女房様とお呼びっ!
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2003年07月14日(月) |
無言調教 〜密室にて 2〜 |
大量のスポーツ飲料やエネマシリンジは、奴にとっては馴染みの責め道具だ。 これまでの行為の中で幾度も経験し、その度辛い思いをしてきた。 だから、湯に浸けられたペットボトルが眼前に置かれ、 更に別の器に張った湯にシリンジが用意された時点で、奴は経験に足る覚悟をしたことだろう。 そして、奴の予想通り、浣腸が始まる。
一回目の浣腸は約1リットル。 奴の許容量に照らすと少々キツめだが、その後の展開もあり、敢えて施す。 四つん這いにさせ、湯を送り込むと、喉の奥から呻き声が漏れる。 奴には久しぶりの浣腸だったので、かなり苦しいのだろう。 言葉を奪ってもなお、声は多弁だ。 その声が段々と切迫したものとなる頃、全ての湯が尽きた。
間を置かずに、今度は上の口から水分を入れる。 ガムテープを一旦剥がし、ペットボトルを咥えさせて、一気に流し込むのだ。 流石に何度もこなしているので、奴は上手に飲み下していく。 もっとも、そうであっても苦しい責めには違いない。 目を白黒させ、必死に鼻で息をしながら、喉仏が上下する。 その様は、いつ見てもとても可愛らしい。
◇
最初の一本を空にして、再び、その口をテープで覆う。 ひとまずの作業を終えた私は、奴から離れ、ベッドの上に退く。
一方、奴は依然鎖で繋がれたまま、やがて来る便意に慄いている。 シートを敷いてあるとはいえ、便意に負けて粗相をするのも不安だろう。 が、その不安を見過ごして、私はいよいよ次の指示を下す。
「したくなったら、この桶を使いなさいね」
そう言葉を発した途端、奴は正座のままに少しのけぞり、怯えたように目を見開いた。 奴には思いもよらぬ展開だったのだろう。 いや、理解してもなお、羞恥心の強い奴には受け入れ難い命令だったに違いない。 私に見られながら排泄するのは、奴が最も苦手とするところだ。 しかも、居室内で大便を排泄するなど、想像すらしたくない事と思う。
とはいえ、過去にはこれに類する責めを幾度か課し、奴は苦悶しつつもそれをこなしてきた。 便所での排便に始まり、浴室では絶叫しながら便を垂れた。 室内で排尿させたことも再々だ。
が、それらの経験をしても、今回の指示には抵抗があるのだろう、奴からは拒絶のオーラが立ち上る。 口が利けないぶん、その切迫感たるや凄まじい。
◇
しかし、今は忌むべきその桶が、 なくてはならない’おまる’となるのは時間の問題だった。
徐々に便意が高まるにつれ、奴の視線が私と桶を忙しなく往復し、 諦めきれぬままの懇願が、言葉を持たぬ呻きとなって絞り出される。 しかし、腸に送り込まれた大量の湯は、そんな心の葛藤を待ちはしない。 飲み下した水分が、腸の蠕動に拍車をかける。
やがて、奴の首に取り付いた鎖がジャラジャラと派手な音をたてるや、奴の本当の戦いが始まった。 私の足元に置いた桶をひったくるように引き寄せ、尻にあてがう。 が、やはり恥ずかしいのだろう、私から距離を取り過ぎて、上手く体勢をとれない。 テーブルに繋がれた鎖が、その距離を許さないのだ。
「桶が傾いてるわよ」 見かねて声をかけると、漸くにして桶を跨ぐ格好となり、次の瞬間、けたたましい噴出音が響いた。 それは、まるで断末魔の叫びのようだったが、奴の苦しみはまだ終わるはずもない。
2003年07月13日(日) |
無言調教 〜密室にて 1〜 |
部屋に入り、殆ど無駄口をたたくことなく、準備にかかる。 調教といえども普段なら、一息つく頃合に多少の会話を交わすのだが、この時はそうしなかった。 僅かでも愛想をすれば、やる気の腰が折れてしまうような気がした。 奮ってここまで来たのなら、どうあってもやり果せねば…。 そんな決意にも似た力みもあったと思う。
もちろん奴だとて、暢気な心持でいたはずもない。 私同様、先のこじれを引きずっていようし、 加えて先の一週間、私が独り語りに綴った記事のせいで、気も沈んでいたと思う。
そう承知しつつも、しかし、 私は自分のことに精一杯でどうにもしてやれなかった。
◇
この日の行為を、「調教」でなく「お仕置き」と位置付けてやれば、 奴としては多少気が楽だったのかもしれない、と今にして思う。 いや、当時も、その考えは頭をよぎったものの、結局思い切れなかったのだ。
客観的に見れば、調教だろうがお仕置きだろうが、行為自体はさほど変わらない。 が、私の中では明確な区分があり、きちんと区分することに、互いに跨る意味を見ている。 仕置く理由が明白で、且つ、そこに起因する自身の感情がひと段落していれば、「お仕置き」は可能にして有効だ。 行為が終われば、憂いの全てが決着する。
しかし、今回のこじれの原因となった奴の言動について、私はこの時未だ消化しきれずにいた。 理性で受容しようとすると、感情が阻む。 けれど、その感情たるや、甚だ自分勝手なものだと自戒する。 自戒しつつも、既存の価値観に縛られて理解が進まない。
そんな堂々巡りの中で自分を持て余し、正直なところ、 これから行おうとしていることが、調教なんだかお仕置きなんだか、自分でも判然としなかった。
◇
この日入った部屋は、ベッドを除けば動けるのは2畳程という狭い造りで、およそSM行為には向かない。 けれど、今回ばかりは、その狭さが功を奏するだろうと期待した。
いつものように脱衣を命じ、首輪を授ける。 小さなテーブルをベッド脇につけ、その脚と首輪を鎖で繋げると、 奴に許される行動範囲は、ほぼその空間と同じになった。
鎖に繋がれた奴は、精一杯に四肢を伸ばして、床にシートを拡げていく。 一番遠い対角に難儀しながら、奴は、喉に食い込む首輪の意味を改めて知るだろうか。 不自由を余儀なくされる動きこそが、すなわち奴隷の意義なのだ。 床に這う奴の姿を眺めながら、そんなことをつらつら思う。 その傍ら、用意してきた道具をベッドの上に並べる。
並べ終わった頃合に、奴も作業を終えて、シートの上で正座の体勢となっており、 予定通り、その口をガムテープで丹念に塞ぐ。
その途端、奴の視線は、心の動揺と緊張を映して泳ぎ始める。 が、その目線の先には見慣れぬ大きな桶があり、奴の不安を更に煽ることになったろう。 実際、使い道を承知している私にさえ、その桶の存在は異様に見えたものだ。
◇
奴の不安を捨て置いて、今度は私が準備をするために立つ。 部屋同様に狭く、しきりもない洗面所に向かえば、そこは奴の位置から丸見えだ。 が、支度をし終えるまで、奴がこちらを見ることはなかった。
2003年07月12日(土) |
無言調教 〜密室以前〜 |
当日、例によって、イリコの車でラブホに向かう。
前回の成り行きのせいで、話すに億劫で、 二言三言指示を与えた後は、自分から話題を取らずにいた。 一方奴は、前回苦言を呈したせいだろう、積極的にあれこれと話し掛けてくる。 今までの感覚からすると、ちょっと異様なくらいだ。 奴なりに努力してるんだなぁとぼんやり思う。
しかし、私のほうは依然として会話に乗り切れない。 初めのうちは、適当に言葉を返していたのだが、段々と相槌が間遠になってしまう。 それで、いきおい奴の言葉数が増え、対し私が黙りこくるという、普段とは逆の構図となった。 本音を言えば、ちょっと黙ってて欲しかったのだけど、奴の奮闘に水を差すようで憚られた。
もっともこの時、私は不機嫌から対話に臆したのではない。 私としては、この後の調教に備えて、精神集中に専念したかったのだ。 それも、いつも以上にテンションを上げる必要に駆られていた。 なぜなら、こうした状況下、つまりこじれている相手と行為に及ぶのは、相当のエナジーが要る。 力ずくでも、自らを盛り上げていかねばならない。
◇
もっとも、調教のプランは固まっていた。 いや、二週間前、奴の言い分を聞いた時から、既に発想はあった。
ベタな思いつきだが、 「無理やり話す必要がない」と言うのなら、物理的に話す必要を奪ってやろうと。 あるいは、禍の元でしかない口ならば、なくしてしまえと。 ここに専ら感情から、イヤガラセっぽい要素があったことは否めない。
とにかく口を塞いで、口が利けない辛さと苦しみをとことん味あわせてやろう。 奴は「奴隷の分際では、自分から話しづらい」とほざいた。 ならば、奴隷の分際でも口を開かざるを得ない状況を拵えてやる。
しかるに、その手段はすぐに思いつく。 準備も簡易だ。まずはエネマシリンジ。 そして、ビニルシートと大ぶりの桶。前日に百均で買った。
実を言うと、今回の調教は、この道具立てで必要にして充分だったのだが、 事後のことも考えて、空の桶に責め具を詰めていく。 すなわち、鞭だの蝋燭だの。縄も何本か。 ’飴’も必要かしらと、バイブレータの類。 セーフワード代わりの鈴つきタオル・・・気づけば結構な荷物になった。 その隙間に、今回必須のガムテープを突っ込む。
◇
道中、コンビニへ寄る。 イリコが下げたカゴの中へ、いつものように自分が摂る飲み物や食べ物を入れ、 更に500mlのスポーツ飲料を三本放り込んだ。
一気に重みを増したカゴが、その日の予定の一端を奴に知らしめる。 その大量の水分は、程なく奴を苦しめるはずだ。 淡々とレジを通る品物を見ながら、奴は覚悟を決めていたことだろう。
もっとも、その覚悟を上回る苦しみが待とうとは、知る由もなかったろうけど。
2003年07月11日(金) |
無言調教 〜プロローグ〜 |
今回ここまでこじれた事の発端は、 「無理やり話すのはいかがなものかと…」とイリコが吐いた言葉にある。 このふた月を更に半月ほど遡った日のことだ。
その言葉が耳に届いた瞬間、 心にさっと帳が下りたような感覚が生じ、それはその後暫く私を悩ませた。 いや寧ろ、日ごとに帳の厚みは増し、やがて岩戸のように胸を塞いだ。
その間も、奴の日課であるメールは届く。 流石に事の直後とて、自身の言動の諸々を取り上げては、詫びの言葉が連ねてある。 そこに奴なりの気遣いを見るも、残念ながら、それで気が晴れはしなかった。 それどころか、的外れな反省を見咎めては溜息をつき、奴の誤解や錯誤を解くべく、返事を書いた。 正直、面倒な作業だった。
殊更に言うと弁解がましいが、私は奴にメールを書く自体面倒ではない。 意思を疎通させるには言葉が不可欠だと思ってるし、齟齬を恐れて過剰なくらい言葉を費やす。 しかし、この時心に下りた帳は、すなわち奴に向かう隔たりとなり、どうにも筆を鈍らせる。 奮って書けば、知らず慇懃な物言いを連ねてしまう。 我ながら、うんざりした。
◇
些細なきっかけであれ、心が塞いでしまうと厄介だ。 塞いだ端から発酵が始まり、腐れてしまう。 それは実感として、とても不快なものだ。
腐れるまま放っておく手もあるが、 根気のない私は、ものの一週間でいてもたってもいられなくなり、再び足掻くこととなった。 まずは心の澱を吐き出して、気の回復を図らねばならない。
これが、「直近のウツ」と題して、事の顛末を記し始めた動機だ。 しかし、ここに心の内を晒せば、奴の目にするところとなり、それは必ずや奴を苛むだろう。 それはわかっていたし、寧ろそれを期する気持ちもあった。 いや、誤魔化さず言えば、そうでなければ、意味がなかった。 奴に突きつけるように書いた、それが真相だ。
記事中、再々「自分のために書いている」とエクスキューズしたのは、 そこに滲むアテツケがましさを拭うためだ。 が、どう取り繕おうと、紛れもなくそれはあり、今更に自分の姑息さに辟易とした。 これまで通り、格好つけてやり過ごせばよかったと後悔もした。 けれど、既にその体力はなく、賽を投げたような心持で続けた。
独白を装った私の言葉は、鈍い刃のように奴をジクジクと責めたに違いない。 折々に、反省と謝罪と感謝を織り交ぜた息詰まるようなメールが届いた。 そして、期待通りのその反応に、私は少しずつ癒されていく。 厭らしい情動だが、本当のことだ。 奴を辛い目にあわせながら、それと引き換えに、私の気は徐々に晴れていった。
◇
こうして端緒をつけてしまうと、現金なもので随分と気が楽になるものだ。 同時に、奴について考える気力も戻ってきた。 とはいえ、あの日奴が放った言葉が、依然心の底にわだかまり、思考を鈍らせる。 長期的な展望が出来ず、頭を抱えてしまった。
そこで、調教を行うことにした。 奴を苦しめ始めてから、一週間が経っていた。
「耐えられませんでした」というイリコの文言を見て、とあるエピソードが思い起こされた。 それは私の友人に起こったことで、 私たちが辿ったそれとはまるで様相は異なるし、突飛な連想かもしれない。 それでも、何か通底するものがあるような気がして、ここに記そうと思う。
◇
その友人と出会ったのは7年程前だ。 今はどうだか知らないが、当時の彼女は、他者によって罰せられたい、壊されたいと望んでいた。 根本的には自罰・自虐願望なのだが、そこに介在する他者が必要だ。 そして、それが叶う可能性をSMの関係に見た彼女は、 すなわち、自身の望み通りに壊してくれるS男性を巷に求めたのだ。
既にSM遍歴を重ねていた彼女は、折々にその経験を語った。 それらは、SMプレイとしては恐ろしくハードで、現実にそんな行為が、 しかも間近に見るこの美しい人によってなされたとは、俄かに信じ難いようなものだった。
けれど、私にはそれが彼女の懺悔のように聞こえてしまう。 それはやはり、彼女が自分を罰したがっていたせいだろうか。
**
ある時、とある男との成り行きを聞く。 男が何を命じ、彼女はどう応えたか。
恥辱を与えるのが好きな男だったようだ。 自らを貶めたい彼女は、羞恥に苦しみながらも男に従う。 従うごと、男の課す破廉恥な行為はエスカレートする。 しかし、それらをことごとく彼女は受け入れた。 もちろん、受容には苦しみも葛藤も伴うが、それゆえに罰なのだ。
男が彼女に下した罰が明かされる度、私は驚き、息を呑み、やがて男との終焉までを聞き終えた。 既に、彼女らがどう終わったかについては記憶にない。 が、はっきりと憶えているのは、自身に湧き起こったやりきれないような気持ちと、 「貴女、酷いことしたものね…」と感想したこと。 私には、彼女よりも男が可哀想に思えたのだ。
今にして思えば、私こそ彼女に酷いことを言ったものと思う。 しかし、率直な感想だった。
たぶん、男側に視点を置いてしまったからだろう。 責めても責めても音を上げない相手、 底なし沼を埋めているような徒労感が想像されて、その残酷に慄いた。 終焉に近づくにつれ常軌を逸していく責めが、まるで男の悲鳴のようで身震いがした。
**
このとき、私は彼女に、「どうして耐え切ってしまったの…」とも言った。 「耐えられない」というひと言で、そこまでの凄絶な展開は避けられたのにと思ったのだ。
が、それは全くの短絡だと今ならわかる。 当時の彼女の願望に沿えば、そんなシナリオはあり得ない。 自らを罰したい人間が、許しを請うわけがないもの。 と同時に、男もまた許されたくない人間だったかと想像する。 つまり、彼女らは必然として、互いに耐えるしかなかったのかと。
◇
と、ここまで書いて、私こそが「彼女に耐え切れずに逃げた」過去を思い出した。 流れとしては、この事実のほうが、余程本題に近いかと笑ってしまった。 が、ついでに書くほど簡単でもなく、何より大切な記憶なので、この話はまたいずれ。
2003年07月09日(水) |
梅雨のあとさき・補足 |
前回の記事を読んだイリコから、メールが届く。
> おっしゃる通りに、私は耐えられませんでした。
確かにそう書いたし、事実もそうだ。 しかし、私は奴に「耐えて欲しい」とは思ってなかった。 むしろ、いつ音を上げて縋ってくるのだろうと待っていた。 まるで自分勝手な言い分だが、 「許して下さい」と言われれば何時でも、私はそれを受け入れただろう。 正直な話、奴が耐えれば耐えるほど、焦れったく思い、また困惑した。
もちろん、その間、奴が全く反応を示さなかったわけではない。 折々寄越すメールには、自省や謝罪の言葉が並んだ。 辛い、切ないというメッセージもあった。
それらを私は注意深く読んだ。 決して軽んじたり、鼻であしらうような気持ちはなかった。 あぁ堪えてるなと実感したし、そのいずれかの時点で私は事を収めればよかったのだ、と今にして思う。
しかし、私がしたことは、ただただ独り善がりな期待に縋って待つことだった。 いや、奴が自業自得と項垂れるごと、許してやりたい衝動に駆られた。 けれど、今私のほうから手を差し伸べては、これまでの繰り返しになってしまう。 過保護を怖れる母が、転んで泣きじゃくる我が子を見守るような苦しい心持で、自らの言動を制した。
◇
結局、奴は私に縋ることなく、自らが降りることで事態に幕を引こうとした。 身勝手な私の期待は、あっさりと覆されたワケだ。
が、それも奴にしてみれば、当然だと思う。 「耐えること」を奴隷の定義とする奴流の観点に立てば、 耐え切れず許しを請うなど意識の外であり、そう期待されているなど知る由もなかったろう。
つまり、奴は「耐えられない自分」に耐えられなかったのだ。奴隷たる自負にかけて。 私としては、窮地に置かれることで奴がこの自負を捨て、 私に縋ってくることを画策したのだけど、奴はそうしなかった。 奴が縋ったのは、私ではなく、奴隷なら耐えるべきという自負だ。 やがて耐え難い辛さに自負は折れ、すなわち奴は、奴隷である意義を失った。
もっとも、奴が奴隷たりうるのは、その自負と意義だけに拠らない。 それ以前の大前提として、人としての感情があり、その感情は当然私に向かって紡がれる。 だから、私たちの関係にあれば、まずは感情が優先されて欲しいと願う。 しかし今回、奴は感情を排して自負と意義に頼り、結果、感情まで損なわれたと明かすに至った。
◇
もちろん、この経過の真相は奴にしか知りえない。 以上は、奴からもたらされた情報と、それに基づく私なりの推論だ。 もしかすると、まるで的外れな考察かもしれないね。
しかし、真相はどうあれ、奴の感情こそが全ての成り行きを招いたと理解している。 たとえ奴が、自らの思う奴隷像に従い、感情を抑えるべく苦悩したにせよ。 感情とは、かくも侮り難く、厄介なものだと、奴は知っていただろうか。 あるいは、このふた月の成り行きを経て、知り得るところとなっただろうか。
更新を休止してから、ふた月が経った。
ふた月も経てば季節も変わり、 人様には「相変わらずで…」と愛想しながら、その実、やはり多少の変化はあったりする。 実際、三日と空けずお喋りに興じる友人との話の種は、その時々に身に降る変化であるワケで。 事の次第を明かしては息をついたり、愚痴ては慰められたり、そこそこ忙しい。
お陰さまで、折々の小さな変化を消化しつつ、現時点では幸いにも「相変わらず」な状況にある。 大局を見れば、自然発生的な振幅がありながらも、基準点に戻ったというところ。 だから、この間に起きた事柄の一連を書き留めるに、今更な感は否めない。 改めて言及することで、再びの波風を招く危惧もあり、躊躇いもする。
しかし、何事によらず今ある幸いは、それなりの紆余曲折を経て辿り着くものだと、 そんな当たり前をただ実感するために、つまらないアレコレを今にして書こうと思う。 本当は、渦中にあるその時に同時進行で記録していけばいいんだろうけど、 私にはその器量がない。つくづく姑息な性分だと呆れかえるよ(笑。
◇
ふた月前に、あたかもイリコに引導を渡すかのような記事を掲げて以降、 公に身の内を晒すのを止めた。 そのせいで、ご覧下さる方の中には、私たちの縁が途絶えたかと思われた向きもあったろう。 実際、そうご心配下さる方もいた。 しかし、少なくとも私は、奴を見限ってはなかったし、むしろ奴に一層の思いを致すこととなった。
もっとも、この思いは恋愛関係にあるような甘やかなものでなく、自他に跨る方針のようなものだ。 そして、表立っては奴を突き放すような言葉を連ね、かといって特別にフォローもせず、 意図してコミュニケーションを必要最低限に絞ることにした。 結果、奴には辛い日々を課すことになったが、それは充分に予想していたことだ。
なぜそうしたのか? そこに至る奴の言動に怒り、スネてみせたか。腹立ち紛れに、辛い仕打ちに及んだか。 確かに、そうした感情に乱した部分もあったと思う。 しかし、自己欺瞞でなければ、それが主たる動機ではない。 あるいは、本当に感情に沿うなら、私は旧来通りに説教を垂れ、フォローに努め、 すぐにも常態を取り戻しただろう。
つまり、奴を辛さに陥れながら、私もまた葛藤を抱えたのだ。 むろん、「キミも辛いだろうけど、私も辛いのよッ」的言い訳をするつもりはない。 正直に言えば、ベタな感情レベルでそう発想しなくもなかったが、努めて排除した。 辛さを与えている側が、そこに視点をとるのは卑怯だろう。 実質、奴の負う辛さは私の比ではない。
◇
結局奴は、その辛さに耐えられなかった。 そして、辛さを生じる状況から逃れようとした。 すなわち、状況の根源たる私から逃げようとしたのだ。それが丁度ひと月前のことで。
そこからまたひと月経った現在、事態はほぼ終息したような気がする。 そう、気がする、だけだ(笑。自身に都合よく見ているだけかもしれないものね。 それでも、一抹の不安を圧して、ここに記録を掲げようと思う。 やがて、それが確信に変わることを願いながら。
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