が耳に届いた瞬間、何を許せばいいのかわからなかった。
けれど、既に何をか許さないはずもなく、「いいですよ」と答える。
ふと、奴がそう言うのを待ち焦がれたなぁと遠い昔を懐かしむような感慨を覚える。
過ぎてしまえば、夢のまた夢だ。

許されたことに礼を述べ、奴がまた黙り込む。
その様子が何か言いたげで、ぼんやりしたまま目を向けていると、突然奴の表情が強張った。
今にも泣きださんばかりに顔を歪めて、再び口を開こうとしている。
けれど、しゃくりあげるような息遣いに阻まれて、一声がなかなか出てこない。
思いがけない変化に驚きつつ、促してやることも出来ず、黙って次の言葉を待つ。


「くッ…くびッ…首輪を…いただけますかっ?」


ようやく奴の喉から絞り出された声はたどたどしく上ずって、まるで悲鳴のようだった。


2003年10月26日(日) 海辺のホテルにて 6

泣くだけ泣いて気が治まったのか、
涙を拭いたり鼻をかんだり忙しなく身繕いをしたあと、奴はコトンと静かになった。
起き抜けのようなぼんやりとした風情で、胡座をかいた床の上に目線を落としたままにいる。
激情に震え、慟哭する度に上下していた肩口は、今やだらりと腕をぶら下げて力なく、
そこから立ち上っていた感情の渦もすっかり消えて、祭りの後のような虚脱感を醸すばかりだ。

奴が泣き果てる始終を見ていた私にもまた、万事休すの脱力が訪れた。
確かに、思いがけず激しい怒りをぶつけられてショックは受けたが、
奴の真情を知れば、納得もし、全ての答えを与えられて、むしろ気が凪いでいく。
更には、奴のあまりの激昂ぶりに、なんだか癇の起きた子を眺めていたような気にもなり、
慈愛にも似た穏やかな感情が満ちる。



改めて床の上の奴に視線を移せば、その位置がとても奇異に感じた。
そうか、奴はもうそこにいる必要はないのだ。
漸くそう気付いて声を掛ける。


「床に胡座かいてるくらいだったら、こっちいらっしゃい。」


依然口調に夢を引きずってしまうバツの悪さに、どうでもいい言い訳をした。
奴も習い性ゆえか、躊躇うことなくそれに従う。

そして、私たちはベッドの縁に横並びとなった。
実のところ、密室にあってこうするのは、来し方初めてのことだ。
後に聞けば、奴には非常に奇妙な感じを受けたらしいが、私はむしろ救われた気持ちだった。
ひとまず、この位置にあれば、奴に対面せずに済む。
それだけで、肩の荷が下りたような安堵を感じた。

主の杖が折れたとはいえ、やはり奴の目があれば、私はまるきり素ではいられない。
それが私の見栄なのか、奴への配慮なのかは判らないが、どうしても気を張ってしまうのだ。
この状況にあれば、必然に湧く負の感情も表に出すに憚られてしまう。
翻って、ここまで私が取り乱すことなくいられたのは、奴と向き合っていたからだ。

殊に奴とは、
私が泣くとか落ち込むとか、奴が対応に苦慮する振る舞いはしないと約した二年半だった。
それは主の体面というよりも、専ら奴の希望と器量に照らしてそうしたのだが、
そのせいか、奴とあるときに、その衝動が起きたことすらない。
けれどそれも、互いの関係性を重んじて自分を律すればこその成果だったわけで、
この期に及べば、そうする気力も体力も奮いようがない。
何より、そうする理由を失ってしまった。



人ひとりぶんの間隔を空けて、奴がその上背を屈めるように腰をおろす。
慣れないことに身を処しかねてか、奴には実に慎ましくおずおずとそうしたのだが、
その重みは確かにベッドを沈ませて、その所在を明らかにした。

肩を並べてみれば、奴がヒト並みの大きさになった気がして面映い。
もちろん、元々痩躯とはいえ背も高く、当たり前に人並みの大きさなのだが、
上から見下ろす奴は、もっと小さく感じられたものだから。

私もまた、奴の目を逃れて等身大に戻ってしまうと、
それまで拘っていた様々なことが、どうでもよく思えてきた。
ここまでこじれるに至った二ヶ月間、奴と共にあるためにひたすら思考し続けたこと、
憂いや悩み、怒り、苦しみ、希望や期待、そして奴への気持ち…。
それら一切合切が遠い昔のことのように感じられて、なんだか可笑しくなった。

唯一リアルに感じられるのは、ついさっき奴が吐露した私への怒りだけだ。
おためごかしの思惑や期待はどうあれ、私が奴に「ひどいこと」をしたのは確かで、
その思惑も期待も意味をなさなくなってしまえば、
私がすべきは、奴に与えた辛さや悲しみをあがない、詫びては許しを請うことしかない。
いや…こう考える以前、もっとシンプルに、謝らなくちゃと思った。

既に余計な言い訳をする必要もなく、奴のほうへ上体を向け、平易な言葉でただ詫びた。


「ひどいことしてごめんなさいね……許してちょうだい。」


奴の怒りに比べれば、謝罪の言葉のなんと単純で薄っぺらいことか。
それでも奴は、何の言葉を挟むでもなく静かに聞いては、穏やかに受け入れてくれた。



こうして、ようやく私のすべきことが全て終わった。
深い溜息をつきながら体を戻し、再び自分の足元だけを見つめる。


2003年10月25日(土) 海辺のホテルにて 番外

これまでも、奴は何度も私の前で泣いている。
ときにそれは号泣となり、身も世もなく泣き果てるという経過を辿った。

そして、その始終を私は黙って見守ってきた。
泣くなとも言わず、かといって慰めるでもなく、ただ見ているだけだ。
冷たいようだが、奴が声を上げて泣くとき、奴自身も私の介在を拒絶している風に感じるのだ。
いや、全くそうであるとは思わない。
少なくとも、私と共にあって泣く必然があるのだから。

その度に、奴は「醜態をお見せしました」と詫びてくる。
確かに大のオトナが人前で大泣きするのは、みっともないことかもしれない。
けれど、親密な関係にあれば、それは決して醜態ではないだろう。
まして私たちの関わりにおいては、問うべくもない。
少なくとも私は、奴のみっともなさを許容するし、愛してさえいる。

しかし恐らく本人としては、みっともない自分を受け入れかねているのだろう。
たとえ、行為の上で数々の醜態を晒してきたにしても、それとは別次元で許容してないように感じるのだ。
いや、ことによると、行為の中で余儀なくされるみっともなさすら、
奴にとっては往々受け入れ難いのかもしれないけれど…。



随分以前、奴が「醜態」と詫びる泣き方をしたときのこと。
激しくしゃくりあげるのを見かねて、「思う存分泣いていいよ」と言うと、
奴は、即座に浴室に逃げ込もうとした。
「すぐそうやって隠れようとする」と叱りつけて、結局奴は居室の隅っこで大泣きしたのだが、
この次第は、私たち相互の許容に係る本質的なずれを象徴する出来事のように今にして思う。

あのとき、奴はみっともない自分を私に見られたくなかったのだ。
そして今でも、号泣する奴がまとう近寄り難さは、すなわち奴が逃げ込む目に見えない壁なんだろう。
その壁の内、奴は自分自身への許し難さに悶え、いわんや私の許容を受け入れようはずもない。
つまり、奴自身がみっともない自分を許容しない限り、
いくら私が許しても、許そうとしても、奴には届かないのではないか。

その壁の正体が何であるか、私は知っている。
いや、きっと奴もわかっていることと思う。



この対面の以前、奴はメールで「許されたかったが、許しを請うことが出来なかった」と言った。
「何度も、許して下さいと言おうと思った」とも明かした。
が、結局自分をさらけ出すことが出来ず、これが自分の限界と実感したという。

しかし、奴は本心から許されたいと思ったろうか。
寧ろ、私に許されるを免れて、またも浴室に逃げ込んだのではないか。
ましてや、その心底には血反吐のように張り付く私への怒りがあったのだから、
許されたいどころか、許されない自分がその相手を許さねばならない理不尽に苦悩したに違いない。

それでも奴は、「奴隷の役として、全てを受け入れよう」と自分に課して、
当然のこと苦しみ、果ては曰く「苦しむ自分に嫌悪する」状態に陥ってしまったのだと思う。
そして、壁の内側でひとり悶え苦しんだ末、力尽きてしまったわけだ。

一方壁のこちら側、私はどうしてやることもできず、ただ待っていた。
あまつさえ奴を更に追い込んでは、苦しみから奴が壁を穿ち、助けを求めるかと期待した。
しかし私は、奴を救うどころか、知らぬうちに見殺しにしてしまったのだ。
奴が吐露した私への怒りは、この結果をして当然のものだと思う。

けれど、奴の巡らす厚く高い壁が、厳然と私を拒むのも事実だ。
結果的に奴は私の下へ戻ってきたが、その壁までも払われたわけではない。



私はどうすればいいのだろう。
どうしたら、あの壁を払うことが出来るのだろう。
いや、自分の手でどうにかしたいと思うことが、既に不遜な考えなのかもしれない。
そう思ったがために、奴には余計な苦しみを与え、必然私にも罰が当たったのだから。

あの壁は、奴が自らの手で払わない限り、きっとどうしようもないのだ。
つまり、奴が壁を必要とする限り、私はあの壁に阻まれ続けるということだ。
もし必要がなくなるとすれば、それは、奴が自身のみっともなさを許容し、
私に晒していいと思えるようになるときだろう。
そうなるためには、そう思い切れるほどの信頼が、奴の中に育たねばならない。

すなわち、あの壁に阻まれる限り、私は信頼に程遠いことになる。
その厳しい現実が、今回の成り行きにおいて、はっきりわかってしまった。
許されようとも頼ろうともせず、壁の内に留まる奴に、もはや私への信頼などあろうはずがない。
とすれば、私に出来ることは、奴の信頼を取り戻すべくどうにかすることだけだ。

でも…、それこそ、私はどうすればいいのだろう。
これまでを振り返るだに、どうしていいかわからなくなる。
私が私である限り、どうにもならないような気さえする。

それでも諦めきれず、こうして足掻いている。


2003年10月24日(金) 海辺のホテルにて 5

スプリングの効いたベッドに腰をおろすと、なんだか途端に気が抜けた。
それまで椅子にようよう支えられていた背が丸まって、足元ばかりを見つめてしまう。
その床の先、相変わらず奴は静かに控えているのだが、
もはやそこに奴隷の面影はなく、それが辛くて、目線をやろうにも胸苦しい。

主の杖が折れてしまえば、私は自分を支えるのに精一杯の無力な存在だ。
夢から醒めて思い知る己の無力さに、体が小さく縮んでいくような気がした。
意識までが萎縮して、小さな子に還っていくようだ。
次第に奴へ気も払えなくなり、ただ蹲るように自分の心だけを抱く。

いつのまにか外光に取って代わったシェードランプの灯りが辺りをオレンジ色に照らし、
まるで夕暮れ時にお砂場に取り残されたかのようで、酷く心細くなってしまった。
言い知れぬ寂しさに耐えかねて、奴に声をかける。


「あたしが酷いことしたから、嫌いになっちゃったの?」


未だ奴とはベッドの上と下に位置を分けていたが、このときはもう上下の隔てを感じなかった。
寧ろ、殆ど諦めながらも、縋って見上げるようなあどけない気持ちに満ちていた。
あたかも、子どもが大人に否応なく諦めさせられるときのような。



奴もまた、シリアスな局面を経て、気の強張りが解けたのだろう。
「そうですね…」と答える声音は、最前に打って変わって柔らかい。

もっとも奴にすれば、ようやく奴隷の肩書きが外れて、衒う必要がなくなったか、
あるいは、私が主の位置を下りたのを感じては、呼応したのかもしれない。
更には、自分の思惑通りに事が運んだ安堵もあったろうか。

その心象が、徐々に姿勢や言葉遣いに現れる。
横座りに揃えた足が、いつのまにか胡座に組まれ、一人称が「オレ」に変わった。
それは、私がついぞ知らなかった姿であり、響きであり、今更に驚きをもって見た。
と同時に、丹精こめて築き上げた作品が崩壊していく様を見るようで、
改めて絶望と諦めを感じざるを得なかった。



「オレ」に戻った奴が、ぽつぽつとこのひと月を回想する。
その言葉は、奴隷の位置で語られたときよりもずっと生々しかった。
同じ出来事、同じ心象を辿りながらも、感情そのものが混じってくる。
辛さを語る表情が、当時の感情のままに辛さを醸し、
「オレには無理だったんですよ」と自嘲気味に言っては、その顔が悔しそうに歪む。

やがて、奴の上体がぐらりと揺れて、身を支えるかのように両手が床をつかんだ。
直後首が落ち、何かに耐えるように肩口が震え始め、床に置いた手がぎゅうと握られる。
ただならぬ切迫感が奴の全身から立ち上り、不穏な沈黙が私の心を凍りつかせた。

と、その拳が床に叩きつけられるや、血を吐くような激しさで奴が苦しげに叫んだ。


「たしかにオレもひどいことしたとおもうけど、
 あんなにひどいことしなくていいじゃないかぁッ……」


奴の心の奥深くに押し込められていた思いは、本当に血反吐のようだった。
その肉色の訴えにたじろぎ、呆然としながら、私もまた身を抉られるように痛かった。



それが言いたいことの全てだったのか、一瞬絶句した後、奴は慟哭した。
それまで堪えていた感情が鉄砲水のように噴き出して、涙となって床を打ち、
搾り出すように始まった嗚咽は、次第に幼子のようなそれに変わった。
泣き崩れては床に這い、枯れ果てるほどに長く泣きじゃくった。

その姿に、私はつかのま主の目線を取り戻し、愛しい想いで見守った。


2003年10月23日(木) 海辺のホテルにて 4

「じゃ、今は?」
「嫌悪感を感じない程度です。」


奴の吐いた言葉は、突如として、私に厳しい現実を突きつけた。
それまでの行儀よい暇乞いがまとっていた嘘臭さがぱっくり割れて、
狂暴な真実が飛び出したような感じだった。

確かに、その真実を導き出してしまったのは、ほかでもない私だ。
が、これ程シビアな現実が吐き出されたことに、心底うろたえてしまった。
正直なところ、奴の気持ちがここまで変容しているとは、思ってもみなかったのだ。

だから、先の質問を投げることが出来た。
よしんばそうであっても、黙り込むとか婉曲に答えるとか、多少の配慮があるものと思い込んでいた。
けれど、そんな甘い期待はこっぱみじんに砕かれて、容赦なく現実に晒されることになったわけだ。
そして、当然のこと、私は絶望の奈落に落ちた。



それにしても、改めて記すに、あれはやはり愚問だったと今更に頭が痛い。
対し、奴の返答も、真情だったにせよ酷すぎる。
最前まで理路整然と話していただけに、その切って捨てたような物言いには唖然とするばかりだ。
実際、耳を疑うほどに驚いたし、
奈落に落ちながらも、ナンダソレ?と呆れるような感覚もあった。

とはいえ、奴としては、あれで精一杯の表現だったかとも思う。
「好きじゃない」と答えるに憚って、「嫌悪感を感じない程度」と言い換えたか。
それにしたって酷いにかわりないのだが、
咄嗟のことに思慮を欠いた発言をしてしまうのは、誰しもままあることだ。
特に奴は多分にこの傾向にあり、これまでも幾度か失言を犯している。

もっとも、こう答えるに至った最大の原因は、私が愚問を投げたせいだろう。
それが愚問であるは、反面、奴には想定外の問いだったに違いない。
つまり、奴には思いがけず、好きか嫌いかというベタな質問をされて、答えに窮したのではないか。

思うに奴は、’奴隷を辞める理由’を周到に組み上げたつもりが、
この、互いの関係性に係る最も根源的な問題を見落としていたのかもしれない。
あるいは、この期に及べば、言わずもがなのことと身勝手に納得していたのかもしれない。

けれど、少なくとも私にとって、情の部分はないがしろに出来ない問題だったのだ。
それを確める術が、いかに愚問に成り果てたにせよ。



今でこそあれこれ考察もできるが、
そのときは、あまりのインパクトに打ちのめされて、本当に体から力が抜けてしまった。
そのせいか、その後暫くのやり取りをよく憶えてない。

恐らくは、「それじゃ、仕方がないね…」とか答えて、
「いくら好きな人でも、いきなり嫌いになることもあるわねぇ…」と
殆ど自分に言い聞かせるように、奴にはとってつけた理解を示そうとして、
たぶん、その辺りで力尽きたように思う。

ただ、言葉に詰まって、再び視線を移した窓の外に夕暮れの色が滲み、
雑然とした構造物が薄闇に沈みゆく風景だけは、鮮明に記憶に残っている。
その夕闇が私の心底にまですぅと流れ込むようで、胸苦しかった。

徐々に暗さに向かう空の色が、今日一日の終わりを告げる。
そして今まさに、長い間見ていた私たちの夢も終わろうとしている。
そう思うだに、やりきれない悲しみが込み上げては、唇を噛んだ。

つい泣いてしまいそうになって、椅子から立ち上がった。
これ以上、窓の外を見ていたくなかった。



その後、わざと奴の脇を抜けて、ベッドの上に腰掛ける。
と、それまでと同じ距離を保って退かれてしまう。
物理的な距離だけでも縮まれば、
せめてこの悲しみくらいは伝わるかしらと思ったがダメだった。

それでも奴は、移動した私のために、細々と世話を焼いてくれる。
そのことに慰められる一方で、切なく寂しい思いがいや増していく。
夢の芝居を続けながら、その頭上、既に幕は下り始めているのだから。


2003年10月22日(水) 海辺のホテルにて 3

奴が静かに語り終えて、また沈黙が訪れる。

終わってみれば、それは先の宵にメッセンジャーで聞かされたことを改めてなぞっただけで、
対面している甲斐もない。
同じ話を聞くにしても、実体があれば伝わるものがあるかと期待したのだが。
幾分がっかりした心持で次の展開を探すも、依然現実感に乏しい。

かたや、滞りなく口上を述べて荷が下りたのか、奴の表情はすっきりしたものだ。
話すべきことが尽きたのだろう、それ以上言葉を継ぐ気配もない。



奴の言わんとすることはつまり、
奴隷を務める自信も意義もなくなったので辞めたいと、そういうことだ。

このひと月の辛さは自業自得の甘受すべきもので、かつ、
奴隷としては、どのような辛さであろうと耐えねばならないと踏ん張っていたが、
その心根が折れてしまったと言う。

では、それはいつのことかと問えば、
「一週間前にお送りしたときです。」と答える。

奴隷の責と弁えて耐えていたのが、意に反し気力が潰えた自分に失望し、
ひいては、奴隷たり得ることに限界をみたと。
あまつさえ、甘んじるべき辛さに寧ろ苦しむ自分が奴隷であることに、意味を見出せなくなったと。
それが来し方一週間に奴が辿り着いた結論らしい。



一週間か…と私は考え込む。
二年半の歴史が、わずか7日で決着してしまったわけだ。

確かに物事に区切りをつける決断に、それまでの集積は関与しない。
むしろ関われば、決断を臆することになろう。
確かに過去を振り返れば葛藤もあろうが、一度区切りをつけんとすれば、
これを納めるに足る理由や展望が育つのに、一週間もあれば充分だ。
とすれば、私には急なことに思えても、奴には必然の成り行きなのかもしれない。

殊に、奴は自身が納得できない状況や分の悪い立場に留まるのが苦手だ。
いや、誰しもそうだろうが、奴の場合、予想を上回る早さで自分の足場を整えてみせる。
もっとも、足場を組むに逸って、掻き集めた論拠や言い訳は殆ど主観的なものとなりがちで、
それは往々却って足元をすくう結果を見るのだが、とにかく自負を保つことが先決らしい。

今回も奴は、自分の中だけで足場を組み上げた。
だから、たった一週間で結論出来たのだし、袂を別つ決断となれば、主観に拠るのも仕方ない。
いくら相手ありきの問題であっても、関係を断つと発想した時点で、
そこまでの相手に対する信頼は、失墜していると考えざるを得ないだろう。
こうなった以上、私の観点から、自己中心的だとか短絡に過ぎるとか非難しようもない。



ただ、その信頼以前、情の部分に奴はどう折り合いをつけたのだろう。
淡々と述べられた口上は、まるで職業上の任を辞するに似て、情は尽きたかのようだった。

いや、尽きたからこそ、今があるのか。
確かに並みの関係でさえ、別れを切り出すに愛想が尽きたと言明するのは憚られるものだ。
大抵は、別の理由をつけて引導を渡す。
それは、メッセンジャーで奴の言い分を受けたときに、既に予想出来た。

しかし、その一方で、
依然情はあるものの、辛い状況に耐えかねて身を辞す発想に陥ったのかとも考えた。
願わくば、そうであって欲しいと期待した。
いや…正直に言えば、そうタカを括っていた節もある。

ところが、目の前で語る奴は、情の部分での葛藤を殆ど感じさせなかった。
奴隷を辞めたい理由はともかく、そのことがどうにも腑に落ちない。
二年半も付き合っておいて、かくもあっさり割り切れるのか。



その想いが、またもつまらない質問を投げさせる。


「キミは奴隷になりたくて奴隷になったの?それとも、私を好きで奴隷になったの?」

「**様を好きで、です。」

「じゃ、奴隷を辞めようと思う前までは好きだったの?」

「そうですね…。」

「じゃ、今は?」

「嫌悪感を感じない程度です。」


奴としては、至極正直に答えたのだろう。
しかし私は、まさかそんな答えが返ってくると予想だにせず、絶句した。
そして、ようやくのこと、シビアな現実感が身の内に湧き上がるのを感じた。


2003年10月21日(火) 海辺のホテルにて 2

タダノヒトの顔を取り戻した奴が、淡々と話を紡ぐ。
まるで過ぎた日の思い出を語るかのように、表情も声音も穏やかだ。
奴の中で、夢は既に決着しているのだろう、ゆっくりとではあるが、その言葉は澱みない。
ときに、何かを確認するように呼吸をおくのが、
’だからどうぞ諦めて下さい’と言わんばかりで切なかった。

私は椅子に深く腰掛けて、殆ど窓の外に視線を貼り付けたまま、それらを聞いた。
目を合わせようにも、そこにいるのはやはり見知らぬ人のようで怖じたのだ。
そのせいか、奴の言葉が届く隙を縫って、余計なことばかり思う。
時折奴の顔を盗み見るようにしては、普段はちゃんとオトコの顔なんだと感心したり、
こんな風に話すのかと思ったりした。

そう言えば、いつだかに奴が自分を評して「冷静沈着なほうです」と言ったことがある。
奴の奴隷の顔しか知らない私には、当時全く実感がわかなくて、
「嘘でしょ?」と笑い飛ばしたのだが、それはあながち嘘ではなかったらしい。

人は窮地に立たされると、往々に意識を散らして逃避する。
決して上の空でいたつもりはないが、私もまた、この局面にして集中を欠いていた。
しかしながら、そうなる原因のいまひとつは、穏やか過ぎるこの状況が酷く嘘っぽく感じていたからだ。
自身の経験に照らして、それはあまりに現実味がなくて、落ち着かなかった。



実のところ私は、自分の奴隷と見なした人とまともに別れ話をしたことがない。
いや、まともな暇乞いすら受けたことがない。いわんや、自分から切って捨てたこともない。
自分でも実に不甲斐なく恥ずかしい話だが、全て逃げられている。
いつのまにやら取り残されて、アテなく待ち呆けて、ようやく終わったことを知る。
もっとも、お陰で夢が夢のままとなり、
’今でも彼らは私の奴隷’なんてお目出度い夢を見続けているワケだ。

もちろん、主従といわずともSMの関係にあって、きちんと袂を別った人もいる。
たかだかの男遍歴ではあるが、並みの男女間の別れも経験した。
いずれも、それなりに情を交わした歴史があって、その関係に決着をつける場面は当然シリアスなものとなった。
ベクトルは違うにせよ、各々の感情が昂ぶって、ときに諍い、声を荒げ、私はその度泣き叫んだ。
好きあうときも別れゆくときも、魂を削るように相手と対峙した。

確かに世の中には、穏やかに関係を納めるカップルもあると聞く。
’主従’なんて型を重んじる間柄であれば、
契約書を破棄するように、あっさり関係を断つのもあり得ることとは思う。
だからといって、それらの関係が真剣味に欠けるとか、薄っぺらいとは思わない。
どう納めるかは、単にそのカップルごとが選んだ方法に過ぎず、
要は、個々の性格だか器だかによるのだろう。

しかし、私には、そんな風にコトを終える器量がない。
だから、奴がひたすら穏やかにそこにあるのが、とても不思議だった。
なんだか自分が芝居の書割になったようで、このまま奴の台本どおりに幕が降りるような気さえした。

そう思うだに、かつて奴が私をフったときも、
実にあっさりと引導を渡されたなぁとデジャヴさながらに記憶が呼ばれる。
これが、奴のやり方なんだろうか。



対話は未だ核心に触れてなかったが、気になってしょうがなくて、今更の質問を投げた。


「キミがメールの体裁を変えたことで、今回はこういう機会が持てたけど、
 私が気づかないまま、指摘しないままにいたら、どうなってたの?」

「まだ完了してない課題を終えてから、お別れのメールを書こうと思ってました。」


その答えに、思わず溜息が出る。
遅かれ早かれ、いずれこうなっていたのだ、つまり。
いや…、奴の筋書きに沿えば、私は余計な真似をしてしまったのかもしれない。

そして、ようやくにして思い知る。
ふたりで見ていたはずの夢は、蓋を開けるときっぱりと区別されていて、
奴にあっては、単に自分の見ていた夢から醒めてしまったに過ぎないのだ、と。
それで、私不在のまま、奴ひとりの中で何もかもを完結させてしまえるんだろう。
もちろん、それなりの葛藤はあったろうが、それも奴だけのものであって…。

結局、私は奴の夢の中の登場人物でしかなかったのだろうか。
突如として襲うやりきれなさが、痛みとなって体を巡った。


2003年10月20日(月) 海辺のホテルにて 1

あれこれと思案した末、海辺に建つホテルをとった。

夢のゆくえを見届けるのは、どうしたってシリアスな展開となるだろう。
奴はともかく、私自身が取り乱してしまうかもしれない。
密室ならばラブホテルでもと考えたが、
外光と遮断されては、それだけで心が荒んでしまう。とても正気でいられそうにない。
たとえ、このまま静かに終焉を迎えるにしても、
街中でハイサヨウナラと右と左に別れるのは忍びなかった。



いつものように奴に迎えに来てもらい、ホテルを目指す。

道すがら、これまで何度も伴っているマーケットで買い物をした。
みずみずしい赤いトマトが目に付いて、迷わずカゴに入れる。
不安な気持ちを誤魔化すように、次々と買い込む。
せめて、これしきのものでも豊かにあれば、少しは慰められるだろう。
そんな一心からだった。

奴はカゴを携えて、私の数歩後ろをついてくる。
キミの欲しいものは?と声をかけると、少し迷ってから、筒っぽのポテトチップスを差し出した。
その様が酷くあどけなく見えて、なんだか切ない。
いつもなら精算を任せるのを差し置いて、自分で払う。
カゴ一杯の豊かさはしかし一万円にも満たず、その場しのぎの思いつきに苦笑した。

後に聞けば、奴にはこの時ようやく、自身がホテルに同伴するのだと理解したらしい。
確かに行き先のみを伝えての道行きだったが、
そう思わせてしまった、思われてしまったことを知り、なんだか情けなかった。
こんな重大な問題を’直に話す’という意味を、奴はどのように捉えていたのだろう。
どんな展開を予想していたのだろう。



初めて訪れたそのホテルは、急拵えした張りぼてのリゾート然として、どこもかしこもうら寂しい。
客室に大きく切った窓からは、遊園地よろしく軽薄な町並みが見えた。
その向こう、観覧車に遮られつつも拡がる空に、わずかに息をつく。
心持のせいなのか、白を基調とした内装さえ疎ましく、窓辺に椅子を据えて、空ばかり見ていた。

その傍らで、奴がいつものように働く。
相変わらずモタモタと荷物を始末するのを目の端に入れながら、
この期に及べば、さほど苛つきもしない。やかましく口を出すこともない。

恐ろしく静かに時が過ぎていく。
確かに心底はこの先の展開に怯えているのだが、その表面が不思議に凪ぐ。
刑の執行を待つ罪人の心持はこんなかしら…とアテなく思った。

ひと段落した奴が、着衣のまま、床に控える。
その位置は、私の正面をわずかに外し、テーブルを隔てて遠い。
それが今の奴にとって適正な場所なのか、既に私にはわかりかねて、特に指示も与えず捨て置く。
椅子を勧めることもしなかった。
奴の意のままにあれば、その答えはやがて分かることだろう。
少なくとも、奴は徐々に距離を取り始めているらしい。

穏やかにして沈鬱な空気の中、当り障りのない話が続く。
核心を遠巻きにして交わす会話は、寒々しくて落ち着かない。
それなのに、時折笑い声まであげてヨタ話をしてしまう自分が恨めしかった。



飛び込むべき崖淵に立ちながら、嘘笑いをしてたじろぐのは臆病者の常だ。
臆病者に付き合っていては、奴までも飛び込むことに躊躇うだろう。
意を決して、奴に告げる。


「時間の許すうちに、キミの話をしてちょうだい。そのために会ってるんだから…」


ややあって、奴の表情がすっと変わるのを見た。
奴隷特有の不安げな面持ちが消え、代わりにひどく落ち着いたオトナらしい顔が現れる。
それは、私が一度も見たことのないもので、息を呑むような驚きと居心地の悪さをもたらした。
と同時に、改めて腹の底に覚悟を宿す。

先に夢から醒めてしまった奴の話が、静かに始まる。


2003年10月19日(日) 同床異夢/眠れぬ夜

私のとってつけたような言い訳に、応えて奴が言う。


「辛かったことは確かですが、
 理不尽とか怒りを感じるとか、そういうことではありません…」

「僕としての意義が、見えなくなってしまったのです…」

「お傍において頂けるのだから、それでいいだろうとも思いました。御用も頂いてましたし…」

「しかし意義を見失ったのは、大変な苦痛でした…」

「そのようなことを考える自分にも、失望してしまいました…」

「何をどう考えても、自閉の状態になってしまいました…」


元々遅い奴のレスが更に間遠になり、ポツポツとログが積まれる。
相槌を打つに憚られて、じっとモニターを見つめて待つ。

そのモニターの向こう、奴はどんな思いで表情で、キーを打っているのだろう。
今更の言い訳をする私にうんざりと困り果てて、
あるいは、夢から醒めてすっかり憑き物の落ちた顔をしているのかしら…。
手を止めてしまえば、そんな不幸な想像が一層ありありと浮かんで、胸苦しい。


「意味の通らない文章で申し訳ありません…」


言葉を探しあぐねたか、そう言って、奴のログが止んだ。



「改めて口頭で伺えば、少しでも理解できるでしょうから…」と答えつつ、
その実、そこで途絶えたことに、私は胸を撫で下ろした。
少なくとも決定的な言葉を浴びずに済んだ、そのことだけで安堵する。
それが夢の終わりを先送りにしただけの、単なる執行猶予と知りながら、束の間の平穏に縋ってしまう。


「あまり結論を急がないほうがお互いのためと思いますよ。
 というか、急がないでほしいわね…」

「ですから、メールの体裁も戻してちょうだい、心臓に悪いから(笑。」


あまつさえ、主ヅラしてその平穏を約そうとしつつ、遂には、みっともない言葉を吐いた。
その浅ましさを知りながら、主の衣を借りてはそうしてしまう自らを呪う。
まやかしの夢に縋る私は、さながら禁断症状に陥った依存症患者のようだ。
僅かでも楽になりたくて、目先の毒に飛びつく短絡。
我ながら恥ずかしくて、取り繕うようなログを積んでみた。


「忘れないでね、キミは私の奴隷だよ(笑。少なくとも今はまだ…」


最後に、またも今更な言葉を重ねて会話を終えた。
空しくてやりきれなくて、溜息が出た。



そして再び、眠れない夜が来る。
眠れないままに、週末の算段をつける。
夢の始末をつけるために、もう少し踏ん張らなければならない。
たとえそれが自ら望まない結果に向かうものであっても。

主ヅラする義務と責任が、今はせめての杖となる。
杖を支えに、奴の都合を問う短いメールを書いた。



果たして翌日、奴から届いた返信には見慣れた風景が蘇っていた。
縋るように吐いた言葉が叶えられて、嬉しく安堵する。
それが蜃気楼であるにしても、懐かしい風景にしばし癒された。

以下、いつもと変わらぬ物言いで、数日前に体裁を変えた詫びと予定を諾する旨が綴られ、
その最後。


>> ご面倒な用向きとは思いますが、堪えてお付き合い頂ければ幸いです。

> とんでもありません。
> いつ如何なる時も、**様の御用を面倒と思ったことはありません。


その言葉に、何事もなく夢が続いているような錯覚を覚えてしまう。
それが錯覚と知るだに、嬉しくもまた辛さが増した。


2003年10月18日(土) はだかの王様

私が見ている’主従’という夢は、相手あってこそのものだ。
片方が夢から醒めれば、必然として片方の夢も潰える。
しかも、夢なんてのは、無理やり見られるものじゃない。
ゆえに、醒めゆく者を引き留めることは出来ない。もう片方においても然り。

思えば残酷な話だが、それを承知で夢を見ている。
せめて、醒めなければいいなと思うが、それもまた夢だ。



’主従’という関係に憧れる人が言う。
「奴隷なのに、自分から奴隷辞められるんですか?!」

確かに、’主従’の夢の中ではあり得ないことかもしれない。
けれども、夢が夢である限り、現実の壁は厳然と立ちはだかる。
奴隷が夢に背を向けたとき、すなわち彼はタダノヒトとなり、逃げるなと命じたところで届きはしない。

だから今回、イリコの背中を見てしまえば、私はもう手をこまぬくしかないと思った。
去りゆく背に向かって、怒っても懇願しても意味がない。
ただ空しく、更に辛い思いをするだけだ。それは、自分にとっても、奴にとっても。

それでも、このとき私は、最後まで主ヅラしていようと考えた。いや、そうするしかなかった。
裸の王様にも、一分の理がある。



私にとって、奴はどこまでも奴隷なのだ。
その背が、夢の向こうに見えなくなるまで。
いや…夢果てるとも、私は奴の幻を胸に抱くだろう。

過去にも、幾名かの奴隷が私の下を去った。
それぞれの理由はあったろうが、その真相は知れない。事実、私が見限られただけとも思う。
それでも、未だ私は彼らのことを、愛おしむべき奴隷と思っている。
我ながら、能天気過ぎるなと嘲笑っちゃうくらいだが、どうしようもない。

いわんや、奴の実体は未だ目に届く所にあり、
まして言葉も交わし、対面も期せば、主ヅラを手放せようはずもない。
もちろん、無理を通して、表面的な対等さを保つことは出来るだろう。
しかし、この段階で、その無理を通すのを感情が阻んだ。
これもやはり、どうしようもないことだった。

この割り切りの悪い性質を私は充分自覚していて、だからこそ、日頃は取り繕っている。
奴にしてみれば、もっとあっさり手放してくれると思っていたかもしれない。
しかし、その性質はさておいても、相応の執着がなければ主ヅラなんて出来ない。
奴隷側にしても同じだろう。
私の場合、そこへ生来の執念深さが加わって、奴が思うよりずっと、強い執着を抱いている。



主ヅラしたまま、メッセンジャーでの会話が始まる。
奴もまた以前と変わらず応じてくれて、夢の続きを見ているような気がした。

けれども、奴のログが積まれるごと、夢の終焉を感じずにはいられなかった。
夢の跡を振り返るような奴の物言いが、恨めしくも辛い。
自ら裸の王様と覚悟していても、つきつけられる真実が痛く、悲しかった。
悲しさがあまって、堪えきれずにこう訊いた。


「私はキミを本当に悲しませたことがあるかな?」
「正直に申し上げますが、このひと月は、相当に悲しかったです。」


奴の言う悲しさは、私のこの悲しみに相応なのだろうかと、嘆かわしく思った。
けれど、各々の悲しみの質を引き比べるべくもない。
その事実をこそ認めるべきなんだろう。

しかし、纏っているつもりの主の衣が、奴の悲しみさえも我の意思なりと言い訳する。
そうするに至った経緯を明かしてしまう。
今更な言葉が空しく宙に浮き、自分が情けなくなってくる。
ふと奴の溜息までも聞こえたような気がして、付け足すようにログを積んだ。


「キミにとっては、理不尽な仕打ち以外の何物でもなかったかもしれませんが…」




結局最後まで、私が奴の悲しみをあがなうことはなかった。
主ヅラを盾にして、寧ろそうすべきでないと思っていた。
が、つまるところ、そうしたくなかっただけなんだろうと今は思う。


2003年10月17日(金) 夢のなごり

奴へのメールを書き終えたとき、時刻は夜中の三時を回っていた。
電話を終えてから、二時間以上経過したことになる。

とはいえ、さして長い文面ではない。
書きかけては、昨今のメールを読み返し、ここに掲げた自らの記事を苦い思いで読み、
落ち着かないまま思いを巡らせては、時間が過ぎただけだ。

この期に及べば、長く抱いた葛藤も奴への思いも遠い風景のようで、明かすに憚られた。
そうしたところで、既に無意味に思えたし、何より奴には更なる負担を強いることになるだろう。
いわんや、先のメールで吐露された奴の心境に、何をかコメントしても仕方ない。
もうこれ以上、奴を辛い目に遭わせる気も、その必要もなかった。

けれども、往生際の悪い私は、せめての思いで追いすがる。
別れを切り出された側が、ソレデモキミヲアイシテイルと未練たらしく言い募るように。

我ながら、みっともないなと思ったけれど、夢に取り残されてしまえば寄る辺なく、
夢のしっぽにしがみつくよりほかなかった。
電話の礼を述べ、奴を気遣う文言を並べながら、その中に、夢のかけらを滑り込ませる。


> キミ自身の気持ちがどう揺らごうと、私の気持ちは一貫しています。
> 即ち、「XXは、私の従である」ということです。




翌日も、奴は律儀に定時のメールを寄越した。
かすかな期待を抱いて、メールを開くも、依然文頭は「XXです」と始まる。
昨日の今日で変わるはずがないやと自嘲しつつ、やはりダメだったかと今更に落胆した。
諦めきれない気持ちが、どこまでも夢を見させてしまうのだ。

それでも、いつも通りにきちんとしたためられた文面を、慰められる思いで読んだ。
奴が真実どういう心境にあれ、夢の名残を留めてくれていることに、本当に救われた。
しかし同時に、既に夢を俯瞰している奴の視点を見とめるにつけ、胸が潰れるようだった。

私が送った、先の二行を引用してのコメント。


> お電話でも伺い、また文字にも表していただき、嬉しく思っています。
> また、昨夜の電話で、私に必要な言葉を教えていただきました、
> 「許して下さい」という言葉は、私も申し上げようと思いました。何度も。
> しかし、それを実行に移すことができませんでした。
> 結局、自分をさらけ出す事ができなかったのです。許されたかったです。

> けれども、**様に対する働きかけを、私はすることができませんでした。
> 贖罪を求めることさえできなかったのです。
> これが私の限界なのだなあと、静かに実感しています。
(中略)
> 今しばらく自分の気持ちを、見つめなおしてみたいと思います。




最後に、「蛇足ながら…」と直近の自身の予定が告げられる。
私が「なるべく早いうちに直に会って話をしたい」と提案したことを受けての返答だ。

これまでは、私が用立てる打診があってもなくても、予定が報告されていた。
それが、今は早や’蛇足’なのかとがっかりした心持で見つめてしまう。
私にとって、奴の何もかもが蛇足であろうはずはないのに…。

それでも、スルーされるよりはよほどマシだと思い直す。
結果がどうなろうと、とにかく会わなくてはならない。



ひとまずの方針を得て、メッセンジャーで奴を呼ぶ。
この状況でも奴が従前通りにログインしているのが、今はせめての希望だった。

奴もまた、何かしらの展望をもって、その灯を灯していたのだろうか。
それとも、自ら幕を引かんとする責任か、あるいは、それもまた夢の名残に過ぎなかったのだろうか。


2003年10月16日(木) 醒めやらぬ夢

呼び出し音が止み、一瞬間があって、奴の抑えた声音が耳に届く。
こちらから掛けたのに、「XXです…」と応答する。これは、いつものことだ。
その度、どこまでも律儀な男だと思う。律儀がゆえに不器用なそうだなとも思う。
このときも、出てくれたことに安堵しながら、そう思った。
そして、何となく安心した。



いきなり夢から醒めるのはやはり怖い。
殊に私の場合、突然何もかもが失われることへの恐怖を強く抱いている。
しかも、それは未知の恐怖ではなく、これまで幾度か経験したからこその恐怖だ。

また、奴とのことに限れば、私たちを結ぶ「主従」なんて関係性は、
やはり夢々しいママゴトに過ぎず、その儚さが一層恐怖を根深いものにする(※)
夢は不意に醒めるものと思えば、尚のこと恐ろしい。

その上、私は過去に一度奴にフられている。
関係を始めて間もない頃の話だから、今更話題にひくに忍びないのだが、
この経緯が、元々ある恐怖を増しているのは確かだ。
あのとき、僅かな関わりにしても突然夢を断たれて、私は電話口で号泣した。
その電話の向こう、奴の声音が冷たく変化したのを今でもありありと覚えている。
思い出すだに、心臓がギュウと掴まれるような、忌まわしい記憶だ。

それから二年半経って、また奴にフられそうになって、
勝手は承知でただ自分の身の上を呪いながら、再びあんな目に遭うのかと怯えた。
いや、あまりに恐ろしくて、無理やり意識下に押し込めては、やり過ごそうとしたきらいもある。
それでも、あのときのようにあしらわれてしまうことを、どこか覚悟はしていた。



果たして、耳慣れた声音のまま、奴の応答は続く。
短い挨拶を交わしたあと、黙り込む奴に、「だいじょうぶ?」と訊いた。

その問いに奴が何と答えたか、既に記憶にない。
恐らくは、二言三言返事があったのだろう。
そのうちに、ぐっと息を詰める気配がして、咽ぶような泣き声が漏れ始め、それは長く続いた。
私は黙ってそれを聞いた。

堪えていた気持ちが決壊して、ごぼごぼと溢れかえるように、奴が泣く。
それはまるで、道に迷った幼い子が、親を見つけた途端泣きじゃくるかのようにあどけない。
そして、私もまた親となり、「仕方ないわね」とあやすような、
「もう迷っちゃダメよ」と諌めるような、愛おしい気持ちに胸が詰まる。
けれど、そう言葉にするに躊躇った。

長い嗚咽が切れ切れとなり、ようやく「申し訳ございません…」と奴が言う。
そこに、夢のしっぽを見た気がして、少しだけ救われた。
そして、今しばらくは夢を見ていようと思う。
奴の中で既に夢が潰えているとしても、せめて私は主ヅラをして、夢のゆくえを見届けたい。
そのことで、奴に疎まれても、恨まれてもいいと思った。




「キミはまだ私の従だから…」


心を決めて、そう言った。
この期に及べば、我ながら嘘臭い物言いに冷や汗が出た。
そう言われて、心潰えた奴がどう反応するかと怯え、身が震えた。
けれども、未だ嗚咽やまぬ奴は、ようよう返事をしかねており、私のひとり相撲は続く。


「辛くてたまらないときは、許して下さいって言えばいいのよ?」
「私は、キミがそう言うのを待っていたの…」


醒めかけた夢に縋り付いては、今更な言葉を重ねた。


そう…、今更だとわかっていた。
もちろん、私の言葉が奴に届いて、今一度夢の中へ還ってきてくれればと願った。
けれど、今となれば届かないかもしれないと、あるいは、
届いたところで、一旦離れた気持ちは引き止めようもないだろうと、諦めてもいた。
だから、私は、ただただ自分が夢から醒めたくないばかりに、そうしたのだ。



電話を終えて、近い将来を思う。
終わるなら、せめてきちんと終わらせたい。
けれど、諦めるに諦めきれない、取り戻せるなら取り戻したい。

葛藤を抑えて、静かな言葉でメールを書いた。
未だ夢を見ているフリをして、「キミは私の従である」と添えた。


2003年10月15日(水) 暇乞い

きっかり三時間待って、奴のメールが着信した。

相変わらず、「XXです」で始まるそれに、私は少なからず落胆した。
件名は「お返事です」。
本文を読むまでもなく、その一文こそが、奴の返答なのだろう。
何か思うところはあるかと質しながらも、その実、私は甘い期待を抱いていた。
そう訊けば、型通りでも元に戻してくれるかと思ったのだ。

しかし、振り返ってみれば、甘過ぎる自分に呆れもする。
奴が、これまで固持してきた流儀を手放すほどに追い込まれた状態で、
それでも、いつも通りメールを寄越すことを疑いもしなかった。
もちろん、その可能性に怯えもしたが、リアルに考えられなかった。いや、考えたくなかった。
過ぎた今となっても、改めて想像するだにおぞましい。

そんな心境から、当時はさほど切実に思わなかったけれど、
いつも通りにメールを寄越してくれたことにこそ、私は心底救われたのだ。
もっとも奴には、その美徳である律儀に沿ってそうしただけなのかもしれない。
奴の性質を鑑みるに、黙して去るほうがよほど楽だったろうとは思う。
今更心情を質されてもと、困惑したことだろう。

それを圧して、奴は心情の一端を書いて寄越した。
どこも破綻してない、奴らしい、きちんとしたメールだった。
けれども、どうにか取り繕おうとしている、そんな痛々しい印象を受けた。
満身創痍のあちこちから血が噴出してるのに、なお正座を崩そうとしない、悲壮な姿が目に浮かんだ。
そこまで傷つけたのは確かに私だけれど、なぜそこまで意地を張るのかと、哀れにも歯痒くも思った。
そして、なにより、悲しかった。




> XXです。
> メールをいただき、ありがとうございました。

(中略)

> ご心配をおかけしまして、申し訳ありません。

> 今の私たちの状態は、コミュニケーションが断たれている状態と感じています。
> **様からメールをいただくことも稀なこととなりましたし、お迎えに伺っても会話はほとんどありません。
> もとより、それを招いたのは私の責任ですので、自らの至らなさ、甘さは重々承知しております。
> しかしそれでも、辛くてたまりません。一日中そのことが頭を離れません。

> **様のなされることに、いらぬ感情を抱くのも、不遜というものでしょう。
> それは車中のお食事の一件でもご指摘頂きましたし、私もそう考えるべきだとは思っています。

> でも、私のところにおいでになった**様が浮かぬ表情をなされると、もうどうしようもなく苦しいです。
> 自分はここに居ていいのだろうかと、疑心暗鬼に捕われます。
> 私の存在が**様を不快にさせているのかと、感じずにはいられないのです。

> しかしそれが、とんでもなく傲慢な考えであるということも、判っているのです。
> 私が申し上げていることは、見方を変えれば**様に、常に笑顔で居てほしいということなのですから。
> そんなことは、人に求めてはいけないことです。
> 結局私は、**様に期待する主像を押し付けていたのです。

> 正直申し上げまして、自分がマゾヒストであるかどうか、判らなくなっています。
> 苦しくてもそれに耐えられるのがその定義であるのなら、今の私は明らかにそうではありません。
> 徐々に情動がすり減っていって、後に残るのは苦しみ、哀しみ、寂しさばかりです。

> 相手の全てを受け入れるということは、難しいことなのだなあと今更ながらに感じています。
> 僕という立場を与えてくださっているのですから、それに縋って安寧が得られるのが普通なのでしょう。
> なのに苦しみもがく私は、従順にはなれなかったのだなあと申し訳なく思っています。

> 先日お送りしている道中、涙がこみ上げてきました。
> 運転中でしたのでこらえていましたが、そこで何かが壊れました。
> ご指摘の変化は、その時差し上げたメールからでした。
> お付き合いを重ねたにも関わらず、心の弱さが直りませんでした。

> お気にかけて頂いたことを、感謝しています。
> ありがとうございました。そして、ごめんなさい。




一読して、時計を見て、直後電話をかけた。
まだ寝てないだろうと、自分に言い訳をする。

かけるに迷いはなかったが、やはり緊張して、動悸が激しい。
出てくれないかもしれないと思えば、恐ろしく不安にもなった。
しかし、これで応答がなければ、それが奴の意思なんだろう。
賽を投げた心持で、呼び出し音を聞く。


2003年10月14日(火) 夢から醒める間際

そのメールに目を通し始めた瞬間、私は息を飲んだ。
こめかみの辺りから、血の気がサーッと引く。その音すら聞こえたような気がした。
咄嗟に、何かの間違いかと思った。いや、思いたかった。
しかし、型通りの短いメールは、その望みを僅かも待ってくれない。
わずか数行ののち、私はそれが間違いでないことを知る。

そこには、奴にはあり得ない署名があった。
これがすなわち、間違いであって欲しい文頭の一文と符合してしまったのだ。
その事実に愕然とした。



それまで、奴が寄越すメールは必ず、「XXでございます」と始まり、「XXXX 拝」で終わっていた。
私たちが関わって以降、そのスタイルが崩れたことは一度もなかった。
どんなに短い文面でも、奴は頑なにその体裁を守った。
その頑なさたるや、そこに、奴のアイデンティティがあるかのようだった。
いや、実際あったのだろう。
だからこそ、意図してであれ、無意識の発露であれ、それが破られることになったのだ。

一方私にとって、それは、見慣れた風景のようなものになっていた。
永遠不変を疑ったことすらなかった。
だから、その見慣れた風景が忽然と失われた事実に、心底驚愕してしまった。
と同時に、酷く混乱した。
理性では受け入れても、感情の奥深い部分が抵抗する感じなのだ。
「XXです」という一文と、「拝」のつかない署名を見るたびに、吐き気を覚えた。

それでも、繰り返し読んでしまう。
読むといっても、本文はたかだか二行で、それが却って恨めしい。
きっと、そこにも相応の意味が込められているはずなのに、あまりに短い。
けれど、短いがゆえの意味深長もあろうと、またも同じ文字列を追う。
しかし、いくら読み返そうと、そこに窺う真意の変わろうはずもない。

恐らく、奴は、奴の気持ちは、既に潰えてしまったのだろう。
それを認めたくなくて、何度も読んでしまった。
読めば読むほど、認めざるを得なくなった。



そのメールは日課に寄越す定時のメールではなく、
同行して別れたのち、無事に帰着したことを知らせるものだ。
これも、私たちが関わって来、慣例になっている。

つまり、メールが着信する一時間あまり前、
奴はいつものように私を見送り、帰途を辿り、習慣通りにメールを打ったわけだ。
その一連のどの時点で、ここに表れた心境に至ったのだろう。
いや、それは、もっと以前のことかもしれない。

しかし、前日のメールを改めて読んでも、それらしい兆候はない。
更に遡ってみたが、読み取れない。
とすれば、まさにその当日に、奴の気持ちが著しく変化したことになる。
いうまでもなく、その変化を招いたのは、私でしかない。
そして、当日のことを思い出すだに、その事実に納得出来るような、し難いような複雑な気分になった。

いや、誤魔化してはいけない。
納得しかねるのは、自分の非を認めたくないだけだろう。
やはり、私には明白に非があったのだ。それは、否定しようもない。
相変わらず、仏頂面をして奴の車に乗り込み、殆ど会話も交わさず、またも目を閉じたままだった。
確かに、それ以前から別件で不機嫌にいたが、奴にそこまで辛くあたる理由になろうはずがない。

結局、私は奴を追い込み過ぎたのだ。
母獅子の言い訳を盾に、その実、むごい仕打ちに及んだだけだ。

むろん私が望んだのは、それで奴が許しを請うことだったけれど、
思えば、その前に逃げ出そうとするのが、よほどヒトの現実だ。
私はまた夢を見過ぎてしまったのだろうか…。



そのメールの翌日も翌々日も、文頭と署名の体裁は変わらなかった。
偶さかの間違いか、気の迷いであればと待ってはみたが、その一縷の望みも絶たれてしまった。

仕方なく、奴の思うところを問うメールを出して、返事を待つ。
時刻は21時、夢から醒めるまで、あと三時間…。


2003年10月13日(月) 甘い予断

鞭を置いた後、「アタシもやらせてぇ」の女の子に位置を譲り、席に戻る。
奴には既に限界かと案じたが、こうした場で本気を出してしまった面映さから、承諾してしまった。

機を得た彼女は、場もちの良い子らしく、実に楽しげに打つ。
先刻の私のそれは、衆目にはどう映っただろう。
自分では取り繕ったつもりだが、きっとこうは見えなかったはずだ。

彼女が打ち終えた矢先、いまひとりの女性からも申し出を受ける。
小心な私は断りきれずに了承したものの、その彼女が打ち始めるや、後悔が走った。
確かに上手に打つのだが、恐ろしく冷酷な気を醸すのだ。
自分のモノが無茶な扱いをされてるようで、気が気でない。
とはいえ、勧めた手前、止めだても出来ず、苛々と見守るしかなかった。

もういいだろうと割って入った時には、奴の腹に無惨な痕が穿たれており、苦々しく思う。
もっとも、そうなるまで、黙って見ていた私こそが悪いのだ。
せめての償いに、浄めるように数発打った後、解放した。
最後まで耐え切った奴が、礼を述べる。
その様に、我が子の晴れ姿を見るような満足を覚えながら、その一方で申し訳なくも思った。

結果、奴には可哀想なことをしたが、鞭に耐えるを誇る自負には寄与しただろう。
何より、鞭以前の陰鬱な気が治まって、憑き物が落ちたような顔をしている。
それに、この成り行きから、帰りの車中で私たちは久しぶりに会話らしい会話を交わした。



もっとも、酔いと疲れから、私はまたも寝入ってしまったのだが、
帰宅後暫くして届いた、奴からの短いメールに、ひとまず安堵の息をつく。


> 本日は本当に、ありがとうございました。
> 穴蔵から抜け出たような心持です。


翌日、定時のメール。


> 昨夜はありがとうございました。
> 精神的に相当追い込まれておりましたが、何とか落ち着くことができました。
> 心理上は楽になりましたが、肉体的には厳しいですね(笑)。
(中略)
> **様の鞭の打撃により、自分を囲んでいた閉塞感が文字通り打破されていくのを感じていました。
> 外部からの打撃に身を任せて、体を走り抜ける衝撃に余計なものが叩き壊されていくようでした。


このあと、昨日説教した事柄のそれぞれに、逐一の詫びと反省が連なる。
が、多分に自罰気味な表現が多く、気に掛かった。ややもすれば卑屈にもとれる。
さすがに、感情から言い過ぎたのかもしれないなと胸が痛んだ。



更に、メールは続く。


> 過去の記録を読んでいると、私の生活自体が**様と共に在ったことが痛感されます。
> 楽しかったことや辛かったことが思い出され、切なくなり辛くなります。
> しかし何よりも苦しいことは、私の暮らしの重要かつ大きな部分であった**様との関係を、
> 今このような状態にしてしまっていることです。
> そのことが常時頭を離れることがなく、肉体的にも失調を来たしています。


この期に及べば、わかりきったことながら、奴の苦悩を改めて知る。
しかし、このとき未だ母獅子気取りでいた私は、これを看過した。
それどころか、ここまで辛い思いをしているのなら、じきに音を上げるだろうとさえ思った。

そこに、先の鞭をもって、小康を得たのだから…という楽観と油断があったことは否めない。
加えて、今回の件で、私の思惑通りに奴を「どうにかできた」ことで、
この先どうあっても、「どうにかできるだろう」と思い済ましてしまったのだ。



けれども、真実起きていたことは、私の予断をまるきり裏切るものだった。
この一週間後、私は自分の甘さを思い知ることになる。


2003年10月12日(日) 私が鞭をとったわけ

私が再び鞭をとったのは、とあるSMバーでのことだ。
ノンケと思しき賑やかな団体が去って、客は馴染みらしき男性と私たちの三人だけとなり、
何となく気の抜けたムードが漂う頃合に、奴に脱衣を命じた。

いきなりそう言われて、奴は戸惑い、一瞬の躊躇を見せる。
目線をやって、それを制し、店の壁にずらりと掛かった鞭を物色した。



実のところ、衆目の中で奴を相手に行為することは、あまりない。
他にも連れがいれば、皆も誘って余興として遊ぶこともあるが、
ふたりきりで訪れてそうしたのは、恐らくこれが初めてだ。
行為を人目に晒して悦ぶ嗜好が双方にないし、
同じ事をやるにしても、人目があると没頭できない。
やはり、奴との行為は、密室ですべき親密なものと思う。

それが、この日そうしたのは、今ここでしなければと強く思ったからだ。
確かに、客が少ないことに助けられはしたが、動機はそこにない。
折角だから遊んでく?みたいな軽い気持ちでもない。
人目なんて気にしていられない程、切迫した気持ちに駆られた。

もっとも、それなら店を出て、密室にこもるほうが適当ではある。
もちろん、そうも考えた。
けれども、またも捻じれた感情から、そうするに抵抗があった。

正確に言えば、そのもっと以前、密室どころか、バーに同伴することすら逡巡した。
原因は、落ち合う連絡をとっている折に、奴が口答えをしたからだ。
それも、奴隷のくせに云々というレベルでなく、人として礼を欠く物言いに絶句してしまった。
ただでさえ不機嫌にいた私は、何だか奴の顔を見るのもイヤになり、
「また連絡するわ」と電話を切る。

その後バーへ向かう道を辿りながらも、まだ迷ったままで、
結局呼び寄せたのは、席に案内されてからだ。



幸いに店内に見知った顔はなく、憚りなく仏頂面で奴を待つ。
と、現れた奴もまた、最前しくじったせいで、この上なく表情が固い。
肩を並べて座らせたものの、案の定、陰鬱な気を醸すばかりだ。
私は私でさっきの気分をひきずって、奴に顔を向けるのも疎ましい。
暫くは目線をやることもなく、前を向いたきりで、ぽつぽつと物を言う。

しかし、奴がまたしても口答えをした途端、思わず奴のほうへ向き直った。
「ナニイッテルノッ?」問い質すに、つい声を荒げてしまう。
けれど、そう問われて戸惑う奴は、自分が何を言ったか認識してないと言う。
つまり、無意識のうちに、暴言を吐いてしまったらしいのだ。
私は、もうどうしたらいいのかわからなくなって、深い溜息をついた。

と同時に、何となく開き直った気分にもなる。
この身に積もる鬱屈は、更には奴の鬱屈も、私の手で払わねばならないんだわ。
奴はどうあれ、私までが、ここで拗ねて沈黙している場合じゃない。

そう思えば、徐々に気が戻り、直近に奴が踏んだ地雷をネタに説教を始める。
その逐一に奴は項垂れるのだが、私が黙っているよりはマシだろう。
おかしなもので、説教するうち、奴への疎ましさが消えていく。
まぁ、言いたいことを言ってしまえば、当たり前に気が治まるものだ。

一方、奴は既に詫びの言葉も失って、虚ろな表情で黙りこくってしまった。
しかし、気力が戻った私には、その風情こそ親しみ深い。
意趣を晴らした気にもなり、今度は奴をどうにかしてやりたいと思った。



奴の裸の背に、鞭を当てていく。
邪気を祓うように、殆ど加減をせずに打ち進める。

端から、快楽を恵むつもりなどない。
奴の中に堆積した鬱屈を打ち砕き、身を裂いては、膿のように流れ出よと念じた。
次第に息が上がり、腕がだるくなっても、狂おしい思いに駆られ、自動的にまた振りかぶる。
いつのまにか、衆目への意識も薄いものになっていた。

思いのままにあれば、私は奴が崩折れるまで続けていただろう。
けれど、休みなく打ち据えていたためか、次第に腕が上がらなくなってくる。
限界に近く、気力を振り絞り、とどめを差すように打つ。

その頃合に、店の女の子が「アタシもやらせてぇ」と無邪気な声をあげ、
現実に引き戻される感じで、張り詰めていた気が断たれた。
そして、ようやくのこと、私は鞭を置いた。


2003年10月11日(土) 泥沼の呪縛

落ち込んでいるときに限って、また何かやらかして、更に落ち込んでしまう…
なんてのは、よくある話だ。

低迷した気が集中力を殺ぐのか、ウマクナイ判断をしてしまうのか、とかく不調は不調を招く。
しかも、この手の連鎖が起き始めると、どうにも足抜けし難くなる。
抜け出そうと足掻けば足掻くほど、却って足を取られたりもする。

二度の対面後の奴が、まさにそうだった。
次に会うまでのたった七日の間に、大小あわせて三つの地雷を送って寄越した。
もちろん、当の本人は、それが地雷だなんて思っちゃない。
それどころか、この状況にあれば、一言一句に気を払っていたことだろう。
しかし、嵌ってしまった泥沼は、その意思を努力をも無為なものにしてしまう。

かたや私は、奴のどんなしくじりも見逃せない。
未だ心がささくれているせいで、平素なら見過ごす程度の綻びでさえ、苛々と癇に障る。
かくて、奴のメールに地雷たる思い違いを目ざとく見つけては、深い溜息をついた。
もとより安定を欠いた私の機嫌は、その度確実に傾いていく。
三つも見れば、うんざりした気分にもなった。



一番大きな地雷は、二度目に会ったときの記録に埋まっていた。
奴には、日頃から、用向きはどうあれ対面した次第の記録を課している。


> 車中でお食事をなさっており、少なからずショックを受けました。


この一文に、私こそショックを受けた。
ナンデソウナルノ?!私は菓子を喰ってもいけないのか?!
…あぁもう、言葉にするに馬鹿馬鹿しいが、正直そう思わずにいられなかった。

もっとも、奴のいわんとすることはわかる。
恐らくは、’私が空腹なのに、飲食店に自分を伴うのがイヤで、買い食いをした’
と思い込んだのだろう。

実際、そうでないから腹が立つ。
大体私は、自身に思い込みをされる自体が嫌いだ。
更にこのときは、ヘンに邪推をされたように感じて、酷く不快になる。
それは、とりもなおさず、自身のアテツケがましさを指摘されたかのようで、余計にだ。
遂には、ナリフリにケチをつけられた気にもなり、一層気分が悪くなった。



この二度目の対面を巡って、奴はもうひとつの地雷を踏んだ。
少なくとも私が伝えていない事実を、さも心得たかのように言って寄越したのだ。

私としては、敢えて伝えなかった折から驚きつつ、
思い当たるソースを確認すれば、なるほど、それらしい記述があった。
確かに、奴ならおおよその推測がつくだろう。驚きは消えた。
が、しかし、事の次第を知ってしまえば、今度は不快が募る。

奴としては、偶さか知り得たことが他人事ながら悦ばしいものであったがために、
「何よりでした」と私の機嫌を慮ってみたのだろう。
けれども、当事者たちが伝えもせず、また配慮から特定の表現を避けているのに、
そう言われてしまっては、身も蓋もない。
私の感覚では、それはまったくもって行儀の悪いことで、だからこそ不快に思うのだ。

もちろん奴には、何の悪気もなかったと思う。
が、そう思うだに、やりきれなさに頭を抱える。
また、こんなことまで言ってやらねばならないのか。
大のオトナ相手に、この手の行儀を諭すのは、正直気が滅入る。
イイ歳をしてと思えば、腹も立つ。


最後のひとつも、これに同様、自分本位の思い込みが露見したものだった。
つくづく、奴にはこの手のしくじりが多い。
面倒だが、ひとつひとつ潰していくしかないのだろう。



そんなわけで、会う前から、既に私は不機嫌にいた。
ところが奴は、当日も、更に私の機嫌を損ねるような真似をしてくれる。
流石に私も、思わず声を荒げてしまい、当然奴は、一層落ち込むことになる。
一旦嵌った泥沼の呪縛は、かくも残酷だ。

もっとも、この成り行きが、私が鞭を取るきっかけとはなった。
とすれば、これも必然の巡りだったのだろうか。


2003年10月10日(金) 逡巡のきっかけ

今更の繰り返しになるが、ここに至る事の発端は、奴が無思慮な言葉を吐いたことにある。
これを受けて、私もまた、「今後は食事とか旅行とか一緒するのは避けようか」と言い、
奴も、「残念ですが、仕方ありません」と返した。

一見馬鹿馬鹿しい売り言葉に買い言葉だが、
実のところ私は、このやり取りにこそ、酷く悩まされている。



よくよく考えれば、あのとき私は多分に嫌味を込めて、殆ど反語的にそう言ったのだ。
本心から、そうしようともそうしたいとも思ってなかった。
奴にしても、そう水を向けたなら、「いえ、それは…」などと口篭もるのではないかと踏んでいた。
ところがあっさり受け入れられて、その途端、己の投げた言葉が急に現実味を帯び始めた。

もっとも、現実に照らせば、やはりそれは妄言だと容易に気づく。
奴とのこれまでは、日常の些事も含めた様々な場面で紡がれてきたからだ。
これからも、そうしようと思っていたからだ。

それを「仕方ありません」と返されては、無性に腹立たしくもあった。
「よくそんなこと言えるわね!」と一蹴すれば、済む話だったのかもしれない。
いや…、胸の内では早々と一蹴し、今に思い知らせてやるッとさえ息巻いた。



しかしながら、その一方で、本当にそうすべきだろうかという迷いも生まれた。

確かに、旅行はおろか食事さえ共にしなかった奴隷も、過去にはいる。
それで何の問題もなかったし、そういう付き合いであっても、充分に関係を築けたと思っている。
寧ろ、日常に関わらないことで、彼らとは純粋な関わり合いが出来たとも思う。

ならば、奴とも、日常に関わって無理を重ねるよりも、そうするほうが適切なのではないか。
これまではこれまでとして、問題が露見した今こそ、軌道修正すべきだろうか。

それに奴には、日常にかまけて、調教なり行為なり施す機会をあまり取ってない現状がある。
これでは、いかな奴だって、奴隷たる自覚に乏しくなって当然かもしれない。
いや、自覚はともかく、奴隷たりうる悦びに不足しているのではないだろうか。
恋人同士や夫婦でも、性的な営みに疎かになれば、関係自体が危うくなる。
いわんや、私たちの関係は、性的な関わりを核としていればこそ…。


奴との次第や将来を思うとき、私は大抵思案に暮れる。
こうではないか、ああではないか…。
ああもしよう、こうもしよう……。

そこへ感情そのものが乗っかって、恐ろしく沢山のことを考えてしまう。
来る日も来る日も考えて、考えてはまた考える。
ひとまずの結論を見ても、まだまだそこから考えるに忙しい。
今ももちろん、考え続けている。



こうして、あれきしのやり取りながら、私の中には大きな波紋が広がった。
ここに掲示した文中に、「奴との展望を失った」と記したのは、その意味で本当のことだ。
もっとも、自分が言い出したことゆえに、引っ込みがつかなくなった感も否めないけれど(笑。

そんなワケで、
先々を決めあぐねつつも、ひとまず調教だけはマメにやろうと考えた。

心理的なこじれがどう解を見るかは、成り行きに任せる部分が大だろうし、
ことによると、行為を重ねれば、気持ちの落としどころも見つかるかもしれない。
そんな期待もあった。



果たして、その第一回目の試みを終えてみれば、それなりの結果を見た。
もちろん、依然気持ちの上での問題を残していたが、試みは繰り返してこそ意味がある。
あまり間を置かずに、二回目の試行をしたいと機をうかがった。

しかし、こんなときに限って、なかなか機会は得られない。
時間の経過とともに、行為に縋れないまま、気持ちがまたも澱んでいく。
二度の対面はそれを明らかにし、結果、奴にあっては不安を募らせた。

自分の気持ちも含めて、早くどうにかしなければと切実に思いながら、
ようやく再びの鞭を取ったのは、先の調教からひと月も経った日のことだった。


2003年10月09日(木) 母の衣を被る鬼

捨て置き十日で、久しぶりに会う。
先の対面から、二十日ほど経過していた。
本当はここまで間を空けるつもりはなかったが、互いの都合がつかなかったのだ。

奴からは、事前も事後も、嬉しい嬉しかったとメールが届いた。
ただ、心底そうであったかどうかは疑わしい。
とはいえ、お愛想でもそう寄越してきたことで、息をついたのは確かだ。
なぜなら、その日、結局私はツレナイ態度をとってしまったものだから。

もっとも、特別に機会を設けたわけでなく、単に送迎を頼んだだけだったけど、
それでも車中で言葉を交わすなり、道中で喫茶するなり、会うに値する展開はあったはずだ。
しかし、私がしたことは、型通りの挨拶と僅かの相槌と、
「寝るわね」と言ったきり、助手席に沈み込んだことだけだった。

確かに、二年もあまって用立てていれば、こうした展開は珍しくもない。
が、この日の奴の心境を慮れば、笑顔のひとつでも見せてやれればよかったのだろう。

けれども、捻じれたヘソが顔を強張らせる。
口を開けば、つまらない繰言ばかり吐きそうだ。
肩を並べて、奴のほうへ視線を送ることさえ出来ない。
その居心地の悪さに、仕方なく目を瞑った。



翌日もまた迎えに来てもらう。
奴には明かさなかったが、この日は奴をよく知るかたと会っていた。
久しぶりのこととて話も弾み、奴の話もさんざネタにして、気の晴れるひとときを過ごす。
いい感じで酔ったイキオイで菓子を買い、食べながら車の到着を待つ。

気分は悪くない。
このまま機嫌よくいられれば、昨日みたいなことにはならないはずだ。

果たして、こちらへ歩いてくる奴の姿を認めたとき、その予想は脆くも崩れた。
奴が羽織った、見慣れない変てこなジャケットに、思わず気が滅入ってしまったのだ。
当然奴に非はないけれど、ようよう平衡を保っている機嫌は、ささいなことで傾いていく。
それをどうにか立て直そうと、車に乗り込んでさえ、菓子を喰い続けた。

菓子の効用あって、当り障りのない会話を二、三交わす。
口を動かしていれば、眠気も抑えられるし、余計なことを言わないで済む。

しかし、奴が
「このジャケット安かったんです!」
とやたら明るい声で話題を取り始めるや、ついに気持ちは潰えた。
痛々しい程の健気さに応えたくもあるが、そこにケチをつけない自信がない。
そうなる前に話を切って、目を閉じた。

結局この日も寝入るうちに帰り着き、前日とさして変わらぬ交わりのまま、車を降りた。
ただ、気持ちはいくらか緩んでおり、せめての思いで、後ろ手に手を振る。
目の端に映る奴のナリは、やっぱり気に入らなかったけれど。

そんな次第だったが、事後の奴のメールには、相変わらず、
「嬉しかった」と文字が並んだ。



確かに、ただ捨て置かれるより、僅かにしか交わらずとも、奴には嬉しくはあったろう。
しかし、この両日の対面が、真に安堵をもたらそうはずもない。
いや寧ろ、あのような対応をされてしまえば、一層の不安を抱えるのは必至だ。
現に以降、奴はメールの折々に辛く切ない心内を語り、それを「自業自得」と納めている。

対し、私が意図して奴を不安に陥れようとしたかと言えば、自分でも判然としない。
実情にそえば、なし崩し的にそうなった感がある。
が、獅子千尋の谷を言い訳にすれば、そうなるに抵抗はなかった。

けれども、真実真相はどうだったか。
母獅子の衣を被った私の内には、恨みがましく、底意地の悪い鬼も住んでいる…。



この一週後、再び奴を用立てた。
しかして、奴には、再び辛い目に遭うことになる。
ただ、それは同時に、漸くにして奴が救われることでもあった。


2003年10月08日(水) 母獅子の誤算

ここにどれ程カライ文章を掲げようと、思い通りの結果は得られない。
期待に逸る私がこう結論したのは、先の調教からたかだか一週間後のことだ。

感覚的には、毎日が一日千秋だったけれど、かくもあっけなく私は音を上げた。
根がタフでない私は、アテなく待つことがとても苦手で、かつ苦痛なのだ。
その苦しみから逃れるため、大概早々に足掻くことになる。
そこで、私たちの関係自体を問うかのような記事を最後に、掲示を中断した。

確かに、この時点で奴は再び詫びてきたが、それは全く胸に届かなかった。
慇懃に詫びつつも、ダメならダメでいいと言わんばかりの投げやりな諦めを感じて、寧ろ不快だった。
もちろん、奴にそんな気はなかったかもしれない。
けれど、私がそう受け取ったのは事実だ。

一方、私は依然諦めてはなかった。
いくら腐れようとも、期待は根強くあり、新たな期待が芽吹く。
いや、一旦腐れ落ちたそれは、今や執着に同等だったろう。

偏執狂が期する手立ては往々にして過激だ。
先に奴を不安に陥れながら、そのまま捨て置くことにした。
むろん呵責は感じたが、獅子千尋の谷と思い込んでは、これを退けた。



その後十日ほど、日課に寄越す奴からのメールだけが、私たちのよすがとなった。
これまで通り、日次に報告すべき要目に数行のコメントが添えてある。
天候の話や近況によせては私の様子を気遣ったり、チャットに出向いた次第の報告があったり。
奴には過去の記録を整理する作業を課してる折から、切ない胸中が語られたり。

そこに、奴の心境を読む。
奴なりに堪えてる様子が手にとるようだ。
殊更に私の消息を案じられるごと、言外に捨て置かれた寂しさを見る。
過去を顧みる作業にことよせて、辛い切ないと感想するのは、すなわち今現在の心境だろう。
奴にしては珍しく頻回にチャットに赴くのは、どうにか鬱屈を晴らそうと試みているに違いない。

そう感じるにつけ、当然に心動かされ、事態にケリをつけようかと思う。
実際、ここの掲示を再開させるべく、何度もエディタを開いた。
しかし、結局閉じてしまったのは、やはり執着に足る結果を得られてなかったからだ。

とは言いつつ、そのときは、
子を谷底へ突き落とした母獅子のように、堪えて待つを気取っていたのだけれど。



一方、奴は、私の心境を知る由もない。
もちろん、それは、落とされた子獅子にしても同じだ。
あるいは、知ってしまえば、険しい谷を這い上がれはしないだろう。

けれど、奴は獅子ではなく、奴隷だった。
落とされたら落とされたままに甘んじるのが奴隷の分と信じ、自ら這い上がる発想も恐らくない。
ここに、母獅子気取りの大きな誤算があったワケだが、
奴の心細そうな様子を見ては、やがて這い上がってくるものと盲信した。

しかしながら、その錯誤に気づくチャンスはあったのだ。
捨て置いてから五日目のメール。


> 私にこれほどまでにお心を注いでくださった**様に、本当に感謝しています。
> その**様に不愉快な思いをさせ、失望させてしまった。
> さぞかし無念に思われていることと存じます。
> **様のお心が晴れる日が、一日でも早く来ることを、心よりお祈りしています。


これを読んで、私は、
ワタシの心が晴れるのはキミ次第だろう?天ノ岩戸じゃあるまいし…と鼻白んだものだが、
奴にすれば、こう納得するよりほかなかったのかもしれない。


2003年10月07日(火) 自覚なき暴走

人に期待し過ぎるとロクなことにならない。
奴のことによらず、何度か痛い目に遭ってきて、それは重々わかっていることだ。
なのに、またもあっさりと同じ轍を踏んでしまった。
言うまでもなく、調教後に詫びのメールをもらった時点で落着させなかったのが原因だ。
大体詫びた人間にちゃんと謝れなんて、期待するほうが間違っている。

にしても、なんでそんなトチ狂った期待を抱いたのか。
百歩譲って、どうなれば私は納得したのか。



今にして思えば、私は単にヘソを曲げてただけのような気がする。
ヘソが曲がれば、思考も曲がり、自ら穴を掘っては落ちてしまったワケだ。
そして、穴の底で私が切望したのは、「自分が悪かった。許して下さい。」という一言だった。

我ながらうんざりする程、感情的でベタな希求だが、逃れようがなかった。
やはり、私はあの一件に酷く怒っていたのだ。
恩を仇で返すような真似しやがってと恨みさえ抱いた。
それを下手に寛容ぶってようよう飲みこんだつもりが、
先に謝られたことで腹に納めきれなくなり、かといって、今更正面きって怒ることもできず、
そのジレンマが私をトチ狂わせた…らしい。



振り返ればこそ、己の感情の暴走に気づきもするが、当時はそんな自分を認めてなかった。
それどころか、もっともらしい言い訳を拵えては、自分の正当性に縋っていた。

かりそめにも主ヅラすれば、感情的になるなんてもってのほかであり、
感情を退け、専ら奴のためにひたすら思考しているんだと、なおも恩に着せてみる。
おためごかしに思い募ることで、自分を誤魔化していた。

それでも、当然のこと、身の内に鬱屈するものはあり、折々捌け口を求める。
気の置けない友人には再々に愚痴をたれ、事情を与かり知らぬかたにさえ、鬱陶しいメールを書いた。

そうして、私は正気を保とうとしたが、根本的に正気を失っていたと気づいてみれば、
アテにされたかたがたには、さぞかし困惑されたことと申し訳なく思う。
挙句、こんな妄言まで書き送っており、今更ながらに身が縮む。




先のメールで、

> **さんが好きなようになされたら?と、思う次第です。

とのお言葉を頂きながら、依然この話題を取る失礼をお許しください。

と申しますのも、今のところ
’本当に好きなように’は出来ないと思っているからです。
従前に倣って好きなようにするならば、私はとっくにこの穴から脱出してるはずです(笑
けど、今まで通りが今の憂いを招いてるのならば、今まで通りじゃだめかなと…。

これまでは意に添わないことや負の感情をそこそこに飲み込んで、
彼の負担を考慮しながら言動を制御し、不安を抱かぬよう絶えず主導してきました。
もちろん彼なりに不安を感じることもあったとは思いますし、そう聞いてますが、
私のほうから積極的に不安を与えることは、しないように努めてきました。
これが出来ないから、あるいはそうしなかったら、捨てる(別れる)るよ、
なんて、言ったことはありませんでした。もちろん考えたこともありません。
今も、関係自体を反故にしようとまでは思ってません。

しかしながら、私のとったこの方法が、彼を甘やかしてしまったのかなと痛感し、
つまりは、自業自得の結果なのかなと反省している現在です。
脅して注意や危機感を喚起することが適正とは思ってませんが、
叱られても反省すれば許される、怒っても謝れば怒りを解いてくれる、という安直が、
彼には、自分から働きかける意思を殺ぎ、易々と同じ過ちを招いてるのではないか。
そんなふうに思い、今は耐えて、救いの手を差し伸べずにいます。
情けない話ですが、過保護なママにはこれがなかなかに辛いのです(笑。
けれど、この辛さを引き受けなければ、何も変わらないように思うのです。




しかしながら、暴走やまぬ私には、これが縋るべき正義だった。
あまつさえ、理性でよくよく考えて、最善を尽くしているつもりでいた。


2003年10月06日(月) 期待が腐れていく

その後しばらく、私たちは直に話す機会を得られなかった。
必然的に、口頭で詫びて欲しいという私の期待は棚上げとなったワケだ。
いや正確には、その必然に納得できず、棚に上げるべき期待を手の中でこねくり回してしまった。

そのせいで、それは徐々に腐れていく。
叶わぬ期待が思い通りにならない苛立ちに、やがて恨みがましい怒りとなった。



まだ、期待が期待だった頃、せめてメールで詫びてこないかと望みをつないだ。
SMパブで飲んだ翌日には、普段は殆ど書かないお礼のメールを送り、返事を待った。
『昨夜はちゃんとお詫びできませんでしたけど…』その文面までをも夢想した。
けれど、届いたメールに、思うような言葉は見つからなかった。
余計なことばかり書いて…と、腹立たしささえ覚えた。

それでも、どうにか望みをつなげようとする。
ここに掲げるテキストを読めば、嫌でも気づくんじゃないかしら。
調教の以前から書き始めた、今回のこじれに係る私の心情の経緯は、
時まさに、あの日に端を発して私が真に陥った憂いを明かす段を迎えていた。
こないだみたく、ママを喜ばせてちょうだい。
祈るような思いで書き綴った。

しかし、その晩も私の期待は叶えられなかった。

今思えば、当然のことだ。
奴にしてみれば済んだことだし、私にあっても、過ぎたことを回想して書いたと解釈したのだろう。
いや当時も、その予測は充分についた。
が、そう思うだに、
あれ程私を悩ませといて、たった一通のメールで済ませるのかと情けないような気持ちにもなった。



このとき抱いた情けなさは、寝床の中でどんどん発酵して厭らしい程の気弱を招き、
翌日には、泣き落としのような記事を書いてしまう。
生来のアテツケがましさを抑えきれず、我ながらうんざりした。
けれど、転がり始めた負の感情が、理性を挫く。
だってホントのことだもの…。
自らに言い訳しながら、奴に突きつけるように掲げた。

奴はどう出るだろう。
既に私の堪え性は底をつき、定時のメールを待ち侘びた。

が、酒席で遅く帰宅した奴は、その旨を伝える短いメールを寄越しただけだった。
またも思惑が外れて、溜息が出る。
しかし、短い文面ながら、私はそこに希望を見てしまう。


> ただ、日課でございますので、掲示は拝見いたしました。
> アルコールが入っておりますので、今夜は所感を差し控えさせて頂きます。
> 申し訳ございません。


これで、すっかり明日を約束された気になった。
しかも、期待通りの明日が来るものと思い込んだ。
「今夜はダメよ」とお預けを喰らった子が、「じゃ、明日ならいいんだ」と思い込むように。



果たして、約束されたはずの明日は来なかった。
確かに、奴の所感らしき簡単なメールは届いたが、全然期待通りじゃなかった。

むろん私だって、人が自分の思い通りの言葉をくれるなんて、そんな奇跡を信じちゃない。
けれど、身勝手にしても期待を抱いて、今日叶うか明日叶うかと焦れる日々が心を疲弊させ、
疲れた心は奇跡をも視野に入れてしまう。


> 本日は残業でございまして、ただ今自室に戻ってまいりました。
> 当然素面でございますが、やはりなかなかに思うところはございます。

> **様の意図なさる方向に私が進めなかったことは、本当に残念、かつ申し訳なく思っております。
> **様の投げたボールを受け止めることができなかったことは、まさに痛恨事と感じております。

> 申し上げたくはありませんが、自分の望む姿を、追い求めていたのかもしれません。
> **様には、無用のお心遣いをさせてしまったことを、主従を志向した者として、深くお詫びいたします。


一読して、すぐにボックスを閉じた。
もはや期待は消え失せ、あとには不快と怒りが残るばかりだった。


2003年10月05日(日) 齟齬のはじまり

私は、もともと執念深い人間だ。
とりわけ、他人にされた不快なことは恨みがましくいつまでも憶えている。

付き合いのある人ならばなおさら、折り合いが悪くなる時々に、
アンナコトモサレタ、コンナコトモサレタと自分を宥め、溜飲を下げるタネにする。
あまつさえ、ソレデモ許シテヤッタジャナイカとあてつけがましく思い募ることもある。

もっとも、こうした内心を人に晒すことはない。
私は、見栄張りでカッコツケな人間でもあるからだ。
いや、本当はうっかり漏れ出して、あるいはイイヒトぶりつつ小出しにして、
人には疎まれているのかもしれない。
自分でも厭らしい性格だなぁと思うけど、今のところ私の器では精一杯で、こんな具合になっている。
この先もきっとそうだろう。



イリコとの関係において、私は主ヅラして叱ったり、説教したり、それこそ許したりするけれど、
私が私である限り、この性向は当たり前にある。
だから、奴が「許された気になっていただけ」なら、私は「許した気になっていただけ」だったとも言えよう。
もちろん、全てにおいてそうだったと考えるのは寂しいし、考えたくもないけれど。

確かに、奴が寄越したメールに私は救われた。
下手な取り繕いもなく、謙虚に自分の非を認めた文言に、どれほど気が晴れたことだろう。
ようやくわかってくれたかと自分本位に息をつき、思い知ったかと胸がすいた。
思い通りになったことでイイ気にもなった。
そして、イイ気になり過ぎた私は、ここで欲をかいてしまった。

私をイイ気にさせたのは、奴の詫びや反省もさりながら、この思いがけない展開だった。
促したわけでも説教したわけでもないのに、ここまで奴が思い至ったことに驚嘆した。
思わぬ子の成長ぶりに感激するママの心境。
そこで、ママはちょっと反省して、過剰な期待を抱く。

『ガミガミ言わないほうがいいんだわ。
 そしたら、きっとアレも出来るはずだわ。
 だって、ここまで出来たんだもの…。』



私が奴に期待したアレとは、
改めて口頭で詫びてくるだろうという、馬鹿馬鹿しくもささやかなものだった。
しかもそれは、この成り行きに倣って、奴から言い出して欲しかった。
それを受けて嫌味のひとつでも言えば、ひとまず決着するだろう。

そりゃあ、届いたメールに返事を出して、或いは直に会ったときの会話のネタにして、
ゴメンナサイを導き出すほうが簡単だし、期待に縋るより気が楽なのはわかっている。
これまでだってそうしてきたんだし、ついついそうしたくもなる。
けれど、今回ばかりは、そうするのに抵抗があった。

ここまで出来たんだものという思いが、これまでのように先回りして許してヤるに躊躇わせる。
そこに、例の厭らしい性根が拍車をかける。
『アンナコトしたんだから、自分からちゃんと謝るべきよ。』
そうでないと、また許シテヤッタと嵩に着て、許した気になるだけだろうと危ぶんだ。

もっとも、奴にしてみれば、先のメールできちんと詫びたと思い済ましていただろう。
事実、お詫びですと前置きし、反省と謝罪の言葉が並ぶそれは、立派に詫び状だと思う。
ところが私のほうは、イイ気になって欲をかいたがために、それで済ましてなかったワケだ。
これが、やがて最悪の展開を招く齟齬のはじまりとなった。



調教の翌々日に、奴と会う。
馴染みのSMパブで数時間肩を並べた。

共通の知人も居合わせたせいだろう、奴はとても楽しそうだった。
私の頭越し、声高に旧交を温めあったりしていた。
けれど、いつまで経っても、奴の口からは私が期待した言葉は出てこなかった。

仕方なく、どうでもいい話を散らかして、たくさん酒を飲んだ。
グラスを重ねながら、帰りの車中は寝入ってしまうんだろうなと思った。
アテが外れたせいなのか、なんだか妙に寂しかった。


2003年10月04日(土) つかのまの平穏

私の無神経な発言に大いに傷ついたはずの奴はしかし、パニックにも陥らず、平静を保ち続けた。
来し方を顧みれば、よく堪えるようになったものだ。

もちろん、受けた衝撃に相応の気の乱れはあったろう。
が、私は専ら身を襲う倦怠感に悩まされていて、気づく余裕がなかった。
奴には気の毒な話だが、却ってよかったのかもしれないとも思う。



しばらく休んだ後、ホテルを後にする。
帰りの車中でも、私は殆ど喋らなかった。

奴には、しんどいからと言い訳した。
確かにひどく疲れていたし、先のだるさが尾を引いて熱っぽかった。
けれども、私が黙したのは、そのせいばかりじゃない。
未だ胸のうちにモヤモヤとしたものが立ち込め、気を塞ぐ。
やりきれなさが、口をつぐませた。

別れ際、せめてもの思いで、奴の頭を撫でる。
車中で私が醸してしまった陰鬱な気を払えればと思った。
私の気鬱は、奴にとって穏やかならざるものだろう。
そんな気分で帰途につかせたくなかったし、
折角の機会だったのに、こんな風でごめんねと謝りたいような気持ちもあった。

いつものように見送るつもりが、不意にそうされた奴は、戸惑った風に立ち尽くす。
その顔を一瞥して、じゃあねと踵を返し、後ろ手に手を振った。
これは、いつもそうしていること。



帰宅してからも、なんとなく気分が優れなかったのだが、
その晩に届いた奴のメールに、私は心底救われることになる。
そこに綴られた奴の心象は、今回奴とこじれて以降、私が真に待ち望んだことだった。
加えて、思いがけない自省の言葉まで見て取れて、驚きつつも、嬉しかった。
ようやくここまで来たかと面映いような心持で、何度も読んだ。



> 本日はお時間をいただき、お礼申し上げます。

(中略)

> ここからは、お詫びでございます。

> 今日一日を振り返ってみますと、今までになかった事があったように感じております。
> あまり**様がお話になることがなく、会話がなかったように感じております。

> これは、**様のご体調の悪さが起因しているものと拝察しております。
> しかし顧みれば、今まで私が取っていた態度が、まさにこれに相当するものではと思い至りました。

> 大変申し訳ないことをしていたと、今更ながらに感じております。
> **様にしますれば、さぞかし辛いお気持ちでいたことでしょう。
> 再三にわたりお伝え頂いていたのに、そこに思い至らないとは、
> なんと思いやりのない人間であろうかと愕然としております。


> 「話す事がない」「無理やり話すのはいかがなものか」
> これらは、紛れもなく私が口にしていたことです。
> 今では、なんと馬鹿げたことを言い放っていたのだろうと深く反省しております。

> 相手の気持ちを思いやることなく、自分が体感して初めてわかるとは、なんとも申し上げようがありません。
> **様をこのような気持ちにさせていたとは、もはやお詫びのしようもない振舞いと感じております。
> 今日図らずも明らかになったように、
> **様がお口を開いてくださらなければ、私達の間に会話はないことになります。
> なんと恐ろしいことでしょう。そして、なんと私は**様に甘えていたことでしょう。


> 過去の記録を読んでいると、眩暈がする時があります。
> 十年一日のごとく、私は同じようなお詫びを繰り返しています。
> 書かれた御文にもあったように、私は許された気になっていただけなのでしょう。
> だからこそ、同じような過ちをいつまでも繰り返してしまうに違いありません。

> 言うまでもないことですが、今までの年月は**様と歩んできた年月でした。
> その月日に何の進歩もないとしたら、**様にとりましては何ともやるせないことと思われます。

> **様とのお付き合いを通じて、自分がどれほどのものか判ってまいりました。
> 全く大したことのない人間でした。
> しかし、今からでも変わることができれば、**様のお気持ちに沿う一つの道であろうと考えております。





当然のこと、そこまで抱いていた憂いが晴れていく。
私は、ようやくにして平穏を取り戻した。
いや……はずだった。


2003年10月03日(金) みっつの後悔

「触り甲斐がないねぇ」

そう打ち切った私の言葉は、奴の無念を深くしたことだろう。
この直前まで奴は、『折角情けを頂いているのに、応えられない自分』に焦り、
何とか挽回したいと願っていたろうから。
殊に奴にとって、首尾よく勃起出来るかどうかは最大の関心事であり、
勃ちさえすれば、射精云々は何ら問題ではないのだ。

実際、奴との調教を含む行為において、射精をもって終了という観念は相互にない。
だから、蝋燭を終え、各々が達成感に似た心境にあるうちに、事を収めればよかったのだと悔やまれる。
これまでも、そうしてきたのだから。
それを余計な気を回して、奴には却って辛い目に遭わせてしまった。
これがひとつ目の後悔。



勝手なもので、その結果は一方、私の心象にまで影響した。

もっとも、事の次第は珍しいことではない。
奴に限らず、ハードな責めの後や或いは極度の緊張から、弄っても勃たないケースはままある。
奴にあっては、よくあることだ。
だからこそ、奴は一層気に病むのだが、私はさして気にならない。
ましてや、それで不機嫌になったりもしない。

しかしこのとき、私は明らかに気が落ちるのを感じた。
それが、思うように事が運ばなかった失望なのか、
余計なことをして最前の気分が損なわれた後悔なのかは判然としない。
折角ヨクしてやってるのに…という理不尽な怒りもあったろう。
一言で言えば、あーあと嘆くような心持になってしまった。

と同時に、恐ろしい疲労感に襲われる。
せき止めておいたそれが決壊し、波に飲まれる感じ。
あまりのだるさに耐え切れず、ベッドに身を投げせば、吸い込まれんばかりに体が重い。

我ながら、なぜこんなに疲れているんだろうと訝しむ。
それほど激しく動いちゃないのに。
やはり、異常に気が張ってたからかしら。

ぼんやりと考えを巡らすうち、奴の作業がそろそろ終わりそうだ。
寝転んだまま、次の指示を与える。

「終わったら、シャワー浴びてらっしゃい。首輪は自分で外して。」



何気ない、しかし無配慮に吐いたこの言葉が、ふたつ目の後悔を呼ぶ。
いや、その時点ではさほど重大な過ちに捉えてなかった。
しかし、後日のメールで奴の心象を知るや、シマッタと悔いた。


> 自分で首輪を外すよう命ぜられ、ショックを受けました。


この後、私は更に過ちを重ねた。
シャワーを終えた奴がいつも通りに首輪を請うた折、またも無神経な言葉で、それをいなしてしまったのだ。
これがみっつ目の、そして最大の後悔となる。


> 「めんどいからヤダ」とのことで、激しくショックを受けました。


結局私は、みたび奴を傷つけてしまった。
殊にあとのふたつは、責めるとか叱るとか、そういうあからさまな辛さ以上の、
全く違う次元のダメージを与えたに違いない。
自身に非があればこそ、過酷な仕打ちにも甘んじようが、ここに奴の落ち度はない。
それだけに、心底辛かったことだろう。
今更ながら、本当に申し訳なく思う。



正直に告白すれば、これらは、真実無意識に発したものではない。
自分で首輪を外せと命じたときも、めんどいからヤダと言ったときも、その直前にはっきり躊躇があった。
子どもじみた言い訳だが、やらなきゃとは思った。
が、つまりは自分に、何より奴に甘えてしまったのだ。
疲れてるのよ、勘弁してよと疎む気持ちもあった。

確かに、この手落ちについて、酷く疲弊していたからと言い逃れも出来よう。
しかし、そう言い募るのは、あまりにも卑怯だ。
第一、いくら疲れてようと出来ないほどの所作ではない。

つまり、私は奴を蔑ろにしたのだ。
それは、いかに奴を奴隷と見なそうと決してしてはならないことと、常は肝に銘じている。
自己欺瞞でなければ、事実そうしたことはなかったはずだ。

なのに、それを覆してしまったのは、この期に及んでもなお心底にくすぶる奴へのわだかまりと、
それに乗じて顔を出した、生来のアテツケガマシサによる。
情けないけれど、そういうことだ。

むろん、この日の行為が無意味だったとは思わない。
納得できる結果も得たし、奴からは、首尾よい感想ももらっている。
けれど、ただただ自身の問題として、私は気持ちの落とし所に惑ったままでいた。


2003年10月02日(木) 無言調教 〜密室にて 4〜

言葉を奪い、最大の恥辱を与えてやる。

この日、私の行動を駆っていたのは、ただこの一点だ。
そして、それは順調に進み、予想通りの反応を得たし、恐らくは予想に足るダメージをもたらしたことだろう。
実際、奴は精も根も尽き果てた様子で、そこにいた。
表情は消え失せ、動きも緩慢だ。痩躯が一層痛々しい。

しかし、私の気は一向に晴れなかった。
確かに、やるべきことをやり終えたことで、いくらか気が緩んだ感はある。
が、それは達成感というには程遠く、気が抜けたようなだるさが残るばかりだ。
単に気を晴らすためだけの仕打ちなら、ここまで酷い目にあわせたのなら、せいせいとなるはずなのに。
依然、心の内にわだかまるものがあった。

それを顕著に自覚したのは、いつものように奴に後手から胸縄をかけたときだ。
前へ回って、縄の具合を見る。
適当な加減か、肉を挟んでないか。

そして、気づく。
あぁまだコイツに正対できない。
その位置にあれば、必ずや見る奴の顔を正視できないのだ。

酷い話だと思う。本当にひどい話だ。
責める側が自分を持て余したままに、顔を背けるなんて。



仕方なく、今一度後へ回り、頭を床につけさせ、折り曲げた足先までを縛る。
立ち上がって見下ろせば、痩せた体が更に小さく、哀れだ。

その背に鞭を当てていく。
次第に強まる刺激に、時折ウッと声が漏れる。
まだ、奴の言葉は奪われたままだ。
しかし、その声すらも封じようと思いつく。
鈴のついたタオルを握らせながら、そう命じた。

打たれる度に息を詰め、鞭の間合いに息を吐く。
鞭好きを自認する奴には、慣れた所作だ。声を出せば、衝撃も抜けるという。
しかし、このとき、口元に張り付いたガムテープが呼吸を阻み、
せめての鼻呼吸さえも、声を漏らすまいとする意識から浅いものになってしまう。
結果、呼吸は極端に制限され、ほどなく奴は気を失った。

この後、失神は数度繰り返された。
奴は気づいてないようだが、最初のそれは、バラ鞭を規則的に下ろし始めた頃起きている。
いつもなら、問題なく受け果せている打撃だ。
肌も赤みを帯びる程度、奴には物足りないくらいかもしれない。
そこで、自然に気を戻るのを待ちながら、いつも通りに鞭を変えていった。
一本鞭で〆た。



そこまで易々と奴が失神したのは、呼吸が制限されたせいもあったろうが、
やはり事前の責めで、心身ともに弱っていたからだと思う。
無意識の防衛が働いたと解釈すれば、人の体は実にうまく出来ている。
と同時に、それは私にも益をもたらした。
奴が木偶のように動かなくなると、妙に嬉しいのだ。
私はそんな奴をこそ愛しい。

そんな成り行きから、鞭を終えた頃には、奴の正面が疎ましくなくなっていた。
現金なものだが、真実そうだ。

それで、正対しないための縛めを解き、仰向けに寝かせる。
蝋燭に火を灯す。熱さに悶える顔が見たいと思った。
胸から落としていく。口を覆われたままの喉元が仰け反る。
煽られて、服を脱ぎ、奴の腿に裸の尻を下ろした。

熱さに耐えかねて、胸縄をかけた奴の半身が起き上がりこぼしのようにせり上がり、
救いを求めて、私の足先に擦り寄ろうとする。
鼻息がふくらはぎにかかる。
わずかに足を動かし、奴の肩を受けてやる。

既に、肌を触れあう忌避感は失せていた。
先刻の、まともに顔を見られないような心境ならば、きっと怖じたことだろう。
けれど、肌をなぜる息遣いを心地よく受け入れた。
のたうつ奴の体を、尻で味わった。



頃合を見て蝋燭を消し、縄を解く。
ガムテープの口枷もはがし、奴は言葉を取り戻した。
その後、痛苦ばかりの責めを続けた折から、陰茎をかいてやる。

しかし、疲弊しきった奴の反応は鈍い。
勃ちが悪いとやる気もなくなる。
いや…それ以前に、ひと段落ついたせいか、疲労感が募り、続けられない。
「触り甲斐がないねぇ」
と言い捨てて、刺激を中断し、片づけを命じた。

勃起を果たせず項垂れる奴の表情が、一層沈鬱なものになる。
しかし、投げられた賽の前に、奴がなす術はない。
のろのろと正座して、調教の礼を述べた。


2003年10月01日(水) 無言調教 〜密室にて 3〜

用意した桶は、百均にありがちな白色半透明のプラスチック製だ。
当然のこと、内容物がありありと見て取れる。
最初の噴射が激しく弾け、褐色の汚水が派手な音を立てて落ちるや、その飛沫が無惨なまだら模様を作った。
ややあって、固形物がひり出され、汚水の中へボトボトと落下する。
その音がまた、奴の耳を容赦なく苛むのだ。

奴を苦しめるのは、音だけではない。
当然のこと立ち上る臭気は、脱糞した事実を否応なく知らしめる。
さらには、それが私にも届いているという意識が、絶望的な恥辱となる。
消えてなくなりたいとさえ、感じたかもしれない。
しかし、一度息んだ程度で腹のしぶりが治まるはずもなく、この状況に甘んじなければならない。

羞恥に阻まれて、排便は遅々として進まず。
しかし、出された汚物の量を見れば、まだまだ出切ってないのは一目瞭然だ。
実際、間欠的に襲う便意に顔をしかめ、忙しなく足を踏ん張っている。
その度に、どうかすると軽い桶は安定を失いそうになり、それを支えるのにも忙しい。
切迫した作業が、痩せた手足の先から血の気を奪っていく。



奴の苦闘を尻目に、私はサンドイッチを喰い、ビールを飲んだ。
その様を奴は見たろうか。
いや、自分に精一杯で、それどころじゃなかったかもしれない。

けれど、この期に及べば、奴が厭う糞尿の臭いなど、さして気にもならない。
ましてや、その光景は、固唾を飲んで見守るほどのことでもない。
「終わったら、桶をこちらへ差し出してちょうだい」
口の利けない奴に、そう言い置いて、私の時間は淡々と過ぎていく。

やがて、二組のサンドイッチを食べ終えた頃、
ようやく便意にケリがついたのだろう、奴はのろのろと姿勢を元に戻し、桶がこちらへ押し出された。
その距離は、奴の躊躇を映してほんの僅かだったが、無情にも汚水がチャプチャプと波立った。

奴の背後にまわり、尻を高く掲げさせ、そのあわいを紙で拭く。
こうされることが、奴には羞恥の極みであることを私は知っている。
羞恥が苦しみである奴には、責めに匹敵するだろうことも。

だからこそする。
そして、観念しろと思う。
奴が私とあるためには、無防備な姿を晒し、無力な自分を認め、諦めることが必要なのだ。



その後、汚物の始末をする。
中身を便所に流し、風呂場で桶を洗う。
その水音が、シートの上に捨て置かれた奴の耳を再び抉る。
尻を拭かれるに辛い奴が、どれ程ショックを受けているかは自明だ。
本人は意識しているのかいないのか、その首が緩やかに落ちていく。
始末を終えた私が戻っても、反応が薄い。
見れば、目の色も虚ろだ。

しかし、まだ責めは終わらない。
用意された残り二本の飲料が、再びみたびの苦しみを奴に宣告しているだろう。
そして、予定通り二本目を流し込む。新しい湯を用意し、今度は自分で入れさせる。
奴の場合、二度目の注入で堪えきれないことが多いのだ。
案の定、最初の一送りを待たずに噴出してしまい、汚水がシートに飛び散った。

以後、その繰り返し。
シリンジの玉を握っては、便意に襲われ桶に跨る。
自らひり出した汚水にまみれながら、何度も己の排泄物を見る破目になる。
過酷な運動と情況が、奴の体力と気力を奪っていく。
既に、初回ほどの羞恥を感じる余裕はないかもしれない。

やがて、桶が差し出され、また尻を拭く。
粗相した床を掃除させる。「あと一回あるのよ…」



みたびの責めを終えたとき、真の意味でこの日の予定は終わっていた。
実のところ、さして動いてもないのに、疲労を感じる。
しかし、ここで行為を止めれば、奴に心理的ダメージを残してしまうだろう。
それは本意ではない。気を奮って、縄を取る。


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