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女房様とお呼びっ!
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2003年05月08日(木) ヒトリヨガリの様相

私は今、”専ら自分のために”このテキストを綴っているつもりだが、
傍目に見れば、”奴のために”とオタメゴカシを振りかざして書いたものと、まるで変わらない。
実際、どこがどう違うのよ?と突っ込まれると痛い(笑。
結局、気の持ちようが変わっただけで、相も変わらず奴を巡る心象を吐露するにおいては変わりようがない。

けどまぁ、こんなトコに書き散らす自体ヒトリヨガリなので、
それに倣ってヒトリヨガリな釈明をすれば、
気の持ちようが変わったことに、私は大きな意味を見ているんだね。
それで殊更に書き立てる。
いや、誤魔化さずに言えば、この心境の変化については奴に知らしめたい気持ちがある。
これまでずっと”キミのため”なんて恩を着せてたから。

喩えるなら、
奴のために編んでたセーターを途中で放り出して、自分のセーターを編み始めたような感じ。
正直、そんな実感だ。
もっとも、こうした内情を明かす必要はないと思う、幾ら本当のことであっても。
あまつさえ、それは卑怯で厭らしい真似だとも思う。
そうわかっていながら、敢えてそうする自分が疎ましい。

着てはもらえぬセーターを涙堪えて編んでたのなら、恨みがましい演歌にもなるが、
”キミのために”とお仕着せにセーター編んで、気が変わったからって編むのを止めて、
折角編んでたのにぃと恨み言言うなんて、歌の文句にもなりゃしない。
我ながら、ヒトリヨガリもいい加減にしろと呆れ果てる。
実際、いい加減にしたい。



もっとも、”キミのために”のヒトリヨガリに耽溺してた頃も、再々自分を疑った。
まぁ、誰しも自我がある以上、他人とあればヒトリヨガリな部分を抱えてしまうものだけど、
それをわざわざ公に晒すのはどうよ?と。
丁度、某所で『痛いSMサイト』てな話題がかまびすしい頃で、
それを面白がる一方、自分の”痛さ”に怯えたものだ。

まぁ大体、自分にしか解り得ない事柄や心象をWEBで衆目に晒す自体、”痛い”行状だけど、
イマドキはそれを含んで皆がやってることだし、取り立てて責められはしない。
それがSMにまつわる、世間並みには”痛い”内容であっても、
埒外の人は「SMネタなのね」と見逃してくれようし、斯界の人なら共感をもって受け入れてくれるだろう。

ただ、私のそれは斯界の人にさえ意味不明かつ異端だろうという自覚があって、
こんなオナニーを晒していいのかと自問することは多かった。不安にもなった。
けれども、私の目指すところは不特定多数の理解を得ることでなく、
ただただ奴のために自分を晒すことだったから、誰に誹られてもいいかと開き直る。
ドン・キホーテでいいやと思った。



そう開き直っても、ヘタレなドン・キホーテはしばしば憂いを抱く。
”キミのために”という御旗を掲げ、風車めがけて剣を振るいながら、
その実、キミたるサンチョはそっぽを向いて、溜息吐いてるんじゃないかと悩むのだ。
唯一の味方ならば、せめて称えてくれよと願いつつ、
その味方をこそ疑ってしまう自分を責めるのだ。

心優しい友人にドンの憂いを告白したら、
「サンチョはちゃんと見てるわよ…」と慰められた。
「もっとも、サンチョが見てるのはドンそのもので、風車は見えてないかもね…」
「だけど、ご主人様が一生懸命なのは見えてる。それでいいんじゃない?」
彼女の明快な答えに思わず笑う。
地べたを歩くサンチョが見る風景に思いを馳せた。



そして今ロシナンテを降りたドンは、地に立つ己の足元ばかりを見つめている。


2003年05月07日(水) 種明かしのタネアカシ

昨年夏から約半年、ここに記事を掲げるのを休止していた。
その理由は、まず物理的に時間が取りづらかったことと、
あとは一旦怠け始めると際限なく怠けてしまうという私のだらしない性格による(笑。
だから、年明けに再開したのは、その怠惰な私を奮起させる程の強烈な動機があったからだ。
そして、その動機は即ち方針となった。

その方針とは、自分を種明かしすること。
”女王様でござい”とほざいてても、実態は当たり前に情けないフツーの人間なんだってね(笑。
あぁこんなこと、”女王様なんて幻想だ”とわかってるかたには笑止な話だと思う。
まして、埒外のかたには噴飯ものだと思う。
自分でも、今更そんな話してもねぇ…と呆れてしまうのだけど。

それでも、誰にどう思われようと嘲笑われようと、奴にこそ届けばいいと思った。
ただ、そのことで奴に私を理解してもらおうとまでは期待しなかった。
そんなの、すぐにわかるもんじゃないし、それ以前に受容出来るかどうかも怪しいし(笑。
だから、奴に向けた言葉ながら衆目に晒す記事にして、僅かでも奴の負担を払おうとした。

もっとも、このやり方が、奴には却って辛い心境を招くとも予想していた。
どれ程カライ事柄でも直にメールで告げられたならば、
その時は辛くとも、それなりに返信することで一応の決着を見るものだ。
受容し、理解し、謝って、許された気になる。これまでがそうだった。
けど、これまで通りじゃダメだと思ったんだね、この時。



とは言え、自分を明かす目的は、奴を責めたり、辛がらせたりすることじゃない。
まして、謝ってもらうためでもない。
結果的にその向きが多くなってるのは、私のこのアテツケガマシイ性格のせいで、
自分でも不甲斐なく思うのだけど、本心からそうじゃないと弁明しとく。
寧ろ、こっちから謝りたいような気持ちでいた。

だって、奴としては、主と仰ぐ私について、いつまでも幻想を抱いていたいだろうに、
私はそれをぶち壊しているのだから。
今になって、こんなカラクリがあったんだと明かす残酷。ショウが楽しければ尚更。
同時にそれは、幻想に支えられ、マジックを披露する自分の首をも締めることで、
我ながらツマラナイ真似をしたなと思う。

確かに、こうすることに散々逡巡した。
もう暫くショウを続けててもよかったかもしれない。
しかしあの時、いつのまにかステージと客席が恐ろしく離れているのに気づいて愕然として、
降りるしかないと思い定めたんだ。
唯一の客であった奴にはホント申し訳ないけど。
でもそれは、いつか来る必然だったのかな。大体私には騙し続ける素質がない(笑。



ステージを降りて、種を明かして、タダノヒトの自分を見せて。
さて、その先に私が期したのは、奴に親しみを覚えてもらえれば程度のモノだった。
もっとも、私たちのような上下関係に親近感が必要かどうかは疑問だ。
人によっては、まさに上下関係を保つために、親近感を排除する向きもあるからね。
だから、論理的には間違っているのかもしれない。

ただ、日常的に付き合うにおいて、ある程度の親近感は必要だなぁと思い至る。
というか、痛感してしまったのだ、昨年暮れの事件をきっかけに。
ヒトらしい扱いを受けるには、ヒトらしい親しみが育ってないと無理だろう。
それを疎かにして、結果だけを憂いてても仕方ない。
そこで今更ながら、ヒトらしい自分を明かそうと思ったワケだ。

しかし、こうして事の次第を振り返るだに、やはり私は誤ったのかという懸念に苛まれる。
この数ヶ月、私が奴に期したことは、傲慢以外のなにものでもない。
いくら奴が奴隷であっても、いや奴隷だからこそ、受け入れ難かったと想像する。
たとえ、それが新たな展望の下なされていると言い訳しようとも。理解しようとも。



そして今、その展望さえも失ってみれば、もはや種明かしする意味も必要もない。
だから、相変わらず駄文を連ねているけれど、これば専ら自分のためなんだね。


2003年05月06日(火) ウツはつづく

僅かに抵抗してみたものの、
当初目論んでいた説教だの行為だのに及ぶ余地なしとわかった途端、急に睡魔に襲われた。

恐らく緊張の糸が切れたのだろう。
あるいは、またも膠着しそうな気配から無意識に逃げようとしたか(笑。
いきなり帰るような状況でもなし、かと言って、これ以上話しててもこじれるだけだろうし。
と、この成り行きだと、ふて腐れて寝たふうだけど、それはない(笑。

前の晩の夜遊びのせいもあったろうけど、ここへ来てドッと疲れが出た感じ。
ふらふらと布団に潜り込む。
奴もベッドへ上がらせ、足に縋らせる。
これ以上気まずい雰囲気を引きずりたくなかったからね。
奴の重みを下半身に感じながら、本気で寝てしまった。

奴もまた、かなり疲れていたんだろう。
起きてみたら、私の脱ぎ散らかした服がそのままにあった(笑。
聞けば、奴も寝入ってしまったとか。互いに消耗してたらしい。



そんなワケで、ちっとも気が晴れないままにまた明日が来る。
バスツアーから一週間、足掻いてみたけど、結局ウツは居座り続ける。
しかも満を持して呈した苦言は、新たな憂いを呼んでしまった。
週頭に抱いた投げやりな気持ちが、具体的な事柄となって心を塞ぐ。
掲示板の閉鎖を考えたのはこの時だ。開設してから初めてそう発想した。

気持ちのやり場に惑って、ひとまず非公開にする。
程なく奴はその事実に気づくだろう。そしてどう思うだろう。
前日の帰り際、「掲示板を止めようかな…」と奴に言った。
奴は肯定するでも否定するでもなかった。
もっとも、その時奴が何を言っても、私は聞く耳を持たなかっただろう。
キミに何がわかる?そんな気持ちでいた。

その日の深夜に届いた定例のメールには、奴なりの反省と詫びの言葉が並ぶ。


> あの掲示板の開設は、私のためでもあるとおっしゃっていただきました。
> しかし、私はそのご期待にお応えすることができませんでした。
> **様からすれば、声をかけても相手が振り向かないような、
> そんな徒労感をお感じになったことでしょう。
> 記事を書くのに、かなり時間を費やしていただいたとも伺いました。
> その貴重なお時間と手間を、無にさせてしまいました。本当にごめんなさい。


淡々と読みながら、せめての慰めに「キミだけのせいじゃない」と返信した。



正直な所、キミのせいだっとアテツケがましい恨み言を言いたくもなった(笑。
けど、幾ら凹んでても、それは無茶な言い分だわと自分を諌める。
確かに、ここ最近は専ら奴に向けて記事してたけど、
これに逐一の感想なんて求めるつもりは端からなかったからね。
それは、予め奴にも伝えてたことだ。だから奴が気に病む必要はない。

つまり、私は具体的な何かに不服を覚えていたワケじゃないのだ、この時点では既に。
それまで拘っていた「話すことはないの?」「そうですね」のやり取りも、解を見ちゃったし。
それに伴って示した「普段の付き合いは避けようか」という提案もあっさり受け入れられたし(笑。
結果、それまでの展望を失ってしまったのね。

もっとも往生際の悪い私のこと、関係自体を諦める気にはならなかった。
互いの無理が露見したのなら、無理なく付き合えばいいことだもの。
だから、奴に示した提案について、割と本気でそうしようと思った。
もちろん、それは残念なことだ。けど、今はそうするしかないかなと腹を括る。
その思考の一端に、掲示板のこともあった。



付き合い方を改めようと、私が奴に思いを致す作業は変わらない。
けれども、その思いの方向が違ってくるのは自明だ。
それは、ここに記事する方針においても。
それが非公開にした理由。


2003年05月04日(日) せめてもの抵抗

自分と他人の価値観が違うなんて驚くべきことではない。
まして、そのことで他人を責める必要はない。
親しい間柄であっても、そうした齟齬が生じるのはままあることで、
寧ろ各々の違いを認め、相互に譲歩したり妥協したりして上手に共存していけばいい。
結局、他人と親密になる過程はこの作業に尽きるのかもしれない。

が、そうわかってはいても、価値観の違う人間と出会うと人はそれなりの抵抗を覚える。
道理を忘れて驚いて、少しムッとして、
時にナンデ?となじるように問うたり、リカイデキナイと突き放したり、
シタカナイネと言いながら、実は全然納得いかない自分を持て余したりする。
それはワカッタ風な私とて同じことだ。むろん、奴も同じ。

だから、溜息混じりに「ああ、価値観が違うんだねぇ」と言ってはみたものの、
嫌味の一つでも言って、奴を責めたいような気持ちになっていた。
奴もまた、腑に落ちなかったのだろう、
「それは価値観が違うというよりも、向き不向きの問題かと…」などとトチ狂った言葉を吐く。
しかし、その妄言は、私の溜息を一層深くしただけだ。

ワルアガキついでに、せめて自分の価値観にまつわるエピソードなど語ってはみたが、
それが奴に届いたかどうかはわからない。いや、届かなかったんだろう。
「今後は食事とか旅行とか一緒するのは避ける方向で考えるよ」と半ば引導を渡したら、
「残念ですが、仕方ありません…」と返された。
正直、ナンナンダ?と思った。



翌日を待ちかねて、先の友人に事の次第を愚痴させてもらう。
一頻り奴の反論や態度をこき下ろした後、「あんなじゃ恋愛なんて出来ないよぅ」と吠えたら、
「そんなことないって…」と笑いながらたしなめられた。

ウン、わかってるよ、奴だって奴なりに生きてきてるんだ。
お友達だっているだろうし、恋愛だってしただろう。
それに、私のような考え方こそ、世間では”ミズクサイ”と誹られるだろうことも知っている。

親しいのなら無理せずに。無理するなんて他人行儀な。
互いに空気のような存在でいられたら。
それはありがちな理想で、かつそうしてウマクいってるカップルはゴマンとあって、
奴もたぶんそうで、だから私にもそうしたんだろうと思う。

そして、そうされて私が辛くなったのは、
私がそんな理想を抱いちゃなくて、寧ろそれは幻想だと思ってて、
親しければ親しいだけ大切にしなきゃと、
かけがえのない存在なら一層失わないよう気を払ってなきゃと、
無理してでも大事にしなきゃと思ってるからだ。
そうすることなく関係を維持できると思うほど、私には自信がない。

とは言え、私がこう考えるに至るには、然るべききっかけがあったなぁと振り返る。
奴に語ったエピソードとは、そのことだ。
それは今も共にある夫がくれた私の分岐とも言える気づきで、今でも感謝してやまない。
そして、その気づきがなければ、私は夫との縁を不意にしただろうとも思う。
それくらい重大なきっかけだった。



当時私と夫に起こったことは、今奴と私が躓いていることとよく似ている。
付き合い始めて数年、結婚してから一年位だったか、夫に誘われて近所に食べに出て、
オーダー出したきり特別に話すこともなく、黙ったままの私に夫は言ったのだ。
「こんなんじゃ、駄目だね…」苛つきと諦めが混じったような声だった。

そう言われて、私は焦りはしたものの、彼の真意を掴みかねていた。
何が駄目なのかわからなかったのだ。
けれど、その言葉の重さだけは印象に残って、その日以降私は考え続けた。

そして気づく。
私は、一番大切にすべき人を一番蔑ろにしてたわと。
身近だからそうしなくていいんじゃなくて、身近だからこそそうすべきなんだわと。
以来、私は夫に一番気を遣っている。義務ではなく、そうしたいと思う。
だって、それ程に価値のある人だもの。失いたくない縁だもの。



今更ながら、そんな話を奴にしたワケだ。せめてもの抵抗として(笑。


2003年05月02日(金) タメイキの理由

奴の言葉に私が萎えてしまったのは、それが反論だったからじゃない。
少なくとも自分としては、”奴隷のくせに楯突くなんて”的発想は持ち合わせてないつもりだ。
それは、奴にも折りに触れ言ってある。
それでも奴の位置にあれば、どうしたって”奴隷のくせに”に囚われて、
言葉を返すことは難しかろうと想像している。

だから、それを圧して出る奴の疑問や反論には寧ろ一層の意味を見て、
注意深く聞き、吟味し、応えたいと願う。
それ程の価値を感じる。

確かに、妄想に生きる奴隷が旨とする、
”自分の意志を捨てて主の意思を絶対とする”なんてのは麗しいとは思う。
けれども、現実に生きる私はそんな妄想を信じちゃないし、第一私の理想はそこにはない。

だって、そんな奴隷、ロボットみたいでツマラナイ。
いや、ロボットならロボットなりに使い道があるのだろうけど、
私にはヒトをそういう風に使いこなす度量がない。
だから、妄想の奴隷を目指す者にとっては、私はツカエナイ女王様だろうな(笑。
つまり、私は凡庸な人間なのだ。
身の丈にあったヒトらしい奴隷でないとツライ。



溜息吐く前っだったか、奴が言った。


「私、今奴隷としてある状態とそれ以前にそうありたいと思っていた姿と大体同じなんですね…」


あぁそうなんだろうね。
だからこそ、満足して奴隷を勤めてるんだろう。
私とあって奴の希望が叶ったのなら、それは喜ぶべきことと思う。
私の言葉通りに動き、私の言葉がない限りじっと待つ、それが奴の思う奴隷像だ。

そこへ、「偶には無理してでも喋れ」なんて、
奴の理想に反する状態を要求されては、抵抗してしまうのもやむを得ない。
あるいは、これまで以上の対応を課されても、現状に精一杯で応える余力がないと危ぶんだか。
更には、理想通りに振舞っているそのことが、私を困らせている事実を認めたくなかったのかもしれない。

しかし、奴がいずれを言い訳に反論しようと、私には奴に言い下す道理がある。
キミの理想が叶ったのはいいけど、それじゃただの自己満足だろう?とか。
キミの理想に沿うならば、言われた通りに従えばいいんじゃないの?とか。
出来ないと諦める前にやるのが本来だろうとか。
自分に都合が悪いことは認めたくないんだね?とか(笑。



ところが、奴が反論の盾に持ち出したのは、
”親しい間柄なら、話したい事柄がないときは無理して話す必要はない”という、
ヒトとしての一般論だった。
奴が日頃どう人と付き合っているかというような。
だから、私は溜息吐くしかなかったのだ。
奴の奴隷としての輪郭がぼやけ、ヒトの姿を見てしまった。
価値観の違う人間に説教するほど私は酔狂じゃない。

例えば、このとき奴があくまで身勝手に抱く理想像に拘り、
”奴隷としては…”的抵抗を示したのなら、私は予定通りに説教を始めただろう。
しかし、奴の言葉は私のやり方自体を問うもので、その思惑はすっかり覆されてしまった。
更に言えば、これまで私が奴に施してきた無理を否定された気にもなり、なんだかメゲてしまった。

もちろん、
自分の価値観に従って他者に行ったことが、自分の思い通りに他者に評価されるとは限らない、
それは重々承知している。
だから、ここで私たちの間に生じた齟齬は、
「アナタのために私はこんなに無理してんのよっ」「誰がそんな無理しろと言った?!」
てな、ありふれた諍いと思う。
そして往々にその手の諍いは平行線を辿るものだ。



かくして、私は奴の主張を否定することも出来ず、
まして説教するとか謝らせるとかSM的手法で仕置くとか、当初の予定を捨て去って、
ただ溜息吐くに留めたんだね。


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